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「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」の版間の差分

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* Amateur Transplants、アルバム "Unfit to Practice"
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*[[ジミー・クリフ]]、Humanitarian(album)
*[[ジミー・クリフ]]、Humanitarian(album)
* [[セリア・クルーズ](スペイン語版)、アルバム「ビートルズのトロピカル・トリビュート」)。
* [[セリア・クルーズ]](スペイン語版)、アルバム「ビートルズのトロピカル・トリビュート」)。
* Cincinnati Pops Orchestra、アルバム "Music of the Beatles"で。
* Cincinnati Pops Orchestra、アルバム "Music of the Beatles"で。
* ダニエル・オドネル(Daniel O'Donnell)、アルバム「ジュークボックス・イヤーズ(The Jukebox Years)」、ロックンロール・ショー(Rock N 'Roll Show)
* ダニエル・オドネル(Daniel O'Donnell)、アルバム「ジュークボックス・イヤーズ(The Jukebox Years)」、ロックンロール・ショー(Rock N 'Roll Show)

2018年3月29日 (木) 00:13時点における版

「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」
ザ・ビートルズシングル
初出アルバム『ザ・ビートルズ
B面 ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
ジュリア (US edition)
リリース
規格 vinyl record 7"
録音 アビー・ロード・スタジオ
1968年7月3日
ジャンル レゲエロックステディスカ、ポップ
時間
レーベル キャピトル 4347 (US only)
作詞・作曲 レノン=マッカートニー
プロデュース ジョージ・マーティン
チャート最高順位
ビートルズシングル盤 U.S. 年表
ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ
b/w
ヘルター・スケルター
(1976年)
オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
b/w
ジュリア
(1976年)
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ
b/w
ア・デイ・イン・ザ・ライフ
(1978年)
ビートルズ 日本 年表
ヘイ・ジュード
b/w
レヴォリューション
(1968年)
オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
b/w
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
(1969年)
ゲット・バック
b/w
ドント・レット・ミー・ダウン
(1969年)
ザ・ビートルズ 収録曲
A面
  1. バック・イン・ザ・U.S.S.R.
  2. ディア・プルーデンス
  3. グラス・オニオン
  4. オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
  5. ワイルド・ハニー・パイ
  6. ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル
  7. ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
  8. ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン
B面
  1. マーサ・マイ・ディア
  2. アイム・ソー・タイアード
  3. ブラックバード
  4. ピッギーズ
  5. ロッキー・ラクーン
  6. ドント・パス・ミー・バイ
  7. ホワイ・ドント・ウイ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード
  8. アイ・ウィル
  9. ジュリア
C面
  1. バースデイ
  2. ヤー・ブルース
  3. マザー・ネイチャーズ・サン
  4. エヴリボディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー
  5. セクシー・セディー
  6. ヘルター・スケルター
  7. ロング・ロング・ロング
D面
  1. レヴォリューション1
  2. ハニー・パイ
  3. サヴォイ・トラッフル
  4. クライ・ベイビー・クライ
  5. レヴォリューション9
  6. グッド・ナイト
ザ・ビートルズ1967年〜1970年 収録曲
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
(2)
オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
(3)
ゲット・バック
(4)
リヴァプールより愛を込めて ザ・ビートルズ・ボックス 収録曲
バック・イン・ザ・U.S.S.R.
(5)
オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
(6)
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
(7)
ザ・ビートルズ・アンソロジー3 収録曲
ドント・パス・ミー・バイ
(10)
オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
(11)
グッド・ナイト
(12)
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みんなのうた
オブラディ オブラダ
歌手 フォーリーブス
作詞者 ジョン・レノン/ポール・マッカートニー
黒木宏(訳詞)
作曲者 ジョン・レノン/ポール・マッカートニー
編曲者 玉木宏樹
映像 アニメーション&実写(合成)
映像制作者 田名網敬一
初放送月 1974年8月-9月
再放送月 1975年10月-11月
2013年4月6日5月4日リクエスト
その他 2012年に『発掘SP』で放送。
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オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ(Ob-La-Di, Ob-La-Da)は、1968年に発表されたビートルズのアルバム『ザ・ビートルズ』(通称ホワイト・アルバム)に収録されたレゲエ風のポップな楽曲である。

解説

本作は発表された当初はカリプソ・ソングに曲調が似ていることから「ビートルズ初のカリプソ・ソング」と宣伝されていたが、後にレゲエ・ソングに似ていることから「ビートルズ唯一のレゲエ・ソング」とも言われるようになった。この曲は日本、オーストリア、スイス、オーストラリアなどでも大ヒットした[1]

歌詞は「市場に勤めるデズモンド・ジョーンズと、バンドで歌手をしているモリーが恋をして結婚する物語」を歌ったものである。ただし4番の歌詞は「デズモンドとモリーが逆になり、モリーが子供たちと一緒に市場で働き、デズモンドが化粧をしてバンドで歌う」というものになっている。これは収録の際ポールが間違って逆に歌ってしまい、録り直そうとしたところジョン・レノンが「この方が面白い」と発言してそのままにしたと言われている[2]。デスモンドは、レゲエのデスモンド・デッカーから名前を取っている。

アコースティック・ギターを弾くときに意図的に録音機器の入力限界を超えた音を出し、締まった音を出している。イントロのピアノはジョン・レノンの演奏である。収録の際にポールから度重なる録り直しを要求されて嫌気がさしたジョンがトランス状態でやってきて、力任せに弾きなぐったものである[3]。このような事情からジョンは本作を非常に嫌っている。また、ジョージ・ハリスンも「覚えていることといったら何回もやり直しさせられたことばかり」と発言している。この時期メンバーの仲は非常に悪く、本作のヴォーカル収録に際してポールがプロデューサーのジョージ・マーティンに横柄な態度とったため、エンジニアのジェフ・エメリックが翌日のクライ・ベイビー・クライのレコーディング途中で帰ってしまったというエピソードが残っている。

外部ミュージシャンによるホーンを利用したテイクもあったが、『ザ・ビートルズ』では採用されなかった。そちらのテイクは1996年にリリースされたアルバム『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』において初めて収録されている。

タイトルの意味

ポールが当時よく通っていたクラブThe Bag O'Nailsに出演していたナイジェリア人のコンガ奏者ジミー・スコットはよく"Ob-La-Di, Ob-La-Da"というフレーズを口にしていた。フレーズを聞いたポールが、それをヒントに作ったのが本作である。彼のバンド仲間は「ジミーはあのフレーズを連発していたよ。ナイジェリアのヨルバ人に聞いてみな"Ob-La-Di, Ob-La-Da"は"life goes on"(人生は続く)という意味だって教えてくれるはずだ」と語っている。そのため歌詞は"life goes on"と続けられているが、ヨルバ人の言葉に"Ob-La-Di, Ob-La-Da"というものはなく、スコットの造語である可能性が大きい。

本作が有名になったことからスコットは著作権をもとにポール・マッカートニーに金銭を要求したが、ポールはこれを拒否した。その後、ある事件でスコットが逮捕された際に、ポールが多額の法廷費用を負担するのと引き換えに金銭の要求を取りやめたというエピソードが残っている。

シングル

英国・米国共にシングル化されず日本・ドイツ・フランス・イタリア・オランダ等でシングルとして発売された[1][2]。B面は「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」である。日本では初のアップル・レコードのシングル盤となった。英米では「ヘイ・ジュードレヴォリューション」が初のアップル・レコードからのレコード・リリースであるが、日本ではオデオン・レコードからの移行が完了しておらず初回盤のみオデオンからの発売となっていた。なお、アメリカでは、1976年、「ジュリア」とのカップリングでリリースされたが、ビルボード誌、最高位49位と低調だった。また、キャッシュボックス誌でも、最高位47位だった。

日本のオリコンチャートでは、1969年3月24日付の総合シングルチャートの100位以内に競作曲が4曲ランクインしている。4曲は、20位:ベッドロックス、33位:ビートルズ、59位:トニックス、80位:マーマレードである。

カヴァー

本作は発表当初からさまざまな歌手・グループがカヴァーしている。いち早くリリースされたスコットランドのマーマレードのカヴァー・ヴァージョンは全英最高位第1位を獲得し、ベッドロックスのカヴァー・ヴァージョンは、全英最高位20位を記録している。アメリカでは、アーサー・コンリーによるカヴァー・ヴァージョンが、ビルボード誌で最高位51位を記録した。

  • アーサー・コンリー、1968年、アルバム「More Sweet Soul」でも。
  • レゲエのヘプトーンズがカバー。
  • レゲエのデスモンド・デッカーが「ワイズ・マン」の中でメドレー形式でカバー。
  • ジャム・バンドのフィシュがカバー。
  • アルゼンチン出身のLas Trillizas de Oro、1969年スペイン語版。
  • Amateur Transplants、アルバム "Unfit to Practice"
  • ジミー・クリフ、Humanitarian(album)
  • セリア・クルーズ(スペイン語版)、アルバム「ビートルズのトロピカル・トリビュート」)。
  • Cincinnati Pops Orchestra、アルバム "Music of the Beatles"で。
  • ダニエル・オドネル(Daniel O'Donnell)、アルバム「ジュークボックス・イヤーズ(The Jukebox Years)」、ロックンロール・ショー(Rock N 'Roll Show)

(1983年)

  • 「James Last&Friends」(1998年)by James Last。後者は「ビートルズ・メドレー」の一環である。
  • ビングクロスビー (彼の版はチャート・インせず)
  • マリア・マルダー、アルバム「The Blues White Album」で

日本でのカヴァー

日本ではいくつか日本語詞でのカヴァーが存在する。

ミキシング

モノラル・ミックスではイントロの手拍子がカットされている。

ラジオ、テレビ番組での使用

ラジオ、テレビ番組での使用のみ掲載(CMなどは掲載不可)

関連項目

脚注

  1. ^ http://www.beatlesebooks.com/ob-la-di
  2. ^ ジョニー・ディーン編『ザ・ベスト・オブ・ザ・ビートルズ・ブック 日本語翻訳版』平林祥・新井崇嗣・上西園誠訳、リットーミュージック、2005年、220頁
  3. ^ アンディ・バビアック 『Beatles Gear 日本語翻訳版』 坂本信訳、リットーミュージック、2002年、222頁

外部リンク