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2016年10月17日 (月) 13:34時点における版
今井 裕 | |
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基本情報 | |
生誕 | 1949年3月31日(75歳) |
出身地 | 日本 大阪府 |
学歴 | 大阪音楽大学声楽科中退 |
ジャンル |
ロック J-POP |
職業 |
編曲家 音楽プロデューサー |
担当楽器 | キーボード |
活動期間 | 1970年頃 - |
共同作業者 |
Kevin Moloney Steve Jackson サディスティック・ミカ・バンドなど |
今井 裕(いまい ゆう、1949年3月31日 - )は、大阪府出身の日本のキーボード奏者、編曲家、サウンドクリエイター、音楽プロデューサー。 大阪音楽大学声楽科中退。在学中に作曲とコントラバスを個人的に学んだ。 サディスティック・ミカ・バンドに在籍した当時はHiroshi Imaiで表記されている。
略歴
加川良 「偶成」、Captain HIRO & The SPACE BAND『Lost Or Found』、甲斐バンド「裏切りの街角」、かまやつひろし「道化役」、井上陽水『white』、大貫妙子「サマー・コネクション」、RAJIE 「エアポート」「素敵なフィーリング」、竹内まりや「戻っておいで・私の時間」、高中正義『SEYCHELLES』、ティン・パン・アレー「CHOPPERS BOOGIE」「She is gone」、矢沢永吉『ドアを開けろ』などの録音に参加。
1970年、谷村新司率いるロック・キャンディーズに謎のハーフ男としてポール今井の名前で途中加入。ウッドベースとキーボードを担当する。 同年8月18日にUCLAショーンバーグ・ホールで行われたライブの模様を収録したオムニバス・アルバム『カレッジ・ポップス・イン・USA』のオープニング/クロージング曲「アイ・アイ・アイ」は、作詞が北山修、作曲が谷村・今井の楽曲である。 1973年、2nd『黒船』から正式に、サディスティック・ミカ・バンド(以下SMB)に参加し、3rd『ホット・メニュー』「ミラージュ」「ブルー」_作曲、4th『Live in London』にいたるまで在籍した。 1975年秋、ロキシー・ミュージックの前座として全英ツアーを成功させた。同年11月にSMBは休止。その後、後藤次利、高中正義、高橋幸宏の4人でサディスティックスとして活動を開始。『Sadistics』「Far away (熱い風)」、『WE ARE JUST TAKING OFF』。1978年8月29日に九段会館にてライブ、その時の録音『Live Show』。 矢沢永吉1976年7月24日、日比谷野外音楽堂ソロ・ライブにバックバンドとしてSadisticsで参加。ライブ・アルバム『THE STAR IN HIBIYA』に収録された。 小原礼、林立夫、大村憲司、ジョン山崎、浜口茂外也らと「バンブー」でライブ活動。 1977年、林立夫とのコラボによってソロ・アルバム『A Cool Evening』を作った。このコラボは1979年、マナ『チャバコトリック』「イエロー・マジック・カーニバル」細野晴臣作、「GOTANDA」矢野 顕子作で再築された。1978年、映画『悪魔が来りて笛を吹く』の音楽を尺八演奏家山本邦山と共に担当する。同時にCD『悪魔が来りて笛を吹く』「旅ゆく者よ」「黄金のフルート」が発売された。
1980年代に入ると「イミテーション」を結成。自らを本物The Originalと称して、にせものが横行する香港にてデビューライブ。1st『オリジナル』、Talking Headsに名をつらねていたSteve Scales perc、Dolette MacDonaldをゲストに、2nd『Muscle & Heat』、3rd『Happy Hunting』など、無国籍サウンドと称されジャパニーズ・ニューウェーヴ界を盛り上げた。1984年、フランスRCA S.Aからイミテーション『ハッピーハンティング』がヨーロッパで発売された。 ザ・ベンチャーズ、『カメレオン』で曲「MECCA」を提供、キーボード演奏も参加。片岡鶴太郎『キスヲ・モット・キスヲ』のプロデュース。1982年、大空はるみ『はるみのムーンライト・セレナーデ』「FROM THE MOON BACK TO THE SUN」を作曲・編曲。 イミテーションの歌姫「CHEEBO」の『Paradise Lost』 「スリーピング・ビューティ・イン・ザ・シティ」「セラピー」 にてTot Taylor(compact organization)と共同制作、呉田軽穂、EPO、モモヨ、パンタ、窪田晴男、リン・ドブソンなどの協力を得た。
1988年から英人クリス・トーマスとの録音経験が縁となり、本格的に音楽プロデューサーとして、エアースタジオ(英)ウインドミルレーンスタジオ(アイルランド)所属の録音エンジニアとともに海外での制作活動をスタートさせる。千年コメッツ『the Edge』「流星一夜」、ZABADAK『飛行夢』『遠い音楽』「ハーヴェスト・レイン(豊穣の雨)」「愛は静かな場所へ降りてくる」、ザ・ストリート・スライダーズ『Nasty Children』「panorama」「安物ワイン」。 1991年、西アフリカ・マリのコラ奏者 トゥマニ・ジャバテとのコラボが実現。 コートジボワール国アビジャンにて録音『Shake the Whole World』。ヴィオラ奏者 Jill Jaffeとともに「ザ・シンメトリック・オーケストラ」を結成し、ニューヨークにて追加録音、ミックスダウン。特にヨーロッパで評価を得た。
1991年から4年間、ワーナーミュージックジャパン傘下のレコード会社MMG/EASTWEST JAPANに籍を置き、ハウスディレクター・プロデュサーとして制作・宣伝・企画などを一から学んだ。 リクオ『Shout out out』、後期のザ・ブルーハーツ『STICK OUT』「月の爆撃機」「1000のバイオリン」、7thアルバム『DUG OUT』「夕暮れ」、「緑のハッパ」にてダーティー・ダズン・ブラス・バンドとのコラボが実現した。8thアルバム『PAN』『EAST WEST SIDE STORY』(後期ベスト盤)『LIVE ALL SOLD OUT』『盗賊団』「キスして欲しい SLEEPLESS MIX」w/Yukihiro Fukutomi「人にやさしく BRITISH MIXTURE ROCK MIX」w/Steve Sidelnyk(ザ・ブルーハーツ・リミックス)などを担当。 レコード会社を離れたあと独立し、RAZZ MA TAZZ“あずきちゃん”テーマ曲「素敵な君」「夜明け」、『PRESENT』「Season Train」「メリーゴーランド」『Dialogue』「あじさい」、MOON CHILD『MY LITTLE RED BOOK』「微熱」「Escape」、PLAGUES、Tレックストリビュートアルバム、bluem of youth、kaleidoscope「愛すべきひとよ」「fish」ワンピース主題歌、CURIO「祈り」、及川光博「悲しみロケット2号」、Wilberry「cellophane dream」、岩瀬敬吾「ドライブカー」、Jennifer Goree[1]などのアーテストの録音、プロデュースとキーボード演奏の両面でかかわった。サウンドクリエイターとしては、石井竜也「浪漫飛行」「京都慕情」のリミックス(『Nipops』に収録)、AH[要曖昧さ回避]「Supernaturally」「Water Colours」、Uran「Birds cry to sing』「寒空の下」、TV Anime EAT-MAN'98 Magic「バーニング・ブルー」などがある。
「5人目のYMO」とも言えるYMOの英語詞を手がけたクリス・モズデルとは親しい間柄で、アルバム『Equasian』(1982年)や『The Oracle of Distraction』(1989年)『キュウリに求婚 ロージィ・ラズベリーとバナナ楽団』(1997年)『Fingerprints Of God』(1999年)など、長期にわたって4つの共同制作がある。 また、2006年2月15日、クラブ・ユースとしても再評価され、CD『A Cool Evening』が再発された[2]。
2005年、JR福知山線脱線事故の被害者のサポートとしてのCD『the Journey of our Lives』(Lyrics_クリス・モズデル、谷川俊太郎)を制作、そして無料配布を行った。それを機に音楽によるチャリティー活動、Redog基金として基金活動、インディアナ大のユースフィランソロピー視察を経て、若い世代のピアニスト数名と管楽器奏者数名(相愛高校音楽科、伊丹北高校OG)の参加を得て、音環境整備運動『SOUNDGARDEN』などの取り組みを実践している。 2013年東日本大震災のサポートとして三陸鉄道との共同作業がスタート。4月3日一部再開通式吉浜駅にて大船渡高校吹奏楽部員6名とともにデューク・エリントン楽団の名曲"Take the A Train"のピアノ演奏、2014年4月6日三陸鉄道北リアス線全線運行再開記念式典宮古駅前にて宮古高等学校吹奏楽部6名、ゲストに 高見 "hiro" 浩之(Flumpet)を迎え列車の門出に花を添えた。
脚注
- ^ [1]
- ^ 商品詳細 - VIVID SOUND、2012年5月5日参照。