コンテンツにスキップ

「スティーヴ・ペリー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ポップ歌手のカテゴリ修正依頼 - log
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ポップ歌手のカテゴリ修正依頼: 性別付け - log
99行目: 99行目:
{{DEFAULTSORT:へりい すていふ}}
{{DEFAULTSORT:へりい すていふ}}
[[Category:ジャーニーのメンバー]]
[[Category:ジャーニーのメンバー]]
[[Category:アメリカ合衆国のシンガーソングライター]]
[[Category:アメリカ合衆国の男性シンガーソングライター]]
[[Category:アメリカ合衆国のポップ歌手]]
[[Category:アメリカ合衆国の男性ポップ歌手]]
[[Category:アメリカ合衆国のロック歌手]]
[[Category:アメリカ合衆国の男性ロック歌手]]
[[Category:ポルトガル系アメリカ人]]
[[Category:ポルトガル系アメリカ人]]
[[Category:カリフォルニア州ハンフォード出身の人物]]
[[Category:カリフォルニア州ハンフォード出身の人物]]

2016年11月12日 (土) 01:13時点における版

スティーヴ・ペリー
ファイル:Foto di Steve Perry.jpg
基本情報
出生名 ステファン・レイ・ペリー
(Stephen Ray Perry)
生誕 (1949-01-22) 1949年1月22日(75歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ハンフォード
ジャンル ハード・ロックポップ・ロックポップ
職業 シンガーソングライター音楽プロデューサー
担当楽器 ヴォーカル、ギター、ベース、ピアノ、ドラム
活動期間 1961年-現在
レーベル コロムビア
共同作業者 ジャーニー、エイリアン・プロジェクト、USAフォー・アフリカ

ステファン・レイ・“スティーヴ”・ペリー(Stephen Ray "Steve" Perry、1949年1月22日 - )は、アメリカ歌手、ミュージシャン。ロックバンドジャーニーの元ヴォーカリスト

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第76位[1]

来歴

カリフォルニア州出身でポルトガル系。父はシンガーであり、音楽やミュージシャンに慣れ親しんで育ったが、両親の離婚後母親に引き取られたため、彼の心に深い傷となって残った。1970年代からエイリアン・プロジェクトというバンドで音楽活動を始め、メジャー・デビューを控えていたが、その直前にベーシストが事故死したことによりバンドは解散。それを機に音楽活動を諦め、その後は郷里で農業を営んでいたが、業界関係者を通じてエイリアン・プロジェクトのデモテープを耳にした、当時のジャーニーのマネージャー、ハービー・ハーバートが白羽の矢を立てた。ほどなくオーディションに合格したペリーは、ジャーニーの初代ヴォーカリスト、ロバート・フライシュマンとツアー中に入れ替わる形でバンドに加入した。

その後のジャーニーは、それまでのプログレッシブ・ロック風の音楽性をポップな方向に変えていく。加えて精力的なツアーをこなして人気の地歩を固め、1980年代前半にはバンド史上類例のない多数のヒット曲をチャートへ送り込む原動力となった。

ジャーニーが、アルバムエスケイプ』並びに『フロンティアーズ』でスターへの仲間入りを果たした後、ネームバリューを得たペリーは、1984年にソロ活動も始めた。その中でも、当時の意中であった女性への想いを歌った「Oh,シェリー」は、ソロ・デビュー・アルバム『ストリート・トーク』の人気を牽引し、一説には「アメリカで知らない人が居ない」と言わしめる程のヒット曲となった(ちなみに、時期は前後するがペリーは以前にもケニー・ロギンスネッド・ドヒニーのアルバムにゲスト参加したことがあった)。アルバム『ストリート・トーク』は、ジャーニーの楽曲とは一風異なるR&B寄りの作風で、彼独自の持ち味を広く訴求することに成功し、上述の「Oh, シェリー」の他にも「フーリッシュ・ハート」や「ストラング・アウト」などのヒット曲を生み出している。

1985年にはUSAフォー・アフリカのアルバムにも参加し、メイン曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」ではマイケル・ジャクソンレイ・チャールズスティーヴィー・ワンダーボブ・ディランポール・サイモンダイアナ・ロスブルース・スプリングスティーンライオネル・リッチーなど、数多の人気ミュージシャンと共演しつつ、新曲「モーメント・ガール」も提供している。

1986年のジャーニーのアルバム『Raised On Radio〜時を駆けて』ではプロデュースも担当するなど、ヴォーカリストに留まらない活躍を見せたが、1987年のツアー中にジャーニーを脱退。その後はしばらく表舞台から遠ざかっていたが、およそ7年の時を経て1994年にソロ・アルバム『ストレンジ・メディスン』を発表し、ファンの注目を集めた。ペリーは、このアルバムを引っ提げてツアーを行い、日本での公演も予告されていたが、退行性骨関節疾患を患いツアーを中断。療養生活の中で、彼は自身が脱退後に空中分解の状態となっていたジャーニーの再結成へ向けて可能性を模索し始め、やがてメンバーとの合流を果たす。

1996年に再結成したジャーニーの中核として、アルバム『トライアル・バイ・ファイアー』で腕を振るうが、体調は戻らず1998年に脱退を余儀なくされる。その後は、ワーナー・ブラザーズのアニメ映画『キャメロット』のオリジナルサウンドトラックにおける主題曲の競演や、2003年には映画『モンスター』のサウンドトラックのプロデュースも手掛けたほか、デヴィッド・パックの作品にゲスト・ヴォーカルとして参加している。それ以外は表立った音楽活動を殆ど行っておらず、時折ライブを行っている程度であったが、2015年12月に実に約23年ぶりとなるソロアルバムをリリースすることを表明した。

ディスコグラフィー

ジャーニー

スタジオ・アルバム

ライヴ・アルバム

  • LIVE IN HOUSTON 1981 ESCAPE TOUR/ライブ・イン・ヒューストン 1981 エスケイプツアー (2005)
  • GREATEST HITS LIVE/グレイテスト・ヒッツ・ライヴ (1998)
  • CAPTURED/ライヴ・エナジー (1981)

ベストアルバム

  • GREATEST HITS VOL.2/グレイテスト・ヒッツ VOL.2 (2011)
  • THE ESSENTIAL JOURNEY/エッセンシャル・ジャーニー (2002)
  • TIME3/TIME3 (1992)
  • GREATEST HITS/グレイテスト・ヒッツ (1988)

ベスト・アルバム(日本発売のみ)

  • OPEN ARMS~GREATEST HITS/オープン・アームズ~グレイテスト・ヒッツ (2004)
  • THE JOURNEY CONTINUES.../ザ・ジャーニー・コンティニューズ (2001)
  • JOURNEY THE BALLADE/ジャーニー・ザ・バラード (1991)

ソロ

スタジオ・アルバム

  • FOR THE LOVE OF STRANGE MEDICINE/ストレンジ・メディスン (1994)
  • STREET TALK/ストリート・トーク (1984)

ベスト・アルバム

  • THE VERY BEST OF STEVE PERRY/ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・スティーヴ・ペリー(2009)
  • GREATEST HITS + FIVE UNRELEASED/グレイテスト・ヒッツ+5 (1998)

脚注

  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Steve Perry”. 2013年5月26日閲覧。

関連項目

外部リンク