「ミック・ジョーンズ (フォリナー)」の版間の差分
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2016年11月18日 (金) 08:00時点における版
ミック・ジョーンズ | |
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ミック・ジョーンズ(フォリナーのライヴにて) | |
基本情報 | |
出生名 | Michael Leslie Jones |
生誕 | 1944年12月27日 |
出身地 | イングランド、ロンドン |
ジャンル | ハードロック |
職業 | ギタリスト、ソングライター、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ギター、キーボード、ボーカル |
活動期間 | 1960年代 - |
レーベル | アトランティック・レコード |
共同作業者 |
スプーキー・トゥース フォリナー |
ミック・ジョーンズ(Mick Jones、1944年12月27日 - )は、イギリスのロックバンド、フォリナーのギタリスト。本名マイケル・レスリー・ジョーンズ。同じイギリスのギタリスト、ザ・クラッシュのミック・ジョーンズとは別人(本名のミドルネームが異なる)。
来歴
ロンドン出身[1][2]。1960年代より音楽活動を開始し、1964年にはパリでシルヴィ・ヴァルタンと共演したこともある[3]。
1970年、元スプーキー・トゥースのゲイリー・ライトと共に、Wonderwheelを結成[1]。1972年には、ピーター・フランプトンと共演。スプーキー・トゥースが、1973年に活動を再開すると、ミックも同バンドに加入し、3枚のアルバムに参加。演奏のみならず、プロデュース面でも重要な役割を果たし、また、一部楽曲のソングライティングにも関与した。この頃、ジョージ・ハリスン『ダーク・ホース』(1974年)収録曲「ディン・ドン」のレコーディングにも、ゲイリー・ライトと共に参加[4]。
スプーキー・トゥース解散後、ミックはアメリカに渡り、1976年にルー・グラムやイアン・マクドナルド等と共にフォリナーを結成。同時期にレスリー・ウェスト(元マウンテン)のアルバム『The Leslie West Band』(1976年)にも参加[5]。1977年には、フォリナーとしてのファースト・アルバム『栄光の旅立ち』を発表し、全米4位になり、以後も多くのヒット曲を発表。1970年代末期以降、フォリナーはメンバー・チェンジが相次ぐが、ミックはフォリナーの看板を守り続ける。また、1980年代中期以降、他アーティストの作品に音楽プロデューサーとして関わる。
1989年、初のソロ・アルバム『ミック・ジョーンズ』発表。同作は、カーリー・サイモンやビリー・ジョエル、ジョー・リン・ターナー、イアン・ハンターなど、多彩なゲストを迎えて制作された。また、エリック・クラプトンのヒット曲「バッド・ラヴ」(1989年のアルバム『ジャーニーマン』収録)は、エリックとミックの共作。
ディスコグラフィ
スプーキー・トゥース
- You Broke My Heart, So I Busted Your Jaw(1973年)
- Witness(1973年)
- The Mirror(1974年)
フォリナー
ソロ・アルバム
- Mick Jones(1989年)
プロデュース作品
- ヴァン・ヘイレン - 『5150』(1986年)
- バッド・カンパニー - 『フェイム・アンド・フォーチュン』(1986年)- エグゼクティヴ・プロデューサーとして関与
- ビリー・ジョエル - 『ストーム・フロント』(1989年)
- ティナ・アリーナ - 『イン・ディープ』(1997年)
脚注
外部リンク
- Foreigner::Mick Jones Biography(フォリナー公式サイト内)
- ミック・ジョーンズ - オールミュージック
- ミック・ジョーンズ - Discogs