「日吉町日置」の版間の差分
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'''日吉町日置'''(ひよしちょうひおき |
'''日吉町日置'''(ひよしちょうひおき)は、[[鹿児島県]][[日置市]]の[[大字]]{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。旧[[日置郡]]日置郷'''日置村'''、日置郡日置村'''大字日置'''、日置郡[[日吉町 (鹿児島県)|日吉町]]'''大字日置'''。人口は3,438人、世帯数は1,426世帯(2015年10月1日現在)<ref name="gov-jinko-2015"/>。[[郵便番号]]は899-3101<ref>{{cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=46&city=1462160&id=158700|title=鹿児島県日置市日吉町日置の郵便番号|publisher=日本郵便|accessdate=2020-09-20}}</ref>。 |
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日置市の西部に位置している。[[1955年]](昭和30年)から[[2005年]](平成17年)の市町村合併まで[[日吉町 (鹿児島県)|日吉町]]の[[役所|町役場]]が置かれており、日吉町の中心地であった{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=1067}}。 |
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== 地理 == |
== 地理 == |
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日置市の中部に位置しており、大川の中流域から下流域に所在している。字域の北方に[[東市来町宮田]]、[[伊集院町大田]]、南方から東方にかけて[[日吉町吉利]]、東方に[[伊集院町飯牟礼]]、西方に[[日吉町山田]]、[[日吉町神之川]]、[[東シナ海]]に接している。 |
日置市の中部に位置しており、大川の中流域から下流域に所在している。字域の北方に[[東市来町宮田]]、[[伊集院町大田]]、南方から東方にかけて[[日吉町吉利]]、東方に[[伊集院町飯牟礼]]、西方に[[日吉町山田]]、[[日吉町神之川]]、[[東シナ海]]に接している。北部の住吉地区と南部の日置地区に分かれている。 |
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字域の西部を海岸に沿って[[国道270号]]が南北に通っている。南部から東方に向かって[[鹿児島県道37号伊集院日吉線]]が通っている。 |
字域の西部を海岸に沿って[[国道270号]]が南北に通っている。南部から東方に向かって[[鹿児島県道37号伊集院日吉線]]が通っている。かつては[[鹿児島交通枕崎線]]が字域内を南北に通っており、[[上日置駅]]、[[日置駅]]が設置されていたが{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=1067}}、[[1984年]](昭和59年)に廃止された{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=242}}。吹上浜に沿って[[鹿児島県道2号加世田日吉自転車道線]]が通っており字域の最西部を終点としている。 |
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字域の南部に施設が多く所在しており、日置市役所日吉支所や、[[日置市立日吉小学校]]、[[日置市立日吉中学校]]が所在している。 |
字域の南部に施設が多く所在しており、日置市役所日吉支所や、[[日置市立日吉小学校]]、[[日置市立日吉中学校]]が所在している。 |
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西方には[[吹上浜]]が広がっており、一帯が[[都道府県立自然公園|県立自然公園]]に指定されている |
西方には[[吹上浜]]が広がっており、一帯が[[都道府県立自然公園|県立自然公園]]に指定されている{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=1067}}。 |
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{{Geographic Location |
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|Centre = 日吉町日置 |
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|North = [[東市来町宮田]]・[[伊集院町大田]] |
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|Northeast = [[伊集院町大田]] |
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|East = [[伊集院町飯牟礼]] |
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|Northwest = [[東市来町宮田]] |
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|image = |
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=== 地名の由来 === |
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日置の地名の由来について「日吉町郷土誌」では以下の2点の説が掲げられている{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1983|page=8}}。 |
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* 日置部(ひおきべ、古代の[[律令制]]における[[宮内省]][[主殿寮]]の負名氏の一つ<ref>{{cite web|url=https://www.weblio.jp/content/%E6%97%A5%E7%BD%AE%E9%83%A8|title=日置部|publisher=weblio辞書|author=歴史民俗用語辞典|accessdate=2020-09-22}}</ref>)が置かれた地であったからという説 |
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* この地を墾田開発した一族郎党に由来しているという説 |
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=== 自然公園・自然保護地区 === |
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西端部の概ね[[国道270号]]より西の区域は[[都道府県立自然公園|鹿児島県立自然公園]]である「吹上浜金峰山県立自然公園」の区域となっており、前身の吹上浜県立自然公園は[[1953年]](昭和28年)[[3月31日]]に県立自然公園として指定されている<ref>{{cite web|url=http://www.pref.kagoshima.jp/ad04/kurashi-kankyo/kankyo/sizenkouen/kennai/hukiagehama.html|title=吹上浜金峰山県立自然公園|publisher=鹿児島県|accessdate=2020-09-13}}</ref>。 |
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=== 河川 === |
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* 大川 - [[日吉町吉利]]との境界上付近を流れる河川。 |
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=== 湖沼 === |
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* 宇都池(ため池)<ref name="lake">{{cite web|url=http://www.city.hioki.kagoshima.jp/nouchiseibi2/sangyo-business/sangyo/nogyo/documents/bousaitameike.pdf|title=日置市防災重点ため池マップ|publisher=日置市|accessdate=2020-10-15}}</ref> |
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* 御伊勢殿池(ため池)<ref name="lake"/> |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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=== 成立 |
=== 日置の成立と荘園 === |
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日置という地名は[[鎌倉時代]]から見える地名であり、[[薩摩国]]のうちであった{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。古代の日置郡の区域は[[荘園]]となっており、平安時代末期から存在したという{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。 |
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日置という地名は江戸期より見え、[[薩摩国]][[日置郡]]日置郷([[外城制|外城]])のうちであり、村高は「天保郷帳」では3,287石余、「旧高旧領」では2,875石余であった。農民1,255人、漁民140人であることから農業中心の地域であったと考えられる。 |
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日置荘は日置北郷と日置南郷に分かれ、日置北郷はのちに日置郷となる区域である{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。[[天正]]8年に[[島津義弘]]の命により[[島津歳久]]が日置郷を領地とした{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。 |
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鎮守は日置郷惣社の八幡神社で「地理纂考」によると伊集院郷谷口村(現在の[[伊集院町下谷口]]及び[[鹿児島市]][[上谷口町]]にあたる)より移したとみられ新田八幡を勧誘したものである。八幡神社が移転する前は刀立神社が鎮守であったとされる。 |
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その後[[豊臣秀吉]]の[[蔵入地]]となったものの、[[天正]]14年([[1586年]])から天正15年([[1587年]])にかけて勃発した[[豊臣秀吉]]と[[島津氏]]との間で起こった[[九州平定]](九州征伐とも)の結果、島津氏が豊臣秀吉に降伏。薩摩・大隅・日向の3国に対して[[太閤検地]]が行われることになった{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1983|page=142}}。[[文禄]]4年([[1595年]])に、太閤検地が完了したことから[[豊臣秀吉]]の命により薩摩国・大隅国・日向国の[[改易]][[転封|移封]]が行われた{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1983|page=142}}。これによって[[日置島津家]]の当主[[島津常久]]が領主となった{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。 |
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=== 町村制施行以後 === |
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[[1889年]](明治22年)には[[町村制]]が施行されたのに伴い、江戸期の日置村は日置村の大字「'''日置'''」となった。[[1955年]](昭和30年)には日置村と吉利村が合併し、日吉町の大字となった<ref>『[[角川日本地名大辞典]] 46 鹿児島県』角川書店 p.531-532</ref>。[[2000年]]([[平成]]12年)に日置字六枝及び井神の各一部が吉利字石町の一部となり、吉利字六枝、春日、瀬戸口及び井神の各一部が吉利字南天牟田の一部となった<ref>平成12年鹿児島県告示第676号(字の区域の変更、平成12年5月19日付鹿児島県公報第1576号所収)</ref>。 |
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=== 江戸時代の日置 === |
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[[2005年]](平成17年)に日吉町が[[伊集院町]]、[[東市来町]]、[[吹上町 (鹿児島県)|吹上町]]と合併し、同時に大字名は従来の大字名に旧町名を冠することとなり日置市の大字「'''日吉町日置'''」となった。 |
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[[File:Hachiman-Jinja-Hiyoshi-Cho,Hioki-Sangokumeisho-zue.png|thumb|[[三国名勝図会]]に掲載されている八幡神社を描いた絵図]] |
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江戸時代には[[薩摩国]][[日置郡]]日置郷([[外城制|外城]])のうちであった{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。[[石高|村高]]は「[[天保郷帳]]」では3,287石余{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}、「三州御治世要覧」では2,959石余{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=300}}、「[[旧高旧領取調帳]]」では2,875石余であった{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。日置郷は[[万治]]4年に薩摩藩の直轄領となったものの、[[延宝]]8年に再び[[日置島津家]]が日置郷を私領として統治した{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。 |
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[[享保]]12年([[1727年]])には吉利郷(現在の[[日吉町吉利]])と日置郷の間に境界論争が発生した。組頭を始めとする郷の役人と門の代表者24名により協議が行われ、翌年に決着をみた{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=300}}。[[元文]]2年([[1737年]])には紙漉の荒野を開拓し、水田が開墾された{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=300}}。日置村は農民1,255人、漁民140人であることから農業中心の地域であったと考えられる{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。 |
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鎮守は日置郷惣社の八幡神社で「地理纂考」によると伊集院郷谷口村(現在の[[伊集院町下谷口]]及び[[鹿児島市]][[上谷口町]]にあたる)より移したとみられ新田八幡を勧誘したものである。八幡神社が移転する前は刀立神社が鎮守であったとされる{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。 |
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江戸時代後期に[[薩摩藩]]が編纂した[[地誌]]である「[[三国名勝図会]]」には日置村の八幡宮(現在の八幡神社)について以下のとおり記載されている(旧字体は新字体に、[[合略仮名]]・[[変体仮名]]はかなに改めた){{Sfn|薩摩藩|1843}}。 |
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{{Quote|日置村にあり、奉祀天照大神、天津彦々火瓊々杵尊、栳幡千々姫命の三坐、按るに水引八幡新田宮を勧請せしなるべし、祭神彼宮と同じければなり、九月十五日を正祭とし、竹偶人を作り、四輪車に乗せ、里童をして前路を馳せしむ、又五月六日に祭りあり、土俗及び隣郷より踊を興行すること数隊なり、既にして、神輿を田原へ護り行くの旧式あり、文禄四年、島津下総守常久、当邑に封ぜられ、当社を以て(※字不明)邑の総鎮守と尊恭せり、是より村民亦一入の崇敬を致す、社司原口氏の傳に云、初め隣邑伊集院谷口善福寺の邊にありしを、此処に遷鎮せりと、|[[三国名勝図会]]巻之九}} |
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=== 明治以後の日置 === |
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[[File:Hioki city office Hiyoshi Branch.JPG|thumb|旧・日吉町役場(2019年まで日置市役所日吉支所として使用されていた)]] |
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[[明治4年]]に[[廃藩置県]]が行われ[[薩摩藩]]の統治区域である[[薩摩国]]、[[大隅国]]の区域に[[鹿児島県]]が設置された。[[1873年]](明治6年)には[[大区小区制]]が敷かれ、日置は第十二大区となり、他の田布施、伊作、永吉、吉利と共に伊作の区長事務扱所に属した{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=21}}。[[1878年]](明治11年)には[[郡区町村編制法]]の施行に伴い、日置村には御仮屋跡地に[[戸長役場]]が設置された{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=22}}。 |
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[[1889年]](明治22年)には[[町村制]]が施行されたのに伴い、日置郷を構成していた日置村と山田村の区域を以て[[日置郡]][[日置村 (鹿児島県)|日置村]]が設置された{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=44}}。また日置村役場が置かれ、同時に江戸時代の日置村は日置村の大字「'''日置'''」となった{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。 |
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[[1953年]](昭和28年)に公布された町村合併促進法によって、狭小な町村の合併が促進されることとなり、面積が狭く人口が8,000人以下の町村は合併すべき規模とされた{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=51}}。直近に実施された[[1950年]](昭和25年)の[[国勢調査]]では日置村(大字日置、大字山田)の人口は9,672人であった<ref name="gov-jinko-1950">{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000007914603|title=国勢調査 / 昭和25年国勢調査 / 人口総数|publisher=総務省統計局|accessdate=2020-09-20}}</ref>。当初の構想では日置村と[[日吉町吉利|吉利村]]、[[吹上町永吉|永吉村]]の一部の合併が理想的であると鹿児島県地方課も考えていたとみられるが、永吉村は伊作町と合併することとなったため、日置村は吉利村との対等合併の形を取ることとなった{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=52}}。[[1955年]](昭和30年)[[2月9日]]に日置村議会において合併に関する議決を全会一致で可決し、合併申請書が提出された{{Sfn|鹿児島県総務部参事室|1967|p=552}}。[[1955年]](昭和30年)[[4月1日]]には日置村が吉利村と合併したことにより[[日吉町 (鹿児島県)|日吉町]]が成立した{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=52}}。それに伴って大字日置は日吉町の大字となった{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=531-532}}。また新たに設置された日吉町の役場は大字日置の旧日置村役場の場所に設置された{{Sfn|鹿児島県総務部参事室|1967|p=552}}。 |
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[[2000年]]([[平成]]12年)に日置字六枝及び井神の各一部が吉利字石町の一部となり、吉利字六枝、春日、瀬戸口及び井神の各一部が吉利字南天牟田の一部となった<ref>平成12年鹿児島県告示第676号(字の区域の変更、平成12年5月19日付鹿児島県公報第1576号所収)</ref>。 |
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[[2005年]](平成17年)[[5月1日]]に[[日吉町 (鹿児島県)|日吉町]]が[[伊集院町]]、[[吹上町 (鹿児島県)|吹上町]]、[[東市来町]]と合併し[[日置市]]が成立した<ref>市町の廃置分合(平成17年総務省告示第377号、{{ws|[[:s:市町の廃置分合 (平成17年総務省告示第377号)|原文]]}})</ref>。この合併に先立って設置された[[法定合併協議会]]である「日置中央合併協議会」において大字名については「字の区域は、現行どおりとし、現行の字の名称の前に当該字の属する合併前の町の名称を付し、字の名称を変更する。」と協定され、旧町名である「日吉町」を従前の大字名である「日置」に冠することとなった<ref>{{cite web|url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10248750/www.city.hioki.kagoshima.jp/html.old/200504HP/sub06_18_01.pdf|title=日置中央合併協議会の調整内容(字の区域及び名称の扱い)|publisher=日置中央合併協議会(国立国会図書館アーカイブ)|accessdate=2020-09-12}}</ref>。合併日の[[2005年]](平成17年)[[5月1日]]に鹿児島県の告示である「{{ws|[[:s:字の名称の変更 (平成17年鹿児島県告示第691号)|字の名称の変更]]}}」が鹿児島県公報に掲載された<ref>字の名称の変更(平成17年鹿児島県告示第691号、{{ws|[[:s:字の名称の変更 (平成17年鹿児島県告示第691号)|原文]]}})</ref>。この告示の規定に基づき即日大字の名称変更が行われ、大字名が「日置」から日置市の大字「'''日吉町日置'''」に改称された<ref>{{cite web|url=http://www.city.hioki.kagoshima.jp/modules/content005/index.php?id=2|title=日置市の住所表示|publisher=日置市|accessdate=2012-04-09}}</ref>。 |
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=== 字域の変遷 === |
=== 字域の変遷 === |
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|日置字六枝、春日、瀬戸口、井神の各一部 |
|日置字六枝、春日、瀬戸口、井神の各一部 |
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|} |
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== 文化財 == |
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=== 市指定 === |
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* 八幡神社(史跡)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bunkazai/kurashi/kosodate-kyoiku/shakaikyoiku/bunkazai/hiyoshi/hachimanjinja.html|title=八幡神社|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
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* 大乗寺跡(史跡)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bunkazai/kurashi/kosodate-kyoiku/shakaikyoiku/bunkazai/hiyoshi/daijoji.html|title=大乗寺跡|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
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* 光禅寺跡(史跡)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bunkazai/kurashi/kosodate-kyoiku/shakaikyoiku/bunkazai/hiyoshi/kozenjiato.html|title=光禅寺跡|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
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* 桂山寺跡(史跡)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bunkazai/kurashi/kosodate-kyoiku/shakaikyoiku/bunkazai/hiyoshi/keizanjiato.html|title=桂山寺跡|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
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* 熊野神社(史跡)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bunkazai/kurashi/kosodate-kyoiku/shakaikyoiku/bunkazai/hiyoshi/kumanojinja.html|title=熊野神社|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
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* 釈迦木像(彫刻)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bunkazai/kurashi/kosodate-kyoiku/shakaikyoiku/bunkazai/hiyoshi/shakamokuzo.html|title=釈迦木像|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
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* 扁額「醫王寳殿」(書跡)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bunkazai/kurashi/kosodate-kyoiku/shakaikyoiku/bunkazai/hiyoshi/iouhoden.html|title=扁額「醫王寳殿」|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
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* お田植え踊(無形民俗文化財)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bunkazai/kurashi/kosodate-kyoiku/shakaikyoiku/bunkazai/hiyoshi/otaueodori.html|title=お田植え踊|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
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* 太鼓踊(無形民俗文化財)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bunkazai/kurashi/kosodate-kyoiku/shakaikyoiku/bunkazai/hiyoshi/taikoodori.html|title=太鼓踊|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
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* 石屋和尚手彫りの石地蔵(彫刻)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bunkazai/kurashi/kosodate-kyoiku/shakaikyoiku/bunkazai/hiyoshi/ishizizo.html|title=石屋和尚手彫りの石地蔵|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
* 毘沙門天(史跡)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bunkazai/kurashi/kosodate-kyoiku/shakaikyoiku/bunkazai/hiyoshi/bishamonten.html|title=毘沙門天|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
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== 祭事 == |
== 祭事 == |
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* [[せっぺとべ]] |
* [[せっぺとべ]] |
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*: |
*: 八幡神社毎年6月第1日曜日に行われている[[文禄]]4年([[1595年]])より続く[[御田植祭]]。祭りでは旧[[日吉町 (鹿児島県)|日吉町]]内の虚無僧踊り、棒踊り、鎌踊りなどが奉納されたのち、[[御田|御神田]]で若者が踊ったり、歌ったりしながら、飛び跳ねる「せっぺとべ」が行われる。飛び跳ねるのには土を耕すという意味や、害虫を踏み潰すなどの意味がある<ref>『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 p.1067</ref><ref name="pref">[http://www.pref.kagoshima.jp/kyoiku-bunka/bunka/museum/shichoson/hioki/yahata.html 八幡神社お田植祭「せっぺとべ」] - 鹿児島県公式ウェブサイト 2011年7月11日閲覧。</ref>。せっぺとべには「精一杯跳べ」という意味がある<ref>[http://www.city.hioki.kagoshima.jp/modules/content004/index.php?id=14 祭りイベントカレンダー] - 日置市公式ウェブサイト 2011年7月11日閲覧。</ref>。八幡神社で行われる御田植祭は[[1983年]]([[昭和]]58年)に日吉町の無形民俗文化財に指定され、2005年の市町村合併後も日置市の無形民俗文化財に指定されている<ref>[http://www.city.hioki.kagoshima.jp/modules/content017/index.php?id=15 文化財・伝統芸能] - 日置市公式ウェブサイト 2011年7月11日閲覧。</ref><ref name="pref"/>。[[日吉町吉利|吉利]]の吉利鬼丸神社でも同様の祭事が行われている。 |
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== 施設 == |
== 施設 == |
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[[File:Hioki post office at Kagoshima.JPG|thumb|日置郵便局]] |
|||
[[ファイル:Ruin of Kamihioki station.jpg|thumb|上日置駅に現存する給水塔とプラットホーム]] |
|||
=== 公共 === |
|||
* 日置市役所日吉支所<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/kouho/shisetsu/kankocho/004.html|title=日置市役所日吉支所|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
:*日置市役所日吉支所 |
|||
** 日置市立ひよし図書館<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/toshokan/shisetsu/kyoiku/007.html|title=日置市立ひよし図書館|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
:*日置市立日吉武道館 |
|||
* [[鹿児島県警察]][[日置警察署]]日吉駐在所<ref>{{cite web|url=http://www.pref.kagoshima.jp/ja10/police/shokai/soshiki/seikatsu/koubanchuuzaisho.html|title=交番・駐在所等の所在地・電話番号|publisher=鹿児島県警察|accessdate=2020-10-15}}</ref> |
|||
:*日置市立中央図書館分館 |
|||
* 日置市日吉運動公園 |
|||
** 日置市日吉多目的広場<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/shakyo02/shisetsu/taiku/032.html|title=日置市日吉多目的広場|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
:*日吉運動公園 |
|||
** 日置市日吉運動公園グラウンド<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/shakyo02/shisetsu/taiku/029.html|title=日置市日吉運動公園|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
;教育 |
|||
** 日置市日吉総合体育館<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/shakyo02/shisetsu/taiku/025.html|title=日置市日吉総合体育館|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
:*[[日置市立日吉中学校]] |
|||
** 日置市立日吉武道館<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/shakyo02/shisetsu/taiku/034.html|title=日置市日吉武道館|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
:*[[日置市立日吉小学校]] |
|||
** 日置市立日吉弓道場<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/shakyo02/shisetsu/taiku/027.html|title=日置市日吉弓道場|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
:**日置市立日吉小学校附属幼稚園 |
|||
** 日置市日吉相撲道場<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/shakyo02/shisetsu/taiku/028.html|title=日置市日吉相撲道場|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
:*明信寺保育園 |
|||
** 日置市日吉グラウンドゴルフ場<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/shakyo02/shisetsu/taiku/030.html|title=日置市日吉グラウンドゴルフ場|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
;郵便局 |
|||
** 日置市日吉テニスコート<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/shakyo02/shisetsu/taiku/026.html|title=日置市日吉テニスコート|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
:*[[日置郵便局 (鹿児島県)|日置郵便局]] |
|||
** 日置市日吉研修棟(せっぺとべひよし館)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/shakyo02/shisetsu/taiku/033.html|title=日置市日吉研修棟(せっぺとべひよし館)|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
;寺社 |
|||
* ひおき診療所<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/kokuho/shisetsu/hoken-iryo/004.html|title=ひおき診療所|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
:*三光寺 |
|||
* 日置市日吉中央公民館<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/bousai/shisetsu/hinanjo/029.html|title=日置市日吉中央公民館|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
* 天然温泉ひよし(日吉老人福祉センター)<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/kanko/kankou/tomaru-onsen/onsen/tennenonsenhiyoshi.html|title=天然温泉ひよし(日吉老人福祉センター)|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
=== |
=== 教育 === |
||
* [[日置市立日吉中学校]] |
|||
<gallery> |
|||
* [[日置市立日吉小学校]] |
|||
** 日置市立日吉小学校附属幼稚園<ref>{{cite web|url=https://www.city.hioki.kagoshima.jp/jifuku/shisetsu/hoikuen-yochien/025.html|title=日置市立日吉小学校附属幼稚園|publisher=日置市|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
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File:Hioki Hiyoshi Junior High school 2013.JPG|日置市立日吉中学校 |
|||
* 明信寺保育園 |
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ファイル:Hioki post office at Kagoshima.JPG|日置郵便局 |
|||
</gallery> |
|||
=== 郵便局 === |
|||
* [[日置郵便局 (鹿児島県)|日置郵便局]]<ref>{{cite web|url=https://map.japanpost.jp/p/search/dtl/300178147000/|title=日置郵便局(鹿児島県)|publisher=日本郵便|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
* 日置住吉簡易郵便局<ref>{{cite web|url=https://map.japanpost.jp/p/search/dtl/300178762000/|title=日置住吉簡易郵便局(鹿児島県)|publisher=日本郵便|accessdate=2020-09-21}}</ref> |
|||
* 日新簡易郵便局<ref>{{cite web|url=https://map.japanpost.jp/p/search/dtl/300178753000/|title=日新簡易郵便局(鹿児島県)|publisher=日本郵便|accessdate=2020-09-21}}</ref> |
|||
=== 寺社 === |
|||
* 八幡神社 |
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* 三光寺 |
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* 明信寺 |
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== 人口 == |
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以下の表は[[国勢調査]]による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。 |
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{| |
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!colspan="2"|統計年 |
|||
!colspan="2"|人口 |
|||
|- |
|||
|[[1995年]](平成7年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000023630600|title=国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|4,113 |
|||
|<div style="width:411.3px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
|||
|- |
|||
|[[2000年]](平成12年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000025138246|title=国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|3,995 |
|||
|<div style="width:399.5px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
|||
|- |
|||
|[[2005年]](平成17年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000025514538|title=国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|3,881 |
|||
|<div style="width:388.1px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
|||
|- |
|||
|[[2010年]](平成22年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000012671630|title=国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|3,654 |
|||
|<div style="width:365.4px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
|||
|- |
|||
|[[2015年]](平成27年) |
|||
|<ref name="gov-jinko-2015">{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000031522312|title=国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2020-09-20}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|3,438 |
|||
|<div style="width:343.8px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
|||
|} |
|||
== 教育 == |
|||
[[File:Hioki Elementary School.JPG|thumb|日置市立日吉小学校]] |
|||
[[File:Hioki Hiyoshi Junior High school 2013.JPG|thumb|日置市立日吉中学校]] |
|||
日吉町日置には「日置市立日吉中学校」、「日置市立日吉小学校」が設置されている。かつては「日置市立日置小学校」、「日置市立住吉小学校」が設置されていた。 |
|||
=== 中学校 === |
|||
日吉町日置には「日置市立日吉中学校」が設置されている。日吉中学校は[[1972年]](昭和47年)に日置中学校と吉利中学校が合併して設立された中学校である{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=331}}。日吉中学校に合併される前の日置中学校は日置に置かれており、[[1947年]](昭和22年)に日置村立日置中学校として設置され、[[1956年]](昭和31年)[[9月1日]]に[[下伊集院村]]の一部(現在の[[日吉町神之川]]の区域)が日吉町に編入されたのに伴い編入された区域の中学生の受け入れを実施した{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=331}}。 |
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{{Main|日置市立日吉中学校}} |
|||
=== 小学校 === |
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日吉町日置には「日置市立日吉小学校」が設置されている。日吉小学校は[[2018年]](平成30年)に旧日吉町の吉利小学校([[日吉町吉利]])、日新小学校([[日吉町山田]])、日置小学校(日吉町日置)、住吉小学校(日吉町日置)が合併し日置小学校跡地に日吉小学校が新設され統合されるのに合わせて閉校した<ref name="asahi-2018-03-27">{{cite web|url=https://www.asahi.com/articles/ASL38577FL38TLTB00C.html|title=鹿児島)日吉の4小を統合 9年制学校も視野 日置市|publisher=朝日新聞デジタル|author=島崎周|date=2018-03-27|accessdate=2020-09-13}}</ref>。 |
|||
日吉小学校の前身となった「日置小学校」は[[明治4年]]に外城第十一郷校として日置郷の御仮屋跡地で授業を開始した{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=321}}。[[1876年]](明治9年)に日置小学校となった{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=321}}。[[1888年]](明治21年)に「住吉小学校」が設立され、住吉地区の区域を住吉小学校の校区となった{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=322}}。[[1941年]](昭和16年)に[[国民学校令]]が施行され[[国民学校]]となった{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=321}}。[[1947年]](昭和22年)に日置国民学校は日置小学校に{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=321}}、住吉国民学校は住吉小学校となった{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=322}}。[[1979年]](昭和54年)に日置小学校に附属幼稚園が設置された{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=322}}。 |
|||
== 小・中学校の学区 == |
=== 小・中学校の学区 === |
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市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。 |
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。 |
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{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
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129行目: | 250行目: | ||
|- |
|- |
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|} |
|} |
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==交通== |
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== 交通 == |
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[[File:Kagoshima pref road 37 at Hiyoshi-cho Hioki.JPG|thumb|鹿児島県道37号伊集院日吉線を日置郵便局から国道270号方面を望む]] |
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[[File:Kagoshima prefectural road 37 at End.JPG|thumb|県道伊集院日吉線を終点から伊集院方面を望む]] |
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===道路=== |
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[[File:Kagoshima prefectural Kaseda-Hiyoshi Cycle Road at Hiyoshi.JPG|thumb|県道加世田日吉自転車道線の終点]] |
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[[File:Ruin of Kamihioki station.jpg|thumb|上日置駅に現存する給水塔とプラットホーム]] |
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=== 道路 === |
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;国道 |
;国道 |
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:*[[国道270号]] |
:*[[国道270号]] |
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142行目: | 266行目: | ||
; [[鹿児島交通枕崎線]] |
; [[鹿児島交通枕崎線]] |
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:* [[上日置駅]] - [[日置駅]] |
:* [[上日置駅]] - [[日置駅]] |
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=== バス === |
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* [[鹿児島交通]] |
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** 伊集院・伊作、伊集院高校・加世田・枕崎 |
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**: 日置大橋 - 日置 - 日置寺下 - 城の下 - 諏訪神社前 - 住吉校前 - 住吉住宅前 - 住吉支所 - 上日置 - 毘沙門 |
|||
** 湯之元 - 日置運動公園入口 |
|||
**: 中原 - 日置市立病院 - 麓 - 天神ケ尾 - 日吉支所前 - 日置 - 八幡通り - 日置運動公園入口 |
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== 出身人物 == |
|||
* [[寺師義信]]([[1882年]] - [[1964年]]) - [[中将|陸軍軍医中将]]、[[医師]] |
|||
*: 日置出身{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=536}}。[[京都帝国大学]][[医学部]]を卒業し、[[1910年]](明治43年)に陸軍見習医官となった<ref name="寺師">{{Cite web |url=http://www.terashi.info/biography/terashi_yoshinobu_biography.pdf|title=陸軍軍医中将 寺師義信(てらし よしのぶ)の生涯|accessdate=2015-10-17|author=寺師良樹|date=2014-1-23|format=PDF|publisher=寺師医院|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151015075636/http://www.terashi.info/biography/terashi_yoshinobu_biography.pdf|archivedate=2015-10-15}}</ref>。日本初の衛生飛行機を作成したことで知られる<ref name="寺師"/>。 |
|||
* [[古川静夫]]([[1888年]] - [[1967年]]) - 官選[[佐賀県知事]]、官選[[愛媛県知事]]、[[大阪法務局]]長 |
|||
*: 日置麓出身{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=538}}。[[1915年]]、[[東京大学|東京帝国大学]][[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|法科大学]]法律学科(独法)を卒業。[[内務省 (日本)|内務省]]に入省し[[静岡県警察部|静岡県]][[警部]]となる<ref name="re">『新編日本の歴代知事』926頁。</ref><ref name="ji">『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』211頁。</ref>。神奈川県内務部長などを歴任し佐賀県知事、愛媛県知事、[[大阪法務局]]長となった<ref>『新編日本の歴代知事』1000頁。</ref>。 |
|||
* [[古垣鉄郎]]([[1900年]] - [[1987年]]) - [[ジャーナリスト]]、[[外交官]] |
|||
*: 日置出身{{Sfn|日吉町郷土誌編さん委員会|1988|p=535}}。[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]を卒業したのち、島津奨学資金の援助で[[フランス第三共和政|フランス共和国]]の[[リヨン第三大学|リヨン大学]][[法学部]]へ留学し同校を卒業した<ref>{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E5%9E%A3+%E9%89%84%E9%83%8E-1654281|title=古垣 鉄郎 フルカキ テツロウ|accessdate=2015-12-8|date=2004-7|work=コトバンク|publisher=日外アソシエーツ|archiveurl=https://archive.is/20151207150937/https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E5%9E%A3+%E9%89%84%E9%83%8E-1654281|archivedate=2015年12月7日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref><ref name="篠原">{{Cite journal|和書|author=篠原初枝|date=2013-2|title=国際連盟の遺産と戦後日本|journal=アジア太平洋研究|volume=20|pages=94|publisher=[[早稲田大学大学院アジア太平洋研究科#アジア太平洋研究センター|早稲田大学アジア太平洋研究センター]]|issn=1347149X|url=https://web.archive.org/web/20151207160625/https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/39116/1/AjiaTaiheiyoTokyu_20_Shinohara2.pdf|format=PDF|accessdate=2015-12-8}}</ref>。[[ジュネーブ]]の[[国際連盟]]事務局情報部に駐在していたが、退職し[[朝日新聞社]]に入社した。[[1946年]](昭和21年)に[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員に勅選された。[[1949年]](昭和24年)には[[日本放送協会]]の会長に就任し、[[1957年]](昭和32年)には駐仏大使に就任した。 |
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<gallery> |
|||
ファイル:Terashi_Yoshinobu.jpg|寺師義信 |
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ファイル:Furukawa_Shizuo.jpg|古川静夫 |
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ファイル:Tetsurō_Furukaki.jpg|古垣鉄郎 |
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</gallery> |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
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{{Reflist}} |
{{Reflist|2}} |
||
== 参考文献 == |
|||
*{{Cite book|和書 |
|||
|author = 角川日本地名大辞典編纂委員会 |
|||
|year = 1983 |
|||
|title = [[角川日本地名大辞典]] 46 鹿児島県 |
|||
|publisher = [[角川書店]] |
|||
|isbn = 978-4040014609 |
|||
|ref={{SfnRef|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983}} |
|||
}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
|||
|author1 = [[芳即正]] |
|||
|author2 = [[五味克夫]] |
|||
|year = 1998 |
|||
|title = [[日本歴史地名大系]]47巻 鹿児島県の地名 |
|||
|publisher = [[平凡社]] |
|||
|isbn = 978-4582910544 |
|||
|ref={{SfnRef|芳即正|五味克夫|1998}} |
|||
}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
|||
|author = 日吉町郷土誌編さん委員会 |
|||
|year = 1983 |
|||
|title = 日吉町郷土誌 上巻 |
|||
|publisher = [[日吉町 (鹿児島県)|日吉町]]長 野元春男 |
|||
|isbn = |
|||
|ref={{SfnRef|日吉町郷土誌編さん委員会|1983}} |
|||
}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
|||
|author = 日吉町郷土誌編さん委員会 |
|||
|year = 1988 |
|||
|title = 日吉町郷土誌 下巻 |
|||
|publisher = [[日吉町 (鹿児島県)|日吉町]]長 野元春男 |
|||
|isbn = |
|||
|ref={{SfnRef|日吉町郷土誌編さん委員会|1988}} |
|||
}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
|||
|author = 鹿児島県総務部参事室 |
|||
|year = 1967 |
|||
|title = 鹿児島県市町村変遷史 |
|||
|publisher = 鹿児島県 |
|||
|isbn = |
|||
|ref={{SfnRef|鹿児島県総務部参事室|1967}} |
|||
}} |
|||
*{{cite book|和書 |
|||
|author=橋口兼古、五代秀堯、橋口兼柄 |
|||
|year=1843 |
|||
|title=[[三国名勝図会]] |
|||
|publisher=[[薩摩藩]] |
|||
|editor=[[島津久光]] |
|||
|ref={{SfnRef|薩摩藩|1843}} |
|||
}}{{近代デジタルライブラリー|992133}} |
|||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{Commonscat|Hioki, Hioki, Kagoshima}} |
|||
* [[日置市]] |
|||
* [[日置]](曖昧さ回避ページ) |
|||
* [[日吉町 (鹿児島県)|日吉町]] |
|||
{{日置市の大字}} |
{{日置市の大字}} |
||
{{ウィキ座標2段度分秒|31|35|22|N|130|20|49.7|E|region:JP|display=title}} |
|||
{{DEFAULTSORT:ひよしちようひおき}} |
{{DEFAULTSORT:ひよしちようひおき}} |
||
{{Pref-stub|pref=鹿児島県}} |
|||
{{Japan-block-stub}} |
|||
[[Category:日置市の大字]] |
[[Category:日置市の大字]] |
||
[[Category:1889年制定の町・字]] |
2020年11月8日 (日) 03:23時点における版
日吉町日置 | |
---|---|
日置付近の航空写真(2013年現在[1]) | |
北緯31度35分22秒 東経130度20分49.7秒 / 北緯31.58944度 東経130.347139度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 日置市 |
地域 | 日吉地域 |
人口 (2015年10月1日現在) | |
• 合計 | 3,438人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
899-3101 |
市外局番 | 099 |
日吉町日置(ひよしちょうひおき)は、鹿児島県日置市の大字[2]。旧日置郡日置郷日置村、日置郡日置村大字日置、日置郡日吉町大字日置。人口は3,438人、世帯数は1,426世帯(2015年10月1日現在)[3]。郵便番号は899-3101[4]。
日置市の西部に位置している。1955年(昭和30年)から2005年(平成17年)の市町村合併まで日吉町の町役場が置かれており、日吉町の中心地であった[5]。
地理
日置市の中部に位置しており、大川の中流域から下流域に所在している。字域の北方に東市来町宮田、伊集院町大田、南方から東方にかけて日吉町吉利、東方に伊集院町飯牟礼、西方に日吉町山田、日吉町神之川、東シナ海に接している。北部の住吉地区と南部の日置地区に分かれている。
字域の西部を海岸に沿って国道270号が南北に通っている。南部から東方に向かって鹿児島県道37号伊集院日吉線が通っている。かつては鹿児島交通枕崎線が字域内を南北に通っており、上日置駅、日置駅が設置されていたが[5]、1984年(昭和59年)に廃止された[6]。吹上浜に沿って鹿児島県道2号加世田日吉自転車道線が通っており字域の最西部を終点としている。
字域の南部に施設が多く所在しており、日置市役所日吉支所や、日置市立日吉小学校、日置市立日吉中学校が所在している。
西方には吹上浜が広がっており、一帯が県立自然公園に指定されている[5]。
東市来町宮田 | 東市来町宮田・伊集院町大田 | 伊集院町大田 | ||
東シナ海・日吉町神之川・日吉町山田 | 伊集院町飯牟礼 | |||
日吉町日置 | ||||
東シナ海 | 日吉町吉利 | 日吉町吉利 |
地名の由来
日置の地名の由来について「日吉町郷土誌」では以下の2点の説が掲げられている[7]。
自然公園・自然保護地区
西端部の概ね国道270号より西の区域は鹿児島県立自然公園である「吹上浜金峰山県立自然公園」の区域となっており、前身の吹上浜県立自然公園は1953年(昭和28年)3月31日に県立自然公園として指定されている[9]。
河川
- 大川 - 日吉町吉利との境界上付近を流れる河川。
湖沼
歴史
日置の成立と荘園
日置という地名は鎌倉時代から見える地名であり、薩摩国のうちであった[2]。古代の日置郡の区域は荘園となっており、平安時代末期から存在したという[2]。
日置荘は日置北郷と日置南郷に分かれ、日置北郷はのちに日置郷となる区域である[2]。天正8年に島津義弘の命により島津歳久が日置郷を領地とした[2]。
その後豊臣秀吉の蔵入地となったものの、天正14年(1586年)から天正15年(1587年)にかけて勃発した豊臣秀吉と島津氏との間で起こった九州平定(九州征伐とも)の結果、島津氏が豊臣秀吉に降伏。薩摩・大隅・日向の3国に対して太閤検地が行われることになった[11]。文禄4年(1595年)に、太閤検地が完了したことから豊臣秀吉の命により薩摩国・大隅国・日向国の改易移封が行われた[11]。これによって日置島津家の当主島津常久が領主となった[2]。
江戸時代の日置
江戸時代には薩摩国日置郡日置郷(外城)のうちであった[2]。村高は「天保郷帳」では3,287石余[2]、「三州御治世要覧」では2,959石余[12]、「旧高旧領取調帳」では2,875石余であった[2]。日置郷は万治4年に薩摩藩の直轄領となったものの、延宝8年に再び日置島津家が日置郷を私領として統治した[2]。
享保12年(1727年)には吉利郷(現在の日吉町吉利)と日置郷の間に境界論争が発生した。組頭を始めとする郷の役人と門の代表者24名により協議が行われ、翌年に決着をみた[12]。元文2年(1737年)には紙漉の荒野を開拓し、水田が開墾された[12]。日置村は農民1,255人、漁民140人であることから農業中心の地域であったと考えられる[2]。
鎮守は日置郷惣社の八幡神社で「地理纂考」によると伊集院郷谷口村(現在の伊集院町下谷口及び鹿児島市上谷口町にあたる)より移したとみられ新田八幡を勧誘したものである。八幡神社が移転する前は刀立神社が鎮守であったとされる[2]。
江戸時代後期に薩摩藩が編纂した地誌である「三国名勝図会」には日置村の八幡宮(現在の八幡神社)について以下のとおり記載されている(旧字体は新字体に、合略仮名・変体仮名はかなに改めた)[13]。
日置村にあり、奉祀天照大神、天津彦々火瓊々杵尊、栳幡千々姫命の三坐、按るに水引八幡新田宮を勧請せしなるべし、祭神彼宮と同じければなり、九月十五日を正祭とし、竹偶人を作り、四輪車に乗せ、里童をして前路を馳せしむ、又五月六日に祭りあり、土俗及び隣郷より踊を興行すること数隊なり、既にして、神輿を田原へ護り行くの旧式あり、文禄四年、島津下総守常久、当邑に封ぜられ、当社を以て(※字不明)邑の総鎮守と尊恭せり、是より村民亦一入の崇敬を致す、社司原口氏の傳に云、初め隣邑伊集院谷口善福寺の邊にありしを、此処に遷鎮せりと、—三国名勝図会巻之九
明治以後の日置
明治4年に廃藩置県が行われ薩摩藩の統治区域である薩摩国、大隅国の区域に鹿児島県が設置された。1873年(明治6年)には大区小区制が敷かれ、日置は第十二大区となり、他の田布施、伊作、永吉、吉利と共に伊作の区長事務扱所に属した[14]。1878年(明治11年)には郡区町村編制法の施行に伴い、日置村には御仮屋跡地に戸長役場が設置された[15]。
1889年(明治22年)には町村制が施行されたのに伴い、日置郷を構成していた日置村と山田村の区域を以て日置郡日置村が設置された[16]。また日置村役場が置かれ、同時に江戸時代の日置村は日置村の大字「日置」となった[2]。
1953年(昭和28年)に公布された町村合併促進法によって、狭小な町村の合併が促進されることとなり、面積が狭く人口が8,000人以下の町村は合併すべき規模とされた[17]。直近に実施された1950年(昭和25年)の国勢調査では日置村(大字日置、大字山田)の人口は9,672人であった[18]。当初の構想では日置村と吉利村、永吉村の一部の合併が理想的であると鹿児島県地方課も考えていたとみられるが、永吉村は伊作町と合併することとなったため、日置村は吉利村との対等合併の形を取ることとなった[19]。1955年(昭和30年)2月9日に日置村議会において合併に関する議決を全会一致で可決し、合併申請書が提出された[20]。1955年(昭和30年)4月1日には日置村が吉利村と合併したことにより日吉町が成立した[19]。それに伴って大字日置は日吉町の大字となった[2]。また新たに設置された日吉町の役場は大字日置の旧日置村役場の場所に設置された[20]。
2000年(平成12年)に日置字六枝及び井神の各一部が吉利字石町の一部となり、吉利字六枝、春日、瀬戸口及び井神の各一部が吉利字南天牟田の一部となった[21]。
2005年(平成17年)5月1日に日吉町が伊集院町、吹上町、東市来町と合併し日置市が成立した[22]。この合併に先立って設置された法定合併協議会である「日置中央合併協議会」において大字名については「字の区域は、現行どおりとし、現行の字の名称の前に当該字の属する合併前の町の名称を付し、字の名称を変更する。」と協定され、旧町名である「日吉町」を従前の大字名である「日置」に冠することとなった[23]。合併日の2005年(平成17年)5月1日に鹿児島県の告示である「 字の名称の変更」が鹿児島県公報に掲載された[24]。この告示の規定に基づき即日大字の名称変更が行われ、大字名が「日置」から日置市の大字「日吉町日置」に改称された[25]。
字域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
吉利字石町の一部 | 2000年(平成12年) | 日置字六枝、井神の各一部 |
吉利字南天牟田の一部 | 日置字六枝、春日、瀬戸口、井神の各一部 |
文化財
市指定
- 八幡神社(史跡)[26]
- 大乗寺跡(史跡)[27]
- 光禅寺跡(史跡)[28]
- 桂山寺跡(史跡)[29]
- 熊野神社(史跡)[30]
- 釈迦木像(彫刻)[31]
- 扁額「醫王寳殿」(書跡)[32]
- お田植え踊(無形民俗文化財)[33]
- 太鼓踊(無形民俗文化財)[34]
- 石屋和尚手彫りの石地蔵(彫刻)[35]
- 毘沙門天(史跡)[36]
祭事
施設
公共
- 日置市役所日吉支所[41]
- 日置市立ひよし図書館[42]
- 鹿児島県警察日置警察署日吉駐在所[43]
- 日置市日吉運動公園
- ひおき診療所[53]
- 日置市日吉中央公民館[54]
- 天然温泉ひよし(日吉老人福祉センター)[55]
教育
郵便局
寺社
- 八幡神社
- 三光寺
- 明信寺
人口
以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
統計年 | 人口 | ||
---|---|---|---|
1995年(平成7年) | [60] | 4,113 | |
2000年(平成12年) | [61] | 3,995 | |
2005年(平成17年) | [62] | 3,881 | |
2010年(平成22年) | [63] | 3,654 | |
2015年(平成27年) | [3] | 3,438 |
教育
日吉町日置には「日置市立日吉中学校」、「日置市立日吉小学校」が設置されている。かつては「日置市立日置小学校」、「日置市立住吉小学校」が設置されていた。
中学校
日吉町日置には「日置市立日吉中学校」が設置されている。日吉中学校は1972年(昭和47年)に日置中学校と吉利中学校が合併して設立された中学校である[64]。日吉中学校に合併される前の日置中学校は日置に置かれており、1947年(昭和22年)に日置村立日置中学校として設置され、1956年(昭和31年)9月1日に下伊集院村の一部(現在の日吉町神之川の区域)が日吉町に編入されたのに伴い編入された区域の中学生の受け入れを実施した[64]。
小学校
日吉町日置には「日置市立日吉小学校」が設置されている。日吉小学校は2018年(平成30年)に旧日吉町の吉利小学校(日吉町吉利)、日新小学校(日吉町山田)、日置小学校(日吉町日置)、住吉小学校(日吉町日置)が合併し日置小学校跡地に日吉小学校が新設され統合されるのに合わせて閉校した[65]。
日吉小学校の前身となった「日置小学校」は明治4年に外城第十一郷校として日置郷の御仮屋跡地で授業を開始した[66]。1876年(明治9年)に日置小学校となった[66]。1888年(明治21年)に「住吉小学校」が設立され、住吉地区の区域を住吉小学校の校区となった[67]。1941年(昭和16年)に国民学校令が施行され国民学校となった[66]。1947年(昭和22年)に日置国民学校は日置小学校に[66]、住吉国民学校は住吉小学校となった[67]。1979年(昭和54年)に日置小学校に附属幼稚園が設置された[67]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。
大字 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
日吉町日置 | 全域 | 日置市立日吉小学校 | 日置市立日吉中学校 |
交通
道路
- 国道
- 県道
-
- 鹿児島県道37号伊集院日吉線
- 鹿児島県道300号日置停車場線
- 鹿児島県道加世田日吉自転車道線(吹上浜砂丘自転車道)
鉄道(廃止路線)
バス
- 鹿児島交通
- 伊集院・伊作、伊集院高校・加世田・枕崎
- 日置大橋 - 日置 - 日置寺下 - 城の下 - 諏訪神社前 - 住吉校前 - 住吉住宅前 - 住吉支所 - 上日置 - 毘沙門
- 湯之元 - 日置運動公園入口
- 中原 - 日置市立病院 - 麓 - 天神ケ尾 - 日吉支所前 - 日置 - 八幡通り - 日置運動公園入口
- 伊集院・伊作、伊集院高校・加世田・枕崎
出身人物
- 寺師義信(1882年 - 1964年) - 陸軍軍医中将、医師
- 古川静夫(1888年 - 1967年) - 官選佐賀県知事、官選愛媛県知事、大阪法務局長
- 古垣鉄郎(1900年 - 1987年) - ジャーナリスト、外交官
-
寺師義信
-
古川静夫
-
古垣鉄郎
脚注
- ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 531-532.
- ^ a b “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年9月20日閲覧。
- ^ “鹿児島県日置市日吉町日置の郵便番号”. 日本郵便. 2020年9月20日閲覧。
- ^ a b c 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 1067.
- ^ 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 242.
- ^ 日吉町郷土誌編さん委員会 1983, p. 8.
- ^ 歴史民俗用語辞典. “日置部”. weblio辞書. 2020年9月22日閲覧。
- ^ “吹上浜金峰山県立自然公園”. 鹿児島県. 2020年9月13日閲覧。
- ^ a b “日置市防災重点ため池マップ”. 日置市. 2020年10月15日閲覧。
- ^ a b 日吉町郷土誌編さん委員会 1983, p. 142.
- ^ a b c 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 300.
- ^ 薩摩藩 1843.
- ^ 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 21.
- ^ 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 22.
- ^ 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 44.
- ^ 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 51.
- ^ “国勢調査 / 昭和25年国勢調査 / 人口総数”. 総務省統計局. 2020年9月20日閲覧。
- ^ a b 日吉町郷土誌編さん委員会 1988, p. 52.
- ^ a b 鹿児島県総務部参事室 1967, p. 552.
- ^ 平成12年鹿児島県告示第676号(字の区域の変更、平成12年5月19日付鹿児島県公報第1576号所収)
- ^ 市町の廃置分合(平成17年総務省告示第377号、 原文)
- ^ “日置中央合併協議会の調整内容(字の区域及び名称の扱い)”. 日置中央合併協議会(国立国会図書館アーカイブ). 2020年9月12日閲覧。
- ^ 字の名称の変更(平成17年鹿児島県告示第691号、 原文)
- ^ “日置市の住所表示”. 日置市. 2012年4月9日閲覧。
- ^ “八幡神社”. 日置市. 2020年9月20日閲覧。
- ^ “大乗寺跡”. 日置市. 2020年9月20日閲覧。
- ^ “光禅寺跡”. 日置市. 2020年9月20日閲覧。
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- ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 p.1067
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- ^ “古垣 鉄郎 フルカキ テツロウ”. コトバンク. 日外アソシエーツ (2004年7月). 2015年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月8日閲覧。
- ^ 篠原初枝「国際連盟の遺産と戦後日本」(PDF)『アジア太平洋研究』第20巻、早稲田大学アジア太平洋研究センター、2013年2月、94頁、ISSN 1347149X、2015年12月8日閲覧。
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609。
- 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544。
- 日吉町郷土誌編さん委員会『日吉町郷土誌 上巻』日吉町長 野元春男、1983年。
- 日吉町郷土誌編さん委員会『日吉町郷土誌 下巻』日吉町長 野元春男、1988年。
- 鹿児島県総務部参事室『鹿児島県市町村変遷史』鹿児島県、1967年。
- 橋口兼古、五代秀堯、橋口兼柄 著、島津久光 編『三国名勝図会』薩摩藩、1843年。NDLJP:992133
関連項目
- 日置(曖昧さ回避ページ)