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2016年6月8日 (水) 02:50時点における版
基本情報 | |
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本名 | 立嶋 篤史 |
通称 | キック界のカリスマ |
階級 | フェザー級 |
身長 | 173cm |
体重 | 57kg |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1971年12月28日(52歳) |
出身地 | 東京都豊島区 |
スタイル | ムエタイ |
立嶋 篤史(たてしま あつし、1971年12月28日 - )は、日本の男性キックボクサー、キックボクシングジム「ASSHI-PROJECT」主宰(経営者)。東京都豊島区出身。
1990年代前半に活躍。1993年にはライバル前田憲作にKO勝利するなど「立嶋ブーム」を巻き起こした。日本キックボクシング界最初の1千万円プレーヤーであり、カリスマと呼ばれた[1]。得意技は右ローキックと肘打ち。
人物
- 息子とともに暮らす。息子にはキックの英才教育を施している。
- 「キック界のカリスマ」という異名がある。非常に内向的な性格であり、悩み多く思いつめる性質である。
- 試合前の選手コール時には日本刀で居合い斬りのパフォーマンスをすることが恒例となっている。
- 入場には必ず黒い鉢巻をしている。
来歴
幼少の頃からいじめを受け、小学生の時に自殺を考えるも思いとどまり中学2年生でキックボクシングと出会う。
習志野ジムに練習生扱いとして所属、中学卒業後単身タイに渡りムエタイの修業をする。1987年8月、非公式ながらタイのランシット・インターナショナルボクシングスタジアムでデビューを果たした。
帰国後の1988年7月、16歳で後楽園ホールのリングに上がりKO勝ちで日本公式デビュー。
1989年に17歳で高校を再受験し合格、千葉工商高等学校(現・敬愛学園高等学校)に入学。 試合と試験日程が重なることがあり単位が不足して一度留年ののち、1993年に卒業。 高校在学中にフェザー級王座獲得や、清水・山崎とのフェザー級頂上決戦を制したことなどから、 「地上最強の高校生」としてマスコミから注目が集まり、格闘技と無縁な一般雑誌の表紙にも登場し話題となった。
1991年4月、全日本キックボクシング連盟フェザー級王座決定戦にて椿宗徳と対戦。2ラウンドTKO勝ちで初のタイトルを獲得(第11代全日本フェザー級王者)。
同年7月、WKAフェザー級王座決定戦にてビクター・ソリエル(プエルトリコ)と対戦。不慣れなWKAルールと、ソリエルの的確な強打のために一方的な展開となり、2ラウンドKO負け。王座獲得に失敗。
1992年3月、前・全日本フェザー級王者でWKAスーパーバンタム級王者の清水隆広と対戦。ローキックによる3ラウンドKO勝ちで、事実上の全日本フェザー級トップ選手となる。
同年5月、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟ライト級1位(同・前フェザー級王者)の山崎路晃(山崎通明)との団体対抗戦にも判定勝ち。
同年7月、全日本フェザー級タイトルマッチにて前田憲作と対戦。判定負けで王座防衛に失敗。
1993年11月、全日本フェザー級タイトルマッチにて王者・前田憲作と対戦。3ラウンドKO勝ちで王座に復帰(第13代全日本フェザー級王者)。
1994年7月、全日本フェザー級タイトルマッチにて佐藤孝也と対戦。2ラウンドKO負けで王座防衛失敗。
1995年7月、全日本フェザー級タイトルマッチにて王者・佐藤孝也と対戦。判定勝ちで王座に復帰(第15代全日本フェザー級王者)。
1996年3月、全日本フェザー級タイトルマッチにて鈴木秀明と対戦。判定負けで王座防衛に失敗。
1997年3月、全日本フェザー級王座決定トーナメント準決勝にて、佐久間晋哉と対戦。判定負け。谷山ジムに移籍し(13年後に同ジムが中核となったビッグバン実行委員会旗揚げ興行でEXで対戦の)土屋ジョーと同僚に。東京ドームで行われたK-1 JAPANフェザー級GP'97には全日本キック代表として出場期待されたが拒否。
1999年3月、全日本フェザー級王座決定トーナメント1回戦にて、高田英樹と対戦。5ラウンドKO勝ち。
同年6月、全日本フェザー級王座決定トーナメント準決勝にて、増田博正と対戦。判定負け。11月30日谷山ジムの全日本キック円満離脱に伴いRIKIジムに円満移籍。
2001年10月、全日本フェザー級タイトルマッチにて王者・杉上直之と対戦。2ラウンドKO負けで王座獲得に失敗。
2001年、長年所属した全日本キックボクシング連盟から離脱。以後はニュージャパンキックボクシング連盟、その後にはIKUSAに参戦。
2003年12月、自転車で練習に行く途中に交通事故に遭い全治11か月の重傷を負った[1]。
2009年9月20日、6年3か月ぶり37歳での復帰戦となった新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS 6」で小野智史と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた[2]。
2010年4月18日、新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS VII」で深津飛成と対戦し、TKO勝ちを収めた[3]。
2010年9月11日、新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS VIII」で田中義人と対戦し、0-3の判定負け。復帰後3戦目での初黒星となった[4]。
2011年1月23日、REBELS初参戦となったREBELS.6で梅原ユウジと対戦し、0-3の判定負けを喫した[5]。
経営するジム
キックボクシングジム「ASSHI-PROJECT」(アッシ・プロジェクト)を開き、後進を育てている。所在地は千葉県船橋市(京成本線船橋競馬場駅)である(2008年7月に当地に移転)。
エピソード
- 2006年10月2日、自宅1階に泥棒が入り、財布等を盗られるも、2階で物音に気付いた立嶋が後を追跡し、泥棒を取り押さえた。この事件がニュースに取り上げられ、久しぶりにメディアの前に姿を見せていた。
- 息子も9歳でキックボクシングの選手となり親子でテレビに出演した。
- 田村潔司(U-FILE CAMP主宰)、高橋ナオト(元プロボクサー)と親交がある。
- 名良橋晃(元サッカー日本代表)と幼馴染である。
- 魔裟斗が全日本キックボクシング連盟時代に「選手としても、人間的にも尊敬してる」とコメント。
- ダウンタウンのファンで「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」をビデオで録画していた。
- 反対にダウンタウンの松本人志も立嶋のファンで、著書の「遺書」「松本」で立嶋の試合の感想などを書いている。松本はダウンタウンDXの観覧席に立嶋を招待したことがある。
著書
- 自伝「ざまぁみろ!」 - 単行本版と文庫本版では内容が異なる。
- 自伝「死にぞこない」 - 前述の大怪我(交通事故)の前に発売された。
戦績
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
86 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
41 勝 | 27 | 14 | 0 | 6 | 0 | |
39 敗 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | 炎出丸 | 3R終了 判定0-3 | REBELS.38 | 2015年9月16日 |
× | 長崎秀哉 | 3R終了 判定0-3 | WPMF JAPAN × REBELS.35 | 2015年4月19日 |
○ | R-BLOOD マサキ DANGER GYM | 3R終了 判定2-1 | REBELS.28 | 2014年7月25日 |
× | 工藤政英 | 3R 1:36 KO | REBELS.26 ~the duel~ | 2014年4月20日 |
× | 下東悠馬 | 5R終了 判定0-3 | REBELS.23 | 2014年1月26日 |
× | NOWAY | 2R 1:03 TKO | REBELS.21 | 2013年10月20日 |
△ | YU-SUKE | 5R終了 判定1-0 | REBELS.17 | 2013年7月21日 |
△ | 下東悠馬 | 5R終了 判定0-1 | REBELS.15 | 2013年4月14日 |
× | 立澤敦史 | 5R終了 判定0-3 | REBELS.14 | 2013年1月27日 |
× | 駿太 | 5R終了 判定0-3 | Bigbang ~統一への道~ 其の十 | 2012年9月2日 |
○ | 津橋雅祥 | 5R 1:47 TKO | 蹴拳VI | 2012年5月20日 |
○ | 原島祐治 | 5R終了 判定3-0 | REBELS.9 | 2011年10月23日 |
× | 湊恭二郎 | 5R終了 判定0-2 | REBELS.8 × IT'S SHOWTIME JAPAN countdown-1 | 2011年7月18日 |
× | 内田雅之 | 4R 1:30 TKO(レフェリーストップ) | 新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS IX」 | 2011年4月17日 |
× | 梅原ユウジ | 5R終了 判定0-3 | REBELS.6 | 2011年1月23日 |
× | 田中義人 | 3R終了 判定0-3 | 新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS VIII」 | 2010年9月11日 |
○ | 深津飛成 | 3R 0:26 TKO(左頭部カット) | 新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS VII」 | 2010年4月18日 |
○ | 小野智史 | 3R終了 判定2-0 | 新日本キックボクシング協会「TITANS NEOS 6」 | 2009年9月20日 |
× | 萬田隼人 | 3R終了 判定0-3 | FUTURE FIGHTER IKUSA 3 〜特攻〜 BROKEN ARROW | 2003年6月8日 |
× | 大川直人 | 5R終了 判定1-2 | ニュージャパンキックボクシング連盟「VORTEX II 〜旋風〜」 | 2003年3月9日 |
× | 孫悟空丸山 | 4R 2:05 KO | ニュージャパンキックボクシング連盟「DREAM RUSH 6」 | 2002年9月8日 |
△ | 岩井伸洋 | 5R終了 判定0-1 | ニュージャパンキックボクシング連盟「DREAM RUSH 5」 | 2002年7月14日 |
○ | 清水力一 | 5R終了 判定3-0 | ニュージャパンキックボクシング連盟「DREAM RUSH 4」 | 2002年5月12日 |
× | 外山繁幸 | 5R終了 判定0-2 | ニュージャパンキックボクシング連盟「DREAM RUSH 2」 | 2002年3月3日 |
× | 杉上直之 | 2R 2:10 KO | 全日本キックボクシング連盟「GO AHEAD!」 | 2001年10月12日 |
× | 大月晴明 | 5R 1:10 KO | 全日本キックボクシング連盟「CROSS FIRE-II」 | 2001年4月6日 |
△ | グリッド・ギャッタワン | 5R終了 判定0-1 | 全日本キックボクシング連盟「DEAD OR ALIVE」 | 2000年12月22日 |
× | 遠藤慎介 | 5R終了 判定0-3 | 全日本キックボクシング連盟「LEGEND-VIII」 | 2000年9月13日 |
○ | 金炳助 | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「LEGEND-VI」 | 2000年6月20日 |
○ | 藤武蔵 | 5R終了 判定2-0 | 全日本キックボクシング連盟「LEGEND-IV」 | 2000年4月27日 |
○ | ネイル・パリー | 4R 1:21 KO | 全日本キックボクシング連盟「LEGEND-II」 | 2000年2月20日 |
○ | ジャック・ダニエル | 1R 2:34 KO | 全日本キックボクシング連盟「WAVE-XIII」 | 1999年11月22日 |
○ | 清水潤也 | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「WAVE-V」 | 1999年8月17日 |
× | 増田博正 | 5R終了 判定0-3 | J-NETWORK「KICK the KICK」 | 1999年6月1日 |
○ | 高田英樹 | 5R 2:59 TKO | 全日本キックボクシング連盟「WAVE-II」 | 1999年3月17日 |
× | 遠藤慎介 | 1R 0:51 KO | 全日本キックボクシング連盟「BURNING-VI」 | 1998年10月16日 |
× | 金沢久幸 | 2R 2:15 KO | 全日本キックボクシング連盟「BURNING-V」 | 1998年7月8日 |
× | グライガンワーン・オー・スィーブワローイ | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「BURNING-II」 | 1998年3月22日 |
○ | 梅下湧暉 | 4R 0:40 TKO | 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-IX」 | 1997年9月28日 |
× | 佐久間晋哉 | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-IV」 | 1997年3月23日 |
× | チャナサック・ニューイッサラー | 4R 0:45 KO | 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-I」 | 1997年1月31日 |
○ | フローレント・プリユー | 5R終了 判定 | キックボクシング30周年記念興行 | 1996年11月17日 |
○ | ゴーンサヤーム・シットニッタヤー | 4R 1:32 KO | 全日本キックボクシング連盟「KICK SPIRITS-VIII」 | 1996年9月29日 |
× | 鈴木秀明 | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「KICK SPIRITS-IV」 | 1996年3月24日 |
○ | カレッド・エビアップ | 2R 終了 KO | 全日本キックボクシング連盟「KICK SPIRITS-I」 | 1996年1月15日 |
○ | 延藤直樹 | 2R 2:38 KO | 全日本キックボクシング連盟「CHALENGER-XI」 | 1995年9月29日 |
○ | 佐藤孝也 | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「CHALENGER-IX」 | 1995年7月30日 |
× | ゴーンサヤーム・シットニッタヤー | 5R終了 判定 | チャンネル7・BBTVマッチ | 1995年6月4日 |
× | カレッド・エビアップ | 2R 1:26 TKO | 全日本キックボクシング連盟「CHALENGER-IV」 | 1995年3月18日 |
× | チャモアベット・チョーチャモアン | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「CHALENGER-I」 | 1995年1月7日 |
○ | パーペット・シットパポン | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「DESTINY-X」 | 1994年11月26日 |
× | 佐藤孝也 | 2R 2:24 KO | 全日本キックボクシング連盟「DESTINY-VII」 | 1994年7月30日 |
○ | ケリー・マックノウト | 2R 2:24 KO | 全日本キックボクシング連盟「DESTINY-V」 | 1994年5月20日 |
○ | マイケル・リューファット | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「DESTINY-IV」 | 1994年4月23日 |
○ | ファーピカート・ルークタップファー | 5R 1:25 KO | 全日本キックボクシング連盟「DESTINY-I」 | 1994年1月23日 |
○ | 前田憲作 | 3R 0:49 KO | 全日本キックボクシング連盟「EVOLUTION step-8」 | 1993年11月27日 |
○ | ペットンガン・ポーローイプラスート | 4R 1:41 KO | チャンネル9・TVマッチ | 1993年8月22日 |
× | ジョンパデットスック・ピサヌラチャン | 3R 1:50 KO | 全日本キックボクシング連盟「EVOLUTION step-3」 | 1993年5月22日 |
○ | 中島貴志 | 3R 1:33 KO | 全日本キックボクシング連盟「EVOLUTION step-2」 | 1993年3月27日 |
× | ピーマイ・オー・ユッタナゴン | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「One Truth 8th」 | 1992年11月21日 |
○ | カチュンカイ・サーハイシン | 5R 2:08 KO | 全日本キックボクシング連盟「One Truth 6th」 | 1992年9月26日 |
× | 前田憲作 | 5R終了 判定0-2 | 全日本キックボクシング連盟「One Truth 5th」 | 1992年7月18日 |
○ | 山崎路晃 | 5R終了 判定2-0 | 全日本キックボクシング連盟「One Truth 3rd」 | 1992年5月30日 |
○ | 清水隆広 | 3R 0:55 KO | 全日本キックボクシング連盟「One Truth 2nd」 | 1992年3月28日 |
△ | ダルーン・アユタナコーン | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「One Truth “一つの真実”」 | 1992年1月25日 |
○ | パーサクノーイ・チョーチューチット | 4R 終了 TKO | 全日本キックボクシング連盟「SOAR INTO SPACE CHAPTER VI」 | 1991年10月26日 |
× | ビクター・ソリエル | 2R 1:47 KO | 全日本キックボクシング連盟「SOAR INTO SPACE CHAPTER IV」 | 1991年7月14日 |
○ | エドワード・コー | 2R 2:35 KO | 全日本キックボクシング連盟「SOAR INTO SPACE CHAPTER III」 | 1991年5月26日 |
○ | 椿宗徳 | 2R 0:35 TKO | 全日本キックボクシング連盟「SOAR INTO SPACE CHAPTER II」 | 1991年4月21日 |
× | ガイスイット・スンチラノンキー | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「SOAR INTO SPACE CHAPTER I」 | 1991年1月27日 |
× | チューテン・シッサハパン | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「INSPIRING WARS "THIRD"」 | 1990年11月23日 |
○ | タンタワン・ナ・パタヤ | 1R 3:05 KO | 全日本キックボクシング連盟「INSPIRING WARS JAPAN vs THAI」 | 1990年10月26日 |
× | ナンポン・チョンプートーン | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「INSPIRING WARS HEAT-928」 | 1990年9月28日 |
○ | ユタポン・ウォンウェンヤイ | 2R 2:32 TKO | 全日本キックボクシング連盟「RANKING BOUT2」 | 1990年7月14日 |
○ | 須藤信充 | 1R 1:15 KO | 全日本キックボクシング連盟「RANKING BOUT」 | 1990年4月28日 |
× | 須藤信充 | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「INSPIRING WARS-1」 | 1990年1月20日 |
× | ブンカート・ゲッカオサン | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「世紀の激突 PART6」 | 1989年11月25日 |
○ | 斎藤直弘 | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「世紀の激突 PART4」 | 1989年9月24日 |
○ | 沢木健 | 2R 1:32 KO | 全日本キックボクシング連盟「パワーファイト '89」 | 1989年7月9日 |
○ | 長野和由 | 2R 2:36 KO | 全日本キックボクシング連盟「世紀の激突 PART3」 | 1989年5月14日 |
○ | 貝沼慶太 | 2R 0:44 KO | 全日本キックボクシング連盟「パワーファイト '89」 | 1989年4月8日 |
△ | 有光広一郎 | 5R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「格闘技大戦争5」 | 1988年11月25日 |
○ | 松永嘉之 | 3R終了 判定 | 全日本キックボクシング連盟「パワーファイト」 | 1988年9月18日 |
○ | 加藤進 | 1R 2:25 KO | 全日本キックボクシング連盟「ヤング・ファイト」 | 1988年6月25日 |
○ | 田中将文 | 2R 2:14 KO | 全日本キックボクシング連盟 | 1988年4月29日 |
× | サクチャイ・キャットチャウオー | 5R終了 判定 | 1987年8月3日 |
この節の加筆が望まれています。 |
獲得タイトル
脚注
- ^ a b 「'90年代のカリスマ 立嶋篤史6年ぶりの再起。」 Sports Graphic Number 737号 2009年10月1日 108頁
- ^ 【TITANS】立嶋篤史が6年ぶり熱闘で気迫の勝利!松本はロシア空手王者をKO 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年9月20日
- ^ 【タイタンズ】レジェンド対決は立嶋篤史がヒジで勝利!小暮智はタイトル防衛 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年4月18日
- ^ 【タイタンズ】K-1の番狂わせ男・松本芳道を西山誠人が番狂わせの初回KO 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月11日
- ^ 【レベルス】渡部太基と闘魔が初代王座に就く!飯田なおプロ2連勝、立嶋篤史は敗れる 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年1月23日
関連項目
外部リンク
- 立嶋篤史公式サイト
- ブログ『立嶋な日常』
- 立嶋篤史 (@asshi_rc) - X(旧Twitter)
- ASSHI-PROJECTジム
空位 前タイトル保持者 清水隆広 |
第11代AJKFフェザー級王者 1991年4月21日 - 1992年7月18日 |
次王者 前田憲作 |
前王者 前田憲作 |
第13代AJKFフェザー級王者 1993年11月27日 - 1994年7月30日 |
次王者 佐藤孝也 |
前王者 佐藤孝也 |
第15代AJKFフェザー級王者 1995年7月30日 - 1996年3月24日 |
次王者 鈴木秀明 |