ミハエル・ミキッチ
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名前 | ||||||
愛称 | ミカ | |||||
ラテン文字 | Mihael Mikić | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | クロアチア | |||||
生年月日 | 1980年1月6日(44歳) | |||||
出身地 | ザグレブ | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
NKビストラ(hr:NK Bistra) | ||||||
NKインテル・ザプレシッチ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-1997 | NKザプレシッチ | 25 | (5) | |||
1997-2004 | ディナモ・ザグレブ | 144 | (26) | |||
2004-2006 | カイザースラウテルン | 26 | (0) | |||
2006 | HNKリエカ | 14 | (0) | |||
2007-2008 | ディナモ・ザグレブ | 46 | (4) | |||
2009-2017 | サンフレッチェ広島 | 221 | (8) | |||
2018 | 湘南ベルマーレ | 6 | (0) | |||
通算 | 482 | (43) | ||||
代表歴 | ||||||
1997-1999 | クロアチアU-19 | 12 | (5) | |||
1999-2001 | クロアチアU-21 | 19 | (6) | |||
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ミハエル・ミキッチ(Mihael Mikić、1980年1月6日 - )は、クロアチア・ザグレブ出身の元プロサッカー選手。
来歴
[編集]欧州クラブ時代
[編集]7歳のとき、NK Bistraというクラブの下部組織でサッカーを始める。13歳のとき、NKインケル・ザプレシッチ(現NKインテル・ザプレシッチ)のユースへ加入し、16歳でこのクラブにおいてプロのキャリアをスタート。2年目にクロアチア・ザグレブ(現ディナモ・ザグレブ)へ移籍し、19歳までにレギュラーをつかんだ。同い年であり、スピードタイプのFWというプレースタイルも似ていたことから、当時はサポーターから「クロアチアのマイケル・オーウェン」と呼ばれ、将来を嘱望された。
1998年秋には、18歳にしてクロアチア・ザグレブのメンバーとしてUEFAチャンピオンズリーグに参加。初戦となるホームのFCポルト戦で、前半7分にクラブのチャンピオンズリーグ第1号ゴールを決めている。クロアチア・ザグレブはこのポルト戦に勝利し、さらにアヤックス・アムステルダムに勝利、オリンピアコスに引き分けるなど健闘したが、決勝トーナメント進出はならなかった。ミキッチはクロアチア・ザグレブのホームゲーム3試合に全て出場(うち2試合は先発)し、ストライカーとしてプレーした。
しかし翌1999年、クラブが三浦知良らの外国人FWを獲得。助っ人外国人の起用優先というクラブの方針により、満足な競争も行われないままレギュラーの座を奪われる。この年もチャンピオンズリーグに出場し、グループステージ6試合中5試合に出場したものの、先発は1試合だけだった。最終戦のオリンピック・マルセイユ戦で、2-2のドローに持ち込む同点ゴールを挙げたが、クロアチア・ザグレブはグループステージ最下位に終わった。さらにこの時期、血液の病気に侵されてしばらくサッカーから離れる不運も重なり、不振が続いた。
そんな折、1999年のシーズン途中にクロアチア・ザグレブの監督に就任したオズワルド・アルディレスは、ミキッチのスピードに目をつけ、サイドプレーヤーへの転向を打診。FWにこだわりを持っていたミキッチは当初激しく反発し、またアルディレスも成績不振から早期解任されたものの、結果的にはこれがミキッチのサッカー人生における転機となった。
以降、サイドプレーヤーとして2003-2004シーズンまでの7シーズンの間、クロアチア・ザグレブ/ディナモ・ザグレブでのプレーを続け、翌2004-2005シーズンより、初の国外クラブとなるドイツ・ブンデスリーガの1.FCカイザースラウテルンに移籍した。ドイツでの1年目は、リーグ戦でわずか6試合の出場にとどまる。2年目も前半戦は4試合出場とレギュラーをつかめないでいたが、ウインターブレーク明けからレギュラーとなり、シーズン終了までに前半戦と合わせて20試合に出場した。しかし、2年間でリーグ26試合、公式戦29試合に出場して無得点という結果に終わり、チームも2005-2006シーズンは16位で2部降格となってしまった。
2006年6月に、再びクロアチアに戻ってHNKリエカと契約。6月13日のUEFAカップ1回戦・対ACオモニア戦の第1レグで公式戦デビューを飾るが、リエカは2戦合計3-4でオモニアに破れ、1回戦で姿を消した。国内リーグ戦では6月30日の2006-2007シーズン開幕戦で初出場し、勝利に貢献した。しかしシーズン途中の2007年1月、わずかリーグ14試合に出場したところでリエカを退団し、古巣であるディナモ・ザグレブへ移籍。23試合で4ゴールを挙げる活躍を見せた。
Jリーグでのプレー
[編集]2009年より、Jリーグ・サンフレッチェ広島へ完全移籍した[1]。すぐに右サイドのレギュラーに定着、同シーズンリーグ4位に貢献[2]、加入以降は怪我による離脱はあったが、右サイドのレギュラーを確保し続け、2012年、2013年のJ1連覇、2015年のリーグ制覇に中心プレーヤーとして重要な役割を果たした[3]。
2010年8月28日のモンテディオ山形戦で移籍後初ゴールととなる決勝ゴールを決めた[4][5]。
上記のクラブ遍歴を経て選んだJリーグのレベルを高く評価する一方で、日本人選手の安易な海外志向に疑問を呈している[6]。
2014年には在籍が6年目を迎え、1993-1997年の5年間在籍した盧廷潤を越えて、広島の外国籍選手では史上最長在籍の選手となっていた。2017年5月14日のセレッソ大阪戦では試合には敗れたが、現役最後となるゴールを決めた[7]。 2017年を以て契約満了により広島を退団[8]。
2018年より、湘南ベルマーレに移籍[9]。シーズン終了後に退団を発表した。
湘南退団後は、現役を続けるためオファーを待ったが、オファーは届かず、2019年4月18日に現役引退を発表した[10]。J1通算227試合8ゴールの成績を残した[5]。
代表
[編集]1997年に、アイルランドで開催されたUEFA U-19欧州選手権の対北アイルランド戦で、17歳でU-19代表デビュー。同大会では3試合に出場し1得点を挙げた。翌年のキプロス大会にも出場し、クロアチアの中心選手として4試合で3得点の活躍。チームの3位に 貢献した。1999年のスウェーデン大会にも3大会連続で出場し、4試合で1得点を挙げている。
U-19での最後の国際試合を勝利で終えた後、1999年にナイジェリアで行われたFIFAワールドユースにおいてU-20代表デビュー。チームの全4試合に出場し、ベスト16の成績を挙げた。ここから1999年末までに開催されたUEFA U-21欧州選手権予選では5試合に出場して3得点を挙げた。2000年の本大会に出場を果たすも、グループステージ敗退。以降も2001年までU-21代表でのプレーを続け、6試合で3得点を挙げている。
人物
[編集]現在はサイドプレイヤーとしての起用が最も多いが、過去には攻撃的ミッドフィルダー、ストライカーとしてもプレーした経験がある(上記来歴参照)。
妻のリュプカ・ゴイッチ(en:Ljupka Gojić)は、ジバンシィに所属するクロアチアのファッションモデル。
母国への帰還後は、首都ザグレブでカフェを経営している[3]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
クロアチア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1996-97 | ザプレシッチ | 1.HNL | 25 | 5 | |||||||
1997-98 | クロアチア・ザグレブ/ ディナモ・ザグレブ |
5 | 2 | ||||||||
1998-99 | 15 | 6 | |||||||||
1999-00 | 26 | 6 | |||||||||
2000-01 | 28 | 3 | |||||||||
2001-02 | 25 | 3 | |||||||||
2002-03 | 28 | 3 | |||||||||
2003-04 | 17 | 1 | |||||||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2004-05 | カイザースラウテルン | 14 | ブンデス | 6 | 0 | - | 2 | 0 | 8 | 0 | |
2005-06 | 20 | 0 | - | 1 | 0 | 21 | 0 | ||||
クロアチア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2006-07 | リエカ | 1.HNL | 14 | 0 | |||||||
ディナモ・ザグレブ | 14 | 10 | 3 | ||||||||
2007-08 | 21 | 1 | |||||||||
2008-09 | 15 | 0 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | 広島 | 14 | J1 | 25 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 30 | 0 |
2010 | 16 | 1 | 4 | 0 | 2 | 1 | 22 | 2 | |||
2011 | 31 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 33 | 2 | |||
2012 | 28 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 29 | 0 | |||
2013 | 29 | 2 | 2 | 0 | 4 | 0 | 35 | 2 | |||
2014 | 20 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 23 | 0 | |||
2015 | 31 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 34 | 1 | |||
2016 | 27 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 29 | 1 | |||
2017 | 14 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 15 | 1 | |||
2018 | 湘南 | 41 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | |
通算 | クロアチア | 1部 | 229 | 35 | |||||||
ドイツ | 1部 | 26 | 0 | - | 3 | 0 | 29 | 0 | |||
日本 | J1 | 227 | 8 | 18 | 0 | 11 | 1 | 256 | 9 | ||
総通算 | 482 | 43 |
その他の公式戦
- 2014年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2015年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2016年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
UEFA | UEFA EL | CL予選 | UEFA CL | クラブW杯 | ||||||
1998-99 | クロアチア・ザグレブ/ ディナモ・ザグレブ |
3 | 1 | - | ||||||
1999-00 | 5 | 1 | - | |||||||
2003-04 | 2 | 0 | - | |||||||
2007-08 | 1 | 0 | 3 | 0 | - | |||||
2008-09 | 6 | 0 | 6 | 0 | - | |||||
AFC | ACL | - | - | クラブW杯 | ||||||
2010 | 広島 | 14 | 0 | 0 | - | - | - | |||
2012 | - | - | - | 2 | 0 | |||||
2013 | 2 | 0 | - | - | - | |||||
2014 | 4 | 0 | - | - | - | |||||
2015 | - | - | - | 3 | 0 | |||||
2016 | 1 | 0 | - | - | - | |||||
通算 | UEFA | 7 | 0 | 11 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | |
通算 | AFC | 7 | 0 | - | - | 5 | 0 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- ディナモ・ザグレブ
- プルヴァHNL:6回(1997-98、1998-99、1999-00、2002-03、2006-07、2007-08)
- クロアチアカップ:5回(1998年、2001年、2002年、2007年、2008年)
- クロアチアスーパーカップ:2回(2002年、2003年)
- サンフレッチェ広島
- Jリーグ ディビジョン1:3回(2012年、2013年、2015年)
- ゼロックススーパーカップ:3回(2013年、2014年、2016年)
- 湘南ベルマーレ
代表歴
[編集]- U-19クロアチア代表
- U-20クロアチア代表
- 1999年 - FIFAワールドユース
- U-21クロアチア代表
- 2000年 - UEFA U-21欧州選手権
脚注
[編集]- ^ サンフレッチェ広島公式 (2008年12月26日). “ミハエル・ミキッチ選手 加入のお知らせ”. 2010年1月26日閲覧。
- ^ 中国新聞 (2010年1月7日). “ストヤノフとミキッチ、残留合意 2人ともけがは回復”. 2010年1月26日閲覧。
- ^ a b “サンフレッチェ広島、歴代最強外国籍選手5人。ハシェック、ストヤノフ、ミキッチ…親日家たちと歩んできた歴史”. www.footballchannel. 2010年1月26日閲覧。
- ^ “2010Jリーグ ディビジョン1 第21節”. data.j-league. 2010年1月26日閲覧。
- ^ a b “ミキッチ”. data.j-league. 2010年1月26日閲覧。
- ^ 安易な海外移籍決断に異を唱える、広島・ミキッチのJリーグ主義。 -NumberWeb: 2012年4月10日
- ^ “2017明治安田生命J1リーグ 第11節”. data.j-league. 2010年1月26日閲覧。
- ^ ミキッチ選手 来シーズンの契約について サンフレッチェ広島 2017年11月13日(2017年12月21日閲覧)
- ^ ミハエル ミキッチ選手 サンフレッチェ広島より完全移籍加入のお知らせ 湘南ベルマーレ 2017年12月29日(2017年12月29日閲覧)
- ^ Jリーグ在籍10年のミキッチが現役引退「日本でプレーしたことは人生最大の喜び」 サッカーキング 2019年4月18日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ミハエル・ミキッチ - Soccerway.com
- ミハエル・ミキッチ - FootballDatabase.eu
- ミハエル・ミキッチ - WorldFootball.net
- ミハエル・ミキッチ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ミハエル・ミキッチ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ミハエル・ミキッチ - FIFA主催大会成績
- ミハエル・ミキッチ - J.League Data Siteによる選手データ
- ミハエル・ミキッチ - クロアチアサッカー連盟
- ミハエル・ミキッチ - playmakerstats.com
- ミハエル・ミキッチ - AS.com
- サンフレッチェ広島F.Cによる公式プロフィール
- プロフィール - ウェイバックマシン(2009年8月20日アーカイブ分)(Nogometni Magazin、クロアチア語)