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2016年6月8日 (水) 04:25時点における版
弘田 三枝子 | |
---|---|
出生名 | 高木 三枝子 |
生誕 | 1947年2月5日(77歳) |
出身地 | 日本・東京都世田谷区池尻 |
ジャンル | J-POP |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 | 1961年 - |
レーベル |
東芝音楽工業 日本コロムビア キングレコード |
公式サイト | 弘田三枝子オフィシャルブログ「ミコブロ」 |
弘田 三枝子(ひろた みえこ、本名:高木 三枝子、1947年2月5日 - )は、日本の歌手。愛称はMICO(ミコ)、ミコちゃん。
歌唱力とパンチの効いた歌声で、「ポップスの女王」ともいわれ、その歌唱力は当時「日本女性歌手史上最高の歌唱力」とも評されていた。
経歴
東京都世田谷区池尻出身。小学生時代の7歳から立川市などの進駐軍のキャンプでジャズやポピュラーなどを歌っていた。ハワイアンをやっていた兄からの助言と、童謡と英語を先生について習った。その当時同じ立川で同じように歌っていた少女が伊東ゆかりであり、弘田は「あの子はどんな歌手になるのだろう」と幼心に思ったとのちに語っている。
1961年に東芝音楽工業から、「子供ぢゃないの」(ヘレン・シャピロのカバー)でデビュー、14歳。翌年には各社競作で出された「ヴァケィション」(コニー・フランシスのカバー)が大ヒットを記録する。1964年10月に東芝音楽工業を退社し、日本コロムビアへ移籍する。
1965年7月には、日本人歌手として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場。カーメン・マクレエ、フランク・シナトラ、クインシー・ジョーンズ、カウント・ベイシーオーケストラ、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーン、ウェス・モンゴメリー、デューク・エリントンなど、当時のトップクラスのジャズミュージシャンが勢ぞろいした中、ビリー・テイラー・トリオをバックに歌い、3日目のトリという大役を務めた。一方1968年、自身初のリズム・アンド・ブルースのコンサートをサンケイホールにて開く。ジャズ、ポップスに続きR&Bという新たなジャンルをものにした。
1969年、「人形の家」で第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。また京都にてR&Bの2回目のコンサートを行う。
1970年には、「ミコのカロリーBOOK」を出版。当時は、まだこのようなダイエット本が珍しく、150万部を超える大ベストセラーになる。ファッションやビューティーにも関心を持ち1970年度のベストドレッサー賞を受賞している。独特のヘアスタイル、衣装、メイクで当時のファッションリーダー的存在であった。更に同年、「できごと」で、東京国際歌謡音楽祭(後の世界歌謡祭)の歌唱賞を受賞した。尚、この「できごと」は「喜劇 開運旅行」(松竹、1971年)の1シーンで本人出演により歌われている。
1973年には、ブルガリア音楽祭へ出場。1976年に、中野サンプラザでおよそ10年ぶりのリサイタル「Mieko in peason」を開いたことで話題になる。立ち見客が出るほどの反響ぶりで、この模様は後にLP盤で発売された。その後、アメリカ滞在中に結婚し愛娘を授かるが、すぐに離婚。幼い愛娘を連れて1980年に帰国する。
帰国後の私生活は実姉との同居生活が続いており、本業ではカムバック用のシングル盤「ミスターシャドー」が、古巣の東芝EMIから発売される。1983年にはキングレコードへ移籍し、2枚のシングル盤を発表するが、その後はディナーショーなどでの活動が中心となる。近年ではテレビ東京の懐メロ番組にも出演している。
2006年にレコードデビュー45周年を迎え、「弘田三枝子じゃずこれくしょん」CD8枚組BOXを発売、またジャマイカでSly & Robbieと初めてのレゲエを吹き込む。11月1日、22年ぶりの新曲「恋のクンビア21」をNY在住のDJ GOMIリミックスによりリリース。2007年には、「弘田三枝子じゃずこれくしょん」に新アルバムとしてボックス入りしていた「MICO JAZZING」が、東南アジア13カ国で発売された。
兄(物故)、姉、娘がいる。
代表曲
カヴァー曲
- 子供ぢゃないの(1961年11月、原曲はヘレン・シャピロのDon't Treat Me Like a Child)は、発売後ひと月で6万枚の売り上げを達成した。片面のカヴァー曲「悲しき片思い」(原曲は同じくヘレン・シャピロのYou Don't Know)もヒットした。
- ヴァケイション(1962年10月、原曲はコニー・フランシスのVacation、1962年紅白歌合戦出演曲)
- 悲しきハート(1963年7月、原曲はスーザン・シンガーのLock Your Heart Away 、1963年紅白歌合戦出演曲、最近[いつ?]ではザ・ヴィーナスもカヴァー)
- すてきな16歳(1962年2月、原曲はニール・セダカのHappy Birthday Sweet Sixteen)
- 伊東ゆかりとの競作
- 渚のデイト(1963年5月、原曲はコニー・フランシスのFollow The Boys)
- 砂に消えた涙(1964年12月、原曲はミーナ・マッツィーニのUn Buco Nella Sabbia)
- 伊東ゆかり、ザ・ピーナッツなど数名の歌手との競作。
- ナポリは恋人(1965年2月、原曲はジリオラ・チンクェッティのNapoli, Fortuna Mia)
- 伊東ゆかり、ザ・ピーナッツとの競作。
- 夕陽のなぎさ(1965年5月、原曲はブルース・ジョンストンのMaksha At Midnight)
- 夢みるシャンソン人形(1965年8月、原曲はフランス・ギャルのPoupée de Cire, Poupée de Son)
- 中尾ミエとの競作。
シングル曲
- 寝不足なの/ブルージン・ブルース(1962年6月)
- 明日をみつめて(1963年3月)
- ひとつぶの真珠(1964年8月)
- 砂に消えた涙(1964年12月20日/SAS-432-B)
- 恋のクンビア(1965年8月20日/JPS-12-A)
- 作詞:三浦康照/作曲:和田香苗/編曲:河村利夫
- 日本コロムビア創立55周年記念曲にして、昭和40年『第16回NHK紅白歌合戦』出場曲。
- 夢みる乙女(1966年6月20日/JPS-45-B)
- 世界の国からこんにちは(1967年3月5日/SAS-869-A)
- 渚のうわさ(1967年7月10日/P-1-A)
- 作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平
- 昭和42年『第18回NHK紅白歌合戦』出場曲。30万枚を記録し筒美京平の初ヒット作品となった。
- 枯葉のうわさ(1967年11月1日/P-3-A)
- 作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平
- 涙のドライヴ(1968年3月15日/P-10-A)
- 作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平
- 渚の天使(1968年7月1日/P-24-A)
- 作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平
- 可愛い嘘(1968年9月15日/P-37-A)
- 作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平
- 人形の家(1969年7月1日/P-65-A)
- 作詞:なかにし礼/作曲・編曲:川口真
- 昭和44年『第20回NHK紅白歌合戦』出場曲。
- 私が死んだら(1969年12月10日/P-79-A)
- 作詞:なかにし礼/作曲・編曲:川口真
- 初回版ジャケットのみ、上半身を露出したセミヌード写真を使用。
- 燃える手(1970年4月25日/P-89-A)
- 作詞:なかにし礼/作曲・編曲:筒美京平
- ロダンの肖像(1970年8月25日/P-97-A)
- 作詞:なかにし礼/作曲・編曲:川口真
- 昭和45年『第21回NHK紅白歌合戦』出場曲。
- できごと(1970年12月15日/P-108-A)
- バラの革命(1971年3月10日/P-114-A)
- 作詞:島田葉二/作曲:いずみたく/編曲:渋谷毅
- 昭和46年『第22回NHK紅白歌合戦』出場曲。
- 裏庭の出来事(1971年11月10日/P-150-A)
- 都会の女(1972年9月25日/P-182-A)
- 花の咲く朝(1973年4月10日/P-217-A)
- 蝶の雨(1974年4月1日/P-339-A)
- 作詞:なかにし礼/作曲・編曲:馬飼野康二
- 女の癖(1975年2月25日/P-392-A)
- 作詞:安井かずみ/作曲・編曲:川口真
- 絵空事(1976年5月1日/P-455-A)
- 川の向こうに(1977年1月1日/PK-39-A)
- マイ・メモリィ(1977年7月1日/PK-68-A)
- 『ドーベルマン刑事』のテーマ(1977年7月1日/PK-68-B)
- 作詞・作曲:弘田三枝子/編曲:鈴木宏昌
- 東映映画『ドーベルマン刑事』主題歌。
- ミスターシャドー(1980年9月5日/ETP-17010-A)
- 愛のNOKORIGA(1983年3月21日/K07S-389-A)
- O-KAY(1983年9月21日/K07S-478-A)
- 作詞・作曲:MICO/編曲:川口真
- サザンオールスターズのアルバム『綺麗』に収録されていた、「MICO」へのアンサーソング。
- パーフェクト・ワールド [A night at Organ b. MIX](2000年1月29日)
- ピチカート・ファイブとのコラボレーションで、当初は限定アナログボックスのみ収録だった。
- 恋のクンビア21(2006年11月1日)
オリジナルアルバム
- ヒット・キット・パレード(1962年2月/JPO-1150)モノラル
- ヒット・キット・パレード 第2集(1962年7月/JPO-1197)モノラル
- スタンダードを唄う(1963年3月/JPO-1288(モノラル)・JSP-3086(ステレオ))
- ヒット・キット・パレード 第3集(1963年4月/JPO-1285)モノラル
- 日本民謡を唄う(1963年11月/TR-5001(モノラル)・TP-5001(ステレオ))
- ヒット・アルバム(1963年11月/JLP-3005)モノラル
- ヒット・キット・ミコ 第1集(1965年3月20日/JPS-5029)
- ヒット・キット・ミコ 第2集(1965年10月20日/JPS-5067)
- ニューヨークのミコ(1966年1月20日/JPS-5072)
- ミコ・ミュージカルを唄う(1967年4月5日/JPS-5110)
- ポップス・デラックス・シリーズ(1968年2月10日/JDX-10)
- 弘田三枝子70~ポピュラー・ビッグ・ヒッツ(1970年2月10日/JPS-5203)
- ミコより愛をこめて(1971年7月25日/JDX-52)
- 弘田三枝子の世界(1972年6月25日/JDX-76)
- 愛の歌~弘田三枝子オリジナル・アルバム(1972年12月10日/JDX-92)
- JAZZ TIME~弘田三枝子ベスト・ジャズ・アルバム(1973年7月25日/NCB-7022)
- The Nearness Of You(1974年6月25日/JDX-7028)
- Good Old Days Forever(1974年9月25日/JDX-7036)
- イエスタデイ・ワンス・モア(1974年10月1日/4PX-9010)4chステレオ
- 愛のめぐり逢い(1975年5月25日/4PX-9024)4chステレオ
- 私の好きな唄~帰り来ぬ青春(1975年9月25日/JDX-7064)
- My Funny Valentine(1976年5月10日/SP-7008)
- IN MY FEELING(1977年3月25日/SP-7009)
- Step Across(1978年/25AH-555)
- MIEKO HIROTA 76/45(1980年/DOR-0086)
- TOUCH OF BREEZE(1983年3月21日/K28A-385(LP)・K35X-4(CD))
- TOKYO 27:00(1999年5月21日/COCP-50087(CD)・SCL-5019(LP))小西康陽、Fantastic Plastic Machineなど参加したミニアルバム。
ライヴアルバム
- 弘田三枝子リサイタル(1964年8月/TR-7004)モノラル
- ミコ・イン・コンサート(1966年9月10日/JPS-5093)
- 1966年3月17日・都市センターホールにて収録。
- ミコR&Bを歌う(1968年9月1日/JPS-5155)
- 1968年5月30日・サンケイホールにて収録。
- ミコR&Bを歌う 第2集(1969年11月25日/JPS-5192)
- 1969年7月16日・京都会館第1ホールにて収録。
- MIKO LIVE(1972年6月10日/QB-9018)4chステレオ
- 1971年12月・クラブ“リヴィエラ"にて収録。
- MIKO LIVE at RIVERA~ミコ・ライブ'73(1973年4月25日/JDX-99)
- 1972年12月22日・クラブ“リヴィエラ"にて収録。
- MIEKO IN PERSON~弘田三枝子リサイタル(1976年7月25日/PP-7007~8)
- 1976年5月11日・中野サンプラザにて収録。
サントラ
テレビテーマ曲
CM曲
- アスパラで生き抜こう(1962年、田辺製薬(現:田辺三菱製薬))
- アスパラでやり抜こう(1962年、田辺製薬(現:田辺三菱製薬))
- ネスカフェ43粒スプーンに一杯(1962年、ネスレ日本)
- 日石シルバーゴールドの歌(1962年、日本石油(現:JXエネルギー))
- ダイキンの歌(1962年、ダイキン工業)
- おでこにキッス(1963年、不二家ルックチョコレート)
- ワンサカ娘'64(1964年、レナウン)
- サッポロライト(1970年、サッポロビール)
映画テーマ曲
- マイメモリィ(1977年7月1日、ドーベルマン刑事)
- ドーベルマン刑事のテーマ(1977年7月1日、ドーベルマン刑事)
出演
テレビ番組
- 若さで行こう(日本テレビ)
- シャボン玉ミコちゃん(TBS)
- 花の番地(TBS)
- ただいま見習中 泣きベソ天使(フジテレビ)
- 泣いてたまるか(TBS) - 第7話
- おやじさん(テレビ朝日)
紅白歌合戦
- 「ヴァケーション」(1962年、第13回)
- 「悲しきハート」(1963年、第14回)
- 「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」(1964年、第15回)
- 「恋のクンビア」(1965年、第16回)
- 「渚のうわさ」(1967年、第18回)
- 「人形の家」(1969年、第20回)
- 「ロダンの肖像」(1970年、第21回)
- 「バラの革命」(1971年、第22回)
みんなのうた
- 「デビークロケットの歌」(1962)
- 「赤い河の谷間」(1963)
- 「バナナを食べる時の歌」(1963)
- 「ドロップスの歌」(1963)
- 「お江戸日本橋」(1963)
- 「A・A・B・C〜ア・ア・ビ・チ〜」(1965、合唱:ヴォーカル・ショップ)
- 「すてきな夢を」(1965、合唱:東京放送児童合唱団)
- 「学校へ行く道」(1966)
- 「お化けなんてないさ」(1966)
- 「ちびっこカウボーイ」(1966、合唱:ひばり児童合唱団)
- 「ママとゴーゴー」(1966、合唱:杉並児童合唱団)
- 「ジロマジトンド・ジロトンド」(1966、合唱:杉並児童合唱団)
- 「怪獣がやってくる」(1967、合唱:みすず児童合唱団)
- 「アマリリス」(1968、合唱:シンギングエンジェルス)
- 「ちゃっきり節」(1973、合唱:ザ・シャデラックス)
映画
- 魚河岸の旋風娘(1963年3月3日)
- 独立美人隊(1963年4月28日)
- 女弥次喜多 タッチ旅行(1963年7月13日)
- 栄光の黒豹(1969年12月17日)
- 華やかな女豹(1969年12月31日)
- 開運旅行(1971年3月3日)