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「磯部町坂崎」の版間の差分

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|area_code = [[日本の市外局番|0599]]<ref>{{cite web|url=http://www.soumu.go.jp/main_content/000141817.pdf|title=市外局番の一覧|date=2018-06-14|publisher=[[総務省]]|accessdate=2019-04-20}}</ref>
|registration_plate = [[三重運輸支局|三重]]<ref>{{cite web|url=http://www.kurunavi.jp/guide/rikuunkyoku_mie.html|title=陸運局の所在地・管轄区域【三重県<nowiki>|</nowiki>三重陸運局】|work=くるなび|accessdate=2016-06-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160110152637/http://www.kurunavi.jp/guide/rikuunkyoku_mie.html|archivedate=2016-01-10}}</ref>
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'''磯部町坂崎'''(いそべちょうさかざき)は[[三重県]][[志摩市]]の地名。[[郵便番号]]は517-0212。[[志摩スペイン村]](パルケエスパーニャ)の所在地。
'''磯部町坂崎'''(いそべちょうさかざき)は[[三重県]][[志摩市]]の地名。[[郵便番号]]は517-0212。[[志摩スペイン村]](パルケエスパーニャ)の所在地。

== 地理 ==
志摩市中部、[[磯部町 (三重県)|磯部]]地域の南部に位置する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=1419}}。北側は[[的矢湾#伊雑ノ浦|伊雑ノ浦]]に面し、[[磯部町飯浜]]と向かい合う{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=1419}}。東側を[[パールロード]]が縦貫し、北側を[[三重県道61号磯部大王線]]が横断する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=1419}}。[[雑木林]]に覆われた[[台地]]と谷間の水田を特徴とする[[景観]]が広がる{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=1419}}。

志摩スペイン村周辺を除き、志摩市都市計画区域に含まれる<ref>{{cite web|url=https://www.city.shima.mie.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/36/tokeizu-m.pdf|title=志摩市都市計画図|publisher=志摩市|accessdate=2019-04-20}}</ref>が、[[ハザードマップ]]によれば坂崎集落のほぼ全域が[[津波]]による浸水の想定区域に含まれ、海抜11.1mの坂崎区民センターが志摩市の指定避難所となっている<ref name="hz">{{cite web|url=https://www.city.shima.mie.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/5/sakazaki.pdf|title=志摩市防災ハザードマップ 坂崎|publisher=志摩市|date=2013-03|accessdate=2019-04-20}}</ref>。
<gallery>Sakazaki in Shima.jpg|坂崎集落と伊雑ノ浦
Sakazaki branch of Isobe Elementary School.jpg|旧・坂崎分校</gallery>

[[1960年代]]の住民の[[姓]]は下村と岡野が多く、次いで坂本、小海途(こがいと)、広村、浜口が多い{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=492}}。現今の坂崎集落は1つにまとまっているが、往古の時代にはホンデ・ナカドト・ミドヤマ・ミドノオリの4か所に分かれており、これに対応して[[1月5日]]に行われる神祭りの際には、北の座に広村・岡野・長井・西浜の各氏、南の座に下村氏、中の座の一方に北野氏と小海途氏、中の座のもう一方に下司氏が着座するという風習があった{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=492}}。この4か所に分かれて座る人々の姓を四門と総称し、[[アメノウズメ|猿女]]神楽に縁のある楽神の[[末裔]]で楽人の集団であったと伝承されている{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=492}}。

東は[[磯部町三ヶ所]]、南は[[阿児町国府]]・[[阿児町鵜方]]、西は[[磯部町穴川]]と接する。

* 川 - アブミ川、日出川
* 山 - 馬ヶ背山{{sfn|平凡社|1983|p=714}}、下司山{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=206}}

=== 小・中学校の学区 ===
[[公立学校|市立]]の[[小学校|小]]・[[中学校]]に通学する場合、磯部町坂崎全域が[[志摩市立磯部小学校|磯部小学校]]・[[志摩市立磯部中学校|磯部中学校]]の学区となる<ref>{{cite web|publisher=志摩市教育委員会事務局学校教育課|url=https://www.city.shima.mie.jp/kosodate_kyoiku/sho_chugakko/1458721507107.html|title=学校通学区|accessdate=2019年4月20日}}</ref>。かつては磯部町坂崎に磯部小学校坂崎分校があった{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=1419}}。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
志摩市磯部地域では、各地で考古遺跡が発見されているが、坂崎では住民が土取りの最中に[[土器]]や[[貝塚]]を発見したと伝えられるのみで[[専門家]]が確認できたものはない{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=32-397, 438}}。[[平安時代]]の[[永承]]5年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]([[ユリウス暦]]:[[1050年]][[3月2日]])に[[荒木田氏]]が「[[志摩国]][[答志郡]]'''坂崎'''東地并塩浜」を[[伊勢神宮]]へ寄進したという記録がある{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。これより以前は磯部松春の所領であったが、ある時に四位大夫に売却され、大夫の子孫から荒木田氏貞が[[長保]]4年([[1002年]])に買収、[[皇大神宮]](内宮)を司る荒木田氏へ寄進され、[[伊勢神宮]]の経済下に入ったという{{sfn|平凡社|1983|p=713}}。寄進された[[塩田]]は3町(≒2.98 [[ヘクタール|ha]])に及び、小字城山・あぶみからは製塩用の[[土鍋]]や[[土師器]]片が出土している{{sfn|平凡社|1983|p=713}}。
古代には坂崎[[御厨]]があったと推定されている。地域内にある宇氣比神社は独特の古い祭祀を伝えているという。

続いて[[久安]]3年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]](ユリウス暦:[[1147年]][[9月2日]])には坂崎[[御厨]][[検校]]の正元が畑地7反(≒69.4 [[アール (単位)|a]])分の[[地子]]物を6年にわたって[[押領]]したとして、坂崎東地定使の遠次と相論となったことが皇太神宮[[庁宣]]として残っている{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。また[[建久]]3年([[1192年]])の「皇太神宮年中行事」に魚介を献進する地域の1つとして坂崎が挙げられ、『[[神鳳鈔]]』にも坂崎が御厨である旨の記述がある{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。坂崎には城山という地名が残っており、[[中世]]に砦があったと伝えられる{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。

[[江戸時代]]には志摩国答志郡磯部組に属し、坂崎村として[[鳥羽藩]]の配下にあった{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。磯部組ではあったが、[[磯部の御神田|伊雑宮御田植祭]]の奉仕区である磯部九郷には含まれていなかった{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=49}}。江戸時代を通して村高は403[[石 (単位)|石]]余であった{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。鳥打網を13張所有しており、10月から翌1月まで伊雑ノ浦を越えてきた[[水鳥]]を捕獲し、御用の際には上納していた{{sfn|平凡社|1983|p=714}}。この頃、鵜方村(現・志摩市阿児町鵜方)で使われる[[肥料]]は「鵜方荷」と呼ばれ、その多くは坂崎村で荷揚げされた{{sfn|平凡社|1983|p=714}}。[[安政]]3年([[1856年]])と[[1890年]](明治23年)に住民が海を埋め立て4町3反(≒4.26 ha)の坂崎新田を造成した{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}{{sfn|平凡社|1983|p=714}}。[[幕末]]には海防のため城山に[[砲台]]が設置された{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。

[[1889年]]([[明治]]22年)、[[町村制]]の施行により答志郡[[磯部村 (三重県)|磯部村]]が発足、その1大字となり、[[1955年]]([[昭和]]30年)に[[磯部町 (三重県)|磯部町]]となり{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}、さらに[[2004年]]([[平成]]16年)に合併して[[志摩市]]になった。[[1950年]](昭和25年)[[12月11日]]、坂崎簡易郵便局が開局する{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=11}}。[[1993年]](平成5年)、周辺保育所を統合して磯部町立ひのでが丘保育所(現・志摩市立ひのでが丘保育所)が開所した{{sfn|三重県磯部町|2004|p=20}}。

[[1994年]](平成6年)[[4月22日]]、志摩スペイン村が開業した<ref>{{cite web|url=https://iseshima.keizai.biz/headline/1973/|title=志摩スペイン村20周年―1994年4月22日生まれの人に10年分のパスポート|publisher=[[伊勢志摩経済新聞]]|date=2014-03-01|accessdate=2019-04-28}}</ref>。開業1年目の入場者数は4,265,500人を達成し、[[東京ディズニーランド]]に次ぐ日本で第2位の[[テーマパーク]]に躍り出たが、年々入場者数は減少、[[2000年]](平成12年)度には200万人を割り込んだ{{sfn|鍛冶|2012|pp=796-797}}。さらに[[2001年]](平成13年)には[[ユニバーサルスタジオジャパン]]が開業したことで差別化を図ることが求められ、「ひまわりの湯」を開業、[[2002年]](平成14年)に「入場者数が120万人程度になっても黒字が出る体質とする」という方針が打ち出され、2004年(平成16年)度に開業初年度以来2度目となる黒字を記録した{{sfn|鍛冶|2012|pp=797-798}}。

=== 地名の由来 ===
諸説ある。
# [[猿田彦神社]]・[[伊雑宮]]・[[佐美長神社]]に[[サカキ]](榊)を献じてきたことから、「榊崎」と呼ばれたことに由来する{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。
# 答志郡と[[英虞郡]]の境にある[[崖]]を意味する「サカイダキ」に由来する<ref name="jfti">{{cite web|url=www.osakanaikiiki.com/shisho/5.htm|title=支所紹介5|work=お魚いきいきドットコム|publisher=鳥羽磯部漁業協同組合|accessdate=2019-04-28}}</ref>。

=== 人口の変遷 ===
<!--
グラフの作成 r01.png=5戸(5世帯)、g01.png=5人で換算しています(r50=500戸(500世帯)、g50=500人)
-->
'''総数 [戸数または世帯数: [[ファイル:r10.png]] 、人口: [[ファイル:g10.png]] ]'''
{| class="wikitable"
|-
| [[1746年]]([[延享]]3年){{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=530}}{{sfn|平凡社|1983|p=714}}
|| [[ファイル:r10.png]][[ファイル:r01.png]] 57戸<br />
[[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g05.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]] 245人
|-
| [[1880年]](明治13年){{sfn|平凡社|1983|p=714}}
|| [[ファイル:r10.png]][[ファイル:r01.png]] 57戸<br />
[[ファイル:g50.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]] 312人
|-
| [[1889年]](明治22年){{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=530}}
|| [[ファイル:r10.png]][[ファイル:r01.png]][[ファイル:r01.png]] 60戸<br />
[[ファイル:g50.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g05.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]] 485人
|-
| [[1960年]](昭和35年){{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=11}}
|| [[ファイル:r10.png]][[ファイル:r10.png]][[ファイル:r01.png]][[ファイル:r01.png]][[ファイル:r01.png]] 116世帯<br />
[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g05.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]] 694人
|-
| 1990年(平成2年)<ref>{{cite web|url=http://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000032883.pdf|title=平成2年国勢調査市町村集計結果による三重県市町村町丁・字別人口・世帯数|work=みえDataBox|publisher=三重県戦略企画部統計課人口統計班|accessdate=2019-04-28}}</ref>
|| [[ファイル:r10.png]][[ファイル:r10.png]][[ファイル:r05.png]][[ファイル:r01.png]][[ファイル:r01.png]] 136世帯<br />
[[ファイル:g50.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g01.png]] 458人
|-
| 1995年(平成7年)<ref>{{cite web|url=http://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000032976.pdf|title=平成7年国勢調査 三重県市町村 町丁・字別人口及び世帯数|work=みえDataBox|publisher=三重県戦略企画部統計課人口統計班|accessdate=2019-04-30}}</ref>
|| [[ファイル:r50.png]][[ファイル:r05.png]] 278世帯<br />
[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g05.png]] 579人
|-
| [[2000年]](平成12年)<ref>{{cite web|url=http://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000038176.xls|title=小地域集計結果(市町村 町丁・字別人口及び世帯数)/志摩郡、北牟婁郡、南牟婁郡|work=みえDataBox|publisher=三重県戦略企画部統計課人口統計班|accessdate=2019-04-28}}</ref>
|| [[ファイル:r10.png]][[ファイル:r10.png]][[ファイル:r10.png]][[ファイル:r10.png]][[ファイル:r01.png]][[ファイル:r01.png]] 212世帯<br />
[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g01.png]] 508人
|-
| [[2010年]](平成22年)<ref>{{cite web|url=http://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000038479.xls|title=町丁・字別人口及び世帯数|work=みえDataBox|publisher=三重県戦略企画部統計課人口統計班|accessdate=2019-04-28}}</ref>
|| [[ファイル:r10.png]][[ファイル:r10.png]][[ファイル:r10.png]][[ファイル:r01.png]][[ファイル:r01.png]][[ファイル:r01.png]][[ファイル:r01.png]] 170世帯<br />
[[ファイル:g50.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]] 370人
|-
| 2019年(平成31年)<ref>{{cite web|url=https://www.city.shima.mie.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/3/2019_3_31.xlsx|title=行政区別人口・世帯数一覧表|publisher=志摩市役所政策推進部市長公室|date=2018-08-31|accessdate=2018-09-23}}</ref>
|| [[ファイル:r10.png]][[ファイル:r10.png]][[ファイル:r10.png]][[ファイル:r05.png]][[ファイル:r01.png]] 182世帯<br />
[[ファイル:g50.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g05.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]] 338人
|}

== 経済 ==
[[2015年]](平成27年)の[[国勢調査]]による15歳以上の就業者数は171人で、産業別では多い順に生活関連サービス業・娯楽業(29人・17.0%)、[[建設業]](27人・15.8%)、[[卸売|卸売業]]・[[小売|小売業]](23人・13.5%)、[[医療]]・[[福祉]](16人・9.4%)、[[宿泊施設|宿泊業]]・[[飲食店|飲食サービス業]](15人・8.8%)となっている<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/file-download?statInfId=000031580990&fileKind=1|title=第11表 産業(大分類),男女別15歳以上就業者数 -町丁・字等|publisher=[[総務省]][[統計局]]|date=2017-05-30|accessdate=2019-04-23}}</ref>。2014年(平成26年)の[[経済センサス]]によると、磯部町坂崎の全事業所数は27事業所、従業者数は982人である<ref name="es1">{{cite web|url=http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Csvdl.do?sinfid=000031377842|title=平成26年経済センサス-基礎調査 確報集計 町丁・大字別集計 24 三重県(1)|date=2017-11-12|work=e-Stat|publisher=総務省統計局|accessdate=2019-04-23}}</ref>。具体的には建設業が7、卸売業・小売業が5、生活関連サービス業・娯楽業が3、宿泊業・飲食サービス業が4、医療・福祉が2、[[林業]]、電気機械器具製造業、技術サービス業が各1事業所<ref name="es1"/><ref name="es2">{{cite web|url=http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Csvdl.do?sinfid=000031377843|title=平成26年経済センサス-基礎調査 確報集計 町丁・大字別集計 24 三重県(2)|date=2017-11-12|work=e-Stat|publisher=総務省統計局|accessdate=2019-04-23}}</ref>。全27事業所のうち12事業所が従業員4人以下の小規模事業所であるが、雇用人員は30人以上の3事業所がほとんどを占める<ref name="es2"/>。

[[ファイル:JF Sakazaki branch & simple post office.jpg|thumb|旧・鳥羽磯部漁業協同組合坂崎支所(坂崎簡易郵便局)]]
坂崎は半農半漁の地域である{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=1419}}。2015年(平成27年)の[[農林業センサス]]によると農林業経営体数は13経営体(うち農業と林業の兼業が2経営体)<ref>{{cite web|url=http://www.machimura.maff.go.jp/shurakudata/2015/sa/SA0001_2015_2015_24.xlsx|title=1.農林業経営体_調査客体|work=三重県|date=2016-12-20|publisher=[[農林水産省]]大臣官房統計部経営・構造統計課センサス統計室|accessdate=2019-04-23}}</ref>、農家数は23戸(うち販売農家は13戸)<ref>{{cite web|url=http://www.machimura.maff.go.jp/shurakudata/2015/sa/SA5194_2015_2015_24.xlsx|title=総農家等_総農家数等|work=三重県|date=2016-12-20|publisher=農林水産省大臣官房統計部経営・構造統計課センサス統計室|accessdate=2019-04-23}}</ref>、耕地面積は田が33 [[ヘクタール|ha]]、畑が3 ha、[[果樹園|樹園地]]が1 haである<ref>{{cite web|url=http://www.machimura.maff.go.jp/shurakudata/2015/sa/SA7002_2015_2015_24.xlsx|title=37.地域調査_耕地面積|work=三重県|date=2016-12-20|publisher=農林水産省大臣官房統計部経営・構造統計課センサス統計室|accessdate=2019-04-23}}</ref>。2013年(平成25年)の漁業センサスによると漁業経営体数は7経営体で、うち[[海苔|ノリ]]養殖が5経営体、[[カキ (貝)|カキ]]養殖が2経営体である<ref name="gc">{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/database?page=1&layout=datalist&toukei=00500210&kikan=00500&tstat=000001033844&cycle=0&tclass1=000001066355&tclass2=000001066375&tclass3=000001074165&result_page=1&second2=1|title=漁業センサス 2013年漁業センサス 確報 2013年漁業センサス|work=第4巻海面漁業に関する統計(漁業地区編)第2分冊 関東・東海・近畿|date=2016-07-14|publisher=総務省統計局|accessdate=2019-04-23}}</ref>。[[漁船]]数は11隻(無動力船が2隻、[[船外機]]付船が9隻)で、漁業就業者は11人である<ref name="gc"/>。磯部町坂崎には坂崎漁業協同組合が存在した{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=1419}}が、[[2002年]](平成14年)[[10月1日]]に統合して鳥羽磯部漁業協同組合となり<ref>{{cite web|url=http://www.pref.mie.lg.jp/SUIKEIEI/HP/65488043239.htm|title=漁協合併の経過(県内の沿海地区漁協)|publisher=三重県農林水産部漁業環境課|date=2018-09-03|accessdate=2019-04-28}}</ref>、坂崎支所として存続していたが、[[2011年]](平成23年)[[3月31日]]に事務所を閉鎖し三ヶ所支所に統合された<ref name="jfti"/>。

== 寺社と文化 ==
=== 宇氣比神社 ===
坂崎の[[鎮守]]は[[小字]]水谷にある宇氣比神社で、江戸時代には八王子社と称した{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。江戸時代には若宮社、土宮神社、八雲神社、八幡社、弁財天社もあったが、[[1908年]](明治41年)に宇氣比神社へ[[合祀]]された{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。旧磯部村内の[[産土神]]の中で唯一、坂崎のみ磯部神社に合祀されずに残ったため、多くの祭事や神事が継続されている{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=159}}。

祭礼に使う[[忌火]]はもみすり発火(溝を付けた[[ヒノキ]]の板に堅木の錐を2人がかりでもみ、その[[摩擦]]によって火を起こす方法{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=159}})によって起こし、各家庭ではこの忌火を[[神棚]]に供える{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=159}}。もみすり発火は原初的な発火方法で、伊勢神宮で行われているロクロ錐による発火方法よりも古いものである{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=159}}。宇氣比神社の[[例祭]]は1月5日で、[[頭屋|祷屋制]]により[[獅子舞]]や弓引神事を行う{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。

江戸時代には[[1月7日 (旧暦)|1月7日]]に若者が[[藁]]製の棒を荒神に供えた後、御手幣を括り付け、[[釜]]の墨を付けてそれを未婚の女性に塗る「山の神祭」、[[1月20日 (旧暦)|1月20日]]に「親取り子取り」を行う「フタエトリ」という行事があった{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。

=== 隣江寺 ===
坂崎の寺院は地区の中央にある[[曹洞宗]][[常安寺 (鳥羽市)|常安寺]][[末寺]]の玉樟山隣江寺(磯部町坂崎1192番地{{sfn|志摩市教育委員会 編|2018|p=47}})である{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=172}}。隣江寺は[[寛永]]8年([[1631年]])に真翁泰山首座が[[開基]]となったと[[過去帳]]にあるが、実際にはその数年前には建立されていたと推定される{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=172}}。[[本尊]]は[[大日如来]]{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=172}}。境内に弥勒堂がある{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=173}}が、鈴木敏雄の調査によれば堂内にあるのは[[弥勒菩薩]]ではなく[[薬師如来]]であり、[[鎌倉時代]]後期の作である{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=173}}。(ただし寺伝では弥勒菩薩とされる{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=173}}。)境内には[[1999年]](平成11年)[[12月24日]]に指定された志摩市の[[天然記念物]](指定当時は磯部町)の大樹「隣江寺の[[イチョウ]]」と「隣江寺の[[クスノキ]]」がある{{sfn|志摩市教育委員会 編|2018|p=47}}。隣江寺の[[山号]]「玉樟山」はこのクスノキに由来する{{sfn|磯部郷土史刊行会 編|1963|p=187}}。

== 交通 ==
=== 鉄道 ===
磯部町坂崎には[[鉄道]]は通っておらず、最寄り駅は[[近畿日本鉄道|近鉄]][[近鉄志摩線|志摩線]][[穴川駅 (三重県)|穴川駅]]である{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=520}}。ただし、穴川駅から坂崎集落までは2 [[キロメートル|km]]ほど離れており、その間[[路線バス]]は通じていない{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=1419}}。路線バスでつながっている[[鉄道駅]]は同線の[[鵜方駅]]・[[賢島駅]]である<ref name="nt2">{{cite web|url=https://www.navitime.co.jp/diagram/bus/00100666/00024768/0/|title=坂崎87<nowiki>[三重交通] [鵜方駅前/賢島駅前方面]</nowiki>|work=[[NAVITIME]]|accessdate=2019-04-28}}</ref>。

=== 路線バス ===
2019年(平成31年)現在、磯部町坂崎には[[三重交通]]が乗り入れており<ref name="nt2"/>、坂崎・志摩スペイン村の2つの[[バス停留所|バス停]]がある<ref>{{cite web|url=https://www.navitime.co.jp/bus/diagram/busstop/24215015000/?name=|title=三重県志摩市磯部町坂崎のバス停一覧|work=NAVITIME|accessdate=2019-04-20}}</ref>。
* 三重交通([[三重交通志摩営業所|志摩営業所]]管内)
** <span style="color:green">■</span>58系統 ホテル&リゾーツ伊勢志摩
** <span style="color:green">■</span>58・87系統 [[鵜方駅|鵜方駅前]]
** <span style="color:green">■</span>87系統 志摩スペイン村
** <span style="color:green">■</span>87系統 [[賢島駅|賢島駅前]]

なお、[[磯部地域予約運行型バス]]「ハッスル号」うみルートが坂崎を通っているが、バス停はなく通過するのみである<ref>{{cite web|url=https://www.city.shima.mie.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/13/umiruto.pdf|title=磯部地域予約運行型バス ハッスル号 ルート図 うみルート|date=2018-09-01|publisher=志摩市役所政策推進部総合政策課|accessdate=2019-04-30}}</ref>。

=== 道路 ===
; [[ファイル:Japanese_National_Route_Sign_0167.svg|24px]] [[国道167号]]鵜方磯部バイパス
: [[三重県道16号南勢磯部線]]と[[国道260号]]を結ぶ[[バイパス道路]]で[[延長 (日本の道路)|総延長]]は7.65 km<ref name="kt1611">{{cite web|url=https://www.kentsu.co.jp/feature/kikaku/view.asp?cd=161118000001|title=県民の命と暮らしを守る三重県の県土づくりに迫る|publisher=建通新聞|accessdate=2019-04-25|date=2016-11-18}}</ref>。[[2017年]](平成29年)[[12月17日]]開通<ref>{{cite web|url=http://genki3.net/?p=102773|title=「一般国道167号鵜方磯部バイパス」全区間開通!|work=ゲンキ3ネット|date=2017-12-18|accessdate=2019-04-25}}</ref>。磯部町坂崎 - 阿児町鵜方間は出馬重機、磯部町坂崎 - 磯部町穴川間は山本建材が施工した<ref name="kt1611"/>。
; 三重県道128号鳥羽阿児線(パールロード)
: 鳥羽市と志摩市を結ぶ23.8 kmの道路<ref>{{cite web|url=https://www.iseshima-kanko.jp/spot/1220/|title=パールロード|work=伊勢志摩観光ナビ|publisher=伊勢志摩観光コンベンション機構|accessdate=2019-04-28}}</ref>で、坂崎の東部を通る{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=1419}}。
* 三重県道61号磯部大王線
* [[三重県道129号磯部大王自転車道線]]
* 志摩市道三ヶ所坂崎線
* 志摩市道坂崎中央本線

== 施設 ==
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* 志摩スペイン村
** パルケエスパーニャ
** ホテル志摩スペイン村
** ひまわりの湯
** シーズンインアミーゴス
* 坂崎区民センター<ref name="hz"/>
* 志摩市立ひのでが丘保育所<ref>{{cite web|url=https://www.city.shima.mie.jp/kosodate_kyoiku/nyuji_yoji/hoikujo_yochien/1458721505560.html|title=保育所(園)について|date=2018-04-01|publisher=志摩市健康福祉部こども家庭課|accessdate=2019-04-20}}</ref>
* 株式会社ヤマジ<ref>{{cite web|url=http://e-yamaji.com/company|title=会社概要|publisher=株式会社ヤマジ|accessdate=2019-04-23}}</ref>
* 有限会社谷惣<ref>{{cite web|url=http://www.tanisou.com/guide.html|title=会社案内|publisher=有限会社谷惣|accessdate=2019-04-20}}</ref>
* 坂崎簡易郵便局<ref>{{cite web|url=https://map.japanpost.jp/p/search/dtl/300122819000/|title=坂崎簡易郵便局(三重県)|publisher=日本郵便|accessdate=2019-04-20}}</ref>
* [[ファミリーマート]]志摩パールロード店<ref>{{cite web|url=http://as.chizumaru.com/famima/detailMap?account=famima&bid=55843|title=志摩パールロード店|work=ファミマップ|accessdate=2019-04-20}}</ref>
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1889年([[明治]]22年) [[町村制]]の施行により[[答志郡]][[磯部村 (三重県)|磯部村]]が発足、[[1955年]]([[昭和]]30年)[[磯部町 (三重県)|磯部町]]となり、さらに[[2004年]]([[平成]]12年)に合併して[[志摩市]]になった。
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* {{cite journal|和書|author=鍛冶博之|title=テーマパーク経営と日本社会への影響―志摩スペイン村の場合―|journal=同志社商学|publisher=同志社大学商学会|volume=63|issue=5|page=791-813|date=2012-03|naid=110009457863|ref={{sfnref|鍛冶|2012}}}}
* {{cite book|和書|editor=磯部郷土史刊行会 編|title=磯部郷土史|publisher=磯部郷土史刊行会|date=1963年5月10日|page=506|ref={{sfnref|磯部郷土史刊行会 編|1963}}}}TRCMARC:99208231
* {{cite book|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|title=[[角川日本地名大辞典]] 24三重県|publisher=[[角川書店]]|date=1983年6月8日|page=1643|ref={{SfnRef|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983}}}}{{全国書誌番号|83035644}}
* {{cite book|和書|editor=志摩市教育委員会 編|title=志摩市の文化財|publisher=志摩市教育委員会|date=2018年2月13日|page=52|ref={{sfnref|志摩市教育委員会 編|2018}}}}{{全国書誌番号|23076684}}
* {{cite book|和書|title=三重県の地名|series=[[日本歴史地名大系]]24|publisher=[[平凡社]]|date=1983年5月20日|page=1081|ref={{SfnRef|平凡社|1983}}}}{{全国書誌番号|83037367}}
* {{cite book|和書|title=磯部町50年のあゆみ 町制施行50周年記念誌|publisher=三重県磯部町|date=2004年|page=38|ref={{sfnref|三重県磯部町|2004}}}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[三重県の廃止市町村一覧]]
* [[三重県の廃止市町村一覧]]

== 外部リンク ==
* {{Kotobank|三重県志摩市磯部町坂崎|2=日本の地名がわかる事典}}


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2019年4月30日 (火) 02:29時点における版

日本 > 三重県 > 志摩市 > 磯部町坂崎
磯部町坂崎
志摩スペイン村
磯部町坂崎の位置
磯部町坂崎の位置
磯部町坂崎の位置(三重県内)
磯部町坂崎
磯部町坂崎
磯部町坂崎の位置
北緯34度21分13.8秒 東経136度50分15.3秒 / 北緯34.353833度 東経136.837583度 / 34.353833; 136.837583
日本の旗 日本
都道府県 三重県
志摩市
地域 磯部
面積
 • 合計 5.636609385 km2
標高
11 m
人口
 • 合計 338人
 • 密度 60人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
市外局番 0599[2]
ナンバープレート 三重[3]
自動車登録住所コード 24 514 0153[4]
※座標・標高は坂崎区民センター(磯部町坂崎481番地1)付近

磯部町坂崎(いそべちょうさかざき)は三重県志摩市の地名。郵便番号は517-0212。志摩スペイン村(パルケエスパーニャ)の所在地。

地理

志摩市中部、磯部地域の南部に位置する[5]。北側は伊雑ノ浦に面し、磯部町飯浜と向かい合う[5]。東側をパールロードが縦貫し、北側を三重県道61号磯部大王線が横断する[5]雑木林に覆われた台地と谷間の水田を特徴とする景観が広がる[5]

志摩スペイン村周辺を除き、志摩市都市計画区域に含まれる[6]が、ハザードマップによれば坂崎集落のほぼ全域が津波による浸水の想定区域に含まれ、海抜11.1mの坂崎区民センターが志摩市の指定避難所となっている[7]

1960年代の住民のは下村と岡野が多く、次いで坂本、小海途(こがいと)、広村、浜口が多い[8]。現今の坂崎集落は1つにまとまっているが、往古の時代にはホンデ・ナカドト・ミドヤマ・ミドノオリの4か所に分かれており、これに対応して1月5日に行われる神祭りの際には、北の座に広村・岡野・長井・西浜の各氏、南の座に下村氏、中の座の一方に北野氏と小海途氏、中の座のもう一方に下司氏が着座するという風習があった[8]。この4か所に分かれて座る人々の姓を四門と総称し、猿女神楽に縁のある楽神の末裔で楽人の集団であったと伝承されている[8]

東は磯部町三ヶ所、南は阿児町国府阿児町鵜方、西は磯部町穴川と接する。

  • 川 - アブミ川、日出川
  • 山 - 馬ヶ背山[9]、下司山[10]

小・中学校の学区

市立中学校に通学する場合、磯部町坂崎全域が磯部小学校磯部中学校の学区となる[11]。かつては磯部町坂崎に磯部小学校坂崎分校があった[5]

歴史

志摩市磯部地域では、各地で考古遺跡が発見されているが、坂崎では住民が土取りの最中に土器貝塚を発見したと伝えられるのみで専門家が確認できたものはない[12]平安時代永承5年2月7日ユリウス暦1050年3月2日)に荒木田氏が「志摩国答志郡坂崎東地并塩浜」を伊勢神宮へ寄進したという記録がある[13]。これより以前は磯部松春の所領であったが、ある時に四位大夫に売却され、大夫の子孫から荒木田氏貞が長保4年(1002年)に買収、皇大神宮(内宮)を司る荒木田氏へ寄進され、伊勢神宮の経済下に入ったという[14]。寄進された塩田は3町(≒2.98 ha)に及び、小字城山・あぶみからは製塩用の土鍋土師器片が出土している[14]

続いて久安3年8月6日(ユリウス暦:1147年9月2日)には坂崎御厨検校の正元が畑地7反(≒69.4 a)分の地子物を6年にわたって押領したとして、坂崎東地定使の遠次と相論となったことが皇太神宮庁宣として残っている[13]。また建久3年(1192年)の「皇太神宮年中行事」に魚介を献進する地域の1つとして坂崎が挙げられ、『神鳳鈔』にも坂崎が御厨である旨の記述がある[13]。坂崎には城山という地名が残っており、中世に砦があったと伝えられる[13]

江戸時代には志摩国答志郡磯部組に属し、坂崎村として鳥羽藩の配下にあった[13]。磯部組ではあったが、伊雑宮御田植祭の奉仕区である磯部九郷には含まれていなかった[15]。江戸時代を通して村高は403余であった[13]。鳥打網を13張所有しており、10月から翌1月まで伊雑ノ浦を越えてきた水鳥を捕獲し、御用の際には上納していた[9]。この頃、鵜方村(現・志摩市阿児町鵜方)で使われる肥料は「鵜方荷」と呼ばれ、その多くは坂崎村で荷揚げされた[9]安政3年(1856年)と1890年(明治23年)に住民が海を埋め立て4町3反(≒4.26 ha)の坂崎新田を造成した[13][9]幕末には海防のため城山に砲台が設置された[13]

1889年明治22年)、町村制の施行により答志郡磯部村が発足、その1大字となり、1955年昭和30年)に磯部町となり[13]、さらに2004年平成16年)に合併して志摩市になった。1950年(昭和25年)12月11日、坂崎簡易郵便局が開局する[16]1993年(平成5年)、周辺保育所を統合して磯部町立ひのでが丘保育所(現・志摩市立ひのでが丘保育所)が開所した[17]

1994年(平成6年)4月22日、志摩スペイン村が開業した[18]。開業1年目の入場者数は4,265,500人を達成し、東京ディズニーランドに次ぐ日本で第2位のテーマパークに躍り出たが、年々入場者数は減少、2000年(平成12年)度には200万人を割り込んだ[19]。さらに2001年(平成13年)にはユニバーサルスタジオジャパンが開業したことで差別化を図ることが求められ、「ひまわりの湯」を開業、2002年(平成14年)に「入場者数が120万人程度になっても黒字が出る体質とする」という方針が打ち出され、2004年(平成16年)度に開業初年度以来2度目となる黒字を記録した[20]

地名の由来

諸説ある。

  1. 猿田彦神社伊雑宮佐美長神社サカキ(榊)を献じてきたことから、「榊崎」と呼ばれたことに由来する[13]
  2. 答志郡と英虞郡の境にあるを意味する「サカイダキ」に由来する[21]

人口の変遷

総数 [戸数または世帯数: 、人口: ]

1746年延享3年)[22][9] 57戸

245人

1880年(明治13年)[9] 57戸

312人

1889年(明治22年)[22] 60戸

485人

1960年(昭和35年)[16] 116世帯

694人

1990年(平成2年)[23] 136世帯

458人

1995年(平成7年)[24] 278世帯

579人

2000年(平成12年)[25] 212世帯

508人

2010年(平成22年)[26] 170世帯

370人

2019年(平成31年)[27] 182世帯

338人

経済

2015年(平成27年)の国勢調査による15歳以上の就業者数は171人で、産業別では多い順に生活関連サービス業・娯楽業(29人・17.0%)、建設業(27人・15.8%)、卸売業小売業(23人・13.5%)、医療福祉(16人・9.4%)、宿泊業飲食サービス業(15人・8.8%)となっている[28]。2014年(平成26年)の経済センサスによると、磯部町坂崎の全事業所数は27事業所、従業者数は982人である[29]。具体的には建設業が7、卸売業・小売業が5、生活関連サービス業・娯楽業が3、宿泊業・飲食サービス業が4、医療・福祉が2、林業、電気機械器具製造業、技術サービス業が各1事業所[29][30]。全27事業所のうち12事業所が従業員4人以下の小規模事業所であるが、雇用人員は30人以上の3事業所がほとんどを占める[30]

旧・鳥羽磯部漁業協同組合坂崎支所(坂崎簡易郵便局)

坂崎は半農半漁の地域である[5]。2015年(平成27年)の農林業センサスによると農林業経営体数は13経営体(うち農業と林業の兼業が2経営体)[31]、農家数は23戸(うち販売農家は13戸)[32]、耕地面積は田が33 ha、畑が3 ha、樹園地が1 haである[33]。2013年(平成25年)の漁業センサスによると漁業経営体数は7経営体で、うちノリ養殖が5経営体、カキ養殖が2経営体である[34]漁船数は11隻(無動力船が2隻、船外機付船が9隻)で、漁業就業者は11人である[34]。磯部町坂崎には坂崎漁業協同組合が存在した[5]が、2002年(平成14年)10月1日に統合して鳥羽磯部漁業協同組合となり[35]、坂崎支所として存続していたが、2011年(平成23年)3月31日に事務所を閉鎖し三ヶ所支所に統合された[21]

寺社と文化

宇氣比神社

坂崎の鎮守小字水谷にある宇氣比神社で、江戸時代には八王子社と称した[13]。江戸時代には若宮社、土宮神社、八雲神社、八幡社、弁財天社もあったが、1908年(明治41年)に宇氣比神社へ合祀された[13]。旧磯部村内の産土神の中で唯一、坂崎のみ磯部神社に合祀されずに残ったため、多くの祭事や神事が継続されている[36]

祭礼に使う忌火はもみすり発火(溝を付けたヒノキの板に堅木の錐を2人がかりでもみ、その摩擦によって火を起こす方法[36])によって起こし、各家庭ではこの忌火を神棚に供える[13][36]。もみすり発火は原初的な発火方法で、伊勢神宮で行われているロクロ錐による発火方法よりも古いものである[36]。宇氣比神社の例祭は1月5日で、祷屋制により獅子舞や弓引神事を行う[13]

江戸時代には1月7日に若者が製の棒を荒神に供えた後、御手幣を括り付け、の墨を付けてそれを未婚の女性に塗る「山の神祭」、1月20日に「親取り子取り」を行う「フタエトリ」という行事があった[13]

隣江寺

坂崎の寺院は地区の中央にある曹洞宗常安寺末寺の玉樟山隣江寺(磯部町坂崎1192番地[37])である[38]。隣江寺は寛永8年(1631年)に真翁泰山首座が開基となったと過去帳にあるが、実際にはその数年前には建立されていたと推定される[38]本尊大日如来[38]。境内に弥勒堂がある[13][39]が、鈴木敏雄の調査によれば堂内にあるのは弥勒菩薩ではなく薬師如来であり、鎌倉時代後期の作である[39]。(ただし寺伝では弥勒菩薩とされる[39]。)境内には1999年(平成11年)12月24日に指定された志摩市の天然記念物(指定当時は磯部町)の大樹「隣江寺のイチョウ」と「隣江寺のクスノキ」がある[37]。隣江寺の山号「玉樟山」はこのクスノキに由来する[40]

交通

鉄道

磯部町坂崎には鉄道は通っておらず、最寄り駅は近鉄志摩線穴川駅である[13]。ただし、穴川駅から坂崎集落までは2 kmほど離れており、その間路線バスは通じていない[5]。路線バスでつながっている鉄道駅は同線の鵜方駅賢島駅である[41]

路線バス

2019年(平成31年)現在、磯部町坂崎には三重交通が乗り入れており[41]、坂崎・志摩スペイン村の2つのバス停がある[42]

なお、磯部地域予約運行型バス「ハッスル号」うみルートが坂崎を通っているが、バス停はなく通過するのみである[43]

道路

国道167号鵜方磯部バイパス
三重県道16号南勢磯部線国道260号を結ぶバイパス道路総延長は7.65 km[44]2017年(平成29年)12月17日開通[45]。磯部町坂崎 - 阿児町鵜方間は出馬重機、磯部町坂崎 - 磯部町穴川間は山本建材が施工した[44]
三重県道128号鳥羽阿児線(パールロード)
鳥羽市と志摩市を結ぶ23.8 kmの道路[46]で、坂崎の東部を通る[5]

施設

  • 志摩スペイン村
    • パルケエスパーニャ
    • ホテル志摩スペイン村
    • ひまわりの湯
    • シーズンインアミーゴス
  • 坂崎区民センター[7]
  • 志摩市立ひのでが丘保育所[47]
  • 株式会社ヤマジ[48]
  • 有限会社谷惣[49]
  • 坂崎簡易郵便局[50]
  • ファミリーマート志摩パールロード店[51]

脚注

  1. ^ 行政区別人口・世帯数一覧表”. 志摩市役所政策推進部市長公室 (2019年3月31日). 2019年4月16日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省 (2018年6月14日). 2019年4月20日閲覧。
  3. ^ 陸運局の所在地・管轄区域【三重県|三重陸運局】”. くるなび. 2016年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月26日閲覧。
  4. ^ 住所コード検索”. 自動車登録関係コード検索システム. 国土交通省. 2019年4月16日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 1983, p. 1419.
  6. ^ 志摩市都市計画図”. 志摩市. 2019年4月20日閲覧。
  7. ^ a b 志摩市防災ハザードマップ 坂崎”. 志摩市 (2013年3月). 2019年4月20日閲覧。
  8. ^ a b c 磯部郷土史刊行会 編 1963, p. 492.
  9. ^ a b c d e f 平凡社 1983, p. 714.
  10. ^ 磯部郷土史刊行会 編 1963, p. 206.
  11. ^ 学校通学区”. 志摩市教育委員会事務局学校教育課. 2019年4月20日閲覧。
  12. ^ 磯部郷土史刊行会 編 1963, p. 32-397, 438.
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 1983, p. 520.
  14. ^ a b 平凡社 1983, p. 713.
  15. ^ 磯部郷土史刊行会 編 1963, p. 49.
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  17. ^ 三重県磯部町 2004, p. 20.
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参考文献

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関連項目

外部リンク