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「ノート:南京事件」の版間の差分

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内容については総じて、Takabegさんに感謝するばかり。申し訳ありません--[[利用者:Japanese sincerity|Japanese sincerity]]([[利用者‐会話:Japanese sincerity|会話]]) 2020年5月31日 (日) 12:57 (UTC)
内容については総じて、Takabegさんに感謝するばかり。申し訳ありません--[[利用者:Japanese sincerity|Japanese sincerity]]([[利用者‐会話:Japanese sincerity|会話]]) 2020年5月31日 (日) 12:57 (UTC)
: [[利用者:Japanese sincerity|Japanese sincerity]]さんへ。例えば「笠原 (1997)、17-42頁」「秦 (2007)、5-14頁 132-136頁」「笠原 (1997)157-8頁 172-183頁 191-200頁」などとありますが、余りにも多くのページを読まないと検証できないということになってしまいます。もう少し「ピンポイント」で検証可能な状態にしていただければ幸いです。そういえば、漢奸狩りの記述がなくなっているようなのですが、さんぽーるさんの仕業のようです。どういうわけか、彼/彼女は無関係な記述を大量に記載し、関連のある記述は消してしまう癖がありました。飽きたのか亡くなったのかは存じませんが、活動していないようです。おそらく[[利用者:Chichiii|この利用者]]と同一人物だったのではないかと推測しています。それでは。-- [[利用者:Takabeg|Takabeg]]([[利用者‐会話:Takabeg|会話]]) 2020年6月2日 (火) 13:39 (UTC)

2020年6月2日 (火) 13:40時点における版

この項目がここに移動される以前に同一名称だった項目にはノートページが存在します。詳細はノート:南京事件 (1937年)(移動以前の過去ログ)を確認してください。--Himetv 2010年6月14日 (月) 10:49 (UTC)[返信]

この項目が南京大虐殺から移動された際にノートページが移動されませんでした。移動が行われた2010年6月14日 (月) 05:39以前のノートについては、ノート:南京大虐殺をご覧下さい。--Himetv 2010年6月14日 (月) 10:56 (UTC)[返信]

日中の戦後処理と戦争賠償

南京事件#日中の戦後処理と戦争賠償という箇所ですが、南京事件と直接関係無いですし、間接的に関係があるといえばあるのですが、当該箇所では「南京事件」どころか「南京」という文字も見当たりません。削除が妥当です。そもそも、何故ここに書かれたのか理解に苦しむところです。Takabeg会話2019年3月28日 (木) 12:48 (UTC)[返信]

コメント 特別:差分/72165652で既に除去されている。--花蝶風月雪月花警部会話2019年3月30日 (土) 01:47 (UTC)[返信]
  • 移転先もなく、記事の無断大量削除の状態となっておりましたので復帰させました。--大和屋敷会話) 2019年3月31日 (日) 07:39 (UTC)失礼。南京事件については該当箇所では何一つ言及しておりませんので、コメントアウトで宜しいかと考えました。--大和屋敷会話2019年3月31日 (日) 13:14 (UTC)[返信]

"歴史上の「南京大虐殺」"の分割提案

まず、"歴史上の「南京大虐殺」"というのは、直接本項に関わるものではありません。また、本記事において、表題と同じ"歴史上の「南京事件」"の説明もないにもかかわらず、"歴史上の「南京大虐殺」"の説明だけが為されるのもおかしな話です。従いまして、この内容を南京大虐殺に移動させるのがよいかと考えます。恐らく最も著名な南京事件は1937年の南京事件なのですが、南京事件が曖昧さ回避となっていますので、それにあわせただけでして、南京大虐殺はどうあっても南京事件 (1937年)に転送しなければならない、とお考えの利用者が多いのであれば、南京大虐殺 (曖昧さ回避)を作成して移動させるという手もあります。いずれにしても、1937年の南京事件と直接関係のない"歴史上の「南京大虐殺」" が本記事にあるのは不自然です。Takabeg会話2019年3月29日 (金) 15:57 (UTC)[返信]

  • この程度の記述は「南京事件」という語義に関わる情報の紹介として本記事に記述してあることに違和感は感じません。特段に移動させるほどのことはないでしょう。--大和屋敷会話2019年3月29日 (金) 19:02 (UTC)[返信]
結論からいうと、この分割提案は流れてよかったと思います。この部分は、明らかにWikipedia:独自研究は載せないの「情報の合成」ですよね。しかも、数人の論者の主張として掲載するにしても、適切な場所は南京事件ではなく、南京事件論争でしょうね。--Takabeg会話2019年5月12日 (日) 13:20 (UTC)[返信]

南京事件 (1937年)から南京事件への改名提案

南京事件 (1937年)南京事件に改名。南京事件南京事件 (曖昧さ回避)に改名。ノート:南京大虐殺/ログ2011#改名提案で改名したとき、何で1937年をつけたのか今一つ理解できませんが、今回の改名の理由は至って簡単。日本語文献において言及される頻度という点から見るに、本項で説明されている南京事件が日本語文献において他の南京事件 (1913年のものと1927年のもの) を凌駕しており、Wikipedia:曖昧さ回避#代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避が適用されるのが自然であるためです。Takabeg会話2019年4月13日 (土) 13:50 (UTC)[返信]

Wikipedia:移動依頼に依頼を提出しました。Takabeg会話2019年4月20日 (土) 14:28 (UTC)[返信]
WP:BOTREQより来ました。改名によるリンク元付け替え依頼のWikipedia:Bot作業依頼#南京事件 (1937年)の改名に伴う修正依頼ですが、リンク先はWikipedia:曖昧さ回避#代表的なトピックページへのリンク方法に従って南京事件 (代表的なトピック)のリダイレクトを使用したいと思います。--Triglav会話2019年6月23日 (日) 14:36 (UTC)[返信]
それでは南京事件 (代表的なトピック)のリンクを使用いたします。--Triglav会話2019年7月1日 (月) 07:27 (UTC)[返信]
Triglavさんへ。つい先ほど気づきました。関心を寄せていただきありがとうございます。Bot作業はよくわかりませんので、お任せします。--Takabeg会話2019年7月1日 (月) 11:54 (UTC)[返信]

日中の戦後処理と戦争賠償の分割および移植提案

南京事件 (1937年)#日中の戦後処理と戦争賠償 (現時点ではコメントアウトされているようです) が本記事と直接関係のないことは明白ですので、本記事から分割し日中戦争の適切な場所に移すことを提案します。Takabeg会話2019年4月17日 (水) 15:03 (UTC)[返信]

チェック Takabeg会話2019年4月25日 (木) 12:28 (UTC)[返信]

虚偽出典の指摘

  • 南京事件#犠牲者(一般市民)の冒頭に「笠原 (1997)、17頁、36-37頁」を典拠としたとする文が書かれています。ところが、笠原『南京事件』17頁には、庄司得二『南京日本居留民誌』からの引用があり南京からの日本人の引き揚げの様子が書かれていますが、爆撃への言及はありません。36~37頁には爆撃の様子、37頁には爆撃が報道されたことが書かれていて、9月28日の連盟総会で「都市爆撃にたいする国際連盟の対日非難決議」が採択されたことが書かれています。「・・・400人近くの市民が死亡した」ということは書かれていません。虚偽出典状態となっています。利用者:Harukaikedaさんはじめ、当該ソースが手元にあると思われる利用者の方々による再検証を希望します。当該記述は、特別:差分/58685653利用者:Japanese sincerityさんによって追加されているようです。-- Takabeg会話2020年5月27日 (水) 11:51 (UTC)[返信]

すみません。空爆の被害は40ページに記載されていました。それこれあって、修正します。--Japanese sincerity会話2020年5月29日 (金) 11:56 (UTC)[返信]

  • 南京事件#犠牲者(一般市民)にある「ただし、日本軍の南京占領が確定して戦闘が終結した後は、」ではじまり「と指摘する」でおわる箇所において、「「南京難民区の百日 虐殺を見た外国人」 笠原十九司 岩波現代文庫 岩波書店78-82頁」と「秦 (2007)、84頁」が出典として提示されていますが、『南京難民区の百日 虐殺を見た外国人』の文庫版は所有していないので後日検証してみますが、秦の新書本の84頁 (旧版、増補版とも同じ頁)は、「水道は十二月十日、電気は十一日、電話は陥落の当日まで稼働していたので、マギー牧師が言ったように、安全区は難民たちの「天国」だったかも知れない。そのせいか、戦火を避けて流入してくる難民の数は激増した。」といったことが書かれているのですが、「その理由として秦郁彦は、(略) と指摘する」というような「暴虐行為は過大にならなかった理由」は書かれていません。虚偽出典なのではないでしょうか? 特別:差分/63481040利用者:Japanese sincerityさんによって追加されているようです。-- Takabeg会話2020年5月27日 (水) 12:08 (UTC)[返信]

的確なページと記述に修正します。--Japanese sincerity会話2020年5月29日 (金) 12:31 (UTC)[返信]

  • 南京事件#中華民国(国民党)の冒頭に「「ドイツ外交官が見た南京事件」 石田勇治等 大月書店 (2001) 136-139頁」を典拠としたとるする「1938年1月に国際連盟の第100回理事会で中国の顧維鈞代表は日本の侵略を訴え、2月2日に理事会は、その前年の10月の総会決議を再度確認(remember)し、日本の軍事行動が九カ国条約及び不戦条約に違反しているとした。中国は経済制裁も求めたが、イギリス・フランスが反対した」という箇所があります。136頁には「一九三八年二月一日付 文書番号C・六九/一九三八/七 中国政府の提訴にもとづく決議案」が、137~139頁には「資料 41 添付書類 一九三八年二月一日付 国際連盟理事会第六会議議事録 議長による決議案に続き、顧維鈞氏の演説」が掲載されていますが、「日本の軍事行動が九カ国条約及び不戦条約に違反しているとした」とも、「中国は経済制裁も求めたが、イギリス・フランスが反対した」とも書かれていません。決議案には「日本」という固有名詞も、「侵略」という用語も記載されていません。そもそも、本記事に直接的な関係はないのではないかと思います。関係のあるのは、決議案ではなく、「顧維鈞氏の演説」のほうです。特別:差分/59247196利用者:Japanese sincerityさんによって追加されているようです。-- Takabeg会話2020年5月27日 (水) 12:30 (UTC)[返信]

この内容は記載内容を書き換えます。確かに、歴史的事実に間違いがなくとも引用に間違いがありました。--Japanese sincerity会話2020年5月29日 (金) 12:32 (UTC)[返信]

  • 南京事件#犠牲者(一般市民)にある「日本軍による南京城市陥落(12月13日)の前後に、」ではじまり「(新路口事件)がある」でおわる箇所において、「笠原 (1997)、138頁、ラーベ『南京の真実』(講談社, 1997年)213頁」が典拠として示されていますが、笠原、138頁には、「敗残兵や避難民の自殺行為に等しい渡江」について書かれおり、ラーベ、213頁には、マギーが8歳と4歳の少女を見つけ、親族は11人だったというが残らず残忍な殺され方をしていた話が書かれていますが、「日本軍による南京城市陥落(12月13日)の前後に、日本軍の攻撃や掃討や暴力行為に巻き込まれた市民が少なからず存在したとされる(城外を出て長江を渡って逃げる途中の市民(婦女子も含む)が兵士とともに銃撃を受けて殺されたとの証言、日本兵による攻撃や暴力で殺害されたとの証言(新路口事件)がある」という文の典拠にはできませんし、検証可能性も確保されていません。これもまた虚偽出典状態になります。特別:差分/57351167で-利用者:Japanese sincerityさんによって追加されているようです。-- Takabeg会話2020年5月27日 (水) 13:39 (UTC)[返信]

すみません。的確なページに差し替えます。--Japanese sincerity会話2020年5月29日 (金) 12:13 (UTC)[返信]

内容については総じて、Takabegさんに感謝するばかり。申し訳ありません--Japanese sincerity会話2020年5月31日 (日) 12:57 (UTC)[返信]

Japanese sincerityさんへ。例えば「笠原 (1997)、17-42頁」「秦 (2007)、5-14頁 132-136頁」「笠原 (1997)157-8頁 172-183頁 191-200頁」などとありますが、余りにも多くのページを読まないと検証できないということになってしまいます。もう少し「ピンポイント」で検証可能な状態にしていただければ幸いです。そういえば、漢奸狩りの記述がなくなっているようなのですが、さんぽーるさんの仕業のようです。どういうわけか、彼/彼女は無関係な記述を大量に記載し、関連のある記述は消してしまう癖がありました。飽きたのか亡くなったのかは存じませんが、活動していないようです。おそらくこの利用者と同一人物だったのではないかと推測しています。それでは。-- Takabeg会話2020年6月2日 (火) 13:39 (UTC)[返信]