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「名古屋市電高岳線」の版間の差分

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{{Infobox rail line
'''高岳線'''(たかおかせん)は、かつて[[愛知県]][[名古屋市]]に存在した[[名古屋市電]]の[[鉄道路線|路線]]([[路面電車]])の一つである。同市[[中区 (名古屋市)|中区]]の東新町停留場を起点に、[[東区 (名古屋市)|東区]]を経て[[北区 (名古屋市)|北区]]の大曽根停留場までを結んだ。
|box_width = 300px
|name = 高岳線
|status = 廃止
|start = 起点:東新町電停
|end = 終点:大曽根電停
|stations = 9駅(1961年12月現在)
|open = 1914年11月5日
|event1label = 市営化
|event1 = 1922年8月1日
|close = 1971年4月1日
|owner = [[名古屋電気鉄道]]<br />→[[名古屋市交通局]]([[名古屋市電]])
|linelength = 3.6 km
|gauge = {{RailGauge|1067mm|lk=on}}
|el = [[直流電化|直流]]600 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]
|map = [[ファイル:Nagoya City Tram Takaoka Line.svg|280px|高岳線路線図]]
|map_name=路線図(1961年)
}}
{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header|路線概略図&nbsp;|#ddd}}
{{BS-table}}
{{BS|uexBHF||1971年廃止時の電停}}
{{BS|uexHST||それ以前に廃止された電停||}}
{{BS|exBHF grey||1967年廃止区間の電停||}}
{{BS-colspan}}
----
{{BS5||||uexSTRq|uexTBHFx|0.0|''東新町電停''|{{BSsplit|↑''[[名古屋市電高岳延長線|高岳延長線]]''|←''[[名古屋市電栄町線|栄町線]]''→}}}}
{{BS5||||tSTRq|uxmKRZt|||名市交:[[名古屋市営地下鉄東山線|東山線]]}}
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{{BS5||||uexSTRq|uexTBHFx|1.0|''東片端電停''|←''[[名古屋市電東片端線|東片端線]]''→}}
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{{BS5||||exSTR+l grey|exCONTfq grey|O5=uexBHF|1.5|''清水口電停''|}}
{{BS5||||exSTR grey|uexSTR|O5=POINTERf@gq|||''[[名古屋市電清水口延長線|清水口延長線]]''}}
{{BS3|||exBHF grey|2.0|''長塀町五丁目電停''|}}
{{BS3||uexSTR|O2=POINTERg@fq|exSTR grey|||''[[名古屋市電葵町線|山口町線]]''}}
{{BS3|uexSTR+l|exCONTgq grey|O2=uexKHSTe|P2=uexKBHFeq|exSTRr grey|2.3|''赤塚電停''|}}
{{BS3|uexBHF|||2.7|''山口町電停''}}
{{BS3|uexBHF|||3.0|''徳川町電停''}}
{{BS5|eHSTq|O1=HUBa|STRq|O2=uexSTR|HSTq|O3=HUBa|||||[[名古屋鉄道|名鉄]]:[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]] [[森下駅 (愛知県)|森下駅]] I/II}}
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{{BS5|uexSTRq|uexTBHFxeq|O2=HUBe||||3.6|''大曽根電停''|(II) {{BSsplit|←''[[名古屋市電大曽根線|大曽根線]]''|''[[名古屋市電御成通線|御成通線]]''↓}}}}
|}
|}
'''高岳線'''(たかおかせん)は、かつて[[愛知県]][[名古屋市]]に存在した[[名古屋市電]]の[[鉄道路線|路線]]([[路面電車]])の一つである。同市[[中区 (名古屋市)|中区]]の東新町停留場を起点に、[[東区 (名古屋市)|東区]]内を経て[[北区 (名古屋市)|北区]]の大曽根停留場までを結んだ。


[[1914年]]([[大正]]3年)から[[1915]](大正4年)にかけて開業した。当初は[[名古屋電気鉄道]]という[[私鉄]]が運営したが、[[1922年]](大正11年)に市営化され、名古屋市電気局(1945年以降[[名古屋市交通局|交通局]])の運営となった。[[1967年]]([[昭和]]42年)から[[廃線|廃止]]が始まり、[[1971年]](昭和46年)に全廃された。
[[1914年]]([[大正]]3年)から年にかけて[[名古屋電気鉄道]]により開業。[[1922年]](大正11年)に市営化され、名古屋市電気局(1945年以降[[名古屋市交通局|交通局]])の運営となった。[[1967年]]([[昭和]]42年)から[[廃線|廃止]]が始まり、[[1971年]](昭和46年)に全廃された。路線名を'''大曽根線'''としていた時期もある


== 路線概況 ==
== 路線概況 ==
全長は3.609[[キロメートル]](1962年3月末時点)<ref name="r36">[[#reportS36|『交通事業成績調書』昭和36年度]]63-68頁</ref>。全線が[[複線]]かつ[[併用軌道]]であった<ref name="r36"/><ref name="haisen">[[#tokuda|『名古屋市電が走った街今昔』]]18-19頁(「名古屋市電全線路線図」)</ref>。
{{File clip | Nagoya Shiden Route Map 01.PNG | width = 300 | 0 | 21 | 63 | 45 | w = 910 | h = 960 |1961年12月当時の高岳線(図中13番)<br />f: 高岳町}}


起点の東新町停留場は、高岳線と[[名古屋市電高岳延長線|高岳延長線]]、[[名古屋市電栄町線|栄町線]]の市電3路線が集まる地点である<ref name="chizucho">[[#chizucho|『日本鉄道旅行地図帳』7号]]24・54-61頁</ref>。東西方向の[[広小路通 (名古屋市)|広小路通]]([[愛知県道60号名古屋長久手線]])と南北方向の空港線([[名古屋市道堀田高岳線]]、高岳交差点以北は[[国道41号]])が交差する[[東新町 (名古屋市)|東新町]]交差点に位置し<ref name="map"/>、東西方向に栄町線、交差点から北へ高岳線、南へ高岳延長線が伸びていた<ref name="chizucho"/>。1960年代の時点では南北方向の高岳線・高岳延長線と東西方向の栄町線は[[平面交差|交差]]するだけであり連絡線はなく<ref name="haisen"/>、双方をまたぐ運転系統は存在しなかった。東新町の一帯は繁華街[[栄 (名古屋市)|栄]]の東に位置し、[[中部電力]]本店や名古屋市交通局本庁舎(1954 - 1966年)などが集まる[[ビル街]]、また「[[女子大小路]]」で知られる[[ネオン街]]の地である<ref>[[#tokuda|『名古屋市電が走った街今昔』]]63・78頁</ref>。
全長は約3.61[[キロメートル|km]](1962年3月末時点)<ref name="s36">『交通事業成績調書』昭和36年度、pp.63-68</ref>。全線が[[複線]]かつ[[併用軌道]]である<ref name="s36"/><ref name="配線">『名古屋市電が走った街 今昔』、pp.18-19</ref>。


東新町から空港線を北上すると、[[外堀通 (名古屋市)|外堀通]]と交差する[[東片端]]交差点に東片端停留場があった<ref name="map"/>。ここは東西方向に走る[[名古屋市電東片端線|東片端線]]との接続地点にあたり<ref name="chizucho"/>、同線との平面交差に加えて東片端線西方向(大津橋方面)と高岳線北方向(清水口方面)を繋ぐ連絡線があった<ref name="haisen"/>。東片端の北、清水口停留場は空港線と出来町通([[愛知県道215号田籾名古屋線]])が交差する清水口交差点にあり<ref name="map"/>、ここで[[名古屋市電清水口延長線|清水口延長線]]が分岐した<ref name="haisen"/><ref name="chizucho"/>。同線が引き続き空港線を北上する一方、高岳線は東に折れて出来町通を進んだ<ref name="map"/>。
起点の東新町停留場は、[[繁華街]][[栄 (名古屋市)|栄]]の東側で、東西方向の[[広小路通 (名古屋市)|広小路通]]([[愛知県道60号名古屋長久手線]])と南北方向の空港線([[名古屋市道堀田高岳線]]、高岳交差点以北は[[国道41号]])が交差する東新町交差点にあった<ref name="map"/>。高岳線はここから空港線を北上する<ref name="map"/>。この交差点は市電の[[十字路]]でもあり、北上する高岳線のほか、この線に接続して南下する[[名古屋市電高岳延長線|高岳延長線]]、広小路通上を東西方向に行く[[名古屋市電栄町線|栄町線]]が存在した。なお、南北方向の高岳線・高岳延長線と東西方向の栄町線は[[平面交差|交差]]するだけであり、連絡線はなかった<ref name="配線"/>。


清水口から東へ進んだ赤塚停留場も市電路線と接続する地点で、ここで[[名古屋市電葵町線|山口町線]]が合流した<ref name="haisen"/><ref name="chizucho"/>。停留場は、東西方向の出来町通と山口町線が走る南北方向の[[国道19号]]が交差する赤塚交差点にあった<ref name="map"/>。高岳線が出来町通上を進むのは赤塚の次の山口町停留場までで、ここで北へ曲がって名古屋市道を北上した<ref name="map"/>。
北上して[[外堀通 (名古屋市)|外堀通]]と交差する場所が東片端停留場のあった東片端交差点である<ref name="map"/>が、ここも市電の十字路であり、外堀線上を行く[[名古屋市電東片端線|東片端線]]と交差した。ここには連絡線があり、東片端線の西側(大津橋方面)と高岳線の北側(清水口方面)が直通できる配線とされていた<ref name="配線"/>。


[[ファイル:Ozmall 20140123.JPG|thumb|[[OZモール|大曽根商店街]]西口(2014年)。この近くに大曽根停留場があった。]]
一つ次の清水口停留場があった清水口交差点も空港線と出来町通([[愛知県道215号田籾名古屋線]])が交差する十字路である<ref name="map"/>が、市電は[[三叉路]]であった。高岳線はここで、引き続き空港線を北上する[[名古屋市電清水口延長線|清水口延長線]]を分け、東に折れて出来町通を進んだ<ref name="map"/>。


徳川町停留場を過ぎると25.6[[パーミル]]の勾配があり、これを下ると当時地上を走っていた[[名古屋鉄道]](名鉄)[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]との[[ダイヤモンドクロッシング|平面交差]]が存在した<ref name="rml171-45">[[#rml171|『名古屋市電(中)』]]45頁</ref>。踏切の西には名鉄の[[森下駅 (愛知県)|森下駅]]があるが、市電には対応する停留場がなく、最寄は大曽根停留場であった<ref name="rml171-45"/>。当時の瀬戸線のターミナルは都心部の[[大津町駅 (愛知県)|大津町駅]]でここで市電と接続していたが、市電沿線や大曽根の北方で市電に接続する[[名鉄小牧線]]と瀬戸線の乗り継ぎがあり、清水駅・大曽根停留場で乗り換える乗客も多かった<ref>[[#tokuda|『名古屋市電が走った街今昔』]]102頁</ref>。この大曽根停留場は高岳線の終点で、国道19号と再び交差する大曽根交差点に位置しており<ref name="map"/>、付近に名古屋市北部の繁華街であった[[OZモール|大曽根商店街]]入口が立地する<ref name="rml171-45"/>。交差点が五叉路であるのに対し<ref name="map"/>、市電は高岳線と名鉄小牧線[[上飯田駅]]方面へ北上する[[名古屋市電御成通線|御成通線]]、国道19号を北東方向へと進む[[名古屋市電大曽根線|大曽根線]]の3路線が集まっており<ref name="chizucho"/><ref name="map"/>、高岳線から御成通線か大曽根線のどちらかへ直通できる配線となっていた<ref name="haisen"/>。
二つ東の赤塚停留場は、出来町通と[[国道19号]]が交差する赤塚交差点にあり<ref name="map"/>、国道19号を北上してきた[[名古屋市電葵町線|市電山口町線]]とここで合流した。出来町通上を行くのは赤塚の次の山口町停留場までで、ここで曲がって名古屋市道森下山口町線を北上する<ref name="map"/>。

山口町から二つ北上した先が高岳線の終点大曽根停留場であるが、この手前(南側)に当時地上を走っていた[[名古屋鉄道]](名鉄)[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]との平面交差が存在した。交差地点の西側には名鉄の[[森下駅 (愛知県)|森下駅]]があり、ここで瀬戸線と市電の乗り換えが可能であった<ref>『名古屋市電が走った街 今昔』、p102</ref>。大曽根停留場は市道や国道19号などが交差する大曽根交差点に位置していた<ref name="map"/>。交差点が五叉路であるのに対し、市電は高岳線と名鉄[[上飯田駅]]方面へ北上する[[名古屋市電御成通線|御成通線]]、国道19号を北東方向へと進む[[名古屋市電大曽根線|大曽根線]]が集まる三叉路であった。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 開業 ===
名古屋市電の前身・[[名古屋電気鉄道]]によって敷設された路線の一つである。まず[[1914年]](大正3年)[[11月5日]]に、東新町から長塀町三丁目(後の清水口)までの1.5kmが開通する<ref name="50p585">『市営五十年史』、p585</ref><ref name="地図帳"/>。翌[[1915年]](大正4年)[[3月17日]]赤塚までの0.8km、同年[[4月26日]]徳川邸前(後の徳川町)までの0.7kmと順次延伸し、[[5月30日]]に大曽根までの0.6kmが開通して東新町・大曽根間が全通した<ref name="50p585"/><ref name="地図帳"/>。
名古屋市のうち高岳線沿線にあたる[[東片端]]や長塀町(現・[[白壁]])といった地域は、[[江戸時代]]には[[名古屋城]]東方に広がる[[武家町]]であった土地で<ref>[[#chomei|『なごやの町名』]]142・153頁</ref>、[[明治]]に入ってからは住宅地に姿を変えていた<ref>[[#higashiku|『東区史』]]63頁</ref>。さらにその東の[[赤塚町 (名古屋市)|赤塚町]]や[[大曽根 (名古屋市)|大曽根町]]は名古屋城下から[[中山道]]へと通ずる[[下街道 (善光寺道)|下街道]]沿いに位置し、街道沿いの町としてにぎわった地域にあたる<ref>[[#higashiku|『東区史』]]189-190頁</ref>。また大曽根町に接する[[六郷村 (愛知県西春日井郡)|六郷村]]大字大曽根(1921年名古屋市に編入、[[東大曽根町]]となる<ref>[[#kado|『角川日本地名大辞典』23]]、1106頁</ref>)は明治末期に[[中央本線]][[大曽根駅]]や瀬戸電気鉄道(現・[[名鉄瀬戸線]])の駅が地内に開設されたのを機に交通の要所となり、純農村から商業地へと発展していた<ref>[[#kitaku|『北区誌』]]300-301頁</ref>。


[[1898年]](明治31年)になって、名古屋で最初の[[路面電車]]が[[名古屋電気鉄道]]によって敷設された<ref name="rml170-4">[[#rml170|『名古屋市電(上)』]]4-7頁</ref>。その後路線の延伸が進み[[1903年]](明治36年)には[[千種駅|千種]]まで到達<ref name="rml170-4"/>、東新町付近<!--当時は電停なし-->にも電車が通るようになった([[名古屋市電栄町線|栄町線]])<ref name="chizucho"/>。[[大正]]時代に入ると栄町線の北側にあたる地域での路線建設が進み、[[1913年]](大正2年)からの2年間で5つの路線が相次いで開業した<ref name="mei-72">[[#mei|『名古屋鉄道社史』]]72頁</ref>。高岳線はこの時期に建設された路線の一つであり<ref name="mei-72"/>、前年11月15日付で東新町から大曽根までの軌道敷設[[特許 (行政法)|特許]]が会社に下りた<ref>[[#mei|『名古屋鉄道社史』]]732頁<!--社史年表では11月15日申請という旨があるが事業買収顛末ではこの日に特許--></ref><ref name="tbcn1922">[[#tbcn1922|『電気軌道事業買収顛末』]]62・68頁</ref>。
[[1922年]](大正11年)[[8月1日]]に名古屋電気鉄道の市内線全線が名古屋市に買収され、名古屋市電が成立した。この時点では、東新町・大曽根間約3.6kmは、高岳線ではなく「大曽根線」という名称であり、高岳線はその別名であった<ref>『電気軌道事業買収顛末』、p62</ref>。


特許区間は既設線(栄町線)より分岐する[[新栄|新栄町]]3丁目から六郷村大字大曽根(→東大曽根町)字神戸までで、当時の県道上に敷設するものとされた<ref name="tbcn1922"/>。県道(「大曽根線」と称する)については東新町角から長塀町・山口町を経て大曽根へと至る3.6キロメートルが、1914年から翌年にかけて幅員8[[間]](14.5メートル)の道路として整備された<ref>[[#up|『名古屋都市計画史』上巻]]283-286頁</ref>。電車はまず1914年[[11月5日]]、栄町線に接続する東新町停留場から長塀町三丁目(後の清水口)停留場までの1.5キロメートルが開通した<ref name="tbcn50-585">[[#tbcn50|『市営五十年史』]]585頁</ref><ref name="chizucho"/>。この時途中の東片端で接続する[[名古屋市電東片端線|東片端線]]も開業している<ref name="chizucho"/>。
1950年代の市電最盛期を過ぎて市電の廃止期に入ると、高岳線も順次撤去されていく。まず中間の清水口・赤塚間が[[1967年]](昭和42年)[[2月1日]]に廃止される<ref>『市営五十年史』、p640</ref>。4年後の[[1971年]](昭和46年)2月1日には、[[名古屋市電明道町線|明道町線]]菊井町から御成通線上飯田までの廃線に伴い東側の赤塚・大曽根間が廃止された<ref>『市営五十年史』、p650</ref><ref name="地図帳"/>。残る東新町・清水口の区間は、その北に接続する清水口延長線とともに2か月後の同年[[4月1日]]に廃止され<ref>『市営五十年史』、p652</ref><ref name="地図帳"/>、高岳線は全廃された。


長塀町三丁目から先は翌[[1915年]](大正4年)の開通で、[[3月17日]]に赤塚停留場までの0.8キロメートル、[[4月26日]]に徳川邸前(後の徳川町)停留場までの0.7キロメートルがそれぞれ開通し、[[5月30日]]に大曽根停留場まで0.6キロメートル延長されて東新町 - 大曽根間が全通した<ref name="tbcn50-585"/><ref name="chizucho"/>。この大曽根延伸によって途中に瀬戸電気鉄道との[[平面交差]]が生じている<ref>[[#rml170|『名古屋市電(上)』]]35頁</ref>。
== 停留場 ==
1961年12月の時点で、高岳線には以下の9[[停留場]]が設置されていた。


=== 市営化とその後 ===
{| class="wikitable"
[[1922年]](大正11年)[[8月1日]]、名古屋電気鉄道市内線10路線を名古屋市が買収・市営化し[[名古屋市交通局|名古屋市電気局(後の交通局)]]が引き継いだことで名古屋市電が成立した<ref>[[#rml170|『名古屋市電(上)』]]7-8頁</ref>。これにより高岳線東新町 - 大曽根間3.609キロメートル<!--2マイル19チェーン40リンク-->は名古屋市電の路線の一つとなっている<ref name="tbcn1922"/>。ただしこの時点での正規の路線名は「大曽根線」であり、高岳線はその別名とされていた<ref name="tbcn1922"/>。名古屋市の資料によると、1917年末時点では東新町 - 大曽根間は「高岳線」であるが<!--1マイル75チェーン75リンク--><ref>[[#stat|『名古屋市統計書』]]第19回、1919年、290頁。{{NDLJP|974459/199}}</ref>、1919年末時点では「大曽根線」に変わっている<ref>[[#stat|『名古屋市統計書』]]第21回、1921年、293頁。{{NDLJP|974460/198}}</ref>。市営化後、1923年末時点では再び「高岳線」と称する<ref>[[#stat|『名古屋市統計書』]]第25回、1925年。{{NDLJP|974482/10}}</ref>。

高岳線においては、市営化当初の1922年12月時点で、東新町 - 大曽根間の線内系統と東新町経由で栄町線[[名古屋駅]]前と大曽根を結ぶ系統の、合わせて2つの運転系統が設定されていた<ref>[[#tbcn10|『市営十年』]]61-62頁および巻頭「電車運転系統図(市営当初)」</ref>。翌[[1923年]](大正12年)12月、[[名古屋市電高岳延長線|高岳延長線]]開通に伴い東新町起点の線内系統は同線鶴舞公園方面への直通系統(当初の起点は[[名古屋市電公園線|御黒門線]]門前町停留場)に改められた<ref>[[#tbcn10|『市営十年』]]62-63頁</ref>。さらに[[1926年]](大正15年)4月には赤塚で接続する[[名古屋市電葵町線|山口町線(葵町線)]]との直通系統(当初の設定区間は[[名古屋市電岩井町線|岩井町線]]水主町 - 大曽根間)も出現した<ref>[[#tbcn30|『市営三十年史』]]後編95・98頁</ref>。

1940年以降は高岳線に接続する路線が相次いで建設され、[[1942年]](昭和17年)6月に大曽根から先へ東大曽根まで[[名古屋市電大曽根線|大曽根線]]が、[[1944年]](昭和19年)7月には[[上飯田 (名古屋市)|上飯田]]まで[[名古屋市電御成通線|御成通線]]がそれぞれ開通し、[[1949年]](昭和24年)7月には途中の清水口から分岐する[[名古屋市電清水口延長線|清水口延長線]]も開業している<ref>[[#tbcn50|『市営五十年史』]]513頁</ref>。これらの路線が開業した結果、高岳線には大曽根線・御成通線・清水口延長線と直通する運転系統が多数設定され、東片端線大津橋方面との直通系統も現れた(下記[[#運転系統]]参照)。なおこの間、[[太平洋戦争]]末期の[[1945年]](昭和21年)[[3月27日]]より、[[名古屋大空襲|空襲]]被害のため高岳延長線を含む鶴舞公園前 - 東新町 - 東片端間が長期の営業休止となった<ref name="chizucho"/>。再開は戦後の[[1946年]](昭和21年)[[4月1日]]のことである<ref name="chizucho"/>。

高岳線の周辺路線には、上記に挙げた路線以外にも、[[1928年]](昭和3年)3月、東区[[新出来|新出来町]]1丁目(高岳線山口町停留場は地内にある<ref>[[#map1965-h|『名古屋市全商工住宅案内図帳』東区]]</ref>)から東へ[[古出来|古出来町]]まで1.267キロメートル<!--63チェーン-->にわたる「山口町延長線<ref>[[#dainagoya|『大名古屋』]]377頁。{{NDLJP|1256247/227}}</ref>」の軌道敷設特許を名古屋市は得ていたが<ref>『[[官報]]』1928年4月14日付、{{NDLJP|2956847/7}}</ref>、この路線の建設は実現していない。

=== 廃止 ===
名古屋市電は1950年代末に路線網・輸送人員ともに最盛期を迎えたが、[[1961年]](昭和36年)には[[名古屋市営地下鉄|市営地下鉄]]の建設と引き替えに[[1985年]](昭和60年)までにおおむね撤去するという方針が国の都市交通審議会で示された<ref name="rml170-14">[[#rml170|『名古屋市電(上)』]]14-19頁</ref>。その上、事業の大幅な赤字化や[[名古屋市営バス|市営バス]]の急速な拡大、[[自動車]]の普及による交通事情の変化など市電を取り巻く環境が変化したことから、[[1965年]](昭和40年)3月、市交通局は地下鉄建設推進・バスの拡充とその一方での市電の段階的廃止を盛り込んだ「名古屋市交通事業の5カ年計画」を発表する<ref name="rml170-14"/>。同計画では1969年度までの5年間で廃止すべきとして7線区計23.3キロメートルを取り上げており、その中で高岳線の清水口 - 赤塚間0.9キロメートルは1966年度に廃止すべき路線とされた<ref name="plan">[[#plan|『名古屋市交通事業の5カ年計画』]]7-9頁</ref>。廃止の理由は、道路幅が狭いのにもかかわらず自動車交通が激増したためとされている<ref name="plan"/>。同区間は[[1967年]](昭和42年)[[2月1日]]付で廃止された<ref>[[#tbcn50|『市営五十年史』]]640頁(巻末年表)</ref>。

部分廃止に先立つ1967年1月、市交通局は先の「5カ年計画」を延長した「交通事業の長期計画」を策定し1975年度までの市電全廃を決定し、さらに翌[[1968年]](昭和43年)12月には市電全廃の時期を1973年度に前倒しした<ref name="rml170-14"/>。市電全廃決定後、[[1971年]](昭和46年)2月1日付で[[名古屋市電明道町線|明道町線]]菊井町より御成通線上飯田に至る計6.8キロメートルの廃線に伴い残存区間東側の赤塚 - 大曽根間が廃止となった<ref>[[#tbcn50|『市営五十年史』]]650頁(巻末年表)</ref><ref name="chizucho"/>。西側の東新町 - 清水口間は、清水口で接続する清水口延長線清水口 - 黒川間(合計2.8キロメートル)とともに2か月後の同年[[4月1日]]付で廃止された<ref>[[#tbcn50|『市営五十年史』]]652頁(巻末年表)</ref><ref name="chizucho"/>。以上で東新町 - 大曽根間は全廃されたが、統計には高岳線は東新町付近の0.229キロメートルの路線として記載がある<ref>[[#reportS45|『交通事業成績調書』昭和45年度]]15-17頁</ref>。ただし翌[[1972年]](昭和47年)[[3月1日]]付で東新町以南の路線も廃止されている<ref>[[#tbcn50|『市営五十年史』]]654-655頁(巻末年表)</ref>。

市電廃止後の1971年12月、[[名古屋市営地下鉄名城線|市営地下鉄名城線]]が[[市役所駅]]から[[黒川駅 (愛知県)|黒川]]・[[平安通駅|平安通]]を経て[[大曽根駅]]まで延伸され、[[栄駅 (愛知県)|栄]]と大曽根を結ぶ市営交通の新ルートが完成した<ref>[[#tbcn50|『市営五十年史』]]252-253頁</ref>。

== 停留場 ==
廃止前の時点で、高岳線には以下の9[[路面電車停留場|停留場]]が設置されていた。
{| class="wikitable" style="font-size:small;"
|-
|-
!停留場名<ref name="地図帳">『日本鉄道旅行地図帳』7号、p58</ref>
!停留場名<ref name="chizucho-58">[[#chizucho|『日本鉄道旅行地図帳』7号]]58頁</ref>
!距離<br />(km)<ref name="地図帳"/>
!キロ程<ref name="chizucho-58"/><br />(km)
!位置<ref name="map">位置関係は『名古屋市全商工住宅案内図帳』([[住宅地図]]・1965年)による。<br />道路名・交差点名は現在の地図および[http://www.douroninteizu.city.nagoya.jp/ 名古屋市道路認定図]から補記。</ref>
!所在地<ref>[[#map1965|『名古屋市全商工住宅案内図帳』]](住宅地図・1965年)</ref>
!位置<ref name="map">位置は[[#map1965|『名古屋市全商工住宅案内図帳』]]([[住宅地図]]・1965年)に基づく。道路名・交差点名は[[#map2016|『ゼンリン住宅地図』]](2016年)および名古屋市緑政土木局路政部道路利活用課「[http://www.douroninteizu.city.nagoya.jp/ 名古屋市道路認定図]」(2016年8月1日閲覧)から補記。</ref>
|-
|-
|東新町(ひがししんちょう)
|東新町(ひがししんちょう)
|style="text-align:right;"|0.0
|style="text-align:right;"|0.0
|[[中区 (名古屋市)|中区]][[新栄|新栄町]]3丁目
|中区:東新町交差点(空港線・[[広小路通 (名古屋市)|広小路通]]交差)付近
|[[東新町 (名古屋市)|東新町]]交差点付近
|-
|-
|高岳町(たかおかちょう)
|高岳町(たかおかちょう)
|style="text-align:right;"|0.6
|style="text-align:right;"|0.6
|[[東区 (名古屋市)|東区]][[高岳町]]2丁目
|東区:高岳交差点(空港線・[[国道19号]]交差)付近
|高岳交差点付近
|-
|-
|東片端(ひがしかたは)
|東片端(ひがしかたは)
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|1.0
|東区[[東片端|東片端町]]2丁目・3丁目
|東区:東片端交差点(空港線・[[外堀通 (名古屋市)|外堀通]]交差)付近
|東片端交差点付近
|-
|-
|清水口(しみずぐち)
|清水口(しみずぐち)
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|1.5
|東区[[長塀町]]3丁目
|東区:清水口交差点(空港線・[[愛知県道215号田籾名古屋線|出来町通]]交差)付近
|清水口交差点付近
|-
|-
|長塀町五丁目(ながへいちょうごちょうめ)
|長塀町五丁目<br />(ながへいちょうごちょうめ)
|style="text-align:right;"|2.0
|style="text-align:right;"|2.0
|東区:白壁交差点西方
|東区長塀町5丁目
|[[白壁]]交差点西方
|-
|-
|赤塚(あかつか)
|赤塚(あかつか)
|style="text-align:right;"|2.3
|style="text-align:right;"|2.3
|東区[[赤塚町 (名古屋市)|赤塚町]]1丁目<br />東区[[山口町 (名古屋市)|山口町]]
|東区:赤塚交差点(出来町通・国道19号交差)付近
|赤塚交差点付近
|-
|-
|山口町(やまぐちちょう)
|山口町(やまぐちちょう)
|style="text-align:right;"|2.7
|style="text-align:right;"|2.7
|東区山口町交差点付近
|東区山口町<br />東区[[新出来|新出来町]]1丁目
|山口町交差点付近
|-
|-
|徳川町(とくがわちょう)
|徳川町(とくがわちょう)
|style="text-align:right;"|3.0
|style="text-align:right;"|3.0
|東区[[大曽根 (名古屋市)|大曽根町]]
|東区:徳川町交差点付近
|[[徳川 (名古屋市)|徳川町]]交差点付近
|-
|-
|大曽根(おおぞね)
|大曽根(おおぞね)
|style="text-align:right;"|3.6
|style="text-align:right;"|3.6
|北区大曽根交差点付近
|[[北区 (名古屋市)|北区]][[東大曽根町]]本通1丁目
|大曽根交差点付近
|}
|}


=== 停留場の変遷 ===
=== 停留場の変遷 ===
{{OSM Location map
<small>出典はいずれも『日本鉄道旅行地図帳』7号である。</small>
|coord = {{coord|35|10|47|N|136|55|19|E}}

|zoom = 13
* 1914年11月5日、駿河町・高岳院前・東片端・主税町・長塀町三丁目を新設(東新町は栄町線側で既設)。
|float = right
* 1915年3月17日、長塀町六丁目・赤塚を新設。
|width = 250
* 1915年4月9日、鍋屋町を新設。
|height = 200
* 1915年4月26日、山口町・徳川邸前を新設。
|caption = 停留場位置
* 1915年5月30日、大曽根を新設。
|auto-caption = 1
** この直後の停留場12か所を起点から並べると、以下の通りになる。
|mark-coord1 = {{coord|35|10|9.9|N|136|54|52.6|E}}
|mark-title1 = 東新町停留場
|shape1 = n-circle
|shape-color1 = dark green
|shape-outline1 = white
|mark-size1 = 15
|mark-coord2 = {{coord|35|10|27.0|N|136|54|51.4|E}}
|mark-title2 = 高岳町停留場
|shape-color2 = dark green
|shape-outline2 = white
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|mark-coord3 = {{coord|35|10|43.1|N|136|54|50.4|E}}
|mark-title3 = 東片端停留場
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|mark-coord4 = {{coord|35|10|59.5|N|136|54|48.8|E}}
|mark-title4 = 清水口停留場
|shape-color4 = dark green
|shape-outline4 = white
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|mark-coord5 = {{coord|35|11|0.8|N|136|55|6.0|E}}
|mark-title5 = 長塀町五丁目停留場
|shape-color5 = dark green
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|mark-coord6 = {{coord|35|11|0.8|N|136|55|25.5|E}}
|mark-title6 = 赤塚停留場
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|mark-coord7 = {{coord|35|10|58.6|N|136|55|38.0|E}}
|mark-title7 = 山口町停留場
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|mark-coord8 = {{coord|35|11|8.3|N|136|55|44.3|E}}
|mark-title8 = 徳川町停留場
|shape-color8 = dark green
|shape-outline8 = white
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|mark-coord9 = {{coord|35|11|24.8|N|136|55|49.0|E}}
|mark-title9 = 大曽根停留場
|shape-color9 = dark green
|shape-outline9 = white
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|mark-coord10 = {{coord|35|11|17.9|N|136|55|45.4|E}}
|mark-title10 = 名鉄[[森下駅 (愛知県)|森下駅]]
|shape-color10 = #ff3333
|shape-outline10 = white
|mark-size10 = 10
}}
<small>出典はいずれも[[#chizucho|『日本鉄道旅行地図帳』7号]](58頁)である。</small>
* [[1914年]](大正3年)11月5日 - 長塀町三丁目までの開業に伴い、駿河町・高岳院前・東片端・主税町・長塀町三丁目を新設(東新町は栄町線側で既設)。
* [[1915年]](大正4年)
** 3月17日 - 赤塚延伸伴い長塀町六丁目・赤塚を新設。
** 4月9日 - 鍋屋町を新設。
** 4月26日 - 徳川邸前延伸に伴い山口町・徳川邸前を新設。
** 5月30日 - 大曽根延伸に伴い大曽根を新設。この直後の停留場12か所を起点から並べると、以下の通りになる。
**: 東新町 - 駿河町 - 高岳院前 - 鍋屋町 - 東片端 - 主税町 - 長塀町三丁目 - 長塀町六丁目 - 赤塚 - 山口町 - 徳川邸前 - 大曽根
**: 東新町 - 駿河町 - 高岳院前 - 鍋屋町 - 東片端 - 主税町 - 長塀町三丁目 - 長塀町六丁目 - 赤塚 - 山口町 - 徳川邸前 - 大曽根
* 1918年11月1日駿河町・鍋屋町を廃止。長塀町三丁目を清水口、長塀町六丁目を長塀町五丁目、徳川邸前を大曽根八幡前に改称。
* [[1918年]](大正7年)11月1日 - 駿河町・鍋屋町を廃止。長塀町三丁目を清水口、長塀町六丁目を長塀町五丁目、徳川邸前を大曽根八幡前に改称。
* 1939年3月22日森下(大曽根八幡前・大曽根間)を新設。
* [[1939年]](昭和14年)3月22日 - 森下(大曽根八幡前・大曽根間)を新設。
* 1943年ごろ大曽根八幡前休止。
* [[1943年]](昭和18年)ごろ - 大曽根八幡前休止。
* 1944年5月13日主税町・森下を廃止。
* [[1944年]](昭和19年)5月13日 - 主税町・森下を廃止。
* 1947年11月20日徳川町(旧・大曽根八幡前)再開。
* [[1947年]](昭和22年)11月20日 - 徳川町(旧・大曽根八幡前)再開。
* 1949年7月15日高岳院前を高岳町に改称。
* [[1949年]](昭和24年)7月15日 - 高岳院前を高岳町に改称。
* 1967年2月1日清水口・赤塚間の廃線に伴い、長塀町五丁目を廃止。
* [[1967年]](昭和42年)2月1日 - 清水口・赤塚間の廃線に伴い、長塀町五丁目を廃止。
* [[1971年]](昭和46年)
* 1971年2月1日、赤塚・大曽根間の廃線に伴い、赤塚・山口町・徳川町・大曽根を廃止。
* 1971年4月1日、東新町清水口間の廃線に伴い、高岳町・東片端清水口を廃止(東新町は他線で存続)
** 2月1日 - 赤塚大曽根間の廃線に伴い、赤塚・山口町・徳川町大曽根を廃止。
** 4月1日 - 東新町・清水口間の廃線に伴い、高岳町・東片端・清水口を廃止(東新町は他線で存続)。


== 接続路線 ==
=== 接続路線 ===
* 市電
* 市電
** 東新町停留場:[[名古屋市電栄町線|栄町線]](1914年 - 1971年)・[[名古屋市電高岳延長線|高岳延長線]](1923年 - 1971年)
** 東新町停留場:[[名古屋市電栄町線|栄町線]](1914年 - 1967年)・[[名古屋市電高岳延長線|高岳延長線]](1923年 - 1971年)
** 東片端停留場:[[名古屋市電東片端線|東片端線]](1914年 - 1971年)
** 東片端停留場:[[名古屋市電東片端線|東片端線]](1914年 - 1971年)
** 清水口停留場:[[名古屋市電清水口延長線|清水口延長線]](1949年 - 1971年)
** 清水口停留場:[[名古屋市電清水口延長線|清水口延長線]](1949年 - 1971年)
100行目: 232行目:
* 名鉄
* 名鉄
** 大曽根停留場:[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]([[森下駅 (愛知県)|森下駅]]、1915年 - 1971年)
** 大曽根停留場:[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]([[森下駅 (愛知県)|森下駅]]、1915年 - 1971年)

== 運転系統 ==
=== 1937年時点 ===
[[1937年]](昭和12年)8月時点において高岳線で運行されていた運転系統は以下の通り<ref>[[#tbcn15|『市営十五年』]]、「電車運転系統図」による</ref>。〔'''太字'''〕で示した範囲は高岳線を走行する区間を指す。
* 東新町方面
** 〔'''大曽根 - 赤塚 - 東片端 - 東新町'''〕- 栄町 - 笹島町 - [[名古屋駅]]前 - 那古野町
** 〔'''大曽根 - 赤塚 - 東片端 - 東新町'''〕- 鶴舞公園 - 高辻 - [[堀田駅 (名鉄)|堀田駅]]前
** 〔'''大曽根 - 赤塚 - 東片端 - 東新町'''〕- 鶴舞公園 - 高辻 - 市民病院前([[名古屋市電循環東線|循環東線]])
* 新栄町方面
** 〔'''大曽根 - 赤塚'''〕- 平田町 - 新栄町 - 鶴舞公園 - 上前津 - [[熱田駅]]前 - 内田橋
** 〔'''大曽根 - 赤塚'''〕- 平田町 - 新栄町 - 鶴舞公園 - 上前津 - 水主町 - 尾頭橋

=== 1952年時点 ===
[[1952年]](昭和27年)3月時点において高岳線で運行されていた運転系統は以下の通り<ref>[[#tbcn30|『市営三十年史』]]、「電車運転系統図昭和27年3月現在」および後編133-135頁</ref>。〔'''太字'''〕で示した範囲は高岳線を走行する区間を指す。
* 大曽根方面発着
** 12号系統:東大曽根 -〔'''大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端'''〕- 大津橋 - 菊井町 - 名古屋駅前
** 13号系統:上飯田 -〔'''大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端'''〕- 大津橋 - 菊井町 - 浄心町
** 14号系統:上飯田 -〔'''大曽根 - 赤塚'''〕- 平田町 - 新栄町 - 鶴舞公園 - 上前津 - 水主町 - 尾頭橋
** 22号系統:〔'''大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端'''〕- 大津橋 - 栄町 - [[金山駅 (愛知県)|金山橋]] - [[神宮前駅|熱田神宮前]]
** 32号系統:上飯田 -〔'''大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端 - 東新町'''〕- 鶴舞公園 - 堀田駅前
* 黒川方面発着
** 34号系統:黒川 -〔'''清水口 - 東片端 - 東新町'''〕- 鶴舞公園 - 堀田駅前

=== 1961年以降 ===
{{Double image stack|right|Nagoya city tram linemap 01.svg|Nagoya city tram linemap 02.svg|200|1961年4月時点において高岳線で運転されていた8つの運転系統を示した系統路線図。上が大曽根方面発着の系統、下が黒川方面発着の系統。}}

[[1961年]](昭和36年)4月時点において高岳線で運行されていた運転系統は以下の通り<ref>[[#rml170|『名古屋市電(上)』]]28頁</ref>。〔'''太字'''〕で示した範囲は高岳線を走行する区間を指す。
* 大曽根方面発着
** 12号系統:東大曽根 -〔'''大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端'''〕- 大津橋 - 菊井町 - 名古屋駅前
** 13号系統:上飯田 -〔'''大曽根 - 赤塚'''〕- 平田町 - 東片端 - 大津橋 - 菊井町 - 浄心町
** 22号系統:上飯田 -〔'''大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端'''〕- 大津橋 - 栄町 - 金山橋 - 熱田神宮前
** 80号系統:上飯田 -〔'''大曽根 - 赤塚'''〕- 平田町 - 新栄町 - 鶴舞公園 - 上前津 - 水主町 - 尾頭橋 - 八熊通
** 81号系統:上飯田 -〔'''大曽根 - 赤塚'''〕- 平田町 - 東片端 - 大津橋 - 菊井町 - 名古屋駅前
** 82号系統:上飯田 -〔'''大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端 - 東新町'''〕- 鶴舞公園 - 堀田駅前
* 黒川方面発着
** 18号系統:城北学校前 - 黒川 -〔'''清水口 - 東片端'''〕- 大津橋 - 菊井町 - 名古屋駅前
** 34号系統:城北学校前 - 黒川 -〔'''清水口 - 東片端 - 東新町'''〕- 鶴舞公園 - 堀田駅前

市電路線網の縮小が始まると、上記8系統のうち名古屋駅前 - 東大曽根間の12号系統と浄心町 - 上飯田間の13号系統が[[1965年]](昭和40年)10月1日にまず廃止された<ref>[[#rml171|『名古屋市電(中)』]]8頁</ref>。続いて[[1967年]](昭和42年)2月1日の高岳線途中区間(清水口 - 赤塚間)の廃線と同時に堀田駅前 - 上飯田間の82号系統と名古屋駅前 - 城北学校前間の18号系統が廃止され、熱田神宮前 - 上飯田間の22号系統は清水口経由から平田町経由となった<ref>[[#rml171|『名古屋市電(中)』]]10頁</ref>。ただし22号系統も翌[[1968年]](昭和43年)2月1日に廃止されている<ref>[[#rml171|『名古屋市電(中)』]]20頁</ref>。

1970年代以降は、まず[[1970年]](昭和45年)4月1日に八熊通 - 上飯田間の80号系統が廃止<ref>[[#rml171|『名古屋市電(中)』]]34頁</ref>。次いで高岳線赤塚 - 大曽根間の廃線により[[1971年]](昭和46年)2月1日に名古屋駅前 - 上飯田前間の81号系統が廃止された<ref>[[#rml171|『名古屋市電(中)』]]38頁</ref>。最後まで高岳線を走る運転系統として残ったのは黒川 - 堀田駅前間の34号系統で、1971年4月1日、高岳線の全廃と清水口延長線の廃線により起点が東新町に変更された<ref>[[#rml172|『名古屋市電(下)』]]4頁</ref>。
{{-}}

== 利用動向 ==
=== 1959年調査 ===
[[1959年]](昭和34年)6月11日木曜日に実施された市電全線の利用動向調査によると、高岳線内9停留場の方向別乗車人員・降車人員ならびに停留場間の通過人員は下表の通りであった<ref>[[#censusS34|『昭和34年度乗客交通調査集計書 (I)』]]、「路面電車終日乗車人員路線図表」「路面電車終日降車人員路線図表」「路面電車終日通過人員路線図表」ほか</ref>。
{| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:right;"
|-
!rowspan="2"|停留場名
!colspan="3"|乗車人員
!colspan="3"|降車人員
!colspan="2"|停留場間通過人員
|-
!▼北行
!▲南行
!合計
!▼北行
!▲南行
!合計
!▼北行
!▲南行
|-
!東新町
|4,306
|終点
|(22,937)
|起点
|3,984
|(23,236)
|rowspan="2" style="vertical-align:bottom;"|10,319
|rowspan="2" style="vertical-align:bottom;"|10,454
|-
!rowspan="2"|高岳町
|rowspan="2"|557
|rowspan="2"|834
|rowspan="2"|1,371
|rowspan="2"|793
|rowspan="2"|477
|rowspan="2"|1,270
|-
|rowspan="2"|10,083
|rowspan="2"|10,097
|-
!rowspan="2"|東片端
|rowspan="2"|1,627
|rowspan="2"|2,487
|rowspan="2"|(7,356)
|rowspan="2"|1,361
|rowspan="2"|2,829
|rowspan="2"|(7,171)
|-
|rowspan="2"|19,662
|rowspan="2"|19,059
|-
!rowspan="2"|清水口
|rowspan="2"|1,809
|rowspan="2"|2,016
|rowspan="2"|(5,464)
|rowspan="2"|4,402
|rowspan="2"|668
|rowspan="2"|(5,543)
|-
|rowspan="2"|11,137
|rowspan="2"|10,578
|-
!rowspan="2"|長塀町五丁目
|rowspan="2"|547
|rowspan="2"|2,072
|rowspan="2"|2,619
|rowspan="2"|2,071
|rowspan="2"|481
|rowspan="2"|2,552
|-
|rowspan="2"|9,613
|rowspan="2"|8,987
|-
!rowspan="2"|赤塚
|rowspan="2"|588
|rowspan="2"|1,679
|rowspan="2"|(3,499)
|rowspan="2"|1,602
|rowspan="2"|742
|rowspan="2"|(3,622)
|-
|rowspan="2"|15,385
|rowspan="2"|14,468
|-
!rowspan="2"|山口町
|rowspan="2"|723
|rowspan="2"|2,454
|rowspan="2"|3,177
|rowspan="2"|2,308
|rowspan="2"|715
|rowspan="2"|3,023
|-
|rowspan="2"|13,800
|rowspan="2"|12,729
|-
!rowspan="2"|徳川町
|rowspan="2"|254
|rowspan="2"|881
|rowspan="2"|1,135
|rowspan="2"|916
|rowspan="2"|252
|rowspan="2"|1,168
|-
|rowspan="2" style="vertical-align:top;"|13,138
|rowspan="2" style="vertical-align:top;"|12,100
|-
!大曽根
|終点
|3,947
|(6,619)
|5,190
|起点
|(7,444)
|}
* '''備考'''
** 東新町・東片端・清水口・赤塚・大曽根の乗車人員・降車人員合計値は他線区の数値を含む。
** 東新町をまたいで[[名古屋市電高岳延長線|高岳延長線]](瓦町以遠)と直通する乗客は、北行6,013人・南行6,470人。
** 東片端をまたいで[[名古屋市電東片端線|東片端線]](大津橋以遠)と直通する乗客は、北行9,313人、南行8,620人。
** 清水口をまたいで[[名古屋市電清水口延長線|清水口延長線]](深田町以遠)と直通する乗客は、北行5,932人・南行7,133人。
** 赤塚をまたいで[[名古屋市電葵町線|山口町線]](平田町以遠)と直通する乗客は、北行6,786人、南行6,418人。
** 大曽根をまたいで[[名古屋市電大曽根線|大曽根線]](東大曽根)と直通する乗客は、東大曽根行1,071人、南行1,239人。
** 大曽根をまたいで[[名古屋市電御成通線|御成通線]](彩紅橋通以遠)と直通する乗客は、北行6,877人、南行6,914人。

=== 1966年調査 ===
[[1966年]](昭和41年)11月8日火曜日に実施された市電全線の利用動向調査によると、高岳線内9停留場の方向別乗車人員・降車人員ならびに停留場間の通過人員は下表の通りであった<ref>[[#censusS41|『昭和41年度乗客交通調査集計書 (I)』]]、「路面電車終日乗車人員路線図表」「路面電車終日降車人員路線図表」「路面電車終日通過人員路線図表」ほか</ref>。
{| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:right;"
|-
!rowspan="2"|停留場名
!colspan="3"|乗車人員
!colspan="3"|降車人員
!colspan="2"|停留場間通過人員
|-
!▼北行
!▲南行
!合計
!▼北行
!▲南行
!合計
!▼北行
!▲南行
|-
!東新町
|2,370
|終点
|(10,717)
|起点
|2,236
|(10,665)
|rowspan="2" style="vertical-align:bottom;"|6,737
|rowspan="2" style="vertical-align:bottom;"|7,131
|-
!rowspan="2"|高岳町
|rowspan="2"|515
|rowspan="2"|489
|rowspan="2"|1,004
|rowspan="2"|467
|rowspan="2"|565
|rowspan="2"|1,032
|-
|rowspan="2"|6,785
|rowspan="2"|7,207
|-
!rowspan="2"|東片端
|rowspan="2"|901
|rowspan="2"|1,552
|rowspan="2"|(4,463)
|rowspan="2"|962
|rowspan="2"|1,612
|rowspan="2"|(4,441)
|-
|rowspan="2"|10,767
|rowspan="2"|11,415
|-
!rowspan="2"|清水口
|rowspan="2"|849
|rowspan="2"|801
|rowspan="2"|(2,374)
|rowspan="2"|1,972
|rowspan="2"|416
|rowspan="2"|(2,790)
|-
|rowspan="2"|5,208
|rowspan="2"|5,684
|-
!rowspan="2"|長塀町五丁目
|rowspan="2"|304
|rowspan="2"|1,116
|rowspan="2"|1,420
|rowspan="2"|853
|rowspan="2"|264
|rowspan="2"|1,117
|-
|rowspan="2"|4,659
|rowspan="2"|4,832
|-
!rowspan="2"|赤塚
|rowspan="2"|355
|rowspan="2"|499
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|-
|rowspan="2"|10,877
|rowspan="2"|11,301
|-
!rowspan="2"|山口町
|rowspan="2"|824
|rowspan="2"|1,690
|rowspan="2"|2,514
|rowspan="2"|1,534
|rowspan="2"|797
|rowspan="2"|2,331
|-
|rowspan="2"|10,167
|rowspan="2"|10,408
|-
!rowspan="2"|徳川町
|rowspan="2"|185
|rowspan="2"|568
|rowspan="2"|753
|rowspan="2"|556
|rowspan="2"|185
|rowspan="2"|741
|-
|rowspan="2" style="vertical-align:top;"|9,796
|rowspan="2" style="vertical-align:top;"|10,025
|-
!大曽根
|終点
|2,790
|(4,426)
|3,149
|起点
|(4,852)
|}
* '''備考'''
** 東新町・東片端・清水口・赤塚・大曽根の乗車人員・降車人員合計値は他線区の数値を含む。
** 東新町をまたいで高岳延長線(瓦町以遠)と直通する乗客は、北行4,367人・南行4,895人。
** 東片端をまたいで東片端線(大津橋以遠)と直通する乗客は、北行4,043人・南行4,148人。
** 清水口をまたいで清水口延長線(深田町以遠)と直通する乗客は、北行4,436人・南行5,346人。
** 赤塚をまたいで山口町線(平田町以遠)と直通する乗客は、北行6,359人・南行6,588人。
** 大曽根をまたいで御成通線(彩紅橋通以遠)と直通する乗客は、北行6,647人・南行7,235人。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{Reflist}}
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
'''名古屋市関連文献'''
* {{Cite book|和書|author=[[今尾恵介]](監修)|title=[[日本鉄道旅行地図帳]]|volume=7号(東海)|publisher=[[新潮社]]|year=2008|isbn=978-4-10-790025-8}}
* {{Cite book|和書|author=住宅地図協会(編)|title=名古屋市全商工住宅案内図帳|volume=中区|publisher=住宅地図協会|year=1965}}([[名古屋市図書館]]蔵)
* {{Cite book|和書|author=北区制50周年記念事業実行委員会(編) |title=|publisher=北区制50周年記念事業実行委員 |year=1994 |ref=kitaku }}
* {{Cite book|和書|author=住宅地図協会(編)|title=名古屋市全商工住宅案内図帳|volume=東区|publisher=住宅地図協会|year=1965}}(名古屋市図書館蔵)
* {{Cite book|和書|author=名古屋市(編) |title=名古屋市統計書 |volume=各年度版 |publisher=名古屋市役所 |ref=stat }}
* {{Cite book|和書|author=住宅地図協会(編)|title=名古屋市全商工住宅案内図帳|volume=北区|publisher=住宅地図協会|year=1965}}(名古屋市図書館蔵)
* {{Cite book|和書|author=名古屋市(編) |title=大名古屋 |publisher=名古屋市役所 |year=1937 |ref=dainagoya |id={{NDLJP|1256247}} }}
* {{Cite book|和書|author=[[徳田耕一]]|title=名古屋市電が走った街 今昔|publisher=[[ジェイティービー|JTB]]|year=1999|isbn=978-4-533-03340-7}}
* {{Cite book|和書|author=名古屋市建設局(編) |title=名古屋計画史 |volume=上巻 |publisher=名古屋市建設局 |year=1957 |ref=up }}
* {{Cite book|和書|author=[[名古屋市交通局]](編)|title=市営五十年史|publisher=名古屋市交通局|year=1972}}
* [[名古屋市交通局|名古屋市電気局・交通局]](編)
** {{Cite book|和書|title=電気軌道事業買収顛末 |publisher=名古屋市電気局 |year=1922 |ref=tbcn1922 }}
* 名古屋市電気局 『電気軌道事業買収顛末』(『公営交通事業沿革史』3 戦前篇、クレス出版、1990年 に収録)
*** 『公営交通事業沿革史』戦前篇3(クレス出版、1990年)に収録
* 名古屋市電気局/交通局(編) 『電気軌道事業成績調書』・『交通事業成績調書』
** {{Cite book|和書|title=市営十年 |publisher=名古屋市電気局 |year=1932 |ref=tbcn10 |id={{NDLJP|1210924}} }}
** {{Cite book|和書|title=市営十五年 |publisher=名古屋市電気局 |year=1937 |ref=tbcn15 }}
** {{Cite book|和書|title=市営三十年史 |publisher=名古屋市交通局 |year=1952 |ref=tbcn30 }}
** {{Cite book|和書|title=市営五十年史 |publisher=名古屋市交通局 |year=1972 |ref=tbcn50 }}
** {{Cite book|和書|title=名古屋市交通事業の5カ年計画 |publisher=名古屋市交通局 |year=1965 |ref=plan }}
** {{Cite book|和書|title=交通事業成績調書 |volume=昭和36年度 |publisher=名古屋市交通局 |year=1962 |ref=reportS36 }}
** {{Cite book|和書|title=交通事業成績調書 |volume=昭和45年度 |publisher=名古屋市交通局 |year=1971 |ref=reportS45 }}
** {{Cite book|和書|title=昭和34年度乗客交通調査集計書 |volume=(I) 路面電車・高速電車 |publisher=名古屋市交通局 |date=1959年度 |ref=censusS34 }}([[市営交通資料センター]]蔵)
** {{Cite book|和書|title=昭和41年度乗客交通調査集計書 |volume=(I) 路面電車 |publisher=名古屋市交通局 |date=1966年度 |ref=censusS41 }}(市営交通資料センター蔵)
* {{Cite book|和書|author=東区史編さん委員会(編) |title=東区史 |publisher=東区総合庁舎建設後援会 |year=1973 |ref=higashiku }}
* {{Cite book|和書|author=水野時二(監修)|title=なごやの町名 |publisher=名古屋市計画局 |year=1992 |ref=chomei }}

'''その他文献'''
* {{Cite book|和書|author=今尾恵介(監修)|authorlink=今尾恵介|title=[[日本鉄道旅行地図帳]]|volume=7号(東海)|publisher=[[新潮社]]|year=2008|isbn=978-4-10-790025-8 |ref=chizucho }}
* {{Cite book|和書|author=「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編) |title=[[角川日本地名大辞典]] |volume=23 愛知県 |publisher=[[角川書店]] |year=1989 |isbn=978-4-04-001230-8 |ref=kado }}
* {{Cite book|和書|author=徳田耕一|authorlink=徳田耕一 |title=名古屋市電が走った街今昔 |publisher=[[JTB]] |year=1999 |isbn=978-4-533-03340-7 |ref=tokuda }}
* {{Cite book|和書|author=名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)|title=名古屋鉄道社史 |publisher=[[名古屋鉄道]] |year=1961 |ref=mei }}
* 服部重敬
** {{Cite book|和書|title=名古屋市電(上) |publisher=[[ネコ・パブリッシング]] |year=2013 |isbn=978-4-7770-5352-0 |ref=rml170 }}
** {{Cite book|和書|title=名古屋市電(中) |publisher=ネコ・パブリッシング |year=2013 |isbn=978-4-7770-5355-1 |ref=rml171 }}
** {{Cite book|和書|title=名古屋市電(下) |publisher=ネコ・パブリッシング |year=2013 |isbn=978-4-7770-5357-5 |ref=rml172 }}

'''地図'''
* {{Anchors|map1965}}住宅地図協会(編)([[名古屋市図書館]]蔵)
** {{Cite book|和書|title=名古屋市全商工住宅案内図帳|volume=北区|publisher=住宅地図協会|year=1965 }}
** {{Cite book|和書|title=名古屋市全商工住宅案内図帳|volume=中区|publisher=住宅地図協会|year=1965 }}
** {{Cite book|和書|title=名古屋市全商工住宅案内図帳|volume=東区|publisher=住宅地図協会|year=1965 |ref=map1965-h }}
* {{Anchors|map2016}}[[ゼンリン]](編)
** {{Cite book|和書|author=|title=ゼンリン住宅地図 |volume=名古屋市北区 |publisher=ゼンリン |date=2016-05 |isbn=978-4-432-41820-6 }}
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2024年2月21日 (水) 08:33時点における最新版

高岳線
概要
現況 廃止
起終点 起点:東新町電停
終点:大曽根電停
駅数 9駅(1961年12月現在)
運営
開業 1914年11月5日
市営化 1922年8月1日
廃止 1971年4月1日
所有者 名古屋電気鉄道
名古屋市交通局名古屋市電
路線諸元
路線総延長 3.6 km
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流600 V 架空電車線方式
路線図(1961年)
高岳線路線図
テンプレートを表示
路線概略図 
uexBHF
1971年廃止時の電停
uexHST
それ以前に廃止された電停
exBHF grey
1967年廃止区間の電停

uexSTRq uexTBHFx
0.0 東新町電停
高岳延長線
栄町線
tSTRq uxmKRZt
名市交:東山線
uexHST
(0.3) 駿河町電停 -1918
uexBHF
0.6 高岳町電停
uexHST
(0.8) 鍋屋町電停 -1918
uexSTRq uexTBHFx
1.0 東片端電停 東片端線
uexHST
(1.3) 主税町電停 -1944
exSTR+l grey
1.5 清水口電停
exSTR grey
清水口延長線
exBHF grey
2.0 長塀町五丁目電停
exSTR grey
山口町線
uexSTR+l
exSTRr grey
2.3 赤塚電停
uexBHF
2.7 山口町電停
uexBHF
3.0 徳川町電停
名鉄瀬戸線 森下駅 I/II
HUBl
HUBr
(3.3) 森下電停 -1944
(3.5) 大曽根電停 (I) -1939
uexSTRq
3.6 大曽根電停 (II)
大曽根線
御成通線

高岳線(たかおかせん)は、かつて愛知県名古屋市に存在した名古屋市電路線路面電車)の一つである。同市中区の東新町停留場を起点に、東区内を経て北区の大曽根停留場までを結んだ。

1914年大正3年)から翌年にかけて名古屋電気鉄道により開業。1922年(大正11年)に市営化され、名古屋市電気局(1945年以降交通局)の運営となった。1967年昭和42年)から廃止が始まり、1971年(昭和46年)に全廃された。路線名を大曽根線としていた時期もある。

路線概況

[編集]

全長は3.609キロメートル(1962年3月末時点)[1]。全線が複線かつ併用軌道であった[1][2]

起点の東新町停留場は、高岳線と高岳延長線栄町線の市電3路線が集まる地点である[3]。東西方向の広小路通愛知県道60号名古屋長久手線)と南北方向の空港線(名古屋市道堀田高岳線、高岳交差点以北は国道41号)が交差する東新町交差点に位置し[4]、東西方向に栄町線、交差点から北へ高岳線、南へ高岳延長線が伸びていた[3]。1960年代の時点では南北方向の高岳線・高岳延長線と東西方向の栄町線は交差するだけであり連絡線はなく[2]、双方をまたぐ運転系統は存在しなかった。東新町の一帯は繁華街の東に位置し、中部電力本店や名古屋市交通局本庁舎(1954 - 1966年)などが集まるビル街、また「女子大小路」で知られるネオン街の地である[5]

東新町から空港線を北上すると、外堀通と交差する東片端交差点に東片端停留場があった[4]。ここは東西方向に走る東片端線との接続地点にあたり[3]、同線との平面交差に加えて東片端線西方向(大津橋方面)と高岳線北方向(清水口方面)を繋ぐ連絡線があった[2]。東片端の北、清水口停留場は空港線と出来町通(愛知県道215号田籾名古屋線)が交差する清水口交差点にあり[4]、ここで清水口延長線が分岐した[2][3]。同線が引き続き空港線を北上する一方、高岳線は東に折れて出来町通を進んだ[4]

清水口から東へ進んだ赤塚停留場も市電路線と接続する地点で、ここで山口町線が合流した[2][3]。停留場は、東西方向の出来町通と山口町線が走る南北方向の国道19号が交差する赤塚交差点にあった[4]。高岳線が出来町通上を進むのは赤塚の次の山口町停留場までで、ここで北へ曲がって名古屋市道を北上した[4]

大曽根商店街西口(2014年)。この近くに大曽根停留場があった。

徳川町停留場を過ぎると25.6パーミルの勾配があり、これを下ると当時地上を走っていた名古屋鉄道(名鉄)瀬戸線との平面交差が存在した[6]。踏切の西には名鉄の森下駅があるが、市電には対応する停留場がなく、最寄は大曽根停留場であった[6]。当時の瀬戸線のターミナルは都心部の大津町駅でここで市電と接続していたが、市電沿線や大曽根の北方で市電に接続する名鉄小牧線と瀬戸線の乗り継ぎがあり、清水駅・大曽根停留場で乗り換える乗客も多かった[7]。この大曽根停留場は高岳線の終点で、国道19号と再び交差する大曽根交差点に位置しており[4]、付近に名古屋市北部の繁華街であった大曽根商店街入口が立地する[6]。交差点が五叉路であるのに対し[4]、市電は高岳線と名鉄小牧線上飯田駅方面へ北上する御成通線、国道19号を北東方向へと進む大曽根線の3路線が集まっており[3][4]、高岳線から御成通線か大曽根線のどちらかへ直通できる配線となっていた[2]

歴史

[編集]

開業

[編集]

名古屋市のうち高岳線沿線にあたる東片端や長塀町(現・白壁)といった地域は、江戸時代には名古屋城東方に広がる武家町であった土地で[8]明治に入ってからは住宅地に姿を変えていた[9]。さらにその東の赤塚町大曽根町は名古屋城下から中山道へと通ずる下街道沿いに位置し、街道沿いの町としてにぎわった地域にあたる[10]。また大曽根町に接する六郷村大字大曽根(1921年名古屋市に編入、東大曽根町となる[11])は明治末期に中央本線大曽根駅や瀬戸電気鉄道(現・名鉄瀬戸線)の駅が地内に開設されたのを機に交通の要所となり、純農村から商業地へと発展していた[12]

1898年(明治31年)になって、名古屋で最初の路面電車名古屋電気鉄道によって敷設された[13]。その後路線の延伸が進み1903年(明治36年)には千種まで到達[13]、東新町付近にも電車が通るようになった(栄町線[3]大正時代に入ると栄町線の北側にあたる地域での路線建設が進み、1913年(大正2年)からの2年間で5つの路線が相次いで開業した[14]。高岳線はこの時期に建設された路線の一つであり[14]、前年11月15日付で東新町から大曽根までの軌道敷設特許が会社に下りた[15][16]

特許区間は既設線(栄町線)より分岐する新栄町3丁目から六郷村大字大曽根(→東大曽根町)字神戸までで、当時の県道上に敷設するものとされた[16]。県道(「大曽根線」と称する)については東新町角から長塀町・山口町を経て大曽根へと至る3.6キロメートルが、1914年から翌年にかけて幅員8(14.5メートル)の道路として整備された[17]。電車はまず1914年11月5日、栄町線に接続する東新町停留場から長塀町三丁目(後の清水口)停留場までの1.5キロメートルが開通した[18][3]。この時途中の東片端で接続する東片端線も開業している[3]

長塀町三丁目から先は翌1915年(大正4年)の開通で、3月17日に赤塚停留場までの0.8キロメートル、4月26日に徳川邸前(後の徳川町)停留場までの0.7キロメートルがそれぞれ開通し、5月30日に大曽根停留場まで0.6キロメートル延長されて東新町 - 大曽根間が全通した[18][3]。この大曽根延伸によって途中に瀬戸電気鉄道との平面交差が生じている[19]

市営化とその後

[編集]

1922年(大正11年)8月1日、名古屋電気鉄道市内線10路線を名古屋市が買収・市営化し名古屋市電気局(後の交通局)が引き継いだことで名古屋市電が成立した[20]。これにより高岳線東新町 - 大曽根間3.609キロメートルは名古屋市電の路線の一つとなっている[16]。ただしこの時点での正規の路線名は「大曽根線」であり、高岳線はその別名とされていた[16]。名古屋市の資料によると、1917年末時点では東新町 - 大曽根間は「高岳線」であるが[21]、1919年末時点では「大曽根線」に変わっている[22]。市営化後、1923年末時点では再び「高岳線」と称する[23]

高岳線においては、市営化当初の1922年12月時点で、東新町 - 大曽根間の線内系統と東新町経由で栄町線名古屋駅前と大曽根を結ぶ系統の、合わせて2つの運転系統が設定されていた[24]。翌1923年(大正12年)12月、高岳延長線開通に伴い東新町起点の線内系統は同線鶴舞公園方面への直通系統(当初の起点は御黒門線門前町停留場)に改められた[25]。さらに1926年(大正15年)4月には赤塚で接続する山口町線(葵町線)との直通系統(当初の設定区間は岩井町線水主町 - 大曽根間)も出現した[26]

1940年以降は高岳線に接続する路線が相次いで建設され、1942年(昭和17年)6月に大曽根から先へ東大曽根まで大曽根線が、1944年(昭和19年)7月には上飯田まで御成通線がそれぞれ開通し、1949年(昭和24年)7月には途中の清水口から分岐する清水口延長線も開業している[27]。これらの路線が開業した結果、高岳線には大曽根線・御成通線・清水口延長線と直通する運転系統が多数設定され、東片端線大津橋方面との直通系統も現れた(下記#運転系統参照)。なおこの間、太平洋戦争末期の1945年(昭和21年)3月27日より、空襲被害のため高岳延長線を含む鶴舞公園前 - 東新町 - 東片端間が長期の営業休止となった[3]。再開は戦後の1946年(昭和21年)4月1日のことである[3]

高岳線の周辺路線には、上記に挙げた路線以外にも、1928年(昭和3年)3月、東区新出来町1丁目(高岳線山口町停留場は地内にある[28])から東へ古出来町まで1.267キロメートルにわたる「山口町延長線[29]」の軌道敷設特許を名古屋市は得ていたが[30]、この路線の建設は実現していない。

廃止

[編集]

名古屋市電は1950年代末に路線網・輸送人員ともに最盛期を迎えたが、1961年(昭和36年)には市営地下鉄の建設と引き替えに1985年(昭和60年)までにおおむね撤去するという方針が国の都市交通審議会で示された[31]。その上、事業の大幅な赤字化や市営バスの急速な拡大、自動車の普及による交通事情の変化など市電を取り巻く環境が変化したことから、1965年(昭和40年)3月、市交通局は地下鉄建設推進・バスの拡充とその一方での市電の段階的廃止を盛り込んだ「名古屋市交通事業の5カ年計画」を発表する[31]。同計画では1969年度までの5年間で廃止すべきとして7線区計23.3キロメートルを取り上げており、その中で高岳線の清水口 - 赤塚間0.9キロメートルは1966年度に廃止すべき路線とされた[32]。廃止の理由は、道路幅が狭いのにもかかわらず自動車交通が激増したためとされている[32]。同区間は1967年(昭和42年)2月1日付で廃止された[33]

部分廃止に先立つ1967年1月、市交通局は先の「5カ年計画」を延長した「交通事業の長期計画」を策定し1975年度までの市電全廃を決定し、さらに翌1968年(昭和43年)12月には市電全廃の時期を1973年度に前倒しした[31]。市電全廃決定後、1971年(昭和46年)2月1日付で明道町線菊井町より御成通線上飯田に至る計6.8キロメートルの廃線に伴い残存区間東側の赤塚 - 大曽根間が廃止となった[34][3]。西側の東新町 - 清水口間は、清水口で接続する清水口延長線清水口 - 黒川間(合計2.8キロメートル)とともに2か月後の同年4月1日付で廃止された[35][3]。以上で東新町 - 大曽根間は全廃されたが、統計には高岳線は東新町付近の0.229キロメートルの路線として記載がある[36]。ただし翌1972年(昭和47年)3月1日付で東新町以南の路線も廃止されている[37]

市電廃止後の1971年12月、市営地下鉄名城線市役所駅から黒川平安通を経て大曽根駅まで延伸され、と大曽根を結ぶ市営交通の新ルートが完成した[38]

停留場

[編集]

廃止前の時点で、高岳線には以下の9停留場が設置されていた。

停留場名[39] キロ程[39]
(km)
所在地[40] 位置[4]
東新町(ひがししんちょう) 0.0 中区新栄町3丁目 東新町交差点付近
高岳町(たかおかちょう) 0.6 東区高岳町2丁目 高岳交差点付近
東片端(ひがしかたは) 1.0 東区東片端町2丁目・3丁目 東片端交差点付近
清水口(しみずぐち) 1.5 東区長塀町3丁目 清水口交差点付近
長塀町五丁目
(ながへいちょうごちょうめ)
2.0 東区長塀町5丁目 白壁交差点西方
赤塚(あかつか) 2.3 東区赤塚町1丁目
東区山口町
赤塚交差点付近
山口町(やまぐちちょう) 2.7 東区山口町
東区新出来町1丁目
山口町交差点付近
徳川町(とくがわちょう) 3.0 東区大曽根町 徳川町交差点付近
大曽根(おおぞね) 3.6 北区東大曽根町本通1丁目 大曽根交差点付近

停留場の変遷

[編集]
地図
About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
1.5 km
10
名鉄森下駅
9
8
7
6
5
4
3
2
1
停留場位置
1
東新町停留場
2
高岳町停留場
3
東片端停留場
4
清水口停留場
5
長塀町五丁目停留場
6
赤塚停留場
7
山口町停留場
8
徳川町停留場
9
大曽根停留場
10
名鉄森下駅

出典はいずれも『日本鉄道旅行地図帳』7号(58頁)である。

  • 1914年(大正3年)11月5日 - 長塀町三丁目までの開業に伴い、駿河町・高岳院前・東片端・主税町・長塀町三丁目を新設(東新町は栄町線側で既設)。
  • 1915年(大正4年)
    • 3月17日 - 赤塚延伸伴い長塀町六丁目・赤塚を新設。
    • 4月9日 - 鍋屋町を新設。
    • 4月26日 - 徳川邸前延伸に伴い山口町・徳川邸前を新設。
    • 5月30日 - 大曽根延伸に伴い大曽根を新設。この直後の停留場12か所を起点から並べると、以下の通りになる。
      東新町 - 駿河町 - 高岳院前 - 鍋屋町 - 東片端 - 主税町 - 長塀町三丁目 - 長塀町六丁目 - 赤塚 - 山口町 - 徳川邸前 - 大曽根
  • 1918年(大正7年)11月1日 - 駿河町・鍋屋町を廃止。長塀町三丁目を清水口、長塀町六丁目を長塀町五丁目、徳川邸前を大曽根八幡前に改称。
  • 1939年(昭和14年)3月22日 - 森下(大曽根八幡前・大曽根間)を新設。
  • 1943年(昭和18年)ごろ - 大曽根八幡前休止。
  • 1944年(昭和19年)5月13日 - 主税町・森下を廃止。
  • 1947年(昭和22年)11月20日 - 徳川町(旧・大曽根八幡前)再開。
  • 1949年(昭和24年)7月15日 - 高岳院前を高岳町に改称。
  • 1967年(昭和42年)2月1日 - 清水口・赤塚間の廃線に伴い、長塀町五丁目を廃止。
  • 1971年(昭和46年)
    • 2月1日 - 赤塚・大曽根間の廃線に伴い、赤塚・山口町・徳川町・大曽根を廃止。
    • 4月1日 - 東新町・清水口間の廃線に伴い、高岳町・東片端・清水口を廃止(東新町は他線で存続)。

接続路線

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運転系統

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1937年時点

[編集]

1937年(昭和12年)8月時点において高岳線で運行されていた運転系統は以下の通り[41]。〔太字〕で示した範囲は高岳線を走行する区間を指す。

  • 東新町方面
    • 大曽根 - 赤塚 - 東片端 - 東新町〕- 栄町 - 笹島町 - 名古屋駅前 - 那古野町
    • 大曽根 - 赤塚 - 東片端 - 東新町〕- 鶴舞公園 - 高辻 - 堀田駅
    • 大曽根 - 赤塚 - 東片端 - 東新町〕- 鶴舞公園 - 高辻 - 市民病院前(循環東線
  • 新栄町方面
    • 大曽根 - 赤塚〕- 平田町 - 新栄町 - 鶴舞公園 - 上前津 - 熱田駅前 - 内田橋
    • 大曽根 - 赤塚〕- 平田町 - 新栄町 - 鶴舞公園 - 上前津 - 水主町 - 尾頭橋

1952年時点

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1952年(昭和27年)3月時点において高岳線で運行されていた運転系統は以下の通り[42]。〔太字〕で示した範囲は高岳線を走行する区間を指す。

  • 大曽根方面発着
    • 12号系統:東大曽根 -〔大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端〕- 大津橋 - 菊井町 - 名古屋駅前
    • 13号系統:上飯田 -〔大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端〕- 大津橋 - 菊井町 - 浄心町
    • 14号系統:上飯田 -〔大曽根 - 赤塚〕- 平田町 - 新栄町 - 鶴舞公園 - 上前津 - 水主町 - 尾頭橋
    • 22号系統:〔大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端〕- 大津橋 - 栄町 - 金山橋 - 熱田神宮前
    • 32号系統:上飯田 -〔大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端 - 東新町〕- 鶴舞公園 - 堀田駅前
  • 黒川方面発着
    • 34号系統:黒川 -〔清水口 - 東片端 - 東新町〕- 鶴舞公園 - 堀田駅前

1961年以降

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1961年4月時点において高岳線で運転されていた8つの運転系統を示した系統路線図。上が大曽根方面発着の系統、下が黒川方面発着の系統。

1961年(昭和36年)4月時点において高岳線で運行されていた運転系統は以下の通り[43]。〔太字〕で示した範囲は高岳線を走行する区間を指す。

  • 大曽根方面発着
    • 12号系統:東大曽根 -〔大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端〕- 大津橋 - 菊井町 - 名古屋駅前
    • 13号系統:上飯田 -〔大曽根 - 赤塚〕- 平田町 - 東片端 - 大津橋 - 菊井町 - 浄心町
    • 22号系統:上飯田 -〔大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端〕- 大津橋 - 栄町 - 金山橋 - 熱田神宮前
    • 80号系統:上飯田 -〔大曽根 - 赤塚〕- 平田町 - 新栄町 - 鶴舞公園 - 上前津 - 水主町 - 尾頭橋 - 八熊通
    • 81号系統:上飯田 -〔大曽根 - 赤塚〕- 平田町 - 東片端 - 大津橋 - 菊井町 - 名古屋駅前
    • 82号系統:上飯田 -〔大曽根 - 赤塚 - 清水口 - 東片端 - 東新町〕- 鶴舞公園 - 堀田駅前
  • 黒川方面発着
    • 18号系統:城北学校前 - 黒川 -〔清水口 - 東片端〕- 大津橋 - 菊井町 - 名古屋駅前
    • 34号系統:城北学校前 - 黒川 -〔清水口 - 東片端 - 東新町〕- 鶴舞公園 - 堀田駅前

市電路線網の縮小が始まると、上記8系統のうち名古屋駅前 - 東大曽根間の12号系統と浄心町 - 上飯田間の13号系統が1965年(昭和40年)10月1日にまず廃止された[44]。続いて1967年(昭和42年)2月1日の高岳線途中区間(清水口 - 赤塚間)の廃線と同時に堀田駅前 - 上飯田間の82号系統と名古屋駅前 - 城北学校前間の18号系統が廃止され、熱田神宮前 - 上飯田間の22号系統は清水口経由から平田町経由となった[45]。ただし22号系統も翌1968年(昭和43年)2月1日に廃止されている[46]

1970年代以降は、まず1970年(昭和45年)4月1日に八熊通 - 上飯田間の80号系統が廃止[47]。次いで高岳線赤塚 - 大曽根間の廃線により1971年(昭和46年)2月1日に名古屋駅前 - 上飯田前間の81号系統が廃止された[48]。最後まで高岳線を走る運転系統として残ったのは黒川 - 堀田駅前間の34号系統で、1971年4月1日、高岳線の全廃と清水口延長線の廃線により起点が東新町に変更された[49]

利用動向

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1959年調査

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1959年(昭和34年)6月11日木曜日に実施された市電全線の利用動向調査によると、高岳線内9停留場の方向別乗車人員・降車人員ならびに停留場間の通過人員は下表の通りであった[50]

停留場名 乗車人員 降車人員 停留場間通過人員
▼北行 ▲南行 合計 ▼北行 ▲南行 合計 ▼北行 ▲南行
東新町 4,306 終点 (22,937) 起点 3,984 (23,236) 10,319 10,454
高岳町 557 834 1,371 793 477 1,270
10,083 10,097
東片端 1,627 2,487 (7,356) 1,361 2,829 (7,171)
19,662 19,059
清水口 1,809 2,016 (5,464) 4,402 668 (5,543)
11,137 10,578
長塀町五丁目 547 2,072 2,619 2,071 481 2,552
9,613 8,987
赤塚 588 1,679 (3,499) 1,602 742 (3,622)
15,385 14,468
山口町 723 2,454 3,177 2,308 715 3,023
13,800 12,729
徳川町 254 881 1,135 916 252 1,168
13,138 12,100
大曽根 終点 3,947 (6,619) 5,190 起点 (7,444)
  • 備考
    • 東新町・東片端・清水口・赤塚・大曽根の乗車人員・降車人員合計値は他線区の数値を含む。
    • 東新町をまたいで高岳延長線(瓦町以遠)と直通する乗客は、北行6,013人・南行6,470人。
    • 東片端をまたいで東片端線(大津橋以遠)と直通する乗客は、北行9,313人、南行8,620人。
    • 清水口をまたいで清水口延長線(深田町以遠)と直通する乗客は、北行5,932人・南行7,133人。
    • 赤塚をまたいで山口町線(平田町以遠)と直通する乗客は、北行6,786人、南行6,418人。
    • 大曽根をまたいで大曽根線(東大曽根)と直通する乗客は、東大曽根行1,071人、南行1,239人。
    • 大曽根をまたいで御成通線(彩紅橋通以遠)と直通する乗客は、北行6,877人、南行6,914人。

1966年調査

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1966年(昭和41年)11月8日火曜日に実施された市電全線の利用動向調査によると、高岳線内9停留場の方向別乗車人員・降車人員ならびに停留場間の通過人員は下表の通りであった[51]

停留場名 乗車人員 降車人員 停留場間通過人員
▼北行 ▲南行 合計 ▼北行 ▲南行 合計 ▼北行 ▲南行
東新町 2,370 終点 (10,717) 起点 2,236 (10,665) 6,737 7,131
高岳町 515 489 1,004 467 565 1,032
6,785 7,207
東片端 901 1,552 (4,463) 962 1,612 (4,441)
10,767 11,415
清水口 849 801 (2,374) 1,972 416 (2,790)
5,208 5,684
長塀町五丁目 304 1,116 1,420 853 264 1,117
4,659 4,832
赤塚 355 499 (1,643) 496 380 (1,757)
10,877 11,301
山口町 824 1,690 2,514 1,534 797 2,331
10,167 10,408
徳川町 185 568 753 556 185 741
9,796 10,025
大曽根 終点 2,790 (4,426) 3,149 起点 (4,852)
  • 備考
    • 東新町・東片端・清水口・赤塚・大曽根の乗車人員・降車人員合計値は他線区の数値を含む。
    • 東新町をまたいで高岳延長線(瓦町以遠)と直通する乗客は、北行4,367人・南行4,895人。
    • 東片端をまたいで東片端線(大津橋以遠)と直通する乗客は、北行4,043人・南行4,148人。
    • 清水口をまたいで清水口延長線(深田町以遠)と直通する乗客は、北行4,436人・南行5,346人。
    • 赤塚をまたいで山口町線(平田町以遠)と直通する乗客は、北行6,359人・南行6,588人。
    • 大曽根をまたいで御成通線(彩紅橋通以遠)と直通する乗客は、北行6,647人・南行7,235人。

脚注

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  1. ^ a b 『交通事業成績調書』昭和36年度63-68頁
  2. ^ a b c d e f 『名古屋市電が走った街今昔』18-19頁(「名古屋市電全線路線図」)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本鉄道旅行地図帳』7号24・54-61頁
  4. ^ a b c d e f g h i j 位置は『名古屋市全商工住宅案内図帳』住宅地図・1965年)に基づく。道路名・交差点名は『ゼンリン住宅地図』(2016年)および名古屋市緑政土木局路政部道路利活用課「名古屋市道路認定図」(2016年8月1日閲覧)から補記。
  5. ^ 『名古屋市電が走った街今昔』63・78頁
  6. ^ a b c 『名古屋市電(中)』45頁
  7. ^ 『名古屋市電が走った街今昔』102頁
  8. ^ 『なごやの町名』142・153頁
  9. ^ 『東区史』63頁
  10. ^ 『東区史』189-190頁
  11. ^ 『角川日本地名大辞典』23、1106頁
  12. ^ 『北区誌』300-301頁
  13. ^ a b 『名古屋市電(上)』4-7頁
  14. ^ a b 『名古屋鉄道社史』72頁
  15. ^ 『名古屋鉄道社史』732頁
  16. ^ a b c d 『電気軌道事業買収顛末』62・68頁
  17. ^ 『名古屋都市計画史』上巻283-286頁
  18. ^ a b 『市営五十年史』585頁
  19. ^ 『名古屋市電(上)』35頁
  20. ^ 『名古屋市電(上)』7-8頁
  21. ^ 『名古屋市統計書』第19回、1919年、290頁。NDLJP:974459/199
  22. ^ 『名古屋市統計書』第21回、1921年、293頁。NDLJP:974460/198
  23. ^ 『名古屋市統計書』第25回、1925年。NDLJP:974482/10
  24. ^ 『市営十年』61-62頁および巻頭「電車運転系統図(市営当初)」
  25. ^ 『市営十年』62-63頁
  26. ^ 『市営三十年史』後編95・98頁
  27. ^ 『市営五十年史』513頁
  28. ^ 『名古屋市全商工住宅案内図帳』東区
  29. ^ 『大名古屋』377頁。NDLJP:1256247/227
  30. ^ 官報』1928年4月14日付、NDLJP:2956847/7
  31. ^ a b c 『名古屋市電(上)』14-19頁
  32. ^ a b 『名古屋市交通事業の5カ年計画』7-9頁
  33. ^ 『市営五十年史』640頁(巻末年表)
  34. ^ 『市営五十年史』650頁(巻末年表)
  35. ^ 『市営五十年史』652頁(巻末年表)
  36. ^ 『交通事業成績調書』昭和45年度15-17頁
  37. ^ 『市営五十年史』654-655頁(巻末年表)
  38. ^ 『市営五十年史』252-253頁
  39. ^ a b 『日本鉄道旅行地図帳』7号58頁
  40. ^ 『名古屋市全商工住宅案内図帳』(住宅地図・1965年)
  41. ^ 『市営十五年』、「電車運転系統図」による
  42. ^ 『市営三十年史』、「電車運転系統図昭和27年3月現在」および後編133-135頁
  43. ^ 『名古屋市電(上)』28頁
  44. ^ 『名古屋市電(中)』8頁
  45. ^ 『名古屋市電(中)』10頁
  46. ^ 『名古屋市電(中)』20頁
  47. ^ 『名古屋市電(中)』34頁
  48. ^ 『名古屋市電(中)』38頁
  49. ^ 『名古屋市電(下)』4頁
  50. ^ 『昭和34年度乗客交通調査集計書 (I)』、「路面電車終日乗車人員路線図表」「路面電車終日降車人員路線図表」「路面電車終日通過人員路線図表」ほか
  51. ^ 『昭和41年度乗客交通調査集計書 (I)』、「路面電車終日乗車人員路線図表」「路面電車終日降車人員路線図表」「路面電車終日通過人員路線図表」ほか

参考文献

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名古屋市関連文献

  • 北区制50周年記念事業実行委員会(編)『北区誌』北区制50周年記念事業実行委員会、1994年。 
  • 名古屋市(編)『名古屋市統計書』 各年度版、名古屋市役所。 
  • 名古屋市(編)『大名古屋』名古屋市役所、1937年。NDLJP:1256247 
  • 名古屋市建設局(編)『名古屋都市計画史』 上巻、名古屋市建設局、1957年。 
  • 名古屋市電気局・交通局(編)
    • 『電気軌道事業買収顛末』名古屋市電気局、1922年。 
      • 『公営交通事業沿革史』戦前篇3(クレス出版、1990年)に収録
    • 『市営十年』名古屋市電気局、1932年。NDLJP:1210924 
    • 『市営十五年』名古屋市電気局、1937年。 
    • 『市営三十年史』名古屋市交通局、1952年。 
    • 『市営五十年史』名古屋市交通局、1972年。 
    • 『名古屋市交通事業の5カ年計画』名古屋市交通局、1965年。 
    • 『交通事業成績調書』 昭和36年度、名古屋市交通局、1962年。 
    • 『交通事業成績調書』 昭和45年度、名古屋市交通局、1971年。 
    • 『昭和34年度乗客交通調査集計書』 (I) 路面電車・高速電車、名古屋市交通局、1959年度。 市営交通資料センター蔵)
    • 『昭和41年度乗客交通調査集計書』 (I) 路面電車、名古屋市交通局、1966年度。 (市営交通資料センター蔵)
  • 東区史編さん委員会(編)『東区史』東区総合庁舎建設後援会、1973年。 
  • 水野時二(監修)『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年。 

その他文献

  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 7号(東海)、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典』 23 愛知県、角川書店、1989年。ISBN 978-4-04-001230-8 
  • 徳田耕一『名古屋市電が走った街今昔』JTB、1999年。ISBN 978-4-533-03340-7 
  • 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年。 
  • 服部重敬

地図

  • 住宅地図協会(編)(名古屋市図書館蔵)
    • 『名古屋市全商工住宅案内図帳』 北区、住宅地図協会、1965年。 
    • 『名古屋市全商工住宅案内図帳』 中区、住宅地図協会、1965年。 
    • 『名古屋市全商工住宅案内図帳』 東区、住宅地図協会、1965年。 
  • ゼンリン(編)
    • 『ゼンリン住宅地図』 名古屋市北区、ゼンリン、2016年5月。ISBN 978-4-432-41820-6 
    • 『ゼンリン住宅地図』 名古屋市中区、ゼンリン、2015年11月。ISBN 978-4-432-40854-2 
    • 『ゼンリン住宅地図』 名古屋市東区、ゼンリン、2016年5月。ISBN 978-4-432-41819-0