コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ヤハウェ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
タグをわかりやすく修正。ノート参照。
m編集の要約なし
 
(100人を超える利用者による、間の296版が非表示)
1行目: 1行目:
{{Redirect|エホバ|エホバ証人|エホバの証人}}
{{Redirect|エホバ|キリスト教系新宗教|エホバの証人}}
{{複数の問題
{{複数の問題
| 出典の明記 = 2014年11月
| 出典の明記 = 2014年11月
6行目: 6行目:


[[File:Tetragrammaton scripts.png|180px|thumb|right|[[フェニキア文字]]、[[アラム文字]]、およびヘブライ語活字によるヤハウェの名<ref name="R2L" group="注" />]]
[[File:Tetragrammaton scripts.png|180px|thumb|right|[[フェニキア文字]]、[[アラム文字]]、およびヘブライ語活字によるヤハウェの名<ref name="R2L" group="注" />]]
'''ヤハウェ'''({{lang-he|יהוה}}、[[フェニキア語]]: {{lang|phn|𐤉𐤄𐤅𐤄}}、{{仮リンク|古代アラム語|en|Old Aramaic language|label=古アラム語}}: {{lang|oar|𐡉𐡄𐡅𐡄}})は[[旧約聖書]]および[[新約聖書]]における[[唯一神]]の[[]]である。
'''ヤハウェ'''({{lang-he|יהוה}}、[[フェニキア語]]: <span style="Noto Sans Phoenician',Quivira>{{lang|phn|𐤉𐤄𐤅𐤄}}</span>、{{仮リンク|古代アラム語|en|Old Aramaic language|label=古アラム語}}: <span style="font-family:'Noto Sans Imperial Aramaic',Quivira>{{lang|oar|𐡉𐡄𐡅𐡄}}</span>、{{lang-en|Yahweh}})は、モーセに啓示された[[神]]の名である<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%A4%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%A7-143908 |title=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ヤハウェ」の解説 |access-date=2022-06-05}}</ref>。[[旧約聖書]][[新約聖書]]における[[唯一神]]、万物の創造者の名である。


この名はヘブライ語の4つの子音文字で構成され、[[テトラグラマトン]](古代ギリシア語で「4つの文字」の意)または聖四文字<ref name=sei4>コトバンク「[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A4%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%A7-143908 ヤハウェ]」百科事典マイペディア、世界大百科事典 第2版の解説より</ref>と呼ばれる。この名前の正確な発音は分かっていない。日本語では'''ヤーウェ'''、'''ヤーヴェ'''、'''エホバ'''等とも表記されるが、エホバについて現在ではしばしば非歴史的な読み<ref>『広辞苑』第6版</ref>、誤りないし不適切な読み<ref>『新共同訳 聖書辞典』第2版、新教出版社、2005年、p.466</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%A4%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%A7-143908 |title=平凡社『世界大百科事典』第2版「ヤハウェ」の解説 |access-date=2022-06-22}}</ref><ref>『新共同訳 聖書辞典』キリスト新聞社、1995年、p.555</ref><ref>[[加藤隆]]『旧約聖書の誕生』ちくま学芸文庫、2011年、pp.70-72</ref>等と位置付けられる。
この名はヘブライ語の4つの子音文字で構成され、'''神聖四文字'''、'''テトラグラマトン'''と呼ばれる。神聖四文字とこれを「アドナイ」(わが主)と読み替えるための母音記号とを組み合わせた字訳に基づいて「Jehovah」{{refnest|group="注"|英語では {{ipa|dʒɪˈhoʊvə}}<ref>研究社『リーダズ英和辞典 第2版』</ref> ジホウヴァと発音。}}とも転写され、日本語では'''エホヴァ'''、'''エホバ'''([[文語訳聖書]]では'''ヱホバ''')とも表記される。遅くとも14世紀には「{{スペル|Jehova|lang=he-Latn}}<sup>原文ママ</sup>」という表記が使われ、16世紀には多くの著述家が Jehovah の綴りを用いている<ref>{{Cite wikisource|title=1911 Encyclopædia Britannica/Jehovah|nobullet=yes}}</ref>。近代の研究によって復元された原音に基づいて、これを「Yahweh(ヤハウェ)」と読むのが主流となっている<ref>キリスト聖書塾編集部 『ヘブライ語入門』 キリスト聖書塾、1985年、399頁。</ref>。


本項に示す通り、この[[神]]を指す様々な表現が存在するが、特に意図がある場合を除き、本項での表記は努めてヤハウェに統一する。また本項では、ヤハウェを表す他の語についても述べる。
本項に示す通り、[[神]]を指す様々な表現が存在するが、特に意図がある場合を除き、本項での表記は努めてヤハウェに統一する。また本項では、ヤハウェを表す他の語についても述べる。


{{See also|1=[[アッラー]]|2=[[アブラハムの宗教]]}}
== 聖書中に見られるヤハウェの主な特徴 ==
{{一次資料|section=1|date=2018-02}}
{{独自研究範囲|ヤハウェは「万軍の神」<ref>[[s:ホセア書(口語訳)#12:5|ホセア書(口語訳)#12:5]]</ref><ref>[[s:詩篇(口語訳)#89:8|詩篇(口語訳)#89:8]]</ref><ref>[[s:詩篇(口語訳)#59:5|詩篇(口語訳)#59:5]]</ref><ref>[[s:アモス書(口語訳)#4:13|アモス書(口語訳)#4:13]]</ref>との称号がある通り、その裁きは圧倒的で容赦を知らない事で知られており、その名を口に出す事すら恐れられてその名を口に出して簡単に誓って、それを破ってしまうことがないように、アドナイ(主)という呼び名が使われるようになり、正確な発音が忘れ去られたほどである<ref>あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。[[s:出エジプト記(口語訳)#20:7|出エジプト記(口語訳)#20:7]]</ref><ref>主の名を汚す者は必ず殺されるであろう。全会衆は必ず彼を石で撃たなければならない。他国の者でも、この国に生れた者でも、主の名を汚すときは殺されなければならない。[[s:レビ記(口語訳)#24:16|レビ記(口語訳)#24:16]]</ref>。しかし「[[孤児|みなしご]]の父、やもめの[[保護者]]」ともあるように、単に厳しいだけではない<ref>[[s:詩篇(口語訳)#68:5|詩篇(口語訳)#68:5]]</ref><ref>[[s:箴言(口語訳)#22:22|箴言(口語訳)#22:22-23]]</ref><ref>[[s:箴言(口語訳)#23:10|箴言(口語訳)#23:10,11]]</ref><ref>[[s:マラキ書(口語訳)#3:5|マラキ書(口語訳)#3:5]]</ref><ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#22:22|出エジプト記(口語訳)#22:22-24]]</ref>。その名を呼び求める者は全て救われる<ref>[[s:ヨエル書(口語訳)#2:32|ヨエル書(口語訳)#2:32]]</ref><ref>[[s:使徒行伝(口語訳)#2:21|使徒行伝(口語訳)#2:21]]</ref><ref>[[s:ローマ人への手紙(口語訳)#10:13|ローマ人への手紙(口語訳)#10:13]]</ref><ref>[[s:詩篇(口語訳)#91:14|詩篇(口語訳)#91:14,15]]</ref>|date=2018年5月}}

{{独自研究範囲|他にも称号として、アブラハム及びその子孫と神が結んだ契約アブラハム契約にちなんで「[[アブラハム]]、[[イサク]]、[[ヤコブ (旧約聖書)|ヤコブ]]の神」<ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#3:6|出エジプト記(口語訳)#3:6]]</ref><ref>[[s:列王紀上(口語訳)#18:36|列王紀上(口語訳)#18:36]]</ref><ref>[[s:ルカによる福音書(口語訳)#20:37|ルカによる福音書(口語訳)#20:37]]</ref>、「イスラエルの神」、「救主」、「[[創造神|天を創造された主]]」<ref>[[s:イザヤ書(口語訳)#45:15|イザヤ書(口語訳)#45:15-18]]</ref>、「全能者」、「[[ΑΩ|アルパでありオメガ]]」<ref>[[s:ヨハネの黙示録(口語訳)#1:8|ヨハネの黙示録(口語訳)#1:8]]</ref>、「ねたむ神」<ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#20:5|出エジプト記(口語訳)#20:5]]</ref><ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#34:14|出エジプト記(口語訳)#34:14]]</ref><ref>あなたがたは他の神々すなわち周囲の民の神々に従ってはならない。あなたのうちにおられるあなたの神、主はねたむ神であるから、おそらく、あなたに向かって怒りを発し、地のおもてからあなたを滅ぼし去られるであろう。[[s:申命記(口語訳)#6:14|申命記(口語訳)#6:14,15]]</ref>、「秘密をあらわすひとりの神」<ref>[[s:ダニエル書(口語訳)#2:28|ダニエル書(口語訳)#2:28]]</ref><ref>[[s:ダニエル書(口語訳)#2:47|ダニエル書(口語訳)#2:47]]</ref><ref>[[s:アモス書(口語訳)#3:7|アモス書(口語訳)#3:7]]</ref>、「偽りのない神」<ref>[[s:テトスヘの手紙(口語訳)#1:2|テトスヘの手紙(口語訳)#1:2]]</ref><ref>[[s:民数記(口語訳)#23:19|民数記(口語訳)#23:19]]</ref>などがある。岩に例えられる事もある<ref>[[s:申命記(口語訳)#32:4|申命記(口語訳)#32:4]]</ref><ref>[[s:申命記(文語訳)#32:4|申命記(文語訳)#32:4]]</ref>。性格は「恵みふかく、あわれみに満ち、怒ることおそく、いつくしみ豊か」とされる<ref>[[s:詩篇(口語訳)#145:8|詩篇(口語訳)#145:8]]</ref>が、「罰すべき者は決して許さない」<ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#34:7|出エジプト記(口語訳)#34:7]]</ref>。特に何かを必要とされる事も無い事が分かる<ref>[[s:使徒行伝(口語訳)#7:48|使徒行伝(口語訳)#7:48-50]]</ref><ref>[[s:使徒行伝(口語訳)#17:24|使徒行伝(口語訳)#17:24,25]]</ref>。滅びを逃れるためには[[ピネハス (祭司)|ピネハス]]のような徹底的な行動が求められる<ref>[[s:創世記(口語訳)#19:26|創世記(口語訳)#19:26]]</ref><ref>[[s:民数記(口語訳)#25:11|民数記(口語訳)#25:11]]</ref><ref>[[s:コリント人への第一の手紙(口語訳)#10:13|コリント人への第一の手紙(口語訳)#10:13]]</ref>。またヤハウェは[[サタン]]を責める事のできる存在である<ref>[[s:ゼカリヤ書(口語訳)#3:1|ゼカリヤ書(口語訳)3:1-2]]</ref> |date=2018年5月}}。

;裁きの例:
*預言者[[エリシャ]]を[[侮辱]]した子供らの内、計42人を雌[[熊]]2頭によって[[処刑]]<ref>[[s:列王紀下(口語訳)#2:23|列王紀下(口語訳)#2:23,24]]</ref>
*[[ノア (聖書)|ノア]]とその家族を除く全ての人を地球上から排除([[ノアの方舟]])<ref>[[s:創世記(口語訳)#6:7|創世記(口語訳)#6:7]]</ref>
*ロト達を去らせた後に硫黄と火の雨で[[ソドムとゴモラ]]の都市を丸ごと焼却処分<ref>[[s:創世記(口語訳)#19:24|創世記(口語訳)#19:24,25]]</ref>
*エジプトの王から捕虜、また家畜を含む全ての長子を処刑<ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#12:29|出エジプト記(口語訳)#12:29-30]]</ref>
*エジプト軍の戦車と騎兵全てを海の底に沈めた<ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#14:27|出エジプト記(口語訳)#14:27-28]]</ref>{{要出典|範囲=(これは、かつてエジプトで発布されたイスラエル人の男児をすべてナイルに沈めるという命令への裁きである)|date=2018年5月}}
*しかもヤハウェは自分の事を語り伝えさせるためにエジプトにあえてそうした<ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#10:1|出エジプト記(口語訳)#10:1-2]]</ref><ref>[[s:ローマ人への手紙(口語訳)#9:17|ローマ人への手紙(口語訳)#9:17-18]]</ref>
*自分の民が[[偶像崇拝]]([[金の子牛]])にそれた時に「彼らを滅ぼしつくす」と宣言<ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#32:7|出エジプト記(口語訳)#32:7-10]]</ref><ref group="注">モーセになだめられて思い直された。([[s:出エジプト記(口語訳)#32:11|出エジプト記(口語訳)#32:11-14]])</ref>
*自分の民が自分を信じないのを見てモーセ以外滅ぼすと宣言<ref>[[s:民数記(口語訳)#14:11|民数記(口語訳)#14:11,12]]</ref>(モーセのとりなしによって未遂<ref>[[s:民数記(口語訳)#14:13|民数記(口語訳)#14:13-20]]</ref>)
*[[モーセ]]に反逆したコラとそれに属する全ての人々及びその所有物を地面に飲み込ませた<ref>[[s:民数記(口語訳)#16:31|民数記(口語訳)#16:31-33]]</ref>
*大石を降らした上に太陽を止めて敵軍を[[殲滅]]<ref>[[s:ヨシュア記(口語訳)#10:11|ヨシュア記(口語訳)#10:11-13]]</ref>
*[[ギデオン]]と300人の兵士<ref>[[s:士師記(口語訳)#7:7|士師記(口語訳)#7:7]]</ref>で13万5000人<ref>[[s:士師記(口語訳)#8:10|士師記(口語訳)#8:10]]</ref>の敵軍を[[撃破]]<ref>[[s:士師記(口語訳)#6:1|士師記(口語訳)6章から8章]]</ref>
*[[契約の箱|主の箱]]の中を見た理由でベテシメシの人々70人を処刑<ref>[[s:サムエル記上(口語訳)#6:19|サムエル記上(口語訳)#6:19]]</ref>
*一人のみ使いを遣わして一晩のうちに敵軍の18万5000人を処刑<ref>[[s:イザヤ書(口語訳)#37:36|イザヤ書(口語訳)#37:36]]</ref><ref>[[s:列王紀下(口語訳)#19:35|列王紀下(口語訳)#19:35]]</ref><ref>[[s:歴代志下(口語訳)#32:21|歴代志下(口語訳)#32:21]]</ref>
*人類を救う手立てとしてご自分のひとり子[[イエス・キリスト]]が処刑される事を許した<ref>[[s:マタイによる福音書(口語訳)#27:50|マタイによる福音書(口語訳)#27:50-54]]</ref><ref>[[s:ヨハネによる福音書(口語訳)#3:16|ヨハネによる福音書(口語訳)#3:16]]</ref>
{{Quotation|彼は悪しき者を生かしておかれない、苦しむ者のためにさばきを行われる。|[[s:ヨブ記(口語訳)#36:6|ヨブ記36章6節(口語訳)]]}}
;ヤハウェの嫌われるもの:
{{Quotation|主の憎まれるものが六つある、否、その心に、忌みきらわれるものが七つある。すなわち、高ぶる目、偽りを言う舌、罪なき人の血を流す手、悪しき計りごとをめぐらす心、すみやかに悪に走る足、偽りをのべる証人、また兄弟のうちに争いをおこす人がこれである。|[[s:箴言(口語訳)#6:16|箴言6章16節から19節(口語訳)]]}}
;ヤハウェの求められること:
{{Quotation|主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。|[[s:ミカ書(口語訳)#6:8|ミカ書6章8節後半(口語訳)]]}}

;外見上の特徴
:人は神を見て生きていく事はできないとされる<ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#33:20|出エジプト記(口語訳)#33:20]]</ref><ref>[[s:出エジプト記(文語訳)#第33章|出エジプト記(文語訳)#33章20節]]</ref>。モーセは神を見る事を恐れた<ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#3:6|出エジプト記(口語訳)#3:6]]</ref><ref>[[s:出エジプト記(文語訳)#第3章|出エジプト記(文語訳)#3章6節]]</ref>。預言者[[エリヤ]]の前を主が通り過ぎた際には、風や地震、火の中に主はおられなかったとされている<ref>[[s:列王紀上(口語訳)#19:11|列王紀上(口語訳)#19:11,12]]</ref><ref>[[s:列王紀略上(文語訳)#19:11|列王紀略上(文語訳)#19:11,12]]</ref>。

;友人関係
:聖書中で[[アブラハム]]は神の友として明示的に呼ばれている<ref>[[s:イザヤ書(口語訳)#41:8|イザヤ書(口語訳)#41:8]]</ref><ref>[[s:ヤコブの手紙(口語訳)#2:23|ヤコブの手紙(口語訳)#2:23]]</ref>。

;自己紹介
:モーセがイスラエル人達に遣わされた際にはご自分の事を『「わたしは有る」というかた』、として紹介するよう伝えている<ref>[[s:出エジプト記(口語訳)#3:13|出エジプト記(口語訳)#3:13,14]]</ref><ref group="注">I AM THAT I AM([[s:en:Bible_(King_James)/Exodus#Chapter_3|出エジプト記3章14節]]:[[欽定訳聖書]])</ref>。


== 普通名詞 ==
== 普通名詞 ==
ヤハウェを指して、いくつかの[[普通名詞]]もしくはそれに類するものが用いられる場合がある。次にヘブ語表現をカタカナで、また対応する訳語を漢字で示す。
ヤハウェを指して、いくつかの[[普通名詞]]もしくはそれに類するものが用いられる場合がある。次にヘブライ語表現をカタカナで、また対応する訳語を漢字で示す。
*アドナイ [[#主|主]]
*アドナイ [[#主|主]]
*[[エール_(神)|エル]](単数形)
*[[エール_(神)|エル]](単数形)
*エロヒム(複数形) [[#神|神]]、[[#上帝|上帝]]
*[[エロヒム]](複数形) [[#神|神]]、[[#上帝|上帝]]
=== 主 ===
=== 主 ===
[[日本語訳聖書]]では今日、一般に、原文において「{{lang|he|יהוה}}(ヤハウェ)」とある箇所を「主」に置換している。
[[日本語訳聖書]]では今日、一般に、原文において「{{lang|he|יהוה}}(ヤハウェ)」とある箇所を「主」と訳す。これはおもに、[[#消失の経緯|消失の経緯]]で後述する[[ユダヤ人]]の[[慣習]]による。今日のユダヤ人はヤハウェと読まずに、アドナイ(「わが主」)という別の語を発音するためである。[[カトリック教会|カトリック]]系の『[[フェデリコ・バルバロ|バルバロ]]訳』のほか、『[[口語訳聖書]]』([[日本聖書協会]])などがこれである。また、口語訳聖書を後継する『[[新共同訳聖書]]』(同)も、一部の地名(『[[創世記]]』第22章14節、[[#固有名詞]]で後述)を除き、一貫して「主」とする。[[プロテスタント]][[福音派]]系の『[[新改訳聖書]]』では太字で「'''主'''」とする。これは「文語訳ではエホバ<ref group="注">原文まま。正しくは[[歴史的仮名遣]]で「ヱホバ」。</ref>と訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を」「訳し」た「'''主'''」と、これを「代名詞などで受けた場合かまたは通常の&lt;主&gt;を意味することば」とを区別するためである<ref>『新改訳聖書』あとがき。</ref>。[[1893年]]の時点で[[日本聖公会]]も、エホバではなく主の語を用いるべきだとしている<ref> 『[{{NDLDC|824981/32}} 日本聖公会祈祷文訂正委員報告]』p.52 [[1893年]]</ref>。


[[#消失の経緯|消失の経緯]]で後述する[[ユダヤ人]]の慣習による(今日のユダヤ人はヤハウェと読まずに、アドナイ(「わが主」)という別の語を発音するためである)。
主に「英語圏」・「スラブ語圏」となるが 実際の「聖四文字」の表記例を「出エジプト記20」から挙げる。


アドナイ({{lang|he|אֲדֹנַי}} {{IPA|’Ăḏōnay}}<ref name="#1">[[:wikt:en:אדני|אדני]]</ref>)の語には、「主 (Lord)<ref>[http://interlinearbible.org/genesis/15.htm אדני(Lord)-Genesis 15:8]</ref>」即ちヤハウェを婉曲に指す意味のほか、単数形のアドニ({{lang|he|אֲדֹנִ֥י}})という形で「私の御主人様 (my master)<ref>[http://interlinearbible.org/genesis/24.htm אדני(my master)-Genesis 24:35,אדני(my master's)-Genesis 24:36,אדני(is my master)-Genesis 24:65]</ref><ref>[//biblehub.com/hebrew/113.htm H113 adon]</ref><ref>[//biblestudytools.com/lexicons/hebrew/kjv/adown.html H113 'adown]</ref><ref>[//biblestudytools.com/lexicons/hebrew/nas/adown.html H113 'adown]</ref>」即ち奴隷の雇用主など主一般を指す意味がある。
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead">表記例</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">


[[カトリック教会|カトリック]]系の『[[フェデリコ・バルバロ|バルバロ]]訳』のほか、『[[聖書 口語訳|口語訳聖書]]』([[日本聖書協会]])などがこれである。また、口語訳聖書を後継する『[[新共同訳聖書]]』(同)も、一部の地名(『[[創世記]]』第22章14節)(後述)を除き、一貫して「主」とする。
"TANAKH (英語圏ユダヤ教徒用英訳)1985">"Lord"


[[プロテスタント]][[福音派]]系の『[[新改訳聖書]]』では太字で「'''主'''」とする。これは「文語訳ではエホバ<ref group="注">原文まま。正しくは[[歴史的仮名遣]]で「ヱホバ」。</ref>と訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を」「訳し」た「'''主'''」と、これを「代名詞などで受けた場合かまたは通常の&lt;主&gt;を意味することば」とを区別するためである<ref>『新改訳聖書』あとがき。</ref>。1893年の時点で[[日本聖公会]]も、エホバではなく主の語を用いるべきだとしている<ref> 『[{{NDLDC|824981/32}} 日本聖公会祈祷文訂正委員報告]』p.52 [[1893年]]</ref>。
"The Holy Bible in Today's Version 1997">"ΚυριοωS"


主に「英語圏」・「スラブ語圏」となるが 実際の「聖四文字」の表記例を「出エジプト記20」から挙げる。
"Tyndale 1530">"Lord"

"Wycliffe 1382">"Lord"

"GENEVA 1560 1599">"Lord"

"VULGATAE 1710">"Domini(主)"

"VULGATAE 1985">"Domini(主)"

"King James Version 1611">"LORD"

"Revised Version 1885">"LORD"

"Revised Version Standard American Edition 1901">"Jehova"

"American Standard Version(同上)1901">"Jehovah"

"New Catholic Edition 1954">"Lord"

"THE BIBLE IN BASIC ENGLISH 1949">"Lord"

"REVISED STANDARD VERSION 1971">"LORD"

"RSV CATHOLIC EDITION 2004">"LORD"

"THE MOFFATT TRANSLATION 1972">"the Eternal"

"New American Standard Bible 1973">"Lord"

"New World Translation 1984">"Jehovah"

"NEW REVISED STANDAD VERSION 1989">"Lord"

"THE NEW KING JAMES VERSION 1990">"LORD"

"THE BIBLE for children 1990 ">"Lord"

"The New Amarican Bible 1992">"LORD"

"NEW LIVING TRANSLATION 1997">"LORD"

"DOUAY-RHEMS 1900(NT) 2003 2007">"Lord"

"Recovery Version 2003">"Jehovah"

"ENGLISH STANDARD VERSION 2001">"LORD"

"NEW INTERNATIONAL VERSION 1986 2011(改訂)">"LORD"

"New Revised S tandard Version Catholic Edition 2011">"LORD"

"Welsh Y BEIBL 1977 2004">"ARGLWYDD"

"Russian БИБЛИЯ 1948 1993 2000">"Господь(主)"

"Bulgarian БИБЛИЯ 1951">"Иеова(Ieowa)"

"Bulgarian Orthodox Church БИБЛИЯ 1982">"Господ(主)"

"Ukraina БИБЛИЯ 1962 1992 2011">"Господь(主)"

"Estonia Biibli Raamat 1945">"Jehowa"

"Estonia PIIBEL 1997">"Issand(主)"

"Yugoslavia СВЕТО ПИСМО 2009">"Господ(主)"

"Hungary SZENT BIBLIA 1957 2008">"Ur"

"Rumanian 1962">"Domnul"

"Polish BIBLIA SWIETA 1959 1999">"Pan(主)"

"Polish PISMO SWIETA 1994 2011">"Pan(主)"

"Serbian СВЕТО ПИСМО 1953 1998">"Господ(主)"

"Croatian SVETO PISMO 1962 1997">"Gaspodin(主)"

"Czech BIBLE SVATA 1991">"Hospodin(主)"

"Slovenian SVETO PISMO 1960">"Gospod(主)"

"Die Bibel (M.L) 1962 1975">"Herr""

"ZURCHER BIBEL 1971">"Herr"

"ZURCHER BIBEL 2007">"HERR"

"German BIBEL OT 1922">"Jahwes"

"Dem Heiligen Seift 1936 1937">"Herr"

"Nederlans BIJBEL 1930">"HERRE"

"Nederlans BIJBEL 2005">"HERR"

"Denmark BIBELEN 2006">"Herren"

"Norway BIBELEN 1962 2006">"Herren"

"Finland PYHA RAAMATTU 1961">"Herra"

"Swedish BIBELEN 1961">"HERREN"

"Swedish BIBELN 2000">"Herren"

"Icelandic BIBLIAN 1981">"Drottinn(主)"

"Icelandic BIBLIAN 1998">"Drottinn(主)"

"LA SANTA BIBLIA 1960">"Jehova"

"La Sainte Bible 1979">"l'Eternel"

"Italian LA SACRA BIBBIA 1961">"Signore"


"Italian BIBBIA 1985">"Signore"


====表記例====
</div>
{|class=wikitable
</div>
!言語!!翻訳書名!!『{{lang|he|יהוה}}』部分の表記
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|TANAKH<ref>{{lang|ja|英語圏ユダヤ教徒用英訳}}</ref> 1985||lang=en|Lord
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|The Holy Bible in Today's Version 1997||lang=en|Κυριος
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|Tyndale 1530||lang=en|Lord
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|Wycliffe 1382||lang=en|Lord
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|GENEVA 1560 1599||lang=en|Lord
|-
|{{ISO639言語名|la}}||lang=la|VULGATAE 1710||lang=la|Domini
|-
|{{ISO639言語名|la}}||lang=la|VULGATAE 1985||lang=la|Domini
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|King James Version 1611||lang=en|LORD
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|Revised Version 1885||lang=en|LORD
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|Revised Version Standard American Edition 1901||lang=en|Jehova
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|American Standard Version 1901||lang=en|Jehovah
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|New Catholic Edition 1954||lang=en|Lord
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|THE BIBLE IN BASIC ENGLISH 1949||lang=en|Lord
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|REVISED STANDARD VERSION 1971||lang=en|LORD
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|RSV CATHOLIC EDITION 2004||lang=en|LORD
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|THE MOFFATT TRANSLATION 1972||lang=en|the Eternal
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|New American Standard Bible 1973||lang=en|Lord
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|New World Translation 1984||lang=en|Jehovah
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|NEW REVISED STANDAD VERSION 1989||lang=en|Lord
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|THE NEW KING JAMES VERSION 1990||lang=en|LORD
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|THE BIBLE for children 1990||lang=en|Lord
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|The New Amarican Bible 1992||lang=en|LORD
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|NEW LIVING TRANSLATION 1997||lang=en|LORD
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|DOUAY-RHEMS 1900(NT) 2003 2007||lang=en|Lord
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|Recovery Version 2003||lang=en|Jehovah
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|ENGLISH STANDARD VERSION 2001||lang=en|LORD
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|NEW INTERNATIONAL VERSION 1986 2011||lang=en|LORD
|-
|{{ISO639言語名|en}}||lang=en|New Revised S tandard Version Catholic Edition 2011||lang=en|LORD
|-
|{{ISO639言語名|und}}||lang=|Welsh Y BEIBL 1977 2004||lang=en|ARGLWYDD
|-
|{{ISO639言語名|ru}}||lang=ru|БИБЛИЯ 1948 1993 2000||lang=ru|Господь
|-
|{{ISO639言語名|bg}}||lang=bg|БИБЛИЯ 1951||lang=bg|Иеова
|-
|{{ISO639言語名|bg}}||lang=bg|БИБЛИЯ 1982||lang=bg|Господ
|-
|{{ISO639言語名|uk}}||lang=uk|БИБЛИЯ 1962 1992 2011||lang=uk|Господь
|-
|{{ISO639言語名|et}}||lang=et|Biibli Raamat 1945||lang=et|Jehowa
|-
|{{ISO639言語名|et}}||lang=et|PIIBEL 1997||lang=et|Issand
|-
|{{ISO639言語名|und}}||lang=|СВЕТО ПИСМО 2009||lang=|Господ
|-
|{{ISO639言語名|hu}}||lang=hu|SZENT BIBLIA 1957 2008||lang=hu|Ur
|-
|{{ISO639言語名|ro}}||lang=ro|Rumanian 1962||lang=ro|Domnul
|-
|{{ISO639言語名|pl}}||lang=pl|BIBLIA SWIETA 1959 1999||lang=pl|Pan
|-
|{{ISO639言語名|pl}}||lang=pl|PISMO SWIETA 1994 2011||lang=pl|Pan
|-
|{{ISO639言語名|sr}}||lang=sr|СВЕТО ПИСМО 1953 1998||lang=sr|Господ
|-
|{{ISO639言語名|hr}}||lang=hr|SVETO PISMO 1962 1997||lang=hr|Gaspodin
|-
|{{ISO639言語名|cs}}||lang=cs|BIBLE SVATA 1991||lang=cs|Hospodin
|-
|{{ISO639言語名|sl}}||lang=sl|SVETO PISMO 1960||lang=sl|Gospod
|-
|{{ISO639言語名|de}}||lang=de|Die Bibel (M.L) 1962 1975||lang=de|Herr
|-
|{{ISO639言語名|de}}||lang=de|ZURCHER BIBEL 1971||lang=de|Herr
|-
|{{ISO639言語名|de}}||lang=de|ZURCHER BIBEL 2007||lang=de|HERR
|-
|{{ISO639言語名|de}}||lang=de|BIBEL OT 1922||lang=de|Jahwes
|-
|{{ISO639言語名|de}}||lang=de|Dem Heiligen Seift 1936 1937||lang=de|Herr
|-
|{{ISO639言語名|nl}}||lang=nl|BIJBEL 1930||lang=nl|HERRE
|-
|{{ISO639言語名|nl}}||lang=nl|BIJBEL 2005||lang=nl|HERR
|-
|{{ISO639言語名|da}}||lang=da|BIBELEN 2006||lang=da|Herren
|-
|{{ISO639言語名|no}}||lang=no|BIBELEN 1962 2006||lang=no|Herren
|-
|{{ISO639言語名|fi}}||lang=fi|PYHA RAAMATTU 1961||lang=fi|Herra
|-
|{{ISO639言語名|sv}}||lang=sv|BIBELEN 1961||lang=sv|HERREN
|-
|{{ISO639言語名|sv}}||lang=sv|BIBELN 2000||lang=sv|Herren
|-
|{{ISO639言語名|is}}||lang=is|BIBLIAN 1981||lang=is|Drottinn
|-
|{{ISO639言語名|is}}||lang=is|BIBLIAN 1998||lang=is|Drottinn
|-
|{{ISO639言語名|es}}||lang=|LA SANTA BIBLIA 1960||lang=|Jehova
|-
|{{ISO639言語名|fr}}||lang=|La Sainte Bible 1979||lang=|l'Eternel
|-
|{{ISO639言語名|it}}||lang=it|LA SACRA BIBBIA 1961||lang=it|Signore
|-
|{{ISO639言語名|it}}||lang=it|Italian BIBBIA 1985||lang=it|Signore
|}


=== 神 ===
=== 神 ===
旧約聖書では、「神」という一般名詞であるエル(古典的なヘブライ語発音で[[エール (神)|エール]])やその複数形「{{lang|he|אלהים}}(エロヒム)」<ref group="注">「エローヒーム」「エロヒーム」とも読む。</ref>もヤハウェの呼称として用いられる。一般に、[[日本語訳聖書]]ではこれらの音訳は使用せず、これに相当する箇所は[[聖書翻訳#中国語|漢訳聖書]]での訳語を踏襲し神とするものが多い。「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付してエル・シャダイとした箇所は、全能の神などと訳される。
旧約聖書では、「神」という一般名詞であるエル(古典的なヘブライ語発音で[[エール (神)|エール]])やその複数形「{{lang|he|אלהים}}([[エロヒム]])」<ref group="注">「エローヒーム」「エロヒーム」とも読む。</ref>もヤハウェの呼称として用いられる。一般に、[[日本語訳聖書]]ではこれらの音訳は使用せず、これに相当する箇所は[[中国語訳聖書|漢訳聖書]]での訳語を踏襲し神とするものが多い。「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付して[[エル・シャダイ (神)|エル・シャダイ]]とした箇所は、全能の神などと訳される。


=== 上帝 ===
=== 上帝 ===
[[中国語訳聖書|中国語の聖書]]には、本項の神について「神」という語をあてたもののほか、「上帝」となっているものが多数存在した。今日も多く使われる[[和合本]]という翻訳の聖書も、この語を「神」とした上で1文字分の空白をあけ、2文字の「上帝」と同じ文字送りにしたものが多い<ref group="注">一時期[[上帝版|上帝]]版聖書が席巻して、神版聖書を駆逐して、その後神という聖句を入れた[[聖書]]が出来たので、一文字空いているという状態。</ref>。
{{seealso|聖書翻訳#中国語}}
[[聖書翻訳#中国語|中国語の聖書]]には、本項の神について「神」という語をあてたもののほか、「上帝」となっているものが多数存在した。今日も多く使われる[[和合本]]という翻訳の聖書も、この語を「神」とした上で1文字分の空白をあけ、2文字の「上帝」と同じ文字送りにしたものが多い<ref group="注">一時期[[上帝版|上帝]]版聖書が席巻して、[[神]]版聖書を駆逐して、その後神という聖句を入れた[[聖書]]が出来たので、一文字空いているという状態。</ref>。


[[]]」の字が、「{{lang|he|אלהים}}」または「{{lang|he|אלוהים}}」、古代ギリシャ語「{{lang|grc|Θεός}}(テオス)」、英語「{{lang|en|God}}」<ref group="注">大文字で始まることに注意。</ref>の訳語に当てられたのは、近代日本でのキリスト教宣教に先行していた[[清]]におけるキリスト教宣教の先駆者である、[[ロバート・モリソン (宣教師)|ロバート・モリソン]]による漢文聖書においてであった<ref>[[柳父章]]『ゴッドと上帝』筑摩書房、[[1986年]]、120〜131ページ、ISBN 4480853014</ref>。しかしながら訳語としての「神」の妥当性については、ロバート・モリソン死後の[[1840年]]代から[[1850年]]代にかけて、清における宣教団の間でも議論が割れていた。大きく分けて「[[上帝]]」を推す派と「神」を推す派とが存在したが、和訳聖書のモリソン訳の流れを汲む[[イライジャ・コールマン・ブリッジマン|ブリッジマン]]・カルバートソンによる[[聖書翻訳#中国語|漢文訳聖書]]<ref>[http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/bible/search/book.php?s=&id=1863otbrg ブリッジマン・カルバートソン訳『舊約全書』江蘇滬邑美華書館]、[[1863年]]</ref><ref>[http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/bible/search/book.php?s=&id=1861ntbrg ブリッジマン・カルバートソン訳『新約全書』上海美華書局]、[[1863年]]</ref>は、「神」を採用していた。
「神」の字が、「{{lang|he|אלהים}}」または「{{lang|he|אלוהים}}」、古代ギリシャ語「{{lang|grc|Θεός}}(テオス)」、英語「{{lang|en|God}}」<ref group="注">大文字で始まることに注意。</ref>の訳語に当てられたのは、近代日本でのキリスト教宣教に先行していた[[清]]におけるキリスト教宣教の先駆者である、[[ロバート・モリソン (宣教師)|ロバート・モリソン]]による漢文聖書においてであった<ref>[[柳父章]]『ゴッドと上帝』筑摩書房、[[1986年]]、120〜131ページ、ISBN 4480853014</ref>。しかしながら訳語としての「神」の妥当性については、ロバート・モリソン死後の1840年代から1850年代にかけて、清における宣教団の間でも議論が割れていた。大きく分けて「[[上帝]]」を推す派と「神」を推す派とが存在したが、和訳聖書のモリソン訳の流れを汲む[[イライジャ・コールマン・ブリッジマン|ブリッジマン]]・カルバートソンによる[[中国語訳聖書|漢文訳聖書]]<ref>[http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/bible/search/book.php?s=&id=1863otbrg ブリッジマン・カルバートソン訳『舊約全書』江蘇滬邑美華書館]{{リンク切れ|date=2022年2月}}、1863年</ref><ref>[http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/bible/search/book.php?s=&id=1861ntbrg ブリッジマン・カルバートソン訳『新約全書』上海美華書局]{{リンク切れ|date=2022年2月}}、1863年</ref>は、「神」を採用していた。


多数の[[日本語訳聖書]]はこの流れを汲み<ref>[[柳父章]]『ゴッドと上帝』筑摩書房、[[1986年]]、160〜162ページ、ISBN 4480853014</ref>、[[1938年]]には「神」という用語についてキリスト教神学者[[前島潔]]が論じることはあった<ref>[[柳父章]]『ゴッドと上帝』筑摩書房、[[1986年]]、122ページ、ISBN 4480853014</ref>ものの、今日に至るまで適訳であるかどうかをほぼ問題とせずに「神」を翻訳語として採用するものが多数となっている。
多数の[[日本語訳聖書]]はこの流れを汲み<ref>[[柳父章]]『ゴッドと上帝』筑摩書房、[[1986年]]、160〜162ページ、ISBN 4480853014</ref>、1938年には「神」という用語についてキリスト教神学者[[前島潔]]が論じることはあった<ref>[[柳父章]]『ゴッドと上帝』筑摩書房、[[1986年]]、122ページ、ISBN 4480853014</ref>ものの、今日に至るまで適訳であるかどうかをほぼ問題とせずに「神」を翻訳語として採用するものが多数となっている。


== 固有名詞 ==
== 固有名詞 ==
[[旧約聖書]]すなわち[[ヘブライ語聖書]]の原文には、ヘブライ語で記された名前「{{lang|he|יהוה}}(ヤハウェ)」<ref name="R2L" group="注">ヘブライ語は右から左に読む</ref>が6859回登場するとされている。
[[旧約聖書]]すなわち[[ヘブライ語聖書]]の原文には、ヘブライ語で記された名前「{{lang|he|יהוה}}(ヤハウェ)」<ref name="R2L" group="注">ヘブライ語は右から左に読む</ref>が6,859回登場するとされている。


これは4文字の[[ヘブライ文字]]からなることから、[[ギリシャ語]]では「{{lang|el|Τετραγράμματον}}(テトラグラマトン)」(神聖四文字、原義は「四字」)とも呼ばれる。
これは4文字の[[ヘブライ文字]]からなることから、[[テトラグラマトン]]{{lang|el|Τετραγράμματον}},古代ギリシア語で「四字」の意)とも呼ばれる。[[アラム文字]]でヘブライ語を記述するようになってからも、この4文字は[[フェニキア文字]]で書かれていたとされる<ref>『ヘブライ文字の第一歩』p.2</ref>。なお、これらはラテン文字だと「{{スペル|YHVH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|YHWH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|JHVH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|JHWH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|IHVH|lang=he-Latn}}」などと翻字される。


『[[新共同訳聖書]]』付録には、「神聖四文字 {{スペル|YHWH|lang=he-Latn}}」について次のように記されている。{{Quotation|この語の正確な読み方は分からないが一般に[[#ヤーウェ|ヤーウェ]]またヤハウェと表記されている。この神名は人名の末尾に「ヤー」という短い形で付加されることが多い(「[[イザヤ]]」「[[エレミヤ]]」)など)|『[[新共同訳聖書]]』付録30ページ「用語解説」主(しゅ)}}
[[アラム文字]]でヘブライ語を記述するようになってからも、この4文字は[[フェニキア文字]]で書かれていたとされる<ref>『ヘブライ文字の第一歩』p.2</ref>。
なお、同書では「旧約聖書中」とあり、一般にこの[[固有名詞]]は[[新約聖書]]には登場しない(ただし後述にもあるようにヤハウェの短縮形が「ハレルヤ」の形で新約聖書のヨハネの黙示録19章に出てくる)。(新約聖書における固有名詞の詳しい詳細は以下の、新約聖書とテトラグラマトン(YHWH)を参照)

ちなみにこの4文字はラテン文字では「{{スペル|YHVH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|YHWH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|JHVH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|JHWH|lang=he-Latn}}」「{{スペル|IHVH|lang=he-Latn}}」などと翻字される。

『[[新共同訳聖書]]』付録には、「神聖四文字 {{スペル|YHWH|lang=he-Latn}}」について次のように記されている。{{Quotation|この語の正確な読み方は分からないが一般に[[#ヤーウェ|ヤーウェ]]またヤハウェと表記されている。この神名は人名の末尾に「ヤー」という短い形で付加されることが多い(「[[イザヤ]]」「[[エレミヤ]]」)など)|『[[新共同訳聖書]]』付録30ページ「用語解説」主(しゅ)}}なお、同書では「旧約聖書中」とあり、一般にこの[[固有名詞]]は[[新約聖書]]には登場しない。[[写本#ユダヤ教・初期キリスト教|写本]]などの研究から、原文の新約聖書にも使用されなかったと考えられている<ref group="注">但し「エホバの証人」の書である、"New World Translation 1984":Mt 1-20で"Jehova's angel"、「新世界訳 1982」マタイ 1-20で「エホバのみ使いが」というように 彼らによれば「新約聖書」中で約30例使用している。ヘブライ語で新たにおこした新約聖書では、同箇所を"יהוה

מלאך "(THE NEW COVENANT IN HEBREW 1966)と記述している。英語圏ユダヤ人用新約聖書では、同箇所を"angel of Adonai"(JEWISH NEW TESTAMENT 1989)と記述している。</ref>。文語訳聖書中でも[[イエス・キリスト]]が旧約聖書から引用したと思われる箇所で、この固有名詞は登場していない<ref>[[s:申命記(文語訳)#8:3|申命記(文語訳)#8:3]]と[[s:マタイ傳福音書(文語訳)#4:4|マタイ傳福音書(文語訳)#4:4]]を比較</ref>。


=== 発音 ===
=== 発音 ===
もともとヘブライ語は[[母音]]の[[表記法]]を持たなかった。[[語]]は子音だけから成り[[活用]]を母音だけで表すため[[]][[]][[文章]]は[[子音文字]]のみで記述され、母音の復元はもっぱら読み手の[[語彙]]よった。この方式を[[アブジャド]]といい、[[アラビア語|現代アラビア語]]などにもみられる。
もともとヘブライ語は[[母音]]の表記法を持たなかった。[[語]]は子音だけから成り[[語形変化]]を母音だけで表すので、語句や文章は[[子音文字]]のみで記述され、母音の復元はもっぱら読み手の[[語彙]]に委ねられた。この方式を[[アブジャド]]といい、[[アラビア語|現代アラビア語]]などにもみられる。


やがて聖書ヘブライ語が日常言語としては[[死語 (言語)|死語]]になり、ヤハウェにあたる語を何と読むか、正確な発音は消失した。[[#消失の経緯|消失の経緯]]で後述するように、その発音は人々の口に上らなくなっていたのである。
やがて[[聖書ヘブライ語]]が日常言語としては[[死語 (言語)|死語]]になり、聖四文字を何と読むか、正確な発音は消失した。[[#消失の経緯|消失の経緯]]で後述するように、その発音は人々の口に上らなくなっていたのである。


しかし後に、[[ニクダー]]もしくはニクードと呼ばれるいろいろな点々を打つことにより、母音の表記が可能となった。
しかし後に、[[ニクダー]]もしくはニクードと呼ばれるいろいろな点々を打つことにより、母音の表記が可能となった。


また、すでにユダヤ人は、[[詠唱]]の際にヤハウェの名の登場する箇所をアドナイ(「わが主」、[[#消失の経緯|消失の経緯]]で後述)<ref>[[:wikt:en:אדני|אדני]]</ref>と読み替えるようになっていた。
また、すでにユダヤ人は、詠唱の際にヤハウェの名の登場する箇所をアドナイ(「わが主」、[[#消失の経緯|消失の経緯]]で後述)<ref name="#1"/>と読み替えるようになっていた。


その際、ヤハウェ(の子音字)「{{lang|he|יהוה}}」に、アドナイ {{lang|he|אֲדֹנָי}} と同じニクードすなわち {{lang|he| -ă -ō -a}} という母音を示す点々を打って、そう読み慣わした。
その際、ヤハウェ(の子音字)「{{lang|he|יהוה}}」に、アドナイ {{lang|he|אֲדֹנָי}} と同じニクードすなわち {{lang|he| -ă -ō -a}} という母音を示す点々を打って、そう読み慣わした。
228行目: 195行目:
日本語のエホバ(ヱホバ)、英語の「{{lang|en|Jehovah}}」、および各言語のそれに類する形は、ここに由来するのである。
日本語のエホバ(ヱホバ)、英語の「{{lang|en|Jehovah}}」、および各言語のそれに類する形は、ここに由来するのである。


それらは確率的に正しい読みに偶然に一致する可能性も完全には捨てきれないかもしれないが、あくまで可能性であって、学術的にはヤハウェと推定する見解で今日ほぼ一致している。(異論もある<ref>『[[ハーザー]]』2011年1月号</ref>)
それらは確率的に正しい読みに偶然に一致する可能性も完全には捨てきれないかもしれないが、あくまで可能性であって、学術的にはヤハウェと推定する見解で今日ほぼ一致している異論もある<ref>『[[ハーザー]]』2011年1月号</ref>)。


日本語ではヤハウェの他にヤハヴェ YaHVeH([[ヘブライ文字]] {{lang|he|ו}} [w]は現代ヘブライ語読みで/v/と発音)、ヤーウェ YaHWe(HのaHを長音として音写)などの表記が用いられることもある。
日本語ではヤハウェの他にヤハヴェ YaHVeH(ヘブライ文字{{lang|he|ו}} [w]は現代ヘブライ語読みで/v/と発音)、ヤーウェ YaHWe(HのaHを長音として音写)などの表記が用いられることもある。


人名などの要素として用いられる {{lang|he|יהוה}} の略称は「ヤ」 ( {{lang|he|יָה}} {{IPA|yāh}})、「ヤフ」 ({{lang|he|יָהוּ}} {{IPA|yāhû}})等であり、ここから最初の母音はaであったと推測できる。
人名などの固有名詞の要素として用いられる {{lang|he|יהוה}} の略称は「ヤ」 ( {{lang|he|יָה}} {{IPA|yāh}})、「ヤフ」 ({{lang|he|יָהוּ}} {{IPA|yāhû}})等であり、ここから最初の母音はaであったと推測できる。


また、古代教父によるギリシア文字転写形として {{lang|el|Ιαουε}} (イァォウェ)、{{lang|el|Ιαβε}} (イァベ)があり、これらからYHWHの本来の発音は英語式に表記するところの「Yahweh」あるいは「Yahveh」であったと推測されている。
また、古代教父によるギリシア文字転写形として {{lang|el|Ιαουε}} (イァォウェ)<ref>''Stromata'' v,6,34; see {{cite book |url=https://archive.org/details/operacle03clem/page/26/mode/2up |page=27 |quote=ἀτὰρ καὶ τὸ τετράγραμμον ὄνομα τὸ μυστικόν, ὃ περιέκειντο οἷς μόνοις τὸ ἄδυτον βάσιμον ἦν· λέγεται δὲ Ἰαοὺ [also ἰαοῦε; ἰὰ οὐὲ] |language=el |title=Clementis Alexandrini Opera |year=1869 |volume=III |editor=Karl Wilhelm Dindorf |location=Oxford |publisher=Clarendon Press}}</ref>、{{lang|el|Ιαβε}} (イァベ)<ref>Epiphanius, ''[[Panarion]]'', I, iii, 40, in [[iarchive:patrologiaecurs30hopfgoog|P.G., XLI, col. 685]]</ref>があり、これらからYHWHの本来の発音は英語式に表記するところの「Yahweh」あるいは「Yahveh」であったと推測されている。
==== 消失の経緯 ====
[[#主|主]]のセクションにも言及したアドナイ({{lang|he|אֲדֹנַי}} {{IPA|’Ăḏōnay}}<ref>[[:wikt:en:אדני|אדני]]</ref>)の語には、「主 (Lord)<ref>[http://interlinearbible.org/genesis/15.htm אדני(Lord)-Genesis 15:8]</ref>」即ちヤハウェを婉曲に指す意味のほか、単数形のアドニ({{lang|he|אֲדֹנִ֥י}})という形で「私の御主人様 (my master)<ref>[http://interlinearbible.org/genesis/24.htm אדני(my master)-Genesis 24:35,אדני(my master's)-Genesis 24:36,אדני(is my master)-Genesis 24:65]</ref><ref>[//biblehub.com/hebrew/113.htm H113 adon]</ref><ref>[//biblestudytools.com/lexicons/hebrew/kjv/adown.html H113 'adown]</ref><ref>[//biblestudytools.com/lexicons/hebrew/nas/adown.html H113 'adown]</ref>」即ち[[奴隷]]の雇用主など主一般を指す意味がある。


==== 消失の経緯 ====
さて、前述の通りユダヤ人は、詠唱の際もアドナイと読み替えるなどして、ヤハウェの名の発音を避けてきた。現在もユダヤ人は一般生活において、ヤハウェをヤハウェと呼ばず、アドナイあるいはハッシェム({{lang|he|הַשֵּׁם}} {{IPA|haš Šēm}})などと呼ぶ。これらは、ヤハウェとは別の語である。
前述の通りユダヤ人は、詠唱の際もアドナイと読み替えるなどして、ヤハウェの名の発音を避けてきた。現在もユダヤ人は一般生活において、ヤハウェをヤハウェと呼ばず、アドナイあるいはハッシェム({{lang|he|הַשֵּׁם}} {{IPA|haš Šēm}})などと呼ぶ。これらは、ヤハウェとは別の語である。


理由のひとつとして、[[出エジプト記]]や[[申命記]]などにみられる[[モーセの十戒]]のうち次に挙げるものについて、直接神の名を口にすることは畏れ多い禁忌である、との解釈が後代に成立したためではないかと考えられている。(同一の箇所である。また、[[#ヱホバ|ヱホバ]]とはヤハウェのことである)
理由のひとつとして、[[出エジプト記]]や[[申命記]]などにみられる[[モーセの十戒]]のうち次に挙げるものについて、直接神の名を口にすることは畏れ多い禁忌である、との解釈が後代に成立したためではないかと考えられている同一の箇所である。また、[[#ヱホバ|ヱホバ]]とはヤハウェのことである)。


{{Quote|汝の神ヱホバの名を妄に口にあぐべからずヱホバはおのれの名を妄にあぐる者を罰せではおかざるべし|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=出エジプト記20章7節|wslanguage=ja|wslink=出エジプト記(文語訳)#20:7}}|[[明治元訳聖書]]}}
{{Quote|汝の神ヱホバの名を妄に口にあぐべからずヱホバはおのれの名を妄にあぐる者を罰せではおかざるべし|{{Cite wikisource|title=出エジプト記20章7節|wslanguage=ja|wslink=出エジプト記(文語訳)#20:7}}|[[明治元訳聖書]]}}


{{Quote|あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=出エジプト記20章7節|wslanguage=ja|wslink=出エジプト記(口語訳)#20:7}}|[[口語訳聖書]]}}
{{Quote|あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。|{{Cite wikisource|title=出エジプト記20章7節|wslanguage=ja|wslink=出エジプト記(口語訳)#20:7}}|[[聖書 口語訳|口語訳聖書]]}}


これは本来その名を'''みだりに'''唱え、口にあげること(ヤハウェの名を連呼して呪文とすること、もしくはヤハウェの名を口にあげて誓っておきながら実際には嘘をつくこと)について、「そのようなことをすべきではない」と教えるものであって、名の発音を禁ずる趣旨ではないという説がある{{誰2|date=2014年8月}}一方で、西暦1世紀にはすでに発音は禁じられており、当時成立した[[福音書]]によれば、[[イエス・キリスト|神の子イエス]]もこれをはばかって「天の父」などと表現したという
これは本来その名を'''みだりに'''唱え、口にあげること(ヤハウェの名を連呼して呪文とすること、もしくはヤハウェの名を口にあげて誓っておきながら実際には嘘をつくこと)について、「そのようなことをすべきではない」と教えるものであって、名の発音を禁ずる趣旨ではないという説がある。


古くはこの名は自由に口にされていたようである。南[[ユダ王国]]崩壊から[[バビロン捕囚]]までの時代に書かれた『ラキシュ書簡』にも {{lang|he|&#X05D9;&#X05D4;&#X05D5;&#X05D4;}} は頻繁に現れており、この名がこの時代に至ってもなお口にされていたことがわかる。また、それ以後にもこれを記した史料は散見される。
古くはこの名は自由に口にされていたようである。南[[ユダ王国]]崩壊から[[バビロン捕囚]]までの時代に書かれた『ラキシュ書簡』にも {{lang|he|&#X05D9;&#X05D4;&#X05D5;&#X05D4;}} は頻繁に現れており、この名がこの時代に至ってもなお口にされていたことがわかる。また、それ以後にもこれを記した史料は散見される。


だが、第二神殿時代に、公の場でヤハウェの名前を話すことはタブーと見なされるようになり<ref name=":1">{{Cite book|洋書|title=Experiencing God: Theology as Spirituality|date=2002|publisher=Wipf and Stock Publishers|pages=59-60|author=Leech, Kenneth|isbn=978-1-57910-613-3}}</ref>、代わりにユダヤ人はその名前をアドナイ(אֲדֹנָי、「私の主」)という言葉に置き換え始めた。 ローマ時代、エルサレム包囲戦とその神殿の破壊に続いて、西暦70年に、神の名前の元の発音は完全に忘れられた<ref name=":1" />。タブー視されたため、当時成立した[[福音書]]によれば、[[イエス・キリスト|神の子イエス]]もこれをはばかって「天の父」などと表現したという説があった。
それがいつ頃から口にされなくなったのか正確には分からない。


しかし、紀元前3世紀初めごろから翻訳の始まった『[[七十人訳聖書]]』では、原語のヘブライ語での「{{lang|he|&#X05D9;&#X05D4;&#X05D5;&#X05D4;}}(ヤハウェ)」が置き換えられ、ほとんどの箇所で「主」を意味する「{{lang|el|Κ&#X03CD;ριος}}(キュリオス)」と訳されている。
これまで、紀元前3世紀初めごろから翻訳の始まった『[[七十人訳聖書]]』(旧約聖書のギリシャ語訳)では、原語のヘブライ語での「{{lang|he|&#X05D9;&#X05D4;&#X05D5;&#X05D4;}}(ヤハウェ)」が置き換えられ、ほとんどの箇所で「主」を意味する「{{lang|el|Κ&#X03CD;ριος}}(キュリオス)」と訳されているとされてきた。なぜなら、4世紀ころのものと思われる七十人訳聖書の古い写本には、神の名が出てくる部分で「主」という言葉への置き換えがなされているからである。


しかし、1940年代にパピルス・ファド266号と名付けられた写本の断片がエジプトで発見され、その年代が前1世紀のものであることがわかった。この最古の部類の写本断片中には、出てくるべき全ての箇所で神の名がヘブライ語の古い方形文字で書き表わされていた。(パピルス・ファド266号は現在カイロのエジプト・パピルス学協会所蔵)
このことから、この頃にはこの名がアドナイと読み替えられていたのであり、バビロン捕囚以後の300年ほどの間にそのまま発音することが禁忌とされるようになったと考えられる{{誰2|date=2014年8月}}。

また、発見された死海文書の一部である前1世紀のレビ記26章のギリシャ語断片4Q120には、神の名のギリシャ語形としてιαω(イアオ)と翻字されている。

さらに、1961年にナハル・へベルで発見された1世紀の七十人訳の写本断片である七十訳VTS10aと七十訳VTS10b、七十訳IEJ12にも古代ヘブライ語で神の名が記されていた<ref>「旧約聖書」誌Supplements to Vetus Testamentum,第10巻,1963年,170-178ページおよび「イスラエル踏査ジャーナル」Israel Exploration Journal,第12巻,1962年,203ページ</ref>。

またエジプトのオクシリンコスで発見されたP3522断片は1世紀のもので、ヨブ記42章11,12節が記されており、そこに神の名が古代ヘブライ文字で書かれていた。このような最古の写本断片の研究結果に基づき、以下の論が出された。

オックスフォード大学のパウル・E・カール博士は「クリスチャン時代以前のユダヤ人のためにユダヤ人によって訳されたギリシャ語訳の聖書すべては、神の名としてヘブライ語文字のテトラグラマトンを用いていた」と述べている<ref>聖書文献ジャーナル誌(第79巻111-118)</ref>。

新約神学新国際辞典はこう書いている「本文に関する最近の発見は、七十人訳の編さん者たちが四文字語YHWHを訳す際キュリオスという語を用いたとする考えに疑いを投じた。今日我々が手にすることのできる七十人訳の最古の諸写本には、四文字語がギリシャ語本文中にヘブライ文字で記されている。この習慣は旧約を翻訳した後代のユダヤ人翻訳者たちによって1世紀に受け継がれた」<ref>The New International Dictionary of New Testament Theology,第2巻512</ref>。

(この議論に関する詳細は、以下の新約聖書とテトラグラマトン(YHWH)を参照)


=== 語源 ===
=== 語源 ===
261行目: 239行目:
この「私は在る」({{lang|he|&#x5d0;&#x5b6;&#x5d4;&#x5b0;&#x5d9;&#x5b6;&#x5d4;}} {{IPA|’ehyeh}})という一人称・単数・未完了相の動詞を三人称・単数・男性・未完了[[相 (言語学)|相]]の形「彼は在る」にすると{{lang|he|&#x5d9;&#x5b4;&#x5d4;&#x5b0;&#x5d9;&#x5b6;&#x5d4;}} {{IPA|yihyeh}}となり、{{lang|he|&#x5d9;&#x5d4;&#x5d5;&#x5d4;}}と似た形になる。ここから、ヤハウェの名はイヒイェの転訛で「『出エジプト記』に出て来た一言 」「彼は在りて在るものである」「実在するもの」「ありありと目の前に在り、在られるもの」などの意味だと解釈されてきた。
この「私は在る」({{lang|he|&#x5d0;&#x5b6;&#x5d4;&#x5b0;&#x5d9;&#x5b6;&#x5d4;}} {{IPA|’ehyeh}})という一人称・単数・未完了相の動詞を三人称・単数・男性・未完了[[相 (言語学)|相]]の形「彼は在る」にすると{{lang|he|&#x5d9;&#x5b4;&#x5d4;&#x5b0;&#x5d9;&#x5b6;&#x5d4;}} {{IPA|yihyeh}}となり、{{lang|he|&#x5d9;&#x5d4;&#x5d5;&#x5d4;}}と似た形になる。ここから、ヤハウェの名はイヒイェの転訛で「『出エジプト記』に出て来た一言 」「彼は在りて在るものである」「実在するもの」「ありありと目の前に在り、在られるもの」などの意味だと解釈されてきた。


ヘブライ人は誓言の時に「主は生きておられる」という決まり文句を使っていたが、ここからも彼らがヤハウェを「はっきりしないとはいえ、生々しく実在するもの」と捉えていた事がわかる。はっきりしているのは、[[創世記]]の冒頭により、ユダヤ人([[キリスト教徒]]、[[ムスリム]])は、闇が主要素となる[[宇宙空間]]を構築した正体を、ヤハウェ([[ゴッド]]、[[アラー]])であると考えている点である。エロヒム (אלהים) はアラハヤム(アラー)とも読める。また、ヘブライ語ではエジプトの太陽神のことをアラー (אל) と表記する。
ヘブライ人は誓言の時に「主は生きておられる」という決まり文句を使っていたが、ここからも彼らがヤハウェを「はっきりしないとはいえ、生々しく実在するもの」と捉えていた事がわかる。はっきりしているのは、[[創世記]]の冒頭により、ユダヤ人([[キリスト教徒]]、[[ムスリム]])は、闇が主要素となる[[宇宙空間]]を構築した正体を、ヤハウェ([[ゴッド]]、[[アッラーフ|アッラー]])であると考えている点である。エロヒム (אלהים) はアラハヤム(アラー)とも読める。また、ヘブライ語ではエジプトの太陽神のことをアラー (אל) と表記する<ref name="ex02" group="注">イスラムの神「アラー」はアラビア語で「ALLH」であり「アルラー」または「アッラー」と表記する(Q'ran)。またエジプト語では太陽神を「Ra」とし「ラー」と呼ぶことに注意したい(エジプト語辞典 泰流社 1994))</ref>

(イスラムの神「アラー」はアラビア語で「ALLH」であり「アルラー」又は「アッラー」と表記する(Q'ran)
またエジプト語では太陽神を「Ra」とし「ラー」と呼ぶことに注意したい(エジプト語辞典 泰流社 1994)) 


また、{{lang|he|&#x5d4;&#x5d9;&#x5d4;}}のヒフイル(使役)態の三人称・単数・男性・未完了相の形が、{{lang|he|&#x5d9;&#x5b7;&#x5d4;&#x5b0;&#x5d9;&#x5b6;&#x5d4;}}{{IPA|yahyeh}}となり、ちょうど「ヤハウェ」と同じ母音の組み合わせになる。ここからその名を「在らしめるもの」「創造神」とする解釈もある。
また、{{lang|he|&#x5d4;&#x5d9;&#x5d4;}}のヒフイル(使役)態の三人称・単数・男性・未完了相の形が、{{lang|he|&#x5d9;&#x5b7;&#x5d4;&#x5b0;&#x5d9;&#x5b6;&#x5d4;}}{{IPA|yahyeh}}となり、ちょうど「ヤハウェ」と同じ母音の組み合わせになる。ここからその名を「在らしめるもの」「創造神」とする解釈もある。


"Jahveh""Jahve""Yahwe"
<!--"Jahveh""Jahve""Yahwe"
translitertions, according to differerent syatems, of the Heb. ****(previously represented by JEHOWAH) The religion of Jahveh; the system od doctrins and precepts connected with the worship of Jahveh. The use of Jahve(h) as a name for God.
translitertions, according to differerent syatems, of the Heb. ****(previously represented by JEHOWAH) The religion of Jahveh; the system od doctrins and precepts connected with the worship of Jahveh. The use of Jahve(h) as a name for God.
使用例:1867,1877,1879,1882
使用例:1867,1877,1879,1882
301行目: 276行目:
神名を表すヘブライ語子音字YHWHの発音を 学問的に再構成したもの○
神名を表すヘブライ語子音字YHWHの発音を 学問的に再構成したもの○


(出典:新英和大辞典 第五版 研究社)
(出典:新英和大辞典 第五版 研究社)-->


===短縮形===
===短縮形===
本項の神を誉め讃える際に発するヘブライ語「[[ハレルヤ]]」({{lang|he-Latn|Hallelujah}})の末尾の「ヤ」([[ヤハ]]、{{lang|he-Latn|Jah}})はその名の短縮形である。[[ジャマイカ]]に発生した[[ラスタファリ運動]]においても「ジャー」(Jah) という形で見ることができる。
本項の神を誉め讃える際に発するヘブライ語「[[ハレルヤ]]」({{lang|he-Latn|Hallelujah}})の末尾の「ヤ」([[ヤハ]]、{{lang|he-Latn|Jah}})はその名の短縮形。旧約聖書と新約聖書のヨハネの黙示録に出てくる表現である。[[ジャマイカ]]に発生した[[ラスタファリ運動]]においても「ジャー」(Jah) という形で見ることができる。

===ヤハウェ===
===ヤハウェ===
[[#発音]]のセクションで述べたとおり、今日、学術的に推定される読みである。[[ラテン文字]]で書くYahweh。中沢洽樹による旧約聖書<ref>『中公バックス 世界の名著 13 聖書』(ISBN 978-4-12-400623-0) </ref>では「ハ」を小書きにしたヤㇵウェが用いられている。
[[#発音]]のセクションで述べたとおり、今日、推定される読みのひ。中沢洽樹による旧約聖書<ref>『中公バックス 世界の名著 13 聖書』(ISBN 978-4-12-400623-0) </ref>では「ハ」を小書きにしたヤㇵウェが用いられている。


===ヤーウェ===
===ヤーウェ===
[[#発音]]のセクションで述べたとおり、今日、推定される読みのひとつ。聖書研究の盛んな英語圏では"Yahweh"を一般に「ヤーウェ{{ipa|ˈjɑːwe}}」<ref name=IPA>HowToPronounce日本語版「[https://ja.howtopronounce.com/yahweh Yahwehの発音の仕方]」IPA 表記より</ref>と発音する。
学術的に推定された読みである点や、ラテン文字で書くとYahwehとなる点では、おおむねヤハウェと同様であるが、[[カタカナ語]]の[[日本語]]として[[音韻]]を考慮した場合、はじめのh音が長母音化しており、ヤハウェに比べて発音としての正確さという点で疑問が残る。


カトリックの『[[フランシスコ会訳聖書]]』で使用される読みである。
カトリックの『[[フランシスコ会訳聖書]]』で使用される読みである。
315行目: 291行目:
[[#主|主]]で前述の通り、『新共同訳』ではこの神をほぼ一貫して「主」と呼び、『[[創世記]]』第22章14節でのみ「ヤーウェ」とする。これはいわゆる[[イサクの燔祭]]の行われた「ヤーウェ・イルエ」の地名を説明するために発音を示したものである。
[[#主|主]]で前述の通り、『新共同訳』ではこの神をほぼ一貫して「主」と呼び、『[[創世記]]』第22章14節でのみ「ヤーウェ」とする。これはいわゆる[[イサクの燔祭]]の行われた「ヤーウェ・イルエ」の地名を説明するために発音を示したものである。


みにこの箇所は[[パブリックドメイン]]化した他の聖書ではこうなっている。
お、この箇所は[[パブリックドメイン]]化した他の聖書ではこうなっている。


{{Quote|アブラハム其處をヱホバエレ(ヱホバ預備たまはん)と名く是に縁て今日もなほ人々山にヱホバ預備たまはんといふ|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=創世記22章14節|wslanguage=ja|wslink=創世記(文語訳)#22:14}}|[[明治元訳聖書]]}}
{{Quote|アブラハム其處をヱホバエレ(ヱホバ預備たまはん)と名く是に縁て今日もなほ人々山にヱホバ預備たまはんといふ|{{Cite wikisource|title=創世記22章14節|wslanguage=ja|wslink=創世記(文語訳)#22:14}}|[[明治元訳聖書]]}}


{{Quote|それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=創世記22章14節|wslanguage=ja|wslink=創世記(口語訳)#22:14}}|[[口語訳聖書]]}}
{{Quote|それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。|{{Cite wikisource|title=創世記22章14節|wslanguage=ja|wslink=創世記(口語訳)#22:14}}|[[聖書 口語訳|口語訳聖書]]}}


{{Quote|アブラハムはその所を「ヤーウェ・イルエ」と名づけた。それで今日でもなお、「ヤーウェの山で計らわれる」と言われている。|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=創世記22章14節|wslanguage=ja|wslink=創世記2_(フランシスコ会訳)#22:14}}|[[フランシスコ会訳聖書]]}}
{{Quote|アブラハムはその所を「ヤーウェ・イルエ」と名づけた。それで今日でもなお、「ヤーウェの山で計らわれる」と言われている。|{{Cite wikisource|title=創世記22章14節|wslanguage=ja|wslink=創世記2_(フランシスコ会訳)#22:14}}|[[フランシスコ会訳聖書]]}}


===ヤハヴェ===
===ヤハヴェ===
同じく学術的に推定される読みである。[[無教会]]の関根正雄による旧約聖書などに登場する。
同じく学術的に推定される読みである。[[無教会]]の関根正雄による旧約聖書などに登場する。
===ヤーハウェ===
『[[やりすぎ都市伝説]]スペシャル2012春』<ref>『ウソかホントかわからない [[やりすぎ都市伝説]]スペシャル2012春』[[2012年]][[4月6日]]([[金曜日|金]])午後8時54分〜午後22時48分[[テレビ東京]]にて[[放送]]</ref>において、[[関暁夫]]の[[イスラエル]]取材による『[[やりすぎ都市伝説#新時代の扉の向こう側|やりすぎ都市伝説外伝]]』にみられる読み。


同番組の中で、[[アミシャーブ|アミシャブ]]代表である[[ラビ]]・アビハイルの話として、[[伊勢音頭|伊勢民謡]]の歌詞にある「コラーコラー ヤーハ トコーオセェヌオ」という一節は、「呼べ呼べ ヤーハウェを ヤーハウェは<ref>この訳は映像中に2回繰り返されたが、はじめは「ヤーハウェは」の部分を含めて字幕とともに語られ、つぎにその部分のない字幕がカタカナの原詞とともに表示された。</ref>憎しみを砕く」という意味のヘブライ語であると紹介された。関連については[[日ユ同祖論]]も参照されたい。
===ヱホバ===
===ヱホバ===
{{wikisource|文語訳旧約聖書|明治元訳 旧約聖書}}
{{wikisource|文語訳旧約聖書|明治元訳 旧約聖書}}
日本の国語として伝統的な形である。『[[明治元訳聖書]]』とともに普及し、広く日本の思想・文学に影響を与えた<ref>[[日本聖書協会]] 『[http://www.bible.or.jp/online/jl44.html 文語訳 小型聖書]』(この聖書について、「明治初期、J.C.ヘボンを中心とした委員会が翻訳し、広く日本の思想・文学に影響を与えた旧新約聖書です。スマートかつコンパクトに仕上げました」と書いてある)</ref>。
日本の国語として伝統的な形である。『[[明治元訳聖書]]』とともに普及し、広く日本の思想・文学に影響を与えた<ref>[[日本聖書協会]] 『[http://www.bible.or.jp/online/jl44.html 文語訳 小型聖書]』(この聖書について、「明治初期、J.C.ヘボンを中心とした委員会が翻訳し、広く日本の思想・文学に影響を与えた旧新約聖書です。スマートかつコンパクトに仕上げました」と書いてある)</ref>。
『明治元訳聖書』は[[ジェームス・カーティス・ヘボン|ヘボン]]らによって[[1887年]]に完成し、[[旧約聖書|旧約]]部分にこの語が用いられている。<!-- この旧約と、のちに[[新約聖書|新約]]のみ完成した『[[大正改訳聖書]]』を収録したものが『文語訳聖書』『[[文語訳聖書#舊新約聖書|舊新約聖書]]』などの書名で[[日本聖書協会]]から出版されており、同協会直営オンラインショップでも「愛読者が絶えない名訳」<ref>[[バイブルハウス南青山]] 『[http://biblehouse.jp/?mode=grp&gid=333946 日本語文語訳聖書]』)</ref>と紹介されている。購入は同ショップのほか各社オンラインショップまた各地の書店でも可能な場合が多く、[[パブリックドメイン]]化もされており、有志による電子版が安価もしくは無料で入手できる。 -->
『明治元訳聖書』は[[ジェームス・カーティス・ヘボン|ヘボン]]らによって[[1887年]]に完成し、旧約聖書部分にこの語が用いられている。<!-- この旧約と、のちに[[新約聖書|新約]]のみ完成した『[[大正改訳聖書]]』を収録したものが『文語訳聖書』『[[文語訳聖書#舊新約聖書|舊新約聖書]]』などの書名で[[日本聖書協会]]から出版されており、同協会直営オンラインショップでも「愛読者が絶えない名訳」<ref>[[バイブルハウス南青山]] 『[http://biblehouse.jp/?mode=grp&gid=333946 日本語文語訳聖書]』)</ref>と紹介されている。購入は同ショップのほか各社オンラインショップまた各地の書店でも可能な場合が多く、[[パブリックドメイン]]化もされており、有志による電子版が安価もしくは無料で入手できる。 -->
[[エホバの証人]]も、[[新世界訳聖書]]を用いるようになるまでこの語の登場するこの翻訳を使用してきた。
[[エホバの証人]]も、[[新世界訳聖書]]を用いるようになるまでこの語の登場するこの翻訳を使用してきた。
[[静岡県]][[富士宮市]][[麓]]には、[[日本ヱホバ教団]]という[[文部科学大臣]]所轄包括[[宗教法人]]が所在することが指摘されている<ref>『[http://www.bunka.go.jp/shukyouhoujin/nenkan/ 宗教年鑑]平成24年版』文化庁編 p.123([[PDF]]のページ数ではp.139)</ref>。
[[静岡県]][[富士宮市]][[麓]]には、[[日本ヱホバ教団]]という[[文部科学大臣]]所轄包括[[宗教法人]]が所在することが指摘されている<ref>『[http://www.bunka.go.jp/shukyouhoujin/nenkan/ 宗教年鑑]平成24年版』文化庁編 p.123([[PDF]]のページ数ではp.139)</ref>。
338行目: 311行目:
===エホバ===
===エホバ===
[[File:Sør-Fron church, IEHOVA.jpg|thumb|ノルウェーの教会に掲げられている「IEHOVA」の文字]]
[[File:Sør-Fron church, IEHOVA.jpg|thumb|ノルウェーの教会に掲げられている「IEHOVA」の文字]]
[[歴史的仮名遣]]で書かれたヱホバを[[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]、[[現代仮名遣い]]に直したもの。[[wikt:ヱ|ヱ]]と[[wikt:エ|エ]]の差異に注目されたい
[[歴史的仮名遣]]で書かれたヱホバを[[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]、[[現代仮名遣い]]に直したもの。


「エホバ」もしくは「ヱホバ」の読み(表記)は、日本の文学においても古くから好まれてきた。例として、カトリック俳人・[[阿波野青畝]]の俳句がある。{{Quotation|銀河より聴かむエホバのささやきを|青畝}}なお、前掲句の底本はその弟子である[[日本イエス・キリスト教団]] [http://hitomaru-church.com/ 明石人丸教会]のプロテスタント俳人・[[やまだみのる]]によるウェブサイトの[http://www.gospel-haiku.com/hl/kanshyo.htm#i1 秀句鑑賞]のページによったが、この句には次のような形もあり、同サイト[http://www.gospel-haiku.com/wwwforum/wwwforum.cgi?id=16&az=thread&number=64 青畝俳句研究]のページでは後者の鑑賞が行われている。{{Quotation|銀河より聞かむエホバのひとりごと|青畝}}
[[エホバの証人]]が『文語訳』すなわち前述の『明治元訳聖書』について「この翻訳では,創世記 2章4節を初めとして,一貫して[[エホバ]]という名が用いられています」<ref group="証人">ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)[https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1101989238 「エホバ」『聖書から論じる』] 88ページ、[[1985年]]、[[1989年]]、[[2009年]]。</ref>などと主張し、「エホバ」<ref group="証人">ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)[https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200002391 「エホバ」]『聖書に対する洞察』第1巻391〜408ページ、[[1994年]]。</ref>の“正しさを立証”しようとすることがあるが、実際にはヱホバであるにもかかわらず、彼らのそれはよく見るとエホバとなっており、注意が必要である。


俗に、[[エホバの証人]]を指して単に「エホバ」と呼ぶことがあるが、公式な略称ではなく、蔑称に近い。ひとりのエホバの証人は、「エホバの証人は自分たちのことを『エホバ』などと言ったりはしません」とこの用法を強く否定し、「エホバ信者」などというものは「差別的な表現」であると述べている<ref group="証人">[http://biblia.holy.jp/jwpc/ エホバの証人記者クラブ] ([[エホバの証人]]個人) 『[http://biblia.holy.jp/jwpc/media01.html エホバの証人報道の際の注意点]』、2004年7月1日更新</ref>。


なお、現存する新約聖書の写本には神の名が使用されている翻訳は見つかっていない。しかし、ヘブライ語学教授のエリアス・フッターは、12の言語 (ヘブライ語、ギリシャ語、シリア語、ラテン語、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、デンマーク語、ボヘミア語、ポーランド語) を対訳したニュルンベルク多国語対訳聖書<ref>http://textus-receptus.com/wiki/Nuremberg_Polyglot</ref>を作成し、新約聖書のヘブライ語欄で、神の名יהוהを200回以上用いた。 この聖書はその後の聖書学者たちの資料となっている。また、1864年にハーマン・ハインフェッターは「新約聖書」を出版し、新約聖書において神の御名を「Jehovah」(エホバ)と訳して100回以上用いている。現代に至るまで、英語、ドイツ語、スペイン語など120以上の言語で、新約聖書中で神の名が用いられている聖書が出版されている。
「エホバ」はエホバの証人が考え出した名前でもなければ、[[登録商標]]でもない。しかしながら今日、事実上エホバの証人の[[寡占]]する主力商品ということができ、一般に、エホバの証人が販売または寄付を受け付けつつ出版・配布する出版物と、[[キリスト教会]]のトラクト等を比較すると、エホバの証人は盛んに「エホバ」を使用するのに対し、教会では(教派によってまちまちであるものの)一般にこれをみだりに唱えるより<ref>[[日本聖書協会]]『[https://www.bible.or.jp/contents/know/pdf/jc_old_testament.pdf 口語 旧約聖書について]』[[1955年]]、17ページ</ref>、[[新約聖書]]の福音をより強調する傾向にある。


エホバの証人の翻訳による『[[新世界訳聖書]]』でも、「クリスチャンーギリシャ語聖書」(一般の[[新約聖書]])でも「エホバ」を用いている。新約のそのような訳し方について「神のみ名を復元している」とし、「これらの訳し方を支持する様々な資料」を挙げている<ref group="証人">[[ものみの塔聖書冊子協会]] ([[エホバの証人]]) 「[http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1001060076 参照資料付き新世界訳聖書付録1ニ クリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名]」、1985年</ref>。一方で懐疑的な見解を寄せる専門家は、信頼ある校訂本文や古代訳、教父文書にも神の名がないことなどを指摘し、『新世界訳』の「資料」に問題があることを5箇条にまとめて示し、新約で「エホバと訳したこと、これは正当な根拠がない」としている<ref>[http://www.amazon.co.jp/-/e/B00F7KW5BA 正木 弥]「[http://kln.ne.jp/jehovah/masaki/37-kaminomina.html 神のみ名]」『[http://kln.ne.jp/jehovah/masaki/masaki.html 新世界訳聖書は改ざん聖書]』びぶりや書房(現[http://biblia-books.com/ ビブリア書房])、2007年11月</ref>。
{{Quote|汝の神ヱホバの名を妄に口にあぐべからずヱホバはおのれの名を妄にあぐる者を罰せではおかざるべし|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=出エジプト記20章7節|wslanguage=ja|wslink=出エジプト記(文語訳)#20:7}}|[[明治元訳聖書]]}}{{Quote|あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。|{{Cite wikisource|nobullet=yes|title=出エジプト記20章7節|wslanguage=ja|wslink=出エジプト記(口語訳)#20:7}}|[[口語訳聖書]]}}


日本において、エホバの証人と源流を同じくする[[灯台社]](燈臺社)員は戦時中、[[明石順三]]主幹の訳によって「エホバの證者」と称された。そして戦後しばらくして、この名はエホバの証人と改められ、現在に至る。
新約聖書には本来、「エホバ」およびそれに類する固有名詞は登場しない。しかしエホバの証人の翻訳による『[[新世界訳聖書]]』は、「ヘブライ語-アラム語聖書」(一般にいう[[旧約聖書]])のみならず、続く「クリスチャンーギリシャ語聖書」(一般の[[新約聖書]])でも「エホバ」を用いる。『新世界訳』側は、新約のそのような訳し方について「神のみ名を復元して」いるとし、「これらの訳し方を支持する様々な資料」なるものを挙げている<ref group="証人">[[ものみの塔聖書冊子協会]] ([[エホバの証人]]) 「[http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1001060076 参照資料付き新世界訳聖書付録1ニ クリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名]」、1985年</ref>が、専門家は懐疑的な見解を寄せる。


== 新約聖書とテトラグラマトン(YHWH) ==
文献のひとつは、信頼ある校訂本文や古代訳、また教父文書にもエホバの名がないことなどを指摘した上で、『新世界訳』の「資料」に問題があることを5箇条にまとめて示しており、要約すると、新約で「エホバと訳したこと、これは正当な根拠がな」い<ref>[http://www.amazon.co.jp/-/e/B00F7KW5BA 正木 弥]「[http://kln.ne.jp/jehovah/masaki/37-kaminomina.html 神のみ名]」『[http://kln.ne.jp/jehovah/masaki/masaki.html 新世界訳聖書は改ざん聖書]』びぶりや書房(現[http://biblia-books.com/ ビブリア書房])、2007年11月</ref>。
テトラグラマトン(YHWH)は、現存する新約聖書の写本には見られない。これらはすべて、テトラグラマトンが含まれているヘブライ語の旧約聖書からの引用にKyrios/κύριος(主)またはTheos/θεός(神)という単語が含まれている。


新約聖書のヘブライ語聖書からの引用は、一般的に七十人訳聖書から取られており、現存するすべての新約聖書の写本では、ほとんどギリシャ語のκύριος(「主」)が使用されている。まれにギリシャ語のθεός(「神」)が使用されているが、テトラグラマトン自体や、ιαωへの書き換え絶対に使用していない。たとえば、ルカによる福音書第4章17節は、イエスがナザレの会堂でイザヤの巻物からイザヤ61:1–2をどのように読んだかを語るときにκύριοςを使用している<ref>{{Cite book|洋書|title=Essays on the Semitic Background of the New Testament|date=1997/12/1|publisher=Eerdmans Pub Co|page=32|isbn=978-0802848451|author=Joseph A. Fitzmyer}}</ref>。
エホバの証人と源流を同じくする[[灯台社]](燈臺社)員は戦時中、[[明石順三]]主幹の訳によって「エホバの證者」と称された。そして戦後しばらくして、この名はエホバの証人と改められ、現在に至る。

現存する新約聖書の写本にはテトラグラマトンが書かれていないため、原本の新約聖書にもテトラグラマトンは書かれていないと考えられた。しかし、20世紀半ば、また最近発見された[[死海写本]]は、更に古い西暦1世紀ころの七十人訳聖書の写本を含んでおり、そこに神の名「{{lang|he|&#X05D9;&#X05D4;&#X05D5;&#X05D4;}}(ヤハウェ)」が出てくることから、神の名は新約聖書にも当初使用されたとされる研究結果が出されていた<ref>[https://www.jstor.org/stable/3265328?refreqid=excelsior%3A4e7cf9fc47c0b951ce096f4aaf661a58&seq=1 Journal of Biblical Literature 聖書文献ジャーナル誌英語(第96巻 63-83ページ)]</ref><ref group="注">「エホバの証人」の書である、"New World Translation 1984":Mt 1-20で"Jehova's angel"、「新世界訳 1982」マタイ 1-20で「エホバのみ使いが」というように 彼らによれば「新約聖書」中で約30例使用している。ヘブライ語で新たにおこした新約聖書では、同箇所を"יהוה מלאך "(THE NEW COVENANT IN HEBREW 1966)と記述している。英語圏ユダヤ人用新約聖書では、同箇所を"angel of Adonai"(JEWISH NEW TESTAMENT 1989)と記述している。</ref>。

=== George Howardの仮説 ===
この点に関し、George Howardは1977年に聖書文献ジャーナル誌に以下の仮説<ref group="注">以下の論文はGeorge Howard だけでなく、P. E. Kahleの1960年に掲載した論文もあるが、テトラグラマトンに関して述べていることは共通している。また、George Howardだけではなく、P. E. Kahleの論文も学者から批判されている。</ref>を発表した。

「クリスチャン時代以前のユダヤ人のために,ユダヤ人によって訳されたギリシャ語訳の聖書すべては,神の名として,ヘブライ語文字のテトラグラマトンを用いていたに違いない。そして,七十人訳聖書のクリスチャンによる写本に見られるように,キュリオスおよびその略号が使われるようなことはなかった」と指摘されている<ref>[https://www.jstor.org/stable/3264461?refreqid=excelsior%3A41c5f25935a574fdfb62fcd0bf0479d8&seq=1 Journal of Biblical Literature 聖書文献ジャーナル誌英語(第79巻111-118ページ)]</ref>。さらに「初期教会の聖書はギリシャ語聖書の写本であるが,その中になお四文字語<テトラグラマトン>が書かれていた以上,新約の筆者が聖書から引用するとき,聖書本文中に四文字語<テトラグラマトン>を保存したことは当然に考えられる。……しかしそれがギリシャ語の旧約[聖書]から除かれた時,新約[聖書]中に引用された旧約[聖書]の聖句からもそれは除かれてしまった。それで2世紀初めごろに,四文字語<テトラグラマトン>は,代用語のために新旧約両方の聖書から締め出されてしまったに違いない」との見解を述べている<ref>[https://www.jstor.org/stable/3265328?refreqid=excelsior%3A4e7cf9fc47c0b951ce096f4aaf661a58&seq=1 Journal of Biblical Literature 聖書文献ジャーナル誌英語(第96巻76,77ページ)]</ref>。

Howardが立てた仮説は、ギリシャ語の旧約聖書バージョンには、当時、その用語κύριοςが含まれていなかったという提案に基づいている。κύριοςは、七十人訳聖書の全文の現存する写本に見られるが、それらはすべて後年のものである。しかし、写本には常にテトラグラマトン自体が存在しており、それはヘブライ語の文字(יהוה)または旧約聖書の文字(𐤉𐤄𐤅𐤄)で書かれているか、代替えとして、音声によるギリシャ語の音訳ιαωで表されている。

=== George Howardの仮説に対する批判 ===
Robert J. WilkinsonはHowardの仮説を否定している。「すべてのユダヤ人のギリシャ語聖書写本がテトラグラマトンを持っていたと主張することは不可能である。また、聖書のテキストでテトラグラマトンを読んでいる人が、別のテキストに転写する際、必然的にそれを、例えばκύριος [...]のように転記することもない。この推測された説明では、キリスト教徒が最初にキリストとYhwhを明確に区別するために、彼らの著作で聖書諸文章を引用し、それから彼ら自身の著作からテトラグラマトンを排除することを決めることによって「混乱」を招いている。 なぜ、いつ、そんなことをしたのかと尋ねる人もいるかもしれない」<ref>{{Cite book|洋書|title=Tetragrammaton: Western Christians and the Hebrew Name of God
From the Beginnings to the Seventeenth Century Series: Studies in the History of Christian Traditions, Volume: 179|date=4 February 2015|publisher=Leiden: Brill|page=94|author=Wilkinson, Robert J|isbn=978-90-04-28817-1|doi=10.1163/9789004288171|url=https://brill.com/view/title/26914}}</ref>

また、Robert J. Wilkinsonは、Howardの記事が特定の「宗派の利益」に関して影響力を持っていたと述べている。彼は、エホバの証人の熱狂的な反応は、「回収された初期のキリスト教ギリシャ語新約聖書の全ての写本、及び本文のヘブライ語テトラグラマトンの完全な欠如」の状況の明確さ(それらは宗派の立場とは相容れない)をおそらく幾分覆い隠した、と述べている<ref>{{Cite book|洋書|title=Tetragrammaton: Western Christians and the Hebrew Name of God: From the Beginnings to the Seventeenth Century. Studies in the History of Christian Traditions. Vol. 179|date=4 February 2015|publisher=Leiden: Brill|pages=92-93|author=Wilkinson, Robert J|isbn=978-90-04-28817-1|doi=10.1163/9789004288171|url=https://brill.com/view/title/26914}}</ref>。

Larry W. Hurtadoは、「少数の人々(例えば、George Howard)の主張に反して、これらの注目に値する発展(「非常に早い時期に、尊いイエスはYHWHに関連付けられたため、元々YHWHに適用されていた実践とテキストは、イエスをさらなる指示対象者として含むように(いわば)拡張された」)は、YHWHの代わりに「κύριος(主)」と書くという、のちの書写者の実行によってもたらされたある種のテキストの混乱に帰することはできない。問題の発展は非常に早くそして非常に迅速に激増したため、そのような提案は無意味なものになった」と発言している<ref>{{Cite web |url=https://larryhurtado.wordpress.com/2014/08/18/writing-pronouncing-the-divine-name-in-second-temple-jewish-tradition/ |title="Writing & Pronouncing the Divine Name in Second-Temple Jewish Tradition" |access-date=2022-06-05 |publisher=Larry Hurtado's Blog |author=Larry W. Hurtado}}</ref>。

Albert Pietersmaは、Howardの主張に異議を唱えている。「今では、神の名であるיהוהは、キリスト教以前の聖書ではκύριοςによって表現されたものではないとほぼ確実に言うことができる」  また、Albert Pietersmaは、七十人訳聖書にはもともとκύριοςが含まれており、いくつかのコピーにテトラグラマトンを挿入することは「LXXの伝統への二次的かつ外国の侵入」と見なすことができると考えている<ref>{{Cite book|洋書|title=De Septuaginta: Studies in Honour of John William Wevers on His Sixty-Fifth Birthday|year=1984|publisher=Mississauga, Ont., Canada : Benben Publications|page=90|isbn=0920808107|oclc=11446028|author=Pietersma, Albert|author2=Cox, Claude E|author3=Wevers, John William|url=http://homes.chass.utoronto.ca/~pietersm/KyriosorTetragram(1984).pdf}}</ref>。

2013年、Larry Weir Hurtadoは次のように述べている。「七十人訳聖書(西暦3世紀以降)では、「κύριος」(ギリシャ語:「主」)がかなり頻繁に使用されている。 しかし、初期の慣習は一貫してYHWHを「Kyrios」(κυριος)で翻訳したという人たち、ヘブライ語の神の名前を最初はΙΑΩ(「Iao」)と発音して表現されたという人たち、神の名前はもともとヘブライ文字で保持されていたという人たちがいる。私の知る限り、この問題に関する最新の議論は、MartinRöselによる最近のジャーナル記事である」<ref>{{Cite web |url=https://larryhurtado.wordpress.com/2013/07/03/the-divine-name-and-greek-translation/ |title="The Divine Name and Greek Translation" |access-date=2022-06-05 |publisher=Larry Hurtado's Blog |date=3 July 2013 |author=Larry Hurtado}}</ref>

Martin Röselは、七十人訳聖書がヘブライ語テキストのテトラグラマトンを表すためにκύριοςを使用し、七十人訳聖書のいくつかのコピーにヘブライ語テトラグラマトンが出現したのは、後で元のκύριοςを置き換えたためであると考えている。

「ギリシャ語版モーセ五書による聖書釈義の観察によって、七十人訳聖書の翻訳者はすでにテトラグラマトンの適切な表現として「主」(κύριος)を選択していることが明らかになった。よって、一部のギリシャ語写本におけるヘブライ語のテトラグラマトンへの置き換えはオリジナルではない」<ref>{{Cite journal|author=Rösel, Martin|date=1 June 2007|title="The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428|journal=Journal for The Study of The Old Testament|page=411|DOI=10.1177/0309089207080558}}</ref>

Röselは、κύριοςは明らかに初期のクリスチャンがギリシャ語聖書で読んだ名前でしたが、「[[:en:Aquila_of_Sinope|Aquila]]とSymmachus、およびいくつかの七十人訳聖書の写本を含む、ギリシャ語聖書のユダヤ人版」には、ヘブライ文字のテトラグラマトン、または、ヘブライ語のיהוהを模倣したフォームΠΙΠΙがあり、ギリシャ語の発音記号ΙΑΩ(文字:ιαω)の独創性に対する議論も想起している<ref>{{Cite journal|author=Rösel, Martin|date=1 June 2007|title="The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch" Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428|journal=Journal for The Study of The Old Testament|pages=414-419|DOI=10.1177/0309089207080558}}</ref>。原稿の分析の決定的な性質を考慮して、Röselは七十人訳聖書の内部にある証拠を提案し、「κύριοςは最初の翻訳者の元の表現である」ことを示唆している。 これらは最も初期のものであり、翻訳者の神学的思考を垣間見ることができる<ref>{{Cite journal|author=Rösel, Martin|date=1 June 2007|title="The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428”|journal=Journal for The Study of The Old Testament|page=419|DOI=10.1177/0309089207080558}}</ref>。彼が以前に述べたように、「七十人訳聖書の翻訳者は、神の名前に相当するものを選ぶときに神学的考察に影響された」からだと述べている<ref>{{Cite journal|author=Rösel, Martin|date=1 June 2007|title=”The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428”|journal=Journal for The Study of The Old Testament|page=411|DOI=10.1177/0309089207080558}}</ref>。いくつかの文脈では、κύριος側に不公正や厳しさの印象を与えることを避けるため、それらの代わりにθεόςでテトラグラマトンを表している<ref>{{Cite journal|author=Rösel, Martin|date=1 June 2007|title=”The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428”|journal=Journal for The Study of The Old Testament|page=420|DOI=10.1177/0309089207080558}}</ref>。したがって、直接の文脈では、目下の翻訳にκύριοςを持ちいることを回避するためのθεόςの使用について「後の筆記者がヘブライ語のテトラグラマトンまたはギリシャ語のΙΑΩ(ιαω)をὁθεόςの形式に変更する必要があるとは考えられない」と説明している<ref>{{Cite journal|author=Rösel, Martin|date=1 June 2007|title=”The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428|journal=Journal for The Study of The Old Testament|page=424|DOI=10.1177/0309089207080558}}</ref>。ヘブライ語から翻訳されていない第二正典や、元々ギリシャ語で(新約聖書のように)作曲された本やPhiloの作品にκύριοςが存在することから、Röselは、「κύριοςをיהוהの表現として使用することは、キリスト教以前の起源でなければならない」と述べている<ref name=":0">{{Cite journal|author=Rösel, Martin|date=1 June 2007|title=”The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428”|journal=Journal for The Study of The Old Testament|page=425|DOI=10.1177/0309089207080558}}</ref>。

Röselは、この使用はユダヤ人の間で普遍的ではなかったと付け加えた。これは、後に元の七十人訳聖書にあるκύριοςが、ヘブライ語のテトラグラマトンに置き換えられたことからも理解される。 そして「聖書の写本4QLXXLevbのΙΑΩ(ιαω)の読みは、まだ説明されていない謎である。言うことができるのは、そのような読みがオリジナルであると主張することはできないということである」<ref name=":0" />

==== エホバの証人の新世界訳聖書 ====
Robert J. Wilkinsonが指摘しているように、[[エホバの証人]]の翻訳による『[[新世界訳聖書]]』は、George Howardの論文を根拠に「ヘブライ語-アラム語聖書」(一般にいう[[旧約聖書]])のみならず、続く「クリスチャンーギリシャ語聖書」(一般の[[新約聖書]])でも神の名を復元し、これらの訳し方を支持する様々な資料を挙げている<ref group="証人">[[ものみの塔聖書冊子協会]] ([[エホバの証人]]) 「[http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1001060076 参照資料付き新世界訳聖書付録1ニ クリスチャン・ギリシャ語聖書中の神のみ名]」</ref>。

しかし、上記に書かれているMartin Röselによる研究結果は、George Howardの仮説に反して、オリジナルの七十人訳聖書はテトラグラマトンを使用せず、κύριοςを使用していると結論付けている。

==== 発音記号ΙΑΩとその書き文字ιαωについて ====
この発音記号ΙΑΩとその書き文字ιαωについては、Frank ShawがThe Earliest Non-Mystical Jewish Use of Ιαωにおいて論じた。Frank Shawの想定する可能性(「持っていたかもしれない」)との暫定的な合意は、Pavlos D. Vasileiadisによって表現されている。

「ギリシャ語の聖書のコピーのいくつかは、明示的および暗黙的に、説得力のある証拠がある。リヨンのエイレナイオス、オリゲネス、カエサレアのエウセビオス、テルトゥリアヌス、ヒエロニムス、Ps-John Chrysostomなどのクリスチャンが読んだように、テトラグラマトンにΙαωを使用した。この結論が有効である場合、これは、数世紀の間、分散したキリスト教共同体によって読まれた聖書のコピーの中にヘブライ語のテトラグラマトンと、ますます優勢となったノミナサクラの表現と並んでΙαωが広く存在していたことを意味する。その結果、考えられる結果は、Ιαω(または、より可能性は低いが、同様のギリシャ語)が元のNTコピーに現れた可能性があるということである」<ref>{{Cite journal|author=Vasileiadis, Pavlos D|year=2017|title="The god Iao and his connection with the Biblical God, with special emphasis on the manuscript 4QpapLXXLevb ("Ο θεός Ιαώ και η σχέση του με τον Βιβλικό Θεό, με ιδιαίτερη εστίαση στο χειρόγραφο 4QpapLXXLevb")". Vetus Testamentum et Hellas. Aristotle University of Thessaloniki, Greece: School of Pastoral and Social Theology. 4: 48–51.|url=https://www.academia.edu/30967321|journal=Aristotle University of Thessaloniki, Greece, School of Pastoral and Social Theology|page=29|ISSN=2459-2552|OCLC=1085412017}}</ref>


「エホバ」もしくは「ヱホバ」の読み(表記)は、日本の文学においても古くから好まれてきた。例として、[[カトリック]]俳人・[[阿波野青畝]]の[[銀河]]を[[季題]]とする[[俳句]]を鑑賞されたい。{{Quotation|銀河より聴かむエホバのささやきを|青畝}}なお、前掲句の底本はその弟子である[[日本イエス・キリスト教団]] [http://hitomaru-church.com/ 明石人丸教会]の[[プロテスタント]]俳人・[[やまだみのる]]氏によるウェブサイトの[http://www.gospel-haiku.com/hl/kanshyo.htm#i1 秀句鑑賞]のページによったが、この句には次のような形もあり、同サイト[http://www.gospel-haiku.com/wwwforum/wwwforum.cgi?id=16&az=thread&number=64 青畝俳句研究]のページでは後者の鑑賞が行われている。細部の差異に注目されたい。{{Quotation|銀河より聞かむエホバのひとりごと|青畝}}
== ユダヤ教成立後のヤハウェ ==
== ユダヤ教成立後のヤハウェ ==


旧約聖書に於けるヤハウェは唯一神であり全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなもので、[[預言者]]を除いた一般人にとっては、はっきりしない存在であるが、むしろ自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど人類を自らの作品として愛し、[[創世記]]のとおり人類は内面をヤハウェに似せて造られたことがえる。ただし、広義では他の生物、物質も人類と性質が似ており、人類がヤハウェに似ていることは宇宙空間全体の事象に帰納できる。また、『創世記』第32章第31節~や『[[出エジプト記]]』第4章第24節~などには自ら預言者たちに試練を与える場面もあり、ヘブライ人たちがヤハウェを決してはっきりしないというだけではなく、預言者を通じて実在感のある存在と捉えていた事がわかる。
旧約聖書に於けるヤハウェは唯一神であり全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなもので、[[預言者]]を除いた一般人にとっては、はっきりしない存在であるが、むしろ自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど人類を自らの作品として愛し、[[創世記]]のとおり人類は内面をヤハウェに似せて造られたことがうかがえる。ただし、広義では他の生物、物質も人類と性質が似ており、人類がヤハウェに似ていることは宇宙空間全体の事象に帰納できる。また、『創世記』第32章第31節~や『[[出エジプト記]]』第4章第24節~などには自ら預言者たちに試練を与える場面もあり、ヘブライ人たちがヤハウェを決してはっきりしないというだけではなく、預言者を通じて実在感のある存在と捉えていた事がわかる。


== キリスト教におけるヤハウェ ==
== キリスト教におけるヤハウェ ==


「{{lang|el|Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν}}(エゴー・エイミ・ホ・オーン)」(私は在るものである)はイエスとヤハウェを結び付け、その神性を現す意図で多用されている。これは[[セプトゥアギンタ]]の『出エジプト記』第3章第14節でヤハウェが「私は在るものである」と名乗ったので、イエスはこれを多用して自分がヤハウェと密接な関係にある事を暗に示したとされる(『[[ヨハネによる福音書]]』第8章第58節など)
「{{lang|el|Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν}}(エゴー・エイミ・ホ・オーン)」(私は在るものである)はイエスとヤハウェを結び付け、その神性を現す意図で多用されている。これは[[セプトゥアギンタ]]の『出エジプト記』第3章第14節でヤハウェが「私は在るものである」と名乗ったので、イエスはこれを多用して自分がヤハウェと密接な関係にある事を暗に示したとされる『[[ヨハネによる福音書]]』第8章第58節など
[[正教会]]において、イエスの[[イコン]]、とりわけ[[自印聖像]]においてその光輪にギリシア語「{{lang|el|ΟΩΝ}}(オーン)」「{{lang|el|&#x1F41;&#x03CE;ν}}(オーン)」(「在るもの」)を記す習慣もこれに関連する。


三位一体の教説が成立して以降、ヤハウェを単に神の名とするにとどまらず、特定の位格と結びついた名として捉える論考が現れる。一般に、[[西方教会]]においてはヤハウェ(ラテン語文献では多く「エホバ」)を父なる神と同一視することが多く、対して[[東方教会]]においてはヤハウェは[[イエス・キリスト]]の神格における名であると考えられることがある{{誰2|date=2014年8月}}。
三位一体の教説が成立して以降、ヤハウェを単に神の名とするにとどまらず、特定の位格と結びついた名として捉える論考が現れる。一般に、[[西方教会]]においてはヤハウェラテン語文献では多く「エホバ」を父なる神と同一視することが多く、対して[[東方教会]]においてはヤハウェは[[イエス・キリスト]]の神格における名であると考えられることがある{{誰2|date=2014年8月}}<ref>結論として、聖書の教えは、イエスが確かにヤハウェ、私はある、旧約聖書の神であるということです。[https://www.gotquestions.org/is-Jesus-Yahweh.html gotquestions.org/is-Jesus-Yahweh.html] 2024年11月6日閲覧。</ref>


最近の動向として、2008年6月29日付でバチカンの教皇庁[[典礼秘跡省]]は「教皇の指示により神聖四文字で表記されている神の名を典礼の場において用いたり発音したりしてはならない」との指針を示した<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/yhwh.htm 司教協議会への手紙――「神の名」について] - カトリック中央協議会 フランシス・アリンゼ、アルバート・マルコム・ランジス</ref>。教皇庁はこの指針の中で、近年の神の固有名を発音する習慣が増加している事態に対して懸念を表明し、神聖四文字については「ヤーウェ」「ヤハウェ」「エホバ」などではなく、「主」と訳さなければならないと述べ、神の名を削除するよう求めている。これを受けて日本のカトリック司教協議会は、祈りや聖歌において「ヤーウェ」を使用してきた箇所を原則として「主」に置き換えることを決定した(一例として「主ヤーウェよ」と呼びかける部分は「神である主よ」とされた)。
最近の動向として、2008年6月29日付でバチカンの教皇庁[[典礼秘跡省]]は「教皇の指示により神聖四文字で表記されている神の名を典礼の場において用いたり発音したりしてはならない」との指針を示した<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/yhwh.htm 司教協議会への手紙――「神の名」について] - カトリック中央協議会 フランシス・アリンゼ、アルバート・マルコム・ランジス</ref>。教皇庁はこの指針の中で、近年の神の固有名を発音する習慣が増加している事態に対して懸念を表明し、神聖四文字については「ヤーウェ」「ヤハウェ」「エホバ」などではなく、「主」と訳さなければならないと述べ、神の名を削除するよう求めている。これを受けて日本のカトリック司教協議会は、祈りや聖歌において「ヤーウェ」を使用してきた箇所を原則として「主」に置き換えることを決定した(一例として「主ヤーウェよ」と呼びかける部分は「神である主よ」とされた)。


=== キリスト教神学における、聖書中に見られる神の属性・性質 ===
== 異教由来説 ==
キリスト教神学における、聖書中に見られる神(ただし[[三位一体]]の概念から「父」と「子([[イエス・キリスト|キリスト]])」と「[[聖霊]]」を意味する)の属性・性質ついての研究として以下がある。

宗教改革者の[[ジャン・カルヴァン]]は著書<ref>ジャン・カルヴァン『信仰の手引き』13頁、[[新教出版社]]1956年</ref>において、聖書における神について「唯一にして永遠なる神」「生命と義と知恵と力と善と慈しみとの源泉」「すべての善きものは例外なく神より来たり、すべての賛美もただしく神に帰すべき」と述べている。

ヘンリー・シーセンは著書<ref>ヘンリー・シーセン著『[[組織神学]]』203-241頁、[[聖書図書刊行会]]1961年</ref>において神の属性として以下の分類を行なっている。
*「非道徳的属性」…①遍在性②全知性③全能性④不変性
*「道徳的属性」…⑤神のきよさ⑥神の義と正義⑦善⑧真実
また神の性質として「統一性」「[[三位一体]]性」を挙げている。


エル・ベルコフは著書<ref>エル・ベルコフ著『改革派神学通論』52-66頁、活水社書店1952年</ref>において神の属性として以下の分類を行なっている
*絶対的属性・・・①神の独存性または自存性②神の不変性③神の無限性④神の単一性
*相似せる属性(人間の属性との類比。ただし完全なる神と不完全なる人間の類比である。)・・・①神の知識②神の知恵③神の善④神の愛⑤神の聖⑥神の義⑦神の真⑧神の主権

フロイド・ハミルトンは著書<ref>フロイド・ハミルトン著『キリスト教信仰の基礎』192-194頁、[[聖書図書刊行会]]1957年</ref>において、神の概念について、近代の自由主義神学者の傾向である「旧約聖書の神の概念の軽視(新約聖書の方がまさって神の概念を示している)」を背信的であるとし、旧約および新約聖書における神の一致性を指摘している。「新約聖書の神は愛の神で、旧約聖書の神は残酷な復讐の神である」ということを是認できないとし、旧約聖書における「愛の神」、新約聖書における「神の怒り」を記す言葉をあげ、聖書における神概念の統一性を指摘している。

== イスラム教におけるヤハウェ(神) ==
イスラム教ではヤハウェについて[[アッラーフ]]或いはアラー、アッラーのアラビア語呼称を用いる。

''以下、
[[アッラーフ#イスラーム教におけるアッラー]]より加筆引用。''

[[File:Allah3.svg|thumb|left|イスラム書法におけるアッラーフ]]
神が[[クルアーン]]を授けたとされる[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ]](以下「ムハンマド」)は、神より派遣された大天使[[ガブリエル]]から神の受託を[[アラビア語]]で語った[[使徒]]であり、最後にして最大の[[預言者]]とされる。ムハンマドは飽くまで神から[[被造物]]である人類のために人類のなかから選ばれた存在に過ぎない。そもそも神自体が「生みもせず、生まれもしない」<ref>クルアーン第112章1-4節。“言え、「かれは神、唯一の御方であられる。神(アッラー)は自存され、御産みなさらないし、御生まれになられたのではない、かれに比べ得る何もない。」”(「言え、」という部分は大天使[[ガブリエル]]がムハンマドに、「言え、」と命じているのである)。</ref>、つまり時間と空間を超越した絶対固有であるため、[[キリスト教]]神学における[[イエス・キリスト]]像のように、ムハンマドを「神の子」と見なすような信仰的・神学的位置付けもされていない。

唯一絶対にして全知全能であり、すべてを超越する。「目無くして見、耳無くして聞き、口無くして語る」とされる(意思だけの)存在であるため、あらゆる時にあらゆる場にあり得て(遍在)、絵画や彫像に表すことはできない。イスラーム教がイメージを用いた礼拝を、[[偶像崇拝]]として完全否定しているのも、このためである。

イスラームの教えは先行するユダヤ教・キリスト教を確証するものであるとされるため、アッラーはユダヤ教・キリスト教のヤハウェと同じであるとされる<ref>クルアーン第4章163-164節、クルアーン第46章12節</ref>。(ユダヤ教、キリスト教はこれを認めていない。)したがって神は六日間で[[天地創造]]しており、また最後の日には全人類を死者までも復活させ、[[最後の審判]]を行う「[[終末]]」を司る。

なお、一切を超越した全能の神(アッラーフ)が休息などするはずがない<ref>クルアーン第2章255節</ref>、という観点から、創造の六日間の後に神が休息に就いたことを否定するなど違いはある。これはイスラームがユダヤ教やキリスト教を同じ「[[啓典]]の宗教」として尊重しながらも、それらの教えに人為的改変あり、と見なしてきたことの顕著な例でもある。[[クルアーン]]が現在の形になったのはムハンマドの死後であるが、[[ムスリム|イスラム教徒]]は神が遣わせた大天使ガブリエルからムハンマドに言わせた言葉が現在のクルアーンに、完全に再現されていると考えている。

''[[アッラーフ#イスラーム教におけるアッラー]]からの引用終わり。''

== 起源に関する諸説 ==
{{main|グノーシス主義|高等批評|文書仮説|自由主義神学|}}
{{main|グノーシス主義|高等批評|文書仮説|自由主義神学|}}
この名が旧約聖書の中で初めて出てくるのは創世記2章であり、ユダヤ教やキリスト教においてヤハウェは人間の創造者として人間の歴史の始まりから崇拝されていた唯一の神とされている。
[[ユダヤ教]]成立以前の信仰をヤハウェ信仰、あるいはエロヒム信仰とよぶが、両者は必ずしも同一の信仰ではなく、四資料説において、エルやエロヒムを神の呼称とする「E資料」、ヤハウェを神の名とする「J資料」が想定されている。両者はかなり性質の異なる別系統の神々だったが、唯一神教化する過程で混同され、同一神とみなされるようになった。エロヒムはヤハウェに比べてより古い信仰であり、もともとはセム系の諸民族にみられる多神教における最高神で、抽象的・観念的な天の神であった。イスラエルにおいては[[サマリア]]や[[ガリラヤ]]など北部で信仰された。これに対し、ヤハウェの起源はエロヒムの起源に比べるとやや時代が下り、ヤハウェは、抽象的なエロヒムと異なり、具体的な人格神で、慈愛だけでなく怒りや妬みも表す感情的な神であり、もともとは[[ヘブロン]]を中心としたイスラエル南部の信仰で、王国時代にはエロヒムと異なりヤハウェの祭儀は祭司階級である[[レビ族]]に担われた。唯一絶対神の性格を帯びるようになった。ただし、唯一神教化した時代をより古く見積もる説では、[[出エジプト]]の頃の[[ヘブライ人]]は古代エジプトの[[アテン]]神を信仰しており、そのためアテン信仰が廃された後に弾圧され、エジプトを脱出したのではないかとする説もある<ref>[[ジークムント・フロイト]]『モーセと一神教』ISBN 978-4480087935 「唯一神教アマルナ起源説」等という。[[吉村作治]]も学説としてではないが、著書の中で類似のアイディアを披露している。</ref>。

一方、聖書批評家によると、ユダヤ教成立以前の信仰をヤハウェ信仰、あるいはエロヒム信仰とよぶが、両者は必ずしも同一の信仰ではなく、四資料説において、エル(普通名詞の神の意)やその複数形であるエロヒムを神の呼称とする「E資料」、ヤハウェを神の名とする「J資料」が想定されている。両者はかなり性質の異なる別系統の神々だったが、唯一神教化する過程で混同され、同一神とみなされるようになった。エロヒムはヤハウェに比べてより古い信仰であり、もともとは[[セム族 (民族集団)|セム系の諸民族]]にみられる多神教における最高神で、抽象的・観念的な天の神であった。イスラエルにおいては[[サマリア]]や[[ガリラヤ]]など北部で信仰された。これに対し、ヤハウェの起源はエロヒムの起源に比べるとやや時代が下り、ヤハウェは、抽象的なエロヒムと異なり、具体的な人格神で、慈愛だけでなく怒りや妬み(ほかの神々に傾倒してゆく民に対しての感情をねたみと表現した)も表す感情豊かな神であり、もともとは[[ヘブロン]]を中心としたイスラエル南部の信仰で、王国時代にはエロヒムと異なりヤハウェの祭儀は祭司階級である[[レビ族]]に担われた。唯一絶対神の性格を帯びるようになった。ただし、唯一神教化した時代をより古く見積もる説では、[[出エジプト]]の頃の[[ヘブライ人]]は古代エジプトの[[アテン]]神を信仰しており、そのためアテン信仰が廃された後に弾圧され、エジプトを脱出したのではないかとする説もある<ref>[[ジークムント・フロイト]]『モーセと一神教』ISBN 978-4480087935 「唯一神教アマルナ起源説」等という。[[吉村作治]]も学説としてではないが、著書の中で類似のアイディアを披露している。</ref>。

== その他 ==

[[ニュージーランド]]の[[マオリ語]]では、固有名詞としてではなく「主」の訳語として“ihowā”(イホワー)が用いられる<ref group="注">「[[神よニュージーランドを守り給え]]」のマオリ語版(“Aotearoa”)の始めの方に出て来る</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
381行目: 429行目:
==== 特定の新興宗教 ====
==== 特定の新興宗教 ====
{{Reflist|group="証人"|30em}}
{{Reflist|group="証人"|30em}}

== 参考文献 ==
== 参考文献 ==


395行目: 442行目:
* New World Translation 1984
* New World Translation 1984
* 新世界訳 1982
* 新世界訳 1982
* 『一神教の起源:旧約聖書の「神」はどこから来たのか』、[[山我哲雄]]、[[筑摩選書]]、[[2013年]]


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[アッーフ]]
* [[テトグラマトン]]
* [[アブラハム宗教]]
* [[子牛]]
* [[ヤハウィスト]]
* [[ヤハウィスト]]
* [[:en:Four-letter word]]
* [[:en:Jehovah]]
* [[:en:Jehovah]]
* [[:en:Tetragrammaton]]
* [[:en:The name of God in Judaism]]
* [[:en:The name of God in Judaism]]


{{キリスト教 横}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:やはうえ}}
{{DEFAULTSORT:やはうえ}}
[[Category:唯一神]]
[[Category:唯一神]]
411行目: 459行目:
[[Category:ユダヤ教用語]]
[[Category:ユダヤ教用語]]
[[Category:キリスト教用語]]
[[Category:キリスト教用語]]
[[Category:キリスト教神学]]
[[Category:キリスト教]]
[[Category:カトリック]]
[[Category:ヘブライ語聖書]]
[[Category:キリスト教における神]]
[[Category:キリスト教における神]]

2024年11月8日 (金) 14:56時点における最新版

フェニキア文字アラム文字、およびヘブライ語活字によるヤハウェの名[注 1]

ヤハウェヘブライ語: יהוה‎、フェニキア語: 𐤉𐤄𐤅𐤄古アラム語英語版: 𐡉𐡄𐡅𐡄英語: Yahweh)は、モーセに啓示されたの名である[1]旧約聖書新約聖書等における唯一神、万物の創造者の名でもある。

この名はヘブライ語の4つの子音文字で構成され、テトラグラマトン(古代ギリシア語で「4つの文字」の意)または聖四文字[2]と呼ばれる。この名前の正確な発音は分かっていない。日本語ではヤーウェヤーヴェエホバ等とも表記されるが、エホバについて現在ではしばしば非歴史的な読み[3]、誤りないし不適切な読み[4][5][6][7]等と位置付けられる。

本項に示す通り、を指す様々な表現が存在するが、特に意図がある場合を除き、本項での表記は努めてヤハウェに統一する。また本項では、ヤハウェを表す他の語についても述べる。

普通名詞

[編集]

ヤハウェを指して、いくつかの普通名詞もしくはそれに類するものが用いられる場合がある。次にヘブライ語表現をカタカナで、また対応する訳語を漢字で示す。

[編集]

日本語訳聖書では今日、一般に、原文において「יהוה(ヤハウェ)」とある箇所を「主」に置換している。

消失の経緯で後述するユダヤ人の慣習による(今日のユダヤ人はヤハウェと読まずに、アドナイ(「わが主」)という別の語を発音するためである)。

アドナイ(אֲדֹנַי [’Ăḏōnay][8])の語には、「主 (Lord)[9]」即ちヤハウェを婉曲に指す意味のほか、単数形のアドニ(אֲדֹנִ֥י)という形で「私の御主人様 (my master)[10][11][12][13]」即ち奴隷の雇用主など主一般を指す意味がある。

カトリック系の『バルバロ訳』のほか、『口語訳聖書』(日本聖書協会)などがこれである。また、口語訳聖書を後継する『新共同訳聖書』(同)も、一部の地名(『創世記』第22章14節)(後述)を除き、一貫して「主」とする。

プロテスタント福音派系の『新改訳聖書』では太字で「」とする。これは「文語訳ではエホバ[注 2]と訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を」「訳し」た「」と、これを「代名詞などで受けた場合かまたは通常の<主>を意味することば」とを区別するためである[14]。1893年の時点で日本聖公会も、エホバではなく主の語を用いるべきだとしている[15]

主に「英語圏」・「スラブ語圏」となるが 実際の「聖四文字」の表記例を「出エジプト記20」から挙げる。


表記例

[編集]
言語 翻訳書名 יהוה』部分の表記
英語 TANAKH[16] 1985 Lord
英語 The Holy Bible in Today's Version 1997 Κυριος
英語 Tyndale 1530 Lord
英語 Wycliffe 1382 Lord
英語 GENEVA 1560 1599 Lord
ラテン語 VULGATAE 1710 Domini
ラテン語 VULGATAE 1985 Domini
英語 King James Version 1611 LORD
英語 Revised Version 1885 LORD
英語 Revised Version Standard American Edition 1901 Jehova
英語 American Standard Version 1901 Jehovah
英語 New Catholic Edition 1954 Lord
英語 THE BIBLE IN BASIC ENGLISH 1949 Lord
英語 REVISED STANDARD VERSION 1971 LORD
英語 RSV CATHOLIC EDITION 2004 LORD
英語 THE MOFFATT TRANSLATION 1972 the Eternal
英語 New American Standard Bible 1973 Lord
英語 New World Translation 1984 Jehovah
英語 NEW REVISED STANDAD VERSION 1989 Lord
英語 THE NEW KING JAMES VERSION 1990 LORD
英語 THE BIBLE for children 1990 Lord
英語 The New Amarican Bible 1992 LORD
英語 NEW LIVING TRANSLATION 1997 LORD
英語 DOUAY-RHEMS 1900(NT) 2003 2007 Lord
英語 Recovery Version 2003 Jehovah
英語 ENGLISH STANDARD VERSION 2001 LORD
英語 NEW INTERNATIONAL VERSION 1986 2011 LORD
英語 New Revised S tandard Version Catholic Edition 2011 LORD
不明言語 Welsh Y BEIBL 1977 2004 ARGLWYDD
ロシア語 БИБЛИЯ 1948 1993 2000 Господь
ブルガリア語 БИБЛИЯ 1951 Иеова
ブルガリア語 БИБЛИЯ 1982 Господ
ウクライナ語 БИБЛИЯ 1962 1992 2011 Господь
エストニア語 Biibli Raamat 1945 Jehowa
エストニア語 PIIBEL 1997 Issand
不明言語 СВЕТО ПИСМО 2009 Господ
ハンガリー語 SZENT BIBLIA 1957 2008 Ur
ルーマニア語 Rumanian 1962 Domnul
ポーランド語 BIBLIA SWIETA 1959 1999 Pan
ポーランド語 PISMO SWIETA 1994 2011 Pan
セルビア語 СВЕТО ПИСМО 1953 1998 Господ
クロアチア語 SVETO PISMO 1962 1997 Gaspodin
チェコ語 BIBLE SVATA 1991 Hospodin
スロベニア語 SVETO PISMO 1960 Gospod
ドイツ語 Die Bibel (M.L) 1962 1975 Herr
ドイツ語 ZURCHER BIBEL 1971 Herr
ドイツ語 ZURCHER BIBEL 2007 HERR
ドイツ語 BIBEL OT 1922 Jahwes
ドイツ語 Dem Heiligen Seift 1936 1937 Herr
オランダ語 BIJBEL 1930 HERRE
オランダ語 BIJBEL 2005 HERR
デンマーク語 BIBELEN 2006 Herren
ノルウェー語 BIBELEN 1962 2006 Herren
フィンランド語 PYHA RAAMATTU 1961 Herra
スウェーデン語 BIBELEN 1961 HERREN
スウェーデン語 BIBELN 2000 Herren
アイスランド語 BIBLIAN 1981 Drottinn
アイスランド語 BIBLIAN 1998 Drottinn
スペイン語 LA SANTA BIBLIA 1960 Jehova
フランス語 La Sainte Bible 1979 l'Eternel
イタリア語 LA SACRA BIBBIA 1961 Signore
イタリア語 Italian BIBBIA 1985 Signore

[編集]

旧約聖書では、「神」という一般名詞であるエル(古典的なヘブライ語発音でエール)やその複数形「אלהיםエロヒム)」[注 3]もヤハウェの呼称として用いられる。一般に、日本語訳聖書ではこれらの音訳は使用せず、これに相当する箇所は漢訳聖書での訳語を踏襲し神とするものが多い。「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付してエル・シャダイとした箇所は、全能の神などと訳される。

上帝

[編集]

中国語の聖書には、本項の神について「神」という語をあてたもののほか、「上帝」となっているものが多数存在した。今日も多く使われる和合本という翻訳の聖書も、この語を「神」とした上で1文字分の空白をあけ、2文字の「上帝」と同じ文字送りにしたものが多い[注 4]

「神」の字が、「אלהים」または「אלוהים」、古代ギリシャ語「Θεός(テオス)」、英語「God[注 5]の訳語に当てられたのは、近代日本でのキリスト教宣教に先行していたにおけるキリスト教宣教の先駆者である、ロバート・モリソンによる漢文聖書においてであった[17]。しかしながら訳語としての「神」の妥当性については、ロバート・モリソン死後の1840年代から1850年代にかけて、清における宣教団の間でも議論が割れていた。大きく分けて「上帝」を推す派と「神」を推す派とが存在したが、和訳聖書のモリソン訳の流れを汲むブリッジマン・カルバートソンによる漢文訳聖書[18][19]は、「神」を採用していた。

多数の日本語訳聖書はこの流れを汲み[20]、1938年には「神」という用語についてキリスト教神学者前島潔が論じることはあった[21]ものの、今日に至るまで適訳であるかどうかをほぼ問題とせずに「神」を翻訳語として採用するものが多数となっている。

固有名詞

[編集]

旧約聖書すなわちヘブライ語聖書の原文には、ヘブライ語で記された名前「יהוה(ヤハウェ)」[注 1]が6,859回登場するとされている。

これは4文字のヘブライ文字からなることから、テトラグラマトンΤετραγράμματον,古代ギリシア語で「四字」の意)とも呼ばれる。アラム文字でヘブライ語を記述するようになってからも、この4文字はフェニキア文字で書かれていたとされる[22]。なお、これらはラテン文字だと「YHVH」「YHWH」「JHVH」「JHWH」「IHVH」などと翻字される。

新共同訳聖書』付録には、「神聖四文字 YHWH」について次のように記されている。

この語の正確な読み方は分からないが一般にヤーウェまたヤハウェと表記されている。この神名は人名の末尾に「ヤー」という短い形で付加されることが多い(「イザヤ」「エレミヤ」)など) — 『新共同訳聖書』付録30ページ「用語解説」主(しゅ)

なお、同書では「旧約聖書中」とあり、一般にこの固有名詞新約聖書には登場しない(ただし後述にもあるようにヤハウェの短縮形が「ハレルヤ」の形で新約聖書のヨハネの黙示録19章に出てくる)。(新約聖書における固有名詞の詳しい詳細は以下の、新約聖書とテトラグラマトン(YHWH)を参照)

発音

[編集]

もともとヘブライ語は母音の表記法を持たなかった。語根は子音だけから成り語形変化を母音だけで表すので、語句や文章は子音文字のみで記述され、母音の復元はもっぱら読み手の語彙に委ねられた。この方式をアブジャドといい、現代アラビア語などにもみられる。

やがて聖書ヘブライ語が日常言語としては死語になり、聖四文字を何と読むか、正確な発音は消失した。消失の経緯で後述するように、その発音は人々の口に上らなくなっていたのである。

しかし後に、ニクダーもしくはニクードと呼ばれるいろいろな点々を打つことにより、母音の表記が可能となった。

また、すでにユダヤ人は、詠唱の際にヤハウェの名の登場する箇所をアドナイ(「わが主」、消失の経緯で後述)[8]と読み替えるようになっていた。

その際、ヤハウェ(の子音字)「יהוה」に、アドナイ אֲדֹנָי と同じニクードすなわち -ă -ō -a という母音を示す点々を打って、そう読み慣わした。

これをそのまま読むと、イェホワ (יְהֹוָה、YəHōVaH) と読める(文法上、ヘブライ文字 y には弱母音の「ă」を付けられないため、曖昧母音のエ ə に変化する)。

日本語のエホバ(ヱホバ)、英語の「Jehovah」、および各言語のそれに類する形は、ここに由来するのである。

それらは確率的に正しい読みに偶然に一致する可能性も完全には捨てきれないかもしれないが、あくまで可能性であって、学術的にはヤハウェと推定する見解で今日ほぼ一致している(異論もある[23])。

日本語ではヤハウェの他にヤハヴェ YaHVeH(ヘブライ文字ו [w]は現代ヘブライ語読みで/v/と発音)、ヤーウェ YaHWe(HのaHを長音として音写)などの表記が用いられることもある。

人名などの固有名詞の要素として用いられる יהוה の略称は「ヤ」 ( יָה [yāh])、「ヤフ」 (יָהוּ [yāhû])等であり、ここから最初の母音はaであったと推測できる。

また、古代教父によるギリシア文字転写形として Ιαουε (イァォウェ)[24]Ιαβε (イァベ)[25]があり、これらからYHWHの本来の発音は英語式に表記するところの「Yahweh」あるいは「Yahveh」であったと推測されている。

消失の経緯

[編集]

前述の通りユダヤ人は、詠唱の際もアドナイと読み替えるなどして、ヤハウェの名の発音を避けてきた。現在もユダヤ人は一般生活において、ヤハウェをヤハウェと呼ばず、アドナイあるいはハッシェム(הַשֵּׁם [haš Šēm])などと呼ぶ。これらは、ヤハウェとは別の語である。

理由のひとつとして、出エジプト記申命記などにみられるモーセの十戒のうち次に挙げるものについて、直接神の名を口にすることは畏れ多い禁忌である、との解釈が後代に成立したためではないかと考えられている(同一の箇所である。また、ヱホバとはヤハウェのことである)。

汝の神ヱホバの名を妄に口にあぐべからずヱホバはおのれの名を妄にあぐる者を罰せではおかざるべし
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。

これは本来その名をみだりに唱え、口にあげること(ヤハウェの名を連呼して呪文とすること、もしくはヤハウェの名を口にあげて誓っておきながら実際には嘘をつくこと)について、「そのようなことをすべきではない」と教えるものであって、名の発音を禁ずる趣旨ではないという説がある。

古くはこの名は自由に口にされていたようである。南ユダ王国崩壊からバビロン捕囚までの時代に書かれた『ラキシュ書簡』にも יהוה は頻繁に現れており、この名がこの時代に至ってもなお口にされていたことがわかる。また、それ以後にもこれを記した史料は散見される。

だが、第二神殿時代に、公の場でヤハウェの名前を話すことはタブーと見なされるようになり[26]、代わりにユダヤ人はその名前をアドナイ(אֲדֹנָי、「私の主」)という言葉に置き換え始めた。 ローマ時代、エルサレム包囲戦とその神殿の破壊に続いて、西暦70年に、神の名前の元の発音は完全に忘れられた[26]。タブー視されたため、当時成立した福音書によれば、神の子イエスもこれをはばかって「天の父」などと表現したという説があった。

これまで、紀元前3世紀初めごろから翻訳の始まった『七十人訳聖書』(旧約聖書のギリシャ語訳)では、原語のヘブライ語での「יהוה(ヤハウェ)」が置き換えられ、ほとんどの箇所で「主」を意味する「Κύριος(キュリオス)」と訳されているとされてきた。なぜなら、4世紀ころのものと思われる七十人訳聖書の古い写本には、神の名が出てくる部分で「主」という言葉への置き換えがなされているからである。

しかし、1940年代にパピルス・ファド266号と名付けられた写本の断片がエジプトで発見され、その年代が前1世紀のものであることがわかった。この最古の部類の写本断片中には、出てくるべき全ての箇所で神の名がヘブライ語の古い方形文字で書き表わされていた。(パピルス・ファド266号は現在カイロのエジプト・パピルス学協会所蔵)

また、発見された死海文書の一部である前1世紀のレビ記26章のギリシャ語断片4Q120には、神の名のギリシャ語形としてιαω(イアオ)と翻字されている。

さらに、1961年にナハル・へベルで発見された1世紀の七十人訳の写本断片である七十訳VTS10aと七十訳VTS10b、七十訳IEJ12にも古代ヘブライ語で神の名が記されていた[27]

またエジプトのオクシリンコスで発見されたP3522断片は1世紀のもので、ヨブ記42章11,12節が記されており、そこに神の名が古代ヘブライ文字で書かれていた。このような最古の写本断片の研究結果に基づき、以下の論が出された。

オックスフォード大学のパウル・E・カール博士は「クリスチャン時代以前のユダヤ人のためにユダヤ人によって訳されたギリシャ語訳の聖書すべては、神の名としてヘブライ語文字のテトラグラマトンを用いていた」と述べている[28]

新約神学新国際辞典はこう書いている「本文に関する最近の発見は、七十人訳の編さん者たちが四文字語YHWHを訳す際キュリオスという語を用いたとする考えに疑いを投じた。今日我々が手にすることのできる七十人訳の最古の諸写本には、四文字語がギリシャ語本文中にヘブライ文字で記されている。この習慣は旧約を翻訳した後代のユダヤ人翻訳者たちによって1世紀に受け継がれた」[29]

(この議論に関する詳細は、以下の新約聖書とテトラグラマトン(YHWH)を参照)

語源

[編集]

古くからヤハウェの名は、「存在」を意味する語根(√היה [√hyh])と関連づけて解釈されてきた。これは『出エジプト記』第3章第14節で、ヤハウェがモーセに応えて「私は在りて在るものである」 (אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה [’ehyeh ’ăšer ’ehyeh])と名乗った事に由来する。

この「私は在る」(אֶהְיֶה [’ehyeh])という一人称・単数・未完了相の動詞を三人称・単数・男性・未完了の形「彼は在る」にするとיִהְיֶה [yihyeh]となり、יהוהと似た形になる。ここから、ヤハウェの名はイヒイェの転訛で「『出エジプト記』に出て来た一言 」「彼は在りて在るものである」「実在するもの」「ありありと目の前に在り、在られるもの」などの意味だと解釈されてきた。

ヘブライ人は誓言の時に「主は生きておられる」という決まり文句を使っていたが、ここからも彼らがヤハウェを「はっきりしないとはいえ、生々しく実在するもの」と捉えていた事がわかる。はっきりしているのは、創世記の冒頭により、ユダヤ人(キリスト教徒ムスリム)は、闇が主要素となる宇宙空間を構築した正体を、ヤハウェ(ゴッドアッラー)であると考えている点である。エロヒム (אלהים) はアラハヤム(アラー)とも読める。また、ヘブライ語ではエジプトの太陽神のことをアラー (אל) と表記する[注 6]

また、היהのヒフイル(使役)態の三人称・単数・男性・未完了相の形が、יַהְיֶה[yahyeh]となり、ちょうど「ヤハウェ」と同じ母音の組み合わせになる。ここからその名を「在らしめるもの」「創造神」とする解釈もある。


短縮形

[編集]

本項の神を誉め讃える際に発するヘブライ語「ハレルヤ」(Hallelujah)の末尾の「ヤ」(ヤハJah)はその名の短縮形。旧約聖書と新約聖書のヨハネの黙示録に出てくる表現である。ジャマイカに発生したラスタファリ運動においても「ジャー」(Jah) という形で見ることができる。

ヤハウェ

[編集]

#発音のセクションで述べたとおり、今日、推定される読みのひとつ。中沢洽樹による旧約聖書[30]では「ハ」を小書きにしたヤㇵウェが用いられている。

ヤーウェ

[編集]

#発音のセクションで述べたとおり、今日、推定される読みのひとつ。聖書研究の盛んな英語圏では"Yahweh"を一般に「ヤーウェ/ˈjɑːwe/[31]と発音する。

カトリックの『フランシスコ会訳聖書』で使用される読みである。

で前述の通り、『新共同訳』ではこの神をほぼ一貫して「主」と呼び、『創世記』第22章14節でのみ「ヤーウェ」とする。これはいわゆるイサクの燔祭の行われた「ヤーウェ・イルエ」の地名を説明するために発音を示したものである。

なお、この箇所はパブリックドメイン化した他の聖書ではこうなっている。

アブラハム其處をヱホバエレ(ヱホバ預備たまはん)と名く是に縁て今日もなほ人々山にヱホバ預備たまはんといふ
それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。
アブラハムはその所を「ヤーウェ・イルエ」と名づけた。それで今日でもなお、「ヤーウェの山で計らわれる」と言われている。

ヤハヴェ

[編集]

同じく学術的に推定される読みである。無教会の関根正雄による旧約聖書などに登場する。

ヱホバ

[編集]

日本の国語として伝統的な形である。『明治元訳聖書』とともに普及し、広く日本の思想・文学に影響を与えた[32]。 『明治元訳聖書』はヘボンらによって1887年に完成し、旧約聖書の部分にこの語が用いられている。 エホバの証人も、新世界訳聖書を用いるようになるまでこの語の登場するこの翻訳を使用してきた。 静岡県富士宮市には、日本ヱホバ教団という文部科学大臣所轄包括宗教法人が所在することが指摘されている[33]

エホバ

[編集]
ノルウェーの教会に掲げられている「IEHOVA」の文字

歴史的仮名遣で書かれたヱホバを戦後現代仮名遣いに直したもの。

「エホバ」もしくは「ヱホバ」の読み(表記)は、日本の文学においても古くから好まれてきた。例として、カトリック俳人・阿波野青畝の俳句がある。

銀河より聴かむエホバのささやきを — 青畝

なお、前掲句の底本はその弟子である日本イエス・キリスト教団 明石人丸教会のプロテスタント俳人・やまだみのるによるウェブサイトの秀句鑑賞のページによったが、この句には次のような形もあり、同サイト青畝俳句研究のページでは後者の鑑賞が行われている。

銀河より聞かむエホバのひとりごと — 青畝


なお、現存する新約聖書の写本には神の名が使用されている翻訳は見つかっていない。しかし、ヘブライ語学教授のエリアス・フッターは、12の言語 (ヘブライ語、ギリシャ語、シリア語、ラテン語、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、デンマーク語、ボヘミア語、ポーランド語) を対訳したニュルンベルク多国語対訳聖書[34]を作成し、新約聖書のヘブライ語欄で、神の名יהוהを200回以上用いた。 この聖書はその後の聖書学者たちの資料となっている。また、1864年にハーマン・ハインフェッターは「新約聖書」を出版し、新約聖書において神の御名を「Jehovah」(エホバ)と訳して100回以上用いている。現代に至るまで、英語、ドイツ語、スペイン語など120以上の言語で、新約聖書中で神の名が用いられている聖書が出版されている。

エホバの証人の翻訳による『新世界訳聖書』でも、「クリスチャンーギリシャ語聖書」(一般の新約聖書)でも「エホバ」を用いている。新約のそのような訳し方について「神のみ名を復元している」とし、「これらの訳し方を支持する様々な資料」を挙げている[証人 1]。一方で懐疑的な見解を寄せる専門家は、信頼ある校訂本文や古代訳、教父文書にも神の名がないことなどを指摘し、『新世界訳』の「資料」に問題があることを5箇条にまとめて示し、新約で「エホバと訳したこと、これは正当な根拠がない」としている[35]

日本において、エホバの証人と源流を同じくする灯台社(燈臺社)員は戦時中、明石順三主幹の訳によって「エホバの證者」と称された。そして戦後しばらくして、この名はエホバの証人と改められ、現在に至る。

新約聖書とテトラグラマトン(YHWH)

[編集]

テトラグラマトン(YHWH)は、現存する新約聖書の写本には見られない。これらはすべて、テトラグラマトンが含まれているヘブライ語の旧約聖書からの引用にKyrios/κύριος(主)またはTheos/θεός(神)という単語が含まれている。

新約聖書のヘブライ語聖書からの引用は、一般的に七十人訳聖書から取られており、現存するすべての新約聖書の写本では、ほとんどギリシャ語のκύριος(「主」)が使用されている。まれにギリシャ語のθεός(「神」)が使用されているが、テトラグラマトン自体や、ιαωへの書き換え絶対に使用していない。たとえば、ルカによる福音書第4章17節は、イエスがナザレの会堂でイザヤの巻物からイザヤ61:1–2をどのように読んだかを語るときにκύριοςを使用している[36]

現存する新約聖書の写本にはテトラグラマトンが書かれていないため、原本の新約聖書にもテトラグラマトンは書かれていないと考えられた。しかし、20世紀半ば、また最近発見された死海写本は、更に古い西暦1世紀ころの七十人訳聖書の写本を含んでおり、そこに神の名「יהוה(ヤハウェ)」が出てくることから、神の名は新約聖書にも当初使用されたとされる研究結果が出されていた[37][注 7]

George Howardの仮説

[編集]

この点に関し、George Howardは1977年に聖書文献ジャーナル誌に以下の仮説[注 8]を発表した。

「クリスチャン時代以前のユダヤ人のために,ユダヤ人によって訳されたギリシャ語訳の聖書すべては,神の名として,ヘブライ語文字のテトラグラマトンを用いていたに違いない。そして,七十人訳聖書のクリスチャンによる写本に見られるように,キュリオスおよびその略号が使われるようなことはなかった」と指摘されている[38]。さらに「初期教会の聖書はギリシャ語聖書の写本であるが,その中になお四文字語<テトラグラマトン>が書かれていた以上,新約の筆者が聖書から引用するとき,聖書本文中に四文字語<テトラグラマトン>を保存したことは当然に考えられる。……しかしそれがギリシャ語の旧約[聖書]から除かれた時,新約[聖書]中に引用された旧約[聖書]の聖句からもそれは除かれてしまった。それで2世紀初めごろに,四文字語<テトラグラマトン>は,代用語のために新旧約両方の聖書から締め出されてしまったに違いない」との見解を述べている[39]

Howardが立てた仮説は、ギリシャ語の旧約聖書バージョンには、当時、その用語κύριοςが含まれていなかったという提案に基づいている。κύριοςは、七十人訳聖書の全文の現存する写本に見られるが、それらはすべて後年のものである。しかし、写本には常にテトラグラマトン自体が存在しており、それはヘブライ語の文字(יהוה)または旧約聖書の文字(𐤉𐤄𐤅𐤄)で書かれているか、代替えとして、音声によるギリシャ語の音訳ιαωで表されている。

George Howardの仮説に対する批判

[編集]

Robert J. WilkinsonはHowardの仮説を否定している。「すべてのユダヤ人のギリシャ語聖書写本がテトラグラマトンを持っていたと主張することは不可能である。また、聖書のテキストでテトラグラマトンを読んでいる人が、別のテキストに転写する際、必然的にそれを、例えばκύριος [...]のように転記することもない。この推測された説明では、キリスト教徒が最初にキリストとYhwhを明確に区別するために、彼らの著作で聖書諸文章を引用し、それから彼ら自身の著作からテトラグラマトンを排除することを決めることによって「混乱」を招いている。 なぜ、いつ、そんなことをしたのかと尋ねる人もいるかもしれない」[40]

また、Robert J. Wilkinsonは、Howardの記事が特定の「宗派の利益」に関して影響力を持っていたと述べている。彼は、エホバの証人の熱狂的な反応は、「回収された初期のキリスト教ギリシャ語新約聖書の全ての写本、及び本文のヘブライ語テトラグラマトンの完全な欠如」の状況の明確さ(それらは宗派の立場とは相容れない)をおそらく幾分覆い隠した、と述べている[41]

Larry W. Hurtadoは、「少数の人々(例えば、George Howard)の主張に反して、これらの注目に値する発展(「非常に早い時期に、尊いイエスはYHWHに関連付けられたため、元々YHWHに適用されていた実践とテキストは、イエスをさらなる指示対象者として含むように(いわば)拡張された」)は、YHWHの代わりに「κύριος(主)」と書くという、のちの書写者の実行によってもたらされたある種のテキストの混乱に帰することはできない。問題の発展は非常に早くそして非常に迅速に激増したため、そのような提案は無意味なものになった」と発言している[42]

Albert Pietersmaは、Howardの主張に異議を唱えている。「今では、神の名であるיהוהは、キリスト教以前の聖書ではκύριοςによって表現されたものではないとほぼ確実に言うことができる」  また、Albert Pietersmaは、七十人訳聖書にはもともとκύριοςが含まれており、いくつかのコピーにテトラグラマトンを挿入することは「LXXの伝統への二次的かつ外国の侵入」と見なすことができると考えている[43]

2013年、Larry Weir Hurtadoは次のように述べている。「七十人訳聖書(西暦3世紀以降)では、「κύριος」(ギリシャ語:「主」)がかなり頻繁に使用されている。 しかし、初期の慣習は一貫してYHWHを「Kyrios」(κυριος)で翻訳したという人たち、ヘブライ語の神の名前を最初はΙΑΩ(「Iao」)と発音して表現されたという人たち、神の名前はもともとヘブライ文字で保持されていたという人たちがいる。私の知る限り、この問題に関する最新の議論は、MartinRöselによる最近のジャーナル記事である」[44]

Martin Röselは、七十人訳聖書がヘブライ語テキストのテトラグラマトンを表すためにκύριοςを使用し、七十人訳聖書のいくつかのコピーにヘブライ語テトラグラマトンが出現したのは、後で元のκύριοςを置き換えたためであると考えている。

「ギリシャ語版モーセ五書による聖書釈義の観察によって、七十人訳聖書の翻訳者はすでにテトラグラマトンの適切な表現として「主」(κύριος)を選択していることが明らかになった。よって、一部のギリシャ語写本におけるヘブライ語のテトラグラマトンへの置き換えはオリジナルではない」[45]

Röselは、κύριοςは明らかに初期のクリスチャンがギリシャ語聖書で読んだ名前でしたが、「AquilaとSymmachus、およびいくつかの七十人訳聖書の写本を含む、ギリシャ語聖書のユダヤ人版」には、ヘブライ文字のテトラグラマトン、または、ヘブライ語のיהוהを模倣したフォームΠΙΠΙがあり、ギリシャ語の発音記号ΙΑΩ(文字:ιαω)の独創性に対する議論も想起している[46]。原稿の分析の決定的な性質を考慮して、Röselは七十人訳聖書の内部にある証拠を提案し、「κύριοςは最初の翻訳者の元の表現である」ことを示唆している。 これらは最も初期のものであり、翻訳者の神学的思考を垣間見ることができる[47]。彼が以前に述べたように、「七十人訳聖書の翻訳者は、神の名前に相当するものを選ぶときに神学的考察に影響された」からだと述べている[48]。いくつかの文脈では、κύριος側に不公正や厳しさの印象を与えることを避けるため、それらの代わりにθεόςでテトラグラマトンを表している[49]。したがって、直接の文脈では、目下の翻訳にκύριοςを持ちいることを回避するためのθεόςの使用について「後の筆記者がヘブライ語のテトラグラマトンまたはギリシャ語のΙΑΩ(ιαω)をὁθεόςの形式に変更する必要があるとは考えられない」と説明している[50]。ヘブライ語から翻訳されていない第二正典や、元々ギリシャ語で(新約聖書のように)作曲された本やPhiloの作品にκύριοςが存在することから、Röselは、「κύριοςをיהוהの表現として使用することは、キリスト教以前の起源でなければならない」と述べている[51]

Röselは、この使用はユダヤ人の間で普遍的ではなかったと付け加えた。これは、後に元の七十人訳聖書にあるκύριοςが、ヘブライ語のテトラグラマトンに置き換えられたことからも理解される。 そして「聖書の写本4QLXXLevbのΙΑΩ(ιαω)の読みは、まだ説明されていない謎である。言うことができるのは、そのような読みがオリジナルであると主張することはできないということである」[51]

エホバの証人の新世界訳聖書

[編集]

Robert J. Wilkinsonが指摘しているように、エホバの証人の翻訳による『新世界訳聖書』は、George Howardの論文を根拠に「ヘブライ語-アラム語聖書」(一般にいう旧約聖書)のみならず、続く「クリスチャンーギリシャ語聖書」(一般の新約聖書)でも神の名を復元し、これらの訳し方を支持する様々な資料を挙げている[証人 2]

しかし、上記に書かれているMartin Röselによる研究結果は、George Howardの仮説に反して、オリジナルの七十人訳聖書はテトラグラマトンを使用せず、κύριοςを使用していると結論付けている。

発音記号ΙΑΩとその書き文字ιαωについて

[編集]

この発音記号ΙΑΩとその書き文字ιαωについては、Frank ShawがThe Earliest Non-Mystical Jewish Use of Ιαωにおいて論じた。Frank Shawの想定する可能性(「持っていたかもしれない」)との暫定的な合意は、Pavlos D. Vasileiadisによって表現されている。

「ギリシャ語の聖書のコピーのいくつかは、明示的および暗黙的に、説得力のある証拠がある。リヨンのエイレナイオス、オリゲネス、カエサレアのエウセビオス、テルトゥリアヌス、ヒエロニムス、Ps-John Chrysostomなどのクリスチャンが読んだように、テトラグラマトンにΙαωを使用した。この結論が有効である場合、これは、数世紀の間、分散したキリスト教共同体によって読まれた聖書のコピーの中にヘブライ語のテトラグラマトンと、ますます優勢となったノミナサクラの表現と並んでΙαωが広く存在していたことを意味する。その結果、考えられる結果は、Ιαω(または、より可能性は低いが、同様のギリシャ語)が元のNTコピーに現れた可能性があるということである」[52]

ユダヤ教成立後のヤハウェ

[編集]

旧約聖書に於けるヤハウェは唯一神であり全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなもので、預言者を除いた一般人にとっては、はっきりしない存在であるが、むしろ自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど人類を自らの作品として愛し、創世記のとおり人類は内面をヤハウェに似せて造られたことがうかがえる。ただし、広義では他の生物、物質も人類と性質が似ており、人類がヤハウェに似ていることは宇宙空間全体の事象に帰納できる。また、『創世記』第32章第31節~や『出エジプト記』第4章第24節~などには自ら預言者たちに試練を与える場面もあり、ヘブライ人たちがヤハウェを決してはっきりしないというだけではなく、預言者を通じて実在感のある存在と捉えていた事がわかる。

キリスト教におけるヤハウェ

[編集]

Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν(エゴー・エイミ・ホ・オーン)」(私は在るものである)はイエスとヤハウェを結び付け、その神性を現す意図で多用されている。これはセプトゥアギンタの『出エジプト記』第3章第14節でヤハウェが「私は在るものである」と名乗ったので、イエスはこれを多用して自分がヤハウェと密接な関係にある事を暗に示したとされる(『ヨハネによる福音書』第8章第58節など)。

三位一体の教説が成立して以降、ヤハウェを単に神の名とするにとどまらず、特定の位格と結びついた名として捉える論考が現れる。一般に、西方教会においてはヤハウェ(ラテン語文献では多く「エホバ」)を父なる神と同一視することが多く、対して東方教会においてはヤハウェはイエス・キリストの神格における名であると考えられることがある[誰によって?][53]

最近の動向として、2008年6月29日付でバチカンの教皇庁典礼秘跡省は「教皇の指示により神聖四文字で表記されている神の名を典礼の場において用いたり発音したりしてはならない」との指針を示した[54]。教皇庁はこの指針の中で、近年の神の固有名を発音する習慣が増加している事態に対して懸念を表明し、神聖四文字については「ヤーウェ」「ヤハウェ」「エホバ」などではなく、「主」と訳さなければならないと述べ、神の名を削除するよう求めている。これを受けて日本のカトリック司教協議会は、祈りや聖歌において「ヤーウェ」を使用してきた箇所を原則として「主」に置き換えることを決定した(一例として「主ヤーウェよ」と呼びかける部分は「神である主よ」とされた)。

キリスト教神学における、聖書中に見られる神の属性・性質

[編集]

キリスト教神学における、聖書中に見られる神(ただし三位一体の概念から「父」と「子(キリスト)」と「聖霊」を意味する)の属性・性質ついての研究として以下がある。

宗教改革者のジャン・カルヴァンは著書[55]において、聖書における神について「唯一にして永遠なる神」「生命と義と知恵と力と善と慈しみとの源泉」「すべての善きものは例外なく神より来たり、すべての賛美もただしく神に帰すべき」と述べている。

ヘンリー・シーセンは著書[56]において神の属性として以下の分類を行なっている。

  • 「非道徳的属性」…①遍在性②全知性③全能性④不変性
  • 「道徳的属性」…⑤神のきよさ⑥神の義と正義⑦善⑧真実

また神の性質として「統一性」「三位一体性」を挙げている。

エル・ベルコフは著書[57]において神の属性として以下の分類を行なっている

  • 絶対的属性・・・①神の独存性または自存性②神の不変性③神の無限性④神の単一性
  • 相似せる属性(人間の属性との類比。ただし完全なる神と不完全なる人間の類比である。)・・・①神の知識②神の知恵③神の善④神の愛⑤神の聖⑥神の義⑦神の真⑧神の主権

フロイド・ハミルトンは著書[58]において、神の概念について、近代の自由主義神学者の傾向である「旧約聖書の神の概念の軽視(新約聖書の方がまさって神の概念を示している)」を背信的であるとし、旧約および新約聖書における神の一致性を指摘している。「新約聖書の神は愛の神で、旧約聖書の神は残酷な復讐の神である」ということを是認できないとし、旧約聖書における「愛の神」、新約聖書における「神の怒り」を記す言葉をあげ、聖書における神概念の統一性を指摘している。

イスラム教におけるヤハウェ(神)

[編集]

イスラム教ではヤハウェについてアッラーフ或いはアラー、アッラーのアラビア語呼称を用いる。

以下、 アッラーフ#イスラーム教におけるアッラーより加筆引用。

イスラム書法におけるアッラーフ

神がクルアーンを授けたとされるムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(以下「ムハンマド」)は、神より派遣された大天使ガブリエルから神の受託をアラビア語で語った使徒であり、最後にして最大の預言者とされる。ムハンマドは飽くまで神から被造物である人類のために人類のなかから選ばれた存在に過ぎない。そもそも神自体が「生みもせず、生まれもしない」[59]、つまり時間と空間を超越した絶対固有であるため、キリスト教神学におけるイエス・キリスト像のように、ムハンマドを「神の子」と見なすような信仰的・神学的位置付けもされていない。

唯一絶対にして全知全能であり、すべてを超越する。「目無くして見、耳無くして聞き、口無くして語る」とされる(意思だけの)存在であるため、あらゆる時にあらゆる場にあり得て(遍在)、絵画や彫像に表すことはできない。イスラーム教がイメージを用いた礼拝を、偶像崇拝として完全否定しているのも、このためである。

イスラームの教えは先行するユダヤ教・キリスト教を確証するものであるとされるため、アッラーはユダヤ教・キリスト教のヤハウェと同じであるとされる[60]。(ユダヤ教、キリスト教はこれを認めていない。)したがって神は六日間で天地創造しており、また最後の日には全人類を死者までも復活させ、最後の審判を行う「終末」を司る。

なお、一切を超越した全能の神(アッラーフ)が休息などするはずがない[61]、という観点から、創造の六日間の後に神が休息に就いたことを否定するなど違いはある。これはイスラームがユダヤ教やキリスト教を同じ「啓典の宗教」として尊重しながらも、それらの教えに人為的改変あり、と見なしてきたことの顕著な例でもある。クルアーンが現在の形になったのはムハンマドの死後であるが、イスラム教徒は神が遣わせた大天使ガブリエルからムハンマドに言わせた言葉が現在のクルアーンに、完全に再現されていると考えている。

アッラーフ#イスラーム教におけるアッラーからの引用終わり。

起源に関する諸説

[編集]

この名が旧約聖書の中で初めて出てくるのは創世記2章であり、ユダヤ教やキリスト教においてヤハウェは人間の創造者として人間の歴史の始まりから崇拝されていた唯一の神とされている。

一方、聖書批評家によると、ユダヤ教成立以前の信仰をヤハウェ信仰、あるいはエロヒム信仰とよぶが、両者は必ずしも同一の信仰ではなく、四資料説において、エル(普通名詞の神の意)やその複数形であるエロヒムを神の呼称とする「E資料」、ヤハウェを神の名とする「J資料」が想定されている。両者はかなり性質の異なる別系統の神々だったが、唯一神教化する過程で混同され、同一神とみなされるようになった。エロヒムはヤハウェに比べてより古い信仰であり、もともとはセム系の諸民族にみられる多神教における最高神で、抽象的・観念的な天の神であった。イスラエルにおいてはサマリアガリラヤなど北部で信仰された。これに対し、ヤハウェの起源はエロヒムの起源に比べるとやや時代が下り、ヤハウェは、抽象的なエロヒムと異なり、具体的な人格神で、慈愛だけでなく怒りや妬み(ほかの神々に傾倒してゆく民に対しての感情をねたみと表現した)も表す感情豊かな神であり、もともとはヘブロンを中心としたイスラエル南部の信仰で、王国時代にはエロヒムと異なりヤハウェの祭儀は祭司階級であるレビ族に担われた。唯一絶対神の性格を帯びるようになった。ただし、唯一神教化した時代をより古く見積もる説では、出エジプトの頃のヘブライ人は古代エジプトのアテン神を信仰しており、そのためアテン信仰が廃された後に弾圧され、エジプトを脱出したのではないかとする説もある[62]

その他

[編集]

ニュージーランドマオリ語では、固有名詞としてではなく「主」の訳語として“ihowā”(イホワー)が用いられる[注 9]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ a b ヘブライ語は右から左に読む
  2. ^ 原文まま。正しくは歴史的仮名遣で「ヱホバ」。
  3. ^ 「エローヒーム」「エロヒーム」とも読む。
  4. ^ 一時期上帝版聖書が席巻して、神版聖書を駆逐して、その後神という聖句を入れた聖書が出来たので、一文字空いているという状態。
  5. ^ 大文字で始まることに注意。
  6. ^ イスラムの神「アラー」はアラビア語で「ALLH」であり「アルラー」または「アッラー」と表記する(Q'ran)。またエジプト語では太陽神を「Ra」とし「ラー」と呼ぶことに注意したい(エジプト語辞典 泰流社 1994))
  7. ^ 「エホバの証人」の書である、"New World Translation 1984":Mt 1-20で"Jehova's angel"、「新世界訳 1982」マタイ 1-20で「エホバのみ使いが」というように 彼らによれば「新約聖書」中で約30例使用している。ヘブライ語で新たにおこした新約聖書では、同箇所を"יהוה מלאך "(THE NEW COVENANT IN HEBREW 1966)と記述している。英語圏ユダヤ人用新約聖書では、同箇所を"angel of Adonai"(JEWISH NEW TESTAMENT 1989)と記述している。
  8. ^ 以下の論文はGeorge Howard だけでなく、P. E. Kahleの1960年に掲載した論文もあるが、テトラグラマトンに関して述べていることは共通している。また、George Howardだけではなく、P. E. Kahleの論文も学者から批判されている。
  9. ^ 神よニュージーランドを守り給え」のマオリ語版(“Aotearoa”)の始めの方に出て来る

出典

[編集]
  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ヤハウェ」の解説”. 2022年6月5日閲覧。
  2. ^ コトバンク「ヤハウェ」百科事典マイペディア、世界大百科事典 第2版の解説より
  3. ^ 『広辞苑』第6版
  4. ^ 『新共同訳 聖書辞典』第2版、新教出版社、2005年、p.466
  5. ^ 平凡社『世界大百科事典』第2版「ヤハウェ」の解説”. 2022年6月22日閲覧。
  6. ^ 『新共同訳 聖書辞典』キリスト新聞社、1995年、p.555
  7. ^ 加藤隆『旧約聖書の誕生』ちくま学芸文庫、2011年、pp.70-72
  8. ^ a b אדני
  9. ^ אדני(Lord)-Genesis 15:8
  10. ^ אדני(my master)-Genesis 24:35,אדני(my master's)-Genesis 24:36,אדני(is my master)-Genesis 24:65
  11. ^ H113 adon
  12. ^ H113 'adown
  13. ^ H113 'adown
  14. ^ 『新改訳聖書』あとがき。
  15. ^ 日本聖公会祈祷文訂正委員報告』p.52 1893年
  16. ^ 英語圏ユダヤ教徒用英訳
  17. ^ 柳父章『ゴッドと上帝』筑摩書房、1986年、120〜131ページ、ISBN 4480853014
  18. ^ ブリッジマン・カルバートソン訳『舊約全書』江蘇滬邑美華書館[リンク切れ]、1863年
  19. ^ ブリッジマン・カルバートソン訳『新約全書』上海美華書局[リンク切れ]、1863年
  20. ^ 柳父章『ゴッドと上帝』筑摩書房、1986年、160〜162ページ、ISBN 4480853014
  21. ^ 柳父章『ゴッドと上帝』筑摩書房、1986年、122ページ、ISBN 4480853014
  22. ^ 『ヘブライ文字の第一歩』p.2
  23. ^ ハーザー』2011年1月号
  24. ^ Stromata v,6,34; see Karl Wilhelm Dindorf, ed (1869) (ギリシア語). Clementis Alexandrini Opera. III. Oxford: Clarendon Press. p. 27. https://archive.org/details/operacle03clem/page/26/mode/2up. "ἀτὰρ καὶ τὸ τετράγραμμον ὄνομα τὸ μυστικόν, ὃ περιέκειντο οἷς μόνοις τὸ ἄδυτον βάσιμον ἦν· λέγεται δὲ Ἰαοὺ [also ἰαοῦε; ἰὰ οὐὲ]" 
  25. ^ Epiphanius, Panarion, I, iii, 40, in P.G., XLI, col. 685
  26. ^ a b Leech, Kenneth (2002). Experiencing God: Theology as Spirituality. Wipf and Stock Publishers. pp. 59-60. ISBN 978-1-57910-613-3 
  27. ^ 「旧約聖書」誌Supplements to Vetus Testamentum,第10巻,1963年,170-178ページおよび「イスラエル踏査ジャーナル」Israel Exploration Journal,第12巻,1962年,203ページ
  28. ^ 聖書文献ジャーナル誌(第79巻111-118)
  29. ^ The New International Dictionary of New Testament Theology,第2巻512
  30. ^ 『中公バックス 世界の名著 13 聖書』(ISBN 978-4-12-400623-0)
  31. ^ HowToPronounce日本語版「Yahwehの発音の仕方」IPA 表記より
  32. ^ 日本聖書協会文語訳 小型聖書』(この聖書について、「明治初期、J.C.ヘボンを中心とした委員会が翻訳し、広く日本の思想・文学に影響を与えた旧新約聖書です。スマートかつコンパクトに仕上げました」と書いてある)
  33. ^ 宗教年鑑平成24年版』文化庁編 p.123(PDFのページ数ではp.139)
  34. ^ http://textus-receptus.com/wiki/Nuremberg_Polyglot
  35. ^ 正木 弥神のみ名」『新世界訳聖書は改ざん聖書』びぶりや書房(現ビブリア書房)、2007年11月
  36. ^ Joseph A. Fitzmyer (1997/12/1). Essays on the Semitic Background of the New Testament. Eerdmans Pub Co. p. 32. ISBN 978-0802848451 
  37. ^ Journal of Biblical Literature 聖書文献ジャーナル誌英語(第96巻 63-83ページ)
  38. ^ Journal of Biblical Literature 聖書文献ジャーナル誌英語(第79巻111-118ページ)
  39. ^ Journal of Biblical Literature 聖書文献ジャーナル誌英語(第96巻76,77ページ)
  40. ^ Wilkinson, Robert J (4 February 2015). [https://brill.com/view/title/26914 Tetragrammaton: Western Christians and the Hebrew Name of God From the Beginnings to the Seventeenth Century Series: Studies in the History of Christian Traditions, Volume: 179]. Leiden: Brill. p. 94. doi:10.1163/9789004288171. ISBN 978-90-04-28817-1. https://brill.com/view/title/26914 
  41. ^ Wilkinson, Robert J (4 February 2015). Tetragrammaton: Western Christians and the Hebrew Name of God: From the Beginnings to the Seventeenth Century. Studies in the History of Christian Traditions. Vol. 179. Leiden: Brill. pp. 92-93. doi:10.1163/9789004288171. ISBN 978-90-04-28817-1. https://brill.com/view/title/26914 
  42. ^ Larry W. Hurtado. “"Writing & Pronouncing the Divine Name in Second-Temple Jewish Tradition"”. Larry Hurtado's Blog. 2022年6月5日閲覧。
  43. ^ Pietersma, Albert; Cox, Claude E; Wevers, John William (1984). De Septuaginta: Studies in Honour of John William Wevers on His Sixty-Fifth Birthday. Mississauga, Ont., Canada : Benben Publications. p. 90. ISBN 0920808107. OCLC 11446028. http://homes.chass.utoronto.ca/~pietersm/KyriosorTetragram(1984).pdf 
  44. ^ Larry Hurtado (3 July 2013). “"The Divine Name and Greek Translation"”. Larry Hurtado's Blog. 2022年6月5日閲覧。
  45. ^ Rösel, Martin (1 June 2007). “"The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428”. Journal for The Study of The Old Testament: 411. doi:10.1177/0309089207080558. 
  46. ^ Rösel, Martin (1 June 2007). “"The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch" Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428”. Journal for The Study of The Old Testament: 414-419. doi:10.1177/0309089207080558. 
  47. ^ Rösel, Martin (1 June 2007). “"The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428””. Journal for The Study of The Old Testament: 419. doi:10.1177/0309089207080558. 
  48. ^ Rösel, Martin (1 June 2007). “”The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428””. Journal for The Study of The Old Testament: 411. doi:10.1177/0309089207080558. 
  49. ^ Rösel, Martin (1 June 2007). “”The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428””. Journal for The Study of The Old Testament: 420. doi:10.1177/0309089207080558. 
  50. ^ Rösel, Martin (1 June 2007). “”The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428”. Journal for The Study of The Old Testament: 424. doi:10.1177/0309089207080558. 
  51. ^ a b Rösel, Martin (1 June 2007). “”The Reading and Translation of the Divine Name in the Masoretic Tradition and the Greek Pentateuch". Journal for the Study of the Old Testament. 31 (4): 411–428””. Journal for The Study of The Old Testament: 425. doi:10.1177/0309089207080558. 
  52. ^ Vasileiadis, Pavlos D (2017). “"The god Iao and his connection with the Biblical God, with special emphasis on the manuscript 4QpapLXXLevb ("Ο θεός Ιαώ και η σχέση του με τον Βιβλικό Θεό, με ιδιαίτερη εστίαση στο χειρόγραφο 4QpapLXXLevb")". Vetus Testamentum et Hellas. Aristotle University of Thessaloniki, Greece: School of Pastoral and Social Theology. 4: 48–51.”. Aristotle University of Thessaloniki, Greece, School of Pastoral and Social Theology: 29. ISSN 2459-2552. OCLC 1085412017. https://www.academia.edu/30967321. 
  53. ^ 結論として、聖書の教えは、イエスが確かにヤハウェ、私はある、旧約聖書の神であるということです。gotquestions.org/is-Jesus-Yahweh.html 2024年11月6日閲覧。
  54. ^ 司教協議会への手紙――「神の名」について - カトリック中央協議会 フランシス・アリンゼ、アルバート・マルコム・ランジス
  55. ^ ジャン・カルヴァン『信仰の手引き』13頁、新教出版社1956年
  56. ^ ヘンリー・シーセン著『組織神学』203-241頁、聖書図書刊行会1961年
  57. ^ エル・ベルコフ著『改革派神学通論』52-66頁、活水社書店1952年
  58. ^ フロイド・ハミルトン著『キリスト教信仰の基礎』192-194頁、聖書図書刊行会1957年
  59. ^ クルアーン第112章1-4節。“言え、「かれは神、唯一の御方であられる。神(アッラー)は自存され、御産みなさらないし、御生まれになられたのではない、かれに比べ得る何もない。」”(「言え、」という部分は大天使ガブリエルがムハンマドに、「言え、」と命じているのである)。
  60. ^ クルアーン第4章163-164節、クルアーン第46章12節
  61. ^ クルアーン第2章255節
  62. ^ ジークムント・フロイト『モーセと一神教』ISBN 978-4480087935 「唯一神教アマルナ起源説」等という。吉村作治も学説としてではないが、著書の中で類似のアイディアを披露している。

特定の新興宗教

[編集]

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]