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ミハエル・ミキッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミハエル・ミキッチ
名前
愛称 ミカ
ラテン文字 Mihael Mikić
基本情報
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 (1980-01-06) 1980年1月6日(44歳)
出身地 ザグレブ
身長 177cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
クロアチアの旗 NKビストラ(hr:NK Bistra)
クロアチアの旗 NKインテル・ザプレシッチ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1997 クロアチアの旗 NKザプレシッチ 25 (5)
1997-2004 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 144 (26)
2004-2006 ドイツの旗 カイザースラウテルン 26 (0)
2006 クロアチアの旗 HNKリエカ 14 (0)
2007-2008 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ 46 (4)
2009-2017 日本の旗 サンフレッチェ広島 221 (8)
2018 日本の旗 湘南ベルマーレ 6 (0)
通算 482 (43)
代表歴
1997-1999  クロアチアU-19 12 (5)
1999-2001  クロアチアU-21 19 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミハエル・ミキッチMihael Mikić1980年1月6日 - )は、クロアチアザグレブ出身の元プロサッカー選手

来歴

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欧州クラブ時代

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7歳のとき、NK Bistraというクラブの下部組織でサッカーを始める。13歳のとき、NKインケル・ザプレシッチ(現NKインテル・ザプレシッチ)のユースへ加入し、16歳でこのクラブにおいてプロのキャリアをスタート。2年目にクロアチア・ザグレブ(現ディナモ・ザグレブ)へ移籍し、19歳までにレギュラーをつかんだ。同い年であり、スピードタイプのFWというプレースタイルも似ていたことから、当時はサポーターから「クロアチアのマイケル・オーウェン」と呼ばれ、将来を嘱望された。

1998年秋には、18歳にしてクロアチア・ザグレブのメンバーとしてUEFAチャンピオンズリーグに参加。初戦となるホームのFCポルト戦で、前半7分にクラブのチャンピオンズリーグ第1号ゴールを決めている。クロアチア・ザグレブはこのポルト戦に勝利し、さらにアヤックス・アムステルダムに勝利、オリンピアコスに引き分けるなど健闘したが、決勝トーナメント進出はならなかった。ミキッチはクロアチア・ザグレブのホームゲーム3試合に全て出場(うち2試合は先発)し、ストライカーとしてプレーした。

しかし翌1999年、クラブが三浦知良らの外国人FWを獲得。助っ人外国人の起用優先というクラブの方針により、満足な競争も行われないままレギュラーの座を奪われる。この年もチャンピオンズリーグに出場し、グループステージ6試合中5試合に出場したものの、先発は1試合だけだった。最終戦のオリンピック・マルセイユ戦で、2-2のドローに持ち込む同点ゴールを挙げたが、クロアチア・ザグレブはグループステージ最下位に終わった。さらにこの時期、血液の病気に侵されてしばらくサッカーから離れる不運も重なり、不振が続いた。

そんな折、1999年のシーズン途中にクロアチア・ザグレブの監督に就任したオズワルド・アルディレスは、ミキッチのスピードに目をつけ、サイドプレーヤーへの転向を打診。FWにこだわりを持っていたミキッチは当初激しく反発し、またアルディレスも成績不振から早期解任されたものの、結果的にはこれがミキッチのサッカー人生における転機となった。

以降、サイドプレーヤーとして2003-2004シーズンまでの7シーズンの間、クロアチア・ザグレブ/ディナモ・ザグレブでのプレーを続け、翌2004-2005シーズンより、初の国外クラブとなるドイツ・ブンデスリーガ1.FCカイザースラウテルンに移籍した。ドイツでの1年目は、リーグ戦でわずか6試合の出場にとどまる。2年目も前半戦は4試合出場とレギュラーをつかめないでいたが、ウインターブレーク明けからレギュラーとなり、シーズン終了までに前半戦と合わせて20試合に出場した。しかし、2年間でリーグ26試合、公式戦29試合に出場して無得点という結果に終わり、チームも2005-2006シーズンは16位で2部降格となってしまった。

2006年6月に、再びクロアチアに戻ってHNKリエカと契約。6月13日のUEFAカップ1回戦・対ACオモニア戦の第1レグで公式戦デビューを飾るが、リエカは2戦合計3-4でオモニアに破れ、1回戦で姿を消した。国内リーグ戦では6月30日の2006-2007シーズン開幕戦で初出場し、勝利に貢献した。しかしシーズン途中の2007年1月、わずかリーグ14試合に出場したところでリエカを退団し、古巣であるディナモ・ザグレブへ移籍。23試合で4ゴールを挙げる活躍を見せた。

Jリーグでのプレー

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2009年より、Jリーグサンフレッチェ広島へ完全移籍した[1]。すぐに右サイドのレギュラーに定着、同シーズンリーグ4位に貢献[2]、加入以降は怪我による離脱はあったが、右サイドのレギュラーを確保し続け、2012年、2013年のJ1連覇、2015年のリーグ制覇に中心プレーヤーとして重要な役割を果たした[3]

2010年8月28日のモンテディオ山形戦で移籍後初ゴールととなる決勝ゴールを決めた[4][5]

上記のクラブ遍歴を経て選んだJリーグのレベルを高く評価する一方で、日本人選手の安易な海外志向に疑問を呈している[6]

2014年には在籍が6年目を迎え、1993-1997年の5年間在籍した盧廷潤を越えて、広島の外国籍選手では史上最長在籍の選手となっていた。2017年5月14日のセレッソ大阪戦では試合には敗れたが、現役最後となるゴールを決めた[7]。 2017年を以て契約満了により広島を退団[8]

2018年より、湘南ベルマーレに移籍[9]。シーズン終了後に退団を発表した。

湘南退団後は、現役を続けるためオファーを待ったが、オファーは届かず、2019年4月18日に現役引退を発表した[10]。J1通算227試合8ゴールの成績を残した[5]

代表

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1997年に、アイルランドで開催されたUEFA U-19欧州選手権の対北アイルランド戦で、17歳でU-19代表デビュー。同大会では3試合に出場し1得点を挙げた。翌年のキプロス大会にも出場し、クロアチアの中心選手として4試合で3得点の活躍。チームの3位に 貢献した。1999年のスウェーデン大会にも3大会連続で出場し、4試合で1得点を挙げている。

U-19での最後の国際試合を勝利で終えた後、1999年にナイジェリアで行われたFIFAワールドユースにおいてU-20代表デビュー。チームの全4試合に出場し、ベスト16の成績を挙げた。ここから1999年末までに開催されたUEFA U-21欧州選手権予選では5試合に出場して3得点を挙げた。2000年の本大会に出場を果たすも、グループステージ敗退。以降も2001年までU-21代表でのプレーを続け、6試合で3得点を挙げている。

人物

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現在はサイドプレイヤーとしての起用が最も多いが、過去には攻撃的ミッドフィルダー、ストライカーとしてもプレーした経験がある(上記来歴参照)。

妻のリュプカ・ゴイッチen:Ljupka Gojić)は、ジバンシィに所属するクロアチアのファッションモデル

母国への帰還後は、首都ザグレブでカフェを経営している[3]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
クロアチア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1996-97 ザプレシッチ 1.HNL 25 5
1997-98 クロアチア・ザグレブ/
ディナモ・ザグレブ
5 2
1998-99 15 6
1999-00 26 6
2000-01 28 3
2001-02 25 3
2002-03 28 3
2003-04 17 1
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2004-05 カイザースラウテルン 14 ブンデス 6 0 - 2 0 8 0
2005-06 20 0 - 1 0 21 0
クロアチア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2006-07 リエカ 1.HNL 14 0
ディナモ・ザグレブ 14 10 3
2007-08 21 1
2008-09 15 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2009 広島 14 J1 25 0 5 0 0 0 30 0
2010 16 1 4 0 2 1 22 2
2011 31 2 1 0 1 0 33 2
2012 28 0 1 0 0 0 29 0
2013 29 2 2 0 4 0 35 2
2014 20 0 2 0 1 0 23 0
2015 31 1 1 0 2 0 34 1
2016 27 1 1 0 1 0 29 1
2017 14 1 1 0 0 0 15 1
2018 湘南 41 6 0 0 0 0 0 6 0
通算 クロアチア 1部 229 35
ドイツ 1部 26 0 - 3 0 29 0
日本 J1 227 8 18 0 11 1 256 9
総通算 482 43

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
UEFAUEFA ELCL予選UEFA CLクラブW杯
1998-99 クロアチア・ザグレブ/
ディナモ・ザグレブ
3 1 -
1999-00 5 1 -
2003-04 2 0 -
2007-08 1 0 3 0 -
2008-09 6 0 6 0 -
AFCACL--クラブW杯
2010 広島 14 0 0 - - -
2012 - - - 2 0
2013 2 0 - - -
2014 4 0 - - -
2015 - - - 3 0
2016 1 0 - - -
通算 UEFA 7 0 11 0 8 2 0 0
通算 AFC 7 0 - - 5 0

タイトル

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クラブ

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ディナモ・ザグレブ
  • プルヴァHNL:6回(1997-98、1998-99、1999-00、2002-03、2006-07、2007-08)
  • クロアチアカップ:5回(1998年、2001年、2002年、2007年、2008年)
  • クロアチアスーパーカップ:2回(2002年、2003年)
サンフレッチェ広島
湘南ベルマーレ

代表歴

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脚注

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  1. ^ サンフレッチェ広島公式 (2008年12月26日). “ミハエル・ミキッチ選手 加入のお知らせ”. 2010年1月26日閲覧。
  2. ^ 中国新聞 (2010年1月7日). “ストヤノフとミキッチ、残留合意 2人ともけがは回復”. 2010年1月26日閲覧。
  3. ^ a b サンフレッチェ広島、歴代最強外国籍選手5人。ハシェック、ストヤノフ、ミキッチ…親日家たちと歩んできた歴史”. www.footballchannel. 2010年1月26日閲覧。
  4. ^ 2010Jリーグ ディビジョン1 第21節”. data.j-league. 2010年1月26日閲覧。
  5. ^ a b ミキッチ”. data.j-league. 2010年1月26日閲覧。
  6. ^ 安易な海外移籍決断に異を唱える、広島・ミキッチのJリーグ主義。 -NumberWeb: 2012年4月10日
  7. ^ 2017明治安田生命J1リーグ 第11節”. data.j-league. 2010年1月26日閲覧。
  8. ^ ミキッチ選手 来シーズンの契約について サンフレッチェ広島 2017年11月13日(2017年12月21日閲覧)
  9. ^ ミハエル ミキッチ選手 サンフレッチェ広島より完全移籍加入のお知らせ 湘南ベルマーレ 2017年12月29日(2017年12月29日閲覧)
  10. ^ Jリーグ在籍10年のミキッチが現役引退「日本でプレーしたことは人生最大の喜び」 サッカーキング 2019年4月18日

関連項目

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外部リンク

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