「乞食」の版間の差分
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'''乞食'''(こつじき、こじき)とは、 |
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2018年12月14日 (金) 13:04時点における版
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乞食(こつじき、こじき)とは、
- 本来は仏教用語で「こつじき」と読む。比丘(僧侶)が自己の色身(物質的な身体)を維持するために人に乞うこと。行乞(ぎょうこつ)。また托鉢。十二頭陀行(じゅうにずだぎょう)の一つで、これを清浄の正命と定める。もし自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命であると定める。
- 上の意味が転じて、路上などで物乞いをする行為。具体的には他人の憐憫の情を利用して自己のために金銭や物品の施与を受けることをいう[1]。
由来
古代インドのバラモン階級では、人の一生を学生期・家長期・林住期・遊行(遍歴)期という、四住期に分けて人生を送った。このうち最後の遊行期は、各所を遍歴して食物を乞い、ひたすら解脱を求める生活を送る期間である。またこの時代には、バラモン階級以外の自由な思想家・修行者たちもこの作法に則り、少欲知足を旨として修行していた。釈迦もまたこれに随い、本来の仏教では修行形態の大きな柱であった。
特に釈迦の筆頭弟子であったサーリプッタ(舎利弗)は、五比丘の一人であるアッサジ(阿説示)が乞食で各家を周っている姿を見て、その所作が端正で理に適っていることに感じ入り、これを契機に改宗して弟子入りしたことは有名な故事である。このように仏教では乞食・行乞することを頭陀行(ずだぎょう)といい、簡素で清貧な修行によって煩悩の損減を図るのが特徴である。
また、僧侶は比丘(びく)というが、これはサンスクリット語の音写訳で、「食を乞う者」という意味である。これが後々に中国で仏典を訳した際に乞食(こつじき)、また乞者(こっしゃ)などと翻訳されたことにはじまる。
『大乗義章』15に「専行乞食。所為有二。一者為自。省事修道。二者為他。福利済世利人」、『行事鈔』下に「善見云。三乗聖人悉皆乞食」、また「善見云。分衛者乞食也」とあり、『法集経』に「行乞食者。破一切憍慢」、『十二頭陀経』に「食有三種。一受請食。二衆請食。三常乞食。若前二食起諸漏因縁。所以者何。受請食者。若得請便言我有福徳好人。若不請則嫌根彼。或自鄙薄。是食憂法則能遮道。若僧食者。当隋衆法断事擯人料理僧事。心則散乱妨廃行道。有
生活の形態としての乞食
上記の仏教の修行における乞食が転じて、他人から物品や金銭の施しを受けて生活している者を指すようにもなった。ただし、家族による仕送りや行政による保護を受けて生活している者はこれには含まない。一般に住居を持たない貧困者(ホームレス)が行う事が多いと誤解されているため、転じてホームレスをさす言葉としても使われる場合がある。乞食は必ずしも住所不定ではないし、住所不定者でも物乞いをせず働いている者もいる[2]。また、2000年代からインターネット上で乞食をするネット乞食が出現した。
西洋
古代、ローマ帝国の成立において大規模な戦争によって土地を失った人々が大量に都市に流入し、物乞いを行う人々の人口を膨張させた[3]。
産業革命が起きた際にも手織職工や機織職人が食べて行けなくなり、都市部を中心に物乞いを行う人々を増大させた[3]。
日本
日本において乞食行為は、日本国憲法第27条のもと、軽犯罪法や児童福祉法で禁止されている[2]。
- 軽犯罪法
- 児童福祉法
ただし、募金活動は金銭を自身で使うわけではないため、仏教上の乞食は活動が信教の自由に基づく点や僧侶による正当業務行為であるといえる点から、パフォーマーが投げ銭を求める行為はパフォーマンスに対する対価として支払われるため、適法行為となる[4][5]。また、クラウドファンディングも適法となる[5]。
乞食をさす言葉
- 物乞い、ものもらい、おもらいさんなど。他人に恵んでもらう行為をさす。
- ほいど(ほいと) - 祝人(ほぎ人)が転訛したもの。神楽、獅子舞などの縁起者が物乞いも行っていた事から言われるとされる。
- おこも、こもかぶり、おこもさん - かつて、乞食がムシロ(こも)を被っていることが多かったため。
- パイポ - 京都市北部で使用される言葉。ルンペンとほぼ同じように使用される。語源は不明。
こじき祭り
岐阜県加茂郡川辺町下麻生にある縣(あがた)神社では「桶がわ祭り」という祭事がある[6]。この祭事は別名「こじき祭り」と呼ばれている[6]。
江戸時代に干ばつが続き飢餓に見舞われた際、神社に住み着いた乞食に住民が食べ物を与え親切にしたところ、その年は雨が降り、豊作となった。この「乞食」は神様の使いだった、という伝承が伝わる。
この祭りは毎年4月に行われている。かつては本物の乞食を招いて行っていたが、現在ではその年の厄年の男性が、顔や手に墨を塗りぼろぼろの服を着た乞食役に扮する。この乞食役に食べ物や酒が供えられ、おひつに入った赤飯がこじき役にかぶせられる[6]。この赤飯を食べるとご利益があるといわれ、多くの見物客が赤飯を奪い合う[6]。
逸話
- 抱きつき弥五郎 - 江戸時代、「抱きつき弥五郎」と呼ばれる乞食がいた。往来で町人の女性などに抱きつき、金を無心する。それ以外にはとくに悪いことをしないが、困り者だとして町奉行に訴えられた。しかし適当な処分が見つからないので、将軍家光まで話が行ったところ、「天下太平の印だ」と一蹴された(酒井忠勝著『仰景記』)[7]。
- 空也上人と乞食 - 『三国長吏由来記』という弾左衛門家の記録によると、空也上人が牢獄の囚人21人を申し受けて、七乞食、八乞食、六道の者というものに仕分けてそれぞれに生活の道を授け、長吏の預かりとして国々に置いた。「七乞食」とは、猿引・編木師(ささらし)・恵美須・辻乞・乞胸(ごうむね)・弦指(つるさし)・盲目、「八乞食」とは、薦僧・鉢坊(はちぼう)・絵説(えとき)・鉦打(かねうち)・舞々・猿牽・山守・渡守、「六道の者」とは、弓造・土器作・石切・筆結・墨師・獅子舞のことで、みな長吏弾左衛門支配下に置かれた。この救済活動により、これらの「下り者」と言われた職人・芸人等は空也上人を祖と仰いでいた[8]。
- 乞食は三日やったらやめられない、という言葉に象徴されるように、乞食は意外に高収入であるという、一種の逆偏見は、世の東西を問わず古くから浸透していた。これが発展して、一日の物乞いが終わった乞食が高級車の出迎えを受け、襤褸着から高級服に着替えて豪邸へと帰宅していくといった、誇張された冗談交じりの都市伝説も同様である。こうした空想をもとにした文学作品に北杜夫の『さびしい乞食』などがある。
- 屋外で活動する乞食の中には、厳しい気象環境にさらされる者もいる。パキスタンでは、2016年6月に熱波に襲われた際に数百人単位の多数の死者が出た[9]。
脚注
- ^ a b c 高田浩運『児童福祉法の解説』1957年、時事通信社、229頁。
- ^ a b 寺林智栄 (2014年12月20日). “「乞食」は違法行為…もし生活が出来なくなったらどうすれば良い?”. ターゲッティング. 2015年4月11日閲覧。
- ^ a b 山折哲雄『乞食の精神誌』1987年、弘文堂、43頁。
- ^ 「「ネットこじきは犯罪」 容疑で無職男が書類送検 募金や大道芸は?」『withnews』朝日新聞社、2015年2月26日。2015年4月11日閲覧。
- ^ a b 斉藤明美、斉藤佑介「「こじきの罪」って?募金と違う? 動画中継で書類送検」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2015年3月27日。2015年4月11日閲覧。
- ^ a b c d 「「こじき祭り」豊作願う 川辺町」『岐阜新聞 Web』岐阜新聞社、2013年4月4日。オリジナルの2013年4月7日時点におけるアーカイブ。2015年4月11日閲覧。
- ^ 『江戸ばなし. 其2』三田村鳶魚、大東出版社、1943年
- ^ 「賤民概説」喜田貞吉 青空文庫
- ^ “パキスタン熱波”. AFP. (2015年6月30日) 2017年1月13日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 『浮浪者に関する調査・児童連行の乞食に関する調査』東京市役所、1929年3月30日 。