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大学を卒業して商社マンとして勤める一方、この時期に宗教家としての「霊的覚醒」が始まったとされる<ref name=":6" />。卒業を控えた1981年3月23日に[[日興]]との間で「霊道」を開き<ref>{{Cite journal|和書|author = 種田博之|year = 1993|title = 「幸福の科学」の急成長についての一考察 「幸福の科学」の特性とそのアンビバレンス|journal = 年報人間科学|volume = 14|pages = 31-46|ISSN = 02865149|publisher = 大阪大学|NAID = 110004746775}}</ref>、その後に[[日蓮]]、[[高橋信次 (宗教家)|高橋信次]]、[[イエス・キリスト]]と通信したという<ref name=":4" />。1985年からは「大川隆法」の名で父とともに著作活動を始め、入社以来4年間で収録した「霊言」を整理し、初めての著書『日蓮聖人の霊言』(善川三朗編、潮文社)を発刊。その後、『空海の霊言』『キリストの霊言』『天照大神の霊言』『ソクラテスの霊言』『坂本竜馬の霊言』等の著書を出版。1986年7月15日には6年間勤めたトーメンを退社して宗教家としての活動を本格的に開始する<ref name=":6" />。それから1ヶ月後、幸福の科学の根本経典『正心法語』と、幸福の科学の基本法となる『[[太陽の法]]』を自動書記と称した方法で記述した。 その後 『[[黄金の法]]』を {{要検証範囲|自動書記|date=2014年7月}}と称した方法で記述。 |
大学を卒業して商社マンとして勤める一方、この時期に宗教家としての「霊的覚醒」が始まったとされる<ref name=":6" />。卒業を控えた1981年3月23日に[[日興]]との間で「霊道」を開き<ref>{{Cite journal|和書|author = 種田博之|year = 1993|title = 「幸福の科学」の急成長についての一考察 「幸福の科学」の特性とそのアンビバレンス|journal = 年報人間科学|volume = 14|pages = 31-46|ISSN = 02865149|publisher = 大阪大学|NAID = 110004746775}}</ref>、その後に[[日蓮]]、[[高橋信次 (宗教家)|高橋信次]]、[[イエス・キリスト]]と通信したという<ref name=":4" />。1985年からは「大川隆法」の名で父とともに著作活動を始め、入社以来4年間で収録した「霊言」を整理し、初めての著書『日蓮聖人の霊言』(善川三朗編、潮文社)を発刊。その後、『空海の霊言』『キリストの霊言』『天照大神の霊言』『ソクラテスの霊言』『坂本竜馬の霊言』等の著書を出版。1986年7月15日には6年間勤めたトーメンを退社して宗教家としての活動を本格的に開始する<ref name=":6" />。それから1ヶ月後、幸福の科学の根本経典『正心法語』と、幸福の科学の基本法となる『[[太陽の法]]』を自動書記と称した方法で記述した。 その後 『[[黄金の法]]』を {{要検証範囲|自動書記|date=2014年7月}}と称した方法で記述。 |
2016年4月17日 (日) 12:53時点における版
大川隆法 | |
---|---|
肩書き | 幸福の科学創始者 兼 総裁 |
個人情報 | |
生誕 |
中川隆 1956年7月7日(68歳) |
宗教 | 幸福の科学 |
国籍 | 日本 |
配偶者 | 大川紫央 (旧姓 近藤) |
子供 | 大川宏洋、大川咲也加、大川真輝、大川裕太 |
両親 | 父:善川三郎 |
主な著作 | 「法シリーズ」を始め、2000書以上 |
出身校 | 東京大学法学部 |
地位 | |
就任日 | 1986年10月6日 |
現在の地位 |
幸福の科学グループ創始者 兼 総裁 幸福実現党総裁 HS政経塾 名誉塾長[2] |
公式サイト | 大川隆法 公式サイト |
大川 隆法(おおかわ りゅうほう、1956年(昭和31年)7月7日 - )は、日本の宗教家。幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。
1986年に「幸福の科学」を設立。信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に数多くの宗教施設を建立している[3]。説法回数は2400回を超え、また著作は28言語以上に翻訳され、公称の発刊点数は全世界で2000書を超える[4]。幸福実現党の創立者[5]。ニュースター・プロダクション(株)会長。
来歴
生い立ち
1956年6月、徳島県麻植郡川島町(現在の吉野川市川島町)に、畜産コンサルタントの父・善川三郎(本名:中川忠義)と母・君子の次男として生まれる[6]。出生名は「隆」。父親は、日本共産党の活動家からGLAの高橋信次や生長の家のに感銘を受けて転向[7][8]して生長の家の地方講師を務めたりしていた[9]。吉野川市立川島中学校、徳島県立城南高等学校を卒業。幼少期の頃は、父から「聖書」や「無門関」について学んでいた。当時は学者と外交官になることが夢だったという[6]。1976年に東京大学文科一類に入学。大学時代は下宿先で読書の日々を送る。ハンナ・アーレントの研究論文を作成した時には、教授から「マチュア(成熟している)だが、こういう哲学思想のできる人が実定法の勉強ができるかどうか。」という評価をもらったという[6]。その後、司法試験と国家公務員上級試験を受験したがいずれも不合格となり、また学者の道に進むこともなかった。大川は、司法試験について学者的な答案を提出したために合格できなかったとし、大学に残らなかったのは自分が師事すべき教官がいなかったと悟ったためと自らを振り返っている[6]。1981年に法学部を卒業し、総合商社のトーメン(現豊田通商)に入社。翌年にニューヨーク本社に研修生として派遣される。ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ベルリッツ語学学校ニューヨーク校で上級語学研修を終了、ニューヨーク市立大学大学院センターで国際金融論を学ぶ[5]。
大学を卒業して商社マンとして勤める一方、この時期に宗教家としての「霊的覚醒」が始まったとされる[5]。卒業を控えた1981年3月23日に日興との間で「霊道」を開き[10]、その後に日蓮、高橋信次、イエス・キリストと通信したという[6]。1985年からは「大川隆法」の名で父とともに著作活動を始め、入社以来4年間で収録した「霊言」を整理し、初めての著書『日蓮聖人の霊言』(善川三朗編、潮文社)を発刊。その後、『空海の霊言』『キリストの霊言』『天照大神の霊言』『ソクラテスの霊言』『坂本竜馬の霊言』等の著書を出版。1986年7月15日には6年間勤めたトーメンを退社して宗教家としての活動を本格的に開始する[5]。それから1ヶ月後、幸福の科学の根本経典『正心法語』と、幸福の科学の基本法となる『太陽の法』を自動書記と称した方法で記述した。 その後 『黄金の法』を 自動書記[要検証 ]と称した方法で記述。
立宗以降
1986年10月6日、幸福の科学の事務所を東京都杉並区西荻窪に開設し、主宰(当時)に就任。東京の日暮里酒販会館(現・幸福の科学初転法輪記念館)にて、90人ほどの会員らに対して初めての説法を行う(「初転法輪」)。翌年の3月8日には、東京の牛込公会堂にて約400人を集め幸福の科学第1回講演会を開催。演題は「幸福の原理」。このとき、幸福の科学の会員心得である「正しき心の探究」、その具体的展開である基本教義の「愛」「知」「反省」「発展」の「現代的四正道」(幸福の原理)が説かれる。「救世の三部作」と呼ばれる『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』はこの年に発刊した。1988年4月10日、東京大学英文科を卒業したばかりの木村恭子(大川きょう子)と結婚。
この頃まではチャネラーとしての役割であったが、1989年11月に『仏陀再誕』を出版し、1990年10月28日第12回大講演会では自身は「仏陀の魂の化身」であると述べることで教団内での位置づけを相対的に高めていった[11]。その一方で「霊言集」とされる著書の出版は次第に少なくなった[6]。1991年になって、幸福の科学は宗教法人としての新たなスタートを切る。同年7月15日、第1回「御生誕祭」を東京ドームにて開催。「エル・カンターレ宣言」により、大乗の仏陀としての使命を明らかにしたという。この集会はテレビなどで取り上げられて世間に広く知られることになったが[6]、雑誌『フライデー』に自身の批判記事が掲載されることにもなった(講談社フライデー事件)。1994年4月10日に法話「方便の時代は終わった」を説き、根本経典や基本書の改訂を行う。また、「ノストラダムス戦慄の啓示」で初の製作総指揮を務めた。しかしその後は、マスコミへの登場は少なくなっていった[12]。
2007年からはハワイにて海外初の転法輪説法を行い、海外講演活動を始める[5]。
2009年に幸福実現党を創立、党総裁に就任。マスコミに対して講演会の模様を18年ぶりに公開し、結党理由を明らかにした[13]。その後、衆議院議員総選挙への出馬を表明[14]。一時期は出馬見送りを公表したが、翌日に再度出馬を表明し[15]、落選する結果となった[16]。2010年頃からは15年の間中断されてきた「霊言」の収録を再開する[6]。降霊した大川に教団幹部が質問するという内容を「公開霊言」と称して短期間で書籍化し[11]、年間発刊点数52冊が年間・最多発刊書籍のギネス世界記録に認定された[17]。
2012年には妻の大川きょう子から信者に向けた大川の発言によって名誉を傷付けられたとして東京地裁に損害賠償を求める提訴をされた[18]。その後、離婚協議中であった大川きょう子と離婚し、教団職員の近藤紫央(大川紫央)と再婚した[19]。
人物
略歴
- 1956年 - 徳島県麻植郡川島町にて生まれる
- 1972年 - 吉野川市立川島中学校卒業
- 1975年 - 徳島県立城南高等学校卒業
- 1976年 - 東京大学文科一類に入学
- 1981年 - 法学部を卒業し、総合商社のトーメン(現豊田通商)に入社
- 1986年 - トーメン退社
- 1986年 - 幸福の科学を設立。主宰に就任。
- 1988年 - 木村恭子と結婚
- 1997年 - 幸福の科学総裁に就任
- 2007年 - 幸福の科学学園中学校・高等学校を設立。
- 2009年 - 幸福実現党を創立。第45回衆議院議員総選挙に出馬し、落選[15]
- 2010年 - HS政経塾創立、名誉塾長に就任
- 2012年 - 木村恭子と離婚し、近藤紫央(大川紫央)と結婚[19]
受賞
- 第8回新語・流行語大賞(1991年) - 特別部門・特別賞『チャネリング』[20]
- ギネス世界記録(2011年) - 年間・最多発刊書籍[17]
- 第20回日本トンデモ本大賞(2011年) - 『宇宙人との対話』 幸福の科学出版[21]
- ヒューストン国際映画祭「神秘の法」スペシャル・ジュリー・アワード(REMI SPECIAL JURY AWARD)(2013年)[22][23]
教育事業
大川隆法は、2007年に幸福の科学学園中学校・高等学校(栃木県那須郡)を設立、次いで2013年に幸福の科学学園関西中学校・高等学校(滋賀県大津市)を設立した[24][25]。
政治活動
幸福の科学設立当初、大川は文藝春秋のインタビューにおいて政党の結成は考えていないことを明らかにし、幸福の科学に賛同する政治家を養成したいと語っていた[26]。1995年に行われた「御生誕祭」では、自由民主党の三塚博議員を次期総理大臣に推薦すると公言した。しかし、2009年に幸福実現党を結党して政治進出、衆議院選挙に立候補した[15]。大川は、政治進出のきっかけについて「麻生政権の統治能力の欠如」を挙げ[27]、特定の政党や立候補者を裏から応援する段階は終わったと述べている[28][11]。
幸福実現党は国政選挙での当選実績はない。ただし2010年5月から12月まで大江康弘参議院議員(当時)が入党していたことがある。都内での選挙では発明家のドクター中松を出馬させている。地方議会選挙では当選者がいる。
その他の活動
大川の生誕(7月7日)を祝して、幸福の科学主催で毎年7月に「御生誕祭」が開催されている[29]。
著作
2016年2月までに2000書を超える著書が出版されており、28言語(英語、ポルトガル語、ハンガリー語、ロシア語、ブルガリア語、リトアニア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語繁体字、中国語簡体字、韓国語、テルグ語、タミル語、マラティ語、グジャラティ語、ヒンディ語 、ベンガル語、シンハラ語 、タイ語 、インドネシア語、ネパール語、スウェーデン語、トルコ語、 アラビア語、モンゴル語、カンナダ語、 ペルシャ語 ) に翻訳され100ヶ国以上にて刊行、2011年末時点で累計発行部数は公称9000万部以上。「法シリーズ」など著作の多くは印刷部数でミリオンセラーとなっている[30]。1985年から1991年までの間に複数の出版社から多数出版された「霊言集」と呼ばれる書籍は、1994年以降には全て版権を引き上げ、幸福の科学にて1999年3月からそれらの一部を収めた「大川隆法霊言全集」が全50巻+別巻を刊行中である。また、2004年以後「善川三朗の霊言」も1 - 4巻まで発刊された。2011年3月には、「電子書籍154冊セット」が発売された。
法シリーズ
「法シリーズ」の一覧は下記のとおりで、いずれも幸福の科学出版から刊行されている。
- 『太陽の法-エル・カンターレへの道』ISBN 978-4-87688-321-9
- 『黄金の法-エル・カンターレの歴史観』ISBN 978-4-87688-322-6
- 『永遠の法-エル・カンターレの世界観』ISBN 978-4-87688-320-2
- 『繁栄の法-未来をつくる新パラダイム』ISBN 978-4-87688-335-6
- 『奇跡の法-人類再生の原理』ISBN 978-4-87688-345-5
- 『常勝の法-人生の勝負に勝つ成功法則』ISBN 978-4-87688-357-2
- 『大悟の法(たいごのほう)-常に仏陀と共に歩め』ISBN 978-4-87688-361-0
- 『幸福の法-人間を幸福にする四つの原理』ISBN 978-4-87688-521-4
- 『成功の法-真のエリートを目指して』ISBN 978-4-87688-524-9
- 『神秘の法-次元の壁を超えて』ISBN 978-4-87688-527-3
- 『希望の法-光は、ここにある』ISBN 978-4-87688-541-9
- 『復活の法-未来を、この手に』ISBN 978-4-87688-562-6
- 『生命の法(いのちのほう)-真実の人生を生き切るには』ISBN 978-4-87688-586-2
- 『勇気の法-熱血火の如くあれ』ISBN 978-4-87688-380-6
- 『創造の法-常識を破壊し、新時代を拓く』ISBN 978-4-86395-014-6
- 『救世の法-信仰と未来社会』ISBN 978-4-86395-091-7
- 『教育の法-信仰と実学の間で』ISBN 978-4-86395-103-7
- 『不滅の法-宇宙時代への目覚め』ISBN 978-4-86395-161-7
- 『未来の法-新たなる地球世紀へ』ISBN 978-4-86395-268-3
- 『忍耐の法-「常識」を逆転させるために』ISBN 978-4-86395-412-0
- 『智慧の法-心のダイヤモンドを輝かせよ』ISBN 978-4-86395-611-7
- 『正義の法-憎しみを超えて、愛を取れ』ISBN 978-4-86395-729-9
幸福の科学では、『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』を基本三法としており、基本教義と世界観を記したものと位置づけている[31][11]。また、『常勝の法』『成功の法』『希望の法』を、成功理論三部作としている。『幸福の法』は幸福の科学の入門書に位置づけられる。
仏教書
- 『悟りに到る道』
- 『悟りの挑戦 上巻』
- 『悟りの挑戦 下巻』
- 『沈黙の仏陀』
- 『心の挑戦』
- 『仏陀再誕』
- 『永遠の仏陀』
- 『幸福の科学興国論』
- 『永遠の挑戦』
- 『新生日本の指針』
- 『人生成功の秘策』
- 『愛、悟り、そして地球』
- 『釈迦の本心』
幸福の科学の教え
- 『幸福の科学とは何か』
- 『新・心の探究』
- 『幸福への道標』
- 『人生の発見』
- 『運命の発見』
- 『真理の発見』
- 『神理学要論』
- 『幸福の原理』
- 『悟りの原理』
- 『ユートピアの原理』
- 『悟りの発見』
- 『信仰と愛』
- 『悟りの極致とは何か』
- 『光ある時を生きよ』
- 『人生の王道を語る』
- 『フランクリースピーキング』
- 『宗教選択の時代』
- 『信仰告白の時代』
- 『不動心』
- 『愛の原点』
- 『幸福の原点』
- 『不惜身命―大川隆法 伝道の軌跡』
- 『真実への目覚め―幸福の科学入門』(2011年3月発刊)
- 『不惜身命2009 大川隆法 伝道の軌跡―勇気への挑戦』(2011年3月発刊)
- 『大川隆法 インド・ネパール巡錫の軌跡』(2011年4月発刊)
- 『大川隆法 ブラジル巡錫の軌跡』(2011年4月発刊)
- 『不惜身命2010 大川隆法 伝道の軌跡―新時代への創造』(2011年6月発刊)
- 『大川隆法 フィリピン・香港 巡錫の軌跡』(2011年6月発刊)
ビジネス・経営
- 『繁栄の法則』
- 『ダイナマイト思考』
- 『人生の王道を語る』
- 『理想国家日本の条件』
- 『常勝思考』
- 『青春に贈る』
- 『仕事と愛』
- 『幸福の革命』
- 『感化力』
- 『リーダーに贈る「必勝の戦略」』
- 『経営入門』
- 『知的青春のすすめ』
- 『社長学入門』
- 『未来創造のマネジメント』
- 『不況に打ち克つ仕事法』
- 『サバイバルする社員の条件』
- 『忍耐の時代の経営戦略』
家庭・結婚・教育
- 『しあわせってなあに』1~8
- 『幸福のつかみ方』
- 『「幸福になれない」症候群』
- 『幸福へのヒント』
- 『限りなく優しくあれ』
- 『子どもにとって大切なこと』
- 『あげママの条件―子供を上手に育てる8つの「考え方」―』
- 「コーヒー・ブレイク」シリーズ
- 『コーヒー・ブレイク』
- 『ティータイム』
- 『アイム・ファイン』
- 『ハウ・アバウト・ユー?』
健康
- 『心と体のほんとうの関係。』
- 『超・絶対健康法』
- 『奇跡のガン克服法』
- 『エイジレス成功法-生涯現役9つの秘訣-』
霊界スピリチュアル
- 『瞑想の極意』
- 『神理文明の流転』
- 『宗教の挑戦』
- 『(全書版)愛は風の如く』1~4
- 『愛、無限』
- 『ユートピア創造論』
- 『永遠の生命の世界』
- 『信仰のすすめ』
- 『霊界散歩』
- 『霊的世界のほんとうの話。』
- 『死んでから困らない生き方』
- 『地獄の方程式』
- 『「宇宙人によるアブダクション」と「金縛り現象」は本当に同じか』
- 『神秘学要論』
- 『神秘現象リーディング』
- 『怪奇現象リーディング』
政治・オピニオン
- 『朝の来ない夜はない』
- 『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』
- 『幸福実現党宣言』
- 『国家の気概』
- 『政治の理想について』
- 『政治に勇気を』
- 『新・日本国憲法試案』
- 『夢のある国へ―幸福維新』
- 『危機に立つ日本』
- 『宗教立国の精神』
- 『大川隆法 政治提言集』
- 『未来への国家戦略』
- 『この国を守り抜け』
- 『震災復興への道―日本復活の未来ビジョン―』(2011年4月発刊)
- 『平和への決断―国防なくして繁栄なし―』(2011年6月発刊)
- 『逆境の中の希望―魂の救済から日本復興へ―』(2011年7月発刊)
- 『公開対談 日本の未来はここにあり―正論を貫く幸福実現党―』(2011年7月発刊)
公開霊言シリーズ
2010年に入り、新たに「公開霊言」シリーズを発刊。シリーズ全体の発刊冊数では、2013年10月に200冊、2014年11月に300冊を突破している[32][33]。
英語・英会話テキスト
- 『初級英語伝道入門』
- 『中級英語伝道入門』
- 『上級英語伝道入門』
- 『超上級英語伝道入門』ほか多数、約80点刊行。
外国語翻訳書籍
著書は、英語(イギリスVer・USA,Ver、インドVer、オーストラリアVer他)、ドイツ語、フランス語、中国語(簡体字・繁体字 台湾・香港)、ロシア語、スペイン語、韓国語、ポルトガル語(ブラジル・ポルトガル)、インドネシア語、ハンガリー語、ブルガリア語、リトアニア語、タイ語、ヒンディー語、タミル語、テルグ語、マラーティー語、グジュラティ語、ネパール語、シンハラ語、タガログ語、ベンガル語、ペルシャ語等、28言語に翻訳されている。幸福の科学によれば、『太陽の法』『常勝思考』等は全世界で1000万部以上が出版されたとしている[34]。
法話
1987年より多数の講演会で法話を行い、多数の書籍・テープ・CD・ビデオ・DVDとなって公開されている。特に2007年より、全国各地の支部精舎を巡錫している。国外ではロンドン支部やハワイ支部にて英語で説法を行った[35]。
2010年には、229回の説法を行ったという[36]。
映画
著作以外にも、以下の映画作品の製作総指揮を手がける(幸福の科学出版作品とニュースター・プロダクション製作がある)[37][38]。
- 『ノストラダムス戦慄の啓示』(1994年)
- 『ヘルメス-愛は風の如く』(1997年)
- 『太陽の法』(2000年)
- 『黄金の法』(2003年)
- 『永遠の法』(2006年)
- 『仏陀再誕』(2009年)(以上、配給は東映)
- 『ファイナル・ジャッジメント』(2012年6月)
- 『神秘の法 The Mystical Laws』(2012年10月)
- 『UFO学園の秘密』(2015年)
- 『天使にアイム・ファイン』(2016年)
家族
- 父 善川三郎 (幸福の科学名誉顧問)[39]
- 母 中川君子
- 妻 大川紫央 (幸福の科学総裁補佐)[40]
- 前妻 大川きょう子 (元幸福の科学副総裁)[41]
- 長男 大川宏洋 (幸福の科学元理事長)[42]
- 長女 大川咲也加 (幸福の科学専務理事)[43]
- 次男 大川真輝 (幸福の科学常務理事)[44]
- 三男 大川裕太 (幸福の科学理事)[44]
脚注
- ^ http://the-liberty.com/article.php?item_id=9250
- ^ “HS政経塾公式サイト”. 2016年2月19日閲覧。
- ^ 幸福の科学では精舎としている[1]
- ^ 『正義の法』で著作2000冊、記念パーティーに大川隆法総裁が登壇
- ^ a b c d e “大川隆法総裁 プロフィール”. 幸福の科学. 2016年2月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』創元社、1995年1月20日。
- ^ 佐野眞一「『幸福の科学』主宰大川隆法 挫折だらけの生いたち」月刊Asahi1991年4月号
- ^ 有田芳生『幸福の科学を科学する』
- ^ 「『神の子』の学生運動――シリーズ【草の根保守の蠢動 第29回】」、Harbor Business Online、2016年3月13日。
- ^ 種田博之「「幸福の科学」の急成長についての一考察 「幸福の科学」の特性とそのアンビバレンス」『年報人間科学』第14巻、大阪大学、1993年、31-46頁、ISSN 02865149、NAID 110004746775。
- ^ a b c d 塚田穂高『宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学』花伝社、2015年3月25日。ISBN 978-4763407313。
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- ^ HRPニュースファイル | 幸福実現党
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- ^ 太陽の法 エル・カンターレへの道(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
- ^ 主な法話一覧 | 宗教法人 幸福の科学[リンク切れ]より
- ^ ニュース(メディア・海外など)| 宗教法人 幸福の科学[リンク切れ]より
- ^ 大川隆法が製作総指揮した映画 | 公式サイト
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参考文献
- 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』創元社、1995年1月20日。
- 秋谷航平『幸福の科学』リンダパブリッシャーズ、2015年10月1日。