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江南南サッカー少年団の主力選手として[[2003年]]の第27回[[全日本少年サッカー大会]]で優勝に貢献。その同年に行われた[[全日本少年フットサル大会]]に出場、決勝では6ゴール7アシストと全ゴールに絡む活躍で兵庫FCを圧倒し優勝二冠を手にした。中学進学と共に[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]ジュニアユースに所属。その後、飛び級でユースに昇格した。 |
江南南サッカー少年団の主力選手として[[2003年]]の第27回[[全日本少年サッカー大会]]で優勝に貢献。その同年に行われた[[全日本少年フットサル大会]]に出場、決勝では6ゴール7アシストと全ゴールに絡む活躍で兵庫FCを圧倒し優勝二冠を手にした。中学進学と共に[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]ジュニアユースに所属。その後、飛び級でユースに昇格した。 |
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ユースチーム昇格1年目から[[Jサテライトリーグ|サテライト]]の試合に出場(2007年は4試合、2008年は2試合)。トップチームへの登録がスポーツ新聞で取りざたされたり、浦和の提携先である[[バイエルン・ミュンヘン]]から練習生としての2年間オファーを受けるなど、動向が注目されていたが、[[2008年のJリーグ|2008年]][[5月23日]]付けで[[2種登録選手]]としてトップ登録された<ref>[http://www.urawa-reds.co.jp/tools/cgi-bin/view_news.cgi?action=view&nid=3967 レッズユース、原口元気をトップ登録]</ref>。そして、[[5月25日]]の[[2008年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]、対[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]戦で公式戦デビューを飾った。これは、バイエルンのオファーに危機感を持ったフロントの意向もあったとされる<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2009/text/200903180011-spnavi.html 若き才能・原口元気が覚醒する日]</ref>。[[10月13日]]、[[高円宮杯第19回全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会|高円宮杯U-18]]決勝の、対[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパスU-18]]戦に出場。1得点2アシストを挙げ、優勝に貢献した。また、[[AFC U-19選手権2008]]に出場する[[U-20サッカー日本代表|U-19日本代表]]に選出され、1試合に出場している。ユース時代は主に3トップの左ウィングとして起用されていた。 |
ユースチーム昇格1年目から[[Jサテライトリーグ|サテライト]]の試合に出場(2007年は4試合、2008年は2試合)。トップチームへの登録がスポーツ新聞で取りざたされたり、浦和の提携先である[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]から練習生としての2年間オファーを受けるなど、動向が注目されていたが、[[2008年のJリーグ|2008年]][[5月23日]]付けで[[2種登録選手]]としてトップ登録された<ref>[http://www.urawa-reds.co.jp/tools/cgi-bin/view_news.cgi?action=view&nid=3967 レッズユース、原口元気をトップ登録]</ref>。そして、[[5月25日]]の[[2008年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]、対[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]戦で公式戦デビューを飾った。これは、バイエルンのオファーに危機感を持ったフロントの意向もあったとされる<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2009/text/200903180011-spnavi.html 若き才能・原口元気が覚醒する日]</ref>。[[10月13日]]、[[高円宮杯第19回全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会|高円宮杯U-18]]決勝の、対[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパスU-18]]戦に出場。1得点2アシストを挙げ、優勝に貢献した。また、[[AFC U-19選手権2008]]に出場する[[U-20サッカー日本代表|U-19日本代表]]に選出され、1試合に出場している。ユース時代は主に3トップの左ウィングとして起用されていた。 |
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=== 浦和レッズ === |
=== 浦和レッズ === |
2017年8月29日 (火) 09:54時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | 酸素タンク、ゲンキ | |||||
カタカナ | ハラグチ ゲンキ | |||||
ラテン文字 | HARAGUCHI Genki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1991年5月9日(33歳) | |||||
出身地 | 埼玉県熊谷市 | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ヘルタ・ベルリン | |||||
ポジション | FW / MF / DF | |||||
背番号 | 24 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2004-2006 | 浦和レッズジュニアユース | |||||
2007-2009 | 浦和レッズユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009-2014 | 浦和レッズ | 167 | (33) | |||
2014- | ヘルタ・ベルリン | 84 | (4) | |||
代表歴2 | ||||||
2011- | 日本 | 24 | (6) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月21日現在。 2. 2017年6月13日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
原口 元気(はらぐち げんき、1991年5月9日 - )は、埼玉県熊谷市出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー、ディフェンダー。日本代表。ブンデスリーガ・ヘルタ・ベルリン所属。 妻はタレントの香屋ルリコ。
来歴
プロ入り前
江南南サッカー少年団の主力選手として2003年の第27回全日本少年サッカー大会で優勝に貢献。その同年に行われた全日本少年フットサル大会に出場、決勝では6ゴール7アシストと全ゴールに絡む活躍で兵庫FCを圧倒し優勝二冠を手にした。中学進学と共に浦和レッズジュニアユースに所属。その後、飛び級でユースに昇格した。
ユースチーム昇格1年目からサテライトの試合に出場(2007年は4試合、2008年は2試合)。トップチームへの登録がスポーツ新聞で取りざたされたり、浦和の提携先であるバイエルン・ミュンヘンから練習生としての2年間オファーを受けるなど、動向が注目されていたが、2008年5月23日付けで2種登録選手としてトップ登録された[1]。そして、5月25日のナビスコカップ、対名古屋戦で公式戦デビューを飾った。これは、バイエルンのオファーに危機感を持ったフロントの意向もあったとされる[2]。10月13日、高円宮杯U-18決勝の、対名古屋グランパスU-18戦に出場。1得点2アシストを挙げ、優勝に貢献した。また、AFC U-19選手権2008に出場するU-19日本代表に選出され、1試合に出場している。ユース時代は主に3トップの左ウィングとして起用されていた。
浦和レッズ
2009年1月30日に浦和とプロ契約を締結[3]。これは日本人でクラブ史上最年少である(エスクデロは17歳ちょうどで契約したが、その時はまだ日本に帰化前)。2009年シーズンは、開幕戦の3月7日対鹿島戦でスタメンを飾りJリーグ初出場を果たすと、4月12日第5節名古屋戦において、負傷した田中達也と交代で途中出場。クラブ日本人最年少ゴール(17歳11ヶ月3日)を決めた。その後、田中や梅崎司を怪我で欠くチーム事情もあり、スタメンに定着し、チーム2位となる32試合に出場した(1位は、全34試合に出場した阿部勇樹)。4月27日にはリーグ史上4番目の若さ(森本貴幸、阿部勇樹、稲本潤一に次ぐ)でA契約を結んだ。推定年俸は700万円。
2010年は開幕からしばらくは攻撃的なポジションの選手の層が厚かった影響で、途中出場が多かったが、第10節の名古屋戦で負傷した田中達也との交代で途中出場し今季初ゴールとなる決勝点を記録[4]。その後は故障者が多かったこともあり、スタメン出場も増えていったが、終盤戦は故障者の負傷が癒え好調を維持していた高橋峻希にスタメンの座を譲ることが多くなり、ベンチを暖めることが多かった。
2011年は開幕からレギュラーに定着し、低迷するチームの中でコンスタントに得点を重ねる。この年、チームが残留争いに巻き込まれる中、後半戦は代表招集やほとんどの試合をフル出場する中でコンディションを落としてあまり目立った活躍はできなかったものの、リーグ戦トータルではチームトップの9得点を挙げ、ナビスコカップニューヒーロー賞を受賞した。
2012年はベンチスタートが多かったがJ1第14節ガンバ大阪戦からスタメンに定着する。不慣れな1トップでの起用が多く、公式戦6得点に終わる。2013年は主にシャドーの位置で出場、初めてリーグ戦で2桁得点を記録。2014年からは背番号「9」を背負うことになった[5]。
ヘルタ・ベルリン
2014年5月25日、ドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンへ完全移籍することが発表された[6]。契約期間は2014年6月から4年間。公式戦デビューとなったDFBポカール1回戦のSCフォルトゥナ・ケルン戦で、左MFに先発して移籍後初ゴールを挙げた。8月24日のブンデスリーガ開幕節ヴェルダー・ブレーメン戦でスタメン出場し、2得点に絡む活躍を見せた[7] が、終了間際に相手からのタックルにより右肩関節を負傷し、3週間の離脱となってしまった[8]。2015年3月14日、ブンデスリーガ第25節シャルケ04戦に途中出場し、ブンデスリーガ初ゴールを上げた。また、リーグ戦終盤にかけて監督の信頼を勝ち取り、献身的な動きでサイドのレギュラーを獲得した[9]。
2015-16年、第4節のVfBシュトゥットガルト戦で今シーズン初得点をあげた。2016年3月19日、第27節のFCインゴルシュタット04では1得点1アシストの活躍を見せてマン・オブ・ザ・マッチに選出された。
2016-17年、第2節のFCインゴルシュタット04戦で先発出場し、2アシストの活躍でマン・オブ・ザ・マッチに選出された。2月4日、第19節のFCインゴルシュタット04戦では開始59秒でシーズン初得点を決めた。
日本代表
ロンドンオリンピックを目指すU-23日本代表の予選では活躍するも本大会メンバーからは落選した。
2011年10月7日のキリンチャレンジカップ・ベトナム戦でA代表デビューを果たす。2015年6月、約2年ぶりに日本代表に招集され、6月11日に行われたイラク戦で日本代表初ゴールを決めた。
2016年3月29日、W杯2次予選のシリア代表戦ではボランチで起用されて1得点を決めて結果を出した。W杯最終予選ではタイ戦、イラク戦、オーストラリア戦、サウジアラビア戦で連続ゴールを決め、三浦知良や呂比須ワグナーの記録を塗り替えるW杯最終予選としては史上初となる4試合連続得点を記録した[10]。
所属クラブ
- ユース経歴
- 江南南サッカー少年団
- 2004年 - 2006年 浦和レッズジュニアユース
- 2007年 - 2009年1月 浦和レッズユース
- 2008年 浦和レッズ (2種登録)
- プロ経歴
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 浦和 | 35 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2009 | 24 | 32 | 1 | 6 | 1 | 1 | 0 | 39 | 2 | ||
2010 | 26 | 2 | 6 | 0 | 2 | 2 | 34 | 4 | |||
2011 | 30 | 9 | 4 | 2 | 1 | 0 | 35 | 11 | |||
2012 | 32 | 6 | 4 | 0 | 1 | 0 | 37 | 6 | |||
2013 | 33 | 11 | 4 | 0 | 0 | 0 | 37 | 11 | |||
2014 | 9 | 14 | 4 | 3 | 0 | - | 17 | 4 | |||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2014-15 | ヘルタ・ベルリン | 24 | ブンデス1部 | 21 | 1 | - | 2 | 1 | 23 | 2 | |
2015-16 | 32 | 2 | - | 5 | 1 | 37 | 3 | ||||
2016-17 | 31 | 1 | - | 2 | 0 | 33 | 1 | ||||
2017-18 | - | ||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 167 | 33 | 28 | 3 | 5 | 2 | 200 | 38 | |
ドイツ | ブンデス1部 | 84 | 4 | - | 9 | 2 | 93 | 6 | |||
総通算 | 251 | 37 | 28 | 3 | 14 | 4 | 256 | 41 |
- 2008年は2種登録選手。
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2013 | 浦和 | 24 | 4 | 2 |
通算 | AFC | 4 | 2 |
- 出場歴
- 公式戦初ベンチ: 2008年5月25日 ナビスコカップ第4節 vs名古屋グランパスエイト戦 (豊田スタジアム)
- 公式戦初出場: 公式戦初ベンチと同
- 公式戦初得点: 2009年4月12日 J1第5節 vs名古屋グランパスエイト戦 (豊田スタジアム)
- Jリーグ初ベンチ: 2009年3月7日 J1第1節 vs鹿島アントラーズ戦 (カシマスタジアム)
- Jリーグ初出場: Jリーグ初ベンチと同
- Jリーグ初得点: 公式戦初得点と同
タイトル
クラブ
- 江南南サッカー少年団
- 全日本少年サッカー大会:1回(2003年)
- 全日本少年フットサル大会:1回(2003年)
- 浦和レッズジュニアユース
- 日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会:1回(2005年)
- 高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会:1回(2005年)
- 浦和レッズユース
代表
個人
代表・選抜歴
出場大会
- U-16日本代表
- U-18日本代表
- U-19日本代表
- AFC U-19選手権2008 (1試合0得点)
- U-20日本代表
- Jリーグ TEAM AS ONE (2011年、Jリーグ選抜)
- U-22日本代表
- U-23日本代表
- ロンドン五輪サッカー日本代表 予備登録メンバー
- 日本代表
- AFCアジアカップ2011予備登録メンバー(2011年)
- 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選(2011年)
- 東アジアカップ2013(2013年)
- キリンチャレンジカップ2015(2015年)
- 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選(2015年)
- キリンカップサッカー2016(2016年)
- 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選(2016年)
試合数
- 国際Aマッチ 24試合 6得点 (2011年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2011 | 1 | 0 |
2013 | 2 | 0 |
2015 | 8 | 1 |
2016 | 9 | 5 |
2017 | 4 | 0 |
通算 | 24 | 6 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2015年6月11日 | 日本、横浜 | イラク | ○4-0 | キリンチャレンジカップ2015 |
2. | 2016年3月29日 | 日本、埼玉 | シリア | ○5-0 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
3. | 2016年9月6日 | タイ、バンコク | タイ | ○2-0 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
4. | 2016年10月6日 | 日本、埼玉 | イラク | ○2-1 | |
5. | 2016年10月12日 | オーストラリア、メルボルン | オーストラリア | △1-1 | |
6. | 2016年11月15日 | 日本、埼玉 | サウジアラビア | ○2-1 |
テレビ出演
脚注
- ^ レッズユース、原口元気をトップ登録
- ^ 若き才能・原口元気が覚醒する日
- ^ 原口元気(浦和レッズユース)と契約
- ^ 浦和逆転勝ち 原口左足で押し込んだ!
- ^ ミスター・レッズの9番、原口が継承 デイリースポーツ
- ^ “浦和FW原口元気、細貝所属のヘルタへ完全移籍…渡独後正式契約”. サッカーキング (2014年5月25日). 2014年5月25日閲覧。
- ^ “元気 ブンデス初陣で存在感!絶妙パス&強烈左足で2点絡む”. スポニチ (2014年8月25日). 2014年8月25日閲覧。
- ^ “原口 右肩関節負傷で3週間離脱”. スポニチ (2014年8月25日). 2014年8月25日閲覧。
- ^ 1部残留へ。ヘルタ原口元気が信頼を勝ち得た理由 Sportiva
- ^ 原口、カズ超え歴史塗り替えた!「ゴールはおまけ」も日本代表史上初最終予選4戦連発!! ゲキサカ 2016年11月15日
- ^ “アスリートの魂「走り抜く信念 原口元気・サッカー日本代表」”. NHKオンライン. 2017年6月11日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 原口元気 公式ブログ
- Genki Haraguchi (@haragen24) - X(旧Twitter)
- 原口元気 公式Instagram