「解脱 (ジャイナ教)」の版間の差分
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[[ニルヴァーナ (ジャイナ教)|ニルヴァーナ]]({{IAST|Nirvāṇa}})はカルマの呪縛からの究極的な解放を意味する。アルハットや[[ティールタンカラ]]のような悟りを開いた人間は自身のアガーティヤー・カルマを消去し、物質的世界における自身の存在に終わりを告げる。これがニルヴァーナである。ジャイナ教では、アルハットの死はアルハットのニルヴァーナと言われる、というのはそのアルハットは物質的世界での自身の存在を終わらせ解放に至ったからである。解脱はニルヴァーナに伴うものである。しかし、ジャイナ経典において解脱(モークシャ)という術語とニルヴァーナという術語はしばしば同じ意味のものとして使われる<ref>{{cite book | last =Jaini | first =Padmanabh | title =Collected Papers on Jaina Studies | publisher =Motilal Banarsidass Publ. | date =2000 | location =Delhi | isbn =81-208-1691-9 }}: ''"Moksa and Nirvana are synonymous in Jainism".'' p.168</ref><ref>Michael Carrithers, Caroline Humphrey (1991) ''The Assembly of listeners: Jains in society'' Cambridge University Press. ISBN |
[[ニルヴァーナ (ジャイナ教)|ニルヴァーナ]]({{IAST|Nirvāṇa}})はカルマの呪縛からの究極的な解放を意味する。アルハットや[[ティールタンカラ]]のような悟りを開いた人間は自身のアガーティヤー・カルマを消去し、物質的世界における自身の存在に終わりを告げる。これがニルヴァーナである。ジャイナ教では、アルハットの死はアルハットのニルヴァーナと言われる、というのはそのアルハットは物質的世界での自身の存在を終わらせ解放に至ったからである。解脱はニルヴァーナに伴うものである。しかし、ジャイナ経典において解脱(モークシャ)という術語とニルヴァーナという術語はしばしば同じ意味のものとして使われる<ref>{{cite book | last =Jaini | first =Padmanabh | title =Collected Papers on Jaina Studies | publisher =Motilal Banarsidass Publ. | date =2000 | location =Delhi | isbn =81-208-1691-9 }}: ''"Moksa and Nirvana are synonymous in Jainism".'' p.168</ref><ref>Michael Carrithers, Caroline Humphrey (1991) ''The Assembly of listeners: Jains in society'' Cambridge University Press. ISBN 0521365058: ''"Nirvana: A synonym for liberation, release, moksa."'' p.297</ref>。アルハットはニルヴァーナに至ったのちにシッダになる。 |
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==関連項目== |
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2016年11月15日 (火) 19:40時点における版
ジャイナ哲学 |
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祝日 |
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モークシャ(サンスクリット語: मोक्ष, Mokṣa、解脱、解放)あるいはモッカ(プラークリット : मोक्ख )は、一般に解脱と訳される。これは魂という存在にとって至福の状態であり、カルマの呪縛やサンサーラ、あるいは生と死の繰り返しといったものからの完全なる解放である。解放された魂は無限の至福、無限の知識、無限の知覚を伴った自身の真の不垢なる本性に到達するとされる。このような状態にある魂はシッダ(siddha)あるいはパラマートマン(paramātman)と呼ばれ、至高の魂とされる。ジャイナ教において、これは魂が到達しようとするべき最高の、もっとも気高い目標地点である。さらに言えば、これは人間が目指すべき唯一の目標地点である。他の目標地点は魂の真の本性に反している。正しい信念、正しい知識、正しい努力に基づけば魂はこの状態に至れる。このためにジャイナ教はモークシャマールガ(mokṣamārga)つまり「解脱への道」(解脱道)としても知られている。
概要
解脱(mokṣa)という概念は、それ自体が主体的に自身の行動を行い、その結果を享受し、責任を持っている無限にして永遠の魂の存在を前提としている。そのうえで、全ての魂は世界の物質的な活動に絡めとられ、永遠に過去からカルマに束縛され、ある存在から別の存在へと転生・再生を繰り返しているとされる。ジャイナ教によれば、全ての魂はこの繰り返される生と死の繰り返しを終わらせて解放、つまり解脱に到達できるという。
ジャイナ経典にみられる記述
サマン・スッタム(Samaṇ Suttaṁ[1])は、ニルヴァーナに関する以下の記述より成る -
ウッタラディヤーナ・スートラ[2]によって、パールシュヴァの門人のケーシにガウタマが解脱の意味を説明した様子がわかる。
あらゆる観点から見て安全だが到達しがたい場所があり、そこでは年を取ることも死ぬこともなく、苦しみもなければ病気をすることもない。ニルヴァーナ、あるいは苦痛からの解放、あるいは完全性と呼ばれている場所こそがあらゆる観点から見て安全で、幸福で、静寂な場所であり、偉大な賢者たちがそこに到達できる。そこはあらゆる観点から見て永遠の場所であるが到達しがたい。そこへ到達した賢者は悲しみから解放され、存在の流れを終わらせた。(81-4)
バーヴィヤター
しかし、解脱の達成可能性の観点から、ジャイナ経典は霊魂をバーヴィヤ(bhāvya)とアバーヴィヤ(abhāvya)の二つのカテゴリに分ける。バーヴィヤである霊魂とは解脱を信じており、そのため解脱へいたろうと努力している霊魂のことである。この可能性あるいは性質はバーヴィヤター(bhāvyatā)と呼ばれている[3]。しかしながら、バーヴィヤター自体は解脱を保証するものではない、というのも魂は解脱するためには必要な努力を尽くす必要があるからである。一方アバーヴィヤである魂とは、解脱を信じておらず解脱に至ろうと努力することがないために、解脱へ至ることができない魂のことである。
個別性の概念
ジャイナ教は解脱の後にも個別性の概念が存続することを支持する。解脱に至った魂もまだ解脱に至っていない魂も無数に存在する。解脱に至ったのちにも魂は互いに区別できる個別性を保つ。そのため、永遠・無限の至福の中にシッダ(解脱者)が無数に存在する。
シッダシーラ
ジャイナ宇宙論によれば、シッダシーラとは、シッダ(siddha、解脱者)が居住する場所である。シッダシーラは宇宙の頂に存する。
人間として生まれること
解脱は人間としての生においてのみ到達できる。神々や天上の存在であっても人間同様に転生し、解脱するためには正しい認識、正しい知識、正しい行為に従う必要がある。ジャイナ教によれば、人間として生まれることは非常に得がたい、貴重なことであり、そのため人間は賢い選択をするべきだという。
解脱への道標
魂は永遠の過去からカルマに束縛されている。解脱へいたる第一のステップはサムヤクトヴァ(samyaktva)つまり正しい認識、正しい知識、正しい行為を教え込むことである。
サムヤクトヴァ
ジャイナ教によれば、まとめてラトナトラヤ、あるいはジャイナ教の三宝としても知られているサムヤク・ダルシャナ(正しい認識)、サムヤク・ジュニャーナ(正しい知識)、サムヤク・チャリトラ(正しい行為)が真のダルマを構成している。ウマースヴァーティーによれば、正しい認識、正しい知識、正しい行為が解脱への道を構成する[4]。
サムヤク・ダルシャナ(正しい認識)は宇宙の全ての実体の真の本性に関する正しい確信である[5]。
サムヤク・ジュニャーナ(正しい知識)はタットヴァ(tattva)、つまり真実に関する真の知識を正しく知っていることである。これはアネーカーンタヴァーダつまり非絶対主義とシャードヴァーダつまり真理の相対性との二つの原理と一体となる。正しい知識は三つの瑕疵、つまり疑い、欺き、不確定性から免れていないといけない。
サムヤク・チャリトラ(正しい行為)は生きている存在(魂)の本来の行為である。これは正しい行為、戒律の順守、気遣いや自己制御を厳粛に行うことに存する[6]。 一たび魂がサムヤクトヴァ(samyaktva)を獲得すると、解脱が短い期間で得られることが保証される。
ケーヴァラ・ジュニャーナ
完全知(kevala jñāna)、つまり正見(samyak dṛṣṭi)を獲得した魂が到達できる超越的な知識の最高の形式、は「究極的な知識」、「悟り」、「全知」とも呼ばれる。ケーヴァラとは、カルマの残余を焼き払い、生と死の繰り返しから解放する禁欲的な実践を通じて獲得される、アジーヴァ(ajīva, 非命)からジーヴァ(jīva, 命)が解放された状態のことである。そのためケーヴァラ・ジュニャーナとはガーティヤー・カルマを完全に消滅させた後の魂によって得られる、自己あるいは非自己に関する無限の知識を意味する。そういったケーヴァラ・ジュニャーナを獲得した人間はケーヴァリン(kevalin)と呼ばれる。ケーヴァリンはジナ(jina, 勝利者)あるいはアルハット(arhat, 価値ある者)としても知られ、ジャイナ教徒によって最高の存在としてあがめられる。この段階に至った魂はアガーティヤー・カルマを消し去ったのち、生涯の最後に解脱に至る。
ニルヴァーナ
ニルヴァーナ(Nirvāṇa)はカルマの呪縛からの究極的な解放を意味する。アルハットやティールタンカラのような悟りを開いた人間は自身のアガーティヤー・カルマを消去し、物質的世界における自身の存在に終わりを告げる。これがニルヴァーナである。ジャイナ教では、アルハットの死はアルハットのニルヴァーナと言われる、というのはそのアルハットは物質的世界での自身の存在を終わらせ解放に至ったからである。解脱はニルヴァーナに伴うものである。しかし、ジャイナ経典において解脱(モークシャ)という術語とニルヴァーナという術語はしばしば同じ意味のものとして使われる[7][8]。アルハットはニルヴァーナに至ったのちにシッダになる。
関連項目
脚注
- ^ Varni, Jinendra; Ed. Prof. Sagarmal Jain, Translated Justice T.K. Tukol and Dr. K.K. Dixit (1993). Samaṇ Suttaṁ. New Delhi: Bhagwan Mahavir memorial Samiti
- ^ Jacobi, Hermann; Ed. F. Max Müller (1895). Uttaradhyayana Sutra, Jain Sutras Part II, Sacred Books of the East, Vol. 45. Oxford: The Clarendon Press
- ^ Jaini, Padmanabh (2000). “Chapter 5. Bhavyata and Abhavyata : A Jaina Doctrine of 'Predestination'”. Collected Papers on Jaina Studies. Delhi: Motilal Banarsidass Publ.. ISBN 81-208-1691-9
- ^ Kuhn, Hermann (2001). Karma, The Mechanism : Create Your Own Fate. Wunstorf, Germany: Crosswind Publishing. ISBN 3-9806211-4-6
- ^ Jaini, Padmanabh (1998). The Jaina Path of Purification. New Delhi: Motilal Banarsidass. ISBN 81-208-1578-5
- ^ *Varni, Jinendra; Ed. Prof. Sagarmal Jain, Translated Justice T.K. Tukol and Dr. K.K. Dixit (1993). Samaṇ Suttaṁ. New Delhi: Bhagwan Mahavir memorial Samiti Verse 262 - 4
- ^ Jaini, Padmanabh (2000). Collected Papers on Jaina Studies. Delhi: Motilal Banarsidass Publ.. ISBN 81-208-1691-9: "Moksa and Nirvana are synonymous in Jainism". p.168
- ^ Michael Carrithers, Caroline Humphrey (1991) The Assembly of listeners: Jains in society Cambridge University Press. ISBN 0521365058: "Nirvana: A synonym for liberation, release, moksa." p.297