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「日光東往還」の版間の差分

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2016年11月29日 (火) 00:39時点における版

主要カテゴリ > 技術社会歴史 > 交通 > テーマ史技術史交通史 > 各国の交通史 > 日本の交通史 > 街道 > 日光東往還
地図外部リンク
日光東往還・旧道地図
全体図 江戸時代末期の旧道筋の地図。原則として明治初期に作成された陸軍迅速側図に基づいて作成。多巧宿~日光街道合流点は、迅速側図範囲外のため、Web上の実踏調査資料を参考にした。

日光東往還(にっこうひがしおうかん)は、日光東照宮参詣の為に造られた日光街道脇往還である。水戸街道小金宿 - 我孫子宿間の追分と日光街道石橋宿 - 雀宮宿間の追分を結んでいた。

概要

日光東往還は、水戸街道小金宿我孫子宿の間、向小金より北東、かつての小金牧内、現在の柏市豊四季字新木戸(JR常磐線南柏駅付近)で分岐し、関宿結城といった城下町を経て、日光街道石橋宿雀宮宿の間、かつての河内郡茂原新田御料、現在の下野市下古山と河内郡上三川町鞘堂の境付近(JR宇都宮線宇都宮貨物ターミナル駅付近)で日光街道に合流する官道であった。その道程は2034(約82キロメートル)に及ぶ。参詣目的のほかに周辺大名の参勤交代や物資の輸送、庶民にも利用された。関宿道結城街道、結城道、多功道という名称もあったほか、江戸幕府による正式名称は関宿通多功道であった。

現在、周辺住民からは旧日光街道と呼ばれるほか久世街道、結城街道などとも呼ばれる。前述の南柏駅付近を走る国道6号には「旧日光街道入口」という交差点も存在する。

宿場

  1. 山崎宿(千葉県野田市山崎
  2. 中里宿(千葉県野田市)
  3. 関宿宿(千葉県野田市)
  4. 境宿(茨城県猿島郡境町
  5. 谷貝宿(茨城県古河市
  6. 仁連宿(茨城県古河市)
  7. 諸川宿(茨城県古河市)
  8. 武井宿(茨城県結城市
  9. 結城宿(茨城県結城市)
  10. 多功宿(栃木県河内郡上三川町

関連項目

外部リンク