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「神社本庁」の版間の差分

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神社本庁は、神道系の宗教団体として日本で最大<ref name=nenkan>[http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/h19nenkan.pdf 『宗教年鑑』平成19年] 2-4ページ</ref>。約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上が加盟している<ref name=nenkan/>。都道府県ごとに[[神社庁]]を持つ<ref>[http://www.jinjahoncho.or.jp/introduction/jinjacho/ 神社本庁 神社庁一覧]</ref><ref name=nenkan/>。[[内務省 (日本)|内務省]]の外局であった[[神祇院]]の後継的存在であり、[[宗教法人法]]に基づく[[宗教法人#単位宗教法人と包括宗教法人|包括宗教法人]]である。
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神社本庁の[[宗教法人]]としての[[規則]]である「神社本庁庁規」では、神社本庁の目的を、包括下の神社の管理・指導、[[神社神道]]の宣揚・神社祭祀の執行・信者([[氏神#氏子|氏子]])の教化育成・本宗である[[伊勢神宮]]の奉賛・神職の養成・冊子の発行頒布を通じた[[広報]]活動などとしている。
神社本庁の[[宗教法人]]としての[[規則]]である「神社本庁庁規」では、神社本庁の目的を、包括下の神社の管理・指導、[[神社神道]]の宣揚・神社祭祀の執行・信者([[氏神#氏子|氏子]])の教化育成・本宗である[[伊勢神宮]]の奉賛・神職の養成・冊子の発行頒布を通じた[[広報]]活動などとしている{{要出典|date=2017年9月5日 (火) 02:24 (UTC)}}


== 歴史 ==
== 歴史 ==

2017年9月5日 (火) 02:24時点における版

宗教法人神社本庁
神社本庁(東京都渋谷区代々木1-1-2)
神社本庁の位置(東京都区部内)
神社本庁
前身 皇典講究所
大日本神祇会
神宮奉斎会[1]
設立 1946年(昭和21年)2月3日[1]
種類 宗教法人[1]
法人番号 9011005000422 ウィキデータを編集
本部 日本の旗 日本
東京都渋谷区代々木1-1-2
座標 北緯35度40分46秒 東経139度42分10秒 / 北緯35.67944度 東経139.70278度 / 35.67944; 139.70278座標: 北緯35度40分46秒 東経139度42分10秒 / 北緯35.67944度 東経139.70278度 / 35.67944; 139.70278
主要機関 地方機関として47の都道府県神社庁。市郡にその支部[2]
関連組織 全国神社総代会、
神道政治連盟
全国敬神婦人連合会、
神道青年全国協議会、
全国神社保育団体連合会、
全国教育関係神職協議会、
全国神社スカウト協議会、
全国氏子青年協議会[3]
ウェブサイト http://www.jinjahoncho.or.jp/
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神社本庁(じんじゃほんちょう)は、神宮(伊勢神宮)を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人である。 が付くが、官公庁ではなく、民間の宗教法人である。

概説

神社本庁は、神道系の宗教団体として日本で最大[4]。約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上が加盟している[4]。都道府県ごとに神社庁を持つ[5][4]内務省の外局であった神祇院の後継的存在であり、宗教法人法に基づく包括宗教法人である。

神社本庁の宗教法人としての規則である「神社本庁庁規」では、神社本庁の目的を、包括下の神社の管理・指導、神社神道の宣揚・神社祭祀の執行・信者(氏子)の教化育成・本宗である伊勢神宮の奉賛・神職の養成・冊子の発行頒布を通じた広報活動などとしている[要出典]

歴史

前史

1890年(明治23年)11月29日に施行された大日本帝国憲法第28条により、国民の「信教の自由」が認められると、神道も仏教、キリスト教とともに宗教団体として国家の公認を得ることになったが、一方で、神社は国家から宗教として扱われないまま国家祭祀を公的に行う位置づけとされた[6]

1898年(明治31年)に全国神職会が結成され、全国の神社の連携が強化された[7]。1900年(明治33年)、社寺局から独立するかたちで、内務省社寺局が神社局宗教局として再編され、神社と仏教が区別されることとなる[8]。全国神職会は後に大日本神祇会と改称し、神社本庁の前身団体の一つとなる[8]

明治末期になると、皇室祭祀関連の規定も整備され、大正に入ると全国神社の祭祀・祭式の形式も整う[9]。昭和期に入り、1940年に神祇院が設置される[10]

1945年(昭和20年)10月4日に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が「思想、宗教、集会及言論の自由に対する制限」を撤廃し「天皇、国体及日本帝国政府に関する無制限なる討議」を認める「自由の指令[11]」を公布する[12]。12月15日には、「神道指令」を日本政府に命じて神祇官を廃止し、西洋で見られる緩やかな政府と宗教の分離とはかけ離れた、国家から宗教的要素を完全に分離させることを目的とする過激な内容を実施しようとした[13][12]。これにより、12月28日に「宗教団体法」が廃止されるとともに、「宗教法人令」が公布され即日施行される[14]

この「神道指令」が掲げる「国家」と「宗教」の分離は非現実的で、国際的基準からも非常識であるなど、多くの問題を抱えていたために、幾度となく修正がおこなわれた[15]。とくに、宗教である神社神道に対して「神道指令」のような干渉を行うことは、「宗教の信仰及びその遵行を尊重しなければならない」と定めるハーグ条約違反であることは明白であった[15]。しかし、神社神道を宗教ではないと認めると、国家と神社神道の結びつきの復活が可能となり、GHQが意図する占領政策と大きく矛盾するという問題を抱えていた[15]。神社本庁によれば、「神道指令」の起草に関わったGHQ宗教課長のバンスもこの矛盾を熟知しており、渋川謙一によるインタビューで、神社神道への干渉について、「日本政府は神社神道は宗教ではないといっていた。したがって、神社神道に対する干渉はハーグ条約違反ではない」と非宗教性を述べる一方、「ハーグ条約といえどもすべての宗教的慣行を保護しているわけではない」などと神社神道の宗教性を示唆する矛盾した回答をしていたという[15]

神社本庁の設立

神祇院は占領軍の圧力を想定せず、神社非宗教の立場で現体制を維持出来るものと思っていたが、「神道指令」の発布と同日に廃止された[16]。一方で、葦津珍彦は厳しい弾圧があると想定しており、皇典講究所吉田茂神宮奉斎会の宮川宗徳とともに打開策を探っていた[16]

1945年(昭和20年)10月25日、葦津の「神社制度改革に対する私見」が、大日本神祇会、皇典講究所、神宮奉斎会の関係者に提示され、民間主導により、神社界の生き残りをかけた話し合いの場がもたれる[16][17]。葦津案は、「正確な情報の伝達と統一ある処理を行う全国組織の構築」、「各神社の緩やかな連合体としての神社連盟」、「この神社連盟には教義についての採決権を与えない」とする内容であった[16]。11月7-8日に、第2回の民間三団体の合同懇親会が開催され、「三団体は合同する」、「準備事務局を神祇会館に設ける」、「合同についての原案を作成して審議会を開催する」という3点が可決された[16]。しかし、11月13日に、一つの宗教団体のように教義採決権や傘下神社の人事権をもつとする、大日本神祇会の「神社教(仮称)教規大綱案」が、設立準備審議会に提出される[16]。これに対し、葦津は、「教義を固定化することは神社神道の本質に反し、占領下で強力な中央集権組織を造れば占領軍の干渉に有利に働く」と主張し、大日本神祇会案に強く異議を唱える[16]。翌14日に、葦津案を基調とした折衷案が、宮川宗徳から提出され、改めて、検討されることとなった[16]。こうして、審議会は、葦津案を中心に神社界の組織構想を練り上げ、1946年(昭和21年)1月23日、「全国神社の総意に基き、本宗と仰ぐ皇大神宮の許に、全国神社を含む新団体を結成し、協力一致神社本来の使命達成に邁進し、以て新日本の建設に寄与せんことを期す。」として神社本庁設立に関する声明が発せられて宗教法人神社本庁が発足し、2月3日をもって設立する[16][18]。神社本庁の発足に従い、宗教法人法(宗教法人令)のもと、神社も、他の宗教と同じく宗教団体として扱われることとなった[8]

本庁の設立の際、神宮奉斎会から10万円が神社本庁に寄付され、奉斎会の地方本部奉斎所のうち「相当ノ設備ヲ有スル」(宮川による説明より)ものは神社として再発足した[19]。たとえば東京の奉斎会本院は1946年(昭和21年)3月に神社本庁に神社設立を申請し、東京大神宮として再発足した[19]

1956年(昭和31年)5月、神社信仰の基本となる指針として「敬神生活の綱領」を掲げ、氏子・崇敬者の教化育成に努めている。また、1980年(昭和55年)7月から「神社本庁憲章」を施行し、神社本庁の精神的統合の基本的規範を確立した[20]

教義

神社本庁憲章

神社本庁は全国約8万社の包括宗教法人である。各神社にはそれぞれ由緒があり、信仰的にも八幡信仰、稲荷信仰などと様々であって、一つの教義を定めるのは非常に困難であった。そこで1980年(昭和55年)5月21日評議員会議決を以て「神社本庁憲章」を定めた。その経緯と位置づけは前文に「今日まで重要な懸案とされてきたのは、精神的統合の紐帯として、基本的規範を確立整備することであつた。」とあり、その効果については附則に「この憲章施行の際、庁規及び従前の規程等は、この憲章に基いて定めたものとみなす。」とある。

第一条は「神社本庁は、伝統を重んじ、祭祀の振興と道義の昂揚を図り、以て大御代の彌栄を祈念し、併せて四海万邦の平安に寄与する。」とある。

敬神生活の綱領

「神社本庁憲章」以前、神社本庁の実践的精神を示すものとして、昭和31年(1956年)に制定されたのが「敬神生活の綱領」である。

神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基である。

神慮を畏み祖訓をつぎ、
いよいよ 道の精華を発揮し、
人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。
ここにこの綱領をかかげて向ふところを明らかにし、実践につとめて以て大道を宣揚することを期する。

一 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
一 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと

一 大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること

神社本庁には成文化された教義はないが、『神社本庁憲章の解説』によれば神社本庁は「神社本庁憲章」と「敬神生活の綱領」を以てその設立及び活動の精神としている[21]

組織

広義と狭義の神社本庁

神社本庁は約8万社の神社包括団体である。そのため広義の「神社本庁」とは被包括神社を含めた集合体を指し、狭義の「神社本庁」とは渋谷区代々木にある事務組織を指す。神社本庁の議決機関は全国の神職・総代から選出された評議員会であり、総長以下役員もそこで選任される。戦前の監督官庁であった神祇院とは根本的に組織体質が異なる[22]

団体組織

以上の団体のほか、関係団体、指定団体がある。

神宮大麻

  • 全国の傘下の神社で得られる神宮大麻天照大御神の札)の初穂料のうち、半分が神社本庁の収入とされる。残りの半分は伊勢神宮の収入となる[24]。これによる2001年(平成13年)度の神社本庁の収入は約35億円だった[24]。なお、神社本庁は傘下の神社に対し、一定数の神宮大麻の頒布を求めており、規定数に達しない場合も傘下の神社は札を返さない、と週刊ダイヤモンドは報じている[24]。神社本庁は、神宮大麻の頒布を活動目的の一つとしている[25]

関係団体

全国神社総代会は神社の氏子総代からなり、神社本庁内に事務局が置かれる[26]

神社本庁の初代事務総長宮川宗徳が社長となり1946年(昭和21年)2月に神社新報社を設立した[27]。一般財団法人神道文化会も宮川の提唱で設立された[28]。神社本庁の評議委員会が神社新報社などで開催が公示される[29]

1969年(昭和44年)に、神道政治連盟が神社本庁を母体として設立された[30]

指定団体

神社関係団体のうち特に神社本庁がその活動を勧奨、育成、助成するものに指定団体[31]がある。

  • 全国敬神婦人連合会 - 神社に奉仕する婦人会の全国組織。
  • 神道青年全国協議会 - 若手神職からなる全国組織。
  • 全国神社保育団体連合会 - 神社を運営母体とする幼稚園・保育園・認定こども園・保育所等の相互互助と研鑚を目的とする。
  • 全国教育関係神職協議会 - 教職員を兼業する神職の相互互助と研鑚を目的とする。
  • 全国神社スカウト協議会 - ボーイスカウト・ガールスカウトを直接運営又は運営に協力する神社の相互互助を目的とする。
  • 全国氏子青年協議会 - 神社を中心にした青年の団体で神社への奉仕を通じて地域社会の発展に寄与することを目的とする。

神社本庁との被包括関係に属さない神社

有名な神社であっても、鎌倉宮靖国神社日光東照宮伏見稲荷大社気多大社新熊野神社など神社本庁との被包括関係を有せず、単立宗教法人として運営される場合がある。大きな単立神社は約2000社、小さな祠等を含めると20万社の単立神社がある[24][32]

神社本庁以外にも神社神道系の包括宗教法人がいくつかあり(神社本教北海道神社協会神社産土教日本神宮本庁など)、これに属する神社は神社本庁の被包括関係には属さない。

気多大社別表神社であったが、宮司人事における対立から訴訟の末、神社本庁から離脱し、単立神社となっている[33][34][35]明治神宮2004年平成16年)に神社本庁と被包括関係を解消し、別表神社から離脱したが、2010年(平成22年)8月23日に再び神社本庁と被包括関係になった。

政治活動・主張

神社本庁の関係団体に神道政治連盟がある[30]。また、神社本庁総長の田中恆清は日本会議の副会長である[36]

1953年(昭和28年)の第3回参議院議員通常選挙で神社本庁は宮川宗徳を擁立したが、宮川は落選した[30]。1966年(昭和41年)に神社審議会は「神社本庁関係の全組織をあげて強力な推進団体を組織して、国会に代表を送る」べきだと答申した[37]。1969年(昭和44年)の神道政治連盟結成後は、独自候補擁立ではなく既存政党の政治家の推薦が行われた[30][37]。塚田穂高によれば神道政治連盟結成後、神社本庁と神道政治連盟は自由民主党の議員を主に支援しており[37]堀幸雄によれば「利益代表を出すのに熱心」だった[30]ジェフ・キングストンによれば、神社本庁は日本遺族会など他の右派団体と共に、靖国神社を参拝する見返りに政治家に票と金を提供するロビー活動をおこなった[38]

上杉聰は、過去に実施された日本会議の行事の受付では、神社本庁を含む各種宗教団体別の受付窓口が設けられ、参加者を組織動員した旨を述べている[39]

皇室典範の改正

2005年(平成17年)3月17日、神社本庁は、「皇室典範に関する有識者会議」が皇位継承のあり方を検討していることを受け、「皇室典範改正に関する神社本庁の基本的な姿勢」としてまとめ、各都道府県の神社庁に送付した。また同年11月24日に有識者会議が報告書を提出したことに対し、12月2日に「皇室典範改正問題に関する神社本庁の基本見解」を発表した[40]。その中で皇位は「一つの例外もなく男系により継承されて」いるとして[40]、「皇室典範改正に関する神社本庁の基本的な姿勢について」で政府や有識者会議に対して男系による皇位継承の尊重を呼びかけた[40]

首相の靖国神社公式参拝

2005年(平成17年)6月9日、神社本庁は内閣総理大臣の参拝等で議論を呼んだ靖国神社の諸問題、いわゆる靖国神社問題に関して、神社本庁としては分祀は「神社祭祀(さいし)の本義からあり得ない」などとする基本見解を発表した[41][42]。その中で、神社本庁としては、A級戦犯も含め、戦争裁判犠牲者を日本政府の一連の措置により昭和殉難者として合祀、慰霊してきた靖国神社を支持するとともに、多くの人が祭神の「分祀」の意味を誤解して神社祭祀の本義から外れた議論がなされていることを憂慮すると表明。見解の要旨は、靖国神社は日本の戦没者追悼の中心的施設である・祭神の分離という意味の「分祀」は神社祭祀の本義からありえない・首相は靖国神社参拝を継続するべきである・いわゆるA級戦犯は国会の決議とそれにかかる政府の対応により合祀されたというものである。

なお、神社本庁は靖国神社崇敬奉賛会の法人会員でもある。

紀元節復帰運動

1957年(昭和32年)8月21日に、生長の家修養団などと合同で紀元節(西暦紀元前660年2月11日に初代・神武天皇が即位したとされる日を日本の国に誕生とする]])を復活させる運動のための統一団体「紀元節奉祝会」を結成した。1967年(昭和42年)には「建国記念の日」の名称で紀元節を復活させる[要出典]など政治的な理念も有して活動している。

上関原子力発電所建設に伴う四代八幡宮境内地処分問題について

中国電力が建設予定の山口県上関原子力発電所予定地の一部が四代八幡宮の境内地にかかっていたが、当時の宮司林春彦が神社地の原発用地への提供に反対した[43][44]。このことについて、神社本庁の代表役員らが林の解任を画策したと林は2002年に主張した[43]2003年には原発推進派の氏子が宮司解任を要求するなどの騒動に発展した[要出典]。 神社本庁は同神社境内地の財産処分申請に対し「原子力発電地球温暖化の原因となる温室効果ガスを排出しないため環境破壊に当たらない」として、四代八幡宮に対して境内地売却の財産処分を承認した[45]

神社境内における憲法改正署名運動

各地の神社において、神社本庁が参加する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が憲法改正を求める署名活動を行っている[46]。なお、神社におけるこのような活動に関しては、「神社の職務は、参拝者に気持ちよくお参りをしていただく環境を整えること。不快感を抱く人もいる改憲運動を持ち込むのは、神職の職務放棄、神社の私物化」などの、単立神社(神社本庁傘下ではない神社)関係者からの批判がある[32]

津地鎮祭訴訟の最高裁判決について

1977年(昭和52年)、津地鎮祭訴訟の最高裁判決(昭和52年7月13日大法廷判決)において、国や自治体が、社会の一般的慣習に従った儀礼などにおいて宗教と関わることが日本国憲法第20条第3項で禁止される「宗教的行為」には該当しないとする合憲判決が下される[47][48]。神社本庁では、これにより占領軍による国家と宗教の「完全分離主義」が退けられ、憲法の政教分離条項の解釈が確定したとしている[47]。また、この法理解釈により、平成の皇位継承に関する儀式・儀礼を根拠づけることが可能となるとしている[49]

参考文献

  • 神社本庁研修所, ed (2005). わかりやすい神道の歴史. 神社新報社. ISBN 9784915265051 
  • 阪本是丸(編); 石井研士(編); 武田秀章松本久史笹生衛岡田荘司西岡和彦中西正幸茂木栄茂木貞純星野光樹黒﨑浩行藤本頼生 (2011). プレステップ神道学. 弘文堂. ISBN 9784335000799 
  • 井上順孝『神道』(初版)ナツメ社図解雑学〉(原著2006年12月4日)。ISBN 9784816340628 
  • 塚田穂高『宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学』花伝社、2015年3月25日。ISBN 978-4763407313 

脚注

  1. ^ a b c d じんじゃほんちょう【神社本庁】 世界大百科事典第2版
  2. ^ 神社本庁 > 神社本庁のご案内 > 神社庁一覧
  3. ^ 神社本庁 > 神社本庁のご案内 > 関係団体一覧
  4. ^ a b c 『宗教年鑑』平成19年 2-4ページ
  5. ^ 神社本庁 神社庁一覧
  6. ^ 松本久史 2011, pp. 78–79.
  7. ^ 神社本庁研修所 2005, pp. 216–218.
  8. ^ a b c 松本久史 2011, pp. 80–81.
  9. ^ 神社本庁研修所 2005, pp. 215–221.
  10. ^ 神社本庁研修所 2005, pp. 232–234.
  11. ^ 用語解説|日本国憲法の誕生”. 国立国会図書館. 2016年5月3日閲覧。
  12. ^ a b 神社本庁研修所 2005, pp. 244–246.
  13. ^ 松本久史 2011, p. 83.
  14. ^ 神社本庁研修所 2005, pp. 245–248.
  15. ^ a b c d 神社本庁研修所 2005, pp. 246–252.
  16. ^ a b c d e f g h i 神社本庁研修所 2005, pp. 252–253.
  17. ^ 『神道』 136頁。
  18. ^ 神社本庁 設立
  19. ^ a b 武田 幸也「神宮奉斎会から神社本庁へ」神社本庁総合研究所紀要 (20), 1-43, 2015-06
  20. ^ 文化庁 (2015年3月20日). “宗教年鑑 平成25年版”. 文化庁. p. 4. 2016年4月27日閲覧。
  21. ^ 神社本庁教学研究室編『神社本庁憲章の解説』神社本庁、1985
  22. ^ 神社本庁編『新編神社実務提要』神社新報社、2001年
  23. ^ 神社本庁編『神社本庁規程類集』平成25年度版、神社新報社
  24. ^ a b c d e f 「全国10万社の頂点に鎮座 比類なき伊勢神宮の威力」、週刊ダイヤモンド、2016年4月16日。
  25. ^ 神社本庁データベース、宗教情報リサーチセンター、2016年5月9日閲覧。
  26. ^ 神社本庁 関係団体一覧
  27. ^ 会社概要 / 神社界唯一の新聞社 神社新報社
  28. ^ 本会のあゆみ – 神道文化会 | 伝えたい日本のココロとカタチ。
  29. ^ 神社本庁編『神社本庁規程類集』平成25年度版、神社新報社
  30. ^ a b c d e 堀幸雄『最新右翼辞典』2006年、「神社本庁」の項、295ページ
  31. ^ 神社本庁編『神社本庁規程類集』2002年(平成14年)度版、神社新報社、2002
  32. ^ a b 「続報真相 改憲急ぐ安倍首相を応援する人々 「美しい日本の憲法」とは」、毎日新聞、2016年3月18日。
  33. ^ 「強権発動で宮司人事にも介入 完了・世俗化する神社本庁の罪」、週刊ダイヤモンド、2016年4月16日。
  34. ^ 「気多大社 人事で混乱 宮司2人 法廷頼み」、朝日新聞、2006年9月17日
  35. ^ 「最高裁、神社規則の変更認める 羽咋市の気多神社訴訟」、共同通信、2010年4月20日
  36. ^ “日本会議研究 憲法編 中 国民投票へ 賛同拡大運動”. 朝日新聞: p. 朝刊14版 3面. (2016年3月24日) 
  37. ^ a b c 塚田穂高 2015, pp. 44–48.
  38. ^ ジェフ・キングストン, Contemporary Japan: History, Politics, and Social Change since the 1980s, p.160 ISBN 978-1-118-31506-4
  39. ^ 上杉聰。「日本における『宗教右翼』の台頭と『つくる会』『日本会議』」戦争責任、39、2003年 53ページ。
  40. ^ a b c 皇室典範改正に関する神社本庁の基本的な姿勢・「皇室典範改正問題に関する神社本庁の基本見解」・「皇室典範改正に関する神社本庁の基本的な姿勢について2005年(平成17年)12月2日
  41. ^ 「靖国神社のA級戦犯分祀「あり得ない」 神社本庁が見解」2005年6月10日朝日新聞朝刊4ページ
  42. ^ 靖国神社をめぐる諸問題に関する神社本庁の基本見解 呉竹会
  43. ^ a b 山口県上関町・八幡宮宮司 林春彦「人間・自然破壊の原発に神の地は売らず 神社、鎮守の森の永続は村落の永続」、『現代農業増刊 新ガーデンライフのすすめ 庭、里山、鎮守の森』(農山漁村文化協会)2002年5月1日発行、pp.224-229
  44. ^ エンジョウトオル 「神社本庁が安倍の地元で鎮守の森を原発に売り飛ばし!反対する宮司を追放」、リテラ、2014年10月19日
  45. ^ 山口県上関町・八幡宮所有地の上関原発建設用地への財産処分承認申請書に対する承認の可否 『神社新報』平成16年8月30日
  46. ^ 「時代の正体<260>日本会議を追う(2)国民投票への『名簿』」神奈川新聞、2016年2月17日
  47. ^ a b 神社本庁研修所 2005, pp. 254–255.
  48. ^ 津地鎮祭事件の最高裁判決”. 文部科学省. 2016年5月5日閲覧。
  49. ^ 神社本庁研修所 2005, pp. 254–257.

外部リンク