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[[File:Makita Pasture.jpg|thumb|駒込林町(現・千駄木5丁目)にあった搾乳場「楽牛園」<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/758223/59 牛乳搾取業楽 牛園牧田義雄氏夫妻の奮闘成功記]『夫婦成功美談 : 男女修養. 第1編』東京実用女学校出版部、明治42</ref>。明治時代]] |
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牛園牧田義雄氏夫妻の奮闘成功記]『夫婦成功美談 : 男女修養. 第1編』東京実用女学校出版部、明治42</ref>。明治時代]] |
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[[File:100 views edo 016.jpg|thumb|[[歌川広重]]「[[名所江戸百景]]」]] |
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古くは駒込村の一部で、名前の由来は、雑木林で薪などを伐採、その数が千駄にも及んだからという説や、[[室町時代]]の武将・[[太田道灌]]が[[センダン|センダン(栴檀)]]の木を植えた地であり、この栴檀木が転訛したとの説があるが、[[柳田國男]]は『母の手毬歌』の中で、雨乞いの儀式「千駄焚き」(センダキと発音する地域が多い)と関連付けている。[[江戸時代]]の古地図の下駒込村内に「上野東漸院持ち駒込千駄木御林」・「上野寒松院持ち駒込千駄木御林」の記載がある。 |
古くは駒込村の一部で、名前の由来は、雑木林で薪などを伐採、その数が千駄にも及んだからという説や、[[室町時代]]の武将・[[太田道灌]]が[[センダン|センダン(栴檀)]]の木を植えた地であり、この栴檀木が転訛したとの説があるが、[[柳田國男]]は『母の手毬歌』の中で、雨乞いの儀式「千駄焚き」(センダキと発音する地域が多い)と関連付けている。[[江戸時代]]の古地図の下駒込村内に「上野東漸院持ち駒込千駄木御林」・「上野寒松院持ち駒込千駄木御林」の記載がある。 |
2019年4月11日 (木) 01:11時点における版
千駄木 | |
---|---|
千駄木駅 1番出入口(2010年5月) | |
北緯35度43分36.46秒 東経139度45分29.31秒 / 北緯35.7267944度 東経139.7581417度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 文京区 |
地域 | 本郷地域 |
面積 | |
• 合計 | 0.727 km2 |
人口 | |
• 合計 | 20,444人 |
• 密度 | 28,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
113-0022[3] |
市外局番 | 03[4] |
ナンバープレート | 練馬 |
千駄木(せんだぎ)は、東京都文京区の町名[5]。現行行政地名は千駄木一丁目から千駄木五丁目。郵便番号は113-0022[3]。
地理
東京都文京区の北東端、JR東日本山手線の内側に位置している。東京メトロ千代田線の千駄木駅が所在し、JR東日本・京成電鉄(成田スカイアクセス)の日暮里駅等の鉄道駅にも近いため、交通至便な地域である。
日本医科大学が1910年3月に私立東京医学校を合併し、10月、私立東京医学校跡地(現・千駄木校舎)に移転。
「谷根千」とひと括りに呼ばれる谷中・根津と千駄木は、下町情緒あふれる地域として知られ、最近は、新しい雑貨店や飲食店等のショップが増え、観光地としての側面が強くなってきており、公益財団法人東京観光財団のウェブサイトにおいても、東京都の代表的な観光エリアの一つとして、「谷中・根津・千駄木」が挙げられている。[6][7]。しかし厳密には、江戸時代の区分では谷中、根津、千駄木はそれぞれ谷中村由来の寺町(と農村)、根津神社の門前町、駒込村由来の(下級)武家町であるので、「下町」ではなかった。
特に千駄木は東京大学が近く、川端康成、北原白秋、高村光太郎、夏目漱石、森鴎外など多くの文人が居を構えるだけでなく、著名な建築家である中條精一郎(慶應義塾大学図書館等を設計、娘は作家の宮本百合子)や渡辺仁(銀座和光や東京国立博物館本館を設計)も居を構え[8]、地形的にも高台付近は本郷台地の端であるため、本来の「山の手」に含まれる。
第68・69代内閣総理大臣大平正芳の邸宅も現・千駄木3丁目にあった。千駄木三丁目は、林町と呼ばれる。また、旧安田楠雄邸庭園が面している通りは、かつてはいくつかの銀行の頭取などが居を構えたことから、「銀行通り」とも呼ばれ[9]、現在も閑静な住宅地である。
五代目古今亭志ん生は1945から1951年まで千駄木に住んでいた。天外天の総料理長・中川優は赤坂四川飯店で11年(内5年間は料理長)活躍した後、この地で独立した。
地価
住宅地の地価は、2018年(平成30年)の公示地価によれば、文京区千駄木3-10-27(文京-17)の地点で93万0000円/m2となっている。
また、商業地の地価は、2018年(平成30年)の公示地価によれば、文京区千駄木3-40-2(文京5-9)の地点で116万0000円/m2となっている。[13]
歴史
古くは駒込村の一部で、名前の由来は、雑木林で薪などを伐採、その数が千駄にも及んだからという説や、室町時代の武将・太田道灌がセンダン(栴檀)の木を植えた地であり、この栴檀木が転訛したとの説があるが、柳田國男は『母の手毬歌』の中で、雨乞いの儀式「千駄焚き」(センダキと発音する地域が多い)と関連付けている。江戸時代の古地図の下駒込村内に「上野東漸院持ち駒込千駄木御林」・「上野寒松院持ち駒込千駄木御林」の記載がある。
旗本小笠原順三郎邸など、かつて坂上に徳川家康に仕えた武家の屋敷があり、お屋敷街となる。1745年に町奉行支配となった町名に駒込千駄木町・駒込千駄木坂下町・駒込千駄木下町の名がある。千駄木坂下町の小笠原邸跡には、明治初期に旧豊後府内藩主だった大給家(元・松平家)が屋敷を移したことから、「大給坂」と名付けられた[15]。
また、江戸時代に景勝地として知られていた団子坂は、世界的に著名な浮世絵師である歌川広重により、連作「名所江戸百景」の中で、「千駄木団子坂花屋敷」[16]として描かれている。
1965年4月1日、住居表示実施。駒込林町・駒込坂下町の大部分に駒込千駄木・駒込動坂町の各一部をあわせた町域を1-5丁目に分けて現行の「千駄木」となった。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
千駄木一丁目 | 736世帯 | 1,508人 |
千駄木二丁目 | 2,531世帯 | 4,424人 |
千駄木三丁目 | 3,819世帯 | 6,738人 |
千駄木四丁目 | 1,704世帯 | 3,113人 |
千駄木五丁目 | 2,287世帯 | 4,661人 |
計 | 11,077世帯 | 20,444人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[17][18]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
千駄木一丁目 | 全域 | 文京区立汐見小学校 | 文京区立第八中学校 |
千駄木二丁目 | 1〜28番 29番2号(一部) 29番6〜7号 30〜31番 32番5〜6号、8号 33番 34番1〜3号、8〜14号 35番2〜4号、8〜14号 36〜49番 | ||
その他 | 文京区立文林中学校 | ||
千駄木三丁目 | 27番9〜11号 28番1〜6号 28番7号(一部) 28番10〜14号 29〜42番 | ||
その他 | 文京区立千駄木小学校 | ||
千駄木四丁目 | 全域 | ||
千駄木五丁目 | 2番8号(一部) 2番9号 6番1〜8号、25号 6番27号 3〜50番 | ||
2番2〜7号、10〜12号 2番8号(一部) 3〜5番 6番9〜17号 |
文京区立汐見小学校 | ||
その他 | 文京区立第八中学校 |
交通
- 鉄道
- バス
- 道路
- 一般道路
- 不忍通り(東京都道437号秋葉原雑司ヶ谷線)
- 本郷通り
- 一般道路
史跡等
- 太田摂津守の屋敷跡 千駄木ふれあいの杜(屋敷森)。 平成13年10月に開設された市民緑地。江戸時代は太田道灌の子孫である太田摂津守の下屋敷であった。[19]地元住民で構成する「千駄木の森を考える会」が文京区と協定で維持管理を、そして自然観察会といったイベントの企画・運営を行っている。
- 旧安田楠雄邸庭園。 安田楠雄は、安田財閥の創始者・安田善次郎の孫にあたる。千駄木五丁目のお屋敷町にある。(公益財団法人日本ナショナルトラストに寄贈され、修復管理し公開。)[20]
- 団子坂 (景勝地の一つであった団子坂で、幕末から明治期にかけて行われた菊人形は、東京の秋を彩る観光イベントであった。[21][22]近くの「菊見せんべい総本店」も元々菊人形見物客向けのお土産屋から始まった。[23]また、当時近隣に住んでいた、江戸川乱歩、森鴎外、夏目漱石といった文人の作品の中にも団子坂は登場する。[24][25][26])
- 文京区立森鴎外記念館 (記念館が建つ場所は、森鴎外の旧居「観潮楼」跡地。観潮楼正門の門柱跡や森鴎外ゆかりの大イチョウが今でも残る。カフェを併設。)[27]
- 文京区立須藤公園 (江戸時代の加賀藩の支藩の大聖寺藩の屋敷跡。昭和8年[1933年]に須藤家が公園用地として東京市に寄付。)[28]
- 島薗邸 (国登録有形文化財[建造物]島薗家住宅。第1、第3土曜、月2回公開。)[29][30]
- 講談社発祥の地 (明治42年[1909年]11月、野間清治は東京団子坂下の借家の門柱に 「大日本雄辨會」の看板をかかげた。)[31]
- 青鞜社発祥の地 (平塚らいてうの首唱で、女性5人が発起人となり、明治44年[1911年]、18人を社員として青鞜社が結成された。)[32]
- ファーブル資料館 (「虫の詩人」ファーブルの南フランス、サン・レオン村の生家内部が再現され、ファーブルの直筆ノート、「ファーブル昆虫記」に因む標本などが展示。[33])
- 夏目漱石旧居跡 (現住所は向丘二丁目だが、旧町名は駒込千駄木町であり、千駄木と隣接。夏目漱石はイギリスから帰国後の明治36年から3年間当地に住み、処女作『我輩は猫である』を執筆した。当地は現在、日本医科大学同窓会館であるが、敷地内に夏目漱石旧居跡を示す記念碑があり、壁の上には小さな猫の像もある。作品の舞台となった旧居家屋は愛知県犬山市にある「博物館明治村」に移築され公開。)[34]
施設
- 日本医科大学付属病院
- 日本医科大学千駄木キャンパス
- 東洋大学国際会館
- 駒込中学校・高等学校
- 文京区立本郷図書館 (前身は、文京区が本郷区と小石川区に分かれていた1910年(明治43年)開設の東京市立本郷簡易図書館。全国的にも歴史ある図書館のひとつ。現在の図書館敷地は、文京区が買収する前は宮城県の共済宿泊施設「萩風荘」で、戦前は岡本銀行頭取岡本善治邸であった。)[38][39][40]
- 文京区汐見地域活動センター
- 文京区保健サービスセンター本郷支所
- 文京千駄木三郵便局
- 三菱UFJ銀行千駄木支店
- みすほ銀行根津支店
- みすほ銀行動坂支店
脚注
- ^ “文京の統計 - 第49回文京の統計(平成28年)”. 文京区 (2017年1月1日). 2018年1月5日閲覧。
- ^ a b “文京区人口統計資料 - 町丁別世帯・人口(住民基本台帳)(毎月1日現在)”. 文京区 (2017年12月7日). 2018年1月5日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月5日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月5日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P990-991。
- ^ “谷根千ねっと”. 2018年3月24日閲覧。
- ^ “谷中・根津・千駄木/東京の観光公式サイトGO TOKYO”. 公益財団法人東京観光財団 Tokyo Convention & Visitors Bureau. 2018年3月24日閲覧。
- ^ “文京ふるさと歴史館だより第20号/平成25年6月21日発行”. 文京区. 2018年8月4日閲覧。
- ^ “公益財団法人日本ナショナルトラスト 旧安田楠雄邸庭園 パンフレット(PDF)”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “文京区ウェブサイト 須藤公園”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “文京区立森鴎外記念館”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “文京区ウェブサイト 旧安田楠雄邸”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “国土交通省 地価公示”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ 牛乳搾取業楽 牛園牧田義雄氏夫妻の奮闘成功記『夫婦成功美談 : 男女修養. 第1編』東京実用女学校出版部、明治42
- ^ 大給子爵家こぼればなし鵠沼を語る会
- ^ “千駄木団子坂花屋敷 | 錦絵でたのしむ江戸の名所”. 国立国会図書館. 2018年5月10日閲覧。
- ^ “小学校 通学区域”. 文京区 (2014年11月5日). 2018年1月5日閲覧。
- ^ “中学校 通学区域”. 文京区 (2013年11月18日). 2018年1月5日閲覧。
- ^ “千駄木ふれあいの杜(屋敷森)文化財的見地からの見学会”. yanesen.net. 2018年9月2日閲覧。
- ^ “文京区ウェブサイト 旧安田楠雄邸”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “国立国会図書館 錦絵でたのしむ江戸の名所 千駄木”. 2018年3月24日閲覧。
- ^ “文京ふるさと歴史館”. 2018年3月24日閲覧。
- ^ “東京都米菓工業協同組合 菊見せんべい総本店”. 2018年3月24日閲覧。
- ^ “文京区ウェブサイト 文京ゆかりの文人 江戸川乱歩”. 2018年3月24日閲覧。
- ^ “文京区ウェブサイト 文京ゆかりの文人 森鴎外”. 2018年3月24日閲覧。
- ^ “文京区ウェブサイト 文京ゆかりの文人 夏目漱石”. 2018年3月24日閲覧。
- ^ “文京区立森鴎外記念館”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “文京区ウェブサイト 須藤公園”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “文化庁 文化遺産オンライン”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “たてもの応援団”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “発祥の地コレクション”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “文京区ウェブサイト 青鞜社発祥の地”. 2018年3月24日閲覧。
- ^ “文京区ウェブサイト ファーブル資料館(虫の詩人の館)”. 2018年3月24日閲覧。
- ^ “文京区役所 夏目漱石旧居跡(猫の家)”. 文京区. 2018年5月12日閲覧。
- ^ “文化庁 文化遺産オンライン”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “たてもの応援団”. 2018年3月23日閲覧。
- ^ “文京区ウェブサイト ファーブル資料館(虫の詩人の館)”. 2018年3月24日閲覧。
- ^ “本郷図書館|文京区立図書館”. 文京区. 2018年7月4日閲覧。
- ^ “地域雑誌「谷中 根津 千駄木」8号「団子坂物語」”. 谷根千工房. 2018年7月15日閲覧。
- ^ “宮城県公式ウェブサイト東京通信(コラム)「谷根千・本郷界隈に住まいして」”. 宮城県. 2018年7月15日閲覧。