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幼少期は、金網で囲まれた「サルの檻」と呼ばれるコートでストリートサッカーをしていた<ref>「天才プレイヤーの創り方。」Number 771号、2011年1月27日</ref>。7歳の時に、[[ゲルゼンキルヒェン]]にあるクラブでサッカーを始め、2000年から5年間[[ロートヴァイス・エッセン]]のユースに在籍し<ref name="foot">「王様の後継者は夢を見る」footballista、ソルメディア、2009年8月5日号</ref>、その後[[シャルケ04]]のユースに移った。2006年夏にトップチームに昇格し、2006-07シーズン第1節の[[アイントラハト・フランクフルト]]戦でデビューした。[[DFLリーガポカール]]の[[バイエル・レバークーゼン]]と[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦で出場停止であった[[カッシオ・デ・ソウザ・ソアレス|リンコルン]]の代わりを務め、以来そのポジションでプレーした。 |
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==== ブレーメン時代 ==== |
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2017年8月29日 (火) 10:01時点における版
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アーセナルでのエジル (2015年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 |
El Búho (フクロウ)[1]、 El Mago de Öz(オズの魔法使い)[2]、 Nemo(ニモ)[3] | |||||
ラテン文字 | Mesut Özil | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ドイツ トルコ | |||||
生年月日 | 1988年10月15日(36歳) | |||||
出身地 | ゲルゼンキルヒェン | |||||
身長 | 180cm[4] | |||||
体重 | 70kg[4] | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アーセナルFC | |||||
ポジション | MF[4] | |||||
背番号 | 11 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2008 | シャルケ04 | 30 | (0) | |||
2008-2010 | ヴェルダー・ブレーメン | 71 | (13) | |||
2010-2013 | レアル・マドリード | 105 | (19) | |||
2013- | アーセナル | 116 | (23) | |||
代表歴2 | ||||||
2006-2007 | ドイツ U-19 | 11 | (4) | |||
2007-2009 | ドイツ U-21 | 16 | (5) | |||
2009- | ドイツ | 83 | (21) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月30日現在。 2. 2016年10月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
メスト・エジル(Mesut Özil, 1988年10月15日 - )は、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州ゲルゼンキルヒェン出身のサッカー選手。ドイツ代表である。アーセナルFC所属。ポジションはMF。トルコ系移民の3世で、両親はともに黒海沿岸のゾングルダク県にルーツを持つ[5] [6]。オジル、エツィルなどとも表記される。
経歴
クラブ
幼少期 - ユース - シャルケ時代
幼少期は、金網で囲まれた「サルの檻」と呼ばれるコートでストリートサッカーをしていた[7]。7歳の時に、ゲルゼンキルヒェンにあるクラブでサッカーを始め、2000年から5年間ロートヴァイス・エッセンのユースに在籍し[8]、その後シャルケ04のユースに移った。2006年夏にトップチームに昇格し、2006-07シーズン第1節のアイントラハト・フランクフルト戦でデビューした。DFLリーガポカールのバイエル・レバークーゼンとバイエルン・ミュンヘン戦で出場停止であったリンコルンの代わりを務め、以来そのポジションでプレーした。
ブレーメン時代
契約問題でクラブと対立し[9]、2008年1月31日に移籍金430万ユーロでブレーメンへ移籍した。ライバルクラブに移籍したことにより、マスコミからは金の亡者とのバッシングも受けた[8]。9月20日のバイエルン戦ではアウェーで5-2で圧勝し、エジルも1ゴールを挙げた。一週間後の1899ホッフェンハイム戦では先制点と決勝点を決め、5-4の乱戦を制した。司令塔のMFジエゴと息の合ったプレーを見せ、2008-09シーズンは28試合で15アシストを記録した。リーグ戦は9年ぶりとなる二桁順位だったが、DFBポカールのタイトルを獲得した。エジルは決勝のレバークーゼン戦でこの試合唯一の得点を記録した。ジエゴを放出して迎えた2009-10シーズンは「der neue Diego(新たなジエゴ)」と呼ばれ[10]、それまでジエゴが担ってきた4-3-1-2フォーメーションのトップ下を務めて9得点(チーム2位タイ)17アシスト(リーグトップ)と大活躍した。2009年には、ブンデスリーガの1stステージのMVPにも選ばれた[11]。
レアル・マドリード時代
2010年の南アフリカW杯での活躍によってリーガ・エスパニョーラやプレミアリーグなどのいくつものクラブから注目を集め[12]、夏の移籍市場での動向が注目されたエジルの元にレアル・マドリードからオファーが届いたが、ブレーメンはこれを拒否[13]。このブレーメンの対応にエジルは不満を漏らした[14]。その後、レアル・マドリードは最後のオファーとして再びオファーを出し、8月17日に移籍金1500万ユーロの6年契約でレアル・マドリードへの移籍が発表された[15]。移籍決定当初は、エジルはまだ若く、スペイン語はもとより英語すら十分に話せなかったことから、多くのメディアから懐疑的な意見が聞こえた[16]。
RCDマヨルカとのリーグ開幕戦は途中出場だったものの、ホーム初戦である第2節のCAオサスナ戦では先発に名を連ねて質の高いプレーを披露、交代の際には観客からスタンディングオベーションを浴びた[17]。デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦では移籍後初ゴールも挙げた。初のコパ・デル・レイとなった12月22日のレバンテUD戦でも得点を挙げ、8-0での勝利に貢献した。2011年3月6日のラシン戦では2つのアシストを記録し、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。この試合後、母国ドイツを始め欧州や南米のメディアから「フットボールのモーツァルト」と高い評価を受けた[18]。シーズンを通してプレーし、計53試合に出場し10得点を記録。特にアシストではリオネル・メッシを抑えて欧州最多となる26アシストを記録した[19]。
2011年より、背番号を23番から10番に変更[20]。2011-12シーズンは不調や[21]カカの復調もあってベンチスタートも増えたが[22]、最終的にはリーガでは35試合に出場。2012年4月21日のFCバルセロナとのエル・クラシコでクリスティアーノ・ロナウドの決勝点をアシストするなどリーガ最多の17アシストを記録し、レアルの4シーズンぶりの優勝に貢献した[23]。2012年には、UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに選出された。
アーセナル時代
2013年9月2日、アーセナルFCに移籍決定。移籍金はアーセナルFCのクラブ最高額とも言われる5000万ユーロで契約は5年間。背番号は11番。9月14日のサンダーランドAFC戦でデビューすると、オリヴィエ・ジルーの得点をアシストした。FAカップ決勝のハル・シティAFC戦にもスターティングメンバーに名を連ね、延長戦前半終了までプレーした。アーセナルにとって2004-05シーズン以来のタイトルとなるFAカップを制し、エジルは2年連続となるUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
2015-16シーズンは最終的に2002-03シーズンのティエリ・アンリの20アシストに次ぐ、リーグ歴代2位の19アシストを記録するなど、キャリア最高のシーズンを送った。
2016-17シーズン 2016年10月19日、欧州CL第3節のPFCルドゴレツ・ラズグラド戦でプロ入り初のハットトリックを決めた[24]。
代表
2007年に開催されたUEFA U-19欧州選手権にドイツ代表として出場し、グループリーグのロシア戦とフランス戦で得点した。ギリシャと戦った準決勝で敗れたが、アニス・ベン=ハティラに次ぐチーム2位の2得点を記録した。2009年初めにはトルコサッカー連盟からトルコ代表入りへの強い要望を受けたが、2月11日のノルウェーとの親善試合にドイツ代表として招集され、ピオトル・トロホウスキに代わって途中出場した。トルコのメディアは、両親の出身地のトルコではなくドイツを選択したエジルを「国家の裏切り者」だとして批判し、更に誹謗中傷コメントが殺到したために彼の公式ウェブサイトが一時閉鎖に追い込まれた[9]。
2009年6月に開催されたUEFA U-21欧州選手権ではチーム事情によりフォワードでもプレーしたが、あまり良い出来ではなかった[25]。ユース時代にプレーしていたこのポジションで、決勝のイングランド戦ではゴンサロ・カストロの先制点をアシストした。更に35mの距離からフリーキックを決め[25]、ザンドロ・ヴァーグナーの得点もアシストした。この1得点2アシストの活躍でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ[25]、ドイツ代表の優勝に貢献し、大会の最優秀選手にも選出された。同年9月5日、親善試合・南アフリカ戦で代表初ゴールを記録した[26]。
2010年W杯
2010年6月1日、2010 FIFAワールドカップに出場するドイツ代表メンバーに選出される[27]。
6月13日のオーストラリア戦では前半31分にゴールライン上でクリアされるものの、惜しいループシュートを放った。その後も数々のチャンスを生み出し、ドイツの4点目となるカカウの得点をアシストし、4-0の快勝に貢献。6月23日のガーナ戦では決勝ゴールとなるミドルシュートを決め、ドイツのグループリーグ首位通過に貢献。大会選定のマンオブザマッチに選ばれた[28]。
決勝トーナメント1回戦のイングランド戦ではトーマス・ミュラーの2点目をアシストし、ベスト8進出に貢献。準々決勝のアルゼンチン戦ではミロスラフ・クローゼの2点目をアシストしベスト4進出に貢献、同大会最多アシストを記録した。その活躍により、FIFAバロンドールの候補者10人にノミネートされた[11]他、ドイツ国内ではバンビを受賞した[29]。
決勝トーナメント1回戦のイングランド戦直前にトルコに住む祖母が死去、訃報をうけて「皆さんの大きな同情に感謝しています。この件に関してはこれ以上コメントをしたくはない」とコメントしている[30]。観戦に訪れていた父親は葬儀のため帰国したが[31]、エジル本人はチームに残留し3位決定戦までの決勝トーナメント4試合全てに先発出場した。
EURO2012
UEFA EURO 2012においては、ドイツ代表の主力として10試合全勝での予選勝ち抜けに貢献。本戦においても、オランダ、ポルトガル、デンマークと同じグループで「死のグループ」と呼ばれた[32]グループBを3戦全勝で勝ち抜けた。準決勝でイタリア代表に敗れたもののエジルはPKからその試合唯一の得点を記録し、大会優秀選手の一人に選ばれた。
2014年W杯
本戦でも7試合すべてに出場。決勝トーナメントのアルジェリア戦では延長119分に決勝点を挙げた。エジルはこの大会でドイツ代表最多となる15回チャンスメイクをし、パス成功率78.6%を記録した[33]。
評価
左足の高いテクニックを持ち、正確なキックと広い視野を生かして2010-11シーズンにはヨーロッパ全体で最多のアシストを記録した[19]。フリーランニングも惜しまずに行うほか[34]得点力もある。 また、ジネディーヌ・ジダンを憧れの人物としており[35]、しばしば比較対象にも挙げられる[36][37]。
U-21ドイツ代表の監督を務めたホルスト・ルベッシュは「ドイツ人は海外の選手を特に賞賛することが多い。我々は、ウェイン・ルーニーやクリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシらを讃える。しかし、ドイツにはそういった選手がいる。ドイツのメッシはエジルである」と語った[38]。ドイツ代表のヨアヒム・レーヴ監督は、メスト・エジルをワールドクラスの選手であると評価。「エジルは、W杯でのパフォーマンス、そして、レアル・マドリードでの成長を見るにつけ、もちろん、ワールドクラスの選手といえる」「エジルは、半年の間に、あのカカを忘れさせてしまうような存在になった。カカは、W杯まえの何年もの間、あのポジションでは世界最高の選手と評されていた。けれども、今となっては、ほぼ皆がエジルの名前をあげるようになっている」と語った[39]。レアル・マドリードでの チームメイトであるクリスティアーノ・ロナウドは、エジルの試合を読む力を評価し「エジルは僕をさらに良い選手にしてくれた。彼とプレーするのが好きだ」と賛辞を送った[40]。
ジョゼ・モウリーニョはエジルを「フィーゴやジダンのような特徴を持つ、世界最高の10番」と賞賛。2013年夏にアーセナルのデンバ・バへのオファーを断った理由について、エジル加入によってタイトル争いをするライバルになるからであると語った[41]。
エピソード
- イスラム教を信仰しており[42]、代表戦の試合前にドイツ国歌ではなく「心の平穏が得られる」としてクルアーンを心の中で唱えたことが話題になった[43]。これに関してフランツ・ベッケンバウアーが「私が現役時代の頃は、皆で国歌を歌って士気を高めたものだ」と批判したが、エジルは「特に必要と感じない」とコメントしている。また、サッカー選手として支障がない範囲でラマダーンも行っている[44]。
- 2014年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。エジルの年収は1850万ドル(約18億9000万円)であり、世界のアスリートの中で89位。サッカー選手の中では13位[45]。
- トルコ系ドイツ人として知られているが、本人は「別にイライラしたりはしないけど、不思議に思っている。なぜなら必ずそう呼ばれるからね」と語り、あまりトルコ系ドイツ人と呼ばれる事を好んではいない。一方でサッカー選手として2つの異なるルーツを持つ事はポジティブな面が多いと語り、2つの異なる文化を持つ事を誇りに感じている、と発言している[46]。
- 2017年5月、ESPNは世界で最も有名なアスリート100人を発表し、30位に選出された。サッカー選手としては9位[47]。
個人成績
クラブ | シーズン | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | リーグカップ戦 | 欧州カップ戦 | その他 | 通算 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
シャルケ04 | 2006-07 | 17 | 19 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | - | 23 | 0 | |
2007-08 | 11 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | - | 16 | 1 | |||
合計 | 30 | 0 | 2 | 1 | 2 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 39 | 1 | ||
ブレーメン | 2007-08 | 11 | 12 | 1 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | - | 14 | 1 | ||
2008-09 | 28 | 3 | 5 | 2 | - | 14 | 0 | - | 47 | 5 | ||||
2009-10 | 31 | 9 | 5 | 0 | - | 8 | 2 | - | 44 | 11 | ||||
2010-11 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | - | 1 | 0 | ||||
合計 | 71 | 13 | 11 | 2 | 0 | 0 | 24 | 2 | 0 | 0 | 106 | 17 | ||
R.マドリード | 2010-11 | 23 | 36 | 6 | 6 | 3 | - | 11 | 1 | - | 53 | 10 | ||
2011-12 | 10 | 35 | 4 | 5 | 0 | - | 10 | 2 | 2 | 1 | 52 | 7 | ||
2012-13 | 32 | 9 | 8 | 0 | - | 10 | 1 | 2 | 0 | 52 | 10 | |||
2013-14 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
合計 | 105 | 19 | 19 | 3 | 0 | 0 | 31 | 4 | 4 | 1 | 159 | 27 | ||
アーセナルFC | 2013-14 | 11 | 26 | 5 | 5 | 1 | 1 | 0 | 8 | 1 | - | 40 | 7 | |
2014-15 | 22 | 4 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | - | 31 | 5 | |||
2015–16 | 35 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 2 | - | 44 | 8 | |||
2016–17 | 33 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 8 | 4 | - | 43 | 12 | |||
合計 | 116 | 23 | 12 | 2 | 1 | 0 | 29 | 7 | 0 | 0 | 158 | 32 | ||
通算 | 322 | 55 | 45 | 8 | 3 | 0 | 89 | 13 | 4 | 1 | 463 | 77 |
代表歴
出場大会
- U-19ドイツ代表
- 2007年 - UEFA U-19欧州選手権(ベスト4)
- U-21ドイツ代表
- 2009年 - UEFA U-21欧州選手権(優勝)
- ドイツ代表
- 2010年 - 2010 FIFAワールドカップ(3位)
- 2012年 - UEFA EURO 2012(ベスト4)
- 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ(優勝)
- 2016年 - UEFA EURO 2016(ベスト4)
代表での成績
ドイツ代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2009 | 7 | 1 |
2010 | 14 | 2 |
2011 | 9 | 5 |
2012 | 13 | 6 |
2013 | 9 | 3 |
2014 | 10 | 1 |
2015 | 8 | 0 |
2016 | 10 | 3 |
2017 | 1 | 0 |
通算 | 81 | 21 |
代表での得点
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2009年9月5日 | レヴァークーゼン、バイ・アレーナ | 南アフリカ共和国 | 2–0 | 2–0 | 親善試合 |
2 | 2010年6月23日 | ヨハネスブルグ、サッカー・シティ・スタジアム | ガーナ | 0–1 | 0–1 | 2010 FIFAワールドカップ |
3 | 2010年10月8日 | ベルリン、ベルリン・オリンピアシュタディオン | トルコ | 2–0 | 3–0 | UEFA EURO 2012予選 |
4 | 2011年6月7日 | バクー、トフィク・バフラモフ・スタジアム | アゼルバイジャン | 0–1 | 1–3 | UEFA EURO 2012予選 |
5 | 2011年6月22日 | ゲルゼンキルヒェン、アレナ・アウフシャルケ | オーストリア | 2–0 | 6–2 | UEFA EURO 2012予選 |
6 | 4–0 | |||||
7 | 2011年10月11日 | デュッセルドルフ、エスプリ・アレーナ | ベルギー | 1–0 | 3–1 | UEFA EURO 2012予選 |
8 | 2011年11月15日 | ハンブルク、フォルクスパルクシュタディオン | オランダ | 3–1 | 3–0 | 親善試合 |
9 | 2012年6月28日 | ワルシャワ、ワルシャワ国立競技場 | イタリア | 1–2 | 1–2 | UEFA EURO 2012 |
10 | 2012年9月7日 | ハノーファー、ニーダーザクセンシュタディオン | フェロー諸島 | 2–0 | 3–0 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
11 | 3–0 | |||||
12 | 2012年9月11日 | ウィーン、エルンスト・ハッペル・シュターディオン | オーストリア | 0–2 | 1–2 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
13 | 2012年10月12日 | ダブリン、アビバ・スタジアム | アイルランド | 0–3 | 1–6 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
14 | 2012年10月16日 | ベルリン、ベルリン・オリンピアシュタディオン | スウェーデン | 4–0 | 4–4 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
15 | 2013年9月10日 | トースハウン、Tórsvøllur | フェロー諸島 | 0–2 | 0–3 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
16 | 2013年10月11日 | ケルン、ラインエネルギーシュタディオン | アイルランド | 3–0 | 3–0 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
17 | 2013年10月15日 | ソルナ、フレンズ・アレーナ | スウェーデン | 2–1 | 3–5 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
18 | 2014年6月30日 | ポルト・アレグレ、エスタジオ・ベイラ=リオ | アルジェリア | 2–0 | 2–1 | 2014 FIFAワールドカップ |
19 | 2016年3月29日 | ミュンヘン、アリアンツ・アレーナ | イタリア | 4–0 | 4–1 | 親善試合 |
20 | 2016年7月2日 | ボルドー、スタッド・ド・ボルドー | イタリア | 1–0 | 1–1 (PK 6-5) |
UEFA EURO 2016準々決勝 |
21 | 2016年8月31日 | メンヒェングラートバッハ、ボルシア・パルク | フィンランド | 2–0 | 2–0 | 親善試合 |
獲得タイトル
クラブ
- ヴェルダー・ブレーメン
- DFBポカール 2008-09
- レアル・マドリード
- リーガ・エスパニョーラ 2011-12
- コパ・デル・レイ 2010-11
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ 2012
- アーセナルFC
- FAカップ 2013-14, 2014-15, 2016-17
- FAコミュニティ・シールド 2014, 2015, 2017
代表
- U-21ドイツ代表
- UEFA U-21欧州選手権 2009
- ドイツ代表
個人
- UEFA U-21欧州選手権・最優秀選手(2009年)
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー(2012年)
- UEFA EURO 2012・優秀選手(2012年)
脚注
- ^ Real Madrid » Mesut Özil goal.com
- ^ El mago de Öz
- ^ Real Madrid find 'Nemo' to their liking as Mesut Ozil settles in well
- ^ a b c “メスト・エジル”. ゲキサカ. 2017年2月21日閲覧。
- ^ “Mesut Ozil 100 Per Cent Committed To Germany”. Goal.com (2009年2月18日). 2009年10月3日閲覧。
- ^ メスト オジルサウスアフリカ2010
- ^ 「天才プレイヤーの創り方。」Number 771号、2011年1月27日
- ^ a b 「王様の後継者は夢を見る」footballista、ソルメディア、2009年8月5日号
- ^ a b 「いつか”ドイツのジダン”となり…」『ワールドサッカーダイジェスト』、日本スポーツ企画出版社、 2009年12月3日号、90-91頁
- ^ Budding Germany Star Borrows Qualities From His Two Cultures ニューヨーク・タイムズ、2010年1月28日
- ^ a b “MF - エジル”. レアル・マドリード日本語版公式サイト. 2010年8月24日閲覧。
- ^ ブレーメン エジルの移籍交渉に応じる構えAFP BB News、2010年7月19日
- ^ “レアル、独代表MFエジル獲得ならず ブレーメンが拒否”. mns産経ニュース (201-08-14). 2010年9月3日閲覧。
- ^ “レアル・マドリー移籍を願うエジル「ブレーメンの対応には失望している」”. スポーツナビ (2010年8月15日). 2010年9月3日閲覧。
- ^ “公式声明:メスト・エジル獲得”. レアル・マドリード日本語版公式サイト (2010年8月17日). 2010年9月3日閲覧。
- ^ 「魅惑のレフティー」『ワールドサッカーダイジェスト』日本スポーツ企画出版社、2010年11月4日号
- ^ “早くもファンの心を掴んだR・マドリードのエジル「観客からの喝采に誇り高い気分だった」”. WOWOWリーガニュース (2010年9月15日). 2010年10月4日閲覧。
- ^ エジル、世界の紙面をジャック レアル・マドリード日本語版公式サイト、2011年3月8日
- ^ a b レアルのエジルが欧州“アシスト王”に、フッキも3位にランクインSOCCER KING 2011年6月1日
- ^ “エジル、マドリーの「10番」に”. Goal.com (2011年7月23日). 2011年8月24日閲覧。
- ^ “エジル:「マドリーで幸せ」”. Goal.com (2011年12月23日). 2011年12月27日閲覧。
- ^ “レアル・マドリードの両ドイツ代表にイングランドの強豪がこぞって熱視線”. livedoor.com (2011年12月22日). 2011年12月27日閲覧。
- ^ “全50人の選手を発表! Goal.com 50 - 12位 メスト・エジル”. Goal.com. 2012年11月6日閲覧。
- ^ “Arsenal news: Mesut Ozil becomes fifth Gunners player to bag a Champions League hat-trick”. Independent. (20 oct 2016) 20 oct 2016閲覧。
- ^ a b c “ドイツを優勝に導いたオジル”. UEFA.com. 2009年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月12日閲覧。
- ^ “Germany vs South Africa”. Goal.com (2009年9月5日). 2009年10月3日閲覧。
- ^ 負傷者続出ドイツ、W杯メンバー決定Goal.com、2010年6月2日
- ^ 2010 FIFAワールドカップ公式サイト ガーナ対ドイツ FIFA.com
- ^ Soccer stars steal show at Germany's Bambi Awardsロイター、2010年11月12日
- ^ “ばあちゃん死んだ!ドイツ司令塔ショック”. 日刊スポーツ (2010年6月26日). 2014年7月12日閲覧。
- ^ “メスート(メスト・エジル)の祖母死去、ゾングルダクで葬儀”. トルコHurriyet紙 (2010年6月26日). 2014年7月12日閲覧。
- ^ Netherlands, Germany drawn in Euro "Group of Death"
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