コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「庾道憐」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m cewbot: ウィキ文法修正 1: Template contains useless word template
40行目: 40行目:
*『[[晋書]]』巻32列伝第2 后妃下
*『[[晋書]]』巻32列伝第2 后妃下


{{Template:晋の皇后}}
{{晋の皇后}}


{{DEFAULTSORT:ゆ とうりん}}
{{DEFAULTSORT:ゆ とうりん}}

2019年10月29日 (火) 00:27時点における版

庾皇后
東晋の皇后
在位 365年8月13日 - 366年7月5日

全名 庾道憐
別称 孝皇后
死去 太和元年5月12日
366年7月5日
配偶者 廃帝
父親 庾冰
兄弟 庾希
テンプレートを表示

庾 道憐(ゆ どうりん、? - 366年7月5日)は、中国東晋廃帝司馬奕の皇后庾文君(明穆皇后、司馬奕の祖母)の姪。潁川郡鄢陵県の出身。父は庾冰(明穆皇后の兄)。

生涯

東海王司馬奕(のちの廃帝)に嫁ぎ、妃(正室)となった。司馬奕が即位すると、興寧3年(365年)7月、皇后に立てられた。しかし、皇后に冊立されてから10ヵ月ぶりである太和元年(366年)5月、崩じた。と諡された。

太和6年(371年)、司馬奕が廃され海西公となると、道憐も海西公夫人に追降された。

伝記資料

  • 晋書』巻32列伝第2 后妃下