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2019年10月29日 (火) 00:26時点における版
夏皇后 | |
---|---|
南宋の皇后 | |
在位 | 1163年11月16日 - 1167年7月20日 |
全名 | 夏雲姑 |
別称 | 成恭皇后 |
出生 |
紹興6年(1136年) |
死去 |
乾道3年6月25日 (1167年7月20日) |
配偶者 | 孝宗 |
父親 | 夏協 |
弟 | 夏執中 |
夏皇后(かこうごう、1136年 - 1167年7月20日)は、南宋孝宗の皇后。諱は雲姑(うんこ)[1]。成恭皇后(せいきょうこうごう)と諡された。
生涯
袁州宜春の人。夏協の娘。出身は低いが非常な美女であった。
初め、後宮に入り、高宗の皇后呉氏の侍女を務めた。紹興31年(1161年)2月、建王趙伯琮(のちの孝宗)に側室[2]として与えられ、斉安郡夫人に封ぜられた。翌年に孝宗が即位すると、賢妃に立てられた。隆興元年(1163年)10月、皇后に冊立された。弟の夏執中や11人の親友たちにも官職が与えられた。
乾道3年(1167年)6月、崩御した。「安恭」と諡された。紹熙5年(1194年)10月29日、夫の諡を重ねて「成恭」と改諡された。
伝記資料
- 『宋会要輯稿』
- 『宋史』成恭夏皇后伝
- 『宜春牌楼下夏氏宗譜』