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「ノート:南京事件」の版間の差分

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削除された内容 追加された内容
J8takagi (会話 | 投稿記録)
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# 上記4. を受けてなんらかの工夫(対応)が必要。そこで、冒頭文に日本政府の歴史認識について記載し、本文にはその詳細として「日中歴史共同研究」について記載すべき
# 上記4. を受けてなんらかの工夫(対応)が必要。そこで、冒頭文に日本政府の歴史認識について記載し、本文にはその詳細として「日中歴史共同研究」について記載すべき
このなかで疑問に思う論点や議論のつながりが分からない点があれば、ご指摘下さい。--[[利用者:J8takagi|j8takagi]]([[利用者‐会話:J8takagi|会話]]) 2018年3月6日 (火) 06:33 (UTC)
このなかで疑問に思う論点や議論のつながりが分からない点があれば、ご指摘下さい。--[[利用者:J8takagi|j8takagi]]([[利用者‐会話:J8takagi|会話]]) 2018年3月6日 (火) 06:33 (UTC)

:{{コ}}説明ありがとうございます。まず、笠原氏ですが、この分野の第一人者であり、尊敬する学者の1人です。とはいっても、新書本と、いくつかの著書を目を通しただけですが。ここで笠原氏の名前を出されたということは、おそらく私なんかよりもJ8takagiさんのほうが詳しいことでしょう。しかし、それだけに、批判者も多いことも良くご存知だと思います。貴方がもし、笠原氏の著書'''だけ'''で編集参加するつもりならば、お止めになるのがよろしいでしょう。東中野修道氏の著書'''だけ'''で加筆するのと大差ありません。議論の分かれる分野ならば、3名の著書を手元に置いておくべきです。
:まぁ、それはそれとして、1~4は何となく解りますが、それがなぜ5に繋がるのでしょうか??。そこが一番大事なのに、こうもはぐらかされては、同意しようがありません。--[[利用者:Ashtray|Ashtray]] ([[利用者‐会話:Ashtray|talk]]) 2018年3月6日 (火) 14:04 (UTC)


*編集の基本方針としては記事の冒頭部はとにかく軽くすべきで、ある一定の記述があれば本文に移すのが宜しいと思います。冒頭部肥大化の法則とでもいうべき編集傾向はすぐに発生しますので意識して本文に移すようにしましょう。--[[利用者:大和屋敷|大和屋敷]]([[利用者‐会話:大和屋敷|会話]]) 2018年3月4日 (日) 03:16 (UTC)
*編集の基本方針としては記事の冒頭部はとにかく軽くすべきで、ある一定の記述があれば本文に移すのが宜しいと思います。冒頭部肥大化の法則とでもいうべき編集傾向はすぐに発生しますので意識して本文に移すようにしましょう。--[[利用者:大和屋敷|大和屋敷]]([[利用者‐会話:大和屋敷|会話]]) 2018年3月4日 (日) 03:16 (UTC)

2018年3月6日 (火) 14:05時点における版

このページは一度削除されています。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/南京事件 (1937年)」をご覧ください。

このページには削除された版があります。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/南京事件 (1937年) 20110512」「Wikipedia:削除依頼/南京事件 (1937年) 20160527」をご覧ください。

この項目がここに移動される以前に同一名称だった項目にはノートページが存在します。詳細はノート:南京事件 (1937年)(移動以前の過去ログ)を確認してください。--Himetv 2010年6月14日 (月) 10:49 (UTC)[返信]

この項目が南京大虐殺から移動された際にノートページが移動されませんでした。移動が行われた2010年6月14日 (月) 05:39以前のノートについては、ノート:南京大虐殺をご覧下さい。--Himetv 2010年6月14日 (月) 10:56 (UTC)[返信]

Archive過去ログ

サブページ

Wikipedia:中立的な観点をもって、デビッド・M・ケネディさんのエッセーをソースにした編集内容の検証

既存編集内容:

この事件については、事件の規模、虐殺の存否、戦時国際法違反か、犠牲者数などさまざまな論争が存在している(南京事件論争)。故に事件の真相はいまだ不明である[1][2][3]

利用者‐会話:废科举による内容拡充の編集:

行為者の日本に限り南京大虐殺の存否をめぐって論争が後を絶たないが(南京事件論争参照)、諸外国では南京大虐殺事件を史実として共有している。例えば、中国系アメリカ人作家アイリス・チャンの著作ザ・レイプ・オブ・南京についてのエッセーでは、ピューリッツァー賞受賞者の米国人歴史学者デビッド・M・ケネディは、ナチスドイツが行ったホロコースト事件の原因に関する分析に見られるような国策、文化及び国民性との関連性までの指摘が、アイリス・チャンの研究には足りないのではないかと主張した一方、西洋諸国では南京大虐殺事件自体の存在を事実として当時から一貫して共有してきたと明示している[4]

利用者‐会話:废科举による編集内容を支えると思われる原文の箇所内容の一部:

①デビッド・M・ケネディ氏の『ザ・レイプ・オブ・南京』に対する指摘: BUT if this improbable tale reminds us of the enigmas of good and evil and the infinite mysteries of the human personality, Chang does not bring an analogous sense of complexity to her effort to explain why the Rape of Nanking happened at all.

How did military discipline first degenerate into disorder and then slide into such stupefying depravity?

Were Japanese actions the result of deliberate high-level policy decisions to terrorize the Chinese?

Did the Imperial Japanese Army's atrocities flow from some moral defect in the Japanese national character? 

From willful military indoctrination that cultivated race hatred toward the Chinese?

From the bent minds of crazed local commanders?

From wholesale insubordination by an ill-educated and hard-used soldiery?

Or did the whole history and atmosphere of the Yangtze—especially the bloody 1937 campaign from Shanghai up the valley, which culminated in the nightmarish condition of Nanjing on December 13—somehow unbridle the demons in men's souls?

……this book does a much better job of describing the horrors of Nanjing than of explaining them. Part of that deficiency is owing to Chang's sources. With but a handful of exceptions, Chang tells her tale from the point of view of the Chinese victims in Nanjing or the Caucasian witnesses in the Safety Zone. Her evidence offers little basis for any insight into the mentality of the perpetrators.

She offers little that is comparable to the carefully nuanced analysis of the motives behind Nazi brutality that one finds in works……

以上のデビッド・M・ケネディ氏の指摘には行為主体は日本だけしか提示していないから、南京大虐殺の具体的な原因(日本の国策か、日本の国民性か、日本軍の軍国的教育に由来する中国に対す増悪感か、日本軍人のむき出しにした男の悪魔意識か)は解明していないとしても、原因のすべては「From Japanese」こと自体は明示してくれたのでしょう。

②デビッド・M・ケネディ氏自身が南京大虐殺の存在を認めている根拠:

……the city's Chinese inhabitants were so traumatized that many of them welcomed the Japanese army as a disciplined military force that might at least impose a semblance of order on the chaotic hell of bleeding, burning Nanjing. That expectation the Japanese abruptly and cruelly demolished.

……The procedure was certainly allowable under recognized rules of war, but Matsui's troops carried it out with wanton ferocity. They rounded up all young men of military age and proceeded to kill them in wholesale machine-gunnings and serial decapitations, sometimes in full view of horrified onlookers. Worse soon followed. Roaming bands of Japanese troops began murdering civilians at random, indiscriminately assailing the young and the old, men, women, children, and unborn fetuses alike, with bludgeon, bayonet, rifle, torch, and sword. Matsui's soldiers used both living and dead Chinese for bayonet practice. They mutilated, tortured, and maimed countless victims. According to Chang's account, they hanged people by their tongues and marinated them in acid, dismembered them, grenaded them, impaled them and burned them and flayed them and froze them and buried them alive. They also raped countless women, bestowing upon this unholy episode the name by which it has forever after been known and which furnishes Chang's title: the Rape of Nanking.

But if a penchant for the sensational, along with a certain credulousness, occasionally colors Chang's recounting of some of those incidents, there can be no doubt that the evidence amounts to a crushing indictment of the Japanese army's behavior. The Rape of Nanking stands out in the long and sorry annals of warfare and its crimes as an exceptionally heinous monstrosity. Even the Japanese Foreign Minister, Hirota Koki, reported after an inspection trip in January of 1938 that the "Japanese Army behaved . . . in [a] fashion reminiscent [of] Attila [and] his Huns. [Not] less than three hundred thousand Chinese civilians slaughtered, many cases [in] cold blood."

In the final accounting, this book does a much better job of describing the horrors of Nanjing than of explaining them.

……"Why the devil did you stay?" a puzzled Japanese officer asked him in the midst of the pandemonium engulfing Nanjing.……

BUT if this improbable tale reminds us of the enigmas of good and evil and the infinite mysteries of the human personality……

The Western world in fact neither then nor later ignored the Rape of Nanking. 訂正版 废科举会話2017年8月16日 (水) 11:18 (UTC)[返信]

提案

今回のようなバトルはどう見ても不毛です。よって、废科举が書いた内容で私が修正したもので、废科举本人が納得した内容は生かしてもいいと思います。恐縮ですが大和屋敷も納得してほしいです。日本では南京事件はその存否の論争がありますが、その規模や事実認識は別として多くの国では南京虐殺という言葉はとりあえず広まっていますので、それも事実としては書いてもいいと思います。つまり、解釈に多くの見解があるのも事実です。確かに歴史上に起こったことは1回のみで、それが真実です。しかし、事実認定や事実そのものさえも、その解釈(犯罪に当たるかなど)には幅があります。私は、今まで資料で可能な限り事実を追ってきて、同時に見解の幅がある場合は。その根拠の精度や事実性の濃淡を示しつつ、可能な限り、様々な意見の違いの存在は記載すべきとしました。少し話題はそれますが、英語版の「南京事件」関連で、昭和天皇が昭和12年8月に捕虜殺害の容認を個人的に通知した(もちろん本当なら戦時国際法違反に当たる)と書いてありましたので、陛下がそんなことを命じるわけがないので、おかしい?と思い、調べたら、どうも陸軍次官の8月5日のハーグ陸戦条約を無視してよいとの通知のこと(秦氏の本にもあり。私も南京事件と論争で何度か記載)を誤解したのであると突き止め、「陸軍省」が、とその主語を修正しました。ついでに最近は仏語版も同様になおしています。昭和天皇への濡れ衣をはらしたい、という個人的意思もありましたが、何よりも事実に固執した結果の例です。この場合も事実にこだわりました。しかし、そもそも事件全体のとらえ方は幅があるのは妨げられません。如何でしょうか。何よりバトルは不毛なので、意見あれば、こちらに書いてほしいです。--Japanese sincerity会話2017年8月18日 (金) 15:57 (UTC)[返信]

  1. ^ 長谷川啓之「南京」「現代アジア事典」文眞堂, 2009
  2. ^ David・M・Kennedy,The Horror,The Atlantic Monthly 281 (4): pages 110–116,April 1998.塩谷紘訳 デビッド・M・ケネディ「南京虐殺はホロコーストではない」『諸君!』平成10(1998)年8月号
  3. ^ Kennedy(1998)は「南京虐殺事件の背景について万人が納得するような説明はいまだなされていない」とする。
  4. ^ David・M・Kennedy, The Horror :Should the Japanese atrocities in Nanking be equated with the Nazi Holocaust?(ザ ・ホラー:南京で行った日本人の残虐行為はナチスのホロコーストと同一視されるべきか?)”. The Atlantic.com. 20170808閲覧。
  • 主張と事実を混同している典型的な編集です。また「同盟軍」という独自の定義を史実の裏付けなく導入してはいけません。いずれにせよずさんな加筆でありWikipediaの品質水準に満たないものとして差し戻しました。--大和屋敷会話2017年8月19日 (土) 03:28 (UTC)[返信]

やや不満はあるが、了解します。他の方も意見あれば。--Japanese sincerity会話2017年8月19日 (土) 07:55 (UTC)[返信]

外部リンク修正

編集者の皆さんこんにちは、 「南京事件 (1937年)」上の3個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月27日 (水) 20:42 (UTC)[返信]

「2017年11月20日 (月) 05:38‎」編集の補足

この版で記載された「故に事件の真相はいまだ不明である」には出典が3点あげられていましたが、それらの出典はいずれもWikipedia:信頼できる情報源に記載された事実の定義である「その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述」という基準は示していません。そのため、事実として記述することは不可能です。また、「故に」の接続詞は、出典とは無関係なWikipedia編集者による挿入であり、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成にあてはまると考えます。--j8takagi会話2017年11月20日 (月) 05:50 (UTC)[返信]

返信 「故に」以外の記述も、「事件の真相はいまだ不明である」という記述は、上で述べたように事実ではないことを事実として記述しており、不適切です。そのことに対する反論もないまま、腕ずくの編集、特に3RRに達しない編集合戦は止めてください。--j8takagi会話2017年11月20日 (月) 08:53 (UTC)[返信]
  • 明確にそのように記述してある信頼できる情報源からの記述を加工してはいけません。あなたの信念を裏付ける、別の信頼できる情報源をさがしてくるべきでしょう。このような荒らし行為は止めて頂くよう宜しくお願いいたします--大和屋敷会話2017年11月20日 (月) 10:14 (UTC)[返信]
返信 「事件の真相はいまだ不明である」という記述の出典は、上で繰り返し説明したように「信頼できる情報源」の条件を満たしません。この件については、記述そのものよりも、大和屋敷さんのウィキペディアに対する参加姿勢や行為が問われるべきだと考えます。また、議論の続きもWikipedia:コメント依頼/大和屋敷 20170612に移した方がよさそうです。--j8takagi会話2017年11月20日 (月) 22:21 (UTC)[返信]

報告 再度、巻き戻ししました。なお、リード文にこうした「偏った意見」を載せるべきかについても検討の余地があると考えます。--j8takagi会話2017年11月22日 (水) 20:23 (UTC)[返信]

返信 どこが「出典のない独自研究」なのか説明してください。説明がない場合は、あらためて記述そのものよりも、Wikipedia:コメント依頼/大和屋敷 20170612などで大和屋敷さんのウィキペディアに対する参加姿勢や行為が問われるべきだとも考えます。--j8takagi会話2017年11月22日 (水) 20:47 (UTC) 2017年11月22日 (水) 20:48 (UTC)修正[返信]
説明のないままリバートを繰り返し、「信頼できる情報源」の条件を満たさない記述を腕ずくで入れるのは止めてください。--j8takagi会話2018年1月17日 (水) 23:29 (UTC)[返信]

出典ある情報の無断削除

返信 「出典のある情報」というのが虚偽だからです。「事件の真相はいまだ不明」「万人が納得するような説明はいまだなされていない」という意見が存在することについては出典が示されているとお考えかもしれません。しかし、ウィキペディアの事実であることや、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)で求められているように中立的な観点を伴っているのかを示す出典にはなっていません。ウィキペディアの方針を再度見直してください。また、該当の記述が〈「信頼できる情報源」の条件を満たして〉いないという説明はすでにしております。それに対する返答もないまま、リバートを「延々と繰り返」したり、同じ説明を繰り返し求めるようなことは、止めてください。--j8takagi会話2018年1月18日 (木) 00:17 (UTC)[返信]
  • 出典はあるでしょう。その中身の真正性をあなたが独自に判断してはいけません。「現代アジア事典」文眞堂 2009や塩谷紘訳デビッド・M・ケネディ「南京虐殺はホロコーストではない」『諸君!』平成10年8月号は信頼できる情報源です(ないしはそれを否定する「外部の」「中立的な」評論をご紹介ください)。貴殿(J8takagi)にできるのは、今般編集のような削除という行為ではなく①そのような文献をさがしてくること②その評論をもって両論併記することです。なおそのさい両論併記については(ともに)本文冒頭ではなく記事の中に織り込むべきでしょう。いずれにせよ貴殿の「独自の判断」による信頼できる情報源の無断削除はいますぐ停止してください。--大和屋敷会話2018年1月18日 (木) 07:24 (UTC)[返信]
同じことの繰り返しになって遺憾ですが、「事件の真相はいまだ不明」「万人が納得するような説明はいまだなされていない」という〈意見〉が存在することについては出典があっても、記事の導入文に記述するような〈事実〉であることを示す出典は示されていません。いつまでも納得しない態度は止めてください。--j8takagi会話2018年1月18日 (木) 09:04 (UTC)[返信]
  • あーと。冒頭の導入部に置くというのはどうも編集感覚的に違和感がある(宣言しすぎ)という編集感覚ということでしょうか。ならその点については了解できます。「事件の真相はいまだ不明」を否定する『信頼できる』『外部の情報源』は案外ないんですよ。皮肉ではなく探してください。--大和屋敷会話2018年1月18日 (木) 19:58 (UTC)[返信]
『信頼できる』『外部の情報源』として導入文に[1]がすでに示されています。この情報源の背景には、歴史学者(専門家)のコンセンサスもあります。--j8takagi会話2018年1月18日 (木) 23:28 (UTC) 2018年1月18日 (木) 23:32 (UTC)一部追記[返信]
「事件の真相はいまだ不明」「万人が納得するような説明はいまだなされていない」といった記述を本記事の導入文に載せるべきではないという点には、同意するということでよいでしょうか。こうした記述を他の場所に追加するということになると、南京事件論争が候補になりそうです(本記事では、全体の構成を変えない限り、今回のような記述の追加はむつかしそう)。ただし、「南京事件論争」では「虚構派」「否定派」などといった形で、「事件の真相はいまだ不明」という主張についてより詳細に記述しているので、こうした記述を加えるのは工夫が必要かと考えます。なお追加にあたっては、どこにするにしても意見そのものではなく意見についての事実を記述してください。--j8takagi会話2018年1月20日 (土) 00:52 (UTC)[返信]
コメント 最近はあまり編集する分野ではないものの、一応ウォッチリストには入れており、こちらの論争は見ておりました。しかし、正直、何を争っているのか?、よくわかりませんでした。 2018年1月26日 (金) 07:03 (UTC)

のJ8takagiさんのコメントで、ようやく納得いたしました。

1.大和屋敷さんとJ8takagiさんへ。編集合戦はお止めください。
2.J8takagiさんへ。出典ある記述を除去するのはお止めください。
3.私Ashtrayは、2018年1月18日(木)00:19(UTC)の版を支持しません。--Ashtray (talk) 2018年1月27日 (土) 11:04 (UTC)[返信]
返信 「出典ある記述を除去するのはお止めください」とのことですが、ウィキペディアで定義されたまともな出典のある記述でないことはすでに何度も繰り返し申し上げております。また、「・・・の版を支持しません」とのことですが、理由や根拠も示さずにそのようなコメントを示されてもなんともなりません。ウィキペディアのノートでのコメントは、Wikipedia:合意形成にあるように「合意に向けた議論」であり、〈常に「理由」を示して「相手を説得する」努力が求められます〉。Ashtrayさんの意見はそうしたウィキペディアの方針には沿わないものだと考えます。--j8takagi会話2018年1月27日 (土) 12:39 (UTC)[返信]
コメント まず、私は1番目になんと言いましたか。自分の行為を棚に上げて、言うことはそれですか。私を含め、皆が記事を編集できない状態にあるのですよ。それについてコメントは無しですか?--Ashtray (talk) 2018年1月27日 (土) 12:45 (UTC)[返信]
歴史学上の問題であれば、査読制度のある学術雑誌などで語られていることについてのみ記述すべきであって、学術雑誌でない記述はいらないでしょう。具体的には『史学雑誌』や『東洋史研究』などの歴史学の専門誌で資料の読解や歴史学的の手法に従っているかどうか、専門家の批評を受けた掲載がゆるされたものに基づくのが妥当かと。ちなみにそういった専門誌に採用されたことがある研究者でも、時代や分野が違っていて記事内容について論文や研究書がない「門外漢」の人の記述も妥当でないと思います。たとえば古代史や文学分野の人が近代史の史料を扱えるかというと必ずしもそうでないので(だから自分の専門とする分野以外のテーマで査読雑誌に発表できてない場合がほとんど)。そもそも当該事項について査読誌に掲載されたことすらないような人間の解釈を聞かされてもねぇ。役に立たないよね。この記事の場合、中国語史料と日本語史料、英語史料など多言語の史料読解ができないと歴史研究にならないはずだが、その点引用されている著者達はクリアしてるのだろうか。そういうのを担保してくれるのが、歴史学の査読誌に論文を発表できているかどうかと思うのだが。123.48.117.137 2018年1月27日 (土) 13:20 (UTC)[返信]
コメント そうあるのが理想ですね。査読済学術誌より、使えそうな論文がありましたら、是非お持ちよりください。
あと、念のために確認しますが、IP氏はJ8takagiさんとは別人、ということでよろしいのでしょうか。それとも単なるログインし忘れ?--Ashtray (talk) 2018年1月27日 (土) 13:33 (UTC)[返信]
コメント Ashtrayさんへ。私の編集に問題があるというのであれば、「理由」を示してください。今回「編集できない状態に」なってしまったのは、私以外の者が、ウィキペディアにふさわしくない出典のない記述を、「出典ある」と言い張って腕ずくの編集をした結果だと考えています。なお、IPアドレス「123.48.117.137」は私ではありません。--j8takagi会話2018年1月27日 (土) 13:42 (UTC)[返信]
コメント J8takagiさんへ。
編集合戦は「悪」です。私よりも参加暦の長いベテランユーザーが、何をいまさら。
「誰々さんの方が悪い」など、もはや子供の言い訳です。今回は記事の保護で対処されましたが、両者均等にブロックされたとしても不思議でない記事履歴ですね。
IP氏とは別人とのこと、了解いたしました。--Ashtray (talk) 2018年1月27日 (土) 15:58 (UTC)[返信]
コメント Ashtrayさんとは「合意に向けた議論」をするのはむつかしいということがわかりました。--j8takagi会話2018年1月28日 (日) 01:49 (UTC)[返信]
コメント 議論を放棄されるのは構いませんが、「2018年1月18日(木)00:19(UTC)の版」での合意は不成立ということでよろしいですか。--Ashtray (talk) 2018年1月28日 (日) 02:26 (UTC)[返信]
コメント 「合意の不成立」とはどのような意味でしょうか?合意が成立した場合と何が違うのですか?--j8takagi会話2018年1月28日 (日) 03:34 (UTC)[返信]
コメント 要は、J8takagiさんの版を誰かが差し戻したり自由に改変したりしても文句は言えない状態、じゃないですか。--Ashtray (talk) 2018年1月28日 (日) 03:49 (UTC)[返信]
コメント ウィキペディアの方針に反して差し戻したり自由に改変しても文句をいうな、と。Ashtrayさんはそのように主張するわけですね。当然ながらそのような主張は認められません。ウィキペディアの編集はウィキペディアの方針に沿って行ってください。--j8takagi会話2018年1月28日 (日) 04:04 (UTC)[返信]
コメント J8takagiさんへ。
>ウィキペディアの方針に反して
はて、私は何処かでそのようなことを言ったのですか。ぜひ差分入りでお示しください。もしそんな馬鹿な事を口走ったとすれば、方針を遵守すべきJAWPの一ユーザーとしては、皆様に対して訂正して御詫びを申さねばなりません。--Ashtray (talk) 2018年1月28日 (日) 04:13 (UTC)[返信]
返信 こちらの差分の「差し戻したり自由に改変したり」の、特に「自由」という言葉にはそのように解釈できる余地があるということです。--j8takagi会話2018年1月28日 (日) 05:10 (UTC)[返信]
コメント 我々ユーザーが編集投稿する際には、必ず「利用規約への同意」が求められます。また利用規約では方針遵守も求められています。ウィキペディアにおける「自由」に、その様に解釈できる余地はございません。どのような思考経路を辿ると、そのような答えが出てくるのでしょうか。--Ashtray (talk) 2018年1月28日 (日) 05:37 (UTC)[返信]
コメント 「自由」が「自分の意のままに振る舞うことができること」[2]という意味を持つからです。--j8takagi会話2018年1月28日 (日) 06:15 (UTC)[返信]
コメント 分別ある大人ならば、文脈から「4 法律の範囲内で許容される随意の行為。」を選択すると思いますが。--Ashtray (talk) 2018年1月28日 (日) 06:26 (UTC)[返信]

『現代アジア事典』の記述について

長谷川啓之 編『現代アジア事典』文眞堂、2009年。 の記述を確認しました。「南京」の項目では、「南京と日本との関係でもっとも有名になったのは、南京事件(中国側は南京大虐殺とか大屠殺とも呼ぶが、いまだに真相は不明)である。」という説明のあとで、1937年12月に日本が南京を攻略した際に発生したとされる大規模な殺人、傷害、強姦、略奪などの犯罪行為、と説明し、関連項目として「南京事件」を挙げています。ふつうに読解すれば、「真相は不明」と記述しているのは、「大虐殺」と呼ぶべきなのかについてです。また、関連項目として挙げられている「南京事件」では、「虐殺があったことについては〈中略〉明らかにされている」と述べており、犠牲者の数について「中国側では犠牲者30万人説が主流」「日本の研究者らは数万人から10数万人程度と考えるものが多く」としています。これらをあわせると、『現代アジア事典」では南京事件を、実在する数万人以上の被害者を出した「大規模な殺人などの犯罪行為」としており、議論の対象になっているのは被害者の数などの部分ということになります。けっして「事件の真相はいまだ不明」というように事件の実在性までもが不明であるというようなことは書かれてはいません。--j8takagi会話2018年1月26日 (金) 07:03 (UTC)[返信]

現在の定義文について

2018年1月18日 (木) 01:08‎(UTC)に編集合戦により全保護されました。現在の版について問題点、改善すべき点を挙げてみます。

1、ユネスコ記憶遺産云々
ご存知のとおり日本語版Wikipedia上では、戦時中の首都攻略戦たる (1)「南京戦」と、入城後に発生した (2)「南京事件」、戦後の学術的・政治的な (3)「南京事件論争」で記事が分けられています。
2015年のユネスコ登録に関する話題は、どう考えても(3)の案件です。(2)の本文中で軽く触れたり、誘導するのはよいですが、冒頭定義文に書く内容ではありません。--Ashtray (talk) 2018年2月11日 (日) 03:50 (UTC)[返信]
2、日本政府の歴史認識云々
現在の日本政府の見解は、出典元の外務省サイト[3]に書いてあるとおりですし、過去の小泉政権時代の答弁書[4]や外務省報道官会見[5]に沿った内容です。ついでながら、私Ashtray個人の認識ともそう変わりません。
しかし、日本政府が、直接に事件を研究調査したり、関係者への聞き取りをしているわけではなく、また歴史的事実として確定する立場にあるわけではありません。あくまで「一法人としての見解」ですので、前項と同じく(3)で扱うべき案件であり、冒頭定義文に書く内容ではありません。
それこそ、中立方針に則れば、中共政府の「30万人」との見解も両論併記しなければ、つりあいが取れません。--Ashtray (talk) 2018年2月13日 (火) 13:52 (UTC)[返信]
返信 2.について、Wikipedia:中立的な観点#釣り合いのとれた重みづけによれば、〈中共政府の「30万人」との見解も両論併記しなければ、つりあいが取れません。〉はウィキペディアの方針には反する考えになります。ウィキペディアで考慮すべきなのは、「その主題についての専門家や関係者の勢力」です。専門家である歴史家たちの見解について端的に言えば、史学雑誌の毎年の第5号に掲載される「回顧と展望」に載っているような書籍や論文の内容がメインで記述されるべきです。とはいえ、政府などの「関係者」の記述もあるべきです。本問題については、日中歴史共同研究の実施のように政府が主導した研究も行われており、「一法人」とは異なる立ち位置(本件についての専門家集団、事実を知りうる立場)です。--j8takagi会話2018年2月15日 (木) 13:01 (UTC)[返信]
コメント こちらのコメントに気づきませんで。
まず、冒頭定義文に載せるべき事項と本文内に載せるべき事項は、分けて考えてください。また、今記事(2)と関連記事(1)(3)に載せる事項は、分けて考えてください。そうしないと話が進みません。
また、こちらに返信をいただいたということは、「Ashtrayさんとは「合意に向けた議論」をするのはむつかしい」 とのコメントは撤回されたと見なしてよろしいのでしょうか。--Ashtray (talk) 2018年3月2日 (金) 03:21 (UTC)[返信]
「Ashtrayさんとは「合意に向けた議論」をするのはむつかしい」というのは、いちおうはあの場限りです。「冒頭定義文に載せるべき事項と本文内に載せるべき事項は、分けて考えてください。」「今記事(2)と関連記事(1)(3)に載せる事項は、分けて考えてください」とのことですが、「2、日本政府の歴史認識云々」は(歴史家たちの見解とともに)今記事(2)の本文と冒頭定義文の両方に記載すべき事項だと述べております。なお、「1、ユネスコ記憶遺産云々」については判断を保留しています。--j8takagi会話2018年3月2日 (金) 04:54 (UTC)[返信]
コメント まずこの記事は、専門家が調べ上げた「事実」(≠真実)を淡々と記すべき所です。歴史認識とか見解とかは(3)でやってください。
また、「日本政府=専門家集団、事実を知りうる立場」という大変興味深い説を披露して頂きましたが、それはあなた個人の見解でしょうか。それとも誰か専門家の書籍・論文に書かれていたことでしょうか。安倍政権が、どこまで
そもそも、「日中歴史共同研究」は、日中専門家の間で共通見解は得られたのでしょうか。また研究結果について政府が「御墨付き」を与え、何らかの形で「公式見解」と位置づけたのでしょうか。私が知りうる限り、そのような事実は無かったと記憶しています。
そして、あなたが「30万人」説に対してWP:UNDUEを持ち出されたということは、「観点の偏り」「少数派の意見」という認識なのでしょうね。私も、そのようなファンタジーを信じてはいません。しかし、共同研究の中国側の専門家はなんと言ってるかご存知ですか。しかも、あなたの論理で行けば、中共政府も「専門家集団、事実を知りうる立場」となりますが。--Ashtray (talk) 2018年3月4日 (日) 02:25 (UTC)[返信]
日中歴史共同研究については、たとえば歴史学者の笠原十九司が〈『戦争を知らない国民のための日中歴史認識—『日中歴史共同研究 近現代史』を読む』。ISBN 4585220070 〉という書籍を出しています。南京事件を研究してきた専門家が外部の立場から、日中歴史共同研究について解説・論評した内容です。「日本政府=専門家集団、事実を知りうる立場」という説があたっているか、日中専門家の間で共通見解は得られたのか、研究結果についてどのように扱うのか、という点についてはこの書籍をあたるのがよいと思います。--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 10:46 (UTC)[返信]
コメント うん、まったく答えになっていません。ここは、「日本政府の歴史認識」を載せるかどうかの話です。いつから笠原説が日本政府の公式になったのでしょうか?--Ashtray (talk) 2018年3月5日 (月) 12:09 (UTC)[返信]
では、笠原十九司氏をAshtrayさんはどのように位置づけていますか?たとえば、「専門家が調べ上げた「事実」(≠真実)を淡々と記す」ときの専門家にあてはまりますか?--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 12:18 (UTC)[返信]
コメント 答えが無いようですし、日本政府の歴史認識云々は冒頭部には書かない(除去)、でよろしいですね。--Ashtray (talk) 2018年3月5日 (月) 12:25 (UTC)[返信]
なぜ答えようがないのか分からないのですが…それでは質問をかえます。本記事で「専門家が調べ上げた「事実」(≠真実)を淡々と記す」とはどのような記述(出典)を想定していますか?通常の歴史系の記事ではそうした事実を記述をすれば、ウィキペディアの品質を満たす記事ができやすいです。しかし本記事ではそのような記述が諸般の事情によりむつかしく、工夫が必要になります。日本政府の歴史認識について記載すべきというのは、そうした工夫の一つというのが私の考えです。--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 13:02 (UTC)[返信]
コメント まず、あなたの考える「工夫」の意味が分かりません。説明を。--Ashtray (talk) 2018年3月5日 (月) 13:16 (UTC)[返信]
「日本政府の歴史認識について記載す」ることを「工夫」と表現しています。--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 23:50 (UTC)[返信]
その「工夫」について、説明してください。--Ashtray (talk) 2018年3月6日 (火) 00:50 (UTC)[返信]
どのように説明したらご納得いただけるか分かりませんが、言い換えれば、本記事では「専門家が調べ上げた「事実」(≠真実)を淡々と記す」ことが諸般の事情によりむつかしい状況での対応ということです。なお、根拠も示さずに、「反対です」「わからない」「説明してください」といわれても、ウィキペディア記事品質向上のための議論をするのは困難です。どのような部分が「わからない」のか、どういう点の「説明」が必要なのか、明示するようお願いします。

私の意見を箇条書きでまとめると次のようになります。

  1. 通常、歴史記事では「専門家が調べ上げた「事実」(≠真実)を淡々と記す」ことでウィキペディアの品質を満たす記事になる
  2. 南京事件の専門家として、歴史学者の笠原十九司が挙げられる
  3. 上記1.と2. から、笠原十九司氏の著作をもとに記事をつくれば、ウィキペディアの品質を満たす記事になる
  4. しかし、諸般の事情により3. はむつかしい
  5. 上記4. を受けてなんらかの工夫(対応)が必要。そこで、冒頭文に日本政府の歴史認識について記載し、本文にはその詳細として「日中歴史共同研究」について記載すべき

このなかで疑問に思う論点や議論のつながりが分からない点があれば、ご指摘下さい。--j8takagi会話2018年3月6日 (火) 06:33 (UTC)[返信]

コメント 説明ありがとうございます。まず、笠原氏ですが、この分野の第一人者であり、尊敬する学者の1人です。とはいっても、新書本と、いくつかの著書を目を通しただけですが。ここで笠原氏の名前を出されたということは、おそらく私なんかよりもJ8takagiさんのほうが詳しいことでしょう。しかし、それだけに、批判者も多いことも良くご存知だと思います。貴方がもし、笠原氏の著書だけで編集参加するつもりならば、お止めになるのがよろしいでしょう。東中野修道氏の著書だけで加筆するのと大差ありません。議論の分かれる分野ならば、3名の著書を手元に置いておくべきです。
まぁ、それはそれとして、1~4は何となく解りますが、それがなぜ5に繋がるのでしょうか??。そこが一番大事なのに、こうもはぐらかされては、同意しようがありません。--Ashtray (talk) 2018年3月6日 (火) 14:04 (UTC)[返信]
  • 編集の基本方針としては記事の冒頭部はとにかく軽くすべきで、ある一定の記述があれば本文に移すのが宜しいと思います。冒頭部肥大化の法則とでもいうべき編集傾向はすぐに発生しますので意識して本文に移すようにしましょう。--大和屋敷会話2018年3月4日 (日) 03:16 (UTC)[返信]
ならばなおのこと、どさくさに紛れて『現代アジア事典』を出典として示した、「冒頭の導入部に置くというのはどうも編集感覚的に違和感がある(宣言しすぎ)」とご自身でも仰っていた記述を復活させるのは止めて下さい。また、#『現代アジア事典』の記述についてで述べたようにこの記述は出典である『現代アジア事典』とは異なる主張になっています。--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 10:46 (UTC)[返信]
  • 消すんじゃなく別の形で本文に組み込むよう移動させて下さいよ。J8takagi氏の場合は編集意図がおかしいんです。とにかく冒頭はすぐにこういう編集合戦になるので、書きたいのなら本文で十分に書いてください。--大和屋敷会話2018年3月5日 (月) 13:10 (UTC)[返信]
以前にも述べたように、本記事では、全体の構成を変えない限り、今回のような記述の追加はむつかしそうにおもいます。また、南京事件論争の記事では「虚構派」「否定派」などといった形で、「事件の真相はいまだ不明」という主張についてより詳細に記述しているので、記述追加は不要に思います。となると、本文への追加は難しいです。結果として、冒頭リード文から除去するということになります。あと、この記述は出典である『現代アジア事典』とは異なる主張になっているという点についてはどのようにお考えでしょうか。--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 23:50 (UTC)[返信]
コメント 節を分けますので、続きはそちらで。--Ashtray (talk) 2018年3月6日 (火) 03:29 (UTC)[返信]
3、事件の真相はいまだ不明云々
コメント 『現代アジア事典』を出典とした「事件の真相はいまだ不明であり」の一文、これは必要と考えます。詳しくは後ほど述べます。--Ashtray (talk) 2018年3月6日 (火) 03:29 (UTC)[返信]