「望月成晃」の版間の差分
編集の要約なし |
m WP:BOTREQ: Category:東京都区部出身の人物新設に伴う貼り変え作業 |
||
155行目: | 155行目: | ||
[[Category:空手出身のプロレスラー]] |
[[Category:空手出身のプロレスラー]] |
||
[[Category:DRAGON GATE所属のプロレスラー]] |
[[Category:DRAGON GATE所属のプロレスラー]] |
||
[[Category:東京都出身の人物]] |
[[Category:東京都区部出身の人物]] |
||
[[Category:1970年生]] |
[[Category:1970年生]] |
||
[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
2016年6月8日 (水) 05:32時点における版
望月 成晃 | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム |
望月 成晃 B×Bマサ |
本名 | 望月 成晃 |
ニックネーム |
御大 魂の蹴撃王 最強 鉄人 |
身長 | 175cm |
体重 | 85kg |
誕生日 | 1970年1月17日(54歳) |
出身地 | 東京都江東区 |
所属 | DRAGON GATE |
スポーツ歴 |
空手 レスリング |
トレーナー | 北尾光司 |
デビュー | 1994年 |
望月 成晃(もちづき まさあき、1970年1月17日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都江東区出身。足立高等学校(現:足立学園高等学校)卒業。
得意の空手技を駆使したファイトで、レスラー人生で初めて所属しているDRAGON GATEのトップレスラーとして活躍中。
来歴
1994年1月21日、WAR・後楽園ホールでデビュー(本人のブログ「マサにモチヅキ」では「北尾道場(のちに武輝道場に改名)旗揚げ戦です。週プロの選手名鑑が間違えたんだよな(苦笑)。」と語っている)。対戦相手は後にタズとなる、ピート・タンジーロであった。この頃はまだ、岡村隆志・TARUとともに武輝道場の一員であった。その後もフリーランスとして格闘探偵団バトラーツ、みちのくプロレスなど10以上の団体で活動していた。
メキシコへ渡航せずフリーの身分のまま闘龍門参戦。しばらくは正規軍の一員として空手着で戦っていた。
団体での本格的なブレイクは2期生望月享(現:横須賀享)、神田裕之(引退、レフェリー兼本部長、2006年復帰)と結成したヒールユニット、「不完全決着推進委員会」なる組織を掲げた(会長は望月)「初代M2K」時代。後に河野圭一(元武輝道場。後チョコフレークK-ICHI)、ダークネス・ドラゴン(現K-ness.)、堀口元気が合流する。入場曲の「G.W.D」(thee michelle gun elephant)が会場に鳴り響く中、スカジャンを身にまとい、キックボードで入場、パウダー、ブルーボックスなどの凶器攻撃、乱入してバッドエンド、ノーコンテスト決着などその他反則行為などその後同団体のヒール行為を作り上げた。
EL NUMERO UNO 2001開催時には「両者リングアウト推進委員会」(略して両リン)なるものを掲げ、リーグ戦を全て黒星にするという行為にも出た(望月享だけうっかり勝ってしまいメンバー全員による両リンは失敗)。しかしEL NUMERO UNO 決勝トーナメントに敗者復活枠があり、それを勝ち抜いて決勝トーナメントに進出。決勝でも「体力回復を図る為」(本人談)両リンをきめ、再試合になったところを優勝した。表彰式では「今まで色んな団体を渡り歩いてきたけど、この団体が一番弱い」という発言を残し、CIMAとマグナムTOKYOを激昂させた。ちなみにEL NUMERO UNO 2002ではリーグ戦を普通に戦って全敗したが、やはり敗者復活枠から勝ち上がり、準優勝している。
2001年12月10日、CIMAとのカベジェラ・コントラ・カベジェラ・ランバージャックマッチにおいて、両リンを失敗し敗退。それを機に「完全決着推進」というスローガンを掲げるも、M2Kメンバーの反感を買い一匹狼になる。「負けたけど、きもちいいなあ!」などと「いい人発言」をするようになり、やがて正規軍入り。悪を蹴散らす正義のキャラクターとなるが、本人の中では常に外様意識からの疎外感があったようだ。2002年12月25日後楽園ホールでの大鷲透戦後、「この団体に正規軍はいらない」という発言を残して正規軍を解散。神田裕之の許可を取り、M2Kを再結成(通称新M2K、メンバーは新井健一郎、ドラゴン・キッド、セカンド土井、三島来夢)するも大きな成果はあげられなかった。 2003年、望月は不甲斐ない試合を続け、M2Kのメンバーに不信感を抱かせる。そしてリーダーを賭けた試合を新井健一郎と行い、敗退。「原点回帰」というキーワードを残して、M2Kを去った。原点回帰の内容は「初代M2Kの時にやり残したヒールの道を究める」というもので、「はぐれ軍団(仮)」と合流。「不甲斐ない試合を続けていたのはわざと」と暴露。「悪冠一色」というユニット名を付けヒールターンを図るが、「リーダーを作らない」というメンバーの方針に馴染めず、結局追放される。追放直後にK-ness.、新井健一郎らに頭を下げてベビーターン。「ファイナルM2K」のリーダーとして活動。OPEN THE DREAM GATE(ODG)二代目チャンピオンとなった。
2006年にバトラーツ参戦時にタッグを組んでいた稔のパートナーとして、武輝道場時代以来の新日本プロレス参戦が決定。それに先駆けて稔が新日本のリングで三角蹴り・ツイスターを、望月がDRAGON GATEのリングでミノルスペシャルを披露した。WAR FINALではIJ王座の防衛戦でセミ・ファイナルに登場。「これできっちり防衛してIJを封印する」と意気込み、かつての胴着で戦うもペンタゴン・ブラックに破れ王座陥落。試合後は胴着を脱ぎ捨て「メキシコでもどこでも追いかけていって、絶対に取り返す」と決意を語った。2006年11月23日に行われたタイトルマッチで勝利し王座を奪還、きっちりと有言を実行した。その後、WAR FINALでのタイトルマッチ前のコメント通り、IJシングルのベルトを封印。その後、マグナムTOKYO、ドン・フジイ、神田裕之とともにルネッサンスを結成。ファイナルM2Kのリーダーを横須賀享に譲り、自らを「御大」と称してファイナルM2Kから一歩引いた形で活動した。
2006年12月31日に開催された「インディー・サミット」に参戦。みちのくプロレスのフジタ"Jr"ハヤトとバトラーツルールで対戦し勝利。2007年4月13日IJタッグ(王者邪道・外道組)に神田裕之と組み挑戦、4月17日ODG王者獣神サンダー・ライガーに挑戦するが共に敗北。2007年8月2日、ZERO1-MAXに初参戦し、「天下一Jr.」への参戦を表明。また、因縁深い元悪冠一色の菅原拓也とタッグながら2年振りに対戦。9月からの「天下一Jr.」では決勝で田中将斗に敗北するも、ZERO1Jr.のトップ2である藤田ミノル、日高郁人を連破した。
2008年1月23日、ZERO1-MAX後楽園大会に参戦。インターナショナルジュニアヘビー級選手権試合で日高を破り、ベルトを奪取した。
大阪タッグフェスティバル(大阪プロレス)でドン・フジイと組み優勝、大阪タッグ王座を奪取した。
2011年4月14日、吉野正人とのオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦し勝利。団体では最年長での王者になった。 ユニット抗争が激しい団体内において、M2K以来無所属であったが解散したWORLD-1、KAMIKAZEをまとめて望月軍(仮)を結成。 その後はユニット名をJUNCTION THREEとし、リーダーとしてBlood Warriorsと2大軍団抗争を繰り広げている。
12月、2011年プロレス大賞敢闘賞を受賞。
2012年、Blood Warriorsを追放されたCIMAと和解し、帰ってきたベテラン軍として活動しており、主にドン・フジイとのタッグでオープン・ザ・ツインゲート王座も獲得。
また、永田裕志の自主興行にて秋山準と一日限りのアンチエイジングスを結成し、中邑真輔、オカダ・カズチカ、高橋裕二郎と対戦している。その後、11月から12月にかけて行われた新日本のWORLD TAG LEAGUEに永田と出場した。
2014年オープン・ザ・ドリームゲート選手権試合~望月成晃デビュー20周年記念試合~として吉野正人と勝負をするも敗北。
同月全日本プロレスに13年ぶりに参戦決定。Jr. BATTLE OF GLORYにエントリーされる。また東京愚連隊興行には定期的に参戦している。
得意技
蹴り技など空手技を中心に試合を組み立てる。いくつかの技は尊敬する高田延彦に由来する。
- 三角蹴り
- コーナーを駆け上がり、振り向きざまに体を捻らせながら後ろを向いている相手の延髄を蹴る技。この技がフィニッシュになったこともあるが、主にツイスターなどの決め技に繋ぐための技である。しかし、最近は相手の顔面を蹴る「顔面への三角蹴り」をフィニッシュ技として多用している。正式名称は「三角飛び延髄斬り」らしい。
- 二角蹴り
- セカンドロープに飛び移り、エプロンに立つ相手に向かってロープの反動を利用して蹴る技。シングルで使われることは非常に少なく、タッグ戦などでエプロンにいる相手を蹴散らすときに使われる。
- 一角蹴り
- コーナーのトップロープとセカンドロープの間に横に寝かせた状態で対角のコーナーから突進し、腹に膝蹴りをあびせる。
- ツイスター
- ブレーンバスターの体勢に抱え上げ、そのまま水平方向に体を一回転させてから垂直落下式に落とす技。フィニッシュ技として長く愛用している。使用にあたりリッキー・フジに電話で使用許可を得たところ、快くOKしてくれたと言う。
- ツイスター2
- ツイスター同様ブレーンバスターの体勢に抱え上げた後、旋回しつつみちのくドライバーIIの姿勢に持ち変えて落とす技。
- 裏ツイスター
- リバースブレーンバスターの体勢で抱え上げ、旋回させながら急角度でマットに叩きつける。YAMATO との抗争時、相手の得意技「ギャラリア」に対抗する奥の手として開発(初披露の際は、YAMATOに見せつけるように放った)。
- 最強ハイキック
- 渾身の力を込めて放つ左ハイキック。
- 真・最強ハイキック
- 最強ハイキックで仕留めきれなかった相手に繰り出す必殺の右ハイキック。相手は必ず前のめりに倒れ込む危険な技。
- わがままな膝小僧
- 髙田延彦が愛用していた右、左、右のキックコンボ。
- 最強逆十字
- 望月の使う腕ひしぎ逆十字固め。本人の尊敬する高田の逆十字をイメージしているらしい。
- マサ・スペシャル
- イリュージョンからの飛び付き式腕ひしぎ逆十字固め。
- スーパーケンカキック
- ランニング式ジャンピングケンカキック。その威力に相手が一回転してしまうこともある。
- イリュージョン
- 最強ハイキックが避けられた時、その勢いのまま繰り出す頭部への右後ろ回し蹴り。これが命中すると真・最強ハイキックが待っている。また、中邑真輔は「虎尾」の名称で使用している(中邑の場合は右ハイキックを交わされての左後ろ回し蹴り)。
- 武輝固め
- 相手がうつ伏せ状態で片腕をハンマーロックに固め、足を固定し、さらにもう片方の腕をステップオーバー・アームブリーカーの形で極める技。同じく武輝道場出身の川畑憲昭も使用していた。
- ラ・ケブラータ
- ごく稀に見せる技。
- 復帰クラッチ
- 外道クラッチと同型。右肩負傷からの復帰戦で使用したことから、この名称になった。
- サッカーボールキック
- 尻餅をついている相手の背中にサッカーボールを蹴るように思い切り蹴りつける技。空手出身のため、音が強烈で痛みが伝わりやすい。バリエーションとして相手にエプロンにリングに背を向けて座らせ、勢いをつけたところで蹴るサッカーボールキックも披露している。
- トペ・マサアキ
- 大一番で使用する技。リング内を1往復し、トップロープを右手で持ち、ジャンプして場外にいる相手に自分の体を浴びせる技。
- ドラゴン・スープレックス・ホールド
- とっておきの奥の手。本人は「さりげに必殺技」と言っている。
タイトル歴
- DRAGON GATE
- 第2代・第13代オープン・ザ・ドリームゲート王座(防衛回数は4回→6回)
- 第14代・第23代オープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座(パートナーはドン・フジイ)
- 第16代・第21代・第25代・第41代・第43代・第52代オープン・ザ・トライアングル・ゲート王座
- オープン・ザ・お笑いゲート王座
- IJタッグ王座(パートナーはドン・フジイ)
- 第12代IJ王座…2006年11月23日、タイトル獲得後に封印したが、2010年4月19日に開催された『天龍プロジェクト』にて王座が復活される事になり、3WAY王座決定戦を制し、再び王座に就いている。
- KING OF GATE 2006優勝
- インターナショナルジュニアヘビー級王座
- 東京愚連隊
- 第2代東京インターコンチネンタルタッグ王座(パートナーは佐藤光留)
- FULL IMPACT PRO
- FIP王座(防衛1回)
- WAR
- 第10代IJ王座…(防衛5回)
- 第5代IJタッグ王座…(パートナーは超電戦士バトレンジャー)
- 闘龍門JAPAN
- 英連邦ジュニアヘビー級王座
- EL NUMERO UNO 2001 優勝 2002 準優勝
- ZERO1-MAX
- インターナショナルジュニアヘビー級王座
- 大阪プロレス
- 第25代大阪プロレスタッグ王座(パートナーはドン・フジイ)
- プロレス大賞
- 敢闘賞(2011年)
入場曲
- 傷だらけの栄光/望月成晃(アニメ「あしたのジョー2」主題歌)
- 当初はおぼたけしのオリジナルバージョンを使用していたが、DRAGON GATE発足以降は自身がボーカルを務めたバージョンを使用している。
- G.W.D / thee michelle gun elephant(M2K時)
- FINAL STAGE
エピソード
- 人を驚かせることが好きらしく、なにかとサプライズ予告をする。その例としては「完全決着推進」のスローガンや悪冠一色入り等、度々ファンや関係者の度肝を抜くようなことをやる。また、ブログなどで他の選手の正体に関することを暴露することもある。
- プロレスリング・ノアの橋誠と顔が似ていることを以前から意識していたが、一切接点が無かった。2005年、天龍源一郎のセコンドとしてノア大会に初めて出向き、対面。望月自身も「やっぱり似てる」と感激していた。橋のパートナーである秋山準は、『こんな奴と顔が似てるなんて申し訳ない』と橋を無理矢理望月に向って土下座をさせた。2010年に望月が「生き別れの弟を連れてくる」と宣言し、ノアを退団した橋のDRAGON GATE参戦を発表、2月7日後楽園ホール大会で初めてタッグを組んだ、3月3日にはシングルマッチで対戦その後から橋に「兄貴」と呼ばれるようになった。
- ファイト・スタイルは荒々しい蹴り技を繰り出すが、解説や試合後のマイクは比較的に冷静である。
- 美食家であり、料理の腕前もかなりある。特にチャーハン、ペペロンチーノ、ロールキャベツはプロ級らしい。しかしなぜか、ファーストフードが大好きである。
- 年々、コスチュームが短くなっていく(道着→ロングパンツ→ショートタイツ)。レガースは蹴り足の背足部分のアンコを広く作ってある。
- 高校時代、自宅の部屋に長州力のポスターが飾ってあった。
- デビューする以前はホテルマンをやっていた。しかし、朝が早すぎる生活が辛過ぎて2~3ヶ月で辞めてしまった。
- 数ある団体にフリーで渡り歩いていた頃に、闘龍門にレギュラー参戦を決めた理由はCIMAのカリスマ性だとインタビューで語った。本人の口からは「CIMAを潰しとけばおいしい思いが味わえる」と述べている。
- 金網マッチの代理人になる際は空手の胴着を着用した「空手ロボ」となって登場する。
出演
Web
- 望月成晃インタビュー モッテコ書店 (2009年8月25日)
外部リンク
- マサにモチヅキ - オフィシャルブログ