「恵比島駅」の版間の差分
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|画像説明= 駅舎(2004年6月) |
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|よみがな= えびしま |
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|ローマ字= Ebishima |
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2020年2月15日 (土) 04:51時点における版
恵比島駅 | |
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駅舎(2004年6月) | |
えびしま Ebishima | |
◄真布 (2.9 km) (7.6 km) 峠下► | |
所在地 | 北海道雨竜郡沼田町字恵比島 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 留萌本線 |
キロ程 | 20.7 km(深川起点) |
電報略号 | エヒ←ヱヒ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1910年(明治43年)11月23日 |
恵比島駅 | |
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えびしま Ebishima | |
(2.5 km) 本通► | |
所属事業者 | 留萠鉄道 |
所属路線 | 留萠鉄道線 |
キロ程 | 0.0 km(恵比島起点) |
開業年月日 | 1930年(昭和5年)7月1日 |
廃止年月日 | 1971年(昭和46年)4月15日 |
備考 | 路線廃止による。 |
恵比島駅(えびしまえき)は、北海道(空知総合振興局)雨竜郡沼田町字恵比島にある北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線の駅である。電報略号はエヒ。
歴史
- 1910年(明治43年)11月23日:鉄道院留萠線深川駅 - 留萠駅間開通に伴い開業[1][2]。一般駅。
- 1913年(大正2年)頃:留萌炭鉱が当鉄道との間に貯炭場(峠下貯炭場)を設け、山元から貯炭場まで約8kmの蒸気機関車による軽便鉄道を敷設。また、当駅-峠下駅中間から同貯炭場まで専用線を引き込む[注釈 1]。
- 1920年(大正9年)頃:留萌炭鉱の軽便鉄道及び専用線が休止。その後1923年(大正12年)以降1930年(昭和5年)までに廃止[注釈 1]。
- 1930年(昭和5年)7月1日:留萠鉄道当駅 - 太刀別駅間開通[2]。それに伴い同鉄道の分岐駅となる。
- 1931年(昭和6年)10月10日:線路名を留萠本線に改称、それに伴い同線の駅となる[2]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1954年(昭和29年)11月25日:跨線橋設置[3]。
- 1965年(昭和40年)9月20日:駅舎改築[3]。
- 1969年(昭和44年)5月1日:留萠鉄道休止[2]。
- 1971年(昭和46年)4月15日:留萠鉄道廃止[2]。
- 1977年(昭和52年)5月25日:貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物取扱い廃止。同時に出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。
- 1986年(昭和61年)11月1日:閉塞合理化に伴い交換設備廃止。運転無人化[4]。
- 1980年代後半:駅舎改築、貨車駅舎となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴いJR北海道に継承。
- 1997年(平成9年)4月1日:線路名を留萌本線に改称、それに伴い同線の駅となる[2]。
駅名の由来
当駅の所在する地名から。地名は、アイヌ語の「エピㇱオマㇷ゚(e-pis-oma-p)」〔頭(水源)が・浜(の方)に・入っている・もの(川)〕に由来する[5][6]。
道内各地に同名に由来する地名があり、水源から向こうに越えると海辺に行ける川で、交通路になっていたらしい所が多いことから、ここでいう「ピㇱ(pis)」はおそらく留萌の方を指していたとされる[6]。また昔この附近の住民が増毛の浜に出稼ぎに行くために川を遡っていたとのことである[7]。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南西側(留萌方面に向かって左手側)に存在する[8]。転轍機を持たない棒線駅となっている[8]。かつては単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[9]。当時は互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム南側を結んだ跨線橋で連絡した[9]。駅舎側(西側)が下り線、島式ホーム駅舎側が上り線となっていた(番線表示なし)[9]。そのほか1983年(昭和58年)4月時点では上り線の深川方から分岐し島式ホーム外側(かつては留萠鉄道用のホームであった)の留萌方に至る行き止まりの側線を1線[9]、下り線の留萌方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、上下線各々に安全側線を有していた[9]。交換設備運用廃止後は1993年(平成5年)3月までに線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた[8]。
無人駅となっている。駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接している[8]。有人駅時代からの駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車[10]を改造した貨車駅舎となっている[8]。当駅でロケーションが行われたテレビドラマ『すずらん』撮影の際に、古い建物へのカムフラージュのために木製板が貼られ[10][7]、ドラマ撮影終了後もそのまま使用されている。内部も塗装が整備されている[7] トイレは、駅前の中村旅館の建物に男女別の水洗トイレがあり、外から直接利用できる。[7]。
また、この貨車駅舎の隣の旧駅舎の基礎の上に、テレビドラマのロケセットであった架空の「明日萌驛」(あしもいえき)が設置され[7]、当駅周辺が観光地化されていることから継続して設置されている[7]。
1999年(平成11年)には、スタンプラリー用の「明日萌駅(JR恵比島駅)」と記載され、明日萌驛駅舎のイラスト入りの駅スタンプが設置されていた[11]。これは当駅2つ目の駅スタンプであった[11]。
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駅全体
左にあるのが明日萌駅の駅舎である。
(2017年8月) -
ホーム(2017年8月)
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恵比島駅の駅名標
(2017年8月) -
明日萌駅の駅名標
(2017年8月)
留萠鉄道恵比島駅
島式ホーム外側の3番線(北東側)を発着線とし、その北側に貨物側線及び機関区を有していた[12]。同鉄道の線路はホームを出ると深川方に進んでから左手に曲がり、北に進んでいた[12]。同鉄道廃線後、旧構内は荒地になっている[12]。
利用状況
- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は58人[9]。
- 1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は24人[8]。
- 2011 - 2015年(平成23 - 27年)の乗降人員調査(11月の調査日)平均は「10名以下」[13]。
- 2012 - 2016年(平成24 - 28年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は1.4人[14]。
- 2013 - 2017年(平成25 - 29年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は1.8人[15]。
- 2014 - 2018年(平成26 - 30年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は1.8人[16]、乗降人員調査(11月の調査日)平均は「3名以下」[17]。
駅周辺
周辺は農村地帯である。明治時代は「峠の宿」と呼ばれる交通の要衝であったが、既にかつての面影は無くなっている[9]。
- 北海道道549号峠下沼田線
- 北海道道867号達布石狩沼田停車場線
- 恵比寿神社
- 永徳寺 - 十一面薬師観音菩薩像がある[7]。
- 木工所
- 沼田町営バス「恵比島駅前」停留所[18]
その他
- NHKの連続テレビ小説「すずらん」の撮影でこの駅が使用されたため、撮影用の多数のセットが組まれている。本来の駅舎は車掌車改造駅舎であるが、板で覆われてしまい倉庫のような佇まいになっており、隣に立派な木造駅舎「明日萌駅(あしもいえき)」が作られている。 旧駅舎の土台をそのまま利用し、ホーム側の窓際には振り向きかけた姿の等身大蝋人形が設置されている。
- 「すずらん」の撮影で使用したセットの建物が継続設置されている。
- 旧黒瀬旅館 - 「すずらん」ロケの際「中村旅館」として登場。見学可。
- その他、『てなもんや駅長奮闘記』『氷点』でもロケ地として使われた。
隣の駅
かつて存在した路線
- 留萠鉄道
- 炭砿線(廃止)
- 恵比島駅 - 本通駅
脚注
注釈
- ^ a b 北海道炭鉱汽船70年史 昭和33年発行、北海道鉱業概要 大正7年発行、大正12年版全国専用線一覧より。専用線 延長4M(マイル)以下。なお昭和5年版からは記載されていない(ただし以下に述べる地図上では分岐点からの専用線の延長は500-600m前後であり、専用線一覧の記述は恵比島駅からの作業距離約4kmを含んだ数値と見られる)。管轄は当駅。専用線の分岐位置は、大日本帝国陸地測量部大正10年発行及び昭和7年発行の5万分の1地形図「恵比壽」によれば北緯43度51分51.1秒 東経141度50分57.7秒 / 北緯43.864194度 東経141.849361度付近から北へ分岐。なおこの地形図上では軽便鉄道の終点(同炭鉱の山元)は北緯43度55分37.8秒 東経141度52分19.4秒 / 北緯43.927167度 東経141.872056度で、現在留萌川に沿って上流へ向かう道道613号線はほぼその軌道跡であった。また、北緯43度54分10.6秒 東経141度52分26.2秒 / 北緯43.902944度 東経141.873944度付近から東方へ「平澤」沿いに600m程度の分岐線を持っていた。留萌炭鉱は大正8年より北海道炭鉱汽船が租借し天鹽(天塩)炭礦と称したが、第一次世界大戦後の不景気により採炭に至らずそのまま休止となった。
出典
- ^ 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)179ページより。
- ^ a b c d e f 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)44ページより。
- ^ a b 沼田町百年史 平成7年3月発行。
- ^ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社、2011年6月発行)148ページより。
- ^ “アイヌ語地名リスト”. 北海道. p. 9. 2017年4月14日閲覧。
- ^ a b 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)106ページより。
- ^ a b c d e f g 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)170ページより。
- ^ a b c d e f 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)155ページより。
- ^ a b c d e f g 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)195ページより。
- ^ a b 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫、2007年5月発行)66-67ページより。
- ^ a b 書籍『駅スタンプの旅 SL編』(著:松井信幸、エイ出版社、2004年2月発行)27ページより。
- ^ a b c 書籍『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行)53ページより。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道株式会社. p. 6 (2016年3月28日). 2017年12月10日閲覧。
- ^ "駅別乗車人員(2016)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために) (Press release). 北海道旅客鉄道株式会社. 8 December 2017. p. 3. 2018年8月17日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年8月17日閲覧。
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- ^ "留萌線(深川・留萌間)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために) (Press release). 北海道旅客鉄道株式会社. 2 July 2018. p. 3. 2018年8月18日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年8月18日閲覧。
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- ^ “留萌線(深川・留萌間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員” (PDF). 全線区のご利用状況(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. 2020年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月20日閲覧。
- ^ “沼田町営バス時刻表” (PDF). 沼田町. 2019年6月9日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 恵比島|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|駅・鉄道・旅行|JR北海道- Hokkaido Railway Company
- 北海道沼田町 「明日萌(あしもい)の里」 (ドラマ/映画『すずらん』のロケ地ガイド)
- 国立国会図書館近代デジタルライブラリー 「北海道留萠線全通記念」より、恵比島停車場構内 明治末。 峠の中間位置にあり、上下線はそれぞれに給水塔を持っている。右側手前に伸びるのは安全側線。