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「妙蓮寺 (沼津市)」の版間の差分

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境内の墓地入口付近に、北伊豆に分布する[[凝灰岩]]製とみられる石棺があり、他に類を見ない、別々に短側石を組み合わせる特徴的な構造である。石棺は、当初楊原神社の近くで発掘され、楊原小学校(現在[[沼津市立第三小学校]])に保管された。その後、同校の移転に伴い転々とし、現在は妙蓮寺に保管された。また、妙蓮寺の南方に位置する塩満寺の境内に、蓋の一部とみられる部材が残されている。[[沼津市]]街地の[[香貫山]]西側には、多くの古墳が存在しており、香貫九十塚と呼ばれている<ref name="沼津市史 資料編 考古">{{Cite | title = 沼津市史 資料編 考古 | publisher = 沼津市教育委員会編 | date = 2002年 | pages = 465}}</ref>。
=== 石棺の構成 ===
=== 石棺の構成 ===
;蓋
;蓋

2018年1月29日 (月) 00:42時点における版

妙蓮寺
所在地 静岡県沼津市下香貫林ノ下1875
位置 北緯35度4分45秒 東経138度52分43.3秒 / 北緯35.07917度 東経138.878694度 / 35.07917; 138.878694座標: 北緯35度4分45秒 東経138度52分43.3秒 / 北緯35.07917度 東経138.878694度 / 35.07917; 138.878694
山号 栄松山
宗旨 日蓮宗
本尊 大曼荼羅
創建年 1428年
開基 覚真院日英上人
法人番号 5080105000494 ウィキデータを編集
妙蓮寺 (沼津市)の位置(静岡県内)
妙蓮寺 (沼津市)
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妙蓮寺(みょうれんじ)は、静岡県沼津市下香貫林ノ下にある日蓮宗の寺院。山号は栄松山。旧本山は妙覚寺

歴史

応永35年(1428年)1月、三島市玉沢の妙法華寺8世覚心院日英が第1世として開山した。王沢の隠居寺であったとも言われる。第二世栄松院日妙の時、山号を栄松院と定める。 第二次世界大戦中までは、裏山の頂上に七面山の堂があり、縁組、子授け、病気平穏などの願掛けが行われていた。また、張り子の面(疱瘡の痕が綺麗になる)や布製の乳形(乳の出がよくなる)なども堂内に掲げられていた。しかし戦時中に、高射砲設置のため、七面山の堂は壊され、女体の像のみ本堂に移された。大戦以前より、毎月18日には年配の女性がお堂に集い、お題目を唱えていたが、現在も正月・5月・9月に七面山のご開帳がある[1][2]

境内

境内には下記がある[3]

  • 本堂
    • 七面大明神
    • 水子観音 夭逝した子供や、闇に葬られた赤子を慈悲で見守る観音様
  • 妙蓮寺所在石棺

妙蓮寺の石棺

妙蓮寺所在石棺
妙蓮寺所在石棺
形状 石棺
築造時期 古墳時代後期
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境内の墓地入口付近に、北伊豆に分布する凝灰岩製とみられる石棺があり、他に類を見ない、別々に短側石を組み合わせる特徴的な構造である。石棺は、当初楊原神社の近くで発掘され、楊原小学校(現在沼津市立第三小学校)に保管された。その後、同校の移転に伴い転々とし、現在は妙蓮寺に保管された。また、妙蓮寺の南方に位置する塩満寺の境内に、蓋の一部とみられる部材が残されている。沼津市街地の香貫山西側には、多くの古墳が存在しており、香貫九十塚と呼ばれている[4]

石棺の構成

  • 長さは1.2メートル、幅は1.1メートル。コンクリート製階段に長辺が埋め込まれ、両短辺は失われている。外面は一面にノミ痕を残し荒い作りだが、内面は平滑であり身を受けるため、幅12センチメートル、深さ1センチメートで浅い刳り抜きがある。
  • 長さは1.4メートル、幅は1メートルである。短辺は一方の端部が少しだけ残っている。凝灰岩を刳り抜き作成され、表面にノミ痕を残している。外側面は上下方向に弧状を形成しており、上端幅は72センチメートルである。底面は形状は確認できない、下底幅は57〜62センチメートルである。

歴代

  • 開基 覚真院日英
  • 第2祖 栄松院日妙[3]

交通アクセス

所在地
  • 静岡県沼津市下香貫林ノ下1875
交通
  • 沼津駅南口から徒歩38分[5]

脚注

  1. ^ 沼津市史 下巻, 沼津市教育委員会編, (1958年), pp. 222 
  2. ^ 沼津市史編さん調査報告書 第九集「塩満の民俗」平成8年民族調査報告書5, 沼津市教育委員会 社会教育課, (1996年), pp. 81 
  3. ^ a b 妙蓮寺”. 沼津仏教界. 2018年1月8日閲覧。
  4. ^ 沼津市史 資料編 考古, 沼津市教育委員会編, (2002年), pp. 465 
  5. ^ 妙蓮寺”. 日本の神社・寺院検索サイト. 2018年1月8日閲覧。