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== 人物像 ==
== 人物像 ==
・子供時代は劇団に籍を置きながらも、家庭ではテレビや映画を禁じられ古風に育った。唯一許されたのが舞台観劇であり、度々連れて行かれた芝居でたまたまオ―ディションを見つけ、受けたことが芸能界入りのきっかけとなった。
・小学校低学年で観劇した[[帝国劇場|帝劇]]「[[レ・ミゼラブル]]」に感銘を受けて芸能界入り。 映画はおろかテレビにも馴染みの無い家庭で古風な両親のもとに育った。その為、オーディション合格は認められず、学業優先を常としていたが、学校での苛めが酷かったため入団を許される。


・16才で映画監督志望役者兼アシスタントプロデューサーと婚約。宗教と映画監督ジョン・カサヴェテスに傾倒していた配偶者の影響で自らも監督を志し、女優としての仕事をす一方、現場で映画論を振りかざ芸術家気取りの扱い難い人材へ変わった事がその後を左右する。10年後に破局。
・16歳の時、駆け出しのアシスタントプロデューサーと婚約。当時、[[河瀬直美]]監督の助手を務めていた配偶者の影響は少なかず、その女優人生を厳しいのへと変えた。 映画監督を志し『自分作品以外出ないでほしい』とメジャーな仕事を若い時分殆ど断所属事務所に変わって仕事を選ぶよう仕向けるのも時間の問題であった。以降、本人も度々現場で映画論を振りかざすようになり、芸術家気取りの頭でっかちな役者った。10年後に破局。


・足に障害をきたし、着座と歩行が困難となり役者生命を断たれてから、むしろより映画への強い執着心を見せ、精力的に制作に励むようになっている。
・生まれながらに未熟児で足の障害を抱え、引退に至るが片や、役柄に関しては極度に没頭する傾向にあった様子。2008年『[[隠し砦の三悪人]]』(六郎太([[阿部寛]])の妹)では農民役から抜擢、クランクアップと同時に自害する役どころに連ね自殺未遂している。役者と気違いとは紙一重、という言葉が当て嵌まる。


・役柄に関しては極度に没頭する傾向にあった様で、2008年『[[隠し砦の三悪人]]』(六郎太([[阿部寛]])の妹)では農民役から抜擢、クランクアップと同時に自害する役どころに連ね自殺未遂している。本人曰く、信じ込まないと演じられないタイプで、危険に晒されようが周りが引こうが体当たりしか知らず、生の感情で演じることのみ知る、テクニックを持たない子役上がりならではである。その後、制作に回ったことは、むしろ本人と周囲のためであったかもしれない。
・折に触れ、精を出してきた執筆活動にあたっては、作家である叔父が鼓舞したほか、親交の厚い映画作家らの影響であるといえる。


・母校[[劇団若草]]の創設者、日本で初めに児童劇団を創設した深山容子師並びに2代目・八重垣緑前社長を亡くなった現在も崇拝している。
・母校[[劇団若草]]の創設者、日本で初めに児童劇団を創設した深山容子師並びに2代目・八重垣緑前社長を亡くなった現在も崇拝している。

・折に触れ、精を出してきた執筆活動にあたっては、作家である叔父が鼓舞したほか、親交の厚い映画作家らの影響であるといえる。


== 主な出演作品 ==
== 主な出演作品 ==

2017年2月17日 (金) 14:30時点における版

坂野 友香(さかの ゆか、1979年10月17日 - )は東京都劇団若草出身の俳優。家族構成は、2010年参院選に出馬した実姉の坂野真理(松下政経塾第26期生)、祖父に坂野重信国家公安委員長(自由民主党)、兄に鳥取県議会議員坂野経三郎(民主党)。

来歴

モデルから「芸術座」で初舞台、『大岡越前 』蛍役、平成版『ガメラ 』シリーズ雪乃役で注目を浴びる。過渡期に伸び悩み、17才で「大岡越前第15部」レギュラーNHK金曜時代劇レギュラー 、同じくNHK春燈」(1989年、「」「」三部作・松たか子)全てを降板、「ガメラ3 邪神覚醒」出演取消と共に表舞台から姿を消す。復帰と共に芸名を、さかのともか、桜井友香(ゆうか)、櫻井ゆか、と立て続けに改名している。引退から数年後、自らエキストラ会社に登録し端役としてやり直すが、マネージャーへ転職。退職後、映画デビュー作「明子のハードル」(1993年、神山征二郎監督)で助監督を務めた「相棒」シリーズの近藤俊明監督による映画長編製作に企画として携わるなどし、2015年にテレ東ADを経、制作事務所を立ち上げる。

人物像

・子供時代は劇団に籍を置きながらも、家庭ではテレビや映画を禁じられ古風に育った。唯一許されたのが舞台観劇であり、度々連れて行かれた芝居でたまたまオ―ディションを見つけ、受けたことが芸能界入りのきっかけとなった。

・16歳の時、駆け出しのアシスタントプロデューサーと婚約。当時、河瀬直美監督の助手を務めていた配偶者の影響は少なからず、その女優人生を厳しいものへと変えた。 映画監督を志し『自分の作品以外出ないでほしい』とメジャーな仕事を若い時分殆ど断らせ、所属事務所に変わって仕事を選ぶよう仕向けるのも時間の問題であった。以降、本人も度々現場で映画論を振りかざすようになり、芸術家気取りの頭でっかちな役者となった。10年後に破局。

・足に障害をきたし、着座と歩行が困難となり役者生命を断たれてから、むしろより映画への強い執着心を見せ、精力的に制作に励むようになっている。

・役柄に関しては極度に没頭する傾向にあった様で、2008年『隠し砦の三悪人』(六郎太(阿部寛)の妹)では農民役から抜擢、クランクアップと同時に自害する役どころに連ね自殺未遂している。本人曰く、信じ込まないと演じられないタイプで、危険に晒されようが周りが引こうが体当たりしか知らず、生の感情で演じることのみ知る、テクニックを持たない子役上がりならではである。その後、制作に回ったことは、むしろ本人と周囲のためであったかもしれない。

・母校劇団若草の創設者、日本で初めに児童劇団を創設した深山容子師並びに2代目・八重垣緑前社長を亡くなった現在も崇拝している。

・折に触れ、精を出してきた執筆活動にあたっては、作家である叔父が鼓舞したほか、親交の厚い映画作家らの影響であるといえる。

主な出演作品

テレビドラマ

櫻井ゆか

坂野友香

特撮

ラジオ

雑誌

映画

CM

  • 学研マイコーチ
  • SEGAポケットトーク
  • グリコアーモンドチョコレート
  • SEGAフェリエ
  • 中古車情報誌Goo(1998年)
  • トライグループ 家庭教師のトライ
  • 資生堂フェルゼア(2004年)
  • AIU保険(2006年)
  • Docomo「ファミリー割引」(2006年)
  • 富士フイルム(2007年)
  • サラリーマン金太郎(2009年)
  • NEC Lavie(2009年)
  • 全宅連 宅建協会(2007年)
  • ヘルシーホーム(2012年)
  • KEIRIN 00(2013年)

監督作品

  • Les deux côtés maintenant(2004年、日本)
  • Nuage et ciel(2005年、仏) 
  • MeMe~13年の軌跡~光と影(2016年、197分、documentary)
  • 長い間(2017年、Short Film 3分)
  • 時と次第によって(2017年、Short Film 15分)
  • 事の顛末(相沢Production、英)

受賞歴

  • 芸術選奨自治大臣賞「明子のハードル」(1993年)

外部リンク