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{{Infobox 事件・事故 |
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'''愛知県蟹江町母子3人殺傷事件'''(あいちけんかにえちょう ぼしさんにん さっしょうじけん)とは、[[2009年]]([[平成]]21年)5月1日に[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[蟹江町]]で発生した[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]事件である。2009年12月10日に[[捜査特別報奨金制度]]に指定され<ref>『中日新聞』2009年12月9日朝刊29面「蟹江殺傷に懸賞300万円 警察庁 豊田殺人は1年延長」</ref>、[[被疑者]][[逮捕 (日本法)|逮捕]]直後の[[2012年]](平成24年)[[12月9日]]に指定が取り消された([[愛知県警察]]は延長に向けて[[警察庁]]と協議していたが、「情報提供件数が少ない」ことを理由に容疑者が逮捕された日である12月7日に延長の申請を断念することが報じられていた)<ref>『中日新聞』2012年12月7日朝刊38面「豊田女子高生殺害 報奨金を1年延長 蟹江の強殺は断念」</ref><!--実際は容疑者逮捕直前に中日新聞報道で延長断念が決定しています<ref>{{Cite news|title=懸賞金の指定取り消し=容疑者逮捕で警察庁|newspaper=時事通信|date=2012-12-07|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012120700762}}{{リンク切れ|date=2015年10月}}</ref>-->。被疑者として逮捕・[[起訴]]された[[中国人]]の男は一・二審で[[日本における死刑|死刑]][[判決 (日本法)|判決]]を受け、[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]に[[上告]]中である。 |
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| 名称 = 愛知県蟹江町母子3人殺傷事件 |
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| 場所 = {{JPN}}・[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[蟹江町]]蟹江本町海門([[近鉄名古屋線]][[近鉄蟹江駅]]北側の住宅街)<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-02 夕刊1面">『[[中日新聞]]』2009年5月2日夕刊1面「蟹江の民家 兄弟縛られ次男死亡 強殺で捜査 背中に刺し傷」</ref> |
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| 緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 = |
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| 経度度 = |経度分 = |経度秒 = |
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| 日付 = [[2009年]]([[平成]]21年)[[5月1日]]深夜 - [[5月2日]]昼<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/> |
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| 開始時刻 = 5月1日午後9時30分頃から同日午後10時頃<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/> |
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| 終了時刻 = 5月2日午後0時20分頃<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/> |
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| 時間帯 = [[UTC+9]] |
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| 概要 = [[万引き]]などで[[罰金]]刑を言い渡され、罰金支払いに困窮した中国人留学生が民家に侵入し、家人の女性と同居していた次男の計2人を殺害・女性の三男1人を負傷させた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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| 武器 = 女性A撲殺時の凶器…金属製モンキーレンチ<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>(重量約635g<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>、「[[トップ工業]]」(本社:[[新潟県]][[三条市]])製「ワイドモンキレンチ エコワイド」<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/>。全長31.5cm、自動車整備・水道配管工事用<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/>) |
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次男B刺殺時の凶器…被害者宅の包丁(刃渡り約17.2cm)<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/> |
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三男C襲撃時の凶器…[[大阪市]]の刃物メーカー「[[オルファ]]」製<ref group="新聞" name="読売新聞2009-12-27"/>、全長17.5cm<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/>、片刃のネジ付きスライド式クラフトナイフ(刃渡り約6cm、重量約50g)<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/> |
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| 攻撃側人数 = 1人 |
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| 標的 = |
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| 手段 = 鈍器で殴る・刃物で刺す |
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| 懸賞金 = [[警察庁]]から[[捜査特別報奨金制度]]対象事件に指定されたが、解決後に指定取り消し |
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| 死亡 = 計2人<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/> |
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:家主女性A(事件当時57歳)<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/> |
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:Aの次男B(事件当時26歳)<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/> |
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| 負傷 = 1人 |
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:Aの三男C(事件当時25歳)<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/> |
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| 損害 = 現金約20万円・腕時計1個(時価約1,200円相当)<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/> |
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| 犯人 = [[中華人民共和国]]国籍の男L(犯行当時26歳、[[三重大学]][[留学生]]、逮捕当時29歳) |
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| 動機 = [[強盗]] |
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| 謝罪 = 捜査段階・公判段階にて謝罪の言葉 |
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| 対処 = [[愛知県警察]][[蟹江警察署]]が[[逮捕 (日本法)|逮捕]]<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>・[[名古屋地方検察庁]]が[[起訴]]<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-29"/> |
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| 刑事訴訟 = [[日本における死刑|死刑]]([[上告]]中) |
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| 民事訴訟 = 加害者側に総額約5,600万円の[[損害賠償]]命令<ref group="新聞" name="中日新聞2016-03-25"/>(死亡した被害者2人の[[逸失利益]]約4,550万円+負傷した被害者Cへの慰謝料など約1,050万円)<ref group="新聞" name="読売新聞2016-03-25"/> |
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| 管轄 = [[愛知県警察]][[蟹江警察署]]・[[名古屋地方検察庁]] |
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'''愛知県蟹江町母子3人殺傷事件'''(あいちけんかにえちょう ぼしさんにん さっしょうじけん)とは、[[2009年]]([[平成]]21年)[[5月1日]]深夜、[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[蟹江町]]の民家で発生した[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]事件である<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-02 夕刊1面"/><ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-02 夕刊社会面"/><ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-03"/><ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/><ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)">[[#名古屋地裁判決(2015)|名古屋地裁判決(2015)]]</ref>。 |
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後述するように[[愛知県警察]]の初動捜査の際の不手際などから捜査が難航したため<ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-08 中部朝刊1面"/><ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-08 中部朝刊社会面"/><ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-10"/>、事件から半年以上が経過した2009年12月10日、[[警察庁]]から[[捜査特別報奨金制度]]対象事件に指定された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-12-09"/>。その後、[[被疑者]][[逮捕 (日本法)|逮捕]]直後の[[2012年]](平成24年)[[12月9日]]付で指定が取り消された<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-07 朝刊"/><ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-07 朝刊"/>{{Refnest|group="注釈"|被疑者逮捕当日の2012年12月7日、『[[中日新聞]]』・『[[読売新聞]]』新聞朝刊は、「愛知県警は応募期間延長に向けて[[警察庁]]と協議したが、情報提供件数が少ないことを理由に期間延長の申請を断念した」と報道した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-07 朝刊"/><ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-07 朝刊"/>。しかし同日までに、既に有力な被疑者としてLが浮上しており、同日新聞夕刊で「今日にも強盗殺人容疑で逮捕する」と報道された<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-07 夕刊"/><ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-07 夕刊">『読売新聞』2012年12月7日東京夕刊第一社会面17面「3人殺傷 中国人逮捕へ 関与の疑い 聴取開始 愛知・蟹江」</ref>。}}。 |
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== 概要 == |
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=== 事件概要 === |
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{{出典の明記|date=2015年10月|section=1}} |
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2009年5月2日午後0時20分頃、愛知県蟹江町蟹江本町海門の民家で家主の次男(洋菓子店勤務)が1階和室で倒れて死亡し、会社員の三男が手を縛られて首に怪我を負っているのを、[[日本の警察官|警察官]]が発見。[[愛知県警察]]は強盗殺人事件として[[捜査]]を開始した<ref>『[[中日新聞]]』2009年5月2日夕刊1面「蟹江の民家 兄弟縛られ次男死亡 強殺で捜査 背中に刺し傷」</ref>。現場は、[[近鉄名古屋線]][[近鉄蟹江駅]]から北西に約500mの住宅街<ref>『中日新聞』2009年5月2日夕刊11面「蟹江民家強殺 閑静な住宅街騒然 近隣住民ら『まさか』」</ref>。 |
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[[2018年]](平成30年)現在、[[被疑者]]として逮捕・[[被告人]]として[[起訴]]された[[中国人]]の男は、[[刑事訴訟法|刑事裁判]]の一・二審でそれぞれ[[日本における死刑|死刑]][[判決 (日本法)|判決]]を受け、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に[[上告]]中である。 |
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翌5月3日に次男の遺体が発見された1階和室の押し入れから、所在不明と発表されていた会社員の母親の他殺体が発見され、凶器とみられる[[包丁]]も血を洗い流した状態で家の中で発見された<ref>『中日新聞』2009年5月4日朝刊23面「蟹江殺傷 押し入れに母の遺体 血洗った包丁も発見」</ref>。母親は事件の十数年前に夫を亡くし、女手ひとつで4人の息子や義母の世話をしていた。 |
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== 被告人L == |
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[[司法解剖]]の結果、2人の死亡推定時刻を5月1日午後9~10時頃としている。 |
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本事件の加害者である被告人の男Lは、[[1983年]](昭和58年)7月、[[中華人民共和国]](中国)[[山東省]][[済南市]]の<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-14"/>、地方公務員の父親による中流家庭で<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-19 no.2"/>、一人っ子として生まれた<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-14"/>。 |
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[[2017年]](平成29年)9月22日現在<ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2017 p.205"/>、死刑判決を不服として上告中の被告人Lは[[名古屋拘置所]]に収監されている<!--[[日本における収監中の死刑囚の一覧|死刑囚として収監されている]]--><ref group="書籍" name="年報・死刑廃止2017 p.205">{{Harvtxt|インパクト出版会|2017|p=205}}</ref>。 |
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生存した三男によると同日午前2時ごろに帰宅し、靴を脱いでいる時に背後から強い衝撃を受け、男ともみ合ううちに手を縛られ気を失ったと語っている。三男は自分を襲った人間について「外国人のような[[イントネーション]]の[[日本語]]を話していた」と話しているが、帰宅時酔っていたこと、[[コンタクトレンズ]]が曇ってしまったこともあり、顔については覚えていないと語っている。 |
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=== 生い立ち === |
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また、駆けつけた警察官が玄関にうずくまる黒ずくめの男を目撃したが、[[被害者]]の一人と勘違いし、警察官が応援要請している間に逃走した。 |
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経済的に不自由なく暮らし、読書好きな少年だったLは<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-13"/>、地元では成績優秀で、地元の大学にも合格していたが、父親から「日本で先進技術を学んではどうか」と留学を勧められたことから<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-23"/>、[[2003年]](平成15年)10月、郷里の中国・山東省から留学目的で来日した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。Lは来日後、四年制大学への進学をめざし<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-12"/>、[[京都府]][[京都市]]内の<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>語学学校([[日本語学校]])の1年6カ月コースに入学し<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-12"/>、寮生活を送っていたが、その間の[[2004年]](平成16年)4月・8月には、[[京都府]][[京都市]]内で2度にわたって[[万引き]]をしたとして、[[窃盗罪|窃盗]]容疑で摘発され、起訴猶予処分を受けた<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-12"/>。 |
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語学学校関係者によれば、「授業料の約100万円は滞納せずに納めており、成績は優秀だった。三重大よりもさらに上の大学に届くぐらいの学力だったが、受験で手続き上のミスをしたため、上の大学には進学できなかった」という<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-12"/>。 |
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その後の捜査から、[[犯人]]が[[被害者]]宅に長期間滞在しており家人が用意していた[[食事]]を食べた形跡や血のついた自分の衣類を[[洗濯機]]で洗った形跡があること、飼い猫まで惨殺する手口など不可解な行動が明らかになっている。 |
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Lは日本語語学学校を卒業後、[[2005年]](平成17年)4月には[[奈良県]][[奈良市]]内の<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>、コンピューター[[専門学校]](2年課程)に入学したが<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-14"/>、後述の三重大学合格を受けて中退した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-14">『中日新聞』2012年12月14日朝刊第一社会面39面「中国の両親『なぜ』 蟹江の一家殺傷 『奨学金なく困窮』三重大入学後 以前の担任に手紙」「L容疑者へ仕送り計540万円 公務員家庭無口な一人っ子 母『私の命で償いたい』」</ref>。当時の授業料は年間65万円余りで、延滞せずに納めていたが、クラスの成績上位者が選ばれる私費留学生向けの奨学金は受けられなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-14"/>。コンピューター専門学校では「クラスのまとめ役」と評価されていたが、奨学金を受けられないことに不満を抱いており、担任教師に対して何度も「なぜ奨学金を受けられないんだ」と詰め寄っていた<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。 |
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=== 犯人像 === |
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{{出典の明記|date=2015年10月|section=1}} |
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犯人は |
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* [[モンキーレンチ]](母親と次男を殺害するのに用いた[[凶器]]。国内で約3000本が流通しているが、工場に納入されるもので小売店で扱っていない) |
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* [[ナイフ|クラフトナイフ]](三男を切りつけた凶器) |
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* 血のついた[[パーカー (衣類)|パーカー]](サイズはLLサイズで全国で2003年から2004年にかけて、約450点販売されており、洗濯をせずに長期間着ていた可能性がある) |
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* [[マスク#フェイスマスク|不織布マスク]]([[スーパーマーケット]]、[[ドラッグストア]]などで購入できる大量生産品) |
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* 防寒手袋 |
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を遺留品として残していった。 |
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=== 三重大学入学後 === |
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食事に残っていた[[唾液]]から犯人の[[ABO式血液型|血液型]]はO型であると判明しており(一家にO型の人間はいない)、個人を特定する[[指紋]]も検出された。 |
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Lは[[2006年]](平成18年)4月、[[三重大学]]([[三重県]][[津市]])に[[留学生]]として入学し、それ以降同大学に在学してた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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Lは当時、国の支援を受けない私費留学生として、年間約34万円の授業料を払っており、津市内の大学キャンパス付近の木造平屋アパート(家賃1万数千円)で一人暮らししつつ、地域文化論を学んでいた<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊社会面"/>。三重大入学後、Lはコンピューター専門学校在学当時の担当教師に対し、「なぜ自分は[[奨学金]]を受けられないのか。そのせいで金に困り、[[コンビニエンスストア]]の廃棄弁当を漁って食べるような生活を送っている」という内容の手紙を送っていた<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-14"/>。そのため、母国の両親から仕送りを受けつつ、大学付近の飲食店などでアルバイトをして生活していたが、事件前には体調を崩して働けなくなった<ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-29"/>。 |
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=== 被疑者 === |
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事件発生から3年後の2012年12月7日、本事件とは別の同年10月に発生した[[自動車]][[窃盗罪|窃盗]]事件で[[三重県警察]][[鈴鹿警察署]]に[[逮捕 (日本法)|逮捕]]されていた<ref>『中日新聞』2012年10月20日朝刊三重版22面「自動車盗の疑い」</ref>当時29歳の[[中華人民共和国|中国]][[国籍]]の[[三重県]][[津市]]在住の男(以下、A)の[[DNA]]が本件の遺留品と一致した<ref>『中日新聞』2012年12月7日夕刊1面「蟹江一家殺傷男逮捕へ 現場のDNA型一致 窃盗で逮捕 津の中国人容疑者」</ref>ため、[[蟹江警察署]]はAを[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]および強盗殺人未遂の疑いで逮捕した(Aは事件当時[[三重大学]]の[[留学生]]であり、事件を起こした後の2011年3月に三重大を卒業、三重県内の自動車部品会社に[[就職]]するも2012年6月に[[自己都合退職|退職]]していた)<ref>『中日新聞』2012年12月8日朝刊1面「蟹江一家殺傷 中国人元留学生を逮捕 強殺容疑 当時、三重大に在籍」</ref><ref>『中日新聞』2012年12月8日夕刊11面「蟹江一家殺傷 窃盗事件繰り返す A容疑者『金に困っていた』」</ref>。 |
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しかし三重大の学生時代は、学費滞納を繰り返し、前期・後期ごとに大学側から何度も支払いの督促を受けており<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-13"/>、所属ゼミの教授は「大学の会計担当者から督促依頼が来ており、会計が退学をちらつかせてようやく支払う状態だった」と証言した<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。Lは入学後最初の2年(2006年度・[[2007年]]度)こそ半年ごとに授業料を納付していたが、2008年度から2010年度にかけての3年間は、いずれも期限直前の3月下旬に前期・後期分を一括納付していた上、2008年には三重県の私費留学生奨学金を申請したが、成績不良などを理由に認められなかった<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。 |
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動機については「(事件前から[[万引き]]などの窃盗を繰り返しており、事件前年の2008年には食料品を万引きしたとして窃盗容疑で三重県警[[津警察署]]に摘発され、[[罰金]]刑を受けていたため)罰金を払うために金が必要だった」と供述した。[[ひったくり]]等で金を得るため当時住んでいた三重県から[[名古屋市]]へ向かったが、都会の雑踏で犯行を断念し、[[近鉄名古屋駅]]から乗車した戻りの[[近鉄名古屋線]]の[[急行列車|急行電車]]が最初に停まった[[近鉄蟹江駅]]で降り、[[空き巣]]狙いに切り換えて周辺を物色していたところ、被害者宅に飼い猫が入っていく様子を目撃し、玄関が施錠されていないことに気付いて侵入先に選んだ。凶器の[[レンチ|スパナ]]や小刀は事前に準備していたとみられ、「侵入し、見つかったら殺すつもりだった」と述べているという<ref>『中日新聞』2012年12月9日朝刊39面「蟹江一家殺傷『名古屋の帰り、下車』容疑者 猫見つけ無施錠確認」</ref>。 |
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これに加えて三重大在学中は、アパートの家賃も滞納するなど、生活費に困窮しており、成績も悪く、授業に来ないことも多かった<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-12"/>。結局、事件のあった2009年度は2単位しか取得できなかったが、入学5年目となる2010年度には授業に出席するようになり、2011年3月に卒業した<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。 |
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三男のみ生存させたまま長時間滞在した理由は「命乞いされたため」と話しており、金のありかを尋ねたり血のついた衣服の洗濯など[[証拠]]隠滅を図る間に言葉を交わしたりするうち、殺害をためらうようになったと見られる<ref>{{Cite news|title=愛知一家殺傷:命ごいされ、三男殺害ためらう|newspaper=毎日新聞|date=2012-12-08|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040196000c.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121210210244/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040196000c.html|archivedate=2012年12月10日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。 |
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== 事件の経緯 == |
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[[名古屋地方検察庁]]は12月28日、Aを強盗殺人と強盗殺人未遂、[[住居侵入罪|住居侵入]]の罪で[[名古屋地方裁判所]]に[[起訴]]した(起訴状によればAは2009年5月1日午後10時頃、鍵のかかっていなかった被害者宅に侵入し、金品を物色していたところを被害者らに見つかったため、用意したモンキーレンチで母親を撲殺、次男を現場にあった包丁で刺殺し、三男にも重傷を負わせ[[現金]]20万円と腕時計を奪った。一家3人を殺傷後も翌日正午まで半日以上現場に留まっていたが、名古屋地検幹部は「物色を続けていた」と述べた)<ref>『中日新聞』2012年12月29日朝刊23面「A容疑者を起訴 蟹江一家3人殺傷」</ref>。 |
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=== 事件前の動向 === |
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来日直後から万引きなどの窃盗事件を繰り返していたLは、津市内でも食料品・衣類などの万引きを繰り返した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-12"/>。 |
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事件前年の[[2008年]](平成20年)12月31日、当時大学3年生だったLは、高級食材を万引きする窃盗事件を起こし<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>、[[三重県警察]][[津警察署]]に摘発され<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-09"/>、その後20万円の[[罰金|罰金刑]]を受けた<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-10"/><ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-12"/>。これに加え、翌2009年2月8日、セーラー服のコスチュームを万引きしようとした窃盗未遂事件を起こし、検挙された<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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== 裁判 == |
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=== 刑事裁判 === |
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;第一審(名古屋地裁) |
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:2015年1月19日から[[名古屋地方裁判所]]で[[裁判員制度|裁判員裁判]]が開かれた<ref>『中日新聞』2015年1月20日朝刊28面「蟹江殺傷『強盗』を否定 初公判で弁護側 被告 涙流す場面も 『母が一家の支え』遺族調書」</ref>。[[検察官|検察]]側が2月6日の[[論告]][[求刑]]公判で[[東海3県]]の[[裁判員制度|裁判員裁判]]では初となる[[日本における死刑|死刑]]を[[求刑]]した<ref>『中日新聞』2015年2月6日夕刊1面「蟹江殺傷 死刑を求刑 検察側 東海の裁判員裁判で初」</ref><ref name="chunichi20150221">『中日新聞』2015年2月21日朝刊1面「蟹江一家殺傷死刑判決 名地裁 裁判員裁判で東海初」「悪質性 重くみた判断」</ref>一方で、Aの[[弁護人]]は公判で、殺傷に及んだ理由を「被害者に見つかってパニックになったためで、強盗の目的はなかった」と述べ、[[殺人罪 (日本)|殺人]]と[[窃盗罪]]が適用されるべきだと主張。さらに「[[前科]]も万引きだけで、犯行時は25歳と若かった」などとして、死刑回避を求めていた<ref name="chunichi20150221"/><ref name="asahi20150220">{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20151117041914/http://www.asahi.com/articles/ASH2M5F8ZH2MOIPE019.html |date=2015年11月17日 }} - [http://www.asahi.com/articles/ASH2M5F8ZH2MOIPE019.html オリジナル]からのアーカイブ</ref>。 |
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:2月20日に判決公判が開かれ、名古屋地裁の[[松田俊哉]][[裁判長]]は「[[被害者]]に見つかった際に強盗を決意した。冷静さを失っていたとしても確定的な殺意があった」と指摘し、強盗殺人罪の成立を認めた上で「強盗や殺人に及ぶことを事前に計画していたわけではないが、路上強盗のための武器を持ち、家に誰かがいるとわかっていながら侵入した。予期せず家人が在宅した強盗殺人事件とは異なる」<ref name="chunichi20150221"/>「包丁が折れ曲がるほど強い力で刺すなど執拗で冷酷な犯行。動機は自己中心的で身勝手だ」として、検察側の求刑通りAに対して死刑判決を言い渡した<ref name="chunichi20150221"/><ref name="asahi20150220"/>。東海3県で行われた裁判員裁判で死刑判決が下るのは初めて<ref name="asahi20150220"/>(後に[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]]でも[[正犯|主犯]]の[[被告人]]に対して死刑判決が下っている<ref>なお、この被告人は[[闇サイト殺人事件]]で[[無期懲役]]が確定した後に碧南事件で逮捕されている。</ref>)。 |
|||
これに加えてLは、出席日数不足・成績不振などの理由から<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊社会面"/>、事件発生年の2009年4月には留年し、4年生に進級できなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 夕刊"/>。 |
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;控訴審(名古屋高裁) |
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:Aは「死刑ありきとも受け取れる判決は容認できない」として[[名古屋高等裁判所]]に[[控訴]]<ref>『中日新聞』2015年2月25日夕刊13面「A被告が控訴 蟹江一家殺傷」</ref>。7月27日の控訴審(即日結審)では一審に続き、Aの犯行が強盗殺人罪に当たるかが争点だった(弁護側は強盗の犯意を否定するための[[証拠]]や被告人質問を要求したが、名古屋高裁はいずれも退け<ref>『中日新聞』2015年7月28日朝刊27面「計画性否定、死刑回避訴え 蟹江殺傷控訴審 10月14日に判決 散髪し自力出廷 A被告」</ref>)。弁護側はAが母親に見つかってすぐに逃げようとしたことなどから、強盗殺人罪の成立を否定し、「窃盗目的だったが気付かれ半ばパニックになって殺害した」とし<ref name="sankei2015101401">{{Cite news|title=愛知親子3人殺傷、二審も死刑 中国人男の控訴棄却|newspaper=[[産経新聞]]|date=2015-10-14|url=https://archive.is/FrHrR|archivedate=2016-07-01|archiveurl=http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140044-n1.html}}</ref>、計画性や強い殺意はなかったなどと無期懲役が妥当と主張した。これに対し、検察側は控訴棄却を求めていた<ref name="nikkei20151014">{{Cite news|title=愛知一家3人殺傷、二審も死刑 中国籍の男に判決|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2015-10-14|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14H3H_U5A011C1CC0000/|archivedate=2016年7月1日|archiveurl=https://archive.is/20160701074511/http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14H3H_U5A011C1CC0000/}}</ref>。 |
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:同年10月14日に名古屋高裁の[[石山容示]]裁判長は「犯行の態様は執拗で残酷。被告の生命軽視の度合いは著しく、死刑の選択は避けられないという判断は合理的だ」として一審死刑判決を支持し、Aの控訴を[[棄却]]した<ref name="chunichi20151014">『中日新聞』2015年10月14日夕刊11面「蟹江殺傷二審も死刑 控訴棄却 裁判員裁判判断を支持」2015年10月15日朝刊35面「蟹江3人殺傷二審も死刑 厳罰化傾向にはくぎ」</ref><ref name="sankei2015101401"/><ref name="nikkei20151014"/><ref>{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20151119074841/http://www.asahi.com/articles/ASHBF6GZ7HBFOIPE026.html |date=2015年11月19日 }} - [http://www.asahi.com/articles/ASHBF6GZ7HBFOIPE026.html オリジナル]からのアーカイブ</ref>。ただし、判決では「殺害の被害者が二人なら原則、死刑を選択すべきとは言えない」と指摘(背景には、最高裁判所の司法研修所がAの逮捕された2012年に公表した報告書がある。ここでは死刑判断について、プロの裁判官が積み上げてきた判決傾向を分析し、公平性などの判断から「先例を尊重すべきだ」と、裁判員裁判の厳罰化傾向に懸念を示している)、極刑選択の際は「合理的な根拠は何か、可能な限り慎重に検討すべきだ」とした上で、一審判決について「具体的な根拠で導き出された合理的な判断で、是認できる」と結論づけた<ref name="chunichi20151014"/>。 |
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:Aの弁護人は判決を不服として[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に即日[[上告]]した<ref name="chunichi20151014"/><ref name="sankei2015101402">{{Cite news|title=A被告の弁護人が上告 3人殺傷、2審も死刑で|newspaper=[[産経新聞]]|date=2015-10-14|url=http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140085-n1.html|archivedate=2016年7月1日|archiveurl=https://archive.is/20160701075309/http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140085-n1.html}}</ref>。 |
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2009年4月27日、各事件について検察庁で取調べを受けたLは、検察官から「罰金刑を科される見込みである」、「罰金を納めない場合には労役場に留置される可能性がある」と説明を受けた上で、略式手続による処分を受けることに同意した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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<!--;上告審(最高裁) |
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:--> |
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Lは、「罰金を支払えず、労役場に留置されると、大学を退学処分になり自分の人生が終わってしまう。そうなれば日本への留学のために経済的負担を掛けた両親の期待を裏切ってしまう」などと考えた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。当時、Lの銀行口座の貯金残高は1000円未満だった<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>。 |
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=== 民事裁判 === |
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2015年6月4日には生存した三男を含めた遺族3人がAに対し[[損害賠償命令制度]]<ref>犯罪被害者支援のため、重大事件の刑事裁判の有罪判決後、同じ裁判官が公判記録を使って賠償額などを審理する制度。</ref>に基づいて、死亡した2人の逸失利益や慰謝料など約1億7800万円の支払いを求めていることがわかった |
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<ref>『中日新聞』2015年6月4日朝刊31面「蟹江殺傷被告に賠償請求 1億7900万円 遺族、命令制度を利用」</ref><ref>{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150607033511/http://www.sankei.com/west/news/150604/wst1506040043-n1.html |date=2015年6月7日 }} - [http://www.sankei.com/west/news/150604/wst1506040043-n1.html オリジナル]からのアーカイブ</ref>。その後[[民事裁判]]に移行し、三男以外の2人は訴訟を取り下げて請求額は5600万円となった。2016年3月24日、名古屋地裁は三男の請求を全額認め、Aに慰謝料など約5600万円の支払いを命じた。判決理由で[[村野裕二]]裁判長は「極めて悪質、重大な事件で、動機も身勝手で同情の余地はない」「家族を奪われた原告の悲しみや心痛は余りあるものだ。被告は真摯な反省をしているとは認め難い」と指摘した。三男の代理人[[弁護士]]は「請求を認容する判決をいただいたが、実際にAから履行される可能性がないに等しいことを考えると、誠に遺憾でならない」とのコメントを出した<ref>『中日新聞』2016年3月25日朝刊37面「蟹江の3人殺傷被告に5600万円賠償命令 名古屋地裁」</ref><ref>『[[産経新聞]]』2016.3.24 15:43「[https://archive.is/20160324083702/http://www.sankei.com/west/news/160324/wst1603240051-n1.html 3人殺傷で32歳の中国人被告に賠償支払い命令、5600万円]」</ref>。 |
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=== 2009年4月から2009年5月1日、犯行準備 === |
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== 出典 == |
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そこでLは当初、罰金を支払う資金を得るため、[[愛知県]][[名古屋市]]内で通行人から金品を奪う路上強盗を思い付いた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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{{Reflist}} |
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その際、相手から追跡された場合に捕まらず逃げ切るために、「武器を使って相手を脅したり、殴ったりしよう」と考えた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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そのため、事件当日の2009年5月1日、自宅からモンキーレンチ(金属製・重量約635g)・片刃のネジ付きスライド式クラフトナイフ(刃渡り約6cm、重量約50g)を、それぞれをかばんに入れて携帯した上で、パーカー・マスクを着用して名古屋市内に出掛けた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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Lは同日、[[名古屋駅]]周辺で路上強盗をする相手を探したものの、犯行のターゲットを見つけることができなかったために犯行を断念し、[[近鉄名古屋駅]]([[近鉄名古屋線]])から帰りの電車に乗った<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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乗車中、電車内で乗客女性に目を付けたLは、この女性を狙ってひったくりをしようと考え、女性が降りた[[近鉄蟹江駅]]で後を追って降車したが<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>、女性が乗用車で立ち去ったため<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-19 no.2"/>、犯行は結局失敗した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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Lはその後も、ひったくりをする相手を見付けられなかったため、犯行を断念し、近鉄蟹江駅へ向かい、被害者A方付近を歩いていた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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=== 2009年5月1日夜、被害者宅侵入 === |
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2009年5月1日午後9時30分頃から同日午後10時頃までの間に、被害者A宅付近を通りかかったLは、A一家の飼い猫が、施錠されていなかった玄関からA方に入るのを見た<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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家の玄関ドアが少し開いていることに気付いたLは、A宅に近付くと、リビングには照明が点灯しており、テレビも点いていた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。しかし、玄関ドアの隙間から屋内の様子を伺ったところ、玄関の照明は消えており、中に誰もいなかった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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そこで、A宅で金品を窃取しようと考えたLは、土足で玄関ドアからA宅に侵入した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。そして、照明が点灯していたリビング・廊下を挟んで反対側の、照明が点灯していなかった和室に入った<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。Aは、三男Cが5月1日午後8時頃に外出した際には自宅にいた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>。 |
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和室内に侵入したLは、室内を観察し、室内にあったコートなどのポケットを調べるなどして、金品を物色した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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=== 被害者女性Aを殺害(強盗殺人罪) === |
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するとLの背後から、家主の女性A(事件当時57歳、死亡)が、Lを問い質すような声を掛けた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。これに驚いたLは、玄関から逃走しようとしたが、Aに服を掴まれた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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この時Lは、全力でAから逃げようとすれば逃げることはできたが、「(金を手に入れる)最後のチャンス」と、大金を手に入れることを諦めきれなかったため、Aから逃げなかった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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そして、金品を強取することを決意した上で、殺意を持ち、Aの頭部を多数回、持っていたモンキーレンチで殴るなどして、頭蓋骨骨折・脳挫傷などによる外傷性脳障害により、Aを死亡させて殺害した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。モンキーレンチで襲われた後も、Aはしばらく息があり「誰か」と声を上げたが、Lによって首に紐を巻き付けられ、とどめを刺された<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-29"/>。 |
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==== Aの遺体所見 ==== |
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Aの遺体の顔面には、上顎骨の粉砕骨折を伴う挫創1か所と、5か所の刺切創があった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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これに加えて遺体の頭部には、頭蓋骨の欠損・陥没骨折・切痕を形成するものや、頭蓋骨を貫通して脳に達したものを含め、19か所の挫創があった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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そして、遺体の頸部には索条痕が認められた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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=== 被害者次男Bを殺害(強盗殺人罪) === |
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LがAに対し、暴行を加えていた最中、Aの次男B(事件当時26歳、死亡)が、母親Aを助けようとLに飛び掛かった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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Lはそのまま、リビング・和室などで<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>、Bと約1時間にわたって揉み合いになった<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-29"/>。この時、着けていたマスクが外れたが、自己の後頭部を勢いよく、Bの頭部にぶつけたことで優勢となった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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Lはその後、Bの服をまくり上げ、近くにあった電気コードでBの両手を縛り上げた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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マスクが取れてしまい、Bに顔を見られたと思ったLは、「Bを殺すしかない」と考え、A宅の台所にあった包丁(刃渡り約17.2cm)を持ち出した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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そして殺意を持って、包丁でBの左背部を数回突き刺すなどして、被害者Bを左肺動脈切断による出血性ショックにより、死亡させて殺害した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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この時、Bの殺害に使用された包丁は、刃全体が反り曲がっていた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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==== Bの遺体所見 ==== |
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Bの遺体左背部には、4か所の刺創・刺切創が、合計4か所確認された<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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そのうち最も重篤な傷は、深さ約11.5cm、長さ約4.9cmで、左肺・左主気管支後面・左主肺動脈を損傷していた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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=== 被害者三男Cを襲撃(強盗殺人未遂罪) === |
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A・B両被害者を殺害したLは、A宅の床の血痕・足跡を拭き取ったり、血液の付着した衣服を洗濯したりして、証拠隠滅を図っていた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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日付が変わった2009年5月2日午前2時25分頃、Aの三男C(事件当時25歳、負傷)が帰宅した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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Cは、事件発生数時間前にいったん帰宅したものの、同僚との飲み会に参加するために外出し、2日午前2時半頃に帰宅した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-22"/>。 |
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Cの帰宅に驚いたLは、玄関に座ってブーツを脱いでいたCを背後から、殺意を持った上で、首やその周辺などを、立て続けにクラフトナイフで数回突き刺した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。Cはこの状況を公判で、「玄関でブーツを脱いでいたら、背後の廊下を勢いよく走る足音が聞こえた直後、後頭部に強い衝撃が2,3回走り、振り返ると暗がりに人影があった」と証言した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-22"/>。 |
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刺されたCは背後を振り返り、廊下に立っていたLを取り押さえようとして揉み合いになった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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2人が和室へ雪崩込んだところ、Cがうつぶせの状態になり、その上にLが覆いかぶさる形となった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。両者はクラフトナイフを奪い合い、一時は反撃したCが、Lの足を刺した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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その後Lは、Cと話し合った結果、クラフトナイフを離れた場所に投げ捨てた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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帰宅から約30分後、Cは負傷しつつも、Lに「出て行け」と迫ったが、Lは「まだやることがある。血を拭いたり、指紋を消したりする」と拒否し<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-22"/>、Cの手首を電気コードで縛り、Cの着ていたパーカーをまくり上げると、ガムテープを使い、Cの頭を覆うようにして目隠しをし<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>、抵抗不能な状態に陥ったCを床に寝転がした<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-22"/>。 |
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Cを縛りつけたLは<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>、Cに「殺さないでくれ」と命乞いをされたことや、顔を見られていなかったことから殺害を思い留まり<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-29"/>、Cにそれ以上の暴行を加えることはなかったが、A宅を離れるまで、Cを解放するなど、救助するような行動は一切取らなかった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。Lはその間、いったんCのそばを離れて現場の物色・証拠隠滅をした後、約1時間後になってCに「金はあるか」と尋ねた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-22"/>。これに対し、Cが「うちには金はない」と答えると、Lは「家に入って女性(A)に見つかった。揉み合っているとき、男性(B)が入ってきて…ごめん」と告げた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-22"/>。Lのこの言葉からCは、母親A・兄Bが死亡したことを悟った<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-22"/>。 |
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その後Cは何度も意識が途切れ、洗濯機が動く音など以外については「特によく覚えていない」と証言した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-22"/>。その間もCは、Lに対し「早く出て行け」と迫ったが、Lは「俺もそうしたいが今は無理だ。(自分も)怪我をしていたから、(傷口からの出血が止まるまでに)時間がかかる」、「逃げてもすぐに見つかる。服も着替えないといけない」という趣旨の発言をして拒否し、その後、「手足の血が止まった」という趣旨の発言をした<ref group="新聞" name="中日新聞2010-04-29"/>。 |
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この他、LはCに対し「2、3日寝ていない」<ref group="新聞" name="中日新聞2010-04-17"/>、「金がない」「金はどこだ」などのように金銭のありかを尋ねる発言、「あと誰がいる?」という家族構成を尋ねる発言をしていたほか、「無理」などの[[若者言葉]]を多用し、「は」「を」などの[[助詞]]を抜いた言葉遣いをしていたという<ref group="新聞" name="日本経済新聞2010-04-29"/>。 |
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そして逃走するまでの間にLは、床に付着した血痕・足跡を拭き取ったり、血液の付着した衣服を洗濯したりするなどして、証拠隠滅工作を行った<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。その上で、縛られたCに「金があるのか」と尋ねた上で、財布を発見し、入っていた現金を奪い取るなどした<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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後述のように警察が駆け付ける前である2009年5月2日早朝、母親Aの知人が現場宅を訪れ、家の玄関のインターホンを押した<ref group="新聞" name="中日新聞2010-04-17"/>。この際、Cが「出てもいいか」とLに尋ねると、Lは「まだやること(現場の血痕を拭き取るなどの証拠隠滅・現場偽装)が残っている」、「掃除している」などと述べ、Cが玄関に出るのを制止した<ref group="新聞" name="中日新聞2010-04-17"/>。その上でLはCに布団をかぶせ、声を出せない状態にした<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-08"/>。 |
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その結果Lは、A・B・C所有の現金約20万円・腕時計1個(時価約1,200円相当)を強取し、現場から逃走した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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==== Cの診断結果 ==== |
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Lにナイフで刺されるなどした結果、Cは一命こそ取り留めたものの、全治約2週間の怪我を負った<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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Cの後頸部・背部には、それぞれ3か所ずつ刺創があった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。警察官により保護された2009年5月2日午後0時55分頃の時点でも、これらの傷口は開いたままで、わずかに出血が続いていた<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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その中でも、最も重篤な後頸部の刺創は、正中線のほぼ真上に位置しており、傷口の長さ約2.7cm、深さ約6cmと、かなり深いものだった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。この傷口は頸椎にまで達しており、少し受傷部がずれていれば、頸動脈などの重要器官を損傷し、致命傷となっていた可能性が高かった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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また、その他の刺創も頸椎に達しているものがあるなど、いずれも一歩間違えば、これまた致命傷となりかねないものであった<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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== 初動捜査 == |
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=== 2009年5月2日、事件発覚、殺人容疑で捜査開始 === |
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2009年5月2日朝、次男Bの勤め先の洋菓子店上司が、Bが出勤しないことを不審に思ったため、[[愛知県警察]][[蟹江警察署]]員と同伴し、同日午後0時20分頃にA宅を訪ねた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-03">『中日新聞』2009年5月3日朝刊第一社会面31面「蟹江の死傷 『玄関で襲われた』軽傷の弟 母親は所在不明」</ref>。 |
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自宅に様子を見に行ったBの婚約者女性(同僚)は、カーテンに血液が付着していることに気付いた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-24"/>。 |
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駆けつけた警察官が家の中に声を掛けていたところ<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-24"/>、首の後ろ・背中を刺されて負傷した三男Cが<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-03"/>、Lの気配がないことに気付いたため<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-22"/>、両手首を縛られた状態で、施錠されていた玄関の鍵を開け、玄関から飛び出してきた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-03"/>。 |
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A宅の玄関付近に来ていた署員は間もなく、Cを保護した上で<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>、「休んでいてください」と付近に待機させた<ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-08 朝刊"/>。この時Cは、蟹江署員に対し、「強盗に入られた、助けてください。家の中で2人死んでいます。犯人は逃げました」と伝えた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-08"/>。 |
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その一方でLは、1階南側の玄関ドア隙間から上がり框でうずくまっていたのが、蟹江署員により確認された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-08"/>。しかしこの時、蟹江署員はLを被害者だと思い込み、玄関先から「出てきてください」と声を掛けた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-08"/>。その後、署員が2分間ほど無線で連絡を取っていた間に<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-08"/>、Lは隙を見てA宅から逃走した([[#初動捜査における数々の不手際]])<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。署員は訪問時、1回北東側の勝手口が施錠されているのを確認したが、Lが逃走した後の現場検証では解除されていたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-08"/>。 |
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警察官らが屋内に入ったところ、1階の和室で、上半身裸の次男Bが、うつぶせで倒れているのが発見された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-03"/>。この時点で既に意識不明状態だったBは、刃物で背中を少なくとも2か所刺されており、病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-02 夕刊1面"/>。 |
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愛知県警は当初、殺人事件と断定し、捜査本部を設置した上で捜査を開始した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-03"/>。 |
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捜査本部が被害者Cを事情聴取したところ、Cは「帰宅直後、靴を脱いだところを突然背後から1人の男に襲われた。抵抗していたが、飲酒していたために酔いが回って意識を失い、警察官が来たことで目を覚ました」と証言した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-03"/>。 |
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その上で男の特徴について、Cは「片言の日本語だった」と話した上で、「男と揉み合いになった際、和室で兄Bとみられる男性が倒れていた」と証言した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-03"/>。 |
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現場は、[[近鉄名古屋線]][[近鉄蟹江駅]]から北西約500mの閑静な住宅街で、地元住民からは「まさかここで殺人事件が起きるなんて」と、驚きの声が上がった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-02 夕刊社会面">『中日新聞』2009年5月2日夕刊第一社会面11面「蟹江民家強殺 閑静な住宅街騒然 近隣住民ら『まさか』」</ref>。 |
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=== 2009年5月3日、被害者Aの遺体発見、強盗殺人容疑に切り替え === |
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2009年5月3日朝から、愛知県警蟹江署に設置された特別捜査本部が、改めて現場検証を行った<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04">『中日新聞』2009年5月4日朝刊第一社会面23面「蟹江殺傷 押し入れに母の遺体 血洗った包丁も発見」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-04">『[[東京新聞]]』2009年5月4日朝刊第一社会面23面「愛知・兄弟殺傷 自宅押し入れに母遺体 背中に刺し傷、強殺か」</ref>。その結果、Bが倒れていた1階和室の押し入れ下段から、行方不明となっていた母親Aの遺体が、毛布がかぶせられた状態で押し込められているのが発見された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>。 |
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特捜本部は当初、Bが遺体で発見された和室の物的証拠・微物の収集を優先しており、押し入れの中は目視での確認にとどめていたため、Aの遺体発見に時間がかかった([[#初動捜査における数々の不手際]])<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>。 |
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遺体の状況から、AはBとほぼ同時刻に、後頭部を激しく殴られたり、背中を刃物で刺されるなどして殺害されたと推測された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>。これに加え、凶器とみられる包丁が血を洗い流した状態で、家の中から見つかった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>。発見された包丁は、犯人が激しく刺したためか、刃が柄から外れていた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。 |
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また、負傷した三男Cが、「襲ってきた男が、自分に対し『金はないか』と聞いてきたので、『うちには金はない』と答えた」と証言した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>。そのため愛知県警は、容疑を強盗殺人に切り替えた上で、特別捜査本部を設置し、捜査を開始した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>。 |
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現場検証の結果、侵入が可能なのは、1階玄関・勝手口と推測されたが、事件当時の施錠状況は不明だった上、和室・1階廊下以外には目立った血痕は確認されなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>。 |
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この他玄関内には、Cのものとみられる現金入りの財布・紙幣数枚が落ちていた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>。特捜本部は、室内から奪われたものがないか確認を進めるとともに、一家に何らかのトラブルがなかったかを調べた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>。 |
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同日、最初に遺体で発見された被害者Bの遺体を司法解剖した結果、死因は出血性ショックと断定された上、背中の傷の一部が肺にまで到達していたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>。 |
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=== 2009年5月4日、死亡者2人の死因特定 === |
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2009年5月4日、蟹江署特捜本部が女性Aの遺体を司法解剖した結果、死因は頭を鈍器で殴られた外傷性脳障害であることが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-05">『中日新聞』2009年5月5日朝刊第一社会面23面「死亡2人 顔に殴打痕 蟹江殺傷 女性は鈍器で殺害 強い恨み?飼い猫も殺す」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-05">『東京新聞』2009年5月5日朝刊第一社会面23面「愛知・母子殺傷 顔に激しい殴打のあと 凶器?室内から鉄製工具」</ref>。 |
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A・B両名の遺体は、ともに顔が腫れ、皮下出血が確認された上、何度も殴られるなど、執拗に暴行を加えられたような痕跡があった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-05"/>。 |
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特にAの後頭部は著しく骨折していたほか、紐状のもので首を絞められた痕(索状痕)が確認された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-05"/>。その一方、Aの背中の傷は当初、刃物で切り付けられたものと見られていたが、鈍器で殴られた際にできたものだと判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-05"/>。 |
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一方でBの背中の複数の刺し傷は、A宅の洗面所で見つかった、A宅で使われていたとみられる血を洗い流された包丁と刃型が一致した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-05"/>。また、玄関近くの廊下から、Aを殺害したと凶器とみられるモンキーレンチが発見された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。 |
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これに加えて室内から、Aが飼っていたペットの猫も殺されているのが見つかった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-05"/>。 |
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現場検証では、室内から一家3人それぞれの預金通帳・財布が発見された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-05"/>。また、署員が駆け付けた当時は玄関が施錠されていたが、Cが所有していた玄関ドアの鍵が、屋外敷地内で発見された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-05"/>。 |
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また、三男Cは特捜本部の事情聴取に対し、「見覚えのない男1人に背後から刃物で襲われ、電気コードで両手を縛られた際、違うイントネーションの日本語で現金を要求された。その後、粘着テープで口をふさがれた」と証言した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-05"/>。 |
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=== 2009年5月7日、洗濯機から血液が付着した衣服発見 === |
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2009年5月7日、特捜本部が現場検証を行った結果、A宅の洗濯機に血液が付着した衣服が入れられていたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07">『中日新聞』2009年5月7日夕刊第一社会面13面「蟹江強殺 洗濯機に血ついた衣服 浴槽にも毛布など 証拠隠滅図る?」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-07">『東京新聞』2009年5月7日夕刊第一社会面11面「愛知3人殺傷 洗濯機に血付着の衣服 風呂場にも 証拠隠滅図る?」</ref>。 |
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血液の付着した衣服は、既に水洗いされた衣服の上に投げ入れられていたことから、一家の誰かが洗濯機を使った後、犯人が投入したと推測された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。 |
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また、洗面所にも血液が付着した複数の男女の衣服があったが、いずれも誰が着ていたものかまでは判明しなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。そのため特捜本部は、後述のように犯人も負傷した可能性が高いとして、採取した血痕の鑑定を進め、犯人の衣服が残っていないかどうかを調べた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。 |
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これに加え、浴槽の毛布などには、血液を洗い流した形跡があったほか、浴槽に残っていた水がピンク色に染まっていた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。また、2人の遺体が発見された和室・廊下を挟んで向かい合う位置にある居間には、血痕を拭った跡が確認された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。 |
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特捜本部の捜査や、三男Cの証言から、以下の事実も判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。 |
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* Bを殺害したとみられる包丁は、刃が柄から外れていたことから、犯人が激しく差しているうちに、自らも手を負傷した可能性が高い<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。 |
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* 事情聴取に対しCは、「犯人に襲われた際、もみ合ううちに包丁を奪って振り回したが、その際に犯人に当たったかもしれない」と証言した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。 |
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* 5月1日午後9時頃、Aが自宅の電話を使用し、友人と会話していた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。 |
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同日午後、死亡したA・B両名の葬儀が、蟹江町内の斎場にて密葬で営まれた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。葬儀には、負傷して入院中だったCをはじめ、A一家と別居中の長男・親族など、ごく親しい知人が参列した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-07"/>。 |
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=== 2009年5月8日、犯人が現場から逃走したことが判明 === |
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2009年5月8日までの捜査の結果、事件発覚時にA宅にいた若い男が、蟹江署員が目を離していた隙に勝手口から逃走していたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-08">『中日新聞』2009年5月8日夕刊第一社会面13面「若い男 勝手口から逃走 蟹江強殺 財布の紙幣奪う? 『初動ミスない』 愛知県警」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-08 朝刊">『東京新聞』2009年5月8日朝刊第一社会面27面「発覚時、室内に若い男 愛知殺傷 署員が目撃、姿消す」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-08 夕刊">『東京新聞』2009年5月8日夕刊第一社会面9面「男は勝手口から逃走 愛知強殺 財布の紙幣消える」</ref>。 |
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{{See also|#初動捜査における数々の不手際}} |
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また、室内から見つかった財布3つは、すべて紙幣が入っていなかったことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-08"/><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-08 夕刊"/>。 |
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=== 2009年5月9日、夕食を犯人が食べた痕跡確認 === |
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2009年5月9日までの捜査の結果、殺害されたAが作り置きしていた夕食を犯人が食べていた可能性があることが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-10">『中日新聞』2009年5月10日朝刊第一社会面29面「蟹江強殺 被害者宅の夕食食べる? 犯人、廊下など土足痕も」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-10">『東京新聞』2009年5月10日朝刊第一社会面25面「愛知3人殺傷 家族の夕食食べる? 食卓に形跡 血付着小刀も発見」</ref>。 |
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Aの胃の内容物は、1回の食卓に残されていた夕食と一致するものがあったことから、Aは夕食後に殺害したことが推測されていたが、食卓には、A・B・C以外の第三者が食事をしたとみられる形跡が確認された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-10"/>。 |
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これまでの捜査の結果、犯人は室内に10時間以上とどまっていたとみられたため、特捜本部は食卓の食器に付着した[[指紋]]・唾液など、犯人への手掛かりとなる物的証拠の鑑定を進めた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-10"/>。 |
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これに加え、現場1階の和室で発見された、Cを襲撃した際の凶器とみられる血液の付着した小刀は、犯人が持ち込んだ可能性が高いことも判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-10"/>。また、5月3日の現場検証では「現場に土足痕は確認されなかった」と発表されていたが<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-04"/>、その後の現場検証で、1階廊下など室内複数個所から、犯人のものと思われる土足痕が見つかったことも判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-10"/>。 |
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=== 初動捜査における数々の不手際 === |
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Lの逃走について愛知県警は、「住民は殺人事件として警戒しており、二次被害発生の心配はない。『黒っぽい服装の男』というだけで、どれだけ情報が集まるかも不明だ」として、「捜査上の秘密」と判断し、後に『[[中日新聞]]』・『[[東京新聞]]』(いずれも[[中日新聞社]])が事件6日後の2009年5月8日付紙面で報道するまで、1週間近くもこの事実を公表しなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。県警がひた隠しにしていたこの事実が知れ渡ったのは、捜査の進め方に不信感を抱いていた捜査関係者に、『中日新聞』社会部記者・平田浩二が接触し、取材内容を同紙が「特ダネ」として報道したことがきっかけだった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-21">『中日新聞』2009年6月21日朝刊朝文面左9面「ニュースを問う 平田浩二(社会部) 裁判員制度の中での事件報道 真実へ謙虚な気持ちで 情報の出所を明示 『中立』意識し取材」(社会部記者:平田浩二)</ref>。 |
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一連の対応について、特捜本部長・立岩智博(愛知県警捜査一課長)は、「結果的に犯人かもしれない不審者に逃走されたが、当初は被害者Cの治療・現場保存などを行う必要があり、初動捜査にミスはなかった。男の情報は事件の重要な目撃情報であるため公表しなかった」とコメントしたが<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-08"/>、結果的にこのような不手際の数々が、事件解決を遅らせる原因となった<ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-08 中部朝刊社会面"/>。 |
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特捜本部は当初、顔見知りの犯行とみて初動捜査に当たったが、途中から「見ず知らずの何者かによる犯行」と見方を変えたため、捜査は後手に回った<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。これに対し捜査関係者は、『中日新聞』の取材に対し「初動捜査で判断を誤った」と指摘した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。 |
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また、被害者Aの遺体は毛布を掛けられ、押し入れに隠されていたが、事件発覚当日に現場室内に入った捜査員は、Aの遺体が入っていた押し入れのふすまを開けたものの、毛布をめくりあげるなどはせずに目視にとどめたため、Aの遺体を発見できず<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>、Aは当初の警察発表で「行方不明」とされた<ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-08 中部朝刊社会面"/>。この点について特捜本部は、『中日新聞』の取材に対し、「物的証拠・遺留品に神経質になっている」として、現場保存を優先する近年の捜査傾向を明かした<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。 |
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しかしAの遺体は、毛布をめくれば簡単に発見できる状態だった上、負傷した三男Cは助けを求めた際「中で2人死んでいる」と発言していた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。このことから捜査関係者は、『中日新聞』の取材に対し、「殺人事件の現場に立つ経験が長ければ、大量の血痕を見て、『もう1人遺体がある』と思うはずだ」と苦言を呈した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。 |
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また、犯人の着ていたとみられるパーカーを一般に公開したのは、事件発生から約2週間後の2009年5月15日だった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-12-28 no.2"/>。 |
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愛知県民からの信頼が揺らぐこととなった一連の初動捜査ミスに対し、『中日新聞』2009年12月28日朝刊愛知県内版記事(記者:藤沢有哉・伊藤隆平)は、「犯人逃走はすぐ地元に知らせる必要があったし、住民の記憶が薄れた時期の証拠品公開は効果が薄い。埋もれた有益な情報を引き出すには、情報公開で大勢の目を事件に向けさせ、理解・協力を得ることが不可欠だ。情報を選別した上で、捜査に重大な支障が出るもの以外は迅速に公開する姿勢が、県警には欠けていた」と指摘した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-12-28 no.2">『中日新聞』2009年12月28日朝刊愛知県内版10面「事件事故ファイル2009(1) 蟹江一家強殺事件」(記者:藤沢有哉・伊藤隆平)</ref>。 |
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== 難航する捜査 == |
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=== 2009年5月10日、Cの運動靴消失が判明 === |
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2009年5月10日までの捜査の結果、A宅の玄関にあったはずのCの運動靴1足が消失していたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-11">『中日新聞』2009年5月11日朝刊第一社会面27面「蟹江殺傷 三男の靴で逃走か 現場に大量の粘着テープ」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-11">『東京新聞』2009年5月11日朝刊第一社会面23面「愛知3人殺傷 三男の靴なくなる 室内に足跡 履き替え逃走か」</ref>。その一方、玄関に家族以外の靴は確認されなかった上、運動靴とみられる土足痕が室内の数か所で確認されたほか、スリッパなど多くの足跡が残っていた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-11"/>。 |
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このため捜査本部は、足跡の識別による特定を急いだ上で、犯人が証拠を残さないよう、Cの靴を盗み出し、自分の履いていた靴を持って逃走したとみて、調べを進めた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-11"/>。 |
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これに加えて現場からは、大量の使用済み粘着テープが発見された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-11"/>。粘着テープは、前述のように犯人がCを拘束する際に使用されたが、Cは警察に保護された際、自力で外していた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-11"/>。特捜本部は、粘着テープに犯人の指紋などが残っていないか調べるため、慎重に鑑定を進めた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-11"/>。 |
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=== 2009年5月13日、犯人の遺留品と思われる上着発見 === |
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2009年5月13日までの捜査の結果、玄関付近で濡れたウィンドブレーカーが発見された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-13">『中日新聞』2009年5月13日夕刊第一社会面11面「蟹江強殺 室内にぬれた上着 犯人着用?販売ルート捜査」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-13">『東京新聞』2009年5月13日夕刊第一社会面9面「室内にぬれた上着 愛知3人殺傷 犯人の遺留品か」</ref>。 |
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このウィンドブレーカーは暗い黄緑色で、サイズは家族の衣服より大きく、生存した三男Cも見覚えのないものだった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-13"/>。また、犯人が3人を殺傷した際、ウィンドブレーカーに返り血を浴びたり、自身も怪我をして血液が付着したため、水で洗った可能性が推測されたため、捜査本部は犯人の遺留品の可能性があるとして販売ルートを調べつつ、毛髪などが付着していないかを確認した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-13"/><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-13"/>。 |
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また同日までに、家族のものとみられる(前述のように盗まれたCの運動靴とは別の)靴の片方だけが、浴槽内で発見されていたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-14">『中日新聞』2009年5月14日朝刊第一社会面29面「蟹江強殺 靴片方 浴槽内に 一方は玄関 不可解な行動分析」</ref>。この靴は男物の片方で、水を張った浴槽に、タオル・毛布などとともに投げ込まれていた一方、もう片方は玄関にあった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-14"/>。 |
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=== 2009年5月14日、被害者一家と異なるDNA型検出 === |
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2009年5月14日までの捜査の結果、室内で発見された遺留物の中に、被害者母子とはいずれも異なる[[デオキシリボ核酸]](DNA)型が検出された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-15">『中日新聞』2009年5月15日夕刊第一社会面13面「家族以外のDNA検出 蟹江殺傷 食べ残しの食器から 手袋跡も発見」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-15">『東京新聞』2009年5月15日夕刊第一社会面9面「愛知殺傷 犯人?のDNA検出 遺留物から、家族と別の型」</ref>。 |
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犯人が食べたとみられる夕食の食べ残しがあった食器(廊下に落ちていた味噌汁の椀)に付着した唾液から検出された[[DNA型鑑定|DNA型を鑑定]]した結果、A・B・Cの一家3人や、別居中のAの長男・四男のいずれとも異なるDNA型が検出された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-15"/>。特捜本部はそのDNA型を[[警察庁]]のデータベースで照会したが、この時点では合致する型は発見できなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-16"/>。 |
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特捜本部はこれまでに、犯人が殺傷に用いた凶器とみられる包丁・モンキーレンチ・小刀や、水を張った浴槽・洗濯機の中から発見された血液の付着した毛布・衣類などを鑑定し、犯人の唾液・皮膚片などが付着していないか分析しつつ、採取した血痕などとともにDNA型を鑑定していた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-15"/>。 |
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その一方、現場の複数個所からは手袋の跡が見つかった一方、遺留品からは犯人のものとみられる指紋は発見されなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-15"/>。そのため特捜本部は、犯人が手袋をはめていた可能性があるとみて捜査を進めた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-15"/>。 |
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=== 2009年5月15日、犯人遺留品の上着を一般公開 === |
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2009年5月15日、蟹江署特捜本部は犯人が室内に残し、玄関付近で濡れた状態でたたまれて放置されていたパーカーを一般公開した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-16">『中日新聞』2009年5月16日朝刊第一社会面33面「蟹江殺傷 犯行当時屋外生活か 犯人の服公開 ひどい汚れ、におい」</ref>。 |
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パーカーは名古屋市中村区内の業者が「PRIMAL POINT」のブランド名で、約11,000着を中国で製造し<ref group="新聞" name="読売新聞2009-05-16">『読売新聞』2009年5月16日中部朝刊第一社会面33面「愛知・蟹江3人殺傷 遺留品パーカを公開 LLサイズ、若者向け=中部」</ref>、2003年末から2004年初めにかけて、中部地方の82店舗を含めた全国の商業施設で1,000円前後で販売されていた灰色の男性用LLサイズパーカーで、胸には「WHO involves」と印刷されていた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-16"/>。このうち、遺留品と同色・同サイズのものは約450着が流通していた<ref group="新聞" name="読売新聞2009-05-16"/>。 |
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被害者一家の関係者が、特捜本部に対し「見覚えがない」と証言したため、犯人の遺留品と判断した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-16"/>。 |
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パーカーは汚れ・においが著しかったことから、特捜本部は、「犯人の男は事件当時、屋外生活を送っていた可能性が高い」という見方を強めた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-16"/>。また、濡れた状態で発見された点について、「犯人は事件後、パーカーを洗濯することで付着した血液を落とした」と推測された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-16"/>。 |
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その上で特捜本部は、パーカーを鑑定し、汗・血痕が付着していないかどうかを調べた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-16"/>。 |
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=== 2009年5月17日、2階から血液反応・遺留現金発見 === |
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2009年5月17日までの蟹江署特捜本部の捜査の結果、2階にも新たに血液反応が確認された上、現金が残されていたことも新たに判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-18 朝刊">『中日新聞』2009年5月18日朝刊第一社会面29面「蟹江殺傷 2階にも血液反応 着替え探す? 部屋の現金手つかず」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-05-18">『東京新聞』2009年5月18日朝刊第一社会面25面「愛知3人殺傷 2階でも血液反応 殺害後に着替え探す?」</ref>。 |
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2階には、殺害された被害者B・負傷した被害者Cの部屋があったが、現場検証の当初、目視可能な大きさの血痕は発見されなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-18 朝刊"/>。その一方、室内で争ったり、家具が荒らされたりした後も確認されなかった上、Bの部屋には現金が手つかずで残されていた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-18 朝刊"/>。 |
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しかし改めて現場検証を行った結果、少量の血液反応が確認された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-18 朝刊"/>。前述のように、犯人の遺留品のパーカーは汚れ・においが著しいことから愛知県警は、犯人がAもしくはBを殺害した後2階に上がり、下着などの着替えを探した可能性があるとみて捜査を進めた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-18 朝刊"/>。 |
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また、被害者一家の血液型はいずれもA型だったため、特捜本部は家族以外の血痕がないか、血痕の鑑定を進めた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-18 朝刊"/>。 |
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これに加え、ベランダに面したCの部屋には、取り込まれた多数の洗濯物が積まれていたことから、捜査本部はCから部屋からなくなったものがないか確認するとともに、他にも犯人の遺留品がないか調べた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-18 朝刊"/>。 |
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同日夜、現場検証が終了したため、現場宅の周辺数十メートルの範囲に愛知県警が張っていた規制線が撤去された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-05-18 夕刊">『中日新聞』2009年5月18日夕刊第二社会面14面「現場の規制線撤去 蟹江3人殺傷」</ref>。 |
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=== 2009年5月31日まで === |
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事件から1カ月となる2009年5月31日までの捜査の結果、遺留品などから犯人のものとみられる指紋は採取されなかった一方、現場室内からA宅にはないはずの作業用手袋の跡が発見されたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.1">『中日新聞』2009年6月1日朝刊第一社会面29面「蟹江殺傷 きょう1カ月 室内に家族以外の手袋跡 凶器のレンチ工業用?」</ref>。 |
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また、被害者Aを殺害したとみられるモンキーレンチを調べた結果、一般家庭ではあまり使われない工業用レンチだったことも判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.1"/>。このレンチは県外の有名メーカーが生産し、全国向けに流通したものだった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.1"/>。 |
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以上の点から蟹江署特捜本部は、犯人が事前にレンチ・手袋を用意した可能性が高いとみて、レンチの流通経路や、同型のレンチを紛失したり、盗難されたりした事業所がないか調べた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.1"/>。 |
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現場から(後に犯人Lと判明する)男の逃走を許したり、被害者Aの遺体発見が遅れたり、遺留品の公開・警察犬の投入などが遅れるなど、捜査が後手に回ったことにより、事件発生から1カ月が経過したこの時点でも、犯人像・犯行目的は絞り込み切れず、捜査は難航した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2">『中日新聞』2009年6月1日朝刊第一社会面29面「蟹江殺傷 きょう1カ月 遅れた情報公開 犯行ずさんな面も」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-06-02">『東京新聞』2009年6月1日朝刊第二社会面28面「愛知・蟹江 一家3人殺傷事件1カ月 絞れぬ犯人像…後手の捜査響く 逃走者の存在伏せて 物取りか変質者か」</ref>。 |
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;これまでの捜査で浮上した不可解な点 |
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* 犯人はCに「金はないか」と迫り、家族3人の財布から紙幣を奪ったが、Bの部屋から現金数十万円が発見され、玄関には1万1000円分の紙幣が落ちていた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.1"/>。 |
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* 犯人が室内に10時間以上滞在していた可能性が高いにもかかわらず、犯人が2階を物色した形跡がない<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。 |
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* 証拠隠滅・現場偽装を入念に図ったかのように思える点と、ずさんな面がそれぞれ確認された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。この点について捜査幹部は「犯人は犯行後、現場を事件前のように装い、証拠隠滅を図ったが、息子たちが相次いで帰宅した上、最後に警察官が来たため、中途半端なまま逃走した可能性が高い」と指摘した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。 |
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** Aを殺害したとみられる居間は床の血痕が拭われており、Aの遺体は血液を拭き取った上、和室の押し入れに隠されていた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。水を張った浴槽に、血液が付着したタオル・毛布などが入っていた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。 |
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** その一方、3人を襲ったモンキーレンチなどの凶器・犯人が着ていた可能性が高いパーカーなどが室内に残されていた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。 |
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* Aが作り置きしていた夕食の味噌汁を犯人が飲んだ痕跡がある<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。 |
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* 被害者Aの飼い猫が殺されている一方、犯人の顔を見た可能性があった上、声も聞いたはずの三男Cは殺害されなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。 |
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=== 2009年6月 - 12月 === |
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==== 2009年10月3日まで、新事実判明 ==== |
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2009年7月3日までの捜査の結果、以下の2点の新事実が判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-07-04">『中日新聞』2009年7月4日朝刊第一社会面31面「蟹江殺傷 次男の腕時計奪う? 犯人、売った可能性も」</ref>。 |
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* 刺殺された被害者Bの腕時計が室内から無くなっていた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-07-04"/>。捜査本部は犯人が奪った後、古物商で売った可能性があるとみて、全国の古物商などに持ち込まれていないか調べた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-07-04"/>。 |
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** この腕時計は事件前年の2008年末のクリスマス、Bの同僚だった婚約者女性からプレゼントされたもので<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-24"/>、[[セイコーホールディングス|セイコー]]製の「セイコー5」<ref group="新聞" name="読売新聞2009-10-30"/>・全体的に銀色<ref group="新聞" name="中日新聞2009-07-04"/>・[[中近東]]からの逆輸入品だった<ref group="新聞" name="中日新聞2011-05-03 no.1"/>。 |
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* 被害者Aを撲殺した際の凶器とみられるモンキーレンチは、新潟県の工具メーカーが2005年末ごろに製造した、全長31.5cm、重さ650gの業務用大型レンチで、約3000本製造され、全国で販売されたものだった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-07-04"/>。 |
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2009年10月3日までに三男Cは、『中日新聞』の取材に初めて応じ、「犯人が自分を襲ってから逃走するまでの間、1階の洗濯機が動いていた」と証言した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-10-04">『中日新聞』2009年10月4日朝刊第一社会面35面「蟹江殺傷 『洗濯機動いていた』 三男証言 犯人、証拠隠滅か」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-10-04">『東京新聞』2009年10月4日朝刊第一社会面27面「洗濯機使い証拠隠滅か 愛知3人殺傷」</ref>。 |
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三男Cは事件当時、捜査本部に対し「犯人に来ていたパーカーで顔を隠されたため、犯人の顔は分からない。犯人は男で日本語を話しており、外国語っぽいイントネーションはなかった」と話していた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-10-04"/><ref group="新聞" name="東京新聞2009-10-04"/>。 |
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==== 2009年10月29日まで、被害者3人と異なる血液型検出 ==== |
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2009年10月29日まで、愛知県警蟹江署特捜本部は唾液・汗などを含めた室内の遺留物を鑑定した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-10-30"/><ref group="新聞" name="東京新聞2009-10-30"/>。その結果、現場室内から被害者3人全員の[[ABO式血液型|血液型]]であるA型とは異なる、O型の血液型血痕が検出された<ref group="新聞" name="中日新聞2009-10-30">『中日新聞』2009年10月30日朝刊第一社会面31面「蟹江3人殺傷 一家と異なる血液型 犯人の可能性 室内遺留物から」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-10-30">『東京新聞』2009年10月30日夕刊第一社会面9面「異なる血液型 遺留品に検出 蟹江3人殺傷」</ref>。 |
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蟹江署特捜本部はこの血痕を「犯人の血液型である可能性が高い」として、重点的に捜査を進めた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-10-30"/><ref group="新聞" name="東京新聞2009-10-30"/>。 |
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事件から半年が経過した2009年11月2日まで、愛知県警蟹江署特捜本部は35人態勢で捜査に当たり、犯人の遺留品分析・情報の洗い直しなどを急いだ<ref group="新聞" name="中日新聞2009-11-03">『中日新聞』2009年11月3日朝刊尾張版18面「蟹江の3人殺傷事件半年 情報提供呼び掛け 蟹江署」</ref>。同日までに、特捜本部には約300件の情報提供があり、捜査対象者は約5400人に上ったものの、いずれも犯人の特定には結びつかなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-11-03"/>。 |
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==== 2009年12月10日、警察庁が本事件を捜査特別報奨金制度対象事件に指定 ==== |
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[[警察庁]]は2009年12月8日、本事件を[[捜査特別報奨金制度]]対象事件に指定し(制度開始から37件目)、犯人逮捕に結びつく有力情報の提供者に最高300万円の懸賞金を支払うことを決めた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-12-09">『中日新聞』2009年12月9日朝刊第一社会面29面「蟹江殺傷に懸賞300万円 警察庁 豊田殺人は1年延長」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2009-12-09">『東京新聞』2009年12月9日朝刊第二社会面26面「愛知一家殺傷 懸賞金300万円 未解決3件も延長」</ref>。 |
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本事件はその後、2009年12月10日から1年間(当初期限)、愛知県警管轄の[[未解決事件]]としては[[豊田市女子高生殺害事件]](2008年発生、[[豊田警察署]]管轄、同日付で期限延長)とともに、同制度対象事件となった<ref group="新聞" name="中日新聞2009-12-09"/><ref group="新聞" name="東京新聞2009-12-09"/>。同日、捜査を担当する蟹江署員らが現場付近の近鉄蟹江駅などで、事件の情報提供を求めるチラシを配布した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-12-11">『中日新聞』2009年12月11日朝刊愛知県内総合面19面「蟹江・一家3人殺傷 豊田・女子高生殺害 懸賞金チラシ配り情報提供呼び掛け」</ref>。 |
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2009年12月27日までの捜査の結果、犯人が市販品マスクを用意して被害者宅に侵入し、そのマスクを室内(玄関付近で畳まれていたパーカーのポケット内)に置き忘れていたことが新たに判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2009-12-28 no.1">『中日新聞』2009年12月28日朝刊第一社会面27面「蟹江殺傷 犯人、マスク持参 他の遺留物とDNA一致」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2009-12-27">『読売新聞』2009年12月27に中部朝刊第一社会面33面「蟹江の3人殺傷 マスク・手袋が現場に 計画的犯行か 遺留品公開へ=中部」</ref>。同日まで蟹江署特捜本部は、犯人のDNA型や血痕・遺留品の流通経路などを洗い直し、犯人の行方を追ったが、犯行前後の足取りも特定できずにいた<ref group="新聞" name="中日新聞2009-12-28 no.2"/>。 |
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== 2010年以降 == |
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=== 2010年 === |
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==== 2010年1月8日、遺留品5点の同種品を公開 ==== |
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[[2010年]](平成22年)1月8日、蟹江署特捜本部が室内で発見された以下の犯人の遺留品5点について、現物の写真と同種の物品を公開した<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09">『中日新聞』2010年1月9日朝刊第二社会面34面「蟹江一家殺傷 遺留品の同種品を公開 レンチや手袋など 犯人生活圏 四日市などか」</ref>。なお、以下に記す販売数はいずれも同日発表時点とする。 |
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* 犯人が犯行時に着用していたとみられるパーカー<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/> |
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** 男性用LLサイズ、灰色<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/>。2003年11月から翌2004年2月までに450着が製造され、完売した<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/>。 |
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* 被害者Aを撲殺した際に使われたモンキーレンチ<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/> |
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** 「[[トップ工業]]」(本社:[[新潟県]][[三条市]])製「ワイドモンキレンチ エコワイド」<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/><ref group="新聞" name="読売新聞2009-06-06"/>。全長31.5cm、自動車整備・水道配管工事用<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/><ref group="新聞" name="読売新聞2009-06-06"/>。 |
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** 遺留品には持ち手付近に「EM:」の刻印があったが、このタイプは2006年7月以降、約3,000本製造されていた<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/>。専門業者を通じて工場に納入されており、ホームセンターなどでは販売されていないものだった<ref group="新聞" name="読売新聞2009-06-06">『読売新聞』2009年6月6日東京朝刊第一社会面39面「愛知・母子3人殺傷 凶器は特殊スパナ 新潟メーカー製、工場から入手か」</ref>。 |
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* 被害者Cを襲撃した際に使用されたクラフトナイフ<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/> |
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** [[大阪市]]の刃物メーカー「[[オルファ]]」製<ref group="新聞" name="読売新聞2009-12-27"/>、全長17.5cm、1979年7月以降、80,000本/年販売された<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/>。 |
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* 犯行時に使用された防寒用手袋<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/> |
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** 「福崎手袋」(本社:[[香川県]][[東かがわ市]])が中国の業者に委託して生産した<ref group="新聞" name="読売新聞2009-12-27"/>。男性用、2004年10月以降に25,000組が販売され<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/>、愛知県内では3,000組から4,000組が販売された<ref group="新聞" name="読売新聞2009-12-27"/>。 |
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* パーカーのポケット内に入っていた使い捨てマスク<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/> |
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** 2005年秋から販売された<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/>。 |
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特捜本部が以上の遺留品について流通経路を調べた結果、パーカーと手袋が両方とも販売されていたのは、[[東海3県]]では以下の3地域に限定されることが判明したため、犯人の犯行前の生活拠点も以下の地域周辺に絞り込まれた<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/>。 |
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* 三重県[[四日市市]]周辺<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/> |
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* 愛知県名古屋市都心部([[名古屋駅]]・金山駅周辺)<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/> |
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* [[愛知県]][[豊田市]]<ref group="新聞" name="中日新聞2010-01-09"/> |
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なお、実際に逮捕されたLは三重県津市内で生活していたが、[[津駅]]から四日市市・名古屋駅までは、いずれも[[近鉄名古屋線]]([[近鉄四日市駅]])か、[[東海旅客鉄道|JR東海]][[関西線 (名古屋地区)|関西本線]]・[[伊勢鉄道]][[伊勢鉄道伊勢線|伊勢線]]([[四日市駅]])の[[快速列車|快速]]「[[みえ (列車)|みえ]]」を利用すれば乗り換えなしで移動できた。 |
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==== 2010年3月31日まで、現場付近で不審者の目撃情報 ==== |
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2010年3月31日までの捜査の結果、現場室内で発見された犯人のパーカーと似た上着を着た不審な男が1人で、事件前日の2009年4月30日夜、現場から7.5km離れた愛知・三重県境付近([[木曽川]]に架かる[[国道1号]][[尾張大橋]]の三重県側)で目撃されていたことが判明し、『中日新聞』2010年3月31日夕刊で報道された<ref group="新聞" name="中日新聞2010-03-31">『中日新聞』2010年3月31日夕刊第一社会面15面「蟹江3人殺傷 似た上着の男 前日目撃 灰色のパーカ 愛知・三重県境で」</ref>。 |
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これを受けて特捜本部は、前述のパーカーなど遺留品の流通先などと照らし合わせ、「犯人は当時、四日市市周辺に居住しており、蟹江町の被害者宅まで徒歩で向かった」と推測した<ref group="新聞" name="中日新聞2010-03-31"/>。 |
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同様のニュースを報道した『[[読売新聞]]』2010年11月3日中部朝刊では、「4月30日午後、通行人がその不審な男と会話を交わした際、男は『名古屋に行く』という趣旨の話をしていた」と報道した<ref group="新聞" name="読売新聞2010-11-03">『読売新聞』2010年11月3日中部朝刊第一社会面31面「蟹江3人殺傷 パーカ姿の男、前日目撃 愛知・三重県境=中部」</ref> |
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その一方で特捜本部は、愛知県側の国道1号沿いの店舗などに設置された防犯カメラの映像も分析したが、類似する服装の男は映っていなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2010-03-31"/>。 |
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==== 2010年5月2日、事件発生から丸1年 ==== |
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2010年4月16日までの捜査の結果、犯人の男は三男Cを監禁した際、「最近満足に寝ていない」などといった趣旨の内容を話していたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2010-04-17">『中日新聞』2010年4月17日朝刊第一社会面35面「蟹江一家殺傷 犯人『数日寝ていない』 三男に話す 住居なく生活苦か」</ref>。 |
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2010年5月2日で事件発生から丸1年を迎えたが<ref group="新聞" name="中日新聞2010-04-28"/><ref group="新聞" name="中日新聞2010-05-27">『中日新聞』2010年5月27日夕刊第一社会面13面「目耳録 忘れないで」(記者:伊藤隆平)</ref>、それを前にした2010年4月28日時点でも、愛知県警の捜査・近隣住民の捜査協力なども空しく、被疑者逮捕に直結する有力な手掛かりは得られず、事件解決の目途は全く立たなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2010-04-28">『中日新聞』2010年4月28日夕刊第一社会面15面「蟹江3人殺傷1年 笑顔の友奪われ なぜ…問いたい 次男級友『早く犯人逮捕を』」</ref>。 |
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愛知県警蟹江署特捜本部は同日、三男Cが監禁されていた最中、犯人と交わしていた会話の内容を公開した<ref group="新聞" name="中日新聞2010-04-29">『中日新聞』2010年4月29日朝刊第一社会面33面「蟹江一家殺傷 猫入り無施錠確信か 犯人と三男の会話公表」</ref><ref group="新聞" name="日本経済新聞2010-04-29">{{Cite news|title=蟹江一家3人殺傷、犯人「無理」繰り返す 20歳代の言葉遣い |newspaper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2010-04-29|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFD28027_Y0A420C1CN8000/|accessdate=2018-05-08|archivedate=2018-05-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508125831/https://www.nikkei.com/article/DGXNASFD28027_Y0A420C1CN8000/}}</ref>。この会話内容から犯人は、被害者宅の玄関から猫が室内に入っていくのを見て無施錠と判断して玄関から侵入した後、家人と出くわしたことで一家殺傷に至った可能性が高いことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2010-04-29"/>。 |
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2010年12月10日、満了を迎えた報奨金制度適用期間が1年間延長された<ref group="新聞" name="中日新聞2010-12-10">『中日新聞』2010年12月10日朝刊愛知県内版20面「蟹江の3人殺傷で情報提供呼び掛け 報奨金の適用延長」</ref>。 |
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=== 2011年・2012年前半 === |
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[[2011年]](平成23年)4月18日までの蟹江署特捜本部の捜査の結果、被害者3人の財布から奪われた現金総額が約二十数万円と推定された<ref group="新聞" name="中日新聞2011-04-19">『中日新聞』2011年4月19日朝刊第二社会面30面「犯人二十数万円奪う 蟹江一家殺傷 3人の財布から 特捜本部推定」</ref>。 |
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愛知県警蟹江署捜査本部は事件発生から丸2年となる2011年5月2日、犯人の遺留品とみられる布袋・現場から持ち去られた被害者次男Bの腕時計、犯人が逃走した際に履いて奪ったとみられる三男Cのスニーカーの計3点について、同型品の写真・情報を新たに公開した<ref group="新聞" name="中日新聞2011-05-03 no.1">『中日新聞』2011年5月3日朝刊第一社会面29面「蟹江殺傷現場に犯人?の布袋 同種品を公開」</ref><ref group="新聞" name="日本経済新聞2011-05-03">{{Cite news|title=蟹江一家3人殺傷2年 犯人の遺留品、新たに公開 |newspaper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2011-05-03|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFD0200E_S1A500C1CN8000/|accessdate=2018-05-08|archivedate=2018-05-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508125843/https://www.nikkei.com/article/DGXNASFD0200E_S1A500C1CN8000/}}</ref>。3物品の情報は以下の通り。 |
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* 布袋 - 洗面所で水濡れした状態で発見、紺色の綿製、長さ50cm、幅30cm<ref group="新聞" name="中日新聞2011-05-03 no.1"/>。浴衣など夏物衣料に使われる「[[しじら織り]]」の生地<ref group="新聞" name="日本経済新聞2011-05-03"/>。30cmの紐2本が付き、数cmの穴が3か所空いていたが、中に物は入っていなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2011-05-03 no.1"/>。三男Cが「見覚えがない」と証言したため、犯人の遺留物であると推測された<ref group="新聞" name="中日新聞2011-05-03 no.1"/>。 |
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** この布袋は当初、商品タグなどが付属していなかったため、工業用ミシンで手作りされたものと思われたが<ref group="新聞" name="中日新聞2011-05-03 no.1"/>、後に市民からの情報提供により、[[ユニクロ]]製の男性用甚兵衛「メンズジンベエ」を入れる袋(定価2990円、2005年から2007年にかけ全国で約50万着流通)である可能性が高いことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2011-05-16">『中日新聞』2011年5月16日夕刊第一社会面13面「布袋はユニクロ製か 蟹江3人殺傷 遺留品公開で情報」</ref>。 |
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* Bの腕時計 - [[セイコーホールディングス|セイコー]]製「セイコー5」、全体的に銀色でダイヤルが黒<ref group="新聞" name="日本経済新聞2011-05-03"/>、[[中近東]]からの逆輸入品<ref group="新聞" name="中日新聞2011-05-03 no.1"/> |
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* Cのスニーカー - ドイツ「[[プーマ]]」製、サイズ27cm<ref group="新聞" name="読売新聞2009-10-30">『読売新聞』2009年10月30日中部朝刊第一社会面29面「蟹江3人殺傷半年 遺留品からO型検出 犯人血液? 玄関から侵入か=中部」</ref>、白基調で側部に黒い人造皮革が貼られていた<ref group="新聞" name="日本経済新聞2011-05-03"/>。 |
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同日は負傷した被害者三男Cが初めて、近鉄蟹江駅付近で情報提供を求めるチラシ配りに参加した<ref group="新聞" name="中日新聞2011-05-03 no.2">『中日新聞』2011年5月3日朝刊愛知県内版16面「遺族が声張り上げ 蟹江3人殺傷事件 チラシ配り初参加」(記者:伊藤隆平)</ref><ref group="新聞" name="日本経済新聞2011-05-03"/>。愛知県警は同日までに延べ約18,000人の捜査員を動員し、同日までに情報提供件数は479件に上ったが、犯人に結び付く情報はなく、事件の記憶風化から、2011年に入ってからは10件に止まっていた<ref group="新聞" name="中日新聞2011-05-03 no.2"/><ref group="新聞" name="日本経済新聞2011-05-03"/>。 |
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2011年12月10日、延長期限満了を迎えた報奨金制度適用期間がさらに1年間延長されたことに伴い、蟹江署特捜本部・地元住民30人が近鉄蟹江駅などで、情報提供を呼び掛けるチラシ6000枚を配布した<ref group="新聞" name="中日新聞2011-12-10 no.1">『中日新聞』2011年12月10日朝刊第二社会面32面「報奨金の期間延長 情報提供呼び掛け 蟹江の3人殺傷」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2011-12-10 no.2">『中日新聞』2011年12月10日朝刊尾張版20面「蟹江強盗殺傷 不安胸にチラシ配り 地元住民『一刻も早く解決を』」(記者:伊藤隆平)</ref>。 |
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事件発生から丸3年を控えた[[2012年]](平成24年)5月1日、蟹江署特捜本部捜査員・地元住民ら30人が、現場付近の[[愛知県道103号境政成新田蟹江線]]などで、情報提供を求めるチラシ・ポケットティッシュを配布した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-05-01">『中日新聞』2012年5月1日夕刊第二社会面10面「蟹江3人殺傷から3年 情報提供呼び掛け」</ref>。同日までに合計526件の情報提供があったが、同年に入ってからはわずか3件のみと大幅に減少しており、34人態勢の捜査も一向に進展していなかった<ref group="新聞" name="中日新聞2012-05-01"/>。 |
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== Lの逃走中の余罪 == |
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Lは犯行後も、[[万引き]]などの軽犯罪を繰り返していた一方<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 夕刊"/>、後述のようにDNA型鑑定が行われるまで捜査線上に浮上することはなく<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>、[[2011年]](平成23年)3月には5年間在学した三重大学を卒業した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊社会面"/>。卒業間際、Lは急に「大学院に行きたい」と、所属ゼミの教授に頼み込んだが、教授から断られた<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。 |
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Lは事件後も逮捕されるまで、捜査網を掻い潜りつつ<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-10"/>、腎臓病治療・婚約者女性と会うためなどの理由で、度々中国に帰国しており、多い年には年3回帰国していた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>。 |
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Lは三重大卒業後、2011年4月に新卒で、三重県[[亀山市]]の<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-08 中部朝刊社会面">『毎日新聞』2012年12月8日中部朝刊第一社会面29面「愛知・蟹江の母子殺傷:L容疑者逮捕 『好青年がなぜ』知人ら当惑」(記者:岡正勝・永野航太)</ref>自動車部品メーカーに会社員として就職し<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-09"/>、部品検査・組み立てなどの部署で勤務しつつ、研修生の通訳を担当していた<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊社会面"/>。当時Lは、日本語検定一級の資格を持っており、メーカーの社長曰く「面接時、真面目な印象だったので採用を決意した。コンビニでのアルバイトの話などをしており、『学生時代はあまりお金がなかったようだな』という印象を持っていた」という<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-09"/>。内定を得たLは、故郷・中国に一時帰国し、家族に日本での就職を報告した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-09"/>。 |
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会社近くの借り上げアパートに居住し、月給手取り約20万円の仕事をしていたLは、社長によれば『仕事ぶりは控えめだったが一生懸命だった」という<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-09"/>。また、社長だけでなく、同じ中国人研修生の同僚とも良好な関係で、休日は若手社員とともにフットサルを楽しんでいた<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-09"/>。Lは就職後、中国にいる交際相手女性を日本に呼び寄せ、結婚する計画を立てていた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-29"/>。 |
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Lは「ずっと日本で働き続けたい」と言っていたため、「大事に育てたい」と思った社長は、工場のラインではなく、技術・製品検査の仕事をさせており<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-09"/>、将来的には母国・中国にある工場の幹部に登用しようと考えていたという<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-08 中部朝刊社会面"/>。 |
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しかし[[2012年]](平成24年)春、Lは「結婚したいので昇給してほしい」と会社に相談し、同僚たちに転職を示唆するなどした<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-09"/>。結局、上司らの慰留を断ったLは、同年6月、「家のリフォームの仕事をする」と言い、会社を退職した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-09"/>。Lは退職後、より高給職を求めて三重県外の建設関係会社に転職したが<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-08 中部朝刊社会面"/>、その仕事もすぐに辞めた<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-09"/>。 |
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2012年8月、Lは名古屋市内で[[放置自転車]]を盗んで乗車していたところを愛知県警の警察官に職務質問され、所轄の警察署で事情聴取を受けた<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-10"/>。しかし被害が軽微だったため、県警はLの身元確認はしたものの、逮捕・名古屋地検への書類送検などの刑事手続きは取らなかった上、DNA型も採取せず、警察内部だけで処理する「[[微罪処分]]」に処した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-10"/>。 |
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2012年10月18日、Lは午後2時40分頃から同日午後4時10分頃までの間に、津市内の[[三重大学]]第一体育館2階男子更衣室で<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>、男子大学生所有の携帯電話機1台(時価約60000円相当)を窃取した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>。 |
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さらにLは、2012年10月19日<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/>、津市栗真町屋町の駐車場で<ref group="新聞" name="中日新聞2012-10-20 三重版"/>、会社員男性所有の乗用車1台([[ETCカード]]1枚など2点積載、時価約160万円相当)を窃取した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/><ref group="新聞" name="中日新聞2012-10-20 三重版"/><ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-07 夕刊"/>。Lは同日、この車を同県[[鈴鹿市]]内で運転していたところを<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>、[[三重県警察]][[鈴鹿警察署]]に発見され、[[窃盗罪|窃盗]]容疑で同署に[[逮捕 (日本法)|逮捕]]された<ref group="新聞" name="中日新聞2012-10-20 三重版">『中日新聞』2012年10月20日朝刊三重版22面「自動車盗の疑い」(窃盗容疑で逮捕されたLの実名掲載記事)</ref>。 |
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鈴鹿署の取り調べに対し、Lは「移動手段として車を盗んだ」と供述した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>。三重県警は2008年にLを摘発した際、[[指紋]]を採取したのみでDNA型は採取していなかったが<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 夕刊"/>、この逮捕時に任意で<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-10"/>、「[[前科]]があるため念のために」と、LのDNA型を唾液から採取した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 夕刊"/>。Lは同事件の捜査中、鈴鹿署の留置場で[[リストカット|手首を傷つけ]]自殺を図った<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>。 |
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2012年11月9日、Lは[[津地方検察庁]]により窃盗罪で[[津地方裁判所]]へ[[起訴]]された<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-07 電子版">{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/news/20121207k0000e040237000c.html|title=愛知一家殺傷:29歳の中国国籍の男 強盗殺人容疑で逮捕|date=2012-12-07|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|author1=岡大介|author2=大野友嘉子|accessdate=2018-05-05|archivedate=2012-12-09|archiveurl=http://web.archive.org/web/20121209202609/http://mainichi.jp/select/news/20121207k0000e040237000c.html}}</ref>。 |
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被疑者Lの逮捕前日となった2012年12月6日、愛知県警は本事件について、同9日付で期限が切れる捜査特別報奨金制度指定の延長を断念することを発表した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-07 朝刊">『中日新聞』2012年12月7日朝刊第二社会面38面「豊田女子高生殺害 報奨金を1年延長 蟹江の強殺は断念」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-07 朝刊">『読売新聞』2012年12月7日中部朝刊第二社会面32面「公費懸賞金 女子高生殺害 期限1年延長 豊田=中部」</ref>。実際にはこの時点で既に被疑者Lの存在が捜査線上に浮上してはいたが、表向きの理由は「期限延長に向けて[[警察庁]]と協議したが、情報提供件数が減少しているため申請を断念した」というものだった<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-07 朝刊"/><ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-07 朝刊"/>。 |
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== 捜査の急展開 == |
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=== 2012年12月7日、愛知県警蟹江署特捜本部が強盗殺人容疑で被疑者Lを逮捕 === |
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2012年11月下旬、三重県警が採取したLのDNA型を警察庁のデータベースに登録・照合した結果、本事件の現場にあった味噌汁の飲み残しなどに残されていたDNA型と一致することが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-07 夕刊">『中日新聞』2012年12月7日夕刊1面「蟹江一家殺傷男逮捕へ 現場のDNA型一致 窃盗で逮捕 津の中国人容疑者」</ref><ref group="新聞">{{Cite news|title=愛知の一家殺傷、現場のDNA型一致 窃盗容疑で逮捕の中国人|newspaper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2012-12-07|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNZO49289830X01C12A2CC0000/|accessdate=2018-05-08|archivedate=2018-05-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508125836/https://www.nikkei.com/article/DGXNZO49289830X01C12A2CC0000/}}</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>。 |
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これを受け、愛知県警蟹江署特捜本部が被疑者Lを取り調べたところ<ref group="新聞">{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/news/20121207k0000e040222000c.html|title=愛知一家殺傷:窃盗で逮捕の男聴取へ 現場DNA一致|date=2012-12-07|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|author=沢田勇|accessdate=2018-05-05|archivedate=2012-12-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121210030455/http://mainichi.jp:80/select/news/20121207k0000e040222000c.html}}</ref>、Lは「間違いありません」と強盗殺人容疑を認めた<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>。 |
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そのため特捜本部は2012年12月7日、強盗殺人・同未遂容疑で被疑者Lを[[逮捕 (日本法)|逮捕]]した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面">『中日新聞』2012年12月8日朝刊1面「蟹江一家殺傷 中国人元留学生を逮捕 強殺容疑 当時、三重大に在籍」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 朝刊社会面">『中日新聞』2012年12月8日朝刊第一社会面39面「蟹江・一家3人殺傷 私費留学 生活に困窮? 家賃滞納繰り返す 逮捕の中国人 留年後卒業、勤めも」「『なぜあの家狙ったか』 被害者遺族や友人ら 叔父『みそ汁から逮捕…因縁かな』」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2012-12-08">『東京新聞』2012年12月8日朝刊第一社会面29面「3人殺傷 中国人逮捕 強盗殺人容疑 窃盗被告DNA型一致 愛知・蟹江」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-08 中部朝刊1面">『[[読売新聞]]』2012年12月8日中部朝刊1面「蟹江殺傷中国人を逮捕 強殺容疑 DNA型一致=中部」</ref><ref group="新聞">{{Cite news|title=愛知の一家殺傷、中国籍の男逮捕 強殺などの疑い|newspaper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2012-12-07|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFD0700P_X01C12A2000000/|accessdate=2018-05-08|archivedate=2018-05-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508124900/https://www.nikkei.com/article/DGXNASFD0700P_X01C12A2000000/}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news|title=愛知一家殺傷、中国籍の男を逮捕 DNA型が一致|newspaper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2012-12-07|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0705Q_X01C12A2CC1000/|accessdate=2018-05-08|archivedate=2018-05-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508124904/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0705Q_X01C12A2CC1000/}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040118000c.html|title=愛知一家殺傷:L容疑者 事件当時は三重大の留学生|date=2012-12-08|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|author1=岡大介|author2=大野友嘉子|accessdate=2018-05-05|archivedate=2012-12-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121209225621/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040118000c.html}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040119000c.html|title=愛知一家殺傷:「好青年がなぜ」L容疑者の知人ら驚き(1/2ページ)|date=2012-12-08|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|author1=岡正勝|author2=永野航太|accessdate=2018-05-05|archivedate=2012-12-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121210011949/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040119000c.html}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040119000c2.html|title=愛知一家殺傷:「好青年がなぜ」L容疑者の知人ら驚き(2/2ページ)|date=2012-12-08|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|author1=岡正勝|author2=永野航太|accessdate=2018-05-05|archivedate=2012-12-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121209203934/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040119000c2.html}}</ref>。これにより、凄惨・異常な犯行で日本社会を震撼させた本事件は、急転直下の事件解決に向かうこととなった<ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-08 中部朝刊社会面">『読売新聞』2012年12月8日中部朝刊第一社会面33面「蟹江殺傷逮捕 『情報なし』から急転 発生3年安堵の住民=中部」</ref>。 |
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=== 2012年12月8日、被疑者Lの各種動機供述・家宅捜索など === |
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被疑者Lは逮捕翌日となる2012年12月8日までに、犯行動機について「事件前年の2008年、万引きで罰金刑を受けたが金がなく、罰金支払いのために金が必要だった」と供述した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 夕刊">『中日新聞』2012年12月8日夕刊第一社会面11面「蟹江一家殺傷 窃盗事件繰り返す L容疑者『金に困っていた』」「仏壇に『捕まったよ』 三男報告」「蟹江一家強盗殺人事件をめぐる経緯」</ref>。その上で、モンキーレンチ・小刀を持ってA宅に押し入ったことも認めた上で<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-10">『毎日新聞』2012年12月10日中部朝刊第一社会面9面「愛知・蟹江の母子殺傷:『あった包丁で刺した』 中国人送検、次男殺害で供述」(記者:岡大介・沢田勇)</ref>、その動機については、「金に困っており、見つかったら殺すつもりだった」と述べ、強盗の犯意を認める供述をした<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-08 夕刊"/>。 |
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その上で犯行に至るまでの経緯について、「ひったくりや窃盗などで金を得ようと、電車で[[名古屋市]]に向かったが成功せず、[[近鉄名古屋駅]]から帰りの[[近鉄名古屋線]][[急行列車|急行電車]]に乗った。その後、最初に停車した[[近鉄蟹江駅]]で降り、[[空き巣]]狙いに切り換えて周辺を物色していたところ、被害者宅に飼い猫が入っていく様子を目撃し、玄関が施錠されていないことに気付いて侵入先に選んだ」<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-09">『中日新聞』2012年12月9日朝刊第一社会面39面「蟹江一家殺傷 『名古屋の帰り、下車』 容疑者 猫見つけ無施錠確認」「元勤務先 まじめに仕事 昇給求め退職」</ref>、「侵入後、居合わせたAを出合い頭に殺害したが、帰宅したBともみあいになったため、家の中にあった包丁で刺し殺した」と供述した<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-10"/>。 |
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「事件の謎の1つ」とされていた、被疑者Lが三男Cのみを生存させたまま、現場に長時間滞在した理由について、Lは取り調べに対し「Cから『殺さないでくれ』と命乞いされたため、殺害を躊躇した」と話した<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-08 中部夕刊">『毎日新聞』2012年12月8日中部夕刊第一社会面7面「愛知・蟹江の母子殺傷:L容疑者、三男殺害ためらう 会話、命ごいされ」(記者:岡大介・稲垣衆史・永野航太)</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-08 電子版">{{Cite news|title=愛知一家殺傷:命ごいされ、三男殺害ためらう L容疑者|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2012-12-08|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040196000c.html|author1=岡大介|author2=稲垣衆史|accessdate=2012-12-10|archivedate=2012-12-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121210210244/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040196000c.html}}</ref>。そのため特捜本部は「Lは金の在り処を尋ねたり、血のついた衣服の洗濯などの[[証拠]]隠滅を図る間にCと言葉を交わしたりするうち、Cの殺害を躊躇うようになった」と推測した<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-08 中部夕刊"/>。 |
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愛知県警蟹江署特捜本部は同日、被疑者Lが住んでいた津市内のアパートを家宅捜索した<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-08 中部夕刊"/><ref group="新聞">{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040197000c.html|title=愛知一家殺傷:L容疑者宅を捜索|date=2012-12-08|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|author=永野航太|accessdate=2018-05-05|archivedate=2012-12-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121210174046/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040197000c.html}}</ref>。 |
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=== 2012年12月9日、被疑者Lを名古屋地検に送検 === |
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愛知県警は2012年12月9日、強盗殺人などの逮捕容疑で被疑者Lを[[名古屋地方検察庁]]に[[送検]]した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-10">『中日新聞』2012年12月10日夕刊第一社会面11面「蟹江一家殺傷 L容疑者 自転車等で8月に聴取 愛知県警、微罪で処分」「蟹江一家強盗殺人事件をめぐる経緯」</ref>。 |
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=== 2012年12月10日以降、被疑者Lの新供述・新事実判明など === |
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2012年12月10日までに、被疑者Lは特捜本部の取り調べに対し、「凶器のモンキーレンチ以外に、手袋・マスクを用意して現場に押し入った」と供述した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-11">『中日新聞』2012年12月11日朝刊第二社会面36面「蟹江の殺傷 容疑者、手袋を準備 現場滞在『証拠隠滅図る』」</ref>。 |
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この新供述は、現場から遺留品の手袋・マスクが発見された事実と合致する上、現場にはLのはっきりとした指紋は確認できなかった一方、遺留品のマスクからはLのDNA型が検出された<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-11"/>。 |
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この事実から特捜本部は、「証拠を残さないために手袋・マスクを着用した上で犯行に及び、犯行後には血液を拭き取ったり、被害者の衣服・血液を拭き取ったタオルを選択するなどして、証拠運滅を図った」とみて捜査した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-11"/>。 |
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また2012年12月12日までには、被疑者Lが2003年の来日直後から万引きなど、さまざまな窃盗事件を繰り返していたことも判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-12">『中日新聞』2012年12月12日朝刊第一社会面35面「蟹江の強殺 容疑者、来日直後から万引 L容疑者 京都で2度摘発」</ref>。このことから特捜本部は、「Lは生活に困ると常習的に盗みを繰り返し、凶悪事件に発展する結果となった」とみて追及した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-12"/>。 |
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これに加えて2012年12月13日までには、被疑者Lが事件当時在籍していた三重大学で、学費滞納を繰り返し、前期・後期ごとに大学側から何度も支払いの督促を受けていたことが判明した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-13">『中日新聞』2012年12月13日朝刊第一社会面37面「蟹江一家殺傷 学費滞納繰り返す L容疑者、大学から督促」</ref>。 |
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=== 2012年12月11日、津地検が被疑者・被告人Lを別件窃盗罪で追起訴 === |
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[[津地方検察庁]]は2012年12月11日付で、既に別の窃盗罪(2012年10月19日、津市内で乗用車を盗んだ事件)で起訴されていた被疑者Lを、さらに別の窃盗事件(10月18日、三重大体育館2階の更衣室で携帯電話を盗んだ事件)における窃盗罪で、[[津地方裁判所]]に追起訴した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-13"/><ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-13">『読売新聞』2012年12月13日中部朝刊第一社会面31面「L容疑者を追起訴=中部」</ref>。 |
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=== 2012年12月28日、名古屋地検が被疑者Lを名古屋地裁に起訴 === |
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[[名古屋地方検察庁]]は2012年12月28日、強盗殺人・強盗殺人未遂・[[住居侵入罪|住居侵入]]の各罪状で、[[被疑者]]Lを[[名古屋地方裁判所]]に[[起訴]]した<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-29">『中日新聞』2012年12月29日朝刊第一社会面23面「L容疑者を起訴 蟹江一家3人殺傷」「大学単位取得 事件後はゼロ」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-29">『読売新聞』2012年12月29日中部朝刊第一社会面27面「蟹江3人殺傷 『終電逃し現場残った』 L容疑者供述 体壊し生活困窮か=中部」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊">『毎日新聞』2012年12月29日中部朝刊第一社会面23面「愛知・蟹江の母子殺傷:被告『首も絞めた』 強い殺意か 名地検が起訴」(記者:岡大介・沢田勇)「奨学金認められず 教授『会計が授業料督促』」(記者:永野航太)</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-29 東京朝刊">『毎日新聞』2012年12月29日東京朝刊第一社会面25面「愛知・蟹江の母子殺傷:中国人容疑者『首も絞めた』」(記者:岡大介)</ref>。 |
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名古屋地検幹部は同日、Lが一家3人を殺傷後も、事件翌日正午まで半日以上現場に留まっていた点について、「現場の物色を続けていた」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2012-12-29"/>。またL自身は、「窃盗目的で現場に入ったが、A・B両被害者を殺害し、証拠隠滅作業を図っていた間に最終電車を逃したため、現場に留まって始発電車を待った」<ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-29"/>、「Bの勤務先から通報を受けて蟹江署員が駆け付けたが、無線連絡のために現場を離れた隙に勝手口から逃走し、電車で津市に戻った」と述べた上で<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>、「体を壊して働けなくなり、盗みを始めるようになった」とも供述した<ref group="新聞" name="読売新聞2012-12-29"/>。 |
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またLは、「被害者Aをモンキーレンチで撲殺した際、首も絞めた」、「確実に現場から逃走しようと3人を殺傷した」と供述した<ref group="新聞" name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。 |
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== 刑事裁判 == |
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=== 第一審・名古屋地裁(裁判員裁判) === |
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==== 公判前整理手続・精神鑑定 ==== |
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[[被告人]]Lは強盗殺人罪などで名古屋地検から名古屋地裁に起訴されて以降、[[2013年]](平成25年)2月4日付で勾留先の蟹江署から[[名古屋拘置所]]に[[移送]]された<ref group="新聞" name="毎日新聞2013-02-06"/>。 |
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起訴後、Lは収監先の名古屋拘置所内で、壁に頭を打ち付けたり、睡眠剤を大量服用するなど、自殺未遂・自傷行為を繰り返し<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>、後述の精神鑑定の際には身体・精神双方に変調をきたし、病院で治療を受けていた<ref group="新聞" name="中日新聞2013-10-09"/>。特に初公判直前の[[2014年]](平成26年)11月には、靴下を首に巻き付けて自殺を図り、[[低酸素脳症]]で意識障害を負った<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>。 |
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その一方で移送翌日の2013年2月5日、被告人Lは『[[毎日新聞]]』記者・永野航太との面会取材に応じた<ref group="新聞" name="毎日新聞2013-02-06">『毎日新聞』2013年2月6日中部朝刊第二社会面22面「愛知・蟹江の母子殺傷:『自分の命で償いたい』 L被告、毎日新聞記者と面会」</ref>。Lは永野に対し、犯行の背景について「来日した当初、日中間の懸け橋になることを夢見ていたが、生活が困窮したことから万引きを繰り返すようになった。三重大入学後、県の奨学金も認められず、事件前年には万引きで検挙され、罰金の支払いに窮したことで犯行に及んだ」と述べた上で、被害者に対する思いを聞かれると「かわいそうなことをした」と涙を流しながら語った<ref group="新聞" name="毎日新聞2013-02-06"/>。 |
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2013年春、被告人Lは「自分は取り返しのつかないことをした」など被害者・遺族に向けた謝罪の声、「父の勧めで日本の大学に留学したが、金に困って万引きを繰り返した」など、転落の経緯などを綴った便箋計66枚にわたる手記を書いた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-29"/>。 |
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被告人Lが精神的に不安定になり、意思疎通が難しくなったことから<ref group="新聞" name="毎日新聞2013-10-09"/>、[[公判前整理手続]]中の2013年10月8日までにLの[[弁護人]]は、Lに刑事[[責任能力]]・[[訴訟能力]]がない旨を主張し、[[名古屋地方裁判所]]に[[精神鑑定]]を申し入れた<ref group="新聞" name="中日新聞2013-10-09">『中日新聞』2013年10月9日朝刊第二社会面30面「蟹江一家殺傷 精神鑑定へ 勾留中変調 訴訟能力めぐり弁護側」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2013-10-09">『毎日新聞』2013年10月9日中部朝刊第二社会面22面「愛知・蟹江の母子殺傷:被告を精神鑑定 名古屋地裁が実施へ」</ref>。名古屋地裁はこの申請を認め、精神鑑定を実施した<ref group="新聞" name="中日新聞2013-10-09"/>。 |
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2013年末、「責任能力・訴訟能力に問題はない」とする精神鑑定結果を示した鑑定書が名古屋地裁に提出された<ref group="新聞" name="中日新聞2014-01-08">『中日新聞』2014年1月8日夕刊第一社会面13面「責任、訴訟能力『ある』 蟹江一家殺傷 被告の精神鑑定」</ref><ref group="新聞" name="毎日新聞2014-01-08">『毎日新聞』2014年1月8日中部夕刊第一社会面7面「愛知・蟹江の母子殺傷:被告に責任能力 名地裁に鑑定書」</ref>。 |
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その後の公判前整理手続の結果、2014年9月までに争点の絞り込みが終わり、翌2015年1月に初公判を開く方針が事実上決まった<ref group="新聞" name="中日新聞2014-09-12">『中日新聞』2014年9月12日朝刊第一社会面37面「蟹江殺傷 1月初公判 関係者調整 強盗殺人か否か争点」</ref>。 |
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名古屋地裁は2014年11月26日、検察側・弁護人側双方を交えた協議の結果、被告人Lの[[裁判員制度|裁判員裁判]][[公判]]日程を指定した<ref group="新聞" name="中日新聞2014-11-27">『中日新聞』2014年11月17日朝刊第一社会面31面「蟹江の一家殺傷 1月19日初公判 名地裁決定」</ref>。これにより、2015年1月19日に初公判を開き、同年2月3日まで証人尋問・被告人質問など計9回の審理を行った上で、2月4日に検察側論告求刑・弁護人側最終弁論を行って結審、2月20日に判決公判を開く、という日程が決定した<ref group="新聞" name="中日新聞2014-11-27"/>。 |
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==== 2015年1月19日、第1回公判、検察側冒頭陳述・被告人側罪状認否 ==== |
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[[2015年]](平成27年)1月19日<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-18">『中日新聞』2015年1月18日朝刊第一社会面39面「蟹江殺傷あす初公判 名古屋地裁 強盗殺人か否か争点」</ref>、[[名古屋地方裁判所]]([[松田俊哉]][[裁判長]])で、[[被告人]]Lの[[裁判員制度|裁判員裁判]]初[[公判]]が開かれた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-19 no.1">『中日新聞』2015年1月19日夕刊1面「蟹江殺傷 強盗目的を否定 初公判で弁護側 『殺人・窃盗』主張」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-19 no.2">『中日新聞』2015年1月19日夕刊第一社会面11面「事件から5年8カ月余 蟹江殺傷 なぜ現場に14時間」「『罰金費用のため強盗』■無施錠『最後のチャンス』 冒陳で検察側詳細に」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-20">『中日新聞』2015年1月20日朝刊第三社会面28面「蟹江殺傷 『強盗』を否定 初公判で弁護側 被告涙流す場面も」「『母が一家の支え』遺族調書」</ref>。 |
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検察側は冒頭陳述で、「被告人Lは事件4日前、別の万引き事件について検察庁で取り調べを受け、罰金刑の見込みを説明されたため、現金が必要になった。路上強盗を企ててモンキーレンチ・ナイフを購入し、偶然立ち寄った現場宅が無施錠だったために侵入した」、「被害者Aの頭部をモンキーレンチで約30回殴り、帰宅した次男と揉み合いになった末、台所の包丁で胸を数回刺して殺害した。翌日未明に帰宅した三男Cに対し、背後からナイフで首を数回刺し、現金の在り処を尋ねた」と述べ、強盗の意図があったことを指摘した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-19 no.1"/>。 |
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その上で、折れ曲がった凶器の包丁の写真・レンチ、各部屋や階段に残された血痕の分布図などを示し、「金品を取る障害となる2人を殺害した行為は強盗殺人罪が成立する」と主張した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-20"/>。 |
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また、被害者遺族である別居していた四男(三男Cの双子の弟)の供述調書を朗読し、「自分が高校生だったころに父が亡くなり、母Aが自分たち4兄弟を女手一つで育ててくれた。母Aは明るく強い人で、いつも笑っていた、一家の支えだった」、兄Bは責任感が強い性格で、事件の数か月前、定職に就けずにいた自分を『家から出て自立しろ』と叱咤した。心配してくれてのことだった」という四男の心境を明らかにした<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-20"/>。 |
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事件に巻き込まれて負傷した三男Cは、[[被害者参加制度]]を利用した上で検察官の隣席に座り、審理の様子を見守った<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-20"/>。Cは、顔が見えないほどの長髪で出廷した被告人Lを見て、代理人弁護士に「表情が見たい」と漏らした<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-20"/>。 |
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一方で弁護人側は、冒頭陳述で、「こっそり金を盗もうと空き巣目的で入っただけで、強盗をする意図はなかった。被害者2人に発見されてパニックになり、とっさに殴ってしまった」として、強盗殺人罪の成立を否定した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-19 no.1"/>。その上で、三男に対する殺人未遂容疑についても、「殺意は認められず、傷害罪に留まる」と反論した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-19 no.1"/>。また同日、「被告人Lは事件後、声が出にくくなる障害([[発話障害]])を患った」ことを明らかにした<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-19 no.1"/><ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-19 no.2"/><ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-20"/>。 |
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被告人Lは、肩まで無造作にかかり、顔が見えないほどの長髪で出廷した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-19 no.2"/>。Lは罪状認否で、沈黙の後にごく短い言葉を発する程度で、質問にはほとんど反応しなかったが<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-20"/>、「被害者らを殺意を持って死亡させた事実は合っていますか」という質問に対し、「合っている」と答え、殺害行為を認めた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-19 no.2"/>。 |
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==== 2015年1月21日、第2回公判、検察側証人尋問 ==== |
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2015年1月21日の第2回公判で、検察側証人尋問が行われた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-22">『中日新聞』2015年1月22日朝刊第一社会面35面「『ごめん』と告げられ死悟る 蟹江殺傷公判 三男が状況証言」</ref>。 |
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同日、事件で唯一生き残った被害者三男Cが証言し、自身が襲われた状況を詳述した上で、「『あの時、自分が飲み会に行かなければ誰も傷つかなかった』と悔やんでいる。亡くなった2人のためにも、被告人Lには死刑を望む」と、裁判官・裁判員らに訴えた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-22"/>。 |
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==== 2015年1月22日、被告人Lの両親が記者会見 ==== |
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2015年1月22日、被告人Lの両親が[[名古屋市]]内で記者会見した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-23">『中日新聞』2015年1月23日朝刊第一社会面30面「『1万回謝っても足りない』 蟹江一家殺傷 被告の両親『生きて償って』」</ref>。 |
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Lの両親は、26日の公判で証人出廷するために来日しており<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-23"/>、来日に当たり<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>、被害者遺族側に500万円の被害弁償を申し出ていた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-23"/>。その500万円のうち、大半は借金によるものだった<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>。 |
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父親はLについて「喧嘩など一度もしたことのない、聞き分けのいい子だったが、中学時代の球技中、ボールが頭に当たるトラブルが起きてから、それまで活発だった性格が内攻的になった」と語った<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-23"/>。 |
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また、母親は「来日後、息子には学費などを仕送りしていたが、ある時期からは「アルバイトで稼げるから大丈夫」と言われ安心していた。しかし、実際には学費が払えず、食べ物にまで困っていたことを逮捕後に初めて知り、大変驚いた」、父親も「インターネットのニュースで逮捕を知り、心臓が止まりそうだった。なぜ息子がこんな事件を起こしてしまったのか今も理解できない」と、それぞれ語った<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-23"/>。 |
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そして、父親は「自分の言葉で被害者や遺族に謝罪し、生きて罪を償ってほしい」、母親も「息子が死刑になれば自分たちも生きていけないほどつらい。直接謝る機会を頂きたい」と、何度も立ち上がり、深々と頭を下げた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-23"/>。 |
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==== 2015年1月23日、第3回公判、検察側証人尋問 ==== |
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2015年1月23日の第3回公判で、前回公判に続き、検察側の証人尋問が行われた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-24">『中日新聞』2015年1月24日朝刊第二社会面34面「『一緒にケーキ店』夢が… 蟹江刺殺次男 交際女性、公判で涙」</ref>。 |
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同日、被害者Bと婚約していた、Bの同僚女性が証人として、別室から音声・映像中継を利用して参加する「[[ビデオリンク方式]]」で証言した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-24"/>。 |
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女性は2005年にBが勤務していたケーキ店に就職し、1年後の2006年に交際を開始した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-24"/>。Bと女性は「一緒にケーキ店をやろう」と夢を語り合っており、事件1週間前、女性が妊娠の可能性があることをBに告げると、Bは「結婚しよう」と答えた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-24"/>。 |
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事件前日にも、女性はBの家に泊まっており、事件当夜には仕事後、「今日も泊まっていい?」と尋ねたが、Bから「連続になるからやめておこう」と言われ帰宅した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-24"/>。 |
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Bは事件前年2008年のクリスマス、女性から腕時計をプレゼントされ、仕事場にも毎日着けてくるほど気に入っていたが、その腕時計は現金約20万円とともにLに奪われ、長らくLの手元にあった<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-24"/>。この腕時計について、女性は「事件直後は形見として持っていたいと思ったが、ずっと犯人の下にあったことがわかった今はいらない」と言い切った<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-24"/>。 |
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女性は心境について、「自分たち2人の全てが奪われてから5年8カ月が過ぎた。死刑でも死刑でなくてもどちらでもいいが、できればずっと、Lは自分の犯した罪を反省し、生きて償ってほしい。私たちはこれから、悲しい思いを忘れられずに生きていけなければいけない」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-24"/>。 |
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同日の公判で被告人Lは、消え入るような声で「申し訳ない」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-29"/>。 |
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==== 2015年1月26日、証拠調べ・弁護人側証人尋問 ==== |
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2015年1月26日の公判で、弁護人による証人尋問・証拠調べが行われた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27">『中日新聞』2015年1月27日朝刊第一社会面31面「被告が逮捕後自殺未遂 蟹江殺傷公判、弁護側明かす」</ref>。 |
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弁護人はこの日、「Lは自動車窃盗事件で逮捕されて以降、自殺未遂を計6回起こし、意識障害を起こしたこともあった」と明かした<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>。 |
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同日の公判で、被告人Lの両親が弁護人側証人として出廷した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>。 |
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Lの父親は、「息子には、[[国際電話]]などで何度も『金に困っていないか』と聞いたが、息子は『金は必要ない。努力して自分で何とかする』といつも答えていた。息子を信じていたが、このようなことになってしまったことには親として責任を感じる」と証言した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>。 |
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その上で、「息子が被害者の方に与えた損失を考えると、(その大半を借金で賄った)被害弁償金の500万円は全然足りない」と述べつつも、「親としては生きて償い、苦しみを味わってほしい」と、死刑回避を求めた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>。 |
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Lの母親は、「息子のことは今でも愛しているが、事件を起こしたことを腹立たしくも思う」と語った上で、法廷で傍聴していた遺族に「本当に申し訳ございませんでした」と、涙ながらに謝罪した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-27"/>。 |
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==== 2015年1月28日、検察側供述調書・被告人側手記朗読 ==== |
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2015年1月28日の公判で、検察側の供述調書・被告人が書いた手記が、それぞれ朗読された<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-29">『中日新聞』2015年1月29日朝刊第二社会面30面「顔見られ殺害決意 蟹江殺傷公判 被告手記も」</ref>。 |
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被告人Lの弁護人は、両親・恩師・友人らへの感謝の言葉、被害者・遺族に対する謝罪の言葉などが綴られた手記を朗読した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-29"/>。 |
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一方で検察側は同日、逮捕後の供述調書を朗読した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-29"/>。その内容によれば、「Aをモンキーレンチで襲っていた最中、突然現れたBと1時間以上揉み合いになった末、『顔を見られたから殺すしかない』と、台所にあった包丁でBの背中を刺して殺した。その後、まだ息のあったAが『誰か』と声を上げたため、首に紐を巻き付けた」、「Cに対しても殺意を持ち、暗がりの玄関で襲い掛かったが、『殺さないでくれ』と言われたことや、顔を見られていないことから殺害を思い留まった」という事実が明らかにされた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-01-29"/>。 |
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==== 2015年2月2日、被告人質問 ==== |
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2015年2月2日、弁護人による被告人質問が行われた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-03">『中日新聞』2015年2月3日朝刊第一社会面29面「強盗の意図を否定 蟹江殺傷、被告人質問」</ref>。 |
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被告人Lは弁護人から、「A宅に侵入する前、凶器のモンキーレンチ・ナイフを使おうと考えていたか」と問われると、首を横に振った<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-03"/>。また、「3人を殺傷した後、腕時計を偶然発見するまでは、現金を手に入れようとする気持ちはなかったのか」と質問されると、「はい」と答えた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-03"/>。 |
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その上で、被害者遺族への思いを聞かれると、Lはか弱い声で「申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉を述べ、うなだれた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-03"/>。 |
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松田俊哉裁判長から、「最後に言いたいことはありますか」と問われると、Lは中国語で、背後の傍聴席にいた両親に向かい、「お父さん、お母さん、ごめんなさい」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-04"/>。 |
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==== 2015年2月2日、被害者参加制度による被告人質問 ==== |
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2015年2月3日、負傷した三男Cが被害者参加制度を利用し、被告人質問に参加した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-04">『中日新聞』2015年2月4日朝刊第一社会面29面「被害三男『何を考えて一日過ごしているのか』 蟹江殺傷、被告に直接質問」</ref>。 |
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CはLに対し、「今、何を考えて1日を過ごしているのか」、「万引きを繰り返していた生活を変える努力をしなかったのか」と質問した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-04"/>。 |
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これに対しLは、「事件を思い出すと感情をコントロールできない」、「事件のことは後悔している」などと答えた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-04"/>。 |
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==== 2015年2月6日、検察側が論告求刑で被告人Lに死刑求刑・弁護人が最終弁論を行い結審 ==== |
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2015年2月6日<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-06 no.1"/>、第10回公判となる[[論告]][[求刑]]公判が開かれ、結審した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-06 no.2"/>。同日、[[検察官|検察]]側は被告人Lに対し[[日本における死刑|死刑]]を[[求刑]]した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-06 no.1">『中日新聞』2015年2月6日夕刊1面「蟹江殺傷 死刑を求刑 検察側 東海の裁判員裁判で初」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-06 no.2">『中日新聞』2015年2月6日夕刊第一社会面13面「被告 多くの『なぜ』残す 蟹江殺傷 裁判員重い判断へ」「『家族帰ってこない』 意見陳述で遺族怒り」</ref>。 |
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[[東海3県]](名古屋地裁・[[岐阜地方裁判所|岐阜地裁]]・[[津地方裁判所|津地裁]]及び各支部)の[[裁判員制度|裁判員裁判]]における死刑求刑は、これが初の事例だった<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-06 no.1"/><ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-06 no.2"/>。 |
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午前中の論告で検察側は、「人がいるとわかって住宅に凶器を持参の上で侵入したのは、攻撃を想定していたからだ。仮に殺害時点で頭が真っ白になっていたとしても、金品を奪う目的だったのは明らかで、典型的な強盗殺人に他ならない」と主張した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-06 no.1"/>。 |
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その上で、「金品を奪うためだけに2人を殺害し、生命を奪いかねない傷害を1人に負わせた。殺害された2人の殺され方は理不尽・残虐的だ」と指摘した上で、「3回にわたる殺害行為は、強盗殺人の中でも特に悪質で、刑事責任は極めて重く、被害者遺族も極刑を望んでいる」と主張した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-06 no.1"/>。 |
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一方で被告人Lの[[弁護人]]は、午後に行われた最終弁論で、「窃盗目的で偶然被害者宅に侵入し、家人に見つかってパニックになって暴行を加えたが、この時点では金を奪う意図はなく、強盗殺人罪は成立しない」として、検察側の主張に反論した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-07">『中日新聞』2015年2月7日朝刊第一社会面31面「弁護側、死刑回避求める 蟹江殺傷結審 検察側『悪質な強殺』」</ref>。 |
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その上で、「仮に強盗殺人罪が成立するにしても、殺害された被害者2人に対しては当初、強盗殺人の犯意はなく、判例の量刑傾向からしても、死刑選択の余地はない」と訴え、[[殺人罪 (日本)|殺人]]・[[窃盗罪]]の適用、死刑回避・無期懲役刑の選択を求めた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-07"/>。 |
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被告人Lは最終意見陳述で、「被害者の方、自分の父母に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。自分のやったことは許せない」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-07"/>。 |
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==== 2015年2月20日、被告人Lに死刑判決 ==== |
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2015年2月20日、判決公判が開かれ<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-18">『中日新聞』2015年2月18日朝刊1面「極刑か回避か 裁判員重圧 蟹江殺傷 20日判決 『強殺』『殺人+窃盗』どう判断」</ref>、名古屋地裁([[松田俊哉]][[裁判長]])は検察側の求刑通り、被告人Lに死刑[[判決 (日本法)|判決]]を言い渡した<ref group="判決文" name="名古屋地裁判決(2015)"/><ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-21 no.1">『中日新聞』2015年2月21日朝刊1面「蟹江一家殺傷 死刑判決 名地裁 裁判員裁判で東海初」「解説 悪質性重くみた判断」(社会部記者:池田悌一)</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-21 no.2">『中日新聞』2015年2月21日朝刊第一社会面35面「蟹江一家殺傷 夢破れた末極刑 被告うつむいたまま 『日中の懸け橋に』と留学 生活苦…犯罪に手を染め」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-21 no.3">『中日新聞』2015年2月21日朝刊第二社会面34面「蟹江一家殺傷 裁判員悩み抜き 9人全員が会見 生活者視点は重要 本当に正義なのか 時間かけ忘れたい」「母、兄へ『終わったよ』三男・Cさん」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-21 no.4">『中日新聞』2015年2月21日朝刊特集第三面29面「蟹江一家殺傷事件 判決要旨」</ref><ref group="新聞" name="東京新聞2015-02-21">『東京新聞』2015年2月21日朝刊第二社会面26面「親子3人殺傷で死刑判決」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞デジタル2015-02-20">{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/ASH2M5F8ZH2MOIPE019.html|title=愛知・蟹江の母子3人殺傷、被告に死刑判決 名古屋地裁|date=2015-02-20|newspaper=[[朝日新聞デジタル]]|publisher=[[朝日新聞社]]|accessdate=2015-11-17|archivedate=2015-11-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151117041914/http://www.asahi.com/articles/ASH2M5F8ZH2MOIPE019.html}}</ref><ref group="新聞" name="産経新聞2015-02-20">{{Cite news|url=http://www.sankei.com/west/news/150220/wst1502200060-n1.html|title=親子3人殺傷で中国人の男に死刑判決、名古屋地裁|date=2015-02-20|newspaper=[[産経新聞]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|accessdate=2015-07-05|archivedate=2015-07-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150705184504/http://www.sankei.com/west/news/150220/wst1502200060-n1.html}}</ref>。 |
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名古屋地裁は、犯罪事実をすべて検察側の主張通りに[[事実認定]]した上で、「被告人Lは[[被害者]]Aに見つかった際に強盗を決意した。冷静さを失っていたとしても確定的な殺意があった」と指摘し、強盗殺人罪の成立を認めた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-21 no.1"/>。 |
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その上で[[判決理由]]にて、「強盗や殺人に及ぶことを事前に計画していたわけではないが、路上強盗のための武器を持ち、家に誰かがいるとわかっていながら侵入した。予期せず家人が在宅した強盗殺人事件とは異なる」<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-21 no.1"/>、「包丁が折れ曲がるほど強い力で刺すなど執拗で冷酷な犯行。動機は自己中心的で身勝手だ」と[[量刑]]理由を付けた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-21 no.1"/><ref group="新聞" name="朝日新聞デジタル2015-02-20"/>。 |
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東海3県で行われた裁判員裁判にて、死刑判決が言い渡されたのは、これが初の事例だった<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-21 no.1"/><ref group="新聞" name="朝日新聞デジタル2015-02-20"/>。 |
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===== 2015年2月25日、被告人Lの弁護人が控訴 ===== |
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被告人Lの弁護人・北條政郎弁護士は<ref group="新聞" name="産経新聞2015-02-20"/>、「死刑ありきとも受け取れる判決は容認できない」と、判決への不服を訴え、2015年2月25日付で[[名古屋高等裁判所]]に[[控訴]]した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-02-25">『中日新聞』2015年2月25日夕刊第一社会面13面「L被告が控訴 蟹江一家殺傷」</ref>。 |
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=== 控訴審・名古屋高裁 === |
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==== 2015年7月27日、控訴審初公判、即日結審 ==== |
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2015年7月27日<ref group="新聞" name="中日新聞2015-07-26">『中日新聞』2015年7月26日朝刊第一社会面31面「強盗犯意の有無争点 蟹江3人殺傷 あす控訴審初公判」</ref>、[[名古屋高等裁判所]]([[石山容示]]裁判長)で控訴審初公判が開かれ、即日結審した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-07-28">『中日新聞』2015年7月28日朝刊第一社会面27面「計画性否定、死刑回避訴え 蟹江殺傷控訴審 10月14日に判決」「散髪し自力出廷 L被告」</ref>。第一審に続き、強盗殺人罪成立の是非が争点となった<ref group="新聞" name="中日新聞2015-07-28"/>。 |
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弁護人側は、「暴行を加えたのは強盗のためではなく、被害者Aに大声を出されたためだ。仮に強盗の犯意が認められても、殺害された被害者が2人で殺害の事前計画性もないケースでは、死刑選択は妥当ではない」として、死刑判決の[[取消し|破棄]]・無期懲役刑の選択を訴えた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-07-28"/>。 |
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弁護人はこの他、強盗の犯意を否定するための[[証拠調べ]]・被告人質問を要求したが、名古屋高裁はいずれも退けた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-07-28"/>。 |
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一方で検察側は、死刑判決の妥当性を訴え、「弁護人の控訴は棄却されるべきだ」と主張した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-07-28"/>。 |
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同日、死刑判決を受けて以来5カ月ぶりに出廷した被告人Lは、刑務官に支えられて歩いていた第一審と異なり、脚を少し引きずりつつも自力で出廷した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-07-28"/>。 |
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また、顔が見えないほど伸びていた髪は短く切っていたが、裁判長から名前・住所を聞かれても、たどたどしい答え方だった<ref group="新聞" name="中日新聞2015-07-28"/>。 |
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==== 2015年10月14日、二審も死刑判決 ==== |
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2015年10月14日<ref group="新聞" name="中日新聞2015-10-12">『中日新聞』2015年10月12日朝刊第二社会面30面「蟹江一家3人殺傷 14日に控訴審判決 強盗殺人罪成立の可否が争点」</ref>、名古屋高裁(石山容示裁判長)は、第一審・死刑判決を支持し、被告人Lの控訴を棄却する判決を言い渡した<ref group="判決文" name="名古屋高裁判決(2015)">[[#名古屋高裁判決(2015)|名古屋高裁判決(2015)]]</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2015-10-14">『中日新聞』2015年10月14日夕刊第一社会面11面「蟹江殺傷 二審も死刑 控訴棄却 裁判員判断を支持」「三男『ひとまず安心』 出廷しない被告に憤り」</ref><ref group="新聞" name="中日新聞2015-10-15">『中日新聞』2015年10月15日朝刊第一社会面35面「蟹江3人殺傷 二審も死刑 厳罰化傾向にはくぎ」</ref><ref group="新聞" name="朝日新聞デジタル2015-10-14">{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/ASHBF6GZ7HBFOIPE026.html|title=高裁、一審の死刑判決支持 愛知・蟹江の3人殺傷|date=2015-10-14|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|accessdate=2015-11-19|archivedate=2015-11-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151119074841/http://www.asahi.com/articles/ASHBF6GZ7HBFOIPE026.html}}</ref><ref group="新聞" name="産経新聞2015-10-14 no.1">{{Cite news|title=愛知親子3人殺傷、二審も死刑 中国人男の控訴棄却|newspaper=[[産経新聞]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|date=2015-10-14|url=http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140044-n1.html|accessdate=2016-08-16|archivedate=2016-08-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160816083151/http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140044-n1.html}}</ref><ref group="新聞" name="日本経済新聞2015-10-14">{{Cite news|title=愛知一家3人殺傷、二審も死刑 中国籍の男に判決|newspaper=[[日本経済新聞]]|publisher=[[日本経済新聞社]]|date=2015-10-14|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14H3H_U5A011C1CC0000/|accessdate=2018-05-08|archivedate=2018-05-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508124551/https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14H3H_U5A011C1CC0000/}}</ref>。 |
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名古屋高裁は判決理由で、「殺害被害者数が2人の場合、原則として死刑を選択すべきとは言えない」と指摘し、「死刑選択に当たっては、合理的な根拠は何か、可能な限り慎重に検討すべきだ」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-10-15"/>。 |
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その上で名古屋高裁は、第一審判決について、「具体的な根拠で導き出された合理的判断で、是認できる」<ref group="新聞" name="中日新聞2015-10-15"/>、「被告人Lは、被害者宅に侵入した際、家人と遭遇して騒がれることを予想しており、実際にAに見つかったことで確定的な強盗の犯意が生じた。Aらが抵抗しなくなっても繰り返し暴行を加えるなど、犯行の態様は執拗で残酷だ。被告人の生命軽視の度合いは著しく、死刑の選択は避けられない」と述べた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-10-14"/><ref group="新聞" name="中日新聞2015-10-15"/>。 |
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===== 弁護人即日上告 ===== |
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被告人Lの弁護人は判決を不服として、同日付で[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に[[上告]]した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-10-15"/><ref group="新聞" name="産経新聞2015-10-15 no.2">{{Cite news|title=L被告の弁護人が上告 3人殺傷、2審も死刑で|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|date=2015-10-14|url=http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140085-n1.html|accessdate=2016-08-16|archivedate=2016-08-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160816042322/http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140085-n1.html}}</ref>。 |
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=== 上告審・最高裁第一小法廷 === |
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==== 2018年5月18日まで、上告審口頭弁論公判開廷期日指定 ==== |
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2018年5月19日までに[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第一[[小法廷]]([[木澤克之]]裁判長)は、被告人Lの上告審[[口頭弁論]]公判開廷期日を同年7月12日に指定し、関係者に通知した<ref group="新聞">『中日新聞』2018年5月19日朝刊第11版第三社会面29面「蟹江3人殺傷、7月弁論」</ref><ref group="新聞">{{Cite news |
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|title=愛知の3人殺傷、7月弁論 死刑判決の中国籍男 |
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|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30729070Z10C18A5000000/ |
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|date=2018-05-19 |
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|newspaper=日本経済新聞 |
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|publisher=日本経済新聞社 |
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|accessdate=2018-05-20 |
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|archivedate=2018-05-20 |
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|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180520111912/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30729070Z10C18A5000000/}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news |
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|title=親子3人殺傷7月に最高裁で弁論 |
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|url=http://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20180518/4825961.html |
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|date=2018-05-18 |
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|newspaper=NHKニュース 東海 |
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|publisher=日本放送協会 |
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|accessdate=2018-05-20 |
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|archivedate=2018-05-20 |
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|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180520112300/http://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20180518/4825961.html}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news |
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|title=親子3人殺傷 中国人被告の弁論が7月に 最高裁 |
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|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180518/k10011443651000.html |
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|date=2018-05-18 |
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|newspaper=NHKニュース |
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|publisher=日本放送協会 |
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|accessdate=2018-05-20 |
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|archivedate=2018-05-20 |
|||
|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180520112321/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180518/k10011443651000.html}}</ref>。 |
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==== 2018年7月12日、上告審口頭弁論公判開廷 ==== |
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2018年7月12日、最高裁第一小法廷(木澤克之裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ、結審した。 |
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弁護人側は、~~~~~と主張し、死刑判決を破棄して量刑を無期懲役刑に軽減するよう訴えた。 |
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一方で検察側は、~~~~~と主張し、一・二審の死刑判決を支持した上で、被告人・弁護人側の上告を棄却するよう訴えた。 |
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==== 2018年X月XX日まで、上告審判決公判開廷期日指定 ==== |
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2018年X月XX日までに最高裁第一小法廷(木澤克之裁判長)は、被告人Lの上告審判決公判開廷期日を同年Y月YY日に指定し、関係者に通知した。 |
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== 民事裁判 == |
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2015年、生存した三男Cを含めた被害者遺族3人が被告人Lに対し「[[損害賠償命令制度]]」{{Refnest|group="注釈"|犯罪被害者・遺族の救済支援のため、重大事件の刑事裁判の有罪判決後、同じ裁判官が公判記録を使って賠償額などを審理する制度<ref group="新聞" name="中日新聞2015-06-04"/><ref group="新聞" name="産経新聞2016-03-25"/>。}}に基づいて、死亡した2人の[[逸失利益]]・[[慰謝料]]など計約1億7900万円の支払いを求め、名古屋地裁に損害賠償手続きを申し立てた<ref group="新聞" name="中日新聞2015-06-04">『中日新聞』2015年6月4日朝刊第一社会面31面「蟹江殺傷被告に賠償請求 1億7900万円 遺族、命令制度を利用」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2015-06-05">『読売新聞』2015年6月5日中部朝刊第二社会面30面「蟹江3人殺傷で被告に賠償請求 遺族が1億7900万円=中部」</ref><ref group="新聞">{{Cite news|url=http://www.sankei.com/west/news/150604/wst1506040043-n1.html|title=死刑判決の被告に、家族3人を殺傷された遺族が賠償請求|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|date=2015-06-07|accessdate=2018-04-26|archivedate=2018-04-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150607033511/http://www.sankei.com/west/news/150604/wst1506040043-n1.html}}</ref>。 |
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第一審・死刑判決を不服として被告人Lが控訴したため、担当裁判官は賠償額を決定できなかった<ref group="新聞" name="読売新聞2015-06-05"/>。そのため、同制度に基づく手続きは2015年4月下旬に終結し<ref group="新聞" name="中日新聞2015-06-04"/><ref group="新聞" name="読売新聞2015-06-05"/>、[[原告]]の被害者遺族3人は、被告人に対して同額の[[損害賠償]]を請求する通常の[[民事訴訟]]に移行した<ref group="新聞" name="中日新聞2015-06-04"/>。 |
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その後、三男C以外の原告2人は2015年10月に訴訟を取り下げたため<ref group="新聞" name="読売新聞2016-03-25"/>、請求額は残る原告Cの請求していた約5600万円となった<ref group="新聞" name="中日新聞2016-03-25"/><ref group="新聞" name="産経新聞2016-03-25"/>。 |
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2016年3月24日、名古屋地裁([[村野裕二]]裁判長)は、原告三男Cの請求を全額認め、[[被告]](被告人L)側に慰謝料など約5,600万円の支払いを命じる判決を言い渡した<ref group="新聞" name="中日新聞2016-03-25">『中日新聞』2015年6月4日朝刊第一社会面31面「蟹江の3人殺傷 5600万円賠償命令 名地裁、被告に」</ref><ref group="新聞" name="読売新聞2016-03-25">『読売新聞』2016年3月25日中部朝刊第二社会面38面「蟹江強殺事件被告に5600万円賠償命令 名古屋地裁=中部」</ref><ref group="新聞" name="産経新聞2016-03-25">{{Cite news|url=http://www.sankei.com/west/news/160324/wst1603240051-n1.html|title=3人殺傷で32歳の中国人被告に賠償支払い命令、5600万円|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|date=2015-06-07|accessdate=2018-05-08|archivedate=2018-05-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508140748/http://www.sankei.com/west/news/160324/wst1603240051-n1.html}}</ref>。 |
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名古屋地裁は[[判決理由]]で、「極めて悪質、重大な事件で、動機も身勝手で同情の余地はない」<ref group="新聞" name="中日新聞2016-03-25"/>、「家族を奪われた原告Cの悲しみや心痛は余りあるものだ。被告(被告人L)は真摯な反省をしているとは認め難い」と指摘し<ref group="新聞" name="産経新聞2016-03-25"/>、死亡した被害者A・B両名の逸失利益を計約1億3,600万円のうち、Cの相続分の約4,550万円+Cの負傷などに対する慰謝料など計約1,050万円の支払いを命じた<ref group="新聞" name="読売新聞2016-03-25"/>。 |
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Cの代理人[[弁護士]]は「請求を認容する判決をいただいたが、実際にLから履行される可能性がないに等しいことを考えると、誠に遺憾でならない」とのコメントを出した<ref group="新聞" name="中日新聞2016-03-25"/>。 |
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== 防犯活動 == |
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2010年2月15日、現場となった蟹江町と、隣接する[[弥富市]]に対し、それぞれ録画・夜間撮影機能を持つ[[防犯カメラ]]が、犯罪抑止を願った地元住民らにより贈呈された<ref group="新聞" name="中日新聞2010-02-16">『中日新聞』2010年2月16日朝刊尾張版16面「殺傷事件二度と起きぬよう 市民が防犯カメラ寄贈 蟹江町と弥富市に」(記者:伊藤隆平)</ref>。蟹江町内の一般住民が同町に贈呈した防犯カメラは事件現場付近の近鉄蟹江駅前に、地域の会員らで作る「あまロータリークラブ」が弥富市に贈呈した防犯カメラは[[近鉄弥富駅]]南口前の公営駐輪場に、それぞれ新設された<ref group="新聞" name="中日新聞2010-02-16"/>。 |
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その後、「あまロータリークラブ」が防犯対策強化の一環として2011年5月23日、新たに近鉄蟹江駅前駐輪場に防犯カメラ1台を増設した<ref group="新聞" name="中日新聞2011-05-24">『中日新聞』2011年5月24日朝刊なごや東総合面19面「近鉄蟹江駅前に防犯カメラ増設 キャンペーン」</ref>。 |
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蟹江町民はその後も、平仮名45文字を頭にした防犯標語を作ったり<ref group="新聞" name="中日新聞2010-03-13">『中日新聞』2010年3月13日朝刊尾張版18面「『あ』空き巣狙い、対策講じて安心我が家 安全な街へ「防犯標語」 蟹江の住民パト隊5周年 頭に『あ』から『ん』45文字 隊長・○○さんが考案」(記者:伊藤隆平。なお、見出し内に事件関係者ではないが一般人の実名が含まれていたため、その箇所を伏字とした)</ref>、蟹江署・海部南部防犯協会連合会が合同で近鉄蟹江駅で利用者向けに防犯ブザーを貸し出したり<ref group="新聞" name="中日新聞2011-04-22">『中日新聞』2011年4月22日朝刊愛知県内総合面19面「防犯ブザーでSOSを 近鉄蟹江駅 無料で10個貸し出し 通り魔事件などで蟹江署設置」(記者:伊藤隆平)</ref>、蟹江署特捜本部の捜査員とともに情報提供を求めるチラシ配りに参加したりなどして<ref group="新聞" name="中日新聞2010-05-15">『中日新聞』2010年5月15日朝刊愛知県内版24面「被害者同級生らが情報提供呼び掛け 蟹江・一家殺傷事件」(記者:伊藤隆平)</ref>、防犯活動を継続した<ref group="新聞" name="中日新聞2011-12-10 no.2"/>。 |
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== 参考文献 == |
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=== 刑事裁判の判決文 === |
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* {{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋地方裁判所]]刑事第2部 |裁判形式=判決 |事件番号=平成24年(わ)第2750号、平成25年(わ)第77号 |事件名=住居侵入,強盗殺人,強盗殺人未遂,窃盗被告事件 |裁判年月日=2015年(平成27年)2月20日 |判例集=裁判所ウェブサイト掲載判例 |判示事項= |裁判要旨= |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=084980 |ref=名古屋地裁判決(2015) }} |
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<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;"> |
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;D1-Law.com([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28231359 |
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#金品窃取の目的で民家に侵入し、家人に発見されたことから、居直り強盗を決意して、家人2名を殺害し、1名に重傷を負わせ、現金等を奪ったという強盗殺人、強盗殺人未遂等の事案につき、死刑を回避すべき特別な事情はないとして、死刑が言い渡された事例。 |
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</div> |
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** 判決内容:死刑(求刑同・被告人側控訴) |
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** [[裁判官]]:[[松田俊哉]]([[裁判長]])・山田順子・中井太朗 |
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* {{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋高等裁判所]]刑事第1部 |裁判形式=判決 |事件番号=平成27年(う)第105号 |事件名=住居侵入,強盗殺人,強盗殺人未遂,窃盗被告事件 |裁判年月日=2015年(平成27年)10月14日 |判例集=『高等裁判所刑事裁判速報集』(平成27年)号229頁 |判示事項=|裁判要旨= |url= |ref=名古屋高裁判決(2015) }} |
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<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;"> |
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;D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28244308 |
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# 住居に侵入し、金品強取の意図で2名を殺害し、1名の殺害を遂げなかった住居侵入、強盗殺人、強盗殺人未遂被告事件において、強盗殺人罪の法定刑が死刑と無期懲役に限られていることに照らし、2名を殺害した場合には死刑を回避する特段な事情が必要であるとした原判決の説示には問題があるとし、死刑という最大限の非難を向けることが疑問なくできるかどうか、できるとすればその合理的な根拠は何かについて可能な限り慎重に検討を進めるべきであるという死刑選択の判断方法を示した上で、本件事案においては、そのような慎重な検討に従っても死刑の選択が合理的な判断であるとして、原判決の量刑判断が是認された事例。 |
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# 金品強取の意図で住居に侵入し、殺意を持って被害者にナイフで傷害を負わせた被告人が被害者にナイフを奪われ反撃を受けるなどして体力を消耗し、両者の間で、被告人は犯跡を隠滅する作業を追えたら速やかに出ていくこと、被害者はその間、両手両足を縛られることについて合意が成立したという強盗殺人未遂被告事件において、被告人は、被害者の反撃という傷害によって同人の殺害を実現できない状況に陥ったにすぎないから、自己の意思によって同人の殺害を中止したものとは認められないとして、中止未遂の成立が否定された事例。</div> |
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** 判決内容:被告人側控訴棄却(死刑判決支持・被告人側上告) |
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** 裁判官:[[石山容示]](裁判長)・伊藤寛樹・小坂茂之 |
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=== 関連書籍 === |
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* {{Cite book |和書 |author=年報・死刊廃止編集委員会 |title=ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017 |publisher=[[インパクト出版会]] |date=2017-10-15 |isbn=978-4755402807 |page=205 |ref={{Sfn|インパクト出版会|2017}} }} |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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{{Reflist|group="注釈"}} |
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=== 出典 === |
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==== 判決文 ==== |
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{{Reflist|group="判決文"}} |
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==== 新聞報道 ==== |
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;※見出し名に被告人・被害者の実名が含まれる場合、被告人は姓のイニシャル「L」、被害者は本文中で用いられている仮名(A・B・C)に、それぞれ置き換えている。 |
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{{Reflist|group="新聞"}} |
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==== 書籍 ==== |
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{{Reflist|group="書籍"}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* [[捜査特別報奨金制度]] |
* [[捜査特別報奨金制度]] |
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== 外部リンク == |
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* [http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/980/084980_hanrei.pdf Aの第一審判決文] - 裁判例情報 |
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{{crime-stub}} |
{{crime-stub}} |
2018年6月20日 (水) 00:46時点における版
愛知県蟹江町母子3人殺傷事件 | |
---|---|
場所 | 日本・愛知県海部郡蟹江町蟹江本町海門(近鉄名古屋線近鉄蟹江駅北側の住宅街)[新聞 1] |
日付 |
2009年(平成21年)5月1日深夜 - 5月2日昼[判決文 1] 5月1日午後9時30分頃から同日午後10時頃[判決文 1] – 5月2日午後0時20分頃[判決文 1] (UTC+9) |
概要 | 万引きなどで罰金刑を言い渡され、罰金支払いに困窮した中国人留学生が民家に侵入し、家人の女性と同居していた次男の計2人を殺害・女性の三男1人を負傷させた[判決文 1]。 |
懸賞金 | 警察庁から捜査特別報奨金制度対象事件に指定されたが、解決後に指定取り消し |
攻撃手段 | 鈍器で殴る・刃物で刺す |
攻撃側人数 | 1人 |
武器 |
女性A撲殺時の凶器…金属製モンキーレンチ[判決文 1](重量約635g[判決文 1]、「トップ工業」(本社:新潟県三条市)製「ワイドモンキレンチ エコワイド」[新聞 2]。全長31.5cm、自動車整備・水道配管工事用[新聞 2]) 次男B刺殺時の凶器…被害者宅の包丁(刃渡り約17.2cm)[判決文 1] 三男C襲撃時の凶器…大阪市の刃物メーカー「オルファ」製[新聞 3]、全長17.5cm[新聞 2]、片刃のネジ付きスライド式クラフトナイフ(刃渡り約6cm、重量約50g)[判決文 1] |
死亡者 |
計2人[判決文 1] |
負傷者 |
1人
|
損害 | 現金約20万円・腕時計1個(時価約1,200円相当)[判決文 1] |
犯人 | 中華人民共和国国籍の男L(犯行当時26歳、三重大学留学生、逮捕当時29歳) |
動機 | 強盗 |
対処 | 愛知県警察蟹江警察署が逮捕[新聞 4]・名古屋地方検察庁が起訴[新聞 5] |
謝罪 | 捜査段階・公判段階にて謝罪の言葉 |
刑事訴訟 | 死刑(上告中) |
民事訴訟 | 加害者側に総額約5,600万円の損害賠償命令[新聞 6](死亡した被害者2人の逸失利益約4,550万円+負傷した被害者Cへの慰謝料など約1,050万円)[新聞 7] |
管轄 | 愛知県警察蟹江警察署・名古屋地方検察庁 |
愛知県蟹江町母子3人殺傷事件(あいちけんかにえちょう ぼしさんにん さっしょうじけん)とは、2009年(平成21年)5月1日深夜、愛知県海部郡蟹江町の民家で発生した強盗殺人事件である[新聞 1][新聞 8][新聞 9][新聞 4][判決文 1]。
後述するように愛知県警察の初動捜査の際の不手際などから捜査が難航したため[新聞 10][新聞 11][新聞 12]、事件から半年以上が経過した2009年12月10日、警察庁から捜査特別報奨金制度対象事件に指定された[新聞 13]。その後、被疑者逮捕直後の2012年(平成24年)12月9日付で指定が取り消された[新聞 14][新聞 15][注釈 1]。
2018年(平成30年)現在、被疑者として逮捕・被告人として起訴された中国人の男は、刑事裁判の一・二審でそれぞれ死刑判決を受け、最高裁判所に上告中である。
被告人L
本事件の加害者である被告人の男Lは、1983年(昭和58年)7月、中華人民共和国(中国)山東省済南市の[新聞 18]、地方公務員の父親による中流家庭で[新聞 19]、一人っ子として生まれた[新聞 18]。
2017年(平成29年)9月22日現在[書籍 1]、死刑判決を不服として上告中の被告人Lは名古屋拘置所に収監されている[書籍 1]。
生い立ち
経済的に不自由なく暮らし、読書好きな少年だったLは[新聞 20]、地元では成績優秀で、地元の大学にも合格していたが、父親から「日本で先進技術を学んではどうか」と留学を勧められたことから[新聞 21]、2003年(平成15年)10月、郷里の中国・山東省から留学目的で来日した[判決文 1]。Lは来日後、四年制大学への進学をめざし[新聞 22]、京都府京都市内の[新聞 23]語学学校(日本語学校)の1年6カ月コースに入学し[新聞 22]、寮生活を送っていたが、その間の2004年(平成16年)4月・8月には、京都府京都市内で2度にわたって万引きをしたとして、窃盗容疑で摘発され、起訴猶予処分を受けた[新聞 22]。
語学学校関係者によれば、「授業料の約100万円は滞納せずに納めており、成績は優秀だった。三重大よりもさらに上の大学に届くぐらいの学力だったが、受験で手続き上のミスをしたため、上の大学には進学できなかった」という[新聞 22]。
Lは日本語語学学校を卒業後、2005年(平成17年)4月には奈良県奈良市内の[新聞 23]、コンピューター専門学校(2年課程)に入学したが[新聞 18]、後述の三重大学合格を受けて中退した[新聞 18]。当時の授業料は年間65万円余りで、延滞せずに納めていたが、クラスの成績上位者が選ばれる私費留学生向けの奨学金は受けられなかった[新聞 18]。コンピューター専門学校では「クラスのまとめ役」と評価されていたが、奨学金を受けられないことに不満を抱いており、担任教師に対して何度も「なぜ奨学金を受けられないんだ」と詰め寄っていた[新聞 23]。
三重大学入学後
Lは2006年(平成18年)4月、三重大学(三重県津市)に留学生として入学し、それ以降同大学に在学してた[判決文 1]。
Lは当時、国の支援を受けない私費留学生として、年間約34万円の授業料を払っており、津市内の大学キャンパス付近の木造平屋アパート(家賃1万数千円)で一人暮らししつつ、地域文化論を学んでいた[新聞 24]。三重大入学後、Lはコンピューター専門学校在学当時の担当教師に対し、「なぜ自分は奨学金を受けられないのか。そのせいで金に困り、コンビニエンスストアの廃棄弁当を漁って食べるような生活を送っている」という内容の手紙を送っていた[新聞 18]。そのため、母国の両親から仕送りを受けつつ、大学付近の飲食店などでアルバイトをして生活していたが、事件前には体調を崩して働けなくなった[新聞 25]。
しかし三重大の学生時代は、学費滞納を繰り返し、前期・後期ごとに大学側から何度も支払いの督促を受けており[新聞 20]、所属ゼミの教授は「大学の会計担当者から督促依頼が来ており、会計が退学をちらつかせてようやく支払う状態だった」と証言した[新聞 23]。Lは入学後最初の2年(2006年度・2007年度)こそ半年ごとに授業料を納付していたが、2008年度から2010年度にかけての3年間は、いずれも期限直前の3月下旬に前期・後期分を一括納付していた上、2008年には三重県の私費留学生奨学金を申請したが、成績不良などを理由に認められなかった[新聞 23]。
これに加えて三重大在学中は、アパートの家賃も滞納するなど、生活費に困窮しており、成績も悪く、授業に来ないことも多かった[新聞 22]。結局、事件のあった2009年度は2単位しか取得できなかったが、入学5年目となる2010年度には授業に出席するようになり、2011年3月に卒業した[新聞 23]。
事件の経緯
事件前の動向
来日直後から万引きなどの窃盗事件を繰り返していたLは、津市内でも食料品・衣類などの万引きを繰り返した[新聞 22]。
事件前年の2008年(平成20年)12月31日、当時大学3年生だったLは、高級食材を万引きする窃盗事件を起こし[判決文 1]、三重県警察津警察署に摘発され[新聞 26]、その後20万円の罰金刑を受けた[新聞 12][新聞 22]。これに加え、翌2009年2月8日、セーラー服のコスチュームを万引きしようとした窃盗未遂事件を起こし、検挙された[判決文 1]。
これに加えてLは、出席日数不足・成績不振などの理由から[新聞 24]、事件発生年の2009年4月には留年し、4年生に進級できなかった[新聞 27]。
2009年4月27日、各事件について検察庁で取調べを受けたLは、検察官から「罰金刑を科される見込みである」、「罰金を納めない場合には労役場に留置される可能性がある」と説明を受けた上で、略式手続による処分を受けることに同意した[判決文 1]。
Lは、「罰金を支払えず、労役場に留置されると、大学を退学処分になり自分の人生が終わってしまう。そうなれば日本への留学のために経済的負担を掛けた両親の期待を裏切ってしまう」などと考えた[判決文 1]。当時、Lの銀行口座の貯金残高は1000円未満だった[新聞 28]。
2009年4月から2009年5月1日、犯行準備
そこでLは当初、罰金を支払う資金を得るため、愛知県名古屋市内で通行人から金品を奪う路上強盗を思い付いた[判決文 1]。
その際、相手から追跡された場合に捕まらず逃げ切るために、「武器を使って相手を脅したり、殴ったりしよう」と考えた[判決文 1]。
そのため、事件当日の2009年5月1日、自宅からモンキーレンチ(金属製・重量約635g)・片刃のネジ付きスライド式クラフトナイフ(刃渡り約6cm、重量約50g)を、それぞれをかばんに入れて携帯した上で、パーカー・マスクを着用して名古屋市内に出掛けた[判決文 1]。
Lは同日、名古屋駅周辺で路上強盗をする相手を探したものの、犯行のターゲットを見つけることができなかったために犯行を断念し、近鉄名古屋駅(近鉄名古屋線)から帰りの電車に乗った[判決文 1]。
乗車中、電車内で乗客女性に目を付けたLは、この女性を狙ってひったくりをしようと考え、女性が降りた近鉄蟹江駅で後を追って降車したが[判決文 1]、女性が乗用車で立ち去ったため[新聞 19]、犯行は結局失敗した[判決文 1]。
Lはその後も、ひったくりをする相手を見付けられなかったため、犯行を断念し、近鉄蟹江駅へ向かい、被害者A方付近を歩いていた[判決文 1]。
2009年5月1日夜、被害者宅侵入
2009年5月1日午後9時30分頃から同日午後10時頃までの間に、被害者A宅付近を通りかかったLは、A一家の飼い猫が、施錠されていなかった玄関からA方に入るのを見た[判決文 1]。
家の玄関ドアが少し開いていることに気付いたLは、A宅に近付くと、リビングには照明が点灯しており、テレビも点いていた[判決文 1]。しかし、玄関ドアの隙間から屋内の様子を伺ったところ、玄関の照明は消えており、中に誰もいなかった[判決文 1]。
そこで、A宅で金品を窃取しようと考えたLは、土足で玄関ドアからA宅に侵入した[判決文 1]。そして、照明が点灯していたリビング・廊下を挟んで反対側の、照明が点灯していなかった和室に入った[判決文 1]。Aは、三男Cが5月1日午後8時頃に外出した際には自宅にいた[新聞 29]。
和室内に侵入したLは、室内を観察し、室内にあったコートなどのポケットを調べるなどして、金品を物色した[判決文 1]。
被害者女性Aを殺害(強盗殺人罪)
するとLの背後から、家主の女性A(事件当時57歳、死亡)が、Lを問い質すような声を掛けた[判決文 1]。これに驚いたLは、玄関から逃走しようとしたが、Aに服を掴まれた[判決文 1]。
この時Lは、全力でAから逃げようとすれば逃げることはできたが、「(金を手に入れる)最後のチャンス」と、大金を手に入れることを諦めきれなかったため、Aから逃げなかった[判決文 1]。
そして、金品を強取することを決意した上で、殺意を持ち、Aの頭部を多数回、持っていたモンキーレンチで殴るなどして、頭蓋骨骨折・脳挫傷などによる外傷性脳障害により、Aを死亡させて殺害した[判決文 1]。モンキーレンチで襲われた後も、Aはしばらく息があり「誰か」と声を上げたが、Lによって首に紐を巻き付けられ、とどめを刺された[新聞 30]。
Aの遺体所見
Aの遺体の顔面には、上顎骨の粉砕骨折を伴う挫創1か所と、5か所の刺切創があった[判決文 1]。
これに加えて遺体の頭部には、頭蓋骨の欠損・陥没骨折・切痕を形成するものや、頭蓋骨を貫通して脳に達したものを含め、19か所の挫創があった[判決文 1]。
そして、遺体の頸部には索条痕が認められた[判決文 1]。
被害者次男Bを殺害(強盗殺人罪)
LがAに対し、暴行を加えていた最中、Aの次男B(事件当時26歳、死亡)が、母親Aを助けようとLに飛び掛かった[判決文 1]。
Lはそのまま、リビング・和室などで[判決文 1]、Bと約1時間にわたって揉み合いになった[新聞 30]。この時、着けていたマスクが外れたが、自己の後頭部を勢いよく、Bの頭部にぶつけたことで優勢となった[判決文 1]。
Lはその後、Bの服をまくり上げ、近くにあった電気コードでBの両手を縛り上げた[判決文 1]。
マスクが取れてしまい、Bに顔を見られたと思ったLは、「Bを殺すしかない」と考え、A宅の台所にあった包丁(刃渡り約17.2cm)を持ち出した[判決文 1]。
そして殺意を持って、包丁でBの左背部を数回突き刺すなどして、被害者Bを左肺動脈切断による出血性ショックにより、死亡させて殺害した[判決文 1]。
この時、Bの殺害に使用された包丁は、刃全体が反り曲がっていた[判決文 1]。
Bの遺体所見
Bの遺体左背部には、4か所の刺創・刺切創が、合計4か所確認された[判決文 1]。
そのうち最も重篤な傷は、深さ約11.5cm、長さ約4.9cmで、左肺・左主気管支後面・左主肺動脈を損傷していた[判決文 1]。
被害者三男Cを襲撃(強盗殺人未遂罪)
A・B両被害者を殺害したLは、A宅の床の血痕・足跡を拭き取ったり、血液の付着した衣服を洗濯したりして、証拠隠滅を図っていた[判決文 1]。
日付が変わった2009年5月2日午前2時25分頃、Aの三男C(事件当時25歳、負傷)が帰宅した[判決文 1]。
Cは、事件発生数時間前にいったん帰宅したものの、同僚との飲み会に参加するために外出し、2日午前2時半頃に帰宅した[新聞 31]。
Cの帰宅に驚いたLは、玄関に座ってブーツを脱いでいたCを背後から、殺意を持った上で、首やその周辺などを、立て続けにクラフトナイフで数回突き刺した[判決文 1]。Cはこの状況を公判で、「玄関でブーツを脱いでいたら、背後の廊下を勢いよく走る足音が聞こえた直後、後頭部に強い衝撃が2,3回走り、振り返ると暗がりに人影があった」と証言した[新聞 31]。
刺されたCは背後を振り返り、廊下に立っていたLを取り押さえようとして揉み合いになった[判決文 1]。
2人が和室へ雪崩込んだところ、Cがうつぶせの状態になり、その上にLが覆いかぶさる形となった[判決文 1]。両者はクラフトナイフを奪い合い、一時は反撃したCが、Lの足を刺した[判決文 1]。
その後Lは、Cと話し合った結果、クラフトナイフを離れた場所に投げ捨てた[判決文 1]。
帰宅から約30分後、Cは負傷しつつも、Lに「出て行け」と迫ったが、Lは「まだやることがある。血を拭いたり、指紋を消したりする」と拒否し[新聞 31]、Cの手首を電気コードで縛り、Cの着ていたパーカーをまくり上げると、ガムテープを使い、Cの頭を覆うようにして目隠しをし[判決文 1]、抵抗不能な状態に陥ったCを床に寝転がした[新聞 31]。
Cを縛りつけたLは[判決文 1]、Cに「殺さないでくれ」と命乞いをされたことや、顔を見られていなかったことから殺害を思い留まり[新聞 30]、Cにそれ以上の暴行を加えることはなかったが、A宅を離れるまで、Cを解放するなど、救助するような行動は一切取らなかった[判決文 1]。Lはその間、いったんCのそばを離れて現場の物色・証拠隠滅をした後、約1時間後になってCに「金はあるか」と尋ねた[新聞 31]。これに対し、Cが「うちには金はない」と答えると、Lは「家に入って女性(A)に見つかった。揉み合っているとき、男性(B)が入ってきて…ごめん」と告げた[新聞 31]。Lのこの言葉からCは、母親A・兄Bが死亡したことを悟った[新聞 31]。
その後Cは何度も意識が途切れ、洗濯機が動く音など以外については「特によく覚えていない」と証言した[新聞 31]。その間もCは、Lに対し「早く出て行け」と迫ったが、Lは「俺もそうしたいが今は無理だ。(自分も)怪我をしていたから、(傷口からの出血が止まるまでに)時間がかかる」、「逃げてもすぐに見つかる。服も着替えないといけない」という趣旨の発言をして拒否し、その後、「手足の血が止まった」という趣旨の発言をした[新聞 32]。
この他、LはCに対し「2、3日寝ていない」[新聞 33]、「金がない」「金はどこだ」などのように金銭のありかを尋ねる発言、「あと誰がいる?」という家族構成を尋ねる発言をしていたほか、「無理」などの若者言葉を多用し、「は」「を」などの助詞を抜いた言葉遣いをしていたという[新聞 34]。
そして逃走するまでの間にLは、床に付着した血痕・足跡を拭き取ったり、血液の付着した衣服を洗濯したりするなどして、証拠隠滅工作を行った[判決文 1]。その上で、縛られたCに「金があるのか」と尋ねた上で、財布を発見し、入っていた現金を奪い取るなどした[判決文 1]。
後述のように警察が駆け付ける前である2009年5月2日早朝、母親Aの知人が現場宅を訪れ、家の玄関のインターホンを押した[新聞 33]。この際、Cが「出てもいいか」とLに尋ねると、Lは「まだやること(現場の血痕を拭き取るなどの証拠隠滅・現場偽装)が残っている」、「掃除している」などと述べ、Cが玄関に出るのを制止した[新聞 33]。その上でLはCに布団をかぶせ、声を出せない状態にした[新聞 35]。
その結果Lは、A・B・C所有の現金約20万円・腕時計1個(時価約1,200円相当)を強取し、現場から逃走した[判決文 1]。
Cの診断結果
Lにナイフで刺されるなどした結果、Cは一命こそ取り留めたものの、全治約2週間の怪我を負った[判決文 1]。
Cの後頸部・背部には、それぞれ3か所ずつ刺創があった[判決文 1]。警察官により保護された2009年5月2日午後0時55分頃の時点でも、これらの傷口は開いたままで、わずかに出血が続いていた[判決文 1]。
その中でも、最も重篤な後頸部の刺創は、正中線のほぼ真上に位置しており、傷口の長さ約2.7cm、深さ約6cmと、かなり深いものだった[判決文 1]。この傷口は頸椎にまで達しており、少し受傷部がずれていれば、頸動脈などの重要器官を損傷し、致命傷となっていた可能性が高かった[判決文 1]。
また、その他の刺創も頸椎に達しているものがあるなど、いずれも一歩間違えば、これまた致命傷となりかねないものであった[判決文 1]。
初動捜査
2009年5月2日、事件発覚、殺人容疑で捜査開始
2009年5月2日朝、次男Bの勤め先の洋菓子店上司が、Bが出勤しないことを不審に思ったため、愛知県警察蟹江警察署員と同伴し、同日午後0時20分頃にA宅を訪ねた[新聞 9]。
自宅に様子を見に行ったBの婚約者女性(同僚)は、カーテンに血液が付着していることに気付いた[新聞 36]。
駆けつけた警察官が家の中に声を掛けていたところ[新聞 36]、首の後ろ・背中を刺されて負傷した三男Cが[新聞 9]、Lの気配がないことに気付いたため[新聞 31]、両手首を縛られた状態で、施錠されていた玄関の鍵を開け、玄関から飛び出してきた[新聞 9]。
A宅の玄関付近に来ていた署員は間もなく、Cを保護した上で[判決文 1]、「休んでいてください」と付近に待機させた[新聞 37]。この時Cは、蟹江署員に対し、「強盗に入られた、助けてください。家の中で2人死んでいます。犯人は逃げました」と伝えた[新聞 35]。
その一方でLは、1階南側の玄関ドア隙間から上がり框でうずくまっていたのが、蟹江署員により確認された[新聞 35]。しかしこの時、蟹江署員はLを被害者だと思い込み、玄関先から「出てきてください」と声を掛けた[新聞 35]。その後、署員が2分間ほど無線で連絡を取っていた間に[新聞 35]、Lは隙を見てA宅から逃走した(#初動捜査における数々の不手際)[判決文 1]。署員は訪問時、1回北東側の勝手口が施錠されているのを確認したが、Lが逃走した後の現場検証では解除されていたことが判明した[新聞 35]。
警察官らが屋内に入ったところ、1階の和室で、上半身裸の次男Bが、うつぶせで倒れているのが発見された[新聞 9]。この時点で既に意識不明状態だったBは、刃物で背中を少なくとも2か所刺されており、病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された[新聞 1]。
愛知県警は当初、殺人事件と断定し、捜査本部を設置した上で捜査を開始した[新聞 9]。
捜査本部が被害者Cを事情聴取したところ、Cは「帰宅直後、靴を脱いだところを突然背後から1人の男に襲われた。抵抗していたが、飲酒していたために酔いが回って意識を失い、警察官が来たことで目を覚ました」と証言した[新聞 9]。
その上で男の特徴について、Cは「片言の日本語だった」と話した上で、「男と揉み合いになった際、和室で兄Bとみられる男性が倒れていた」と証言した[新聞 9]。
現場は、近鉄名古屋線近鉄蟹江駅から北西約500mの閑静な住宅街で、地元住民からは「まさかここで殺人事件が起きるなんて」と、驚きの声が上がった[新聞 8]。
2009年5月3日、被害者Aの遺体発見、強盗殺人容疑に切り替え
2009年5月3日朝から、愛知県警蟹江署に設置された特別捜査本部が、改めて現場検証を行った[新聞 29][新聞 38]。その結果、Bが倒れていた1階和室の押し入れ下段から、行方不明となっていた母親Aの遺体が、毛布がかぶせられた状態で押し込められているのが発見された[新聞 29]。
特捜本部は当初、Bが遺体で発見された和室の物的証拠・微物の収集を優先しており、押し入れの中は目視での確認にとどめていたため、Aの遺体発見に時間がかかった(#初動捜査における数々の不手際)[新聞 29]。
遺体の状況から、AはBとほぼ同時刻に、後頭部を激しく殴られたり、背中を刃物で刺されるなどして殺害されたと推測された[新聞 29]。これに加え、凶器とみられる包丁が血を洗い流した状態で、家の中から見つかった[新聞 29]。発見された包丁は、犯人が激しく刺したためか、刃が柄から外れていた[新聞 39]。
また、負傷した三男Cが、「襲ってきた男が、自分に対し『金はないか』と聞いてきたので、『うちには金はない』と答えた」と証言した[新聞 29]。そのため愛知県警は、容疑を強盗殺人に切り替えた上で、特別捜査本部を設置し、捜査を開始した[新聞 29]。
現場検証の結果、侵入が可能なのは、1階玄関・勝手口と推測されたが、事件当時の施錠状況は不明だった上、和室・1階廊下以外には目立った血痕は確認されなかった[新聞 29]。
この他玄関内には、Cのものとみられる現金入りの財布・紙幣数枚が落ちていた[新聞 29]。特捜本部は、室内から奪われたものがないか確認を進めるとともに、一家に何らかのトラブルがなかったかを調べた[新聞 29]。
同日、最初に遺体で発見された被害者Bの遺体を司法解剖した結果、死因は出血性ショックと断定された上、背中の傷の一部が肺にまで到達していたことが判明した[新聞 29]。
2009年5月4日、死亡者2人の死因特定
2009年5月4日、蟹江署特捜本部が女性Aの遺体を司法解剖した結果、死因は頭を鈍器で殴られた外傷性脳障害であることが判明した[新聞 40][新聞 41]。
A・B両名の遺体は、ともに顔が腫れ、皮下出血が確認された上、何度も殴られるなど、執拗に暴行を加えられたような痕跡があった[新聞 40]。
特にAの後頭部は著しく骨折していたほか、紐状のもので首を絞められた痕(索状痕)が確認された[新聞 40]。その一方、Aの背中の傷は当初、刃物で切り付けられたものと見られていたが、鈍器で殴られた際にできたものだと判明した[新聞 40]。
一方でBの背中の複数の刺し傷は、A宅の洗面所で見つかった、A宅で使われていたとみられる血を洗い流された包丁と刃型が一致した[新聞 40]。また、玄関近くの廊下から、Aを殺害したと凶器とみられるモンキーレンチが発見された[新聞 39]。
これに加えて室内から、Aが飼っていたペットの猫も殺されているのが見つかった[新聞 40]。
現場検証では、室内から一家3人それぞれの預金通帳・財布が発見された[新聞 40]。また、署員が駆け付けた当時は玄関が施錠されていたが、Cが所有していた玄関ドアの鍵が、屋外敷地内で発見された[新聞 40]。
また、三男Cは特捜本部の事情聴取に対し、「見覚えのない男1人に背後から刃物で襲われ、電気コードで両手を縛られた際、違うイントネーションの日本語で現金を要求された。その後、粘着テープで口をふさがれた」と証言した[新聞 40]。
2009年5月7日、洗濯機から血液が付着した衣服発見
2009年5月7日、特捜本部が現場検証を行った結果、A宅の洗濯機に血液が付着した衣服が入れられていたことが判明した[新聞 39][新聞 42]。
血液の付着した衣服は、既に水洗いされた衣服の上に投げ入れられていたことから、一家の誰かが洗濯機を使った後、犯人が投入したと推測された[新聞 39]。
また、洗面所にも血液が付着した複数の男女の衣服があったが、いずれも誰が着ていたものかまでは判明しなかった[新聞 39]。そのため特捜本部は、後述のように犯人も負傷した可能性が高いとして、採取した血痕の鑑定を進め、犯人の衣服が残っていないかどうかを調べた[新聞 39]。
これに加え、浴槽の毛布などには、血液を洗い流した形跡があったほか、浴槽に残っていた水がピンク色に染まっていた[新聞 39]。また、2人の遺体が発見された和室・廊下を挟んで向かい合う位置にある居間には、血痕を拭った跡が確認された[新聞 39]。
特捜本部の捜査や、三男Cの証言から、以下の事実も判明した[新聞 39]。
- Bを殺害したとみられる包丁は、刃が柄から外れていたことから、犯人が激しく差しているうちに、自らも手を負傷した可能性が高い[新聞 39]。
- 事情聴取に対しCは、「犯人に襲われた際、もみ合ううちに包丁を奪って振り回したが、その際に犯人に当たったかもしれない」と証言した[新聞 39]。
- 5月1日午後9時頃、Aが自宅の電話を使用し、友人と会話していた[新聞 39]。
同日午後、死亡したA・B両名の葬儀が、蟹江町内の斎場にて密葬で営まれた[新聞 39]。葬儀には、負傷して入院中だったCをはじめ、A一家と別居中の長男・親族など、ごく親しい知人が参列した[新聞 39]。
2009年5月8日、犯人が現場から逃走したことが判明
2009年5月8日までの捜査の結果、事件発覚時にA宅にいた若い男が、蟹江署員が目を離していた隙に勝手口から逃走していたことが判明した[新聞 35][新聞 37][新聞 43]。
また、室内から見つかった財布3つは、すべて紙幣が入っていなかったことが判明した[新聞 35][新聞 43]。
2009年5月9日、夕食を犯人が食べた痕跡確認
2009年5月9日までの捜査の結果、殺害されたAが作り置きしていた夕食を犯人が食べていた可能性があることが判明した[新聞 44][新聞 45]。
Aの胃の内容物は、1回の食卓に残されていた夕食と一致するものがあったことから、Aは夕食後に殺害したことが推測されていたが、食卓には、A・B・C以外の第三者が食事をしたとみられる形跡が確認された[新聞 44]。
これまでの捜査の結果、犯人は室内に10時間以上とどまっていたとみられたため、特捜本部は食卓の食器に付着した指紋・唾液など、犯人への手掛かりとなる物的証拠の鑑定を進めた[新聞 44]。
これに加え、現場1階の和室で発見された、Cを襲撃した際の凶器とみられる血液の付着した小刀は、犯人が持ち込んだ可能性が高いことも判明した[新聞 44]。また、5月3日の現場検証では「現場に土足痕は確認されなかった」と発表されていたが[新聞 29]、その後の現場検証で、1階廊下など室内複数個所から、犯人のものと思われる土足痕が見つかったことも判明した[新聞 44]。
初動捜査における数々の不手際
Lの逃走について愛知県警は、「住民は殺人事件として警戒しており、二次被害発生の心配はない。『黒っぽい服装の男』というだけで、どれだけ情報が集まるかも不明だ」として、「捜査上の秘密」と判断し、後に『中日新聞』・『東京新聞』(いずれも中日新聞社)が事件6日後の2009年5月8日付紙面で報道するまで、1週間近くもこの事実を公表しなかった[新聞 46]。県警がひた隠しにしていたこの事実が知れ渡ったのは、捜査の進め方に不信感を抱いていた捜査関係者に、『中日新聞』社会部記者・平田浩二が接触し、取材内容を同紙が「特ダネ」として報道したことがきっかけだった[新聞 47]。
一連の対応について、特捜本部長・立岩智博(愛知県警捜査一課長)は、「結果的に犯人かもしれない不審者に逃走されたが、当初は被害者Cの治療・現場保存などを行う必要があり、初動捜査にミスはなかった。男の情報は事件の重要な目撃情報であるため公表しなかった」とコメントしたが[新聞 35]、結果的にこのような不手際の数々が、事件解決を遅らせる原因となった[新聞 11]。
特捜本部は当初、顔見知りの犯行とみて初動捜査に当たったが、途中から「見ず知らずの何者かによる犯行」と見方を変えたため、捜査は後手に回った[新聞 46]。これに対し捜査関係者は、『中日新聞』の取材に対し「初動捜査で判断を誤った」と指摘した[新聞 46]。
また、被害者Aの遺体は毛布を掛けられ、押し入れに隠されていたが、事件発覚当日に現場室内に入った捜査員は、Aの遺体が入っていた押し入れのふすまを開けたものの、毛布をめくりあげるなどはせずに目視にとどめたため、Aの遺体を発見できず[新聞 46]、Aは当初の警察発表で「行方不明」とされた[新聞 11]。この点について特捜本部は、『中日新聞』の取材に対し、「物的証拠・遺留品に神経質になっている」として、現場保存を優先する近年の捜査傾向を明かした[新聞 46]。
しかしAの遺体は、毛布をめくれば簡単に発見できる状態だった上、負傷した三男Cは助けを求めた際「中で2人死んでいる」と発言していた[新聞 46]。このことから捜査関係者は、『中日新聞』の取材に対し、「殺人事件の現場に立つ経験が長ければ、大量の血痕を見て、『もう1人遺体がある』と思うはずだ」と苦言を呈した[新聞 46]。
また、犯人の着ていたとみられるパーカーを一般に公開したのは、事件発生から約2週間後の2009年5月15日だった[新聞 48]。
愛知県民からの信頼が揺らぐこととなった一連の初動捜査ミスに対し、『中日新聞』2009年12月28日朝刊愛知県内版記事(記者:藤沢有哉・伊藤隆平)は、「犯人逃走はすぐ地元に知らせる必要があったし、住民の記憶が薄れた時期の証拠品公開は効果が薄い。埋もれた有益な情報を引き出すには、情報公開で大勢の目を事件に向けさせ、理解・協力を得ることが不可欠だ。情報を選別した上で、捜査に重大な支障が出るもの以外は迅速に公開する姿勢が、県警には欠けていた」と指摘した[新聞 48]。
難航する捜査
2009年5月10日、Cの運動靴消失が判明
2009年5月10日までの捜査の結果、A宅の玄関にあったはずのCの運動靴1足が消失していたことが判明した[新聞 49][新聞 50]。その一方、玄関に家族以外の靴は確認されなかった上、運動靴とみられる土足痕が室内の数か所で確認されたほか、スリッパなど多くの足跡が残っていた[新聞 49]。
このため捜査本部は、足跡の識別による特定を急いだ上で、犯人が証拠を残さないよう、Cの靴を盗み出し、自分の履いていた靴を持って逃走したとみて、調べを進めた[新聞 49]。
これに加えて現場からは、大量の使用済み粘着テープが発見された[新聞 49]。粘着テープは、前述のように犯人がCを拘束する際に使用されたが、Cは警察に保護された際、自力で外していた[新聞 49]。特捜本部は、粘着テープに犯人の指紋などが残っていないか調べるため、慎重に鑑定を進めた[新聞 49]。
2009年5月13日、犯人の遺留品と思われる上着発見
2009年5月13日までの捜査の結果、玄関付近で濡れたウィンドブレーカーが発見された[新聞 51][新聞 52]。
このウィンドブレーカーは暗い黄緑色で、サイズは家族の衣服より大きく、生存した三男Cも見覚えのないものだった[新聞 51]。また、犯人が3人を殺傷した際、ウィンドブレーカーに返り血を浴びたり、自身も怪我をして血液が付着したため、水で洗った可能性が推測されたため、捜査本部は犯人の遺留品の可能性があるとして販売ルートを調べつつ、毛髪などが付着していないかを確認した[新聞 51][新聞 52]。
また同日までに、家族のものとみられる(前述のように盗まれたCの運動靴とは別の)靴の片方だけが、浴槽内で発見されていたことが判明した[新聞 53]。この靴は男物の片方で、水を張った浴槽に、タオル・毛布などとともに投げ込まれていた一方、もう片方は玄関にあった[新聞 53]。
2009年5月14日、被害者一家と異なるDNA型検出
2009年5月14日までの捜査の結果、室内で発見された遺留物の中に、被害者母子とはいずれも異なるデオキシリボ核酸(DNA)型が検出された[新聞 54][新聞 55]。
犯人が食べたとみられる夕食の食べ残しがあった食器(廊下に落ちていた味噌汁の椀)に付着した唾液から検出されたDNA型を鑑定した結果、A・B・Cの一家3人や、別居中のAの長男・四男のいずれとも異なるDNA型が検出された[新聞 54]。特捜本部はそのDNA型を警察庁のデータベースで照会したが、この時点では合致する型は発見できなかった[新聞 56]。
特捜本部はこれまでに、犯人が殺傷に用いた凶器とみられる包丁・モンキーレンチ・小刀や、水を張った浴槽・洗濯機の中から発見された血液の付着した毛布・衣類などを鑑定し、犯人の唾液・皮膚片などが付着していないか分析しつつ、採取した血痕などとともにDNA型を鑑定していた[新聞 54]。
その一方、現場の複数個所からは手袋の跡が見つかった一方、遺留品からは犯人のものとみられる指紋は発見されなかった[新聞 54]。そのため特捜本部は、犯人が手袋をはめていた可能性があるとみて捜査を進めた[新聞 54]。
2009年5月15日、犯人遺留品の上着を一般公開
2009年5月15日、蟹江署特捜本部は犯人が室内に残し、玄関付近で濡れた状態でたたまれて放置されていたパーカーを一般公開した[新聞 56]。
パーカーは名古屋市中村区内の業者が「PRIMAL POINT」のブランド名で、約11,000着を中国で製造し[新聞 57]、2003年末から2004年初めにかけて、中部地方の82店舗を含めた全国の商業施設で1,000円前後で販売されていた灰色の男性用LLサイズパーカーで、胸には「WHO involves」と印刷されていた[新聞 56]。このうち、遺留品と同色・同サイズのものは約450着が流通していた[新聞 57]。
被害者一家の関係者が、特捜本部に対し「見覚えがない」と証言したため、犯人の遺留品と判断した[新聞 56]。
パーカーは汚れ・においが著しかったことから、特捜本部は、「犯人の男は事件当時、屋外生活を送っていた可能性が高い」という見方を強めた[新聞 56]。また、濡れた状態で発見された点について、「犯人は事件後、パーカーを洗濯することで付着した血液を落とした」と推測された[新聞 56]。
その上で特捜本部は、パーカーを鑑定し、汗・血痕が付着していないかどうかを調べた[新聞 56]。
2009年5月17日、2階から血液反応・遺留現金発見
2009年5月17日までの蟹江署特捜本部の捜査の結果、2階にも新たに血液反応が確認された上、現金が残されていたことも新たに判明した[新聞 58][新聞 59]。
2階には、殺害された被害者B・負傷した被害者Cの部屋があったが、現場検証の当初、目視可能な大きさの血痕は発見されなかった[新聞 58]。その一方、室内で争ったり、家具が荒らされたりした後も確認されなかった上、Bの部屋には現金が手つかずで残されていた[新聞 58]。
しかし改めて現場検証を行った結果、少量の血液反応が確認された[新聞 58]。前述のように、犯人の遺留品のパーカーは汚れ・においが著しいことから愛知県警は、犯人がAもしくはBを殺害した後2階に上がり、下着などの着替えを探した可能性があるとみて捜査を進めた[新聞 58]。
また、被害者一家の血液型はいずれもA型だったため、特捜本部は家族以外の血痕がないか、血痕の鑑定を進めた[新聞 58]。
これに加え、ベランダに面したCの部屋には、取り込まれた多数の洗濯物が積まれていたことから、捜査本部はCから部屋からなくなったものがないか確認するとともに、他にも犯人の遺留品がないか調べた[新聞 58]。
同日夜、現場検証が終了したため、現場宅の周辺数十メートルの範囲に愛知県警が張っていた規制線が撤去された[新聞 60]。
2009年5月31日まで
事件から1カ月となる2009年5月31日までの捜査の結果、遺留品などから犯人のものとみられる指紋は採取されなかった一方、現場室内からA宅にはないはずの作業用手袋の跡が発見されたことが判明した[新聞 61]。
また、被害者Aを殺害したとみられるモンキーレンチを調べた結果、一般家庭ではあまり使われない工業用レンチだったことも判明した[新聞 61]。このレンチは県外の有名メーカーが生産し、全国向けに流通したものだった[新聞 61]。
以上の点から蟹江署特捜本部は、犯人が事前にレンチ・手袋を用意した可能性が高いとみて、レンチの流通経路や、同型のレンチを紛失したり、盗難されたりした事業所がないか調べた[新聞 61]。
現場から(後に犯人Lと判明する)男の逃走を許したり、被害者Aの遺体発見が遅れたり、遺留品の公開・警察犬の投入などが遅れるなど、捜査が後手に回ったことにより、事件発生から1カ月が経過したこの時点でも、犯人像・犯行目的は絞り込み切れず、捜査は難航した[新聞 46][新聞 62]。
- これまでの捜査で浮上した不可解な点
- 犯人はCに「金はないか」と迫り、家族3人の財布から紙幣を奪ったが、Bの部屋から現金数十万円が発見され、玄関には1万1000円分の紙幣が落ちていた[新聞 61]。
- 犯人が室内に10時間以上滞在していた可能性が高いにもかかわらず、犯人が2階を物色した形跡がない[新聞 46]。
- 証拠隠滅・現場偽装を入念に図ったかのように思える点と、ずさんな面がそれぞれ確認された[新聞 46]。この点について捜査幹部は「犯人は犯行後、現場を事件前のように装い、証拠隠滅を図ったが、息子たちが相次いで帰宅した上、最後に警察官が来たため、中途半端なまま逃走した可能性が高い」と指摘した[新聞 46]。
- Aが作り置きしていた夕食の味噌汁を犯人が飲んだ痕跡がある[新聞 46]。
- 被害者Aの飼い猫が殺されている一方、犯人の顔を見た可能性があった上、声も聞いたはずの三男Cは殺害されなかった[新聞 46]。
2009年6月 - 12月
2009年10月3日まで、新事実判明
2009年7月3日までの捜査の結果、以下の2点の新事実が判明した[新聞 63]。
- 刺殺された被害者Bの腕時計が室内から無くなっていた[新聞 63]。捜査本部は犯人が奪った後、古物商で売った可能性があるとみて、全国の古物商などに持ち込まれていないか調べた[新聞 63]。
- 被害者Aを撲殺した際の凶器とみられるモンキーレンチは、新潟県の工具メーカーが2005年末ごろに製造した、全長31.5cm、重さ650gの業務用大型レンチで、約3000本製造され、全国で販売されたものだった[新聞 63]。
2009年10月3日までに三男Cは、『中日新聞』の取材に初めて応じ、「犯人が自分を襲ってから逃走するまでの間、1階の洗濯機が動いていた」と証言した[新聞 66][新聞 67]。
三男Cは事件当時、捜査本部に対し「犯人に来ていたパーカーで顔を隠されたため、犯人の顔は分からない。犯人は男で日本語を話しており、外国語っぽいイントネーションはなかった」と話していた[新聞 66][新聞 67]。
2009年10月29日まで、被害者3人と異なる血液型検出
2009年10月29日まで、愛知県警蟹江署特捜本部は唾液・汗などを含めた室内の遺留物を鑑定した[新聞 68][新聞 69]。その結果、現場室内から被害者3人全員の血液型であるA型とは異なる、O型の血液型血痕が検出された[新聞 68][新聞 69]。
蟹江署特捜本部はこの血痕を「犯人の血液型である可能性が高い」として、重点的に捜査を進めた[新聞 68][新聞 69]。
事件から半年が経過した2009年11月2日まで、愛知県警蟹江署特捜本部は35人態勢で捜査に当たり、犯人の遺留品分析・情報の洗い直しなどを急いだ[新聞 70]。同日までに、特捜本部には約300件の情報提供があり、捜査対象者は約5400人に上ったものの、いずれも犯人の特定には結びつかなかった[新聞 70]。
2009年12月10日、警察庁が本事件を捜査特別報奨金制度対象事件に指定
警察庁は2009年12月8日、本事件を捜査特別報奨金制度対象事件に指定し(制度開始から37件目)、犯人逮捕に結びつく有力情報の提供者に最高300万円の懸賞金を支払うことを決めた[新聞 13][新聞 71]。
本事件はその後、2009年12月10日から1年間(当初期限)、愛知県警管轄の未解決事件としては豊田市女子高生殺害事件(2008年発生、豊田警察署管轄、同日付で期限延長)とともに、同制度対象事件となった[新聞 13][新聞 71]。同日、捜査を担当する蟹江署員らが現場付近の近鉄蟹江駅などで、事件の情報提供を求めるチラシを配布した[新聞 72]。
2009年12月27日までの捜査の結果、犯人が市販品マスクを用意して被害者宅に侵入し、そのマスクを室内(玄関付近で畳まれていたパーカーのポケット内)に置き忘れていたことが新たに判明した[新聞 73][新聞 3]。同日まで蟹江署特捜本部は、犯人のDNA型や血痕・遺留品の流通経路などを洗い直し、犯人の行方を追ったが、犯行前後の足取りも特定できずにいた[新聞 48]。
2010年以降
2010年
2010年1月8日、遺留品5点の同種品を公開
2010年(平成22年)1月8日、蟹江署特捜本部が室内で発見された以下の犯人の遺留品5点について、現物の写真と同種の物品を公開した[新聞 2]。なお、以下に記す販売数はいずれも同日発表時点とする。
- 犯人が犯行時に着用していたとみられるパーカー[新聞 2]
- 被害者Aを撲殺した際に使われたモンキーレンチ[新聞 2]
- 被害者Cを襲撃した際に使用されたクラフトナイフ[新聞 2]
- 犯行時に使用された防寒用手袋[新聞 2]
- パーカーのポケット内に入っていた使い捨てマスク[新聞 2]
- 2005年秋から販売された[新聞 2]。
特捜本部が以上の遺留品について流通経路を調べた結果、パーカーと手袋が両方とも販売されていたのは、東海3県では以下の3地域に限定されることが判明したため、犯人の犯行前の生活拠点も以下の地域周辺に絞り込まれた[新聞 2]。
なお、実際に逮捕されたLは三重県津市内で生活していたが、津駅から四日市市・名古屋駅までは、いずれも近鉄名古屋線(近鉄四日市駅)か、JR東海関西本線・伊勢鉄道伊勢線(四日市駅)の快速「みえ」を利用すれば乗り換えなしで移動できた。
2010年3月31日まで、現場付近で不審者の目撃情報
2010年3月31日までの捜査の結果、現場室内で発見された犯人のパーカーと似た上着を着た不審な男が1人で、事件前日の2009年4月30日夜、現場から7.5km離れた愛知・三重県境付近(木曽川に架かる国道1号尾張大橋の三重県側)で目撃されていたことが判明し、『中日新聞』2010年3月31日夕刊で報道された[新聞 75]。
これを受けて特捜本部は、前述のパーカーなど遺留品の流通先などと照らし合わせ、「犯人は当時、四日市市周辺に居住しており、蟹江町の被害者宅まで徒歩で向かった」と推測した[新聞 75]。
同様のニュースを報道した『読売新聞』2010年11月3日中部朝刊では、「4月30日午後、通行人がその不審な男と会話を交わした際、男は『名古屋に行く』という趣旨の話をしていた」と報道した[新聞 76]
その一方で特捜本部は、愛知県側の国道1号沿いの店舗などに設置された防犯カメラの映像も分析したが、類似する服装の男は映っていなかった[新聞 75]。
2010年5月2日、事件発生から丸1年
2010年4月16日までの捜査の結果、犯人の男は三男Cを監禁した際、「最近満足に寝ていない」などといった趣旨の内容を話していたことが判明した[新聞 33]。
2010年5月2日で事件発生から丸1年を迎えたが[新聞 77][新聞 78]、それを前にした2010年4月28日時点でも、愛知県警の捜査・近隣住民の捜査協力なども空しく、被疑者逮捕に直結する有力な手掛かりは得られず、事件解決の目途は全く立たなかった[新聞 77]。
愛知県警蟹江署特捜本部は同日、三男Cが監禁されていた最中、犯人と交わしていた会話の内容を公開した[新聞 32][新聞 34]。この会話内容から犯人は、被害者宅の玄関から猫が室内に入っていくのを見て無施錠と判断して玄関から侵入した後、家人と出くわしたことで一家殺傷に至った可能性が高いことが判明した[新聞 32]。
2010年12月10日、満了を迎えた報奨金制度適用期間が1年間延長された[新聞 79]。
2011年・2012年前半
2011年(平成23年)4月18日までの蟹江署特捜本部の捜査の結果、被害者3人の財布から奪われた現金総額が約二十数万円と推定された[新聞 80]。
愛知県警蟹江署捜査本部は事件発生から丸2年となる2011年5月2日、犯人の遺留品とみられる布袋・現場から持ち去られた被害者次男Bの腕時計、犯人が逃走した際に履いて奪ったとみられる三男Cのスニーカーの計3点について、同型品の写真・情報を新たに公開した[新聞 65][新聞 81]。3物品の情報は以下の通り。
- 布袋 - 洗面所で水濡れした状態で発見、紺色の綿製、長さ50cm、幅30cm[新聞 65]。浴衣など夏物衣料に使われる「しじら織り」の生地[新聞 81]。30cmの紐2本が付き、数cmの穴が3か所空いていたが、中に物は入っていなかった[新聞 65]。三男Cが「見覚えがない」と証言したため、犯人の遺留物であると推測された[新聞 65]。
- Bの腕時計 - セイコー製「セイコー5」、全体的に銀色でダイヤルが黒[新聞 81]、中近東からの逆輸入品[新聞 65]
- Cのスニーカー - ドイツ「プーマ」製、サイズ27cm[新聞 64]、白基調で側部に黒い人造皮革が貼られていた[新聞 81]。
同日は負傷した被害者三男Cが初めて、近鉄蟹江駅付近で情報提供を求めるチラシ配りに参加した[新聞 83][新聞 81]。愛知県警は同日までに延べ約18,000人の捜査員を動員し、同日までに情報提供件数は479件に上ったが、犯人に結び付く情報はなく、事件の記憶風化から、2011年に入ってからは10件に止まっていた[新聞 83][新聞 81]。
2011年12月10日、延長期限満了を迎えた報奨金制度適用期間がさらに1年間延長されたことに伴い、蟹江署特捜本部・地元住民30人が近鉄蟹江駅などで、情報提供を呼び掛けるチラシ6000枚を配布した[新聞 84][新聞 85]。
事件発生から丸3年を控えた2012年(平成24年)5月1日、蟹江署特捜本部捜査員・地元住民ら30人が、現場付近の愛知県道103号境政成新田蟹江線などで、情報提供を求めるチラシ・ポケットティッシュを配布した[新聞 86]。同日までに合計526件の情報提供があったが、同年に入ってからはわずか3件のみと大幅に減少しており、34人態勢の捜査も一向に進展していなかった[新聞 86]。
Lの逃走中の余罪
Lは犯行後も、万引きなどの軽犯罪を繰り返していた一方[新聞 27]、後述のようにDNA型鑑定が行われるまで捜査線上に浮上することはなく[新聞 4]、2011年(平成23年)3月には5年間在学した三重大学を卒業した[新聞 24]。卒業間際、Lは急に「大学院に行きたい」と、所属ゼミの教授に頼み込んだが、教授から断られた[新聞 23]。
Lは事件後も逮捕されるまで、捜査網を掻い潜りつつ[新聞 12]、腎臓病治療・婚約者女性と会うためなどの理由で、度々中国に帰国しており、多い年には年3回帰国していた[新聞 28]。
Lは三重大卒業後、2011年4月に新卒で、三重県亀山市の[新聞 87]自動車部品メーカーに会社員として就職し[新聞 26]、部品検査・組み立てなどの部署で勤務しつつ、研修生の通訳を担当していた[新聞 24]。当時Lは、日本語検定一級の資格を持っており、メーカーの社長曰く「面接時、真面目な印象だったので採用を決意した。コンビニでのアルバイトの話などをしており、『学生時代はあまりお金がなかったようだな』という印象を持っていた」という[新聞 26]。内定を得たLは、故郷・中国に一時帰国し、家族に日本での就職を報告した[新聞 26]。
会社近くの借り上げアパートに居住し、月給手取り約20万円の仕事をしていたLは、社長によれば『仕事ぶりは控えめだったが一生懸命だった」という[新聞 26]。また、社長だけでなく、同じ中国人研修生の同僚とも良好な関係で、休日は若手社員とともにフットサルを楽しんでいた[新聞 26]。Lは就職後、中国にいる交際相手女性を日本に呼び寄せ、結婚する計画を立てていた[新聞 30]。
Lは「ずっと日本で働き続けたい」と言っていたため、「大事に育てたい」と思った社長は、工場のラインではなく、技術・製品検査の仕事をさせており[新聞 26]、将来的には母国・中国にある工場の幹部に登用しようと考えていたという[新聞 87]。
しかし2012年(平成24年)春、Lは「結婚したいので昇給してほしい」と会社に相談し、同僚たちに転職を示唆するなどした[新聞 26]。結局、上司らの慰留を断ったLは、同年6月、「家のリフォームの仕事をする」と言い、会社を退職した[新聞 26]。Lは退職後、より高給職を求めて三重県外の建設関係会社に転職したが[新聞 87]、その仕事もすぐに辞めた[新聞 26]。
2012年8月、Lは名古屋市内で放置自転車を盗んで乗車していたところを愛知県警の警察官に職務質問され、所轄の警察署で事情聴取を受けた[新聞 12]。しかし被害が軽微だったため、県警はLの身元確認はしたものの、逮捕・名古屋地検への書類送検などの刑事手続きは取らなかった上、DNA型も採取せず、警察内部だけで処理する「微罪処分」に処した[新聞 12]。
2012年10月18日、Lは午後2時40分頃から同日午後4時10分頃までの間に、津市内の三重大学第一体育館2階男子更衣室で[判決文 1]、男子大学生所有の携帯電話機1台(時価約60000円相当)を窃取した[判決文 1]。
さらにLは、2012年10月19日[判決文 1]、津市栗真町屋町の駐車場で[新聞 88]、会社員男性所有の乗用車1台(ETCカード1枚など2点積載、時価約160万円相当)を窃取した[判決文 1][新聞 88][新聞 16]。Lは同日、この車を同県鈴鹿市内で運転していたところを[新聞 4]、三重県警察鈴鹿警察署に発見され、窃盗容疑で同署に逮捕された[新聞 88]。
鈴鹿署の取り調べに対し、Lは「移動手段として車を盗んだ」と供述した[新聞 4]。三重県警は2008年にLを摘発した際、指紋を採取したのみでDNA型は採取していなかったが[新聞 27]、この逮捕時に任意で[新聞 12]、「前科があるため念のために」と、LのDNA型を唾液から採取した[新聞 27]。Lは同事件の捜査中、鈴鹿署の留置場で手首を傷つけ自殺を図った[新聞 28]。
2012年11月9日、Lは津地方検察庁により窃盗罪で津地方裁判所へ起訴された[新聞 89]。
被疑者Lの逮捕前日となった2012年12月6日、愛知県警は本事件について、同9日付で期限が切れる捜査特別報奨金制度指定の延長を断念することを発表した[新聞 14][新聞 15]。実際にはこの時点で既に被疑者Lの存在が捜査線上に浮上してはいたが、表向きの理由は「期限延長に向けて警察庁と協議したが、情報提供件数が減少しているため申請を断念した」というものだった[新聞 14][新聞 15]。
捜査の急展開
2012年12月7日、愛知県警蟹江署特捜本部が強盗殺人容疑で被疑者Lを逮捕
2012年11月下旬、三重県警が採取したLのDNA型を警察庁のデータベースに登録・照合した結果、本事件の現場にあった味噌汁の飲み残しなどに残されていたDNA型と一致することが判明した[新聞 16][新聞 90][新聞 4]。
これを受け、愛知県警蟹江署特捜本部が被疑者Lを取り調べたところ[新聞 91]、Lは「間違いありません」と強盗殺人容疑を認めた[新聞 4]。
そのため特捜本部は2012年12月7日、強盗殺人・同未遂容疑で被疑者Lを逮捕した[新聞 4][新聞 24][新聞 92][新聞 10][新聞 93][新聞 94][新聞 95][新聞 96][新聞 97]。これにより、凄惨・異常な犯行で日本社会を震撼させた本事件は、急転直下の事件解決に向かうこととなった[新聞 11]。
2012年12月8日、被疑者Lの各種動機供述・家宅捜索など
被疑者Lは逮捕翌日となる2012年12月8日までに、犯行動機について「事件前年の2008年、万引きで罰金刑を受けたが金がなく、罰金支払いのために金が必要だった」と供述した[新聞 27]。その上で、モンキーレンチ・小刀を持ってA宅に押し入ったことも認めた上で[新聞 98]、その動機については、「金に困っており、見つかったら殺すつもりだった」と述べ、強盗の犯意を認める供述をした[新聞 27]。
その上で犯行に至るまでの経緯について、「ひったくりや窃盗などで金を得ようと、電車で名古屋市に向かったが成功せず、近鉄名古屋駅から帰りの近鉄名古屋線急行電車に乗った。その後、最初に停車した近鉄蟹江駅で降り、空き巣狙いに切り換えて周辺を物色していたところ、被害者宅に飼い猫が入っていく様子を目撃し、玄関が施錠されていないことに気付いて侵入先に選んだ」[新聞 26]、「侵入後、居合わせたAを出合い頭に殺害したが、帰宅したBともみあいになったため、家の中にあった包丁で刺し殺した」と供述した[新聞 98]。
「事件の謎の1つ」とされていた、被疑者Lが三男Cのみを生存させたまま、現場に長時間滞在した理由について、Lは取り調べに対し「Cから『殺さないでくれ』と命乞いされたため、殺害を躊躇した」と話した[新聞 99][新聞 100]。そのため特捜本部は「Lは金の在り処を尋ねたり、血のついた衣服の洗濯などの証拠隠滅を図る間にCと言葉を交わしたりするうち、Cの殺害を躊躇うようになった」と推測した[新聞 99]。
愛知県警蟹江署特捜本部は同日、被疑者Lが住んでいた津市内のアパートを家宅捜索した[新聞 99][新聞 101]。
2012年12月9日、被疑者Lを名古屋地検に送検
愛知県警は2012年12月9日、強盗殺人などの逮捕容疑で被疑者Lを名古屋地方検察庁に送検した[新聞 12]。
2012年12月10日以降、被疑者Lの新供述・新事実判明など
2012年12月10日までに、被疑者Lは特捜本部の取り調べに対し、「凶器のモンキーレンチ以外に、手袋・マスクを用意して現場に押し入った」と供述した[新聞 102]。
この新供述は、現場から遺留品の手袋・マスクが発見された事実と合致する上、現場にはLのはっきりとした指紋は確認できなかった一方、遺留品のマスクからはLのDNA型が検出された[新聞 102]。
この事実から特捜本部は、「証拠を残さないために手袋・マスクを着用した上で犯行に及び、犯行後には血液を拭き取ったり、被害者の衣服・血液を拭き取ったタオルを選択するなどして、証拠運滅を図った」とみて捜査した[新聞 102]。
また2012年12月12日までには、被疑者Lが2003年の来日直後から万引きなど、さまざまな窃盗事件を繰り返していたことも判明した[新聞 22]。このことから特捜本部は、「Lは生活に困ると常習的に盗みを繰り返し、凶悪事件に発展する結果となった」とみて追及した[新聞 22]。
これに加えて2012年12月13日までには、被疑者Lが事件当時在籍していた三重大学で、学費滞納を繰り返し、前期・後期ごとに大学側から何度も支払いの督促を受けていたことが判明した[新聞 20]。
2012年12月11日、津地検が被疑者・被告人Lを別件窃盗罪で追起訴
津地方検察庁は2012年12月11日付で、既に別の窃盗罪(2012年10月19日、津市内で乗用車を盗んだ事件)で起訴されていた被疑者Lを、さらに別の窃盗事件(10月18日、三重大体育館2階の更衣室で携帯電話を盗んだ事件)における窃盗罪で、津地方裁判所に追起訴した[新聞 20][新聞 103]。
2012年12月28日、名古屋地検が被疑者Lを名古屋地裁に起訴
名古屋地方検察庁は2012年12月28日、強盗殺人・強盗殺人未遂・住居侵入の各罪状で、被疑者Lを名古屋地方裁判所に起訴した[新聞 5][新聞 25][新聞 23][新聞 104]。
名古屋地検幹部は同日、Lが一家3人を殺傷後も、事件翌日正午まで半日以上現場に留まっていた点について、「現場の物色を続けていた」と述べた[新聞 5]。またL自身は、「窃盗目的で現場に入ったが、A・B両被害者を殺害し、証拠隠滅作業を図っていた間に最終電車を逃したため、現場に留まって始発電車を待った」[新聞 25]、「Bの勤務先から通報を受けて蟹江署員が駆け付けたが、無線連絡のために現場を離れた隙に勝手口から逃走し、電車で津市に戻った」と述べた上で[新聞 23]、「体を壊して働けなくなり、盗みを始めるようになった」とも供述した[新聞 25]。
またLは、「被害者Aをモンキーレンチで撲殺した際、首も絞めた」、「確実に現場から逃走しようと3人を殺傷した」と供述した[新聞 23]。
刑事裁判
第一審・名古屋地裁(裁判員裁判)
公判前整理手続・精神鑑定
被告人Lは強盗殺人罪などで名古屋地検から名古屋地裁に起訴されて以降、2013年(平成25年)2月4日付で勾留先の蟹江署から名古屋拘置所に移送された[新聞 105]。
起訴後、Lは収監先の名古屋拘置所内で、壁に頭を打ち付けたり、睡眠剤を大量服用するなど、自殺未遂・自傷行為を繰り返し[新聞 28]、後述の精神鑑定の際には身体・精神双方に変調をきたし、病院で治療を受けていた[新聞 106]。特に初公判直前の2014年(平成26年)11月には、靴下を首に巻き付けて自殺を図り、低酸素脳症で意識障害を負った[新聞 28]。
その一方で移送翌日の2013年2月5日、被告人Lは『毎日新聞』記者・永野航太との面会取材に応じた[新聞 105]。Lは永野に対し、犯行の背景について「来日した当初、日中間の懸け橋になることを夢見ていたが、生活が困窮したことから万引きを繰り返すようになった。三重大入学後、県の奨学金も認められず、事件前年には万引きで検挙され、罰金の支払いに窮したことで犯行に及んだ」と述べた上で、被害者に対する思いを聞かれると「かわいそうなことをした」と涙を流しながら語った[新聞 105]。
2013年春、被告人Lは「自分は取り返しのつかないことをした」など被害者・遺族に向けた謝罪の声、「父の勧めで日本の大学に留学したが、金に困って万引きを繰り返した」など、転落の経緯などを綴った便箋計66枚にわたる手記を書いた[新聞 30]。
被告人Lが精神的に不安定になり、意思疎通が難しくなったことから[新聞 107]、公判前整理手続中の2013年10月8日までにLの弁護人は、Lに刑事責任能力・訴訟能力がない旨を主張し、名古屋地方裁判所に精神鑑定を申し入れた[新聞 106][新聞 107]。名古屋地裁はこの申請を認め、精神鑑定を実施した[新聞 106]。
2013年末、「責任能力・訴訟能力に問題はない」とする精神鑑定結果を示した鑑定書が名古屋地裁に提出された[新聞 108][新聞 109]。
その後の公判前整理手続の結果、2014年9月までに争点の絞り込みが終わり、翌2015年1月に初公判を開く方針が事実上決まった[新聞 110]。
名古屋地裁は2014年11月26日、検察側・弁護人側双方を交えた協議の結果、被告人Lの裁判員裁判公判日程を指定した[新聞 111]。これにより、2015年1月19日に初公判を開き、同年2月3日まで証人尋問・被告人質問など計9回の審理を行った上で、2月4日に検察側論告求刑・弁護人側最終弁論を行って結審、2月20日に判決公判を開く、という日程が決定した[新聞 111]。
2015年1月19日、第1回公判、検察側冒頭陳述・被告人側罪状認否
2015年(平成27年)1月19日[新聞 112]、名古屋地方裁判所(松田俊哉裁判長)で、被告人Lの裁判員裁判初公判が開かれた[新聞 113][新聞 19][新聞 114]。
検察側は冒頭陳述で、「被告人Lは事件4日前、別の万引き事件について検察庁で取り調べを受け、罰金刑の見込みを説明されたため、現金が必要になった。路上強盗を企ててモンキーレンチ・ナイフを購入し、偶然立ち寄った現場宅が無施錠だったために侵入した」、「被害者Aの頭部をモンキーレンチで約30回殴り、帰宅した次男と揉み合いになった末、台所の包丁で胸を数回刺して殺害した。翌日未明に帰宅した三男Cに対し、背後からナイフで首を数回刺し、現金の在り処を尋ねた」と述べ、強盗の意図があったことを指摘した[新聞 113]。
その上で、折れ曲がった凶器の包丁の写真・レンチ、各部屋や階段に残された血痕の分布図などを示し、「金品を取る障害となる2人を殺害した行為は強盗殺人罪が成立する」と主張した[新聞 114]。
また、被害者遺族である別居していた四男(三男Cの双子の弟)の供述調書を朗読し、「自分が高校生だったころに父が亡くなり、母Aが自分たち4兄弟を女手一つで育ててくれた。母Aは明るく強い人で、いつも笑っていた、一家の支えだった」、兄Bは責任感が強い性格で、事件の数か月前、定職に就けずにいた自分を『家から出て自立しろ』と叱咤した。心配してくれてのことだった」という四男の心境を明らかにした[新聞 114]。
事件に巻き込まれて負傷した三男Cは、被害者参加制度を利用した上で検察官の隣席に座り、審理の様子を見守った[新聞 114]。Cは、顔が見えないほどの長髪で出廷した被告人Lを見て、代理人弁護士に「表情が見たい」と漏らした[新聞 114]。
一方で弁護人側は、冒頭陳述で、「こっそり金を盗もうと空き巣目的で入っただけで、強盗をする意図はなかった。被害者2人に発見されてパニックになり、とっさに殴ってしまった」として、強盗殺人罪の成立を否定した[新聞 113]。その上で、三男に対する殺人未遂容疑についても、「殺意は認められず、傷害罪に留まる」と反論した[新聞 113]。また同日、「被告人Lは事件後、声が出にくくなる障害(発話障害)を患った」ことを明らかにした[新聞 113][新聞 19][新聞 114]。
被告人Lは、肩まで無造作にかかり、顔が見えないほどの長髪で出廷した[新聞 19]。Lは罪状認否で、沈黙の後にごく短い言葉を発する程度で、質問にはほとんど反応しなかったが[新聞 114]、「被害者らを殺意を持って死亡させた事実は合っていますか」という質問に対し、「合っている」と答え、殺害行為を認めた[新聞 19]。
2015年1月21日、第2回公判、検察側証人尋問
2015年1月21日の第2回公判で、検察側証人尋問が行われた[新聞 31]。
同日、事件で唯一生き残った被害者三男Cが証言し、自身が襲われた状況を詳述した上で、「『あの時、自分が飲み会に行かなければ誰も傷つかなかった』と悔やんでいる。亡くなった2人のためにも、被告人Lには死刑を望む」と、裁判官・裁判員らに訴えた[新聞 31]。
2015年1月22日、被告人Lの両親が記者会見
2015年1月22日、被告人Lの両親が名古屋市内で記者会見した[新聞 21]。
Lの両親は、26日の公判で証人出廷するために来日しており[新聞 21]、来日に当たり[新聞 28]、被害者遺族側に500万円の被害弁償を申し出ていた[新聞 21]。その500万円のうち、大半は借金によるものだった[新聞 28]。
父親はLについて「喧嘩など一度もしたことのない、聞き分けのいい子だったが、中学時代の球技中、ボールが頭に当たるトラブルが起きてから、それまで活発だった性格が内攻的になった」と語った[新聞 21]。
また、母親は「来日後、息子には学費などを仕送りしていたが、ある時期からは「アルバイトで稼げるから大丈夫」と言われ安心していた。しかし、実際には学費が払えず、食べ物にまで困っていたことを逮捕後に初めて知り、大変驚いた」、父親も「インターネットのニュースで逮捕を知り、心臓が止まりそうだった。なぜ息子がこんな事件を起こしてしまったのか今も理解できない」と、それぞれ語った[新聞 21]。
そして、父親は「自分の言葉で被害者や遺族に謝罪し、生きて罪を償ってほしい」、母親も「息子が死刑になれば自分たちも生きていけないほどつらい。直接謝る機会を頂きたい」と、何度も立ち上がり、深々と頭を下げた[新聞 21]。
2015年1月23日、第3回公判、検察側証人尋問
2015年1月23日の第3回公判で、前回公判に続き、検察側の証人尋問が行われた[新聞 36]。
同日、被害者Bと婚約していた、Bの同僚女性が証人として、別室から音声・映像中継を利用して参加する「ビデオリンク方式」で証言した[新聞 36]。
女性は2005年にBが勤務していたケーキ店に就職し、1年後の2006年に交際を開始した[新聞 36]。Bと女性は「一緒にケーキ店をやろう」と夢を語り合っており、事件1週間前、女性が妊娠の可能性があることをBに告げると、Bは「結婚しよう」と答えた[新聞 36]。
事件前日にも、女性はBの家に泊まっており、事件当夜には仕事後、「今日も泊まっていい?」と尋ねたが、Bから「連続になるからやめておこう」と言われ帰宅した[新聞 36]。
Bは事件前年2008年のクリスマス、女性から腕時計をプレゼントされ、仕事場にも毎日着けてくるほど気に入っていたが、その腕時計は現金約20万円とともにLに奪われ、長らくLの手元にあった[新聞 36]。この腕時計について、女性は「事件直後は形見として持っていたいと思ったが、ずっと犯人の下にあったことがわかった今はいらない」と言い切った[新聞 36]。
女性は心境について、「自分たち2人の全てが奪われてから5年8カ月が過ぎた。死刑でも死刑でなくてもどちらでもいいが、できればずっと、Lは自分の犯した罪を反省し、生きて償ってほしい。私たちはこれから、悲しい思いを忘れられずに生きていけなければいけない」と述べた[新聞 36]。
同日の公判で被告人Lは、消え入るような声で「申し訳ない」と述べた[新聞 30]。
2015年1月26日、証拠調べ・弁護人側証人尋問
2015年1月26日の公判で、弁護人による証人尋問・証拠調べが行われた[新聞 28]。
弁護人はこの日、「Lは自動車窃盗事件で逮捕されて以降、自殺未遂を計6回起こし、意識障害を起こしたこともあった」と明かした[新聞 28]。
同日の公判で、被告人Lの両親が弁護人側証人として出廷した[新聞 28]。
Lの父親は、「息子には、国際電話などで何度も『金に困っていないか』と聞いたが、息子は『金は必要ない。努力して自分で何とかする』といつも答えていた。息子を信じていたが、このようなことになってしまったことには親として責任を感じる」と証言した[新聞 28]。
その上で、「息子が被害者の方に与えた損失を考えると、(その大半を借金で賄った)被害弁償金の500万円は全然足りない」と述べつつも、「親としては生きて償い、苦しみを味わってほしい」と、死刑回避を求めた[新聞 28]。
Lの母親は、「息子のことは今でも愛しているが、事件を起こしたことを腹立たしくも思う」と語った上で、法廷で傍聴していた遺族に「本当に申し訳ございませんでした」と、涙ながらに謝罪した[新聞 28]。
2015年1月28日、検察側供述調書・被告人側手記朗読
2015年1月28日の公判で、検察側の供述調書・被告人が書いた手記が、それぞれ朗読された[新聞 30]。
被告人Lの弁護人は、両親・恩師・友人らへの感謝の言葉、被害者・遺族に対する謝罪の言葉などが綴られた手記を朗読した[新聞 30]。
一方で検察側は同日、逮捕後の供述調書を朗読した[新聞 30]。その内容によれば、「Aをモンキーレンチで襲っていた最中、突然現れたBと1時間以上揉み合いになった末、『顔を見られたから殺すしかない』と、台所にあった包丁でBの背中を刺して殺した。その後、まだ息のあったAが『誰か』と声を上げたため、首に紐を巻き付けた」、「Cに対しても殺意を持ち、暗がりの玄関で襲い掛かったが、『殺さないでくれ』と言われたことや、顔を見られていないことから殺害を思い留まった」という事実が明らかにされた[新聞 30]。
2015年2月2日、被告人質問
2015年2月2日、弁護人による被告人質問が行われた[新聞 115]。
被告人Lは弁護人から、「A宅に侵入する前、凶器のモンキーレンチ・ナイフを使おうと考えていたか」と問われると、首を横に振った[新聞 115]。また、「3人を殺傷した後、腕時計を偶然発見するまでは、現金を手に入れようとする気持ちはなかったのか」と質問されると、「はい」と答えた[新聞 115]。
その上で、被害者遺族への思いを聞かれると、Lはか弱い声で「申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉を述べ、うなだれた[新聞 115]。
松田俊哉裁判長から、「最後に言いたいことはありますか」と問われると、Lは中国語で、背後の傍聴席にいた両親に向かい、「お父さん、お母さん、ごめんなさい」と述べた[新聞 116]。
2015年2月2日、被害者参加制度による被告人質問
2015年2月3日、負傷した三男Cが被害者参加制度を利用し、被告人質問に参加した[新聞 116]。
CはLに対し、「今、何を考えて1日を過ごしているのか」、「万引きを繰り返していた生活を変える努力をしなかったのか」と質問した[新聞 116]。
これに対しLは、「事件を思い出すと感情をコントロールできない」、「事件のことは後悔している」などと答えた[新聞 116]。
2015年2月6日、検察側が論告求刑で被告人Lに死刑求刑・弁護人が最終弁論を行い結審
2015年2月6日[新聞 117]、第10回公判となる論告求刑公判が開かれ、結審した[新聞 118]。同日、検察側は被告人Lに対し死刑を求刑した[新聞 117][新聞 118]。
東海3県(名古屋地裁・岐阜地裁・津地裁及び各支部)の裁判員裁判における死刑求刑は、これが初の事例だった[新聞 117][新聞 118]。
午前中の論告で検察側は、「人がいるとわかって住宅に凶器を持参の上で侵入したのは、攻撃を想定していたからだ。仮に殺害時点で頭が真っ白になっていたとしても、金品を奪う目的だったのは明らかで、典型的な強盗殺人に他ならない」と主張した[新聞 117]。
その上で、「金品を奪うためだけに2人を殺害し、生命を奪いかねない傷害を1人に負わせた。殺害された2人の殺され方は理不尽・残虐的だ」と指摘した上で、「3回にわたる殺害行為は、強盗殺人の中でも特に悪質で、刑事責任は極めて重く、被害者遺族も極刑を望んでいる」と主張した[新聞 117]。
一方で被告人Lの弁護人は、午後に行われた最終弁論で、「窃盗目的で偶然被害者宅に侵入し、家人に見つかってパニックになって暴行を加えたが、この時点では金を奪う意図はなく、強盗殺人罪は成立しない」として、検察側の主張に反論した[新聞 119]。
その上で、「仮に強盗殺人罪が成立するにしても、殺害された被害者2人に対しては当初、強盗殺人の犯意はなく、判例の量刑傾向からしても、死刑選択の余地はない」と訴え、殺人・窃盗罪の適用、死刑回避・無期懲役刑の選択を求めた[新聞 119]。
被告人Lは最終意見陳述で、「被害者の方、自分の父母に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。自分のやったことは許せない」と述べた[新聞 119]。
2015年2月20日、被告人Lに死刑判決
2015年2月20日、判決公判が開かれ[新聞 120]、名古屋地裁(松田俊哉裁判長)は検察側の求刑通り、被告人Lに死刑判決を言い渡した[判決文 1][新聞 121][新聞 122][新聞 123][新聞 124][新聞 125][新聞 126][新聞 127]。
名古屋地裁は、犯罪事実をすべて検察側の主張通りに事実認定した上で、「被告人Lは被害者Aに見つかった際に強盗を決意した。冷静さを失っていたとしても確定的な殺意があった」と指摘し、強盗殺人罪の成立を認めた[新聞 121]。
その上で判決理由にて、「強盗や殺人に及ぶことを事前に計画していたわけではないが、路上強盗のための武器を持ち、家に誰かがいるとわかっていながら侵入した。予期せず家人が在宅した強盗殺人事件とは異なる」[新聞 121]、「包丁が折れ曲がるほど強い力で刺すなど執拗で冷酷な犯行。動機は自己中心的で身勝手だ」と量刑理由を付けた[新聞 121][新聞 126]。
東海3県で行われた裁判員裁判にて、死刑判決が言い渡されたのは、これが初の事例だった[新聞 121][新聞 126]。
2015年2月25日、被告人Lの弁護人が控訴
被告人Lの弁護人・北條政郎弁護士は[新聞 127]、「死刑ありきとも受け取れる判決は容認できない」と、判決への不服を訴え、2015年2月25日付で名古屋高等裁判所に控訴した[新聞 128]。
控訴審・名古屋高裁
2015年7月27日、控訴審初公判、即日結審
2015年7月27日[新聞 129]、名古屋高等裁判所(石山容示裁判長)で控訴審初公判が開かれ、即日結審した[新聞 130]。第一審に続き、強盗殺人罪成立の是非が争点となった[新聞 130]。
弁護人側は、「暴行を加えたのは強盗のためではなく、被害者Aに大声を出されたためだ。仮に強盗の犯意が認められても、殺害された被害者が2人で殺害の事前計画性もないケースでは、死刑選択は妥当ではない」として、死刑判決の破棄・無期懲役刑の選択を訴えた[新聞 130]。
弁護人はこの他、強盗の犯意を否定するための証拠調べ・被告人質問を要求したが、名古屋高裁はいずれも退けた[新聞 130]。
一方で検察側は、死刑判決の妥当性を訴え、「弁護人の控訴は棄却されるべきだ」と主張した[新聞 130]。
同日、死刑判決を受けて以来5カ月ぶりに出廷した被告人Lは、刑務官に支えられて歩いていた第一審と異なり、脚を少し引きずりつつも自力で出廷した[新聞 130]。
また、顔が見えないほど伸びていた髪は短く切っていたが、裁判長から名前・住所を聞かれても、たどたどしい答え方だった[新聞 130]。
2015年10月14日、二審も死刑判決
2015年10月14日[新聞 131]、名古屋高裁(石山容示裁判長)は、第一審・死刑判決を支持し、被告人Lの控訴を棄却する判決を言い渡した[判決文 2][新聞 132][新聞 133][新聞 134][新聞 135][新聞 136]。
名古屋高裁は判決理由で、「殺害被害者数が2人の場合、原則として死刑を選択すべきとは言えない」と指摘し、「死刑選択に当たっては、合理的な根拠は何か、可能な限り慎重に検討すべきだ」と述べた[新聞 133]。
その上で名古屋高裁は、第一審判決について、「具体的な根拠で導き出された合理的判断で、是認できる」[新聞 133]、「被告人Lは、被害者宅に侵入した際、家人と遭遇して騒がれることを予想しており、実際にAに見つかったことで確定的な強盗の犯意が生じた。Aらが抵抗しなくなっても繰り返し暴行を加えるなど、犯行の態様は執拗で残酷だ。被告人の生命軽視の度合いは著しく、死刑の選択は避けられない」と述べた[新聞 132][新聞 133]。
弁護人即日上告
被告人Lの弁護人は判決を不服として、同日付で最高裁判所に上告した[新聞 133][新聞 137]。
上告審・最高裁第一小法廷
2018年5月18日まで、上告審口頭弁論公判開廷期日指定
2018年5月19日までに最高裁判所第一小法廷(木澤克之裁判長)は、被告人Lの上告審口頭弁論公判開廷期日を同年7月12日に指定し、関係者に通知した[新聞 138][新聞 139][新聞 140][新聞 141]。
民事裁判
2015年、生存した三男Cを含めた被害者遺族3人が被告人Lに対し「損害賠償命令制度」[注釈 2]に基づいて、死亡した2人の逸失利益・慰謝料など計約1億7900万円の支払いを求め、名古屋地裁に損害賠償手続きを申し立てた[新聞 142][新聞 144][新聞 145]。
第一審・死刑判決を不服として被告人Lが控訴したため、担当裁判官は賠償額を決定できなかった[新聞 144]。そのため、同制度に基づく手続きは2015年4月下旬に終結し[新聞 142][新聞 144]、原告の被害者遺族3人は、被告人に対して同額の損害賠償を請求する通常の民事訴訟に移行した[新聞 142]。
その後、三男C以外の原告2人は2015年10月に訴訟を取り下げたため[新聞 7]、請求額は残る原告Cの請求していた約5600万円となった[新聞 6][新聞 143]。
2016年3月24日、名古屋地裁(村野裕二裁判長)は、原告三男Cの請求を全額認め、被告(被告人L)側に慰謝料など約5,600万円の支払いを命じる判決を言い渡した[新聞 6][新聞 7][新聞 143]。
名古屋地裁は判決理由で、「極めて悪質、重大な事件で、動機も身勝手で同情の余地はない」[新聞 6]、「家族を奪われた原告Cの悲しみや心痛は余りあるものだ。被告(被告人L)は真摯な反省をしているとは認め難い」と指摘し[新聞 143]、死亡した被害者A・B両名の逸失利益を計約1億3,600万円のうち、Cの相続分の約4,550万円+Cの負傷などに対する慰謝料など計約1,050万円の支払いを命じた[新聞 7]。
Cの代理人弁護士は「請求を認容する判決をいただいたが、実際にLから履行される可能性がないに等しいことを考えると、誠に遺憾でならない」とのコメントを出した[新聞 6]。
防犯活動
2010年2月15日、現場となった蟹江町と、隣接する弥富市に対し、それぞれ録画・夜間撮影機能を持つ防犯カメラが、犯罪抑止を願った地元住民らにより贈呈された[新聞 146]。蟹江町内の一般住民が同町に贈呈した防犯カメラは事件現場付近の近鉄蟹江駅前に、地域の会員らで作る「あまロータリークラブ」が弥富市に贈呈した防犯カメラは近鉄弥富駅南口前の公営駐輪場に、それぞれ新設された[新聞 146]。
その後、「あまロータリークラブ」が防犯対策強化の一環として2011年5月23日、新たに近鉄蟹江駅前駐輪場に防犯カメラ1台を増設した[新聞 147]。
蟹江町民はその後も、平仮名45文字を頭にした防犯標語を作ったり[新聞 148]、蟹江署・海部南部防犯協会連合会が合同で近鉄蟹江駅で利用者向けに防犯ブザーを貸し出したり[新聞 149]、蟹江署特捜本部の捜査員とともに情報提供を求めるチラシ配りに参加したりなどして[新聞 150]、防犯活動を継続した[新聞 85]。
参考文献
刑事裁判の判決文
- 名古屋地方裁判所刑事第2部判決 2015年(平成27年)2月20日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成24年(わ)第2750号、平成25年(わ)第77号、『住居侵入,強盗殺人,強盗殺人未遂,窃盗被告事件』。
- D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28231359
- 金品窃取の目的で民家に侵入し、家人に発見されたことから、居直り強盗を決意して、家人2名を殺害し、1名に重傷を負わせ、現金等を奪ったという強盗殺人、強盗殺人未遂等の事案につき、死刑を回避すべき特別な事情はないとして、死刑が言い渡された事例。
- 名古屋高等裁判所刑事第1部判決 2015年(平成27年)10月14日 『高等裁判所刑事裁判速報集』(平成27年)号229頁、平成27年(う)第105号、『住居侵入,強盗殺人,強盗殺人未遂,窃盗被告事件』。
- D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28244308
- 住居に侵入し、金品強取の意図で2名を殺害し、1名の殺害を遂げなかった住居侵入、強盗殺人、強盗殺人未遂被告事件において、強盗殺人罪の法定刑が死刑と無期懲役に限られていることに照らし、2名を殺害した場合には死刑を回避する特段な事情が必要であるとした原判決の説示には問題があるとし、死刑という最大限の非難を向けることが疑問なくできるかどうか、できるとすればその合理的な根拠は何かについて可能な限り慎重に検討を進めるべきであるという死刑選択の判断方法を示した上で、本件事案においては、そのような慎重な検討に従っても死刑の選択が合理的な判断であるとして、原判決の量刑判断が是認された事例。
- 金品強取の意図で住居に侵入し、殺意を持って被害者にナイフで傷害を負わせた被告人が被害者にナイフを奪われ反撃を受けるなどして体力を消耗し、両者の間で、被告人は犯跡を隠滅する作業を追えたら速やかに出ていくこと、被害者はその間、両手両足を縛られることについて合意が成立したという強盗殺人未遂被告事件において、被告人は、被害者の反撃という傷害によって同人の殺害を実現できない状況に陥ったにすぎないから、自己の意思によって同人の殺害を中止したものとは認められないとして、中止未遂の成立が否定された事例。
- 判決内容:被告人側控訴棄却(死刑判決支持・被告人側上告)
- 裁判官:石山容示(裁判長)・伊藤寛樹・小坂茂之
関連書籍
- 年報・死刊廃止編集委員会『ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017』インパクト出版会、2017年10月15日、205頁。ISBN 978-4755402807。
脚注
注釈
出典
判決文
新聞報道
- ※見出し名に被告人・被害者の実名が含まれる場合、被告人は姓のイニシャル「L」、被害者は本文中で用いられている仮名(A・B・C)に、それぞれ置き換えている。
- ^ a b c 『中日新聞』2009年5月2日夕刊1面「蟹江の民家 兄弟縛られ次男死亡 強殺で捜査 背中に刺し傷」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『中日新聞』2010年1月9日朝刊第二社会面34面「蟹江一家殺傷 遺留品の同種品を公開 レンチや手袋など 犯人生活圏 四日市などか」
- ^ a b c d e 『読売新聞』2009年12月27に中部朝刊第一社会面33面「蟹江の3人殺傷 マスク・手袋が現場に 計画的犯行か 遺留品公開へ=中部」
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- ^ “親子3人殺傷7月に最高裁で弁論”. NHKニュース 東海 (日本放送協会). (2018年5月18日). オリジナルの2018年5月20日時点におけるアーカイブ。 2018年5月20日閲覧。
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- ^ a b c d 『中日新聞』2015年6月4日朝刊第一社会面31面「蟹江殺傷被告に賠償請求 1億7900万円 遺族、命令制度を利用」
- ^ a b c d “3人殺傷で32歳の中国人被告に賠償支払い命令、5600万円”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2015年6月7日). オリジナルの2018年5月8日時点におけるアーカイブ。 2018年5月8日閲覧。
- ^ a b c 『読売新聞』2015年6月5日中部朝刊第二社会面30面「蟹江3人殺傷で被告に賠償請求 遺族が1億7900万円=中部」
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- ^ a b 『中日新聞』2010年2月16日朝刊尾張版16面「殺傷事件二度と起きぬよう 市民が防犯カメラ寄贈 蟹江町と弥富市に」(記者:伊藤隆平)
- ^ 『中日新聞』2011年5月24日朝刊なごや東総合面19面「近鉄蟹江駅前に防犯カメラ増設 キャンペーン」
- ^ 『中日新聞』2010年3月13日朝刊尾張版18面「『あ』空き巣狙い、対策講じて安心我が家 安全な街へ「防犯標語」 蟹江の住民パト隊5周年 頭に『あ』から『ん』45文字 隊長・○○さんが考案」(記者:伊藤隆平。なお、見出し内に事件関係者ではないが一般人の実名が含まれていたため、その箇所を伏字とした)
- ^ 『中日新聞』2011年4月22日朝刊愛知県内総合面19面「防犯ブザーでSOSを 近鉄蟹江駅 無料で10個貸し出し 通り魔事件などで蟹江署設置」(記者:伊藤隆平)
- ^ 『中日新聞』2010年5月15日朝刊愛知県内版24面「被害者同級生らが情報提供呼び掛け 蟹江・一家殺傷事件」(記者:伊藤隆平)
書籍
- ^ a b インパクト出版会 (2017, p. 205)