コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「鮎川いずみ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:インターネットアーカイブ - log
55行目: 55行目:
その後、[[1980年]]に「いづみ」から「いずみ」に芸名を改め、[[ABCテレビ|朝日放送]]の[[金曜日]]の看板番組として長らく親しまれた『[[必殺シリーズ]]』、『[[ザ・ハングマン|ザ・ハングマンシリーズ]]』をはじめ、テレビドラマを中心に活躍。[[1982年]]に放送された『[[必殺仕事人III]]』ではテーマソング『冬の花』も歌い[[日本有線大賞]]新人賞を受賞した。
その後、[[1980年]]に「いづみ」から「いずみ」に芸名を改め、[[ABCテレビ|朝日放送]]の[[金曜日]]の看板番組として長らく親しまれた『[[必殺シリーズ]]』、『[[ザ・ハングマン|ザ・ハングマンシリーズ]]』をはじめ、テレビドラマを中心に活躍。[[1982年]]に放送された『[[必殺仕事人III]]』ではテーマソング『冬の花』も歌い[[日本有線大賞]]新人賞を受賞した。


『[[大岡越前 (テレビドラマ)|大岡越前]]』の準レギュラーだった[[1992年]]、プライベートで事故に遭い、足を骨折して3ヶ月入院し、途中降板。その後、突如芸能界を引退した<ref name="gendai">[http://web.archive.org/web/20150401080625/http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/136994/3 表舞台から姿を消して20年になる女優の鮎川いずみさん] [[日刊ゲンダイ]] 2012年6月11日([[インターネットアーカイブ|キャッシュ]])</ref>。
『[[大岡越前 (テレビドラマ)|大岡越前]]』の準レギュラーだった[[1992年]]、プライベートで事故に遭い、足を骨折して3ヶ月入院し、途中降板。その後、突如芸能界を引退した<ref name="gendai">[http://web.archive.org/web/20150401080625/http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/136994/3 表舞台から姿を消して20年になる女優の鮎川いずみさん] [[日刊ゲンダイ]] 2012年6月11日([[インターネットアーカイブ|キャッシュ]])</ref>。


その後[[広告代理店]]を経営する<ref name="gendai" />かたわら、[[1995年]]には野村総合研究所元専務・玉尾豊光と再婚。また[[2004年]]より化粧品「rich-lamella(リッチ・ラメラ)」を立ち上げる。芸能界は完全に引退したが、かつての『必殺シリーズ』についての取材などには応じている。
その後[[広告代理店]]を経営する<ref name="gendai" />かたわら、[[1995年]]には野村総合研究所元専務・玉尾豊光と再婚。また[[2004年]]より化粧品「rich-lamella(リッチ・ラメラ)」を立ち上げる。芸能界は完全に引退したが、かつての『必殺シリーズ』についての取材などには応じている。

2017年9月4日 (月) 16:35時点における版

あゆかわ いずみ
鮎川 いずみ
本名 玉尾 千枝(たまお ちえ)
(旧姓:加藤)
別名義 鮎川 いづみ
生年月日 (1951-03-08) 1951年3月8日(73歳)
出生地 日本の旗 日本東京都港区榎坂町
血液型 O
職業 実業家、元女優、元歌手
ジャンル 映画舞台テレビドラマ
活動期間 1967年 - 1992年
活動内容 1967年:映画『また会う日まで 恋人の泉』でデビュー
1968年ミス宝くじ・幸運の女神
1970年:『お荷物小荷物
1971年:『春の坂道
1973年:『江戸を斬る・梓右近隠密帳
1975年:『元禄太平記
1978年:『江戸プロフェッショナル・必殺商売人』、『翔べ! 必殺うらごろし
1979年:『長七郎天下ご免!』、『必殺仕事人』(以来、同シリーズで何でも屋の加代役)
1987年:『ザ・ハングマン6』→『ハングマンGOGO
配偶者 玉尾 豊光
主な作品
テレビドラマ
江戸を斬る』シリーズ
必殺シリーズ
京都殺人案内
『ザ・ハングマン』シリーズ
バラエティー番組
三枝の愛ラブ!爆笑クリニック
料理バンザイ!
テンプレートを表示

鮎川 いずみ(あゆかわ いずみ、1951年3月8日 - )は、日本の元女優実業家。本名、玉尾 千枝(たまお ちえ)。旧姓:加藤。

来歴・人物

東京都港区榎坂町(現・赤坂1丁目)出身。

当初は「鮎川いづみ」という芸名だった。1967年、映画『また会う日まで 恋人の泉』に出演し、芸能界入り。1968年にはミス宝くじ・幸運の女神のメンバーとなって活躍。

その後、1980年に「いづみ」から「いずみ」に芸名を改め、朝日放送金曜日の看板番組として長らく親しまれた『必殺シリーズ』、『ザ・ハングマンシリーズ』をはじめ、テレビドラマを中心に活躍。1982年に放送された『必殺仕事人III』ではテーマソング『冬の花』も歌い日本有線大賞新人賞を受賞した。

大岡越前』の準レギュラーだった1992年、プライベートで事故に遭い、足を骨折して3ヶ月入院し、途中降板。その後、突如芸能界を引退した[1]

その後広告代理店を経営する[1]かたわら、1995年には野村総合研究所元専務・玉尾豊光と再婚。また2004年より化粧品「rich-lamella(リッチ・ラメラ)」を立ち上げる。芸能界は完全に引退したが、かつての『必殺シリーズ』についての取材などには応じている。

主な出演

映画

テレビドラマ

舞台

  • 女沢正あほんだら一代(1970年)
  • 庖丁(1972年)
  • 夫婦坂(1976年)
  • 大川橋蔵特別公演(1980年)
  • 納涼必殺まつり(1981年 - 1986年、京都南座
  • 里見浩太朗特別公演「浮さま乱れ舞/長七郎江戸日記」
  • 水戸黄門
  • 北島三郎特別公演「男の情炎」
  • 森進一特別公演「伝七捕物帳」(1991年)

バラエティー番組

ラジオ

ディスコグラフィー

※いずれもCBSソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)から発売。

  • 冬の花(1982年10月21日、『必殺仕事人III』主題歌)
  • 花の涙(1983年、『必殺仕事人IV』主題歌)
  • 女は海(1985年、『必殺仕事人V・激闘編』主題歌。京本政樹がプロデュース)

脚注

関連項目

外部リンク