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2016年11月6日 (日) 12:39時点における版
大貫 亜美 | |
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大貫亜美(2009年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1973年9月18日(51歳) |
出身地 | 日本 |
学歴 | 専門学校卒 |
ジャンル | J-POP |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1996年 - 現在 |
事務所 | ソニー・ミュージックアーティスツ |
大貫 亜美(おおぬき あみ、1973年9月18日 - )は、日本の歌手である。東京都町田市生まれ、神奈川県横浜市緑区育ち。血液型はA型。身長155cm。本名は小橋亜美(こばし-、旧姓:大貫)。アメリカでは「ジェーン (Jane)」とも。PUFFYとしての立ち位置は向かって右。
当初はソロデビューの予定でヴェルヴェット・クラッシュなどのプロデュースの下、音源も制作されていたが、吉村由美とPUFFYを結成し、1996年にシングル「アジアの純真」でデビュー。予想外の成功を収めたため、吉村もソロ音源を制作、併せて大貫亜美・吉村由美名義でアルバム「solosolo」として発表したが、以降はPUFFYとして現在まで音楽活動を行っている。
その他の活動としては、雑誌へのエッセイ連載、ロドニー・アラン・グリーンブラットの絵本の翻訳、ドラマ、CM出演等がある。
人物
趣味は「暗い事全般」と公言し、編み物や刺繍、裁縫をしているところがブログに上げられている。基本的に器用であり、何でもそつなくこなす(由美談)[要出典]。また、PUFFYの絵担当として、ツアーグッズではその腕前を見せている[要出典]。
雑貨収集が趣味。また、うさぎが好きで多くの雑貨を持っていたり、実際に飼っていたことがある。名前は「チョビン」であった。現在は「カメ丸」という名のギリシャリクガメを飼っている。[1]
人生のほとんどを漫画から学んだというほど漫画好きであり、これまで様々な吹き替えや漫画の帯、巻末コメント、本人出演などを果たす(こち亀、ヒゲのOL薮内笹子、他多数)。
ミーハーなところがあり、デビュー当時より振り付けを担当している南流石に、「亜美ちゃんは流行に乗って、パパイヤ鈴木やKABAちゃん、真島茂樹などの振り付けに目移りしていたが、それを由美ちゃんが食い止めていた」と曝露された。[2]
左足にうさぎのタトゥーを入れている。
女優の菅野美穂とは20年来の親友である。
来歴
- 1973年9月18日、第二子として誕生。
- 1978年4月、私立カナリヤ幼稚園入園。
- 1980年4月、町田市立忠生第七小学校入学。
- 1982年、一家で韓国(ソウル)へ移住。
- 1986年、兄の城司が病没。帰国。4月、横浜市立中山中学校入学。剣道部入部。
- 1989年4月、神奈川県立荏田高等学校入学。ロック・バンド、ハノイ・セックス結成。
- 1991年、ソニーSDオーディションに合格。
- 1992年4月、専修学校神田外語学院入学。
- 1993年1月、Olive調査隊として松任谷由実のコンサートツアー一日コーラス体験。
- 1996年5月、パフィーとしてシングル「アジアの純真」でデビュー。
- 1997年7月、シングル「HONEY」でソロデビュー。
- 1998年、テレビ朝日の正月特番歴史ドラマ「次郎長三国志 勢揃い二十八人衆喧嘩旅!」に町娘あみ役で出演。
- 2001年9月、左足首の靭帯断裂。
- 2002年4月28日、GLAYのTERUと結婚。
- 2002年9月、ブランドユニット“Rompus(ロンパース)”結成。
- 2003年3月9日、長女を出産。
- 2009年、メリーソート社のテディベアチーキーのオリジナルデザインを発売。
エピソード
幼い頃は杉良太郎の大ファンで、毎週『遠山の金さん』を楽しみにしており、主題歌の『すきま風』の歌詞を少しずつ聞き取り、書き記していた。[3]
小学校の4年間を韓国で過ごしたため、当時の日本の流行を知らず、ビートルズやデヴィッド・ボウイなどの洋楽を好んで聴いていた。また、韓国での冬の体育の授業がスケートであったため、テレビ番組においてスケートやインラインスケートの得意な所を披露している。
高校に入学して自動二輪免許(中型限定、現在の普通自動二輪車免許)を取得、父親とよく海岸にツーリングに行っていた。高校2年時に遊びでロックバンドを結成、ボーカルを担当。成績優秀であったため推薦で進学が決まったらしい。
漫画好きを示すエピソードとして、深夜まで『湘南純愛組』を読んでいて寝ようと立ち上がった際、足がしびれていたので感覚が無く足の甲で立ってしまい、靭帯を切ってしまった。ツアー中であったため、直後の公演でダンスができず非常に反省した旨をテレビ番組(「月光音楽団」等)で語っている。
また長年『こち亀』好きを公言しており、中でも中川圭一のファンである。その事がキッカケで作品に登場し、中川圭一と作品内でデートを行った。
釣りが好きで、ツアーの空き時間でもメンバーと釣りに出かける。竿を振りすぎて腱鞘炎になったほど。「4級小型船舶操縦士」を保有。また、休日には子供とよく釣堀に行くと「笑っていいとも」で語った。
女優菅野美穂と仲が良く、お互いのエピソードをしばしば番組で語ることがある。 横山健と仲が良く、お互いの作品に参加、楽曲提供を行っている。[4]
出演
CM
- ダイハツ 「ムーヴラテ」
- 『納車オーライ篇』(2004年8月24日 - )
- 『いないいないキャー篇』(2004年9月 - ) 光岡湧太郎、下山葵らと共演
- 『ズボッと一目惚れ篇』(2004年11月 - )
- 『ハサミはどこカニ?篇』(2004年12月 - ) 再び、光岡湧太郎と共演
- 『はにわでスイマセン篇』(2005年2月 - ) 光岡湧太郎、関塚まいこらと共演
- 『洗車の前に、まず洗顔篇』(2005年6月 - ) このときから、同じPUFFYの吉村由美と共演するように
- 『隣の試着がよく見える篇』(2005年11月 - ) 吉村由美、小川圧司らと共演
- 『デラックスリラックス篇』(2006年5月 - ) 吉村由美と共演PUFFYとしての出演については「PUFFY」を参照
ディスコグラフィー
- シングル「HONEY」(1997年)
- アルバム「solosolo」(1997年)
訳書
- サンダーバニー(1997年)
- イッピーおばさんのがらくたはくぶつかん(1999年)
- サンダーバニーとワンダーミュー(2000年)
- サンダーバニーとビビリトルのレインボーデー(2002年)
- サンダーバニーとシャイプープー(2010年)
脚注
- ^ ブログより。
- ^ 2010年劇団アセス旗揚げ公演にて発言。
- ^ 「ツキイチ」より。
- ^ 横山のソロファーストアルバム『The Cost Of My Freedom』(2005年)にて、コーラス参加。PUFFYの『Splurge』にて楽曲提供。
外部リンク
- PUFFYパフィーの公式サイト
- Puffy AmiYumi World