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{{otheruses||仏教の悟り|正覚}}
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'''菩提'''(ぼだい、[[サンスクリット]]:बोधि; bodhi)とは、[[仏教用語]]。[[草冠]]の漢字があてられているとおり、その原意は神聖な[[イチジク]]とか目覚し草といったものだが、「叡知」、「学ばれた」という形容表現があり<ref>[http://spokensanskrit.de/index.php?tinput=bodhi&direction=SE&script=HK&link=yes&beginning=0 बोधि (bodhi)] - Spoken Sanskrit Dictionary.</ref>、bodhati 「目覚める、知る」、bodha 「覚醒、知識」の原語となっている。語根 √budh は「知る」に関連し、bodhi もまたその縁語とされる。
'''菩提'''(ぼだい)とは、[[サンスクリット]]語で'''ボーディ'''(bodhi)の音写であり、「完全なる英知」あるいは「悟り」の意味である。


サンスクリット語の ボーディ(bodhi) を「菩提」ではなく「覚」と意訳する新訳も出現したが、「覚」と訳出した他のサンスクリット語が多数あるため、漢訳仏典だけでは判別しづらい<ref>『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「覺」。</ref>。なお、「草場の陰」という表現はこの菩提から生じたのではなく、本来は「草葉の陰」であるとされる。
サンスクリット語において、bodhati「目覚める、知る」、bodha「覚醒、知識」、buddhi「知恵、知識」、buddha「目覚めた人」のように、語根√budhは「知る」に関連し、bodhiもまたその縁語である。

サンスクリット語の'''ボーディ'''(bodhi)を菩提ではなく「覚」と意訳する新訳も出現したが、「覚」と訳出した他のサンスクリット語があるなどして混乱の元となった<ref>「広説佛教語大辞典 中村元著(東京書籍)」、「禅学大辞典(大修館書店)」等を参照。</ref>。


== 解説 ==
== 解説 ==
=== 菩提とは ===
=== 菩提とは ===
[[密教]]の[[経典]]である『[[大毘盧遮那成仏神変加持経]]』では「菩提とは実の如く自心を知ること」と説いている。菩提の対義語は[[煩悩]]であり、[[大乗仏教]]、とくに[[本覚思想]]等においては「[[煩悩即菩提]]」といい、煩悩(迷い)と菩提(悟り)は「'''而二不二'''(ににふに)」といって、二つであってしかも二つではないと説く。
{{要出典|菩提とは内容的には、悟りの果としての[[智慧]]のことである。この智慧は無上の悟りなので、大乗仏教では特に[[阿耨多羅三藐三菩提]](あのくたらさんみゃくさんぼだい)という。また、悟りを開いた仏の境地を表すことから、[[涅槃]]と同義と考えられた。|date=2013年12月}} しかし時代が下り、[[密教]]の[[経典]]である『[[大毘盧遮那成仏神変加持経]]』では「菩提とは実の如く自心を知ること」と説き、その意味が大きく変わっている。

菩提の対義語は[[煩悩]]である。[[大乗仏教]]、とくに[[本覚|本覚思想]]等においては「[[煩悩即菩提]]」といい、煩悩(迷い)と菩提(悟り)は「'''而二不二'''(ににふに)」といって、二つであってしかも二つではないと説く。


=== 菩提心 ===
=== 菩提心 ===
'''[[菩提心]]'''(ぼだいしん)とは、'''菩提'''(悟り)を強く求める'''こころ'''のこと。[[天台宗]]系の宗派の多くではこのときの'''心'''とは、[[一念]]のことと説いている。
'''[[菩提心]]'''(ぼだいしん)とは、菩提(悟り)を求める'''こころ'''のこと。道心。[[天台宗]]系の宗派の多くではこのときの'''心'''とは、[[一念]]のことと説いている。


=== 発菩提心 ===
=== 発菩提心 ===
'''発菩提心'''(ほつぼだいしん)とは、'''菩提'''を求める心を発(おこ)すこと。略して[[発心]](ほっしん)ともいう。悟りや智慧獲得をめざして菩薩道を歩むこと。修行を始めること。衆生が成仏を願う心こと。悟り得るための条件として第一に菩提があげられる。
'''発菩提心'''(ほつぼだいしん)とは、菩提を求める心を発(おこ)すこと。本来は[[菩薩]]十地の初地を端緒するもので、[[エクスタシー|法悦]]体験などから仏法たり、[[成仏]]を願う心を発すことを[[発心]](ほっしん)として区別する。発心[[得度]]の記述は[[古典]][[文学]]や[[日記]]によくみられる。


== 菩提を弔う ==
== 菩提を弔う ==
亡者が[[涅槃]]に向かうよう生者が[[供養]]([[回向]])すること。また先祖代々の墓所のある寺を[[菩提寺]]と呼ぶ。
亡者が[[涅槃]]または良い[[転生]]を果たすよう生者が[[供養]]([[回向]])すること。「冥福を祈る」よりあとに用いられる。先祖代々の墓所のある寺を[[菩提寺]]と呼ぶ。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Portal 仏教}}
{{Portal 仏教}}
*[[誓願|四弘誓願]]
*[[冥土]]


== 注 ==
== 注 ==

2017年2月1日 (水) 18:15時点における版

菩提(ぼだい、サンスクリット:बोधि; bodhi)とは、仏教用語草冠の漢字があてられているとおり、その原意は神聖なイチジクとか目覚し草といったものだが、「叡知」、「学ばれた」という形容表現があり[1]、bodhati 「目覚める、知る」、bodha 「覚醒、知識」の原語となっている。語根 √budh は「知る」に関連し、bodhi もまたその縁語とされる。

サンスクリット語の ボーディ(bodhi) を「菩提」ではなく「覚」と意訳する新訳も出現したが、「覚」と訳出した他のサンスクリット語が多数あるため、漢訳仏典だけでは判別しづらい[2]。なお、「草場の陰」という表現はこの菩提から生じたのではなく、本来は「草葉の陰」であるとされる。

解説

菩提とは

密教経典である『大毘盧遮那成仏神変加持経』では「菩提とは実の如く自心を知ること」と説いている。菩提の対義語は煩悩であり、大乗仏教、とくに本覚思想等においては「煩悩即菩提」といい、煩悩(迷い)と菩提(悟り)は「而二不二(ににふに)」といって、二つであってしかも二つではないと説く。

菩提心

菩提心(ぼだいしん)とは、菩提(悟り)を求めるこころのこと。道心。天台宗系の宗派の多くではこのときのとは、一念のことと説いている。

発菩提心

発菩提心(ほつぼだいしん)とは、菩提を求める心を発(おこ)すこと。本来は菩薩十地の初地を端緒とするもので、法悦体験などから仏法を求めたり、成仏を願う心を発すことを発心(ほっしん)として区別する。発心得度の記述は古典文学日記によくみられる。

菩提を弔う

亡者が涅槃または良い転生を果たすよう生者が供養回向)すること。「冥福を祈る」よりあとに用いられる。先祖代々の墓所のある寺を菩提寺と呼ぶ。

関連項目

  1. ^ बोधि (bodhi) - Spoken Sanskrit Dictionary.
  2. ^ 『仏教漢梵大辞典』 平川彰編纂 (霊友会) 「覺」。