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{{Otheruses|ヒンドゥー教の神格|仏教におけるヴィシュヌ|那羅延天}} |
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{{Hinduism}} |
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{{Infobox deity |
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'''ヴィシュヌ'''([[サンスクリット|梵]]: {{IAST|Viṣṇu}}, [[デーヴァナーガリー]]:{{lang|sa|विष्णु}})は、[[ヒンドゥー教]]の[[神]]である。仏教では異名の'''ナーラーヤナ'''(「[[那羅延天]]」、{{IAST|Nārāyaṇa}})として信仰されている。音写語としては、「毘紐天」、「韋紐天」、「微瑟紐」、「毘瑟怒」などがある。 |
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| type = Hindu |
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| Image = |
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| image_size = |
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| Caption = |
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| Name = ヴィシュヌ |
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| Devanagari = विष्णु |
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| Sanskrit_Transliteration = {{IAST|Viṣṇu}} |
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| Hindi_Transliteration = {{ヴィシュヌ}} |
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| mantra = オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ<br>({{lang|sa|Oṃ Namo Nārāyaṇāya}}) |
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| affiliation = [[ブラフマン]]([[ヴィシュヌ派]]) <br> [[三神一体|トリムルティ]] <br> [[デーヴァ]] |
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| Abode = {{仮リンク|ヴァイクンタ|en|Vaikuntha}} |
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| Weapon = {{仮リンク|スダルシャナ・チャクラ|en|Sudarshana Chakra}} <br> {{仮リンク|カウモダキ|en|Kaumodaki}} |
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| Consorts = [[ラクシュミー]] |
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| mount = [[ガルダ]] |
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| deity_of = [[維持]]の[[神]] |
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| Symbols = [[シャンカ]]、 [[ハス]]、[[シェーシャ]] |
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'''ヴィシュヌ'''({{lang-sa-short|विष्णु Viṣṇu}})は、[[ヒンドゥー教]]の[[神]]である。[[ブラフマー]]、[[シヴァ]]とともに[[三神一体|トリムルティ]]の1柱を成す重要な[[神格]]であり<ref name="davidwhite29">David White (2006), Kiss of the Yogini, University of Chicago Press, ISBN 978-0226894843, pages 4, 29</ref><ref name=gonda212/>{{Refnest|group="注"|<!--ここいらない気もする-->古代の文献ではヴィシュヌの含まれない3柱を最高神の3人組に数えているものもある<ref name=davidwhite29>David White (2006), Kiss of the Yogini, University of Chicago Press, ISBN 978-0226894843, pages 4, 29</ref><ref name=gonda212/>。[[ヤン・ホンダ]]はヒンドゥー教のトリムルティというコンセプトは、[[アグニ]]という1柱の神の持つ3つの性格についての古代の宇宙論的な、儀式的な思索から発展したのではないかとしている。[[アグニ]]は3度、あるいは3倍誕生し、3倍の光であり、3つの体と3つの地位を持つとされている<ref>Jan Gonda (1969), [http://www.jstor.org/stable/40457085 The Hindu Trinity], Anthropos, Bd 63/64, H 1/2, pages 218-219</ref>(アグニは火であり光であり日である)。一般的なトリムルティとされるブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの他には古代や中世の文献には「[[インドラ]]、ヴィシュヌ、ブラフマナスパティ」や、「アグニ、インドラ、[[スーリヤ]]」、「アグニ、[[ヴァーユ]]、アーディティヤ」、「マハーラクシュミー、マハーサラスヴァティ、マハーカーリー」等といった組み合わせが見られる<ref name=davidwhite29/><ref name=gonda212>Jan Gonda (1969), [http://www.jstor.org/stable/40457085 The Hindu Trinity], Anthropos, Bd 63/64, H 1/2, pages 212-226</ref>。}}、特に[[ヴィシュヌ派]]では最高神として信仰を集める<ref>{{Cite book|author1=Orlando O. Espín|author2=James B. Nickoloff|title=An Introductory Dictionary of Theology and Religious Studies|url=https://books.google.com/books?id=k85JKr1OXcQC&pg=PA539|year=2007|publisher=Liturgical Press|isbn=978-0-8146-5856-7|page=539}}</ref><ref name="Flood 1996, p. 17">{{仮リンク|Gavin Flood|en|Gavin Flood}}, ''[https://books.google.com/books/about/An_Introduction_to_Hinduism.html?id=KpIWhKnYmF0C An Introduction to Hinduism]'' (1996), p. 17.</ref>。 |
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ヴィシュヌ派ではヴィシュヌは形の無い[[形而上]]的なコンセプトである[[ブラフマン]]と同一視され、至高の{{仮リンク|スヴァヤン・バガヴァン|en|Svayam Bhagavan}}であるとされ、また、ヴィシュヌは世界が悪の脅威にさらされたとき、混沌に陥ったとき、破壊的な力に脅かされたときには「維持者、守護者」として様々な[[アヴァターラ]](化身)を使い分け、地上に現れるとされている<ref name="Zimmer 1972 p. 124">{{Cite book|last1=Zimmer|first1=Heinrich Robert|authorlink1=Heinrich Zimmer|title=Myths and Symbols in Indian Art and Civilization|publisher=Princeton University Press|isbn=978-0-691-01778-5|url=https://books.google.com/books/about/Myths_and_Symbols_in_Indian_Art_and_Civi.html?id=PTfNMQP81nAC|page=124}}</ref>。ヴィシュヌのアヴァターラのうち有名なものでは『[[マハーバーラタ]]』の[[クリシュナ]]や『[[ラーマーヤナ]]』の[[ラーマ]]が含まれている。また、ヴィシュヌは[[那羅延天|ナーラーヤナ]]、[[ジャガンナート|ジャガンナータ]]、[[ヴァースデーヴァ]]、{{仮リンク|ヴィトーバ|en|Vithoba}}、{{仮リンク|ハリ (神)|en|Hari|label=ハリ}}といった異名でも知られ、[[スマールタ派]]の{{仮リンク|パンチャーヤタナ・プージャー|en|Panchayatana puja}}では5柱の信仰対象の神々の1人に数えられている<ref name="Flood 1996, p. 17"/>。 |
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偶像としてはヴィシュヌは通常青い肌の色で4本の腕を持つ姿で描かれる。下の左手には{{仮リンク|パドマ|en|Padma (attribute)}}、下の右手には{{仮リンク|カウモーダキー|en|Kaumodaki}}、上の左手には{{仮リンク|パーンチャジャニヤ|en|Panchajanya}}、上の右手には{{仮リンク|スダルシャナ・チャクラ|en|Sudarshana Chakra}}を持つ{{Refn|group="注"|パドマ: [[蓮]]; カウモダキ: {{仮リンク|ガダー|en|Gada (weapon)}}と呼ばれる武器、[[こん棒]]のようなもの; パンチャジャナ: [[トゥンカル|シャンカ]]、[[ほら貝]]; スダルシャナ・チャクラ: [[チャクラム]]と呼ばれる武器}}。また、とぐろを巻く{{仮リンク|アナンタ|en|Ananta Shesha|redirect=1}}の上に横になってまどろむ姿を描いたものも多くみられる。これは現実世界はヴィシュヌの夢に過ぎないという[[神話]]の1場面を切り取ったもので、通常彼の配偶神である[[ラクシュミー]]が一緒に描かれる<ref>{{Cite book|author1=Fred S. Kleiner|title=Gardner's Art through the Ages: Non-Western Perspectives|url=https://books.google.co.in/books?id=TlVeuxIgjwQC&pg=PA22&dq=vishnu+ananta&hl=en&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=vishnu%20ananta&f=false|year=2007|publisher=Cengage Learning|isbn=0495573671|page=22}}</ref>。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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=== 名前 === |
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[[Image:1940s Indian Vintage Print Vishnu With Bhakta Dhurva.jpg|thumb|220px|ガルダの上に乗るヴィシュヌ]] |
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「ヴィシュヌ」という名前には「遍く満たす」という意味があるとされる<ref>Swami Chinmayananda's translation of Vishnu sahasranama pgs. 16–17, Central Chinmaya Mission Trust.</ref><ref name=coward113>{{Cite book|author1=Harold Coward|author2=Daniel C. Maguire|title=Visions of a New Earth: Religious Perspectives on Population, Consumption, and Ecology |url=https://books.google.com/books?id=gkIwI84XajEC&pg=PA113 |year=2000|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-7914-4458-0|page=113}}</ref>。 |
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[[Image:WLA vanda Vishnu as the Cosmic Man.jpg|thumb|220px|宇宙を内包するヴィシュヌ]] |
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[[三神一体]]論では、3つの最高神の1つで世界を維持する役目があるとされる。 |
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紀元前5世紀頃の[[ヴェーダーンガ]]の学者{{仮リンク|ヤースカ|en|Yaska}}は彼の[[ニルクタ]](語源に関する書物)の中でヴィシュヌの語源を「どこにでも入る者{{Refn|group="注"|"viṣṇur viṣvater vā vyaśnoter vā""}}」、「枷や束縛から離れたものがヴィシュヌである{{Refn|group="注"|"atha yad viṣito bhavati tad viṣnurbhavati"}}」としている<ref name=VishwaBagchee12>{{Cite journal|last=Adluri|first=Vishwa|author2=Joydeep Bagchee |title=From Poetic Immortality to Salvation: Ruru and Orpheus in Indic and Greek Myth|doi=10.1086/662191 |journal=History of Religions|date=February 2012|volume=51|issue=3|pages=245–246|jstor=10.1086/662191 }}</ref>。 |
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一般には、4本の腕を持ち、右には[[チャクラム]](円盤、あるいは輪状の投擲武器)と棍棒を、左にはパンチャジャナ(法螺貝)と蓮華を持つ男性の姿で表される。そのためチャトゥルブジャ(4つの武器を持つ者)という称号も持っている。 |
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中世インドの学者{{仮リンク|メーダーティティ|en|Medhātithi}}は「浸透する」という意味の「ヴィシュ」(viś)にヴィシュヌの語源を求めている。すなわち「ヴィシュヌ」は「どこにでも存在し、全ての中に存在する者」という意味を含むとする<ref name="Klostermaier2000p84">{{Cite book|author=Klaus K. Klostermaier|title=Hinduism: A Short History|url=https://books.google.com/books?id=l3LXAAAAMAAJ|year=2000|publisher=Oneworld|isbn=978-1-85168-213-3|pages=83–84}}</ref>。 |
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メール山の中心にあるヴァイクンタに住んでいる。[[ヴァーハナ]](乗り物)は[[ガルダ]]と呼ばれる[[鳥類|鳥]]の王で、[[鷲]]のような姿をして描かれたり、鷲と人を合わせた様な姿で描かれる。 |
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=== 特徴 === |
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神妃(妻)は[[ラクシュミー]]で、ヴィシュヌの[[化身]]に対応して妻として寄り添っている。 |
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[[比較神話学]]者[[ジョゼフ・キャンベル]]の『千の顔をもつ英雄』で、ヴィシュヌが扱われている{{sfn|キャンベル|2004|p=49}}。ヴィシュヌについてアルジュナの言葉では、「あなたの終わりも中間も、また始まりもわたしはみとめない」{{sfn|キャンベル|2004|p=49}}。「あなたは全[[世界]]をあまねく貪りつつ、燃えたつ[[口]]で舐めわたす」{{sfn|キャンベル|2004|pp=51-52}}。 |
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ヴィシュヌの描写は次のようにある。 |
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ヴィシュヌ派の創世神話によると、宇宙が出来る前にヴィシュヌは竜王[[アナンタ]]の上に横になっており、ヴィシュヌのへそから、蓮の花が伸びて行きそこに創造神[[ブラフマー]]が生まれ、ブラフマーの額から破壊神[[シヴァ]]が生まれたとされている。 |
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{{quotation|幾多の[[顔]]と[[眼]]とをもち、さまざまな[[この世]]のものとも思えぬ姿をあらわし、多くの神々しい[[装飾]]で飾りたて、多くの神々しい[[武器]]を携え、素晴らしい[[花冠]]と[[衣服]]を身にまとい、聖なる[[香料]]を塗り、あらゆる奇瑞よりなり、眩くも無際限の、あらゆる方角にさまざまな容顔をさらす神 … 神々のなかの[[最高神]]のみ姿のなかに、多様に分かたれた全世界がただ一つのものに収められているのを、アルジュナはそのときそこでみたのであった。{{sfn|キャンベル|2004|p=50}}}} |
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ヴィシュヌ自身の言葉はこうある。 |
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古くは『[[リグ・ヴェーダ]]』にもその名の見える起源の古い神格で、世界を3歩で踏破する自由闊歩の神だった。その名は[[サンスクリット]]で「広がる」「行き渡る」を意味する√viSに由来し、恐らくは世界の果てまで届く太陽光線の神格化であったと考えられる。そのため後には太陽神[[アーディティヤ神群|アーディティヤ]]の1人ともされた。最終的には他の太陽神[[スーリヤ]]を取り込んだ。 |
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{{quotation|わたしは[[:wikt:ちから#名詞|力]]であり、この世を滅ぼす「[[時間]]」である。ここに集まる者どもを殺さんがためにここに出現した。たとえ汝がいなくとも、敵陣に並び立つ[[戦士]]らはみな生きつづけはしないだろう。 … わたしによってすでに殺された、[[ドローナ]]、[[ビーシュマ]]、[[ジャドラタ]]、[[カルナ]]、またその他の[[勇士]]たちを殺せ。これらの者どもはすでにわたしが殺し終えている者どもである。{{sfn|キャンベル|2004|p=52}}}} |
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== 聖典 == |
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しかし、『リグ・ヴェーダ』では、まだ特に重要な位置は持ってはいない。神話も、少数の讃歌を除けば、主要神[[インドラ]]が悪と闘う際の盟友のひとりとして言及されている程度である。 |
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{{Infobox |
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| title = 様々な文化に見るヴィシュヌ |
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| image = |
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{{Image array|perrow=2|width=125|height=115 |
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| image1 = VishnuGandhara.JPG| caption1 = [[バクトリア語]]が書かれた封印。4-6世紀。 |
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| image2 = KINGS of BAKTRIA. Agathokles. Circa 185-170 BC. AR Drachm (3.22 gm, 12h). Bilingual series. BASILEWS AGAQOKLEOUS with Indian god Balarama-Samkarshana.jpg|caption2=紀元前1世紀、バクトリアの[[コイン]]。 |
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| image3 = Museum für Indische Kunst Dahlem Berlin Mai 2006 036 2.jpg| caption3 = 13世紀、[[カンボジア]]のヴィシュヌ。 |
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| image4 = Statue of Vishnu, Victoria and Albert Museum, London, UK (IM 127-1927) - 20090209.jpg| caption4 = [[インド]] |
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| image5 = Beikthano (Vishnu) Nat.jpg| caption5 = [[ミャンマー]] |
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| image6 = Vishnu Kediri.jpg| caption6 = [[インドネシア]] |
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|caption =ヒンドゥーの神ヴィシュヌは長い歴史の中で信仰を集め続けてきた。 |
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=== ヴェーダ === |
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[[ヴェーダ]]の時代にはヴィシュヌは[[インドラ]]や[[アグニ]]のような目立った神格ではなかった<ref name="Gonda1969p1">{{Cite book|author=Jan Gonda|authorlink=Jan Gonda|title=Aspects of Early Viṣṇuism|url=https://books.google.com/books?id=b8urRsuUJ9oC |year=1969|publisher=Motilal Banarsidass|isbn=978-81-208-1087-7|pages=1–2}}</ref>。紀元前2000年頃の『[[リグ・ヴェーダ]]』に含まれる1028の賛歌の内、ヴィシュヌに捧げられたものは5つにとどまる<ref name="Klostermaier2000p84"/>。ヴィシュヌはブラーフマナ(紀元前900-500年)で言及され、それ以降存在感を増していき、やがてブラフマンと同等の最高位の神格として信仰を集めるようになった<ref name="Gonda1969p1"/><ref name="Macdonell1898p167">{{Cite book|author=Arthur Anthony Macdonell|title=Vedic Mythology|url=https://books.google.com/books?id=b7Meabtj8mcC |year=1898|publisher=Motilal Banarsidass (1996 Reprint)|isbn=978-81-208-1113-3|pages=167–169}}</ref>。<!--この辺怪しいので思い切って書き換えてかまいません。英語版 oldid=740971992 あたりで大幅改変。--> |
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ヴェーダの全体でみるとヴィシュヌに関する言及は多くなく、神格としての設定もありきたりと言えるが、[[ヤン・ホンダ]]は『リグ・ヴェーダ』にはいくつか目をひく言及も見られるとしている<ref name="Gonda1969p1"/>。たとえば『リグ・ヴェーダ』にはヴィシュヌは死後の[[アートマン]](魂)が住まうというもっとも高い所に住むという言及があり{{Refn|group="注"|1.154.5, 1.56.3, 10.15.3.}}、これが後にヒンドゥー教の[[救済論]]と結びつきヴィシュヌの人気を高める原因のひとつになったのではないかという指摘がある<ref name="Gonda1969p1"/><ref name="Macdonell1898p10">{{Cite book|author=Arthur Anthony Macdonell|title=Vedic Mythology|url=https://books.google.com/books?id=b7Meabtj8mcC |year=1898|publisher=Motilal Banarsidass (1996 Reprint)|isbn=978-81-208-1113-3|pages=9–11, 167–169}}</ref>。またヴェーダには、ヴィシュヌは天と地を支えるものであるとする記述も見られる<ref name="Klostermaier2000p84"/>。 |
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後のヒンドゥー教の時代になって、英雄や土着の神をその化身、[[アヴァターラ]](後述)として取り込んで行くことで民衆の支持を集め、ついにはブラフマー、シヴァと共に三神一体(トリムールティ)の最高神の位置を獲得した。 |
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ヴェーダでは他の神へ向けた賛歌でヴィシュヌが触れられる例がたびたび見られ、とくにインドラとのつながりが感じられる<ref name="Klostermaier2000p84"/><ref name="Macdonell1898p18">{{cite book|author=Arthur Anthony Macdonell|title=Vedic Mythology|url=https://books.google.com/books?id=b7Meabtj8mcC |year=1898|publisher=Motilal Banarsidass (1996 Reprint)|isbn=978-81-208-1113-3|pages=18–19}}</ref>。インドラが悪の象徴である[[ヴリトラ]]を倒す際にはヴィシュヌが手を貸している。 |
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10世紀前後に作られた[[カジュラーホー|カジュラホ]]の寺院群のいくつかで祭られているヴィシュヌの神像は、寺院を飾るインド的彫刻とくらべて、メソポタミアやエジプト的な印象を受ける。 |
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=== トリヴィクラマ === |
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10世紀以降に南インドでヴィシュヌに関して独自の儀式や教義が発達した。 |
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{{see also|ヴァーマナ}} |
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{{Double image aside|right|Le temple de Changu Narayan (Bhaktapur) (8567815983).jpg|150|Badami Cave Temples 35.jpg|135|様々なヒンドゥー寺院でトリヴィクラマ(三界を3歩で跨ぐ者)をテーマにした偶像を見ることができる。まるで体操選手のように足を上げた造形でヴィシュヌの大きな1歩が表現される。左: [[ネパール]]、[[バクタプル]]のトリヴィクラマ。右: インド、{{仮リンク|バダミの石窟寺院群|en|Badami cave temples}}。6世紀のもの。}} |
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『リグ・ヴェーダ』の複数の賛歌でトリヴィクラマ({{IAST|Trivikrama}})と呼ばれるヴィシュヌにまつわる神話が語られており、これはヒンドゥー教の最も古い時代から継続的に語られている神話のうちの1つである<ref name="Klostermaier2000p85">{{Cite book|author=Klaus K. Klostermaier|title=Hinduism: A Short History|url=https://books.google.com/books?id=l3LXAAAAMAAJ|year=2000|publisher=Oneworld|isbn=978-1-85168-213-3|pages=84–85}}</ref>。トリヴィクラマは古今を問わずヒンドゥーの宗教美術に着想を与えており、例えば[[エローラ石窟群]]のものはヴィシュヌのアヴァターラとしての[[ヴァーマナ]]のトリヴィクラマが描かれる<ref>{{Cite book|author=Alice Boner|title=Principles of Composition in Hindu Sculpture: Cave Temple Period|url=https://books.google.com/books?id=doQLZ21CGScC&pg=PA96|year=1990|publisher=Motilal Banarsidass|isbn=978-81-208-0705-1|pages=96–99}}</ref><ref>{{Cite book|author1=Bettina Bäumer|author2=Kapila Vatsyayan|title=Kalātattvakośa: A Lexicon of Fundamental Concepts of the Indian Arts |url=https://books.google.com/books?id=8f38pN2lvhIC&pg=PA251|year=1988|publisher=Motilal Banarsidas|isbn=978-81-208-1044-0|page=251}}</ref>。トリヴィクラマとは「3歩」という意味を持つ。この神話では、取るに足らない風貌をしたヴィシュヌが一息に巨大化し、最初の一歩で地上をまたぎ、二歩目で天をまたぎ、三歩目で天界の全てをまたいだと語られる<ref name="Klostermaier2000p85"/><ref>{{Cite book|author=J. Hackin|title=Asiatic Mythology: A Detailed Description and Explanation of the Mythologies of All the Great Nations of Asia|url= https://books.google.com/books?id=HAZrFhvqnTkC&pg=PA130| year=1994|publisher=Asian Educational Services|isbn=978-81-206-0920-4|pages=130–132}}</ref>。 |
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{{Quote| |
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== アヴァターラ(化身) == |
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<poem> |
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ヴィシュヌは、[[アヴァターラ]]と呼ばれる10の姿に変身して地上に現れるとされる。これは、偉大な仕事をした人物や土着の神を「ヴィシュヌの生まれ変わり」として信仰に取り込む為の手段であったと考えられる。よく「化身」と訳されるが、インカネーションとは意味合いが異なる。「[[権化]]」「[[権現]]」「化現」を使った方が正しい。 |
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{{IAST|Viṣṇornu kaṃ vīryāṇi pravocaṃ yaḥ pārthivāni vimame rajāṃsi / yo askabhāyaduttaraṃ sadhasthaṃ vicakramāṇas tredhorugāyaḥ //}} (...) |
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私はヴィシュヌの偉業をここに宣言しよう。彼は地上を実測し、天界をうち立てた。大股の三歩で(略) |
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[[クリシュナ]]、[[ラーマ]]などが有名な勇者で、クリシュナは[[叙事詩]]『[[マハーバーラタ]]』で、ラーマは叙事詩『[[ラーマーヤナ]]』で語られている。 |
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</poem> |
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|『リグ・ヴェーダ』1.154.1|[[ヤン・ホンダ]]訳からの重訳<ref>{{Cite book|author=Jan Gonda|title=Viṣṇuism and Śivaism: a comparison|url=https://books.google.com/books?id=d1YIAQAAIAAJ|year=1970|publisher=Bloomsbury Academic|isbn=978-1474280808|pages=71–72}}</ref>}} |
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ヴィシュヌスークタとも呼ばれるこの賛歌には[[救済論]]が含まれているとされる。この賛歌ではヴィシュヌは三歩目に、死を免れない者たちの領域を超えたことが示されている。そこはもっとも高い場所であり、神に帰依したものたちが幸せに暮らすとされている<ref name="Klostermaier2000p85"/>。『[[シャタパタ・ブラーフマナ]]』(紀元前8-6世紀)ではこのテーマをより深く掘り下げている。ここでは3つの世界(トリロカ)をアスラに奪われた神々をヴィシュヌが代表し、トリヴィクラマにより世界を奪い返す。ここではヴィシュヌはすなわち死を免れない者たちの救済者であり、神々の救済者でもあると読み取れる<ref name="Klostermaier2000p85"/><!--'Vishnu is the sacrifice - by striding he obtained for the gods this all-pervading power which now belongs to them." Vishnu trivikrama is the "saviour of the devas" from the asuras who had usurped the three worlds.'-->。<!-- この段落は英語版2016年12月5日より翻訳した部分ですが、ソースを見たうえで大幅に改変しています。--> |
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また、[[仏教]]の開祖[[仏陀]]も[[ヒンドゥー教]]ではヴィシュヌのアヴァターラとされるが、人々を混乱させるために来たとされ、必ずしも崇拝されているわけではない。 |
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=== ブラーフマナ === |
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ヴィシュヌの生まれ変わりであるアヴァターラは以下の通り。 |
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『[[シャタパタ・ブラーフマナ]]』にはヴィシュヌ派の護持する汎神論的アイデアを見つけることができる<ref name=klostermaier86/>。ヴィシュヌ派では最高神であるヴィシュヌは経験的に知覚できる宇宙に遍く宿っているとされる<ref name=klostermaier86/>。『シャタパタ・ブラーフマナ』にてプルシャ・ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)は以下のように語る。「全ての世界に私自身を置いた。私自身に全ての世界を置いた」<ref name=klostermaier86/>。さらにこの『シャタパタ・ブラーフマナ』はヴィシュヌとすべての知識(すなわちヴェーダ)を等価であるとする。すなわち宇宙の全ての本質を不滅であるとし、全てのヴェーダと宇宙の原則を不滅であるとし、ヴィシュヌであるこの不滅の物は全てであると主張する<ref name=klostermaier86>{{Cite book|author=Klaus K. Klostermaier|title=Hinduism: A Short History|url=https://books.google.com/books?id=l3LXAAAAMAAJ| year=2000| publisher=Oneworld| isbn=978-1-85168-213-3| pages=85–87}}</ref>。 |
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[[image:Indischer Maler um 1660 002.jpg|thumb|8番目の化身クリシュナ]] |
|||
; [[マツヤ]] (Matsya)、[[魚]] |
|||
: 大洪水の時に賢者[[マヌ]]の前に現われ7日後の大洪水を預言し、船にあらゆる種子と7人の聖者を乗せるよう言った。 |
|||
; [[クールマ]] (Kūrma)、[[カメ|亀]] |
|||
: 神々が不死の霊水[[アムリタ]]を海から取り出そうとした時、亀の姿になって現われて作業を助けた。 |
|||
; [[ヴァラーハ]] (Varāha)、[[イノシシ|猪]] |
|||
: 大地が水の底に沈められようとしたときに、猪の姿で現われ大地をその牙で支えた。 |
|||
; [[ナラシンハ]] (Narasiṃha)、人獅子 |
|||
: 半人半獅子の姿でアスラ王ヒラニヤカシプを退治した。 |
|||
; [[ヴァーマナ]] (Vāmana)、[[矮人]] |
|||
: 偉大なるアスラ王[[マハーバリ]]によって世界が支配されたときに現われ、バリと3歩歩いた広さの土地を譲り受ける約束をした後、巨大化し世界を2歩で歩き3歩目でバリを踏みつけた。マハーバリに対してははその後[[パーターラ]]第3層スタラの支配者になることを許し、スタラと言われる領土を与えた。 |
|||
; パラシュラーマ ([[w:Paraśurāma|Paraśurāma]])、斧を持つラーマ |
|||
: [[クシャトリア]]族が世界を支配した時、神々、ブラフマン、人を救った。 |
|||
; [[ラーマ]](Rāma) (意味は「心地よい」) |
|||
: 叙事詩『[[ラーマーヤナ]]』の英雄。魔王[[ラーヴァナ]]から人類を救った。 |
|||
; [[クリシュナ]] (Kṛiṣṇa) (意味は「闇」または「黒」) |
|||
: 叙事詩『[[マハーバーラタ]]』の英雄。特にその挿話『[[バガヴァッド・ギーター]]』で活躍。 |
|||
; [[釈迦|ゴータマ・ブッダ]] (仏陀/釈尊) |
|||
: 偉大なるヴェーダ聖典を[[アスラ]]から遠ざける為に、敢えて偽の宗教である仏教を広めた(バーガヴァタ・プラーナ)。{{See also|ヒンドゥー教における釈迦}} |
|||
; [[カルキ (ヒンドゥー教)|カルキ]] (Kalki) ("時間") |
|||
: [[カリ・ユガ]](世界が崩れ行く時代)の最後、世界の秩序が完全に失われた時代に現れて悪から世界を救い、新しい時代(ユガ)を始めるという。 |
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ヴィシュヌは全ての物と生物に染みわたっていると描写されている。これを{{仮リンク|ジオラ・ショーハム|en|Shlomo Giora Shoham}}は、ヴィシュヌは、本質的な原則として、超越的な自己として常に全ての物と生物の中に存在しつづけている、と表現する<ref>{{Cite book|author=S. Giora Shoham|title=To Test the Limits of Our Endurance|url=https://books.google.com/books?id=8_hOAQAAIAAJ |year=2010|publisher=Cambridge Scholars |isbn=978-1-4438-2068-4|page=116}}</ref>。ブラーフマナを含むヴェーダの聖典はヴィシュヌを称賛しながらも、ヴィシュヌの下に他の神々を従属させない。ヴェーダが提示するのは包括的、多元的な[[単一神教]]である。時には明確に、「偉大な神々も卑小な神々も、若い神々も年老いた神々も」{{Refn|group="注"|Rig veda 1:27:13}}という呼びかけが行われることもあるが、これは神々の神聖な力をわかりやすく表現するための試みであり、いずれかの神がいずれかの神に従属しているという表現は見つけられない。一方でヴェーダの賛歌の中から、全ての神々がそれぞれ至高であり、それぞれ絶対的であるという表現を見つけることはたやすい<ref>History of Ancient Sanskrit Literature by Prof Max Muller. Printed by Spottiswoode and Co. New-Street Square London. page 533</ref>。 |
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化身の数は、22種類ある場合もある。一般的には上記の[[ダシャーヴァターラ]](10化身説)が用いられる。 |
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=== ウパニシャッド === |
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ゲームの[[ウルティマ]]・シリーズでのアバタールや、オンライン・コミュニティ・サービスでのユーザーの視覚的イメージである[[アバター]]はこの言葉に由来する。 |
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{{仮リンク|ムクティカー|en|Muktika}}と呼ばれる108の[[ウパニシャッド]]のうち、{{仮リンク|ヴァイシュナヴァ・ウパニシャッド|en|Vaishnava Upanishads}}(ヴィシュヌ派のウパニシャッド)が14存在する{{Sfn|Deussen|1997|p=556}}。これらがいつ編纂されたものかははっきりとはわかっていないが、紀元前1世紀頃から17世紀頃までと幅を持って見積もられている{{Sfn|Mahony|1998|p=290}}{{Sfn|Lamb|2002|p=191}}。 |
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<gallery mode="packed" heights="160px"> |
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Image:Garuda Vishnu Laxmi.jpg|ヴィシュヌが妻ラクシュミーとともにガルダの上に乗る |
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これらヴァイシュナヴァ・ウパニシャッドは[[ブラフマン]]と呼ばれる形而上的な現実としてのヴィシュヌ、ナーラーヤナ、[[ラーマ]]やあるいはヴィシュヌのアヴァターラの1つに焦点を当てる<ref name="Mahony1998p271">{{Cite book|author=William K. Mahony|title=The Artful Universe: An Introduction to the Vedic Religious Imagination|url=https://books.google.com/books?id=B1KR_kE5ZYoC |year=1998|publisher=State University of New York Press |isbn=978-0-7914-3579-3 |page=271}}</ref><ref name="WinternitzSarma1996p217">{{Cite book|author1=Moriz Winternitz|author2=V. Srinivasa Sarma|title=A History of Indian Literature|url=https://books.google.com/books?id=JRfuJFRV_O8C |year=1996|publisher=Motilal Banarsidass |isbn=978-81-208-0264-3 |pages=217–224 with footnotes }}</ref>。そして倫理から信仰の方法まで広範な話題を取り扱う{{Sfn|Sen|1937|p=26}}。 |
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Image:Vishnu and Lakshmi on Shesha Naga, ca 1870.jpg|[[ナーガラージャ|蛇神王]]シェーシャの上のヴィシュヌとラクシュミー |
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Image:Vishnu Kumartuli Park Sarbojanin Arnab Dutta 2010.JPG|ヴィシュヌの彫像(インド・北コルカタ) |
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=== プラーナ文献 === |
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Image:Vishnu and his Avatars.jpg|ヴィシュヌの彫像(11世紀) |
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[[ファイル:Bhagavata Purana (Ancient Stories of the Lord) Manuscript LACMA M.88.134.4 (2 of 2).jpg|thumb|240px|{{仮リンク|バーガヴァタ・プラーナ|en|Bhagavata Purana}}はヴィシュヌのアヴァターラである[[クリシュナ]]に焦点を当てる。]] |
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Image:Akshardham Gandhinagar Gujarat.jpg|ヴィシュヌ神を祀る寺院(インド・グジャラート) |
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ヴィシュヌ派の[[プラーナ文献]]ではヴィシュヌに主眼が置かれる。{{仮リンク|ルド・ロシェ|en|Ludo Rocher}}によればこれらヴィシュヌ派のプラーナとして特に重要なものには『{{仮リンク|バーガヴァタ・プラーナ|en|Bhagavata Purana}}』、『{{仮リンク|ヴィシュヌ・プラーナ|en|Vishnu Purana}}』、『{{仮リンク|ナーラディーヤ・プラーナ|en|Nāradeya Purana}}』、『{{仮リンク|ガルダ・プラーナ|en|Garuda Purana}}』、『{{仮リンク|ヴァーユ・プラーナ|en|Vayu Purana}}』が挙げられる{{Sfn|Rocher|1986|pp= 59-61}}。プラーナは様々な立場から語られる宇宙論や、神話、様々な生き方に関する博物学的内容、加えて中世に書かれたものにはマーハートミヤ({{IAST|māhātmya}})と呼ばれる地域ごとのヴィシュヌ寺院を紹介する旅行ガイドのようなものが含まれる{{Sfn|Ariel Glucklich|2008|p=146, '''Quote:''' The earliest promotional works aimed at tourists from that era were called ''mahatmyas''.}}。 |
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ヴィシュヌ派のプラーナに語られるさまざまな宇宙論を例として挙げると、例えばヴィシュヌの目は南の[[天の極|天極]]にあり、そこから宇宙を観察しているとされる<ref>{{Cite journal | url = https://books.google.com/books?id=IsSpbyjw5DMC&pg=PA273&lpg=PA273 | title = Sinister Yogis | isbn = 978-0-226-89515-4 | author1 = White | first1 = David Gordon | page=273 with footnote 47| date = 2010-07-15}}</ref>。また、ヴァーユ・プラーナの4章80節ではヴィシュヌは{{仮リンク|ヒラニヤガルバ|en|Hiranyagarbha}}(金の卵の意)であったとされ、そこから一斉にすべての生物の雄と雌が生まれ出る<ref>{{Cite book|author=J.M Masson|title=The Oceanic Feeling: The Origins of Religious Sentiment in Ancient India|url=https://books.google.com/books?id=swsrBgAAQBAJ&pg=PA63 |year=2012|publisher=Springer Science|isbn=978-94-009-8969-6|pages=63 with footnote 4}}</ref>。プラーナによってはシヴァやブラフマー、[[シャクティ]]が宇宙論の中心となるが、『ヴィシュヌ・プラーナ』はヴィシュヌを中心に宇宙論を展開する。『ヴィシュヌ・プラーナ』の22章では、彼の多くの異名(称号)、例えばハリ、ジャナルダナ、マダーヴァ、アチユタ、フリシケシャなどを以ってヴィシュヌを礼賛する{{Sfn|Rocher|1986|pp=246-247}}。 |
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[[ヴェーダーンタ学派]]の[[ラーマーヌジャ]]はウパニシャッドで議論のあった根本原理[[ブラフマン]]をヴィシュヌと同一視し、{{仮リンク|シュリー・ヴァイシュナヴァ派|en|Sri Vaishnavism}}の基礎を築いた<ref>Sucharita Adluri (2015), Textual authority in Classical Indian Thought: Ramanuja and the Visnu Purana, Routledge, ISBN 978-0415695756, pages 1-11, 18-26</ref>。『バーガヴァタ・プラーナ』のたとえば1巻2章11節などではヴィシュヌはブラフマンと同一視される。いわく、よく学び絶対の真理を知る超越主義者<!--[[超越論哲学]]?-->はこの無二の本質をブラフマン、あるいはパラマートマ({{IAST|Paramātma}})、バガヴァーン({{IAST|Bhagavān}}、<!--クリシュナ、すなわち-->ヴィシュヌのこと)と呼ぶ<ref>Bhagavata Purana [http://vedabase.net/sb/1/2/11/en 1.2.11], {{IAST|vadanti tattattvavidas tattvaṃ yaj jñānam advayam / brahmeti paramātmeti bhagavāniti śabdyate}}</ref>。<!--ラーマーヌジャは人気のあった『ヴィシュ・プラーナ』をのヴェーダーンタの解釈に取り込んだ。最初に思いついたわけではない。--> |
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ヴィシュヌのアヴァターラであるクリシュナに焦点を当てる『バーガヴァタ・プラーナ』は、最も人気があり、最も広く親しまれているプラーナで、ほぼすべてのインドの言語に翻訳されている{{Sfn|Bryant|2007|pages=112}}。この文献も他のプラーナと同様に宇宙論、系譜学、地理学、神話、伝説、音楽、舞踊、ヨーガ、文化などあらゆるテーマを扱っている{{Sfn|Kumar Das|2006| pages=172–173}}{{Sfn|Rocher|1986|pp=138–151}}。バーガヴァタ・プラーナでは、慈悲深い神々と邪な[[アスラ]](悪魔)との戦争でアスラが勝利するところから物語が始まり、そしてその結果としてアスラが宇宙を支配する。ヴィシュヌはまずはアスラと和解し、彼らを理解し、その後に独創的な方法で彼らを倒し、そして希望と正義と自由と善をとり戻す。これは様々な伝説に繰り返し登場するテーマとなっている<ref>Ravi Gupta and Kenneth Valpey (2013), The Bhagavata Purana, Columbia University Press, ISBN 978-0231149990, pages 3-19</ref>。『バーガヴァタ・プラーナ』はヴィシュヌ派において特に信仰を集めている<ref>Constance Jones and James Ryan (2007), Encyclopedia of Hinduism, Infobase, ISBN 978-0816054589, page 474</ref>。このプラーナに見られるヴィシュヌの活躍は演劇、舞台芸術の世界にも影響を与えており、例えば{{仮リンク|サトリヤ|en|Sattriya}}、[[マニプリ]]、[[オリッシー]]、{{仮リンク|クチプディ|en|Kuchipudi}}、[[カタカリ]]、[[カタックダンス|カタック]]、[[バラタナティヤム]]、{{仮リンク|バーガヴァタ・メーラ|en|Bhagavata Mela}}、{{仮リンク|モヒニアッタム|en|Mohiniyattam}}という形で祭りの期間などに上演される{{Sfn|Bryant|2007|pages=118}}{{Sfn|Varadpande|1987|pages=92–97}}<ref>Graham Schweig ( 2007), Encyclopedia of Love in World Religions (Editor: Yudit Kornberg Greenberg), Volume 1, ISBN 978-1851099801, pages 247-249</ref>。 |
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ヴェーダやウパニシャッドには見られないことだが、プラーナのいくつかのバリエーションではヴィシュヌが最高神であり、他の神々が依存する存在であると語られる。たとえばヴィシュヌ派のプラーナでは、ヴィシュヌは創造神ブラフマーの根源であるとされる。ヴィシュヌの宗教美術ではしばしばヴィシュヌの臍から伸びる蓮からブラフマーが生まれる様子が描かれる。したがって、ブラフマーは宇宙の全ての物を創造したが、原初の海は創造しなかったとされる<ref>{{Cite book|last1=Bryant|first1=ed. by Edwin F.|title=Krishna : a sourcebook|date=2007|publisher=Oxford University Press|location=New York|isbn=978-0-19-514891-6|page=18}}</ref>。対照的にシヴァ派のプラーナではブラフマーとヴィシュヌは[[アルダナーリーシュヴァラ]](シヴァとパールヴァティの融合した神)から誕生したと語られている。あるいは、ルドラ(シヴァの前身)がブラフマーを創造したり、または[[劫|カルパ]](宇宙の寿命)ごとにヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーが持ち回りでお互いを創造するとされる<ref name="Stella Kramrisch 1994 pages 205-206">Stella Kramrisch (1994), The Presence of Siva, Princeton University Press, ISBN 978-0691019307, pages 205-206</ref>。 |
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また、ヴィシュヌ派のプラーナの中にはヴィシュヌがルドラ(すなわちシヴァ)の姿を借りて、あるいはルドラに命じて世界を破壊するというエピソードも存在する。その結果宇宙は崩壊し、「時間」<!--という概念も含めてという意味だとおもう-->とともにヴィシュヌに再吸収される。その後宇宙はヴィシュヌから再び創造され、新しいカルパが始まる<ref name=doniger71>{{Cite book|author=Wendy Doniger|title=Textual Sources for the Study of Hinduism|url=https://books.google.com/books?id=YxoaUKmMG9gC&pg=PA71|year=1988|publisher=University of Chicago Press|isbn=978-0-226-61847-0|pages=71–73}}</ref>。他にも様々な宇宙論が存在し、宇宙はヴィシュヌではなくシヴァに吸収されるのだとするものも存在する<ref name=doniger71/><ref>{{Cite book|author=Stella Kramrisch|title=The Presence of Siva|url=https://books.google.com/books?id=O5BanndcIgUC |year=1993|publisher=Princeton University Press|isbn=0-691-01930-4|pages=274–276}}</ref>。 |
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=== サンガムおよびサンガム以降 === |
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{{Main|ティルマル}} |
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[[ファイル:Krishna, Kottangal padayani.JPG|thumb|180px|幼いときに[[バター]]を盗む話、[[横笛]]を吹く話など、ヴィシュヌのアヴァターラであるクリシュナにまつわる神話は広範にわたる。これらのテーマは古代や中世に作られた南アジアの[[コイン]]にも描かれている<ref>{{Cite book|author=Bratindra Nath Mukherjee|title=Numismatic Art of India: Historical and aesthetic perspectives|url=https://books.google.com/books?id=NZXpAAAAMAAJ |year=2007|publisher=Indira Gandhi National Centre for the Arts|isbn=978-81-215-1187-2|pages=144, 161–162}}</ref>。また3世紀の[[詩人]]、ハラも同じテーマを描いた{{Sfn|Bryant|2007|p=7}}。]] |
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[[タミル語]]で書かれた古典文芸、[[サンガム文学]]が1世紀から3世紀を中心に盛んになった。これらタミルの文献はヴィシュヌや、クリシュナ、ラーマといったヴィシュヌのアヴァターラ、それからその他、シヴァや[[ムルガン]](スカンダ)、[[ドゥルガー]]、[[インドラ]]といった汎インドの神々を信仰した<ref name=padmaja27>{{Cite book|author=T. Padmaja|title=Temples of Kr̥ṣṇa in South India: History, Art, and Traditions in Tamilnāḍu|url=https://books.google.com/books?id=pzgaS1wRnl8C&pg=PA27 |year=2002|publisher=Abhinav Publications|isbn=978-81-7017-398-4|page=27}}</ref>。これらサンガムではヴィシュヌはマヨン(Mayon)と呼ばれる。マヨンは「色の黒い者」を意味し、これは北インドの言葉における「クリシュナ」と同じ意味を持つ<ref name=padmaja27/>。その他にもヴィシュヌを指す言葉としてサンガムには、マヤヴァン(mayavan)、マミヨン(mamiyon)、ネチヨン(netiyon)、マル(mal)、マヤン(mayan)といった言葉を見つけることができる<ref>{{Cite book|author=T. Padmaja|title=Temples of Kr̥ṣṇa in South India: History, Art, and Traditions in Tamilnāḍu|url=https://books.google.com/books?id=pzgaS1wRnl8C&pg=PA28 |year=2002|publisher=Abhinav Publications|isbn=978-81-7017-398-4|page=28}}</ref>。 |
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サンガム以降、おそらく5世紀に書かれたと考えられているタミルの叙事詩{{仮リンク|シラッパディハーラム|en|Silappatikaram}}と{{仮リンク|マニメーハライ|en|Manimekalai}}ではクリシュナが主題となっている<ref name=padmaja30>{{Cite book|author=T. Padmaja|title=Temples of Kr̥ṣṇa in South India: History, Art, and Traditions in Tamilnāḍu|url=https://books.google.com/books?id=pzgaS1wRnl8C&pg=PA28 |year=2002|publisher=Abhinav Publications|isbn=978-81-7017-398-4|pages=30–31}}</ref><ref>{{Cite book|author1=John Stratton Hawley|author2=Donna Marie Wulff|title=The Divine Consort: Rādhā and the Goddesses of India|url=https://books.google.com/books?id=j3R1z0sE340C&pg=PA238 |year=1982|publisher=Motilal Banarsidass|isbn=978-0-89581-102-8|pages=238–244}}</ref>。これらの叙事詩には、例えば幼い時にバターを盗んだ話や、少年期には[[沐浴]]をする女の子たちの服を隠してからかった話など、インド各地でそれぞれに発展したクリシュナにまつわる神話の共有が見られる<ref name=padmaja30/><ref>{{Cite book|author=Guy L. Beck|title=Alternative Krishnas: Regional and Vernacular Variations on a Hindu Deity|url=https://books.google.com/books?id=K0XqbG0LKBUC |year=2012|publisher=State University of New York Press|isbn=978-0-7914-8341-1|pages=68–69}}</ref>。 |
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=== バクティ運動 === |
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5世紀前後に発展したヴィシュヌに関わる様々なアイデアは12世紀以降にインド全土で優勢となる{{仮リンク|バクティ運動|en|Bhakti movement}}([[バクティ]]参照)において重要な意味を持つ。5世紀から10世紀にかけて{{仮リンク|アールワール|en|Alvars}}{{Refn|group="注"|「神の瞑想(めいそう)に自らを沈めた者<ref name="aaa">{{Cite web|和書|url= https://kotobank.jp/word/アールワール-28765|title= コトバンク / アールワール|accessdate= 2016年12月22日|author= 日本大百科全書(ニッポニカ)|publisher= The Asahi Shimbun Company / VOYAGE GROUP, Inc.}}</ref>」の意。詩人かつ聖人とされ、12人いるとされる。}}と呼ばれるタミル・ヴィシュヌ派の詩人たちが活躍し、彼らはヴィシュヌを称える歌を歌いながら各地を巡った<ref name=olson231>{{Cite book|last=Olson|first=Carl|title=The many colors of Hinduism: a thematic-historical introduction|publisher={{仮リンク|Rutgers University Press|en|Rutgers University Press}}|year=2007|pages=231|isbn=978-0-8135-4068-9}}</ref>。彼らは[[シュリーランガム]]をはじめとする寺院サイト(巡礼地)の形成に関わり、ヴィシュヌ派の思想を広めた。{{仮リンク|ディヴィヤ・プラバンダ|en|Divya Prabhandham}}にまとめられた彼らの詩はその後ヴィシュヌ派の重要な聖典へと発展する。『バーガヴァタ・プラーナ』ではバクティ思想を強調する一方でアールワールへの言及が見られ、これらはバクティ思想が南インドに起原を持つとする学説の根拠となっている。ただしこの論拠はバクティ思想が南と北で同時発生した可能性を否定しきれないという指摘も存在する<ref>{{Cite book| last=Sheridan| first=Daniel| title= The Advaitic Theism of the Bhagavata Purana |publisher=South Asia Books |location=Columbia, Mo |year=1986 |isbn=81-208-0179-2}}</ref><ref>{{Cite book | last={{仮リンク|J. A. B. van Buitenen|en|J. A. B. van Buitenen}} | chapter=The Archaism of the Bhāgavata Purāṇa |title=Encyclopedia Indica | year = 1996| editor=S.S Shashi | isbn=978-81-7041-859-7 | pages=28–45 }}</ref>。 |
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== ヴィシュヌ派 == |
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[[ファイル:Angkor Wat.jpg|thumb|180px|[[アンコール・ワット]]はヴィシュヌを奉る寺院である<ref>[http://www.livescience.com/24440-angkor-wat-canals.html Mystery of Angkor Wat Temple's Huge Stones Solved]</ref>。]] |
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{{Main|ヴィシュヌ派|{{仮リンク|パンチャラートラ|en|Pancharatra}}}} |
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『バーガヴァタ・プラーナ』にはヴィシュヌ派の思想がまとめられており、そこには[[シャンカラ]]の哲学、すなわち[[アートマン]]と[[ブラフマン]]を融合するといった議論や、個の本質の中にブラフマンを戻すといったアドヴァイタ的([[不二一元論]])な議論が語られている{{Sfn|Kumar Das|2006| pages=172–173}}<ref name="Brown"/>{{Sfn|Sheridan|1986|pp=1–2, 17–25}}。このプラーナでは[[モークシャ]](解脱)がエーカトヴァ({{IAST|Ekatva}}、単一性)とサーユジャ({{IAST|Sāyujya}}、没入)として説明され、そこでは個は完全にブラフマンに没頭すると語られる<ref name="Rukmani_217-218" />。ルクミニ(T.S Rukmani)によれば、『バーガヴァタ・プラーナ』は個の魂(アートマン)の絶対(ブラフマン)への回帰と絶対への融合を提示しており、これは疑いなくアドヴァイタ的傾向であるとする<ref name="Rukmani_217-218" />。『バーガヴァタ・プラーナ』はこれと同じ節に[[バガヴァン]](ヴィシュヌ、とりわけクリシュナのこと)を専念する対象として触れており、そのため『[[バガヴァッド・ギーター]]』で語られる3つの道のうちの[[バクティ・ヨーガ]]を提示しているとされている<ref name="Rukmani_217-218">{{Harvnb|Rukmani|1993|pp=217–218}}</ref><ref>{{Cite book|author=Murray Milner Jr.|title=Status and Sacredness: A General Theory of Status Relations and an Analysis of Indian Culture|url=https://books.google.com/books?id=EdqMMcYQ7r8C |year=1994|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-535912-1|pages=191–203}}</ref>{{Refn|group="注"|『バガヴァッド・ギーター』は解脱へ至る道としてカルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ギャーナ・ヨーガの3つを提示する。}}。 |
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『バガヴァッド・ギーター』は知覚可能な物と知覚不可能な物、すなわち魂と物質の双方を扱っている。{{仮リンク|ハロルド・カワード|en|Harold Coward}}とダニエル・マグワイア( Daniel Maguire)は、『バガヴァッド・ギーター』は宇宙をヴィシュヌ(クリシュナ)の体として描いていると表現する。この文献の中ではヴィシュヌは全ての魂、全ての物質、時間を遍く満たしていると語られる<ref name=coward113/>。{{仮リンク|シュリー・ヴァイシュナヴァ派|en|Sri Vaishnavism}}ではヴィシュヌとシュリー([[ラクシュミー]])は分離不可能な存在として描かれ、2柱がともに宇宙を遍く満たすとしている。2柱がともに創造神であり、その創造自体にも2柱が偏在し、創造を超越するとされる<ref name=coward113/>。 |
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『バーガヴァタ・プラーナ』では多くの節でブラフマン(特に{{仮リンク|ニルグナ|en|nirguna|label=ニルグナ・ブラフマン}})とシャンカラの不二一元論が並列に語られる{{Sfn|Sheridan|1986|pp=1–2, 17–25}}。下に一例を挙げる。 |
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{{Quote| |
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<poem> |
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人生の目的は真理の探究であり、儀式の実践を通して天国での享楽を欲求することではない |
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真理の知識を得たものはアドヴァイタ(不二)を真理と呼ぶ |
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これはブラフマンと呼ばれ、至高のアートマンと呼ばれ、バガヴァーンと呼ばれる。 |
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</poem> |
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|『バーガヴァタ・プラーナ』1.2.10-11、ダニエル・シェリダン(Daniel Sheridan)からの重訳<ref>{{Harvnb|Sheridan|1986|page=23 with footnote 17}};<br>サンスクリット文: {{IAST|kāmasya nendriyaprītirlābho jīveta yāvatā / jīvasya tattvajijñāsā nārtho yaśceha karmabhiḥ //}}<br> {{IAST|vadanti tattattvavidastattvaṃ yajjñānamadvayam / brahmeti paramātmeti bhagavāniti śabdyate //}} Source: [http://sanskritdocuments.org/doc_purana/bhagpur.html?lang=sa Bhagavata Purana] Archive</ref>}} |
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研究者たちはヴィシュヌ派の理論を、ウパニシャッドに見られる[[梵我一如]]の議論を基礎に置くものと考えており、これを「一元論的有神論」([[一元論#東洋]])と呼んでいる{{Sfn|Sheridan|1986|pp=1–2, 17–25}}{{Sfn|Brown|1998|p=17}}。『バーガヴァタ・プラーナ』はヴィシュヌとすべての物に宿る魂(アートマン)は同一のものであると主張している<ref name="Brown">{{Harvnb|Brown|1983|pages=553–557}}</ref>。{{仮リンク|エドウィン・ブライアント|en|Edwin Bryant (author)}}は『バーガヴァタ・プラーナ』に語られる一元論は[[ヴェーダーンタ学派|ヴェーダーンタ]](ウパニシャッドとほぼ同義)を基礎に置く物だとしながら、しかしシャンカラの一元論とは明確に同じものだとは言えないとする<ref name=bryant45/>。『バーガヴァタ・プラーナ』では知覚可能、および知覚不可能な宇宙はともに同一の単一の存在の顕現であり、これはちょうど太陽から熱と光という違う現実が出現するのと同じようなことであると語られている<ref name="bryant45">Edwin Bryant (2004), Krishna: The Beautiful Legend of God: Srimad Bhagavata Purana Book X, Penguin, ISBN 978-0140447996, pages 43-48</ref>。 |
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ヴィシュヌ派の[[バクティ]]信仰では、ヴィシュヌには例えば全知の存在、活力に満ちる、大力の、君臨する、輝くような、といったさまざまな性格が付与される<ref name= Tapasyananda>{{Cite book | author = Tapasyananda | year = 1991 | title = Bhakti Schools of Vedānta | url = https://books.google.com/books?id=Q_VtAAAACAAJ | isbn = 81-7120-226-8 | publisher = Sri Ramakrishna Math | location = Madras}}</ref>。マドヴァチャーリヤーの説く『マドヴァ・ヴェーダーンタ』ではクリシュナの姿をするヴィシュヌを、最高位に位置する創造神として、1つの神格として、偏在する神、全てを飲み込む神として、解脱(モークシャ)へと導いてくれる知識と恩寵を与えてくれる者として扱っている<ref>{{Cite book|author= Deepak Sarma| editor =Edwin F. Bryant|title=Krishna: A Sourcebook|url=https://books.google.com/books?id=HVDqCkW1WpUC&pg=PA358|year= 2007| publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-972431-4| pages=358–360}}</ref>。加えて『マドヴァ・ヴェーダーンタ』では最高神であるヴィシュヌ(ブラフマン)と生命の持つ魂(アートマン)を2つの別々の現実と本質を持つと捉える(二元論)。一方でラーマーヌジャの説くシュリー・ヴァイシュナヴァ派では別の物であるが同じ本質を共有するものとしてとらえている(一元論)<ref>{{Cite book|last=Sharma |first=Chandradhar |title=A Critical Survey of Indian Philosophy|year= 1994|publisher= Motilal Banarsidass |isbn=81-208-0365-5 |page=373}}</ref><ref>{{Cite web|title=Madhva (1238-1317) |first= Valerie| last= Stoker| publisher= Internet Encyclopedia of Philosophy|year=2011 |accessdate=17 April 2016| url=http://www.iep.utm.edu/madhva/ }}</ref><ref>Stafford Betty (2010), Dvaita, Advaita, and Viśiṣṭādvaita: Contrasting Views of Mokṣa, Asian Philosophy: An International Journal of the Philosophical Traditions of the East, Volume 20, Issue 2, pages 215-224</ref>。 |
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== 他の神々との関係 == |
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=== ラクシュミー === |
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[[ファイル:Relief sculpture of the Hindu god Narayana with his consort Lakshmi (Lakshminarayana) in the Hoysaleshwara temple at Halebidu.jpg|right|thumb|180px|ヴィシュヌとラクシュミー({{仮リンク|ラクシュミ・ナラヤン|en|Laxminarayan}}、2柱の集合名)、インド、{{仮リンク|ハレービードゥ|en|Halebidu}}。]] |
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{{Main|ラクシュミー}} |
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富と幸運と繁栄の女神、ラクシュミーはヴィシュヌの妻であり、ヴィシュヌのエネルギーの源であるとされている<!--宗派によらないかな--><ref name=anandrao167>{{Cite book|author=Anand Rao|title=Soteriologies of India|url=https://books.google.com/books?id=UxGEy6m4N9kC&pg=PA167|year=2004|publisher=LIT Verlag Münster|isbn=978-3-8258-7205-2|page=167}}</ref><ref>A Parasarthy (1983), Symbolism in Hinduism, Chinmaya Mission Publication, ISBN 978-8175971493, pages 91-92, 160-162</ref>。ラクシュミーはまた、ヴィシュヌの8つの力の源であることから{{仮リンク|シュリー (敬称)|en|Sri|label=シュリー}}、ティルマガル(Thirumagal)とも呼ばれる<!--意味がわからなくね?--><ref name=mmwlak>[[:en:Template:Cite MWSD]]<!-- {{Cite MWSD|url=http://faculty.washington.edu/prem/mw/l.html|lakṣmī}} --></ref><ref name=jmuir>John Muir, {{Google books|ymLZAAAAMAAJ|Original Sanskrit Texts on the Origin and History of the People of India - Their Religions and Institutions|348}}, Volume 5, pp. 348-362 with footnotes</ref>。ヴィシュヌが[[アヴァターラ]]、例えばラーマやクリシュナとして地上に現れる時にはラクシュミーもそれぞれ彼の配偶者である[[シーター]]、[[ルクミニー]]として転生するとされている<ref name="Rosen2006">{{Cite book|last=Rosen|first=Steven J.|authorlink=Steven J. Rosen|title=Essential Hinduism|url=https://books.google.com/books?id=WuVG8PxKq_0C&pg=PA136|date=1 January 2006|publisher=Greenwood Publishing Group|isbn=978-0-275-99006-0|page=136}}</ref>。 |
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=== ブラフマー、シヴァとの関係 === |
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{{main|[[三神一体|トリムルティ]]}} |
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トリムルティ(3つの形の意)は、創造、維持、破壊という宇宙の持つ3つの機能は創造を司るブラフマー、維持を司るヴィシュヌ、破壊/再編を司るシヴァという形で神格化されるというヒンドゥー教のコンセプトである<ref>For quotation defining the trimurti see Matchett, Freda. "The {{IAST|Purāṇas}}", in: Flood (2003), p. 139.</ref><ref>For the Trimurti system having Brahma as the creator, Vishnu as the maintainer or preserver, and Shiva as the transformer or destroyer see: Zimmer (1972) p. 124.</ref>。 |
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シヴァとヴァシュヌは宗派によっては最高神としてとらえられる場合がある。[[ハリハラ]]は右半身がシヴァで、左半身がヴィシュヌの神格であり西暦500年頃から宗教芸術として登場するようになり、例えば6世紀の{{仮リンク|バダミ石窟寺院|en|Badami cave temples}}でも見られる<ref>Alice Boner (1990), Principles of Composition in Hindu Sculpture: Cave Temple Period, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120807051, pages 89-95, 115-124, 174-184</ref><ref>TA Gopinatha Rao (1993), Elements of Hindu iconography, Vol 2, Motilal Banarsidass, ISBN 978-8120808775, pages 334-335</ref>。またそれとは別にハリルドラと呼ばれる半身がヴィシュヌ、半身がシヴァの神格が『マハーバーラタ』に触れられている<ref>For Harirudra citation to Mahabharata 3:39:76f see: Hopkins (1969), p. 221.</ref>。 |
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=== ガルダ === |
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{{main|ガルダ}} |
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ヴィシュヌの[[ヴァーハナ]]は[[ガルダ]]と呼ばれる[[鷲]]である。 |
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== ヴィシュヌのアヴァターラ == |
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{{Main|アヴァターラ|{{仮リンク|ダシャーヴァターラ (神々)|en|Dashavatara|label=ダシャーヴァターラ}}}} |
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[[ファイル:Avatars.jpg|thumb|180px|ヴィシュヌの10のアヴァターラ、ダシャーヴァターラ。[[マツヤ]]、[[クールマ]]、[[ヴァラーハ]]、[[ヴァーマナ]]、[[クリシュナ]]、[[カルキ (ヒンドゥー教)|カルキ]]、[[釈迦|ブッダ]]、[[パラシュラーマ]]、[[ラーマ]]、[[ナラシンハ]]が描かれる。[[ジャイプル]]、[[ヴィクトリア&アルバート博物館]]所蔵。]] |
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トリムルティの中で維持という機能を任されるヴィシュヌは、ブラフマー(創造)やシヴァ(破壊)よりも強くアヴァターラというコンセプトに関連づけられる。ヴィシュヌのアヴァターラは善に力を与えるため、悪と戦うため、すなわち[[ダルマ]]を修復するために地上に現れる。ヴィシュヌのアヴァターラの持つ役割は『バガヴァッド・ギーター』の一節によく表れている<ref name="Gale's">{{Cite book|last=Kinsley|first=David|title=Gale's Encyclopedia of Religion|editor=Lindsay Jones|publisher=Thomson Gale|year=2005|edition=Second|volume=2|pages=707–708|isbn=0-02-865735-7}}</ref><ref name="Matchett">{{Cite book|last=Matchett|first=Freda|title=Krishna, Lord or Avatara?: the relationship between Krishna and Vishnu|publisher=9780700712816|year=2001|page=4|url=https://books.google.com/?id=1oqTYiPeAxMC&pg=PA4 | isbn=978-0-7007-1281-6}}</ref>。 |
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{{Quote| |
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<poem> |
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実に、ダルマ(正法)が衰え、アダルマ(非法)が栄える時、私は自身を現すのである。 |
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善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私はユガごとに出現する。 |
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</poem> |
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|バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳|(第4章7節、8節) |
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}} |
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ヴィシュヌのアヴァターラは、典型的な例では悪が勢力を強め宇宙を不均衡に陥れた場合など、宇宙が危機にさらされたときにはいつでも現れるとされている{{Sfn|James Lochtefeld|2002|p=228}}。ヴィシュヌは知覚可能な形を持って現れ、悪をあるいはその源を破壊し、善と悪という宇宙に常に存在し続ける力の均衡を修復する{{Sfn|James Lochtefeld|2002|p=228}}。 |
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ヴィシュヌ派に語られるヴィシュヌのアヴァターラのうち、最もよく知られ、よく信仰されるものはクリシュナ、ラーマ、ナーラーヤナ、ヴァースデーヴァである。これらのアヴァターラは多くの文献に語られ、それぞれの性格、神話を持ち、宗教芸術という形で表現されている<ref name="Matchett" />。たとえばクリシュナは『マハーバーラタ』ではクリシュナが、『ラーマーヤナ』ではラーマが活躍する<ref name="King">{{Cite book|last=King|first=Anna S.|title=The intimate other: love divine in Indic religions|publisher=Orient Blackswan|year=2005|pages=32–33|isbn=978-81-250-2801-7|url=https://books.google.com/?id=0FvH1aCXETwC&pg=PA32}}</ref>。 |
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===ダシャーヴァターラ=== |
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{{Main|{{仮リンク|ダシャーヴァターラ (神々)|en|Dashavatara|label=ダシャーヴァターラ}}}} |
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『バーガヴァタ・プラーナ』ではヴィシュヌのアヴァターラは無数に存在すると語られているが、中でも10のアヴァターラ、すなわちダシャーヴァターラは重要なものとして特に信仰されている<ref name="Matchett" /><ref name="Bryant">{{Cite book| last=Bryant| first=Edwin Francis|title=Krishna: A Sourcebook| publisher=[[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]] US| year=2007| page=18 | isbn=978-0-19-514891-6| url=https://books.google.com/?id=0z02cZe8PU8C&pg=PT32}}</ref>。ヴィシュヌの10の重要なアヴァターラは『{{仮リンク|アグニ・プラーナ|en|Agni Purana}}』、『{{仮リンク|ガルダ・プラーナ|en|Garuda Purana}}』、『バーガヴァタ・プラーナ』に語られており<ref name="Mishra">{{Cite book|last=Mishra|first=Vibhuti Bhushan|title=Religious beliefs and practices of North India during the early mediaeval period, Volume 1|publisher=BRILL|year=1973|pages=4–5|isbn=978-90-04-03610-9|url=https://books.google.com/?id=nAQ4AAAAIAAJ }}</ref><ref name="Rukmani">{{Cite book|last=Rukmani|first=T. S.|title=A critical study of the Bhagavata Purana, with special reference to bhakti|publisher=Chowkhamba Sanskrit Series|location=Varanasi|year=1970|series=Chowkhamba Sanskrit studies|volume=77|page=4}}</ref>{{Refnest|group="注"|中世ヒンドゥー教の文献にはこれとは異なるアヴァターラの一覧が見られる。例えば『バーガヴァタ・プラーナ (BP)』1.3には以下の22のアヴァターラを列挙する<ref>[http://srimadbhagavatam.com/1/3/en1 Bhag-P 1.3] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130521022342/http://srimadbhagavatam.com/1/3/en1 |date=2013年5月21日 }} Canto 1, Chapter 3</ref>。四クマーラ([[チャトゥルサナ]])[BP 1.3.6] – [[ブラフマー]]の4人の息子でバクティの手本 / [[ヴァラーハ]] [BP 1.3.7] / {{仮リンク|ナーラダ|en|Narada}} [BP 1.3.8] ヴィシュヌのバクタとして世界を旅行する聖人 / {{仮リンク|ナラ・ナーラーヤナ|en|Nara-Narayana}} [BP 1.3.9] – 双子のリシ / [[カピラ]] [BP 1.3.10] – [[マハーバーラタ]]で言及されている有名なリシで、カルダマとデーヴァフーティの子。[[サーンキヤ学派]]哲学の開祖とされることがある / {{仮リンク|ダッタートレーヤ|en|Dattatreya}} [BP 1.3.11] – ヒンドゥー教のブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの[[三神一体]]。リシの[[アトリ (リシ)|アトリ]]の子で自身も優れたリシ / {{仮リンク|ヤジナ (アヴァターラ)|en|Yajna (avatar)|label=ヤジナ}} [BP 1.3.12] – 火の供犠の主で、[[天国]]の主である[[インドラ]] / [[リシャバ]] [BP 1.3.13] – [[バラタ (皇帝)|バラタ]]と[[バーフバリ (ジャイナ教)|バーフバリ]]の父 / {{仮リンク|プリトゥ|en|Prithu|}} [BP 1.3.14] – 大地を牝牛として乳をしぼって穀物と樹木を得、また農業を発明した / マツヤ [BP 1.3.15] / クールマ [BP 1.3.16] / {{仮リンク|ダンヴァンタリ|en|Dhanvantari}} [BP 1.3.17] – [[アーユルヴェーダ]]医学の父で[[デーヴァ]]の医師 / {{仮リンク|モーヒニー|en|Mohini}} [BP 1.3.17] – 魅惑的女性 / ナラシンハ [BP 1.3.18] / ヴァーマナ [BP 1.3.19] / パラシュラーマ [BP 1.3.20], [[ヴィヤーサ]] [BP 1.3.21] – [[ヴェーダ]]の編纂者、[[プラーナ文献]]と叙事詩[[マハーバーラタ]]の著者 / ラーマ [BP 1.3.22] / クリシュナ [BP 1.3.23] / バララーマ [BP 1.3.23] / ブッダ [BP 1.3.24] / カルキ [BP 1.3.25]。39の重要なアヴァターラが{{仮リンク|パンチャラートラ|en|Pañcaratra}}に語られている<ref>{{Cite book|last=Schrader|first=Friedrich Otto |title=Introduction to the Pāñcarātra and the Ahirbudhnya saṃhitā|publisher=Adyar Library|year=1916|page=42|url=https://books.google.com/?id=OlgLAQAAIAAJ}}</ref>。}}、10世紀以前にはすでに重要なアヴァターラは10という数で定着していたようである<ref name="Mishra" />。 |
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もっともよく知られる10の組み合わせがダシャーヴァターラ(10のアヴァターラの意)と呼ばれており、『バーガヴァタ・プラーナ』に語られているのだが、名前の並びに違いがあり5パターン存在する。フレダ・マチェットはこのバリエーションに関して、優先順を暗示することを避けるために、あるいは抽象的な並びに定義を付けるため、解釈を制限するために編集者が意図的に変更した可能性を指摘している{{Sfn|Matchett|2001|p=160}}。 |
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* '''画像'''の列のソートボタンで元の順序に戻る。 |
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{| class="wikitable sortable" |
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|+ ヴィシュヌのアヴァターラ |
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! 名前 |
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! 画像 |
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! class="unsortable"| 描写 |
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! class="unsortable"| 出典 |
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| [[マツヤ]] |
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| {{Display none|001/}}[[ファイル:NarayanaTirumala10.JPG|100px]] |
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| 半魚、半人のアヴァターラ。彼は[[ヴェーダ]](知識)の舟を作り、[[マヌ]](人間の祖先)とすべての生物を救い、さらに宇宙規模の洪水から世界を救うとされる。また、アスラがヴェーダを盗み、それを破壊しようと試みるがアスラを見つけ出し、それを討ち果たしヴェーダを奪い返す。 |
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| {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=228-229}} |
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|- |
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| [[クールマ]] {{Refnest|group="注"|クールマのエピソードにはヴィシュヌの女性のアヴァターラである{{仮リンク|モーヒニー|en|Mohini}}も登場する{{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=705-705}}。}} |
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| {{Display none|002/}}[[ファイル:Kurma at Saptashrungi.JPG|100px]] |
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| [[亀]]のアヴァターラ。宇宙を支える亀であり、[[乳海攪拌]]の際には不死の霊薬[[アムリタ]]を得るために[[ヴァースキ]]を手伝った。攪拌はアムリタとともに毒も生み出したが、アスラがアムリタを奪いったためにヴィシュヌはモーヒニーとして姿を現す。すると皆モーヒニーに惚れ込み、アスラたちはモーヒニーにアムリタを返した。 |
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| {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=705-705}} |
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|- |
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| [[ヴァラーハ]] |
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| {{Display none|003/}}[[ファイル:Badami Cave 2 si05-1588.jpg|100px]] |
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| [[イノシシ]]のアヴァターラ。大地の女神が[[ヒラニヤークシャ]]にさらわれ海の底へと連れ去られたときに彼女を追い、見つけ出して助け出した。 |
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| {{Sfn| James Lochtefeld|2002|p=119}} |
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|- |
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| [[ナラシンハ]] |
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| {{Display none|004/}}[[ファイル:Deshaavathaaram4 narasimham.jpg|100px]] |
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| 半獅子、半人のアヴァターラ。アスラの王[[ヒラニヤカシプ]]は、いかなる人にもいかなる動物にも殺されないという特別な力を得ると、人々を迫害し始める。その中にはヒラニヤカシプの実の息子[[プラフラーダ]]も含まれた。ナラシンハは独創的な方法でヒラニヤカシプの特殊能力を破り、このアスラの王を仕留めた。父であるヒラニヤカシプに異を唱えていたプラフラーダはナラシンハによって助け出される。この神話の一部は[[ホーリー祭]]のバックグラウンドになっている。 |
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| {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=421-422}} |
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|- |
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| [[ヴァーマナ]] |
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| {{Display none|005/}}[[ファイル:Deshaavathaaram5 vamanan.jpg|100px]] |
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| 小人のアヴァターラ。アスラの王[[マハーバリ|バリ]]は不釣り合いに強大な力を得、宇宙の全土を支配し権力を濫用した。僧侶の恰好をしたヴァーマナを見たバリは、自分の力を誇示しようと考え、この僧侶に施しを与えることを思いつく。バリはヴァーマナに「なんでも望むものを与えてやろう」と持ち掛けると、ヴァーマナは3歩分の土地を貰いたいと頼む。バリは承諾する。するとヴァーマナは一息に成長し、最初の一歩で地上を跨ぎ、つぎの一歩で天界を跨ぎ、三歩目で冥界を跨いだ。バリはその冥界へと帰って行った。 |
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| {{Sfn| James Lochtefeld|2002|p=737}} |
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|- |
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| style="white-space:nowrap;" | [[パラシュラーマ]] |
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| {{Display none|006/}}[[ファイル:Parashurama with axe.jpg|100px]] |
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| 斧を持った[[リシ]](聖仙)のアヴァターラ。一部の[[クシャトリヤ]](戦士たち)が極端に力をもち、己の愉楽のために人々の財産を奪うようになった。斧をもったパラシュラーマが現れ、邪悪なクシャトリヤを滅ぼした。 |
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| {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=500-501}} |
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|- |
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| [[ラーマ]] |
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| {{Display none|007/}}[[ファイル:Statue of Rama in Kangra district of Himachal Pradesh.jpg|100px]] |
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| 『[[ラーマーヤナ]]』の主要なキャラクター。 |
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| {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=550-552}} |
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| [[クリシュナ]] |
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| {{Display none|008/}}[[ファイル:Sri_Mariamman_Temple_Singapore_2_amk.jpg|100px]] |
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| 『[[マハーバーラタ]]』、『[[バガヴァッド・ギーター]]』の主要なキャラクター。 |
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| {{Sfn| James Lochtefeld|2002|pp=370-372}} |
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|- |
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| [[ヒンドゥー教における釈迦|ブッダ]] |
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| {{Display none|009/}}[[ファイル:Buddha's statue near Belum Caves Andhra Pradesh India.jpg|100px]] |
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| 仏教の主要キャラクター<ref>{{Cite book|author=Daniel E Bassuk |title=Incarnation in Hinduism and Christianity: The Myth of the God-Man |url=https://books.google.com/books?id=k3iwCwAAQBAJ |date= 1987 |publisher=Palgrave Macmillan |isbn=978-1-349-08642-9 |pages=40 }}</ref>。いくつかの文献ではブッダを[[バララーマ]]、または[[リシャバ]](ジャイナ教の始祖の一人)に置き換えている{{Sfn|Sheth|2002|p=117 with notes 12 and 13}}。 |
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| {{Sfn| James Lochtefeld|2002|p=128}}{{Refnest|group="注"|いくつかのバリエーションではクリシュナの兄であるバララーマを8番目のアヴァターラとし、クリシュナを9番目に置く。また、単純にブッダとバララーマを入れ替えるものもある。[[ジャヤデーヴァ]](Jayadeva)は『[[ギータ・ゴーヴィンダ]]』の中でバララーマとブッダをリストに含め、クリシュナをヴィシュヌと同格として扱い、すなわちすべてのアヴァターラの源であるとしてクリシュナをダシャーヴァターラから省いている<ref>{{Cite book|title=India through the ages|last=Gopal|first=Madan|year= 1990| page= 74|editor=K.S. Gautam|publisher=Publication Division, Ministry of Information and Broadcasting, Government of India}}</ref>。}} |
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| [[カルキ (ヒンドゥー教)|カルキ]] {{Refnest|group="注"|中世の文献には「カルキン」と綴るパターンも見られる。}} |
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| {{Display none|010/}}[[ファイル:Kalki1790s.jpg|100px]] |
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| 翼の生えた白馬とともに現れる最後のアヴァターラ。宇宙を更新するために[[カリ・ユガ]]の終わりに登場するとされる。 |
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| {{Sfn|James Lochtefeld|2002|p=737}} |
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|} |
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===ヴィシュヌの1000の名前=== |
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{{Main|{{仮リンク|ヴィシュヌ・サハスラナーマ|en|Vishnu sahasranama}}}} |
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ヴィシュヌの多くの名前と信奉者がヴィシュヌ・サハスラナーマ{{Refn|group"注"|ヴィシュヌの1000の名前の意。サハスラナーマは聖典の1つの形、ジャンル。}}に集められている。有名なものは『マハーバーラタ』に収められているもので、[[ビーシュマ]]は[[クルクシェートラ]]の戦場にて、クリシュナの前でこれを暗唱し、ヴィシュヌを最高神として称える。 |
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比較神話学者ジョゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』では、次の例が挙げられている{{sfn|キャンベル|2004|p=49}}。 |
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{{Columns-list|colwidth=16em| |
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* 宇宙神 |
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* [[それ]]{{Refnest|group="注"|「[[インド人]]は[[真理]]はあらゆる[[言語]]的[[表現]]を超えると考え,真理を指す最小限の表現として,たとえば〈それtat〉という言葉を用いる。〈そのように〉もこの種の表現であり,[[中国人]]は〈[[如]]〉と訳した。したがって〈[[如来]]〉とは,〈真理そのものとして来たれる者〉の意となる{{Sfn|Kotobank|2015|p=にょらい【如来】}}。」}} |
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* 神としての姿 |
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* [[ヨーガ]]の主 |
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* [[不滅]] |
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* [[超自然]]的であり、とりどりの色や形をもつさまざまの姿 |
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* すべての神の群れと[[天使]]の群れ |
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* いまだかつてみたことのない、多くの奇瑞 |
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* 統一されている、動と不動の全世界 |
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* あなたがみたいと願う、他の〔いかなる〕もの{{sfn|キャンベル|2004|p=49}} |
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* 世界の主 |
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* 至高の形姿 |
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* 偉大な[[一者]] |
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* [[主]] |
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* 生きとし生けるものの群れ |
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* 蓮華の座にある主たる[[梵天]]([[ブラフマー]]) |
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* すべての[[聖仙]] |
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* 聖なる[[竜王]]たち |
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* 無数の[[腕]] |
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* 無数の[[腹]] |
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* 無数の[[顔]] |
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* 無数の[[眼]] |
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* 一切方に[[無限]]の形姿をしめすあなた |
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* 全世界の主 |
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* あらゆる形をもつ者 |
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* あらゆる方向に光輝を放つ凝視しがたいあなた |
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* はかり知ることのできないあなた |
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* この世の至高の安息所 |
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* 恒久的[[正義]]の不滅な[[守護]]者 |
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* [[永遠]]の霊我 |
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* 王子の[[御者]]{{sfn|キャンベル|2004|p=50}} |
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* 眉目麗しき神 |
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* [[友]] |
|||
* 数知れぬ恐ろしい口 |
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* 天までとどき、さらには多彩に輝く燃えさかる姿 |
|||
* [[世界終末|世界終滅]]時の火にも似た恐ろしげな[[牙]]をもつあなた |
|||
* 神々の主{{sfn|キャンベル|2004|p=51}} |
|||
* かくも恐ろしい形姿をまとうあなた |
|||
* 神々のなかの最高の者 |
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* 太初 |
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* [[力]] |
|||
* [[時間]] |
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* 神々のはじめ |
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* 太初の魂 |
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* 宇宙の至高の安息所 |
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* 知るもの |
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* 知られるべきもの |
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* 最後の目的地 |
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* 無限の形姿をもつ者 |
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* [[風神]] |
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* [[死神]] |
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* [[火神]] |
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* [[月]] |
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* [[水神]] |
|||
* 最初の[[人間]] |
|||
* 太祖(ブラフマー){{sfn|キャンベル|2004|p=52}} |
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* 千臂をもつ者 |
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* 普遍 |
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* 無限 |
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* いまだ汝のみたことのないわたしの姿 |
|||
* マドゥースダナ(Madhusudana,Madhusudanah) |
|||
* 宇宙の光り輝く真髄{{sfn|キャンベル|2004|p=53}} |
|||
* 宇宙[[男]] |
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* 宇宙[[鷲]] |
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* 宇宙[[樹]] |
|||
* 宇宙[[蟷螂]]{{sfn|キャンベル|2004|p=54}}}} |
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== シク教 == |
|||
[[シク教]]の文献にはゴラク(Gorakh)という名前でヴィシュヌが登場する<ref>{{Cite book|author=Nikky-Guninder Kaur Singh|title=Sikhism: An Introduction|url=https://books.google.com/books?id=e0ZmAXw7ok8C&pg=PA65 |year=2011|publisher=I.B. Tauris|isbn=978-1-84885-321-8|page=65}}</ref>。例えば{{仮リンク|ジャプジ・サーヒブ|en|Japji Sahib}}ではゴラクは言葉を与え、知恵を示してくれる[[グル]]として賞揚され、彼を通して内在性の気づきを得られるのだとする。{{仮リンク|クリストファー・シャックル|en|Christopher Shackle}}、アーヴィンド・パル=シン・マンディール(Arvind Pal-Singh Mandair)によれば[[グル・ナーナク]]は、グルはシヴァ(isar)であり、ヴィシュヌ(gorakh)であり、ブラフマー(barma)でありパールヴァティ(parbati)であると説き、一方で全てであり真実である神は記述できないと記している<ref>{{Cite book|author1=Christopher Shackle|author2=Arvind Mandair|title=Teachings of the Sikh Gurus: Selections from the Sikh Scriptures|url=https://books.google.com/books?id=VvoJV8mw0LwC |year=2013|publisher=Routledge|isbn=978-1-136-45101-0|pages=5–6}}</ref>。 |
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シク教の文献、{{仮リンク|チャウビス・アヴタル|en|Chaubis Avatar}}にはヴィシュヌの24のアヴァターラが紹介されており、リストにはヒンドゥー教のクリシュナ、ラーマと、仏教のブッダがヴィシュヌのアヴァターラとして含まれている。同様にシク教の文献、{{仮リンク|ダサム・グラント|en|Dasam Granth}}にはヴィシュヌ派に見られるヴィシュヌに関する神話がそのまま取り込まれている<ref name=Oberoi97>{{Cite book|author=Harjot Oberoi|title=The Construction of Religious Boundaries: Culture, Identity, and Diversity in the Sikh Tradition|url=https://books.google.com/books?id=dKl84EYFkTsC |year=1994|publisher=University of Chicago Press|isbn=978-0-226-61593-6|pages=97–98}}</ref>。後者は特にサナターニ・シーク(Sanatan Sikhs{{Refn|group="注"|ヒンドゥー教のサナターナ・ダルマを取り込んだシク教諸宗派の総称。}})に重視されている<ref name=Oberoi97/><ref>[http://www.philtar.ac.uk/encyclopedia/sikhism/sanatan.html Sanatan Singh Sabha], Overview of World Religions, Division of Religion and Philosophy, University of Cumbria</ref>。 |
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== 仏教 == |
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[[ファイル:Garudabkkholidayinn0609.jpg|thumb|180px|left|[[ヴァーハナ]]であるガルダに乗るヴィシュヌ像、[[バンコク]]。[[タイ王国]]でもっとも古いヒンドゥースタイルのヴィシュヌ像は[[スラートターニー県]]のワット・サラ・トゥン(Wat Sala Tung)にあり、西暦400年ころの物となる<ref name=hobsonxxiii>{{Cite book|author1=Micheal Jacq-Hergoualc'h|author2=Victoria Hobson (Translator)|title=The Malay Peninsula: Crossroads of the Maritime Silk-Road (100 BC-1300 AD) |url=https://books.google.com/books?id=a5rG6reWhloC&pg=PR23 |year=2002|publisher=BRILL Academic|isbn=90-04-11973-6|page=xxiii, 116–128}}</ref>。]] |
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ヒンドゥー教のいくつかの宗派がブッダをヴィシュヌのアヴァターラとして捉えている一方で、スリランカの仏教徒の間ではヴィシュヌはスリランカの守護神であり、かつ仏教の守護神として信仰を集めている<ref>{{Cite book | author = Swarna Wickremeratne| title = Buddha in Sri Lanka: Remembered Yesterdays| publisher = State University of New York Press | url=https://books.google.com/books?id=cYrQnZT9JREC |year = 2012| isbn=978-0791468814 |page = 111}}</ref>。スリランカではヴィシュヌは{{仮リンク|ウプルヴァン|en|Upulvan}}、またはウタパラ・ヴァルナとして知られている。ウタパラ・ヴァルナは「青い蓮の色をした者」という意味になる。スリランカでは多くのヒンドゥー寺院、仏教寺院がヴィシュヌを奉っている。明確にヴィシュヌを奉る寺院({{仮リンク|コビル|en|Koil}}や[[神殿|デヴァラヤ]])に加えて、全ての仏教寺院は必然的にメインの仏殿(デヴァラヤ)近くにヴィシュヌを奉る堂を備えている<ref>{{Cite book | author = Swarna Wickremeratne| title = Buddha in Sri Lanka: Remembered Yesterdays| publisher = State University of New York Press | url=https://books.google.com/books?id=cYrQnZT9JREC| year = 2012| isbn=978-0791468814 |page = 226}}</ref>。 |
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ヴィシュヌに関する宗教美術は、今は[[上座部仏教]]が広く信仰を集める[[東南アジア]]の遺跡から見つかっている。たとえば[[タイ王国]]の[[マレーシア]]国境付近では4世紀から9世紀ごろのものと思われる4本の腕のヴィシュヌ像が見つかっており、インドからも同じデザインの物が見つかっている<ref name=hobsonxxiii/>。 |
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同様にタイ中部の[[プラーチーンブリー県]]や[[ペッチャブーン県]]から、また[[ベトナム]]の[[ドンタップ省]]、[[アンザン省]]から見つかっている<ref>{{Cite book|author=John Guy|title=Lost Kingdoms: Hindu-Buddhist Sculpture of Early Southeast Asia|url=https://books.google.com/books?id=vO_-AgAAQBAJ&pg=PA131 |year=2014|publisher=Metropolitan Museum of Art|isbn=978-1-58839-524-5|pages=131–135, 145}}</ref>。[[カンボジア]]の[[タケオ州]]やその他の州からは7世紀から9世紀頃のクリシュナ像が見つかっている<ref>{{Cite book|author=John Guy|title=Lost Kingdoms: Hindu-Buddhist Sculpture of Early Southeast Asia|url=https://books.google.com/books?id=vO_-AgAAQBAJ&pg=PA146 |year=2014|publisher=Metropolitan Museum of Art|isbn=978-1-58839-524-5|pages=146–148, 154–155}}</ref>。[[インドネシア]]の島々からは早いものでは5世紀ごろのヴィシュヌ像が複数見つかっている<ref>{{Cite book|author=John Guy|title=Lost Kingdoms: Hindu-Buddhist Sculpture of Early Southeast Asia|url=https://books.google.com/books?id=vO_-AgAAQBAJ&pg=PA146 |year=2014|publisher=Metropolitan Museum of Art|isbn=978-1-58839-524-5|pages=7–9}}</ref>。像に限らず、ヴィシュヌに関する石碑や彫刻、例えばトリヴィクラマをモチーフにしたものなども東南アジアの各地で見つかっている<ref>{{Cite book|author=John Guy|title=Lost Kingdoms: Hindu-Buddhist Sculpture of Early Southeast Asia|url=https://books.google.com/books?id=vO_-AgAAQBAJ&pg=PA146 |year=2014|publisher=Metropolitan Museum of Art|isbn=978-1-58839-524-5|pages=11–12, 118–129}}</ref>。それらの中には[[スールヤ]]や、ヴィシュヌとブッダを融合させたようなものも存在する<ref>{{Cite book|author=John Guy|title=Lost Kingdoms: Hindu-Buddhist Sculpture of Early Southeast Asia|url=https://books.google.com/books?id=vO_-AgAAQBAJ&pg=PA146 |year=2014|publisher=Metropolitan Museum of Art|isbn=978-1-58839-524-5|pages=221–225}}</ref>。 |
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日本の仏教ではヴィシュヌは[[那羅延天]]や毘紐天として知られ、13世紀に[[日蓮]]のまとめた文献などに登場する<ref>{{Cite book|author=Nichiren|authorlink=Nichiren|title=The Major Writings of Nichiren Daishonin|url=https://books.google.com/books?id=YxoHJwAACAAJ |year=1987|publisher=Nichiren Shoshu International Center|isbn=978-4-88872-012-0|page=1107}}, Alternate site: [http://www.nichirenlibrary.org/en/wnd-2/Appendix/C Archive]</ref>。音写語としては、「毘紐天」、「韋紐天」、「微瑟紐」、「毘瑟怒」などがある。 |
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== 寺院 == |
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[[ファイル:Sri Padmanabhaswamy temple.jpg|thumb|180px|{{仮リンク|パドマナバスワミ寺院|en|Padmanabhaswamy Temple}}、[[ケーララ州]][[ティルヴァナンタプラム]]]] |
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現存するヴィシュヌ寺院の中で初期のものは6世紀頃までさかのぼる。例えばウッタル・プラデーシュ州[[ジャーンシー]]のサルヴァトバドラ寺院(Sarvatobhadra temple)は6世紀の初期のもので、テーマとしてダシャーヴァターラに焦点を当てている<ref>Alexander Lubotsky (1996), [http://www.jstor.org/stable/4629500 The Iconography of the Viṣṇu Temple at Deogarh and the Viṣṇudharmottarapurāṇa], Ars Orientalis, Vol. 26 (1996), page 65</ref>{{Sfn|Bryant|2007|p=7}}。四角に配置されたこの寺院のデザインやヴィシュヌの表現は10世紀頃に書かれたヒンドゥー建築に関する文献、例えば『ブリハット・サンヒター』({{IAST|Bṛhat-saṃhitā}})や『ヴィシュヌダルモーッタラプラーナ』({{IAST|Viṣṇudharmottarapurāṇa}})のインストラクションにおおむね合致する<ref>Alexander Lubotsky (1996), [http://www.jstor.org/stable/4629500 The Iconography of the Viṣṇu Temple at Deogarh and the Viṣṇudharmottarapurāṇa], Ars Orientalis, Vol. 26 (1996), pages 66-80</ref>。 |
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考古学的な研究からヴィシュヌに関する寺院や偶像は紀元前1世紀にはすでに存在していたことがわかっている{{Sfn|Bryant|2007|p=18 with footnote 19}}。これら初期の痕跡としてはたとえば[[ラージャスターン州]]のヴィシュヌに関する[[石碑]]が2つ見つかっており、これらはともに紀元前1世紀頃のものでサンカルシャナ(Sankarshana)とヴァスデーヴァに関する記述がみられる。また、紀元前1世紀以前の物と考えられるベスナガルのガルダ石柱ではバーガヴァタ寺院について触れられている。[[マハーラーシュトラ州]]{{仮リンク|ネインガット|en|Naneghat}}の洞窟で見つかったナーガニカー({{IAST|Nāganikā}})女王の碑文にも多数の神々の中にサンカルシャナとヴァスデーヴァの名前を見つけることができる。[[マトゥラー]]でもいくつかの発見があり、それぞれ西暦の始めころのものと考えられている{{Sfn|Bryant|2007|p=18 with footnote 19}}<ref>{{Cite book|author=Doris Srinivasan|title=Many Heads, Arms, and Eyes: Origin, Meaning, and Form of Multiplicity in Indian Art|url=https://books.google.com/books?id=vZheP9dIX9wC |year=1997|publisher=BRILL Academic|isbn=90-04-10758-4|pages=211–220, 240–259}}</ref><ref>[a] {{Cite book|author=Doris Srinivasan|title=Mathurā: The Cultural Heritage|url=https://books.google.com/books?id=82vtCre6vTcC|year=1989|publisher=Manohar|isbn=978-81-85054-37-7|pages=389–392}};<br>[b] {{Cite book|author=Doris Srinivasan|editor=Joanna Gottfried Williams|title=Kalādarśana: American Studies in the Art of India|url=https://books.google.com/books?id=-qoeAAAAIAAJ |year=1981|publisher=BRILL Academic|isbn=90-04-06498-2|pages=127–136|chapter=Early Krishan Icons: the case at Mathura}}</ref>。 |
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[[ケーララ州]][[ティルヴァナンタプラム]]の{{仮リンク|パドマナバスワミ寺院|en|Padmanabhaswamy Temple}}はヴィシュヌを奉っている。この寺院はその長い歴史の中で金や宝石など多くの寄進を集めている<ref>{{Cite web | title=Keralas Sree Padmanabha Swamy temple may reveal more riches | website=India Today | date=2011-07-07 | url=http://indiatoday.intoday.in/story/kerala-temple-may-reveal-more-riches/1/144004.html | accessdate=2016-10-08}}</ref><ref>{{Cite web | last=Pomfret | first=James | title=Kerala temple treasure brings riches, challenges | website=Reuters India | date=2011-08-19 | url=http://in.reuters.com/article/idINIndia-58866020110819 | accessdate=2016-10-08}}</ref><ref>{{Cite web | last=Blitzer | first=Jonathan | title=The Secret of the Temple | website=The New Yorker | date=2012-04-23 | url=http://www.newyorker.com/magazine/2012/04/30/the-secret-of-the-temple | accessdate=2016-10-08}}</ref><ref>http://www.forbes.com/forbes/welcome/?toURL=http://www.forbes.com/sites/jimdobson/2015/11/13/a-one-trillion-dollar-hidden-treasure-chamber-is-discovered-at-indias-sree-padmanabhaswam-temple/&refURL=https://www.google.co.in/&referrer=https://www.google.co.in/</ref>。 |
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{{Wide image|Srirangamlong view.jpg|600px|[[タミル・ナードゥ州]][[ティルチラーパッリ]]、[[シュリーランガム]]の{{仮リンク|ランガナータスワーミ寺院 (シュリーランガム)|en|Sri Ranganathaswamy Temple, Srirangam}}はヴィシュヌを奉る。この寺院の敷地は63万平方メートルを占め、周囲は4,116メートルに及ぶ。インドでも最大の寺院であり、世界的に見ても最大級の宗教施設である{{Sfn|Mittal| Thursby |2005| p= 456}}。||none}} |
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== その他の文化でのヴィシュヌ == |
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{{仮リンク|ジェームス・フリーマン・クラーク|en|James Freeman Clarke}}によれば[[古代エジプト]]の神[[ホルス]]もヴィシュヌと同様に三神一体を成す1柱である<ref>{{Cite book | author = {{仮リンク|リチャード・レヴィトン|en|Richard Leviton}}| title = Ten Great Religions: an Essay in Comparative Theology| publisher = Trübner & Company | year = 1871| page = 247}}</ref>。{{仮リンク|リチャード・レヴィトン|en|Richard Leviton}}はそれを受けて若いころのホルスが年上のホルスに乗る姿はガルダに乗るヴィシュヌに似ているとして関連を指摘している<ref>{{Cite book | author = {{仮リンク|リチャード・レヴィトン|en|Richard Leviton}}| title = What's Beyond That Star: A Chronicle of Geomythic Adventure| publisher = Clairview Books | year = 2002| page = 160}}</ref>。{{仮リンク|ジェームス・カウルズ・プリチャード|en|James Cowles Prichard}}は一方で、三神一体の理論がエジプトとインドの双方に存在するとはいえ、ホルスとヴィシュヌにつながりがあるとする見方は疑わしいとする<ref>{{Cite book | author = {{仮リンク|James Cowles Prichard|en|James Cowles Prichard}}| title = An Analysis of the Egyptian Mythology: To which is Subjoined a Critical Examination of the Remains of Egyptian Chronology| publisher = J. and A. Arch | year = 1819| page = 285}}</ref>。 |
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{{仮リンク|4034ヴィシュヌ|en|4034 Vishnu}}は[[エレノア・ヘリン]]によって発見された[[小惑星]]である<ref>[http://www.waymarking.com/waymarks/WMH64M_Vishnu_4034_Vishnu_Asteroid__Pasadena_CA Vishnu & 4034 Vishnu Asteroid – Pasadena, CA – Extraterrestrial Locations on Waymarking.com<!-- Bot generated title -->]</ref>。 |
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{{仮リンク|ヴィシュヌ片岩|en|Vishnu Basement Rocks}}は[[アリゾナ州]]の[[グランド・キャニオン]]で見つかる火山堆積物である。その結果として巨大なヴィシュヌ片岩の塊はヴィシュヌ寺院と呼ばれるようになった<ref>[http://pandasthumb.org/archives/2012/08/vishnu-temple-a.html Vishnu Temple at the Grand Canyon – The Panda's Thumb<!-- Bot generated title -->]</ref>。 |
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2007年、[[ロシア]]の[[ヴォルガ川]]の打ち捨てられた村から7世紀から10世紀頃のものと思われるヴィシュヌ像がみつかっている<ref>[http://timesofindia.indiatimes.com/Ancient_Vishnu_idol_found_in_Russia/articleshow/1046928.cms Ancient Vishnu idol found in Russian town]" ''Times of India'' 4 Jan 2007</ref>。 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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{{Reflist|group="注"}} |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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<!--Wikipediaのガイドライン:「これはウィキペディア日本語版なので、わたしたちの読者に便利なように、日本語の情報源はできるだけ提供されるべきであり、外国語の情報源より常に優先して使われるべきです」。詳細については「Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源」へ--> |
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{{Refbegin|30em}} |
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* {{Cite journal| last=Brown| first=C. Mackenzie|year=1983| title=The Origin and Transmission of the Two "Bhāgavata Purāṇas": A Canonical and Theological Dilemma| journal=Journal of the American Academy of Religion| publisher=Oxford University Press| volume=51 | issue=4| pages=551–567| jstor=1462581| doi=10.1093/jaarel/li.4.551 |ref=harv}} |
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* {{Cite book| last=Brown| first=Cheever Mackenzie|title=The Devī Gītā: the song of the Goddess ; a translation, annotation, and commentary| publisher=SUNY Press| year=1998| isbn=978-0-7914-3940-1| url=https://books.google.com/?id=OxayHczql9EC&pg=PA17 |ref=harv}} |
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* {{Cite book|author=Ariel Glucklich|title=The Strides of Vishnu : Hindu Culture in Historical Perspective: Hindu Culture in Historical Perspective|url=https://books.google.com/books?id=KtLScrjrWiAC| year=2008| publisher=Oxford University Press| isbn=978-0-19-971825-2 |ref=harv}} |
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* {{Cite book|和書| author= Kotobank|chapter=にょらい【如来】 |title=世界大百科事典|publisher=株式会社日立ソリューションズ・クリエイト| year=2015|edition=第2版|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A6%82%E6%9D%A5-110688#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88|ref=harv}} |
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* {{Cite book| last=Kumar Das |first=Sisir | title=A history of Indian literature, 500–1399 | publisher=Sahitya Akademi | year=2006 | isbn=978-81-260-2171-0|url=https://books.google.com/?id=BC3l1AbPM8sC |ref=harv}} |
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* {{Cite book|last= Lamb |first=Ramdas |title=Rapt in the Name: The Ramnamis, Ramnam, and Untouchable Religion in Central India|url=https://books.google.com/books?id=Dv1nxyOTgN0C&pg=PA191|year=2002|publisher=SUNY Press|isbn=978-0-7914-5386-5|ref=harv}} |
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* {{Cite book|last=Mahony|first=William K. |title=The Artful Universe: An Introduction to the Vedic Religious Imagination|url=https://books.google.com/books?id=B1KR_kE5ZYoC |year=1998|publisher=State University of New York Press |isbn=978-0-7914-3579-3 |ref=harv}} |
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* {{Cite book | author = Translation by Richard W. Lariviere| title = The Nāradasmr̥ti| publisher = University of Philadelphia | year = 1989| isbn = }} |
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* {{Cite journal|last1=Olivelle|first1=Patrick|authorlink1=Patrick Olivelle|title=The Date and Provenance of the Viṣṇu Smṛti|date=2007|volume=33|pages=49–163|url=http://www.indologica.it/volumi/doc_XXXIII/chapter%2007%20Olivelle.pdf|accessdate=23 October 2015|publisher=Indologica Taurinensia|format=PDF|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110722035453/http://www.indologica.it/volumi/doc_XXXIII/chapter%2007%20Olivelle.pdf|archivedate=22 July 2011}} |
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* {{Cite book|first=Ludo |last=Rocher| year= 1986| authorlink= Ludo Rocher| title= The Puranas| publisher= Otto Harrassowitz Verlag| isbn= 978-3447025225|ref=harv}} |
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* {{Cite book | author = {{仮リンク|Devdutt Pattanaik|en|Devdutt Pattanaik}}| title = 7 Secrets of Vishnu| publisher = westland ltd| year = 2011| isbn = 978-93-80658-68-1}} |
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* {{Cite journal | last1 = Coleman | first1 = T. | doi = 10.1093/obo/9780195399318-0009 | title = Avatāra | journal= Oxford Bibliographies Online: Hinduism| year = 2011 | postscript = . Short introduction and bibliography of sources about ''Avatāra'' (subscription required). }} |
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* {{Cite book|last=Matchett|first=Freda|title=Krishna, Lord or Avatara?: the relationship between Krishna and Vishnu| isbn =978-0700712816 |year=2001| url=https://books.google.com/?id=1oqTYiPeAxMC | publisher=Routledge | ref=harv}} |
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* {{Cite book|title=Zur Entwicklung der Avataralehre | author= Paul Hacker| language=German| editor= Lambert Schmithausen| publisher=Otto Harrassowitz |year=1978| isbn=978-3447048606 }} |
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* {{Cite book |last1=Mittal |first1=Sushil |first2=G. R.|last2= Thursby|url=https://books.google.com/books?id=fz6KBkgEacAC&pg=PA456&dq=The+Hindu+World+%2B+srirangam&hl=en&sa=X&ei=xol2UvyYIajKsQSelICABA&ved=0CDoQ6AEwAA#v=onepage&q=The%20Hindu%20World%20%2B%20srirangam&f=false |title=The Hindu World|year=2005 |publisher=Routelge |location=New York |isbn=0-203-67414-6|ref=harv}} |
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* {{Cite book|last= Sen |first=S.C. |title=The Mystical Philosophy Of The Upanishads|url=https://books.google.com/books?id=xnhNZQJ07DYC&pg=PA26 |year=1937| publisher=Cosmo Publications|isbn=978-81-307-0660-3|ref=harv}} |
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* {{Cite book| editor=Wayman, Alex |title=Researches in Indian and Buddhist philosophy: essays in honour of Professor Alex Wayman | publisher=Motilal Banarsidass | last = Rukmani | first=T. S. |chapter = Siddhis in the Bhāgavata Purāṇa and in the Yogasutras of Patanjali – a Comparison | year=1993 | pages=217–226 | isbn=978-81-208-0994-9 | url=https://books.google.com/?id=i1ffdTIbNJkC&pg=PA217 |ref=harv}} |
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* {{Cite book| last=Sheridan| first=Daniel| title= The Advaitic Theism of the Bhāgavata Purāṇa |publisher=South Asia Books |location=Columbia, Mo |year=1986 |isbn=81-208-0179-2 | url=https://books.google.com/?id=qrtYYTjYFY8C |ref=harv}} |
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* {{Cite journal|doi=10.1353/pew.2002.0005|last=Sheth|first=Noel| year= 2002| title=Hindu Avatāra and Christian Incarnation: A Comparison| journal=Philosophy East and West| publisher={{仮リンク|University of Hawai'i Press|en|University of Hawai'i Press}}| volume=52| issue=1 (January)|pages=98–125 |jstor = 1400135 |ref=harv}} |
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* {{Cite book| last=Varadpande| first= Manohar Laxman|title=History of Indian theatre | publisher=Abhinav Publications| year=1987| isbn=81-7017-221-7| volume = vol. 3| url=https://books.google.com/?id=SyxOHOCVcVkC |ref=harv}} |
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* {{Cite book|和書| last=キャンベル| first= ジョゼフ|title=千の顔をもつ英雄 | publisher=人文書院| year=2004|edition=オンデマンド版第一刷| isbn=978-4409590096| volume = 下||ref=harv}} |
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{{Refend}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{Columns-list|colwidth=15em| |
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* [[三神一体]] |
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* [[ |
* [[最高神]] |
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* [[ |
* [[真理]] |
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* [[ |
* [[太陽神]] |
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* [[アニミズム]] |
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* [[那羅延天]](仏教におけるヴィシュヌ) |
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* [[汎神論]] |
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* [[化身]]・[[権現]]・[[アヴァターラ]] |
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** [[ジャガンナート]] |
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** [[クリシュナ]]}} |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{Commonscat|Vishnu}} |
{{Commonscat|Vishnu}} |
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* [https://www.britannica.com/topic/Vishnu Vishnu] at Encyclopædia Britannica |
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* [http://www3.aa.tufs.ac.jp/~kmach/vishnu.htm ヴィシュヌの絵] |
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* [https://www.bbc.co.uk/religion/religions/hinduism/deities/vishnu.shtml BBC Religion & Ethics – Who is Vishnu] at BBC News |
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* [http://search.proquest.com/openview/13e939c55359de68af67a10fdaf9d1c3/1?pq-origsite=gscholar&cbl=1817606 Origin of the God Vishnu] Vaclav Machek (1960), Archív Orientální, pages 103-126 (Archived by ProQuest) |
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* [http://www.jstor.org/stable/10.1086/665691 Vishnu: Hinduism's Blue-Skinned Savior], Allysa B. Peyton (2012), Brooklyn Museum, June 24–October 2, 2011 |
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{{アヴァターラ}} |
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{{Hinduism2}} |
{{Hinduism2}} |
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{{インド神話}} |
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{{Portal bar|ヒンドゥー教|宗教|神話伝承}} |
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{{Authority control}} |
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[[Category:インド神話の神]] |
[[Category:インド神話の神]] |
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[[Category:ヒンドゥー教の神]] |
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[[Category:リグ・ヴェーダの神々]] |
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[[Category:太陽神]] |
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[[Category:維持神]] |
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[[Category: |
[[Category:ヴィシュヌの形態|*]] |
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[[Category:三神]] |
2024年10月19日 (土) 16:16時点における最新版
ヴィシュヌ | |
---|---|
維持の神 | |
デーヴァナーガリー | विष्णु |
サンスクリット語 | Viṣṇu |
位置づけ |
ブラフマン(ヴィシュヌ派) トリムルティ デーヴァ |
住処 | ヴァイクンタ |
マントラ |
オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ (Oṃ Namo Nārāyaṇāya) |
武器 |
スダルシャナ・チャクラ カウモダキ |
シンボル | シャンカ、 ハス、シェーシャ |
配偶神 | ラクシュミー |
ヴァーハナ | ガルダ |
ヴィシュヌ(梵: विष्णु Viṣṇu)は、ヒンドゥー教の神である。ブラフマー、シヴァとともにトリムルティの1柱を成す重要な神格であり[1][2][注 1]、特にヴィシュヌ派では最高神として信仰を集める[4][5]。
ヴィシュヌ派ではヴィシュヌは形の無い形而上的なコンセプトであるブラフマンと同一視され、至高のスヴァヤン・バガヴァンであるとされ、また、ヴィシュヌは世界が悪の脅威にさらされたとき、混沌に陥ったとき、破壊的な力に脅かされたときには「維持者、守護者」として様々なアヴァターラ(化身)を使い分け、地上に現れるとされている[6]。ヴィシュヌのアヴァターラのうち有名なものでは『マハーバーラタ』のクリシュナや『ラーマーヤナ』のラーマが含まれている。また、ヴィシュヌはナーラーヤナ、ジャガンナータ、ヴァースデーヴァ、ヴィトーバ、ハリといった異名でも知られ、スマールタ派のパンチャーヤタナ・プージャーでは5柱の信仰対象の神々の1人に数えられている[5]。
偶像としてはヴィシュヌは通常青い肌の色で4本の腕を持つ姿で描かれる。下の左手にはパドマ、下の右手にはカウモーダキー、上の左手にはパーンチャジャニヤ、上の右手にはスダルシャナ・チャクラを持つ[注 2]。また、とぐろを巻くアナンタの上に横になってまどろむ姿を描いたものも多くみられる。これは現実世界はヴィシュヌの夢に過ぎないという神話の1場面を切り取ったもので、通常彼の配偶神であるラクシュミーが一緒に描かれる[7]。
概要
[編集]名前
[編集]「ヴィシュヌ」という名前には「遍く満たす」という意味があるとされる[8][9]。
紀元前5世紀頃のヴェーダーンガの学者ヤースカは彼のニルクタ(語源に関する書物)の中でヴィシュヌの語源を「どこにでも入る者[注 3]」、「枷や束縛から離れたものがヴィシュヌである[注 4]」としている[10]。
中世インドの学者メーダーティティは「浸透する」という意味の「ヴィシュ」(viś)にヴィシュヌの語源を求めている。すなわち「ヴィシュヌ」は「どこにでも存在し、全ての中に存在する者」という意味を含むとする[11]。
特徴
[編集]比較神話学者ジョゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』で、ヴィシュヌが扱われている[12]。ヴィシュヌについてアルジュナの言葉では、「あなたの終わりも中間も、また始まりもわたしはみとめない」[12]。「あなたは全世界をあまねく貪りつつ、燃えたつ口で舐めわたす」[13]。
ヴィシュヌの描写は次のようにある。
ヴィシュヌ自身の言葉はこうある。
聖典
[編集]
ヒンドゥーの神ヴィシュヌは長い歴史の中で信仰を集め続けてきた。 |
ヴェーダ
[編集]ヴェーダの時代にはヴィシュヌはインドラやアグニのような目立った神格ではなかった[16]。紀元前2000年頃の『リグ・ヴェーダ』に含まれる1028の賛歌の内、ヴィシュヌに捧げられたものは5つにとどまる[11]。ヴィシュヌはブラーフマナ(紀元前900-500年)で言及され、それ以降存在感を増していき、やがてブラフマンと同等の最高位の神格として信仰を集めるようになった[16][17]。
ヴェーダの全体でみるとヴィシュヌに関する言及は多くなく、神格としての設定もありきたりと言えるが、ヤン・ホンダは『リグ・ヴェーダ』にはいくつか目をひく言及も見られるとしている[16]。たとえば『リグ・ヴェーダ』にはヴィシュヌは死後のアートマン(魂)が住まうというもっとも高い所に住むという言及があり[注 5]、これが後にヒンドゥー教の救済論と結びつきヴィシュヌの人気を高める原因のひとつになったのではないかという指摘がある[16][18]。またヴェーダには、ヴィシュヌは天と地を支えるものであるとする記述も見られる[11]。
ヴェーダでは他の神へ向けた賛歌でヴィシュヌが触れられる例がたびたび見られ、とくにインドラとのつながりが感じられる[11][19]。インドラが悪の象徴であるヴリトラを倒す際にはヴィシュヌが手を貸している。
トリヴィクラマ
[編集]『リグ・ヴェーダ』の複数の賛歌でトリヴィクラマ(Trivikrama)と呼ばれるヴィシュヌにまつわる神話が語られており、これはヒンドゥー教の最も古い時代から継続的に語られている神話のうちの1つである[20]。トリヴィクラマは古今を問わずヒンドゥーの宗教美術に着想を与えており、例えばエローラ石窟群のものはヴィシュヌのアヴァターラとしてのヴァーマナのトリヴィクラマが描かれる[21][22]。トリヴィクラマとは「3歩」という意味を持つ。この神話では、取るに足らない風貌をしたヴィシュヌが一息に巨大化し、最初の一歩で地上をまたぎ、二歩目で天をまたぎ、三歩目で天界の全てをまたいだと語られる[20][23]。
Viṣṇornu kaṃ vīryāṇi pravocaṃ yaḥ pārthivāni vimame rajāṃsi / yo askabhāyaduttaraṃ sadhasthaṃ vicakramāṇas tredhorugāyaḥ // (...)
私はヴィシュヌの偉業をここに宣言しよう。彼は地上を実測し、天界をうち立てた。大股の三歩で(略)
ヴィシュヌスークタとも呼ばれるこの賛歌には救済論が含まれているとされる。この賛歌ではヴィシュヌは三歩目に、死を免れない者たちの領域を超えたことが示されている。そこはもっとも高い場所であり、神に帰依したものたちが幸せに暮らすとされている[20]。『シャタパタ・ブラーフマナ』(紀元前8-6世紀)ではこのテーマをより深く掘り下げている。ここでは3つの世界(トリロカ)をアスラに奪われた神々をヴィシュヌが代表し、トリヴィクラマにより世界を奪い返す。ここではヴィシュヌはすなわち死を免れない者たちの救済者であり、神々の救済者でもあると読み取れる[20]。
ブラーフマナ
[編集]『シャタパタ・ブラーフマナ』にはヴィシュヌ派の護持する汎神論的アイデアを見つけることができる[25]。ヴィシュヌ派では最高神であるヴィシュヌは経験的に知覚できる宇宙に遍く宿っているとされる[25]。『シャタパタ・ブラーフマナ』にてプルシャ・ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)は以下のように語る。「全ての世界に私自身を置いた。私自身に全ての世界を置いた」[25]。さらにこの『シャタパタ・ブラーフマナ』はヴィシュヌとすべての知識(すなわちヴェーダ)を等価であるとする。すなわち宇宙の全ての本質を不滅であるとし、全てのヴェーダと宇宙の原則を不滅であるとし、ヴィシュヌであるこの不滅の物は全てであると主張する[25]。
ヴィシュヌは全ての物と生物に染みわたっていると描写されている。これをジオラ・ショーハムは、ヴィシュヌは、本質的な原則として、超越的な自己として常に全ての物と生物の中に存在しつづけている、と表現する[26]。ブラーフマナを含むヴェーダの聖典はヴィシュヌを称賛しながらも、ヴィシュヌの下に他の神々を従属させない。ヴェーダが提示するのは包括的、多元的な単一神教である。時には明確に、「偉大な神々も卑小な神々も、若い神々も年老いた神々も」[注 6]という呼びかけが行われることもあるが、これは神々の神聖な力をわかりやすく表現するための試みであり、いずれかの神がいずれかの神に従属しているという表現は見つけられない。一方でヴェーダの賛歌の中から、全ての神々がそれぞれ至高であり、それぞれ絶対的であるという表現を見つけることはたやすい[27]。
ウパニシャッド
[編集]ムクティカーと呼ばれる108のウパニシャッドのうち、ヴァイシュナヴァ・ウパニシャッド(ヴィシュヌ派のウパニシャッド)が14存在する[28]。これらがいつ編纂されたものかははっきりとはわかっていないが、紀元前1世紀頃から17世紀頃までと幅を持って見積もられている[29][30]。
これらヴァイシュナヴァ・ウパニシャッドはブラフマンと呼ばれる形而上的な現実としてのヴィシュヌ、ナーラーヤナ、ラーマやあるいはヴィシュヌのアヴァターラの1つに焦点を当てる[31][32]。そして倫理から信仰の方法まで広範な話題を取り扱う[33]。
プラーナ文献
[編集]ヴィシュヌ派のプラーナ文献ではヴィシュヌに主眼が置かれる。ルド・ロシェによればこれらヴィシュヌ派のプラーナとして特に重要なものには『バーガヴァタ・プラーナ』、『ヴィシュヌ・プラーナ』、『ナーラディーヤ・プラーナ』、『ガルダ・プラーナ』、『ヴァーユ・プラーナ』が挙げられる[34]。プラーナは様々な立場から語られる宇宙論や、神話、様々な生き方に関する博物学的内容、加えて中世に書かれたものにはマーハートミヤ(māhātmya)と呼ばれる地域ごとのヴィシュヌ寺院を紹介する旅行ガイドのようなものが含まれる[35]。
ヴィシュヌ派のプラーナに語られるさまざまな宇宙論を例として挙げると、例えばヴィシュヌの目は南の天極にあり、そこから宇宙を観察しているとされる[36]。また、ヴァーユ・プラーナの4章80節ではヴィシュヌはヒラニヤガルバ(金の卵の意)であったとされ、そこから一斉にすべての生物の雄と雌が生まれ出る[37]。プラーナによってはシヴァやブラフマー、シャクティが宇宙論の中心となるが、『ヴィシュヌ・プラーナ』はヴィシュヌを中心に宇宙論を展開する。『ヴィシュヌ・プラーナ』の22章では、彼の多くの異名(称号)、例えばハリ、ジャナルダナ、マダーヴァ、アチユタ、フリシケシャなどを以ってヴィシュヌを礼賛する[38]。
ヴェーダーンタ学派のラーマーヌジャはウパニシャッドで議論のあった根本原理ブラフマンをヴィシュヌと同一視し、シュリー・ヴァイシュナヴァ派の基礎を築いた[39]。『バーガヴァタ・プラーナ』のたとえば1巻2章11節などではヴィシュヌはブラフマンと同一視される。いわく、よく学び絶対の真理を知る超越主義者はこの無二の本質をブラフマン、あるいはパラマートマ(Paramātma)、バガヴァーン(Bhagavān、ヴィシュヌのこと)と呼ぶ[40]。
ヴィシュヌのアヴァターラであるクリシュナに焦点を当てる『バーガヴァタ・プラーナ』は、最も人気があり、最も広く親しまれているプラーナで、ほぼすべてのインドの言語に翻訳されている[41]。この文献も他のプラーナと同様に宇宙論、系譜学、地理学、神話、伝説、音楽、舞踊、ヨーガ、文化などあらゆるテーマを扱っている[42][43]。バーガヴァタ・プラーナでは、慈悲深い神々と邪なアスラ(悪魔)との戦争でアスラが勝利するところから物語が始まり、そしてその結果としてアスラが宇宙を支配する。ヴィシュヌはまずはアスラと和解し、彼らを理解し、その後に独創的な方法で彼らを倒し、そして希望と正義と自由と善をとり戻す。これは様々な伝説に繰り返し登場するテーマとなっている[44]。『バーガヴァタ・プラーナ』はヴィシュヌ派において特に信仰を集めている[45]。このプラーナに見られるヴィシュヌの活躍は演劇、舞台芸術の世界にも影響を与えており、例えばサトリヤ、マニプリ、オリッシー、クチプディ、カタカリ、カタック、バラタナティヤム、バーガヴァタ・メーラ、モヒニアッタムという形で祭りの期間などに上演される[46][47][48]。
ヴェーダやウパニシャッドには見られないことだが、プラーナのいくつかのバリエーションではヴィシュヌが最高神であり、他の神々が依存する存在であると語られる。たとえばヴィシュヌ派のプラーナでは、ヴィシュヌは創造神ブラフマーの根源であるとされる。ヴィシュヌの宗教美術ではしばしばヴィシュヌの臍から伸びる蓮からブラフマーが生まれる様子が描かれる。したがって、ブラフマーは宇宙の全ての物を創造したが、原初の海は創造しなかったとされる[49]。対照的にシヴァ派のプラーナではブラフマーとヴィシュヌはアルダナーリーシュヴァラ(シヴァとパールヴァティの融合した神)から誕生したと語られている。あるいは、ルドラ(シヴァの前身)がブラフマーを創造したり、またはカルパ(宇宙の寿命)ごとにヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーが持ち回りでお互いを創造するとされる[50]。
また、ヴィシュヌ派のプラーナの中にはヴィシュヌがルドラ(すなわちシヴァ)の姿を借りて、あるいはルドラに命じて世界を破壊するというエピソードも存在する。その結果宇宙は崩壊し、「時間」とともにヴィシュヌに再吸収される。その後宇宙はヴィシュヌから再び創造され、新しいカルパが始まる[51]。他にも様々な宇宙論が存在し、宇宙はヴィシュヌではなくシヴァに吸収されるのだとするものも存在する[51][52]。
サンガムおよびサンガム以降
[編集]タミル語で書かれた古典文芸、サンガム文学が1世紀から3世紀を中心に盛んになった。これらタミルの文献はヴィシュヌや、クリシュナ、ラーマといったヴィシュヌのアヴァターラ、それからその他、シヴァやムルガン(スカンダ)、ドゥルガー、インドラといった汎インドの神々を信仰した[55]。これらサンガムではヴィシュヌはマヨン(Mayon)と呼ばれる。マヨンは「色の黒い者」を意味し、これは北インドの言葉における「クリシュナ」と同じ意味を持つ[55]。その他にもヴィシュヌを指す言葉としてサンガムには、マヤヴァン(mayavan)、マミヨン(mamiyon)、ネチヨン(netiyon)、マル(mal)、マヤン(mayan)といった言葉を見つけることができる[56]。
サンガム以降、おそらく5世紀に書かれたと考えられているタミルの叙事詩シラッパディハーラムとマニメーハライではクリシュナが主題となっている[57][58]。これらの叙事詩には、例えば幼い時にバターを盗んだ話や、少年期には沐浴をする女の子たちの服を隠してからかった話など、インド各地でそれぞれに発展したクリシュナにまつわる神話の共有が見られる[57][59]。
バクティ運動
[編集]5世紀前後に発展したヴィシュヌに関わる様々なアイデアは12世紀以降にインド全土で優勢となるバクティ運動(バクティ参照)において重要な意味を持つ。5世紀から10世紀にかけてアールワール[注 7]と呼ばれるタミル・ヴィシュヌ派の詩人たちが活躍し、彼らはヴィシュヌを称える歌を歌いながら各地を巡った[61]。彼らはシュリーランガムをはじめとする寺院サイト(巡礼地)の形成に関わり、ヴィシュヌ派の思想を広めた。ディヴィヤ・プラバンダにまとめられた彼らの詩はその後ヴィシュヌ派の重要な聖典へと発展する。『バーガヴァタ・プラーナ』ではバクティ思想を強調する一方でアールワールへの言及が見られ、これらはバクティ思想が南インドに起原を持つとする学説の根拠となっている。ただしこの論拠はバクティ思想が南と北で同時発生した可能性を否定しきれないという指摘も存在する[62][63]。
ヴィシュヌ派
[編集]『バーガヴァタ・プラーナ』にはヴィシュヌ派の思想がまとめられており、そこにはシャンカラの哲学、すなわちアートマンとブラフマンを融合するといった議論や、個の本質の中にブラフマンを戻すといったアドヴァイタ的(不二一元論)な議論が語られている[42][65][66]。このプラーナではモークシャ(解脱)がエーカトヴァ(Ekatva、単一性)とサーユジャ(Sāyujya、没入)として説明され、そこでは個は完全にブラフマンに没頭すると語られる[67]。ルクミニ(T.S Rukmani)によれば、『バーガヴァタ・プラーナ』は個の魂(アートマン)の絶対(ブラフマン)への回帰と絶対への融合を提示しており、これは疑いなくアドヴァイタ的傾向であるとする[67]。『バーガヴァタ・プラーナ』はこれと同じ節にバガヴァン(ヴィシュヌ、とりわけクリシュナのこと)を専念する対象として触れており、そのため『バガヴァッド・ギーター』で語られる3つの道のうちのバクティ・ヨーガを提示しているとされている[67][68][注 8]。
『バガヴァッド・ギーター』は知覚可能な物と知覚不可能な物、すなわち魂と物質の双方を扱っている。ハロルド・カワードとダニエル・マグワイア( Daniel Maguire)は、『バガヴァッド・ギーター』は宇宙をヴィシュヌ(クリシュナ)の体として描いていると表現する。この文献の中ではヴィシュヌは全ての魂、全ての物質、時間を遍く満たしていると語られる[9]。シュリー・ヴァイシュナヴァ派ではヴィシュヌとシュリー(ラクシュミー)は分離不可能な存在として描かれ、2柱がともに宇宙を遍く満たすとしている。2柱がともに創造神であり、その創造自体にも2柱が偏在し、創造を超越するとされる[9]。
『バーガヴァタ・プラーナ』では多くの節でブラフマン(特にニルグナ・ブラフマン)とシャンカラの不二一元論が並列に語られる[66]。下に一例を挙げる。
人生の目的は真理の探究であり、儀式の実践を通して天国での享楽を欲求することではない
真理の知識を得たものはアドヴァイタ(不二)を真理と呼ぶ
これはブラフマンと呼ばれ、至高のアートマンと呼ばれ、バガヴァーンと呼ばれる。—『バーガヴァタ・プラーナ』1.2.10-11、ダニエル・シェリダン(Daniel Sheridan)からの重訳[69]
研究者たちはヴィシュヌ派の理論を、ウパニシャッドに見られる梵我一如の議論を基礎に置くものと考えており、これを「一元論的有神論」(一元論#東洋)と呼んでいる[66][70]。『バーガヴァタ・プラーナ』はヴィシュヌとすべての物に宿る魂(アートマン)は同一のものであると主張している[65]。エドウィン・ブライアントは『バーガヴァタ・プラーナ』に語られる一元論はヴェーダーンタ(ウパニシャッドとほぼ同義)を基礎に置く物だとしながら、しかしシャンカラの一元論とは明確に同じものだとは言えないとする[71]。『バーガヴァタ・プラーナ』では知覚可能、および知覚不可能な宇宙はともに同一の単一の存在の顕現であり、これはちょうど太陽から熱と光という違う現実が出現するのと同じようなことであると語られている[71]。
ヴィシュヌ派のバクティ信仰では、ヴィシュヌには例えば全知の存在、活力に満ちる、大力の、君臨する、輝くような、といったさまざまな性格が付与される[72]。マドヴァチャーリヤーの説く『マドヴァ・ヴェーダーンタ』ではクリシュナの姿をするヴィシュヌを、最高位に位置する創造神として、1つの神格として、偏在する神、全てを飲み込む神として、解脱(モークシャ)へと導いてくれる知識と恩寵を与えてくれる者として扱っている[73]。加えて『マドヴァ・ヴェーダーンタ』では最高神であるヴィシュヌ(ブラフマン)と生命の持つ魂(アートマン)を2つの別々の現実と本質を持つと捉える(二元論)。一方でラーマーヌジャの説くシュリー・ヴァイシュナヴァ派では別の物であるが同じ本質を共有するものとしてとらえている(一元論)[74][75][76]。
他の神々との関係
[編集]ラクシュミー
[編集]富と幸運と繁栄の女神、ラクシュミーはヴィシュヌの妻であり、ヴィシュヌのエネルギーの源であるとされている[77][78]。ラクシュミーはまた、ヴィシュヌの8つの力の源であることからシュリー、ティルマガル(Thirumagal)とも呼ばれる[79][80]。ヴィシュヌがアヴァターラ、例えばラーマやクリシュナとして地上に現れる時にはラクシュミーもそれぞれ彼の配偶者であるシーター、ルクミニーとして転生するとされている[81]。
ブラフマー、シヴァとの関係
[編集]トリムルティ(3つの形の意)は、創造、維持、破壊という宇宙の持つ3つの機能は創造を司るブラフマー、維持を司るヴィシュヌ、破壊/再編を司るシヴァという形で神格化されるというヒンドゥー教のコンセプトである[82][83]。
シヴァとヴァシュヌは宗派によっては最高神としてとらえられる場合がある。ハリハラは右半身がシヴァで、左半身がヴィシュヌの神格であり西暦500年頃から宗教芸術として登場するようになり、例えば6世紀のバダミ石窟寺院でも見られる[84][85]。またそれとは別にハリルドラと呼ばれる半身がヴィシュヌ、半身がシヴァの神格が『マハーバーラタ』に触れられている[86]。
ガルダ
[編集]ヴィシュヌのアヴァターラ
[編集]トリムルティの中で維持という機能を任されるヴィシュヌは、ブラフマー(創造)やシヴァ(破壊)よりも強くアヴァターラというコンセプトに関連づけられる。ヴィシュヌのアヴァターラは善に力を与えるため、悪と戦うため、すなわちダルマを修復するために地上に現れる。ヴィシュヌのアヴァターラの持つ役割は『バガヴァッド・ギーター』の一節によく表れている[87][88]。
実に、ダルマ(正法)が衰え、アダルマ(非法)が栄える時、私は自身を現すのである。
善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私はユガごとに出現する。—バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳、(第4章7節、8節)
ヴィシュヌのアヴァターラは、典型的な例では悪が勢力を強め宇宙を不均衡に陥れた場合など、宇宙が危機にさらされたときにはいつでも現れるとされている[89]。ヴィシュヌは知覚可能な形を持って現れ、悪をあるいはその源を破壊し、善と悪という宇宙に常に存在し続ける力の均衡を修復する[89]。
ヴィシュヌ派に語られるヴィシュヌのアヴァターラのうち、最もよく知られ、よく信仰されるものはクリシュナ、ラーマ、ナーラーヤナ、ヴァースデーヴァである。これらのアヴァターラは多くの文献に語られ、それぞれの性格、神話を持ち、宗教芸術という形で表現されている[88]。たとえばクリシュナは『マハーバーラタ』ではクリシュナが、『ラーマーヤナ』ではラーマが活躍する[90]。
ダシャーヴァターラ
[編集]『バーガヴァタ・プラーナ』ではヴィシュヌのアヴァターラは無数に存在すると語られているが、中でも10のアヴァターラ、すなわちダシャーヴァターラは重要なものとして特に信仰されている[88][91]。ヴィシュヌの10の重要なアヴァターラは『アグニ・プラーナ』、『ガルダ・プラーナ』、『バーガヴァタ・プラーナ』に語られており[92][93][注 9]、10世紀以前にはすでに重要なアヴァターラは10という数で定着していたようである[92]。
もっともよく知られる10の組み合わせがダシャーヴァターラ(10のアヴァターラの意)と呼ばれており、『バーガヴァタ・プラーナ』に語られているのだが、名前の並びに違いがあり5パターン存在する。フレダ・マチェットはこのバリエーションに関して、優先順を暗示することを避けるために、あるいは抽象的な並びに定義を付けるため、解釈を制限するために編集者が意図的に変更した可能性を指摘している[96]。
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名前 | 画像 | 描写 | 出典 |
---|---|---|---|
マツヤ | 半魚、半人のアヴァターラ。彼はヴェーダ(知識)の舟を作り、マヌ(人間の祖先)とすべての生物を救い、さらに宇宙規模の洪水から世界を救うとされる。また、アスラがヴェーダを盗み、それを破壊しようと試みるがアスラを見つけ出し、それを討ち果たしヴェーダを奪い返す。 | [97] | |
クールマ [注 10] | 亀のアヴァターラ。宇宙を支える亀であり、乳海攪拌の際には不死の霊薬アムリタを得るためにヴァースキを手伝った。攪拌はアムリタとともに毒も生み出したが、アスラがアムリタを奪いったためにヴィシュヌはモーヒニーとして姿を現す。すると皆モーヒニーに惚れ込み、アスラたちはモーヒニーにアムリタを返した。 | [98] | |
ヴァラーハ | イノシシのアヴァターラ。大地の女神がヒラニヤークシャにさらわれ海の底へと連れ去られたときに彼女を追い、見つけ出して助け出した。 | [99] | |
ナラシンハ | 半獅子、半人のアヴァターラ。アスラの王ヒラニヤカシプは、いかなる人にもいかなる動物にも殺されないという特別な力を得ると、人々を迫害し始める。その中にはヒラニヤカシプの実の息子プラフラーダも含まれた。ナラシンハは独創的な方法でヒラニヤカシプの特殊能力を破り、このアスラの王を仕留めた。父であるヒラニヤカシプに異を唱えていたプラフラーダはナラシンハによって助け出される。この神話の一部はホーリー祭のバックグラウンドになっている。 | [100] | |
ヴァーマナ | 小人のアヴァターラ。アスラの王バリは不釣り合いに強大な力を得、宇宙の全土を支配し権力を濫用した。僧侶の恰好をしたヴァーマナを見たバリは、自分の力を誇示しようと考え、この僧侶に施しを与えることを思いつく。バリはヴァーマナに「なんでも望むものを与えてやろう」と持ち掛けると、ヴァーマナは3歩分の土地を貰いたいと頼む。バリは承諾する。するとヴァーマナは一息に成長し、最初の一歩で地上を跨ぎ、つぎの一歩で天界を跨ぎ、三歩目で冥界を跨いだ。バリはその冥界へと帰って行った。 | [101] | |
パラシュラーマ | 斧を持ったリシ(聖仙)のアヴァターラ。一部のクシャトリヤ(戦士たち)が極端に力をもち、己の愉楽のために人々の財産を奪うようになった。斧をもったパラシュラーマが現れ、邪悪なクシャトリヤを滅ぼした。 | [102] | |
ラーマ | 『ラーマーヤナ』の主要なキャラクター。 | [103] | |
クリシュナ | 『マハーバーラタ』、『バガヴァッド・ギーター』の主要なキャラクター。 | [104] | |
ブッダ | 仏教の主要キャラクター[105]。いくつかの文献ではブッダをバララーマ、またはリシャバ(ジャイナ教の始祖の一人)に置き換えている[106]。 | [107][注 11] | |
カルキ [注 12] | 翼の生えた白馬とともに現れる最後のアヴァターラ。宇宙を更新するためにカリ・ユガの終わりに登場するとされる。 | [101] |
ヴィシュヌの1000の名前
[編集]ヴィシュヌの多くの名前と信奉者がヴィシュヌ・サハスラナーマ[109]に集められている。有名なものは『マハーバーラタ』に収められているもので、ビーシュマはクルクシェートラの戦場にて、クリシュナの前でこれを暗唱し、ヴィシュヌを最高神として称える。
比較神話学者ジョゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』では、次の例が挙げられている[12]。
- 宇宙神
- それ[注 13]
- 神としての姿
- ヨーガの主
- 不滅
- 超自然的であり、とりどりの色や形をもつさまざまの姿
- すべての神の群れと天使の群れ
- いまだかつてみたことのない、多くの奇瑞
- 統一されている、動と不動の全世界
- あなたがみたいと願う、他の〔いかなる〕もの[12]
- 世界の主
- 至高の形姿
- 偉大な一者
- 主
- 生きとし生けるものの群れ
- 蓮華の座にある主たる梵天(ブラフマー)
- すべての聖仙
- 聖なる竜王たち
- 無数の腕
- 無数の腹
- 無数の顔
- 無数の眼
- 一切方に無限の形姿をしめすあなた
- 全世界の主
- あらゆる形をもつ者
- あらゆる方向に光輝を放つ凝視しがたいあなた
- はかり知ることのできないあなた
- この世の至高の安息所
- 恒久的正義の不滅な守護者
- 永遠の霊我
- 王子の御者[14]
- 眉目麗しき神
- 友
- 数知れぬ恐ろしい口
- 天までとどき、さらには多彩に輝く燃えさかる姿
- 世界終滅時の火にも似た恐ろしげな牙をもつあなた
- 神々の主[111]
- かくも恐ろしい形姿をまとうあなた
- 神々のなかの最高の者
- 太初
- 力
- 時間
- 神々のはじめ
- 太初の魂
- 宇宙の至高の安息所
- 知るもの
- 知られるべきもの
- 最後の目的地
- 無限の形姿をもつ者
- 風神
- 死神
- 火神
- 月
- 水神
- 最初の人間
- 太祖(ブラフマー)[15]
- 千臂をもつ者
- 普遍
- 無限
- いまだ汝のみたことのないわたしの姿
- マドゥースダナ(Madhusudana,Madhusudanah)
- 宇宙の光り輝く真髄[112]
- 宇宙男
- 宇宙鷲
- 宇宙樹
- 宇宙蟷螂[113]
シク教
[編集]シク教の文献にはゴラク(Gorakh)という名前でヴィシュヌが登場する[114]。例えばジャプジ・サーヒブではゴラクは言葉を与え、知恵を示してくれるグルとして賞揚され、彼を通して内在性の気づきを得られるのだとする。クリストファー・シャックル、アーヴィンド・パル=シン・マンディール(Arvind Pal-Singh Mandair)によればグル・ナーナクは、グルはシヴァ(isar)であり、ヴィシュヌ(gorakh)であり、ブラフマー(barma)でありパールヴァティ(parbati)であると説き、一方で全てであり真実である神は記述できないと記している[115]。
シク教の文献、チャウビス・アヴタルにはヴィシュヌの24のアヴァターラが紹介されており、リストにはヒンドゥー教のクリシュナ、ラーマと、仏教のブッダがヴィシュヌのアヴァターラとして含まれている。同様にシク教の文献、ダサム・グラントにはヴィシュヌ派に見られるヴィシュヌに関する神話がそのまま取り込まれている[116]。後者は特にサナターニ・シーク(Sanatan Sikhs[注 14])に重視されている[116][117]。
仏教
[編集]ヒンドゥー教のいくつかの宗派がブッダをヴィシュヌのアヴァターラとして捉えている一方で、スリランカの仏教徒の間ではヴィシュヌはスリランカの守護神であり、かつ仏教の守護神として信仰を集めている[119]。スリランカではヴィシュヌはウプルヴァン、またはウタパラ・ヴァルナとして知られている。ウタパラ・ヴァルナは「青い蓮の色をした者」という意味になる。スリランカでは多くのヒンドゥー寺院、仏教寺院がヴィシュヌを奉っている。明確にヴィシュヌを奉る寺院(コビルやデヴァラヤ)に加えて、全ての仏教寺院は必然的にメインの仏殿(デヴァラヤ)近くにヴィシュヌを奉る堂を備えている[120]。
ヴィシュヌに関する宗教美術は、今は上座部仏教が広く信仰を集める東南アジアの遺跡から見つかっている。たとえばタイ王国のマレーシア国境付近では4世紀から9世紀ごろのものと思われる4本の腕のヴィシュヌ像が見つかっており、インドからも同じデザインの物が見つかっている[118]。 同様にタイ中部のプラーチーンブリー県やペッチャブーン県から、またベトナムのドンタップ省、アンザン省から見つかっている[121]。カンボジアのタケオ州やその他の州からは7世紀から9世紀頃のクリシュナ像が見つかっている[122]。インドネシアの島々からは早いものでは5世紀ごろのヴィシュヌ像が複数見つかっている[123]。像に限らず、ヴィシュヌに関する石碑や彫刻、例えばトリヴィクラマをモチーフにしたものなども東南アジアの各地で見つかっている[124]。それらの中にはスールヤや、ヴィシュヌとブッダを融合させたようなものも存在する[125]。
日本の仏教ではヴィシュヌは那羅延天や毘紐天として知られ、13世紀に日蓮のまとめた文献などに登場する[126]。音写語としては、「毘紐天」、「韋紐天」、「微瑟紐」、「毘瑟怒」などがある。
寺院
[編集]現存するヴィシュヌ寺院の中で初期のものは6世紀頃までさかのぼる。例えばウッタル・プラデーシュ州ジャーンシーのサルヴァトバドラ寺院(Sarvatobhadra temple)は6世紀の初期のもので、テーマとしてダシャーヴァターラに焦点を当てている[127][54]。四角に配置されたこの寺院のデザインやヴィシュヌの表現は10世紀頃に書かれたヒンドゥー建築に関する文献、例えば『ブリハット・サンヒター』(Bṛhat-saṃhitā)や『ヴィシュヌダルモーッタラプラーナ』(Viṣṇudharmottarapurāṇa)のインストラクションにおおむね合致する[128]。
考古学的な研究からヴィシュヌに関する寺院や偶像は紀元前1世紀にはすでに存在していたことがわかっている[129]。これら初期の痕跡としてはたとえばラージャスターン州のヴィシュヌに関する石碑が2つ見つかっており、これらはともに紀元前1世紀頃のものでサンカルシャナ(Sankarshana)とヴァスデーヴァに関する記述がみられる。また、紀元前1世紀以前の物と考えられるベスナガルのガルダ石柱ではバーガヴァタ寺院について触れられている。マハーラーシュトラ州ネインガットの洞窟で見つかったナーガニカー(Nāganikā)女王の碑文にも多数の神々の中にサンカルシャナとヴァスデーヴァの名前を見つけることができる。マトゥラーでもいくつかの発見があり、それぞれ西暦の始めころのものと考えられている[129][130][131]。
ケーララ州ティルヴァナンタプラムのパドマナバスワミ寺院はヴィシュヌを奉っている。この寺院はその長い歴史の中で金や宝石など多くの寄進を集めている[132][133][134][135]。
その他の文化でのヴィシュヌ
[編集]ジェームス・フリーマン・クラークによれば古代エジプトの神ホルスもヴィシュヌと同様に三神一体を成す1柱である[137]。リチャード・レヴィトンはそれを受けて若いころのホルスが年上のホルスに乗る姿はガルダに乗るヴィシュヌに似ているとして関連を指摘している[138]。ジェームス・カウルズ・プリチャードは一方で、三神一体の理論がエジプトとインドの双方に存在するとはいえ、ホルスとヴィシュヌにつながりがあるとする見方は疑わしいとする[139]。
4034ヴィシュヌはエレノア・ヘリンによって発見された小惑星である[140]。
ヴィシュヌ片岩はアリゾナ州のグランド・キャニオンで見つかる火山堆積物である。その結果として巨大なヴィシュヌ片岩の塊はヴィシュヌ寺院と呼ばれるようになった[141]。
2007年、ロシアのヴォルガ川の打ち捨てられた村から7世紀から10世紀頃のものと思われるヴィシュヌ像がみつかっている[142]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 古代の文献ではヴィシュヌの含まれない3柱を最高神の3人組に数えているものもある[1][2]。ヤン・ホンダはヒンドゥー教のトリムルティというコンセプトは、アグニという1柱の神の持つ3つの性格についての古代の宇宙論的な、儀式的な思索から発展したのではないかとしている。アグニは3度、あるいは3倍誕生し、3倍の光であり、3つの体と3つの地位を持つとされている[3](アグニは火であり光であり日である)。一般的なトリムルティとされるブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの他には古代や中世の文献には「インドラ、ヴィシュヌ、ブラフマナスパティ」や、「アグニ、インドラ、スーリヤ」、「アグニ、ヴァーユ、アーディティヤ」、「マハーラクシュミー、マハーサラスヴァティ、マハーカーリー」等といった組み合わせが見られる[1][2]。
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- ^ 『バガヴァッド・ギーター』は解脱へ至る道としてカルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ギャーナ・ヨーガの3つを提示する。
- ^ 中世ヒンドゥー教の文献にはこれとは異なるアヴァターラの一覧が見られる。例えば『バーガヴァタ・プラーナ (BP)』1.3には以下の22のアヴァターラを列挙する[94]。四クマーラ(チャトゥルサナ)[BP 1.3.6] – ブラフマーの4人の息子でバクティの手本 / ヴァラーハ [BP 1.3.7] / ナーラダ [BP 1.3.8] ヴィシュヌのバクタとして世界を旅行する聖人 / ナラ・ナーラーヤナ [BP 1.3.9] – 双子のリシ / カピラ [BP 1.3.10] – マハーバーラタで言及されている有名なリシで、カルダマとデーヴァフーティの子。サーンキヤ学派哲学の開祖とされることがある / ダッタートレーヤ [BP 1.3.11] – ヒンドゥー教のブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神一体。リシのアトリの子で自身も優れたリシ / ヤジナ [BP 1.3.12] – 火の供犠の主で、天国の主であるインドラ / リシャバ [BP 1.3.13] – バラタとバーフバリの父 / プリトゥ [BP 1.3.14] – 大地を牝牛として乳をしぼって穀物と樹木を得、また農業を発明した / マツヤ [BP 1.3.15] / クールマ [BP 1.3.16] / ダンヴァンタリ [BP 1.3.17] – アーユルヴェーダ医学の父でデーヴァの医師 / モーヒニー [BP 1.3.17] – 魅惑的女性 / ナラシンハ [BP 1.3.18] / ヴァーマナ [BP 1.3.19] / パラシュラーマ [BP 1.3.20], ヴィヤーサ [BP 1.3.21] – ヴェーダの編纂者、プラーナ文献と叙事詩マハーバーラタの著者 / ラーマ [BP 1.3.22] / クリシュナ [BP 1.3.23] / バララーマ [BP 1.3.23] / ブッダ [BP 1.3.24] / カルキ [BP 1.3.25]。39の重要なアヴァターラがパンチャラートラに語られている[95]。
- ^ クールマのエピソードにはヴィシュヌの女性のアヴァターラであるモーヒニーも登場する[98]。
- ^ いくつかのバリエーションではクリシュナの兄であるバララーマを8番目のアヴァターラとし、クリシュナを9番目に置く。また、単純にブッダとバララーマを入れ替えるものもある。ジャヤデーヴァ(Jayadeva)は『ギータ・ゴーヴィンダ』の中でバララーマとブッダをリストに含め、クリシュナをヴィシュヌと同格として扱い、すなわちすべてのアヴァターラの源であるとしてクリシュナをダシャーヴァターラから省いている[108]。
- ^ 中世の文献には「カルキン」と綴るパターンも見られる。
- ^ 「インド人は真理はあらゆる言語的表現を超えると考え,真理を指す最小限の表現として,たとえば〈それtat〉という言葉を用いる。〈そのように〉もこの種の表現であり,中国人は〈如〉と訳した。したがって〈如来〉とは,〈真理そのものとして来たれる者〉の意となる[110]。」
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関連項目
[編集]外部リンク
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- Vishnu: Hinduism's Blue-Skinned Savior, Allysa B. Peyton (2012), Brooklyn Museum, June 24–October 2, 2011