「獨協医科大学」の版間の差分
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獨協医科大学の源流は、明治14年(1881年)にドイツ文化を摂取し、日本文教の興隆を図る目的で、[[西周 (啓蒙家)|西周]]、[[桂太郎]]、[[加藤弘之]]らにより設立された獨逸学協会である。明治16年(1883年)、[[獨逸学協会学校]]を設立。初代校長に西周、第2代校長に桂太郎、第3代校長に加藤弘之が就任した。第二次世界大戦後、枢軸国であったドイツの影響力の低下のため獨逸学協会学校も危機を迎えたが[[天野貞祐]]ら同窓生により存続した。昭和22年(1947年)、獨逸学協会の名称を財団法人「獨協学園」に変更し、[[東武鉄道]]の[[根津嘉一郎 (2代目)|根津嘉一郎]]の推薦にて[[関湊]]を[[天野貞祐]]に紹介し、獨協中学校を再構築した。同メンバーにより昭和23年(1948年)、新制の[[獨協中学校・高等学校]]発足。第13代校長に[[天野貞祐]]就任。昭和39年(1964年)、獨協学園80周年を記念して、根津、関、天野三氏により[[獨協大学]]を埼玉県草加市に開学。初代学長に天野貞祐就任。昭和42年(1967年)、獨協学園理事長に[[関湊]]就任。 |
獨協医科大学の源流は、明治14年(1881年)にドイツ文化を摂取し、日本文教の興隆を図る目的で、[[西周 (啓蒙家)|西周]]、[[桂太郎]]、[[加藤弘之]]らにより設立された獨逸学協会である。明治16年(1883年)、[[獨逸学協会学校]]を設立。初代校長に西周、第2代校長に桂太郎、第3代校長に加藤弘之が就任した。第二次世界大戦後、枢軸国であったドイツの影響力の低下のため獨逸学協会学校も危機を迎えたが[[天野貞祐]]ら同窓生により存続した。昭和22年(1947年)、獨逸学協会の名称を財団法人「獨協学園」に変更し、[[東武鉄道]]の[[根津嘉一郎 (2代目)|根津嘉一郎]]の推薦にて[[関湊]]を[[天野貞祐]]に紹介し、獨協中学校を再構築した。同メンバーにより昭和23年(1948年)、新制の[[獨協中学校・高等学校]]発足。第13代校長に[[天野貞祐]]就任。昭和39年(1964年)、獨協学園80周年を記念して、根津、関、天野三氏により[[獨協大学]]を埼玉県草加市に開学。初代学長に天野貞祐就任。昭和42年(1967年)、獨協学園理事長に[[関湊]]就任。2020年度をめどに、獨協学園の3大学(獨協大学、獨協医科大学、姫路獨協大学)が再編合併し、(新)獨協大学隣、獨協大学医学部となる計画がある(獨協学園だよりから)。 |
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* [[2011年]] 助産学専攻科を開設する。 |
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* [[2012年]] 大学院に看護学研究科を開設。獨協医科大学越谷病院附属腎・予防医学センターを開設。 |
* [[2012年]] 大学院に看護学研究科を開設。獨協医科大学越谷病院附属腎・予防医学センターを開設。 |
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* [[2020年]] 獨協大学医学部に校名変更予定。 |
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== 教育および研究 == |
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=== 組織 === |
=== 組織 === |
2017年10月28日 (土) 01:44時点における版
獨協医科大学 | |
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大学設置 | 1973年 |
創立 | 1883年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人獨協学園 |
本部所在地 |
栃木県下都賀郡壬生町北小林880 北緯36度28分19秒 東経139度49分29秒 / 北緯36.47194度 東経139.82472度座標: 北緯36度28分19秒 東経139度49分29秒 / 北緯36.47194度 東経139.82472度 |
キャンパス | 壬生(栃木県下都賀郡) |
学部 |
医学部 看護学部 |
研究科 |
医学研究科 看護学研究科 |
ウェブサイト | http://www.dokkyomed.ac.jp/index.html |
獨協医科大学(どっきょういかだいがく、英語: Dokkyo Medical University)は、栃木県下都賀郡壬生町北小林880に本部を置く日本の私立大学。1883年創立、1973年大学設置。
概要
獨協医科大学の源流は、明治14年(1881年)にドイツ文化を摂取し、日本文教の興隆を図る目的で、西周、桂太郎、加藤弘之らにより設立された獨逸学協会である。明治16年(1883年)、獨逸学協会学校を設立。初代校長に西周、第2代校長に桂太郎、第3代校長に加藤弘之が就任した。第二次世界大戦後、枢軸国であったドイツの影響力の低下のため獨逸学協会学校も危機を迎えたが天野貞祐ら同窓生により存続した。昭和22年(1947年)、獨逸学協会の名称を財団法人「獨協学園」に変更し、東武鉄道の根津嘉一郎の推薦にて関湊を天野貞祐に紹介し、獨協中学校を再構築した。同メンバーにより昭和23年(1948年)、新制の獨協中学校・高等学校発足。第13代校長に天野貞祐就任。昭和39年(1964年)、獨協学園80周年を記念して、根津、関、天野三氏により獨協大学を埼玉県草加市に開学。初代学長に天野貞祐就任。昭和42年(1967年)、獨協学園理事長に関湊就任。2020年度をめどに、獨協学園の3大学(獨協大学、獨協医科大学、姫路獨協大学)が再編合併し、(新)獨協大学隣、獨協大学医学部となる計画がある(獨協学園だよりから)。
沿革
略歴
昭和48年(1973年)、獨協学園88周年を記念して根津、関両氏と獨協中学や獨協高校の卒業生により獨協医科大学を栃木県壬生町に開学する。獨協医科大学は広大なキャンパスに附属病院を持ち、また、埼玉県越谷市に獨協医科大学越谷病院、栃木県日光市に獨協医科大学日光医療センターがある。 医科大学としての歴史は浅いが、獨協医科大学は、前身の獨逸学協会学校まで遡るとゆうに創立130年の歴史がある。
年表
- 1881年 ドイツを中心とした西欧文化を広く探究することを目的に西周、桂太郎、加藤弘之らにより獨逸學協會が設立される。
- 1883年 ドイツ学士養成のため獨逸學協會により獨逸學協會學校が設立され、初代校長に西周が就任する。
- 1970年 学校法人獨協学園理事会により創立88周年記念事業として獨協医科大学の設立が承認される。
- 1972年 文部大臣により獨協医科大学の設置が認可される。
- 1973年 獨協医科大学(医学部医学科)が開学する。
- 1974年 獨協医科大学附属高等看護学院が開学する。獨協医科大学病院が開院する。
- 1979年 大学院(医学研究科)を開設する。
- 1983年 獨協医科大学附属高等看護学院を改組し、獨協医科大学附属看護専門学校を開設する。
- 1984年 獨協医科大学越谷病院が開院する。
- 1990年 組替えDNA研究施設を開設する。
- 1994年 獨協医科大学病院が特定機能病院として承認される。
- 1997年 医学情報センター・実験動物センターを開設する。
- 1998年 医学総合研究施設を開設する。
- 2002年 臨床研修センターを開設する。
- 2004年 子ども医療センターを開設する。
- 2005年 PETセンターを開設する。
- 2006年 大学の英語名を「Dokkyo University School of Medicine」から「Dokkyo Medical University」に改める。獨協医科大学日光医療センターが開院する。
- 2007年 看護学部看護学科を開設する。
- 2011年 助産学専攻科を開設する。
- 2012年 大学院に看護学研究科を開設。獨協医科大学越谷病院附属腎・予防医学センターを開設。
- 2020年 獨協大学医学部に校名変更予定。
教育および研究
組織
学部
大学院
専攻科
- 助産学専攻科
附属機関
- 研究所
- 教育支援センター
- 研究支援センター
- 国際協力支援センター
- 熱帯病寄生虫病室
- 国際環境衛生室
- 国際疫学研究室
- 情報基盤センター
- RIセンター
- 実験動物センター
- 看護教育センター
- 保健センター
- 生体医工学研究室
- 附属病院
-
獨協医科大学病院
-
獨協医科大学越谷病院
-
獨協医科大学日光医療センター
- 図書館
- 獨協医科大学図書館
キャンパス
交通アクセス
- 東武宇都宮線・おもちゃのまち駅より徒歩約18分
- 路線バス関東自動車・おもちゃのまち駅~独協医大病院線で約3分、終点下車
- 北関東自動車道・壬生インターチェンジから約5分
大学関係者と組織
大学関係者組織
獨協医科大学の同窓会は「獨協医科大学同窓会」と称し大学内の同窓会本部と国内17の支部会によって構成される。
大学関係者一覧
対外関係
地方自治体との協定
- 二本松市と獨協医科大学との連携に関する協定書(2011年締結)
- 二本松市
- 「みぶまち・獨協健康大学」の設立に関する協定(2013年締結)
- 壬生町
企業との協定
- 獨協医科大学・栃木サッカークラブ間におけるパートナーシップ協定(2010年)
他大学との協定
- 大学間連携による地域貢献事業協定(2010年締結)
- 文星芸術大学
- 宇都宮文星短期大学