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 博多・辛子明太子を生んだ「変な会社」の真髄 | 食品 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準]</ref>1957年には日本で初めて「味の'''明太子'''」と命名した<ref>川原(2013):63ページ</ref>(そのため、1月10日が「'''明太子の日'''」とされている)。川原は[[商標|商標登録]]もせず、製造法特許も取得せずに地元同業者へ製造方法を教えたため、様々な風味の明太子が生み出され、博多名物として定着するきっかけとなった。卸販売はせず鮮度管理を徹底するため、直販方式をとっており、[[福岡県]]内36店舗・東京2店舗(2008年4月時点)で営業している。


また、[[コールセンター]]を設けるなど[[通信販売]]も積極的に展開しており、近年では[[インターネット]]通販にも力を入れ、全国からの顧客を取り込んでいる。経営トップから社員・パートに至るまで全員が「販売士」資格を取得するなど、顧客志向の経営体制が評価され、[[2003年]]度に[[経済産業大臣]]より第14回消費者志向優良企業(製造業)として、[[資生堂]]と[[プロクター・アンド・ギャンブル|プロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インク]]とともに表彰された。
また、[[コールセンター]]を設けるなど[[通信販売]]も積極的に展開しており、近年では[[インターネット]]通販にも力を入れ、全国からの顧客を取り込んでいる。経営トップから社員・パートに至るまで全員が「販売士」資格を取得するなど、顧客志向の経営体制が評価され、[[2003年]]度に[[経済産業大臣]]より第14回消費者志向優良企業(製造業)として、[[資生堂]]と[[プロクター・アンド・ギャンブル|プロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インク]]とともに表彰された。

2019年3月1日 (金) 00:01時点における版

株式会社ふくや
Fukuya Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 未上場
本社所在地 日本の旗 日本
810-8629
福岡県福岡市博多区中洲2丁目6番10号
設立 1980年8月27日
業種 食料品
法人番号 1290001010159 ウィキデータを編集
事業内容 味の明太子の製造・販売
各種食料品の卸・小売
代表者 川原正孝
資本金 3,000万円
売上高 154億 (2011年3月期)
従業員数 590名(正社員222名)(2012年10月時点)
決算期 3月期
関係する人物 川原俊夫(創業者)
外部リンク 公式ウェブサイト
特記事項:1948年10月5日、創業。
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ふくや本店・本社

株式会社ふくや英語: Fukuya Co., Ltd.)は、福岡県福岡市博多区に本社を置く辛子明太子のメーカーである。

概要

創業者の川原俊夫満州から福岡に引き揚げたのち、博多の中洲市場へ移住して開いた「ふくや」が起源である[1]。当時は食料品を店舗向けに卸す商店で中華料理の食材に強く、「鳴海屋」「トーホー」と共に「福岡の三大食品卸商店」と称された[2]

その後、釜山生まれ[3]の川原はオリジナル商品として朝鮮の「明卵漬(ミョンランジョッ)」を日本風にアレンジした「明太子」を製造し、1949年1月10日から販売した[4]。辛い物を食べ慣れない日本人の口に合わず、発売当日には「辛すぎる」とクレームが入った。川原はめげずに改良を重ね、行列ができるほど人気の商品になった。[5]1957年には日本で初めて「味の明太子」と命名した[6](そのため、1月10日が「明太子の日」とされている)。川原は商標登録もせず、製造法特許も取得せずに地元同業者へ製造方法を教えたため、様々な風味の明太子が生み出され、博多名物として定着するきっかけとなった。卸販売はせず鮮度管理を徹底するため、直販方式をとっており、福岡県内36店舗・東京2店舗(2008年4月時点)で営業している。

また、コールセンターを設けるなど通信販売も積極的に展開しており、近年ではインターネット通販にも力を入れ、全国からの顧客を取り込んでいる。経営トップから社員・パートに至るまで全員が「販売士」資格を取得するなど、顧客志向の経営体制が評価され、2003年度に経済産業大臣より第14回消費者志向優良企業(製造業)として、資生堂プロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インクとともに表彰された。

明太子販売のノウハウを生かし、食材営業課が業務用食品を取り扱うスーパーマーケット「たべごろ百旬館」(1店舗)を運営しており、新鮮な魚や野菜、業務用食材などを取り扱っている。

登記上の本店は、中洲にある実店舗の本店。本社は本店の上階にある。通販部門などは、工場がある福岡県福岡市東区社領2丁目14番28号(ふくやフーズファクトリー)にある。

2013年10月31日、経営問題が浮上した日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するアビスパ福岡に対して、明太子のギフトセットの売上全額をアビスパに支援する企画を行い、11月1日までに合計2,296セット(当初1,000セット、追加1,296セット)を完売した[7][8]。なお、支援金総額は888万8,000円になる見込みと報じられている[9]

2016年5月には、テレビ東京系列のカンブリア宮殿に出演。

沿革

  • 1948年 - 福岡県福岡市博多区中洲に創業。
  • 1949年 - 明太子の製造、販売を開始。
  • 1980年 - 創業者川原俊夫死去。法人改組し、株式会社ふくやとなる。
  • 1985年 - 受注センター開設。
  • 1994年 - ふくやフーズファクトリー開設。
  • 1997年 - オンライン通信販売開始。
  • 1999年 - ISO 14001取得。
  • 2002年 - 福岡県知事より、第1回「福岡県男女共同参画企業賞」受賞。
  • 2004年 - 消費者志向優良企業表彰受賞(経済産業大臣より)。
  • 2005年 - COMS(消費者志向マネジメントシステム)、NACS(日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会)基準による認定格付AAAを第1号企業として取得。
  • 2008年 - ISO22000取得。メセナアワード2008(メセナ大賞部門「網の目コミュニケーション賞」)受賞。
  • 2010年 - 博多名物をせんべいにした商品「博多かわりみ千兵衛」販売開始[10]。ゆるキャラとして「かわりみ千兵衛」の着ぐるみも登場[11]、地元イベントのみならず「ゆるキャラグランプリ」にも出場し全国に博多をアピールしている。
  • 2013年 - 「博多の食と文化の博物館」(ハクハク)オープン。
  • 2018年 - 同社の食材営業課が運営する業務用食品スーパー「たべごろ百旬館」がオール日本スーパーマーケット協会に加盟。

脚注

  1. ^ 川原(2013):42ページ
  2. ^ 川原(2013):45ページ
  3. ^ 川原(2013):26ページ
  4. ^ 川原(2013):62ページ
  5. ^ 博多・辛子明太子を生んだ「変な会社」の真髄 | 食品 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
  6. ^ 川原(2013):63ページ
  7. ^ "アビスパ福岡プレミアムパートナーの 株式会社 ふくや 様の追加支援企画についてのお知らせ" (Press release). アビスパ福岡. 2013-10-31. 2013年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013-11-2閲覧 {{cite press release2}}: |accessdate=の日付が不正です。 (説明); 不明な引数|deadlinkdate=は無視されます。 (説明)
  8. ^ "「アビスパ福岡」応援キャンペーン" (Press release). 株式会社ふくや. 2013-11-1. 2013年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013-11-2閲覧 {{cite press release2}}: |accessdate=|date=の日付が不正です。 (説明); 不明な引数|deadlinkdate=は無視されます。 (説明)
  9. ^ アビスパ応援明太子即日完売、888万円寄付へ”. 読売新聞 (2013年11月2日). 2013年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月2日閲覧。
  10. ^ 博多名物がせんべいに-ふくやが新商品「博多かわりみ千兵衛」博多経済新聞
  11. ^ かわりみ千兵衛オフィシャルサイトじゃ

参考文献

  • 川原健 『明太子をつくった男 〜ふくや創業者・川原俊夫の人生と経営〜』、海鳥社、2013年、ISBN 978-4874158739

関連会社

関連項目

外部リンク