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2016年6月8日 (水) 01:33時点における版

佐藤 耕平
Kohei Sato
佐藤 耕平 Kohei Satoの画像
プロフィール
リングネーム 佐藤 耕平
本名 同じ
ニックネーム 殺戮東京タワー
若虎
反逆の鬼武者
未完の破壊兵器
身長 193cm
体重 120kg
誕生日 (1977-09-21) 1977年9月21日(47歳)
出身地 東京都江東区
所属 J.J.A.(順道会館)
ZERO1
スポーツ歴 柔道
総合格闘技
トレーナー 橋本真也
デビュー 2001年6月14日
(プロレスデビュー)
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佐藤 耕平(さとう こうへい、1977年9月21日 - )は、日本の男性プロレスラーである。東京都江東区出身。ZERO1所属。駒澤大学高等学校柔道部大東文化大学中退。大学ではプロレスラーの橋本友彦と同級生にあたる。

背中左肩部の刺青が特徴でありトレードマーク(以前はその刺青は虎の輪郭だけを描いたものであったが、2004年頃からちゃんと全体を描いたものになる)。

ファイトスタイルは狙った獲物を徐々に苦しめ、最後にしぶとく狙っていくタイプである。

ニックネームは「若虎」。「FIGHTING TV サムライ」のZERO1-MAX中継の実況担当の塩野潤二は、佐藤のことを「反逆の鬼武者」と呼んでいる。

来歴

1998年、プロレスラーの村上和成、空手・キックの猛者だった藤井毅、スポーツインストラクターでプロ格闘家の岡田孝(現・三州ツバ吉)が千葉県内に設立した格闘技道場に参加。1998年8月23日、全日本アマチュア修斗選手権ヘビー級に出場し、決勝で岡田貴幸(ジャイアント落合)に勝利し、優勝を果たした[1]。プロ修斗では2戦2勝の実績をひっさげてZERO-ONEに入団した。

2003年に海外修行を果たし凱旋、かつては横井宏考とチーム名「ROWDY」として共闘。当時、崔領二は長期欠場中で、横井はZERO-ONEにはフリー参戦している状態であったが(後にZERO1-MAXになって正式入団)、2人の技術の向上のためにと敵対していた佐藤と横井がユニットを結成した。現在は主に崔領二をパートナーにトップ選手への挑戦を続けている。

ZERO-ONE入団当時は長身だけが目に付く痩せこけた感じの選手であった。しかし2001年9月に開催された「火祭り」の第1回大会において大谷晋二郎と決勝戦を行い、敗戦したものの準優勝となった。その後も橋本真也の付き人として世話をする傍らで、橋本とのタッグでザ・プレデタートム・ハワードネイサン・ジョーンズマット・ガファリといった大物外人との戦いを経験し、やられながらも頭角を現す。そして「ZERO-ONEを将来背負って立つ男」と将来を嘱望される逸材として注目される。

しかし体の方は依然ヒョロヒョロで体重もギリギリでヘビー級であるという感じで、格闘家ではあるがプロレスラーらしくない体格で凄みが感じられなかった。2004年にスランプに陥ったこともあり、橋本に単身アメリカでの無期限の武者修行を命令された。

およそ3か月して帰国した佐藤は、ウエイトアップし体重115kgの体格を引っさげての凱旋となった。そして2004年の第4回火祭りではAブロックで田中将斗と大谷晋二郎を破る金星があり、決勝に出場。大方の予想では圧倒的にBブロック制覇の大森隆男の優位であったが、佐藤のこの一戦のために温存していた必殺技“ポールスター”を決め大森からフォールを奪い、初戴冠を成し遂げた。以後はヤング・MAXと銘打たれた若手軍団の筆頭レスラーとなった。

2005年の暮れからはハッスルにおいて、モンスター軍として出場を重ねた。リングネームは佐藤耕平であるが、キャッチフレーズは共闘する川田利明の「モンスターK」に倣い、「モンスターK’」(ケーダッシュ)である。なお、ZERO1-MAXのメンバーでは唯一のモンスター軍であったが、ハッスル24から大谷晋二郎がモンスター軍に加入した(それまで、大谷はACHICHIというギミックであった)。

2005年10月、新日本プロレスとの対抗戦が勃発し、大谷晋二郎・崔領二・神風とタッグを組み、ZERO1-MAX代表チームとして新日本軍の天山広吉飯塚高史吉江豊山本尚史組との8人タッグマッチを自身初の東京ドームにて実現した。ちなみに、佐藤が普段は敵対する大谷とタッグを組むのは異例であり、以前2003年全日本プロレスとの対抗戦で大谷・田中の炎武連夢の試合で田中が急遽欠場した際に大谷のパートナーとしてタッグを組んだくらいであった。

2006年1月4日、昨年秋から勃発した新日本プロレスとの抗争第2ラウンドで、新日本の中邑真輔とのシングルマッチが組まれ、マスコミ関係者ならずとも“次世代のエース決定戦”と新年早々注目を浴びる。しかし、同日のメインイベントでIWGP王者ブロック・レスナーに挑戦する筈の藤田和之の欠場でその挑戦権が急遽中邑になったため、佐藤対中邑戦は幻となってしまった。

ZERO1-MAX9月大会では大学時代の柔道部の同胞、橋本友彦とのシングルマッチが実現。共に柔道部を逃げ出したという旧知の仲であり、当時の柔道成績は巨漢に勝る橋本の圧勝であったが、このプロレスとしての試合は、圧倒的な橋本ペースを挽回して佐藤の勝利に終わった。

ZERO1-MAX内においては、大谷、田中、大森といった30歳代選手に刃向かう新世代選手の旗頭として、これらの選手を敵に回し奮闘している。かといって最近は、同じZERO1-MAX内の他の新世代選手(特に崔)らとタッグを組み共闘するといったことも無く、2007年から参戦したフリーの高山善廣やROWDYとして元のタッグパートナーである横井とタッグを組む場合が多かった。

2006年下半期から2007年3月においては怪我が多く、戦線離脱することがあった。

2007年、無断欠場や会場入りの遅刻といった奇行が目立ち、団体から外れる行動が多くなり、ZERO1-MAXを解雇処分となった。ただし、フリー参戦の形で団体には引き続き帯同した。

2009年3月、再びZERO1へ再入団した。

2010年4月、川田を破り、第7代世界ヘビー級王座となった。

2011年11月、ザ・シークを破り、第12代世界ヘビー級王者となった。

2012年9月、突如NOAH後楽園ホール大会の第一試合後に乱入し、丸藤正道モハメド・ヨネを襲撃した。乱入した理由としては、当時のGHCヘビー級王者であった森嶋猛とやりたいという理由だったが、この佐藤の行動に激怒した丸藤がZERO1との全面対抗戦を10月8日のNOAH・横浜大会で試合を組み、佐藤は丸藤とシングルで対戦したが、これに勝利し27日のNOAH・後楽園大会で森嶋の持つベルトに挑戦するも敗れ、王座奪取に失敗した。

2013年には大日本プロレスBJW認定世界ストロングヘビー級王座獲得を目指して12月に関本大介と王座戦を行ったが敗退した。この時関本が欠場につながるケガをしたことから、そのまま大日本に継続参戦することを表明する[2]。その後同じく大日本参戦中だった石川修司と組んだタッグが話題を呼び「ツインタワーズ」と呼ばれるようになり、2014年5月にはBJW認定タッグ王座を獲得した。

一方シングルでも2014年3月、ジェームス・ライディーンを破り第16代世界ヘビー級王座となった。7月6日、WRESTLE-1両国国技館大会で船木誠勝に敗れ、王座を明け渡したものの[3]、9月19日にリベンジを果たし、第20代世界ヘビー級王座となった。

得意技

ポール・スター
基本はノーザンライト・ボムだが、相手を抱え上げてから自分の足で相手の足をフックして叩きつけるのが完全形。あまりにも難度が高すぎてめったに見せない。佐藤の最上位のフィニッシュムーブ。
ジャーマン・スープレックス・ホールド
決め技として最も多用される。相手を一旦クレーンで吊り上げる様に滞空させてから投げつける独特のフォームで、「二段式ジャーマン」とも呼ばれる。
タイガー・スープレックス・ホールド
主にジャーマン・スープレックスでフィニッシュにならなかった際に使用することが多い。クラッチは三沢光晴式。
ファルコンアロー
フォールへはいることは少なく、フィニッシュへのつなぎ技としての使用が多い。
ブレーンバスターのクラッチで抱え上げ、頂点に来たところで相手の体を反転させて前方へ背中を叩き付ける技。
三角絞め
ミドルキック
主に走り込んできた相手へのカウンター技として使用し、相手のスピードを利用して放つ。バックボーンがキックボクシングという事もあり、一撃の威力は非常に高い。
ニーリフト
ミドルキックと同じく、カウンター技としての使用が中心。
サッカーボールキック
座り込んでいる相手に放つタイプだけでなく、走り込んでのタイプ(P.K.)も使用。
払い腰
パイルドライバー
主にジャンピング式を使用する。また、佐藤の体重がスーパーヘビー級に属するため、抜群の破壊力、説得力を誇る。
崔虎
崔領二との合体技。片方が相手を肩車し、もう片方がスワンダイブ式ミサイルキックを決める。

タイトル歴

入場テーマ曲

その他

  • 試合中はコスチュームに隠れて見えていないが、背中だけでなく足にも刺青が入っている。
  • スニーカー収集が趣味。アメリカで32cmの靴を買ったこともあった。また週刊プロレスの読者へのプレゼントでスニーカーを送っている。
  • マサカメTV横山佳和磐城利樹と出演経験がある。卵の卵殻膜を傷口につけて治癒していた。

戦績

総合格闘技

総合格闘技 戦績
2 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
2 1 0 1 0 0 0
0 0 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
藤井勝久 1R 4:05 TKO(パンチ連打) III 修斗 the Renaxis 1999 1999年7月16日
アンソニー・ネツラー 5分2R終了 判定3-0 II 修斗 the Renaxis 1999 1999年3月28日

脚注

外部リンク