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| 作品名 = 用心棒 |
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| 原題 = Yojimbo |
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| 公開 = {{flagicon|JPN}} 1961年4月25日 |
| 公開 = {{flagicon|JPN}} 1961年4月25日<br/>{{flagicon|ITA}} 1961年8月20日 ([[ヴェネツィア国際映画祭|VIFF]])<br/>{{flagicon|USA}} 1961年9月 |
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| 上映時間 = 110分 |
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| 製作費 = 9087万円 (直接費)<ref>{{Cite journal|和書 |journal=映画年鑑 1962年版 |publisher=[[時事通信社]] |date=1962 |page=211}}</ref> |
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| 配給収入 = 3億5100万円 |
| 配給収入 = 3億5100万円{{Sfn|85回史|2012|pp=180,188}} |
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| 前作 = |
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| 次作 = [[椿三十郎]] |
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『'''用心棒'''』(ようじんぼう)は、[[1961年]]に公開された[[日本映画|日本]]の[[時代劇]]映画である。監督は[[黒澤明]]、主演は[[三船敏郎]]。[[モノクロフィルム|モノクロ]]、[[東宝スコープ]]、110分。桑畑三十郎を名乗る[[浪人]]が、[[宿場町]]で対立する[[ヤクザ]]同士を衝突させて壊滅させるという物語で、理屈抜きの娯楽映画として興行的に大ヒットし<ref name="大系2解説">[[浜野保樹]]「解説・世界のクロサワと挫折―『用心棒』」({{Harvnb|大系2|2009|pp=697-699}})</ref>、[[1962年]]に続編の『[[椿三十郎]]』が作られた。三船は本作品で[[ヴェネツィア国際映画祭]]の第22回[[ヴェネツィア国際映画祭 男優賞|男優賞]]を受賞。本作品は刀の斬殺音や残酷な描写を取り入れるなど、従来の時代劇映画の形式を覆して後の作品に大きな影響を与え、[[1964年]]には[[セルジオ・レオーネ]]監督の[[マカロニ・ウエスタン]]『[[荒野の用心棒]]』で非公式に[[リメイク]]されている。 |
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『'''用心棒'''』(ようじんぼう)は、[[1961年]](昭和36年)に公開された[[日本]]の[[アクション]][[時代劇]][[映画]]である。監督は[[黒澤明]]。続編といわれる作品として『[[椿三十郎]]』([[1962年]]公開)がある。同時上映は[[森繁久彌]]の『[[社長道中記]]』。 |
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== あらすじ == |
== あらすじ == |
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[[からっ風]]が吹きすさぶ中、一人の風来坊の浪人が、桑畑に囲まれた宿場町へとやってくる。そこは賭場の元締めである馬目の清兵衛と、清兵衛の |
[[からっ風]]が吹きすさぶ中、一人の風来坊の浪人が、桑畑に囲まれた宿場町・馬目宿へとやってくる。そこは賭場の元締めである馬目の清兵衛一家と、清兵衛の弟分で跡目相続に不満を持って独立した丑寅一家との抗争によって荒廃していた。二人はそれぞれ町の有力者である[[庄屋|名主]]の多左衛門と[[造り酒屋|造酒屋]]の徳右衛門を後ろ盾にして抗争は泥沼化し、町の産業である絹取引きも中断していた。ふらりと立ち寄った居酒屋の権爺からあらましを聞いた浪人は、酒代として馬目宿を平穏にしてやるという。 |
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浪人は丑寅の子分を挑発して |
浪人は丑寅の子分を挑発して瞬時に三人を斬り倒す。これを見た清兵衛一家は浪人を用心棒として五十両で雇うが、祝いの酒席で清兵衛に名前を尋ねられた浪人は窓の外の桑畑を眺め、とっさに'''桑畑三十郎'''と名乗る。凄腕の浪人を手に入れた清兵衛は、一気に抗争の決着を付けるとして総力を挙げて攻め入ろうとするが、清兵衛と女房のおりんが事が済んだら三十郎を始末する算段をしていたことがばれ、三十郎は土壇場で報酬を突き返して足抜けしてしまう。三十郎の狙いは双方に抗争を仕掛けて共倒れさせることにあったが、そこに[[関東取締出役|八州廻り]]が来るとの一報が届き、抗争は中止となってしまう。役人の逗留中は平穏を装い休戦することとなったが、清兵衛と丑寅は互いに大金を積んで三十郎を雇おうとする。 |
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十日後、隣の宿場町で[[町役人]]が殺されたとの報が届き、八州廻りは去った。しかし再開するかと思われた抗争は沈静化してしまう。実は、丑寅の腹心の弟である切れ者の卯之助が帰参し、仲介役となって手打ちの算段を始めたのだった。またもや計画が狂う三十郎であったが、町役人殺しは八州廻りを早く町から追い払いたいと考えた丑寅が仕組んだことと知り、下手人を捕らえて清兵衛に売りつける。一転して有利となった清兵衛は手打ちを破談にするも、今度は卯之助がその下手人を始末した上で、清兵衛の息子である与一郎を捕まえ再び形勢が逆転する。しかし、清兵衛側も徳右衛門の情婦おぬいを人質にし、丑寅と清兵衛は与一郎とおぬいを人質交換する約定を取り交わす。結果、人質交換は無事に終わるものの、三十郎はおぬいが徳右衛門と丑寅の企みで、しがない農夫の夫・小平の借金のかたにされていることを知る。三十郎は丑寅の用心棒となって彼らを油断させ、おぬいが囚われた一軒家をひそかに急襲、見張りを皆殺しにして彼女を助け出し、小平に妻子を連れて町から去るように告げる。 |
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おぬいを逃がしたのが清兵衛一家の仕業と考えた丑寅一家は、遂に一線を越えて多左衛門の絹倉庫に火を放ち、清兵衛一家も報復として徳右衛門の酒蔵を襲う。抗争は激化し、町の至るところに死体が転がる惨状となる。一方、気の利かない小平はわざわざ町に戻って来て、三十郎への礼状を権爺に託していた。町をいたずらに混乱させるとして三十郎のやり方に腹を立てていた権爺も事情を知ることとなったが、今度は卯之助が真相に気づくきっかけを作ってしまう。結局礼状が証拠となり、三十郎は丑寅一家に監禁され、おぬいの居場所を吐かせるための激しい拷問を受ける。見張りの隙を付いて逃げ出すことに成功した三十郎は、命からがら権爺の店に逃げ込み匿われる。権爺の嘘で三十郎が清兵衛に匿われていると思った丑寅一家は、ついに清兵衛の家に火を放ち、燻り出された清兵衛一家を皆殺しにする。 |
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気息奄々だった三十郎は権爺に助けられて町外れのお堂で静養していたが、権爺が握り飯と傷薬を運ぶ途中で丑寅一家に捕まったと棺桶屋から知らされる。三十郎は権爺が護身用にとくれた包丁と棺桶屋が用意した刀を持ち、権爺を助けるために再び町へ戻る。白昼の町辻で三十郎と丑寅一家が対峙する。短銃を構えた卯之助に対して三十郎は彼の腕に包丁を投げつけて銃を封じ、瞬く間に丑寅一家を斬り倒す。そして、すでに正気を失っていた多左衛門は徳右衛門を刺し殺してしまう。三十郎は権爺を縛っていた縄を斬り、「あばよ」と声をかけて平穏を取り戻した町を去ってゆく。 |
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== キャスト == |
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白昼の町辻で三十郎と丑寅一家が対峙する。短銃を構え有利な卯之助に対し、三十郎は彼の腕に包丁を投げつけて銃を封じ、瞬く間に丑寅一家を斬り倒してしまう。助け出した権爺の縄を斬ると三十郎は「あばよ」と声をかけ、平穏を取り戻した町を去ってゆく。 |
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*桑畑三十郎:[[三船敏郎]] |
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*新田の卯之助:[[仲代達矢]] |
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*清兵衛の女房 おりん:[[山田五十鈴]] |
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*小平の女房 ぬい:[[司葉子]] |
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*百姓 小平:[[土屋嘉男]] |
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*居酒屋の権爺:[[東野英治郎]] |
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*造酒屋 徳右衛門:[[志村喬]] |
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*新田の亥之吉:[[加東大介]] |
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*名主 絹問屋 多左衛門:[[藤原釜足]] |
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*馬目の清兵衛:[[河津清三郎]] |
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*清兵衛の倅 与一郎:[[太刀川寛]] |
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*百姓の小倅:[[夏木陽介]] |
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*番太の半助:[[沢村いき雄]] |
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*棺桶屋:[[渡辺篤 (俳優)|渡辺篤]] |
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*用心棒 本間先生:[[藤田進]] |
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*新田の丑寅:[[山茶花究]] |
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*無宿者の熊:[[西村晃]] |
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*無宿者の瘤八:[[加藤武]] |
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*斬られる凶状持:[[中谷一郎]]、[[大橋史典]] |
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*八州廻りの足軽:[[堺左千夫]]、[[千葉一郎]] |
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*丑寅の子分 亀:[[谷晃]] |
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*丑寅の用心棒 かんぬき:[[羅生門綱五郎]] |
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*清兵衛の子分 孫太郎:[[清水元]] |
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*賽の目の六:[[ジェリー藤尾]] |
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*清兵衛の子分 孫吉:[[佐田豊]] |
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*馬の雲助:[[大友伸]] |
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*清兵衛の子分 弥八:[[天本英世]] |
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*清兵衛の子分 助十:[[大木正司]] |
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*百姓の親爺:[[寄山弘]] |
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*八州廻りの小者:[[大村千吉]] |
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*百姓の古女房:[[本間文子]] |
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*丑寅の子分:[[広瀬正一]]、[[高木新平]]、[[草間璋夫]]、[[小川安三]]、[[坂本晴哉]] |
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*清兵衛の子分:[[草川直也]]、[[桐野洋雄]]、[[津田光男]]、[[大友純]]、[[向井淳一郎]]、[[熊谷卓三|熊谷二良]]、[[緒方燐作]] |
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== スタッフ == |
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* 製作:[[田中友幸]]、[[菊島隆三]] |
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{{出典の明記|section=1|date=2007年10月}} |
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* 監督:[[黒澤明]] |
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「この映画(続編的存在の椿三十郎も)の最大の魅力は[[殺陣]]のシーンではなく、主人公の三十郎の特異なキャラクター設定にある」と黒澤本人は主張している。 |
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* 脚本:菊島隆三、黒澤明 |
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* 撮影:[[宮川一夫]]<small>([[大映]])</small> |
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* 撮影助手:[[斎藤孝雄]]<ref>「スタッフ一覧表」({{Harvnb|全集5|1988|pp=442-443}})</ref> |
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* 美術:[[村木与四郎]] |
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* 録音:三上長七郎 |
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* 照明:[[石井長四郎]] |
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* 音楽:[[佐藤勝]] |
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* 監督助手:[[森谷司郎]] |
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* 剣技指導:[[杉野嘉男]] |
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* 現像:[[光映新社|キヌタ・ラボラトリー]] |
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* 製作担当者:根津博 |
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* 剣技:[[久世竜]] |
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* 振付:金須宏 |
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== 製作 == |
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それまでの時代劇の殺陣は、東映作品に象徴されるような従来の舞台殺陣の延長にあった。いわゆる「[[チャンバラ]]映画」である。黒澤は、そうした現実の格闘ではあり得ない舞踊的表現を排除したリアルな殺陣の表現を探っていた(「[[羅生門 (1950年の映画)|羅生門]]」、「[[七人の侍]]」、脚本を書いた「[[荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻]]」)。それは『用心棒』でひとつの完成形を見せ、当時の人々を驚かせた。本作の殺陣の特徴は、桑畑三十郎は相手を斬る際、必ず1人につき'''2度'''斬っていることである。「1度斬ったぐらいでは、すぐには死なないだろう」という黒澤と三船の考えにより完成した殺陣であるとのこと。一方で、仲代達矢演じる新田の卯之助に、スコットランド製のスカーフを巻かせるなど、時代考証よりも登場人物の造形を優先させた演出も見受けられる<ref>『[[サライ (雑誌)|サライ]]』([[小学館]])1999年2月4日号 20頁</ref>。なお卯之助の持つ回転拳銃は[[スミス&ウェッソン]] モデルNo.1で、1857年から製造されたことから、幕末であれば時代が合う。劇中では空砲を装填した実銃が用いられた。 |
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黒澤プロダクションは、[[1960年]]公開の『[[悪い奴ほどよく眠る]]』が興行的に失敗したため、次の作品では収益が見込めるヒット作を作らなければならなくなった<ref name="大系2解説"/>。そこで[[黒澤明]]は脚本家の[[菊島隆三]]にプロデュースを依頼し、二人で本作の脚本を共作した<ref name="大系2解説"/>。菊島はその前に、[[藤本真澄]]の勧めに応じて[[成瀬巳喜男]]監督作『[[女が階段を上る時]]』を担当しヒットさせており、黒澤から「こんどはオレのもやってくれよ」と頼まれた<ref>[[菊島隆三]]「すぐれた作品のかげにはストイックなまでの自虐」(『黒澤明ドキュメント』キネマ旬報社、1974年)。{{Harvnb|キネマ旬報|2010|pp=108-116}}に所収</ref>。黒澤プロは[[東宝]]との提携で映画制作を行うことになっており、本作から『[[赤ひげ]]』までのプロデューサーは、黒澤プロ側は菊島、東宝側は[[田中友幸]]が務めた<ref name="大系2解説"/>。 |
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本作の企画は、[[1956年]]5月21日にプロデューサーの[[本木荘二郎]]が企画する黒澤の「時代劇三部作」の1つとして新聞報道されており、本木は「『用心棒』ではアメリカの私立探偵ものによくあるハード・ボイルドな浪人者を時代の典型としてうち立てる」と語っている<ref>{{Cite news |title=時代劇に打込む黒澤監督 |newspaper=[[読売新聞]]夕刊 |date=1956-05-21}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=鈴木義昭 |date=2016-8 |title=「世界のクロサワ」をプロデュースした男 本木荘二郎 |publisher=山川出版社 |isbn=9784634150942 |page=203}}</ref>。本木の発言のように、本作の設定は[[ダシール・ハメット]]の[[ハードボイルド]]小説『[[血の収穫]]』を参考にしており{{Sfn|都築|2010|p=307}}、黒澤も「ほんとは断らなければいけないぐらい使ってるよね<ref>{{Cite book |和書 |title=黒澤明語る |date=1995-8 |publisher=ベネッセコーポレーション |series=福武文庫 |isbn=9784828857350 |page=39}}</ref>」と語っている。 |
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本作では『七人の侍』以来多用していた望遠レンズの効果が遺憾なく発揮され、殺陣をより効果的に見せており、油の乗り切った時期の黒澤の表現技法が見事に結実していると言える。なお、撮影については無論、宮川一夫の存在が大きいが、マルチカム方式(複数のキャメラによる同時撮影)で撮影されている本作品ではクレジットされていないものの、斉藤孝雄の貢献も無視できない(完成作品には、斉藤の撮影分の方が多く使用されている<ref>本作セルDVDの映像特典「超弩級時代劇誕生」より</ref>)。 |
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撮影は[[1961年]]1月14日から4月16日まで行われた<ref name="メモ">「製作メモランダ」({{Harvnb|全集5|1988|p=435}})</ref>。タイトルバックは[[甲府市]]で[[ロケーション撮影]]が行われ、馬目宿は[[東宝スタジオ|東宝撮影所]]の「農場オープン」と呼ばれたオープンセットに作られた<ref name="メモ"/>{{sfn|丹野|1998|p=59}}。4月17日にダビング作業を開始し、封切り5日前の4月20日に検定試写をして完成した<ref name="メモ"/>。撮影は[[大映]]から招かれた[[宮川一夫]]が担当し、撮影助手に[[斎藤孝雄]]、セカンド撮影助手に[[木村大作]]が付いた<ref name="佐藤解説">[[佐藤忠男]]「作品解題―『用心棒』」({{Harvnb|全集5|1988|pp=365-367}})</ref><ref>「製作余話」({{Harvnb|全集5|1988|p=405}})</ref>。 |
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本作が、[[ダシール・ハメット]]の[[ハードボイルド]]・[[アクション小説]]の影響が大きいことは黒澤本人が「用心棒は『[[血の収穫]]』(赤い収穫)ですよね?」という問いに「[[血の収穫]]だけじゃなくて、本当はクレジットにきちんと名前を出さないといけないぐらいハメット(のアイデア)を使っている」と認めていることからも確かである<ref>『黒澤明語る』</ref>。 |
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== スタイル == |
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なお、「ある町にふらりと現れた主人公が、そこで対立する2つの組織に近づいて双方を欺き、最後には全滅させて去っていく」という、本作のようなアウトラインは、多少の違いはあるものの他の東宝映画にも見受けられる。例としては本作の前年に公開された[[ギャング]]・アクション映画「[[暗黒街の対決]]」(1960年 [[岡本喜八]]監督)や、本作の9年後に公開された[[任侠]]パロディ映画「[[日本一のヤクザ男]]」(1970年 [[古澤憲吾]]監督)などが挙げられる<ref>偶然と思われるが、この3作全てに[[司葉子]]が出演している</ref>。 |
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黒澤が「映画の楽しさ、面白さを思い切り出したものにしたかった<ref>{{Cite journal |和書|author=黒澤明 |title=わが映画人生の記 |date=1963 |publisher=キネマ旬報社 |journal=キネマ旬報4月号増刊 黒澤明 その作品とその顔 |page=62}}</ref>」と語る本作は、理屈抜きの娯楽映画として作ることを初めから念頭に置いていた{{Sfn|都築|2010|p=307}}<ref name="自作を語る">「黒澤明、自作を語る―用心棒」(『世界の映画作家3 黒澤明』キネマ旬報社、1970年)。{{Harvnb|キネマ旬報|2010|pp=54-56}}に所収</ref>。黒澤は理屈を考えだすと作品全体が崩れてしまうため、我を忘れたような気持ちで作ることで、活動大写真のような作品を狙ったという{{Sfn|都築|2010|p=307}}<ref name="自作を語る"/>。黒澤は徹底的に娯楽を追求したことについて、次のように語っている。 |
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{{Quotation|『用心棒』はむしろある意味では喜劇です。だいたいこんなばかな話はない。(中略)ともかくある意味でメチャクチャなんだ。ドラマだって、分析していったら穴だらけでしょう。それをただ一気に、おもしろがらせておしまいまで見せてしまう。その徹底的な楽しさだけを追求してゆく作品、それもまた映画なのだと思いました。|「黒澤明、自作を語る」<ref name="自作を語る"/>}} |
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そのため設定も時代考証を二の次にし、伝統的なチャンバラ映画における身分関係や忠義などの封建的要素も排除して、大胆に時代劇映画の形式から逸脱した<ref name="大系2解説"/>{{Sfn|都築|2010|p=307}}<ref>{{Cite book |和書 |author=佐藤忠男|title=日本映画の巨匠たちⅡ |publisher=学陽書房 |date=1996-11 |isbn=9784764130418 |page=265}}</ref>。[[三船敏郎]]演じる主人公の桑畑三十郎は、[[侍]]の規則ずくめの行動を無視し、心理的に深追いせずに行動中心のハードボイルド的な人物として描いている{{Sfn|都築|2010|p=307}}。衣装デザインは黒澤自らが手がけ、[[仲代達矢]]演じる新田の卯之助に[[スコットランド]]製のマフラーを巻かせるなど、登場人物の造形を優先させている{{Refnest|group="注釈"|卯之助の持つ回転拳銃は[[スミス&ウェッソン]]モデルNo.1だが、生産は[[1857年]]以降なので、幕末であれば時代が合う。{{要出典|範囲=劇中では空砲を装填した実物が用いられた。|date=2020年9月}}}}<ref name="大系2解説"/><ref>『[[サライ (雑誌)|サライ]]』([[小学館]])1999年2月4日号 20頁。</ref>。宿場町のオープンセットでは、ヤクザの喧嘩を派手に描くため、道幅を江戸時代のそれより広くとっている{{Sfn|都築|2010|p=307}}<ref name="野上">{{Citation|和書 |author=[[野上照代]] |date=2014-1 |title=もう一度 天気待ち 監督・黒澤明とともに |publisher=草思社 |isbn=9784794220264 |pages=119-122}}</ref>。そのセットに大量の砂を撒き、[[セスナ]]のプロペラ1基を含む東宝の扇風機を総動員して風を起こし、[[西部劇]]のように空っ風が吹き、砂埃が舞う光景を作った<ref name="野上"/>{{sfn|丹野|1998|p=136}}。 |
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本作ではそれまでの[[東映]]時代劇に象徴される[[歌舞伎]]的な立ち回りではなく、リアルな殺陣を追求した。黒澤は「いままでのチャンバラを見てると、斬られるのを待ってる、みたいにノンキでしょう。とにかくいっぺん本式の立ち回りやってみようじゃないか<ref name="自作を語る"/>」と述べている。殺陣師の[[久世竜]]は暴力的で荒々しい殺陣を取り入れた{{Sfn|ガルブレイス4世|2015|p=363}}。三十郎は一人につき二回斬っているが、これは黒澤が一度斬ったぐらいでは止めを刺せないと考えたためである<ref name="自作を語る"/>{{Sfn|都築|2010|p=311}}。また、刀の斬殺音は本作で初めて取り入れられた<ref name="大系2解説"/>。これは黒澤が「人を斬ればやっぱり音がするものだろうな」と効果担当の[[三縄一郎]]に相談を持ちかけたのがきっかけで生まれた{{Sfn|研究会|1999|p=222}}。三縄はいろいろな肉を切って試したが、牛や豚は肉が軟かくて骨らしい感じが出ず、最終的に[[鶏肉]]に割り箸を突き刺し、それを斬ったり叩いたりして音を作り出した{{Sfn|研究会|1999|p=222}}{{sfn|丹野|1998|p=139}}。 |
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今ではよく見られる演出だが、侍同士の対決シーンで、すれ違いざま刀を振り下ろし、いったん静止して片方が倒れて死ぬという描写や、効果音として刀の斬殺音を使用したのは、本作が最初である<ref>ただし西部劇では『ベラクルス』のガンマン同士の決闘のように、「いったん静止して片方が倒れて死ぬ」という演出は『用心棒』以前に存在している。</ref>。ただ、本作では最初の試みということもあって、音量は「椿三十郎」よりは控えめである。 |
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従来の時代劇にはない残酷な描写も取り入れている。オープニングで人間の手首を咥えた[[野良犬]]が登場するシーンや、序盤で三十郎が凶状持ちの腕を切り落とすシーンがそれである。前者のシーンは、黒澤が撮影現場に落ちていた手袋を、一瞬だけ人間の手首と見間違えたというエピソードがヒントになったという<ref name="野上"/>。これらの手首や腕は、ヤクザの子分役で出演した[[大橋史典]]が[[ゴム]]で作り、黒澤はあまりのリアルさに気持ち悪がったという<ref name="野上"/>{{sfn|丹野|1998|p=128}}。血しぶきの描写も一度だけ使用しているが、夜間シーンで画面が暗く血糊の量も少ないため目立ってはいない。そのため黒澤作品で初めて血しぶきの演出を行ったのは続編の『[[椿三十郎]]』だと誤解されている。 |
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劇中の斬り落とされた手首は、俳優としても出演している[[大橋史典]]が造形した。あまりのリアルさに、黒澤はそばに寄ろうともしなかったという。[[うしおそうじ]]によれば、大橋は本作の撮影風景を8mmフィルムに収めており、見せてもらったことがあるという<ref>『スペクトルマンvsライオン丸 うしおそうじとピープロの時代』(太田出版)</ref> 。 |
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撮影には[[望遠レンズ]]を多用することで、殺陣の迫力やスピードを効果的に見せている{{Sfn|研究会|1999|p=360}}{{Sfn|都築|2010|p=259}}。黒澤は250~500ミリの望遠レンズで三船の立ち回りを撮影すると、表情がはっきり見えてアクションもより速く見えると語っている<ref name="自作を語る"/>。黒澤がそのシーンのフィルムを編集で見ると、何も映っていないコマがあり、びっくりして映写してみると、ちゃんと見えたという<ref name="自作を語る"/>。撮影は宮川がメインだが、複数のカメラを使用するマルチカム方式で撮影するため、斎藤がサブとしてもう1台のカメラを担当した<ref name="佐藤解説"/>。斎藤は黒澤に「宮川が撮影した分だけで映画ができるから、お前は好きなようにやれ」と言われ、500ミリの望遠レンズを使って自由にかつ大胆に撮影し、完成作品にも斎藤の撮影分が多く使用された<ref name="佐藤解説"/>{{Sfn|ガルブレイス4世|2015|p=366}}<ref>「黒澤明・創ると云う事は素晴らしい~超弩級時代劇誕生」(本作DVDの特典映像)</ref>。 |
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劇中のつむじ風は、電動の風洞で起こす大がかりなものだった。宿場町の野外セットは、撮影所そばの広大な畑をつぶして建てたもの。ちょうど農閑期だったので、春の種付けまで借りられたのである。続編『椿三十郎』でも、再びこの畑を借りて野外セットを組んでいる<ref>『ああ銀幕の美女 グラフ日本映画史 戦後篇』(朝日新聞社)</ref>。 |
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== 公開 == |
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[[1961年]]4月25日、本作は日本国内で劇場公開された<ref name="メモ"/>。同時上映作品は[[森繁久彌]]主演の『[[社長道中記]]』である。国内配給収入は3億5100万円で、同年度の邦画配給収入で4位にランクした{{Sfn|85回史|2012|pp=180,188}}。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、同年9月にセネカ・インターナショナルの配給により、英語字幕版と吹き替え版の両方で公開された{{Sfn|ガルブレイス4世|2015|pp=369-372}}。 |
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*桑畑三十郎:[[三船敏郎]] |
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*新田の卯之助:[[仲代達矢]] |
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*清兵衛の女房 おりん:[[山田五十鈴]] |
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*小平の女房 ぬい:[[司葉子]] |
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*百姓 小平:[[土屋嘉男]] |
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*居酒屋の権爺:[[東野英治郎]] |
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*造酒屋 徳右衛門:[[志村喬]] |
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*新田の亥之吉:[[加東大介]] |
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*名主 絹問屋 多左衛門:[[藤原釜足]] |
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*馬目の清兵衛:[[河津清三郎]] |
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*清兵衛の倅 与一郎:[[太刀川寛]] |
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*百姓の小倅:[[夏木陽介]] |
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*番太の半助:[[沢村いき雄]] |
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*棺桶屋:[[渡辺篤 (俳優)|渡辺篤]] |
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*用心棒 本間先生:[[藤田進]] |
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*新田の丑寅:[[山茶花究]] |
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*無宿者の熊:[[西村晃]] |
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*無宿者の瘤八:[[加藤武]] |
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*斬られる凶状持A:[[中谷一郎]] |
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*八州廻りの足軽A:[[堺左千夫]] |
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*丑寅の子分亀:[[谷晃]] |
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*丑寅の用心棒 かんぬき:[[羅生門綱五郎]] |
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*清兵衛の子分 孫太郎:[[清水元]] |
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*賽の目の六:[[ジェリー藤尾]] |
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*清兵衛の子分 孫吉:[[佐田豊]] |
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*馬の雲助:[[大友伸]] |
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*丑寅の子分:[[広瀬正一]] |
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*清兵衛の子分 弥八:[[天本英世]] |
|||
*清兵衛の子分 助十:[[大木正司]] |
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*斬られる凶状持B:[[大橋史典]] |
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*百姓の親爺:[[寄山弘]] |
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*八州廻りの小者:[[大村千吉]] |
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*百姓の古女房:[[本間文子]] |
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*丑寅の子分:西条竜介 |
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*清兵衛の子分:[[草川直也]] |
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*清兵衛の子分:[[桐野洋雄]] |
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*清兵衛の子分:[[津田光男]] |
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*丑寅の子分:[[高木新平]] |
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*清兵衛の子分:[[大友純]] |
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*丑寅の子分:[[草間璋夫]] |
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*丑寅の子分:[[小川安三]] |
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*清兵衛の子分:[[向井淳一郎]] |
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*清兵衛の子分:[[熊谷卓三|熊谷二良]] |
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*八州廻りの足軽B:[[千葉一郎]] |
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*丑寅の子分:[[坂本晴哉]] |
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*清兵衛の子分:[[緒方燐作]] |
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== |
== 評価 == |
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本作は第35回[[キネマ旬報ベスト・テン]]で2位に選ばれる高評価を受けた{{Sfn|85回史|2012|pp=180,188}}。海外でも高く評価されており、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の映画批評家[[ロジャー・イーバート]]は本作に最高評価の星4つを与え、自身が選ぶ最高の映画のリストに加えている<ref>{{Cite web|url=https://www.rogerebert.com/reviews/great-movie-yojimbo-1961 |title=Reviews: A fistful of samurai |website=RogerEbert.com|language=英語|accessdate=2020/9/4}}</ref>。[[フランシス・フォード・コッポラ]]は、[[2012年]]に[[英国映画協会|BFI]]の映画雑誌[[:en:Sight & Sound|サイト・アンド・サウンド]]が発表した「{{仮リンク|史上最高の映画ベストテン|en|Sight & Sound#The Sight & Sound Poll of the Greatest Films of All Time}}」の監督投票で、本作をベスト映画の1本に投票した<ref>{{Cite web |url= https://www.bfi.org.uk/films-tv-people/4ce2b6bb57fdc/sightandsoundpoll2012 |title=Votes for Yojimbo (1961) | website=BFI |language=英語 |accessdate=2020年9月4日}}</ref>。映画批評集積サイトの[[Rotten Tomatoes]]には40件のレビューがあり、批評家支持率は95%で、平均点は8.84/10、観客支持率は96%となっている<ref>{{Cite web |url=https://www.rottentomatoes.com/m/yojimbo |title=YOJIMBO | website=[[Rotten Tomatoes]] |language=英語 |accessdate=2020年9月4日}}</ref>。 |
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<div style="float:left; width:50%"> |
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* 製作: [[田中友幸]]、[[菊島隆三]] |
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* 監督: [[黒澤明]] |
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* 脚本: 菊島隆三、黒澤明 |
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* 撮影: [[宮川一夫]]([[大映]]) |
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* 美術: [[村木与四郎]] |
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* 録音: 三上長七郎、[[下永尚]] |
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* 照明: [[石井長四郎]] |
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</div><div style="float:left; width:50%"> |
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* 音楽: [[佐藤勝]] |
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* 監督助手: [[森谷司郎]] |
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* 剣技指導: 杉野嘉男 |
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* 現像: [[光映新社|キヌタ・ラボラトリー]] |
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* 製作担当者: 根津博 |
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* 剣技: [[久世竜]] |
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* 振付: 金須宏 |
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</div>{{clear}} |
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[[2008年]]に[[イギリス]]の映画雑誌[[エンパイア (雑誌)|エンパイア]]が発表した「歴代最高の映画500本」で95位にランクした<ref>{{Cite web |url=https://www.empireonline.com/movies/features/500-greatest-movies/ |title=The 500 Greatest Movies Of All Time | website=Empire |language=英語 |accessdate=2020年8月4日}}</ref>。[[2005年]]に[[タイム (雑誌)|タイム]]誌が発表した「史上最高の映画100本」にも選出されている<ref>{{Cite web|url=https://www.filmsite.org/timemagazinegreats5.html|title=All-Time 100 Best Movies by Time Magazine|website=Filmsite.org|language=英語|accessdate=2020/8/4}}</ref>。日本では、[[1989年]]に[[文藝春秋]]が発表した「大アンケートによる日本映画ベスト150」で17位、[[1999年]]に[[キネマ旬報]]が発表した「オールタイム・ベスト100 日本映画編」で19位{{Sfn|85回史|2012|p=588}}、[[2009年]]に同誌が発表した「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」で23位<ref>{{Cite web |url=http://www.kinejun.jp/special/90alltimebest/index.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091215171829/http://www.kinejun.jp/special/90alltimebest/index.html |archivedate=2009-12-15 |title=「オールタイム・ベスト 映画遺産200」全ランキング公開 |website=[[キネマ旬報映画データベース]] |accessdate=2020年9月4日}}</ref>にランクした。 |
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== 映画賞 == |
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*[[ヴェネツィア国際映画祭]]([[1961年]]) 男優賞 三船敏郎 |
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*[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]](1961年) 主演男優賞 三船敏郎 |
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*ブルーリボン賞(1961年) 音楽賞 佐藤勝 |
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*ブルーリボン賞(1961年) 特別賞 三船敏郎(国際的な活躍による) |
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=== 受賞とノミネートの一覧 === |
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== ランキング == |
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{| class="wikitable" style="font-size: 95%" |
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*平成元年(1989年)「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)第17位 |
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|- style="background:#b0c4de; text-align:center;" |
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! 賞 !! 部門 !! 対象 !! 結果 !! 出典 |
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|rowspan="2"|[[ヴェネツィア国際映画祭]]||[[金獅子賞]]||[[黒澤明]]||{{nom}}||rowspan="2"|<ref>{{Cite web |url=https://www.imdb.com/title/tt0055630/awards?ref_=tt_awd |title=Awards - Yojimbo |website=IMDb |language=英語 |accessdate=2020年9月4日}}</ref> |
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|- |
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|[[ヴェネツィア国際映画祭 男優賞|男優賞]]||[[三船敏郎]]||{{won}} |
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|- |
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|[[第34回アカデミー賞|アカデミー賞]]||[[アカデミー衣裳デザイン賞|衣裳デザイン賞]]||[[村木与四郎]]||{{nom}}||<ref>{{Cite web |url=https://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1962 |title=THE 34TH ACADEMY AWARDS | 1962 |website=Oscars.org |language=英語 |accessdate=2020年9月4日}}</ref> |
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|- |
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|rowspan="2"|[[キネマ旬報ベスト・テン]]||日本映画ベスト・テン||||{{draw|2位}}||rowspan="2"|{{Sfn|85回史|2012|pp=180,188}} |
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|- |
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|男優賞||三船敏郎||{{won}} |
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|- |
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|[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]||主演男優賞||三船敏郎||{{won}}||<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20130121074807/http://cinemahochi.yomiuri.co.jp/b_award/1961/ |archiveurl=http://cinemahochi.yomiuri.co.jp/b_award/1961/ |archivedate=2013/1/21 |title=ブルーリボン賞ヒストリー 第12回(1962年1月25日)|website=シネマ報知 |accessdate=2020年9月4日}}</ref> |
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|- |
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|都民映画コンクール||銀賞||||{{won}}||{{Sfn|研究会|1999|p=394}} |
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|- |
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|日本映画記者会賞||男優賞||三船敏郎||{{won}}||{{Sfn|研究会|1999|p=394}} |
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|} |
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== 影響とリメイク == |
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== その他の監督による「用心棒」 == |
|||
[[1964年]]公開の[[セルジオ・レオーネ]]監督の[[マカロニ・ウエスタン]]『[[荒野の用心棒]]』は、本作を非公式に[[リメイク]]した作品である。[[1963年]]に本作を鑑賞したレオーネがこれを[[西部劇]]に作り変えようとして制作した{{Sfn|ガルブレイス4世|2015|pp=369-372}}。しかし、ストーリーが酷似していることから、東宝は黒澤や菊島とともに[[著作権侵害]]で告訴した<ref name="大系2解説2">「解説・世界のクロサワと挫折―『荒野の用心棒』」({{Harvnb|大系2|2009|pp=705-706}})</ref><ref name="盗作">「『用心棒』の盗作事件」(『映画年鑑 1967年版』)。{{Harvnb|大系2|2009|pp=378-380}}に所収</ref>。黒澤もレオーネに権利料の支払いを求める手紙を送ったが、レオーネは黒澤から手紙をもらったことに感激し、周りの人たちに見せびらかしていた{{Sfn|ガルブレイス4世|2015|pp=369-372}}。最終的にイタリア側が盗作を認めたため日本側が和解に応じ、交渉には[[川喜多長政]]がかかわった<ref name="大系2解説2"/>。[[1965年]]11月に著作権保有者の黒澤と菊島は、『荒野の用心棒』の日本・[[台湾]]・[[大韓民国|韓国]]の配給権と、世界配給収入の15%を受け取ることでイタリア側と合意した<ref name="盗作"/>。これを受けて東宝は、黒澤と菊島が日本配給権を獲得した『荒野の用心棒』を傍系の[[東宝東和|東和]]を通じて配給し、同年11月25日に公開した<ref name="盗作"/>。 |
|||
; 『[[座頭市と用心棒]]』([[1970年]] [[岡本喜八]]監督) |
|||
: [[勝新太郎]]主演の[[大映]]映画。三船敏郎が同じような衣装で用心棒として登場する。これは当時の人気キャラクター[[座頭市]]と用心棒を対決させる企画であるが、三船敏郎の役名は本作と違う佐々大作<ref name="名前">本作での三船敏郎の役名「桑畑三十郎」や、続編での「椿三十郎」は偽名であることが作中で暗示されている。</ref>になっており、役作りもかなり違う。なお『椿三十郎』では撮影が小泉福造、斉藤孝雄に変わったのに対し、『座頭市と用心棒』の撮影は、本作と同じ[[宮川一夫]]である。 |
|||
; 『待ち伏せ』(1970年 [[稲垣浩]]監督) |
|||
: [[三船プロ]]製作・東宝配給による、三船敏郎、勝新太郎、[[石原裕次郎]]、[[萬屋錦之介|中村錦之助]]、[[浅丘ルリ子]]の5大スター共演映画。三船は本名不明<ref name="名前"/>の用心棒(劇中では「名前は諸国を放浪している間に忘れた」と語っている)を演じている。その他に久世竜、佐藤勝、『椿三十郎』で脚本を担当した[[小国英雄]]が参加しており、佐藤はこの作品のテーマ音楽として用心棒の劇伴を彷彿とさせる音楽を作曲している。 |
|||
; 『[[レッド・サン]]』([[1971年]] [[テレンス・ヤング]]監督) |
|||
: フランス映画。日本使節団の一員として三船が出演している。大統領に贈る宝刀を列車強盗に盗まれ後を追うという設定だが、随所に黒澤作品の用心棒を彷彿とさせるカットが盛り込まれている。 |
|||
[[1966年]]公開の[[セルジオ・コルブッチ]]監督のマカロニ・ウエスタン『[[続・荒野の用心棒]]』も本作を下敷きにしているが、レオーネに『荒野の用心棒』として翻案するアイデアを提案したのはコルブッチだった<ref>{{Cite web |url=https://www.thecinema.jp/article/886 |date=2020/2/3|author=なかざわひでゆき |title=これが不滅のマカロニ・ヒーロー、ジャンゴの原点だ!『続・荒野の用心棒』 |website=ザ・シネマ |accessdate=2020年9月4日}}</ref>。また、[[1996年]]には[[ウォルター・ヒル]]監督の『[[ラストマン・スタンディング]]』でリメイクされた。この作品は[[1998年]]11月15日に『[[日曜洋画劇場]]』でテレビ放送され、黒澤と親交の深かった[[淀川長治]]の最後の解説作品となった。 |
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== リメイク == |
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*後に、イタリアで『[[荒野の用心棒]]』([[1964年]]/[[セルジオ・レオーネ]]監督)としてリメイクされた。許諾の無い翻案であり、東宝がレオーネらを告訴、勝訴している。しかし、[[クリント・イーストウッド]]の知名度を大きく引き上げた。 |
|||
*また、アメリカで『[[ラストマン・スタンディング]]』([[1996年]]/[[ウォルター・ヒル]]監督)に翻案リメイクされた。ハメットの『血の収穫』同様、主人公の独白が全編にある。[[ブルース・ウィリス]]演じる主人公の名前は、三十郎同様偽名なのか[[ジョン・スミス]]。卯之助に相当する敵役は、[[クリストファー・ウォーケン]]が演じた。黒澤が亡くなった2ヶ月後、[[1998年]][[11月15日]][[テレビ朝日]]『[[日曜洋画劇場]]』で地上波初放送された回は、黒澤と親交の深かった[[淀川長治]]最後の解説となった。 |
|||
*リメイクではないが、アメリカ映画『[[ボディガード (1992年の映画)|ボディガード]]』で、主人公達が映画館で見るのが『用心棒』であり、1シーンがそのまま使われている。また、『ボディガード』の題名自体がアメリカ公開時の『用心棒』の英語タイトルであり、他にもこの作品内で『用心棒』を含む黒澤映画へのオマージュが多々見られる。 |
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リメイクではないが、[[1992年]]公開の[[ケヴィン・コスナー]]主演作『[[ボディガード (1992年の映画)|ボディガード]]』で、主人公たちが映画館で見る作品として本作が登場し、1シーンがそのまま使われている。作品のタイトル自体が本作のアメリカ公開時の英題であり、他にも劇中で本作を含む黒澤作品へのオマージュが見られる。 |
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== 文献 == |
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*『用心棒 スチール写真』 黒澤プロダクション編 ([[小学館文庫]]、[[1999年]])-300余りのカットを厳選し、舞台裏も紹介。 |
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三船は他監督の作品でも三十郎と同様の役柄を演じている。[[1970年]]公開の[[岡本喜八]]監督作『[[座頭市と用心棒]]』では、三船が同じような衣装で用心棒として登場するが、役名は佐々大作となっており、役作りも異なる。同年公開の[[稲垣浩]]監督作『[[待ち伏せ (映画)|待ち伏せ]]』では本名不明の用心棒{{Refnest|group="注釈"|劇中では「名前は諸国を放浪している間に忘れた」と語っている。}}を演じている。[[1971年]]公開の[[テレンス・ヤング]]監督作『[[レッド・サン]]』では日本使節団の一員の侍役を演じたが、随所に三十郎を彷彿とさせるシーンが見られる。 |
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* [[都築政昭]] 『黒澤明と「用心棒」 ドキュメント・風と椿と三十郎』 [[朝日ソノラマ]]、[[2005年]] |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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<references/> |
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{{Reflist|group="注釈"}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|2}} |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book |和書 |author=スチュアート・ガルブレイス4世|title=黒澤明と三船敏郎|publisher=亜紀書房|date=2015-10|isbn=9784750514581 |ref={{SfnRef|ガルブレイス4世|2015}} }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author=黒澤明 |date=1988-3 |title=全集黒澤明 第5巻 |publisher=[[岩波書店]] |isbn=978-4000913256 |ref={{SfnRef|全集5|1988}} }} |
|||
* {{Citation |和書 |editor=黒澤明研究会 |date=1999-12 |title=黒澤明 夢のあしあと |series=MOOK21シリーズ |publisher=[[共同通信社]] |isbn=9784764130418 |ref={{SfnRef|研究会|1999}}}} |
|||
* {{Citation |和書 |editor=丹野達弥 |date=1998-10 |title=村木与四郎の映画美術「聞き書き」黒澤映画のデザイン |publisher=フィルムアート社 |isbn=4845998858 |ref={{SfnRef|丹野|1998}} }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author=[[都築政昭]]|title=黒澤明 全作品と全生涯 |publisher=[[東京書籍]]|date=2010-03|isbn=9784487804344 |ref={{SfnRef|都築|2010}} }} |
|||
* {{Citation |和書 |editor=[[浜野保樹]]|title=大系黒澤明 第2巻|publisher=[[講談社]]|date=2009-12 |isbn=9784062155762 |ref={{SfnRef|大系2|2009}} }} |
|||
* {{Citation |和書 |editor=|date=2010-4 |title=キネマ旬報セレクション 黒澤明 |publisher=[[キネマ旬報社]] |isbn=9784873763293 |ref={{SfnRef|キネマ旬報|2010}} }} |
|||
* {{Cite book |和書|editor=|date=2012-05|title=キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011|series=キネマ旬報ムック|publisher=[[キネマ旬報社]]|isbn=978-4873767550|ref={{Harvid|85回史|2012}}}} |
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=== 関連文献 === |
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* 黒澤プロダクション編『用心棒 スチール写真』[[小学館]]〈[[小学館文庫]]〉、1999年5月。ISBN 9784094167313。 |
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* 都築政昭『黒澤明と「用心棒」 ドキュメント・風と椿と三十郎』[[朝日ソノラマ]]、2005年11月。ISBN 9784257037217 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{ |
{{wikiquotelang|en|Yojimbo}} |
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* {{jmdb title|1961|ck002050}} |
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{{Portal 映画}} |
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* ''[http://www.jmdb.ne.jp/1961/ck002050.htm 用心棒]'' ([[日本映画データベース]]) |
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* {{imdb title|0055630}} |
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* {{Amg movie|55840}} |
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* {{mojo title|id=yojimbo}} |
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* {{Rotten-tomatoes|id=yojimbo}} |
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* {{Allcinema title|87948|用心棒}} |
* {{Allcinema title|87948|用心棒}} |
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* {{Kinejun title|20222|用心棒}} |
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* {{Amg movie|55840| |
* {{Amg movie|55840|Yojimbo}} |
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* {{IMDb title|0055630| |
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{{黒澤明監督作品}} |
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[[Category:日本の剣戟映画]] |
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[[Category:東宝製作の映画作品]] |
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[[Category:1961年の映画]] |
[[Category:1961年の映画]] |
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[[Category:日本の剣戟映画]] |
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[[Category:時代劇映画]] |
[[Category:時代劇映画]] |
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[[Category:ボディーガードを題材とした映画作品]] |
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[[Category:黒澤明の監督映画]] |
[[Category:黒澤明の監督映画]] |
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[[Category:佐藤勝の作曲映画]] |
[[Category:佐藤勝の作曲映画]] |
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[[Category:日本の白黒映画]] |
[[Category:日本の白黒映画]] |
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[[Category:東宝製作の映画作品]] |
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[[Category:三船敏郎]] |
[[Category:三船敏郎]] |
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[[Category:ボディーガードを題材とした作品]] |
2021年2月1日 (月) 03:35時点における版
用心棒 | |
---|---|
Yojimbo | |
監督 | 黒澤明 |
脚本 |
黒澤明 菊島隆三 |
製作 |
田中友幸 菊島隆三 |
出演者 |
三船敏郎 仲代達矢 山田五十鈴 司葉子 土屋嘉男 東野英治郎 志村喬 加東大介 |
音楽 | 佐藤勝 |
撮影 | 宮川一夫 |
製作会社 |
東宝 黒澤プロダクション |
配給 | 東宝 |
公開 |
1961年4月25日 1961年8月20日 (VIFF) 1961年9月 |
上映時間 | 110分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作費 | 9087万円 (直接費)[1] |
配給収入 | 3億5100万円[2] |
次作 | 椿三十郎 |
『用心棒』(ようじんぼう)は、1961年に公開された日本の時代劇映画である。監督は黒澤明、主演は三船敏郎。モノクロ、東宝スコープ、110分。桑畑三十郎を名乗る浪人が、宿場町で対立するヤクザ同士を衝突させて壊滅させるという物語で、理屈抜きの娯楽映画として興行的に大ヒットし[3]、1962年に続編の『椿三十郎』が作られた。三船は本作品でヴェネツィア国際映画祭の第22回男優賞を受賞。本作品は刀の斬殺音や残酷な描写を取り入れるなど、従来の時代劇映画の形式を覆して後の作品に大きな影響を与え、1964年にはセルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタン『荒野の用心棒』で非公式にリメイクされている。
あらすじ
からっ風が吹きすさぶ中、一人の風来坊の浪人が、桑畑に囲まれた宿場町・馬目宿へとやってくる。そこは賭場の元締めである馬目の清兵衛一家と、清兵衛の弟分で跡目相続に不満を持って独立した丑寅一家との抗争によって荒廃していた。二人はそれぞれ町の有力者である名主の多左衛門と造酒屋の徳右衛門を後ろ盾にして抗争は泥沼化し、町の産業である絹取引きも中断していた。ふらりと立ち寄った居酒屋の権爺からあらましを聞いた浪人は、酒代として馬目宿を平穏にしてやるという。
浪人は丑寅の子分を挑発して瞬時に三人を斬り倒す。これを見た清兵衛一家は浪人を用心棒として五十両で雇うが、祝いの酒席で清兵衛に名前を尋ねられた浪人は窓の外の桑畑を眺め、とっさに桑畑三十郎と名乗る。凄腕の浪人を手に入れた清兵衛は、一気に抗争の決着を付けるとして総力を挙げて攻め入ろうとするが、清兵衛と女房のおりんが事が済んだら三十郎を始末する算段をしていたことがばれ、三十郎は土壇場で報酬を突き返して足抜けしてしまう。三十郎の狙いは双方に抗争を仕掛けて共倒れさせることにあったが、そこに八州廻りが来るとの一報が届き、抗争は中止となってしまう。役人の逗留中は平穏を装い休戦することとなったが、清兵衛と丑寅は互いに大金を積んで三十郎を雇おうとする。
十日後、隣の宿場町で町役人が殺されたとの報が届き、八州廻りは去った。しかし再開するかと思われた抗争は沈静化してしまう。実は、丑寅の腹心の弟である切れ者の卯之助が帰参し、仲介役となって手打ちの算段を始めたのだった。またもや計画が狂う三十郎であったが、町役人殺しは八州廻りを早く町から追い払いたいと考えた丑寅が仕組んだことと知り、下手人を捕らえて清兵衛に売りつける。一転して有利となった清兵衛は手打ちを破談にするも、今度は卯之助がその下手人を始末した上で、清兵衛の息子である与一郎を捕まえ再び形勢が逆転する。しかし、清兵衛側も徳右衛門の情婦おぬいを人質にし、丑寅と清兵衛は与一郎とおぬいを人質交換する約定を取り交わす。結果、人質交換は無事に終わるものの、三十郎はおぬいが徳右衛門と丑寅の企みで、しがない農夫の夫・小平の借金のかたにされていることを知る。三十郎は丑寅の用心棒となって彼らを油断させ、おぬいが囚われた一軒家をひそかに急襲、見張りを皆殺しにして彼女を助け出し、小平に妻子を連れて町から去るように告げる。
おぬいを逃がしたのが清兵衛一家の仕業と考えた丑寅一家は、遂に一線を越えて多左衛門の絹倉庫に火を放ち、清兵衛一家も報復として徳右衛門の酒蔵を襲う。抗争は激化し、町の至るところに死体が転がる惨状となる。一方、気の利かない小平はわざわざ町に戻って来て、三十郎への礼状を権爺に託していた。町をいたずらに混乱させるとして三十郎のやり方に腹を立てていた権爺も事情を知ることとなったが、今度は卯之助が真相に気づくきっかけを作ってしまう。結局礼状が証拠となり、三十郎は丑寅一家に監禁され、おぬいの居場所を吐かせるための激しい拷問を受ける。見張りの隙を付いて逃げ出すことに成功した三十郎は、命からがら権爺の店に逃げ込み匿われる。権爺の嘘で三十郎が清兵衛に匿われていると思った丑寅一家は、ついに清兵衛の家に火を放ち、燻り出された清兵衛一家を皆殺しにする。
気息奄々だった三十郎は権爺に助けられて町外れのお堂で静養していたが、権爺が握り飯と傷薬を運ぶ途中で丑寅一家に捕まったと棺桶屋から知らされる。三十郎は権爺が護身用にとくれた包丁と棺桶屋が用意した刀を持ち、権爺を助けるために再び町へ戻る。白昼の町辻で三十郎と丑寅一家が対峙する。短銃を構えた卯之助に対して三十郎は彼の腕に包丁を投げつけて銃を封じ、瞬く間に丑寅一家を斬り倒す。そして、すでに正気を失っていた多左衛門は徳右衛門を刺し殺してしまう。三十郎は権爺を縛っていた縄を斬り、「あばよ」と声をかけて平穏を取り戻した町を去ってゆく。
キャスト
- 桑畑三十郎:三船敏郎
- 新田の卯之助:仲代達矢
- 清兵衛の女房 おりん:山田五十鈴
- 小平の女房 ぬい:司葉子
- 百姓 小平:土屋嘉男
- 居酒屋の権爺:東野英治郎
- 造酒屋 徳右衛門:志村喬
- 新田の亥之吉:加東大介
- 名主 絹問屋 多左衛門:藤原釜足
- 馬目の清兵衛:河津清三郎
- 清兵衛の倅 与一郎:太刀川寛
- 百姓の小倅:夏木陽介
- 番太の半助:沢村いき雄
- 棺桶屋:渡辺篤
- 用心棒 本間先生:藤田進
- 新田の丑寅:山茶花究
- 無宿者の熊:西村晃
- 無宿者の瘤八:加藤武
- 斬られる凶状持:中谷一郎、大橋史典
- 八州廻りの足軽:堺左千夫、千葉一郎
- 丑寅の子分 亀:谷晃
- 丑寅の用心棒 かんぬき:羅生門綱五郎
- 清兵衛の子分 孫太郎:清水元
- 賽の目の六:ジェリー藤尾
- 清兵衛の子分 孫吉:佐田豊
- 馬の雲助:大友伸
- 清兵衛の子分 弥八:天本英世
- 清兵衛の子分 助十:大木正司
- 百姓の親爺:寄山弘
- 八州廻りの小者:大村千吉
- 百姓の古女房:本間文子
- 丑寅の子分:広瀬正一、高木新平、草間璋夫、小川安三、坂本晴哉
- 清兵衛の子分:草川直也、桐野洋雄、津田光男、大友純、向井淳一郎、熊谷二良、緒方燐作
スタッフ
- 製作:田中友幸、菊島隆三
- 監督:黒澤明
- 脚本:菊島隆三、黒澤明
- 撮影:宮川一夫(大映)
- 撮影助手:斎藤孝雄[4]
- 美術:村木与四郎
- 録音:三上長七郎
- 照明:石井長四郎
- 音楽:佐藤勝
- 監督助手:森谷司郎
- 剣技指導:杉野嘉男
- 現像:キヌタ・ラボラトリー
- 製作担当者:根津博
- 剣技:久世竜
- 振付:金須宏
製作
黒澤プロダクションは、1960年公開の『悪い奴ほどよく眠る』が興行的に失敗したため、次の作品では収益が見込めるヒット作を作らなければならなくなった[3]。そこで黒澤明は脚本家の菊島隆三にプロデュースを依頼し、二人で本作の脚本を共作した[3]。菊島はその前に、藤本真澄の勧めに応じて成瀬巳喜男監督作『女が階段を上る時』を担当しヒットさせており、黒澤から「こんどはオレのもやってくれよ」と頼まれた[5]。黒澤プロは東宝との提携で映画制作を行うことになっており、本作から『赤ひげ』までのプロデューサーは、黒澤プロ側は菊島、東宝側は田中友幸が務めた[3]。
本作の企画は、1956年5月21日にプロデューサーの本木荘二郎が企画する黒澤の「時代劇三部作」の1つとして新聞報道されており、本木は「『用心棒』ではアメリカの私立探偵ものによくあるハード・ボイルドな浪人者を時代の典型としてうち立てる」と語っている[6][7]。本木の発言のように、本作の設定はダシール・ハメットのハードボイルド小説『血の収穫』を参考にしており[8]、黒澤も「ほんとは断らなければいけないぐらい使ってるよね[9]」と語っている。
撮影は1961年1月14日から4月16日まで行われた[10]。タイトルバックは甲府市でロケーション撮影が行われ、馬目宿は東宝撮影所の「農場オープン」と呼ばれたオープンセットに作られた[10][11]。4月17日にダビング作業を開始し、封切り5日前の4月20日に検定試写をして完成した[10]。撮影は大映から招かれた宮川一夫が担当し、撮影助手に斎藤孝雄、セカンド撮影助手に木村大作が付いた[12][13]。
スタイル
黒澤が「映画の楽しさ、面白さを思い切り出したものにしたかった[14]」と語る本作は、理屈抜きの娯楽映画として作ることを初めから念頭に置いていた[8][15]。黒澤は理屈を考えだすと作品全体が崩れてしまうため、我を忘れたような気持ちで作ることで、活動大写真のような作品を狙ったという[8][15]。黒澤は徹底的に娯楽を追求したことについて、次のように語っている。
『用心棒』はむしろある意味では喜劇です。だいたいこんなばかな話はない。(中略)ともかくある意味でメチャクチャなんだ。ドラマだって、分析していったら穴だらけでしょう。それをただ一気に、おもしろがらせておしまいまで見せてしまう。その徹底的な楽しさだけを追求してゆく作品、それもまた映画なのだと思いました。 — 「黒澤明、自作を語る」[15]
そのため設定も時代考証を二の次にし、伝統的なチャンバラ映画における身分関係や忠義などの封建的要素も排除して、大胆に時代劇映画の形式から逸脱した[3][8][16]。三船敏郎演じる主人公の桑畑三十郎は、侍の規則ずくめの行動を無視し、心理的に深追いせずに行動中心のハードボイルド的な人物として描いている[8]。衣装デザインは黒澤自らが手がけ、仲代達矢演じる新田の卯之助にスコットランド製のマフラーを巻かせるなど、登場人物の造形を優先させている[注釈 1][3][17]。宿場町のオープンセットでは、ヤクザの喧嘩を派手に描くため、道幅を江戸時代のそれより広くとっている[8][18]。そのセットに大量の砂を撒き、セスナのプロペラ1基を含む東宝の扇風機を総動員して風を起こし、西部劇のように空っ風が吹き、砂埃が舞う光景を作った[18][19]。
本作ではそれまでの東映時代劇に象徴される歌舞伎的な立ち回りではなく、リアルな殺陣を追求した。黒澤は「いままでのチャンバラを見てると、斬られるのを待ってる、みたいにノンキでしょう。とにかくいっぺん本式の立ち回りやってみようじゃないか[15]」と述べている。殺陣師の久世竜は暴力的で荒々しい殺陣を取り入れた[20]。三十郎は一人につき二回斬っているが、これは黒澤が一度斬ったぐらいでは止めを刺せないと考えたためである[15][21]。また、刀の斬殺音は本作で初めて取り入れられた[3]。これは黒澤が「人を斬ればやっぱり音がするものだろうな」と効果担当の三縄一郎に相談を持ちかけたのがきっかけで生まれた[22]。三縄はいろいろな肉を切って試したが、牛や豚は肉が軟かくて骨らしい感じが出ず、最終的に鶏肉に割り箸を突き刺し、それを斬ったり叩いたりして音を作り出した[22][23]。
従来の時代劇にはない残酷な描写も取り入れている。オープニングで人間の手首を咥えた野良犬が登場するシーンや、序盤で三十郎が凶状持ちの腕を切り落とすシーンがそれである。前者のシーンは、黒澤が撮影現場に落ちていた手袋を、一瞬だけ人間の手首と見間違えたというエピソードがヒントになったという[18]。これらの手首や腕は、ヤクザの子分役で出演した大橋史典がゴムで作り、黒澤はあまりのリアルさに気持ち悪がったという[18][24]。血しぶきの描写も一度だけ使用しているが、夜間シーンで画面が暗く血糊の量も少ないため目立ってはいない。そのため黒澤作品で初めて血しぶきの演出を行ったのは続編の『椿三十郎』だと誤解されている。
撮影には望遠レンズを多用することで、殺陣の迫力やスピードを効果的に見せている[25][26]。黒澤は250~500ミリの望遠レンズで三船の立ち回りを撮影すると、表情がはっきり見えてアクションもより速く見えると語っている[15]。黒澤がそのシーンのフィルムを編集で見ると、何も映っていないコマがあり、びっくりして映写してみると、ちゃんと見えたという[15]。撮影は宮川がメインだが、複数のカメラを使用するマルチカム方式で撮影するため、斎藤がサブとしてもう1台のカメラを担当した[12]。斎藤は黒澤に「宮川が撮影した分だけで映画ができるから、お前は好きなようにやれ」と言われ、500ミリの望遠レンズを使って自由にかつ大胆に撮影し、完成作品にも斎藤の撮影分が多く使用された[12][27][28]。
公開
1961年4月25日、本作は日本国内で劇場公開された[10]。同時上映作品は森繁久彌主演の『社長道中記』である。国内配給収入は3億5100万円で、同年度の邦画配給収入で4位にランクした[2]。アメリカでは、同年9月にセネカ・インターナショナルの配給により、英語字幕版と吹き替え版の両方で公開された[29]。
評価
本作は第35回キネマ旬報ベスト・テンで2位に選ばれる高評価を受けた[2]。海外でも高く評価されており、アメリカの映画批評家ロジャー・イーバートは本作に最高評価の星4つを与え、自身が選ぶ最高の映画のリストに加えている[30]。フランシス・フォード・コッポラは、2012年にBFIの映画雑誌サイト・アンド・サウンドが発表した「史上最高の映画ベストテン」の監督投票で、本作をベスト映画の1本に投票した[31]。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには40件のレビューがあり、批評家支持率は95%で、平均点は8.84/10、観客支持率は96%となっている[32]。
2008年にイギリスの映画雑誌エンパイアが発表した「歴代最高の映画500本」で95位にランクした[33]。2005年にタイム誌が発表した「史上最高の映画100本」にも選出されている[34]。日本では、1989年に文藝春秋が発表した「大アンケートによる日本映画ベスト150」で17位、1999年にキネマ旬報が発表した「オールタイム・ベスト100 日本映画編」で19位[35]、2009年に同誌が発表した「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」で23位[36]にランクした。
受賞とノミネートの一覧
賞 | 部門 | 対象 | 結果 | 出典 |
---|---|---|---|---|
ヴェネツィア国際映画祭 | 金獅子賞 | 黒澤明 | ノミネート | [37] |
男優賞 | 三船敏郎 | 受賞 | ||
アカデミー賞 | 衣裳デザイン賞 | 村木与四郎 | ノミネート | [38] |
キネマ旬報ベスト・テン | 日本映画ベスト・テン | 2位 | [2] | |
男優賞 | 三船敏郎 | 受賞 | ||
ブルーリボン賞 | 主演男優賞 | 三船敏郎 | 受賞 | [39] |
都民映画コンクール | 銀賞 | 受賞 | [40] | |
日本映画記者会賞 | 男優賞 | 三船敏郎 | 受賞 | [40] |
影響とリメイク
1964年公開のセルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタン『荒野の用心棒』は、本作を非公式にリメイクした作品である。1963年に本作を鑑賞したレオーネがこれを西部劇に作り変えようとして制作した[29]。しかし、ストーリーが酷似していることから、東宝は黒澤や菊島とともに著作権侵害で告訴した[41][42]。黒澤もレオーネに権利料の支払いを求める手紙を送ったが、レオーネは黒澤から手紙をもらったことに感激し、周りの人たちに見せびらかしていた[29]。最終的にイタリア側が盗作を認めたため日本側が和解に応じ、交渉には川喜多長政がかかわった[41]。1965年11月に著作権保有者の黒澤と菊島は、『荒野の用心棒』の日本・台湾・韓国の配給権と、世界配給収入の15%を受け取ることでイタリア側と合意した[42]。これを受けて東宝は、黒澤と菊島が日本配給権を獲得した『荒野の用心棒』を傍系の東和を通じて配給し、同年11月25日に公開した[42]。
1966年公開のセルジオ・コルブッチ監督のマカロニ・ウエスタン『続・荒野の用心棒』も本作を下敷きにしているが、レオーネに『荒野の用心棒』として翻案するアイデアを提案したのはコルブッチだった[43]。また、1996年にはウォルター・ヒル監督の『ラストマン・スタンディング』でリメイクされた。この作品は1998年11月15日に『日曜洋画劇場』でテレビ放送され、黒澤と親交の深かった淀川長治の最後の解説作品となった。
リメイクではないが、1992年公開のケヴィン・コスナー主演作『ボディガード』で、主人公たちが映画館で見る作品として本作が登場し、1シーンがそのまま使われている。作品のタイトル自体が本作のアメリカ公開時の英題であり、他にも劇中で本作を含む黒澤作品へのオマージュが見られる。
三船は他監督の作品でも三十郎と同様の役柄を演じている。1970年公開の岡本喜八監督作『座頭市と用心棒』では、三船が同じような衣装で用心棒として登場するが、役名は佐々大作となっており、役作りも異なる。同年公開の稲垣浩監督作『待ち伏せ』では本名不明の用心棒[注釈 2]を演じている。1971年公開のテレンス・ヤング監督作『レッド・サン』では日本使節団の一員の侍役を演じたが、随所に三十郎を彷彿とさせるシーンが見られる。
脚注
注釈
出典
- ^ 『映画年鑑 1962年版』、時事通信社、1962年、211頁。
- ^ a b c d 85回史 2012, pp. 180, 188.
- ^ a b c d e f g 浜野保樹「解説・世界のクロサワと挫折―『用心棒』」(大系2 2009, pp. 697–699)
- ^ 「スタッフ一覧表」(全集5 1988, pp. 442–443)
- ^ 菊島隆三「すぐれた作品のかげにはストイックなまでの自虐」(『黒澤明ドキュメント』キネマ旬報社、1974年)。キネマ旬報 2010, pp. 108–116に所収
- ^ “時代劇に打込む黒澤監督”. 読売新聞夕刊. (1956年5月21日)
- ^ 鈴木義昭『「世界のクロサワ」をプロデュースした男 本木荘二郎』山川出版社、2016年8月、203頁。ISBN 9784634150942。
- ^ a b c d e f 都築 2010, p. 307.
- ^ 『黒澤明語る』ベネッセコーポレーション〈福武文庫〉、1995年8月、39頁。ISBN 9784828857350。
- ^ a b c d 「製作メモランダ」(全集5 1988, p. 435)
- ^ 丹野 1998, p. 59.
- ^ a b c 佐藤忠男「作品解題―『用心棒』」(全集5 1988, pp. 365–367)
- ^ 「製作余話」(全集5 1988, p. 405)
- ^ 黒澤明「わが映画人生の記」『キネマ旬報4月号増刊 黒澤明 その作品とその顔』、キネマ旬報社、1963年、62頁。
- ^ a b c d e f g 「黒澤明、自作を語る―用心棒」(『世界の映画作家3 黒澤明』キネマ旬報社、1970年)。キネマ旬報 2010, pp. 54–56に所収
- ^ 佐藤忠男『日本映画の巨匠たちⅡ』学陽書房、1996年11月、265頁。ISBN 9784764130418。
- ^ 『サライ』(小学館)1999年2月4日号 20頁。
- ^ a b c d 野上照代『もう一度 天気待ち 監督・黒澤明とともに』草思社、2014年1月、119-122頁。ISBN 9784794220264。
- ^ 丹野 1998, p. 136.
- ^ ガルブレイス4世 2015, p. 363.
- ^ 都築 2010, p. 311.
- ^ a b 研究会 1999, p. 222.
- ^ 丹野 1998, p. 139.
- ^ 丹野 1998, p. 128.
- ^ 研究会 1999, p. 360.
- ^ 都築 2010, p. 259.
- ^ ガルブレイス4世 2015, p. 366.
- ^ 「黒澤明・創ると云う事は素晴らしい~超弩級時代劇誕生」(本作DVDの特典映像)
- ^ a b c ガルブレイス4世 2015, pp. 369–372.
- ^ “Reviews: A fistful of samurai” (英語). RogerEbert.com. 2020年9月4日閲覧。
- ^ “Votes for Yojimbo (1961)” (英語). BFI. 2020年9月4日閲覧。
- ^ “YOJIMBO” (英語). Rotten Tomatoes. 2020年9月4日閲覧。
- ^ “The 500 Greatest Movies Of All Time” (英語). Empire. 2020年8月4日閲覧。
- ^ “All-Time 100 Best Movies by Time Magazine” (英語). Filmsite.org. 2020年8月4日閲覧。
- ^ 85回史 2012, p. 588.
- ^ “「オールタイム・ベスト 映画遺産200」全ランキング公開”. キネマ旬報映画データベース. 2009年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月4日閲覧。
- ^ “Awards - Yojimbo” (英語). IMDb. 2020年9月4日閲覧。
- ^ “THE 34TH ACADEMY AWARDS” (英語). Oscars.org. 2020年9月4日閲覧。
- ^ “ブルーリボン賞ヒストリー 第12回(1962年1月25日)”. シネマ報知. 2013年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月4日閲覧。
- ^ a b 研究会 1999, p. 394.
- ^ a b 「解説・世界のクロサワと挫折―『荒野の用心棒』」(大系2 2009, pp. 705–706)
- ^ a b c 「『用心棒』の盗作事件」(『映画年鑑 1967年版』)。大系2 2009, pp. 378–380に所収
- ^ なかざわひでゆき (2020年2月3日). “これが不滅のマカロニ・ヒーロー、ジャンゴの原点だ!『続・荒野の用心棒』”. ザ・シネマ. 2020年9月4日閲覧。
参考文献
- スチュアート・ガルブレイス4世『黒澤明と三船敏郎』亜紀書房、2015年10月。ISBN 9784750514581。
- 黒澤明『全集黒澤明 第5巻』岩波書店、1988年3月。ISBN 978-4000913256。
- 黒澤明研究会 編『黒澤明 夢のあしあと』共同通信社〈MOOK21シリーズ〉、1999年12月。ISBN 9784764130418。
- 丹野達弥 編『村木与四郎の映画美術「聞き書き」黒澤映画のデザイン』フィルムアート社、1998年10月。ISBN 4845998858。
- 都築政昭『黒澤明 全作品と全生涯』東京書籍、2010年3月。ISBN 9784487804344。
- 浜野保樹 編『大系黒澤明 第2巻』講談社、2009年12月。ISBN 9784062155762。
- 『キネマ旬報セレクション 黒澤明』キネマ旬報社、2010年4月。ISBN 9784873763293。
- 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月。ISBN 978-4873767550。
関連文献
- 黒澤プロダクション編『用心棒 スチール写真』小学館〈小学館文庫〉、1999年5月。ISBN 9784094167313。
- 都築政昭『黒澤明と「用心棒」 ドキュメント・風と椿と三十郎』朝日ソノラマ、2005年11月。ISBN 9784257037217
外部リンク
- 用心棒 - 日本映画データベース
- 用心棒 - allcinema
- 用心棒 - KINENOTE
- Yojimbo - オールムービー
- Yôjinbô - IMDb
- Yojimbo - Box Office Mojo
- Yojimbo - Rotten Tomatoes