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「玉波 (駆逐艦)」の版間の差分

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'''玉波'''(たまなみ)は<ref name="S17達294">[[#達昭和17年11月(2)]]pp.4-6『達第二百九十四號 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦四隻、海防艦一隻及掃海特務艇六隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年十一月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造  驅逐艦 玉波(タマナミ)/呉海軍工廠ニ於テ建造  伊號第五十三潜水艦 伊號第五十五潜水艦/三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造  呂號第三十八潜水艦/株式會社玉造船所ニ於テ建造  呂號第四十四潜水艦/日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造  海防艦 對馬(ツシマ)/浪速船渠株式會社ニ於テ建造  第十二號掃海特務艇 第十七號掃海特務艇/三菱重工業株式會社彦島造船所ニ於テ建造  第十三號掃海特務艇 第十四號掃海特務艇/株式會社名村造船所ニ於テ建造  第十五號掃海特務艇/佐野安船渠株式會社ニ於テ建造  第十六號掃海特務艇』</ref>、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[駆逐艦]]<ref name="秋月型2015玉波">[[#山本平弥2015|秋月型(2015潮書房)]]224頁『玉波(たまなみ)』</ref>。
'''玉波'''(たまなみ)は、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[駆逐艦]]。[[夕雲型駆逐艦|夕雲型]]の9番艦である。
[[夕雲型駆逐艦]]の9番艦である<ref>[[#昭和17年12月31日艦艇類別等級表]]p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|夕雲型|夕雲、巻雲、風雲、長波、巻波、高波、大波、清波、玉波、濱波』</ref><ref name="S17内令2025">[[#内令昭和17年11月(2)]]pp.26-27『内令第二千二十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十一月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎/驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「清波」ノ下ニ「、玉波」ヲ加フ/潜水艦、一等伊五十二型ノ項中「伊號第五十二」ノ下ニ「、伊號第五十三、伊號第五十五」ヲ加フ 同二等呂號三十五型ノ項中「呂號第三十七」ノ下ニ「、呂號第三十八」ヲ、「呂號第四十二」ノ下ニ「、呂號第四十四」ヲ加フ/海防艦、占守型ノ項中「隠岐」ノ下ニ「、對馬」ヲ加フ』</ref>。

== 概要 ==
一等駆逐艦'''玉波'''(たまなみ)は、日本海軍が[[藤永田造船所]]で[[1942年]](昭和17年)3月から[[1943年]](昭和18年)4月30日にかけて建造した[[夕雲型駆逐艦]]<ref name="秋月型2015玉波" />。竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属して訓練に従事する<ref name="S1804十一水戦p4玉波">[[#S18.04十一水戦日誌(1)]]p.4『備考(電、雷、響、略)玉波 四月三十日當隊ニ編入』</ref><ref name="木俣水雷294">[[#木俣水雷|日本水雷戦史]]294-296頁『第十一水戦の創立』</ref>。[[6月8日]]、十一水戦僚艦(龍田、島風等)と共に戦艦[[陸奥 (戦艦)|陸奥]]爆沈に遭遇した<ref name="木俣水雷294" />。

同年[[7月1日]]附で玉波は前進部隊([[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]])に編入<ref name="S1804十一水戦(2)29" />。7月中旬、水上機母艦[[日進 (水上機母艦)|日進]]等を護衛してトラック泊地に進出する<ref name="秋月型2015玉波" /><ref name="S1807佐防(1)43">[[#S18.07佐伯防備隊(1)]]p.43『七月八日一二三七 呉防戰司令官(宛略)電令作第二六一號 一.日進及玉波十日〇八〇〇沖ノ島出撃爾後針路一三〇度速力二十一節(以下略)』</ref>。その後、中部太平洋方面での護衛任務に従事した。

空母[[隼鷹 (空母)|隼鷹]]護衛中の10月1日、玉波は[[第二水雷戦隊]]所属の'''第32駆逐隊'''に編入される<ref>[[#S18.06二水戦日誌(4)]]p.15『一日〇一〇四 大臣(宛略)官房機密第〇一〇一〇四番電 十月一日附 一,驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 第二十七驅逐隊ノ項中ニ五月雨 第三十二驅逐隊ノ項中ニ玉波ヲ加フ(二,以下略)|無電』</ref><ref name="S18内令2035">[[#内令昭和18年10月(1)]]p.11『内令第二千三十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月一日海軍大臣嶋田繁太郎|第二十七驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、五月雨」ヲ加フ|第三十二驅逐隊ノ項中「早波」ノ下ニ「、玉波」ヲ加フ』</ref>(同時点での編成は玉波、[[藤波 (駆逐艦)|藤波]]<ref name="秋月型2015藤波">[[#山本平弥2015|秋月型(2015潮書房)]]225頁『藤波(ふじなみ)』</ref>、[[早波 (駆逐艦)|早波]]<ref name="秋月型225早波">[[#山本平弥2015|秋月型(2015潮書房)]]225頁『早波(はやなみ)』</ref>、[[涼波 (駆逐艦)|涼波]]<ref name="秋月型2015涼波">[[#山本平弥2015|秋月型(2015潮書房)]]224頁『涼波(すずなみ)』</ref>)<ref name="S1806二水戦(4)16区分">[[#S18.06二水戦日誌(4)]]p.16『二日一二三〇 三二驅司令(宛略)三二驅機密第〇二一二三〇番電 十月一日附 當隊艦船番號ヲ左ノ通定ム (一)早波 (二)玉波 (三)涼波 (四)藤波|無電』</ref>。
ひきつづき、第二水雷戦隊所属各艦(島風型駆逐艦[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]等)と共に輸送船団や[[航空母艦]]の護衛に従事した<ref>[[#S18.06二水戦日誌(5)]]p.6『(2)中旬(中略)玉波、島風(翔鶴、高雄、愛宕)』</ref><ref>[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p.5『(イ)一般(第二水雷戰隊)(1)上旬(中略)島風、玉波ハ護衛任務其ノ他概ネ内地方面ニ在リテ待機修理中 24dg(海風凉風)修理完成内海西部ニ在リテ訓練後九日釜山ニ向ケ徳山発/輸送護衛 玉波、島風(翔鶴、富士山丸、神國丸、日榮丸、旭東丸)』</ref>。幾度か大和型戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]を護衛する機会もあった<ref name="S1806二水戦(2)21" /><ref name="S1812二水戦(4)4">[[#S18.12二水戦日誌(4)]]p.4『第二水雷戰隊(イ)一般(1)上旬(略)九日附24dg(満潮)白露YBヨリ除カレGF主隊ニ編入/十日武藏護衛(玉波途中迄加入)横須賀ニ向ケ「トラツク」発』</ref>。

11月上旬、第二水雷戦隊は遊撃部隊(指揮官[[栗田健男]]第二艦隊司令長官)を護衛して[[ラバウル]]に進出するが、[[ラバウル空襲]]に遭遇<ref name="叢書六二425">[[#叢書62|戦史叢書(62)]]425-426頁『遊撃部隊のラバウル進出直後の被害』</ref>。一連の空襲で、二水戦から32駆僚艦[[涼波 (駆逐艦)|涼波]]沈没<ref name="秋月型2015涼波" /><ref name="S19内令62" />、第31駆逐隊の[[長波 (駆逐艦)|長波]]大破<ref name="秋月型2015長波">[[#山本平弥2015|秋月型(2015潮書房)]]221-222頁『長波(ながなみ)』</ref>という損害を出した。
12月15日、夕雲型姉妹艦[[浜波 (駆逐艦)|浜波]]が32駆に加わる<ref name="S18内令2688">[[#内令昭和18年12月(2)]]p.46『内令第二千六百八十八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年十二月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「玉波」ノ下ニ「、濱波」ヲ加フ』</ref><ref name="秋月型2015浜波">[[#山本平弥2015|秋月型(2015潮書房)]]225-226頁『浜波(はまなみ)』</ref>。

[[1944年]](昭和19年)3月中旬、東松二号船団旗艦の軽巡[[龍田 (軽巡洋艦)|龍田]]が沈没、玉波は生存者を収容した<ref name="S1812十一水戦(2)38" />。
3月下旬から4月中旬にかけて、玉波は[[松輸送|東松三号船団]]([[東京湾]]~[[サイパン島]]~[[パラオ諸島]])に従事<ref name="叢書46東松三号">[[#叢書46|海上護衛戦(戦史叢書)]]363頁『東松三号船団』</ref>。
5月下旬<ref name="秋月型2015玉波" />、第32駆逐隊(早波、玉波、藤波、浜波)は[[タウイタウイ島|タウイタウイ泊地]]に集結し、第二水雷戦隊各艦と共に訓練に従事する。
[[6月7日]]、32駆僚艦[[早波 (駆逐艦)|早波]]が米潜水艦に撃沈される<ref name="秋月型225早波" /><ref name="叢書(46)446">[[#叢書46|海上護衛戦(戦史叢書)]]446-447頁『米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表』</ref>。
3隻編制となった第32駆逐隊(藤波、玉波、浜波)は、6月下旬の[[マリアナ沖海戦]]に前衛部隊([[第三航空戦隊]]、[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]])に所属して参加<ref name="秋月型2015玉波" />。

同海戦敗北後の7月上旬、第32駆逐隊(玉波、藤波)は軽巡洋艦[[北上 (軽巡洋艦)|北上]]とタンカー[[極東丸|旭東丸]]を護衛してシンガポールからマニラに向かう<ref name="木俣軽巡409">[[#木俣軽巡|日本軽巡戦史]]409-411頁『空母と共に(八月)』</ref><ref name="S1906旭東丸(1)p16" />。[[7月7日]]未明、玉波はマニラ沖合で米潜水艦[[ミンゴ (潜水艦)|ミンゴ]](後日、[[海上自衛隊]]の潜水艦[[くろしお (潜水艦)|くろしお]])の魚雷攻撃を受け<ref name="叢書(46)446" />、沈没した<ref name="秋月型2015玉波" /><ref name="S19.07.07玉波">[[#S19.07.07-07.20経過概要]]p.6〔19-7〕『7|0320頃|「マニラ」西方海面ニ於テ北上(16S/GKF)旭東丸(GF)ヲ護衛中ノ玉波ハ対(潜水艦)攻撃中轟沈セルモノノ如ク一大火柱ヲ認メタル後消息不明トナレリ|32dg| 』</ref>。


== 艦歴 ==
== 艦歴 ==
=== 建造経緯 ===
1939年度(マル4計画)仮称第124号艦として[[藤永田造船所]]で建造。[[1943年]](昭和18年)4月30日に竣工して一等駆逐艦に類別され、[[舞鶴鎮守府]]籍となる。
1939年度(マル4計画)仮称第124号艦として[[藤永田造船所]]で建造。
[[1942年]](昭和17年)11月1日、本艦は『玉波(たまなみ)』と命名される<ref name="S17達294" />。同日附で、海防艦[[対馬 (海防艦)|対馬]]等と共に[[大日本帝国海軍艦艇類別変遷|艦艇類別等級表]]に類別<ref name="S17内令2025" />。


[[1943年]](昭和18年)[[2月20日]]、日本海軍は駆逐艦[[綾波 (吹雪型駆逐艦)|綾波]]艦長(同艦は[[第三次ソロモン海戦]]で沈没)だった[[佐間英邇]]中佐を<ref name="歴群十八182佐間">[[#歴群18|歴史群像、水雷戦隊I特型駆逐艦]]182-183頁『佐間英邇……強運の駆逐艦長』</ref>、玉波艤装員長に任命する<ref name="jirei1057">{{アジア歴史資料センター|C13072089800|昭和18年2月23日(発令2月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1057号 p.2}}</ref>。
竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊([[木村進 (海軍軍人)|木村進]]少将([[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学校]]40期))に編入<ref>『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126000, pp.4</ref>。[[瀬戸内海]]に回航され訓練を受けた後、6月22日に[[若月 (駆逐艦)|若月]]とともに[[横須賀市|横須賀]]に回航され、6月23日に到着した<ref>『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.15</ref>。到着後間もなく、[[遠州灘]]でアメリカ潜水艦[[ハーダー (SS-257)|ハーダー]] (''USS Harder, SS-257'') の雷撃で擱座した元[[水上機母艦|特設水上機母艦]][[相良丸 (特設水上機母艦)|相良丸]]([[日本郵船]]、7,189トン)の救難作業を若月とともに支援<ref>『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.16</ref>。6月27日に[[柱島泊地]]に帰投した<ref>『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.19</ref>。
[[2月26日]]、藤永田造船所の玉波艤装員事務所は事務を開始する<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070429800|海軍公報(部内限)第4334号 昭和18年3月8日(月) p.42}}『○事務開始 佐渡艤装員事務所ハ二月二十四日横濱市鶴見區末廣町二ノ一日本鋼管株式會社鶴見造船所内(八洲寮)ニ於テ事務ヲ開始セリ|玉波艤装員事務所ハ二月二十六日大阪藤永田造船所内ニ於テ事務ヲ開始セリ|○事務所撤去 第三十五號驅潜艇艤装員事務所ヲ二月二十八日撤去セリ 追而郵便物ハ呉郵便局氣付 第三十五號驅潜艇』</ref>。
[[4月30日]]、竣工<ref name="秋月型2015玉波" /><ref>[[#S18.04舞鎮日誌]]p.51『三十日一〇一五玉波驅逐艦長|〃(三十日)一一四〇 長官外|玉波機密第二〇一〇一五番電 玉波受領ノ件|電報』</ref>。佐間中佐(玉波艤装員長)は、玉波駆逐艦長(初代)となる<ref name="歴群十八182佐間" /><ref name="jirei1105" />。初代幹部は、砲術長大野俊也中尉、水雷長前野克己中尉、航海長山本太郎予備中尉、機関長小宮川勇大尉<ref name="jirei1105">{{アジア歴史資料センター|C13072090800|昭和18年5月1日(発令4月30日付)海軍辞令公報(部内限)第1105号 p.33}}</ref>。玉波艤装員事務所は撤去された<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070431200|海軍公報(部内限)第4383号 昭和18年5月8日(土) p.36}}『○事務所撤去 玉波艤装員事務所ハ四月三十日撤去セリ』</ref>。[[舞鶴鎮守府]]籍となる<ref>[[#内令昭和18年4月(6)]]pp.20-21『内令第八百十八號  驅逐艦 玉波 右本籍ヲ舞鶴鎭守府ト定メラル/呂號第百九潜水艦 右本籍ヲ佐世保鎭守府ト定メラル  昭和十八年四月三十日 海軍大臣 嶋田繁太郎』</ref>。


=== 昭和18年中旬の行動 ===
7月1日、[[第二水雷戦隊]]([[伊崎俊二]]少将(海軍兵学校42期))に編入される。7月9日に[[呉港|呉]]を出港し、[[チューク諸島|トラック諸島]]まで[[航空母艦|空母]][[冲鷹 (空母)|冲鷹]]、水上機母艦[[日進 (水上機母艦)|日進]]などを護衛。7月15日にトラックに到着後、[[軽巡洋艦]][[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]]とともに[[ナウル島]]への輸送作戦に従事し、7月22日にトラックに帰投した<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101000, pp.31</ref>。その後はトラックと[[パラオ]]間を行き交うタンカーなどの護衛に従事<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101100, pp.7 、C08030101200, pp.9,10</ref>。9月18日、[[第三艦隊 (日本海軍)|第三艦隊]]([[小沢治三郎]]中将(海軍兵学校37期))と[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]([[栗田健男]]中将(海軍兵学校38期))の[[マーシャル諸島]]方面への出撃に際して、第三艦隊付属のタンカー日栄丸(日東汽船、10,020トン)を護衛してトラックを出撃<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101200, pp.92</ref>。9月21日に[[エニウェトク環礁]]に到着したものの、2日後にはトラックに向けてエニウェトク環礁を出港した<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101200, pp.92,93</ref>。トラックに帰投後、9月29日に空母[[隼鷹 (空母)|隼鷹]]、軽巡洋艦[[木曾 (軽巡洋艦)|木曾]]、[[多摩 (軽巡洋艦)|多摩]]を護衛してトラックを出港し<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101200, pp.82,96</ref>、10月5日に呉に帰投した<ref name="a">『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.8</ref>。10月1日付で第三十二駆逐隊に編入され<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.8,16</ref>、10月14日には空母[[雲鷹 (空母)|雲鷹]]、隼鷹を護衛して呉を出撃し、10月19日にトラックに到着した<ref name="a"></ref>。11月3日、第三十二駆逐隊は第二艦隊の主力を護衛してトラックを出撃し、[[ラバウル]]に進出<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.10</ref>。しかし、11月5日にラバウルは[[第38任務部隊]]([[フレデリック・シャーマン]]少将)の空襲を受ける([[ラバウル空襲]])。ラバウルに進出したばかりの第二艦隊主力は空襲で大損害を蒙り、栗田中将は即座にトラックに退却する事とした。第二艦隊主力とともに11月8日にトラックに帰投し、横須賀に下がる空母[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]、[[重巡洋艦]][[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]]、[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]]を護衛して11月11日にトラックを出港<ref name="b">『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.11</ref>。11月15日に横須賀に帰投後は整備を行い、[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]とともに翔鶴を護衛してトラックに進出<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.11 、C08030101800, pp.14</ref>。短期間船団護衛に従事の後、12月16日に重巡洋艦[[最上 (重巡洋艦)|最上]]を護衛してトラックを出港して12月21日に呉に帰投し、修理に入った<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101800, pp.14</ref>。
玉波は4月30日の竣工と共に、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官[[木村進 (海軍軍人)|木村進]]少将〈[[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学校]]40期〉、旗艦[[龍田 (軽巡洋艦)|龍田]])に編入<ref name="S1804十一水戦p4玉波" /><ref>[[#S18.04十一水戦日誌(1)]]p.3『一.經過(イ)一般情勢 第十一水雷戰隊ハ四月一日編制ト同時ニ主力部隊ニ編入内海西部ニ在リテ全作戰支援護衛任務新造驅逐艦ノ急速練成ニ努メタリ』</ref>。[[瀬戸内海]]に回航され訓練を受ける<ref>[[#S18.04十一水戦日誌(1)]]p.16『三十日一一一五 玉波(宛略)呉ニ向ケ大阪発|無電』</ref><ref>[[#S18.04十一水戦日誌(1)]]p.17『四.参考(一)麾下艦船ノ行動』(昭和18年4月)</ref>。
5月5日、十一水戦の旗艦は龍田から玉波に変更<ref name="S1804十一水戦25">[[#S18.04十一水戦日誌(1)]]p.25『五日一二五三 11sd司令官(宛略)左ノ豫定ニ依リ旗艦ヲ一時変更ス 五月五日ヨリ玉波 九日ヨリ新月 十五日 龍田ニ復帰|無電』</ref>。同月9日、玉波から秋月型駆逐艦[[新月 (駆逐艦)|新月]]にかわった(15日より龍田に復帰)<ref name="S1804十一水戦25" />。
5月中旬以降、島風型駆逐艦[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]](5月17日)や秋月型駆逐艦[[若月 (駆逐艦)|若月]](5月31日)も十一水戦に編入され<ref>[[#S18.04十一水戦日誌(1)]]pp.45-46『五.作戰經過ノ概要』</ref>、本艦と共に訓練おこなった<ref>[[#S18.04十一水戦日誌(1)]]p.22『備考 雷 電 内南洋部隊ニ編入中/響 五月十七日 北方部隊/新月 五月十七日 機動部隊/島風 五月十日/若月 五月三十一日}當隊ニ編入』</ref><ref>[[#S18.04十一水戦日誌(1)]]p.44『四.参考(一)麾下艦船ノ行動』(昭和18年5月)</ref>。


[[6月8日]]、桂島泊地所在の各艦(玉波、島風、若月、[[大淀 (軽巡洋艦)|大淀]]<ref name="写真9大淀年表">[[#写真九|写真日本の軍艦9巻]]158頁〔軽巡洋艦『大淀』行動年表〕</ref>
[[1944年]](昭和19年)1月17日に修理を終えると横須賀に回航され、高雄、空母[[千代田 (空母)|千代田]]、[[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]]を護衛してトラックに進出する<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102000, pp.11 、C08030102100, pp.9</ref>。しかし、2月5日の[[クェゼリンの戦い|クェゼリンの玉砕]]によりアメリカ軍の脅威が差し迫り、[[連合艦隊]]はトラックからの総引き揚げに決した。2月10日、[[満潮 (駆逐艦)|満潮]]、[[白露 (白露型駆逐艦)|白露]]とともに[[戦艦]][[武蔵 (戦艦)|武蔵]]を護衛してトラックを出港し、途中で分離の上2月15日に呉に帰投して機銃増備工事と[[レーダー]]取り付け工事が行われた<ref>『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102100, pp.9</ref>。瀬戸内海での訓練の後、5月10日に武蔵、第二航空戦隊などを護衛して[[佐伯港|佐伯]]を出撃して[[タウィタウィ州|タウイタウイ]]に向かい、5月15日に到着した。6月19日の[[マリアナ沖海戦]]では丙部隊(第三航空戦隊、第二艦隊。栗田健男中将)に属した。海戦後、6月22日に[[中城湾]]に立ち寄った後<ref>木俣『日本戦艦戦史』401ページ</ref>、翌23日に[[藤波 (駆逐艦)|藤波]]とともに出港してマニラを経由し、[[シンガポール|昭南]]に回航された<ref>『(旭東丸)戦時日誌』C08030644600, pp.15,16</ref>。7月2日、昭南からマニラ経由で日本に向かうタンカー[[極東丸|旭東丸]]([[飯野海運]]、10,051トン)の護衛に藤波とともにあたった<ref>『(旭東丸)戦時日誌』C08030644600, pp.16</ref>。
、[[最上 (重巡洋艦)|最上]]、[[龍田 (軽巡洋艦)|龍田]]、[[長門 (戦艦)|長門]]、[[扶桑 (戦艦)|扶桑]])等は<ref name="S1804十一水戦(2)19">[[#S18.04十一水戦日誌(2)]]p.19『四.参考 麾下艦船ノ行動』(昭和19年6月)</ref>、長門型戦艦[[陸奥 (戦艦)|陸奥]]の爆沈に遭遇した<ref name="木俣水雷294" />。十一水戦は木村少将(龍田座乗)指揮下で救助活動に従事する<ref name="木俣水雷294" />。


[[6月22日]]、十一水戦の駆逐艦2隻(若月、玉波)は大和型戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]の護衛艦に指定され、同任務のために[[横須賀市|横須賀]]に向かう<ref>[[#S18.04十一水戦日誌(2)]]p.11『十五日一四三〇GF長官(宛略)|武藏ハ六月二十五日横須賀発呉ニ回航ス 1F 3F長官ハ護衛駆逐艦二隻宛(計四隻)ヲ派遣スベシ|無電』・『十六日 長門|十六日〇七〇五 11sd|1F信令第六八號 GF機密第一五一四三〇番電ニ依リ駆逐艦ヲ派遣スベシ 右艦名ヲ所要ノ向ニ報告通報スベシ|信號』・『十六日〇八二〇(司令官)11Sd(宛略)GF機密第一五一四三〇番電ニ依ル護衛艦ヲ若月 玉波ニ指定ス|無電』</ref><ref>[[#S18.04十一水戦日誌(2)]]p.15『二十二日〇六〇〇 11sd(宛略)若月 玉波 横須賀ニ向ケ内海西部発|無電』</ref>。
7月7日未明2時ごろ、{{coor dm|14|19|N|117|57|E|}}<ref>『(旭東丸)戦時日誌』C08030644700, pp.27</ref>の[[マニラ湾]]口西方海域を航行中にアメリカの潜水艦[[ミンゴ (潜水艦)|ミンゴ]] (''USS Mingo, SS-261'') を探知し、ミンゴもレーダーにより4つの目標を探知した<ref name="c">「SS-261, USS MINGO」p.119</ref>。「[[吹雪型駆逐艦]]」、すなわち玉波が推定23ノットの速力で向かってきていると判断した後、潜航してさらに観測を続けた<ref name="c"></ref>。一方のミンゴも2発に及ぶ爆雷攻撃をやり過ごした後、艦尾発射管から魚雷を4本発射した<ref name="d">「SS-261, USS MINGO」p.119,120</ref>。しかし、これは命中しなかった<ref name="d"></ref>。1時間後に体勢を立て直し艦首発射管から魚雷を4本発射し<ref name="e">「SS-261, USS MINGO」p.122,123</ref>、うち3本が命中して玉波は艦首から沈没していった<ref name="e"></ref>。藤波は玉波がいるあたりに火炎と爆炎が立ち昇るのを認めて反転し、7月9日まで断続的に捜索を行ったが手がかりはつかめなかった<ref>『(旭東丸)戦時日誌』C08030644700, pp.10,29</ref>。駆逐艦長千本木十三四中佐以下276名が戦死した。
[[6月23日]]朝、横須賀着<ref name="S1804十一水戦(2)19" /><ref>[[#S18.04十一水戦日誌(2)]]p.15『二十三日〇九四五 若月(宛略)若月 玉波 横須賀着|無電』</ref>。
到着後間もなく、2隻(若月、玉波)は[[遠州灘]]でアメリカ潜水艦[[ハーダー (SS-257)|ハーダー]] (''USS Harder, SS-257'') の雷撃で擱座した元[[水上機母艦|特設水上機母艦]][[相良丸 (特設水上機母艦)|相良丸]]([[日本郵船]]、7,189トン)の救難作業を下令される<ref>[[#S18.04十一水戦日誌(2)]]p.16『二十三日一二〇二横鎭参謀長(宛略)一.相良丸漂流中(敵潜ノ雷撃ヲ受ケ)/二.若月、玉波ハ事情許ス限リ曳航作業ニ協力サレ度|無電』</ref>。相良丸は駆逐艦[[澤風 (駆逐艦)|澤風]]に曳航され、[[天竜川]]河口に擱座した<ref>[[#S18.06.13-06.30経過概要]]p.14〔昭和18年6月〕『23|0445|O-T相良丸(7189t)ハ御前埼ノS45′ニテ雷撃ヲ受ク|内地 海運省|航行不能 d(沢風 横防戰)ニテ曳航セシモ浸水甚ダシク天龍川河口ニ一応擱座セシメタリ』</ref>。
[[6月25日]]<ref name="写真1武蔵年表">[[#写真壱|写真日本の軍艦1巻]]43頁〔戦艦『大和・武蔵』行動年表 ◇武蔵◇〕</ref>、駆逐艦4隻は戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]を護衛して横須賀を出発<ref name="S1804十一水戦(2)19" /><ref name="手塚2009上154">[[#手塚2009上|武藏(2009上)]]154頁</ref>。武蔵は[[豊後水道]]を通過し<ref>[[#S18.06呉防戦日誌(1)]]p.13『(ヘ)六月中ニ於ケル重要船舶豊後水道出入竝ニ當防備戰隊ニテ護衛セル状況』</ref>、[[6月27日]]に呉到着<ref name="写真1武蔵年表" /><ref name="手塚2009上154" />。駆逐艦2隻(玉波、若月)も内海西部に到着した<ref>[[#S18.04十一水戦日誌(2)]]pp.20-21『五.作戰經過ノ概要(略)(ロ)玉波、若月 二十一日内海西部出撃(敵潜水艦掃蕩及護衛)二十七日内海西部着』</ref>。

[[7月1日]]附で玉波は[[第二水雷戦隊]](司令官[[伊崎俊二]]少将、海軍兵学校42期)に編入され<ref>[[#S18.04十一水戦日誌(2)]]p.17『二十九日1F参謀長(宛略)六月三十日附 霞ヲ11sdニ編入 七月一日附 玉波 十日附 島風ヲ11sdヨリ除キ2Sdニ編入セシメラルル豫定|無電』</ref>、前進部隊([[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]])所属となる<ref name="S1804十一水戦(2)29">[[#S18.04十一水戦日誌(2)]]p.29『一日二〇四七前進部隊指揮官(宛略)機密第〇二二〇四七番電 電令作第二三六號 玉波ヲ前進部隊本隊(警戒隊)ニ編入 準備出來次第「トラツク」ニ進出スベシ|無電』</ref>。
出撃準備中の[[7月7日]]、玉波駆逐艦長は佐間中佐から[[青木久治]]中佐に交代<ref name="jirei1168">{{アジア歴史資料センター|C13072092100|昭和18年7月8日(発令7月7日付)海軍辞令公報(部内限)第1168号 p.8}}</ref>。後日、佐間中佐は駆逐艦[[冬月 (駆逐艦)|冬月]]艦長等を歴任した<ref name="歴群十八182佐間" />。

7月中旬、日本海軍は南海第四守備隊を最前線に輸送する<ref name="木俣軽巡443">[[#木俣軽巡|日本軽巡戦史]]443-445頁『大淀の陸軍輸送(七月)』</ref>(同部隊は[[マーシャル諸島]]配備予定だったが、[[ニュージョージア島の戦い]]生起により[[ソロモン諸島]]に配備先を変更)<ref>[[#叢書62|戦史叢書(62)]]357頁</ref><ref name="叢書六二372">[[#叢書62|戦史叢書(62)]]372-373頁『南海第四守備隊の南東方面への転用』</ref>。
[[7月9日]]-10日、玉波は水上機母艦[[日進 (水上機母艦)|日進]]を護衛して[[呉港|呉]]を出撃<ref name="S1807佐防(1)43" /><ref name="S1709日進(2)38">[[#S17.09日進詳報(2)]]p.38『七月三日一八二五機動部隊指揮官|8S 10S外日進|KdB機密〇三二一一〇番電 一.略/二.冲鷹日進玉波(日進艦長ノ命ヲ受ケ日進警衛ニ任ズ)ハ便宜各所在地發七月十一日一二〇〇迄ニ當部隊ニ合同セヨ|無電』-『七月十日〇五三〇日進(宛略)日進玉波〇五〇〇「トラック」ニ向ケ發|無電』-『七月十四日〇五〇〇瑞鶴|艦隊|日進冲鷹玉波嵐ハ列ヲ解キ日進艦長所定ニ依リ概ネ當隊ニ續行「トラック」ニ入泊スベシ|信号』</ref>。
横須賀から来た[[第一航空戦隊]](第三艦隊司令長官[[小沢治三郎]]中将)と合流する<ref name="木俣軽巡443" />。
小沢中将指揮下の空母4隻([[翔鶴 (空母)|翔鶴]]、[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]、[[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]]、[[冲鷹 (空母)|冲鷹]])<ref name="木俣空母498">[[#木俣空母]]498-500頁</ref>、重巡洋艦3隻([[利根 (重巡洋艦)|利根]]、[[筑摩 (重巡洋艦)|筑摩]]、[[最上 (重巡洋艦)|最上]])、軽巡洋艦2隻([[大淀 (軽巡洋艦)|大淀]]、[[阿賀野 (軽巡洋艦)|阿賀野]])<ref name="写真9大淀年表" /><ref>[[#写真九|写真日本の軍艦9巻]]103頁〔軽巡洋艦『阿賀野』行動年表〕</ref>、水上機母艦日進<ref name="S1709日進(2)38" />、駆逐艦部隊(第4駆逐隊〈[[嵐 (駆逐艦)|嵐]]、[[萩風 (駆逐艦)|萩風]]〉、第17駆逐隊〈[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]〉、第61駆逐隊〈[[涼月 (駆逐艦)|涼月]]、[[初月 (駆逐艦)|初月]]〉、夕雲型駆逐艦〈[[玉波 (駆逐艦)|玉波]]〉)は日本本土を離れる<ref>[[#叢書62|戦史叢書(62)]]357頁『東方部隊指揮官の任務、機動部隊指揮官に継承』</ref><ref>[[#S17.01八戦隊日誌(6)]]p.18『…翌十日機動部隊指揮官指揮ノ下ニ第八戦隊ヲ率ヰ0600同地發1230沖ノ島出撃「トラック」ニ回航15日着急速補給ヲ完了機動部隊第一部隊(8S 61dg)及第三部隊(日進)ヲ率ヰ14S(那珂)ヲ併セ指揮シ16日早朝「トラック」發ニテ搭載人員ヲ「ミレ」方面ニ輸送ノ予定ナシリ所…』</ref>。
[[7月15日]]、暗号解読や僚艦からの通報により、米潜水艦[[ティノサ (潜水艦)|ティノサ]](''USS Tinosa, SS-283'')と[[ポーギー (潜水艦)|ポーギー]] (''USS Pogy, SS-266'')がトラック諸島近海で小沢機動部隊を待ち伏せていた<ref name="木俣空母498" />。ティノサは距離3500mで魚雷4本を発射するが回避され、小沢艦隊に被害はなかった<ref name="木俣空母498" />。
同日、[[チューク諸島|トラック諸島]]到着<ref name="叢書六二372" /><ref>[[#高松宮六|高松宮日記6巻]]472頁『○第三艦隊(一五-一六四〇)第一航空戦隊、第八、第十戦隊(阿賀野、第六十一、第四駆逐隊、磯風)、最上、大淀、日進、冲鷹、玉波、トラック着』</ref>。この後、日進は第八戦隊や第十戦隊と[[ニュージョージア諸島]]に進出、7月22日に[[ショートランド諸島]]近海で空襲を受け撃沈された<ref name="叢書六二372" /><ref>[[#叢書96|戦史叢書(96)]]249-250頁『経過概要と南東方面部隊等の作戦指導』</ref>。

トラック着後の玉波は軽巡洋艦[[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]](第十四戦隊)の指揮下に入り、2隻(五十鈴、玉波)は空母[[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]]より輸送人員(砲台員350名)・物件(約200トン)を受け入れる<ref name="木俣軽巡473">[[#木俣軽巡|日本軽巡戦史]]473-474頁『ミレ島、ナウル島輸送(七月)』</ref>。
[[7月16日]]午前7時、輸送隊(五十鈴、玉波)はトラック泊地を出撃<ref name="S1804十四戦隊(2)6">[[#S18.04十四戦隊日誌(2)]]pp.6-7『(三)作戰指導(イ)(軽巡[[那珂 (軽巡洋艦)|那珂]]行動略)五十鈴ハAdB電令作第二四五號及第十四戰隊信令第六號ニ依リ、玉波ヲ警戒艦トシテ「ナウル」増援隊急速輸送ニ任ジ十六日〇七〇〇「トラツク」發 對潜對空警戒ヲ嚴ニシツツ十九日〇六四〇「ナウル」着増援隊人員器材ヲ揚搭同日〇九三〇「ナウル」發二十二日〇八四五「トラツク」着/又五十鈴ハUNB信電令第二六號ニ依リ北緯六度五三分東経一四七度五三分ニ於テ被雷航行不能ノ第三圖南丸救援ノタメ朝凪ヲ合セ指揮シ二四日一六三〇「トラツク」發二五日〇七〇〇現場着(玉波、雄島、金城丸、第二長安丸、第五號、第十二號駆潜特務艇ハ五十鈴艦長ノ指揮下ニ入ル)/一〇四五曳航開始對潜警戒ヲ嚴ニシツツ二八吋〇一〇〇南水道着第三圖南丸ヲシテ〇一四五無事PTニ帰投セシメ得タリ』</ref>。
7月19日、2隻(五十鈴、玉波)は[[ナウル|ナウル島]]に到着して輸送任務を終えた<ref name="木俣軽巡473" /><ref name="S1804十四戦隊(2)6" />。[[7月22日]]朝、トラック帰着<ref name="S1804十四戦隊(2)6" /><ref>[[#S18.04十四戦隊日誌(2)]]p.17『二二(天候略)(所属略)五十鈴〇八四五PT着 旭東丸ヨリ重油一一八四T補給|五十鈴燃料補給一一八四T|』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(1)]]p.31『(五)玉波(二十日KdB本隊ニ編入)「ナウル」輸送任務(五十鈴警戒任務)ニ從事二十二日「トラツク」歸投爾後同地ニ在リテ警戒、待機、教育訓練ニ從事ス』</ref>。

玉波航海中の[[7月20日]]、第二水雷戦隊司令官[[高間完]]少将は軽巡[[長良 (軽巡洋艦)|長良]]を二水戦旗艦とした<ref name="S1806二水戦(1)26経過">[[#S18.06二水戦日誌(1)]]pp.26-27『(ロ)作戰指導竝ニ經過(位置)4Sd兵力ノ2Sd編入竝ニ旗艦ノ變更』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(1)]]pp.27-28『(一)長良 4Sd旗艦タリ、十九日「ラボール」ヨリ「トラツク」歸着KdBニ編入二十日2Sd編入ト共ニ2Sd旗艦ニ指定セラレ同日将旗掲揚KdB本隊ニ編入セラル(以下略)』</ref>。
先の[[コロンバンガラ島沖海戦]]で軽巡[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]沈没時に第二水雷戦隊司令官[[伊崎俊二]]少将以下の二水戦司令部が全滅したため、日本海軍は第二水雷戦隊と第四水雷戦隊を統合したのである<ref name="S1806二水戦(1)26経過" /><ref>[[#叢書96|戦史叢書(96)]]237-238頁</ref>。
[[7月23日]]、玉波と駆潜艇28号はタンカー3隻(富士山丸、日栄丸、東亜丸)を護衛してトラックを出撃、パラオ方面に向かう<ref>[[#S16.12四根日誌(3)]]p.43『(七)護衛船団並ニ無護衛船団ニ関スル調査(一八.七)』・『二三|七二三三|二|一二六五六|玉波、駆潜二八|トラック ― パラオ|一一.〇』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(1)]]pp.78『二三(天候略)(略)三、玉波一二三〇「トラツク」発(富士山丸 日榮丸 東亜丸護衛)(以下略)』</ref>。
[[7月24日]]、米潜水艦[[ティノサ (潜水艦)|ティノサ]](艦長[[ローレンス・R・ダスピット]]少佐)が特設給油艦[[第三図南丸]]を襲撃する<ref name="叢書六二359">[[#叢書62|戦史叢書(62)]]359頁『米潜水艦の跳梁』</ref><ref name="木俣空母500">[[#木俣空母|日本空母戦史]]500-502頁『トラック島での対潜警戒』</ref>。魚雷15本が第三図南丸に命中したが、起爆したのは2本<ref name="木俣軽巡473" />もしくは3本<ref name="木俣空母500" />だけだった。第三図南丸は航行不能になり<ref name="変種72">[[#変種|変わりダネ軍艦]]72-73頁『さいわいした船体の油タンク』</ref>、玉波は日栄丸船団の護衛をやめて救援に向かう<ref>[[#S18.06二水戦日誌(1)]]pp.79『二四(天候略)玉波〇八四五日栄丸船団護衛ヲ止メ第三圖南丸護衛ニ向フ 一〇三四合同対潜攻撃ヲ行フ』</ref>。
7月25日から雄島(特設工作艦)、軽巡[[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]]、神風型駆逐艦[[朝凪 (駆逐艦)|朝凪]]等の救援を受ける<ref name="木俣軽巡473" /><ref name="S1804十四戦隊(2)6" />。玉波は応援艦艇と共に五十鈴(第三図南丸曳航中)の指揮下に入り<ref name="木俣軽巡473" /><ref name="叢書六二359" />、同艦を護衛した<ref name="S1804十四戦隊(2)6" /><ref>[[#S18.04十四戦隊日誌(2)]]p.18『二五(天候略)(所属略)五十鈴〇七〇〇現場着 一〇四五曳航開始「トラツク」ニ向フ』</ref>。7月28日、第三図南丸はトラック泊地に戻ることができた(その後、第三図南丸は同地在泊。翌年2月の[[トラック島空襲]]沈没)<ref name="木俣軽巡473" /><ref name="S1804十四戦隊(2)6" />。

8月初旬、玉波はトラック泊地に所在<ref name="S1806二水戦(2)6玉波">[[#S18.06二水戦日誌(2)]]pp.6-7『(六)玉波 前月ニ引續キ「トラツク」ニ在リKdB本隊ニ編入中ノ處 自三日至五日 間17dg(磯風)ト共ニ旭東丸護衛及GF主隊側方警戒隊トナル 十四日北安丸其ノ他輸送船油槽船等計四隻ヲ護衛「トラツク」出撃十九日「パラヲ」着同日NTB RC方面部隊ニ編入二十三日「パラオ」出撃 白鷹護衛中ノ陸軍輸送船六隻ニ合同之ヲ護衛シ二十五日「パラオ」着 同日YB警戒隊ニ復歸二十八日 八二八三船團(鶴見外二隻)ヲ護衛「パラオ」發「トラツク」ニ囘航ス(二日「トラツク」着ノ豫定)』</ref><ref name="S1806二水戦(2)10行動">[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.10『(ホ)麾下艦船部隊ノ行動』(昭和18年8月)』</ref>。
3日から5日にかけて、陽炎型駆逐艦[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]](第17駆逐隊)と行動を共にした<ref name="S1806二水戦(2)6玉波" /><ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.15『17dg機密第〇一一八〇〇番電 磯風、玉波、旭東丸ヲ護衛三日〇五〇〇「トラツク」發四日〇五〇〇N9°40′E 147°34′ニテ護衛ヲ打切リ一〇〇〇頃主隊ニ合同ノ豫定』</ref>。駆逐艦2隻(磯風、玉波)はタンカー[[極東丸|旭東丸]]を護衛してトラックを出撃<ref name="S1806二水戦(2)6玉波" /><ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.17『17dg機密第〇三〇五〇〇番電 17dg(磯風)玉波、旭東丸ヲ護衛シ「トラツク」發』</ref>。
予定通り途中で護衛をやめ、内地からトラック泊地へ進出中の戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]<ref name="写真1武蔵年表" /><ref>[[#手塚2009上|武藏(2009上)]]164頁</ref>(連合艦隊旗艦)に合流、側方警戒隊となった<ref name="S1806二水戦(2)21">[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.21『四日〇九四〇(長官)GF|GF|一.17dg(磯風)玉波ヲ側方警戒隊トス/二.側方警戒隊ハ武藏ノ左右夫々一〇〇度二.五粁ニ占位スベシ/三.側方警戒隊ノ指揮呼信號ヲ「隊四」トス/四.磯風、玉波ハ(テタ二二一)ニ配員セヨ|信號』</ref>。
[[8月5日]]未明、米潜水艦[[スティールヘッド (潜水艦)|スティールヘッド]]が主力部隊を襲撃、空母[[雲鷹 (空母)|雲鷹]]を狙って雷撃をおこなうが、命中しなかった<ref name="木俣空母500" />。同日、主力部隊(戦艦〈武蔵〉、空母〈雲鷹〉、第五戦隊〈[[妙高 (重巡洋艦)|妙高]]、[[羽黒 (重巡洋艦)|羽黒]]〉<ref name="叢書六二372" /><ref>[[#高松宮六|高松宮日記6巻]]522頁『八月五日(木)半晴、曇』</ref>、軽巡〈長良〉、駆逐艦〈[[野分 (陽炎型駆逐艦)|野分]]、[[初風 (駆逐艦)|初風]]、[[白露 (白露型駆逐艦)|白露]]、[[曙 (吹雪型駆逐艦)|曙]]〉)<ref>[[#S17.12第五戦隊日誌(2)]]p.32『「トラツク」進出中ノ軍隊區分左ノ通』</ref>はトラック泊地に到着<ref>[[#S17.12第五戦隊日誌(2)]]pp.39-40『(ロ)行動任務主要作業』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]pp.22-23『四日〇〇二六(4F参謀長)(宛略)4F機密第〇三一九〇〇番電 武藏 5S 雲鷹(飛行機陸揚ニ關シテハ別電)長良等輸送物件ノ「トラツク」ニ於ケル積換及陸揚ハ入港直後左ニ依リ實施ノ豫定(以下略)』</ref>。
主力部隊側方警戒隊(磯風、玉波)も任務を終えた<ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.24『五日一八五七(GF長官)(宛略)GF機密第〇五一六二六番電 GF電令作第六五三號 GF電令作第五六九號ニ依ル各部隊ノ任務ヲ解ク|無電』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.79『五(天候略)27dg(時雨)江風二三三〇「ラバウル」発/2Sd(長良)玉波 白露「トラツク」着|27dg(時雨)江風陸兵物件「コロンバンガラ」輸送ノ爲「ラバウル」発/2Sd(長良)玉波 白露BB竝ニYB警戒任務終了「トラツク」着(以下略)』</ref>。磯風は第五戦隊を護衛してラバウルに向かった<ref name="叢書六二372" />。

8月14日、玉波は船団4隻(北安丸、[[神州丸]]、天南丸、健洋丸)を護衛してトラック泊地を出撃<ref name="S1806二水戦(2)6玉波" /><ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.83『一四(天候略)2sd(長良)一二四〇呉着/海風一一〇〇佐世保発 一六三〇着/玉波一四三〇「トラック」発|海風修理工事完了諸試験ノ爲港外ニ出動即日入港/玉波一四三〇北安丸 神州丸 天南丸 健洋丸ヲ護衛「パラオ」ニ向ケ「トラック」発(以下略)』</ref>。19日に[[パラオ]]進出<ref name="S1806二水戦(2)6玉波" /><ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.87『一九(天候略)島風〇八〇〇呉発 一三〇〇徳山着/玉波〇九三〇「パラオ」着|玉波 北安丸 神州丸 天南丸護衛「パラオ」着|NTB電令作第三五號 玉波RO方面防備部隊ニ編入セラル』</ref>。
本艦は臨時にニューギニア方面防備部隊に編入されていたため、23日から25日にかけて<ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.62『二三日二〇三五玉波(宛略)玉波機密臺二三一八三一番電 一八三〇「パラオ」出撃|無電』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.89『二五(天候略)(略)玉波一三二五「パラオ」着|(略)玉波、白鷹陸軍輸送船護衛任務終了「パラオ」着(略)|GF電令作第作第六七七号ニ依リ玉波YBニ復帰 RC方面防備部隊ヨリ除カル YB電令作第六号ニ依リYB警戒隊ニ編入セラル』</ref>、陸軍輸送船団(護衛艦[[白鷹 (急設網艦)|白鷹]])の護衛に従事する<ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]pp.61-62『2aBg機密第二三一三四五番電 RO方面防備部隊電令作第一八號 RO方面防備部隊ハNTB電令作第七九號ニ基キ右ノ外前囘ニ準ジ第七次「ハンサ」湾輸送作戰ヲ實施スベシ 一.輸送指揮官驅潜二六艇長(歸途)九月五日頃白鷹艦長ト交代スベシ)/二.使用兵力驅潜二六、同三四(以上九月五日頃迄)白鷹、玉波(歸航ノ途中ヨリ)及零觀六機/三.交代ノ要領ハ兩指揮官協議スベシ|無電』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.88『二三(天候略)(略)玉波一八三〇「パラオ」発|BB竝ニYBヲ護衛「トラック」着/玉波、白鷹護衛中ノ陸軍輸送船護衛ノ爲「パラオ」発(以下略)』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.89『二四(天候略)玉波〇七〇三白鷹ニ合同護衛任務ニ就ク 司令官海風巡視』</ref>。
同月28日、玉波は「八二八三船団」<ref>[[#叢書62|戦史叢書(62)]]『付表五、中部太平洋方面主要航路における護衛(その2)』『パラオ発トラック行「8」船団』</ref><ref>[[#S16.12四根日誌(3)]]p.58『(七)管區内護衛船団並ニ無護衛船団ニ関スル調査(一八-八)』・『二八|八二八三|一九五七六|玉波|パラオ―トラツク|九.〇|』</ref>のタンカー3隻([[鶴見 (給油艦)|鶴見]]、[[東亜丸 (飯野海運)#東亜丸・初代|東亜丸]]、[[富士山丸 (飯野海運)#富士山丸・初代|富士山丸]])<ref name="S1806二水戦(2)6玉波" />護衛艦としてパラオを出撃<ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.67『2aBg機密臺二六一八一六番電 玉波ハ東亜丸、富士川丸ヲ護衛シ「トラック」ニ向ケ二八日出港ノ豫定|無電』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.90『二七(天候略)(略)玉波〇六〇〇「パラオ」発|24dg(海風、涼風)「ラバウル」着揚搭作業終了一五三〇発/玉波八二八三船団(鶴見)東亜丸 富士山丸ヲ護衛「トラック」ニ向ケ「パラオ」発』</ref>。
9月2日、八二八三船団(玉波、鶴見、東亜丸、富士山丸)はトラック泊地に到着した<ref name="S1806二水戦(3)9玉波">[[#S18.06二水戦日誌(3)]]pp.9-10『(7)玉波 東亞丸、富士山丸、鶴見ヲ護衛二日「トラツク」着十日BB電令作第二號ニ依リ「トラツク」發東亜丸護衛夕刻護衛ヲ止メ分離セル處東亞丸被雷撃ニ依リ反轉潜蕩十一日吾妻丸ニ合同「トラツク」歸着十八日 日榮丸護衛「ブラウン」ニ向ケ「トラツク」發二十一日「ブラウン」着二十三日KDB前衛ニ編入「ブラウン」發二十五日「トラツク」歸着二十九日隼鷹ヲ護衛呉ニ向ケ「トラツク」發』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(3)]]pp.87-88『二(天候略)一三三〇玉波「トラツク」着|玉波 東亜丸 富士山丸、 鶴見ヲ護衛「トラック」着(以下略)』</ref>。

玉波が船団護衛任務従事中、第二水雷戦隊旗艦は軽巡長良から阿賀型軽巡洋艦[[能代 (軽巡洋艦)|能代]]に交代した<ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]pp.3-4『(イ)一般(二)能代ノ2Sd編入(旗艦豫定)及長良ノ8F編入豫定ニ關聯長良ハ急速内地ニ囘航修理ノ事トナリ九日「トラツク」發十四日呉着 十五日附能代2Sd編入ニ依リ同日旗艦變更』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(2)]]p.43『一五日〇九一五(2Sd司令官)2Sd機密第一五〇九一五番電 旗艦ヲ能代ニ變更ス|無電』</ref>。
9月10日、玉波は東亜丸を護衛してトラック泊地を出撃<ref name="S1806二水戦(3)9玉波" /><ref>[[#S18.06二水戦日誌(3)]]p.90〔昭和18年9月10日項目〕</ref>。分離直後に東亜丸が雷撃されたので、対潜掃蕩をおこなう<ref>[[#S18.06二水戦日誌(3)]]p.36『一〇日一八四五玉波(宛略)玉波機密第一〇一八四五番電 一.一七四五東亞丸地點(N五度三分E一四九度五七分)ニ於テ雷撃(三)ヲ受クルモ被害ナシ/二.我右地點附近近海面ヲ掃蕩中|無電』</ref>。その後、トラック泊地に戻った<ref>[[#S18.06二水戦日誌(3)]]p.13『(四)麾下艦船部隊ノ行動』(昭和18年9月)</ref>。

9月18日、[[第三艦隊 (日本海軍)|第三艦隊]](司令長官[[小沢治三郎]]中将、海軍兵学校37期)と[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]](司令長官[[栗田健男]]中将、海軍兵学校38期)の[[マーシャル諸島]]方面への出撃に際して、第二水雷戦隊も聯合機動部隊に組み込まれた<ref name="叢書六二399">[[#叢書62|戦史叢書(62)]]399頁『機動部隊のトラック出港と米機来襲前の哨戒』(註、原本の編編成に記載されている[[江風 (白露型駆逐艦)|江風]]は、前月の[[ベラ湾夜戦]]に沈没しているので除外)</ref><ref name="木俣水雷301">[[#木俣水雷|日本水雷戦史]]301-303頁『機動部隊のブラウン出撃』</ref>。聯合機動部隊は、第三艦隊(第一航空戦隊〈翔鶴、瑞鶴〉、第三戦隊〈金剛、榛名〉、第八戦隊〈利根、筑摩〉、第十戦隊〈阿賀野、涼月、初月、若月、浦風〉、附属〈最上、大淀、日栄丸〉)と第二艦隊(第四戦隊〈愛宕、高雄、摩耶、鳥海〉、第五戦隊〈妙高、羽黒〉、第二水雷戦隊〈能代、海風、涼風、玉波〉)という戦力だった<ref name="叢書六二399" /><ref name="木俣空母503">[[#木俣空母|日本空母戦史]]503-505頁『ブラウン島へ出撃(九月)』(註、原本の[[江風 (白露型駆逐艦)|江風]]は8月6日に沈没しているので除外)</ref>。
玉波は第三艦隊付属のタンカー日栄丸(日東汽船、10,020トン)を護衛してトラックを出撃<ref name="S1806二水戦(3)9玉波" /><ref>[[#S18.06二水戦日誌(3)]]pp.92-93〔昭和18年9月18日項目〕</ref>。
聯合機動部隊(後から来た瑞鳳、舞風、野分を含む)は<ref name="木俣水雷301" />、9月20日[[エニウェトク環礁|ブラウン環礁]]に到着した(玉波と日栄丸は21日着)<ref name="叢書六二401">[[#叢書62|戦史叢書(62)]]401-402頁『丙作戦第二法警戒発動と機動部隊のブラウン入泊待機』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(3)]]p.93『二一(天候略)玉波〇四四〇「ブラウン」着/凉風〇八〇〇発/島風〇四一五「トラツク」発|玉波、日榮丸ヲ護衛「ブラウン」着/涼風 哨艦トシテ礁外ニ出動、哨戒実施対潜掃蕩/島風 沖鷹大鷹護衛横須賀ニ向ケ「トラツク」発/長波不用物件陸揚』</ref>。
基地航空隊が出撃したのみで、機動部隊が米軍と直接交戦することはなかった<ref>[[#S17.09第三戦隊日誌(4)]]p.11→p.8『(二)經過(略)(4)十七日出撃準備ヲ完成シ十八日二一三〇PT出撃東正面ニ備ヘツヽ訓練ノ爲PBニ向ヘルモ敵機動歩合「ギルバード」諸島ニ來襲セル爲訓練ヲ中止シ二十日一四四〇PBニ入泊待機セリ 爾後同地ニ在リテ対潜対空警戒ヲ嚴ニシツヽ敵ノ動静ヲ官吏シツヽ傍ラ訓練ニ努メタルガ敵撃退サレシ爲二寿三日〇九〇〇PB出撃PTニ廻航セリ』</ref><ref name="S1712五戦隊(2)48">[[#S17.12第五戦隊日誌(2)]]p.48『(四)十八日遊撃部隊ハ聯合機動部隊トシテ第三艦隊長官ノ指揮ヲ受ケ「トラツク」發東方邀撃兼訓練ノ目的ヲ以テ「ブラウン」ニ進出中十九日敵機動部隊「ギルバート」方面来襲アリ「GF丙作戰第二法警戒」發令セラレ聯合機動部隊ハ二十日「ブラウン」ニ入泊警戒待機セルモ二十二日右警戒ヲ解カレ二十三日「ブラウン」發洋上諸訓練ヲ實施シツツ二十五日「トラツク」着』</ref>。
玉波は機動部隊前衛に編入される<ref name="S1806二水戦(3)9玉波" /><ref>[[#S18.06二水戦日誌(3)]]p.63『二一日 機動部隊前衛(宛略)機動部隊前衛信令第六號 前衛ノ直衛驅逐艦配分左ノ通改ム 一、二十四驅逐隊 玉波(三戰隊)/二、十六驅逐隊(四戰隊)|信號』</ref>。
9月23日、聯合機動部隊はブラウン環礁を撤収<ref name="木俣空母503" /><ref name="叢書六二402">[[#叢書62|戦史叢書(62)]]402頁『丙作戦第二法警戒の解除と機動部隊等のトラック帰着』</ref>。
9月25日<ref name="叢書六二402" /><ref name="木俣水雷301" />、聯合機動部隊はトラック泊地に戻った<ref name="S1712五戦隊(2)48" /><ref>[[#S17.09第三戦隊日誌(4)]]p.8『(5)PT廻航中対潜警戒ヲ嚴ニツヽ航空戰教練、主砲偏彈射撃夜戰訓練、黎明戰訓練ヲ實施 二十五日一四四〇PTニ入泊セリ』</ref>。

9月29日<ref name="丸4巻隼鷹行動">[[#写真四|写真日本の軍艦第4巻]]p.42、落合康夫「航空母艦『隼鷹』行動年表」</ref>、内地帰投部隊(空母〈[[隼鷹 (空母)|隼鷹]]〉、軽巡〈[[木曾 (軽巡洋艦)|木曾]]、[[多摩 (軽巡洋艦)|多摩]]〉、駆逐艦〈玉波〉)はトラックを出発<ref>[[#S18.06二水戦日誌(3)]]p.82『二九日〇五〇〇 隼鷹(宛略)隼鷹機密第二九〇九〇〇番電  隼鷹 木曾 玉波 呉/多摩 徳山ニ向ケ「トラツク」發』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(3)]]p.96『二九(天候略)玉波〇五三〇「トラツク」発(略)玉波 隼鷹 木曽 多摩ノ対潜警戒任務ニ從事』</ref>。
10月3日<ref>[[#S18.06呉防戦日誌(7)]]p.12〔護衛概要〕『三|隼鷹|第一特掃〔二水丸 恒春丸〕十徳豊丸 七玉丸 大井丸 多摩丸|入泊航路上|對潜特別蕩』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(4)]]p.19『四日一五三〇 隼鷹(宛略)隼鷹機密第〇四一五三〇番電 隼鷹 木曾 多摩 玉波内海西部着』</ref>、隼鷹隊(隼鷹、木曾、多摩、玉波)は豊後水道を通過する<ref>[[#S18.06呉防戦日誌(7)]]p.15〔掃蕩概要〕『三|第一特別掃蕩隊〔二水丸 恒春丸〕七玉丸 多摩丸 大井丸|艦隊航路上沖ノ島ヨリ五〇浬往復 都井岬九〇度三十浬ヨリ深島迄|隼鷹 木曾 多摩 玉波 入泊掩護』</ref><ref>[[#S18.06呉防戦日誌(7)]]p.22『一日一七三一 呉防戰司令官|一日一八五〇 豊後防備部隊 伯空司令〔宿毛空司令 鹿屋空司令 呉鎭長官 隼鷹木曽多摩}艦長〕|呉防戰機密第〇一一七三一番電 電令作第三五六號 一.隼鷹 木曽 多摩 玉波 三日一八〇〇北緯三〇度三七分東経一三六度五〇分 四日〇六〇〇北緯三三度一八分東経一三二度三九分経由〇七三〇沖ノ島入泊(以下略)』</ref>。
10月5日、呉に到着した<ref>[[#S18.06二水戦日誌(4)]]p.21『五日〇八〇〇 隼鷹(宛略)隼鷹機密第〇五〇八〇〇番電 隼鷹 木曾 玉波呉着』</ref><ref name="S1806二水戦(4)8">[[#S18.06二水戦日誌(4)]]p.8『(4)第三十二驅逐隊(早波涼波藤波)内海西部ニ在リテ待機整備(出撃準備)十二日宇品ニ回航丁三號輸送部隊ニ編入十三日佐伯ニ回航十五日回航十五日同發二十日「トラツク」着陸軍甲支隊ヲ移載(以下略)/玉波 一日附三二驅ニ編入 隼鷹???ヲ護衛四日内海西部五日呉着十三日呉出撃佐伯ニ囘航海十四日隼鷹雲鷹ヲ護衛同發十九日「トラツク」着爾後「トラツク」ニ在リテ待機』</ref>。

=== 第32駆逐隊 ===
本艦が隼鷹護衛中の[[1943年]](昭和18年)10月1日付で、玉波は'''第32駆逐隊'''(駆逐隊司令[[中原義一郎]]<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072092600|昭和18年8月21日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1196号 p.2}}</ref>大佐<!--昭和18年8月20日編成 -->)に編入される<ref name="S18内令2035" /><ref>[[#S18.06二水戦日誌(4)]]p.4『(イ)一般(略)一日附玉波32驅ヘ 五月雨27驅ヘ編入セラル』</ref>。
32駆は夕雲型定数4隻([[涼波 (駆逐艦)|涼波]]、[[藤波 (駆逐艦)|藤波]]、[[早波 (駆逐艦)|早波]]、玉波)となった<ref name="S1806二水戦(4)16区分" /><ref name="S1806二水戦(4)8" />。
10月14日<ref>[[#木俣空母|日本空母戦史]]527頁</ref><ref>[[#S18.06呉防戦日誌(7)]]pp.38-39『十三日〇七一〇 呉防戰司令官|十三日〇八〇五 豊後防備部隊 伯空司令〔隼鷹 雲鷹 7dg司令 呉鎭長官 宿毛空司令 50Sf司令官〕|呉防戰機密第一三〇七一〇番電 電令作第三六三號 一.艦隊〔空母二隻、駆逐艦一隻〕十四日〇八〇〇深島出撃尓後航路概ネ一四〇度速力二四節(以下略)』</ref>、艦隊(空母2隻〈隼鷹、雲鷹〉<ref>[[#S18.06二水戦日誌(4)]]p.79『一四(天候略)(略)玉波〇六五三佐伯發|玉波隼鷹雲鷹護衛「トラツク」ニ向ケ佐伯発』</ref>、駆逐艦2隻〈玉波、[[曙 (吹雪型駆逐艦)|曙]]〉)は佐伯を出撃<ref>[[#S18.06二水戦日誌(4)]]p.42『一四日〇六一五 隼鷹(宛略)隼鷹機密第一五〇六一五番電  隼鷹 雲鷹 曙 玉波「トラック」ニ向ケ佐伯出撃』</ref><ref>[[#S18.06呉防戦日誌(7)]]pp.38-39『十三日〇七一〇 呉防戰司令官|十三日〇八〇五 豊後防備部隊 伯空司令〔隼鷹 雲鷹 7dg司令 呉鎭長官 宿毛空司令 50Sf司令官〕|呉防戰機密第一三〇七一〇番電 電令作第三六三號 一.艦隊〔空母二隻、駆逐艦一隻〕十四日〇八〇〇深島出撃尓後航路概ネ一四〇度速力二四節(以下略)』</ref>。
10月9日、隼鷹隊(隼鷹、雲鷹、玉波、曙、天津風)はトラック泊地に到着<ref>[[#S18.06二水戦日誌(4)]]p.54『一九日一二一五隼鷹(宛略)隼鷹機密第一九一二一五番電 隼鷹 雲鷹 玉波 曙 天津風「トラツク」着|無電』</ref><ref>[[#S18.06二水戦日誌(4)]]p.80『一九(天候略)(略)玉波一二一五「トラツク」着|(略)玉波隼鷹雲鷹ヲ護衛「トラツク」着』</ref>。本艦はトラック泊地で待機する<ref>[[#S18.06二水戦日誌(4)]]p.12『(四)麾下艦船部隊ノ行動』(昭和18年10月)</ref>。

{{Main|ラバウル空襲}}

同年11月上旬、[[ブーゲンビル島の戦い]]<ref>[[#叢書96|戦史叢書(96)]]382頁『連合軍のタロキナ上陸とわが航空攻撃』</ref>に伴う[[ろ号作戦]]の大戦果(誤認)に呼応し、第二艦隊司令長官[[栗田健男]]中将(旗艦愛宕)が指揮する重巡洋艦基幹の遊撃部隊(重巡〈[[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]]、[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]]、[[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]]《のちに損傷タンカー護衛のため涼波と共に離脱》、[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]]、[[鈴谷 (重巡洋艦)|鈴谷]]、[[最上 (重巡洋艦)|最上]]、[[筑摩 (重巡洋艦)|筑摩]]〉、第二水雷戦隊〔軽巡〈[[能代 (軽巡洋艦)|能代]]〉、第32駆逐隊〈[[玉波 (駆逐艦)|玉波]]、[[涼波 (駆逐艦)|涼波]]、[[藤波 (駆逐艦)|藤波]]、[[早波 (駆逐艦)|早波]]〉〕)はトラック泊地から[[ラバウル]]へ進出する<ref name="叢書九六396">[[#叢書96|戦史叢書(96)]]396-397頁『栗田部隊のラバウル進出の決定』</ref><ref name="叢書九六397">[[#叢書96|戦史叢書(96)]]397-399頁『ラバウル進出と逆上陸計画との絡み合い』</ref>。
だが[[11月5日]]、栗田艦隊はアメリカ軍機動部隊(サラトガ、プリンストン)の空襲を受ける('''ラバウル空襲''')<ref name="叢書六二425" /><ref name="叢書九六399">[[#叢書96|戦史叢書(96)]]399-400頁『米空母機による第一次被空襲と被害―十一月五日』</ref>。
栗田艦隊は損傷艦(摩耶)や二水戦主力部隊(能代)等を残してラバウルから退避<ref name="叢書九六400">[[#叢書96|戦史叢書(96)]]400-401頁『重巡部隊のトラック帰投』</ref><ref>[[#池田清2002|摩耶(学研M文庫2002)]]192-193頁</ref>。玉波は損傷艦(最上)を護衛したので遊撃部隊主力に遅れ、2隻(重巡〈鈴谷〉、駆逐艦〈島風〉)が分離して2隻(最上、玉波)の警戒に従事した<ref name="叢書六二425" />。11月8日、4隻(重巡〈鈴谷、最上〉、駆逐艦〈玉波、島風〉)はトラック泊地に到着した<ref name="叢書九六400" /><ref>[[#S18.06二水戦日誌(5)]]p.45『八日1325(司令官)7SYB(宛略)7S機密第081325番電 7S(熊野欠)島風玉波ヲ率ヰ「トラツク」着』</ref>。

11月11日、二水戦の駆逐艦2隻(玉波、島風)は空母[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]、第四戦隊([[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]]、[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]])<ref name="写真6高雄年表">[[#写真六|写真日本の軍艦6巻]]36-37頁〔重巡洋艦『高雄・愛宕』行動年表 ◇高雄◇〕</ref><ref name="写真6愛宕年表">[[#写真六|写真日本の軍艦6巻]]37頁〔重巡洋艦『高雄・愛宕』行動年表 ◇愛宕◇〕</ref>を護衛してトラック泊地を出発<ref name="S1806二水戦(5)11玉波">[[#S18.06二水戦日誌(5)]]p.11『玉波 五日「ラバウル」對空戰闘迄32驅(早波、藤波)ニ同ジ同日夕刻4S 7S等ノ警戒艦トシテ「ラバウル」發八日「トラツク」着 十一日翔鶴、愛宕、高雄ヲ護衛「トラツク」發十五日横須賀着待機整備 二十六日島風ト共ニ翔鶴ヲ護衛横須賀發』</ref><ref name="S1806二水戦(5)14島風">[[#S18.06二水戦日誌(5)]]p.14『島風 日章丸、日榮丸船團ヲ護衛一日「トラツク」着二日同「トラツク」發途中敵機ト交戰日章丸被弾、日榮丸ヲ護衛先行五日「ラバウル」着夕刻4S 7S等ヲ護衛「ラバウル」發途中敵潜ト戰闘八日「トラツク」着 十一日高雄、愛宕、翔鶴ヲ護衛「トラツク」發 十五日横須賀着補給修理等實施二十六日玉波ト共ニ翔鶴ヲ護衛横須賀發』</ref>。11月15日、翔鶴隊は横須賀に到着した<ref name="S1806二水戦(5)11玉波" /><ref>[[#S18.06二水戦日誌(6)]]p.9『一五日一一三二翔鶴(宛略)翔鶴機密第一五一一三二番電 翔鶴、高雄、愛宕、玉波、島風ヲ率ヰ横須賀着|無電』</ref>。修理と整備を実施する<ref name="S1806二水戦(5)11玉波" /><ref name="S1806二水戦(5)14島風" />。
玉波航海中の11日、第二次ラバウル空襲で姉妹艦[[涼波 (駆逐艦)|涼波]](第32駆逐隊)が沈没<ref name="秋月型2015涼波" />、姉妹艦[[長波 (駆逐艦)|長波]](第31駆逐隊)が大破<ref name="秋月型2015長波" /><ref>[[#叢書96|戦史叢書(96)]]414-415頁『邀撃空戦と艦艇の被害』</ref>。第32駆逐隊は3隻(藤波、早波、玉波)となった<ref name="S19内令62">[[#内令昭和19年1月(2)]]p.14『内令第六十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年一月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十六驅逐隊ノ項中「初風、」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「望月、」ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「涼波、」ヲ削ル』</ref>。

11月26日<ref>[[#S18.06二水戦日誌(5)]]p.7『(3)下旬(中略)島風、玉波ハ翔鶴ヲ護衛二十六日横須賀發』</ref>、駆逐艦4隻(二水戦〈玉波、島風〉<ref name="S1806二水戦(5)11玉波" /><ref name="S1806二水戦(5)14島風" />、第十戦隊〈[[谷風 (陽炎型駆逐艦)|谷風]]、[[秋月 (駆逐艦)|秋月]]〉)は空母2隻([[翔鶴 (空母)|翔鶴]]、[[千歳 (空母)|千歳]])を護衛して日本本土を出撃(翔鶴隊は横須賀発<ref>[[#S18.06二水戦日誌(6)]]p.22『二六日〇九〇〇翔鶴(宛略)翔鶴機密第二六〇九〇〇番電 翔鶴、玉波、島風、「トラツク」ニ向ケ横須賀發|無電』</ref>、千歳隊は内海西部発)<ref name="手塚2009上225">[[#手塚2009上|武藏(2009上)]]225-226頁</ref><ref name="叢書六二513">[[#叢書62|戦史叢書(62)]]513-514頁『内南洋方面航空部隊の解隊と42ABのテニアン転進』</ref>。
12月1日<ref name="叢書六二513" />、翔鶴含め6隻(翔鶴、千歳、玉波、島風、秋月、谷風)はトラック泊地に到着した<ref>[[#18.12十戦隊日誌(1)]]p.15『翔鶴機密第〇一一六一〇番電 翔鶴、千歳、玉波、島風、秋月、谷風「トラツク」着|無電』</ref><ref name="S1812二水戦(1)14玉波">[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p.14『(3)32dg(早波行動略) (玉波)島風ト共ニ翔鶴護衛一日「トラツク」着/十一日護衛ヲ哨戒艇ニ引續ギ十二日 日榮丸船団ニ合同護衛/七日島風ト共ニ富士山丸船団護衛「トラツク」發/十四日「トラツク」着/十六日YB電令第一七號ニ依リ修理ノ爲最上ト共ニ「トラツク」発/二十一日呉着待機修理ニ從事』</ref>。
二水戦の3隻(島風、玉波、五月雨)は数日間、トラック泊地で待機する<ref name="S1812二水戦(1)16島風">[[#S18.12二水戦日誌(1)]]pp.16-17『(6)島風 十五日迄玉波ニ同ジ「トラック」ニ在リテ待機中/十八日健洋丸船團ヲ護衛「トラック」発二十一日護衛ヲ(早波)ニ引續ギ二十三日「トラック」着/二十六日YB電令作第四四號ニ依リ藤波ト交代「サイパン」方面派遣駆逐艦トナル/二十九日鶴見護衛「サイパン」ニ向ケ「トラック」発』</ref><ref>[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p.19『(四)麾下艦船部隊ノ行動』(昭和18年12月)</ref>。

12月7日、駆逐艦2隻(玉波、島風)は「第七〇七二船団」(富士山丸、神国丸)<ref name="付表五7072船団">[[#叢書62|戦史叢書(62)]]『付表五、中部太平洋方面主要航路における護衛(その2)』『トラック発パラオ行「7」船団』</ref><ref>[[#S17.04二海護日誌(5)]]p.55『七(天候略)一.玉波、島風二隻 七〇七二船団(富士山丸、神国丸)ヲ護衛〇四三〇パラオニ向ケトラック發(以下略)』</ref>を護衛してトラックを出発<ref>[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p.27『六日玉波(宛略)玉波、島風第七〇七二船団(冨士山丸、神國丸)護衛ノ爲明七日〇六〇〇北水道出撃ノ豫艇|無電』</ref><ref>[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p.65『七(天候略)玉波、島風〇四四〇「トラック」発/満潮一二〇一横須賀着/藤波〇五四五「サイパン」着|玉波島風 富士山丸 神國丸護衛「パラオ」ニ向ケ「トラック」発/藤波七五五基地員物件輸送任務終了』</ref>。
11日、駆逐艦2隻(玉波、島風)は途中で富士山丸船団護衛を止め<ref>[[#S17.04二海護日誌(5)]]p.59『一一(天候略)(略)三.玉波 島風一一〇〇 七〇七二船団護衛ヲ止メ日業丸・旭東丸・照川丸ニ合同 同船団ヲ護衛トラックニ向フ(以下略)』</ref>、その後の護衛は哨戒艇に引き継ぐ<ref name="付表五7072船団" /><ref name="S1812二水戦(1)66">[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p.66『十一(天候略)(略)玉波島風一一〇〇船團護衛ヲ哨戒艇ニ申継 日榮丸船団ニ向フ』</ref>(戦史叢書第62巻では[[スチュワート (DD-224)|第102号哨戒艇]]が護衛とするが、同艦は11日時点でスラバヤ在泊<ref>[[#S1809第102号哨戒艇(3)]]p.24〔一、作戰経過概要〕『一一|スラバヤ|(天候略)|戰備作業』</ref>。護衛は20日<ref>[[#S1809第102号哨戒艇(3)]]p.25〔一、作戰経過概要〕『二〇(天候略)〇七〇〇出港 神國丸護衛(バリックパパン~ア-ルバン間)一七一〇入港|山水丸間接護衛』</ref>から)。
駆逐艦2隻(玉波、島風)は日栄丸船団(日栄丸、旭東丸、照川丸)に合同してトラック泊地に向かった<ref name="S1812二水戦(1)66" /><ref>[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p.67『十二(天候略)(略)玉波、島風一〇四〇船団(日榮丸、旭東丸、照川丸)ニ合同護衛任務ニ就ク』</ref>。
12月15日、日栄丸船団はトラック泊地到着<ref>[[#S17.04二海護日誌(5)]]p.62『一五(天候略)(略)三.玉波 島風二隻 日榮丸 旭東丸 照川丸ヲ護衛一七三〇トラック着(以下略)』</ref><ref name="S1812二水戦(1)12月15日">[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p.68『十五(天候略)(略)玉波 島風一七一〇「トラツク」着|(略)玉波島風 船団(日榮丸 旭東丸 照川丸)護衛「トラツク」着|浜波 二水戰ニ編入 32dgニ編入サル』</ref>。
同日附で第32駆逐隊に夕雲型駆逐艦[[浜波 (駆逐艦)|浜波]]が編入され<ref name="秋月型2015浜波" /><ref name="S1812二水戦(1)12月15日" />、32駆は定数4隻(藤波、早波、玉波、浜波)を回復した<ref name="S18内令2688" />。だが玉波は入渠修理のため内地に戻ることになり、島風や他の32駆僚艦とは別行動になる<ref name="S1812二水戦(1)16島風" /><ref>[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p.7『(2)中旬(中略)玉波、島風又32dg(早波)ト連繋「パラオ」「トラツク」間護衛ニ從事中 玉波ハ十六日以降修理ノ爲内地ニ向ケ発(以下略)』</ref>。
12月16日、[[相徳一郎]]大佐(最上艦長)の指揮下<ref>[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p.34『一三日二〇二五(指揮官)YB(宛略)YB電令第一四號 位置.玉波ハ十六日頃「トラツク」発舞鶴ニ回航入渠修理ニ從事スベシ/二.右回航中最上艦長ノ指揮ヲ承ケ同艦ノ警戒ニ任ズベシ』</ref><ref name="叢書六二483">[[#叢書62|戦史叢書(62)]]483-484頁『第二十四航空戦隊のマーシャル進出』</ref>、3隻(重巡〈最上〉、第32駆逐隊〈玉波〉、第9駆逐隊〈[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]〉)はトラック泊地を出発<ref name="S1812二水戦(1)14玉波" /><ref>[[#S18.09一水戦日誌(3)]]p.8『二.九驅(霞)ハ前月末二四航戰司令官ノ指揮ヲ受ケ二八一空ノ輸送ニ協力中GF電令作第二一八號北方部隊信令第四四〇號一水戰機密第一四〇六三〇番電ニ依リ最上艦長ノ指揮ヲ受ケ一六日以降同艦ノ護送ニ任ジタル後二一日同任務ヲ終リ水雷部隊ニ復帰ス』</ref>。
12月21日、3隻(最上、玉波、霞)は日本本土に帰還(翌日、霞は舞鶴に帰投)<ref>[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p.47『二一日一一五〇最上(宛略)最上、玉波、呉着』</ref><ref>[[#S1809一水戦日誌(3)]]p.40『二二(天候略)一.〇八三〇 九駆(霞)舞鶴着/二.〇九三〇21dgハ2sfヲ護衛「トラック」着』</ref><ref>[[#S18.12呉防戦日誌(1)]]p.44『二十日二〇〇五 呉防戰司令官|二十日二三四〇 三十四掃司令 伯司令 伯空司令〔最上 玉波 霞 呉鎭(長官)〕|呉防戰機密第二〇二〇〇五番電 電令作第一三八號 最上二十一日一五〇〇豊後水道西口着ノ予定(以下略)』</ref>。玉波は呉で<ref>[[#S18.12二水戦日誌(1)]]p27『六日玉波(宛略)玉波、島風第七〇七二船団(冨士山丸、神國丸)護衛ノ爲明七日〇六〇〇北水道出撃ノ豫定|無電』</ref>、霞は舞鶴で、修理と整備をおこなった<ref name="叢書六二483" /><ref name="叢書12玉波行動">[[#叢書12|戦史叢書(12)]]〔付表第一〕『聯合艦隊主要艦艇行動表(昭和十九年一月一日~六月二十五日)』〔玉波〕</ref>。

=== 昭和19年の行動 ===
[[1944年]](昭和19年)[[1月17日]]、玉波の出撃準備完了<ref name="S1812二水戦(3)11玉波">[[#S18.12二水戦日誌(3)]]p.11『玉波 前月ニ引続キ呉ニテ修理整備中/十七日出撃準備完成/十九日呉発徳山着/二十五日徳山発/二十六日横須賀着/二十九日瑞鳳千代田高雄護衛横須賀発』</ref>。
[[連合艦隊]]は空母[[神鷹 (空母)|神鷹]](元ドイツ貨客船[[:de:Scharnhorst (Schiff, 1935)|シャルンホルスト号]])と駆逐艦2隻(玉波、[[薄雲 (吹雪型駆逐艦)|薄雲]])に、輸送任務を命じた<ref>[[#S18.09一水戦日誌(4)]]p.21、[[#S18.12二水戦日誌(3)]]p.44『十三日(長官)GF|十三日二〇三〇神鷹(長官)GKF(長官)2F(長官)3KF(司令官1sd)|GF機密第一三一五三〇番電 GF電令作第八九五號 神鷹艦長ハ薄雲 玉波ヲ併セ指揮シ一月二十日頃呉發電令作第八七〇號ニ依ル任務ニ従事スベシ』</ref>。
1月19日、神鷹は徳山沖で試運転を行うが、21日に呉へ回航された(玉波と薄雲は徳山で待機)<ref>[[#海護総司令部(1)]]p.36『二一(略)一三〇〇海鷹(電、響)昭南着/神鷹徳山發呉ニ回航』</ref><ref>[[#S18.09一水戦日誌(4)]]p.27、[[#S18.12二水戦日誌(3)]]p.62『二十一日神鷹(宛略)一一〇〇徳山沖發一七三〇呉着ノ予定玉波ハ徳山薄雲ハ桂島沖ニテ待機』</ref>。神鷹の機関不調は深刻で出撃できず、薄雲と玉波も別任務に投入された。薄雲は呉海軍工廠でレーダーの整備を実施<ref>[[#S18.09一水戦日誌(4)]]p.29『9dg機密第二二一四三五番電 GF電令作第九〇八號関聯 薄雲、桂島泊地ニ於テ合同ス 薄雲ハ電波探信儀残工事ヲ呉工廠ニテ直ニ着手セシム(所要日数約十日)』</ref>。玉波は横須賀に回航された<ref name="叢書12玉波行動" /><ref name="S1812二水戦(3)11玉波" />。

[[1月29日]]<ref name="写真6高雄年表" /><ref name="木俣空母579">[[#木俣空母|日本空母戦史]]579-580頁『トラック島、壊滅(昭和十九年二月十七日)』</ref>、瑞鳳艦長[[服部勝二]]大佐の指揮下に入る<ref>[[#S18.12高雄日誌(1)]]p.30『29(天候略)一〇〇〇出港 瑞鳳艦長ノ指揮ヲ受ケ、トラックニ向フ』</ref><ref name="S1812高雄(2)1">[[#S18.12高雄日誌(2)]]p.1『一、經過(イ)經過概要 一月二十九日一〇〇〇瑞鳳千代田部隊(指揮官瑞鳳艦長)ニ加入横須賀発P.T.ニ囘航ノ途次YB電令作ニ依リ雲鷹ノ警戒ニ任ズルコトトナリ三十日〇九〇〇解列 二月一日〇九五三雲鷹(潮、曙、初霜、皐月護衛)ニ合同ス(以下略)』</ref>。
駆逐艦3隻(第32駆逐隊〈玉波〉、第21駆逐隊〈[[初春 (初春型駆逐艦)|初春]]、[[若葉 (初春型駆逐艦)|若葉]]〉<ref name="叢書12初春行動">[[#叢書12|戦史叢書(12)]]〔付表第一〕『聯合艦隊主要艦艇行動表(昭和十九年一月一日~六月二十五日)』〔初春〕</ref>。)は、[[第三航空戦隊]]([[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]]、[[千代田 (空母)|千代田]])と重巡洋艦[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]](第四戦隊)<ref>[[#S18.12高雄日誌(1)]]p.38『二十七日 瑞鳳|二十七日|瑞鳳機密第一回號ノ一〇〇 瑞鳳、千代田、高雄、二十一駆(初春、若葉)玉波ハ本職之ヲ率ヒ一月二十九日横須賀発左ニ依リ「トラツク」ニ回航ス(以下略)』</ref><ref>[[#S18.12高雄日誌(2)]]p.4『一月二十九日一〇〇〇(略)瑞鳳、千代田、高雄、初春、若葉、玉波、P.Tニ向ケ横須賀発(指揮官瑞鳳艦長)』</ref>を護衛して横須賀を出撃<ref name="叢書12玉波行動" /><ref name="S1812二水戦(3)11玉波" />。
同時期、[[小笠原諸島]]西方海域で空母[[雲鷹 (空母)|雲鷹]](米潜水艦の雷撃で損傷中)が危機に瀕していたので<ref name="S1812高雄日誌(2)31">[[#S18.12高雄日誌(2)]]pp.31-32『自19-1-29 至19-2-7 雲鷹警戒任務行動圖(軍艦高雄)』</ref>、2隻(高雄、玉波)は瑞鳳隊と分離して雲鷹救援に向かった<ref name="写真6高雄年表" /><ref>[[#S18.12高雄日誌(1)]]p.30『30(天候略)〇九〇〇 玉波ヲ率ヒ雲鷹ノ警戒ノ爲分離行動』</ref><ref name="S1812高雄(1)39">[[#S18.12高雄日誌(1)]]p.39『三十日 瑞鳳|三十日〇八五二 艦|一.高雄ハ今ヨリ聯合艦隊電令作第九三〇號ニ應ズル如ク行動スベシ/二.玉波ハ高雄艦長ノ指揮ヲ受ケ行動シ雲鷹ニ合同後「トラツク」ニ進出スベシ(以下略)』</ref>。
1月31日午後2時、玉波は高雄艦長の命令により反転、瑞鳳隊の護衛に戻った<ref name="S1812高雄(1)39" /><ref>[[#S18.12高雄日誌(2)]]p.5『一月三十一日一四〇〇|本|玉波|テ|一四〇〇列ヲ解キ原隊ニ復歸セヨ|玉波解列 反転 雲鷹ニ会合不能ナリシタメ』</ref>。
一方、高雄は2月1日に雲鷹隊(雲鷹、[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]]、[[曙 (吹雪型駆逐艦)|曙]]、[[初霜 (初春型駆逐艦)|初霜]]、[[皐月 (睦月型駆逐艦)|皐月]])と合流<ref name="S1812高雄(2)1" /><ref>[[#S18.12高雄日誌(2)]]p.5『二月一日〇九五三(略)雲鷹ト合同(潮、曙、初霜、皐月護衛)』</ref>。雲鷹を東京湾に送り届けた<ref name="S1812高雄(2)1" /><ref name="S1812高雄日誌(2)31" />。

2月3日<ref name="叢書12玉波行動" /><ref name="木俣空母579" />、瑞鳳隊(瑞鳳、千代田、若葉、初春、玉波)はトラック泊地に到着<ref name="S1812二水戦(3)9玉波">[[#S18.12二水戦日誌(4)]]p.9『(3)32dg(早波行動略)玉波 瑞鳳 千代田ヲ護衛三日「トラツク」着/十日満潮 白露ト共ニ武藏等ヲ護衛「トラツク」発/十三日主隊ト分離十五日呉着機銃増備及電探工事ニ從事 右工事終了後引続キ内海西部ニ在リテ諸訓練ニ從事セリ』</ref><ref>[[#S18.12二水戦日誌(4)]]p.44『三(天候略)27dg(時雨春雨)一〇五八「バリツクパパン」発/島風〇七三〇「トラツク」着/玉波一三五五「トラツク」着/白露〇七三〇「トラツク」着|27dg(時雨春雨)富士山丸 天城山丸 神國丸ヲ護衛「バリツクパパン」発/島風 白露対潜掃蕩ヲ止メ「トラツク」着/玉波瑞鳳千代田ヲ護衛「トラツク」着』</ref>。
しかし、2月5日の[[クェゼリンの戦い|クェゼリンの玉砕]]によりアメリカ軍の脅威が差し迫り、[[連合艦隊]]はトラックからの総引き揚げに決した<ref name="木俣空母579" /><ref name="手塚2009上264">[[#手塚2009上|武藏(2009上)]]264頁</ref>。連合艦隊主力部隊はパラオやリンガ泊地に回航されたが、連合艦隊司令部は大本営と協議するため横須賀にむかう<ref name="叢書十二31">[[#叢書12|戦史叢書(12)]]31-32頁『聯合艦隊主力(水上部隊)の概況』</ref>。
2月10日<ref name="叢書12玉波行動" /><ref>[[#S18.12二水戦日誌(4)]]p.45(昭和19年2月10日記事)</ref>、戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]](連合艦隊旗艦)<ref name="叢書十二31" />、軽巡[[大淀 (軽巡洋艦)|大淀]]<ref name="写真9大淀年表" />、三航戦(千代田、瑞鳳)は<ref>[[#高松宮七|高松宮日記7巻]]279頁『聯合艦隊(一一-一〇三〇)主隊(「武蔵」「大淀」、第二十四駆逐隊(「満潮」)、「白露」)、二-一〇トラック発、一五-一三三〇横須賀着予定。母艦部隊(「瑞鳳」「千代田」、第二駆逐隊(「若竹」「初春」)、「玉波」)内海西部ニ回航。』(註、若竹は[[若竹型駆逐艦]]。若葉は[[初春型駆逐艦]])</ref>、それぞれトラック泊地を出発<ref name="S1812二水戦(4)8満潮">[[#S18.12二水戦日誌(4)]]p.8『(2)24dg(海風行動略)満潮 船團護衛一日「トラツク」着同日司令駆逐艦ヲ海風ヨリ変更/六日 不時着機救難ノ爲「トラツク」発翌七日一〇五五命ニ依リ捜索ヲ止メ八日「トラツク」歸着/九日YB警戒隊ヨリ除カレGF主隊ニ編入セラル/十日 玉波、白露ト共ニ武藏 瑞鳳 千代田 大淀ヲ護衛「トラツク」発十五日横須賀着(以下略)』</ref><ref name="S1812二水戦(4)11白露">[[#S18.12二水戦日誌(4)]]pp.11-12『(4)27dg(時雨春雨行動略)白露 一日YB命令ニ依リ島風ニ合同海風ノ救難対潜制圧ニ任ズ 二日島風爆雷攻撃ヲ爲スモ効果不明/三日「トラツク」歸着/九日満潮ト共ニYB警戒隊ヨリ除カレGF主隊ニ編入セラル/十日武蔵 千代田 瑞鳳 大淀ヲ護衛「トラツク」発/十五日横須賀着/二十四日満潮ト共ニ武藏護衛横須賀発/二十九日「パラオ」着爾後「パラオ」ニ在リテ待機』</ref>。
護衛部隊(第21駆逐隊〈[[初春 (初春型駆逐艦)|初春]]、[[若葉 (初春型駆逐艦)|若葉]]〉<ref name="S1812二水戦(4)26">[[#S18.12二水戦日誌(4)]]p.26『一五日一七四〇(21dg司令)(宛略)21dg機密第一五一七四〇番電 若葉、初春、玉波 呉着|無電』</ref>、二水戦〈玉波、[[満潮 (駆逐艦)|満潮]]、[[白露 (白露型駆逐艦)|白露]]〉)が武蔵以下に同行する<ref name="S1812二水戦(4)8満潮" /><ref>[[#S18.12呉防戦日誌(3)]]pp.17-18『十一日一五一三 呉防戰司令官|十一日一九五〇豊後防備部隊 佐空(司令) 九三一空(司令) 呉鎭(長官) 千代田 瑞鳳 若葉 初霜 玉波|呉防戰機密第一一一五一三番電 電令作第四五一號 瑞鳳 千代田 二十一駆(若葉 <ins>初霜</ins>初春のあやまり)玉波十五日一一〇〇頃豊後水道進入ノ豫定(以下略)』</ref>。
2月13日、日本近海で母艦部隊は横須賀に向かう武蔵隊と分離<ref name="S1812二水戦(3)9玉波" /><ref>[[#S18.12二水戦日誌(4)]]p.46『十三(天候略)31dg(朝霜)一五〇〇呉発|玉波一五〇〇主隊ト分離呉ニ向フ(以下略)』</ref>。武蔵隊(武蔵、満潮、白露)は15日(大淀のみ翌日)<ref name="写真9大淀年表" /><ref>[[#S18.12二水戦日誌(4)]]p.5『(2)中旬(略)24dg(満潮)白露 玉波(途中分離呉ヘ)武藏ヲ護衛十五日横須賀着(以下略)』</ref>、横須賀帰着<ref name="S1812二水戦(4)11白露" /><ref>[[#S18.12二水戦日誌(4)]]pp.46(昭和19年2月15日記事)</ref>。
15日、母艦部隊(空母〈瑞鳳、千代田〉<ref>[[#木俣空母|日本空母戦史]]580頁では、瑞鳳・千代田が横須賀帰投と記載</ref>、駆逐艦〈若葉、初春、玉波〉)も瀬戸内海に帰投<ref name="S1812二水戦(4)26" /><ref>[[#S18.12呉防戦日誌(3)]]p.30『一五(天候略)一.瑞鳳 千代田 21dg豊後水道北上(以下略)』</ref>。玉波は呉海軍工廠に入渠後、機銃増備工事と[[レーダー]]取り付け工事が行われた<ref name="S1812二水戦(3)9玉波" />。引続き夕雲型2隻(玉波、長波)は修理をおこなう<ref>[[#S18.12二水戦日誌(4)]]p.7『待機修理訓練 横須賀 能代 五月雨/呉 長波 玉波』</ref>。

{{Main|松輸送}}

3月、日本海軍は中部太平洋方面の兵力強化を目的として緊急輸送作戦(松輸送)を立案し、第十一水雷戦隊や連合艦隊所属各艦(玉波を含む)は海上護衛司令長官の指揮下に入った<ref>[[#叢書12|戦史叢書(12)]]144頁『一 護衛艦艇の増強(三月の状況)』</ref><ref>[[#海護総司令部(2)]]p.10『(ロ)「カロリン」「マリアナ」方面艦船並ニ對潜作戰強化ノ爲左ノ通指導對策ヲトレリ (一)大海指第三四五號ニ依リ第十一水雷戰隊(驅逐隊、驅逐艦缺)ヲ 及聯合艦隊電令作第九六七號ニヨリ三十一驅逐隊(岸波、沖波、朝霜)玉波、野分、卯月、夕凪、測天ヲ内南洋方面緊急輸送期間中作戰ニ關シ海上護衛司令長官ノ指揮下ニ入レラレ横鎭長官ノ指揮下ニ入ル(以下略)』</ref>。
3月13日、東松2号輸送船団は[[八丈島]]海域で米潜水艦([[サンドランス (潜水艦)|サンドラス]])に襲撃され<ref>[[#S18.12十一水戦隊日誌(3)]]p.26『附圖第一(昭和十九年三月十三日)位置八丈島ノ247°40浬 針路200°』</ref>、被雷した輸送船国陽丸(大阪商船、4,607トン)が沈没、軽巡[[龍田 (軽巡洋艦)|龍田]](第十一水雷戦隊旗艦)が航行不能となる<ref>[[#野分2004|野分物語(文庫)]]182-183頁</ref><ref>[[#S19.03.01-03.14経過概要]]p.43〔19-3〕『13|0330|松二号船団八丈島SW40′ニ於テ敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク|内地|龍田(11sd/1F)航行不能 國陽丸(4667)沈没 仝船団ハ航路変更警戒南下中 横鎭部隊ハ艦艇及fノ全力ヲ擧ゲテ右ノ警戒掃蕩救難ニ協力中』</ref>。
第十一水雷戦隊(東松2号輸送船団指揮官)は旗艦を駆逐艦[[野分 (陽炎型駆逐艦)|野分]](第4駆逐隊)に変更<ref>[[#S19.03.01-03.14経過概要]]p.45〔19-3〕『13| |龍田救難作業|11sd/1F|横鎭ヨリ艦艇6 館山八丈島ヨリ(飛行機)}急行 救難敵(潜水艦)掃蕩ノ手配ヲナス 龍田、前部及後部機械室浸水1600沈没、人員救助状況詳細不明』・『13|1115|八丈島航空機基地foハ竜田ノN8′附近海面ニ敵(潜水艦)ノ油紋ラシキモノ發見|内地|爆撃(25番2)撃沈セル模様』・『13| |東松二号船団部隊指揮官 将旗ヲ野分ニ移揚 船団ニ進及、仝船団ハ目下ノ處無事南下中| | 』</ref><ref name="高松宮七340">[[#高松宮七|高松宮日記7巻]]340-341頁『○「龍田」(一三-〇三五五)国洋丸沈没ス(一三-〇六五〇)将旗一時「野分」ニ移揚ス。「龍田」曳航ヲ要ス。(一六〇〇)「龍田」沈没セリ、後部機械室ニ命中一、浸水(以下略)』</ref>。
横須賀在泊や日本近海の艦艇(夕張、玉波等)は、まだ沈んでいなかった龍田の救援に向かう<ref>[[#S1812十一水戦日誌(2)]]p.35『一三日一五〇一横鎮(長官)|十三日一七一〇横防戰(司令官)竜田玉波夕張卯月哨四六(横防横空 駆潜五四 二號海防艦)機密第一三一五〇一番電 玉波一一三〇横須賀出撃 夕張哨四六 一四〇〇伊良湖水道通航何レモ龍田ニ急行中 龍田ノ位置改メテ関係各部ニ知ラサレ度』</ref>(龍田沈没は被雷より半日後の午後4時頃)<ref name="高松宮七340" /><ref>[[#S18.12十一水戦隊日誌(3)]]pp.35-36『十三日一六〇〇 平戸(宛略)機密第一三一六〇〇番電 発龍田艦長 竜田沈没セリ|無電』</ref>。
龍田遭難現場に急行した玉波は、護衛艦2隻(海防艦[[平戸 (海防艦)|平戸]]、駆逐艦[[卯月 (睦月型駆逐艦)|卯月]])と合流<ref>[[#S18.12十一水戦隊日誌(2)]]p.37『十三日一八二五 横防戰(司令官)(宛略)機密第一三一五三〇番電 電令作第三五號 一.甲救難部隊ノ龍田救助竝ニ警戒ニ關スル任務ヲ解ク/玉波ハ平戸 卯月ヨリ遭難者ヲ移乗セシメ横須賀ニ回航スベシ 尚現状着艦艇ノ適宜ヲ以テ護衛ニ任ズベシ(以下略)|無電』</ref><ref name="S1812十一水戦(2)38">[[#S18.12十一水戦隊日誌(2)]]pp.38-39『十三日二〇〇一 玉波(宛略)機密第一三二〇〇一番電 遭難者二七四名(内准士官以上一〇名)卯月ヨリ移乗完了 横須賀ニ向ケ現地発 明日十四日〇六〇〇着ノ豫定|無電』</ref>。
玉波は卯月より龍田生存者274名を受け入れ<ref>[[#S18.12十一水戦隊日誌(2)]]p.39『十三日二二四五|十四日〇八三〇 11sd司令官(横鎭長官)|機密第一三二二四五番電 竜田乗員ヲ玉波ニ移乗船団ニ追及ス|無電』</ref><ref>[[#S18.12十一水戦隊日誌(3)]]p.53『一三日二〇〇一玉波|一四日〇九一〇 横鎮(長官) KEg司令部〔野分〕|機密一三二〇〇一番電 遭難者二七四名(内准士官以上十名卯月ヨリ移乗完了 横須賀ニ向ケ現地發明十四日〇六〇〇着ノ豫定|無電』</ref>、平戸と共に横須賀へ帰投した(卯月は東松2号船団続行、平戸は東松三号船団に編入され横須賀待機)<ref>[[#S18.12十一水戦隊日誌(2)]]p.39『十三日二〇三二 横鎭(長官)|十四日〇七三五 乙直接護衛部隊 卯月 平戸(野分、玉波、第二海防艦)|機密第一三二〇三二番電 機密横鎭電令作第二〇三號/一.卯月 敵情ヲ得サレバ敵潜掃蕩ヲ中止原隊ニ追及復帰スベシ/二.平戸ハ遭難者ヲ横須賀ニ上陸セシメタル後原任務ニ復帰スベシ』</ref><ref>[[#S18.12十一水戦隊日誌(2)]]p.51『十九日一七一〇平戸(宛略)機密第一九一七一〇番電 二水戰機密第一九一四〇三番電返 本艦横鎭機密第一四一四三二番電ニ依リ丙直接護衛部隊編入 東松三號船団護衛ノ爲横須賀待機中|無電』</ref>。

[[3月22日]]、玉波は'''東松三号輸送船団'''(加入船舶12隻)に所属して[[東京湾]]を出撃する<ref name="叢書46東松三号" /><ref>[[#海護総司令部(2)]]p.12『(ハ)右護衛要領ニ依リ左記計畫ニ依リ輸送ヲ實施セリ 松一號船團(三月五日東京灣發)/松二號船團(三月十一日東京灣發)/松三號船團(三月二十二日東京灣發)/松三號特船團(三月二十日東京灣發)』</ref>。
船団旗艦は、修理を終えたばかりの軽巡洋艦[[夕張 (軽巡洋艦)|夕張]](船団部隊指揮官、第一特設船団司令官[[伊集院松治]]少将)<ref name="叢書四六586夕張">[[#叢書46|海上護衛戦(戦史叢書)]]586頁『四 内地ニ於テ漸ク修理成リタル夕張ヲ旗艦トシテ使用サレタル為司令部トシテハ如何ニシテ無事ニ作戦地ニ到着セシムルカニ苦労セリ、斯クノ如キ状態ノ軍艦ヲ護衛艦ニ使用スルハ一考ノ要アリ』</ref><ref>[[#海護総司令部(2)]]p.26『東松船團運航實蹟表(往航)(三月中)』</ref>。
夕張以外の護衛艦艇は、駆逐艦3隻([[旗風 (駆逐艦)|旗風]]、[[雷 (吹雪型駆逐艦)|雷]]、[[玉波 (駆逐艦)|玉波]])、[[海防艦]]([[平戸 (海防艦)|平戸]]、[[能美 (海防艦)|能美]])、水雷艇[[鴻 (鴻型水雷艇)|鴻]]、駆潜艇3隻<ref name="叢書46東松三号" /><ref name="叢書十二147">[[#叢書12|戦史叢書(12)]]147-148頁『東松三号船団』</ref>。
3月25日、駆潜艇54号が米潜水艦([[ポラック (潜水艦)|ポラック]])に撃沈される<ref>[[#叢書46|海上護衛戦(戦史叢書)]]585頁『第五十四号駆潜艇行方不明ノ状況』</ref>。
3月28日、パラオ行船団(護衛艦〈玉波、平戸、能美〉、船舶〈辰浦丸、乾安丸、富津丸、長白山丸、南洋丸、早埼〉)はサイパン行船団(夕張他、3月30日着)と分離する<ref name="叢書46東松三号" /><ref name="叢書十二147" />。だが米軍機動部隊出現の報によりパラオ行船団(玉波以下)も4月2日[[サイパン島]]に避退<ref name="叢書46東松三号" /><ref name="叢書十二147" />。4月7日に出撃し<ref name="叢書12玉波行動" /><ref name="叢書十二147" />、米軍機動部隊来襲の情報により、船団は[[ヤップ島]]に避泊したあと、4月14日[[パラオ諸島]]に到着した<ref name="叢書46東松三号" /><ref name="叢書十二147" />。玉波は4月17日パラオ出発、20日横須賀帰投<ref name="叢書12玉波行動" />。

4月25日、玉波は横須賀を出発し、呉に移動する<ref>[[#S18.12十一水戦隊日誌(4)]]p.31『二五日一三〇〇玉波(宛略)機密第二五一三〇〇番電 一三〇〇内海西部ニ向ケ横須賀発|無電』</ref><ref>[[#S18.12十一水戦隊日誌(4)]]p.31『二五日一三〇〇玉波(宛略)機密第二五一三〇〇番電 一三〇〇内海西部ニ向ケ横須賀発|無電』</ref>。内海西部で待機<ref name="叢書12玉波行動" />。
5月11日、駆逐艦複数隻(夕雲型駆逐艦〈玉波、[[早霜 (駆逐艦)|早霜]]、[[秋霜 (駆逐艦)|秋霜]]〉、第4駆逐隊〈[[満潮 (駆逐艦)|満潮]]、[[野分 (陽炎型駆逐艦)|野分]]、[[山雲 (駆逐艦)|野分]]〉<ref>[[#野分2004|野分物語(文庫)]]191-192頁</ref>、第27駆逐隊〈時雨〉)は<ref>[[#S18.12十一水戦日誌(4)]]p.57『四日一五〇一(長官)1KdF(宛略)機密第〇四一五〇一番電 発第一機動艦隊長官 第一機動艦隊電令作第一四號第三項ニ依ル駆逐艦ヲ第四駆逐隊 時雨 玉波 早霜 秋霜ト定ム』</ref><ref>[[#S1812十戦隊日誌(6)]]pp.4-5『(ロ)第四駆逐隊(満潮野分山雲)(略)十一日2sf3sf武藏ノ警戒ニ任ジツヽ「タウイタウイ」ニ向ケ同地発十二日中城湾ニ仮泊燃料補給ノ上即日同地発十六日「タウイタウイ」着…』</ref>、[[第二航空戦隊]]([[隼鷹 (空母)|隼鷹]]、[[飛鷹 (空母)|飛鷹]]、[[龍鳳 (空母)|龍鳳]])、[[第三航空戦隊]]([[千歳 (空母)|千歳]]、[[千代田 (空母)|千代田]]、[[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]])、大和型戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]<ref name="写真1武蔵年表" /><ref>[[#手塚2009上|武藏(2009上)]]353-354頁(護衛に[[長波 (駆逐艦)|長波]]を記載するが、同艦は呉で修理中)</ref>を護衛して[[佐伯港|佐伯]]を出撃<ref name="木俣空母606">[[#木俣空母|日本空母戦史]]606-607頁『第二、第三航空戦隊、内地出港(五月十一日)』</ref><ref>[[#叢書12|戦史叢書(12)]]373頁『作戦準備』</ref>。
5月16日、[[タウィタウィ州|タウイタウイ]]に到着した<ref name="木俣空母606" /><ref>[[#手塚2009上|武藏(2009上)]]356-357頁</ref>。
日本艦隊は同泊地で訓練を実施するが、米潜水艦が頻繁に出現するため母艦航空隊の訓練ができず、練度に不安が残った<ref name="木俣空母610">[[#木俣空母|日本空母戦史]]610-612頁『飛行訓練できず(五月末)』</ref><ref>[[#叢書12|戦史叢書(12)]]376-377頁『母艦飛行機隊の練度』</ref>。

第32駆逐隊(早波<ref name="秋月型225早波" />、藤波<ref name="秋月型2015藤波" />、玉波<ref name="秋月型2015玉波" />、浜波<ref name="秋月型2015浜波" />)が同泊地で訓練中の[[6月6日]]、駆逐艦[[水無月 (睦月型駆逐艦)|水無月]]が米潜水艦[[ハーダー (SS-257)|ハーダー]]に撃沈される<ref name="木俣空母610" /><ref>[[#木俣水雷|日本水雷戦史]]448頁『水無月』</ref>。
[[6月7日]]、対潜掃蕩に向かった32駆僚艦[[早波 (駆逐艦)|早波]]が、またしても米潜水艦[[ハーダー (SS-257)|ハーダー]]に撃沈される<ref name="木俣空母610" /><ref>[[#木俣水雷|日本水雷戦史]]448-449頁『早波、のどぶえ攻撃に倒る』</ref>。32駆は3隻(藤波、玉波、浜波)となった<ref>[[#内令(秘)昭和19年8月(3)]]p.10『内令第九四一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年八月十日 海軍大臣 第十七驅逐隊ノ項中「谷風、」ヲ削ル 第二十二驅逐隊ノ項中「水無月、」ヲ削ル 第二十七驅逐隊ノ項中「白露、」及「、春雨」ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「松風、」ヲ削ル 第三十二驅逐隊ノ項中「早波、」ヲ削ル』</ref>。
また早波沈没時に早波駆逐艦長の[[清水逸郎]]中佐<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072102800|昭和20年1月2日(発令昭和19年6月7日付)海軍辞令公報(甲)第1683号 p.1}}</ref>と折田大佐(第32駆逐隊司令)が戦死した(折田は海軍少将に進級)<ref>{{アジア歴史資料センター|A12090526900|海軍少将折田常雄外九名叙位の件 p.3}}</ref><ref>{{アジア歴史資料センター|C13072101700|昭和19年10月28日(発令6月7日付)海軍辞令公報(甲)第1630号 p.18}}</ref>。
第32駆逐隊は司令不在となったため(司令駆逐艦は玉波に変更)<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070479600|昭和19年7月8日(土)海軍公報(部内限)第4734号 p.32}}『○司令驅逐艦變更 第三十二驅逐隊司令ハ六月七日司令驅逐艦ヲ玉波ニ變更セリ』</ref>、玉波艦長[[青木久治]]中佐が6月15日附で第32駆逐隊司令に転任<ref name="jirei1517">{{アジア歴史資料センター|C13072099600|昭和19年6月21日(発令6月15日付)海軍辞令公報甲(部内限)第1517号 p.1}}</ref>、早波艦長として着任予定だった[[千本木十三四]]中佐(海兵52期)が玉波艦長となった<ref name="jirei1517" />。
日米海上決戦を目前にした駆逐艦の喪失([[雷 (吹雪型駆逐艦)|雷]]、[[電 (吹雪型駆逐艦)|電]]、[[秋雲 (駆逐艦)|秋雲]]、[[風雲 (駆逐艦)|風雲]]、[[春雨 (白露型駆逐艦)|春雨]]《[[渾作戦]]中の空襲》、[[白露 (白露型駆逐艦)|白露]]《衝突事故》、[[水無月 (睦月型駆逐艦)|水無月]]、[[早波 (駆逐艦)|早波]]、[[谷風 (陽炎型駆逐艦)|谷風]])等は<ref name="叢書(46)446" />、日本海軍機動部隊の行動にも影響をあたえはじめた<ref>[[#叢書12|戦史叢書(12)]]393-394頁『駆逐艦問題』</ref><ref>[[#木俣水雷|日本水雷戦史]]446-447頁『タウイタウイでの出血』</ref>。

6月19日の[[マリアナ沖海戦]]では、丙部隊([[第三航空戦隊]]、第二艦隊主力)に所属して第二艦隊司令長官[[栗田健男]]中将(愛宕座乗)直率の第四戦隊([[愛宕 (重巡洋艦)|愛宕]]〔第二艦隊旗艦〕、[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]]、[[摩耶 (重巡洋艦)|摩耶]]、[[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]])、[[第三航空戦隊]](司令官[[大林末雄]]少将:[[千歳 (空母)|千歳]]、[[千代田 (空母)|千代田]]、[[瑞鳳 (空母)|瑞鳳]])、第一戦隊(司令官[[宇垣纏]]中将:[[大和 (戦艦)|大和]]、[[武蔵 (戦艦)|武蔵]])、第三戦隊(司令官[[鈴木義尾]]少将:[[金剛 (戦艦)|金剛]]、[[榛名 (戦艦)|榛名]])、第七戦隊(司令官[[白石万隆]]少将:[[熊野 (重巡洋艦)|熊野]]、[[鈴谷 (重巡洋艦)|鈴谷]]、[[利根 (重巡洋艦)|利根]]、[[筑摩 (重巡洋艦)|筑摩]])、第二水雷戦隊(司令官[[早川幹夫]]少将:軽巡[[能代 (軽巡洋艦)|能代]]、第31駆逐隊〈<!-- [[長波 (駆逐艦)|長波]]は呉で修理中、内海西部所在。戦史叢書12巻行動調書より。 -->[[岸波 (駆逐艦)|岸波]]、[[朝霜 (駆逐艦)|朝霜]]、[[沖波 (駆逐艦)|沖波]]〉、第32駆逐隊〈藤波<ref name="秋月型2015藤波" />、玉波<ref name="秋月型2015玉波" />、浜波<ref name="秋月型2015浜波" />〉、附属〈[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]〉)と行動を共にする<ref>[[#淵田,奥宮(1992)]]470-471頁(「あ号作戦」参加兵力一覧)より前衛(第二艦隊)</ref><ref>[[#サイパン・レイテ海戦記]]46頁</ref>。
海戦は惨敗<ref>[[#摩耶(学研M)]]218-219頁</ref>。前衛部隊は、6月20日の戦闘で3隻(千代田、榛名、摩耶)に爆弾命中や至近弾による損害があった<ref>[[#淵田,奥宮(1992)]]428-430頁</ref><ref>[[#サイパン・レイテ海戦記]]67頁</ref>。

海戦後、遊撃部隊(第二艦隊、第三航空戦隊、第二水雷戦隊等)は6月22日に[[中城湾]]([[沖縄本島]])に立ち寄った後<ref>木俣『日本戦艦戦史』401ページ</ref>、翌23日に内海西部に向かった<ref>[[#叢書37|戦史叢書(37)]]374-375頁『内海西部帰投』</ref>。だが第32駆逐隊(玉波、藤波)は遊撃部隊と同行せず<ref name="叢書12玉波行動" /><ref name="叢書12藤波行動">[[#叢書12|戦史叢書(12)]]〔付表第一〕『聯合艦隊主要艦艇行動表(昭和十九年一月一日~六月二十五日)』〔藤波〕</ref>、6月25日[[マニラ]]到着した<ref name="S1906旭東丸(1)15">[[#S1906旭東丸日誌(1)]]pp.15-16『六月二十三日二〇五七 三二駆逐隊司令(宛略)KdB機密第二三〇二三〇番電ニ関聯 一.第三二dg(玉波藤波)二十三日一二三〇NSB発二十五日一九三〇MM着ノ予定尓後ノ行動改メテ報告ス/二.MMニ於ケル補給量一〇〇〇噸(両艦分)』-『32dg機密第二六一〇三二番電 KdB機密第二三〇二三〇番電ニ関聯 一.當隊(玉波藤波)昨二十五日一九三〇MM着/二.本二十六日一〇〇〇ESニ向ケMM發二十九日一二三〇ES海峡東端着ノ予定』</ref>。さらに[[シンガポール|昭南]]に回航された<ref name="S1906旭東丸(1)15" />。

=== 沈没 ===
[[7月2日]]以降<ref name="木俣軽巡409" /><ref name="秋月型2015藤波" />、軽巡洋艦[[北上 (軽巡洋艦)|北上]](第十六戦隊)と第32駆逐隊(玉波、藤波)は<ref>[[#S1906旭東丸日誌(2)]]p.9『二(天候略)一六五五 北上 玉波 藤波護衛ヲ受ケ マニラ ニ向ケ昭南発、一九〇〇艦内哨戒第三配備対潜警戒トス 一九五八 北上 三十二駆逐隊(玉波藤波)ト合同』</ref><ref>[[#S1907十六戦隊日誌(1)]]p.8『二(天候略)一.(司令官)青葉鬼怒十九駆(浦波)昭南入港/二.北上「マニラ」ニ向ケ昭南発/三.敷波「バリックパパン」ニ向ケ「タラカン」発』</ref>、シンガポールからマニラ経由で日本に向かう[[極東丸|旭東丸]]([[飯野海運]]、10,051トン)の護衛に従事した<ref>[[#叢書37|戦史叢書(37)]]382頁『遊撃部隊主隊』</ref><ref name="S1906旭東丸(1)p16">[[#S1906旭東丸日誌(1)]]p.16『六月三十日 北上(宛略)北上機密第三〇一八三〇番電 一.旭東丸護衛艦 北上 三二dg(玉波藤波)二日一三〇〇内海西部ニ向ケ昭南発(マニラ経由)速力十四.五節(以下略)』</ref><ref>[[#S1906旭東丸日誌(2)]]p.4『一.経過 七月一日燃料満載ノ上昭南発マニラ経由呉ニ回航同日十七日呉着同月十八日於「新宮」燃料陸揚同月二十二日工廠甲錨地ニテ兵装々備及船体機関ノ修理ニ着手』</ref>。
北上は1月下旬にイギリス潜水艦に雷撃され損傷、内地で修理の予定だった<ref>[[#木俣軽巡|日本軽巡戦史]]408-409頁『北上も被雷す(一月)』</ref>。

[[7月7日]]未明2時ごろ、{{coor dm|14|19|N|117|57|E|}}<ref>『(旭東丸)戦時日誌』C08030644700, pp.27</ref>の[[マニラ湾]]口西方海域を航行中にアメリカの潜水艦[[ミンゴ (潜水艦)|ミンゴ]] (''USS Mingo, SS-261'') を探知し、ミンゴもレーダーにより4つの目標を探知した<ref name="c">「SS-261, USS MINGO」p.119</ref>。「[[吹雪型駆逐艦]]」、すなわち玉波が推定23ノットの速力で向かってきていると判断した後、潜航してさらに観測を続けた<ref name="c" />。一方のミンゴも2発に及ぶ爆雷攻撃をやり過ごした後、艦尾発射管から魚雷を4本発射した<ref name="d">「SS-261, USS MINGO」p.119,120</ref>。しかし、これは命中しなかった<ref name="d" />。1時間後に体勢を立て直し艦首発射管から魚雷を4本発射し<ref name="e">「SS-261, USS MINGO」p.122,123</ref>、うち3本が命中して玉波は艦首から沈没していった<ref name="e" />。[[轟沈]]であった<ref name="S19.07.07玉波" />。
藤波は玉波がいるあたりに火炎と爆炎が立ち昇るのを認めて反転し、断続的に捜索と爆雷攻撃を行ったが手がかりはつかめなかった<ref name="木俣軽巡409" /><ref name="S1906旭東丸(2)10">[[#S1906旭東丸日誌(2)]]p.10『七(天候略)〇二〇〇玉波分離反転〇二一〇爆雷投射始ム〇三一五玉波ノ位置ニ火焔爆煙ヲ上ルヲ見ル〇三二〇藤波反転玉波ノ現場ニ向フ 〇六〇〇船内哨戒第一配備トナス 〇六一一藤波合同一二〇〇藤波護衛ヲ止メ』</ref>。
32駆司令青木大佐(海軍少将へ進級)<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072101800|昭和19年11月6日(発令7月7日付)海軍辞令公報(甲)第1638号 p.33青木(戦死昇進)}}</ref>および千本木中佐(玉波駆逐艦長)<ref name="jirei1660">{{アジア歴史資料センター|C13072102100|昭和19年12月24日(発令7月7日付)海軍辞令公報(甲)第1660号 p.45(千本木戦死昇進)}}</ref>以下276名が戦死した<ref name="秋月型2015玉波" />。

同日、北上以下船団はマニラに到着<ref name="S1906旭東丸(2)10" /><ref>[[#S1907十六戦隊日誌(1)]]p.9『七(天候略)三.北上「マニラ」着|爾後北上入渠整備』</ref>。北上は修理のためマニラに残留した<ref>[[#S1907十六戦隊日誌(1)]]p.3『(イ)経過概要(略)北上ハ昭南ニ於ケル應急修理ヲ一應完了シ二日内地ニ向ケ昭南ヲ出発セシモ途中浸水ノ爲七日「マニラ」ニ寄港以後同地ニ於テ再ビ應急修理ニ從事中ナリ』</ref><ref>[[#S1907十六戦隊日誌(1)]]p.3『(ハ)麾下艦船部隊ノ行動(七月)第十六戰隊』</ref>。
藤波と旭東丸は、駆逐艦2隻([[響 (吹雪型駆逐艦)|響]]、[[夕凪 (2代神風型駆逐艦)|夕凪]])<ref>[[#S1906旭東丸日誌(2)]]p.18『八|マニラ|三十一根|藤波 響 夕凪通報|藤波、響、夕凪ハ旭東丸ニ横付補給サレタシ』</ref>と特務艦[[速吸 (給油艦)|速吸]]と共にマニラを出港、内地へむかった<ref name="S1906旭東丸(2)10b">[[#S1906旭東丸日誌(2)]]pp.10-11『十(天候略)〇六二五速吸旭東丸ハ響藤波夕凪ノ護衛ヲ受ケ呉ニ向ケ マニラ發〇八一四速吸故障復旧假泊一四一六速吸故障復旧假泊発(以下略)』</ref><ref>[[#S1906旭東丸日誌(2)]]pp.19-20</ref>。

9月10日、玉波は夕雲型駆逐艦<ref>[[#内令昭和19年9月(2)]]p.25『内令第一〇六五號 艦艇類別等級別表左ノ通改正ス 昭和十九年九月十日海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等球磨型ノ項中「、大井」ヲ削ル|驅逐艦、一等峯風型ノ項中「、帆風」ヲ、同初雪型ノ項中「薄雲、」ヲ、夕雲型ノ項中「、玉波」ヲ削ル(以下略)』</ref>、
帝国駆逐艦籍より除籍された<ref>[[#内令昭和19年9月(2)]]pp.25-26『内令第一〇六〇號  呉鎮守府在籍 軍艦 大井 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 帆風/呉鎮守府在籍 驅逐艦 薄雲/舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 玉波 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 伊號第五潜水艦、伊號第六潜水艦/佐世保鎮守府在籍 伊號第百六十六潜水艦 右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第一號輸送艦 右帝國輸送艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第二十五掃海艇 右帝國掃海艦艇籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第五十號駆潜艇/佐世保鎮守府在籍 第十六號駆潜艇 右帝國驅潜艇籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 敷設艦 猿島/佐世保鎮守府在籍 敷設艦 測天 右帝國敷設艦籍ヨリ除カル|昭和十九年九月十日 海軍大臣』</ref>。
本艦の沈没により、第32駆逐隊は夕雲型2隻(藤波、浜波)編成となった<ref>[[#内令昭和19年9月(2)]]p.23『内令第一〇五六號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年九月十日海軍大臣|第十八驅逐隊ノ項中「薄雲、」ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「玉波、」ヲ削ル』</ref>。


== 歴代艦長 ==
== 歴代艦長 ==
;艤装員長
;艤装員長
# 作間英邇 中佐:1943年2月20日<ref>昭和18年2月23日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1057号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072089700 で閲覧可能。</ref> - 1943年4月30日<ref name="jirei1105">昭和18年5月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1105号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072090800 で閲覧可能。</ref>
# 作間英邇 中佐:1943年2月20日<ref name="jirei1057" /> - 1943年4月30日<ref name="jirei1105" />
;駆逐艦長
;駆逐艦長
# 作間英邇 中佐:1943年4月30日<ref name="jirei1105" /> - 1943年7月7日<ref name="jirei1168">昭和18年7月8日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1168号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072092100 で閲覧可能。</ref>
# 作間英邇 中佐:1943年4月30日<ref name="jirei1105" /> - 1943年7月7日<ref name="jirei1168" />
# 青木久治 中佐:1943年7月7日<ref name="jirei1168" /> - 1944年6月15日<ref name="jirei1517">昭和19年6月21日付 海軍辞令公報 甲 (部内限) 第1517号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072099600 で閲覧可能。</ref>
# 青木久治 中佐:1943年7月7日<ref name="jirei1168" /> - 1944年6月15日<ref name="jirei1517" />
# 千本木十三四 中佐:1944年6月15日<ref name="jirei1517" /> - 1944年7月7日 戦死、同日付任海軍大佐<ref>昭和19年12月4日付 秘海軍辞令公報 甲 第1660号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072102100 で閲覧可能。</ref>
# 千本木十三四 中佐:1944年6月15日<ref name="jirei1517" /> - 1944年7月7日 戦死、同日付任海軍大佐<ref name="jirei1660" />

== 脚注 ==
{{reflist}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
<!--ウィキペディア推奨スタイル、著者五十音順 -->
* 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年四月一日昭和十八年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十八年五月一日昭和十八年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1)) [[アジア歴史資料センター]] レファレンスコード:C08030126000
*<!--イケダキヨシ2002-->{{Cite book|和書|author=[[池田清 (政治学者)|池田清]]|chapter=|title=重巡 摩耶 {{small|元乗組員が綴る栄光の軌跡}}|publisher=学習研究社|series=学研M文庫|year=2002|month=1|origyear=1986|ISBN=4-05-901110-X|ref=池田清2002}}
* 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年六月一日昭和十八年六月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十八年七月一日昭和十八年七月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030126100
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* 呉防備戦隊司令部『自昭和十八年七月一日至昭和十八年七月三十一日 呉防備戦隊戦時日誌』(昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030368300
* 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年七月二十日昭和十八年七月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101000
* 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年八月一日昭和十八年八月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101100
* 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年九月二十日昭和十八年九月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101200
* 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十月一日昭和十八年十月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101300
* 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十一月一日至昭和十八年十一月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101400
* 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十二月一日至昭和十八年十二月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101800
* 第二水雷戦隊司令部『自昭和十九年一月一日 至昭和十九年一月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030102000
* 第二水雷戦隊司令部『自昭和十九年二月一日 至昭和十九年二月二十九日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030102100
* 特設運送艦旭東丸『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和19年9月30日 特設運送艦旭東丸戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030644600
* 特設運送艦旭東丸『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和19年9月30日 特設運送艦旭東丸戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030644700
* [http://issuu.com/hnsa/docs/ss-261_mingo?mode=a_p SS-261, USS MINGO](issuuベータ版)
* 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
* 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
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* 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
* 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
*<!-- キマタ1977-->{{Cite book|和書|author=木俣滋郎|year=1977|month=7|title=日本空母戦史|publisher=図書出版社|ref=木俣空母}}
* 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
*<!-- キマタ1986 -->{{Cite book|和書|author=木俣滋郎|year=1986|month=3|title=日本水雷戦史|publisher=図書出版社|ref=木俣水雷}}
*<!-- キマタ1989 -->{{Cite book|和書|author=木俣滋郎|year=1989|month=3|title=日本軽巡戦史|publisher=図書出版社|ref=木俣軽巡}}
*<!-- サトウキヨオ2004 -->{{Cite book|和書|author=佐藤清夫|year=2004|month=1|oldyear=1997|title=駆逐艦「野分」物語 {{small|若き航海長の太平洋海戦記}}|isbn=4-7698-2408-4|publisher=光人社|series=光人社NF文庫|ref=野分2004}}
*<!-- シオヤマ -->{{Cite book|和書|author=塩山策一ほか|coauthors=|year=2017|month=7|origyear=|title=変わりダネ軍艦奮闘記 {{smaller|裏方に徹し任務に命懸けた異形軍艦たちの航跡}}|publisher=潮書房光人社|isbn=978-4-7698-647-8|ref=変種}}
**(65-74頁){{small|元三十五突撃隊・海軍二等兵曹・艦艇研究家}}正岡勝直『捕鯨工船「図南丸」太平洋に死せず {{small|半年は捕鯨、半年は輸送の身を戦場に転じ傷ついてなお復活した第三図南丸}}』
*<!-- タカマツミヤ6巻 -->{{Cite book|和書|author=[[高松宮宣仁親王]]著|coauthors=[[嶋中鵬二]]発行人|title=高松宮日記 第六巻 {{small|昭和十八年二月十二日~九月}}|publisher=中央公論社|year=1997|month=3|ISBN=4-12-403396-6|ref=高松宮六}}
*<!-- タカマツミヤ7巻 -->{{Cite book|和書|author=高松宮宣仁親王著|coauthors=嶋中鵬二発行人|title=高松宮日記 第七巻 {{small|昭和十八年十月一日~昭和十九年十二月三十一日}}|publisher=中央公論社|year=1997|month=7|ISBN=4-12-403397-4|ref=高松宮七}}
*<!-- テヅカ、ムサシ2009 -->{{Cite book|和書|author=手塚正己|authorlink=手塚正己|year=2009|title=軍艦武藏 上巻|publisher=新潮社|series=新潮文庫|isbn=978-4-10-127771-4|ref=手塚2009上}}
*<!-- フクダ1981 -->{{Cite book|和書|author=[[福田幸弘]]|year=1981|month=7|title=連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記|publisher=[[時事通信社]]|isbn=4-7887-8116-6|ref=サイパン・レイテ海戦記}}
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*<!--ボウエイチョウ -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 南西方面海軍作戦 {{small|第二段作戦以降}}|volume=第54巻|year=1972|month=3|publisher=朝雲新聞社|ref=叢書54}}
*<!--ホウエイチョウ -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦(2) {{small|昭和十七年六月以降}}|volume=第62巻|year=1973|month=2|publisher=朝雲新聞社|ref=叢書62}}
*<!--ホウエイチョウ -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 南東方面海軍作戦(3) {{small|ガ島撤収後}}|volume=第96巻|year=1976|month=8|publisher=朝雲新聞社|ref=叢書96}}
*<!--マル1989-->{{Cite book|和書|editor=雑誌『[[丸 (雑誌)|丸]]』編集部/編|year=1989|month=7|title=写真 日本の軍艦 {{small|戦艦 I}}|volume=第1巻|publisher=光人社|isbn=4-7698-0451-2|ref=写真壱}}
*<!--マル1989-->{{Cite book|和書|editor=雑誌『丸』編集部/編|year=1989|month=9|title=写真 日本の軍艦 {{small|空母 I}}|volume=第3巻|publisher=光人社|isbn=4-7698-0453-9|ref=写真三}}
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*<!--マル1989-->{{Cite book|和書|editor=雑誌『丸』編集部/編|year=1990|month=1|title=写真 日本の軍艦 {{small|重巡 II}} 高雄・愛宕 鳥海・摩耶 古鷹・加古 青葉・衣笠|volume=第6巻|publisher=光人社|isbn=4-7698-0456-3|ref=写真六}}
*<!--マル1990-->{{Cite book|和書|editor=雑誌『丸』編集部/編|year=1990|month=4|title=写真 日本の軍艦 {{small|軽巡II}} 川内型・阿賀野型・大淀・香取型 砲艦|volume=第9巻|publisher=光人社|isbn=4-7698-0459-8|ref=写真九}}
*<!--マル1997 -->雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
*<!--ヤマモトヘイヤ2015 -->{{Cite book|和書|author=山本平弥ほか|coauthors=|year=2015||month=03|title=秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> {{small|戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌}}|publisher=潮書房光人社|isbn=978-4-7698-1584-6|ref=山本平弥2015}}
**(220-229頁){{small|戦史研究家}}伊達久『夕雲型駆逐艦十九隻&島風の太平洋戦争』
*<!-- レキシ -->{{Cite book|和書|author=歴史群像編集部編|coauthors=|year=1998|month=5|title=水雷戦隊I 特型駆逐艦 {{smaller|米英を震撼させたスーパー・デストロイヤーの全貌}}|chapter=雨倉孝之 人物抄伝/太平洋の群像 駆逐隊司令・駆逐艦艦長列伝(1)|publisher=学習研究社|series=歴史群像太平洋戦史シリーズ Vol.18|isbn=4-05-601768--9|ref=歴群18}}


* [http://www.jacar.go.jp/index.html アジア歴史資料センター(公式)](防衛省防衛研究所)
**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070117400|title=昭和17年達/昭和17年11月(1)|ref=達和17年11月(1)}} 
**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070173500|title=昭和17年9~12月 内令/昭和17年11月(2)|ref=内令昭和17年11月(2)}}
**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070176700|title=昭和18年1~4月 内令1巻/昭和18年4月(6)|ref=内令昭和18年4月(6)}}
**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070181100|title=昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年10月(1)|ref=内令昭和18年10月(1)}}
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C12070496100|title=昭和19年8月~9月 秘海軍公報|ref=内令(秘)昭和19年8月(3)}}
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C16120643900|title=昭和19.7.1~昭和19.8.31 太平洋戦争経過概要 その9/19年7月7日~19年7月20日|ref=S19.07.07-07.20経過概要}}
**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030355900|title=昭和18年4月1日~昭和18年4月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌|ref=S18.04舞鎮日誌}}
**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030586800|title=昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(2)|ref=S17.09日進詳報(2)}}
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030407100|title=昭和18年7月1日~昭和18年7月31日 佐伯防備隊戦時日誌(1)|ref=S18.07佐伯防備隊(1)}}
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030368200|title=昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)|ref=S18.06呉防戦日誌(2)}}
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030044800|title=昭和17年12月1日~昭和18年11月2日 第五戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)|ref=S17.12第五戦隊日誌(2)}}
**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030251000|title=昭和16年12月1日~昭和19年4月30日 第4根拠地隊戦時日誌(3)|ref=S16.12四根日誌(3)}}
**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030251100|title=昭和16年12月1日~昭和19年4月30日 第4根拠地隊戦時日誌(4)|ref=S16.12四根日誌(4)}}
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030630600|title=昭和18年9月21日~昭和19年5月31日 第102号哨戒艇戦時日誌戦闘詳報(3)|ref=S1809第102号哨戒艇(3)}}
**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030369300|title=昭和18年12月1日~昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)|ref=S18.12呉防戦日誌(1)}}
**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030369400|title=昭和18年12月1日~昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)|ref=S18.12呉防戦日誌(2)}}
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030569700|title=昭和18年12月1日~昭和19年11月30日 軍艦高雄戦時日誌(1)|ref=S18.12高雄日誌(1)}}
**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030569800|title=昭和18年12月1日~昭和19年11月30日 軍艦高雄戦時日誌(2)|ref=S18.12高雄日誌(2)}}
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**{{Cite book|和書|id=Ref.C08030137300|title=昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(1)|ref=海護総司令部(1)}}
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* [http://issuu.com/hnsa/docs/ss-261_mingo?mode=a_p SS-261, USS MINGO](issuuベータ版)

== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[ラバウル空襲]]
*[[第三図南丸]]
*[[極東丸]]
* [[マリアナ沖海戦]]
*[[ラバウル空襲]]
*[[松輸送]]
*[[マリアナ沖海戦]]
*[[ミンゴ (潜水艦)]]
**[[くろしお (潜水艦)]]


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2017年10月30日 (月) 14:30時点における版

艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1942年3月16日
進水 1942年12月26日
就役 1943年4月30日竣工
その後 1944年7月7日戦没
除籍 1944年9月10日
性能諸元
排水量 基準:2,077t
公試:2,520t
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp
最大速力 35.0kt
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名/244名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

玉波(たまなみ)は[1]日本海軍駆逐艦[2]夕雲型駆逐艦の9番艦である[3][4]

概要

一等駆逐艦玉波(たまなみ)は、日本海軍が藤永田造船所1942年(昭和17年)3月から1943年(昭和18年)4月30日にかけて建造した夕雲型駆逐艦[2]。竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属して訓練に従事する[5][6]6月8日、十一水戦僚艦(龍田、島風等)と共に戦艦陸奥爆沈に遭遇した[6]

同年7月1日附で玉波は前進部隊(第二艦隊)に編入[7]。7月中旬、水上機母艦日進等を護衛してトラック泊地に進出する[2][8]。その後、中部太平洋方面での護衛任務に従事した。

空母隼鷹護衛中の10月1日、玉波は第二水雷戦隊所属の第32駆逐隊に編入される[9][10](同時点での編成は玉波、藤波[11]早波[12]涼波[13][14]。 ひきつづき、第二水雷戦隊所属各艦(島風型駆逐艦島風等)と共に輸送船団や航空母艦の護衛に従事した[15][16]。幾度か大和型戦艦武蔵を護衛する機会もあった[17][18]

11月上旬、第二水雷戦隊は遊撃部隊(指揮官栗田健男第二艦隊司令長官)を護衛してラバウルに進出するが、ラバウル空襲に遭遇[19]。一連の空襲で、二水戦から32駆僚艦涼波沈没[13][20]、第31駆逐隊の長波大破[21]という損害を出した。 12月15日、夕雲型姉妹艦浜波が32駆に加わる[22][23]

1944年(昭和19年)3月中旬、東松二号船団旗艦の軽巡龍田が沈没、玉波は生存者を収容した[24]。 3月下旬から4月中旬にかけて、玉波は東松三号船団東京湾サイパン島パラオ諸島)に従事[25]。 5月下旬[2]、第32駆逐隊(早波、玉波、藤波、浜波)はタウイタウイ泊地に集結し、第二水雷戦隊各艦と共に訓練に従事する。 6月7日、32駆僚艦早波が米潜水艦に撃沈される[12][26]。 3隻編制となった第32駆逐隊(藤波、玉波、浜波)は、6月下旬のマリアナ沖海戦に前衛部隊(第三航空戦隊第二艦隊)に所属して参加[2]

同海戦敗北後の7月上旬、第32駆逐隊(玉波、藤波)は軽巡洋艦北上とタンカー旭東丸を護衛してシンガポールからマニラに向かう[27][28]7月7日未明、玉波はマニラ沖合で米潜水艦ミンゴ(後日、海上自衛隊の潜水艦くろしお)の魚雷攻撃を受け[26]、沈没した[2][29]

艦歴

建造経緯

1939年度(マル4計画)仮称第124号艦として藤永田造船所で建造。 1942年(昭和17年)11月1日、本艦は『玉波(たまなみ)』と命名される[1]。同日附で、海防艦対馬等と共に艦艇類別等級表に類別[4]

1943年(昭和18年)2月20日、日本海軍は駆逐艦綾波艦長(同艦は第三次ソロモン海戦で沈没)だった佐間英邇中佐を[30]、玉波艤装員長に任命する[31]2月26日、藤永田造船所の玉波艤装員事務所は事務を開始する[32]4月30日、竣工[2][33]。佐間中佐(玉波艤装員長)は、玉波駆逐艦長(初代)となる[30][34]。初代幹部は、砲術長大野俊也中尉、水雷長前野克己中尉、航海長山本太郎予備中尉、機関長小宮川勇大尉[34]。玉波艤装員事務所は撤去された[35]舞鶴鎮守府籍となる[36]

昭和18年中旬の行動

玉波は4月30日の竣工と共に、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官木村進少将〈海軍兵学校40期〉、旗艦龍田)に編入[5][37]瀬戸内海に回航され訓練を受ける[38][39]。 5月5日、十一水戦の旗艦は龍田から玉波に変更[40]。同月9日、玉波から秋月型駆逐艦新月にかわった(15日より龍田に復帰)[40]。 5月中旬以降、島風型駆逐艦島風(5月17日)や秋月型駆逐艦若月(5月31日)も十一水戦に編入され[41]、本艦と共に訓練おこなった[42][43]

6月8日、桂島泊地所在の各艦(玉波、島風、若月、大淀[44]最上龍田長門扶桑)等は[45]、長門型戦艦陸奥の爆沈に遭遇した[6]。十一水戦は木村少将(龍田座乗)指揮下で救助活動に従事する[6]

6月22日、十一水戦の駆逐艦2隻(若月、玉波)は大和型戦艦武蔵の護衛艦に指定され、同任務のために横須賀に向かう[46][47]6月23日朝、横須賀着[45][48]。 到着後間もなく、2隻(若月、玉波)は遠州灘でアメリカ潜水艦ハーダー (USS Harder, SS-257) の雷撃で擱座した元特設水上機母艦相良丸日本郵船、7,189トン)の救難作業を下令される[49]。相良丸は駆逐艦澤風に曳航され、天竜川河口に擱座した[50]6月25日[51]、駆逐艦4隻は戦艦武蔵を護衛して横須賀を出発[45][52]。武蔵は豊後水道を通過し[53]6月27日に呉到着[51][52]。駆逐艦2隻(玉波、若月)も内海西部に到着した[54]

7月1日附で玉波は第二水雷戦隊(司令官伊崎俊二少将、海軍兵学校42期)に編入され[55]、前進部隊(第二艦隊)所属となる[7]。 出撃準備中の7月7日、玉波駆逐艦長は佐間中佐から青木久治中佐に交代[56]。後日、佐間中佐は駆逐艦冬月艦長等を歴任した[30]

7月中旬、日本海軍は南海第四守備隊を最前線に輸送する[57](同部隊はマーシャル諸島配備予定だったが、ニュージョージア島の戦い生起によりソロモン諸島に配備先を変更)[58][59]7月9日-10日、玉波は水上機母艦日進を護衛してを出撃[8][60]。 横須賀から来た第一航空戦隊(第三艦隊司令長官小沢治三郎中将)と合流する[57]。 小沢中将指揮下の空母4隻(翔鶴瑞鶴瑞鳳冲鷹[61]、重巡洋艦3隻(利根筑摩最上)、軽巡洋艦2隻(大淀阿賀野[44][62]、水上機母艦日進[60]、駆逐艦部隊(第4駆逐隊〈萩風〉、第17駆逐隊〈磯風〉、第61駆逐隊〈涼月初月〉、夕雲型駆逐艦〈玉波〉)は日本本土を離れる[63][64]7月15日、暗号解読や僚艦からの通報により、米潜水艦ティノサ(USS Tinosa, SS-283)とポーギー (USS Pogy, SS-266)がトラック諸島近海で小沢機動部隊を待ち伏せていた[61]。ティノサは距離3500mで魚雷4本を発射するが回避され、小沢艦隊に被害はなかった[61]。 同日、トラック諸島到着[59][65]。この後、日進は第八戦隊や第十戦隊とニュージョージア諸島に進出、7月22日にショートランド諸島近海で空襲を受け撃沈された[59][66]

トラック着後の玉波は軽巡洋艦五十鈴(第十四戦隊)の指揮下に入り、2隻(五十鈴、玉波)は空母瑞鳳より輸送人員(砲台員350名)・物件(約200トン)を受け入れる[67]7月16日午前7時、輸送隊(五十鈴、玉波)はトラック泊地を出撃[68]。 7月19日、2隻(五十鈴、玉波)はナウル島に到着して輸送任務を終えた[67][68]7月22日朝、トラック帰着[68][69][70]

玉波航海中の7月20日、第二水雷戦隊司令官高間完少将は軽巡長良を二水戦旗艦とした[71][72]。 先のコロンバンガラ島沖海戦で軽巡神通沈没時に第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将以下の二水戦司令部が全滅したため、日本海軍は第二水雷戦隊と第四水雷戦隊を統合したのである[71][73]7月23日、玉波と駆潜艇28号はタンカー3隻(富士山丸、日栄丸、東亜丸)を護衛してトラックを出撃、パラオ方面に向かう[74][75]7月24日、米潜水艦ティノサ(艦長ローレンス・R・ダスピット少佐)が特設給油艦第三図南丸を襲撃する[76][77]。魚雷15本が第三図南丸に命中したが、起爆したのは2本[67]もしくは3本[77]だけだった。第三図南丸は航行不能になり[78]、玉波は日栄丸船団の護衛をやめて救援に向かう[79]。 7月25日から雄島(特設工作艦)、軽巡五十鈴、神風型駆逐艦朝凪等の救援を受ける[67][68]。玉波は応援艦艇と共に五十鈴(第三図南丸曳航中)の指揮下に入り[67][76]、同艦を護衛した[68][80]。7月28日、第三図南丸はトラック泊地に戻ることができた(その後、第三図南丸は同地在泊。翌年2月のトラック島空襲沈没)[67][68]

8月初旬、玉波はトラック泊地に所在[81][82]。 3日から5日にかけて、陽炎型駆逐艦磯風(第17駆逐隊)と行動を共にした[81][83]。駆逐艦2隻(磯風、玉波)はタンカー旭東丸を護衛してトラックを出撃[81][84]。 予定通り途中で護衛をやめ、内地からトラック泊地へ進出中の戦艦武蔵[51][85](連合艦隊旗艦)に合流、側方警戒隊となった[17]8月5日未明、米潜水艦スティールヘッドが主力部隊を襲撃、空母雲鷹を狙って雷撃をおこなうが、命中しなかった[77]。同日、主力部隊(戦艦〈武蔵〉、空母〈雲鷹〉、第五戦隊〈妙高羽黒[59][86]、軽巡〈長良〉、駆逐艦〈野分初風白露〉)[87]はトラック泊地に到着[88][89]。 主力部隊側方警戒隊(磯風、玉波)も任務を終えた[90][91]。磯風は第五戦隊を護衛してラバウルに向かった[59]

8月14日、玉波は船団4隻(北安丸、神州丸、天南丸、健洋丸)を護衛してトラック泊地を出撃[81][92]。19日にパラオ進出[81][93]。 本艦は臨時にニューギニア方面防備部隊に編入されていたため、23日から25日にかけて[94][95]、陸軍輸送船団(護衛艦白鷹)の護衛に従事する[96][97][98]。 同月28日、玉波は「八二八三船団」[99][100]のタンカー3隻(鶴見東亜丸富士山丸[81]護衛艦としてパラオを出撃[101][102]。 9月2日、八二八三船団(玉波、鶴見、東亜丸、富士山丸)はトラック泊地に到着した[103][104]

玉波が船団護衛任務従事中、第二水雷戦隊旗艦は軽巡長良から阿賀型軽巡洋艦能代に交代した[105][106]。 9月10日、玉波は東亜丸を護衛してトラック泊地を出撃[103][107]。分離直後に東亜丸が雷撃されたので、対潜掃蕩をおこなう[108]。その後、トラック泊地に戻った[109]

9月18日、第三艦隊(司令長官小沢治三郎中将、海軍兵学校37期)と第二艦隊(司令長官栗田健男中将、海軍兵学校38期)のマーシャル諸島方面への出撃に際して、第二水雷戦隊も聯合機動部隊に組み込まれた[110][111]。聯合機動部隊は、第三艦隊(第一航空戦隊〈翔鶴、瑞鶴〉、第三戦隊〈金剛、榛名〉、第八戦隊〈利根、筑摩〉、第十戦隊〈阿賀野、涼月、初月、若月、浦風〉、附属〈最上、大淀、日栄丸〉)と第二艦隊(第四戦隊〈愛宕、高雄、摩耶、鳥海〉、第五戦隊〈妙高、羽黒〉、第二水雷戦隊〈能代、海風、涼風、玉波〉)という戦力だった[110][112]。 玉波は第三艦隊付属のタンカー日栄丸(日東汽船、10,020トン)を護衛してトラックを出撃[103][113]。 聯合機動部隊(後から来た瑞鳳、舞風、野分を含む)は[111]、9月20日ブラウン環礁に到着した(玉波と日栄丸は21日着)[114][115]。 基地航空隊が出撃したのみで、機動部隊が米軍と直接交戦することはなかった[116][117]。 玉波は機動部隊前衛に編入される[103][118]。 9月23日、聯合機動部隊はブラウン環礁を撤収[112][119]。 9月25日[119][111]、聯合機動部隊はトラック泊地に戻った[117][120]

9月29日[121]、内地帰投部隊(空母〈隼鷹〉、軽巡〈木曾多摩〉、駆逐艦〈玉波〉)はトラックを出発[122][123]。 10月3日[124][125]、隼鷹隊(隼鷹、木曾、多摩、玉波)は豊後水道を通過する[126][127]。 10月5日、呉に到着した[128][129]

第32駆逐隊

本艦が隼鷹護衛中の1943年(昭和18年)10月1日付で、玉波は第32駆逐隊(駆逐隊司令中原義一郎[130]大佐)に編入される[10][131]。 32駆は夕雲型定数4隻(涼波藤波早波、玉波)となった[14][129]。 10月14日[132][133]、艦隊(空母2隻〈隼鷹、雲鷹〉[134]、駆逐艦2隻〈玉波、〉)は佐伯を出撃[135][136]。 10月9日、隼鷹隊(隼鷹、雲鷹、玉波、曙、天津風)はトラック泊地に到着[137][138]。本艦はトラック泊地で待機する[139]

同年11月上旬、ブーゲンビル島の戦い[140]に伴うろ号作戦の大戦果(誤認)に呼応し、第二艦隊司令長官栗田健男中将(旗艦愛宕)が指揮する重巡洋艦基幹の遊撃部隊(重巡〈愛宕高雄鳥海《のちに損傷タンカー護衛のため涼波と共に離脱》、摩耶鈴谷最上筑摩〉、第二水雷戦隊〔軽巡〈能代〉、第32駆逐隊〈玉波涼波藤波早波〉〕)はトラック泊地からラバウルへ進出する[141][142]。 だが11月5日、栗田艦隊はアメリカ軍機動部隊(サラトガ、プリンストン)の空襲を受ける(ラバウル空襲[19][143]。 栗田艦隊は損傷艦(摩耶)や二水戦主力部隊(能代)等を残してラバウルから退避[144][145]。玉波は損傷艦(最上)を護衛したので遊撃部隊主力に遅れ、2隻(重巡〈鈴谷〉、駆逐艦〈島風〉)が分離して2隻(最上、玉波)の警戒に従事した[19]。11月8日、4隻(重巡〈鈴谷、最上〉、駆逐艦〈玉波、島風〉)はトラック泊地に到着した[144][146]

11月11日、二水戦の駆逐艦2隻(玉波、島風)は空母翔鶴、第四戦隊(愛宕高雄[147][148]を護衛してトラック泊地を出発[149][150]。11月15日、翔鶴隊は横須賀に到着した[149][151]。修理と整備を実施する[149][150]。 玉波航海中の11日、第二次ラバウル空襲で姉妹艦涼波(第32駆逐隊)が沈没[13]、姉妹艦長波(第31駆逐隊)が大破[21][152]。第32駆逐隊は3隻(藤波、早波、玉波)となった[20]

11月26日[153]、駆逐艦4隻(二水戦〈玉波、島風〉[149][150]、第十戦隊〈谷風秋月〉)は空母2隻(翔鶴千歳)を護衛して日本本土を出撃(翔鶴隊は横須賀発[154]、千歳隊は内海西部発)[155][156]。 12月1日[156]、翔鶴含め6隻(翔鶴、千歳、玉波、島風、秋月、谷風)はトラック泊地に到着した[157][158]。 二水戦の3隻(島風、玉波、五月雨)は数日間、トラック泊地で待機する[159][160]

12月7日、駆逐艦2隻(玉波、島風)は「第七〇七二船団」(富士山丸、神国丸)[161][162]を護衛してトラックを出発[163][164]。 11日、駆逐艦2隻(玉波、島風)は途中で富士山丸船団護衛を止め[165]、その後の護衛は哨戒艇に引き継ぐ[161][166](戦史叢書第62巻では第102号哨戒艇が護衛とするが、同艦は11日時点でスラバヤ在泊[167]。護衛は20日[168]から)。 駆逐艦2隻(玉波、島風)は日栄丸船団(日栄丸、旭東丸、照川丸)に合同してトラック泊地に向かった[166][169]。 12月15日、日栄丸船団はトラック泊地到着[170][171]。 同日附で第32駆逐隊に夕雲型駆逐艦浜波が編入され[23][171]、32駆は定数4隻(藤波、早波、玉波、浜波)を回復した[22]。だが玉波は入渠修理のため内地に戻ることになり、島風や他の32駆僚艦とは別行動になる[159][172]。 12月16日、相徳一郎大佐(最上艦長)の指揮下[173][174]、3隻(重巡〈最上〉、第32駆逐隊〈玉波〉、第9駆逐隊〈〉)はトラック泊地を出発[158][175]。 12月21日、3隻(最上、玉波、霞)は日本本土に帰還(翌日、霞は舞鶴に帰投)[176][177][178]。玉波は呉で[179]、霞は舞鶴で、修理と整備をおこなった[174][180]

昭和19年の行動

1944年(昭和19年)1月17日、玉波の出撃準備完了[181]連合艦隊は空母神鷹(元ドイツ貨客船シャルンホルスト号)と駆逐艦2隻(玉波、薄雲)に、輸送任務を命じた[182]。 1月19日、神鷹は徳山沖で試運転を行うが、21日に呉へ回航された(玉波と薄雲は徳山で待機)[183][184]。神鷹の機関不調は深刻で出撃できず、薄雲と玉波も別任務に投入された。薄雲は呉海軍工廠でレーダーの整備を実施[185]。玉波は横須賀に回航された[180][181]

1月29日[147][186]、瑞鳳艦長服部勝二大佐の指揮下に入る[187][188]。 駆逐艦3隻(第32駆逐隊〈玉波〉、第21駆逐隊〈初春若葉[189]。)は、第三航空戦隊瑞鳳千代田)と重巡洋艦高雄(第四戦隊)[190][191]を護衛して横須賀を出撃[180][181]。 同時期、小笠原諸島西方海域で空母雲鷹(米潜水艦の雷撃で損傷中)が危機に瀕していたので[192]、2隻(高雄、玉波)は瑞鳳隊と分離して雲鷹救援に向かった[147][193][194]。 1月31日午後2時、玉波は高雄艦長の命令により反転、瑞鳳隊の護衛に戻った[194][195]。 一方、高雄は2月1日に雲鷹隊(雲鷹、初霜皐月)と合流[188][196]。雲鷹を東京湾に送り届けた[188][192]

2月3日[180][186]、瑞鳳隊(瑞鳳、千代田、若葉、初春、玉波)はトラック泊地に到着[197][198]。 しかし、2月5日のクェゼリンの玉砕によりアメリカ軍の脅威が差し迫り、連合艦隊はトラックからの総引き揚げに決した[186][199]。連合艦隊主力部隊はパラオやリンガ泊地に回航されたが、連合艦隊司令部は大本営と協議するため横須賀にむかう[200]。 2月10日[180][201]、戦艦武蔵(連合艦隊旗艦)[200]、軽巡大淀[44]、三航戦(千代田、瑞鳳)は[202]、それぞれトラック泊地を出発[203][204]。 護衛部隊(第21駆逐隊〈初春若葉[205]、二水戦〈玉波、満潮白露〉)が武蔵以下に同行する[203][206]。 2月13日、日本近海で母艦部隊は横須賀に向かう武蔵隊と分離[197][207]。武蔵隊(武蔵、満潮、白露)は15日(大淀のみ翌日)[44][208]、横須賀帰着[204][209]。 15日、母艦部隊(空母〈瑞鳳、千代田〉[210]、駆逐艦〈若葉、初春、玉波〉)も瀬戸内海に帰投[205][211]。玉波は呉海軍工廠に入渠後、機銃増備工事とレーダー取り付け工事が行われた[197]。引続き夕雲型2隻(玉波、長波)は修理をおこなう[212]

3月、日本海軍は中部太平洋方面の兵力強化を目的として緊急輸送作戦(松輸送)を立案し、第十一水雷戦隊や連合艦隊所属各艦(玉波を含む)は海上護衛司令長官の指揮下に入った[213][214]。 3月13日、東松2号輸送船団は八丈島海域で米潜水艦(サンドラス)に襲撃され[215]、被雷した輸送船国陽丸(大阪商船、4,607トン)が沈没、軽巡龍田(第十一水雷戦隊旗艦)が航行不能となる[216][217]。 第十一水雷戦隊(東松2号輸送船団指揮官)は旗艦を駆逐艦野分(第4駆逐隊)に変更[218][219]。 横須賀在泊や日本近海の艦艇(夕張、玉波等)は、まだ沈んでいなかった龍田の救援に向かう[220](龍田沈没は被雷より半日後の午後4時頃)[219][221]。 龍田遭難現場に急行した玉波は、護衛艦2隻(海防艦平戸、駆逐艦卯月)と合流[222][24]。 玉波は卯月より龍田生存者274名を受け入れ[223][224]、平戸と共に横須賀へ帰投した(卯月は東松2号船団続行、平戸は東松三号船団に編入され横須賀待機)[225][226]

3月22日、玉波は東松三号輸送船団(加入船舶12隻)に所属して東京湾を出撃する[25][227]。 船団旗艦は、修理を終えたばかりの軽巡洋艦夕張(船団部隊指揮官、第一特設船団司令官伊集院松治少将)[228][229]。 夕張以外の護衛艦艇は、駆逐艦3隻(旗風玉波)、海防艦平戸能美)、水雷艇、駆潜艇3隻[25][230]。 3月25日、駆潜艇54号が米潜水艦(ポラック)に撃沈される[231]。 3月28日、パラオ行船団(護衛艦〈玉波、平戸、能美〉、船舶〈辰浦丸、乾安丸、富津丸、長白山丸、南洋丸、早埼〉)はサイパン行船団(夕張他、3月30日着)と分離する[25][230]。だが米軍機動部隊出現の報によりパラオ行船団(玉波以下)も4月2日サイパン島に避退[25][230]。4月7日に出撃し[180][230]、米軍機動部隊来襲の情報により、船団はヤップ島に避泊したあと、4月14日パラオ諸島に到着した[25][230]。玉波は4月17日パラオ出発、20日横須賀帰投[180]

4月25日、玉波は横須賀を出発し、呉に移動する[232][233]。内海西部で待機[180]。 5月11日、駆逐艦複数隻(夕雲型駆逐艦〈玉波、早霜秋霜〉、第4駆逐隊〈満潮野分野分[234]、第27駆逐隊〈時雨〉)は[235][236]第二航空戦隊隼鷹飛鷹龍鳳)、第三航空戦隊千歳千代田瑞鳳)、大和型戦艦武蔵[51][237]を護衛して佐伯を出撃[238][239]。 5月16日、タウイタウイに到着した[238][240]。 日本艦隊は同泊地で訓練を実施するが、米潜水艦が頻繁に出現するため母艦航空隊の訓練ができず、練度に不安が残った[241][242]

第32駆逐隊(早波[12]、藤波[11]、玉波[2]、浜波[23])が同泊地で訓練中の6月6日、駆逐艦水無月が米潜水艦ハーダーに撃沈される[241][243]6月7日、対潜掃蕩に向かった32駆僚艦早波が、またしても米潜水艦ハーダーに撃沈される[241][244]。32駆は3隻(藤波、玉波、浜波)となった[245]。 また早波沈没時に早波駆逐艦長の清水逸郎中佐[246]と折田大佐(第32駆逐隊司令)が戦死した(折田は海軍少将に進級)[247][248]。 第32駆逐隊は司令不在となったため(司令駆逐艦は玉波に変更)[249]、玉波艦長青木久治中佐が6月15日附で第32駆逐隊司令に転任[250]、早波艦長として着任予定だった千本木十三四中佐(海兵52期)が玉波艦長となった[250]。 日米海上決戦を目前にした駆逐艦の喪失(秋雲風雲春雨渾作戦中の空襲》、白露《衝突事故》、水無月早波谷風)等は[26]、日本海軍機動部隊の行動にも影響をあたえはじめた[251][252]

6月19日のマリアナ沖海戦では、丙部隊(第三航空戦隊、第二艦隊主力)に所属して第二艦隊司令長官栗田健男中将(愛宕座乗)直率の第四戦隊(愛宕〔第二艦隊旗艦〕、高雄摩耶鳥海)、第三航空戦隊(司令官大林末雄少将:千歳千代田瑞鳳)、第一戦隊(司令官宇垣纏中将:大和武蔵)、第三戦隊(司令官鈴木義尾少将:金剛榛名)、第七戦隊(司令官白石万隆少将:熊野鈴谷利根筑摩)、第二水雷戦隊(司令官早川幹夫少将:軽巡能代、第31駆逐隊〈岸波朝霜沖波〉、第32駆逐隊〈藤波[11]、玉波[2]、浜波[23]〉、附属〈島風〉)と行動を共にする[253][254]。 海戦は惨敗[255]。前衛部隊は、6月20日の戦闘で3隻(千代田、榛名、摩耶)に爆弾命中や至近弾による損害があった[256][257]

海戦後、遊撃部隊(第二艦隊、第三航空戦隊、第二水雷戦隊等)は6月22日に中城湾沖縄本島)に立ち寄った後[258]、翌23日に内海西部に向かった[259]。だが第32駆逐隊(玉波、藤波)は遊撃部隊と同行せず[180][260]、6月25日マニラ到着した[261]。さらに昭南に回航された[261]

沈没

7月2日以降[27][11]、軽巡洋艦北上(第十六戦隊)と第32駆逐隊(玉波、藤波)は[262][263]、シンガポールからマニラ経由で日本に向かう旭東丸飯野海運、10,051トン)の護衛に従事した[264][28][265]。 北上は1月下旬にイギリス潜水艦に雷撃され損傷、内地で修理の予定だった[266]

7月7日未明2時ごろ、北緯14度19分 東経117度57分 / 北緯14.317度 東経117.950度 / 14.317; 117.950[267]マニラ湾口西方海域を航行中にアメリカの潜水艦ミンゴ (USS Mingo, SS-261) を探知し、ミンゴもレーダーにより4つの目標を探知した[268]。「吹雪型駆逐艦」、すなわち玉波が推定23ノットの速力で向かってきていると判断した後、潜航してさらに観測を続けた[268]。一方のミンゴも2発に及ぶ爆雷攻撃をやり過ごした後、艦尾発射管から魚雷を4本発射した[269]。しかし、これは命中しなかった[269]。1時間後に体勢を立て直し艦首発射管から魚雷を4本発射し[270]、うち3本が命中して玉波は艦首から沈没していった[270]轟沈であった[29]。 藤波は玉波がいるあたりに火炎と爆炎が立ち昇るのを認めて反転し、断続的に捜索と爆雷攻撃を行ったが手がかりはつかめなかった[27][271]。 32駆司令青木大佐(海軍少将へ進級)[272]および千本木中佐(玉波駆逐艦長)[273]以下276名が戦死した[2]

同日、北上以下船団はマニラに到着[271][274]。北上は修理のためマニラに残留した[275][276]。 藤波と旭東丸は、駆逐艦2隻(夕凪[277]と特務艦速吸と共にマニラを出港、内地へむかった[278][279]

9月10日、玉波は夕雲型駆逐艦[280]、 帝国駆逐艦籍より除籍された[281]。 本艦の沈没により、第32駆逐隊は夕雲型2隻(藤波、浜波)編成となった[282]

歴代艦長

艤装員長
  1. 作間英邇 中佐:1943年2月20日[31] - 1943年4月30日[34]
駆逐艦長
  1. 作間英邇 中佐:1943年4月30日[34] - 1943年7月7日[56]
  2. 青木久治 中佐:1943年7月7日[56] - 1944年6月15日[250]
  3. 千本木十三四 中佐:1944年6月15日[250] - 1944年7月7日 戦死、同日付任海軍大佐[273]

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    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第16戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030057100。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年9月30日 特設運送艦旭東丸戦時日誌(1)/特設運送艦旭東丸『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 戦時日誌』』。Ref.C08030644600。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年9月30日 特設運送艦旭東丸戦時日誌(2)/特設運送艦旭東丸『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 戦時日誌』』。Ref.C08030644700。 
    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年四月一日昭和十八年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十八年五月一日昭和十八年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1))』。Ref.C08030126000。 
    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年六月一日昭和十八年六月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十八年七月一日昭和十八年七月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2))』。Ref.C08030126100。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030126800。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030126900。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030127000。 
    • 『昭和18年9月1日〜昭和19年3月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030085800。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年5月31日 第10戦隊戦時(1)』。Ref.C08030050000。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年5月31日 第10戦隊戦時(2)』。Ref.C08030050100。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年5月31日 第10戦隊戦時(3)』。Ref.C08030050200。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年5月31日 第10戦隊戦時(4)』。Ref.C08030050300。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年5月31日 第10戦隊戦時(5)』。Ref.C08030050400。 
    • 『昭和18年12月1日〜昭和19年5月31日 第10戦隊戦時(6)』。Ref.C08030050500。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年七月二十日昭和十八年七月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(1))』。Ref.C08030101000。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年八月一日昭和十八年八月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(2))』。Ref.C08030101100。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年九月二十日昭和十八年九月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(3))』。Ref.C08030101200。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十月一日昭和十八年十月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(4))』。Ref.C08030101300。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十一月一日至昭和十八年十一月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5))』。Ref.C08030101400。 
    • 『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030101500。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十二月一日至昭和十八年十二月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1))』。Ref.C08030101800。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十九年一月一日 至昭和十九年一月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3))』。Ref.C08030102000。 
    • 『第二水雷戦隊司令部『自昭和十九年二月一日 至昭和十九年二月二十九日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4))』。Ref.C08030102100。 

脚注

  1. ^ a b #達昭和17年11月(2)pp.4-6『達第二百九十四號 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦四隻、海防艦一隻及掃海特務艇六隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年十一月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造  驅逐艦 玉波(タマナミ)/呉海軍工廠ニ於テ建造  伊號第五十三潜水艦 伊號第五十五潜水艦/三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造  呂號第三十八潜水艦/株式會社玉造船所ニ於テ建造  呂號第四十四潜水艦/日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造  海防艦 對馬(ツシマ)/浪速船渠株式會社ニ於テ建造  第十二號掃海特務艇 第十七號掃海特務艇/三菱重工業株式會社彦島造船所ニ於テ建造  第十三號掃海特務艇 第十四號掃海特務艇/株式會社名村造船所ニ於テ建造  第十五號掃海特務艇/佐野安船渠株式會社ニ於テ建造  第十六號掃海特務艇』
  2. ^ a b c d e f g h i j 秋月型(2015潮書房)224頁『玉波(たまなみ)』
  3. ^ #昭和17年12月31日艦艇類別等級表p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|夕雲型|夕雲、巻雲、風雲、長波、巻波、高波、大波、清波、玉波、濱波』
  4. ^ a b #内令昭和17年11月(2)pp.26-27『内令第二千二十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十一月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎/驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「清波」ノ下ニ「、玉波」ヲ加フ/潜水艦、一等伊五十二型ノ項中「伊號第五十二」ノ下ニ「、伊號第五十三、伊號第五十五」ヲ加フ 同二等呂號三十五型ノ項中「呂號第三十七」ノ下ニ「、呂號第三十八」ヲ、「呂號第四十二」ノ下ニ「、呂號第四十四」ヲ加フ/海防艦、占守型ノ項中「隠岐」ノ下ニ「、對馬」ヲ加フ』
  5. ^ a b #S18.04十一水戦日誌(1)p.4『備考(電、雷、響、略)玉波 四月三十日當隊ニ編入』
  6. ^ a b c d 日本水雷戦史294-296頁『第十一水戦の創立』
  7. ^ a b #S18.04十一水戦日誌(2)p.29『一日二〇四七前進部隊指揮官(宛略)機密第〇二二〇四七番電 電令作第二三六號 玉波ヲ前進部隊本隊(警戒隊)ニ編入 準備出來次第「トラツク」ニ進出スベシ|無電』
  8. ^ a b #S18.07佐伯防備隊(1)p.43『七月八日一二三七 呉防戰司令官(宛略)電令作第二六一號 一.日進及玉波十日〇八〇〇沖ノ島出撃爾後針路一三〇度速力二十一節(以下略)』
  9. ^ #S18.06二水戦日誌(4)p.15『一日〇一〇四 大臣(宛略)官房機密第〇一〇一〇四番電 十月一日附 一,驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 第二十七驅逐隊ノ項中ニ五月雨 第三十二驅逐隊ノ項中ニ玉波ヲ加フ(二,以下略)|無電』
  10. ^ a b #内令昭和18年10月(1)p.11『内令第二千三十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月一日海軍大臣嶋田繁太郎|第二十七驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、五月雨」ヲ加フ|第三十二驅逐隊ノ項中「早波」ノ下ニ「、玉波」ヲ加フ』
  11. ^ a b c d 秋月型(2015潮書房)225頁『藤波(ふじなみ)』
  12. ^ a b c 秋月型(2015潮書房)225頁『早波(はやなみ)』
  13. ^ a b c 秋月型(2015潮書房)224頁『涼波(すずなみ)』
  14. ^ a b #S18.06二水戦日誌(4)p.16『二日一二三〇 三二驅司令(宛略)三二驅機密第〇二一二三〇番電 十月一日附 當隊艦船番號ヲ左ノ通定ム (一)早波 (二)玉波 (三)涼波 (四)藤波|無電』
  15. ^ #S18.06二水戦日誌(5)p.6『(2)中旬(中略)玉波、島風(翔鶴、高雄、愛宕)』
  16. ^ #S18.12二水戦日誌(1)p.5『(イ)一般(第二水雷戰隊)(1)上旬(中略)島風、玉波ハ護衛任務其ノ他概ネ内地方面ニ在リテ待機修理中 24dg(海風凉風)修理完成内海西部ニ在リテ訓練後九日釜山ニ向ケ徳山発/輸送護衛 玉波、島風(翔鶴、富士山丸、神國丸、日榮丸、旭東丸)』
  17. ^ a b #S18.06二水戦日誌(2)p.21『四日〇九四〇(長官)GF|GF|一.17dg(磯風)玉波ヲ側方警戒隊トス/二.側方警戒隊ハ武藏ノ左右夫々一〇〇度二.五粁ニ占位スベシ/三.側方警戒隊ノ指揮呼信號ヲ「隊四」トス/四.磯風、玉波ハ(テタ二二一)ニ配員セヨ|信號』
  18. ^ #S18.12二水戦日誌(4)p.4『第二水雷戰隊(イ)一般(1)上旬(略)九日附24dg(満潮)白露YBヨリ除カレGF主隊ニ編入/十日武藏護衛(玉波途中迄加入)横須賀ニ向ケ「トラツク」発』
  19. ^ a b c 戦史叢書(62)425-426頁『遊撃部隊のラバウル進出直後の被害』
  20. ^ a b #内令昭和19年1月(2)p.14『内令第六十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年一月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十六驅逐隊ノ項中「初風、」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「望月、」ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「涼波、」ヲ削ル』
  21. ^ a b 秋月型(2015潮書房)221-222頁『長波(ながなみ)』
  22. ^ a b #内令昭和18年12月(2)p.46『内令第二千六百八十八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年十二月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「玉波」ノ下ニ「、濱波」ヲ加フ』
  23. ^ a b c d 秋月型(2015潮書房)225-226頁『浜波(はまなみ)』
  24. ^ a b #S18.12十一水戦隊日誌(2)pp.38-39『十三日二〇〇一 玉波(宛略)機密第一三二〇〇一番電 遭難者二七四名(内准士官以上一〇名)卯月ヨリ移乗完了 横須賀ニ向ケ現地発 明日十四日〇六〇〇着ノ豫定|無電』
  25. ^ a b c d e f 海上護衛戦(戦史叢書)363頁『東松三号船団』
  26. ^ a b c 海上護衛戦(戦史叢書)446-447頁『米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表』
  27. ^ a b c 日本軽巡戦史409-411頁『空母と共に(八月)』
  28. ^ a b #S1906旭東丸日誌(1)p.16『六月三十日 北上(宛略)北上機密第三〇一八三〇番電 一.旭東丸護衛艦 北上 三二dg(玉波藤波)二日一三〇〇内海西部ニ向ケ昭南発(マニラ経由)速力十四.五節(以下略)』
  29. ^ a b #S19.07.07-07.20経過概要p.6〔19-7〕『7|0320頃|「マニラ」西方海面ニ於テ北上(16S/GKF)旭東丸(GF)ヲ護衛中ノ玉波ハ対(潜水艦)攻撃中轟沈セルモノノ如ク一大火柱ヲ認メタル後消息不明トナレリ|32dg| 』
  30. ^ a b c 歴史群像、水雷戦隊I特型駆逐艦182-183頁『佐間英邇……強運の駆逐艦長』
  31. ^ a b 昭和18年2月23日(発令2月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1057号 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089800 
  32. ^ 海軍公報(部内限)第4334号 昭和18年3月8日(月) p.42」 アジア歴史資料センター Ref.C12070429800 『○事務開始 佐渡艤装員事務所ハ二月二十四日横濱市鶴見區末廣町二ノ一日本鋼管株式會社鶴見造船所内(八洲寮)ニ於テ事務ヲ開始セリ|玉波艤装員事務所ハ二月二十六日大阪藤永田造船所内ニ於テ事務ヲ開始セリ|○事務所撤去 第三十五號驅潜艇艤装員事務所ヲ二月二十八日撤去セリ 追而郵便物ハ呉郵便局氣付 第三十五號驅潜艇』
  33. ^ #S18.04舞鎮日誌p.51『三十日一〇一五玉波驅逐艦長|〃(三十日)一一四〇 長官外|玉波機密第二〇一〇一五番電 玉波受領ノ件|電報』
  34. ^ a b c d 昭和18年5月1日(発令4月30日付)海軍辞令公報(部内限)第1105号 p.33」 アジア歴史資料センター Ref.C13072090800 
  35. ^ 海軍公報(部内限)第4383号 昭和18年5月8日(土) p.36」 アジア歴史資料センター Ref.C12070431200 『○事務所撤去 玉波艤装員事務所ハ四月三十日撤去セリ』
  36. ^ #内令昭和18年4月(6)pp.20-21『内令第八百十八號  驅逐艦 玉波 右本籍ヲ舞鶴鎭守府ト定メラル/呂號第百九潜水艦 右本籍ヲ佐世保鎭守府ト定メラル  昭和十八年四月三十日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  37. ^ #S18.04十一水戦日誌(1)p.3『一.經過(イ)一般情勢 第十一水雷戰隊ハ四月一日編制ト同時ニ主力部隊ニ編入内海西部ニ在リテ全作戰支援護衛任務新造驅逐艦ノ急速練成ニ努メタリ』
  38. ^ #S18.04十一水戦日誌(1)p.16『三十日一一一五 玉波(宛略)呉ニ向ケ大阪発|無電』
  39. ^ #S18.04十一水戦日誌(1)p.17『四.参考(一)麾下艦船ノ行動』(昭和18年4月)
  40. ^ a b #S18.04十一水戦日誌(1)p.25『五日一二五三 11sd司令官(宛略)左ノ豫定ニ依リ旗艦ヲ一時変更ス 五月五日ヨリ玉波 九日ヨリ新月 十五日 龍田ニ復帰|無電』
  41. ^ #S18.04十一水戦日誌(1)pp.45-46『五.作戰經過ノ概要』
  42. ^ #S18.04十一水戦日誌(1)p.22『備考 雷 電 内南洋部隊ニ編入中/響 五月十七日 北方部隊/新月 五月十七日 機動部隊/島風 五月十日/若月 五月三十一日}當隊ニ編入』
  43. ^ #S18.04十一水戦日誌(1)p.44『四.参考(一)麾下艦船ノ行動』(昭和18年5月)
  44. ^ a b c d 写真日本の軍艦9巻158頁〔軽巡洋艦『大淀』行動年表〕
  45. ^ a b c #S18.04十一水戦日誌(2)p.19『四.参考 麾下艦船ノ行動』(昭和19年6月)
  46. ^ #S18.04十一水戦日誌(2)p.11『十五日一四三〇GF長官(宛略)|武藏ハ六月二十五日横須賀発呉ニ回航ス 1F 3F長官ハ護衛駆逐艦二隻宛(計四隻)ヲ派遣スベシ|無電』・『十六日 長門|十六日〇七〇五 11sd|1F信令第六八號 GF機密第一五一四三〇番電ニ依リ駆逐艦ヲ派遣スベシ 右艦名ヲ所要ノ向ニ報告通報スベシ|信號』・『十六日〇八二〇(司令官)11Sd(宛略)GF機密第一五一四三〇番電ニ依ル護衛艦ヲ若月 玉波ニ指定ス|無電』
  47. ^ #S18.04十一水戦日誌(2)p.15『二十二日〇六〇〇 11sd(宛略)若月 玉波 横須賀ニ向ケ内海西部発|無電』
  48. ^ #S18.04十一水戦日誌(2)p.15『二十三日〇九四五 若月(宛略)若月 玉波 横須賀着|無電』
  49. ^ #S18.04十一水戦日誌(2)p.16『二十三日一二〇二横鎭参謀長(宛略)一.相良丸漂流中(敵潜ノ雷撃ヲ受ケ)/二.若月、玉波ハ事情許ス限リ曳航作業ニ協力サレ度|無電』
  50. ^ #S18.06.13-06.30経過概要p.14〔昭和18年6月〕『23|0445|O-T相良丸(7189t)ハ御前埼ノS45′ニテ雷撃ヲ受ク|内地 海運省|航行不能 d(沢風 横防戰)ニテ曳航セシモ浸水甚ダシク天龍川河口ニ一応擱座セシメタリ』
  51. ^ a b c d 写真日本の軍艦1巻43頁〔戦艦『大和・武蔵』行動年表 ◇武蔵◇〕
  52. ^ a b 武藏(2009上)154頁
  53. ^ #S18.06呉防戦日誌(1)p.13『(ヘ)六月中ニ於ケル重要船舶豊後水道出入竝ニ當防備戰隊ニテ護衛セル状況』
  54. ^ #S18.04十一水戦日誌(2)pp.20-21『五.作戰經過ノ概要(略)(ロ)玉波、若月 二十一日内海西部出撃(敵潜水艦掃蕩及護衛)二十七日内海西部着』
  55. ^ #S18.04十一水戦日誌(2)p.17『二十九日1F参謀長(宛略)六月三十日附 霞ヲ11sdニ編入 七月一日附 玉波 十日附 島風ヲ11sdヨリ除キ2Sdニ編入セシメラルル豫定|無電』
  56. ^ a b c 昭和18年7月8日(発令7月7日付)海軍辞令公報(部内限)第1168号 p.8」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092100 
  57. ^ a b 日本軽巡戦史443-445頁『大淀の陸軍輸送(七月)』
  58. ^ 戦史叢書(62)357頁
  59. ^ a b c d e 戦史叢書(62)372-373頁『南海第四守備隊の南東方面への転用』
  60. ^ a b #S17.09日進詳報(2)p.38『七月三日一八二五機動部隊指揮官|8S 10S外日進|KdB機密〇三二一一〇番電 一.略/二.冲鷹日進玉波(日進艦長ノ命ヲ受ケ日進警衛ニ任ズ)ハ便宜各所在地發七月十一日一二〇〇迄ニ當部隊ニ合同セヨ|無電』-『七月十日〇五三〇日進(宛略)日進玉波〇五〇〇「トラック」ニ向ケ發|無電』-『七月十四日〇五〇〇瑞鶴|艦隊|日進冲鷹玉波嵐ハ列ヲ解キ日進艦長所定ニ依リ概ネ當隊ニ續行「トラック」ニ入泊スベシ|信号』
  61. ^ a b c #木俣空母498-500頁
  62. ^ 写真日本の軍艦9巻103頁〔軽巡洋艦『阿賀野』行動年表〕
  63. ^ 戦史叢書(62)357頁『東方部隊指揮官の任務、機動部隊指揮官に継承』
  64. ^ #S17.01八戦隊日誌(6)p.18『…翌十日機動部隊指揮官指揮ノ下ニ第八戦隊ヲ率ヰ0600同地發1230沖ノ島出撃「トラック」ニ回航15日着急速補給ヲ完了機動部隊第一部隊(8S 61dg)及第三部隊(日進)ヲ率ヰ14S(那珂)ヲ併セ指揮シ16日早朝「トラック」發ニテ搭載人員ヲ「ミレ」方面ニ輸送ノ予定ナシリ所…』
  65. ^ 高松宮日記6巻472頁『○第三艦隊(一五-一六四〇)第一航空戦隊、第八、第十戦隊(阿賀野、第六十一、第四駆逐隊、磯風)、最上、大淀、日進、冲鷹、玉波、トラック着』
  66. ^ 戦史叢書(96)249-250頁『経過概要と南東方面部隊等の作戦指導』
  67. ^ a b c d e f 日本軽巡戦史473-474頁『ミレ島、ナウル島輸送(七月)』
  68. ^ a b c d e f #S18.04十四戦隊日誌(2)pp.6-7『(三)作戰指導(イ)(軽巡那珂行動略)五十鈴ハAdB電令作第二四五號及第十四戰隊信令第六號ニ依リ、玉波ヲ警戒艦トシテ「ナウル」増援隊急速輸送ニ任ジ十六日〇七〇〇「トラツク」發 對潜對空警戒ヲ嚴ニシツツ十九日〇六四〇「ナウル」着増援隊人員器材ヲ揚搭同日〇九三〇「ナウル」發二十二日〇八四五「トラツク」着/又五十鈴ハUNB信電令第二六號ニ依リ北緯六度五三分東経一四七度五三分ニ於テ被雷航行不能ノ第三圖南丸救援ノタメ朝凪ヲ合セ指揮シ二四日一六三〇「トラツク」發二五日〇七〇〇現場着(玉波、雄島、金城丸、第二長安丸、第五號、第十二號駆潜特務艇ハ五十鈴艦長ノ指揮下ニ入ル)/一〇四五曳航開始對潜警戒ヲ嚴ニシツツ二八吋〇一〇〇南水道着第三圖南丸ヲシテ〇一四五無事PTニ帰投セシメ得タリ』
  69. ^ #S18.04十四戦隊日誌(2)p.17『二二(天候略)(所属略)五十鈴〇八四五PT着 旭東丸ヨリ重油一一八四T補給|五十鈴燃料補給一一八四T|』
  70. ^ #S18.06二水戦日誌(1)p.31『(五)玉波(二十日KdB本隊ニ編入)「ナウル」輸送任務(五十鈴警戒任務)ニ從事二十二日「トラツク」歸投爾後同地ニ在リテ警戒、待機、教育訓練ニ從事ス』
  71. ^ a b #S18.06二水戦日誌(1)pp.26-27『(ロ)作戰指導竝ニ經過(位置)4Sd兵力ノ2Sd編入竝ニ旗艦ノ變更』
  72. ^ #S18.06二水戦日誌(1)pp.27-28『(一)長良 4Sd旗艦タリ、十九日「ラボール」ヨリ「トラツク」歸着KdBニ編入二十日2Sd編入ト共ニ2Sd旗艦ニ指定セラレ同日将旗掲揚KdB本隊ニ編入セラル(以下略)』
  73. ^ 戦史叢書(96)237-238頁
  74. ^ #S16.12四根日誌(3)p.43『(七)護衛船団並ニ無護衛船団ニ関スル調査(一八.七)』・『二三|七二三三|二|一二六五六|玉波、駆潜二八|トラック ― パラオ|一一.〇』
  75. ^ #S18.06二水戦日誌(1)pp.78『二三(天候略)(略)三、玉波一二三〇「トラツク」発(富士山丸 日榮丸 東亜丸護衛)(以下略)』
  76. ^ a b 戦史叢書(62)359頁『米潜水艦の跳梁』
  77. ^ a b c 日本空母戦史500-502頁『トラック島での対潜警戒』
  78. ^ 変わりダネ軍艦72-73頁『さいわいした船体の油タンク』
  79. ^ #S18.06二水戦日誌(1)pp.79『二四(天候略)玉波〇八四五日栄丸船団護衛ヲ止メ第三圖南丸護衛ニ向フ 一〇三四合同対潜攻撃ヲ行フ』
  80. ^ #S18.04十四戦隊日誌(2)p.18『二五(天候略)(所属略)五十鈴〇七〇〇現場着 一〇四五曳航開始「トラツク」ニ向フ』
  81. ^ a b c d e f #S18.06二水戦日誌(2)pp.6-7『(六)玉波 前月ニ引續キ「トラツク」ニ在リKdB本隊ニ編入中ノ處 自三日至五日 間17dg(磯風)ト共ニ旭東丸護衛及GF主隊側方警戒隊トナル 十四日北安丸其ノ他輸送船油槽船等計四隻ヲ護衛「トラツク」出撃十九日「パラヲ」着同日NTB RC方面部隊ニ編入二十三日「パラオ」出撃 白鷹護衛中ノ陸軍輸送船六隻ニ合同之ヲ護衛シ二十五日「パラオ」着 同日YB警戒隊ニ復歸二十八日 八二八三船團(鶴見外二隻)ヲ護衛「パラオ」發「トラツク」ニ囘航ス(二日「トラツク」着ノ豫定)』
  82. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.10『(ホ)麾下艦船部隊ノ行動』(昭和18年8月)』
  83. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.15『17dg機密第〇一一八〇〇番電 磯風、玉波、旭東丸ヲ護衛三日〇五〇〇「トラツク」發四日〇五〇〇N9°40′E 147°34′ニテ護衛ヲ打切リ一〇〇〇頃主隊ニ合同ノ豫定』
  84. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.17『17dg機密第〇三〇五〇〇番電 17dg(磯風)玉波、旭東丸ヲ護衛シ「トラツク」發』
  85. ^ 武藏(2009上)164頁
  86. ^ 高松宮日記6巻522頁『八月五日(木)半晴、曇』
  87. ^ #S17.12第五戦隊日誌(2)p.32『「トラツク」進出中ノ軍隊區分左ノ通』
  88. ^ #S17.12第五戦隊日誌(2)pp.39-40『(ロ)行動任務主要作業』
  89. ^ #S18.06二水戦日誌(2)pp.22-23『四日〇〇二六(4F参謀長)(宛略)4F機密第〇三一九〇〇番電 武藏 5S 雲鷹(飛行機陸揚ニ關シテハ別電)長良等輸送物件ノ「トラツク」ニ於ケル積換及陸揚ハ入港直後左ニ依リ實施ノ豫定(以下略)』
  90. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.24『五日一八五七(GF長官)(宛略)GF機密第〇五一六二六番電 GF電令作第六五三號 GF電令作第五六九號ニ依ル各部隊ノ任務ヲ解ク|無電』
  91. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.79『五(天候略)27dg(時雨)江風二三三〇「ラバウル」発/2Sd(長良)玉波 白露「トラツク」着|27dg(時雨)江風陸兵物件「コロンバンガラ」輸送ノ爲「ラバウル」発/2Sd(長良)玉波 白露BB竝ニYB警戒任務終了「トラツク」着(以下略)』
  92. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.83『一四(天候略)2sd(長良)一二四〇呉着/海風一一〇〇佐世保発 一六三〇着/玉波一四三〇「トラック」発|海風修理工事完了諸試験ノ爲港外ニ出動即日入港/玉波一四三〇北安丸 神州丸 天南丸 健洋丸ヲ護衛「パラオ」ニ向ケ「トラック」発(以下略)』
  93. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.87『一九(天候略)島風〇八〇〇呉発 一三〇〇徳山着/玉波〇九三〇「パラオ」着|玉波 北安丸 神州丸 天南丸護衛「パラオ」着|NTB電令作第三五號 玉波RO方面防備部隊ニ編入セラル』
  94. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.62『二三日二〇三五玉波(宛略)玉波機密臺二三一八三一番電 一八三〇「パラオ」出撃|無電』
  95. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.89『二五(天候略)(略)玉波一三二五「パラオ」着|(略)玉波、白鷹陸軍輸送船護衛任務終了「パラオ」着(略)|GF電令作第作第六七七号ニ依リ玉波YBニ復帰 RC方面防備部隊ヨリ除カル YB電令作第六号ニ依リYB警戒隊ニ編入セラル』
  96. ^ #S18.06二水戦日誌(2)pp.61-62『2aBg機密第二三一三四五番電 RO方面防備部隊電令作第一八號 RO方面防備部隊ハNTB電令作第七九號ニ基キ右ノ外前囘ニ準ジ第七次「ハンサ」湾輸送作戰ヲ實施スベシ 一.輸送指揮官驅潜二六艇長(歸途)九月五日頃白鷹艦長ト交代スベシ)/二.使用兵力驅潜二六、同三四(以上九月五日頃迄)白鷹、玉波(歸航ノ途中ヨリ)及零觀六機/三.交代ノ要領ハ兩指揮官協議スベシ|無電』
  97. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.88『二三(天候略)(略)玉波一八三〇「パラオ」発|BB竝ニYBヲ護衛「トラック」着/玉波、白鷹護衛中ノ陸軍輸送船護衛ノ爲「パラオ」発(以下略)』
  98. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.89『二四(天候略)玉波〇七〇三白鷹ニ合同護衛任務ニ就ク 司令官海風巡視』
  99. ^ 戦史叢書(62)『付表五、中部太平洋方面主要航路における護衛(その2)』『パラオ発トラック行「8」船団』
  100. ^ #S16.12四根日誌(3)p.58『(七)管區内護衛船団並ニ無護衛船団ニ関スル調査(一八-八)』・『二八|八二八三|一九五七六|玉波|パラオ―トラツク|九.〇|』
  101. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.67『2aBg機密臺二六一八一六番電 玉波ハ東亜丸、富士川丸ヲ護衛シ「トラック」ニ向ケ二八日出港ノ豫定|無電』
  102. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.90『二七(天候略)(略)玉波〇六〇〇「パラオ」発|24dg(海風、涼風)「ラバウル」着揚搭作業終了一五三〇発/玉波八二八三船団(鶴見)東亜丸 富士山丸ヲ護衛「トラック」ニ向ケ「パラオ」発』
  103. ^ a b c d #S18.06二水戦日誌(3)pp.9-10『(7)玉波 東亞丸、富士山丸、鶴見ヲ護衛二日「トラツク」着十日BB電令作第二號ニ依リ「トラツク」發東亜丸護衛夕刻護衛ヲ止メ分離セル處東亞丸被雷撃ニ依リ反轉潜蕩十一日吾妻丸ニ合同「トラツク」歸着十八日 日榮丸護衛「ブラウン」ニ向ケ「トラツク」發二十一日「ブラウン」着二十三日KDB前衛ニ編入「ブラウン」發二十五日「トラツク」歸着二十九日隼鷹ヲ護衛呉ニ向ケ「トラツク」發』
  104. ^ #S18.06二水戦日誌(3)pp.87-88『二(天候略)一三三〇玉波「トラツク」着|玉波 東亜丸 富士山丸、 鶴見ヲ護衛「トラック」着(以下略)』
  105. ^ #S18.06二水戦日誌(2)pp.3-4『(イ)一般(二)能代ノ2Sd編入(旗艦豫定)及長良ノ8F編入豫定ニ關聯長良ハ急速内地ニ囘航修理ノ事トナリ九日「トラツク」發十四日呉着 十五日附能代2Sd編入ニ依リ同日旗艦變更』
  106. ^ #S18.06二水戦日誌(2)p.43『一五日〇九一五(2Sd司令官)2Sd機密第一五〇九一五番電 旗艦ヲ能代ニ變更ス|無電』
  107. ^ #S18.06二水戦日誌(3)p.90〔昭和18年9月10日項目〕
  108. ^ #S18.06二水戦日誌(3)p.36『一〇日一八四五玉波(宛略)玉波機密第一〇一八四五番電 一.一七四五東亞丸地點(N五度三分E一四九度五七分)ニ於テ雷撃(三)ヲ受クルモ被害ナシ/二.我右地點附近近海面ヲ掃蕩中|無電』
  109. ^ #S18.06二水戦日誌(3)p.13『(四)麾下艦船部隊ノ行動』(昭和18年9月)
  110. ^ a b 戦史叢書(62)399頁『機動部隊のトラック出港と米機来襲前の哨戒』(註、原本の編編成に記載されている江風は、前月のベラ湾夜戦に沈没しているので除外)
  111. ^ a b c 日本水雷戦史301-303頁『機動部隊のブラウン出撃』
  112. ^ a b 日本空母戦史503-505頁『ブラウン島へ出撃(九月)』(註、原本の江風は8月6日に沈没しているので除外)
  113. ^ #S18.06二水戦日誌(3)pp.92-93〔昭和18年9月18日項目〕
  114. ^ 戦史叢書(62)401-402頁『丙作戦第二法警戒発動と機動部隊のブラウン入泊待機』
  115. ^ #S18.06二水戦日誌(3)p.93『二一(天候略)玉波〇四四〇「ブラウン」着/凉風〇八〇〇発/島風〇四一五「トラツク」発|玉波、日榮丸ヲ護衛「ブラウン」着/涼風 哨艦トシテ礁外ニ出動、哨戒実施対潜掃蕩/島風 沖鷹大鷹護衛横須賀ニ向ケ「トラツク」発/長波不用物件陸揚』
  116. ^ #S17.09第三戦隊日誌(4)p.11→p.8『(二)經過(略)(4)十七日出撃準備ヲ完成シ十八日二一三〇PT出撃東正面ニ備ヘツヽ訓練ノ爲PBニ向ヘルモ敵機動歩合「ギルバード」諸島ニ來襲セル爲訓練ヲ中止シ二十日一四四〇PBニ入泊待機セリ 爾後同地ニ在リテ対潜対空警戒ヲ嚴ニシツヽ敵ノ動静ヲ官吏シツヽ傍ラ訓練ニ努メタルガ敵撃退サレシ爲二寿三日〇九〇〇PB出撃PTニ廻航セリ』
  117. ^ a b #S17.12第五戦隊日誌(2)p.48『(四)十八日遊撃部隊ハ聯合機動部隊トシテ第三艦隊長官ノ指揮ヲ受ケ「トラツク」發東方邀撃兼訓練ノ目的ヲ以テ「ブラウン」ニ進出中十九日敵機動部隊「ギルバート」方面来襲アリ「GF丙作戰第二法警戒」發令セラレ聯合機動部隊ハ二十日「ブラウン」ニ入泊警戒待機セルモ二十二日右警戒ヲ解カレ二十三日「ブラウン」發洋上諸訓練ヲ實施シツツ二十五日「トラツク」着』
  118. ^ #S18.06二水戦日誌(3)p.63『二一日 機動部隊前衛(宛略)機動部隊前衛信令第六號 前衛ノ直衛驅逐艦配分左ノ通改ム 一、二十四驅逐隊 玉波(三戰隊)/二、十六驅逐隊(四戰隊)|信號』
  119. ^ a b 戦史叢書(62)402頁『丙作戦第二法警戒の解除と機動部隊等のトラック帰着』
  120. ^ #S17.09第三戦隊日誌(4)p.8『(5)PT廻航中対潜警戒ヲ嚴ニツヽ航空戰教練、主砲偏彈射撃夜戰訓練、黎明戰訓練ヲ實施 二十五日一四四〇PTニ入泊セリ』
  121. ^ 写真日本の軍艦第4巻p.42、落合康夫「航空母艦『隼鷹』行動年表」
  122. ^ #S18.06二水戦日誌(3)p.82『二九日〇五〇〇 隼鷹(宛略)隼鷹機密第二九〇九〇〇番電  隼鷹 木曾 玉波 呉/多摩 徳山ニ向ケ「トラツク」發』
  123. ^ #S18.06二水戦日誌(3)p.96『二九(天候略)玉波〇五三〇「トラツク」発(略)玉波 隼鷹 木曽 多摩ノ対潜警戒任務ニ從事』
  124. ^ #S18.06呉防戦日誌(7)p.12〔護衛概要〕『三|隼鷹|第一特掃〔二水丸 恒春丸〕十徳豊丸 七玉丸 大井丸 多摩丸|入泊航路上|對潜特別蕩』
  125. ^ #S18.06二水戦日誌(4)p.19『四日一五三〇 隼鷹(宛略)隼鷹機密第〇四一五三〇番電 隼鷹 木曾 多摩 玉波内海西部着』
  126. ^ #S18.06呉防戦日誌(7)p.15〔掃蕩概要〕『三|第一特別掃蕩隊〔二水丸 恒春丸〕七玉丸 多摩丸 大井丸|艦隊航路上沖ノ島ヨリ五〇浬往復 都井岬九〇度三十浬ヨリ深島迄|隼鷹 木曾 多摩 玉波 入泊掩護』
  127. ^ #S18.06呉防戦日誌(7)p.22『一日一七三一 呉防戰司令官|一日一八五〇 豊後防備部隊 伯空司令〔宿毛空司令 鹿屋空司令 呉鎭長官 隼鷹木曽多摩}艦長〕|呉防戰機密第〇一一七三一番電 電令作第三五六號 一.隼鷹 木曽 多摩 玉波 三日一八〇〇北緯三〇度三七分東経一三六度五〇分 四日〇六〇〇北緯三三度一八分東経一三二度三九分経由〇七三〇沖ノ島入泊(以下略)』
  128. ^ #S18.06二水戦日誌(4)p.21『五日〇八〇〇 隼鷹(宛略)隼鷹機密第〇五〇八〇〇番電 隼鷹 木曾 玉波呉着』
  129. ^ a b #S18.06二水戦日誌(4)p.8『(4)第三十二驅逐隊(早波涼波藤波)内海西部ニ在リテ待機整備(出撃準備)十二日宇品ニ回航丁三號輸送部隊ニ編入十三日佐伯ニ回航十五日回航十五日同發二十日「トラツク」着陸軍甲支隊ヲ移載(以下略)/玉波 一日附三二驅ニ編入 隼鷹???ヲ護衛四日内海西部五日呉着十三日呉出撃佐伯ニ囘航海十四日隼鷹雲鷹ヲ護衛同發十九日「トラツク」着爾後「トラツク」ニ在リテ待機』
  130. ^ 昭和18年8月21日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1196号 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092600 
  131. ^ #S18.06二水戦日誌(4)p.4『(イ)一般(略)一日附玉波32驅ヘ 五月雨27驅ヘ編入セラル』
  132. ^ 日本空母戦史527頁
  133. ^ #S18.06呉防戦日誌(7)pp.38-39『十三日〇七一〇 呉防戰司令官|十三日〇八〇五 豊後防備部隊 伯空司令〔隼鷹 雲鷹 7dg司令 呉鎭長官 宿毛空司令 50Sf司令官〕|呉防戰機密第一三〇七一〇番電 電令作第三六三號 一.艦隊〔空母二隻、駆逐艦一隻〕十四日〇八〇〇深島出撃尓後航路概ネ一四〇度速力二四節(以下略)』
  134. ^ #S18.06二水戦日誌(4)p.79『一四(天候略)(略)玉波〇六五三佐伯發|玉波隼鷹雲鷹護衛「トラツク」ニ向ケ佐伯発』
  135. ^ #S18.06二水戦日誌(4)p.42『一四日〇六一五 隼鷹(宛略)隼鷹機密第一五〇六一五番電  隼鷹 雲鷹 曙 玉波「トラック」ニ向ケ佐伯出撃』
  136. ^ #S18.06呉防戦日誌(7)pp.38-39『十三日〇七一〇 呉防戰司令官|十三日〇八〇五 豊後防備部隊 伯空司令〔隼鷹 雲鷹 7dg司令 呉鎭長官 宿毛空司令 50Sf司令官〕|呉防戰機密第一三〇七一〇番電 電令作第三六三號 一.艦隊〔空母二隻、駆逐艦一隻〕十四日〇八〇〇深島出撃尓後航路概ネ一四〇度速力二四節(以下略)』
  137. ^ #S18.06二水戦日誌(4)p.54『一九日一二一五隼鷹(宛略)隼鷹機密第一九一二一五番電 隼鷹 雲鷹 玉波 曙 天津風「トラツク」着|無電』
  138. ^ #S18.06二水戦日誌(4)p.80『一九(天候略)(略)玉波一二一五「トラツク」着|(略)玉波隼鷹雲鷹ヲ護衛「トラツク」着』
  139. ^ #S18.06二水戦日誌(4)p.12『(四)麾下艦船部隊ノ行動』(昭和18年10月)
  140. ^ 戦史叢書(96)382頁『連合軍のタロキナ上陸とわが航空攻撃』
  141. ^ 戦史叢書(96)396-397頁『栗田部隊のラバウル進出の決定』
  142. ^ 戦史叢書(96)397-399頁『ラバウル進出と逆上陸計画との絡み合い』
  143. ^ 戦史叢書(96)399-400頁『米空母機による第一次被空襲と被害―十一月五日』
  144. ^ a b 戦史叢書(96)400-401頁『重巡部隊のトラック帰投』
  145. ^ 摩耶(学研M文庫2002)192-193頁
  146. ^ #S18.06二水戦日誌(5)p.45『八日1325(司令官)7SYB(宛略)7S機密第081325番電 7S(熊野欠)島風玉波ヲ率ヰ「トラツク」着』
  147. ^ a b c 写真日本の軍艦6巻36-37頁〔重巡洋艦『高雄・愛宕』行動年表 ◇高雄◇〕
  148. ^ 写真日本の軍艦6巻37頁〔重巡洋艦『高雄・愛宕』行動年表 ◇愛宕◇〕
  149. ^ a b c d #S18.06二水戦日誌(5)p.11『玉波 五日「ラバウル」對空戰闘迄32驅(早波、藤波)ニ同ジ同日夕刻4S 7S等ノ警戒艦トシテ「ラバウル」發八日「トラツク」着 十一日翔鶴、愛宕、高雄ヲ護衛「トラツク」發十五日横須賀着待機整備 二十六日島風ト共ニ翔鶴ヲ護衛横須賀發』
  150. ^ a b c #S18.06二水戦日誌(5)p.14『島風 日章丸、日榮丸船團ヲ護衛一日「トラツク」着二日同「トラツク」發途中敵機ト交戰日章丸被弾、日榮丸ヲ護衛先行五日「ラバウル」着夕刻4S 7S等ヲ護衛「ラバウル」發途中敵潜ト戰闘八日「トラツク」着 十一日高雄、愛宕、翔鶴ヲ護衛「トラツク」發 十五日横須賀着補給修理等實施二十六日玉波ト共ニ翔鶴ヲ護衛横須賀發』
  151. ^ #S18.06二水戦日誌(6)p.9『一五日一一三二翔鶴(宛略)翔鶴機密第一五一一三二番電 翔鶴、高雄、愛宕、玉波、島風ヲ率ヰ横須賀着|無電』
  152. ^ 戦史叢書(96)414-415頁『邀撃空戦と艦艇の被害』
  153. ^ #S18.06二水戦日誌(5)p.7『(3)下旬(中略)島風、玉波ハ翔鶴ヲ護衛二十六日横須賀發』
  154. ^ #S18.06二水戦日誌(6)p.22『二六日〇九〇〇翔鶴(宛略)翔鶴機密第二六〇九〇〇番電 翔鶴、玉波、島風、「トラツク」ニ向ケ横須賀發|無電』
  155. ^ 武藏(2009上)225-226頁
  156. ^ a b 戦史叢書(62)513-514頁『内南洋方面航空部隊の解隊と42ABのテニアン転進』
  157. ^ #18.12十戦隊日誌(1)p.15『翔鶴機密第〇一一六一〇番電 翔鶴、千歳、玉波、島風、秋月、谷風「トラツク」着|無電』
  158. ^ a b #S18.12二水戦日誌(1)p.14『(3)32dg(早波行動略) (玉波)島風ト共ニ翔鶴護衛一日「トラツク」着/十一日護衛ヲ哨戒艇ニ引續ギ十二日 日榮丸船団ニ合同護衛/七日島風ト共ニ富士山丸船団護衛「トラツク」發/十四日「トラツク」着/十六日YB電令第一七號ニ依リ修理ノ爲最上ト共ニ「トラツク」発/二十一日呉着待機修理ニ從事』
  159. ^ a b #S18.12二水戦日誌(1)pp.16-17『(6)島風 十五日迄玉波ニ同ジ「トラック」ニ在リテ待機中/十八日健洋丸船團ヲ護衛「トラック」発二十一日護衛ヲ(早波)ニ引續ギ二十三日「トラック」着/二十六日YB電令作第四四號ニ依リ藤波ト交代「サイパン」方面派遣駆逐艦トナル/二十九日鶴見護衛「サイパン」ニ向ケ「トラック」発』
  160. ^ #S18.12二水戦日誌(1)p.19『(四)麾下艦船部隊ノ行動』(昭和18年12月)
  161. ^ a b 戦史叢書(62)『付表五、中部太平洋方面主要航路における護衛(その2)』『トラック発パラオ行「7」船団』
  162. ^ #S17.04二海護日誌(5)p.55『七(天候略)一.玉波、島風二隻 七〇七二船団(富士山丸、神国丸)ヲ護衛〇四三〇パラオニ向ケトラック發(以下略)』
  163. ^ #S18.12二水戦日誌(1)p.27『六日玉波(宛略)玉波、島風第七〇七二船団(冨士山丸、神國丸)護衛ノ爲明七日〇六〇〇北水道出撃ノ豫艇|無電』
  164. ^ #S18.12二水戦日誌(1)p.65『七(天候略)玉波、島風〇四四〇「トラック」発/満潮一二〇一横須賀着/藤波〇五四五「サイパン」着|玉波島風 富士山丸 神國丸護衛「パラオ」ニ向ケ「トラック」発/藤波七五五基地員物件輸送任務終了』
  165. ^ #S17.04二海護日誌(5)p.59『一一(天候略)(略)三.玉波 島風一一〇〇 七〇七二船団護衛ヲ止メ日業丸・旭東丸・照川丸ニ合同 同船団ヲ護衛トラックニ向フ(以下略)』
  166. ^ a b #S18.12二水戦日誌(1)p.66『十一(天候略)(略)玉波島風一一〇〇船團護衛ヲ哨戒艇ニ申継 日榮丸船団ニ向フ』
  167. ^ #S1809第102号哨戒艇(3)p.24〔一、作戰経過概要〕『一一|スラバヤ|(天候略)|戰備作業』
  168. ^ #S1809第102号哨戒艇(3)p.25〔一、作戰経過概要〕『二〇(天候略)〇七〇〇出港 神國丸護衛(バリックパパン~ア-ルバン間)一七一〇入港|山水丸間接護衛』
  169. ^ #S18.12二水戦日誌(1)p.67『十二(天候略)(略)玉波、島風一〇四〇船団(日榮丸、旭東丸、照川丸)ニ合同護衛任務ニ就ク』
  170. ^ #S17.04二海護日誌(5)p.62『一五(天候略)(略)三.玉波 島風二隻 日榮丸 旭東丸 照川丸ヲ護衛一七三〇トラック着(以下略)』
  171. ^ a b #S18.12二水戦日誌(1)p.68『十五(天候略)(略)玉波 島風一七一〇「トラツク」着|(略)玉波島風 船団(日榮丸 旭東丸 照川丸)護衛「トラツク」着|浜波 二水戰ニ編入 32dgニ編入サル』
  172. ^ #S18.12二水戦日誌(1)p.7『(2)中旬(中略)玉波、島風又32dg(早波)ト連繋「パラオ」「トラツク」間護衛ニ從事中 玉波ハ十六日以降修理ノ爲内地ニ向ケ発(以下略)』
  173. ^ #S18.12二水戦日誌(1)p.34『一三日二〇二五(指揮官)YB(宛略)YB電令第一四號 位置.玉波ハ十六日頃「トラツク」発舞鶴ニ回航入渠修理ニ從事スベシ/二.右回航中最上艦長ノ指揮ヲ承ケ同艦ノ警戒ニ任ズベシ』
  174. ^ a b 戦史叢書(62)483-484頁『第二十四航空戦隊のマーシャル進出』
  175. ^ #S18.09一水戦日誌(3)p.8『二.九驅(霞)ハ前月末二四航戰司令官ノ指揮ヲ受ケ二八一空ノ輸送ニ協力中GF電令作第二一八號北方部隊信令第四四〇號一水戰機密第一四〇六三〇番電ニ依リ最上艦長ノ指揮ヲ受ケ一六日以降同艦ノ護送ニ任ジタル後二一日同任務ヲ終リ水雷部隊ニ復帰ス』
  176. ^ #S18.12二水戦日誌(1)p.47『二一日一一五〇最上(宛略)最上、玉波、呉着』
  177. ^ #S1809一水戦日誌(3)p.40『二二(天候略)一.〇八三〇 九駆(霞)舞鶴着/二.〇九三〇21dgハ2sfヲ護衛「トラック」着』
  178. ^ #S18.12呉防戦日誌(1)p.44『二十日二〇〇五 呉防戰司令官|二十日二三四〇 三十四掃司令 伯司令 伯空司令〔最上 玉波 霞 呉鎭(長官)〕|呉防戰機密第二〇二〇〇五番電 電令作第一三八號 最上二十一日一五〇〇豊後水道西口着ノ予定(以下略)』
  179. ^ #S18.12二水戦日誌(1)p27『六日玉波(宛略)玉波、島風第七〇七二船団(冨士山丸、神國丸)護衛ノ爲明七日〇六〇〇北水道出撃ノ豫定|無電』
  180. ^ a b c d e f g h i 戦史叢書(12)〔付表第一〕『聯合艦隊主要艦艇行動表(昭和十九年一月一日~六月二十五日)』〔玉波〕
  181. ^ a b c #S18.12二水戦日誌(3)p.11『玉波 前月ニ引続キ呉ニテ修理整備中/十七日出撃準備完成/十九日呉発徳山着/二十五日徳山発/二十六日横須賀着/二十九日瑞鳳千代田高雄護衛横須賀発』
  182. ^ #S18.09一水戦日誌(4)p.21、#S18.12二水戦日誌(3)p.44『十三日(長官)GF|十三日二〇三〇神鷹(長官)GKF(長官)2F(長官)3KF(司令官1sd)|GF機密第一三一五三〇番電 GF電令作第八九五號 神鷹艦長ハ薄雲 玉波ヲ併セ指揮シ一月二十日頃呉發電令作第八七〇號ニ依ル任務ニ従事スベシ』
  183. ^ #海護総司令部(1)p.36『二一(略)一三〇〇海鷹(電、響)昭南着/神鷹徳山發呉ニ回航』
  184. ^ #S18.09一水戦日誌(4)p.27、#S18.12二水戦日誌(3)p.62『二十一日神鷹(宛略)一一〇〇徳山沖發一七三〇呉着ノ予定玉波ハ徳山薄雲ハ桂島沖ニテ待機』
  185. ^ #S18.09一水戦日誌(4)p.29『9dg機密第二二一四三五番電 GF電令作第九〇八號関聯 薄雲、桂島泊地ニ於テ合同ス 薄雲ハ電波探信儀残工事ヲ呉工廠ニテ直ニ着手セシム(所要日数約十日)』
  186. ^ a b c 日本空母戦史579-580頁『トラック島、壊滅(昭和十九年二月十七日)』
  187. ^ #S18.12高雄日誌(1)p.30『29(天候略)一〇〇〇出港 瑞鳳艦長ノ指揮ヲ受ケ、トラックニ向フ』
  188. ^ a b c #S18.12高雄日誌(2)p.1『一、經過(イ)經過概要 一月二十九日一〇〇〇瑞鳳千代田部隊(指揮官瑞鳳艦長)ニ加入横須賀発P.T.ニ囘航ノ途次YB電令作ニ依リ雲鷹ノ警戒ニ任ズルコトトナリ三十日〇九〇〇解列 二月一日〇九五三雲鷹(潮、曙、初霜、皐月護衛)ニ合同ス(以下略)』
  189. ^ 戦史叢書(12)〔付表第一〕『聯合艦隊主要艦艇行動表(昭和十九年一月一日~六月二十五日)』〔初春〕
  190. ^ #S18.12高雄日誌(1)p.38『二十七日 瑞鳳|二十七日|瑞鳳機密第一回號ノ一〇〇 瑞鳳、千代田、高雄、二十一駆(初春、若葉)玉波ハ本職之ヲ率ヒ一月二十九日横須賀発左ニ依リ「トラツク」ニ回航ス(以下略)』
  191. ^ #S18.12高雄日誌(2)p.4『一月二十九日一〇〇〇(略)瑞鳳、千代田、高雄、初春、若葉、玉波、P.Tニ向ケ横須賀発(指揮官瑞鳳艦長)』
  192. ^ a b #S18.12高雄日誌(2)pp.31-32『自19-1-29 至19-2-7 雲鷹警戒任務行動圖(軍艦高雄)』
  193. ^ #S18.12高雄日誌(1)p.30『30(天候略)〇九〇〇 玉波ヲ率ヒ雲鷹ノ警戒ノ爲分離行動』
  194. ^ a b #S18.12高雄日誌(1)p.39『三十日 瑞鳳|三十日〇八五二 艦|一.高雄ハ今ヨリ聯合艦隊電令作第九三〇號ニ應ズル如ク行動スベシ/二.玉波ハ高雄艦長ノ指揮ヲ受ケ行動シ雲鷹ニ合同後「トラツク」ニ進出スベシ(以下略)』
  195. ^ #S18.12高雄日誌(2)p.5『一月三十一日一四〇〇|本|玉波|テ|一四〇〇列ヲ解キ原隊ニ復歸セヨ|玉波解列 反転 雲鷹ニ会合不能ナリシタメ』
  196. ^ #S18.12高雄日誌(2)p.5『二月一日〇九五三(略)雲鷹ト合同(潮、曙、初霜、皐月護衛)』
  197. ^ a b c #S18.12二水戦日誌(4)p.9『(3)32dg(早波行動略)玉波 瑞鳳 千代田ヲ護衛三日「トラツク」着/十日満潮 白露ト共ニ武藏等ヲ護衛「トラツク」発/十三日主隊ト分離十五日呉着機銃増備及電探工事ニ從事 右工事終了後引続キ内海西部ニ在リテ諸訓練ニ從事セリ』
  198. ^ #S18.12二水戦日誌(4)p.44『三(天候略)27dg(時雨春雨)一〇五八「バリツクパパン」発/島風〇七三〇「トラツク」着/玉波一三五五「トラツク」着/白露〇七三〇「トラツク」着|27dg(時雨春雨)富士山丸 天城山丸 神國丸ヲ護衛「バリツクパパン」発/島風 白露対潜掃蕩ヲ止メ「トラツク」着/玉波瑞鳳千代田ヲ護衛「トラツク」着』
  199. ^ 武藏(2009上)264頁
  200. ^ a b 戦史叢書(12)31-32頁『聯合艦隊主力(水上部隊)の概況』
  201. ^ #S18.12二水戦日誌(4)p.45(昭和19年2月10日記事)
  202. ^ 高松宮日記7巻279頁『聯合艦隊(一一-一〇三〇)主隊(「武蔵」「大淀」、第二十四駆逐隊(「満潮」)、「白露」)、二-一〇トラック発、一五-一三三〇横須賀着予定。母艦部隊(「瑞鳳」「千代田」、第二駆逐隊(「若竹」「初春」)、「玉波」)内海西部ニ回航。』(註、若竹は若竹型駆逐艦。若葉は初春型駆逐艦)
  203. ^ a b #S18.12二水戦日誌(4)p.8『(2)24dg(海風行動略)満潮 船團護衛一日「トラツク」着同日司令駆逐艦ヲ海風ヨリ変更/六日 不時着機救難ノ爲「トラツク」発翌七日一〇五五命ニ依リ捜索ヲ止メ八日「トラツク」歸着/九日YB警戒隊ヨリ除カレGF主隊ニ編入セラル/十日 玉波、白露ト共ニ武藏 瑞鳳 千代田 大淀ヲ護衛「トラツク」発十五日横須賀着(以下略)』
  204. ^ a b #S18.12二水戦日誌(4)pp.11-12『(4)27dg(時雨春雨行動略)白露 一日YB命令ニ依リ島風ニ合同海風ノ救難対潜制圧ニ任ズ 二日島風爆雷攻撃ヲ爲スモ効果不明/三日「トラツク」歸着/九日満潮ト共ニYB警戒隊ヨリ除カレGF主隊ニ編入セラル/十日武蔵 千代田 瑞鳳 大淀ヲ護衛「トラツク」発/十五日横須賀着/二十四日満潮ト共ニ武藏護衛横須賀発/二十九日「パラオ」着爾後「パラオ」ニ在リテ待機』
  205. ^ a b #S18.12二水戦日誌(4)p.26『一五日一七四〇(21dg司令)(宛略)21dg機密第一五一七四〇番電 若葉、初春、玉波 呉着|無電』
  206. ^ #S18.12呉防戦日誌(3)pp.17-18『十一日一五一三 呉防戰司令官|十一日一九五〇豊後防備部隊 佐空(司令) 九三一空(司令) 呉鎭(長官) 千代田 瑞鳳 若葉 初霜 玉波|呉防戰機密第一一一五一三番電 電令作第四五一號 瑞鳳 千代田 二十一駆(若葉 初霜初春のあやまり)玉波十五日一一〇〇頃豊後水道進入ノ豫定(以下略)』
  207. ^ #S18.12二水戦日誌(4)p.46『十三(天候略)31dg(朝霜)一五〇〇呉発|玉波一五〇〇主隊ト分離呉ニ向フ(以下略)』
  208. ^ #S18.12二水戦日誌(4)p.5『(2)中旬(略)24dg(満潮)白露 玉波(途中分離呉ヘ)武藏ヲ護衛十五日横須賀着(以下略)』
  209. ^ #S18.12二水戦日誌(4)pp.46(昭和19年2月15日記事)
  210. ^ 日本空母戦史580頁では、瑞鳳・千代田が横須賀帰投と記載
  211. ^ #S18.12呉防戦日誌(3)p.30『一五(天候略)一.瑞鳳 千代田 21dg豊後水道北上(以下略)』
  212. ^ #S18.12二水戦日誌(4)p.7『待機修理訓練 横須賀 能代 五月雨/呉 長波 玉波』
  213. ^ 戦史叢書(12)144頁『一 護衛艦艇の増強(三月の状況)』
  214. ^ #海護総司令部(2)p.10『(ロ)「カロリン」「マリアナ」方面艦船並ニ對潜作戰強化ノ爲左ノ通指導對策ヲトレリ (一)大海指第三四五號ニ依リ第十一水雷戰隊(驅逐隊、驅逐艦缺)ヲ 及聯合艦隊電令作第九六七號ニヨリ三十一驅逐隊(岸波、沖波、朝霜)玉波、野分、卯月、夕凪、測天ヲ内南洋方面緊急輸送期間中作戰ニ關シ海上護衛司令長官ノ指揮下ニ入レラレ横鎭長官ノ指揮下ニ入ル(以下略)』
  215. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(3)p.26『附圖第一(昭和十九年三月十三日)位置八丈島ノ247°40浬 針路200°』
  216. ^ 野分物語(文庫)182-183頁
  217. ^ #S19.03.01-03.14経過概要p.43〔19-3〕『13|0330|松二号船団八丈島SW40′ニ於テ敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク|内地|龍田(11sd/1F)航行不能 國陽丸(4667)沈没 仝船団ハ航路変更警戒南下中 横鎭部隊ハ艦艇及fノ全力ヲ擧ゲテ右ノ警戒掃蕩救難ニ協力中』
  218. ^ #S19.03.01-03.14経過概要p.45〔19-3〕『13| |龍田救難作業|11sd/1F|横鎭ヨリ艦艇6 館山八丈島ヨリ(飛行機)}急行 救難敵(潜水艦)掃蕩ノ手配ヲナス 龍田、前部及後部機械室浸水1600沈没、人員救助状況詳細不明』・『13|1115|八丈島航空機基地foハ竜田ノN8′附近海面ニ敵(潜水艦)ノ油紋ラシキモノ發見|内地|爆撃(25番2)撃沈セル模様』・『13| |東松二号船団部隊指揮官 将旗ヲ野分ニ移揚 船団ニ進及、仝船団ハ目下ノ處無事南下中| | 』
  219. ^ a b 高松宮日記7巻340-341頁『○「龍田」(一三-〇三五五)国洋丸沈没ス(一三-〇六五〇)将旗一時「野分」ニ移揚ス。「龍田」曳航ヲ要ス。(一六〇〇)「龍田」沈没セリ、後部機械室ニ命中一、浸水(以下略)』
  220. ^ #S1812十一水戦日誌(2)p.35『一三日一五〇一横鎮(長官)|十三日一七一〇横防戰(司令官)竜田玉波夕張卯月哨四六(横防横空 駆潜五四 二號海防艦)機密第一三一五〇一番電 玉波一一三〇横須賀出撃 夕張哨四六 一四〇〇伊良湖水道通航何レモ龍田ニ急行中 龍田ノ位置改メテ関係各部ニ知ラサレ度』
  221. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(3)pp.35-36『十三日一六〇〇 平戸(宛略)機密第一三一六〇〇番電 発龍田艦長 竜田沈没セリ|無電』
  222. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(2)p.37『十三日一八二五 横防戰(司令官)(宛略)機密第一三一五三〇番電 電令作第三五號 一.甲救難部隊ノ龍田救助竝ニ警戒ニ關スル任務ヲ解ク/玉波ハ平戸 卯月ヨリ遭難者ヲ移乗セシメ横須賀ニ回航スベシ 尚現状着艦艇ノ適宜ヲ以テ護衛ニ任ズベシ(以下略)|無電』
  223. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(2)p.39『十三日二二四五|十四日〇八三〇 11sd司令官(横鎭長官)|機密第一三二二四五番電 竜田乗員ヲ玉波ニ移乗船団ニ追及ス|無電』
  224. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(3)p.53『一三日二〇〇一玉波|一四日〇九一〇 横鎮(長官) KEg司令部〔野分〕|機密一三二〇〇一番電 遭難者二七四名(内准士官以上十名卯月ヨリ移乗完了 横須賀ニ向ケ現地發明十四日〇六〇〇着ノ豫定|無電』
  225. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(2)p.39『十三日二〇三二 横鎭(長官)|十四日〇七三五 乙直接護衛部隊 卯月 平戸(野分、玉波、第二海防艦)|機密第一三二〇三二番電 機密横鎭電令作第二〇三號/一.卯月 敵情ヲ得サレバ敵潜掃蕩ヲ中止原隊ニ追及復帰スベシ/二.平戸ハ遭難者ヲ横須賀ニ上陸セシメタル後原任務ニ復帰スベシ』
  226. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(2)p.51『十九日一七一〇平戸(宛略)機密第一九一七一〇番電 二水戰機密第一九一四〇三番電返 本艦横鎭機密第一四一四三二番電ニ依リ丙直接護衛部隊編入 東松三號船団護衛ノ爲横須賀待機中|無電』
  227. ^ #海護総司令部(2)p.12『(ハ)右護衛要領ニ依リ左記計畫ニ依リ輸送ヲ實施セリ 松一號船團(三月五日東京灣發)/松二號船團(三月十一日東京灣發)/松三號船團(三月二十二日東京灣發)/松三號特船團(三月二十日東京灣發)』
  228. ^ 海上護衛戦(戦史叢書)586頁『四 内地ニ於テ漸ク修理成リタル夕張ヲ旗艦トシテ使用サレタル為司令部トシテハ如何ニシテ無事ニ作戦地ニ到着セシムルカニ苦労セリ、斯クノ如キ状態ノ軍艦ヲ護衛艦ニ使用スルハ一考ノ要アリ』
  229. ^ #海護総司令部(2)p.26『東松船團運航實蹟表(往航)(三月中)』
  230. ^ a b c d e 戦史叢書(12)147-148頁『東松三号船団』
  231. ^ 海上護衛戦(戦史叢書)585頁『第五十四号駆潜艇行方不明ノ状況』
  232. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(4)p.31『二五日一三〇〇玉波(宛略)機密第二五一三〇〇番電 一三〇〇内海西部ニ向ケ横須賀発|無電』
  233. ^ #S18.12十一水戦隊日誌(4)p.31『二五日一三〇〇玉波(宛略)機密第二五一三〇〇番電 一三〇〇内海西部ニ向ケ横須賀発|無電』
  234. ^ 野分物語(文庫)191-192頁
  235. ^ #S18.12十一水戦日誌(4)p.57『四日一五〇一(長官)1KdF(宛略)機密第〇四一五〇一番電 発第一機動艦隊長官 第一機動艦隊電令作第一四號第三項ニ依ル駆逐艦ヲ第四駆逐隊 時雨 玉波 早霜 秋霜ト定ム』
  236. ^ #S1812十戦隊日誌(6)pp.4-5『(ロ)第四駆逐隊(満潮野分山雲)(略)十一日2sf3sf武藏ノ警戒ニ任ジツヽ「タウイタウイ」ニ向ケ同地発十二日中城湾ニ仮泊燃料補給ノ上即日同地発十六日「タウイタウイ」着…』
  237. ^ 武藏(2009上)353-354頁(護衛に長波を記載するが、同艦は呉で修理中)
  238. ^ a b 日本空母戦史606-607頁『第二、第三航空戦隊、内地出港(五月十一日)』
  239. ^ 戦史叢書(12)373頁『作戦準備』
  240. ^ 武藏(2009上)356-357頁
  241. ^ a b c 日本空母戦史610-612頁『飛行訓練できず(五月末)』
  242. ^ 戦史叢書(12)376-377頁『母艦飛行機隊の練度』
  243. ^ 日本水雷戦史448頁『水無月』
  244. ^ 日本水雷戦史448-449頁『早波、のどぶえ攻撃に倒る』
  245. ^ #内令(秘)昭和19年8月(3)p.10『内令第九四一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年八月十日 海軍大臣 第十七驅逐隊ノ項中「谷風、」ヲ削ル 第二十二驅逐隊ノ項中「水無月、」ヲ削ル 第二十七驅逐隊ノ項中「白露、」及「、春雨」ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「松風、」ヲ削ル 第三十二驅逐隊ノ項中「早波、」ヲ削ル』
  246. ^ 昭和20年1月2日(発令昭和19年6月7日付)海軍辞令公報(甲)第1683号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102800 
  247. ^ 海軍少将折田常雄外九名叙位の件 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.A12090526900 
  248. ^ 昭和19年10月28日(発令6月7日付)海軍辞令公報(甲)第1630号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101700 
  249. ^ 昭和19年7月8日(土)海軍公報(部内限)第4734号 p.32」 アジア歴史資料センター Ref.C12070479600 『○司令驅逐艦變更 第三十二驅逐隊司令ハ六月七日司令驅逐艦ヲ玉波ニ變更セリ』
  250. ^ a b c d 昭和19年6月21日(発令6月15日付)海軍辞令公報甲(部内限)第1517号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099600 
  251. ^ 戦史叢書(12)393-394頁『駆逐艦問題』
  252. ^ 日本水雷戦史446-447頁『タウイタウイでの出血』
  253. ^ #淵田,奥宮(1992)470-471頁(「あ号作戦」参加兵力一覧)より前衛(第二艦隊)
  254. ^ #サイパン・レイテ海戦記46頁
  255. ^ #摩耶(学研M)218-219頁
  256. ^ #淵田,奥宮(1992)428-430頁
  257. ^ #サイパン・レイテ海戦記67頁
  258. ^ 木俣『日本戦艦戦史』401ページ
  259. ^ 戦史叢書(37)374-375頁『内海西部帰投』
  260. ^ 戦史叢書(12)〔付表第一〕『聯合艦隊主要艦艇行動表(昭和十九年一月一日~六月二十五日)』〔藤波〕
  261. ^ a b #S1906旭東丸日誌(1)pp.15-16『六月二十三日二〇五七 三二駆逐隊司令(宛略)KdB機密第二三〇二三〇番電ニ関聯 一.第三二dg(玉波藤波)二十三日一二三〇NSB発二十五日一九三〇MM着ノ予定尓後ノ行動改メテ報告ス/二.MMニ於ケル補給量一〇〇〇噸(両艦分)』-『32dg機密第二六一〇三二番電 KdB機密第二三〇二三〇番電ニ関聯 一.當隊(玉波藤波)昨二十五日一九三〇MM着/二.本二十六日一〇〇〇ESニ向ケMM發二十九日一二三〇ES海峡東端着ノ予定』
  262. ^ #S1906旭東丸日誌(2)p.9『二(天候略)一六五五 北上 玉波 藤波護衛ヲ受ケ マニラ ニ向ケ昭南発、一九〇〇艦内哨戒第三配備対潜警戒トス 一九五八 北上 三十二駆逐隊(玉波藤波)ト合同』
  263. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.8『二(天候略)一.(司令官)青葉鬼怒十九駆(浦波)昭南入港/二.北上「マニラ」ニ向ケ昭南発/三.敷波「バリックパパン」ニ向ケ「タラカン」発』
  264. ^ 戦史叢書(37)382頁『遊撃部隊主隊』
  265. ^ #S1906旭東丸日誌(2)p.4『一.経過 七月一日燃料満載ノ上昭南発マニラ経由呉ニ回航同日十七日呉着同月十八日於「新宮」燃料陸揚同月二十二日工廠甲錨地ニテ兵装々備及船体機関ノ修理ニ着手』
  266. ^ 日本軽巡戦史408-409頁『北上も被雷す(一月)』
  267. ^ 『(旭東丸)戦時日誌』C08030644700, pp.27
  268. ^ a b 「SS-261, USS MINGO」p.119
  269. ^ a b 「SS-261, USS MINGO」p.119,120
  270. ^ a b 「SS-261, USS MINGO」p.122,123
  271. ^ a b #S1906旭東丸日誌(2)p.10『七(天候略)〇二〇〇玉波分離反転〇二一〇爆雷投射始ム〇三一五玉波ノ位置ニ火焔爆煙ヲ上ルヲ見ル〇三二〇藤波反転玉波ノ現場ニ向フ 〇六〇〇船内哨戒第一配備トナス 〇六一一藤波合同一二〇〇藤波護衛ヲ止メ』
  272. ^ 昭和19年11月6日(発令7月7日付)海軍辞令公報(甲)第1638号 p.33青木(戦死昇進)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101800 
  273. ^ a b 昭和19年12月24日(発令7月7日付)海軍辞令公報(甲)第1660号 p.45(千本木戦死昇進)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102100 
  274. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.9『七(天候略)三.北上「マニラ」着|爾後北上入渠整備』
  275. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.3『(イ)経過概要(略)北上ハ昭南ニ於ケル應急修理ヲ一應完了シ二日内地ニ向ケ昭南ヲ出発セシモ途中浸水ノ爲七日「マニラ」ニ寄港以後同地ニ於テ再ビ應急修理ニ從事中ナリ』
  276. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.3『(ハ)麾下艦船部隊ノ行動(七月)第十六戰隊』
  277. ^ #S1906旭東丸日誌(2)p.18『八|マニラ|三十一根|藤波 響 夕凪通報|藤波、響、夕凪ハ旭東丸ニ横付補給サレタシ』
  278. ^ #S1906旭東丸日誌(2)pp.10-11『十(天候略)〇六二五速吸旭東丸ハ響藤波夕凪ノ護衛ヲ受ケ呉ニ向ケ マニラ發〇八一四速吸故障復旧假泊一四一六速吸故障復旧假泊発(以下略)』
  279. ^ #S1906旭東丸日誌(2)pp.19-20
  280. ^ #内令昭和19年9月(2)p.25『内令第一〇六五號 艦艇類別等級別表左ノ通改正ス 昭和十九年九月十日海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等球磨型ノ項中「、大井」ヲ削ル|驅逐艦、一等峯風型ノ項中「、帆風」ヲ、同初雪型ノ項中「薄雲、」ヲ、夕雲型ノ項中「、玉波」ヲ削ル(以下略)』
  281. ^ #内令昭和19年9月(2)pp.25-26『内令第一〇六〇號  呉鎮守府在籍 軍艦 大井 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 帆風/呉鎮守府在籍 驅逐艦 薄雲/舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 玉波 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 伊號第五潜水艦、伊號第六潜水艦/佐世保鎮守府在籍 伊號第百六十六潜水艦 右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第一號輸送艦 右帝國輸送艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第二十五掃海艇 右帝國掃海艦艇籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第五十號駆潜艇/佐世保鎮守府在籍 第十六號駆潜艇 右帝國驅潜艇籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 敷設艦 猿島/佐世保鎮守府在籍 敷設艦 測天 右帝國敷設艦籍ヨリ除カル|昭和十九年九月十日 海軍大臣』
  282. ^ #内令昭和19年9月(2)p.23『内令第一〇五六號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年九月十日海軍大臣|第十八驅逐隊ノ項中「薄雲、」ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「玉波、」ヲ削ル』

関連項目