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NKディナモ・ザグレブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ディナモ・ザグレブから転送)
GNKディナモ・ザグレブ
原語表記 Građanski nogometni klub Dinamo Zagreb
愛称 Modri (青)
Purgeri (市民)
クラブカラー
創設年 1945年
所属リーグ スーペルスポルトHNL
所属ディビジョン 1部
ホームタウン ザグレブ
ホームスタジアム
スタディオン・マクシミール
収容人数 24,851
代表者 クロアチアの旗 ミルコ・バリシッチ
監督 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 セルゲイ・ヤキロヴィッチ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

グラジャンスキ・ノゴメトニ・クルブ・ディナモ・ザグレブクロアチア語: Građanski nogometni klub Dinamo Zagreb)は、クロアチアザグレブを本拠地とするサッカークラブである。

概要

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ユーゴスラビア時代からクロアチアを代表する強豪クラブのひとつであり、ユーゴスラビアリーグでは4回の優勝をしていた。1992年にユーゴスラビアからクロアチアが分離し独立してからはクロアチアリーグの名門チームとなった。

第二次世界大戦後、ユーゴスラビア共産党の指導によってそれまでザグレブに存在したHAŠKザグレブ1903年創設)やHŠKグラジャンスキ・ザグレブ1911年創設)といったクラブは解散させられ、1945年6月9日にディナモが創設された。創設当初の選手は主に元HAŠK、グラジャンスキの選手から構成されていた。

連邦国家時代にはレッドスター・ベオグラードパルチザン・ベオグラードなどの連邦の中心であるセルビアに本拠を置く強豪の対抗馬として、同じくクロアチアに本拠を置いたHNKハイドゥク・スプリトなどとともにクロアチア国民に支持された強豪であった[1]

クロアチアの独立後は初代大統領フラニョ・トゥジマンによって税制の優遇を受け、ライバルであるハイドゥクを大きく経済面で上回る国内での一強状態を築き上げた[2]。クラブ名は1991年にHAŠKグラジャンスキ、1992年にクロアチア・ザグレブ(発音はクロアツィアに近い)へと改名された。一連の改名はトゥジマンの意向が働いたものであったとされるが、サポーター達はこれらの新しいクラブ名を拒絶した。そしてトゥジマンの死後、クラブは2001年に再度ディナモ・ザグレブに改名された。

トゥジマンの影響力が消えるとともに税制の優遇は排除され、以前の様な経済力は無くなったが[3]、近年はクロアチア国内から獲得した若手有望選手を育てて売ることで多額の収益を挙げている。2000年代後半だけでもFWエドゥアルド・ダ・シルヴァ(移籍金750万ポンド、アーセナル[4])、DFヴェドラン・チョルルカ(移籍金800万ポンド、マンチェスター・シティ[5])、FWイヴィツァ・オリッチ(移籍金500万ユーロ、PFC CSKAモスクワへ)、MFルカ・モドリッチ(移籍金1650万ポンド、トッテナム[6] )、DFデヤン・ロヴレン(移籍金1000万ユーロ、リヨン[7])、MFマリオ・マンジュキッチ(移籍金800万ユーロ、ヴォルフスブルク[8])などの放出で収益をあげている。

日本人の獲得に熱心であり、過去には佐藤寿人家長昭博に接触している他、三浦知良を獲得したこともある[9]

サポーターはディナモヴァツクロアチア語: Dinamovac)と、ウルトラスバッド・ブルー・ボーイズクロアチア語: Bad Blue Boys)と呼ばれる。BBBと略されるこのウルトラスはクロアチア紛争のきっかけとも言われる1990年のマクシミール暴動を始めとして度々騒ぎを起こし、悪名を広めている[10]。2010年にはリーグ優勝したにも関わらずクラブに不満を持ったサポーターが暴動を起こすという異例の事態も起こった[11]。クロアチアではHNKハイドゥク・スプリトとライバル関係にあり、両チームの対戦はヴィエチュニ・デルビと呼ばれる[12][13]。ホームスタジアムのスタディオン・マクシミールは戦前のユーゴスラビアリーグにおいて、前述のHAŠKやグラジャンスキなどの強豪がダービーマッチを行い旧来より「クロアチアサッカーの聖地」とされ、独立後はトゥジマンの意向により大規模な拡張工事が行われた[14]

クラブ名の変遷

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  • 1945年-1991年 ディナモ・ザグレブ (Dinamo Zagreb)
  • 1991年-1992年 HAŠKグラジャンスキ (HAŠK Građanski)
  • 1993年-2000年 クロアチア・ザグレブ (Croatia Zagreb)
  • 2001年-現在 GNKディナモ・ザグレブ (GNK Dinamo Zagreb)

タイトル

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1967年のフェアーズ・カップ優勝を描いた壁画(2009年)

国内タイトル

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国際タイトル

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過去の成績

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シーズン ディビジョン カップ 欧州カップ
リーグ 順位
2000-01 1.HNL 32 19 8 5 70 36 65 2位 優勝 UEFAカップ 2回戦敗退
2001-02 1.HNL 30 18 5 7 58 30 59 3位 優勝 UEFAカップ 1回戦敗退
2002-03 1.HNL 32 25 3 4 76 27 78 1位 2回戦敗退 UEFAカップ 2回戦敗退
2003-04 1.HNL 32 23 7 2 77 25 76 2位 優勝 チャンピオンズリーグ 予選3回戦敗退
UEFAカップ 2回戦敗退
2004-05 1.HNL 32 12 11 9 55 37 47 7位 準々決勝敗退 UEFAカップ グループステージ敗退
2005-06 1.HNL 32 24 4 4 78 21 76 1位 2回戦敗退
2006-07 1.HNL 33 30 2 1 84 22 92 1位 優勝 チャンピオンズリーグ 予選3回戦敗退
UEFAカップ 1回戦敗退
2007-08 1.HNL 33 26 4 3 91 34 82 1位 優勝 チャンピオンズリーグ 予選3回戦敗退
UEFAカップ グループステージ敗退
2008-09 1.HNL 33 23 5 5 71 26 74 1位 優勝 チャンピオンズリーグ 予選3回戦敗退
UEFAカップ グループステージ敗退
2009-10 1.HNL 30 18 8 4 70 20 62 1位 準決勝敗退 チャンピオンズリーグ 予選3回戦敗退
ヨーロッパリーグ グループステージ敗退
2010-11 1.HNL 30 22 6 2 52 12 72 1位 優勝 チャンピオンズリーグ 予選3回戦敗退
ヨーロッパリーグ グループステージ敗退
2011-12 1.HNL 30 23 6 1 73 11 75 1位 優勝 チャンピオンズリーグ グループステージ敗退
2012-13 1.HNL 33 24 5 4 68 20 77 1位 2回戦敗退 チャンピオンズリーグ グループステージ敗退
2013-14 1.HNL 36 26 6 4 83 26 84 1位 準優勝 チャンピオンズリーグ プレーオフ敗退
ヨーロッパリーグ グループステージ敗退
2014-15 1.HNL 36 26 10 0 85 21 88 1位 優勝 チャンピオンズリーグ 予選3回戦敗退
ヨーロッパリーグ グループステージ敗退
2015-16 1.HNL 36 26 7 3 67 19 85 1位 優勝 チャンピオンズリーグ グループステージ敗退
2016-17 1.HNL 36 27 5 4 68 24 86 2位 準優勝 チャンピオンズリーグ グループステージ敗退
2017-18 1.HNL 36 22 7 7 68 34 73 1位 優勝 ヨーロッパリーグ プレーオフ敗退
2018-19 1.HNL 36 29 5 2 74 20 92 1位 準優勝 チャンピオンズリーグ プレーオフ敗退
ヨーロッパリーグ ベスト16
2019-20 1.HNL 36 25 5 6 62 20 80 1位 準々決勝敗退 チャンピオンズリーグ グループステージ敗退
2020-21 1.HNL 36 26 7 3 84 28 85 1位 優勝 チャンピオンズリーグ 予選3回戦敗退
ヨーロッパリーグ 準々決勝敗退
2021-22 1.HNL 36 24 7 5 68 22 79 1位 準々決勝敗退 チャンピオンズリーグ プレーオフ敗退
ヨーロッパリーグ 決勝プレーオフ敗退
2022-23 1.HNL 36 24 9 3 81 28 81 1位 準決勝敗退 チャンピオンズリーグ グループステージ敗退

現所属メンバー

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2024年2月12日現在[15]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK クロアチア ダニイェル・ザゴラツ
2 DF イラン サデグ・モハラミ
3 DF 日本 荻原拓也
4 DF クロアチア ボシュコ・シュタロ
5 MF 北マケドニア アリヤン・アデミ キャプテン
6 DF フランス マキシム・ベルノー
7 MF クロアチア ルカ・ストイコヴィッチ
8 MF クロアチア ルーカス・カチャヴェンダ
9 FW クロアチア ブルーノ・ペトコヴィッチ
10 MF クロアチア マルティン・バトゥリナ
11 FW アゼルバイジャン マヒル・エムレリ
13 DF 北マケドニア ステファン・リストフスキ
15 DF クロアチア モレノ・ジヴコヴィッチ
17 FW クロアチア サンドロ・クレノヴィッチ
18 DF フランス ロナエル・ピエール=ガブリエル
No. Pos. 選手名
19 FW クロアチア フラン・ブロディッチ
20 MF コソボ アルベル・ホシャ
23 MF クロアチア ティボル・ハリロヴィッチ
25 MF ボスニア・ヘルツェゴビナ ペタル・スチッチ
27 MF クロアチア ヨシプ・ミシッチ
28 DF フランス ケヴィン・テオフィル=カテリン
30 MF 日本 金子拓郎
31 MF クロアチア マルコ・ブラト
32 GK ボスニア・ヘルツェゴビナ ファリス・クルカリッチ
33 GK クロアチア イヴァン・ネヴィスティッチ
39 DF クロアチア マウロ・ペルコヴィッチ
55 DF クロアチア ディノ・ペリッチ
72 MF クロアチア ガブリエル・ヴィドヴィッチ
77 FW クロアチア ダリオ・シュピキッチ
監督

ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 セルゲイ・ヤキロヴィッチ

歴代監督

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歴代所属選手

[編集]

脚注

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  1. ^ 柴、宇都宮、p.322
  2. ^ 宇都宮、p.232
  3. ^ 宇都宮、p.233
  4. ^ “Arsenal snap up striker da Silva”. BBC Sport Online. (2007年7月2日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/a/arsenal/6260864.stm 2010年9月5日閲覧。 
  5. ^ Graeme Bailey (2 August 2007). “City land Croatian stopper”. Sky Sports. http://www.skysports.com/story/0,19528,11095_2636990,00.html 2010年9月5日閲覧。 
  6. ^ “Spurs equal record fee for Modric”. BBC Sport. (2008年4月29日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/t/tottenham_hotspur/7373163.stm 2010年9月5日閲覧。 
  7. ^ “Dejan Lovren nach Lyon”. transfermarkt.de. (13 Jun 2010). http://www.transfermarkt.de/de/lovren-nach-lyon/news/anzeigen_34756.html 2010年9月5日閲覧。 
  8. ^ クロアチア代表マンズキッチ、ヴォルフスブルク移籍 Livedoor 2010年7月17日付記事
  9. ^ [元日本代表・C大阪家長をザグレブが調査 今季も広島FW佐藤寿人(28)に打診をしていた[ 2010年11月22日9時57分 ] (日刊スポーツ)]
  10. ^ Points Deduction For Dinamo Zagreb In Europa League Goal.com 2009年10月30日付記事
  11. ^ 誰も祝わぬディナモのリーグ優勝/サポーターは大暴動、監督はブチ切れ会見 長束恭行 クロアチア・サッカーニュース 2010年5月3日
  12. ^ 長束恭行 (2010年9月14日). “火花が散る監督対決/クロアチア・ダービー「ハイドゥクvs.ディナモ」”. ライブドア. 2011年7月15日閲覧。
  13. ^ The Classic: Dinamo Zagreb-Hajduk Split”. FIFA. 2011年7月15日閲覧。
  14. ^ 宇都宮、p.224-225
  15. ^ Players”. GNK Dinamo Zagreb. 10 October 2020閲覧。

参考文献

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  • 柴宜弘/編、宇都宮徹壱/著『バルカンを知るための65章』明石書店、2005年、p.322頁。ISBN 978-4750320908 
  • 宇都宮徹壱『ディナモ・フットボール 国家権力とロシア・東欧のサッカー』みすず書房、2004年、p.224-239頁。ISBN 4-622-03389-5 
  • 長束恭行『東欧サッカークロニクル』カンゼン、2018年。ISBN 4-8625546-87 

外部リンク

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