「網引駅」の版間の差分
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|画像説明 = 網引駅の旧駅舎(2007年4月3日) |
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'''網引駅'''(あびきえき)は、[[兵庫県]][[加西市]]網引町 |
'''網引駅'''(あびきえき)は、[[兵庫県]][[加西市]]網引町に所在する[[北条鉄道]]の[[鉄道駅|駅]]。 |
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== ボランティア駅長 == |
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『切り絵教室』月に2回、駅舎内で行われる。 |
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開催日は、毎月はじめに北条鉄道ホームページ〝ステーションマスターの活動〟のページにて[http://www.hojorailway.jp/stationmasteractivity]公開される。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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{{右|[[File:あびき駅事故.JPG|thumb|「列車転覆事故殉難の地」碑]]}} |
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* 1915年(大正4年)3月3日 - 播州鉄道 粟生駅 - 北条駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。 |
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* 1923年(大正12年)12月21日 - 播丹鉄道の駅となる。 |
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* [[1923年]](大正12年)[[12月21日]] - 播丹鉄道の駅となる<ref name="sone14">{{Cite book|和書|author=[[曽根悟]](監修)|title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄|editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=週刊朝日百科|volume=14号 神戸電鉄・能勢電鉄・北条鉄道・北近畿タンゴ鉄道|date=2011-06-19|page=19}}</ref>。 |
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* 1943年(昭和18年)6月1日 - 播丹鉄道の国有化により[[鉄道省]](→[[日本国有鉄道|国鉄:現JR]])の駅となる。 |
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* 1945年(昭和20年)3月31日 -[[日本の鉄道事故 (1949年以前)#北条線列車脱線転覆事故|列車脱線転覆事故]]が発生(列車脱線転覆事故の節に詳述)。 |
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* [[1945年]](昭和20年)[[3月31日]] - 当駅北西の[[鶉野飛行場]]で試験飛行をしていた日本海軍の戦闘機「[[紫電改]]」が法華口駅との間の線路をかすめて不時着。そのため線路がゆがみ、直後に通過した上り列車が転覆。死者11人、負傷者104人の大惨事となった<ref name="zeneki"/><ref>{{Cite web |author= 神戸新聞 |authorlink= 神戸新聞 |date=2005-08-25 |url= http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200504ishizue/10.html|title= 礎-現代が残したもの- 10.海軍鶉野飛行場跡(加西市)|format= |doi= |work= |publisher= 神戸新聞|page= |pages= |language= |archiveurl= http://web.archive.org/web/20051118144922/http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200504ishizue/10.html |archivedate= 2005-11-18|accessdate= 2013-07-27|quote= |ref=}}</ref>。[[日本の鉄道事故 (1949年以前)#北条線列車脱線転覆事故|北条線列車脱線転覆事故]]を参照。 |
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* 1962年(昭和37年)3月1日 - 貨物の取扱を廃止。 |
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* 1984年(昭和59年)6月 - 放火により駅舎を焼失。 |
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* [[1984年]](昭和59年)[[6月]] - 放火により駅舎を焼失<ref name="zeneki"/><ref name="再建">{{Cite news |title=火災で焼失以来、29年ぶり 網引駅舎を再建 北条鉄道 寄付やボランティアで トイレも増築|newspaper=[[神戸新聞]](朝刊) |publisher=[[神戸新聞社]]|page=23(北播) |date=2013.02.20}}</ref>。 |
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* 1985年(昭和60年)4月1日 - 北条鉄道株式会社の駅となる。 |
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* 2003年(平成15年)8月8日 - 「列車転覆事故殉難の地」と書いた慰霊看板を駅に設置。 |
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* [[2003年]](平成15年)[[8月8日]] - 「列車転覆事故殉難の地」と書いた慰霊看板を駅に設置<ref>{{Cite web |author= 神戸新聞 |authorlink= 神戸新聞 |date=2003-08-08 |url= http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/030808ke120160.html|title= 庶民の悲劇、後世に 大戦末期の北条鉄道脱線転覆|format= |doi= |work= |publisher= 神戸新聞|page= |pages= |language= |archiveurl= http://web.archive.org/web/20030809091624/http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/030808ke120160.html |archivedate= 2003-08-09|accessdate= 2013-07-27|quote= |ref=}}</ref>。 |
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* 2013年(平成25年)2月19日 - 1984年6月の放火により焼失した駅舎を再建。 |
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== 駅構造 == |
== 駅構造 == |
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[[プラットホーム#形状と配置|単式ホーム]]1面1線を有する[[地上駅]] |
[[プラットホーム#形状と配置|単式ホーム]]1面1線を有する[[地上駅]]。ホームは線路の北側に置かれている。現駅舎は2013年(平成25年)2月19日に再建されたものである。バリアフリー化によって道路からの段差はなくなった。 |
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網引駅前には大きなイチョウの木があり、加西市の「ふるさとの樹」に指定されていることを示す札が掲げられている。秋には、銀杏取りや黄色く染まった大木を一目見ようと、この駅を訪れる観光客が多くいる。 |
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また、トイレの横には「列車転覆事故殉難の地」碑が建立されている(事故については列車脱線転覆事故の節に詳述)。駅の田原方には網引第4踏切があり、駅の南側に抜けることも可能である。 |
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⚫ | 旧駅舎は1984年6月放火により消失したが、前記の通り、 |
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== 列車脱線転覆事故 == |
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当駅北西の[[鶉野飛行場]]で試験飛行をしていた[[日本海軍]]の[[戦闘機]]「[[紫電改]]」が故障のため当駅から田原方面に約300m地点の線路をかすめて不時着。そのため線路がゆがみ、直後に通過した上り旅客列車([[国鉄C12形蒸気機関車|C12形189号]])が転覆。死者11人、負傷者104人の大惨事となった。 |
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目撃者によると、駆けつけた兵隊たちは乗客を助けるよりも先に戦闘機に田んぼのワラを被せて隠蔽を図ったという。軍の機密として戦闘機不時着は公表されず、地元紙の[[神戸新聞]]ですら、脱線転覆事故が発生したということと、死傷者数、死者氏名を掲載したのみだった。 |
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2012年(平成24年)1月になって、事故機関車の第一動輪が大阪の[[交通科学博物館]]で長い間保存されていることが判明した。 |
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2013年(平成25年)10月に[[交通科学博物館]]が閉館し、2016年(平成28年)4月にオープンする[[京都鉄道博物館]]へ移転する前に、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]本社に加西市長自身が譲渡をお願いにあがり、期間限定の里帰りを果たした。 |
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== ダイヤ == |
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毎時1本の1日17本である(2015年3月14日現在)。 |
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== 駅周辺 == |
== 駅周辺 == |
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== 隣の駅 == |
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; 北条鉄道 |
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: 北条線 |
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起点の隣駅「粟生駅」とは3.5kmあり、北条線で最も駅間が長い。 |
起点の隣駅「粟生駅」とは3.5kmあり、北条線で最も駅間が長い。 |
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== 加西市によるロケ地誘致 == |
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== 脚注 == |
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1992年(平成4年)に、映画「継承杯」のロケ地として[[北条鉄道]]'''網引駅'''~[[田原駅]]間で撮影があった。 |
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[[加西市]]のホームページ内では現在もロケの誘致を呼び掛けている。 |
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http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/11roke/11roke.htm |
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== 関連項目 == |
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{{Commonscat|Abiki Station}} |
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* [[日本の鉄道駅一覧]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [http://www.hojorailway.jp 北条鉄道株式会社] |
* [http://www.hojorailway.jp 北条鉄道株式会社] |
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* [http://kasai-abiki.org 網引町のホームページ] |
* [http://kasai-abiki.org 網引町のホームページ] |
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*[http://ameblo.jp/hojorailway/ 北条鉄道のブログ] |
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{{北条鉄道北条線}} |
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[[Category:兵庫県の鉄道駅]] |
[[Category:兵庫県の鉄道駅]] |
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[[Category:日本の鉄道駅 あ| |
[[Category:日本の鉄道駅 あ|びき]] |
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[[Category:播丹鉄道]] |
[[Category:播丹鉄道]] |
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[[Category:日本国有鉄道の廃駅]] |
[[Category:日本国有鉄道の廃駅]] |
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[[Category:北条鉄道]] |
[[Category:北条鉄道]] |
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[[Category:加西市の交通|あ |
[[Category:加西市の交通|あびきえき]] |
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[[Category:1915年開業の鉄道駅]] |
[[Category:1915年開業の鉄道駅]] |
2016年4月17日 (日) 10:15時点における版
網引駅 | |
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あびき Abiki | |
所在地 | 兵庫県加西市網引町 |
所属事業者 | 北条鉄道 |
キロ程 | 3.5 km(粟生起点) |
開業年月日 | 1915年(大正4年)3月3日 |
網引駅(あびきえき)は、兵庫県加西市網引町に所在する北条鉄道の駅。
ボランティア駅長
『切り絵教室』月に2回、駅舎内で行われる。 開催日は、毎月はじめに北条鉄道ホームページ〝ステーションマスターの活動〟のページにて[1]公開される。
歴史
- 1915年(大正4年)3月3日 - 播州鉄道 粟生駅 - 北条駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
- 1923年(大正12年)12月21日 - 播丹鉄道の駅となる。
- 1943年(昭和18年)6月1日 - 播丹鉄道の国有化により鉄道省(→国鉄:現JR)の駅となる。
- 1945年(昭和20年)3月31日 -列車脱線転覆事故が発生(列車脱線転覆事故の節に詳述)。
- 1962年(昭和37年)3月1日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1984年(昭和59年)6月 - 放火により駅舎を焼失。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 北条鉄道株式会社の駅となる。
- 2003年(平成15年)8月8日 - 「列車転覆事故殉難の地」と書いた慰霊看板を駅に設置。
- 2013年(平成25年)2月19日 - 1984年6月の放火により焼失した駅舎を再建。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北側に置かれている。現駅舎は2013年(平成25年)2月19日に再建されたものである。バリアフリー化によって道路からの段差はなくなった。
網引駅前には大きなイチョウの木があり、加西市の「ふるさとの樹」に指定されていることを示す札が掲げられている。秋には、銀杏取りや黄色く染まった大木を一目見ようと、この駅を訪れる観光客が多くいる。
また、トイレの横には「列車転覆事故殉難の地」碑が建立されている(事故については列車脱線転覆事故の節に詳述)。駅の田原方には網引第4踏切があり、駅の南側に抜けることも可能である。
旧駅舎は1984年6月の放火により消失したが、前記の通り、2013年2月19日に再建された。駅舎内ではボランティア駅長による「切り絵教室」や「鉄道グッズ」の販売、地域住民との交流を広げる憩いの場として活用されている。それと同時に駅周辺は「播磨中央自転車道中間休憩所」として、最新式多目的トイレ(ウォシュレット付き)、駐車場、駐輪場、花壇がきれいに整備されている。
列車脱線転覆事故
当駅北西の鶉野飛行場で試験飛行をしていた日本海軍の戦闘機「紫電改」が故障のため当駅から田原方面に約300m地点の線路をかすめて不時着。そのため線路がゆがみ、直後に通過した上り旅客列車(C12形189号)が転覆。死者11人、負傷者104人の大惨事となった。
目撃者によると、駆けつけた兵隊たちは乗客を助けるよりも先に戦闘機に田んぼのワラを被せて隠蔽を図ったという。軍の機密として戦闘機不時着は公表されず、地元紙の神戸新聞ですら、脱線転覆事故が発生したということと、死傷者数、死者氏名を掲載したのみだった。
2012年(平成24年)1月になって、事故機関車の第一動輪が大阪の交通科学博物館で長い間保存されていることが判明した。
2013年(平成25年)10月に交通科学博物館が閉館し、2016年(平成28年)4月にオープンする京都鉄道博物館へ移転する前に、JR西日本本社に加西市長自身が譲渡をお願いにあがり、期間限定の里帰りを果たした。
ダイヤ
毎時1本の1日17本である(2015年3月14日現在)。
駅周辺
- 加古川の支流である下里川と万願寺川が、駅南方で合流する。
- 加西南産業団地の最寄り駅。
隣の駅
起点の隣駅「粟生駅」とは3.5kmあり、北条線で最も駅間が長い。
加西市によるロケ地誘致
1992年(平成4年)に、映画「継承杯」のロケ地として北条鉄道網引駅~田原駅間で撮影があった。 加西市のホームページ内では現在もロケの誘致を呼び掛けている。 http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/11roke/11roke.htm