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[[2007年]][[1月]]、ドイツの[[ハンブルガーSV]]に移籍し、[[1月31日]]の[[エネルギー・コットブス]]戦でデビューした。10月の[[VfBシュトゥットガルト]]戦では、クラブ史上初となる45分間での[[ハットトリック]]を決めた。2008年に行われた[[アーセナルFC]]主催の[[エミレーツ・カップ]]では[[ユヴェントス]]戦でロスタイムに2得点を挙げ、優勝した。


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2012年4月、シーズン後の契約満了に伴い、2012-13シーズンから[[VfLヴォルフスブルク|ヴォルフスブルク]]に移籍が決定。契約は2年間。
2012年4月、シーズン後の契約満了に伴い、2012-13シーズンから[[VfLヴォルフスブルク|ヴォルフスブルク]]に移籍が決定。契約は2年間。
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: [[UEFAカップ]] 2005
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* '''[[バイエルン・ミュンヘン]]'''
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: [[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]] 2009-10
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: [[DFBポカール]] 2010
: [[DFBポカール]] 2010

2017年8月29日 (火) 10:00時点における版

イヴィツァ・オリッチ
2014年のオリッチ
名前
ラテン文字 Ivica Olić
クロアチア語 Ивица Олић
基本情報
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1979-09-14) 1979年9月14日(45歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 ダヴォル
身長 182cm
体重 85kg
選手情報
ポジション FW
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1998 クロアチアの旗 マルソニア 42 (17)
1998-2000 ドイツの旗 ヘルタ・ベルリンII 30 (10)
1998-2000 ドイツの旗 ヘルタ・ベルリン 2 (0)
2000-2001 クロアチアの旗 マルソニア 42 (21)
2001-2002 クロアチアの旗 NKザグレブ 29 (3)
2002-2003 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 27 (16)
2003-2007 ロシアの旗 CSKAモスクワ 78 (35)
2007-2009 ドイツの旗 ハンブルガーSV 78 (29)
2009-2012 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 55 (13)
2012-2014 ドイツの旗 ヴォルフスブルク 73 (27)
2015-2016 ドイツの旗 ハンブルガーSV 25 (2)
2016-2017 ドイツの旗 TSV1860ミュンヘン 30 (5)
代表歴2
1996 クロアチアの旗 クロアチア U-17 3 (0)
1997 クロアチアの旗 クロアチア U-18 1 (0)
1997-1998 クロアチアの旗 クロアチア U-19 9 (1)
1998 クロアチアの旗 クロアチア U-20 1 (0)
2000-2001 クロアチアの旗 クロアチア U-21 6 (2)
2002-2015 クロアチアの旗 クロアチア 104 (20)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年6月25日現在。
2. 2015年3月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

イヴィツァ・オリッチ(Ivica Olić, 1979年9月14日 - )は、クロアチア出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード

経歴

クラブ

クロアチア東部の都市ノヴァ・グラディシュカ近郊の村ダヴォルに生まれ育った。1996年NKマルソニアに入団して好成績を残した。1998年にドイツのヘルタ・ベルリンに引き抜かれたがプレー機会は少なく、1年でマルソニアに戻った。2000-01シーズンに17得点すると、2001年に移籍したNKザグレブでは21得点をあげ、リーグ優勝に貢献した。2002年にはディナモ・ザグレブに移籍し、16得点を挙げた。

2003年ロシアリーグPFC CSKAモスクワに移籍すると徐々に調子を上げ、2005年には10得点した。この年にはUEFAカップを勝ち取った。CSKAモスクワ在籍中に3度のリーグ制覇と2度のスーパーカップ制覇を成し遂げた。

2007年1月、ドイツのハンブルガーSVに移籍し、1月31日エネルギー・コットブス戦でデビューした。10月のVfBシュトゥットガルト戦では、クラブ史上初となる45分間でのハットトリックを決めた。2008年に行われたアーセナルFC主催のエミレーツ・カップではユヴェントス戦でロスタイムに2得点を挙げ、優勝した。

2009年夏、バイエルン・ミュンヘンへ移籍した。8月8日、2009-10シーズン第1節のTSG1899ホッフェンハイム戦でデビューし、ダニエル・プラニッチのクロスに合わせて先制点を決めた。2010年3月30日UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝1stレグ、マンチェスター・ユナイテッドFC戦では後半ロスタイムに決勝ゴールを挙げ、続く4月7日の2ndレグでは3-0とリードされた状態から起死回生のゴールを決め(この後アリエン・ロッベンが決勝点を記録)、バイエルンの準決勝進出に貢献。4月27日の準決勝2ndレグ、リヨン戦ではハットトリックを達成し、チームを決勝へと導いた。最終的にブンデスリーガでは11得点、チャンピオンズリーグでは2位タイの7得点を挙げ、バイエルンの国内2冠とチャンピオンズリーグ準優勝に貢献した。しかし、2010-11シーズンは故障で長期離脱し、2011-12シーズンはユップ・ハインケス監督に重用されず出場機会は少なくなった。

2012年4月、シーズン後の契約満了に伴い、2012-13シーズンからヴォルフスブルクに移籍が決定。契約は2年間。

2015年1月、古巣のハンブルガーSVへ移籍。契約期間は2016年シーズン終了までの1年半[1]

2016年7月、TSV1860ミュンヘンに移籍が決定。契約期間は1年。

2017年6月、現役引退を表明[2]

代表

2002年の日韓ワールドカップでは2試合に出場し、イタリア戦で同点ゴールを決めた。2004年のUEFA欧州選手権では3試合、2006年のドイツワールドカップでは2試合に出場した。2006年9月、ダリヨ・スルナらとともに深夜までパーティを楽しんだとして、代表メンバーから外されたことがあった。2008年のUEFA欧州選手権予選では、ウェンブリー・スタジアムでのイングランド代表戦で得点し、イングランドの本大会行きを阻んだ。本大会ではグループリーグのドイツ戦で得点した。

南アフリカワールドカップ予選でも8試合で3得点と活躍したが、チームは本大会出場を逃し、オリッチの3大会連続ワールドカップ出場は叶わなかった。さらにEURO2012では、本大会の最終登録メンバーに選出されていたが、負傷のため大会直前でメンバーから外れた[3]

2014年11月16日のUEFA EURO 2016予選イタリア戦で代表通算100試合出場を達成した。

所属クラブ

個人成績

クラブ

クラブ リーグ シーズン リーグ カップ リーグカップ 国際大会 その他 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
NKマルソニア プルヴァHNL 1996-97 0 0
ドルガHNL 1997-98 0 0
ヘルタBSC ブンデスリーガ 1998-99 2 0 1 0 0 0 3 0
1999-2000 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
NKマルソニア プルヴァHNL 1999-2000 13 4 0 0
2000-01 29 17 0 0
NKザグレブ 2001-02 29 21 0 0
ディナモ・ザグレブ 2002-03 27 16 4 3
CSKAモスクワ プレミアリーグ 2003 10 7 2 1 0 0 12 8
2004 24 9 3 1 10 0 37 10
2005 20 10 5 1 0 0 25 11
2006 24 9 5 2 6 1 35 12
ハンブルガーSV ブンデスリーガ 2006-07 15 5 0 0 0 0 15 5
2007-08 32 14 4 2 10 2 46 18
2008-09 31 10 5 6 14 9 50 25
バイエルン・ミュンヘン 2009-10 29 11 2 1 10 7 41 19
2010-11 6 0 1 0 2 0 1 0 10 0
2011-12 20 2 4 0 5 2 29 4
VfLヴォルフスブルク 2012-13 32 9 4 4 0 0 36 13
2013-14 32 14 5 1 37 15
クロアチア 140 75 4 3 144 78
ドイツ 199 65 26 14 0 0 31 20 1 0 257 99
ロシア 78 35 15 5 16 1 109 41
通算 417 175 41 19 0 0 51 24 1 0 510 218

代表

代表国 出場 得点
2002  クロアチア 9 2
2003 9 2
2004 10 2
2005 4 0
2006 10 0
2007 8 3
2008 12 2
2009 6 2
2010 5 1
2011 3 1
2012 4 0
2013 9 1
2014 11 3
2015 1 1
通算 101 20

代表での得点

獲得タイトル

クラブ

クロアチアリーグ 2001-02
クロアチアリーグ 2002-03
ロシアサッカー・プレミアリーグ 2003,2005,2006
ロシア・スーパーカップ 2004,2006
UEFAカップ 2005
ブンデスリーガ 2009-10
DFBポカール 2010
DFLスーパーカップ 2010

個人タイトル

  • クロアチアリーグ得点王 2001,2002
  • クロアチア最優秀選手 2009

脚注

  1. ^ Olic-Wechsel perfekt: Zu Hause ist es doch am schönstenハンブルガーSV公式HP 2015年1月30日(1月31日閲覧)
  2. ^ 元クロアチア代表オリッチが現役引退Kicker日本語版 2017年6月25日
  3. ^ Rupnik, Borna (4 June 2012). “Ivica Olić ipak ostao bez Europskog prvenstva, u Poljsku i Ukrajinu putuje Kalinić” (Croatian). Sportnet.hr. http://www.hrsport.net/vijesti/441415/nogomet-reprezentacija/ivica-olic-ipak-ostao-bez-europskog-prvenstva-u-poljsku-i-ukrajinu-putuje-kalinic/ 4 June 2012閲覧。 

外部リンク