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|名称 = 屋島
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2016年8月24日 (水) 14:43時点における版

屋島
サンポート高松のシンボルタワー(ホール棟の屋上広場)より
標高 南嶺292.0(北嶺282) m
所在地 香川県高松市屋島東町・屋島中町・屋島西町・高松町
位置 北緯34度21分20.5秒 東経134度6分16.7秒 / 北緯34.355694度 東経134.104639度 / 34.355694; 134.104639 (屋島)座標: 北緯34度21分20.5秒 東経134度6分16.7秒 / 北緯34.355694度 東経134.104639度 / 34.355694; 134.104639 (屋島)
山系 独立峰
種類 メサ(台地の地形)
屋島の位置(日本内)
屋島
屋島の位置
プロジェクト 山
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屋島(やしま)は、四国香川県高松市の東北に位置する南北に長い、台地の地形の独立峰[1]

概要

屋島の名称は屋根のような形状に由来し、その独特の山容は、高松市のシンボルになっている[注 1][2]。また、いにしえからの海外交流・交易海路のランドマークで、海路に面した要衝であった。

山上に多島海が眺められる展望景観を有し、1934年(昭和9年)3月16日に国立公園[3]として初の[注 2]瀬戸内海国立公園[4]に指定された。当初の指定範囲は屋島を含む備讃瀬戸の一帯である。

島内に重層の遺跡を有し、まれな台地であることから[注 3]、1934年(昭和9年)11月10日に「屋島」の名称で、国の史跡および天然記念物に指定された[5][6][7]。指定範囲は両者とも相引川以北の全域と、その地先の100メートルの海面区域である[5]

白村江の戦いの後に屋嶋城が築かれ、山上の全域が城とされている。また、南嶺山上には唐僧の鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺がある。さらに、東岸の入江の一帯は源平合戦(治承・寿永の乱)の屋島古戦場である[8]。その他、長崎ノ鼻(ながさきのはな)古墳[注 4]・北嶺山上に千間堂(せんげんどう)跡[注 5]・屋島経塚・長崎ノ鼻砲台跡などがある[6]

屋島の山頂は平坦で、四周は急崖で囲まれたメサの標式的なものである。また、山頂近くの登山道沿いの通称「畳石」は、板状節理の露頭である[8]。その他、屋島礫層と通称「雪の庭」と呼ばれる白色凝灰岩が南嶺山上に分布する[7]

ドライブウェイの通じた南嶺山上は、香川県を代表する観光地の一つとして開発されているが、北嶺山上は良好な自然公園である。両者は細い尾根で接続され、各々周回した歩行者専用の探勝遊歩道と、南北嶺を縦走できる登山道が整備されている[注 6][9]

いにしえの屋島は字義どおり島であったが、江戸時代の塩田開発と後の埋め立てにともない、陸続きのようになる。東岸と西岸の埋立地は住宅地・市街地に改変され、国の史跡および天然記念物の指定地内に多くの人が集住している。

島々への拠点港を有する新市街地、サンポート高松ウォータフロントからの屋島の遠望は、ハワイダイヤモンドヘッドに似た、シンボル性のあるランドマークである[10]

地形

北方海上から望む

屋島は南北5キロメートル・東西3キロメートルのである[11]。南嶺の標高は292.0m[12]・北嶺の標高は282m、山頂は平坦で、その端は急崖で囲まれたメサである[13]。両者は細い尾根で接続されている。

屋島の基盤岩は花崗岩で、火山活動の溶岩などがを埋めた後に土地が隆起したとされている。その後、長期にわたる浸食・削剥作用に対して、硬質の讃岐岩質安山岩(サヌキトイド)がキャップロックとなり残った台地の地形[注 7]である[1][14]

島を隔てていた塩田跡は埋め立てられ、かっての海峡である相引川(幅5-10メートル)には多くの橋が架かって、現在では屋島を島[11]と認識することは困難である。法定区分上では、屋島は高松市を形成する四国本島の扱いである。

歴史

屋嶋城の城門遺構
談古嶺から古戦場跡を望む

山麓では、浦生の鵜羽神社境内遺跡で弥生時代後期に土器製塩が開始され、古墳時代中期に築かれた長崎ノ鼻古墳に至る。山上では、弥生時代中期の高地性集落の痕跡があり、飛鳥時代の屋嶋城の築城に至る[1]

663年白村江の戦いの大敗の後、中大兄皇子(天智天皇)が、新羅の侵攻に備え、対馬~九州の北部~瀬戸内海~大和に至る要衝に、様々な防御施設を築いたことが『日本書紀』に記述されている。天智天皇6年(667年)の条に、「築 倭國高安城 讃吉國山田郡屋嶋城 対馬國金田城」と記述され、古代山城屋嶋城が築かれた。しかし、山上に遺構が見あたらず、実体のない幻の城であった。1998年、南嶺山上の石塁の発見を契機に城門跡が発掘され、山上の城の存在が明確になった[15]

古刹の屋島寺は、南面山千光院と号する仏教寺院で、前身は北嶺の山岳寺院、千間堂跡にあったとされる。寺伝では、空海が南嶺に伽藍を移したという。鎌倉時代は盛衰を繰り返し、江戸時代初期の勧進により再興する。その後、藩主の生駒氏・松平氏の庇護を受け整備された[1]。また、屋島寺本堂・木造千手観音坐像・梵鐘は、国指定の重要文化財である[16]

屋島は源平合戦の摂津一ノ谷の戦いに破れた平氏が、安徳天皇を奉じて根拠としており、翌年の1185年(元暦2年2月)に起こった、讃岐屋島の戦いの古戦場である。平家物語他、この戦いで源氏方の那須与一が平氏方の軍船に掲げられた、の的を射落としたエピソードなどが知られる[17]

観光

屋島寺と祭事風景
獅子ノ霊厳から北西を望む
談古嶺から小豆島方面を望む
遊鶴亭(北嶺北端)から望む

四季を通して観光客・四国霊場巡礼者・登山客が訪れる屋島は、県下の小・中学生の学習場所として活用され、県民も散策や登山などを楽しむ。

山上は南嶺と北嶺ゾーンに区分できる。南嶺には、四国八十八ケ所霊場第84番札所の屋島寺、蓑山大明神、屋島寺宝物館、新屋島水族館がある。また、屋嶋城の城門遺構の復元と見学路などが整備され、2016年3月19日より、一般公開されている[18][19]

南嶺の獅子ノ霊巌(ししのれいがん)からは、高松市街・五色台瀬戸大橋・琴平山(象頭山)、談古嶺(だんこれい)からは、源平合戦の屋島古戦場・五剣山、北嶺北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)からは、多島海が眺望でき、三大展望所とされている。また、夕夜景の展望景観は、「日本の夕陽百選[20]」・「日本夜景遺産[21]」・「夜景100選[22]」に選定されている。

南北嶺の山上は歩行者専用の探勝遊歩道が周回し、北嶺北端の遊鶴亭に加え、南嶺南端の冠ケ嶽で讃岐平野と阿讃の山並を楽しむ散策者もいる。また、岡山県鷲羽山などの山並みと、兵庫県の南西部の山並みに加え、淡路島も遠望できる。さらに、晩秋から冬季は、剣山明石海峡大橋も視野に入る。そして、 談古嶺では、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地で、四国本島最北端の庵治町は眼下に、映画「二十四の瞳八日目の蝉」のロケ地の小豆島も一望できる。

日本三名狸屋島ノ太三郎(やしまのたさぶろう)狸は、蓑山大明神として屋島寺の境内に祀られている。一夫一婦の契も固く、家庭円満・縁結びの神とされている[23]井上ひさし著の小説『腹鼓記』の屋島ノ禿狸や、アニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』の太三郎禿狸として知られる。     

名物は、「いいだこおでんかわらけ投げ」などがある。

屋島ドライブウエイは、南嶺東斜面を縦走する。山上に近いヘアピンカーブのトンネルを貫け、西斜面に出て駐車場に至る。東斜面には二か所の展望所があり、中腹には下っているように見える不思議な上り坂がある[24][25]。また、このドライブウェイは「日本風景街道[26]」の「源平ロマン街道[27]」に指定され、屋島山上~海沿いの庵治半島~道の駅「源平の里むれ」を結ぶ風景街道である。

屋島ドライブウエイの料金所の手前の山側には、祭神が徳川家康松平頼重の屋島神社(讃岐東照宮)と、四国民家博物館(四国村)が隣接して存在する[17]

東岸の入江(屋島湾)と、入江を囲む屋島東町・牟礼町庵治町・屋島の南に隣接した高松町が、源平合戦の屋島古戦場である。歴史と数々のエピソードを有する平家物語他が織り成す史跡が点在する。

香川県は、屋島を筆頭とするメサと、飯野山(讃岐富士)を筆頭とするビュート状の小山が混在し、特異な景観を有する[28]。この様子は、屋島山上からも展望できる。

屋島は、瀬戸大橋の開通時の賑わいを最後に観光客が激減した。みやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖された後、廃屋が林立する状況に至った。2011年、大西秀人市長は屋島の活性化を宣言し、屋島活性化基本構想・屋島活性化推進計画を策定した。その後、廃屋撤去跡の整備他、種々の活性化策が展開されている[2]

その他

  • 屋島の国有林は、四国の「レクリエーションの森の風景林」に指定されている[29]
  • 四国百名山」に「屋島」として選定されている。
  • 新日本観光地百選」や「日本二十五勝」などに「屋島」として選定されている。
  • 遊歩百選」に「屋島」として選定されている。
  • 美しい日本の歩きたくなるみち500選」に「源平合戦史跡を巡るみち」として選定されている。
  • 山麓には、うどんの「わら屋」・骨付き鳥の「一鶴」・「やしま第一健康ランド」などがある。
  • 髙松市のシンボル屋島は、市庁舎の入口正面壁画と、市議会議場の正面どん帳に描かれている。また、市内の多くの小・中学校や高校の校歌の歌詞に採用されている[30]
  • 屋島は当初、国の「名勝」として指定が検討されていた。しかし、屋島を含む備讃瀬戸が日本初の国立公園に指定されたため、名勝的価値は国立公園に委ねられた[31]

アクセス

山上へは、屋島山上行きシャトルバス・タクシーの利用、または自動車で有料道路の屋島ドライブウエイを利用、あるいは徒歩の方法がある。シャトルバス・タクシーの利用は、JR高徳線屋島駅または高松琴平電気鉄道(琴電)志度線琴電屋島駅が最寄駅となる。山上は南嶺の駐車場を除いて歩行者天国、自転車・自動車の走行は許可申請を要する。徒歩の場合は、琴電潟元駅・琴電屋島駅またはJR屋島駅で下車、屋島小学校の前を通り、歩行者専用の屋島登山道(参道・遍路道・四国の道・県道)を登る。かつては屋島ケーブルがあったが、2004年に廃止された。

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 遠望の屋島を東西からは舟底形・南方からは切妻形の屋根、山麓の南からは屋島富士にたとえる例もある。
  2. ^ 雲仙国立公園および霧島国立公園と同時指定。
  3. ^ 屋島礫層の発見後は「屋島のメサを溶岩台地と呼ぶのは適切ではない」とされている。
  4. ^ 5世紀初頭の全長45メートルの前方後円墳で、石棺は阿蘇溶結凝灰岩製である。
  5. ^ 屋島寺の前身の仏堂跡(礎石建物)で、基壇から多口瓶が3個体出土している。
  6. ^ 香川県は「瀬戸内海国立公園 屋島案内図」の説明板を、山上の遊歩道と山麓の要所に設置している。
  7. ^ 卓状およびテーブル状とたとえる例もある。

出典

  1. ^ a b c d 高松市歴史資料館 編『屋島―シンボリックな大地に刻まれた歴史―』、高松市、2014年、2・8・12・16・25・27頁。
  2. ^ a b 屋島の活性化 - 高松市
  3. ^ 国立公園 - 環境省
  4. ^ 瀬戸内海国立公園 - 環境省
  5. ^ a b 昭和9年11月10日文部省告示第275号(参照:国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ a b 史跡「屋島」- 高松市
  7. ^ a b 天然記念物「屋島」- 高松市
  8. ^ a b 屋島 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  9. ^ 高松勤労者山の会『香川県の山』、山と渓谷社、2010年、30頁。
  10. ^ 座談会/屋島活性化に必要なこと。四国新聞、2013年11月1日閲覧。
  11. ^ a b 香川県のしまっぷ ー第六管区海上保安本部
  12. ^ 地図情報(電子国土基本図)・地名集日本2007(地名に関する情報) - 国土地理院
  13. ^ 讃岐ジオサイト(10)屋島 - 香川大学
  14. ^ 林 巍 監『里山に遊ぶ』、里山悠遊クラブ・自然探訪の会、2003年、84頁。
  15. ^ 高松市教育委員会 編集/発行『 史跡天然記念物屋島 高松市埋蔵文化財調査報告書 第62集』、2003年、63頁124頁。
  16. ^ 屋島 - 文化遺産オンライン文化庁
  17. ^ a b 香川県の歴史散歩編集委員会『香川県の歴史散歩』、山川出版社、2013年、41頁45頁。
  18. ^ 歴史ロマン「開門」。四国新聞、2016年3月19日閲覧。
  19. ^ 高松市教育委員会 編集/発行『高松市埋蔵文化財調査報告書 第172集 屋嶋城跡 ー城門遺構整備事業報告書ー』、2016年。
  20. ^ 高松市 -日本の夕陽百選選考委員会
  21. ^ 屋島獅子ノ霊巌 - 日本夜景遺産事務局
  22. ^ 夜景100選(香川県) - 新日本三大夜景・夜景100選事務局
  23. ^ 『蓑山大明神之屋島太三郎狸』の説明板による。
  24. ^ 上りの山側に『ミステリーゾーン』の表示板がある。
  25. ^ 坂道錯視 - 北岡明佳の錯視のページ
  26. ^ 日本風景街道 - 日本風景街道戦略会議
  27. ^ 源平ロマン街道 - 四国風景街道協議会
  28. ^ 木原溥幸 編『香川県の謎解き散歩』、新人物往来社、2012年、218頁。
  29. ^ 四国の「レクリエーションの森」 - 林野庁
  30. ^ 大山晃 著「屋島は高松市のシンボルか」『高松の校歌』、高松市図書館、2001年、4頁。
  31. ^ 高松市教育委員会・京都府公立大学法人 編集/発行『屋島名勝調査報告書』、2016年、報告書抄録。

参考文献

  • 高松市歴史資料館 編 『屋島―シンボリックな大地に刻まれた歴史―』、高松市、2014年。
  • 屋島風土記編纂委員会 編 『屋島風土記』、屋島文化協会、2010年。
  • 小野正敏 他 編 『歴史考古学大辞典』、吉川弘文館、2007年。ISBN 9784642014373

外部リンク