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'''岡田哲史建築設計事務所''' ([[Satoshi Okada architects]]) は, [[東京]]を拠点に活動する日本の[[建築設計事務所]] ([[www.okada-archi.com]])。建築家の[[岡田哲史]] ([[Satoshi Okada]]) が1995年東京に設立した組織[岡田哲史建築都市研究所]の法人化にともない2006年に改称され今日にいたる。同事務所が設計監理し実現させた建築物の洗練されたデザインとそのクオリティは国際的に定評がある。デザインの対象は建築にとどまらず, 椅子をはじめとする家具のデザインや造園を含めたランドスープデザイン, 近年では舞台デザイン ( [[Co3]]:オーストラリア・パース) も手がけている。
'''岡田哲史建築都市研究所'''(おかださとしけんちくとしけんきゅうじょ)は、日本の[[建築設計事務所]]。[[建築家]]、[[千葉大学]][[大学院]][[工学研究科]][[准教授]]の岡田哲史(おかだ さとし、Satoshi Okada)が主宰する。


[[岡田哲史]] ([[Satoshi Okada]] 1962年-) は, [[兵庫県]][[豊岡市]]生まれの建築家・博士(工学)。建築家の活動としては, 2000年以降に発表した作品がイタリアの権威ある建築専門誌 [[Casabella]] に掲載されはじめ, 2006年にイタリア最大の国際建築賞[[デダロ・ミノッセ国際建築賞]] ([[Dedalo Minosse International Prize]]) でグランプリを受賞したことを機に国際的名声を博す。海外の主要大学で客員教授として教鞭をとるほか, 招聘講演や国際シンポジウムではパネリストとして論壇に立つことも多い。
岡田 哲史(1962年- )は、岡田哲史建築都市研究所代表・デザインアドバイザー。[[工学博士]]。[[兵庫県]][[豊岡市]]生まれ 。
その一方で, 建築史専門分野の学者としても活動しており, [[西洋建築史]]の大家[[桐敷真次郎]]教授指導のもと, [[コロンビア大学]]留学時に[[美術史考古学学部]]の[[ロビン・ミドルトン]] ([[Robin Middleton]]) 教授のセミナーで着手した[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ]] ([[Giovanni Batista Piranesi]]) をめぐる歴史学研究を本格始動させ, 博士(工学)を修めてからは著書や論稿によりピラネージや西洋[[古典主義建築]]の建築理論, さらには欧米の[[近代建築]]やその[[建築理論]]の紹介に貢献してきた。


1986年 [[早稲田大学]][[理工学部]][[建築学科]]卒。1988年 早稲田大学[[大学院]][[理工学研究科]][[博士前期課程]][[建設工学]][[専攻]][[修了]]。1989年 [[コロンビア大学]]大学院に進学、[[ケネス・フランプトン]]に[[師事]]大学院[[建築]]課程修了(MSBD)その後早稲田大学専任[[助手 (教育)|助手]]、日本学術振興会特別研究員を歴任。1995年、岡田哲史建築都市計画研究所設立。1993年 早稲田大学大学院理工学研究科[[博士課程]][[修了]]。1996年から1年間 [[文化庁]]芸術家在外研修員。1996、米国コロンビア大学客員研究員。2003年からは[[滋賀県立大学]] [[環境科学部]] 環境計画学科 環境建築デザインコース [[助教授]]。環境建築デザイン研究機関diAe代表。2006年, 千葉大学[[工学部]][[デザイン工学科]] 助教授。2006年, 株式社岡田哲史建築設計事務所に改称
略歴は以下のとおり。兵庫県立[[豊岡高等学校]]卒業。1986年 [[早稲田大学]]理工学部建築学科卒。1988年 早稲田大学大学院理工学研究科博士前期課程修了。1989年 コロンビア大学大学院MSBD修了1993年 早稲田大学大学院理工研究科博士後期課程修了。1990-93年 早稲田大学建築学科専任助手。1993-96年 [[日本学術振興会]]特別研究員PD。1996-97年 [[文化庁]][[芸術家派遣在外研修員]], 同 コロンビア大学客員研究員として[[ケネス・フランプトン]] ([[Kenneth Frampton]]) 教授に師事し近現代の建築理論の研究に研鑽を積む。2003-06年[[滋賀県立大学]] 環境科学部環境計画学科助教授。2006年より[[千葉大学]]大学院工学研究院の准教授。[[米日財団]]YLPフェロー, [[トヨタ財団]]リサーチフェロー, [[日本ファッション協]]リサーチフェロー


2010年以降, [[ヴェネツィア建築大学]]([[IUAV]]), [[デルフト工科大学]] ([[TUDelft]] 国際学術シンポジウム[[”The Essence of Cool”]]の招聘パネリスト), [[アジュマン大学]] ([[AU]]), [[スイス連邦工科大学]]([[ETH]]), [[ミラノ工科大学]] ([[Polimi]]), [[フランクフルト応用科学大学]] ([[Frankfurt UAS]]), [[ウィーン応用美術大学]] ([[Die Angewandte]]) 他で客員教授や招聘講師を務める。
他 ヴェネツィア建築大学、[[スイス連邦工科大学]]、[[ウィーン大学]]建築芸術アカデミー、[[ミラノ工科大学]]客員教授、米日財団フェロー。 日本ファッション協会リサーチフェロー、など。Design for Asia Award公共環境建築部門金賞、ロシア国際建築賞「Present of Future」グランプリ、デダロ・ミノッセ国際建築賞グランプリ、新建築賞、など受賞歴多数。


受賞歴としては, デダロ・ミノッセ国際建築賞グランプリ, ロシア国際建築賞グランプリをはじめ, アジアデザイン賞公共環境建築部門金賞, 日本建築学会賞[技術部門], グッドデザイン賞, 山梨県建築文化賞, 新建築賞など多数(詳しくは [[www.okada-archi.com]])。
代表作には、軽井沢別荘建築、柿の木坂の家、たいさんじ風花の丘、清里アートギャラリー、若葉台の家、荻窪の家、浜田山の家 など多数。

[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ]]など、イタリアをはじめヨーロッパ諸国建築の研究 にも従事し、客員教授として各国で教鞭をとる。
代表作に, [[清里アートギャラリー]] (アートギャラリー兼ゲストハウス), 富士北麓の家 (山の別荘), [[チャボヒバホール]] (コンサートホール), [[高島市たいさんじ風花の丘]] (農村コミュニティセンター), [[ユタカ設備工業]]新社屋 (新時代のオフィスビル), [[若葉台の家]] (世界初の画期的な[[木造新工法]]), [[柿の木坂の家]] , [[Gallery U]] (スーパーカー専用ギャラリー), 軽井沢の一連の別荘など多数(詳しくは [[www.okada-archi.com]])。
著書に、『ピラネージと「カンプス・マルティウス」』([[桐敷真次郎]]と共著)、『ピラネージの世界』〈建築巡礼32〉([[丸善]]、1993年)など。

主要な出版物(作品集/著書/論稿)に, Satoshi Okada ([[Electa architettura]], Milano: [[フランチェスコ・ダル・コ]] [[Francesco Dal Co]] 序説),『ピラネージと「カンプス・マルティウス」』(本の友社 [[桐敷真次郎]]と共著),『ピラネージの世界』([[丸善]] 単著), [[「いかに建築空間は思考されるか」]] (17回連載論稿, [[カサベラ・ジャパン]] [[Casabella Japan]] : とりわけ茶陶研究の第一人者[[林屋晴三]]氏との対談「特別編: 林屋晴三氏に聞くー 作為と無作為について」は, 専門分野を横断し日本文化の美の本質に迫る議論が展開されており興味深い(詳しくは [[www.okada-archi.com]])。


==参考文献==
==参考文献==

2019年3月24日 (日) 04:21時点における版

岡田哲史建築設計事務所 (Satoshi Okada architects) は, 東京を拠点に活動する日本の建築設計事務所 (www.okada-archi.com)。建築家の岡田哲史 (Satoshi Okada) が1995年東京に設立した組織[岡田哲史建築都市研究所]の法人化にともない2006年に改称され今日にいたる。同事務所が設計監理し実現させた建築物の洗練されたデザインとそのクオリティは国際的に定評がある。デザインの対象は建築にとどまらず, 椅子をはじめとする家具のデザインや造園を含めたランドスープデザイン, 近年では舞台デザイン ( Co3:オーストラリア・パース) も手がけている。

岡田哲史 (Satoshi Okada 1962年-) は, 兵庫県豊岡市生まれの建築家・博士(工学)。建築家の活動としては, 2000年以降に発表した作品がイタリアの権威ある建築専門誌 Casabella に掲載されはじめ, 2006年にイタリア最大の国際建築賞デダロ・ミノッセ国際建築賞 (Dedalo Minosse International Prize) でグランプリを受賞したことを機に国際的名声を博す。海外の主要大学で客員教授として教鞭をとるほか, 招聘講演や国際シンポジウムではパネリストとして論壇に立つことも多い。 その一方で, 建築史専門分野の学者としても活動しており, 西洋建築史の大家桐敷真次郎教授指導のもと, コロンビア大学留学時に美術史考古学学部ロビン・ミドルトン (Robin Middleton) 教授のセミナーで着手したジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ (Giovanni Batista Piranesi) をめぐる歴史学研究を本格始動させ, 博士(工学)を修めてからは著書や論稿によりピラネージや西洋古典主義建築の建築理論, さらには欧米の近代建築やその建築理論の紹介に貢献してきた。

略歴は以下のとおり。兵庫県立豊岡高等学校卒業。1986年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。1988年 早稲田大学大学院理工学研究科博士前期課程修了。1989年 コロンビア大学大学院MSBD修了。1993年 早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程修了。1990-93年 早稲田大学建築学科専任助手。1993-96年 日本学術振興会特別研究員PD。1996-97年 文化庁芸術家派遣在外研修員, 同年 コロンビア大学客員研究員としてケネス・フランプトン (Kenneth Frampton) 教授に師事し近現代の建築理論の研究に研鑽を積む。2003-06年滋賀県立大学 環境科学部環境計画学科助教授。2006年より千葉大学大学院工学研究院の准教授。米日財団YLPフェロー, トヨタ財団リサーチフェロー, 日本ファッション協会リサーチフェロー。

2010年以降, ヴェネツィア建築大学(IUAV), デルフト工科大学 (TUDelft 国際学術シンポジウム”The Essence of Cool”の招聘パネリスト), アジュマン大学 (AU), スイス連邦工科大学(ETH), ミラノ工科大学 (Polimi), フランクフルト応用科学大学 (Frankfurt UAS), ウィーン応用美術大学 (Die Angewandte) 他で客員教授や招聘講師を務める。

受賞歴としては, デダロ・ミノッセ国際建築賞グランプリ, ロシア国際建築賞グランプリをはじめ, アジアデザイン賞公共環境建築部門金賞, 日本建築学会賞[技術部門], グッドデザイン賞, 山梨県建築文化賞, 新建築賞など多数(詳しくは www.okada-archi.com)。

代表作に, 清里アートギャラリー (アートギャラリー兼ゲストハウス), 富士北麓の家 (山の別荘), チャボヒバホール (コンサートホール), 高島市たいさんじ風花の丘 (農村コミュニティセンター), ユタカ設備工業新社屋 (新時代のオフィスビル), 若葉台の家 (世界初の画期的な木造新工法), 柿の木坂の家 , Gallery U (スーパーカー専用ギャラリー), 軽井沢の一連の別荘など多数(詳しくは www.okada-archi.com)。

主要な出版物(作品集/著書/論稿)に, Satoshi Okada (Electa architettura, Milano: フランチェスコ・ダル・コ Francesco Dal Co 序説),『ピラネージと「カンプス・マルティウス」』(本の友社 桐敷真次郎と共著),『ピラネージの世界』(丸善 単著), 「いかに建築空間は思考されるか」 (17回連載論稿, カサベラ・ジャパン Casabella Japan : とりわけ茶陶研究の第一人者林屋晴三氏との対談「特別編: 林屋晴三氏に聞くー 作為と無作為について」は, 専門分野を横断し日本文化の美の本質に迫る議論が展開されており興味深い(詳しくは www.okada-archi.com)。

参考文献

  • 新建築2005年11月号、建築雑誌2008年3月