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「ピーター・ウィアー」の版間の差分

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| 配偶者 = Wendy Stites (1966-)
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== 略歴 ==
== 略歴 ==
1944年、[[オーストラリア]]、[[シドニー]]で生まれる。父は不動産業者<ref>[http://thehollywoodinterview.blogspot.jp/2008/03/peter-weir-hollywood-interview.html Peter Weir: The Hollywood Interview] - The Hollywood Interview(2017年2月10日閲覧)</ref>。
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[[シドニー大学]]で法律と芸術を学んでいたが中退した。1960年代半ばからシドニーのテレビ局[[w:ATN-7|ATN-7]]で働き、[[コメディ]]番組のアシスタントを務め<ref name="w:Peter Weir">[[w:Peter Weir|Peter Weir]] - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)</ref>


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4回[[アカデミー監督賞]]にノミネートされているが、いまだ受賞には至っていない。
CFUを去った後、ウィアーは1971年に初の短編映画『''[[w:Homesdale|Homesdale]]''』というホラー・コメディ映画を製作する。その後、1974年には長編映画『{{仮リンク|キラーカーズ/パリを食べた車|en|The Cars That Ate Paris}}』の監督・脚本を行い、メジャーデビューを果たした<ref name="w:Peter Weir"/>。

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なお、過去4回[[アカデミー監督賞]]にノミネートされているが、2017年現在いまだ受賞には至っていない<ref name="IMDb Award"/>

== 私生活 ==
1966年に、[[衣装デザイナー]]の{{仮リンク|ウエンディ・スタイツ|en|Wendy Stites}}と結婚した<ref>[[w:Wendy Stites|Wendy Stites]] - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)</ref>。その後1972年に長女イングリッド、1976年に次女ジュリアンが生まれ、娘が2人いる<ref name="w:Peter Weir"/>。

妻ウェンディは、ウィアー監督の映画『[[誓い (映画)|誓い]]』『[[危険な年]]』などに衣装デザイナーとして参加している<ref name="Wendy Stites IMDb">[http://www.imdb.com/name/nm0830594/awards?ref_=nm_ql_2 Wendy Stites Awards] - [[IMDb]](2017年2月10日閲覧)</ref>。『[[マスター・アンド・コマンダー]]』では、2004年の[[アカデミー賞]]衣装デザイナー部門にノミネートされ、また同年の[[英国アカデミー賞]]衣装デザイナー賞を受賞した<ref name="Wendy Stites IMDb"/>。

長女イングリッド・ウィアーも母と同じ道を進み、衣装デザイナー、[[プロダクションデザイナー]]([[美術監督]])として、おもにオーストラリアの映画、[[テレビドラマ]]シリーズなどで活動している<ref name="Ingrid Weir IMDb">[http://www.imdb.com/name/nm0918599/?ref_=nm_ov_bio_lk1 Ingrid Weir] - [[IMDb]](2017年2月10日閲覧)</ref>。また彼女が5歳の時、父の監督作品『{{仮リンク|ザ・ラスト・ウェーブ|en|The Last Wave}}』に子役で出演している<ref name="Ingrid Weir IMDb"/>。


== フィルモグラフィ ==
== フィルモグラフィ ==
* ''Man on a Green Bike'' (1969)
* ''[[w:Man on a Green Bike|Man on a Green Bike]]'' (1969)
* ''Homesdale'' (1971)
* ''[[w:Homesdale|Homesdale]]'' (1971)
* [[キラーカーズ/パリを食べた車]] ''The Cars That Ate Paris'' (1974)
* {{仮リンク|キラーカーズ/パリを食べた車|en|The Cars That Ate Paris}} ''The Cars That Ate Paris'' (1974)
* [[ピクニックatハンギング・ロック]] ''Picnic at Hanging Rock'' (1975)
* [[ピクニックatハンギング・ロック]] ''Picnic at Hanging Rock'' (1975)
* ''The Last Wave'' (1977)
* {{仮リンク|ザ・ラスト・ウェーブ|en|The Last Wave}}''The Last Wave'' (1977)
* [[ザ・プラマー/恐怖の訪問者]] ''The Plumber'' (1979)
* [[ザ・プラマー/恐怖の訪問者]] ''The Plumber'' (1979)
* [[誓い (映画)|誓い]] ''Gallipoli'' (1981)
* [[誓い (映画)|誓い]] ''Gallipoli'' (1981)
* [[危険な年]] ''The Year of Living Dangerously'' (1982)
* {{仮リンク|危険な年|en|The Year of Living Dangerously (film)}} ''The Year of Living Dangerously'' (1982)
* [[刑事ジョン・ブック 目撃者]] ''Witness'' (1985) [[アカデミー監督賞]] ノミネート
* [[刑事ジョン・ブック 目撃者]] ''Witness'' (1985) [[アカデミー監督賞]] ノミネート
* [[モスキート・コースト]] ''The Mosquito Coast'' (1986)
* [[モスキート・コースト]] ''The Mosquito Coast'' (1986)

2017年2月9日 (木) 19:53時点における版

ピーター・ウィアー
Peter Weir
ピーター・ウィアー Peter Weir
本名 Peter Lindsay Weir
生年月日 (1944-08-21) 1944年8月21日(80歳)
出生地 シドニー
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
職業 映画監督、脚本家
配偶者 ウエンディ・スタイツ (1966-)
著名な家族 イングリッド・ウィアー
主な作品
いまを生きる
グリーン・カード
トゥルーマン・ショー
マスター・アンド・コマンダー
受賞
英国アカデミー賞
監督賞
1998年『トゥルーマン・ショー
2003年『マスター・アンド・コマンダー
ゴールデングローブ賞
作品賞(ミュージカル・コメディ部門)
1990年グリーン・カード
その他の賞
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ピーター・リンゼイ・ウィアーPeter Lindsay Weir1944年8月21日 - )は、オーストラリアシドニー出身の映画監督脚本家

略歴

1944年、オーストラリアシドニーで生まれる。父は不動産業者[1]シドニー大学で法律と芸術を学んでいたが中退した。1960年代半ばからシドニーのテレビ局ATN-7で働き、コメディ番組のアシスタントを務める[2]

その後、コモンウェルス・フィルム・ユニット(CFU)に移り、幾つかのドキュメンタリー番組を制作した[2]。 CFUを去った後、ウィアーは1971年に初の短編映画『Homesdale』というホラー・コメディ映画を製作する。その後、1974年には長編映画『キラーカーズ/パリを食べた車英語版』の監督・脚本を行い、メジャーデビューを果たした[2]

1981年には、ガリポリの戦いを描いた戦争映画誓い』で、若手のメル・ギブソンを主役に抜擢し、オーストラリアアカデミー賞で監督賞を受賞した。また1990年には『いまを生きる』で英国アカデミー賞を受賞している[3]

なお、過去4回アカデミー監督賞にノミネートされているが、2017年現在いまだ受賞には至っていない[3]

私生活

1966年に、衣装デザイナーウエンディ・スタイツ英語版と結婚した[4]。その後1972年に長女イングリッド、1976年に次女ジュリアンが生まれ、娘が2人いる[2]

妻ウェンディは、ウィアー監督の映画『誓い』『危険な年』などに衣装デザイナーとして参加している[5]。『マスター・アンド・コマンダー』では、2004年のアカデミー賞衣装デザイナー部門にノミネートされ、また同年の英国アカデミー賞衣装デザイナー賞を受賞した[5]

長女イングリッド・ウィアーも母と同じ道を進み、衣装デザイナー、プロダクションデザイナー美術監督)として、おもにオーストラリアの映画、テレビドラマシリーズなどで活動している[6]。また彼女が5歳の時、父の監督作品『ザ・ラスト・ウェーブ英語版』に子役で出演している[6]

フィルモグラフィ

脚注

  1. ^ Peter Weir: The Hollywood Interview - The Hollywood Interview(2017年2月10日閲覧)
  2. ^ a b c d Peter Weir - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)
  3. ^ a b Peter Weir Awards - IMDb(2017年2月10日閲覧)
  4. ^ Wendy Stites - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)
  5. ^ a b Wendy Stites Awards - IMDb(2017年2月10日閲覧)
  6. ^ a b Ingrid Weir - IMDb(2017年2月10日閲覧)

外部リンク