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2016年11月11日 (金) 02:06時点における版
日高 晤郎 | |
---|---|
本名 |
細谷 新吾 (ほそたに しんご) |
生年月日 | 1944年2月28日(80歳) |
出身地 | 日本・大阪府大阪市 |
血液型 | A型 |
言語 | 日本語 |
師匠 |
市川雷蔵 勝新太郎 |
事務所 | 日高エージェンシー |
活動時期 | 1961年 - |
他の活動 | ラジオ パーソナリティ |
日高 晤郎(ひだか ごろう、1944年2月28日 - )は、日本の芸人、ラジオ パーソナリティ、歌手、俳優。本名、細谷 新吾(ほそたに しんご)。旧芸名は飛鷹一、日高吾郎[1]。
大阪府大阪市西成区出身。日高エージェンシー所属。東京都在住。
略歴
1960年、16歳。コックの見習いをしながら高校に通っていた時、スポーツ新聞で見た、大映主催の「第1回ミス・ミスターフレッシュフェイスコンテスト」に応募。中学校で演劇部だった経歴を活かし、優勝を飾る。大映京都撮影所演技研究所に入所(第2期生)。
1961年、17歳の時、新人俳優「細谷新吾」を名乗り、市川雷蔵の相手役として、映画『江戸へ百七十里』でデビュー。雷蔵に才能を認められ、彼の推薦で、一時期は劇団くるみ座の毛利菊枝の下で、「特待生」として、座員と共に、演技や台詞の基礎を学んでいた[注 1]。その後、勝新太郎にも目をかけられ、二人の師匠の下で、数々の映画に出演。
1965年、「もっと活動の場を広げて修行したい」との志で、大映を退社。上京を決意。活動の場を既に斜陽となっていた映画界から、テレビ ドラマに移す。芸名を「飛鷹 一」(ひだか はじめ)に改名[2]。日高の固い意志を理解し、上京に猛反対する日高の養父に土下座し、説得したのは他でもない勝だった。雷蔵も、自分の映画に準主役級の役を用意していたところでの報せで、残念がる一方、「確かに、お前にここは狭すぎる」と理解を示した。こうして上京を果たすが、当然、満足に仕事にはありつけず、この頃から弾き語りやクラブのボーイなどで日銭を稼ぎ、食い繋ぐ生活となる。後年、現在でもディナーショーなどで披露しているフラメンコ ギターはこの頃に学んだものである。雷蔵を安心させようと「某局のプロデューサーから目をかけてもらった」などと嘘の手紙を書いていたが、当の雷蔵は周囲の後輩俳優に「新吾は偉いやっちゃなぁ。毎月、こうして手紙をくれるが、喰えていない事くらい俺にもわかる、しかし喰えない時に、こうして見栄を貼れるというのは立派なもんや。見栄があるから保っていられるんや」と話し、しっかり見抜きながら、その姿勢を褒めていたという。
1967年、23歳。クラウンレコードから『流れ者小唄 (B面:東京阿呆鳥)』で、歌手デビュー。「飛鷹だと読みにくい」との理由で付けられた芸名が「日高吾郎」で、現在の芸名となる(のちに晤郎と改名)。以後、3年間で、LPを含め、10枚のレコードを発売。
1969年7月17日、役者としての日高を認め、支えた師匠 市川雷蔵が死去。その訃報を「歌手」として、地方のキャンペーン先で知らされる。「役者」でなく「歌手」として、師匠の死を知ることとなった事に大きな衝撃を受け、これを契機に、レコード歌手から挫折。その後は俳優としてテレビドラマの出演、ワイドショーのレポーター。声優として、洋画の吹き替えやラジオ ドラマの出演などの活動を続ける。1974年4月7日、NETテレビ(現・テレビ朝日)の「日曜洋画劇場」で、映画『007シリーズ』がテレビ初放映された際(作品は『007 ゴールドフィンガー』)、主演のショーン・コネリーの吹き替えを担当[3]。
1977年、かつての役者仲間が、札幌・琴似のキャバレーで「箱入屋」[注 2]をしており、「1週間でも、3日間でもいいから・・・」と懇願され、ステージを務める。その話芸の巧みさ、誠実な仕事ぶり、人柄が、キャバレーのオーナーに気に入られ、3日間のステージを務め上げたあとは「オーナーの遊興仲間」として、1ヶ月間滞在。オーナーからは「すっかり長居をさせて申し訳なかった。来月も来い」と再び、札幌に呼ばれたものの、仕事のあてもない日々を過ごしていた。そんな時「本当のところ、何をやりたいのか」と問われ、「今までやったことが無い、自分のラジオ番組がやってみたい」と話したところ、紹介されたのが、STVラジオのディレクター(当時)、岩本芳修[注 3]だった。これをきっかけに、1978年から1983年にかけ、STVラジオの『おくさま広場』。『日高晤郎の朝からなんですが』。STVテレビの主婦向け情報番組のレポーター等を担当。現在に至る基盤となっている[4]。
人物
「北海道は新しい物に対して、何にでも飛びつくが育てる事が出来ない」。「YOSAKOI ソーランはダンスコンクールのようなもので、『祭』ではない」と発言している[5]。水道橋博士からは「北海道のたかじん」[6]と呼ばれ、小倉智昭からは『情報プレゼンター とくダネ!』で、やしきたかじんともに紹介された[7]。
出演作品
テレビ ドラマ
- あゝ同期の桜 第5話(1967年、NETテレビ)
- プレイガール 第22話、第60話(東京12チャンネル)
- 江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎 第19話(1970年、東京12チャンネル)
- さすらいの狼 第23話「幕末ガンマン」(1972年、NETテレビ)
- 荒野の用心棒 第28話「虐殺の丘に女の復讐が燃えて…」(1973年、NETテレビ、蒲生竜之進役)
- ロボット刑事 第25話「兇悪ガトリングマンのバドービールス作戦!!」(1973年、フジテレビ、バドー戦闘工作員 Y8役)
- 新書太閤記(1973年、NETテレビ、斎藤龍興役)
- 元禄太平記(1975年、NHK、片岡源五右衛門役)
- 特別機動捜査隊[8](1976年-1977年、NETテレビ、日高刑事、田代刑事役)
- 快傑ズバット 第5話「花売り少女と白い粉」(1977年、東京12チャンネル、必殺ハスラー役)
- 人形佐七捕物帳 第15話「火事を出した幽霊」(1977年、ANB)
- 桃太郎侍 第48話「黒い鼠に数え唄」(1977年、NTV)
- 刑事犬カール 第2話(1977年、TBS)
- 消えた巨人軍 (1978年、NTV、ナレーション)
ラジオ
現在
- ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー(STVラジオ、1983年4月9日-)[8]
過去
STVラジオ
- おくさま広場(1978年4月-1983年3月、放送時は「日高晤郎のおくさま広場」)[8]
- 日高晤郎の朝からなんですが(『オハヨー!ほっかいどう』内の箱番組)
- 日高晤郎芸能生活30周年記念・32時間生放送「めぐり逢い・春夏秋冬」(1991年5月3日-4日)
- 日高晤郎のアタックヤング(1991年5月4日にめぐり逢い・春夏秋冬」内にて)
- 日高塾(1992年10月-1998年3月)
- 日高晤郎・語りの世界“高瀬舟”(ゲスト岩本公水)
- 日高晤郎の北海道五十三次(2003年4月-2008年3月)
- STVラジオ開局50周年〜北海道のために命がけ〜日高晤郎 挑戦!50時間56分生放送(2012年12月14日-16日)
- Yo!Hey!サンデー!(『風土&FOODフェスティバル』開催時、会場よりゲスト出演)
その他の放送局
- 速報! 全日本歌謡ランキング(KBCラジオ、1978年-1984年)
- 日産サウンドステーション日高晤郎です(CBCラジオ、1986年)
- そこまでいうか! 熱血!正義の60分(ニッポン放送、1992年10月-1993年3月)火曜パーソナリティ[注 4]
- すっぴん!(NHKラジオ第1、2015年3月19日、電話出演)伊奈かっぺいと久々に共演。
映画
テレビ番組
- 2時ワイド(リポーター)
- 日高晤郎のスーパーサンデー(1989年10月1日-1994年12月25日)[8]
- 日高晤郎の語り芸・江戸人情噺「紺屋高尾」(2004年12月28日)
- 日高晤郎のエナジー・ヴォイドの旅(2005年7月16日)
その他の局
ビデオ・DVD
- 日高劇場 晤郎七色八面体(1989年/VHSビデオ)
- 日高晤郎・語りの世界(二)(1994年/VHSビデオ)
- 日高晤郎 語り芸の世界 紺屋高尾 -こうやたかお-(2005年2月28日/DVD 番組公式サイト内で、通信販売を実施)
- 日高晤郎DVD2012「上方寄席芸人伝 桂文京」(2012年12月14日/DVD)
テレビ アニメ
- ルパン三世 (TV第2シリーズ) - (南郷まん丸)
- ヤッターマン - (ヤシントン)
吹き替え
俳優
- ショーン・コネリー
- 007 ロシアより愛をこめて(ジェームズ・ボンド/ショーン・コネリー)[8]※TBS旧録版
- 007 ゴールドフィンガー(ジェームズ・ボンド/ショーン・コネリー)[8]※NET(現テレビ朝日)版
- 史上最大の作戦(フラナガン一等兵/ショーン・コネリー)※日本テレビ版
洋画
- アニー・ホール(ロブ/トニー・ロバーツ)※TBS版(ソフト収録)
- アパッチ(チャールズ・ブロンソン)
- 怒りの山河(ピアース・クラブツリー)
- エル・シド
- OK牧場の決斗(ジョニー・リンゴ)※日本テレビ版
- オルカ(ポール)※TBS版
- 空軍大戦略(コリン・ハーヴェイ空軍少佐/クリストファー・プラマー)
- 軍用列車(クレアモント少佐(エド・ローター))※TBS版
- サンダーバード 劇場版 - (トニー・グラント(テレビ版))
- 紳士は金髪がお好き(アーニー・マローン/エリオット・リード)※フジテレビ版(HDリマスター版DVD収録)
- スーパーフライ - (ヤングブラッド・プリースト/ロン・オニール)
- タクシードライバー(スポーツ(ハーヴェイ・カイテル))※TBS版
- 007 ダイヤモンドは永遠に(ウィーラード・ホワイト/ジミー・ディーン)※TBS旧録版(TV吹替初収録特別版DVD収録)
- 弾丸を噛め ※テレビ朝日版
- ドーベルマン・ギャング(バイロン・メーブ)
- トランザム7000(スノーマン/ジェリー・リード)
- 白熱(ロイ/ボー・ホプキンス)
- ローヤル・フラッシュ(スターンベルク/アラン・ベイツ)
- ワイルド・ギース(トーマス・バルフォア(バリー・フォスター))
CM(テレビ・ラジオ)
- メガネのプリンス
- 読売新聞
- 道北振興(小樽ベイビュータウン)
- 石屋製菓(白い恋人など。STVラジオでは、14時の時報CMである)
- サッポロビール(サッポロ クラシック)
- 北海道ヨコハマタイヤ販売
- ジェイ・アール北海道バス
- 北海道自動車整備振興会
- モダ石油
- 三洋電機(スチーム ランドリー)
- 札幌バルナバハム
- au by KDDI
- デンタルリンス・GAM
- 海鮮バイキング難陀
- P&G(無添加さらさ)
- 北幹警備保障株式会社
- ロイズコンフェクト
- 知床第一ホテル
- セブンイレブン
ひとり語り「芸談」これまでの演目
ディスコ グラフィ
シングル
- 流れ者小唄(レコード、デビュー曲)[8]
- 流れ者ブルース
- さむらい
- 酒場の女
- つづれ織り(作詞:山上路夫 作曲:堀内孝雄) / 街の灯り(CD)[8]
- 札幌ふれあい・めぐり逢い(作詞:津城ひかる 作曲:若草恵)※松原のぶえとのデュエット曲[8]
アルバム
- 眠れぬ夜のバラード
- 泣きたい時に[8]
- 酔いしれて(作詞・作曲:小坂恭子)
- 泣きたい時に(作詞:中村メイコ 作曲:神津善行)
- 過ぎ去りし想い出は(作詞・作曲:大塚博堂)
- 別離(UN ANNO D'AMORE)(作詞:漣健児 作曲:フェラー)
- 時の過ぎゆくままに(作詞:阿久悠 作曲大野克夫)
- 六本木ララバイ(作詞・作曲:エド山口)
- めぐり逢い紡いで(作詞:るい 作曲:大塚博堂)
- そして…めぐり逢い(作詞:荒木とよひさ 作曲:中村泰士)
- カルチェラタンの雪(作詞:門谷憲二 作曲:岡本一生)
- 街の灯り(作詞:阿久悠 作曲:浜圭介)
- ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショーの番組終盤で毎週歌っている。
- あなたのすべてを(作詞・作曲 佐々木勉)
著書
- 日々幸せ感じ上手 - 日高晤郎のトーク・グラフィティ(中西出版) ISBN 4-931204-08-2
- こころによりくもりのちはれ(日刊スポーツ出版社) ISBN 4-8172-0104-5
- こころ折々つづれ織り(日刊スポーツ出版社) ISBN 4-8172-0120-7
- こころ日めくり人ごよみ-人生来楽夢(日刊スポーツ出版社) ISBN 4-8172-0127-4
- 日高晤郎名言集 言葉のビタミン(中西出版) ISBN 4-89115-125-0
脚注・出典
注釈
出典
- ^ 2015/08/13、北海道新聞、3ページ
- ^ ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー 日高晤郎 語源・雑学・縦横無尽 2013年5月4日放送
- ^ “007 TV吹替初収録 特別版DVDシリーズ”. TV吹替コラム. 2013年3月28日閲覧。
- ^ 以上、「日々幸せ感じ上手 - 日高晤郎のトーク・グラフィティ」(1987年、中西出版) から抜粋の上、参照。
- ^ 日経テレコン21 / 北海道新聞記事データベース / 2002/06/18、北海道新聞朝刊全道、4ページ、写、2892文字(2013年3月6日閲覧)
- ^ Twitter / s_hakase
- ^ たかじんにできて、なぜテレビはできない 「とくダネ!」小倉、無言で下を向く J-CASTニュース 2014/01/08
- ^ a b c d e f g h i j STV RADIO PERSONALITY 日高晤郎 - STVラジオ 2015年9月24日閲覧
- ^ なつかしラジオ大全(三才ブックス)より