コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「山田晴通」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
2015年2月27日 (金) 22:12‎ (UTC)より一部復帰。ノートでの合意に基づく
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{特筆性|date=2015年2月}}
{{Infobox scientist
{{Infobox scientist
|name = 山田 晴通
|name = 山田 晴通

2015年9月11日 (金) 09:03時点における版

山田 晴通
生誕 1958年10月
日本福岡県福岡市
居住 日本
研究分野 地理学
研究機関 松商学園短期大学
東京経済大学
出身校 東京大学教養学部卒業
東京大学大学院理学系研究科
修士課程修了
東京大学大学院理学系研究科
博士課程単位取得退学
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

山田 晴通(やまだ はるみち、1958年10月 - )は、福岡県出身の[1]社会地理学者である。研究分野は英国の地方都市やメディア論、大衆文化論、ポピュラー音楽など幅広い[2]。理学博士。

松商学園短期大学商学科助教授、東京経済大学コミュニケーション学部助教授などを歴任、東京経済大学コミュニケーション学部教授を務める。教職員組合では、東京地区私立大学教職員組合連合中央執行委員、東京経済大学教職員組合執行委員長を務めた。

ウィキペディア日本語版管理者の一人[3]

経歴

福岡県福岡市にて生まれた[1]1977年栄光学園高等学校を卒業し、東京大学教養学部文科二類に入学、1981年に東京大学教養学部教養学科を卒業。東京大学大学院理学系研究科修士課程に進み、1983年に修士課程を修了。東京大学大学院博士課程へ進学、1986年に博士課程単位取得退学。1989年(平成元年)に東京大学より理学博士学位を取得する。

1986年に松商学園短期大学の講師に就任、1990年に同短期大学助教授となる。1995年には東京経済大学コミュニケーション学部助教授に就任、2006年4月に同大学教授となった[2]

2001年オーストラリアマッコーリー大学現代音楽研究センター客員研究員[2]2004年4月から2006年3月には独立行政法人大学入試センター教科科目第一委員会委員(地理)、2005年4月から2007年3月には文部科学省教科用図書検定調査審議会専門委員(音楽)も務めている。

また、東京経済大学教職員組合では執行委員・教研部長を経て執行委員長に就任し、東京地区私立大学教職員組合連合にて中央執行委員などを歴任した[4]

研究

大学院では地理学を専攻し、地理学に関する研究で博士号を取得した[1]。本専攻と同時に、東京大学新聞研究所教育部研究生課程に籍を置き、修了している。

1984年に発表した「宮城県石巻市における地域紙興亡略史 : 地域紙の役割変化を中心に」[5]で、日本のマスメディア研究で従来看過されて来た地域日刊紙の歴史的実態について宮城県石巻市の地元日刊新聞2、3紙をおもな対象として具体的に考察し、「本稿で論じた地域紙の例に限らず、どのような性格の媒体が成功するかは、いつの時代でも読者ニーズの所在と諸媒体間の関係によって決するもの」と論を結んだ。2001年の「地域の情報化から,地域の再構成へ」[6]では、インターネットの登場以後情報化によって変容して来た社会や人間関係などについて従来の議論で見過ごされがちだった視点、すなわち地方からの視線で地方の事情を見たときに浮かび上がる問題点に着目した。2009年に発表された「19世紀末英国のトルストイ的アナキズムの実践地「ホワイトウェイ・コロニー(Whiteway Colony)」の歴史と現在の景観」[7]では、ロシアの文豪トルストイ晩年のロシア正教から離れイエスの教えそのものに従うことを徹底することでトルストイ主義と呼ばれ世界に大きな影響を与え、その一端は日本の文学グループ白樺派までに及んだ思想の、後世への知られざる一支流に注目し、その歴史を振り返り、現地を訪れその現在の様子を報告した。

山田は幼少期からクラシック音楽を聞いて育った[8]。これは音楽家としての活動があった父[9]の教育方針による。研究者としては取得学位とは別にその音楽への関心から音楽に関する講義もする。ポピュラー音楽に関する学術論文もある[10]。ときにはマスメディアから取材を受けることもある[11]。歌手バートン・クレーンのCDが復刻販売されたことについては、自身がクレーンについての論文を発表したことがきっかけであると主張している[2]

講師や助教授として勤務した松商学園短期大学では「マーケティング」を講じている[1]。さらに助教授や教授を務めている東京経済大学では「コミュニケーション論入門」の講義を担当する[12]など、研究上の専攻以外の分野についても教育者としての実績がある。なお本来の研究分野である地理学の教員としては2007年に教授公募に応じたものの不採用に終った[13]

山田は1990年代以後は学会誌査読論文がほとんどない[14]2005年日本地理学会の学会誌『地理学評論』8月号に「オーストラリアの地方都市アーミデールにおけるコミュニティ放送とナローキャスティング」が掲載され[14]、山田16年ぶりの学会誌査読論文となった[14]。これは東京経済大学に移ってからは初めての学会誌査読論文である。

査読なしの論文については「毎年コンスタントに書いてきた」[15]と述べていたが、2003年夏ころから「雑文を書くのもしんどく」[16]なり、2004年[15]2007年には[13]、山田自身「スランプ」[15][16][13]と表現する状態となった。原因については「特段、何か明確なスランプの理由があるわけではない」[13]と述べており、「体力的な衰えに合わせた研究スタイルが上手く立てられていない」[13]と自己分析している。

自身の専門分野について、山田は「これだけ専門があるということは、実は何の専門家でもないということ」[1]だと述べたうえで、「根っからの研究者/専門家ではなく、雑多なことをブリコラージュしていく少しばかりの小器用さだけでこの仕事をやってきただけ」[1]だと述懐している。

発言

1992年長野県知事選に関連し、県内の「南北格差」について「物差しの当て方が難し」く「感情論になりやすい」とした上で、「それを割り引いても五輪が引き金になって格差が広がるのではないかという考えが出てくるのは当然だ」と述べた。そして「住民にとっては国の直轄事業だろうが、県単事業だろうが、民間の事業だろうが、地域に何を整備してもらえるのかが問題」なのであり、「目に見える形で、集中的に整備することが肝要」であると主張していた。また県政への提言として「新規事業に取り組むよりも、ここ十年ほどに手を付けた事業を見直すことが必要」とし、「ネガティブな意味ではなく、積極的にそれらの事業を再活性化させる発想も必要だろう」とも述べている[17]

1993年開催の「松本城400年まつり」について、「自然を見せるノリがあったのは良かったが、全体的には映像偏重で、過去の博覧会とあまり変わりばえはしなかった」とコメントしている[18]

往年の洋楽スターや名曲が日本において支持されている背景について、音楽の流行には「循環性」があるとした上で、1980年代後半になると「日本勢」にも実力派が現れ音楽シーンに変化が生じ、また80年代にはヘッドホンカセットが普及し「一人で聴く習慣」が広がった影響もあり、1990年代の洋楽は「インパクトが薄い」という印象が生じているため、「それ以前のアーティストや曲が輝き続けている」と分析している。一方「十年、二十年後にブームになるような洋楽アーティストはいるだろうか」とも述べている[19]

投資用ワンルームマンションの業者による悪質な勧誘の問題に関連して、「公務員や教員は、金融機関の融資可能残高が多」いため勧誘の対象になりやすいとコメントしている。なお山田は業者からの勧誘電話に関する情報を自身のウェブサイトにて公開しているという[20]

2006年に施行された教育基本法については、「教育国家のもの、という発想は十九世紀への退行である」[21]と批判している。

新潟県十日町地域で五つの地域紙が存在することに関連して、「山間部や盆地では外部からの情報が入りにくかったために、地域紙が強い影響力を持つケースが多い」とコメントしている[22]

Jポップの「紋切り型」歌詞への批判について、「むしろ多くの人に支持されるフレーズだからこそ、繰り返し使われてきた」とした上で、「紋切り型が増えたように感じるのは、ネット利用の広がりで、紋切り型に対する批判が以前より可視化されやすくなったからではないか」と述べている[23]

略年譜

著作

書籍

分担執筆

翻訳

論文

博士論文

  • 『わが国におけるCATV(有線テレビジョン)の存立基盤 : 空間的展開と地域的特性』東京大学、1989年。 [24]

単独執筆

  • 山田晴通「四国における新聞配布――昭和57年度地理科学学会例会・中四国都市学会大会・香川地理学会例会合同研究会発表要旨」『地理科学』38巻1号、地理科学学会1983年1月、49頁。ISSN 02864886
  • 山田晴通「中国地方における新聞配布――昭和57年度地理科学学会大会発表要旨」『地理科学』38巻1号、地理科学学会、1983年1月、51-52頁。ISSN 02864886
  • 山田晴通「宮城県石巻市における地域紙興亡略史 : 地域紙の役割変化を中心に」『新聞学評論』33号、日本マス・コミュニケーション学会1984年6月1日、215-229頁。ISSN 04886550
  • 山田晴通「東北地方における日刊地域紙の立地」『東北地理』37巻2号、東北地理学会1985年、95-111頁。ISSN 03872777
  • 山田晴通「地理学におけるメディア研究の現段階――『情報の地理学』構築のために」『地理学評論. Ser.A』59巻2号、日本地理学会1986年2月、67-84頁。ISSN 00167444
  • 山田晴通「CATV自主放送のル-ツ――郡上八幡テレビの3年を支えたもの」『総合ジャ-ナリズム研究』25巻1号、東京社、1988年、44-53頁。ISSN 0387334X
  • 山田晴通「日刊地域紙を概観する――経営的変化の素描」『新聞研究』443号、日本新聞協会、1988年6月、48-54頁。ISSN 02880652
  • 山田晴通「汝の敵を知れ――戦時下のナショナル・ジオグラフィックマガジンが描いた『敵国』日本」『地理』33巻8号、古今書院、1988年8月、110-116頁。ISSN 05779308
  • 山田晴通「『村のニュ-メディア』農村型CATV」『地理』33巻11号、古今書院、1988年11月、40-48頁。ISSN 05779308
  • 山田晴通「JCTVの事業展開と経営的成功の背景」『新聞学評論』38号、日本マス・コミュニケーション学会、1989年4月30日、138-151、271-272頁。ISSN 04886550
  • 山田晴通「地域メディアの選挙報道」『新聞研究』479号、日本新聞協会、1991年6月、14-16頁。ISSN 02880652
  • 山田晴通「田舎と都会の間、あるいは、『あの日の僕をさがして』をみて」『地理』37巻9号、古今書院、1992年9月、32-38頁。ISSN 05779308
  • 山田晴通「地理学におけるエスニシティ研究によせて、あるいは、板前は包丁を研ぐ」『地理』38巻8号、古今書院、1993年8月、80-85頁。ISSN 05779308
  • 山田晴通「阪神大震災――その翌日」『地理』40巻3号、古今書院、1995年3月、3頁、16-20頁。ISSN 05779308
  • 山田晴通「論文翻訳ノススメ」『地理科学』50巻1号、地理科学学会、1995年7月1日、65頁。ISSN 02864886
  • 山田晴通「地域情報化1」『地理』40巻10号、古今書院、1995年10月、75-79頁。ISSN 05779308
  • 山田晴通「地域情報化2」『地理』40巻11号、古今書院、1995年11月、84-89頁。ISSN 05779308
  • 山田晴通「地域情報化3」『地理』40巻12号、古今書院、1995年12月、94-97頁。ISSN 05779308
  • 山田晴通「カルチュラル・スタディーズをどうとらえるか」『地理』41巻12号、古今書院、1996年12月、38-45頁。ISSN 05779308
  • 山田晴通「地域」『マス・コミュニケーション研究』50号、日本マス・コミュニケーション学会、1997年1月31日、16-23、237頁。ISSN 13411306

翻訳

  • ピーター・J・テイラー筆、山田晴通訳「イングランド人とそのイングランドらしさ――『不思議なくらい謎めき、捉えどころがない、ほとんど理解不能な人々』」『地理科学』47巻4号、地理科学学会1992年10月28日、197-220頁。ISSN 02864886
  • パーヴェル・イリーイン筆、山田晴通訳「偉人にちなんだ(旧)ソビエト諸都市の改称――地名についての歴史的展望」『地図』33巻2号、日本国際地図学会、1995年6月30日、13-41頁。ISSN 00094897

脚注

  1. ^ a b c d e f 山田晴通 (2007年1月5日). “FAQs to H.YAMADA: 山田への「よくある質問」(FAQ)”. 山田への「よくある質問」(FAQ). 東京経済大学. 2012年8月1日閲覧。
  2. ^ a b c d GOOD PROFESSOR(グッドプロフェッサー) 山田 晴通 教授 東京経済大学 コミュニケーション学部 |第一志望現役合格【早稲田塾】”. 東京経済大学コミュニケーション学部山田晴通教授. 早稲田塾 (2008年10月2日). 2010年9月15日閲覧。
  3. ^ 山田のウィキペディア観については、山田晴通「ウィキペディアとアカデミズムの間」、『人文自然科学論集』第131号、東京経済大学、2011年10月20日、 57-75頁を参照(リンク先は写し)。「ウィキペディアは本質的に「演説台」であり,「独自の考えを発表する場」であり,「戦場」であり,「無法地帯」なのだ,という穿った見方が成り立」ち、新規参加者をいじめ、礼儀を忘れ、多重アカウントを駆使し、議論を混乱させ、自説を言いつづけ、時間をかけて大量のコメントを書きつづけた者が該当の記事を支配することがあると指摘し、ウィキペディアのいわゆる「独自研究」に励むべき専門の研究者・学者は、定説を書くことを求められるウィキペディアとは相性が悪いとの見解を示している。
  4. ^ 山田晴通 (2012年4月6日). “Harumichi YAMADA: curriculum vitae”. その他の団体. 東京経済大学. 2012年7月20日閲覧。
  5. ^ 宮城県石巻市における地域紙興亡略史 : 地域紙の役割変化を中心に」『新聞学評論 (33)』日本マス・コミュニケーション学会
  6. ^ 地域の情報化から,地域の再構成へ」『コミュニケーション科学 (15)』東京経済大学 コミュニケーション学会
  7. ^ 19世紀末英国のトルストイ的アナキズムの実践地「ホワイトウェイ・コロニー(Whiteway Colony)」の歴史と現在の景観」『人文自然科学論集 (128)』東京経済大学人文自然科学研究会
  8. ^ 「高野紀子先生 vs 山田晴通先生」国立音楽大学付属図書館広報誌『ぱるらんど』218号掲載の高野紀子との対談を参照(「高野紀子先生 vs 山田晴通先生」のテキストの写し)。
  9. ^ [年記]:2008年を振り返るの「山田研究室の「十大」ニュース」の「6(位)」、九州大学百周年記念事業も参照。
  10. ^ 例えば山田晴通(1999):『globe:小室哲哉の歌詞が描き出す世界』
  11. ^ 例えばJポップ歌詞、瞳閉じすぎ? 目立つ紋切り型に批判も(朝日新聞デジタル2012年4月6日付、同日閲覧)
  12. ^ 山田 晴通(Yamada Harumichi)|学部・学科|東京経済大学”. 東京経済大学. 2012年7月20日閲覧。
  13. ^ a b c d e 山田晴通. “H.YAMADA remembers the year 2007: 2007年を振り返る”. 山田研究室の「十大」ニュース. 東京経済大学. 2013年2月17日閲覧。
  14. ^ a b c 山田晴通. “H.YAMADA remembers the year 2005: 2005年を振り返る”. 山田研究室の「十大」ニュース. 東京経済大学. 2013年2月17日閲覧。
  15. ^ a b c 山田晴通. “H.YAMADA remembers the year 2004: 2004年を振り返る”. 山田研究室の「十大」ニュース. 東京経済大学. 2013年2月17日閲覧。
  16. ^ a b 山田晴通 (2004年2月13日). “H.YAMADA remembers the year 2003: 2003年を振り返る”. 山田研究室の「十大」ニュース. 東京経済大学. 2013年2月17日閲覧。
  17. ^ 「検証『北高南低』 92知事選に寄せて(4) 助教授の視点 目に見える整備必要 中南信地方に対して知事も足を運ぶべき」『中日新聞』1992年9月26日朝刊。
  18. ^ 「成功収めたが反省点も 信州博、松本城400年まつり 映像偏重の企業館 『半強制的な前売り』と不評」『中日新聞』1993年9月27日朝刊。
  19. ^ 「輝き放つ洋楽ロック懐メロ 30、40代シビれる80's CDも大ヒット クイーン、S・ワンダーら続々来日 時代共有、琴線に触れる」『中日新聞』2005年11月3日朝刊。
  20. ^ 「投資向けマンション販売会社 脱税指南で購入促す 架空経費計上し不正還付」『産経新聞』2006年1月14日朝刊。
  21. ^ 山田晴通. “H.YAMADA remembers the year 2006: 2006年を振り返る”. 山田が選んだ世間の「十大」ニュース. 東京経済大学. 2013年2月17日閲覧。
  22. ^ 「身近なニュースで影響力 2万余世帯の十日町・津南に5地域紙」『朝日新聞』2008年5月26日。
  23. ^ 「Jポップ歌詞、瞳閉じすぎ? 目立つ紋切り型に批判も」『朝日新聞』2012年4月4日朝刊。
  24. ^ 山田晴通. “わが国におけるCATV(有線テレビジョン)の存立基盤 : 空間的展開と地域的特性”. 国立国会図書館サーチ. 2015年5月31日閲覧。

外部リンク