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[[東ベルリン]]の[[ビースドルフ]]に生まれたフートは、地元のフォルトゥナ・ビースドルフでキャリアを始め、[[1.FCウニオン・ベルリン]]を経て2001年に[[クラウディオ・ラニエリ]]監督率いる[[プレミアリーグ|イングランド1部]]の[[チェルシーFC]]に入団。入団して最初の数週間はホームシックに苦しむ場面も見られた<ref name=huth>[http://www.dfb.de/?id=500301&action=showPlayer&player=huth_robert&lang=E&cHash=c28dc6fd64 "National team player Robert Huth"] [[ドイツサッカー連盟|DFB]]</ref>が、加入1季目である[[FAプレミアリーグ2001-2002|2001-02シーズン]]最終節の[[アストン・ヴィラFC]]戦(1-3)でハーフタイムから途中出場し、17歳でプロデビューを飾った<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/1978487.stm "Villa treble downs Blues"]</ref>。2003年8月に[[FAプレミアリーグ2003-2004|2003-04シーズン]]へ向けた補強として[[レディングFC]]から期限付き移籍での獲得打診があり、これをチームに拒否された<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/3164923.stm "Chelsea reject Royals bid"]</ref>が、同シーズンは出場機会を増やし、公式戦で20試合に起用されたフートはチェルシーでの生活を幸せだと語った<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/3743290.stm "Huth is happy to stay at Chelsea"]</ref>。しかし、翌[[FAプレミアリーグ2004-2005|2004-05シーズン]]は[[ジョン・テリー]]、[[ウィリアム・ギャラス]]の存在とさらに[[リカルド・カルヴァーリョ]]の加入により昨季同様にレギュラー定着のチャンスを限られていると考えられ<ref name=hope>[http://www.uefa.com/worldcup/news/newsid=226178.html "Huth comes of age"]</ref>、また、負傷により<ref>[http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=276817.html "チェルシー、フートが負傷離脱"]</ref>出場数は15試合に減少した。
[[東ベルリン]]の[[ビースドルフ]]に生まれたフートは、地元のフォルトゥナ・ビースドルフでキャリアを始め、[[1.FCウニオン・ベルリン]]を経て2001年に[[クラウディオ・ラニエリ]]監督率いる[[プレミアリーグ|イングランド1部]]の[[チェルシーFC]]に入団。入団して最初の数週間はホームシックに苦しむ場面も見られた<ref name=huth>[http://www.dfb.de/?id=500301&action=showPlayer&player=huth_robert&lang=E&cHash=c28dc6fd64 "National team player Robert Huth"] [[ドイツサッカー連盟|DFB]]</ref>が、加入1季目である[[FAプレミアリーグ2001-2002|2001-02シーズン]]最終節の[[アストン・ヴィラFC]]戦(1-3)でハーフタイムから途中出場し、17歳でプロデビューを飾った<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/1978487.stm "Villa treble downs Blues"]</ref>。2003年8月に[[FAプレミアリーグ2003-2004|2003-04シーズン]]へ向けた補強として[[レディングFC]]から期限付き移籍での獲得打診があり、これをチームに拒否された<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/3164923.stm "Chelsea reject Royals bid"]</ref>が、同シーズンは出場機会を増やし、公式戦で20試合に起用されたフートはチェルシーでの生活を幸せだと語った<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/3743290.stm "Huth is happy to stay at Chelsea"]</ref>。しかし、翌[[FAプレミアリーグ2004-2005|2004-05シーズン]]は[[ジョン・テリー]]、[[ウィリアム・ギャラス]]の存在とさらに[[リカルド・カルヴァーリョ]]の加入により昨季同様にレギュラー定着のチャンスを限られていると考えられ<ref name=hope>[http://www.uefa.com/worldcup/news/newsid=226178.html "Huth comes of age"]</ref>、また、負傷により<ref>[http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=276817.html "チェルシー、フートが負傷離脱"]</ref>出場数は15試合に減少した。


そんな中、[[ロベルト・コヴァチ]]の後釜を探す[[バイエルン・ミュンヘン]]から1年間の期限付き移籍のオファーが[[FAプレミアリーグ2005-2006|2005-06シーズン]]開幕前に申し込まれる<ref>[http://www.fcbayern.telekom.de/jp/news/news/2005/03725.php "コヴァチは移籍前、フートは来ず"]</ref>も、[[ジョゼ・モウリーニョ]]監督から戦力の1人として見られており、また、フート自身も残留を望んだことで拒否した<ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-342402/Huth-Im-going-Bayern.html "Huth: I'm not going to Bayern"]</ref>。同シーズン中は、[[UEFAチャンピオンズリーグ 2005-06]]の[[MSKジリナ]]戦でチェルシー加入後初得点を挙げ<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/champions_league/3179275.stm "Chelsea back among Euro elite"]</ref>、[[FAカップ]]の[[バーミンガム・シティFC]]戦でも得点を記録<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/fa_cup/4197629.stm "Chelsea 2-0 Birmingham"] [[BBCスポーツ]]</ref>し、また、その強靭な体を買われ試合終了間際の[[パワープレイ (サッカー)|パワープレー]]時に[[フォワード (サッカー)#センターフォワード|センターフォワード]]で起用される場面もあったが、全体的な出場機会は限られていた。そんな現状に不満を吐露したことでシーズン終了後に[[ミドルズブラFC]]<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/5056484.stm "Middlesbrough agree fee for Huth"]</ref>、[[ウィガン・アスレティックFC]]<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/5021436.stm "Latics' £5.5m Huth offer accepted"]</ref>、[[エヴァートンFC]]<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/5027408.stm "Everton to hijack Wigan Huth move"]</ref>の3チームからオファーが届き、[[2006 FIFAワールドカップ]]終了後にミドルズブラと5年契約を締結したことがフート自身の口から語られた<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/5069112.stm "Huth says Boro contract is agreed"]</ref>。
そんな中、[[ロベルト・コヴァチ]]の後釜を探す[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]から1年間の期限付き移籍のオファーが[[FAプレミアリーグ2005-2006|2005-06シーズン]]開幕前に申し込まれる<ref>[http://www.fcbayern.telekom.de/jp/news/news/2005/03725.php "コヴァチは移籍前、フートは来ず"]</ref>も、[[ジョゼ・モウリーニョ]]監督から戦力の1人として見られており、また、フート自身も残留を望んだことで拒否した<ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-342402/Huth-Im-going-Bayern.html "Huth: I'm not going to Bayern"]</ref>。同シーズン中は、[[UEFAチャンピオンズリーグ 2005-06]]の[[MSKジリナ]]戦でチェルシー加入後初得点を挙げ<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/champions_league/3179275.stm "Chelsea back among Euro elite"]</ref>、[[FAカップ]]の[[バーミンガム・シティFC]]戦でも得点を記録<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/fa_cup/4197629.stm "Chelsea 2-0 Birmingham"] [[BBCスポーツ]]</ref>し、また、その強靭な体を買われ試合終了間際の[[パワープレイ (サッカー)|パワープレー]]時に[[フォワード (サッカー)#センターフォワード|センターフォワード]]で起用される場面もあったが、全体的な出場機会は限られていた。そんな現状に不満を吐露したことでシーズン終了後に[[ミドルズブラFC]]<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/5056484.stm "Middlesbrough agree fee for Huth"]</ref>、[[ウィガン・アスレティックFC]]<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/5021436.stm "Latics' £5.5m Huth offer accepted"]</ref>、[[エヴァートンFC]]<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/5027408.stm "Everton to hijack Wigan Huth move"]</ref>の3チームからオファーが届き、[[2006 FIFAワールドカップ]]終了後にミドルズブラと5年契約を締結したことがフート自身の口から語られた<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/5069112.stm "Huth says Boro contract is agreed"]</ref>。


==== ミドルズブラ ====
==== ミドルズブラ ====

2017年8月29日 (火) 10:25時点における版

ロベルト・フート
2009年のミドルズブラでのフート
名前
愛称 ベルリンの壁[1]
ジャーマン・タンク
ラテン文字 Robert Huth
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1984-08-18) 1984年8月18日(40歳)
出身地 東ドイツの旗 東ドイツ 東ベルリン
身長 191cm
体重 88kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 レスター・シティFC
ポジション CB, SB
背番号 6
利き足 右足
ユース
1999-2000 ドイツの旗 VfBフォルトゥナ・ビースドルフ
2000-2001 ドイツの旗 ウニオン・ベルリン
2001-2002 イングランドの旗 チェルシー
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2006 イングランドの旗 チェルシー 42 (0)
2006-2009 イングランドの旗 ミドルズブラ 53 (2)
2009-2015 イングランドの旗 ストーク・シティ 149 (13)
2015 イングランドの旗 レスター・シティ 14 (1)
2015- イングランドの旗 レスター・シティ 68 (5)
代表歴
2004-2005 ドイツの旗 ドイツ U-21 4 (0)
2004-2009 ドイツの旗 ドイツ 19 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年4月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロベルト・フートRobert Huth, 1984年8月18日 - )は、東ドイツ(現ドイツ)・ベルリン出身のサッカー選手。元ドイツ代表プレミアリーグレスター・シティFC所属。ポジションはセンターバック及びサイドバック

2001年にドイツの1.FCウニオン・ベルリンの下部組織からクラウディオ・ラニエリ監督率いるイングランド1部チェルシーFCへ入団したフートは、その後トップチームに昇格を果たすも、ジョン・テリーウィリアム・ギャラスリカルド・カルヴァーリョの存在からスタンフォード・ブリッジでの序列は低く、なかなか定着出来ずにいたため2006年8月に移籍金600万ポンドで同国1部のミドルズブラFCと契約した。リヴァーサイド・スタジアムで3季過ごし、2009年にミドルズブラが2部降格すると、同年8月に移籍金500万ポンドで同国1部のストーク・シティFCと契約。2009-10シーズンにはチームのFAカップ決勝進出に貢献する活躍等を見せ、シーズン終了後にチームの年間最優秀選手に選出された[2]

経歴

クラブ

チェルシー

東ベルリンビースドルフに生まれたフートは、地元のフォルトゥナ・ビースドルフでキャリアを始め、1.FCウニオン・ベルリンを経て2001年にクラウディオ・ラニエリ監督率いるイングランド1部チェルシーFCに入団。入団して最初の数週間はホームシックに苦しむ場面も見られた[3]が、加入1季目である2001-02シーズン最終節のアストン・ヴィラFC戦(1-3)でハーフタイムから途中出場し、17歳でプロデビューを飾った[4]。2003年8月に2003-04シーズンへ向けた補強としてレディングFCから期限付き移籍での獲得打診があり、これをチームに拒否された[5]が、同シーズンは出場機会を増やし、公式戦で20試合に起用されたフートはチェルシーでの生活を幸せだと語った[6]。しかし、翌2004-05シーズンジョン・テリーウィリアム・ギャラスの存在とさらにリカルド・カルヴァーリョの加入により昨季同様にレギュラー定着のチャンスを限られていると考えられ[7]、また、負傷により[8]出場数は15試合に減少した。

そんな中、ロベルト・コヴァチの後釜を探すバイエルン・ミュンヘンから1年間の期限付き移籍のオファーが2005-06シーズン開幕前に申し込まれる[9]も、ジョゼ・モウリーニョ監督から戦力の1人として見られており、また、フート自身も残留を望んだことで拒否した[10]。同シーズン中は、UEFAチャンピオンズリーグ 2005-06MSKジリナ戦でチェルシー加入後初得点を挙げ[11]FAカップバーミンガム・シティFC戦でも得点を記録[12]し、また、その強靭な体を買われ試合終了間際のパワープレー時にセンターフォワードで起用される場面もあったが、全体的な出場機会は限られていた。そんな現状に不満を吐露したことでシーズン終了後にミドルズブラFC[13]ウィガン・アスレティックFC[14]エヴァートンFC[15]の3チームからオファーが届き、2006 FIFAワールドカップ終了後にミドルズブラと5年契約を締結したことがフート自身の口から語られた[16]

ミドルズブラ

2006年7月13日にメディカルチェックで失敗したことでミドルズブラ入団が一旦暗礁に乗り上げた[17]ものの、最終的に8月30日に移籍金600万ポンドで同クラブと5年契約を締結した[18]。初出場となったフットボールリーグカップノッティンガム・フォレストFC戦(0-1)で敗北を喫し[19]、良いスタートが切れなかったことを象徴するようにミドルズブラでの生活は厳しいものが待っており、ガレス・サウスゲイト監督はフィットネスの不安からリザーブチームで起用することを決定した[20][21]。その後は10月中旬に調子を取り戻し、エヴァートン戦(2-1)でリーグ初出場を飾り[22]、12月5日のトッテナム・ホットスパーFC戦(1-2)で初得点を挙げる[23]等、調子を上向かせていた。しかし、そんな中で練習中に負傷したことでチームを離脱[24]し、検査の結果、疲労骨折により全治6週間の診断がくだされた[25]。2007年4月14日のアストン・ヴィラ戦(1-3)で復帰したものの、試合中に再度負傷に見舞われた[26]

懸念される問題からフートは、2007年夏に足首の手術を受けた[27]が、回復することはなかったため専門家に相談することになった[28]。その後は2007年11月に練習に復帰し、12月1日のレディングFC戦で復帰する[29]と、程なくしてジョナサン・ウッドゲートがトッテナムへ移籍したことでレギュラーとしてデヴィッド・ウィーターと共にコンビを組むこととなり[30]、2月3日にケヴィン・キーガン監督率いるニューカッスル・ユナイテッドFC戦で得点を挙げて勝ち点獲得に貢献した[31][32]。しかし、調子をあげているところで再度負傷に苦しみ、シーズン残り2ヶ月のところで終了した[33]

負傷から順調に回復していき、2008-09シーズンは良いスタート切ることが出来た[34]が、またしても足首を負傷してしまった[35]。12月に復帰するもチームは厳しいシーズンを過ごしており、2月には降格の危機にあった[36]。その後もチームの状態が改善することはなく、最終節のウェストハム・ユナイテッドFC戦(1-2)に敗戦したことで2部への降格が決定した[37]。翌2009-10シーズンは2部を舞台にミドルズブラで5試合に出場後、ストーク・シティFCと契約してプレミアリーグの舞台へ舞い戻った[38]

ストーク・シティ

2009年8月27日に同僚のトゥンジャイ・シャンルと共に同国1部のストーク・シティFCと4年契約を締結。移籍金は500万ポンドでインセンティブにより最大600万ポンドに引き上がる可能性があり、これが達成した場合はクラブ史上最高金額となる[38]。8月29日のサンダーランドAFC戦(1-0)でFWのデイヴ・キットソンに代わり初出場を飾り[39]、10月4日のエヴァートン戦では初得点とリーグ通算出場数100試合目を記録した[40]。ストークでは、ミドルズブラ時代のように負傷に悩まされることもなく定期的に出場していたものの、10月17日のウェストハム戦でマシュー・アップソンの顔面を殴打する暴挙に出[41]、また、試合中にカードが出されなかったこともありFAが調査に乗り出した[42]。その後、フートは自身の非を認めて謝罪をし[43]、FAから3試合の出場停止を言い渡された[44]。1月16日のリヴァプールFC戦で90分に同点弾を挙げ[45]、2月20日のポーツマスFC戦(2-1)では自身3得点目にして決勝点を挙げた。また、FAカップ準々決勝のチェルシー戦で主将の腕章を付けたフートは、敗戦したものの、古巣に対する晴れ姿だと試合後に語った[46]

2009-10シーズンのストークでのフート

2010年9月13日のアストン・ヴィラ戦(2-1)で93分に2010-11シーズン初得点にして決勝点を挙げ、チームの今季初勝利に貢献[47]。その後のリーグ戦では、バーミンガム、ウィガン、ブラックバーン・ローヴァーズFCウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC相手に得点を重ね、2011年2月5日のサンダーランド戦(3-2)では2得点を挙げた[48]。一方のFAカップでは、準々決勝のウェストハム戦で得点を挙げ、39年前の1972年以来となる準決勝進出に貢献[49]し、続く準決勝のボルトン・ワンダラーズFC戦でDFながらもシーズン通算9得点目を挙げてチーム創設以来初となる決勝進出に貢献した[50]。決勝のマンチェスター・シティFC戦(0-1)でも出場したフートは、惜敗しタイトル獲得とはいかなかった[51]ものの、それまでの貢献が認められてシーズン終了後にチームの年間最優秀選手に選出された[2]

2011年夏になると、トニー・ピューリス監督が元イングランド代表CBのウッドゲートとアップソンを獲得したことから不慣れな右サイドバックの位置へ役割変更することになった[52][53]。しかし、守備面で脆さを露呈していたことで、昨季にコンビを組んでいたライアン・ショウクロスと共にCBのポジションを取り戻し、エヴァートン戦で2011-12シーズン初得点を挙げた[54]。2012年2月4日のサンダーランド戦(0-1)ではデヴィッド・メイラーへのファウルからフートは退場し、1人少ない中でチームは奮闘するもロスタイム終了間際にジェームズ・マクレーンに得点を許した[55]。フートの行為はリプレイ再生すると故意ではなく挑戦しにいったものであったためチームはレッドカード取り消しのため抗議するも判定が覆ることはなかった[56]。シーズン終盤にはウルヴァーパンプトン、アストン・ヴィラ相手に得点を挙げて勝ち点獲得に貢献する等、パフォーマンスが評価されて契約延長の場が設けられ[57]、2012年6月にブリタニア・スタジアムに滞在する期間を2016年までの3年延長した[58]

2012-13シーズン開幕間際の8月にウイルス性髄膜炎にかかった[59]ものの、すぐさま回復したことでレディングとの開幕戦に出場[60]。試合後にフートは、プレシーズンのために滞在していたアメリカ合衆国でウイルスに感染したと説明した[61]。2013年2月9日のレディング戦(2-1)で2012-13シーズン初得点を記録[62]。23日のフラムFC戦でボールのない所で相手のフィリップ・センデロスと衝突したことで3試合の出場停止処分が下された[63]。同シーズンは公式戦に39試合出場し、チームは13位でシーズンを終了した。

代表

ドイツ代表で練習するフート

世代別代表としては2003 FIFAワールドユース選手権に出場[64]

2004年8月に負傷辞退したイェンス・ノヴォトニーアルネ・フリードリヒの代役としてユルゲン・クリンスマン新監督の下でドイツA代表に初招集され[65]、自身20歳の誕生日となる18日のオーストリア戦(3-1)で途中出場から初出場を飾った[7]。出場2試合目となった9月9日のブラジル戦(1-1)で初先発出場をすると、1得点こそ許したものの全体的に見ればロナウドロナウジーニョアドリアーノといった強力なFW陣を相手に堂々としたパフォーマンスを見せたことで試合後にクリンスマン監督のみならず相手のカルロス・アルベルト・パレイラ監督から称賛された[7][66]。その後、FIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場したフートは、開幕戦のオーストラリア戦(4-3)こそ失点に関わるプレーを見せた[67]ものの、コンビを組むペア・メルテザッカーと共に安定したプレーを見せファンの支持を得た[3]。そんな中、準決勝のブラジル戦(2-3)では、前回対戦時に抑えたはずのアドリアーノのスピードについていけずペナルティーエリア内で倒してPKを与えると、さらに試合終盤にもアドリアーノに振り切られ得点を許した[68]。同大会では、6月29日にメキシコとの3位決定戦(4-3)で代表初得点を記録した[69]

2006年3月にフィレンツェでのイタリアとの親善試合(1-4)で2得点目を記録[70]し、同年5月の時点で17試合2得点[3]と代表に定着こそしたものの、守備面の不安からクリストフ・メッツェルダーにポジションを譲り、2006 FIFAワールドカップではメルテザッカーとメッツェルダーのコンビが選択され、フートはグループリーグ最終節のエクアドル戦の1試合に先発出場したのみだった[64]

2006年のワールドカップ終了後は代表から遠ざかっていたものの、クラブでの活躍から2008年3月20日にスイスとの親善試合にヨアヒム・レーヴ監督によって招集された[71]。しかし、2009年のUAE戦を最後に招集されておらず[1]、クラブでの活躍から代表復帰が取りざたされるも、2011年にレーヴ監督はUEFA EURO 2012予選のオーストリア戦を前にしてマッツ・フメルスベネディクト・ヘーヴェデスホルガー・バトシュトゥバーといった若手の存在、さらにメルテザッカーとアルネ・フリードリヒの名前を挙げ、フートの活躍を称賛しながらも自身の構想に入ってないことを明言した[72]ことから19試合2得点を記録するにとどまっている[1]

通算成績

クラブ シーズン リーグ FAカップ FLカップ 欧州リーグ 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
チェルシーFC 2001–02 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0
2002–03 2 0 1 0 0 0 2 0 5 0
2003–04 16 0 1 0 1 0 2 1 20 1
2004–05 10 0 1 1 0 0 4 0 15 1
2005–06 13 0 4 0 1 0 3 0 21 0
小計 42 0 7 1 2 0 11 1 62 2
ミドルズブラFC 2006–07 12 1 1 0 1 0 0 0 14 1
2007–08 13 1 3 0 0 0 0 0 16 1
2008–09 24 0 4 0 0 0 0 0 28 0
2009–10 4 0 0 0 1 0 0 0 5 0
小計 53 2 8 0 2 0 0 0 63 2
ストーク・シティFC 2009–10 32 3 5 0 0 0 0 0 37 3
2010–11 35 6 6 3 3 0 0 0 44 9
2011–12 34 3 3 2 2 0 10 0 49 5
2012–13 35 1 3 0 1 0 0 0 39 1
通算 231 15 32 6 10 0 21 1 294 22

タイトル

クラブ
チェルシーFC
レスター・シティFC

脚注

  1. ^ a b c "Robert Huth: Ein Mann für Jogis Elf?"
  2. ^ a b "Robert Huth named Stoke City's player of the year"
  3. ^ a b c "National team player Robert Huth" DFB
  4. ^ "Villa treble downs Blues"
  5. ^ "Chelsea reject Royals bid"
  6. ^ "Huth is happy to stay at Chelsea"
  7. ^ a b c "Huth comes of age"
  8. ^ "チェルシー、フートが負傷離脱"
  9. ^ "コヴァチは移籍前、フートは来ず"
  10. ^ "Huth: I'm not going to Bayern"
  11. ^ "Chelsea back among Euro elite"
  12. ^ "Chelsea 2-0 Birmingham" BBCスポーツ
  13. ^ "Middlesbrough agree fee for Huth"
  14. ^ "Latics' £5.5m Huth offer accepted"
  15. ^ "Everton to hijack Wigan Huth move"
  16. ^ "Huth says Boro contract is agreed"
  17. ^ "Huth fails his medical at Middlesbrough"
  18. ^ "Woodgate & £6m Huth sign for Boro"
  19. ^ "Middlesbrough 0-1 Notts County" BBCスポーツ
  20. ^ "Huth short on fitness - Southgate"
  21. ^ "Reserve comeback for Boro's Arca"
  22. ^ "Middlesbrough 2-1 Everton" BBCスポーツ
  23. ^ "Tottenham 2–1 Middlesbrough" BBCスポーツ
  24. ^ "Boro's Huth to undergo foot scan"
  25. ^ "Huth to miss another six weeks"
  26. ^ "Middlesbrough 1-3 Aston Villa" BBCスポーツ
  27. ^ "Huth to miss start of next season"
  28. ^ "Huth to see specialist over ankle"
  29. ^ "Reading 1-1 Middlesbrough" BBCスポーツ
  30. ^ "Newcastle poised to sign Woodgate"
  31. ^ "Newcastle 1-1 Middlesbrough" BBCスポーツ
  32. ^ "Boro should have won derby - Huth"
  33. ^ "Southgate looks for Huth return"
  34. ^ "Huth fired up for Tees-Wear derby"
  35. ^ "Huth sees specialist over injury"
  36. ^ "Boro players feel pressure - Huth"
  37. ^ "West Ham 2-1 Middlesbrough" BBCスポーツ
  38. ^ a b "Huth completes £5m Stoke switch"
  39. ^ "Tony Pulis plays down Stoke City's lofty ambitions"
  40. ^ "Everton 1–1 Stoke" BBCスポーツ
  41. ^ "Stoke 2–1 West Ham" BBCスポーツ
  42. ^ "Huth pleads guilty to FA charge"
  43. ^ "Club Statement On Robert Huth"
  44. ^ "Stoke's Huth given three-game ban"
  45. ^ "Stoke City 1–1 Liverpool" BBCスポーツ
  46. ^ "Stoke defender Robert Huth proud after captaincy honour"
  47. ^ "Stoke 2 – 1 Aston Villa" BBCスポーツ
  48. ^ "Stoke 3 – 2 Sunderland" BBCスポーツ
  49. ^ "Stoke 2 – 1 West Ham" BBCスポーツ
  50. ^ "Bolton 0 – 5 Stoke" BBCスポーツ
  51. ^ "Man City 1-0 Stoke" BBCスポーツ
  52. ^ "What now for Robert Huth?"
  53. ^ "Stoke defender Robert Huth to return for Tel-Aviv tie"
  54. ^ "Everton 0 - 1 Stoke" BBCスポーツ
  55. ^ "Stoke 0-1 Sunderland" BBCスポーツ
  56. ^ "FA Dismiss Huth Appeal"
  57. ^ "Stoke City keen to renew Robert Huth contract"
  58. ^ "Stoke defender Robert Huth signs contract to stay until 2016"
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外部リンク