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「ミュンヘン・オリンピアシュタディオン」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
[[1971年]]、[[1972年]]に開催された[[ミュンヘンオリンピック]](当時は西ドイツ)の開催を記念してのメインスタジアムとして開場し陸上競技と開・閉会式を開いた。[[1974年]]には[[1974 FIFAワールドカップ|西ドイツW杯]]の会場となったほか、[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|サッカー・ブンデスリーガ]]・[[バイエルン・ミュンヘン]]、[[TSV1860ミュンヘン|1860ミュンヘン]]のホームスタジアムとして長年使用され、ヨーロッパ・チャンピオンを決定する試合も数多く開催されてきた。しかし陸上競技場であること、バックスタンドに屋根が架かっていないこと、スタンドの傾斜が緩いことなどからサッカー観戦には不向きであると言われていた。
[[1971年]]、[[1972年]]に開催された[[ミュンヘンオリンピック]](当時は西ドイツ)の開催を記念してのメインスタジアムとして開場し陸上競技と開・閉会式を開いた。[[1974年]]には[[1974 FIFAワールドカップ|西ドイツW杯]]の会場となったほか、[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|サッカー・ブンデスリーガ]]・[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]、[[TSV1860ミュンヘン|1860ミュンヘン]]のホームスタジアムとして長年使用され、ヨーロッパ・チャンピオンを決定する試合も数多く開催されてきた。しかし陸上競技場であること、バックスタンドに屋根が架かっていないこと、スタンドの傾斜が緩いことなどからサッカー観戦には不向きであると言われていた。


蜘蛛の巣のような屋根がかかっており、「ベドウィンのテント」という異名を取る。
蜘蛛の巣のような屋根がかかっており、「ベドウィンのテント」という異名を取る。

2017年8月29日 (火) 09:40時点における版

ミュンヘン・オリンピアシュタディオン
Olympiastadion München
施設情報
所在地 Spiridon-Louis-Ring 27
80809 München
位置 北緯48度10分23秒 東経11度32分48秒 / 北緯48.17306度 東経11.54667度 / 48.17306; 11.54667座標: 北緯48度10分23秒 東経11度32分48秒 / 北緯48.17306度 東経11.54667度 / 48.17306; 11.54667
起工 1968年
開場 1972年5月26日
運用者 Olympiapark Munich GmbH
グラウンド 天然芝
ピッチサイズ 68 x 105 m
建設費 1億3700万マルク
設計者 ギュンター・ベーニッシュ
フライ・オットー
使用チーム、大会
バイエルン・ミュンヘン (1972-2005)
1860ミュンヘン (1972-2005)
ミュンヘンオリンピック
1974 FIFAワールドカップ
収容人員
69,250人[1]

ミュンヘン・オリンピアシュタディオンOlympiastadion München)は、ドイツバイエルン州ミュンヘンにある陸上競技場。世界でも数少ない夏季オリンピックのメインスタジアムとワールドカップ決勝戦を両方経験したスタジアムである。建築家ギュンター・ベーニッシュ(Günter Behnisch)と構造家フライ・オットーの設計。

概要

1971年1972年に開催されたミュンヘンオリンピック(当時は西ドイツ)の開催を記念してのメインスタジアムとして開場し陸上競技と開・閉会式を開いた。1974年には西ドイツW杯の会場となったほか、サッカー・ブンデスリーガバイエルン・ミュンヘン1860ミュンヘンのホームスタジアムとして長年使用され、ヨーロッパ・チャンピオンを決定する試合も数多く開催されてきた。しかし陸上競技場であること、バックスタンドに屋根が架かっていないこと、スタンドの傾斜が緩いことなどからサッカー観戦には不向きであると言われていた。

蜘蛛の巣のような屋根がかかっており、「ベドウィンのテント」という異名を取る。

2005年2006年ドイツW杯の会場としてアリアンツ・アレーナ(球技専用)が完成したため、2006年ドイツW杯会場とバイエルン・ミュンヘン、1860ミュンヘンのホームグラウンドの座を明け渡した。収容人員は69250人。[1]

またサッカー以外にもコンサートの開催をはじめ、陸上競技会、レッドブル・クラッシュドアイスDTMの非公式レース、2006年大晦日にはツール・ド・スキーも開催された。

オリンピアシュタディオンのパノラマ画像

脚注

  1. ^ a b Daten

外部リンク