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* [[星雲仮面マシンマン]](1984年){{efn|「木原光」、「泉崎敬太」名義での執筆回もあり。}}
* '''[[仮面ライダーBLACK]]'''(1987年)初期メインライター
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====== 映画 ======
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2020年4月29日 (水) 23:54時点における版

上原 正三
プロフィール
別名 木原光、泉崎敬太
誕生日 (1937-02-06) 1937年2月6日
出身地 日本の旗 日本沖縄県
死没日 (2020-01-02) 2020年1月2日(82歳没)
主な作品
アニメゲッターロボ
宇宙海賊キャプテンハーロック
特撮ウルトラシリーズ
スーパー戦隊シリーズ
メタルヒーローシリーズ
受賞
第33回坪田譲治文学賞
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上原 正三(うえはら しょうぞう、1937年2月6日[1] - 2020年1月2日[2])は、日本脚本家沖縄県那覇市出身[3]

略歴

警察官である父を持つ5人兄弟の第3子[3]太平洋戦争の激化により、1944年9月に一時台湾へ避難する。1か月後に那覇へ戻る予定だったが、那覇が空襲で壊滅したうえ、乗っていた那覇行きの船は約2週間の漂流を経て鹿児島へたどり着き、そこから熊本県に移って疎開生活を送る。終戦後の1946年に沖縄へ帰郷し、小学生時代は石川市(現・うるま市)、玉城村(現・南城市)で過ごす[3]

琉球政府立那覇高等学校での高校生時代は映画に夢中で、『シェーン』などの作品に感動し、これが本格的な映画との出会いになった[3]

中央大学文学部での大学生時代からアマチュアで脚本を執筆し、この時は自らの戦争体験を伝えるべく沖縄戦米軍基地をテーマにした脚本を書いていた[3]。大学卒業後には肺結核に罹患した一方、療養のために25歳で一時帰郷していた際に母の友人から「同じ映画好き」として誘われ、同郷の金城哲夫と出会う[3]。先に円谷プロダクションに入社した金城の誘いで上京して円谷英二円谷一と出会い、一に「脚本家になりたいなら、まず賞を取れ」と言われ、沖縄戦をテーマにした脚本『収骨』を執筆し、同作を芸術祭一般公募に出品して佳作に入選する[3]。授賞式への出席のために再上京し、金城を手伝うために円谷プロへ入社する。

1964年、沖縄のローカル番組『郷土劇場』のドラマ「しみるするぬーが」で脚本家としてデビューした後、『ウルトラQ』の第21話「宇宙指令M774」で全国区のテレビライターとしてのデビューを果たす[4][3]

ウルトラセブン』では、メインライターの金城が途中から『マイティジャック』に注力していたため、若手の上原と市川森一に多くの脚本が割り当てられた。上原はその任務を果たし、『怪奇大作戦』でさらに健筆をふるい次第にその才能を開花させていく。

1969年、金城が円谷プロを退社して沖縄へ帰郷するのと同時に上原も退社し、フリーの脚本家となる[5]

1971年の『帰ってきたウルトラマン』ではメインライターを務め[5]、第2期ウルトラシリーズの基礎を築いた。次作『ウルトラマンA』にも引き続き参加したが、さらにその次作『ウルトラマンタロウ』の初期で一旦シリーズを離脱する。『ロボット刑事』からは東映の作品を中心に活動し、『がんばれ!!ロボコン』や『秘密戦隊ゴレンジャー』を大ヒットさせる。また、この時期からは実写作品のみならず、東映動画(東映アニメーション)制作のテレビアニメ作品も手がけるようになる。

それ以降は一貫して子供番組の企画を担当し、特撮やアニメ作品の脚本を手がけている。特にスーパー戦隊シリーズメタルヒーローシリーズの初期作品にはメインライターとして参加し、シリーズの基礎を築いた。1987年3月の『時空戦士スピルバン』の終了まで多数の東映作品の脚本を執筆し、1995年の『超力戦隊オーレンジャー』が最後の東映作品となっている。その後は『ウルトラマンティガ』や『ウルトラマンマックス』などのウルトラシリーズを散発的に執筆しており、過去に手がけた作品のオマージュであることが多い。

特撮作品では大学の先輩でもある東映プロデューサー・吉川進と組むことが多く、脚本家仲間では円谷作品時代からの盟友・市川森一に「東芝日曜劇場」の執筆をしばしば勧められていた[6]。子供番組よりも高い待遇を踏まえての忠告であることは理解できたがこれを断り、その後も子供番組の脚本を執筆し続けている。活躍の場を東映に移してからは、特撮・アニメを問わず高久進曽田博久らとローテーションを組むことが多く、後に高久・曽田ともゲーム製作会社フラグシップのスタッフとして、ともに名を連ねることとなる。

2009年7月下旬、1000本を越えるシナリオから50本を厳選したシナリオ集『上原正三シナリオ選集』(現代書館)を刊行する。

2017年6月、初めての小説『キジムナーkids』(現代書館)を刊行し、同作で2018年の第33回坪田譲治文学賞を受賞する[7][5]

2020年1月2日、肝臓癌のため死去[2]。82歳没。

エピソード

ケチャップが苦手。戦時中避難していた台湾から船が那覇へ戻れなくなり漂流していた船の中で食べ物がケチャップしか無く、そればかりなめていたという苦い経験からそうなったとのこと[3]

ウルトラシリーズ関係

  • 上原の描くウルトラシリーズには、盟友である金城と同様に沖縄出身者としてのアイデンティティーが色濃く反映されている。『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」では、被差別者であるマイノリティ(=メイツ星人)をテーマに据え、その生々しいドラマで多くの視聴者に衝撃を与えた[6]
    • 「怪獣使いと少年」はTBS側から放送を反対する意見が挙がり、プロデューサーの橋本洋二のとりなしにより放送にはこぎつけたものの、上原と監督の東條昭平は番組から離れることとなった[5]。この後参加した『シルバー仮面』は、橋本からの紹介であったという[5]
  • 『ウルトラセブン』の未発表脚本「300年の復讐」は上記のように虐げられた沖縄の人間の視点で描いた内容であり、薩摩藩琉球侵攻をヒントに作られたした作品であったため、後のインタビューで「ぜひとも実現したかった」と述壊している。上原は「薩摩侵攻で琉球が占拠されたその時の強引さが今も続く。この時に処刑された謝名親方が僕の先祖で、今でもいつも僕の心の中に謝名がいる」とも話している[3]
  • 実相寺昭雄監督と共同脚本を務めた『セブン』の未発表脚本「宇宙人15+怪獣35」について、後年のインタビューで、経営の行き詰まった円谷プロを盛り上げるために「派手な花火を打ち上げよう」という想いで実相寺と執筆したという[8]。またメインライターを務めた『巨獣特捜ジャスピオン』最終話はこのプロットを下敷きにしたと後に語っている。
  • 『ウルトラQ』第10話や『セブン』第11話にカメオ出演している。
  • 『快獣ブースカ』のブースカ語である「プリプリのキリンコ」は上原が作り出した造語である[9]

東映作品関連

  • 第一作目の『仮面ライダー』に企画段階では参加していたものの執筆はしていない[10][5]。企画に参加していた理由について上原は、東映プロデューサーの平山亨が『仮面ライダー』の企画に反対する東映上層部や毎日放送を説得するために『ウルトラマン』に参加していた自身と市川森一を呼び寄せたと証言している[5]。その後、第1話を執筆する予定であったが、『帰ってきたウルトラマン』参加のために離脱し、実現には至らなかった[5]。上原は、平山はTBSプロデューサーの橋本洋二ともつながりがあったため快く送り出してくれたと述べている[5]
  • イナズマンF』第12話「幻影都市デスパー・シティ」は、『ウルトラセブン』第43話「第四惑星の悪夢」とテーマを同じくしており、科学の発展・物質文明の行き着く先の恐怖を描いたとしている[1]。後年のインタビューで上原は、人間性を喪失した事件が多発していることから、日本は「第四惑星」「デスパー・シティ」になったと評している[1]
  • スーパー戦隊シリーズの脚本執筆本数は、参加作品は少ないものの、曽田博久荒川稔久小林靖子に次ぐ歴代4位の174本である[11]
  • 宇宙刑事シャイダー』を劇場版2作を含め全話執筆したのは、シャイダー / 沢村大役の円谷浩が円谷プロの家族であったことから「自身を育ててくれた円谷プロに恩返しをしたい」と思ったからだという[12]
  • グランプリの鷹』のイザベルの死について「まさに僕の夢ですね。男のために死ぬ女性というのは」と述べている[13]
  • 『仮面ライダーBLACK』降板以降、東映や吉川プロデューサーとの縁も途切れたかに見えたが、自宅に数年ぶりに吉川から電話が掛かってきて、「今度やるライダーの映画を書かないか?」と誘われ執筆したのが『仮面ライダーJ』である。上原は同作品を執筆するにあたり前年度作品の『仮面ライダーZO』(杉村升脚本)を強烈に意識したそうで、「特撮マニアが見たら『ZO』が面白いという意見が多いかもしれませんけど、子供が見たら『J』のほうが絶対に面白いと思ってくれる。自信はありますよ」と当時のインタビューにて語っていた[14]
  • 1990年代以降の東映特撮作品の中心的存在である荒川稔久が、作風において影響を受けた人物の一人である。あまりに影響を受けすぎて、荒川が『仮面ライダーBLACK』に参加したとき、彼がプロデューサーに提出するプロットは上原に似た作風のものばかりだった。しまいには東映の吉川進プロデューサーに「上原正三は二人も要らないんだよ」と一喝されそれらはことごとくボツになったという。荒川が若い頃の苦い思い出だが、おかげで独自の作風を編み出すことができたと後の上原との対談で荒川自身が語っている[15]
  • 高久進の死去に際して『Gメン'75』における高久の代表作・「沖縄三部作(第59 - 61話)」を初めて視聴。沖縄の負の部分を徹底して暴く骨太な作劇に上原は数回DVDを観直すほど衝撃を受けたようで、「高久さんは沖縄を自らの中に取り込んで書いている」と評価した[16]
  • スーパー戦隊シリーズなどを担当した東映プロデューサーの吉川進は大学の先輩にあたる[5]。吉川は上原について、反骨精神が強く、一見他愛もないような作品でも根底には深いものがあると評し、また素っ頓狂な内容でも自然に感じられると述べており、ライターとしての実力を評価している[17]
  • スーパー戦隊シリーズなどに共に参加していた脚本家の曽田博久は、上原の仕事の早さや多作ぶりに圧倒されたといい、また戦争を経験しているがゆえの生きる姿の力強さやバイタリティの違いを感じ、敵わないと思ったという[18]

その他

  • テレビドラマ『どんといこうぜ!』では、沖縄ロケ編の撮影時に自身の結婚式を挙げている[5]。その時点では東京での新居が決まっていなかったところ、帰りの飛行機で一緒になった監督の山際永三の紹介で、円谷プロダクションプロデューサーの熊谷健の下宿の離れに住むこととなった[5]
  • 鉄人タイガーセブン』では、敵であるムー原人の登場シーンを愉しんで書いていたといい、反面タイガーセブンのヒーローとしての強さを見せられなかったことを反省点としている[19]
  • 電人ザボーガー』では、自宅を購入したばかりであったため版権収入を当てにして主題歌の作詞も担当したが、中々支払われず、番組自体にいい印象を持っていないという[19]。途中降板した理由については、ある程度書くと離れたくなる性格であったところに、東映からの誘いがあったためだとしている[19]
  • ワイルド7』の『200km/h心中』はアーサー・ペン監督によるアメリカン・ニューシネマ俺たちに明日はない』を原点にした作品であり、文化批評家の切通理作の著書『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち 金城哲夫・佐々木守・上原正三・市川森一』で切通も指摘している[20]

主な作品

太字はメインライターとして参加した作品

脚本

特撮

円谷プロダクション製作作品
東映製作作品
映画
オリジナルビデオ作品 
  • 巨獣特捜ジャスピオン ビデオスペシャル(1986年)
  • 時空戦士スピルバン総集編(1987年)
日本現代企画製作作品
ピー・プロダクション製作作品
その他の作品

ドラマ

時代劇作品

アニメ

東映動画・東映本社製作
その他の作品
OVA

未使用脚本・シノプシス

  • 円谷プロダクション
    • ウルトラQ
      • 「クラゲモンの襲来」
      • 「SOS東京」
      • 「oil S・O・S」
      • 「化石の城」
    • ウルトラマン
      • 「怪獣用心棒」
      • 「宇宙侵略基地」
    • 快獣ブースカ
      • 「快獣兄弟」
    • ウルトラセブン
      • 「300年間の復讐」
      • 「宇宙人15+怪獣35」[注釈 2]
    • 恐怖劇場アンバランス
      • 「朱色の子守唄」
      • 「月下美人屋敷狂い」
      • 「おそろしき手鞠唄」
  • 東映、東映エージェンシー、石森プロ
    • イナズマンF
      • 「さらばガイゼル! イナズマン最期の日」

DVD

  • 『ウルトラセブン』VOL.9特典映像「ウルトラアベンディックス」(1999年、デジタルウルトラシリーズ
  • 怪奇大作戦』 VOL.5「脚本家の原点」(2004年、デジタルウルトラシリーズ)
  • 『上原正三シナリオ選集』特典DVD

著書

対談

  • 『キジムナーkids』刊行記念対談 (対談相手 切通理作) YouTube にて公開中。

漫画原作

  • 銀河の女王 スーパーレディー(作画・秋本シゲル)

絵物語

  • かいじゅうのけっとう がんばれゴーガ(挿絵・梶田達二

演じた俳優

脚注

注釈

  1. ^ 「木原光」、「泉崎敬太」名義での執筆回もあり。
  2. ^ 川崎高との共同執筆。

出典

  1. ^ a b c 変身ヒーロー大全集 1995, p. 191, 「INTERVIEW 上原正三」
  2. ^ a b “上原正三さん死去”. 朝日新聞社. (2020年1月9日). https://www.asahi.com/articles/DA3S14320393.html 2020年1月9日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i j ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー”. 沖縄タイムス (2016年3月27日). 2016年3月28日閲覧。
  4. ^ “上原正三さん死去 ウルトラセブンの脚本など手がける”. 産経新聞. (2020年1月9日). https://www.sankei.com/life/news/200109/lif2001090009-n1.html 2020年2月18日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 20th1975 2018, p. 31, 「スーパー戦隊制作の裏舞台 上原正三」
  6. ^ a b 切通理作『怪獣使いと少年』(1993年、宝島社文庫)[要ページ番号]
  7. ^ ウルトラマンの脚本家、上原正三さんに坪田譲治文学賞 沖縄の子のたくましさ描く「キジムナーkids」 - 沖縄タイムス+
  8. ^ 中山基編「監督が遺してくれた贈り物〔シナリオ編〕―――脚本家・上原正三」『フィギュア王 No.118』ワールドフォトプレス、2007年12月30日、ISBN 978-4-8465-2697-9、34頁。
  9. ^ 2005年8月25日発売『講談社オフィシャルファイルマガジン ウルトラマン Vol.1 ウルトラQ』(講談社)「山田正弘インタビュー」より[要ページ番号]
  10. ^ 宮島和弘 編「仮面の世界〜MASKER WORLD〜 第9回ゲスト〔上原正三〕」『東映ヒーローMAX』 2004 Vol.10、辰巳出版〈タツミムック〉、2004年9月10日、52頁。ISBN 4-7778-0061-X 
  11. ^ [1]
  12. ^ 『宇宙船』Vol.98(2001年、朝日ソノラマ)[要ページ番号]
  13. ^ 赤星政尚・たるかす・早川優・山本元樹・原口正宏「第5章 もっと知りたい、あのゲスト・キャラに隠された秘密  61|愛する女を跳ねてしまった『グランプリの鷹』の鷹也の心中は!?」『懐かしのTVアニメベストエピソード99〈東映動画編〉』二見書房、1995年10月25日、ISBN 4-576-95158-0、186頁。
  14. ^ 『宇宙船』Vol.68 1994年春号(朝日ソノラマ)p.47
  15. ^ 小川雅久(編)「特集 帰ってきたウルトラマン INTERVIEW 上原正三」『宇宙船』2002年11月号 2002 Vol.103 、朝日ソノラマ、2002年11月1日、88頁。 
  16. ^ 『刑事マガジン』Vol.8(2009年、辰巳出版)p.108
  17. ^ 20th1975 2018, p. 5, 「INTERVIEW ゴレンジャーの真実 吉川進
  18. ^ 「スーパー戦隊制作の裏舞台 曽田博久」『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 1988 超獣戦隊ライブマン講談社〈講談社シリーズMOOK〉、2018年4月10日、32頁。ISBN 978-4-06-509615-4 
  19. ^ a b c ザボーガー&ピープロ 2011.
  20. ^ 『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち 金城哲夫・佐々木守・上原正三・市川森一』洋泉社。2015年4月。193p-198p
  21. ^ ゲッターロボ”. 東映アニメーション. 2016年6月10日閲覧。
  22. ^ 大空魔竜ガイキング”. 東映アニメーション. 2016年6月1日閲覧。
  23. ^ 宇宙海賊キャプテンハーロック”. 東映アニメーション. 2016年5月23日閲覧。
  24. ^ 光の国から僕らのために―金城哲夫伝―

参考文献