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「Wikipedia:井戸端/履歴20200123」の版間の差分

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{{ 井戸端サブページ | title = 工業製品のパッケージを写した写真は著作権侵害となる可能性があるか }}
{{ 井戸端サブページ | title = 工業製品のパッケージを写した写真は著作権侵害となる可能性があるか }}
{{ 井戸端サブページ | title = 「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと」はガイドラインなのでしょうか。 }}
{{ 井戸端サブページ | title = 「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと」はガイドラインなのでしょうか。 }}

== IPユーザーに対する、一部ユーザーの対応について ==

*先行する議題として、[[Wikipedia:井戸端/subj/モバイル編集、モバイルウェブ編集ユーザーによる連続投稿はどこまで許容されるのか]]が有りますので、まずはそちらをご覧ください。また、個別ページ化される際には[[Wikipedia:井戸端/subj/IPユーザーに対する、一部ユーザーの対応について|こちらのページ名]]になると思いますので、リンク等はそちらにされた方が良いかと思います。
:今回の一件は、IPユーザー{{IPUser2|119.231.183.225}}が、[[宮本佳林]]での連続編集を行った事から始まりました。彼はモバイル編集、モバイルウェブ編集ユーザーで有り、[[Help:携帯端末でのアクセス]]によれば、
# プレビュー機能は、「編集画面と別画面のため、編集画面と同時閲覧が出来ない。 」
# 履歴については、「一部の端末アプリでは履歴表示を行うためのリンク自体が存在しないか、外部ブラウザが自動的に立ち上がってしまう。 」
# ノートについては、「一部の端末アプリでは各記事や利用者会話ページへ移動するためのリンク自体が存在しない。 」
# 会話ページについては、「一部の端末では自身の会話ページの更新を知らせる機能がなく、自身への連絡に気づけない。 」
:というような状態にあるようです。その為、彼の会話ページや井戸端([[Wikipedia:井戸端/subj/モバイル編集、モバイルウェブ編集ユーザーによる連続投稿はどこまで許容されるのか|モバイル編集、モバイルウェブ編集~]])で起きている事に、気付いていない可能性もある訳ですが。それでも、彼に対する一部ユーザーの言動が問題だと思い、こうして提議する事と致しました。
: まず、[[Special:PermaLink/69189192|2018年7月11日 (水) 02:25]]に、彼の会話ページへプレビュー機能の案内が有りました。これは、全く問題のない言動です。ですが、この後が問題となる言動でした。
: [[Special:Diff/69194537|2018年7月11日 (水) 13:11]]に、[[利用者:Sutepen angel momo]]さんによる「同じ事を2度言われないようにして下さい。」という発言が有りました。これは、[[Wikipedia:新規参加者を苛めないでください]]でいう「'''無知を非難した敵意のあるコメントや高圧的なコメント'''」だと言えます。プレビュー機能では保存できませんから、それで投稿して保存していたのかも知れません。僕は本人ではないので推測でしか有りませんが、その場合は気づいていたとしても、「投稿しないと保存できないし」と思われた事でしょう。ここで行うべきだったのは、'''アカウントの取得と利用者サンドボックスの案内'''です。'''[[Template:Inuse]]や[[Template:工事中]]も併せて案内するとベスト'''だったでしょう。この事は、[[Special:Diff/69255018|2018年7月16日 (月) 17:14]]に、井戸端で指摘済みです。また、上述の通り、'''この時点でも、会話ページの更新に気付いていなかった可能性も高い'''です。
: 次に、[[Special:Diff/69197549|2018年7月11日 (水) 22:30]]に、[[利用者:Motoriyo]]さんによって、「対話拒否によるブロック警告と、'''[[Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック]]への報告済み'''の通達」が行われました。この時点でも、アカウントの取得などの案内は行われていません。ここで問題となるのが、報告時に注意事項として、「'''報告の前に対話あるいは警告することが推奨されます'''」と有るのを見ている筈ですが、報告前の警告は有りませんでした。これは、[[Special:Diff/69255040|2018年7月16日 (月) 17:19]]でも触れています。この時にも、[[Special:Diff/69255018|井戸端にコメントした時]]にも、僕は「今からでも、穏便に解決できないか」と言いました。ですが、'''現時点に至っても、{{IPUser2|119.231.183.225}}さんへの、アカウントの取得などの案内はされていない'''のが現状です。登録利用者さん二人の内、どちらかが案内してくれるかと期待していたのですが、特に[[利用者:Motoriyo]]さんは[[Special:Diff/69255929|2018年7月16日 (月) 22:30]]に返信されているので、確実に僕のコメントも見ている訳なのですが、残念ながら穏便な対応をしようとはなされませんでした。
: 次に、[[Special:Diff/69217211|2018年7月14日 (土) 00:08]]に、[[利用者:Motoriyo]]さんによって「一括で投稿できませんか」というコメントが有りました。この時点でも、アカウントの取得や利用者サンドボックスの案内は行われていません。僕が指摘したのは[[Special:Diff/69255018|2018年7月16日 (月) 17:14]]ですので、それよりも前のコメントですが。「一括で投稿」を進めるならば、これらの機能は案内してしかるべきだと思います。一括で投稿する為に有効な機能の紹介もせずに、一括で投稿してくれと言っても、どうにもならないでしょう。また、繰り返しますが、会話ページの更新を知らせる機能が無い為に、今現在でも、気付くことが出来ていない可能性も、決して低くは有りません。
: もう一度言いますが、今回の件で[[利用者:Sutepen angel momo]]さんと[[利用者:Motoriyo]]さんが行われた言動は、[[Wikipedia:新規参加者を苛めないでください]]に触れるものです。'''新規利用者さんは、Wikipediaの常識を、全く知らない'''と考えるべきです。通知機能が無い為に、会話ページの存在すら知らないかも知れません。対話拒否がブロック理由になりかねない事も、知らないかも知れません。履歴表示のリンク自体が存在しない為に、古い履歴が残る事を知らないかも知れませんし、履歴が残る事そのものを知らないかも知れません。
: ……長文駄文となってしまいましたが、'''皆さんは、この二人の言動について、どう思われるか?''' そして、'''同様の事態を防ぐために、どうすれば良いか。何か、モバイル編集者に対する、対応マニュアルみたいなものを造れないか?'''
: 一介のIPユーザーである僕には、荷が重い議題では有りますが。この機会に、皆さんに考えて頂けると、幸いです。--[[特別:投稿記録/119.224.170.248|119.224.170.248]] 2018年7月19日 (木) 10:03 (UTC)

2018年7月19日 (木) 10:03時点における版

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漫画のロゴは良くて、キャラクターの画像は駄目なのか?

ジョジョの奇妙な冒険 (テレビアニメ)」などで、作品ロゴの画像が使われていますが、これは許可を得た上で行っているのでしょうか? 仮に、ロゴが使用可能だとして、キャラクターのイラストなどを掲載することはNGなのでしょうか? その違いが、自分には分からなくて今回質問させて頂きました。

個人的には、作品を説明する上で、最小限かつ必要性があれば使用すべきようにも思っています。もちろん「引用の条件を満たした上で」です。画像が1~2つあるだけでも、その作品のイメージがかなり分かりますので、多くの作品において「引用の必要性」は満たせるように思います。漫画であれば、コミックス1巻の表紙あたりでも良いように思いますが、これはNGなのでしょうか? --2400:4172:6833:CA00:1D87:209B:5002:C73B 2018年7月6日 (金) 21:56 (UTC)[返信]

コメント 「ロゴ」と言っても、ファイル:JoJo's Bizarre Adventure logo.pngについては、あくまで「文字の書体が違うだけ」ということで、日本法でいえば「創作的表現」に入らないものとしてパブルックドメインと解釈されています(画像のファイルページをご覧ください)。同じロゴでもドラえもんのように文字がイラスト化しているようなものは、創作性が入ると解釈すべきでしょう。
一方で、「引用」として画像を上げたい場合には、財団全体の著作権運用方針に従って、それ用の「権利制限法理の適用方針」(EDP)を策定する必要があります。ウィキペディア日本語版にあるEDPとして、Wikipedia:屋外美術を被写体とする写真の利用方針Wikipedia:日本で著作権が消滅し、米国で著作権が消滅していない画像の利用方針がありますが、引用に際しては策定されていません。--Jkr2255 2018年7月7日 (土) 01:23 (UTC)[返信]
ファイル:JoJo's Bizarre Adventure logo.pngの画像は、「文字の書体が違うだけ」ではなく、デザイン的に高度な創作物だと思われます。そもそも「多くのロゴは創作物」であり、著作権で守られていると思いますが……。
たとえば「ソニー」や「パナソニック」など、単純に見える企業ロゴなどであっても、その文字と色とフォントなどの組み合わせにより、企業イメージを表現しているように思います。逆に、企業ロゴがOKなのに、漫画のロゴはNGというのも、また違和感を感じます。
やはり、創作性を主張するよりも、引用条件を満たす方向のほうが正しいように思います。漫画やDVDであれば、第1巻の画像については議論なしで掲載可能にするルールを設けておくとか、出来ないものでしょうか? キャラクター画像をOKにすると乱用されることが想定されますが、「第1巻」としておけば歯止めは効きやすいかなと。--2400:4172:6833:CA00:5437:8241:54DB:1037 2018年7月7日 (土) 15:03 (UTC)[返信]

コメント 個人的にはジョジョのロゴもデザイン性があるためパブリックドメインにはなり得ないと思うのですが、判断基準はどうなってるのでしょう? 編集者が判断して良いことではないと思いますし、PD-textlogoの範疇を超えているのではないでしょうか。--富士 / Fuji kyosuke会話2018年7月7日 (土) 13:34 (UTC)[返信]

コメントその法的な可否判断の基準は著作権保護された著作物か否か、前者の場合は権利者から許諾を得られているか否です。対象物の形態と用途上、引用は無関係です。もし投稿者自信がその投稿内容の法的な可否を自己責任で判断できないのであれば、当該の投稿自体が不適切です。

基本的には、その法的な可否判断は投稿者の自己責任でしか為し得ません。なぜなら、パブリックドメインとして投稿された画像が当該画像の権利関係者全員の許諾を適切にクリアした上で投稿されたものであるかどうか、その事実関係は当事者でなければ断定できませんから、二次利用する他の編集者は善意と良識の範囲で投稿者が示した許諾表示を信頼するしかありませんし、それ以上の責任を負わされたのではCCやGFDLなどコピーレフトの許諾表示制度が機能しなくなってしまいます。

ただし、常識的な判断によって許諾表示の不正や著作物の権利侵害が強く疑われるような投稿については二次利用者側の責任も問われかねないので、一種の危機管理として、あくまで善意の第三者である二次利用者の責任を超えない範囲で自主的に削除・非表示化などの拡散防止の対応を行うことは必要でありその方法と基準は既に当サイトの方針に定められていますが、そのようなサイト運営上の自主的な対応基準と法的な責任を伴った判断基準とを混同して論じるべきではないと思います。

したがって、「編集者が判断して良いことではない」というご意見がウィキペディア内での可否判断のことを指しているのであれば、それは法的な裁定とは別個の(判断の参考としては関連しますが)当サイト独自の判断基準の話ですので、編集者が100%判断すべきことです。あるいはそれがウィキペディア日本語版の自主判断基準の話ではなく法的な判断基準のことを指しているのであれば事実認識としてはそのとおりですが、それはつまりコンテンツ投稿者本人以外がそもそも判断の責任を負うべき問題ではありません(「PD」や「CC」の表示が全権利関係者の許諾を確実に得ているか逐一確認しないとコンテンツを二次利用できないのでは許諾表示の意味がありません)。

その大前提のもとで、投稿者各位に対する参考情報として、法的判断の助言を述べることは有益だと思いますが、上記の議論内容ではそこの線引きがきちんと区別されていないように感じました。--ディー・エム会話2018年7月7日 (土) 15:58 (UTC)[返信]

(補足)それと補足として、引用の可否とEDPは事実上無関係かと思います。なぜなら、日本の著作権法下では、被引用部分だけを独立したファイルとしてアップロードすることはリスクが有り現実的には困難なためです。CCの著作物内で引用を用いることはライセンス上もサイト規約上も当然可能ですが、その場合は逆にEDPが不要なので、いずれにせよEDP適用の有無と引用の使用可否とは無関係ということになります。--ディー・エム会話2018年7月7日 (土) 16:30 (UTC)[返信]

(連続投稿ですみません)もし私個人が画像投稿者の立場であれば、「Panasonic」や「Sony」のロゴは著作物に該当せず問題ないと判断しますが、「ジョジョの奇妙な冒険」は安全を見越してアップロードはしないと思います。しかし漫画題字の著作物性を逐一断定的に判断できるほどの確実な根拠を持っているわけではないので、この程度のロゴであれば、他の投稿者の方がご本人の自己責任でアップロードされるぶんにはそれを強く制止する必要性もあまり感じませんし、かといって仮にサイト運営上の対処として当該のロゴ画像が削除になったとしても判断の妥当性にさほど違和感は感じません。--ディー・エム会話2018年7月8日 (日) 02:06 (UTC)[返信]


プロジェクトに従う義務はないのか?

新木優子ですが、バラエティの単発ゲストは不要だと述べたところ、利用者:Dewiki会話 / 投稿記録 / 記録氏より「「プロジェクト:芸能人」の冒頭には、「これはあくまでガイドラインで従う義務はありません。」とあります。」と言われました。確かに、プロジェクト:芸能人には、そのように記載されています。まず、このように気にいらないプロジェクトに従わない事は問題ないのでしょうか?問題であれば、「これはあくまでガイドラインで従う義務はありません。」のような一文は除去すべきでしょう。次に、問題ないのであれば、プロジェクトはあくまで方法の1つであり、選択する・しないは自由という事でしょうか?で、あればプロジェクトのルールに従う人と従わない人で記事の結果に差異が出てしまうようなルールは撤廃するべきだと思います。方法が違うのは問題ありませんが、結果が違うのは問題です。--JapaneseA会話2018年7月8日 (日) 14:45 (UTC)[返信]

  • コメント Wikipedia:方針とガイドラインとは違い、強制力のあるものではないことは事実です。しかし執筆スタイルに関していえば各プロジェクトで議論を重ねるなどして作成されたであろうものが多く、当然それらはWikipediaの方針とガイドラインとは矛盾しないものであるのが基本です(でなきゃ誰も従おうとは思わないでしょう)。であるならば、強制力はないにせよ仮に編集合戦や議論になった場合、プロジェクトの執筆スタイルに沿った編集をおこなっている側とそうでない側、どちらに分があるかといえば当然前者となるでしょう。そもそもが、有益な2次資料もないバラエティの単発ゲストを全て掲載することに特筆性があるかどうか、プロジェクト関係なく理解出来そうなものですけどね(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。まぁ、きちんとノートでの合意を経た内容などを、プロジェクトのスタイルの自己解釈を理由に覆そうとしたLTAが先日出現したのですが、それはそれでしょうか…。--Aiwokusai会話2018年7月8日 (日) 15:04 (UTC)[返信]
    • コメント 少なくとも私が野球選手の記事を編集する際はそのスタイルに沿ったものにしておりますし、異なる編集(特にマークアップを使用した経歴の箇条書き)が見られる場合はそれを理由に修正しています。万が一プロジェクトの文章が方針・ガイドライン的におかしいものであれば修正を提案することもあるやもしれませんが、そういったものが見られない限りは基本的にそれに沿った編集が優越されるべきでしょう。かといって方針のように従えとなると、ある程度の議論の余地を残しておくがプロジェクトの役目かなぁとも漠然と考えていました。結局はユーザーの良識の問題だと思うのですが、たとえばガイドラインでさえ「従うことが推奨されますが、方針ではありません。」という部分を教条主義的に利用して、方針でないから必ずしも従う必要はない!と言い放つ人も過去にはいましたね。--Aiwokusai会話2018年7月8日 (日) 15:47 (UTC)[返信]
    • コメント 言葉が独り歩きしているようにも思えますが、プロジェクトの文章は編集のための一種の指針であることは間違いなくてもWikipedia:方針とガイドラインに出てくる意味でのガイドラインではありませんので、そのプロジェクトに書かれたガイドラインの意味合いと、通常のWikipediaのガイドラインを混同する方が出てくるなら文面を変えるべきかなとは思います。いわゆるノートページで議論を重ねたものに近い性質をもちますが、方針やガイドライン、各ノートでの合意などの方が優先されることは言うまでもありません。--Aiwokusai会話2018年7月9日 (月) 05:18 (UTC)[返信]
  • コメント プロジェクト:河川の冒頭は、おそらく同じ英文からコピーされているのだと思いますが、「義務があるなどと感じたりするべきではありません」そして「けれども・・・」「つまるところ・・・」で参加者に上手に要求しています。--Triglav会話2018年7月8日 (日) 15:22 (UTC)[返信]
コメント よくわかりません。Wikipedia:方針とガイドライン#位置づけでは「編集者はガイドラインに従うように推奨されます」と謳いながら、プロジェクトでは「あくまでガイドラインで従う義務はありません」ですから、どっちなんだって話です。そもそもプロジェクト自体が執筆の水先案内なのかガイドライン・方針なのかよくわからないところがあります。--Motoriyo会話2018年7月8日 (日) 22:33 (UTC)[返信]
コメント ウィキプロジェクトは方針やガイドラインでないため強制力はありません。プロジェクトはあくまで書式の指針です。一人二人の合意、またはソックパペットの被害を受けたなど名ばかりプロジェクトも多数存在するため、内容自体を疑ったほうがよいでしょう。すなわち書式以外の点について、利用者がプロジェクトに従う義務はありません。
  • ガイドライン (guideline)
    • 多くの利用者に支持されている、最善の方法(ベストプラクティス)を集めたものです。編集者はガイドラインに従うように推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません
  • ウィキプロジェクト
    • ウィキプロジェクトとは、特定の分野の項目について、それがウィキペディアでどのようなフォーマット(書式)で整形され、どのように説明されるとよいかなどを検討するためのものです。
    • プロジェクトで提案されたものは強制力は持ちませんが、その分野の指針となります。

これがガイドラインとウィキプロジェクトに書かれた説明です。--2403:99DD:6FE5:6E00:805E:33C4:68CE:4D7B 2018年7月9日 (月) 00:53 (UTC)[返信]

  • コメント プロジェクト合意は方針ガイドラインの「下」にあるものなので、方針ガイドラインに照らし違法性がありそうな合意には従う必要はありません。実例としてプロジェクト‐ノート:ボクシング#新王者の記事乱立の禁止を提案します。にて人物記事の立項を全面禁止しようとした利用者の提案がありましたが、これはその後提案合意に基づき提出された削除依頼2件で方針ガイドラインに沿わないことが確認され全否定されました。──で。プロジェクト合意はこういった例外的事例を除けば大抵の場合は方針ガイドラインに合致した内容になっている場合が殆どですので、プロジェクト合意に従わない場合、その合意の大本、根本となっている方針ガイドラインに違反する場合があり、プロジェクト合意に反する行動の結果が全ての利用者が遵守すべき方針(例えば徹底的な厳守が求められているWP:BLP)に抵触するなどした際には行動そのものがWikipedia:妨害的編集になる場合があるでしょう。そして、そうでなくプロジェクト合意が「上位の方針に照らして」おかしい、と感じた場合は誰でもプロジェクトのノートページにて議論提起し更に良い形に向かって改訂を行うことができます。 / なんと言いますか、ガイドラインの説明に有るソレはWikipedia:善意にとるに従えば今後のより良い改訂可能性のために残されている文言であって、その一文の字面の上っ面だけを読み取ることしかできない編集者は前述の通り大体の場合に於いて別の方針に抵触しますでしょうから、現状で何ら問題を感じません。◆むしろ現時点でガイドラインとされているものを一律無条件に方針に格上げした場合の方がウィキペディア全体に大混乱を引き起こす悪手でしかないと思います。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月9日 (月) 06:50 (UTC)[返信]
  • コメント 追記 方針ガイドラインは移り行き変わっていくものであることは周知であると思いますが、古いプロジェクトの中には合意が古い時代の方針ガイドラインに基づいたまま改訂されない結果、現時点で矛盾が発生しているものがあります。大きなところですと日本語版でWP:Vが方針化されたのは2006年6月ですので、それ以前に何らかのプロジェクト合意をしているプロジェクトの中には検証可能性を重視しない合意が現時点でも残っている可能性もあるかもしれません(例:プロジェクト‐ノート:ボクシング#記事執筆用テンプレートの廃止提案。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月9日 (月) 07:04 (UTC)◆蛇足の蛇足ながら実例前例を追記。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月10日 (火) 12:55 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:井戸端/subj/プロジェクトの強要について。 ここでの見解が概ねの見解。 汎用的な広範囲をターゲットにするガイドラインでは、漏れてしまったり、舌足らずになってしまう個別分野ごとの懸案や指針をまとめるのが、まずは目的である(合理的な理由に基づくのであれば上位概念に反する規定だって十分にありえる。ガイドラインは憲法で、プロジェクトは条文というわけではない)。その上で、はっきりとした合理性が認められたり、慣習として成立しているとみなせるほど長い期間があるものなら、それを援用することは問題ないし、援用を否定するならプロジェクトの意味がない。合理的な理由があれば規定を無視してもいいのはガイドラインも同じなのだから、当然、プロジェクトも同じ。合理的な理由を示さずに、ただ強制力がないという理由で拒絶するのは、解釈に問題がある。--EULE会話2018年7月11日 (水) 11:33 (UTC)[返信]
コメント ウィキペディアは規則主義ではないを背景に個別の議論・合意でもって方針文章ですら従わない権利が許容されていて、プロジェクト文章も従わない権利(意見)は許容されるのではなかろうかと。その上で、ある程度の結果収束が期待できないルールは撤廃・改訂を提案するのが望ましいように思います。…プロジェクト:河川の冒頭のスマートさには感動しました。--111.101.40.218 2018年7月11日 (水) 17:45 (UTC)[返信]
PJ河川の冒頭にもある雛形文は中々良い文章なのでプロジェクトの規模に関わらず残っているPJがそれなりにありますね(73/227)。本題の焦点となりうる「提案に従う義務があるなどと感じたりするべきではありません」という文面もPJ:AMEPJ:NYを除き残されているようです。ただ、元が雛形文にすぎないということもあり、その旨が形骸化しているPJとかもありそうですね。--ButuCC+Mtp 2018年7月17日 (火) 16:27 (UTC)[返信]

コメント 皆様、御意見ありがとうございます。あるいはプロジェクト:天体のようにシンプルにするのもありだと思います。プロジェクト:河川は、目的外利用者は来ないでしょうが、これが政治とか宗教であれば、「これらの提案に従う義務があるなどと感じたりするべきではありません」に つけこむ人が出て来るような気はします。勿論、悪用する側に対処していればキリがないですが、ある程度の隙はなくした方が良いと思います。プロジェクト:芸能人は、ファンが編集する事が多いのか、バラエティ・情報・音楽等番組の単発ゲストを記載する人が多いです。ファン心理としては、「これはあくまでガイドラインで従う義務はありません。」と書かれていれば、それを盾にするでしょう。自分の推している芸能人は、瑣末な事など書かずとも、十二分に記事が成り立つ、と考えて欲しいものですが。--JapaneseA会話2018年7月19日 (木) 16:53 (UTC)[返信]


あるラジオ番組内の「ウィキペディアを充実させよう」という企画について

MBSラジオ(近畿広域圏)で現在放送されている、『アッパレやってまーす!』というラジオ番組[3]内の火曜日の企画「松田のウィキペディアを充実させよう」について、編集者の方々に議論を提起します。

当企画は名前の通り、2018年4月より番組の火曜日レギュラーとして出演されている松田大輔さんという方の記事を充実させよう、という趣旨の企画で、番組公式ページによれば2018年4月24日 (火)放送分からスタートした(2018年4月24日 (火)放送分のスタジオ日記)そうですが、公式ページの「スタジオ日記」の毎週火曜日の記述を見る限りでは、百科事典であるウィキペディアの趣旨とずれている企画ではないかと疑問を感じました(これから要所をまとめて説明します。各回の具体的な企画内容については毎週火曜日のスタジオ日記の内容を参照願います)。

各回のスタジオ日記によれば、松田さんのウィキペディアの記事の内容がスカスカであることから、番組のリスナーからの番組宛のメールを参考に記述を増やしていく、という企画の流れだそうです。ただし、番組内でウィキペディアを編集するのではなく、放送をきいたリスナーが、番組内で決まった追加内容を任意で増やしていく(番組は編集を呼びかけるのみ)、という形式をとっているようです。ただ、番組で選ばれた追加内容は百科事典として不適切な内容(番組や番組内企画、個人の宣伝としての利用、BLP違反など)と言わざるを得ないものがほとんどです(5月22日放送分のスタジオ日記など)。

企画開始後に発生した度重なる宣伝により、松田大輔さんの記事は6月27日 (UTC)に保護されましたが、保護された後である7月10日に放送された番組のお知らせ記事[4]によると、「(現在、記事の編集ができない状態であるが)それでもこのコーナーはやります。編集できるようになったら一気に追加しましょう!」と企画を続けていくとしたほか、追加編集が決まった内容を告知した上で「今まで編集してくれた方、保護が切れた段階でまた編集していただけると嬉しいです!」とも呼びかけられています。

以上の内容について、皆さまの考えや今回の問題点、今後の番組企画への対応や該当記事のあり方などについて、議論を提起致します。--W7401898会話2018年7月11日 (水) 09:23 (UTC)[返信]

なんか追記され削除された内容をみるとえらくグダグダで、こんなのWP:5読んでたら「書き込んじゃマズいよね」という判断が働きそうなものなのですが、まあハッチャケたリスナーからすれば削除された挙句に記事が編集禁止になったことで「なんて狭量なんだ」というところなんでしょうね。ラジオ放送側のディレクターからして意識のもっていき処がずれてるのかも。まあノートページでWP:NOTを紹介してお遊び企画で記事を弄るのはやめるよう呼び掛けてはいかがでしょうか。--夜飛/ 2018年7月11日 (水) 11:36 (UTC)[返信]
コメント ウィキペディアに対してのそうした企画があるのは、その番組に限ったことではありません。極楽とんぼKAKERUTVで番組企画として画像のアップロードが行われたこともあります(Wikipedia:コメント依頼/KAKERUTVなども参照)。ある番組が知名度向上を狙ったのか、読者プレゼントを用意して視聴者に記事を編集してもらうということもあったようです。すべてがすべて「絶対ダメ」というわけではありません。番組名が入っている人物画像がアップロードされたとしても、「CC-BY-SAライセンスで使ってもよい肖像を番組制作者であることを明らかにしてアップロードする」というのは、最終的にはプラスに働く可能性もあるわけです。ただし、最終的にそれを使うかどうかはコミュニティが判断することになります。
同じ目的を持ち何かによって集団化している場合は複数の投稿者をまとめてWP:MEATに抵触する可能性が出てきます。「ある番組によって視聴者を動かして、記事を私物化しようとしている」(正式なガイドラインではありませんがWikipedia:カンバスも参照)、つまり「視聴者という数をそろえて暗黙の了解があるかの如く振舞おうとしている」と判断されかねないものと考えられます。
で、関係者であろうがなかろうが、宣伝行為を続ければ「記事の保護」をしますし「投稿者をブロックする」ことになります。2度ほど保護されても同じ行為を繰り返されるようであれば、例えば1クール分(最大で3ヶ月)やそれ以上の保護を設定する可能性が出てきますし、半保護で期限を定めない可能性も出てきます。この辺りは粛々と対処されるだけです。
今回、議論に上がっている人物記事への投稿を見る限りでは、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:出典を明記するWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反した投稿であるのは自明です。井戸端で広く意見を拾うよりも、ノート:松田大輔で編集の注意点を説明するなり、「編集の方向性」と「保護を継続するか」をコメント依頼を使って議論されたほうが良いかと思います。--アルトクール会話2018年7月11日 (水) 11:46 (UTC)[返信]
コメント 端的に言うならば本人による明確な意志を持ったウィキペディアの中立性と信頼性に対する攻撃行為ですので荒らしを動員・扇動していることと同じで、他同様長期荒らしと同様に方針ガイドラインに基づき粛々と対処するのが最良かと思われます。個人的には日本国民が娯楽目的でアメリカ合衆国の全世界規模国際共同プロジェクトに対し公共の電波を用いて年間200億円規模で運営されているサイトへの攻撃行為を扇動している事実に心を痛めますが、そのような事実関係については扇動に乗せられた一般人リスナーの理解の外で預かり知らぬことでしょうから、ノートページにてそういったことを説明する必要があるとも思います。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月11日 (水) 14:34 (UTC)[返信]
コメント なんというかWPへの攻撃云々以前に色々な意味で「削除された悪ふざけとナンセンス」ですな…ここにこそ「例のバナー広告」をぶつけるべきかもしれません。アン的に。--力在領域会話) 2018年7月28日 (土) 05:40 (UTC)◆時系列とコメント先が把握しづらくなっていたので冒頭にコロンいっこ追加させて頂きました。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月28日 (土) 17:52 (UTC)[返信]
コメント 今回の企画の問題点は、「Wikipediaの執筆企画を開催したこと」ではなく、「企画内容がWikipediaの方針に明確に違反していること」です。おそらく開催側がWikipediaの基本理念を理解しておらずSNSや匿名掲示板などと同レベルの感覚なのではないかと思います。7月10日のコメントからいって、企画による編集が問題視されて保護に至ったことも伝わっていないのではないでしょうか。このような事例の場合、Template:告知を記事冒頭に貼付して問題点を簡単に解説し、ノートページなりコメント依頼なりに誘導して議論するようにした方が良いかと思います。この手の問題が頻発するようでしたら、執筆イベントに関するガイドラインを作成するなり、「Template:BLP editintro」のような形で芸能関係専用の告知テンプレートを作成するなり対策が必要になるかもしれません。ただ、現状ではそこまでするほどの規模ではなさそうです。WP:SUGに専用の案内文くらいはあってもよさそうではありますが。--SilverSpeech会話2018年7月12日 (木) 03:20 (UTC)[返信]

報告 ノートページに注意文を追加しました[5]。ウィキペディアの基本的なルールについては一通り書きましたが、他に必要と思われる注意文があれば、任意で追加してください。それにしても、マスメディアがウィキペディアの方針とガイドラインにそぐわない編集を放送を通じて呼びかけるというのは、公共性の観点から見ても、それが良いことだとは個人的には思いません。ただ、今回はバラエティ番組の企画ということで、現時点ではそれほど深刻には考えていません。皆さんのコメントを読んでいて、やはり方針とガイドラインに基づき、こちらはこちらで粛々と対応するというのが最良の対応策だと感じました。--W7401898会話2018年7月12日 (木) 08:50 (UTC)[返信]

コメント 上の方で出てきてますが、Template:BLP editintroや、ノートページに対して使用する共通の注意喚起テンプレートの必要性が高まっていると考えられるならば、プロジェクト:人物伝あるいはプロジェクト:放送または配信の番組(あるいは両方)あたりで意見を聞いてみても良いかもしれません。--アルトクール会話2018年7月12日 (木) 12:32 (UTC)[返信]
返信 (アルトクールさん宛) この井戸端のタグ付けとアドバイス、ありがとうございます。今のところ、そこまで必要性は感じていません。ですが、今後の様子を見て必要性があるなと感じた際は、この井戸端の議論を踏まえて再び皆さまの意見をお伺いする時が来るかも知れません(最近急激に忙しくなってきており、実際に意見を呼びかけてじっくり話し合うだけの時間がとれるかどうか……という、個人的な課題もあるのですが)。--W7401898会話2018年7月12日 (木) 16:01 (UTC)[返信]

情報 特別:差分/69777582/70505916の加筆で知りましたが、当該番組の「ウィキペディアを充実させよう」というコーナーは、2018年8月7日の放送から「ツイッターを充実させよう」というコーナーに変わったそうです(番組公式ウェブサイトの「スタジオ日記」参照)。--侵入者ウィリアム会話) 2018年11月3日 (土) 21:03 (UTC) 下線部のリンク切れを修正。--侵入者ウィリアム会話2023年9月23日 (土) 20:51 (UTC)[返信]

「武家家伝」というウェブサイト

「武家家伝」というウェブサイト(おそらく個人サイト)が多数、外部リンクとして使われているようです。 東郷平八郎の外部リンク、土持氏の外部リンク、宇久氏の(本文中)外部リンク、豊臣秀吉の外部リンク、など。この他、検索結果はこちらです。これは歴史学者の間では高い評価がある個人サイトだったりするのでしょうか? なお、サイトの構造が分かりにくく、正直、どれがサイト名なのか自信がありません。もしかすると「戦国武鑑」がサイト名かもしれません。主催者については、「播磨屋」がハンドルネームのように見受けられます[6]。 --2018年7月11日 (水) 09:51 (UTC)--以上の署名のないコメントは、2001:240:2420:a0dd:f5c8:1020:3de5:5320会話/Whois)さんが 2018年7月11日 (水) 09:51‎ に投稿したものです(Nami-jaによる付記)。

コメント 分かりづらいんですが信濃中世武家伝 発刊のページを見る限りでは田中豊茂さんの個人サイトのようで、田中さんは
  • 田中豊茂『信濃中世武家伝 信濃武士の家紋と興亡』信濃毎日新聞社、2016年11月25日。ISBN 978-4784072989 
を執筆刊行しておられる様子でそれなりに執筆書籍内容には信頼性があるのではないかな、と感じます。ただ、出版社などによる第三者監査が行われていない状態での(中立性に欠ける)独自情報源、という点を考慮しますとWP:ELMAYBEが定める『書籍や学術論文などと同等の水準を保っている外部サイトではない?』という可能性があるものであり、リンクするには若干不適当ではないかな、と考えられます。──ただ、WP:ELMAYBEWP:ELNOの掲載条件に合致しない外部サイトリンクの即時除去を求めてはいませんので、リンク先ページ末尾に参考情報なども明記されておりウィキペディア⇒外部リンク先⇒文末参考情報を元に(内容検証を行った上で)更に調べられる、といった読者調べ物の一助に成り得る可能性は否定できず、当該サイトに対するウィキペディア各記事からの各リンクに関しそれぞれで外部リンク先ページ内容を吟味した上で議論が必要になるかもしれないと思います。◆つまり、個人サイトであるという理由により第三者査読が行われないまま公開されている性質上中立性を欠くためウィキペディアの出典としては使用不能ではあるものの、それだけで内容を全否定するには少々惜しいのよく研究された個人サイト、という立ち位置なのではないかな、と。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月11日 (水) 14:14 (UTC)[返信]
コメントすでにNami-jaさんがおっしゃている通りと思います・・・歴史や地理に興味がある人なら誰でも知っている昔から有名なサイト・・・だと思いますが、「ウィキペディアのルール上はNGな個人サイト」として扱うほかないでしょう。あくまでウィキペディアのルールのうえでそうなる、というだけであって、このサイトの価値を貶めるものではないです。外部リンクで多用されているのは、大昔のウィキペディアではNGというわけではなかったから、ということが一因でしょう。ウィキペディアの執筆者としては、このサイトで情報を得て、それを基に調べ物をして適切な情報源をみつける、というように利用していくことになります。--柒月例祭会話2018年7月11日 (水) 14:24 (UTC)[返信]
 追記 時系列で考えると先に田中さんの個人サイト立ち上げの実績があり、そのWEBサイト内容の過半が後に(適切な第三者査読を受けて)一冊の専門書籍として刊行された経緯があるものでしょうから、既に記事内で情報源として使用されている場合はWP:ELDUPに基づき外部リンク節ではなく参考文献節に移動された上で各文章末文に出典として使用した事実を明示しなければなりませんけども、そうでなく外部リンクとして単に残すのみであればWP:ELPOINTS1.2.3項、およびWP:ELYES3項に該当しているページですから各リンク元記事のノートでページ内容を吟味し議論、合意に基づき許容可能であるかもしれない、と個人的には思いますと同時に、積極的に除去するべき緊急性はない、とも思っています。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月11日 (水) 16:48 (UTC)[返信]
  • 『信濃中世武家伝 信濃武士の家紋と興亡』は信濃の人物についての本であるようです。類推から、この著者は信濃以外の人物の系譜についても、定評のある歴史学者であると考えていいのでしょうか。 --2001:240:240A:EB7A:F5C8:1020:3DE5:5320 2018年7月18日 (水) 00:49 (UTC)[返信]
    • コメント それはどうでしょうね? 国家や大学の禄を食む歴史学者であれば研究室その他に個人の論文発表場所を持つはずと考えていますし、類推が事実であることを示唆するページがサイト上に発見できない以上『匿名編集者による(多分に希望的観測を含む)勝手な妄想』の域を出ない、と思います。で、ほんとうに博士号を持つような歴史学者さんであり個人論文がCiNii国立国会図書館デジタルコレクションなどに(適切な国家や学会規模での第三者査読を経て完成したものとして)まとまった形で存在するのであれば個人HPなどよりそちらの文書の方が信頼性評価の観点から推奨されるべきで、それがない/見つからない/公表されていない時点で未だ市井研究家の域を出ない成長途中の方ではないかな、と類推致します。 / 何らかの事情により敢えて研究家としての実名や実績を隠蔽しハンドルネームでHP活動している方であったにせよ、個人HPでは出典に使えない関係上(㭍月例祭さんが仰るように、一般人目線では素晴らしい歴史学サイトであったとしても、ウィキペディアの方針に抵触してしまう点で)ウィキペディアとしてはサイトそのものの信頼性評価は低くならざるを得ない、ということです。が、出典として用いず外部リンクとして利用するのみであればリンク除去を推進するべき強い理由も特に持たないであろう、と。似たような運用をされている外部サイトとしてboxrec.comがあります(議論)。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月18日 (水) 18:27 (UTC)[返信]

自分の使っていないアカウントを発見しました

おそらく数年前に自分で作成したと思われるアカウント利用者:Haluhaluhaluを先ほど発見いたしました。 今後利用していく予定はないのですが、投稿ブロック依頼を提出した方がいいのでしょうか?—QuietJapan会話2018年7月11日 (水) 10:22 (UTC)[返信]

コメント ご自身の利用者ページにそのアカウントをもう利用しないということを明記した上で記載しておけば問題ないと思います。やざわざブロックしてもらう必要はないでしょう。--富士 / Fuji kyosuke会話2018年7月11日 (水) 13:06 (UTC)[返信]
コメント 「パスワード紛失により再ログイン不能になった自分自身の旧アカウント」といった重大かつ明確な理由がある(再ログイン、パスワードの変更が不能になってしまっていることで、他人が偶然ログインできてしまう可能性が永久に残る)場合はWP:DOPPELGANGER(危うくなったアカウント(Compromised accounts))の適用で投稿ブロック依頼を行うことができます(適用は一律、一発無期限ブロックになります)。参考までに、当方の前アカウント自己申請無期限ブロック依頼の履歴はこちら。──なお正当な理由なき複数アカウントの所持は原則禁止されておりますので、できればWP:SOCK#NOTIFYに従い、利用者ページにそのアカウントが自分の前アカウントであることを示し投稿履歴を開示しておくとより良いでしょう。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月11日 (水) 13:47 (UTC)[返信]
コメント 同一性の証明が完全には出来ないのでブロックの類はせずともよいでしょう。QuietJapanさんの場合は何となく同じだとは思えますが、ログインできない以上証明のしようがありません。QuietJapanさん以外の場合を考えてください。悪意ある利用者が、既に編集を辞めてしまった利用者のことを、自分自身が以前使用していたアカウントだと詐称することが考えられるからです。そのような悪意ある利用者は多くいるので徒らにブロックを許可すべきではありません。ログインできる場合は過去に使用したアカウントに対してブロックがされてもよいかもしれませんが。自分の過去のアカウントがあり現在ログインできない場合は、現在のアカウントに過去のアカウント名を明記するだけがよいでしょう。--2403:99DD:6FE5:6E00:A81A:28F6:D2F4:BCA9 2018年7月12日 (木) 06:36 (UTC)[返信]

報告こんにちはQuietJapanです。実は、アカウントを見つけたのはPC内のアカウント管理からでした。なのでこのアカウントは私QuietJapanのものです。これから、双方のページにアカウントの関係性についてと、今後このHaluhaluhaluのアカウントを使用しない事を明記したいと思います。皆さま本当にありがとうございました。—Haluhaluhalu会話2018年7月13日 (金) 09:48 (UTC)[返信]

記事本文の時刻のタイムゾーンについて(UTCに統一すべき?)

平成30年7月豪雨のページを見ていてふと疑問に思ったのですが、日付や時刻がJSTで書かれています。「現地時間」という断り書きもないようです。 日本語版Wikipediaでは原則的にUTCを使うべきで、署名や更新時刻などもすべてUTCで統一されているのはそのポリシーによるものだというのが個人的な理解でした。以前にシステム時刻をJSTにしようという提案があった時は「日本語版Wikipediaは日本版Wikipediaではないから日本時間を特別視する理由がない」「日本列島に在住しない日本語話者のことを考慮しない独善的意見」「国家と言語圏を混同した最悪のPOV」と非常に厳しい批判を持って退けられ、それを見ていてなるほどもっともだと納得した記憶がたしかにあります。ただ、その議論のログがちょっと見つからないのですが(なにしろ「UTC」で検索するとものすごい量のノイズが出てきて…)。 私の記憶通りなら、先の議論を踏まえると本文の時刻も、日本列島非居住の日本語話者を考慮して原則UTCにするか、せめて現地時間であることを明記するのは当然であると考えます。しかし、冒頭に出した豪雨記事も含めて、どうも実態はそうなっておらず説明抜きにJSTを使用している記事が横行している印象です。

相談としては、これをUTCに修正するor「現地時間」の但し書きを加える編集を目につき次第やっていくべきか、ということです。理念的にはそうするべきということになるのでしょうが、実態も合ってないし、根拠文書が見つからないためこちらで相談します。よろしくおねがいします。QQ81会話2018年7月12日 (木) 06:55 (UTC)[返信]

コメント QQ81様、こんにちは。記事本文中における日付と時刻の表記の基準とするタイムゾーンについては、9年前にプロジェクト‐ノート:時制システム合意形成#記事中の年月日・時刻の時制で提起されていますが、その後の進展がみられません。また、ご記憶の議論のログは、Category:井戸端の話題/年月日・時間か、その下位カテゴリ辺りに見つけられるのではないかと思います(一番近いと思われるのはWikipedia:井戸端/subj/UTCからJSTへの変更Wikipedia:井戸端/subj/日付と時刻)。
ご相談に対しては、「ウィキの既定」としてのUTCと「本文の時刻」は区別して考えてはどうでしょうか。本文の文意・含意を適切に読者に伝える上で、UTCを選ぶか、JSTを選ぶか、はたまた別のタイムゾーンを選ぶかの裁量を個々の編集者に認めるだけの自由はあってよいと思います。たとえば、兵庫県南部地震が早朝に発生したことが、阪神・淡路大震災について記述する上で重要な意味を持っている部分が実際の記事中に垣間見られます。もし地震発生時刻を「1995年1月16日20時46分 (UTC) 」と表記してしまうと、早朝にあった、ということに関する読者の理解を妨げてしまうおそれがあります。この場合はJST=UTC+9表記が妥当でしょう。もちろん、記事やその内容によっては、別のタイムゾーンで表記する方が適切な場合も当然あると思います。ただ、一つ気をつけたいのは、どのタイムゾーンを採用するにせよ、読者に誤解・誤読を与えないような工夫は必要でしょう。ご提案のように、記事の冒頭に「この記事では、特に断りのない限り、日付と時刻はJSTで記す。」などと断り書きを入れるのも一案でしょうね。--Doraemonplus会話2018年7月12日 (木) 09:52 (UTC)[返信]
コメント 全世界的に同時進行した事象など、どこを「現地」とすべきかはっきりしないような場合を除き、記事に記載する時刻は現地時間で良いと思います。世間の常識としてそうなっているのが一番自然ですし、それで誤解するような人も普通はいません。ネット上で議論する時にUTCを使うのは、どこを「現地」とすべきかはっきりしないための便宜的な措置ですから、「現地」がはっきりしている時の参考にはなりません。--Dwy会話2018年7月12日 (木) 10:02 (UTC)[返信]
コメント WP:JPE#時刻に何も言及がないので、常識的判断で良いんじゃないでしょうか。日本に関する記事の99%はJSTで考慮していると思いますから(インターネットでの出来事はUTCも多い)、わざわざそれを明記する必要もないと思います。むしろ、『JAWPの記事はJSTで書くこと。JST以外の場合は断り書きを入れること。』なんてガイドライン化する必要もないし、暗黙のままで良いと思いますが。ガイドライン化してなにかメリットがあるのか?って事です--Kyuri1449会話2018年7月13日 (金) 16:32 (UTC)[返信]
皆様コメントありがとうございます。Wikipedia:井戸端/subj/UTCからJSTへの変更が正に探していた議論のログでした。毎日新聞の誤報に端を発した議論で、冷静な議論にならない恐れのため今なにか決めるのはやめようという流れで有耶無耶になっていたんですね。結局記事本文のタイムゾーンをどうするかというガイドラインは「ない」ということのようで、Doraemonplusさんがおっしゃるように、記事ごとにわかりやすいタイムゾーンを選ぶしかないという状態が現状のステータスであることもわかりました(個人的には地震発生時刻やタイムラインのような諸元的データはUTCで、「早朝発生」のような情報は本文で補うべきと感じますが)。ただ、Dwyさんの「世間の常識」、Kyuri1449さんの「常識的判断」については、まさにそれこそがJST地域在住の日本語話者の常識にすぎない独善であるという批判があって、そのためシステム時刻をUTCで堅持していることとの整合性に疑問があります。JSTを特別視しない非JST地域在住の日本語話者は、タイムゾーンが明記されない時刻を見て「システムがUTCなんだからこれもUTCだな」という誤解をするかもしれません。そのことへの配慮が(システム時刻では必要だが)本文では不要、ということにはならないように思います。QQ81会話2018年7月14日 (土) 00:07 (UTC)[返信]
コメント お探しのログが見つかってよかったです。さて、一つだけ気になったのですが、私は、DwyさんとKyuri1449さんのおっしゃる「常識」というのは、「JST地域在住の日本語話者の常識にすぎない」とは思いません。私はDwyさんと同様、現地時間で記すことこそ常識的だと思います。日本語よりも広く世界中に普及していて when に敏感であろう英語話者が主に読む English Wikipedia ではどうかというと、ガイドラインであるスタイルマニュアル en:Wikipedia:Manual of Style/Dates and numbers#Times of day の Time zones の項に、仮訳:「出来事が起こったところの等時帯に合った日付と時刻で記せ。」 (”Give dates and times appropriate to the time zone where an event took place.”) とあり、Dwyさんが述べられた「現地時間」主義が採られていることが伺えます。また、複数のタイムゾーンを併記するのが最適な解決策である場合があることも同スタイルマニュアルには書かれています。これは、WP:POVにも適っている考え方だと思います。「現地」が不明瞭な場合の事例については上記スタイルマニュアルをご覧ください。あくまでこれらは英語版での話で、日本語版ではまた事情が異なるかもしれませんが、いずれにしても、どこかの国の標準時に合わせるのは独善的だから協定世界時に統一せよ、という視座では考えられていないわけです。極端な話をすれば、現地時間(各国の標準時)を差し置いて協定世界時(もとを質せばGMT)で書くのさえも独善的だ、と見なされるなら、終いにはスウォッチ・インターネットタイムに行き着くでしょうね(無論、現実的ではないですが)。実践としては、WP:JPE#西暦・和暦も加味して、和暦を併記した日付に対してはJSTで合わせ、特定の地域に依存しない出来事に関してはUTCで合わせ、いずれか一つに絞れないと判断されるときは両論併記、といった対応がまず想像できます。--Doraemonplus会話2018年7月14日 (土) 03:45 (UTC)[返信]
コメント 日本メディアが日本向けに日本語で情報提供する際の常識・在り方と、グローバル百科事典がグローバル向けに日本語で情報提供する際の常識・在り方は別でしょうが、秀逸・良質な記事レベルの記事品質であれば現地時間で記述してタイムゾーンの但し書きが望ましいように思います。ただ、絶対的な時刻(UTC)で記載することに意義があることもままあるし、歴史的事項(例えば「1600年10月21日 関ヶ原の戦い」)にタイムゾーン明記はナンセンスですし、そのあたりを整理したガイドライン化は難しい気がします。タイムゾーンの但し書きを記載していくだけの雑草とりもあまり歓迎されなさそうですし、何かの編集のついでにタイムゾーンの但し書き追記が良いかなと思いました。秀逸・良質な記事レベルの記事には必ず但し書きが望ましいという意見ではなく、早朝・真っ昼間・深夜などその事象が起きた時刻の現地時間に特筆性があるなら但し書きが望ましいという意見です。--118.243.155.83 2018年7月14日 (土) 06:25 (UTC)下線部追記--118.243.155.83 2018年7月14日 (土) 06:46 (UTC)[返信]
情報 放送分野では原則として当該地域の標準時を用いる旨、ガイドラインに示されています。タイムゾーンが読者に分かり辛い場合のみ、「日本時間○月○日○時」や「米国東部時間○月○日」のように国や地域を書き添えることになっています。他の分野は存じませんが、ご参考まで。--ディー・エム会話2018年7月14日 (土) 06:37 (UTC)[返信]
コメント 上掲もされていますが、そもそも情報源(この場合気象庁発表資料)がJSTを採用しUTCを記入していないならば(UTCに直す手間とそれによるソース毀損の可能性を考えれば)テンプレート以外の時間はJSTでよく、記事内でUTCを要求するのは--例えばJTWCから情報を取得したのでもないかぎり--過大なものと、小生は愚考いたします。「日本中心にならない」でこの手の日本中心記事を書くことは困難に思えます故。それと、記事の掲示時間とシステム時間を混同すると後々問題が起きかねませんので、その点お心忘れなきよう願い申し上げるものであります。--力在領域会話2018年7月18日 (水) 06:43 (UTC)[返信]
コメント 協定世界時(UTC)か現地時間かという選択の話ですから「日本中心にならないように」はあまり関係ないのでは。日本国内の出来事に関する記事で日本時間が使われるのは単にそれが記述対象の現地時間だからであって、そのタイムゾーンの読者に合わせているわけではないので。--ディー・エム会話2018年7月18日 (水) 13:04 (UTC)[返信]
コメント 改めまして。平成30年7月豪雨の記事は出来事が日本国内で一部始終完結しているため、現地時間の慣例に従い、一貫してJST表記で問題ないでしょう。現状では、平成30年7月豪雨 § 世界各国の反応に時差を伴う出来事の記述が混じっていますが、文章読解する上で解釈に困る時刻表現はみられないので、但し書きや注記は特に必要ないと思います。むしろ、個人的に気になるのは、越境台風など、複数のタイムゾーン間を横断(移動)する気象の記事中での時刻の扱い方です。たとえば、平成18年台風第12号では事細かにタイムゾーンが記されている一方、平成27年台風第12号 § 進路・状態の変化では、タイムゾーンが明示されないままです。後者のセクションは、記された日付と時刻を正確に読解するのが困難な状態であり、これではせっかく時系列に並べた意義も薄れてしまいます。プロジェクト:災害にもプロジェクト:気象と気候にも、そのあたりのことについて合意事項がないようなので、一度PJの方に問題提起してみてもよいかもしれません。--Doraemonplus会話2018年7月19日 (木) 11:50 (UTC)[返信]
コメント 以前ハリケーン・イルマの記事を作成した際に思ったのですけども、台風ハリケーン津波など複数のタイムゾーンを跨ぐ移動型天災については現地時間とUTCは厳密に区別され読者向けに冒頭示唆されていて然りと個人的には考えています。ただ、その他の事例に関してもUTCとJTCの区別がつかないまま日本の大手新聞社とテレビ局が大々的に誤報配信してしまった前例もありますため、「多くの日本語版読者はそもそもウィキペディアが日本国外の国際サイトでありUTCを採用している事実を理解できていないかもしれない」といった前提を設け、改めまして上位PJなどでそこら辺の指針について合意しておくことも良いのではないかとも感じました。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月19日 (木) 18:50 (UTC)[返信]
コメント 移動型天災についてのタイムゾーンの考え方は、大筋でNami-ja氏に同意です。ところで、利用者がウィキペディアで見かける日付と時刻は次の2つに分けられます。
  1. ウィキペディア内部 (MediaWiki) が使用するシステム時刻(署名編集履歴などのタイムスタンプ管理記録)→ログインすれば設定ガジェットで表示を自由に変更可能。
  2. 百科事典のコンテンツに含まれる日付と時刻(災害関連記事でいえば、地震発生時刻や台風上陸日時など、話題について歴史上の時点や時間を表す付加的情報)→アクセスしてくる利用者の居場所の標準時に依らず、話題や出来事の属する等時帯に拠るのが基本(少なくともen:MOSでは)。
管理上の記録(ログ)であるタイムスタンプコンテンツの一部である日付と時刻、両者は互いに全く異質なものです。プロジェクト‐ノート:時制システム合意形成#記述修正提案でも示されたように、某新聞社の誤報も、「ウィキペディアが日本国外の国際サイトでありUTCを採用している事実」という前提も、1.についてのことですよね。であれば、タイムゾーンの検討、合意、周知等に際しては、1.と2.をそれぞれ分けて考えるべきではありませんか。その辺りを峻別しておかないと、QQ81氏の懸念されている「システムがUTCなんだからこれもUTCだな」=「1.がUTCだから2.も(無条件で)UTCだな」と短絡的な解釈をする利用者が本当に出て来かねません。--Doraemonplus会話2018年7月21日 (土) 02:30 (UTC)[返信]
コメント 上記当方意見についてやや補足しますと、基本はケースバイケースながら「ウィキペディアの標準はUTCだが『恐らく(日本語話者の過半数を占める)日本人の大半はUTCが何の意味なのか自体を知らない』ので、UTC(またはJST以外の現地時間)を使用するべき局面が記事中に現れた場合はその旨予め説明を為して誤解の発生する余地を潰しておくべきではないか」というお話で、当提案とは真逆の方向性に向かうものでした。
で、Doraemonplusさんの仰る通り「ウィキペディアの標準はUTCだけども、各記事毎にどの設定を利用している利用者が接続してくるのか執筆時点の記事編集者が知る術はない」ためUTC、JSTどちらであっても統一することで問題が解消されることは有り得ないと思われ、このため1.の提案はいったん保留し、ここは2.の案である「記事の内容を読者が読み解く上でなるべく(適切な理解の妨げになるという点を重視し誤解しやすそうな部分に説明を足すことで)誤解する余地をなくしていく」という観点を推進する方向性が建設的かと感じます。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月27日 (金) 08:41 (UTC)◆一文追記。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年8月2日 (木) 00:28 (UTC)[返信]
コメント 各地の標準時(現地時間)とUTCなど、多様な時制系が混在するjaWPの記事本文において、読者の文章読解を助け、誤解を防ぐための対策を考えるという方向性に賛同します。具体案の検討の場は、プロジェクト‐ノート:時制システム合意形成#記事中の年月日・時刻の時制が最適かと存じます。--Doraemonplus会話2018年7月29日 (日) 14:56 (UTC)[返信]

情報 上記 1. について、Wikipedia:各言語版の標準時なるページを見つけました。ご参考までに。--Doraemonplus会話2018年8月3日 (金) 14:50 (UTC)[返信]

コメント たびたび議論になっておりますからタイムゾーン統一がいちばんの解決なんでしょうけれども「ローカル言語版としてJST統一が良いであろう」という点で当提案とはやはり真逆の方向性となりそうですね。しかし問題としては【1】影響の大きさ【2】10年前から興味を示し必要性を感じているコミュニティ人数と関連議論の少なさ、でしょうか。既に初期提案から10年を経過しておりますため、Wikipedia:お知らせなども活用してここから1年ほどのスパンを見て順次再議論、必要手順の確認、試験運用期間など段階的実施などを進めても良いように思います。その際、ご提示の他言語版での議論やその実施までの進捗状況は大変参考になる前例と成り得るであろうとも。--Nami-ja [会話 履歴] 2018年8月8日 (水) 02:09 (UTC)[返信]

コメント えー、本話題の最終コメント投稿日から早1年が経過しましたが、この問題にまだ関心を寄せ続けている方はどのくらいいらっしゃいますでしょうか。人数が集まれば、合意に向けて議論を再開したいのですが…。--Doraemonplus会話2019年8月14日 (水) 09:50 (UTC)[返信]

IPアドレスについての初歩的な質問です

記事の履歴表示や署名に表示されるIPアドレスについての質問です。動的アドレスとかいうので、接続するたびにIPアドレスが変わるのは分かるのですが、以前連続して編集しているのにIPv4IPv6の両方のIPアドレスが記録されたことがあります。それも、IPv6のアドレスA→IPv4のアドレスB→IPv6のアドレスAというように最初のアドレスと3番目のアドレスが同じでした。このような現象がなぜ起きるのかご存知の方がおられたらお教えください。--2001:268:C02C:7F4C:5158:2FDC:C85B:F94F 2018年7月14日 (土) 00:51 (UTC)[返信]

  • 推測はできるのですが、実際にどうだったかはお使いのクライアント端末とプロバイダにより違っている可能性があることはご承知ください。さて、ウィキペディアをご使用の場合、プロトコルとしてはHTTPを使います。このプロトコルは、例えばリンクをクリックして応答画面が表示されるまでが1回のコネクションです。従って1回のコネクションの時間は秒オーダーです。コネクションごとにIPアドレスを割り当てなおしていては煩雑なので、普通は1度割り当てたIPアドレスは数十分から数時間のオーダーで再割り当てせずに使います。契約形態などにもよりますが、IPアドレスの割り当てではIPv4アドレスとIPv6アドレスの両方を割り当てます。これは接続先がIPv4だけの場合やIPv6だけの場合に対応するためです。ウィキペディアにはIPv4でもIPv6でも接続できますが、多くのクライアントはIPv4で接続してみてうまくいかなければIPv6で接続してみるとか、その逆にIPv6で接続してみてうまくいかなければIPv4で接続するようになっています。で、質問者さんの場合はIPv4アドレスとIPv6アドレスが割り当てられている状態で、1回目にアドレスが記録されるときはIPv6で接続し、2回目にアドレスが記録されるときはIPv4で接続し、3回目はIPv6で接続されたため、ご質問の結果になったと考えられます。--アルビレオ会話2018年7月15日 (日) 05:45 (UTC)[返信]

質問者です。よく分かりました。ありがとうございます。--2001:268:C02C:7649:A8E2:1223:A5C1:D4F 2018年7月18日 (水) 23:58 (UTC)[返信]

外語表記について(法人名、商品名)

「ノート:Twitterr」の「『ツイッター』で記事名を変えましょう」にもコメントとして書きましたが、日本語圏では、法人名はカナ表記で、商品名は(特にIT関係では)原語表記のままであることが多いように思います。例えば法人名「マイクロソフト」社はカナ表記されますが、その商品は「ウィンドウズ」とカナ表記する場合もあります(とくに新聞など)が「Windows」のように原語のまま表記されることが多いように思います。仮にそれに従うとすれば、Twitter という記事は商品のことを指しているようなので、記事名はそのままでも良いかと思いますが、法人としてのツイッター社はカナ表記であるべきだと思います。そのため本文をそのように書き換えました。(自分としては、このような表記分けは商品と法人のどちらについて言及しているのかを明示する意味もあります。)ただしこの表記文字の仕方についてはウィキペディア日本語版では統一されていないようです。参考までに法人名についてわずかな数ですが現状はこうなっています。

法人 ウィキペディア日本語版での記事名
アイビーエム(IBM IBM
アシックス(ASICS アシックス
アップル(Apple アップル (企業)
アイロボット(iRobot iRobot
イケア(IKEA イケア
ウーバー(Uber Uber
エムスリー(M3 エムスリー
グーグル(Google Google
ジンズ(JINS ジンズ
ダノン(Danone ダノン
チューリッヒ(Zürich チューリッヒ保険
ティーエスエムシー(TSMC) TSMC
テスラ(Tesla テスラ (会社)
トートー(TOTO TOTO (企業)
ネスレ(Nestlé ネスレ
パナソニック(Panasonic パナソニック
フォード・モーター(Ford Motor フォード・モーター
プロクター・アンド・ギャンブル(P&G) プロクター・アンド・ギャンブル
フォルクスワーゲン(Volkswagen フォルクスワーゲン
ブリヂストン(Bridgestone ブリヂストン
マイクロソフト(Microsoft マイクロソフト
リクシル(LIXIL LIXIL
モンベル(mont-bell モンベル
ヤフー(Yahoo! ヤフー(日本法人)、
Yahoo!(米国法人)
ライン(LINE LINE (企業)

ウィキペディア日本語版として指針が必要なのではないかと思いますが、ご意見がありましたら、よろしくお願いいたします。--テレワーク会話2018年7月14日 (土) 09:36 (UTC)[返信]

コメント 統一基準をつくるとおそらく指示に肥大化にしかなりません。「日本語話者の間で」どちらが良く使われるのかを判断して書くのが慣例になっています。法人名で行けば、まずは「法人名の登記上の正式名称」を優先します。例に挙げられている「TOTO」は東洋陶器から法人名を変えた際に登記上も「TOTO」にしています。また、トイレなどに使われるブランド名の「TOTO」にしても「トートー」と書かれたりすることはほとんどありません。登記上の正式名を用いているのは「パナソニック」「LIXIL」「LINE」「ブリヂストン」なども同じです。ブランド名を記事名にしているのではなくて、法人を記事とするため、この場合のガイドラインはこの正式名称に従うことになります。
「ネスレ」は日本外の企業でありますが、日本法人が「ネスレ日本」ですから、「Nestlé」を記事名にする必要がありません(「ネスレ」が一般的に知られている固有名詞と判断できる)。
一方で「IBM」は日本法人が「日本アイ・ビー・エム」ですが、公式でも「日本IBM」を用いていることや、「IBM」が一般的に使われている(単語ではなくて、頭文字をとったI・B・Mで読みに変化が見られない)ことからも、IBMを用いて差し支えないといえます。そもそも、日本語環境下でフランス語の表示環境が未熟であることを考慮しても、ネスレとIBMを同じ日本国外企業だからの一般論で片付けるのは難しい問題でもあります。
yahoo!とヤフーについてですが、これは米国法人と日本法人を区別する必要があって、表記が異なるのであれば無理に米国法人を「ヤフー」にする必要はないという判断と考えることができます。そもそも、米国法人を指して「ヤフー」と呼称している資料を用意できるのか?という疑問も出てくるわけですね。
マイクロソフトについては正式名称及び日本での一般的な呼称に準拠です。また、OSの商品名である「Windows」はウィンドウズも資料によっては散見できるかもしれませんが、マイクロソフトが日本語で行っている商品に対する記述は一貫として「Windows」のままです。日本語として、ウィンドウズと読むとしても、対外的記述はWindowsが一般的であると判断できます。Windows10が「ウィンドウズテン」と日本語表記されて売られているわけではありません。
指針としても何も「記事が法人に向いているのか、商品(ブランド)に向いているのか」で全く話が異なるわけですから、どっちかで書けみたいに指針を整備するのは意味がありません。
で、最初の問題点にあるTwitterですが、ではTwitter, Inc.は、法人を指すときに「ツイッター(社)」を用いているのか?という話です。サービスも同じ、法人も同じであれば記事名としてはどちらかあるいは両方を曖昧さ回避すればよい話です。ノート:アップル (企業)でにおける「法人としてのApple, Inc.の記事名をどうするか」と同じような議論をTwitterで行ったらいかがですか?--アルトクール会話2018年7月14日 (土) 10:26 (UTC)[返信]

コメント 要するに「ウィキペディア日本語版では統一されていない」ことを不満・起点としてのご質問のようです。ですが、「統一されていな」くてよいのです。なぜならば、現実世界で多様な表記が混在しているからです。WP:CRITERIAは、「最も一般的・著名」を原則のひとつにしています。それがアルファベットだったりカタカナだったり漢字だったりすれば、ウィキペディアでもそうするだけです。もしも仮に、フランス語やロシア文字やアラビア文字で記された商標が日本で一般的になったなら、それが記事名に採用されることになるでしょう。--柒月例祭会話2018年7月15日 (日) 06:17 (UTC)[返信]

コメント こんにちは。まず「強制的な統一基準」は困難と思いますが、推奨(優先順位ガイド)としての「統一基準」はあるべきと思います。現在はWikipedia:記事名の付け方#法人・団体名があり、「外国語の法人・団体名については、公式な日本語表記又は一般的な日本語の出版物等に使われる表記を使用することとし、これらが不明な場合は原則としてカナ表記とする」などがあります。なお原則は、記事名は略称より正式名称ですが、英語版でも「IBM」[7]「AT&T][8]等は略称が、「FBI」「CIA」等は正式名称が使用されています。また日本法人の場合、少なくとも以前は登記上の制約でアルファベットが使用できず、その企業の意向だけではありません。記事名ではNTT-ME日本アイ・ビー・エムなど、どちらを選択するかは分かれています。商品名の場合、日本語版での製品パッケージには昔から(2.0から)「Microsoft Windows」と英語表記な点も判断基準と思います(Microsoft日本法人のドキュメントは翻訳の関係もあり混在ですし、新聞はコンピュータ分野に詳しくない人も対象なので意図的に「ウィンドウズ」等も多いです)。つまり用語は、読者や意図によって使い分けられています(日本語に限らず)。個人的には「強制的な統一基準」を策定して一斉実施する事は実現可能性が低いと思いますが、必要ならばWikipedia:記事名の付け方を改善していき、分野ごとに徐々に標準化していく(特にガイドに相違するものから改名提案して順次議論・合意していく)という形ならば、望ましいと思います。--Rabit gti会話) 2018年7月15日 (日) 13:45 (UTC) (追記)テレワークさんの最初の発言を読み返してのコメントです。(1)「アイビーエム」は登記上は「日本アイ・ビー・エム株式会社」なので、日本語カタカナの場合も「・」(中黒)を入れるかどうかの話もあります。(2)「Microsodt」「Windows」「Excel」等も、知名度が低い時はカタカナで、知名度が上がると製品パッケージに書かれた英文で書かれる傾向があります。他方「IBM」「AT&T」「hp」「NEC」など略称の方が有名な場合は、文字数を減らす意味でも略称が多く使用される傾向があります。ノートで改名議論の際は、どれが「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」なのか、議論になる事が良くあります。--Rabit gti会話2018年7月15日 (日) 14:05 (UTC)[返信]

ここ最近のCite出典について

ここ最近、Cite newsおよびCite webにおいて、

{{Cite news|url=|title=タイトルバーのまま提示|accessdate=|work/publisher=newspaperは使われない|language=全出典が日本語だけであっても入れられる}}
{{Cite web|url=|title=タイトルバーのまま提示|accessdate=|work/website=publisherは使われない|language=全出典が日本語だけであっても入れられる}}

のようなCite書式を、編集者がIP・アカウント、問わず多数見かけます。これには大体以下のような問題点があり、

  • newsおよびwebの使用基準が定まっていない
  • newsではworkまたはpublisherの使用基準が定まっていない
  • webではworkまたはwebsiteの使用基準が定まっておらず、websiteであればアドレスの一部にしている
  • dateが入れられない(Wikipedia:出典を明記する#ウェブサイトを出典とする場合#名無しリンクを避ける(WP:WEBREF)においては記事名・配信元・記事がいつ作成されたのかあるいはいつの時点での情報なのか、閲覧日よりもまたは同時に配信日を記入することが求められています。このパラメーターは必須となっておらず、webではaccessdateが必須となっています)
  • 配信元をtitleとwork/publisher/websiteのわざわざ2つも記入するまでも無い
  • 全出典日本語ならわざわざ記事が日本語あることを入れるまでも無い

僕が諸事情により一時Wikipedia日本語版での活動ができず復帰した際に、それまでの新規作成記事のメンテナンスを行う際に、上記問題点を伴うCite出典を多数見かけ、これの修正のために僕の作業が増えています。dateの補強すらも僕以外に行う方がほとんどおらず、これをどうにかしなければならないと思っています。僕は本コメント時点でまだ新規作成記事のメンテナンスが残っていますので…。--ディークエステン会話2018年7月15日 (日) 15:02 (UTC)[返信]

コメント WP:NOTREQUIREDの原則がありますので、利用者は自身の限界を超えて出来ないことはやらなくて良いのですが。どこかから委託を受けて報酬を受け取っていたとしても個人事情であり、ウィキペディアは利用者にそれらを求めてはいませんから。その前提で「自分のキャパシティをオーバーしたので助力を求めたい」ということであれば、履歴からそのように行っている編集者を探し対話して修正を求めるのが早道ではないでしょうか? / もう少し具体的に『それらの編集行為を放置することでウィキペディアにどんな問題が発生するのか』を詳らかにすると、例えばWikipedia:bot作業依頼など迅速・合理的な対処を求めやすくなると思います。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月15日 (日) 15:50 (UTC)[返信]
  • コメント Cite webのdateについては「Wikipedia:出典を明記する#刊行年月日」に《ウェブサイトの場合、その文書が作成された、もしくは最後に更新された年月日を記載する。年月日が明記されていないなどでわからない場合は省略可能。》とあります。dateはいつ記載されたか(≒いつ時点の情報)であるのかという意味で重要ですが、ウェブサイトでは不明な場合も多いので省略可能とすることはやむを得ないでしょう。Wikipedia:出典を明記する#ウェブサイトを出典とする場合(WP:WEBREF)では公開日の記載が求められていますが、不明な場合にも公開日を入れろという強制力はないようには判断します。(わからないものを入れろというのは無茶)
    編集フィルターで「利用者に警告を与えてからこれらの対処操作を発動する」や「後で再検討するために編集にタグを付ける」という対応は検討の余地があると考えますが。--iwaim会話2018年7月16日 (月) 12:28 (UTC)[返信]
  • コメント languageはあっても害はないのだから気にしなくていいのでは?--iwaim会話2018年7月16日 (月) 12:30 (UTC)[返信]
  • コメント 《配信元をtitleとwork/publisher/websiteのわざわざ2つも記入するまでも無い》はその通りですが、害はないので修正が苦になるのであれば放置でいいのでは? 使用基準については定めれば「何をいれることが適切であるのか」ということは明確化するかも知れないけど、それに従う人ばかりではないことは容易に想像できます。そして、使用基準から逸脱しても百科事典としてはそれほど問題とはならないので、仮に修正が苦になるのであれば放置でいいのでは? 苦にならない人が粛々と修正するのはご自由になさればよいかと思いますが。--iwaim会話2018年7月16日 (月) 12:46 (UTC)[返信]
  • (返答)以下返答です。--ディークエステン会話) 2018年7月22日 (日) 10:07 (UTC) / 敬称忘れ修正--ディークエステン会話2018年7月22日 (日) 10:08 (UTC)[返信]
    • (Nami-jaさんへの返答)コメント時に一旦の新規記事メンテ作業は終わったため、このように提示している方への対話を行う予定です。botについてはこれはbotで解決出来るかどうかなので…。
    • (iwaimさんへの返答)確かに配信日が記載されていないものがあります。そのようであってもdateパラメーターを入れている方もいますので。これは記事作者名が記載されていないauthorパラメーターも同じです。これに関してはそのような場合もあるので指摘の際に取り入れておきます。languageについては日本語以外でも入れているケースもあります。これに関しては日本語以外ではサイト言語がないとどのような言語なのか分からないので。配信元に関してはiwaimさんも配信元は2つも記入するまでもないという考えでしたか、「それに従う人ばかりではない」と言うのは僕が問題点を指摘しても改善しない方がいますので…。
    • (そらみみさんへの返答)試しにサンドボックスで「引用元の自動追加」を試してみたらこうなるようです。必須パラメーターは項目追加という形となっています。
    • (Hiraapaさんへの返答)その通りですが、僕は記事メンテナンスのついでにこのような編集を行っています。やっている内に、誰かがやらなければやらないをついでにやっているのです。

--以上の署名のないコメントは、ディークエステン会話投稿記録)さんが 2018年7月22日 (日) 10:08‎ (UTC) に投稿したものです(Nami-jaによる付記)。[返信]

コメント 「誰かがやらなければやらない」と思っている(思い込んでいる)のが現状ディークエステンさん個人のみである現実を指摘させて頂きます。ウィキペディアも利用者の誰もがディークエステンさんにそのようなお願いを行った事実はないのはご案内しております方針文書内容の通りです。
その上で無理をする、しないの選択も個人事情に過ぎませんので自由ですが、根本的な問題点として『他の利用者も基本的にはディークエステンさんと同様に自分の作業を抱えている』という事情がありますので、他人に他人の作業を中断し自身の作業を手伝って貰う際の礼儀として『 ディークエステンさんが指摘するその誤記を放置しておくことは、ウィキペディアにいったいどのような損害や問題を潜在的に与え得るのか 』という点を明らかにすれば、bot作業に限らずとも例えばプロジェクト主導による大人数が従事する恒久的、今後長期間の改善・改修が見込めたり、Template:Cite web/docに直接それを記載することで不特定多数に問題を引き起こす可能性の高い誤記であることを知らしめ、誤記した本人がそれを目に留めることで自身のテンプレート使用ミスに気づき自己修正する確率は上がるでしょうし、はたまたビジュアルエディターの公式書式ということはウィキペディアの上位、ウィキメディア財団の決定ですが、財団に直接問題点を指摘することで抜本的な出典テンプレートに対する書式改善が見込めるかもしれない、それこそがご提案の誤記に対する恒久的な解決方法であり、利用者が個人または極少人数でちまちまと修正するよりも遥かに合理的である、ということを上記で述べたつもりであります。
──しかし、現状ではディークエステンさんは誤記であることを大声で指摘するのみで、そもそもその誤記が放置することでウィキペディアや利用者、読者に対しどのようなダメージを与え得るのかを明らかにして頂いておりませんから、誤記修正作業の必要性が何方にも共有されておりません。それでは当方の従事する作業を中断してお手伝いを行う理由として弱すぎます。他の方々の事情も同様かと思います。
考え方を変えて【1】自分が個人修正しきれないほど多くの記事に同時多発的に現れている【2】ウィキメディア財団公式のビジュアルエディター機能のひとつとして公式が推進している【3】方針ガイドラインやテンプレートの使用法などでその記述方法を禁ずる文書は見つからない、という3点から『誤記であるとする考え方そのものが何の方針ガイドラインにも依拠できない独断であり、誰も修正する必要がない、放置しておいても自分以外の誰一人として困らない』という発想を行ってみて下さい。当方は現状でその誤記で苦情を訴えている方の存在をディークエステンさん以外に存じ上げませんので、誤記が与える悪影響の実態が明らかにならない以上こちらが正解である可能性の方が高いと見ています。
◆重要なことですが、ご自身以外の誰もが何も困らない事実をお認めになっている上でその修正作業を今後も続けるのは、それはメンテナンスではなく合意なき独善の実施、実力行使による独断専行推進の宣言でしかなくWikipedia:妨害的編集に変化します。ディークエステンさんが善意の作業に従事していることに疑いの余地はありませんが、その善意の発露先はウィキペディアや他利用者の役に立つ内容に従事して頂いた方がご自身も含め誰もが笑顔になれるというものです。仰る作業は誰の役にも立たず、誰も求めておりませんし、何の得にもならない無為なものです。それら修正作業をご自身の意志でどうしても中断することが出来ない、というのであればウィキペディア資源の浪費でしかなく、強制的に停止させる方策を何方かが模索する結果に終わることも有り得るかと思います。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月22日 (日) 22:43 (UTC)[返信]
コメント 手入力で入力する限は個人差、洩れは程度仕方がないと思います。テンプレートnewsとwebの使用基準は時事的なものかどうかだと個人的には考えています。引数を規定するtemplatedataにおいてNewsとWebではdateの扱いに違いがあります(Newsではdateは必須引数)。必須引数がVisualEditorの出典入力時にシステム的にフォローされていないのが問題(dateが必須なのになくてもチェックされてない)だと思います。(どなたかPhabricatorに要望として挙げて欲しいです)。なおVisualEditorの出典入力の補助機能は3月に日本語版に導入されたmw:citoidWikipedia:井戸端/subj/ビジュアルエディターに参照ツールとcitoidサービスを導入する提案) および引用管理ソフトZoteroのweb Translater(urlからのデータ抽出)によっています。--Camillu87会話2018年7月24日 (火) 22:00 (UTC)[返信]
コメント 出典テンプレートには出典の種類に応じて{{Cite book}}(書籍)、{{Cite journal}}(論文、学会誌記事、雑誌記事)、{{Cite press release}}(プレスリリース)、{{Cite report}}(報告書)、{{Cite news}}(新聞記事、雑誌記事)があり、これらは紙媒体、ウェブ媒体問わず適用できます。そして、これらと重複しながらもその他一般のウェブサイトに適用できるものとして、{{Cite web}}があるという位置付けだと個人的には認識しています。
また、新聞社のニュースサイトを参照していて後日そのサイトがリンク切れになったとしても、図書館で紙の新聞を参照して検証ができます。そのため、{{Cite news}}に「発行日」(date指定)は必須であるべきというのは理解できます(紙の新聞に載っておらず、電子版だけの場合もありますが……)。なお、{{Cite web}}を新聞記事やニュースサイトに適用する場合は、普通に考えるとworkは新聞記事名やニュースサイト名(newspaper)に該当し、publisherは出版社名やサイトの運営会社名になると思います。
タイトルバーそのままの題名については、以前タイトルバー通りの題名からwork引数やpublisher引数へ記述を移したにもかかわらず、題名をタイトルバーに戻されて議論になっていたのを目にしたことがあります(どこだったか覚えておらず、見つけられませんでしたが……)。基本的にタイトルバー通りの題名と閲覧日があれば、決定的な不備があるとは思えません。出典を付けてくれない、本文中の用語に直接外部リンクされる、ような場合よりも、ずっと良いと思います。
ただ、従来のCite系テンプレートとは書式が異なるため、草取り活動の一環として修正するのは問題ないと思います。ビジュアルエディターでは現状タイトルバーになってしまうとのことですが、タイトルバーは題名 - 配信元題名 | 配信元となっていることが多く、いずれは題名と配信元を分離できるようになるような気もします(もっとも題名 - ○○ | △△というスタイルもあるようですので、難しいのかもしれませんが……)。--Assemblykinematics会話2018年7月28日 (土) 05:54 (UTC)[返信]

モバイル編集、モバイルウェブ編集ユーザーによる連続投稿はどこまで許容されるのか

Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック#2018年7月11日 - 20日新規報告に報告しているIP:119.231.183.225会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisですが、宮本佳林での連続投稿が止まりません。すでに同IPユーザーによる編集は100版を越えており、対話も無視している状態ですが管理者による対処は行われていません。そこで根本的な疑問なのですが、モバイル編集、モバイルウェブ編集ユーザーによる連続投稿はどこまで許容されるのでしょうか。--Motoriyo会話2018年7月15日 (日) 22:14 (UTC)[返信]

モバイルの場合、基本は節編集がポイントになるかと思います。全体に手を入れたいが、節ごとに編集せざるを得ない場合に、結果として連続投稿になるのは仕方がないです。つまり、言い換えれば、同一節にすら、何度も何度も編集を繰り返す場合は、モバイルなど関係なく、問題があるように思います。また、内容の実質的な追加や訂正ではなく、些細な語彙や語調の修正を繰り返すというのも、本来はローカルでやるべき校正作業です--EULE会話2018年7月15日 (日) 23:21 (UTC)[返信]
EULEさんのご意見は穏当なものであり、その通りです。でももう少し突っ込んでいえば、モバイル端末を使っていてもPC利用者と同じ表示(デスクトップ)にできるわけですから、モバイルもPCも区別せず、だめなものはだめだと言えるのではないでしょうか。--Haifun999会話2018年7月16日 (月) 13:46 (UTC)[返信]
対象記事の大きさにもよりますが、そもそも、画面の大きさ、メモリの問題などのハード的な制約によって節編集を肯定せざるを得ません。むしろ、下手に一度に全体編集をやられるよりかも、ミスが少なく、結果として編集履歴が減る蓋然性が高いと思います。
そもそも論としては、一定の質が要求される公開文章を制約の大きなスマホで作成するということが、もう私からしたら考えられないのですが、卒業論文をスマホで作る者もいるご時世ですし(まあ、これは論文ほどの文章をスマホで作成しているというより、学士といえどスマホで作れる程度の論文がアカデミックに横行していると言った方が適切なのかもしれませんが)、そもそもウィキペディアが機能としてモバイル編集を提供している以上、そこは所与の前提として踏まえねばならないです。--EULE会話2018年7月16日 (月) 16:31 (UTC)[返信]
  • 横から失礼 横から失礼 これ、僕にはWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいに触れていると思うのですが。Special:Diff/69194537は「無知を非難した敵意のあるコメントや高圧的なコメント」と受け取られても仕方ないと思います。本当なら、あそこでアカウントの取得と利用者サンドボックスの案内、をするべきだったのではないでしょうか。また、その次は対話拒否によるブロック警告、しかも報告済み。これは、高圧的な脅迫、と受け取られても仕方ないのではないでしょうか。IP側にも問題が大きいのは確かですが、周りの対応にも問題が大きかったのではないかと思います。
  1. プレビュー機能の案内
  2. アカウントの取得と、利用者サンドボックスの案内。Template:InuseTemplate:工事中も併せて案内するとベスト
  3. このままだと、対話拒否としてブロックされる可能性が高いので、一度編集を止めて、返信してください。
  4. 対話拒否として、報告しました。
このようなプロセスを取るのが、理想だったのではないでしょうか。プレビュー機能だけの案内では、「編集を保存できないから」と流してしまった可能性も有ります。そして、バカにしたように感じられるコメントを受けて、「でも保存できないし」と流してしまった可能性も有ります。そもそも、対話拒否がブロックに繋がる事すら、知らなかった可能性も有ります。来たばかりの人が、その場の常識を知らなくても、それは当然です。ですから、「新規参加者には、親切に、礼儀正しく、そして根気を持って接しなければなりません」と上述のガイドラインには書かれているのではないでしょうか。
今回の一件ですが、今からでも、穏便な解決法を試みる事は、出来ないものでしょうかね?--119.224.170.248 2018年7月16日 (月) 17:14 (UTC)[返信]
コメント 本主題は「モバイル編集、モバイルウェブ編集ユーザーによる連続投稿はどこまで許容されるのか」であって「IPユーザーに対するMotoriyoの対応に問題は無かったか」ではありません。もし私の行動を問題に思われるのであれば、コメント依頼を提出してください。--Motoriyo会話2018年7月16日 (月) 22:29 (UTC)[返信]
コメント 「文章に一定の質が要求される」ことと「スマホは制約が大きい」は直接関係ないこととは思うのですが(PCで作れる文章がスマホで作れないわけではないし、誤字のしやすさを考えてもどちらにせよ後からきちんと見直せば良いこと)、これについてのEULEさんの言及はこの議論に必要な話ではないと思うので、結論として肯定側に立つとしてもここでそのような話をするのは控えたほうが良いと思います。
本題に入りますが、モバイル編集だと節ごとの編集になりやすいことは確かですが、それを加味してその利用者の連続投稿が多いか少ないか考えれば良いのではないでしょうか? 同じ節にも何度も連続投稿していたり、ひとつひとつの編集が細かすぎたりすればモバイル編集でも変わらず問題になり得るでしょう。逆に節ごとに編集をしていてもきちんとそれで編集を完結させていれば、5連続投稿とかまでならまあ許容される範囲なのではないでしょうか(記事の節数にもよる)。本件の場合はIP:119.231.183.225会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんの連続投稿の度が過ぎているかと思います。一方こちらの議論に参加されているIP利用者さんが言うとおり、トークでの注意が少し高圧的すぎるようにも見えました。このような場面で少し高圧的になるのは1人2人の問題ではないと思うので、必要に応じてまた井戸端に「連続投稿をしてしまう利用者への対応について」の議論を立てるのが良いのではないでしょうか。
少し話が逸れますが、モバイル編集でもURLの末尾に「?action=edit」を付け足すと全体の編集ができることを発見しました[9]。これを広めてうまく利用すれば「節ごとにしか編集ができない」問題の根本的解決にもなり得るのではないでしょうか。まあこれをスマホいちいちURLに打ち込むのは面倒ではありますが。キーボードに辞書登録すれば便利かも。--富士 / Fuji kyosuke会話2018年7月17日 (火) 02:09 (UTC)[返信]
返信 失敬。まず、話の流れをご理解ください。私は節編集も反対するHaifun999氏に対して、その理由を説明しているのに、直接関係ないなどと言うのは、私は話の流れを理解できてませんと喧伝しているようなものです。その上で、氏の「PCで作れる文章がスマホで作れないわけではない」で始まるご意見については、そのような机上の空論をもって運用を論じることは問題が大変多かろうと存じます。そもそも校正(正確には校閲)というのは単なる誤字や表記ミスなどを拾うことだけではありません。文章構成、論理展開、内容の重複、そういった文章全体のものも含めた話であり、通常は全体を読んで理解・把握し、達成しうるものです。そうした時に、具体的に上げております通り、ディスプレイの大きさというのは非常に大きな制約となります。別にスマホに限らず、ディスプレイの大きさが文章読解や作業効率に影響を与えるなどという話は学術的にもありふれたものであり、わざわざ具体例で「ディスプレイの大きさ」と挙げている相手に対し、単に「PCで作れる文章がスマホで作れないわけではない」で反対意見を述べるのは、議論の作法としても非常に分が悪いです。確かにスマホで作れないとは申しませんが、例えばPCで5分程度で見直しができるレベルの文量を、スマホも同じく5分で見直しできるかといえばそんなわけはない。15分や20分、30分はかかるかもしれない。その時に、それだけの時間をかけてPCと同じ質まで高めてくればそれは大変望ましいことですが、実情としては、5分、10分で切り上げてしまう人が多いのが関の山でしょう。できる可能性があることと、実際にそうなる蓋然性が高いことはまったく別物です。運用に関する話題に関して、そういった観点のない安易な想定は、有害でしかありません。また、同じく私が挙げた「メモリ」もそうですが、PCだって古いものだと大規模ページの編集に難儀する話を聞くのに、ハードとして明らかに落ちるモバイルではそういった運用を考慮しないなどというのは愚論です(氏はそこまで言ったつもりはないのかもしれませんが、具体的な要素を挙げている意見に対して、抽象論で切り捨てるようなコメントをしたら、そう取らざるを得ないことをご理解ください)。
Nami-ja氏への返信でも述べておりますが、モバイルでの編集というのは、もう所与のものとして運用を考えなければなりません。しかしながら、PCよりもモバイルの方が制約があるということも前提に考えなければなりません。そうした観点を無視する運用論に価値はありません。--EULE会話2018年7月17日 (火) 13:37 (UTC)[返信]
コメント こんばんは。私は、スマホでも節を跨ぐ一括投稿ができますよねという話をしただけであって「PCで作れる文章がスマホで作れないわけではない」と申し上げたつもりはございません。また、モバイルビュー編集を100%否定するつもりもありません。モバイルビューでできるような編集もあるでしょう。しかし、本格的に編集をしようとすれば、それは無理があるわけです。標準名前空間で出典を示しながら文章を構成していくというようなことは、モバイルでは非常に難しいでしょう。私の意見は-あくまで私論にすぎませんが-ウィキペディアを本格的に編集しようと考えるのであれば、種々の制約のあるモバイルではなく、PCを使うべきなのではないかというものです。--Haifun999会話2018年7月17日 (火) 14:25 (UTC)[返信]
コメント 話の流れが理解できてないとは心外ですね。Haifun999さんは「モバイルでもデスクトップ表示にできるし、モバイル編集でもだめなものはだめ」としか言っていませんし、「スマホで文章を書くのには私は正直反対ですが、〜」などで済ませるならまだしも「まあ、これは論文ほどの文章をスマホで作成しているというより、学士といえどスマホで作れる程度の論文がアカデミックに横行していると言った方が適切なのかもしれませんが」などと必要のない皮肉を込めた嫌味のようなものまでおっしゃっていたのも含め流石に余計だ思い「関係ない」と言ったのですよ。あと、EULEさんのその、私が括弧内に少し補足で入れた意見に対する反論らしき長文もこの議論には直接関係ないですし他所でやって頂きたいです。モバイル編集の是非の話をしているわけではありませんし、制約について考えると言ってもスマホで文章を書くことそのものに対して難色を示すような態度まで取る必要性が感じられません。「こういう制約があるのでこういう過程で連続投稿が生まれるのだろうからこうするべき」みたいな意見を言う過程で言うなら良いと思いますが、そうではないでしょう。ここではモバイル編集者の連続投稿について議論してるんじゃないんですか? --富士 / Fuji kyosuke会話2018年7月17日 (火) 15:08 (UTC)[返信]
コメント H:MOBILE#デスクトップとモバイルで機能や動作が異なるものに比較例示が在る通り『(現時点では)モバイルユーザーは節を跨ぐ一括投稿が出来ない仕様』になっています。
で、本案件はモバイルユーザーによるWP:CONSECに反する連続編集行動が問題なのではなく、件のIPさんが編集行動内容の説明を求める別の利用者の対話要請を無視(気づかず?)し説明責任を果たさないまま編集強行を繰り返している事実上の対話拒否状態が問題視されるべきであって(WP:POINT)、ここでWP:CONSECに関しては前述の通りモバイルユーザーの悪意なのかモバイル仕様上の問題なのか判断不能ですから、それを持ち出したことで話がややこしくなったように思えました。
つまり、ウィキメディア財団が開発しているモバイルの仕様上可能とされていることを下位のウィキペディア日本語版利用者がそのように行うことについて、その操作(投稿)を否とする合意が日本語版にはまだない、ということですWP:CONSECは方針ガイドラインはおろか草案ですらない手引書)
◆もちろん、Motoriyoさんが懸念されているような「モバイルユーザーに限り特別に何らかのウィキペディア方針ガイドラインに違反する編集行為を認める便宜が図られている」といった事実はありませんので、問題とされる根本は説明責任を果たしていない一点に絞られ、その点に関し強制的にでも対話のテーブルについて頂くために(既に管理者伝言板へ通報は済んでいますから)記事冒頭にノートページへの誘導を行った上でのごく短期間の半保護依頼などを行うような対処もこの場合は有効かと思います(モバイルユーザー故に会話ページに気づいていない/会話ページへの移動方法、返信方法を知らないか理解できない可能性)。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月17日 (火) 02:52 (UTC)[返信]
 追記 個人的には、今や日本国内に限ってもインターネット接続に用いられる端末はスマートフォンが全体の5割以上を占める現実があり[10]、ウィキペディアの編集に用いられる端末もスマートフォン、タブレットなどが無視できかねる割合を占めており[11]、その時代にEULEさんやHaifun999さんが仰るようなモバイルビュー編集の全否定は時代に逆行しているかのような違和感を覚えます。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月17日 (火) 02:52 (UTC)[返信]
コメント 蛇足 metaに草稿ながら2014年時点でのモバイルユーザーの増加率を示すデータがありましたので参考までに。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月17日 (火) 03:10 (UTC)[返信]
返信 失敬。私は、個人の考えはあれど、時世やウィキペディアが機能としてモバイル利用を認めている以上は、それを所与のものとして、運用を考えなければならないと言っているのであって全否定してません。あくまで全否定しているHaifun999氏に対するコメントです。--EULE会話2018年7月17日 (火) 13:37 (UTC)[返信]
コメント モバイル利用者(読者・編集者)が多いことを踏まえた上でも、「モバイル読者の参加を歓迎すること」と「モバイル編集者の参加を遠慮頂くこと」は別に考えるのが良いように思います。ウィキメディア財団がウィキペディアの利用者の門戸を広げて質・量の優れたウェブ百科事典を構築しようとコンテンツ翻訳やモバイル編集などの機能改善を推進していますが、実態としてコミュニティが受け入れ足り得る機能品質に至っていないのであれば、その機能を利用した編集参加を否定するのも一理ある意見です。ちょっと前に話題が上がっていた日本語が流暢でない利用者には編集を遠慮して頂くのと同じく、ページ単位でまとまって編集できない利用者には編集を遠慮して頂くのも一案に思います。モバイル編集について言及されてないですが、連続した節単位編集はWikipedia:ページの編集は大胆にの本意(細かい編集の差し戻しは大変だから大胆な編集をしよう、参考:ノートのCalveroさんコメント)に反していそうです。--221.188.43.176 2018年7月17日 (火) 06:41 (UTC)[返信]
コメント かつて日本語版ではいわゆるガラケーを一律全面ブロックしていた時代がありますため、同様理由で再び携帯端末からの編集行為を全面ブロックする提案は前例もあり一考の余地はあるかもしれませんが、編集者と閲覧者に使用端末により明確な境界を設け片方の編集行為を全面拒絶してしまう、というのは日本語版の将来的な成長可能性をも否定・阻害する悪手であるようにも感じます。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月17日 (火) 18:41 (UTC)[返信]
  • モバイル編集、モバイルウェブ編集をした場合、IPユーザーですと自らの会話ページへメッセージがあっても、気づきにくいです。そのため、メッセージに気付かないと、対話拒否と思われてしまうでしょう。--153.234.65.150 2018年7月17日 (火) 11:32 (UTC)[返信]

コメント 皆様コメントいただきましてありがとうございます。本主題投稿の意図としては、はっきり申し上げればNami-jaさんの仰る通り「強制的にでも対話のテーブルについて頂くために」はどうすればいいかということと、管理者による対処は何度の連続投稿になれば行われるのかです。しかし、モバイル版では全体編集が行えないことやWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすが手引書であり方針ガイドラインではないこと、宮本佳林での投稿数が150版を越えた現在でも管理者からの何の対処も無いことから鑑みて、パソコン、モバイル関係無く連続投稿自体が問題にはならない、私が連続投稿というものにとらわれすぎているということなのでしょう。ならばなぜ一括投稿のお願いやプレビュー機能のお知らせがあるのか理解不能ですが。

最後になりますが、「高圧的」「高圧的な脅迫」というご意見ですがIPユーザーへの私の対応に問題があると考えられる方は別途コメント依頼などをお出しください。--Motoriyo会話2018年7月18日 (水) 00:16 (UTC)[返信]

コメント 作成経緯について補足 2009年1月の当該文書ノート過去ログで作成経緯が判明しておりまして「ほぼ私論状態で何の裏付けデータもなく唐突にWikipedia名前空間に作成された文書(2004年1月)が、特に議論合意を経ず直接改訂を繰り返し一度ガイドラインとして定着(2006年3月)してしまったもの2012年5月に議論により手引書に格下げという経緯があり、その2つのテンプレートはかつてガイドラインであった時代に利用者へのお願いを簡便化する用途で作成されたものです。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月18日 (水) 17:20 (UTC)[返信]
コメント ならモバイル版の2つも含めて廃止したらいいと思うんですけどね。連続投稿自体が問題にならないのなら、無用の長物でしょう。--Motoriyo会話2018年7月18日 (水) 22:08 (UTC)[返信]
コメント ご自身で廃止提案してみては? 長年の慣習がそのまんま継続しているだけだと個人的には思いますけども、「私は現状で何も困っていない」ので私が率先する理由はないです。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月19日 (木) 07:28 (UTC)[返信]
コメント なにもNami-jaさんにやってほしいとは思っておりません(言ったつもりもない)し、私自身正直面倒くさいので積極的にやるつもりもありません。一種のぼやき、つぶやきのつもりだったのですが。--Motoriyo会話2018年7月19日 (木) 22:52 (UTC)[返信]
報告 アカウントの取得と利用者サンドボックスの案内を行った事を報告いたします。--119.224.170.248 2018年7月19日 (木) 10:27 (UTC)[返信]
  • コメント ちょっと出遅れました。順番に考えます。
    • モバイル・PCユーザ関係なく、初回の連続投稿:これは私も含め皆様「許容する」だと思います(初心者は、編集履歴が残るなんて思いませんから)。
    • モバイル・PCユーザ関係なく、節単位での編集を連続する事や、多少の自身のミス修正をする連続投稿:私は「許容する」ですが、皆様はいかがでしょうか。
    • PCユーザが行う、1度注意された後の(節単位と関係ない)過度の連続投稿はどうか?:私は「許容しない」です、許容する人はいますか?
    • モバイルユーザが行う、以下同文:会話ページに気づいていないから仕方ない、として許容しますか?私は「許容しない」です。上記を「許容しない」でこの問を「許容する」人はいますか?
要は、モバイルユーザの対話拒否を許容するかどうか、この1点に問題は集約されるのではないでしょうか?ここで、私見を。Wikipediaでは、誰がどのような環境で何のために編集しているかなど、どうでも良い話であり、そこに一切の差別はありません。小学生が理解できない物理の記事を編集しても、非日本語話者が日本語を読めないのに編集しても、酔っ払いが目を瞑って編集しても、適切な編集であれば全てOKです。しかし、失敗した場合、小学生だから、非日本語話者だから、酔っていたから、と言い訳をすれば、物理を理解できるようになってから来い、日本語を理解できるようになってから来い、シラフになってから来い、と言われるでしょう。モバイルゆえに問題があるのであれば、「パソコン買ってから来い」と言うだけです。モバイル系を購入使用できる程のカネがあれば、パソコンを買うのは容易いでしょう。それがイヤなら、モバイルでも指摘されないような編集をすれば良いだけです。--JapaneseA会話2018年7月19日 (木) 15:22 (UTC)[返信]
  • 順番にコメントします。
  1. モバイル・PCユーザ関係なく、初回の連続投稿:「許容する」です。
  2. モバイル・PCユーザ関係なく、節単位での編集を連続する事や、多少の自身のミス修正をする連続投稿:「許容する」です。
  3. PCユーザが行う、1度注意された後の(節単位と関係ない)過度の連続投稿はどうか?:適切な注意が行われているという前提のもとで「許容しない」です。適切な注意というのは、今回のケースで例えると、アカウントの取得と利用者サンドボックスの案内、加えてTemplate:InuseTemplate:工事中の案内も行った状態です。プレビュー機能だと保存できないという点については、利用者サンドボックスで解決出来ていますし。その間に編集される可能性については、工事中系テンプレートで解決出来ているからです。逆に言えば、プレビュー機能の案内だけしか行われていなければ、記事の大きさによっては、数百回いっても仕方ないケースもありうる(と言っても、名探偵コナン (アニメ)クラスの記事の場合で、宮本佳林クラスの大きさで有れば、100回未満で完結して欲しいですが)かと思います。ちなみに、念の為に言っておきますが、皮肉ってるつもりは有りません。良い言い回しが思いつかないのでこんな言い回しになっていますが、不快にさせてしまったなら申し訳ありません。
  4. モバイルユーザが行う、以下同文:「許容する」です。会話ページの更新を知る術が無いのですから、これはもう、どうにもなりません。環境によっては、通知がされないという状況そのものが、直すべき不具合だと、素人目線では思います。仮に目に余る状態になっているので有れば、今回のような言動をするのではなくて、記事の方を半保護依頼すべきだと思います。
>要は、モバイルユーザの対話拒否を許容するかどうか、この1点に問題は集約されるのではないでしょうか?
先述の通り、「拒否」しているとは限りません。そもそも、コメントに気付けていないだけかも知れません。下手な例えしか思いつきませんが、「あなたに対して、テレパシーで注意をしたのに、テレパシーを返してくれなかった。対話拒否だ!」と言われて、貴方は納得できますか? 彼の環境によっては、それと全く同じ状況になっているのです。
>モバイル系を購入使用できる程のカネがあれば、パソコンを買うのは容易いでしょう
これ、問題発言だと思いますが。スマホを持ってるなら、パソコンも買えるだろうと言っている訳ですからね。提携しているプロバイダに入る前提で安値で販売されている事も有りますが、数万~十数万はする代物です。また、それに加えてセキュリティソフトも別途用意しないといけません。ネット回線も契約して、維持しなければなりません。貴方の発言は、「10万20万位、誰でも簡単に捻出できるだろう?」と言っているに等しく、それはつまり「10万20万を捻出出来ないならWikipediaに来るな」と言っているに等しいです。その意図は無いのでしょうが、貧乏人は来るな、みたいに取られるような発言は、慎まれた方が良いかと思います。--119.224.170.248 2018年7月19日 (木) 16:35 (UTC)[返信]
コメント 1から4まで全部「許容」。”連続投稿”はウィキメディアの開発者が禁止事項にしていないので、そもそも「注意されるべき」ものではない。「履歴が見づらくなる」という意見もあるが、それはユーザーインターフェースの問題なので、開発者に要望をあげる案件。以上。--Afaz会話2018年7月20日 (金) 01:19 (UTC)[返信]
コメント 極端な例ですが「連続4990版加筆を通じてWP:FAが取れるほどに記事を成長させた編集ならば『読者に素晴らしい質の記事を提供しようとするウィキペディアの目的に完全に合致しており絶賛されて然るべき』であり、履歴の見通し云々は編集者しか困らないのだから優先度の天秤がどちらに傾くかは自明」であり、連続投稿数『だけ』を数える行為自体が非合理的であると考えています。逆に言えば編集内容を見てそれが記事の成長に資さないのであれば荒らし行為にもなりましょうけども、WP:ATWVに在ります通り本来的には「安易に」注意叱責すべきものではなく加筆内容と比較した上で慎重に判断すべき、ベテランでも判断の難しい繊細な案件なのではないかなー、と個人的には考えます。 / モバイルユーザーの観点に立ち戻りますと、モバイルユーザーは「一度もプレビューせずには絶対に投稿できない仕様」なのでそこら辺に誤解があり、個人的には連続投稿してしまう背景は『プレビューを見た後に編集画面に戻って修正できることを知らない/気づけないユーザーインターフェイスの不備』と考えられ、モバイル版の開発元であるウィキメディア財団に要望を上げる方が問題の根本から修正を促す意味で最も建設的であると感じます。…でも日本語版にしか存在しない価値観なのでそれなりに困難でしょうね。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月20日 (金) 05:06 (UTC)[返信]
 追記 成した内容を考えず単に連続投稿数のみを規制しようとするのであれば『人間が行わずにbotにやって貰う方が超絶合理的』であり、人間の判断力はもっと別のbotには難しい作業に割り振られるべきである、とも。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月20日 (金) 05:11 (UTC)[返信]
  • >極端な例
言われてみれば、それはそうですね。そして、『モバイルユーザーは「一度もプレビューせずには絶対に投稿できない仕様」』だというのは、僕も知りませんでした。情報に感謝します。--119.224.170.248 2018年7月20日 (金) 17:48 (UTC)[返信]

コメント 3回以上を許容しない、無限に許容する、はちょっと極端すぎるように感じます。ブロック依頼に多数参加してきた者としての見解ですが、4回連続投稿を毎回違う記事で行っても、ブロックはされないでしょう。また、極端に連続投稿をやってブロックされた利用者もいます。連続4990版加筆を通じてFAになる前に、ブロックされるでしょう。「一度もプレビューせずには絶対に投稿できない仕様」だとしても、あの短い文量で、200回の編集はしません。以降、119.224.170.248様へ。「10万20万を捻出出来ないならWikipediaに来るな」、金額はともかく、スマホもパソコンも持っていないユーザーがWikipedia財団に「記事〇〇に~~~と記載してくれ」と手紙を何回も送れば、PC買えと言われるのでは。ちなみにパソコン購入せずとも、友人宅やネット喫茶もありましたね。公共の無料で使用できるパソコンもありますよ。セキュリティソフトは、無料のFWやアンチウィルスソフト(市販品より優秀)がありますよ。私に言わせれば、高額なスマホのパケット代を払える人が貧乏人とはとても思えませんが。次に、問題編集者が1人であれば、半保護ではなくブロックを選択します。対話拒否(無視)しているのか、気づいていないのかは、あちらの井戸端でコメントしました(予想通り、議論が拡散しました)。なお、利用者サンドボックスの案内は、プレビュー機能を貼られて「利用できない」と相手が答えてからでも遅くはないでしょう。回答しないのであれば、それは対話拒否です。--JapaneseA会話2018年7月21日 (土) 07:35 (UTC)[返信]

コメント (インデントの関係で紛らわしいですが、JapaneseA氏へのコメントではないです) 「連続投稿に関して、ウィキペディアではまったく問題視されえない」というような意見に関して、私はそんなことはないと明確に意思表示いたします。
まず、言うまでもなく、連続投稿それ自体が、ただちに、例えば荒らし行為に準じるような行為とみなすことは問題があるでしょう。しかしながら、明白に禁止されていない行為は、何ら掣肘されることなく自由に行ってよいとするのは、短絡的なルールの理解と言わざるを得ません。すべてのパターンやケースを想定してルールを作ることは不可能です。だからおおよその大枠でウィキペディアのルールは組み立てられ、むしろ、過度に個別事案を明文化するようなことは避けるべきとされているわけです。だから、ただ単純に禁止が明文化されていないことを持って錦の御旗に掲げるは問題があり、色々と常識や諸ルールを踏まえて思考せねばなりません。
その上で、連続投稿の問題の最たるは、履歴の見通しを悪くすることです。履歴の見通しが悪くなると、例えば異論のある文章を見つけた場合に、それが誰の執筆がわかりにくくなる。文章の経緯などを調べにくい。リバートをかける場合も、それが何百明細ともなれば、それこそ今回の発端であるモバイルユーザなど、より負荷がかかるでしょう。そして履歴の見通しを軽視するならば、Wikipedia:常に要約欄に記入するなどの諸ルールの軽視でもあります。そして、その冒頭にもあるように、ページの履歴の可視性の目的とは「共同作業を潤滑」にすることです。共同作業とは、ウィキペディアというシステムの大前提であり、共同作業に制限を加えるような行為が、それも心掛けで解決できる行為を、禁止されていないからどんだけやっても許されるなんてことはありえないのは自明でしょう。
ただし、同じく共同作業の精神を守るために、最初は、なぜ連続投稿をしてしまったのかと相手に配慮するべきです。単純にウィキペディアに慣れていない可能性もあるし、ハード的な制約があるのかもしれないし、また、案内や注意しても会話ページに気づかない可能性もある。そうした配慮を超えて、合理的理由のない連続投稿を続けるのであれば、それはもはや相手が共同作業の精神を守る気がないと断定できる。
だから連続投稿に関していえば、それ単体を理由にブロックされたケースは稀だけれども、その指摘を受けても改めなかった場合の対話拒否や、コミュニティを消耗させるユーザとして問題視されるケースはよくあるわけです。共同作業の精神や「Wikipedia:常に要約欄に記入する」などの履歴機能での説明文を見れば、連続投稿が無問題とは口が裂けても言えません。--EULE会話2018年7月21日 (土) 09:33 (UTC)[返信]
コメント 事実上の対話拒否と自身の会話ページに気づかない可能性の高い利用者への合理的な対処方法は最初にコメントしておりますので割愛して、後のコメントについて。…無限に許容するというか、「ほんとうにウィキペディアが連続投稿行為のみを切り取って否とするのであれば、それはいちいち人間が他利用者の投稿数をチェックして{{Preview}}を貼るのではなく、botが機械的にやれば良い」というお話です。記事の成長に資さない連続投稿行為はそのまま既存の別ルール「WP:BLOCK#悪戯・荒らし・破壊行為」に該当しますから、重複して同様ルールを制定する必要性は高くありません。内容変化を見ずして連続投稿の実施のみを切り取って他者に注意叱責したい利用者の便宜を図る必要もありませんし、そのような低質で自身の持つ能力にそぐわない背伸びをした管理活動を行う利用者自身がWP:BLOCK#コミュニティを消耗させる利用者に該当する前例は投稿ブロックの場で蓄積されています。
現状はWP:CONSECが手引書という性格を持つため「ベテランには貼られず、其れをよく理解できていない様子の新規利用者に対して貼付される初心者警告テンプレ」と化しているように思いますが、連続投稿そのものを問題とするのであれば本来的にはベテランでも荒らしでも新規利用者でも区別なく、例えばWP:BLOCK冒頭に説明が在る通り「ブロックは懲罰的ではなく予防的でなければならない」ため:
  • ○分間の連続投稿4回以上でそれを実施した利用者に対し極短時間の自動ブロックが発動する+会話ページにブロック理由をbotが自動的に書き込む
  • ○分間に10回以上、20回以上などのしきい値突破毎に自動判定としてブロック期間がより長期に変化していく
…など、そういったしきい値を個々の編集者の自由な判断に任せず合意を取って一律自動対処に移行することで人間の判断力に依存しなくなるためルールへの理解促進が進むのではないかな、と考えます(信号機や自動販売機に抗弁する人間はいないでしょう?)。
つまり、人力監査を実施し通報する利用者、状態を確認し対処する管理者、同じ利用者に対する{{Preview}}の連続的な貼付警告、多くが利用者それぞれの経験知識と判断力に完全に依存しており非合理的で『貴重なマンパワーの浪費』と感じております。それらの作業はbotでもこなせるごく簡単なチェックですから、botが判断可能なことはbotに任せるべきで、その根本となるルールが(現状は手引書に甘んじているけども)協調性を主眼に置いており多くの利用者の同意を得られる確信があるのであれば、過去の議論を下敷きに其れを再度ガイドラインに戻す議論から開始するのが建設的で、大本となるルール文書の位置づけが曖昧なのに、そこを特に重視せず(コミュニティ全体と比較すれば)ごく少数の意見により編集内容を考慮しない全連続投稿を規制しようとする姿勢というのは、かつて独断でWP:CONSECをガイドライン化した編集者と同じ判断であり勇み足に過ぎるのではないかな、と感じます。
なお連続投稿が禁止されていない他言語版(特に編集人数がぶっちぎりで多い英語版)で、例えばen:Donald Trumpの履歴などを見ると多くの執筆者が当たり前に連続投稿を実施している様子が見て取れます(10回以上の短期連続投稿を実施している利用者のほとんどが編集期間10年超のベテラン、一部現役管理者も含む)。そこで上にも述べましたが「記事を成長させること(読者向け)」と「編集の見通しを良くすること(編集者向け)」の方向性の優先度でどちらが高いかが明確でないことが今回の騒動の主原因ではないのか、と感じます。
履歴の見通しですが、上記英語版Donald Trumpではむしろ連続投稿を許容していることで履歴のわかり易さが向上しています。即ち、連続投稿していることで「その投稿者のその時間帯の投稿最終結果を把握することが容易」であり、その連続投稿の中で個別履歴を見ることで「その編集者がどの部分を即時修正対象と考えたのか」が分かります。そして連続投稿を要するのが殆どは内容の修正変更に限られていることも見て取れ、編集数を極限まで少なくして一括投稿を全編集者の義務とせずとも記事が成長できることは記事本文の通りです。ですので履歴の見通し=個々編集のわかり易さ、と捉えるのであれば他言語版の実例の通り連続投稿は許容されるでしょうし、そうでなく単に連続投稿そのものが絶対悪であり協調性の敵であり、コミュニティにとって面倒事を呼び込む悪意行動に他ならず絶対許容され得るべきではない、とするのであればそこんところをもっときちんといくつもの例示を挙げてコミュニティに示し、WP:CONSECを再びガイドライン化する努力を惜しむべきではないでしょう。
──かつて議論の結果「正当な合意なくごく少数の特定編集者合意により勝手にガイドライン化された」として廃止された経緯を持つ文書ですが、こちらで皆さんが議論している通り「文書内容に賛同する利用者とそうでない利用者はそれなりに存在している事実がある以上、一度廃止された理由とは別個にコミュニティを説得でき得る材料を用意し、再度議論を立てて再ガイドライン化を促す議論を起こす価値はあるかもしれない」と個人的には思います。で、それが出来ないのならそのルールの上に立地した意見を述べず、別の正当性のあるルールに依拠するのが正しいはずである、と。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月21日 (土) 21:34 (UTC)[返信]
コメント ていうかもう当初意見と離れすぎて蛇足も蛇足すぎるので「お互い有意義な意見交換ができましたね」という感じでコレで最後にしておきます(利用者間で未だ合意形成なく正式化していない文書に関してそれぞれが異なった別の意見を持つことは正常な状態です)。もし再ガイドライン化を何方かが推進するのであればお誘い下さい。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月21日 (土) 21:34 (UTC)[返信]
コメント 連投については、一概に許容するしないということを考えるものではないと思います。まず、マナーの観点からなるべく少ない回数の編集を行う方が望ましいというのは言えると思います。しかし、書籍においても誤字脱字が存在することを考えた場合、修正のための投稿が発生するのはやむを得ないことであり、また、時間を置いた追記等でも間に別の編集者がいなければ連投となります。そういった点を除いた純粋ないわゆる「過剰な連投」についても伝統的に閾値問題が介在し、100以上はダメと決めれば99までは良いのかとなるものです。安全域を十分にとった閾値はマナー的な観点や個人的な不快感の払拭といったことに役に立つものとはなりえません。他の方も述べているように、投稿内容などを勘案したうえで適正な投稿かどうかを判断していくよりほかないものではないでしょうか。
今回議論の発端となっているものを少々拝見しましたが、1週間以上にわたり200版以上とのことです。投稿の中には編集方法を学ぶ必要があると考えられるパイプをつかったリンクの編集もあるようですが、その間このユーザーはwikipediaにおけるマナーやルールといったものを学習する機会はなかったのでしょうか?いつまで、初心者として遇するのかということになりますが、この状態が1カ月2カ月と続けばこれはより顕著となるでしょう。また、細かな言い回しや記法の修正も多いように感じられ、個人的なスタイルにこだわっているのでは?との感想も持ちました。あるいは精査した場合に、共同作業に向かないコミュニティを疲弊させるユーザーとしての姿が浮かび上がるのではとの疑念も禁じえませんでしたが、私にとって詳しい分野の記事ではないため精査は見送ることとしました。--114.182.175.15 2018年7月22日 (日) 00:34 (UTC)[返信]
コメント連続投稿は問題と考えるから議論が複雑になる。記事破壊行為、テスト行為等と判断できるなら対処すればいい話。極端な例は結局、別の問題行為として対処できるはず。他プロジェクトで翻訳ツールなどを使っていたら一人で短期間に50編集ぐらいすぐいくし、1週間で200編集が多いとも思わない。つまり、ウィキメディアプロジェクト全体としては連続投稿を問題視していない。--Afaz会話2018年7月22日 (日) 21:15 (UTC)[返信]

コメント依頼の報告

  • 「クールダウンが必要な状態にある」という事のようですので、今回の議題については、クールダウンというか、手を引かせて頂きたいと思います。
この度は、言い過ぎてしまったようで、お二方には申し訳ありませんでした。そして、利用者:アルトクールさん、仲裁?をありがとうございました。--119.224.170.248 2018年7月21日 (土) 12:03 (UTC)[返信]

履歴精査のための専用ツール

情報 人力精査に慣れないうちは精査専用ツールである「WikiBlame(ウィキブレイム)」を活用することで履歴精査を高速化できます。使用法はWikipedia:ツール/WikiBlameに例示があり、ごく簡単な操作で版数の如何に関わらず目的の履歴を検索・絞り込むことができます。これは開発されたドイツ語版を筆頭に世界80言語版以上で10年以上の活用実績があります。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月23日 (月) 18:24 (UTC)[返信]

これは便利ですね。--123.255.134.156 2018年7月24日 (火) 06:53 (UTC)[返信]

工業製品のパッケージを写した写真は著作権侵害か

過去にあった議論

Wikipedia:削除依頼/駅弁のパッケージを写した写真を作っていて生じた疑問です。数年前のことなので忘れていましたが、これまでも類似の議論があって、それらの議論では量産される工業製品(応用美術の作品)は日本の意匠法の保護対象であって著作権の保護対象でないとされていました。しかし、c:Commons:Deletion requests/Files:The nikka whisky 2015での議論およびその中で挙げられている文献 意匠権と著作権の境界について - カタリーナ・マラッケ(2006) (PDF) によれば、工業デザイン製品は意匠法による保護に加え著作権法による保護を得ることも可能であるとのことから、Precautionary principleの方針に則って(安全であることが明確でないとして)削除されています。この点において、本来なら日本語版ウィキペディアにあるフリーな画像ファイルはウィキメディアコモンズにも転送できるはずが、コモンズでは削除の対象になりうるという相違が生じています。「アメリカ合衆国(サーバ所在地)と日本国(日本を本国とする著作物)の著作権法に抵触しない方針」という点で一致するはずが、著作権をめぐってこうした相違が生じるというのは、私も含め利用者に混乱をもたらすと考えられます。

被写体の著作権侵害を判断する基準として、その形態を問わずに二次的著作物として著作物性とデ・ミニミスで判断すべきと思うのですが、どうなんでしょう。皆さまのご意見を頂きたく議論を提起します。--Darklanlan talk 2018年7月17日 (火) 10:00 (UTC)[返信]

コメント 結論の方の説明は他の方にお任せするとして、ご質問文中の「二次的著作物として著作物性」は「意匠デザインの著作物性」の誤記ではないでしょうか?
仮に「二次的著作物」が商品パッケージのことを指すとしたらその想定は現実的とは思えませんし(意匠デザインの原画とかではなく工業製品の包装物それ自体が芸術作品というのは前衛芸術すぎて常識の想定範囲を超える)、あるいは製品を撮影した写真画像のことを指すのだとしたらそれは100%著作物なのでもともと疑問の余地がないですが、どちらにせよおそらく判断のポイントではないので。--ディー・エム会話2018年7月17日 (火) 13:40 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。要約して縮めようとした結果、変な表現になってしまったかもしれません。c:Commons:二次的著作物での「全ての製品には誰かが著作権を持っているのではないですか。」にある引用文のように、応用芸術と工業デザインとの境界線の話です。--Darklanlan talk 2018年7月17日 (火) 14:45 (UTC)[返信]
返信 「応用芸術と工業デザインとの境界線」というはおそらく上記原文中「著作権の対象となる応用芸術の作品と、著作権の対象とならない工業デザインの作品」という記述を念頭に置かれたコメントかと思いますが、念のため誤解の無いよう換言するなら「著作権保護の対象となる応用美術(美術工芸品もしくは純粋美術と同等の意匠)と著作権保護の対象とならない応用美術(工業デザイン含む)との境界線」の話、ということになろうかと思います。
個々の案件それ自体については既に各削除依頼ページで他の方が結論も含め説明済みですので特に補足は不要かと思いますが、それら削除依頼の是非については、やや問題があったと思います。元々、この井戸端でこのような根本的な質問をされる前にDarklanlanさんが上記の削除依頼を提出された段階では、ご自身の知識や判断根拠に確証をお持ちでなかったものとお見受けします(でなければこのような質問は書き込まれないと思いますので)。であれば、不確かな思い込みで多数の削除依頼を行う前に、まず先にこのような質問を行って十分な判断材料を得た上で行動を検討いただいたほうがベターでした。
仮に、Darklanlanさんがファイル:IMac Bondi Blue.jpgファイル:VW Kaefer front 20071001.jpgファイル:Karl Lagerfeld Cannes.jpg(その他衣服を着た人物写真全般)などの工業製品の画像群全般を削除すべきというご意見であるなら、その対象範囲の規模に相応しい慎重な議論提起を予め経ていただくべきですし、逆にそれら大多数の応用美術品の写真を対象に考えておられないのであれば、冒頭で挙げられている画像群(とくにWikipedia:削除依頼/ファイル:Fujifilm-fujichrome-trebi-400-135-36-package--1.jpgは意匠権の申請すらしてるかどうかというレベルの単なる長方形の箱です)だけを削除依頼の対象に選ばれた理由が見いだせないので、もし明確な意図のもとにそれらの削除依頼に踏み切ったのであれば、もう少し具体的な説明を行っていただく必要があるかと思います。--ディー・エム会話2018年7月18日 (水) 14:53 (UTC)[返信]
確かに削除依頼を出す前に議論を提起すべきでしたが、それに思い当たった時は既に依頼を作った後でした。その点については反省しております。--Darklanlan talk 2018年7月19日 (木) 08:38 (UTC)[返信]

私の意図が伝わりにくいようですので、例を提示してみます。

  • 著作物性がないラベル

これらは例えラベルをスキャナーで画像化し再利用しても著作権法上は問題ないと考えられるものです。

  • 著作物性がある要素を含んでいるが、写真の主体になくデ・ミニミス(些細なこと)として除外される

これらは現状のまま存在する分には問題ありませんが、著作物性がある要素を主体として撮影した写真、または、一つのカバー・ラベルをスキャナーで画像化したものは、デ・ミニミスの範疇を超えるため削除される可能性があります。

コモンズでは製品パッケージを写した写真のほとんどはc:Commons:Copyright_rules_by_subject_matter#Product_packagingで述べられていることを根拠に受け入れられていません。パッケージの印刷も「美術的な作品 (artistick work)」として扱われる、とのことです。それが著作物性のないシンプルなカバー・ラベルであるか、著作権の保護期間が満了していなければ、削除の対象になり得ます。私としては、ディー・エムさんの主張で通るのであればそれをコモンズで提案してファイルを転送・存続できる方向に持っていければいいのですが、フリーライセンスとする上で懸念があるのなら、コモンズと同様に日本語版ウィキペディア(ローカル)にあるファイルは削除されるべきです。日本語版ウィキペディア独自のローカルルールとして存続させることが可能か分かりませんが、私としては取りたくない手段です。--Darklanlan talk 2018年7月19日 (木) 08:38 (UTC)[返信]

返信 「フリーライセンスとする上で懸念があるのなら」>ないです。
現にこれはOKなわけですよね→ファイル:Suikerbonen De Bock Lentilles - Bordeaux.JPG
であればWikipedia:削除依頼/ファイル:Fujifilm-fujichrome-trebi-400-135-36-package--1.jpgをNGと考える理由が見当たりません。
ただし、Wikipedia:削除依頼/ファイル:Kanzuri.jpgJnukさんが指摘されているとおり、著作物性のある原画の複製物とみなされるようなアングルの写真は当然まずいです。たとえば上記弁当包装のイラスト部分のみアップにして平面画として撮影した写真や、アンパンマンTシャツのアンパンマンのイラスト部分のみアップで撮影した写真などは、アップロード先にかかわらず削除が検討されることになると考えられます。上記削除依頼の例はこれに該当するものはないですよね。なので存続判断になっていると考えてください。
もしコモンズの方で上記の峻別が適切に行われていないのであれば、ちゃんとしてくださいと申し入れていただければと思いますし、できているならその運用で問題ないのでは。--ディー・エム会話2018年7月19日 (木) 13:59 (UTC)[返信]
コメント commonsの井戸端における意見告知により、コメントを述べさせていただきます。仮にcommonsでファイル:Kanzuri.jpgファイル:Katugen.JPGといった画像が挙げられて削除依頼が出されれば、c:Commons:Copyright_rules_by_subject_matter#Product_packagingの方針に従い管理者は確実に依頼画像を削除します。弁護士の方の見解ですが、著作権は美術品でも応用美術でもない一般的な商品パッケージにおいても「創作性のある表現といえる場合には発生します。」と質問に答えられています[12]。また、知財高裁においても「表現物につき,実用に供されること又は産業上の利用を目的とすることをもって,直ちに著作物性を一律に否定することは,相当ではない。」と判示されております[13]。これらにより、日本の著作権法の解釈と現状のcommonsの対応に齟齬があるようには私には思えません。日本の市販製品の商品パッケージは著作物に当たらないという法律の専門家の見解は果して存在するのでしょうか?--Y.haruo会話2018年7月19日 (木) 19:21 (UTC)[返信]
返信 ですので上記冒頭で最初に問題の主眼を確認したのですが(結局混同されていますが)、製品そのものの著作物性の話と、製品の部分的な意匠に使用されている原著作物の扱いは本来は丁寧に区別すべき話ですよね。その上で、前者のリスクを理由として(意匠イラストの複製でなく)工業製品の全景を撮影した写真まで削除すべきというのであれば、すなわち著作物性の疑いを理由に工業製品の画像を削除すべきというのであれば、たとえば上記で例示したようなデザイン性の高い創作的な意匠を持つ工業製品の画像群はなぜ削除対象にならないのに、文字とロゴ程度の装飾しかないフィルムやお菓子の包装箱を削除する必要があるのでしょうか?その区別に論理的な根拠が存在するのであればお教えください。
あるいは後者の理由で片端から削除するほどのリスクがあるというのであれば、それではプリントTシャツを着た人物写真も法的リスクの理屈は同様ですから(むしろTシャツのデザイン原画ほうが具体的な判例もありますが)全て削除するのでしょうか?
C:Commons:Copyright rules by subject matter#Product packaging」を拝見しましたが、そもそもそこには「Generally, then, product packaging carrying original printed designs cannot be uploaded to Commons, even if you personally own the physical object and even if you took the photograph yourself.」と書かれていますよね。その前段には当該注意喚起の趣旨・主眼について「often the problem is not a logo but a printed photograph or drawing on the packaging which illustrates the contents.」とも説明されています。常識的な判断でこれを読めば、包装デザインそのものを撮影しその複製とみなされうる画像のアップロードを避ける旨の注意喚起と受け取るのが妥当ではないでしょうか。一部の工業製品の意匠に対して、ごくまれに著作物性を認めた判例が存在することは事実ですが、それを工業製品の意匠全般に一般化して考えるのは明らかに非現実的です。当該節のタイトルは「Product packaging」となっていますが、実際には応用美術に対する著作権の有無の問題は製品包装のデザインだけにとどまらず、立体的な工業製品それ自体についてもその下絵が絵画の著作物として保護されることになれば当該製品自体も絵画著作物の翻案や複製とみなされる可能性を含んでいるのであって、そのようなことも全てわかった上で、包装パッケージがふくまれる製品写真だけに限ってコモンズでそのような極論の対処を(一部ユーザーの意見ではなく大多数の共通認識として)積極的に行われるというのであればそれは論理的な根拠を伴った法律問題ではないわけで、あとはコミュニティのガバナンスの問題でしょう。だとすればそれは得てして正論だけでは解決しない話なのでどうしようもないですが。
直接関係はしませんが意匠権と著作権の関係と社会活動全般への法律面での影響も含めた話として、一応参考になりそうな解説を例示します→[[14]]--ディー・エム会話2018年7月20日 (金) 12:43 (UTC)[返信]
返信 (ディー・エムさん宛) 議論が噛み合わない理由が分かりました。著作権法だけに焦点を当てていたのが良くありませんでした。アップロードされた写真がそのまま利用されることだけを想定するのであれば、問題性は低いかもしれません。しかし、ウィキペディアにアップロードされる全てのファイルはライセンスで改変を認めています。例えば、誰かがファイル:Kanzuri.jpgをダウンロードし、パッケージ部分だけを切り抜いた画像、あるいはこれを模写した絵にCc-by-sa-4.0のライセンスを付け、アップロードすることが可能になります。その画像は皆様がおっしゃるように法的リスクが高いと考えられますが、ファイル:Kanzuri.jpgが改変元であることを記載すれば、元のファイルのライセンスは満たしていることになります。パッケージの外観が半分近くを占めるような写真に対してCCライセンスが付されていたら、人によってはパッケージの絵も同じライセンスで使用できると考えるでしょう。逆に、パッケージの絵は自由に改変・再利用できないというのなら、この写真はそれを対象に撮影したものであるにも関わらずその改変を制限していることになり、「自由なライセンス」と矛盾することになります。プリントTシャツを着た人物写真についても同じことです。問題の部分がデ・ミニミスとして見逃せないほど大きく写っているものは、削除の対象になり得ます。--Darklanlan talk 2018年7月20日 (金) 16:01 (UTC)[返信]
返信 「元のファイルのライセンスは満たしていることになります」> それは先のコメントでも既にお答えしましたが、満たしていることになりません。CCライセンスの許諾条件では違法な二次利用を許諾していませんし、二次利用に係る違法性発生の有無について許諾者(画像提供者)は一切の保証をしていません。昔のGFDL時代にはフリーライセンス許諾の性質についてご指摘のような誤解をされている方も少なからずおられましたが、現在のCCライセンスでは許諾文書に明記されています(Wikipedia:Text of Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License#2. Fair Dealing Rights6. Limitation on Liability.)。
仮に当該の許諾条件をきちんと確認せずに責任の範囲を勝手に誤解して違法な二次利用をする方がいたとしてもそれは全てそのご本人が法的責任を追うべき話であって、ライセンスによる許諾契約の効力そのものが影響を受けるものではありません。
常識的な例え話として、「私の自家用車を貸してあげるから自由に走っていいよ」と言われたからといって信号無視や速度違反で公道を走行して「自由に走っていいと言われたからそうしただけなので、私は悪くないでしょ」という言い訳が通用するものではありませんし、それによって先の貸借契約の効力自体が消滅すると解されるものでもありません。
上記の話は応用美術に係る著作権保護の問題とは直接には無関係で、純粋に許諾契約の法的効力の問題です。フリーライセンス下での著作権制限規定の理解についての参考として「Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#改変を許諾するフリーライセンスと引用の関係」を挙げておきます。著作権法上の制限とフリーライセンスとの限界を突き詰めれば課題は存在すると思いますが(ここでは直接関係ないので具体例は挙げませんが)、それは二次利用者側の話であって元の写真をアップロードしているライセンサー側の問題ではないので、それに対して法的リスクやライセンスを理由とした削除対応は理に適いません。そのようなCCライセンスの基本的性質の解釈が主要な眼目なのだとすれば(きちんと詳しい方が判断に加わってさえいれば)そもそも当該ライセンスの策定主であるコモンズで誤った判断が多発するという状況は正直想像し難いですが、本当にそのような将来予防的な削除案件がコモンズで多発しているのでしょうか。--ディー・エム会話2018年7月20日 (金) 17:51 (UTC)[返信]
返信 (Y.haruoさん宛) 各国における工業製品の意匠と著作権の扱いについては『Summary Report: The Interplay Between Design and Copyright Protection for Industrial Products”. AIPPI. pp. 4–5. 2018年7月21日閲覧。』(工業製品の意匠と著作権保護の相互作用)にまとめられていますが、この資料によれば、日本を含むいくつかの国において応用美術と純粋美術との間で著作権保護の要件に明確な差があるようです。案内地図を撮影した写真の件もそうでしたが、著作物性について平均的なコモンズ利用者の考えと日本の法律に基づいた考えに差が生じるのは、当然のことなのでしょう。---Darklanlan talk 2018年7月20日 (金) 16:01 (UTC)[返信]
返信 (ディー・エムさん宛) かなり誤解されている様なので改めて申し上げますが、私は仮にcommonsに挙げられて、その削除依頼が出されたなら、私が示した2枚の画像は削除されるとcommonsの現状をお伝えし、この対応は私が出典とした箇所と対比すると齟齬は無さそうだと述べただけです。「工業製品の全景を撮影した写真まで削除すべき」などとは全く申しておりませんし、思ってもおりません。私のお伺いしたいのは商品の梱包までが工業製品と認知されるのかという点です。ディー・エムさんの付した出典には、美術の著作品として「わが国の著作権法の実務においては、漫画、挿絵、舞台装置、生け花等も美術の著作物と認められているので、純粋美術の範囲はかなり広くなっているといえる。」と具体的な例を挙げております。この中に「挿絵」が含まれております。この挿絵には表紙の挿絵も含まれると思います。私は本やCDのアルバムなども全体的に見れば工業製品に該当するものと思いますが、これらの表紙やアルバムカバーなどの絵や写真は著作権で保護されています。これや出典ページを踏まえるならば、工業製品に該当するのは、家具やファービーや仏像などの実用品であり、商品の梱包迄もが含まれるという解釈は見られません。本の表紙やCDのカバーと同様の扱いがされるべきであると個人的には思っております。そして私は「市販製品の商品パッケージは著作物に当たらないという法律の専門家の見解」を求めておりますことをご了承ください。Y.haruo会話2018年7月21日 (土) 04:57 (UTC)[返信]
返信 (Darklanlanさん宛) 出典を読まさせていただきました。各国により取り扱いが異なるのであれば、例えばc:Commons:Currencyのように国ごとに基準を定めたのちに、commonsでも収録できることが可能になるかもしれません。過去にそのような議論があったのかどうかは私には判りませんが、確実性があればそのような議論を提起されても良いのではないでしょうか。--Y.haruo会話2018年7月21日 (土) 04:57 (UTC)[返信]
返信 すみません。Y.haruoさんの論点がDarklanlanさんの論点(フリーライセンスと著作権制限との整合性)と異なる旨、理解いたしました。
その上で、上記でも述べましたが、「商品の梱包」と「表紙やアルバムカバーなどの絵や写真」は著作権上の扱いとしては全く別個の話ですよね。前者は一品製作の手工芸的なものでもない限り当然工業製品ですが、その意匠の一部に絵画や写真(文章テキストの可能性もありますが)の著作物が使用されていれば、当該の工業製品に使用されている原著作物は工業製品ではなく純粋美術(もしくはそれと同等の著作物)として著作権法上の保護を受けますから、どっちの話なのかで判断の基準も根拠も全然変わってくるという点はご理解いただけますよね。
で、もし前者の観点に沿って検討するというのであれば、それは稀に著作権が認められる事例があるとはいえ、基本的に日本の著作権法では例外的なものを除き保護対象にはなりませんので、その希少なリスクにどこまで対応するのが実務上妥当か(現実に大きなリスクがなくても応用美術品の撮影画像を大量削除するのかどうか?)という程度の話ですから、ここまでの質疑だけでもう十分ですよね。
後者については、当該の原著作物(意匠に用いられている美術著作物)が権利保護される著作物であることが明確であるなら(あるいはその推定を前提として画像受け入れの可否判断をするのなら)、すなわちその用途・利用形態が工業製品の意匠に該当するかどうかは問題の本質ではないということになりますから、そもそもそれを判断・考慮する必要がないですよね。
それを踏まえた上で、Y.haruoさんは専ら後者を念頭にコメントされているとのことですのでそちらに話を絞るとして、それはただただ単純に付随対象著作物に係る権利制限(日本の著作権法30条の二とと米国フェアユース)に該当するか否かだけの話であって、単にイラスト著作物などのキャンバスになっているだけの製品包装物の著作権の有無だとか意匠権との関係だとかは本質的に関係ないことですよね。その点においてはコモンズおよび日本語版ウィキペディアでの画像ファイル受け入れ条件の基本原則に何ら差異は無いという至極当然の事実確認以上の結論は不要ではないでしょうか。著作権侵害に係る削除案件は機械的な線引きが存在するものではありませんから個別案件ごとやユーザーごとにある程度の判定揺れは当然あるとしても、それ自体(両サイトにおける各案件ごとの削除判断の是非)については重要とは考えませんし、ここでの当初の問題提起の趣旨からも外れますし特に意見はありません。
参考)脇道に逸れれば関連する論点はありえますが、たとえばFile:Odaiba Tokyo August 2014 Gundam 014.JPGの玩具の写真などは上記の複数の論点を含んでおり、幾分参考になるかと思います。個々の被写体自体は製品包装ではなく立体物の工業製品そのものですが、原著作物であるアニメキャラクターとしての著作権を有するため撮影形態によっては原著作物(工業製品である玩具製品の権利侵害ではなく原著作物である当該キャラクター原画の複製権もしくは翻案権侵害)の可能性を有するという点で上記包装パッケージの意匠デザイン画との類似性があり(問題の対象となるのが包装だけとは限らないし平面物だけとも限らない)、当該写真内の個々の複製物(プラモ)が小さいため当該画像自体は日米両国の著作権法及びCC-BY-SAライセンスに照らしてコモンズへのアップロードも問題なく可能であり、ただし画像の一部のみをトリミングして原著作物の複製とみなされるような二次利用はできない、ということかと。--ディー・エム会話2018年7月21日 (土) 07:22 (UTC)[返信]
(参考2)日本における製品包装の意匠登録についての参考資料として→[15]
上記コモンズ文書で「often the problem is not a logo 〜(以下略)」という記述がありますが、日本ではより顕著に、ロゴなどの文字要素は著作権どころか意匠権の判断要素としてすら重視されにくいとのことで(上記リンク先「(4)文字の取扱い」)、その点でも整合性に大きな問題は無いように見えます。--ディー・エム会話2018年7月21日 (土) 08:05 (UTC)[返信]
追記)連続投稿すみません。言わんとしていることは伝わったでしょうか?要するにファイル:Suikerbonen De Bock Lentilles - Bordeaux.JPGでいえば包装全体としては意匠権の範疇なので著作権上の懸念は無いですが、左下のヤギのイラストは絵画の著作物として著作権の保護を受ける可能性があるので(写真や絵画の著作物が工業製品の意匠に使われているかどうかということと、それが著作権法で保護されるかどうかということは別に二律背反ではないので)、当該イラスト部分の複製権侵害が疑われる程度にヤギの拡大画像をアップしたらNGですよね、というだけの話なのですが。美術著作物だと意匠の話と混同してややこしいので文字著作物の例でいうと、[16](外部コンテンツです、すみません)の左側のような画像であれば当該製品写真の著作者がコモンズや日本語版WPにアップすることは全く問題ないと考えられますが、右側の俳句が印刷された製品包装の写真の場合は、これをフリーライセンスでアップすると当該原著作物の著作権侵害となりNGですよね(この場合映り込みの許容基準は美術著作物よりシビアかとは思いますが、原理はイラストでも写真でも一緒ですよね)という、おそらくはごく単純な話です。--ディー・エム会話2018年7月21日 (土) 09:40 (UTC)[返信]

「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと」はガイドラインなのでしょうか。

以前より時々Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことという文署名を見かけました。最近、この文書を見て疑問を感じたので質問します。それは、この文書がガイドラインなのだろうかという疑問です。確かに、初版から「他のガイドラインは、基本方針とガイドラインを見てください。」という文章があって、「ガイドラインですよ」と主張しているように見えます。しかし、他の多くのガイドラインと違ってはっきりとガイドラインと表示されているわけではありません。この文書の初版は2003年に作成されているので、当時は特にガイドラインという分類がなかったのかなと思いますが、それからかなりの時間がたつのにガイドラインと明記されていないのは不思議です。この辺の事情をご存知の方がおられましたらコメントをお願いします。--2001:268:C02C:593B:1112:F1EB:CB76:52C4 2018年7月18日 (水) 12:18 (UTC)[返信]

コメント 経緯については把握していませんが、ガイドラインとまで言えないようであればCategory:ウィキペディアの解説に含めても良いかと思います。ノートでは私論とするかの議論があったようです。--Amayus会話2018年7月18日 (水) 12:36 (UTC)[返信]
コメント - 一通り読みましたが、これ自体がガイドラインというよりは各方針・ガイドラインへの水先案内として存在しているページなのではないでしょうか。Wikipedia:五本の柱Wikipedia:児童・生徒の方々へなどと同じで。技術的な話ではないのでHelp名前空間ではなくWikipedia名前空間になっていますが、立ち位置としてはHelpと似たような解説文書のようなものかと。--ButuCC+Mtp 2018年7月18日 (水) 12:53 (UTC)[返信]
(追記){{How-to}}や{{Infopage}}にある『方針やガイドラインでは「ない」』という文面が別件のような立ち位置をめぐった火種になる気がしてあまりこれらのテンプレートをこの文書に貼るのがベターだとは思えません。先の議論で夜飛さんが仰っていたような「どっちつかず」である状態でいいような気がします。Wikipedia名前空間の文書で位置づけテンプレが貼られていないページが他にもあるように。--ButuCC+Mtp 2018年7月18日 (水) 13:14 (UTC)[返信]
コメント ガイドラインではなく、Category:ウィキペディアの解説Category:ウィキペディアの手引き書に分類されるものですね。英語版ではCategory:ウィキペディアの私論の分類ではありますが、そっちに従う必要もないので。内容的には「ウィキペディアではやってはいけないこと」を方針やガイドラインを交えて説明している文書です。Wikipedia:投稿ブロックのように「こういう時はどれを確認する」みたいな水先案内文書とも取れます。解説か手引書かですが、解説は「慣例や合意事項を書き留めているもの」で、手引書は「活動の参考にするもの」ですので、手引書と見たほうがいいかもしれません。分類を指定するのであれば、ノートページで合意形成を図ることになります。--アルトクール会話2018年7月18日 (水) 13:02 (UTC)[返信]

IPユーザーに対する、一部ユーザーの対応について

今回の一件は、IPユーザーIP:119.231.183.225会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisが、宮本佳林での連続編集を行った事から始まりました。彼はモバイル編集、モバイルウェブ編集ユーザーで有り、Help:携帯端末でのアクセスによれば、
  1. プレビュー機能は、「編集画面と別画面のため、編集画面と同時閲覧が出来ない。 」
  2. 履歴については、「一部の端末アプリでは履歴表示を行うためのリンク自体が存在しないか、外部ブラウザが自動的に立ち上がってしまう。 」
  3. ノートについては、「一部の端末アプリでは各記事や利用者会話ページへ移動するためのリンク自体が存在しない。 」
  4. 会話ページについては、「一部の端末では自身の会話ページの更新を知らせる機能がなく、自身への連絡に気づけない。 」
というような状態にあるようです。その為、彼の会話ページや井戸端(モバイル編集、モバイルウェブ編集~)で起きている事に、気付いていない可能性もある訳ですが。それでも、彼に対する一部ユーザーの言動が問題だと思い、こうして提議する事と致しました。
 まず、2018年7月11日 (水) 02:25に、彼の会話ページへプレビュー機能の案内が有りました。これは、全く問題のない言動です。ですが、この後が問題となる言動でした。
 2018年7月11日 (水) 13:11に、利用者:Sutepen angel momoさんによる「同じ事を2度言われないようにして下さい。」という発言が有りました。これは、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいでいう「無知を非難した敵意のあるコメントや高圧的なコメント」だと言えます。プレビュー機能では保存できませんから、それで投稿して保存していたのかも知れません。僕は本人ではないので推測でしか有りませんが、その場合は気づいていたとしても、「投稿しないと保存できないし」と思われた事でしょう。ここで行うべきだったのは、アカウントの取得と利用者サンドボックスの案内です。Template:InuseTemplate:工事中も併せて案内するとベストだったでしょう。この事は、2018年7月16日 (月) 17:14に、井戸端で指摘済みです。また、上述の通り、この時点でも、会話ページの更新に気付いていなかった可能性も高いです。
 次に、2018年7月11日 (水) 22:30に、利用者:Motoriyoさんによって、「対話拒否によるブロック警告と、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックへの報告済みの通達」が行われました。この時点でも、アカウントの取得などの案内は行われていません。ここで問題となるのが、報告時に注意事項として、「報告の前に対話あるいは警告することが推奨されます」と有るのを見ている筈ですが、報告前の警告は有りませんでした。これは、2018年7月16日 (月) 17:19でも触れています。この時にも、井戸端にコメントした時にも、僕は「今からでも、穏便に解決できないか」と言いました。ですが、現時点に至っても、IP:119.231.183.225会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんへの、アカウントの取得などの案内はされていないのが現状です。登録利用者さん二人の内、どちらかが案内してくれるかと期待していたのですが、特に利用者:Motoriyoさんは2018年7月16日 (月) 22:30に返信されているので、確実に僕のコメントも見ている訳なのですが、残念ながら穏便な対応をしようとはなされませんでした。
 次に、2018年7月14日 (土) 00:08に、利用者:Motoriyoさんによって「一括で投稿できませんか」というコメントが有りました。この時点でも、アカウントの取得や利用者サンドボックスの案内は行われていません。僕が指摘したのは2018年7月16日 (月) 17:14ですので、それよりも前のコメントですが。「一括で投稿」を進めるならば、これらの機能は案内してしかるべきだと思います。一括で投稿する為に有効な機能の紹介もせずに、一括で投稿してくれと言っても、どうにもならないでしょう。また、繰り返しますが、会話ページの更新を知らせる機能が無い為に、今現在でも、気付くことが出来ていない可能性も、決して低くは有りません。
 もう一度言いますが、今回の件で利用者:Sutepen angel momoさんと利用者:Motoriyoさんが行われた言動は、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいに触れるものです。新規利用者さんは、Wikipediaの常識を、全く知らないと考えるべきです。通知機能が無い為に、会話ページの存在すら知らないかも知れません。対話拒否がブロック理由になりかねない事も、知らないかも知れません。履歴表示のリンク自体が存在しない為に、古い履歴が残る事を知らないかも知れませんし、履歴が残る事そのものを知らないかも知れません。
 ……長文駄文となってしまいましたが、皆さんは、この二人の言動について、どう思われるか? そして、同様の事態を防ぐために、どうすれば良いか。何か、モバイル編集者に対する、対応マニュアルみたいなものを造れないか?
 一介のIPユーザーである僕には、荷が重い議題では有りますが。この機会に、皆さんに考えて頂けると、幸いです。--119.224.170.248 2018年7月19日 (木) 10:03 (UTC)[返信]