「バラ・オロナウルタイ」の版間の差分
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*志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』東京大学出版会、2013年 |
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*村上正二訳注『モンゴル秘史 2巻』平凡社、1972年 |
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2019年2月11日 (月) 01:22時点における版
バラ・オロナウルタイ(モンゴル語: Bala Oronaurtai,中国語: 巴剌斡羅納児台,? - ?)とは、13世紀初頭にモンゴル帝国に仕えたオロナウル部出身の千人隊長。『モンゴル秘史』などの漢文史料では巴剌斡羅納児台(bālàwòluónàértái)と記される。
概要
『モンゴル秘史』によると、1206年のモンゴル帝国建国時に千人隊長に任ぜられており、功臣表では35位に列せられている。
また、同じ千人隊長にはバラ・チェルビという同名の人物もおり、「オロナウルタイ」という名前はこのバラ・チェルビと区別するためにつけられたものとみられる。
バラ・オロナウルタイの事蹟についてはほとんど知られていないが、「元統癸酉進士録」には山東濮州の万人隊長買閭の祖先が「オロナウル人の八郎(バラ)」で、「千戸(千人隊長)であった」と記されており、この「八郎」こそがバラ・オロナウルタイのことであると考えられている[1]。
脚注
- ^ 村上1970,370-371頁
参考文献
- 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』東京大学出版会、2013年
- 村上正二訳注『モンゴル秘史 2巻』平凡社、1972年